第7回国語分科会漢字小委員会・議事録

平成18年5月24日(水)

14:00~16:00

パレスビル3階・3E会議室

〔出席者〕

(委員)阿刀田分科会長,前田主査,林副主査,阿辻,甲斐,金武,松岡,松村各委員(計8名)

(文部科学省・文化庁)平林国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

  • 1 第6回国語分科会漢字小委員会・議事録
  • 2 第6回漢字小委員会で出された意見の整理
  • 3 第7回漢字小委員会での検討事項について

〔参考資料〕

  • 1 漢字小委員会で検討すべき今期の論点(第6回漢字小委員会確認)
  • 2 文部科学大臣諮問(平成17年3月30日)

〔参考配布〕

  • 1 『新聞と現代日本語』(金武伸弥 文春新書,平成16年2月)
  • 2 「国語に関する世論調査」(内閣総理大臣官房広報室,昭和52年)
  • 3 パソコン,携帯電話,インターネットの普及率等(本川裕氏作成「社会実情データ図録」による)

〔経過概要〕

  • 1 事務局から,配布資料の確認があった。
  • 2 前回の議事録(案)を確認した。
  • 3 事務局から,参考配布の資料説明があった。『新聞と現代日本語』については金武委員から補足説明が行われた。
  • 4 事務局から,配布資料2及び3についての説明が行われた。説明に対する質疑応答の後,配布資料3に基づいて,意見交換を行った。
  • 5 次回の漢字小委員会は6月13日(火)の10:00から12:00まで,「丸ビル・コンファレンススクエア・ルーム1」で,「国語施策としての固有名詞へのかかわりの必要性の有無」をテーマに開催することが確認された。
  • 6 質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。

○甲斐委員

 説明の最後に氏原主任国語調査官の言われた,手書きと機械で打ち出すことの問題ですけれども,私は,機械で打ち出すというのは,もちろん我々の世界では当然の話なんですが,「国語に関する世論調査」をする場合,「あなたは字を機械で打ち出しますか,手書きをしますか」というようなことを是非調査してほしいと思うんです。というのは,我々が国民の各層,例えば1万人でも3,000人でもいいんですけれども,それを調査した場合に,本当に機械で打ち出すような生活をしている者がどれくらいいるのか,ということを私は心配しているわけです。例えば「インターネットが学校で流行している」ということが,取り上げられることがあるんですけれども,ここには松村委員もいらっしゃるんですが,例えば中学校で,作文とか,文章表現のときに,漢字の手書きはさることながら,機械で打ち出すような方策というものが不断に指導されていますよというような,そういう中学校の国語の授業というのがあるのであれば,これはいいわけです。しかし,実際は,まだそこまで至っていないのではないか。
 ちょっと古い話で申し訳ないんですけれども,国立国語研究所が北区にあった時に,私は近くの商業高校の理事をしておりました。その高校には電話回線が2本あって,1本は職員の電話に使う。もう1本は職員が生徒の就職活動のために使うということで,生徒のインターネットに使う回線はないというようなことで,もうちょっと増やせませんかということで提案したことがあるけれども,予算の都合で増やせないということでした。古い話で,もう4年ぐらい前のお話です。
 そうすると,これがまだ東京都の現状であるとしたら機械で打ち出せるということと,手書きということをよほど見極めていかないと,大学卒の人が勤める会社の,そういうようなある部分についてはいかにも機械です,しかし,そうでない部分があるのではないかということを心配するわけです。

○氏原主任国語調査官

 今の甲斐委員のお話に関連して,ちょっと古い調査ですが,文化庁の「国語に関する世論調査」で,ワープロやパソコンを使った文書作成をしたことがあるかどうかを聞いたものがあります。次回の小委員会で,実際にどのくらい使った経験があるのか,その資料をお出ししたいと思います。また,今年度の「国語に関する世論調査」では,経年調査ということで,現在,その数がどのくらい増えているのかについて調べてみたいと思っております。

