資料2 第7回企画調査会

文化審議会文化財分科会企画調査会(第6回)議事概要

1 日時
平成19年5月15日(水) 14:00〜17:00
2 場所
東商スカイルーム サファイア
3 出席者
(委員)
石森会長 永井会長代理 西田委員 西山委員 佐藤委員 星委員 神崎委員 田中委員 林田委員
(事務局)
土屋文化財部長 亀井文化財鑑査官 有松伝統文化課長 山﨑美術学芸課長 岩本記念物課長 苅谷参事官 長屋文化財保護企画室長 その他関係官
4 議事等
[1] 資料3に基づき「第5回企画調査会における骨子案への主な意見」について,資料4に基づき「文化審議会文化財分科会企画調査会報告書の骨子(案)」の変更点について説明が行われた。
[2]「国民の文化財保護への理解と参加のための方策」について議論を行った。
  •  2001年の企画調査会の報告書を読むと,今回議論になっていることはほとんど出ている。また改めて出ているということは,問題点がまだ改善されていない部分があるのだろう。今回の骨子(案)の中でも,かかわりを持つ個人や団体をどう増やすか,国民一人一人がどういうふうに文化財と親しんでいくか,文化財を支える仕組みとして,いろんな団体がどう絡んでいけばいいかの3つの視点があると思う。それらが見えていないところではないかと思い,そこについて意見を申し述べたい。
     まず距離感の問題だが,文化財と市民の間には差があり,なかなか市民レベルまで下がっていかず一緒にならない。「活用」は理解と参加の中に入っていると思うが,観光化したらいいとは考えておらず,閉じながらどう開いていくかだと思う。文化財はその地域の人たちの暮らしと密接に関わっているので,単に観光資源として見るようなことは絶対してはいけないし,どうやって守っていくかを必ず考えなければいけない。ただ,今の生活者にとって,文化財は国が決めたもので大事にされているが,地域の暮らしとどれだけ関わっているかという意味で,課題はあると思う。これからの市民は自分で納得できないと動かない。バッファー・ゾーンをどうするか,文化的に重要な地域をどうするかというときに,国が補助しても「市民が応援する姿勢を持つか」ということなしには考えられないというところにきているのではないか。
     これらを考える上で3つ視点がある。1つ目はマーケティング的な思想が必要であるということ。観光地化するのであれば,成熟のステップというものがあり,それぞれのときに何を提供するかということがとても大事である。つまり,展開時に新しい発想を入れていくということがないと,ブランディングはなかなかできないと思う。従来の発想だけではなく,てこ入れをするときには新たな組合せを使いながら広げていくことが絶対必要である。
     2つ目は,市民が求めているのは本当に文化財そのものなのかということ。旅行するときは文化財や世界遺産にも行くが,その土地の食べ物はどうか,何が買えるかそういうものを全部セットにして地域を見る。それが文化財のバッファー・ゾーンなどでどういう展開をするかということに非常に関わってくると思う。
     3つ目はいかに支えていくかということ。この3つの視点を詳しくお話しする。
     まず1つ目の組合せだが,新しい発見のためのツールをもっと入れていく必要があるのではないか。例えば,文化財ではないが,去年越後妻有で「アートトリエンナーレ」が開かれた。広い田園地帯にある現代アートを巡ることにより地域が見えてきたり,新しいコミュニケーションが生まれた。こういったきっかけにより,豪雪地帯の過疎の町や村の活性化が促され,また新しい視点で見ることができた。より現代的な都市で言えば,長崎の「さるく博」という博覧会では市民プロデューサーが自分たちのまちを紹介するプログラムを作り,紹介して歩くということを行っている。こういう新たな仕組みを入れることにより,文化財だけではなく,地域の財産というのは随分浮き上がってくる。そういった方策も今後支援していくことが必要なのではないか。
     2つ目だが,市民が求めているのは文化財ではないのではないか。石見銀山は世界遺産になる,ならないに関わらず魅力的な場所である。なぜなら50年も前から保存会があって,地域住民がずっと守っているなど,日々の暮らしの中に地形や歴史などが含まれている。それが博物館の中にあるのではなく,日々の生活と密着していることが大事である。それから,例えば演劇として新たな形を作る,子供たちに体験をさせるなど,日常といかに近づけるかという工夫をしているところが残っている。高知の檮原というところに古いお神楽が残っている。その前日は無礼講で,村人がそれぞれの家を回って歩くような風習も残っており,お神楽は子供たちがおじいちゃん,おばあちゃんから教えてもらう。つまり,日々の暮らしの中での営みがあって初めて得られるものであって,それとどういうふうに関わっていくかということに対してもっと注意を払っていかなければいけない。
     3つ目として,文化財補助金を出して保護しているが,今回のテーマにあるようにこれからは市民の参加がなくては支えていけないので,参加をどう促すかが大切だ。例えば,文化財でもこういう動きはあると思うが,ナショナル・トラストやシビック・トラストなど,市民が少しずつお金を出すような動きは大事で,最近では「平成桜の通り抜け」や「天満天神繁昌亭」という事例もある。市民というのは,単に自分が楽しいだけではなく,地域のために何かしたいと考えているので,労力奉仕もあるが,お金という参加の仕方も1つのやり方ではないか。そういった仕組みをどう作っていくか。
