国語施策・日本語教育

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次第 庶務報告/部会の審議経過報告について

前田会長

 第63回総会を開く。まず,審議に先立って国語課長から庶務報告がある。

金田課長

 本日の資料として,協議議題である各部会の審議経過報告のほかに,昭和42年7月までの会議開催予定表と昭和42年度における国語施策関係の予算原案を参考として配布した。なおすでに発送ずみである各部会の議事要旨中に若干の誤りがあったので,その正誤表を配布しておく。各自で訂正願いたい。

前田会長

 では,各部会の審議経過報告をお願いする。

岩淵漢字部会長

 漢字部会の審議経過報告を行なうまえに,わたしから漢字とかなの合同会議について報告する。


 次いで,漢字部会の審議経過について報告する。

前田会長

 引き続き,かな部会の審議経過報告をお願いする。

久松かな部会長

 かな部会の審議経過について報告する。

前田会長

 両部会に対して,質問・意見があれば伺いたい。

志田委員

 かな部会は,送りがなの法則化に関して,「厳密な意味での正書法は成り立たなくても,できるだけ一語一語の書き表わし方を統一する方向にもっていくのが望ましい……。」と言っておられるが,これはどういうことか。

久松かな部会長

 送りがなのつけ方を法則化することはむずかしいが,といって,野放しにもできないので,できるだけ、こういうように書くという方向にもっていきたいという意味である。一語一語それぞれ決めるまえに,やはり,なにか共通なものを決める必要があるわけであるが,それがむずかしい。

志田委員

 現在の「送りがなのつけ方」の3か条の方針を,いちおう前提にしながら考えていかれるのか,それとも辞書のようなものをひけば,その形がわかるというような決め方をされるのか。

久松かな部会長

 辞書が必要という意見もあったけれど,現在の3か条の方針を捨ててしまうというものではない。ただ,(1)の活用語尾を送るという方針には問題はないが,(2)と(3)の方針は(1)と少し性質が違うということである。これを簡単に捨ててしまうこともできないので,いろいろ悩みがある。部会としては,まだ,これをどうしようというところまでは審議していない。

小谷委員

 漢字部会が専門用語について考えている方向はけっこうなことであると思う。これに関連してであるが,一時,明治というか,近年になってから,漢字によって新しいことばを作り出すことがさかんに行なわれ,そのためにか,同音語の増加に伴い,耳で聞いただけで理解することが困難になってきている。それに対して各専門分野では,ある漢字のわくの中でことば直しといってよいようなことが進められている。このように漢字制限ということがもとになって,日本語の中に自然に捨てられていくものもあるわけであるが,このことについては,漢字部会でどう考えておられるのか。わたしは,むしろそのほうが,日本語を国民全体にわかりやすくし,意義のあることだと思っている。また,簡易字体の問題と関連して,日本や中国,朝鮮などの漢字文化圏の間で,なにか国際的に話し合うというようなことが可能であり,またそれが効果のあるものかどうか,その点についてもお尋ねしたい。

岩淵漢字部会長

 現行の当用漢字表では専門用語をいちおう除外して考えている。しかし専門用語といっても,一般に使われる可能性があるということから,やはり考慮に入れるべきではないかという意見があった。ただ,はたして,制限された漢字のわくの中で,すべての専門用語をまかなうことができるものかどうか,漢字部会では,まだそこまで議論は尽くしていない。わたし個人としては,今後,各専門の部門ごとに基礎的に必要な漢字があるのではないかと考えられるので,それがどの程度あるものか検討してみる必要があると思っている。それから漢字文化圏の問題については,部会では,中国の簡体字と日本の簡易字体とでは簡易化の方向が全く違っており,これはどうすることもできない問題であるという程度のことを話し合っただけで,積極的に議論するところまでは至らなかった。むしろ,この問題は総会で議論されるべき問題ではないかという気がする。

大野委員

 中国との関連が問題になっているが,中国の字体の簡略のしかたは現在の中国の発音に基づいて行なわれているものであるから,その漢字が日本語としての変化を経てきた日本の発音とは当然へだたりがあり,今日では,全然別のものになっている。これを一致させようとするのはむずかしいことであり,また意味のないことである。それに,漢字部会で,ある委員が,日本の字体をいじることによって中国とのつながりが切れるのは望ましくないということから,中国との関連において国字問題を考えよという発言をされたが,わたしは日本の国字の問題は,現代の日本語を書くための問題であって,中国の問題をここに導入することは,問題を混乱させることになる。むしろ現代の日本語を正確にどう表現するかを考えたほうがよいということを言ったのである。