○前田主査

 それでは,その点につきましては,またこの次に補って資料を出していただくということにさせていただきます。

○松村委員

 前回お話ししたと思うんですが,私は4月に学校を変わりました。そこでは,もしかしたらタイプとしては古い学校の現状があるのかなと思っているんです。教員が子供たちや保護者に向けて出す新聞,学年で出しているものがあります。私も学校便りというのを書いているんですが,それはさすがに機械で打っております。ですが,学年便りが3学年あって2学年ともにいまだに手書きなんです。ただ,これは目黒区内でも大変珍しいんじゃないかと思っていますので,そういう学校もあるのかなと思うんです。ですが,今まで私が目黒の区内で回ってきた学校の現状で言えば,国語教育の中で,こういう情報機器を使った教育を積極的に取り入れているというところは余りないと思います。国語教育以外で一般的になっているのは,今はどこでもパソコン教室がありますから,そこで技術科を中心とした情報基礎の勉強,それから社会科を中心とした調べ学習,国語でも,いろいろな調べ学習では文学作品を読んだときの調べ学習,あるいは古典学習に絡めての調べ学習というふうに,調べ学習ではよく使っております。
 それから,一つ特色のある例で言えば,作文の書き方をワープロを使って直していくというような学習を特設で持っているという学校も,単元によってはあります。後は,一番一般的なのは,学校の中では修学旅行をしたり,いろいろな行事がありますので,その行事に際しての調べるものに関してはパソコンを使っているというのが現状です。そういう意味で,子供たちが1週間のうちにパソコン教室に行ってきちんと学習をするという現状はあります。普及はしていると思います。ですが,国語教育の中で,パソコンを使ってメインに何かをやっているというのは,今,言ったような調べ学習を中心としたものではないかと思っています。
 ただ,宿題等でいろいろなレポートを出しなさいというときですと,何割とは言わないんですけれども,かなり打ち出した文字で書かれたものは多くなっています。今,甲斐委員のお話を聞きながら,今後調べてみる必要があると思っています。この間,オリンピックがありましたときに,それについて保健体育科でレポートをまとめてくるようにという宿題を出しましたら,廊下に張られているレポートの中の4分の1ぐらいは,これは前の学校の例なんですけれども,ワープロで打った字でした。
 そんなところが現状としてはあると思うんですが,先ほど,機械で漢字を書く場合には打ち出せるというお話があったんですが,本当にそうなのかなというのは疑問なんです。というのは,出てくる漢語の概念というか,言葉の習得数,語彙の習得数というのは,中学生の段階でどこまで行っているんだろうということで時々疑問に思うところがあります。概念がはっきりしないままに機械で打ち出されて,そこに丁寧な説明は付いているんですが,それをきちんと選択をして,使えるということの比率では,これもまた調べなければ分からないことなんですが,やはり出てきたレポートを私などが見てみますと,かなり間違い字が多いです。だから,この辺のところを,機械で書くのは幾らでも打ち出せるので,その辺が容易になったということは,余り小中学校の段階では言えないところもあるんじゃないかなというふうに思います。

○阿刀田分科会長

 今,大変興味深く聞いておりました。だから,情報機器が発達することによって打ちやすくなるというのは,大体分かっている字が正しく出てくるということはあるけれども,もともとその字を使った概念が分からないものは出てこないということだろうと思います。これは,いつまでたってもそうなのであって,情報機器で教育がちゃんと行われるようになったら,また話はちょっと違うだろうと思いますけれども,やはり手書きの教育というのが,ある程度充実していないと,情報機器をうまく使うということはできないんじゃないかと思います。私のように若干年を取ってきて,字を忘れがちになっているけれども大体は分かっているというのは非常に便利がいいんですけれども,まるっきり知らない概念は,やはり打てないだろうということです。
 ただ,私は,この国語分科会が答申するときは,やはり情報機器が相当発達している状況というものを予測しながら,それをメインにして答申を出していくべきではないかと思います。甲斐委員がおっしゃるように,現状における綿密な調査というのは是非とも必要だけれども,10年後,15年後を考えたとき,やはり情報機器は相当普及しているんじゃないかということを前提として考え,そちらの方をメインにしていく。そうでない,今まで我々がやってきた手書きや何かというのは,それに付随するものとして考えていった方がいいのではないかなというようなことを思います。
 というのは,それと直接関係するかどうか分かりませんが,何%情報機器を使っているかという統計はありますけれども,これは,何人の人が洋食を食べているかという統計とは違うと思うんです。というのは,今30代の人が洋食をたくさん食べていても,その人が60代になると減っていく可能性が非常に強いわけです。でも,ここで20代,30代,40代で情報機器を使った人たちは,70になってもやはり原則的に情報機器を使っていると思うんです。この統計で言えることは,10年たったときにこれがみんな右寄りにずっと動いていくということになっていくことはほとんど間違いないと思います。年代的と言いながら,現状ではこうであるけれども,やがてはみんなこっちに動きますよということを予見している統計かなと思います。10年後,15年後を考えると,そっちの方がある意味では,主になっていくなということは考える必要があるのではないかと思います。

○前田主査

 JIS漢字の時に国語審議会の対応が非常に遅れたという印象を持っているんですが,あの場合も,あれほど速く情報機器が普及するとは思わなかったんです。実際上,今度のことなども情報機器の発達というのが非常に進行が速いということを予測しておかないと,予想と違うことが出てくるんじゃないかという心配があります。

○松岡委員

 今,情報機器の普及率のグラフというので,携帯電話のことも出ていますけれども,我々は携帯電話の機能の中でも,しゃべることで意思伝達をする方ではなくて,メールの部分を考えなければいけないと思うんです。今,学校教育,国語教育の中でパソコンをどれくらい正式に教科としてカリキュラムの中に取り込んでいるかということはもちろん大事なんですが,もうそういうこととは関係なく,携帯メールというのはだれからどう教えられるまでもなく,私たちの世代よりも小学生の方がずっと上手に使いこなしているし,親指の動きのあの速さときたらものすごいものがあると思うんです。ですから,私も情報機器の発達や普及によって,我々の文字情報の交換の状況が変わってきた,そして,この状況は加速することはあっても,逆行することはないだろうということは踏まえておかなければいけないと思うんです。
 そこにおける危険というか,多分,我々が共通に危惧していることは,先ほどから御意見が出ているように,例えば一つの言葉にしても,その言葉の持つ背景とか,意味とか,あるいは書き順も含めてですけれども,そういうことを全く知らないままに,どんどん親指でボタンをプッシュすることだけで使いこなしてしまうということではないかと思うんです。ですから,逆三角形の状況ができている。その土台のところは,しっかり押さえなければ,そこが本を読むことであり,それから手書きであり,学校教育でありというところだと思うんです。そこと切り離された状況の中でどんどん広がっていく,特に携帯メールでのやり取りというものを,ただ訳も分からず使っていくということがないようにする。それが情報機器,特に携帯メールの普及が広まれば広まるほど,土台を固めることが大事なんだと言う必要がある。前に,私が手書きは絶対必要だということをもう決めてやりましょうと言ったのと同じで,そこは,もう決めてやりましょう。これからますます広がるんだから,それを有効なものにするためにも,きちんとした教育をしていきましょうという姿勢で行くのがいいのではないかと思います。