     それと,「グラウンドワーク」という環境問題などで話題になっている手法がある。これは,行政と企業と市民,NPOなどがそれぞれ3分の1ずつお金を出して運営する仕組みを作り,まちをきれいにしていく。この手法では,今までは意志統一された上で活動が行われていたが,例えばまちづくりの活動や歴史という活動など,それぞれが別々の活動をする中で,共通点を見つけ,地域のため,文化財のために活動する。こういうものを探していかなければいけないのではないか。
     まとめると,これから必要なのはできることを持ち寄る関係だ。行政が全て決めて市民がそれに従うというやり方もあるが,それではうまくいかないのではないか。行政には強みもあるが弱みもある。市民も企業もそうだ。弱みを認識するからこそうまい関係ができる。例えば文化財を守るだけでなく,文化財によって我々は何を得られるのかという双方向の関係性に気づかないとなかなかうまくいかないのではないか。
     閉じながら開いていくという話をしたが,ゆっくり手渡していくことで,すごく時間のかかることだ。先ほどの神楽は多分1つ1つの所作を教えているし,総合学習で文楽を取り上げ,文楽の有名人を招き2年間やって発表している事例もある。それは単に文楽を教わるということではなく技術の素晴らしさ,立ち居振る舞いなど総合的なものだと思う。文化をつないでいくためには,総合的に次世代へ伝えていかないといけないので,手渡していくように少しずつ,だけど確実に伝えていくという姿勢が大事なのではないか。
(事務局)
 先生から御意見を頂いた中で,行政が決めたことについて力があるという前提でお話があったように思うが,文化行政は予算も決して大きくないこともあり,国の文化行政が質量ともに十分に手が回ってないことについて問題意識を持っている。かといって,文化財は,放っておくとどんどん物がなくなってしまうので,何とかしないといけないという焦り,危機感を持っている。したがって,もちろん予算の増額など努力はするが,是非国全体での取組の強化のための方策の御検討を頂きたいと切に願っている。
  •  私も文化財行政を長くやっているが,頑張らなければいけないことがいっぱいあるのになかなかできない。国民参加,地域を挙げての動きを盛んにしていく努力をしなければならないが,正直なところ,行政手段として国民参加を進めるためにどんな仕掛けが役所でできるのか具体的な手法がわからなかった。現場は行政に何か期待したい。だが,文化財行政は基本的には規制行政なので,関わっている方々の気持ちからすると,一緒になって何かするというよりも規制の方が目立ちやすい分野である。つまり,余りいい関係ではなかったような気がする。実際どうやって行政の中で具体的にやっていくかというと,都道府県や市町村は慣れており,既にいろいろなことが起こっていると感じた。どうすれば都道府県や市町村がやりやすくなるのか,文化庁が何をすればいいのかがまだよくわからないが,もし具体的にこうした方がより国民参加が進むということが出てくると,行政的な施策としてつながっていくと思う。
     もう1つは,ナショナル・トラストなどの団体はかなりいろんなことをしていたが,当時運輸省の所管だったこともあり連携がなかなか進んでいなかった。だから,既に存在している団体ともっと近づいていき,フラットな関係で協力し合えるようにするにはどうすればいいのか,行政的に今の時点で何ができるだろうかと考えている。
     それから,石見銀山は,実際今どういう状況になっていて,大体新聞に出ているような理解で良いのか。これから,この会で検討していく上に当たって世界遺産の動きとはとても関わりのあることかと思うので,大体これからどんな進行になっていくのか,その際文化庁としてはどういう考えでいくのかをお聞かせ願いたい。
(事務局)
 石見銀山については,昨年1月にユネスコに推薦書を提出している。それで,専門的な評価をしてきているイコモスから記載延期の勧告をされたという状況だ。記載延期というのは,もう一度推薦を見直して,中身を検討し再提出してほしいというものだ。ただ,これは専門的にそういう評価が出たが,当方では,長年研究し,万全の準備と価値証明をしてきた。指摘されている内容を見ると,必ずしも当を得ておらず,こちらが推薦書やイコモスの現地調査で説明したような内容が必ずしも理解されずに,また指摘されているという点もある。全体的に審査が非常に厳しくなってきているという部分もある。これから専門的な反論や外交チャンネルを通じて説明をし,最終的に6月23日から世界遺産委員会で議論される。そこで結論が変わることも過去の例としてはある。結論を変えるということは専門的な反論ができないとなかなか難しい問題があるが,それをやっていこうという段階だ。
  •  「文化財保護に対する国民の理解と参加」というと,既に文化財保護という行為がどこかで行われていて,まだ無知の国民が,その行為を理解し,やっている取組に対して参加しなければいけないという言葉になっている。「文化財又は文化遺産の国民による継承を促進する施策とはいかにあるべきか」というタイトルにすれば,主役は国民になる。