大島委員

 先日,登記所で,「一」「二」「十」等の数字を,「壱」「弐」「拾」などに書きかえさせられたが,これはどういうことか。それに登記所では書類に,「壹」「貳」「拾」の字体を用いている。また,わたしは戦前,文字の字画や送りがな等については,常に気を配って書いていたけれど,戦後になってこれがわからなくなってしまった。そのため原稿などは,新聞社や雑誌社に任せきりになってしまったが,なにかこれらが日本人の間に不統一になってしまったように思われるがどうか。
 次に漢字文化圏ということについては,わたしは異議のないことだと思っている。日本と中国では,字体の略し方の方向が全然違っており,現在の中国の簡体字は品が悪く,それに迎合する必要はないと思われる。

塩田事務官

 「壱・弐・拾」などの字は当用漢字表にある。地名の登記関係では,権利義務に関係が深いので,登記簿に「壱・弐」とあれば「一・二」に直さないで,その字を用いているように聞いている。これは,数字の部分までもその地名のうちに含めて考えているためであろうか。

岩淵漢字部会長

 表記が不統一になったように思われるということについては,やはり戦後,国語施策として一つの新しい規範ができたために,われわれのように古い規範で育ったものには,それに慣れないということがあると考えられる。このことは,新しい規範を出したために混乱しているともいえるし,また統一したいからともいえる、できるならば,国民全体が守れるような規範が生まれればよいのであるが,それができるかどうか部会でも議論していきたいと考えている。

大野委員

 大島委員のいわれたことは重要な問題である。自分の書いたものが,こてが正しい書き方であるといいきれる人はこの席上にもおられまい。つまり,このことは規範が変わったからではなく,訓令・告示で出した新しい規範に不備な点があるからである。たとえば「ず・づ,じ・ぢ」の問題にしても,どちらを用いるのが正しいのか,だれも返答ができない。困って文部省に質問すれば「ず・じ」をすすめられる。わたしには,なんの根拠でそういわれるのかわからないし,また,そういうところに戦後の国語施策に対する不信任があるのではないかと思っている。今後,われわれが,戦後の国語施策をくぶんか改善するにしても,新しい規範をみれば,きちんと書けるというようにしていきたいものである。次に簡易字体の採用の問題であるが、現在の当用漢字字体表の制定にあたっては,その審議がじゅうぶんでなく,そのため不必要な手入れをされていることが多い・これまでの略字は,大部分,由来のないものではなく,かなり多数のものは昔の文献にその根拠を認められるものであった。それが不必要ないじり方をしたために,なくなってきている

佐藤委員

 漢字の問題は,ことばとの関連において考えてもらいたいと,わたしはかねがね申しているが,固有名詞の問題も専門用語と同じように語いの書き表わし方であると思っている。たとえば,「茨城」という県名の問題もことばとして意味があるので,これを「茨」だけ切り離して当用漢字表に入れるというのは,文字とことばを切り離すことになる。これは,「いばら」ということばが基本的なことばであるかどうかという問題にもなる。どうか,固有名詞を考える場合にも基本語いとの関連において考えてほしい。もし,当用漢字表の再検討を漢字の出し入れだけで考えるのなら,固有名詞は,切り離して考えてほしい。もう一つの問題は,固有名詞の中で,ある程度のものを表わす漢字を当用漢字表に含める場合,どの程度まで入れるか,どこかで線を引かなければならないが,これはむずかしい問題である。線を引くことによって,国民生活に多大の影響を及ぼすことも考慮する必要があるが,なんにしても,こういう規則を決めて国民に押しつけるということは,必ずしも当を得たものではない。やはり国語を平明にするとかの方向から,自然に国民の関心を呼ぶように配慮していくことがたいせつではなかろうか。

岩淵漢字部会長

 漢字部会でも,かりに固有名詞に用いる漢字を当用漢字表に入れた場合に,ではその漢字は一般の普通のことばにも使ってよいのかどうか,それでは当用漢字表の性格があいまいになるのではないかといったような議論も出た。だいたい漢字部会の各委員とも,佐藤委員と同じようなことを考慮に入れておられるようである、