○阿刀田分科会長

 土台が必要であるからこそ,常用漢字表のようなものが必要なんじゃないか。つまり,このくらいの漢字に関しては,その背景とか,書き順とか,持っている概念というものを日本人として知ってほしいという,スタンダードはやはりここで出しておこうではないか。そこから先はあなた方が御自由にいろいろなことを考えていけばいいけれども,このくらいの漢字については,漢字と語というのは少し意味が違いますけれども,でも,漢字を基本にして我々の語は成り立っているわけですから,そのスタンダード,この漢字の持つ背景,この漢字の持つ意味というものだけは国民の一つの常識として知っておいてほしいという意味での,常用漢字表のプレゼンテーションというのは意味があるんじゃないかなということを,今,松岡委員の意見を聞きながらしみじみと思いました。

○甲斐委員

 手書きと機械で打ち出せるということですけれども,私は先ほど手書きというのを,例えば高校入試のためには義務教育の間で1,006字の書き取りというのが出題される,そこまで機械で行くのかという危惧の念をちょっと抱いたものですから。しかし,今の論で行くと,1,006字というのはいわゆる手書きしなければならない。手で書くことによって思考力を鍛え,体として覚えていく,語彙力になっていくという部分は書き順を覚えなければいけない。それ以上の,それを超えた,戦前の標準漢字表で言えば,「準常用漢字」に属するものは読めるだけでよいというような,こんな扱いですか,それだったら私もほぼ納得できるわけです。

○林副主査

 論点1に戻って,今までお話を伺っていて感じたことを申し上げたいと思います。私どもの議論の前提として,もしこういうような漢字表みたいなものを作るとしたら,それはどういうふうに,あるいはどういう言語に適用するのか。あるいは,それをさせていく必要があるのかという点で,こういう漢字表を適用させる範囲ということについて,私どもはそれぞればらばらに考えている可能性があるのかなという感じがいたしました。
 国民が日常的に読み書きする言語については,これは効率化という点からそれを標準化する必要がある。そういう点で,私は漢字及びその読み書きについては,一応標準としての使い方を示す必要があるだろうと思っております。
 では,これがどこに及ぶかというと,私は日常のプライベートな読み書きには及ばないし,及ぼせないのではないかと考えています。例えば,お母さんが,「今日ちょっとお出掛けするから冷蔵庫のこれ…」と娘に書き置きするようなときにまでこういう制約というものが働くかどうか,あるいは働かせるべきかどうかというと,それは考える必要がないと思うんです。現に歴史的に見ますと,例えば仮名遣いなどは,明治以後学制ができて,いわゆる歴史的仮名遣いが導入される。あるいは,それを改定した現代仮名遣いができるといっても,実は庶民はそういうものに必ずしも従っているわけではない。それで実際に言葉は通じているわけです。
 もう一つ,学校でのことというのは,これは習得の過程ですから,国民が日常的に読み書きする言語については標準化を考える必要があるというのとは少し性質の違う問題がある。国民が普通に読んだり書いたりする,具体的に言うと,例えば新聞とか雑誌で目にするものとか,あるいはテレビの字幕に出てくるようなものとか,あるいは新聞,雑誌に限らず,普通国民の大勢の人たちを対象にした書籍類とか,あるいはもっと基本的には法律を含めた公用文,そういうふうなものは本当に国民の共通の言語によって伝達される大事な情報ですから,こういうものについての効率化という点に関していうと,やはり標準というものを作って,それに従うという努力を最大限すべきだろう。やはり日常生活ということは,必ずしもそういうことまで踏み込んでそれを制約するものではないというふうに考えた方がいいと思います。
 同様に,私は「制約」ということの反対語は「自由」だというふうに思いますけれども,特にこの前,阿刀田分科会長のお考えとして,御自身のお書きになるものはやはりこういう標準化されたものの範囲内でお書きになった方がいいと思うという御趣旨の御発言がありました。作家によってはいろいろなお考えがありますから,そういう制約から自由であるということは非常に大事だというふうに思われていることもあるので,言わば表現の自由を担保するための表現の手段としての自由なものについては,例えばこういう標準化というものは必ずしもそれに及ぶものではないというふうなこと,これは当用漢字,常用漢字のころからそういう考え方はずっとあったというふうに思います。
 そういうことで,まず我々はどういうものを対象としてこういう標準化を図ろうとしているかという点に関しては,一応の前提をできるだけ共通化した上で議論をしていった方がいいのかなというのが,論点1に関して,お話を伺って感じたところです。そういう点から言うと,これは今のような点を踏まえて,是非こういう標準化という意味での漢字表というようなものはしっかりとその意義を社会に認めていただいていく必要があると考えています。