     従来の文化財保護体系に基づく保護はこれまでどおりきちっと行っていくべきと思うが,一方で,ボトムアップ型による保護も可能性がある。更に,他分野との連携という,その次の課題もある。
     その他に,1つは,地域の文化を説明する専門家や説明そのものの専門家,要するにインタープリターの話がとても重要だと思う。これはツーリズムと非常に強い連携がある。20世紀の終わりごろから非常に盛んに出てきた観光に対する考え方にエコツーリズムというのがあるが,要は大事なものに柵(さく)をするなど規制して守るのではなくて,賢明な都市民にはきちっとその価値を説明してあげればそれを傷つけないし,経済的な負担もいとわない。だから,エコツーリズムみたいにちゃんとした専門家が遺跡などの文化財の価値を説明して,理解者を増やしていくという取組が必要。
     エコツーリズムというのは,旅行形態というよりは,自然保護運動みたいなものが知恵を絞って生み出して,それが今や文化的なものにも応用されているツーリズムの非常に優れた手法だと思う。イコモスの国際文化観光憲章でも,1975年の憲章と2000年の憲章では全く違うことが書いてある。昔はともかく観光客を遠ざけて大事な遺産を守れと書いてあったが,今は,管理された方法で遺産の重要性を知らせるためのツアーをきちっとやるように書いてある。要するに,観光客を遺産の価値に触れさせて啓発し,経済的な負担もある程度担ってもらって遺産を守る。遺産というのはお金がないと守れないから,そういう意味では,きちっと経済的なことまで考えて国際的な文化観光というものはマネジメントしていきなさいというようなことである。そういう意味で,理念としては,エコツーリズム,イコモスの文化観光憲章の理念が,国民への理解と参加を促すのに非常に大きなヒントであり,グローバルスタンダードになりつつあると思う。
     いろいろな省庁が観光に身を乗り出してきており,いろんな分野と連携しやすい状況が出てきていると思う。地域づくりのための景観づくりをするにしても,まちづくりをするにしても,その基盤として文化遺産や文化財を押さえることに価値を見いだし,それを観光につなげていく方策を模索している。その辺に国民の理解と参加ということの大きなヒントがあるのではないか。
     もう1点は,白川村の事例だが,白川村は合併を拒否して,1,900人の人口で,今,独立村として頑張っているが,行政はすごいリストラを強いられており,世界遺産を守っている伝統的建造物群の部局には,担当者が正味2人しかいない。これで伝建もほかの文化財も世界遺産も守っている。確かに白川村は注目も浴びるし,マスコミもホットな報道をするので,年間150万人ぐらい来訪者があり,省庁,県がいろいろと予算をつけてくれる。しかし,お金をつけるだけで,アイデアはすべて地域が考えろという状況である。担当者は「世界遺産を活用した教育とか,文化財・文化遺産の普及・啓発ということに対して県がどう考えているのか,国がどう考えているかというのが全然見えてこない」というような言い方をしている。担当は日々の業務を精いっぱいやっている。そのうえ,遺産に対しお金がつき,いろいろ企画をせざるを得ない状態になっているので,もう少し県や国が,日本の世界遺産である白川郷をどういうふうに国民のために活用し,文化の向上のために役立てるのかについて,もっとアイデアを出していただけないかと考えているのではないかと思う。
     そういう意味で,ただ予算をつけるということでなく,国の視点,県の視点,担当者の視点から,このような大事な遺産をどう価値づけ,どう活用するかというビジョンについて,議論する必要があるのではないか。
  •  今までは美術館をつくることを,「また箱が一つできるか」ぐらいの受けとめ方をしていたと思うが,最近は新しく美術館をつくることに対し期待する部分が出てきたと思う。これは新国立美術館とか九州国立博物館みたいな,形を見ただけで何かドキドキするような,そういうものが出現してきたことがものすごく大きい要素で,まず,その建物自体に期待をし,その中に入れるものに期待するということが人々の中に生まれてきたということだと思う。
     また,埋蔵文化財をどういうふうに保護していくかということが,今,一番の問題だと思う。伝統文化というものの末席にあるのが埋蔵文化財だと思うので,埋蔵文化財に対する期待をもっとみんなが持てるような形にしないといけないと思う。自分たちの足元に何があったかが非常に大事なことで,今そこに乗っかっているものの下に何があり,それがどんな意味をもち,どのように蓄え,どう見せていき,どう理解を得るかを考えないと,散逸・消滅するということになる。本当に散逸してしまうと,山のように出土するので,二度とわからなくなる。しかも,地方公共団体が責任を持って掘るのではなく,下請に投げ,しかも掘る下請と,報告書を出す下請というふうにばらばらの人が行う。掘った人の,掘っているときのこの遺跡の大事さというのと,それから,出てきたものだけをただ図録,報告書にまとめるということとは,全く意味が違う。しかも,なるべく安いところに掘らせて,安いところで報告書をつくらせると,報告書が出たところで人々の文化財に対する理解を深めるところまで行かない。お金を使うときに,今,これをどうしたらいいかということをもっと考えていかないと,後から「何でこんな保護だったんだろう」と言っても遅いと思う。