植松委員

 固有名詞は,当用漢字表の別わくとして考えたいという意見があり,その意味もよくわかるけれど,はたしてそうした場合に,ぐあいよく使用できるかどうか,多少の疑問をもつ。たとえば,「岡」「藤」は固有名詞にだけ許されるとした場合,一般国民は,この字がどちらに入っているのか,いちいち考えなければならないという不便がある。わたしは基準漢字的に当用漢字表を決めるなら問題はないけれど,そうでなく,制限漢字的に考えて,いちいち,これは人名のときだけ,地名のときだけ許されるというようなことになるのなら,実用に適さないものになると考えている。

遠藤委員

 佐藤委員にお尋ねしたい。基本語いの問題を取り上げられたが,現在,中学校では3年間に教える英語の単語として980何語かが決められている。それと同じように,漢字というものにこだわらないで,これだけの語いは習得しなければならないという,そういうような方向をとれとおっしゃるのか。

佐藤委員

 漢字の場合は制限ということもありうるけれど,そのもとになることばの制限は不可能である。そして一般生活に使われるごく基本的なことばは専門的にしか使われないことばと多少違いがある。むろん専門用語も一般化し,日常に使われることもあるので,厳密な区別は考えられないであろう。しかし最小限度の語いをいろいろな角度から時間をかけて調査すれば,たとえば,小学校なら小学校での基本語いというものが考えられ,そして,そういういちおうのめやすというものがあってよいのではないかというわけである。当用漢字表を制定するときに,「矛盾」という語は基本語いだから,それを書き表わす漢字は残しておこうという配慮があったものと思うけれど,これらを総合的な語いの検討の上に立って配慮したかどうかとなると疑問を感じるのである。

遠藤委員

 漢字の数を定めるか,そのまえに,中学校を卒業して日本人として知っておく必要のある語いを先に定めるか,これは重要な問題であると思う。

木内委員

 部会からの審議経過には,これこれの意見があったと書いてあるだけで,どうしてその問題を解決していくかというその方向づけすら述べられていない。わたしは,この状態で部会が進んでいくとしたら時間を浪費するばかりであると考える。先日の運営委員会でも細川委員から,国語審議会は毎期同じ問題のくり返しをやっているにすぎないという意見があった。今期は総会が主体になって,部会はその総会を付託を受けて審議することになっているが,これまでは付託の趣旨が不明確であったように思われる。今後,総会としては,付託の趣旨を明確にして,部会の仕事がしやすいようにしてやる必要があると考える。ついては,まず,当用漢字表を範囲とするか基準とするかという問題については,部会でこれをどちらかに決めるということは,総会から付託を受けていない以上,決められない問題であろうし,といって総会において,この問題を大上段にふりかざしてやれば,時間の制約等でとても審議できるものではない。そこで,まず部会で,いままでの範囲からこれを基準と改めた場合に,どこでどういう変化が起こるかということに焦点をおいて,「範囲」または「基準」とした場合のそれぞれの長所,短所を並べたて,それを次回の総会に提出いただければ実のある審議が可能ではないかと思うわけである。それに適用範囲についても,これを教育だけに限定して考えた場合に,どういう問題が起こるかということを総会に報告していただけたらと思っている。かな部会もこれと同様の方向で考えてもらいたい。ところで,わたしのいいたいのは,部会審議にはいると,どうしても総合的な面が無視されることになる。そこで,全般的な問題について検討する小委員会を設け,戦後の国語施策における一つのポイントとなった訓令・告示を通じての施策の達成という方法がはたして適当であったかどうかということなどについて焦点を合わせ,明らかにしてほしいと思うわけである。そのためには,小委員会の発足のきっかけとして,わたしが,いちおうの私案を提出してもよいと考えている。

細川委員

 木内委員の提案にはあまり賛成ではないが,反対はしない。わたしの考えは木内委員と結論は同じであるが道行きが違う。わたしは部会の報告を受けて,まことにゆうちょうな感じがした。すでに前期でも具体案が出ているのであるから,どうしてもっと,具体的な議論ができないのかと思う。正直にいって,当用漢字表の字数は,これまでのいきさつからいって2,000字程度が妥当のようであるから,それにある程度,固有名詞に用いる漢字を加えればよいのではないか。そのあとで,木内委員のいわれるように,これを,「範囲」あるいは「基準」のどちらかにするのが,より適当なのかどうかを,結論としてもってくればよいのではないか。また,その結果を訓令・告示で出すかどうかを,あとで決めればよいのではないかと考える。