○前田主査

 先ほどの説明では省略された部分で,表外漢字字体表に示された認識というのが,資料3の点線の枠内に入れて示されております。表外漢字字体表を定めたときに引用しまして,その中で,「常用漢字表」答申前文を引いているわけですが,一般の社会生活で用いる場合の効率的で共通性の高い漢字を収め,分かりやすく,通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安として常用漢字表があるというふうなことが書かれていたんです。それで,これを受けまして,表外漢字字体表を定めたわけですが,今回の漢字表の検討でも,この辺りの線がやはり認識として共通なものとして理解されているというふうに考えてよろしいでしょうか。今,林副主査のおっしゃったところは,その部分と重なってくるかと思いますが。

○阿辻委員

 配布資料3の点線の枠内ですか,表外漢字字体表に示された認識について,基本的な考え方は全く変化してないので,先ほどから議論していらっしゃいますように,情報機器による文字記録環境というのは今後,発展という言葉が正しいかどうか分かりませんけれども,普及していく一途であることは多分間違いないわけですね。この表外漢字字体表の時には,第1水準,第2水準というレベルで,ここに6,355という数が出ているんですが,ウィンドウズの新しいのは今年の秋に出るんですか。

○阿辻委員

 「JIS X 0213:2004」が全部使えるようになるということですか。

○氏原主任国語調査官

 はい,そうです。漢字数で言えば,1万50字になります。

○阿辻委員

 その字数が変わってきますので,実際には1万余りの文字が使える機械がどれくらい社会に普及するかというのは,御自分が持っていらっしゃるパソコンのOSをバージョンアップしない限りはそうはならないわけですから,マイクロソフトが売り出してもいきなりそうはならないということにはなるんです。けれども,10年,15年というスパンで考えていきますと,当然そちらになっていきますので,これまでは第2水準というのを一つの関門,関所というふうにしていましたけれども,これからはそこは取っ払われていく傾向にあるわけです。ですから,そういう方向で,この認識は基本的に継続していって,更に深まった状況に対する対応というのを考えていくということが必要なのではないかと思います。

○林副主査

 そういうことで言うと,携帯電話でやるプライベートなやり取りというのは,確かに情報機器には違いないけれども,今,我々が考えている標準化ということから言うと,必ずしもそれはそこの真ん中には入ってこない。確かにメールの中には,非常にプライベートなものもありますけれども,かなりフォーマルなものもございます。そういうものについては,大勢の人が読むような対象について,標準化ということは必要なことだろうと思います。そこの辺りは,恐らく出発点として共通理解が必要なのではないかと考えます。

○阿辻委員

 前回申し上げたことなんですが,私は仕事で出張の時には携帯電話のメールをある意味では原稿の執筆に使ったりします。ただ,パソコンで使っているメールと携帯電話のメールとの違いは,携帯電話のメールというのはプリントアウトされることを想定していないというところがあるわけです。普通のメールというのは,例えば,原稿を出版社に送ったときに,それが本になったり,あるいは校正刷りとして返ってきたりということがありますが,そういうレベルでは携帯電話のメールというのは使えません。ですが,余り線を引く必然性もなく,単に電子情報と絵文字との置換の関係が起こっているというレベルで考えれば,世間の様々な端末の使われ方というのは,電子メールでも同じような,「愛しているよ」,「愛しているわ」というメールだって当然あるだろうと思いますので,余り携帯電話だけを外すという論調には,私は賛成しかねるところがございます。

○林副主査

 機械としてそういうものを外すという意味ではなくて,例えば携帯電話で若い人たちがやり取りするような,そういう言語については余り考えない,という意味です。

○阿辻委員

 多分JISには入っていない漢字を使いたいようなやり取りではないだろうと思います。

○林副主査

 そういうことです。

○前田主査

 新聞社では,ニュースの連絡とか,そういうのはどういうふうにしているのでしょうか。

○金武委員

 今,新聞社では一人1台ずつノートパソコン的なものを持っていますので,新聞にするのを前提としたニュースは当然それで打ちます。そうすれば,そのまま新聞社で印刷されます。もちろん,デスクが印刷する前に直すこともできますし,それは昔と比べるとすごく速くなっております。だから,昔のように文章を電話で送稿するということはほとんどなくなりました。先ほどの説明の中で言われました新聞と国語の関係を,ついでに言いますと,当用漢字ができたときは,新聞社はあのころ国民の言語能力と言いますか,そういうものも非常に落ちていた時であるし,とにかく国語を易しくしなければいけない。それから活字にしても,その種類にしても,空襲で焼けたりして少なくなっておりましたから,当用漢字で漢字を制限するということは,新聞自体がその前から自主的に,無制限に使っていたわけではないんですけれども,国でそういうことが決まれば,それは協力しましょうと当然なりまして,すぐではなかったんですが,だんだん実施するようになりました。
 その後,何年か当用漢字を使ってみて,新聞でしょっちゅうニュースで使うような字がどうも入っていないのはやりにくいということが出まして,それが,私の本にも書きましたけれども,補正案という形で国語審議会に提出されました。それで,その補正案で出された字はいずれ当用漢字表が改定されるときには採用するということで,そうすれば,学校教育にも使うだろうということが前提とされておりましたものですから,新聞ではすぐにそれを実施したわけです。ところが,常用漢字ができた時に補正案は採用されたけれども,新聞が削ると言っていた字は削らずに,先ほど御説明にもありましたけれども,当用漢字表にある字は全部そのまま残ったというような状況で,教育と食い違いが生じた字がいまだに残っております。例えば,何々の「箇所」という,竹冠の「箇」が新聞で補正案を作るときにほかの字,洪水の「洪」とか,「狙う」とか,新聞で使いたい字を入れるために,当用漢字から何か減らさなければならない,同じ数だけ減らさなければいけないという,そういう考え方がその当時ありましたので,それで竹冠の「箇」は人偏の「個」で代用できるのではないかということで,使わないことにしたわけです。そのために,新聞では今「かしょ」は人偏でやっておりますけれども,教科書では竹冠がそのまま残っているので,この辺がときどき学校の先生から新聞にどういうことだと言ってくることはあります。常用漢字ができたときに,新聞では,補正案は新聞としては定着したものとしてそのまま使ったんですが,そういうわけで,幾つか教育と違っているものがあるということは,この本にも書いておきました。
 そして,さらに常用漢字の改定というものが長くされなかったために,実際は世間ではほとんど読める字,子供も含めて中学生でも読めるのに常用漢字に入っていない字が,先ほどもこの資料にもありますけれども,幾つかあるということが分かって,新聞では使うことにしようということを決めたわけです。ただ,新聞で使用する常用漢字並みに扱う字を選択するときには,国語研究所ほどの大規模な調査はできませんし,実際にしませんでしたので,論議しているうちに,読者の立場よりも,新聞が使う方の立場で,これは是非入れてほしいという声がだんだん出てきて,今の39字の中にはちょっと中学生には読めないような字も入っております。そんなことで,新聞社の中には,これは難しいから,新聞協会として決めたけれども,ルビなしでは無理だろうとか,それから逆に39字以外でも読める字が随分あるということで,独自に使っている新聞社も出てきまして,当用漢字表の制定後には非常に足並みがそろっていた新聞の漢字表記というものが,ちょっと悪く言えば,乱れているし,よく言えば,非常に自主的に各社で運営されているというような状況になっております。
 ですから,今回常用漢字表が見直されて,適切な漢字表ができれば,新聞界としては,その機会にできるだけそろえて一致できれば,正書法の立場から言っても,日本語の表記の立場から言っても,いいのではないかという意見は強くあります。