  •  文化財保護を考えるときには,敷居を低くして,地域おこしにつながらない文化財保護は全く意味がないということぐらいまで踏み込むべきだと思う。例えば,新潟県の越後の十日町で,3年に1回「大地の芸術祭」とうたい,現代アートの作品を約300点,日本のアーティストだけでなく海外のアーティストもたくさん来てつくっている。3回目に大爆発をして,観光という観点から,今,非常に注目されている。そこでは,古い民家とか廃校になった小学校とかいうものを利用しており,廃校になった小学校のいろんなクラスを,そこも美術館とみなして,いろんなアート作品をつくってその中に置いたり,大学の芸術学部の彫刻科の学生が10人ぐらい毎週土・日そこに通って,古い民家の柱,屋根や床を全部,彫刻である方向に向けて彫って,すばらしいものをつくっている。そういう作品は文化財ではないが,地元の古い民家を利用することで,その民家が芸術作品になっている。また,若い人,お年寄りも含めて,アーティストがいろんな作品をつくるのに,地元の人たちが協力している。本当にまち一体となってやれたので,第3回目にして大爆発をして,いろんなところで取り上げられ,第4回目をやろうということになった。
     文化財はこうあるべきとか,市民がどうとかいうアプローチではなく,地域活性化とつなげた文化財保護の在り方を考えると,もっと新しい在り方が出てくるのではないか。
  •  石見銀山で問題にされたのは普遍性で,昨年秋に各市町村から世界遺産登録の次のリストへの申請が出た際にも,継続審議に対する文化庁からの意見書に「普遍性を求める」と書いてあった。文化財が普遍性を求められる時代に来たのだと思う。これが日本の最大の特徴とは言わないが,外国の研究者や外国でしばらく暮らして帰ってきた研究者の言葉をつないでみると,日本という国は,地方による文化の多様性が大変豊かであるということが一つの評価の対象になっており,これは誇りにしないといけないと思う。しかしながら,そのために普遍性が非常に見えにくくなっている。
     地域で,文化財の保護,活用を意識したり論じたり,あるいは実際に体現したりしている人たちは,お国自慢をせざるを得ない。言いかえれば,普遍性の対極にある独自性ということを強く意識して強調しないと,その活動の持続が難しくなる。国の地域の活動に対する応援策ということが書かれているが,国なのか文化庁なのか,文化財保護法の中でこういう問題を考えるのか,それとも国の文化施策として考えるのかはっきりしない。
     国なり文化庁は,もし普遍性のようなキーワードが求められれば,これを導き出す責任があると思う。これを地方へ委ねたり,あるいはヘリテージ・マネージャーに委ねたりするのではなく,ヘリテージ・マネージャーのトップは国であり,文化庁であるというぐらいの認識を,こういう機会にみんなですればよいのではないかと思う。だから,地方はそれぞれお国自慢を行い,それにより地域の活性化を行い,国や文化庁はそれを日本的な普遍性,世界的な普遍性に,つまり文化の普遍性という新しい機軸をどう出していくかを示す必要があると思う。
  •  無形文化財についての文化財の総合的な把握や国民の文化財への参加・理解を得るための方策を考える場合,物ではなくて,伝統工芸の技術という名前のわざであり,伝統芸能の芸という名前のわざであるため,それをどういうふうに保存,活用し,そして次の世代あるいはその理解者をどう増やしていくかという観点でとらえていくほかない。
     そのときに,工芸技術の場合,我々が大事にするのは彼らの持っているわざだが,そのわざによって工芸の技術者はすばらしい例えば焼き物を生みだす。歌舞伎の場合,すばらしい女形の芸が舞台へ展示される。文化行政の中で人間国宝を選んだり,記録選択をとったりしているが,その後,焼き物を買ってくれる人,歌舞伎座,国立劇場,劇場に足を運ぶ観客といった消費者がいないと無形文化財の場合は成立しない。文化財の理解と参加のために参加してくれる人たちを考えるには,消費者であると同時に,その消費者をいい方向に持っていくためのリーダーをつくっていかなくてはならない問題が無形文化財の場合にはある。
     もう一つの切り口として,無形の民俗文化財の中で民俗芸能というジャンルがある。民俗芸能の場合は,地方・民間のいわば祭りの中で,あるいは祭りとともにある。民俗学という学問のフォークロアの中ではちょっと特殊な芸能の分野だが,舞台芸能に対する民間の芸能で,これも実は民俗基盤,フォークロアの基盤がほとんど農村からもなくなってきている。漁村,山村等でも,祭りを保持し,芸能を保持してくる基盤が本当に変質し,消失している。ただ,そういう状況を見て,とても見識のある人たちが「全く形骸化してしまった,そんなものはもう滅んでもいいじゃないか。形だけのものはもう要らないよ」というようなことを声高々に発言したり,物に書いたりすると,その村の人たちはとてもつらい思いをしなければならない。ただ,形というのはとても大事なことで,形を持つ,その形には必ず心が寄り添ってくるので,新しい民俗の伝承が生まれる。民俗というのが長く伝承されたのは,時,社会で折々,趣旨,趣意,目的を変えながら,ずっとその民俗が伝承されてきている。今,そういう大きな過渡期ではあるが,形を守っていくというのはとても大事なことだと思われるし,そこには必ず心が寄り添うので,その形を守ることこそがとても大事だということを考えていかなければいけないのではないか。つまり,そういう状況,そういう実態の中で,その理解者をどうやって増やしていくか,そのことを考えていかなければいけないことだと思う。