長岡委員

 国語の中には日本の純粋のことばと,シナから渡ってきた漢語との二つがある。日本の純粋のことばはかなで書いてもけっこうであるが,漢語については,それがわれわれの準国語として使われている以上,その漢字は覚える必要があり,当然これらは当用漢字表に残しておくべきであろう。

西原委員

 木内提案には基本的には賛成であるが,少し,急ぎすぎる感じもする。わたしは部会の報告については,いつも個々の問題としてでなく,国語問題全体の方向で聞いている。それだけに,こんどの漢字部会報告にしても,表面的にはゆうちょうにみえるけれども,この次には,もっと具体的な報告が出るであろうと期待している。木内委員のいわれるように,最初から教育の場に限定して考えるとか,あるいはなにか,超越的な結論があれば能率があがるというように考えるのは,その気持ちはわかるけれども,それでは少し急ぎすぎるのではないかという感じがする。

古賀副会長

 木内,細川両委員とも,なんとかして国語審議会の仕事の促進をはかる方法はないものかという切なる希望のもとに発言されたかと思われるが,わたしはつとめて両部会に出席しているので,部会がいつも熱心に,また広い視野から審議されていることは承知している。そこで,今後もうしばらく部会に時間を与えて進行を見るということが現在必要ではないかということ,そして両部会には,これまで以上に大所高所から,かつ,できるだけ審議を早めるように努力されることを希望しておくということでどうか。

前田会長

 木内委員から部会審議の能率を上げる方法と関連して,根本問題ときりはなさないで考えていきたいという意見が述べられている。つまり,各部会からは少なくとも5月の総会までに,具体的にいえば,「範囲」か「基準」かの問題をふまえて経過報告を期待するということであり,また,訓令・告示に関連する国語の根本問題をどうするかということのようである。これに対し,どなたも根本的には反対がないようにわたしには受け取れた。そこでみなさんにおはかりするが,しばらくこのままで部会を続けていただき,できれば木内委員の希望に近いものを,次回の総会までにできるかどうかはともかくとして,その気持ちで審議いただくよう部会委員にお願いしておいてはどうかと思う。そして部会がそれにそった成果をあげてくれば,おそらく次の総会において根本となる訓令・告示の問題についても機が熟してくるのではないかと思われる。もし,賛成が得られるなら,精神と目的と方向をそちらにおいてやってもらいたいがどうか。

細川委員

 重要な問題であるので,もう少しみんなの意見を聞いてはどうか。

木内委員

 部会は5月までとか,7月までとかいわずに,そのまま続けてもらってけっこうである。ただ,部会の審議が対立のままではいけないので,その一つのきっかけを開く意味で提案したものである。なお,根本問題を論じる小委員会の設置については,これを部会の合同会議でやってもらってけっこうである。

前田会長

 もう一つおはかりするが,訓令・告示の問題についての木内私案を作成してもらってはどうか。それを会長あてに提出願えれば幸いである。別に小委員会を設ける必要もないと思われる。まことに失礼であるが,別の公用があるので退席させていただく。

古賀副会長

 会長にかわって議長をつとめる。先ほどから木内委員が出しておられる「範囲」か「基準」かの問題,あるいは教育と限定した場合に,それぞれの面で起こる変化なり問題なりを具体的に部会で示してもらいたいということについては会長も賛成のようであった。漢字部会としても,この点について考慮いただければ一歩前進することになると思われるが,そのまえに,漢字部会長の考えを伺っておきたい。

岩淵漢字部会長

 当用漢字表を「範囲」とするか,「基準」とするかの問題は,根本的には国語問題に対する考え方の問題になるが,ともかく,「範囲」とすればどうなるか,「基準」とすればどうなるかということを考える必要があると,わたしもかねがね思っていたところである。ただ,問題になるのは「基準」ということばで,これはあいまいな表現だけに,人によって解釈が違ってくる。前期でも,最低基準か最高基準かで問題になったし,木内委員などは,いちおうの基準といっておられる。わたしは個人的には基本漢字という考えをもっているが,それでも基本漢字とはなにかという問題がある。しかし,いちおう,「範囲」,あるいは「基準」とした場合に,それぞれ,どういう長所・短所があるかということについて審議を煮つめてみる必要がある。おそらく,この問題については,次回の部会で審議いただけるものと考えている。次に,細川委員から,前期ですでに字種の出し入れの結果が出ているのではないかという意見もあったが,このほか,新聞その他の方面からも,こういう漢字が必要だという資料を収集して審議に役だたせたいと考えている。同時に,なぜ,こういう漢字を当用漢字表に加えたか,削ったかというその理由,根拠を明確にさせる努力をしていきたいと考えているので,できることなら,そういう時間の余裕を与えていただきたいと思っている。