○前田主査

 論点1-2,新聞の問題など,それから先ほど情報機器の発達のことなど,お話しいただきましたが,漢字表の性格と言いますか,そういった在り方ということになってきますと,漢字自体を,大げさに言えば日本語の中でどう考えていくかというふうなことも必要かと思いますけれども,そういったことについて何か御意見はございませんか。

○甲斐委員

 資料3の点線で囲んでいるところの表外漢字字体表に示された認識という,その下の方の括弧で包んだ3行ですけれども,その考え方は本当にいい考え方だと思っているんです。この考え方でこれからも進んでいくことに,私も賛成しているわけですが,これで行くと,常用漢字というものをそう増やす方向にはない。しかし,削る方も余りないというようなことで行くんじゃないかと私は思っているんです。世の中には,現在でもまだ常用漢字をうんと削れとか,それからもう漢字をやめようとかというような意見,そういう運動をしている会もありますけれども,これはちょっと考えにくくて,この答申の前文にある,考え方というのが一番妥当な見方ではないかと思っております。
 そこから言うと,もう一つ発展して申し訳ないんですけれども,参考資料1の論点2に,固有名詞へのかかわりの必要性の有無というのがあるんですが,これは固有名詞を常用漢字の中に取り入れようとすると,JIS漢字と同じ運命になって,つまりJISというのは削るわけに行かなくて,必要な固有名詞に使われている漢字はとにかく取り入れるしかない。そういうような機械の宿命があるような気がするんです。そうすると,つまりパソコン類というのはどうしても漢字の増大に努めるしかない。しかし,常用漢字表というのは,固有名詞を逆に入れないことによって,現在ぐらいの漢字数を守ることができるのではないか。そうすると,教育にも良いし,新聞などの本文にも良い。現在でも例えば,音の漢字は使うけれども,訓の漢字は使わないような研究者が一杯おります。例えば,「と考えられる」とか,「と思われる」というのはすべて平仮名で書く人がいるわけですが,私自身はそういう立場を採っていないんですけれども,一種の平仮名化,非漢字化という運動の一つ,運動といってはいけないんですが,考え方の一つだろうと思っております。そういう点で,漢字数は,できれば現状維持ぐらいで行けると良いと思っています。

○前田主査

 その辺りのところはまた御意見があるかと思いますが,今の漢字仮名交じり文というものを基本として考えている状況だと思います。その辺りのところも,併せてお考えいただく必要があるんじゃないでしょうか。