  •  国立新美術館,九州国立博物館とも大変大勢の人でにぎわっているが,一方,やはり「この御時世にこんな立派なものをつくって」という声はある。特に行政改革的な観点からそういう声が出てくる。しかし,社会は文化化しているというのは間違いないと思う。ただ,一方では,「文化がもっと社会化していなきゃいけないんじゃないか」という話がある。
     その点では,特に文化芸術振興基本法の役割というのは大変大きいものがあると思う。世界の諸国に比べるとまだまだ日本の文化予算は少ないが,それでも1,000億円余りの予算が,ほかの行政分野はかなり減らされている中,増えているというようなことにあらわれていると思っている。これが是非行政の中に反映されるように頑張っていかなければいけないと思う。
     ただ,一方では,地方の文化予算は惨たんたる状態である。ここ十数年の間にほぼ半分以下になっており,平成5年ぐらいだと都道府県・市町村の文化予算の合計は9,500億だったのが,最近では4,500億円ぐらいに下がってきている。中でも,地方の文化予算のうちで文化財予算の占める割合が2割に満たない。したがって,地方にとっては,今,文化財行政そのものが大変困難な状態になっているのは間違いないだろうと思う。しかし,地域の活性化,地域づくりの中に,文化財がとても大きな役割を占めるという認識は更に広がっているように思うが,文化庁と他省庁,地域の教育委員会と知事部局との間において,必ずしもそのような状況の認識が十分伝わっていないということが,大きい要素としてあるのではないか。
     また,文化財を守る活動で,国が直接やれる部分は非常に限られていると思うので,そういう活動を行っている団体を励ましていくようなことを,今,特に集中的に行う必要がある。
  •  インタープリターはとても大事なことだと考えている。と同時に,我々が今からまとめる報告書のベースも,インタープリターのつもりでつくるような姿勢が必要と思う。なぜなら,文化財というのが貴重なものである,保護すべきものである,大事なものであるということを大前提に議論をしているが,今から市民レベル,特に子供レベル,参加・参画型の理解を進めるようなシステムを構築していくためには,どうしても文化財は貴重なものであるという大前提の枠の中にとどまっていると,どうも説得力のあるペーパーにならないのではないか。重複を覚悟で新しい言葉遣いをしながら国民一般の理解を得るようなペーパーにはできないものか。例えば文化財というものに触れた場合,一体何をもらえるのか考えてみると,1つには,アイデンティティの模索と確立とがあると思う。それから,歴史との対話,歴史とのコミュニケーションができ,その中で歴史の知恵,過去の知恵に学ぶことができるというメリットがある。もう一つ,芸術性に触れることができると同時に,感性を呼び覚ますという側面があると思う。そういったことをもっと易しい言葉で伝えていくようなことを考えて,例えば学校や,NPO・ボランティアの世界で,わくわくと参画・参加をしてもらえるような枠組みを考えていく必要があると思う。
     それから,今,地方自治体は,自立した自治体という観点で自前の政策をつくらなければならないということにとても熱心になってきている。つまり,地方分権で裁量権が広がった分,自分たちでやるしかない状況になっている。自治体の政策は,教育は教育,福祉は福祉,保育は保育,環境は環境というふうに分かれておらず,全部総合的にやらざるを得なくなっている。したがって,子育ても,福祉も,環境も,学校教育も,社会教育も,文化政策も,産業振興も,ありとあらゆるものが一体のものとなって政策を展開しないといけないという発想のもとに動いているし,そのことをもっと前面に出さないといけないという意識が大変に芽生えている。そのように,文化財という枠の中だけではなく,もう少し幅を広げながら,政策官庁としての枠組み,あるいは支援体制というようなことを報告書に書けないか。
  •  前回の企画調査会の議論との違いを出すのは大事であり,地域,市民,国民あっての文化的なものだという感覚をもっと前面に出すことではないか。また,企業が文化を応援するときには,市民がそこに行き,観客がいないとお金を出さない。企業は,あるときまではお金を出してメセナをやって席を買えばそれで名前が売れると思っていたが,株主総会では何人入ったかという成果を求められ,いい循環にならなかったのがこの20年である。企業はそのことに気がついたため,現在メセナに対して非常に厳しくなっている。どれだけ人が入ったかを重視し,劇場等の文化施設をどんどんつぶしている。企業はもちろん優遇税制は欲しいが,それだけでは駄目である。市民に焦点を当てた施策をきっちりやっていくことが必要。施策も市民に焦点を当ててつないでいけば,新しいもの,生きたものになっていくのではないか。