大島委員

「基準」ということばがあいまいであるので,あらかじめ「基準」とはなにかということを決めておいてもらいたい。なお,「範囲」とするか「基準」とするかは,当用漢字表をどの程度の字数とするかに関連する問題であるので,この点をよく考慮してほしい。

西尾委員

 先ほど細川委員から,国語審議会は何年も同じことをくり返しているという発言があったが,わたしも同感である。しかし,なぜそういうように同じことをくり返さなければならないかというと,国民にとってだいじな国語問題は,賛否両論をつきつめて多数決で決めるべきではないということからであった。それに議事録にしても,いろいろな意見の中から要録されたもので,それは必ずしも討議された結果ではなかったためである。
 いまの,「範囲」,「基準」の問題にしても,なかなか決められない問題である。いくら,「範囲」といっても,生徒が社会的にその他の漢字も習得していくことになると,結果的には「基準」ということになる。では,「基準」としておけばそれでよいかというと,そうではない。義務教育で習ったものは,法令,公用文などに使われていた場合に,少なくともそれが理解できるようになっていなければならないということになる。できるだけ,みんなの意見の一致するところにもっていってもらいたいが,しかし,わたしは,問題によっては総会の討議に付して多数決の形式をとって定めることがあってもよいものもあると考える。

西原委員

 木内私案に対する意見を文書にして会長あてに提出されたいとのことであるが,これは木内委員ひとりにとどまらず,各委員からも提出されてもよいのではないか。なお「範囲」,「基準」等の解釈について,常にまとまったものを文書ではっきりと決めておくということはいいことである。現に,「基準」の解釈でなく,「範囲」についても,たとえば,3,000字以内という意味の「範囲」か,「適用の範囲」かといった問題がある。

岩淵漢字部会長

 「基準」と対応して問題にしている「範囲」とは,告示に出ている「使用する漢字の範囲」のことで,1,850字とか,3,000字以内といった意味の「範囲」である。

久松かな部会長

 かな部会には,「送りがな」と「現代かなづかい」の二つの問題が付託されているが,かな部会では,どちらを先に審議するか,まだ,はっきりと決めていない。総会の意見を伺いたい。

大野委員

 かなづかいのほうが,送りがなの問題よりも,筋道を立てて改めやすい問題であると思われる。いずれにしても,まとめるときに,最終的にこの単語はこういう形で書く。これはどういう原則に基づいているかといった説明をつけることがたいせつで,そうすれば問題も少なくなると思う。現在の「送りがなのつけ方」や「現代かなづかい」の混乱の原因は,それを行なわなかったところにあった。ともかく,わたしは現代かなづかいの問題から進まれたほうがよいという気がする。

志田委員

 「現代かなづかい」の問題のほうが,結論を出しやすいであろうということでは大野委員と同感である。ただ,わたしの考えでは,送りがなを法則化する場合,ひじょうに細かくなると,いろいろな議論が出てくるが,いちおう,まえがきにある3か条の方針の,第1の原則を徹底するという方向でやると,一つの法則化が可能であると思われる。しかし,反面,それではいままでの送りがな法と違ったものができることになり,抵抗があって,それを通し得ないということも考えられる。そこで,漢字部会の「範囲」,「基準」の問題のように,「送りがなのつけ方」の第1の原則を徹底したらどうなるかというように,個々に示してもらったら,よい材料になるのではないかと思う。

岩淵漢字部会長

 「現代かなづかい」の問題のほうが取り扱いやすいということは同感であるが,しかし,実際に社会で,より困っているという点からいえば,「送りがな」ではなかろうか。むろん,かなづかいの問題が短期間に解決できるものであるなら,それから審議するのもよいが。

植松委員

 志田委員が発言されたような「送りがなのつけ方」に関する資料は,事務当局で用意できるのではないか。

古賀副会長

 事務当局は,その点を考慮しておいてもらいたい。時間がきたので,これで閉会とするが,今後は部会委員ではないかたがたにも,部会に出席して意見を述べていただければ,部会審議を進める上で,参考になるのではないかと思われる。

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