○金武委員

 甲斐委員がおっしゃった固有名詞を外すということは,確かに実際問題としてその方が楽と言うとおかしいけれども,常用漢字表を作るについては,やりやすいと思います。ただ,今までずっとそういう形で外してきたものですから,やはり固有名詞に対する考え方というものはここで討議して,何らかの方向が示された方がいいのではないか。例えば,人名について,名前については一応制限している。これには反対意見もあって,今回ほとんど制限がないようなくらいに増えましたから,どの程度意味があるか分りませんけれども,それでも制限がないよりは,少なくとも情報機器で打てる範囲の漢字しか使えないということになるわけですから,それはこれからの社会にはいいことだと思います。
 現在,地名についてどうするかということになると思いますが,大きな地名については,それに使われている字,例えば県名などに使われている漢字は,まず中学生でも読めるはずですから,それが常用漢字に入ってもそんなにおかしくないのではないかと思います。ただ,応用範囲が,地名にしかないものがありますので,その辺が非常に問題なので,常用漢字表の枠の中で,ランク付けするような御提案も既に出ていますので,別枠にしても,これは固有名詞にこれからも使える,例えば地名などは新市町村ができた場合に,今は基本的に無制限のような字の使い方になっているので,名前と同じように地名などの固有名詞に使う字種というものも枠ができたらいいと考えています。
 それと,特に字体の問題です。これは私は人名用漢字の検討の時にも強く主張して,結局採択されなかったものですが,新聞社で一番困っているのはそのことです。実際,人名,地名において,同じ字種でありながら違った字体がたくさんあって,固有名詞だからということでそのまま使われている。これは新聞にとっては,欄によっても,あるいは新聞の発行された時代によっても,社によっても少しずつ違ってきてしまうので,そういうことのないようにということで,一応常用漢字表にあるものは常用漢字の字体,人名用漢字にあるものは人名用漢字で定められた字体を基準としています。地名についても,それを準用して新聞社ではできるだけ統一するようにしてきたわけです。ところが,今回の人名用漢字がそういう基準ではなくなったということは漢字表記の標準化に大きな障害となりました。地名についても葛城市と葛飾区の「葛と葛」,三条市と五條市の「条と條」とか,土地によって同じ字種が別の字体で使われるような事態はできれば統一する方向を示した方がいいのではないか,そういうふうに思っております。

○前田主査

 何かそのほかの御意見はございませんか。固有名詞の問題については,いろいろな問題がありますので,また,改めて別に取り上げて深めていきたいというふうに思っています。これを考えないで漢字表を作るというわけにいきません。しかし,どういう形で考慮に入れるかというところで,意見の違いが出てくるのではないかというふうに思っております。改めて討議したいというふうに思います。

○阿刀田分科会長

 既に行われていることだとは思いますが,私は情報機器を余り使わないので分からないのですが,この漢字は常用漢字である,これは常用漢字以外であるということは,使うとき簡単に出せるわけですね。

○阿辻委員

 打っている段階では分かりません。

○阿刀田委員

 我々としてできることは,もし可能であるならば,そういうことをメーカーの方々に,そのことがどうか皆さんのところに分かるように,そこから先使うかどうかということはそれぞれの方の自由だけれども,あなたがお使いになる漢字は,一般の人が読めない可能性がある漢字をお使いになるのですよということが分かるようなことを普及させてほしいというようなことではないか。そのことをメーカーに訴えるということは可能だし,そういう形で,土台になるものはこれである。土台からはみ出すものをお使いになるのはそのことを十分意識なさった上でお使いくださいというような方便で何とか行くんじゃないかという気がしますが,そう簡単ではないことなのかなと,今,思っております。

○阿辻委員

 それはもう実際に現在やっている話でありまして,金武委員に伺いたいんですが,新聞の記者の方々がモバイルパソコンを現場へ持っていって,そこで記事をお書きになるときに,仮名漢字変換する場合,漢字に変換されるものというのは,新聞社が使うことに決めている漢字の枠内でというふうになっているわけですか。

○金武委員

 原則はそうです。

○阿辻委員

 そうしますと,新聞では使えない文字をそこで変換しようとしても,漢字には変わらないということですか。

○金武委員

 最初に出るのがその新聞の規定のものであって,固有名詞とか,引用文などでは表外字も使いますから…。

○阿辻委員

 出そうと思えば,出るんですか。

○金武委員

 出せます。表外字を示す場合以外にも,いろいろ記号がありまして,社によって使っているソフトが違うかもしれませんが,例えば差別語とか,要注意のものも記号が出るようになっています。

○阿辻委員

 例えば,新聞社は新聞社で,小学校の先生だったら,例えば6年生の文章だったらこの漢字を使えるけれども,5年生のテストだったらそれを使えないというふうに,一定の範囲の中で漢字が変換できるようなシステムというのは,今もうかなりのところで使われているんです。私が使っている一太郎とATOKというのでも,私は別に操作は何もしていませんけれども,あらかじめ設定しておけば,公用文のルールにのっとった書き方とか,常用漢字の中だけでというふうに,機械が勝手にフィルターを掛けてきますので,今,阿刀田分科会長がおっしゃったことは,ソフトメーカーが他のソフトとの差別化のために,むしろ積極的にそういう機能をどんどん加えてくるだろうなというふうに思いますけれども。

○金武委員

 ATOKだけではなくて,マイクロソフトのIME,あれなども,同義語の使い分けみたいなものは出ます。常用漢字外は常用外と出ています。また,常用漢字変換という形の設定にすればそういう形になります。

○甲斐委員

 ずっと以前,まだ国語審議会があったころに,ジャストシステムの社長が委員としておいでになって,その時の話です。例えば,4年生の学級通信だったら4年生までの漢字が出せる,そういうソフトというのはもうできている。6年生だったら6年生までのはできているというお話だったんです。私が余分な話をその時して,漢字には音訓があって,そして漢字は4年生で出てくるけれども,どの音訓なのかが分からない。それ以外の音訓は5年か6年か中学か,つまり中学配当の音訓もあるということで,4年で新出漢字があるから4年で使っても分かるというものではないという,余分なことを言ってしまったことがあったんです。したがって,常用漢字の範囲内とか,学年別配当漢字の範囲内とか,そういうソフトというのは既にできているということであります。