     スペインのパラドールのように,世界遺産を国が買い取って高級なホテルにして旅行の目玉となっている例もあり,ちゃんとした価値づけをして値段を取っていくという思想もすごく大事である。それは,インタープリターにも言えることである。文化や自然の分野でインタープリターになりたい人はたくさんいるが,働き口がないため文化政策学科も随分なくなった。いかにお金を取ってちゃんと循環を回すかという仕組みも考えていかないといけない。
  •  文化を自治体の施策の柱に据えると,みながわかりやすいものとなるが,自治体が適切に文化を中心とした施策展開を行えるよう,国として積極的にそういうものの指針を示す,鼓舞,啓発することが必要である。国として,文化財保護や文化行政の側から,何を言えるかを是非この中で検討していただきたい。
     また,現在,観光というものがあらゆる分野で横断的に扱われているが,それぞれがばらばらにやっている状況である。観光資源の大半は自然や文化である。どのように,文化をまちづくりや観光振興の基本に置くかという,指針やよりどころを皆欲しがっていると思う。国,県のレベルで文化行政や文化財行政がリーダーシップを取りやすい状況が勝手に整ってきていると思う。この機をとらえ,この企画調査会でそれに関する方向性がもし出せれば,タイムリーで面白いことになる。他分野との連携という問題は,地方自治体においても起きている。国においては,それがツーリズムを切り口にできるかもしれない。
  •  この5,6年の間で,人的構造,経済的・産業的構造も含めて文化財が維持される地域社会の構造そのものの衰退が起こっている。一部の地域では,文化財を守ることよりも,日々市民がどう生きるかということが現実問題となっている。地域再生の必要性がより鮮明に出てきており,文化財の活用がいろいろな形で図られようとしている。文化庁にかかわらないところで,地域の文化財・文化遺産というものがかつて以上に重要性を持ち始めている。
     それとともに,2003年以降,急激に観光立国というものが提唱されてきている。地域再生を図るための一方策として,交流人口の拡大によって何とか地域の衰退に歯どめをかけられないかということが考えられるが,交流人口を引きつけるためには,観光振興を図らなければならない。観光振興を図るとなると,地域の貴重な文化資源・文化遺産というものが地域の将来にとって非常な重要性を持ってくる。これは文化財保護と直接かかわらないところで,文化資源が様々な形で活用されようとしている。
     今回,この企画調査会でこういった問題が取り上げられて,様々な提言が盛り込まれるというのは,まことに重要なタイミング。文化財保護をそれほど意識しない形で地域で事業が展開されようとしているため,文化庁が,イニシアチブをとって,現在検討されている文化財保護マスタープラン(仮称)というものの策定を促していくのは大変重要である。文化財保護と観光振興というのはこれまで水と油のように捉えられていたが,自分は,地域資源をより持続可能な形で活用することにより地域活性化に貢献していけるような人材を育てたいと思っており,よりよい形の文化財マネジメントを目指している。文化財マネジメントは,保護だけの問題ではなく,よりよい形でどう活用を図るかということとセットである。自然資源のマネジメントはエコツーリズムやエコミュージアムなどの形でわりと意識が進んでいるが,文化財分野は比較的遅れている。その原因は,何となく文化財保護は専門家のものであり,国民が安直に手を出してはいけないというような印象があり,文化財保護の立場からすると観光に利用することは本来あってはならないという印象がある。観光振興を図る者は,文化財保護とは違う立場で,利用できるものは利用してしまえという考え方であり,そういう地域ではきしみが生じる。
     文化庁のイニシアチブにより,地域でそれぞれ文化財保護のためのマスタープランをつくり,そこにいろいろな施策を盛り込む。マスタープランは,文化財保護マスタープランというよりも,むしろ文化財保護・活用のマスタープランであるべきである。文化財保護法というのは大変重要な法律だが,保護に余りにもイメージが集中し過ぎている。今回の企画調査会の中で,保護に加えて活用の問題により前向きに議論されているというのは,地域の立場からも大変重要であり,最終的には人材育成と絡めることが必要になる。それに対しても,国がどういった形でサポートできるのか,マスタープランとの絡みの中でいろいろな施策が盛り込まれるべきだと思う。
     現在,観光に関連して各省庁が様々なことを急激にやり始めているため,文化財保護・活用マスタープランの中で地域が様々な計画をきっちり策定していくことを文化庁として提言するのは,大変重要なタイミングである。
     国と地方自治体の役割分担といったような問題,民と官の連携の問題,そして国の政府の中において他省庁との連携をどう進めるか,文化観光という面では文化庁が一つのガイドラインを示すことも必要であろう。できるだけ早く文化財保護・活用のマスタープランを打ち出していかないと,遅ればせになってしまうと思う。
  •  「子供たちが伝統的な文化や文化財に親しむ機会を増やすこと」という事項があることに大いに期待する。文化財の理解者だけではなくて,研究者を増やすことが大事である。文化財を扱っていて食べていけるのかというような問題があるが,今後予測できる危機への対応について議論すべきである。例えば,平成25年に伊勢神宮の遷宮があり,今回は神宮司庁,伊勢市が資金を調達しているが,20年前に比べると企業の寄附が半額近くになっており,社屋の新築はそれほどの金額でも技術でもないが,百数十種類の宝物を再生する必要がある。また,20年後のために技術を伝承する努力も必要である。平成50年の式年遷宮で技術が途絶える,無形文化が途絶える危機があり,それは日本にとって大変な損失を生むのではないかと思う。
     マネージャー,ボランティア,サポーターなど,外郭,短期的な力添えだけではなくて,専門家の養成というのが次の時代には必要である。
  •  全国の教育委員会には埋蔵の専門家が必ずいるが,建築等の有形の専門家や無形の専門家も必要。各自治体が,研究者,学芸員などのそれぞれ分野の専門家を必ず持たないといけないような仕組みをつくるということは検討できる内容なのかわからないが,理想的である。萩は,人口7万ぐらいの都市だが,埋蔵だけではなく,建築,民俗,自然の専門家もいる。民俗の専門の人が地域に入って行っている活動を見たらすごくすばらしいと感じるが,そのような専門家がいる自治体はほとんどないと聞くが,検討の余地はないのか。
  •  企画調査会としてはそういう意見を盛り込むことは可能で,それが即実現するかどうかということはその次のステップであろうかと思う。骨子(案)の6ページの上のところで,文化財にかかわる人材の拡大ということで,既に様々な文化財にかかわる人材をより増やしていき,より専門性を高めていく必要があるだろうとされている。修復の専門家であるとか,重伝建の場合など古い家屋をきちんと維持していくための技術者を育てるシステムをどうつくるかといったような問題,活用の問題,わざや形をどう受け継いでいくかという人材育成について,大変重要な論点であると思う。
  •  埋蔵文化財の盗掘の問題について,文化財をどう考えるかという道徳的なことからもう一度考える必要がある。文化を理解をするということがどういうことなのかということをもう一度考えないと,お金をかけて発掘したのなら,公開すべき,又は売ってしまうべきという短絡的な発想になる。
     実際に,物を見ようと思うときはものすごく大変であり,申請してから2か月後に見られる。出土品が多いところでは,所在がわからなくなるということもある。文化財に対する理解を深め,それがどういう形でみんなの文化財としてあるべきかということを考えていかないといけない。埋蔵文化財制度ができてから90年代ぐらいまでは非常にうまく整理もできていたし,回転していたと思うが,21世紀になってきてからは現場でいろいろな問題が起きている。
(事務局)
 文化庁の埋蔵文化財関係の調査研究協力者会議で,保存やその後の活用,他部局との連携も含めてかなり幅広くまとめているので,参考にしていただければと思う。
 そして,埋蔵文化財関係職員には単に発掘調査を行ったり指導したりするだけではなくて,もっと地域における埋蔵文化財の活用を進め,埋蔵文化財の在り方を理解してもらう事業に当たっていただくことが必要だということを打ち出している。そこも是非参考にしていただきたい。
 先ほど国民の理解と文化財保護と,従来かなり遊離しているかのような話もあったが,必ずしもそうではない。最近は,埋蔵文化財や史跡の保護においては,国民の理解促進と,整備・活用をどうしていくのかというビジョンがないと,現状において現地保存し,あるいは史跡指定し,管理していくということはできない状態になっている。もう一つは,少なくとも史跡や名勝,天然記念物等については,最近は地域振興の核として捉えているケースが非常に多い。だから,観光や地域振興の関係は,方向性として大いに推し進めていただければと思う。
  •  文化財をめぐるモラルの問題にしろ,専門家の養成の問題にしろ,一番のすそ野はやはり子供たちだろうと思う。だから骨子の6ページの真ん中に「子供たちが伝統的な文化や文化財に親しむ機会を増やすことが必要」であるということで,括弧の中に,「伝統文化こども教室,ミュージアムタウン」,「学校における伝統文化教育の推進等」とあるが,もう1点,全国の小学校・中学校に文化財や歴史に関連のある「総合学習」が相当数あるはずなので,ピックアップしていただきたい。「総合学習」が本来の趣旨にのっとったようなものになっていけば,更に物事を考えていくというものになっていくはずであるし,全国に情報発信することによって,もっと増えていってもらいたいというメッセージにもなると思う。
     「よりどころ」「地域の衰退」の2つの言葉のバックグラウンドには共同体の崩壊というものがあると思う。地域共同体の崩壊によって人間と人間の連帯感が希薄になってきている,人間関係がやせ細ってきているといったようなことも含めて,この崩壊した地域共同体をどう再構築していくか,学校教育もしかりであるが何かせざるを得ないという段階にあると思う。その一つのキーワードが,この文化財の保護に関する理解と参加・参画というところに考えられていくのではないかという意識を持っておく必要があると思う。
  •  現代の日本の新しい動きとして,さまざまなNPOが新たな地域の中でかつての共同体が果たしたような役割を果たし始めている。特に自然保護の分野においてはかなり先行していろいろなNPOが立ち上がって,地域の自然を保護するだけではなくて,それをいかしていこうと,エコミュージアムやエコツーリズムということになっているから,そういった点で,文化は動きがまだ十全ではない。いろいろな形のNPOがかつての共同体が果たしたような役割を担い始めている中で,文化財の保護や活用が今後どううまく地域の中で生かされていくか。