○前田主査

 学年別漢字配当表の適用の仕方は去年辺りからちょっと変わったのはないですか。多少上下の学年に,少し緩やかになったというふうに伺っています。

○甲斐委員

 それは教科書の段階でできるんです。したがって,各学校とか,地区というのは,どの教科書を使っているか分からないものですから,非常にややこしいということです。

○前田主査

 大体今日提起しておりました論点の1,2の辺りのところについて,主な点は取り上げられたかと思いますが,いかがでしょうか。

○林副主査

 こういう漢字表のようなもので使う漢字の標準化を図るとしまして,それを適用する範囲を想定するとしても,一般的に言うと,今までと違う二つの明らかな傾向があるのではないかと思います。一つは,使われる漢字の種類や使い方はソフトの中に入っていますから,これは先生方が一般向けの何か本をお書きになる場合とか,そういうふうな場合を想定しても,増える傾向にある。漢字は増える傾向にあるということが一つです。
 それから,もう一つは,紙と鉛筆だけでやっていたころに比べますと,両方とも知っている漢字を使わないといけないし,書き手の知っている漢字の量と読み手の知っている漢字の量というのは,一応理屈の上ではほぼ同じような程度であったというふうに考えていいんですが,機械を使うようになりますと,書き手は書けない漢字でも選んで使えるということになりまして,字の種類が増えてくると,一般に読み手の負担が非常に大きくなる傾向がある。つまり,読み手の側から見て,非常に読みやすいというような書記体,書かれたスタイル,そういうふうなものがこれから少し,これまでにはない視点として,考えていく必要があるのではないかというふうに思っております。
 もともと私は当用漢字や常用漢字というのは,書くというふうなこと,あるいはその漢字を習得するということにどちらかと言うと重きがありましたけれども,今のようなこういう情報機器の発達した状態やこれからを予想しますと,読み手の側の利便性というものは,これまで以上に考えていかなければいけない。そもそもという言い方も変ですけれども,そもそも論で行けば,何のために書くかというと,読むために書く,あるいは読んでもらうために書くわけですから,書く方の努力として,やはり読み手に都合のいい書き方というものを心掛ける必要がある。それが言語の伝達の効率を非常に上げていくということになりますと,これを機に,今までと比べてもう少し読み手の側からの利便性,そちらを重視した考え方で漢字を考えていくということが非常に大事だと思っております。
 それで,今日の配布資料3の2の四角で囲ったその下の理由1というところで,こんなことを前回申し上げたのは私でございますが,そんなふうに考えております。もしこういうふうなことについて先生方のいろいろなお考えがあったら,私の勉強のためにも,それからこの議論を進めるためにも,率直なところをお伺いできれば,大変有り難いと思っております。

○前田主査

 今,林副主査の希望がありましたけれども,いかがでしょうか。

○阿刀田分科会長

 伺っていて,ほとんど雑談めいたことですが,序文みたいなところに,今の読み手の利便性ということは何か入れたいことですね。専門家がいらっしゃると思いますけれども,歴史的に見て,やはり文字を書くというのは非常に偉い階級の者だったわけで,おれの書くものをお前たち読めという思想で文字というのは発達してきたんじゃないかと思うんです。
 だから,偉い人が難しい字を書いたら,それはどうしても読まなければならないという歴史の中でずっと動いてきて,それはどこかで私たちは今でも背負っているんだろうと思います。ただ,この辺りで読む方の利便性というのは,こういう社会になったときには非常に重要ではないかということは,常用漢字を考える上での一つの,特にこういう情報機器の時代に考える一つの視点として,どこかに一言入れておきたいような気がいたしました。

○松岡委員

 読むという行為は,これまで非常にプライベートなものだったんじゃないかと思うんです。携帯メールにしてもやはりそうです。しかし,別の意味で言語を含む状況というのが変わってきたなと思うのは,つい最近,東京文化会館で「オセロ」が上演されたので,オペラの字幕のお手伝いをしたんです。そうすると,例えば「せめのぼる」というときに,下訳した方が,「上る」という字を書くと,これは「せめあがる」と読まれるとまずいから平仮名にするか,あるいは「昇る」にするか,どっちかにしたらというアドバイスをするわけです。
 映画の字幕というのは今までにもありましたけれども,それも含めて,大勢の人が一時に同じものを読むという,そういう状況というのは,恐らく,過去にはなかったのではないかと思うんです。書をみんなで鑑賞するとか,そういう場合はあったかもしれないけれども,それこそ1,000人単位の人が同じものを読むという。これはよく言われることですけれども,世界的に見ると映画は吹き替えの方が多いんです。パーセンテージははっきり分かりませんが,でも,一々字幕を出すというのは,それだけその国民の識字率の高さを表すもので,これは,かなり誇っていいことではないかと思うんです。
 これまたもっともっと冗談になってきて申し訳ないのですけれども,安野光雅先生が イタリアで「座頭市」を御覧になったそうなんです。そうすると,「おひけえなすって」というのから何から全部吹き替えなんだそうです。それが「ボンジョルノ」になっていたというので,「おひけえなすって」が「ボンジョルノ」かと笑って,それほど自国の文化,吹き替えることの方が多い中で,オリジナルなものをある程度耳で聞きながらも,その意味を目で,文字で追うという,このマルチな能力は非常に日本人が誇っていいものではないかと思いますし,それから,今,申し上げたように,海外からの引っ越し公演,私の仕事の範囲で言うと,オペラにしろ,演劇にしろ,これはやはり今までになかった現象です。文化の交流ということ,それとも絡めて見ると,言葉を読むということ,それから読み手の利便性を考えるということは,ますます大事になってくるんじゃないかなと思いました。

○金武委員

 私も雑談的になるかもしれないけれども,読み手の立場を考える場合に,字幕も画数が多いと読めないんです。放送関係でよく言われることなんですが,交ぜ書きはよくない。だから,できるだけ表外漢字であってもルビを付ければいいじゃないかという立場の人も新聞界の中にもちろんいます。そうしますと,字幕にするときに,例えば改竄の「竄」という字,あれはまず真っ黒になってしまう。これは交ぜ書きの方が分かりいいのではないかという意見が多い。言葉自体を言い換えた方がいいのかもしれませんが,なかなか言い換えられない場合もありまして,そういう点から考えますと,字体にこだわるようだけれども,当用漢字,常用漢字で,いわゆる旧字体のうちのかな りの部分を画数の少ない字体に変えたということは,読み手の立場からいっても非常に良かったのではないか。表外漢字字体表制定の時に新しい字体を増やすという混乱を避けるために,できるだけ旧字体に統一したという,その理念は分かるんですけれども,その表外漢字の中から今回常用漢字に加えるものは,できればやはり簡略化せざるを得ない,その方が読み手にとってもいいだろうと思います。
 ですから,そういう点で,固有名詞だけが別扱いされているというのは,例えば「かい」という字,「會田(あいだ)」さんという方は,確かに固有名詞は正字でありましょうけれども,これをそのまま認めると,字幕ではちょっと読みにくくなる。それと,今の若い人が新字体になれてきておりまして,漱石でも外でも,明治の小説が文庫本ではほとんど新字体に統一されています。そういう点で,固有名詞だけが旧字体であると,それはまた読み手にとっては負担になるんじゃないか。そういうことも考えられるので,できれば同じ漢字なのですから,同じ字種というものは同じ字体,それもできるだけ易しいものが公認されると言いますか,標準化されればいいと思っています。

○甲斐委員

 今,振り仮名の話が出たので,読み手に親切な振り仮名ということで申し上げようと思うんです。昭和10年代後半の問題提起にこういうのがあるんです。当時,振り仮名についてかなり大きな問題があって,振り仮名を廃止しようということになった。その時に,振り仮名の場合はこうなるんですよといって,本体の漢字を除いて振り仮名だけを残した本文を1ページ分,出したのがあるんです。誠に字が小さくて,私どももちろん目が悪いですから,読みづらい。これを小学生に読ませるというと,これはやはり視力の問題に関係するなというぐらいに本当に,ただ,本体があるから,先ほどおっしゃった難しい漢字があるから,何となしに,大人はそっちで読んでしまうからいいんですけれども,それが意味が読めない,意味が分からないというところで,漢字を空白にしてしまうと,誠に読みづらいということがある。したがって,今度新常用漢字表を考えていくときに,振り仮名の問題もどこかで読者の利便性というところから取り上げていただけると有り難いなと思っております。

○松村委員

 国語科の教員と話していて,常用漢字を増やす方向で考えてほしいというような声の背景には,新聞の文章ぐらいそのままの形で読ませたいという声もあるんです。ですから,振り仮名をどういうふうに今後考えていくかということについては,私も,是非先生方の御意見を伺いたいと思っています。
 先ほどの読みの話で言えば,私は言葉を通して文化を教える。言葉を通して生活を豊かにしていくという,言語生活を豊かにするための漢字学習というとらえ方をしているんです。けれども,例えば一番習得できるのは,作品を通して読んだり,漢字を身に付けたり,自分で文章を書いて身に付けたりする,これが本当に一番まっとうなと言うか,正面切っての漢字学習の在り方だと思うんです。今の教科書で言えば,常用漢字の1,006字については書くことができるようにする。それから常用漢字の大体を読むということで行くと,どうしてもそういう文章の中で,自分が使ったり,あるいは作品を読んだりして,それを通して身に付けていく漢字ということだと,はじかれる部分が出てきて,はじかれた漢字については読みを覚えましょうということで,一つの単元として出てくるわけです。例えば先ほど出てきた「朕」であるとか,「逓」であるとか,そういうことについては,この漢字を読めるようにしなさいという,そういう学習の仕方があるわけで,そういう形では習得はできないだろう。そうすると,それをどうやって習得していくかというと,やはり文章の中で覚えていくというやり方以外には,これは一応中学校卒業するまでには勉強しましたという形が優先されて,実際にはそれは使う必要のない漢字だから,それでいいのだろうとは思うんですけれども,そのまま行ってしまうという,そういう心配があるんです。
 ですから,先ほど新聞で,本当に読める字でも使えない漢字,そういうふうなお話もありましたので,基本的に私もそういう使われる漢字を主にした字種の交換というか,そんなことで常用漢字表の改定の方向を基本的に考えていければいいのかなというふうに思っています。

○前田主査

 いろいろと興味深い話が出てまいりましたけれども,時間が迫ってまいりましたので,また引き続いて次回御議論いただくことにしたいと思います。だんだん具体的な話も出てきましたので,具体的な問題については,今後御議論いただくという形で今日は収めたいと思います。
 今日は漢字表の必要性ということについてはかなりいろいろ御意見をいただいて,まとめることができそうな感じになってまいりましたので,その点うれしく思っております。また具体的な固有名詞の問題など,いろいろ議論のあるところがありますので,それらの点については次回の委員会で議論していきたいと思います。ということで,次回は論点2の固有名詞のことについて検討することにいたします。

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