  •  旭山動物園でも水族館でも,今,すごく成功事例が出てきていると思う。文化財でも成功事例,かなりとがったモデル,スターを生み出さないといけない。自分たちの持っているものを誇りに思っているからこそ,新しい発想が出てきているので,そういうものを文化財の世界でも発掘していけば状況が変わってくるのではないか。
  •  今の生活共同体あるいは精神共同体の崩壊に伴い民俗,その土地,その土地のフォークロアは消えてなくなる。文化財では,民俗文化財としての民俗芸能の維持のために文化財の指定や応援があるが,特に民俗芸能の場合は人がいないことにはもう価値は成り立たない。そして,その価値を持続させるために,とにかく芸のパフォーマンスをやればいいと言うだけでは,なかなか価値の持続ということが成り立たなくなってくる。つまり,観光客の注文にこたえて,長く歌うものを短くしてしまうとか,明け方までやる神楽を夜中で終わらせてしまうとか,観光客なりそういう状況の中で文化財としての価値というのが持続しなくなる。そことの間をどう考えていくかが問題。
  •  確かに記念物のような場合だと,それほど心配なくできる面があるが,無形文化のような場合だと,本来議論しなければならない文化財保護――というのは保存と活用なのだそうだが,とは何ぞやというところもある程度必要なガイドラインを示しておかないと,関係者の中で混乱が生じる分野ではあるだろうと思う。
  •  要するにアピール力ということだと思う。屋久島などもガイドがいないと入れないなど,いろいろな縛りはあるが,それは価値を上げることだと思う。だから,きちんとステータスを保ちつつ,新しみや面白さなどの付加価値を常につけて発信していくとファンになる。歌舞伎などでも解説が聞けたりすることによって随分わかりやすくなってくると,ファンもどんどん増えている。だから,ここで新しい人たちにそれに気づいてもらうためには,やはり手を打っていかないと駄目ではないか。
  •  それがインタープリテーションで,動物園が動物の生態を見せるための工夫など,そういうものがすべてインタープリテーションだと私は思う。だから,ツーリズムを考える上ではインタープリテーションは絶対,ヘリテージツーリズムを考える上ではインタープリテーションはとても大事なキーワードだと思う。
  •  調査会として国民レベルの,要するにナショナル・トラストレベルの組織が非常に不十分であるということを確認する必要がある。NPOや財団やトラストなどの中に人材を集めていき,自治体とNPOやトラストとの連携関係をもう少しデザインして見せる。文化遺産や文化財を総合的にきっちりととらえて運用していっている,官民がパートナーシップをしっかりつくり,参加も促していきながらやっているようなモデルを見いだして,そういうものを国内にアピールしていくということも大事ではないか。岐阜県の白川村の世界遺産,これはある意味で総合的なプレーヤーがそろっているので,こういうところをもう少し位置づけ,てこ入れし,うまく活用して本当の意味でスターに育て上げられないか。あるいは,沖縄県の竹富島なども無形と有形の関係が実に見事で,空間や住んでいる人や建造物や周辺の自然など,そういうものが一体となったときに無形のものも一番健全な形で維持されていくはずで,一つの理想だと思うので,そういうスターをきちんとシミュレーションして,この3つの大きなテーマすべてを包含しているようなモデルを考えてみるということもできるのではないか。
  •  広報が必要だということは当たり前なので,是非今回のところに何か具体的な事例を入れていくべきだと思う。例えば,子供に興味を持たせるために,文化財保護大使のような,文化お姉さんみたいな人をつくって,いろいろなビジネスモデルのときもそういう人が登場すると,子供たちはそのお姉さんを見ると文化財保護の重要性を感じる。そういう具体的な結果を是非今回の報告書に盛り込むような形で,PRや広報のところでもう一歩突っ込んだ報告書にしていただきたい。
  •  広報の話で,子供を主役にしてやるというのはすごく大事だと思う。彼らにいろいろ探検してもらって,それを私たちに伝えてもらうというような,逆転の発想でやれば,新聞に載せても皆非常に興味を持つし,それが逆に私たちにとってもすごく発見になって,新しい次の展開が見えてくるような気がするので,一度逆転の発想でやってみれば面白いのではないか。
  •  地域の博物館や美術館や資料館,記念館等々は一切触れられていないが,重要性について触れておくことは必要ではないか。地方自治体の文化予算の削減や人手不足で非常に大きな曲がり角に来ているが,せっかくこれまでにいろいろな形で重要な役割を果たしてきたのだから,地域の既にある博物館,美術館,資料館等々がもっと活性化されて,それが地域の人々との絡みの中でもっといかされる形をとらないといけないと思う。

 資料5に基づき,「今後のスケジュール」について説明が行われ,次回は6月27日に開催する旨報告された。

—— 了 ——

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