第11回国語分科会漢字小委員会・議事録

平成18年10月24日(火)

10:00~12:00

三菱ビル地下1階M1会議室

〔出席者〕

(委員)阿刀田分科会長,前田主査,林副主査,阿辻,岩淵,甲斐,金武,東倉,松岡各委員(計9名)

(文部科学省・文化庁)町田国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

  • 1 第10回国語分科会漢字小委員会・議事録(案)
  • 2 「新聞表記の現状と制定経緯 -常用漢字表との異同を中心に- 」(金武委員提出資料)
  • 3 「情報化の考え方と日本語との関わり」(東倉委員提出資料)

〔参考資料〕

  • 1 漢字小委員会で検討すべき今期の論点(第6回漢字小委員会確認)

〔経過概要〕

  • 1 事務局から配布資料の確認があった。
  • 2 前回の議事録(案)を確認した。
  • 3 金武委員から,配布資料2についての説明が行われた。説明に対する質疑応答の後,意見交換を行った。
  • 4 東倉委員から,配布資料3についての説明が行われた。説明に対する質疑応答の後,意見交換を行った。
  • 5 次回の漢字小委員会は,11月20日(月)の10:00~12:00に開催することが確認された。会場については,決まり次第,事務局から改めて各委員に連絡することとされた。
  • 6 金武委員,東倉委員の説明の概要と,その後の質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。

○ 金武委員の説明

 配布資料2の「新聞表記の現状と制定経緯」に基づいて,新聞の表記について御説明いたします。

 新聞の表記というのは,まず原則として「常用漢字表」「現代仮名遣い」「送り仮名の付け方」によって書くという,戦後の国語改革の三本柱のすべてを実行しています。これをかなり忠実に実行しているものとしては,義務教育の教科書以外では新聞ぐらいではないかと思うのですけれども,それだけに実行していく上において,いろいろな問題も出てきたということで,独自の修正を重ねてきたのを年代順にローマ数字のⅡのところで並べております。

 まず,Ⅰの「新聞表記の基準」の「原則」のところの後ですが,「*漢字の使い方」では漢字だけを取り上げました。このほかいろいろ原則はあるんですけれども,(1)は常用漢字表に掲げられたものを,その音訓の範囲内で使うということです。字体も常用漢字表,人名用漢字表に掲げられた字体とするということです。この人名用漢字表が括弧で「1997年制定まで」と入れなければならなくなったのは,ちょっと遺憾でありますが,入れざるを得ないわけです。

 それから(2)は,常用漢字表,人名用漢字表にない漢字(表外字)は正字体を使うのを原則とするということです。これは注にありますように,新聞によっては表外字でも略字体を使っている,常用漢字に準じた略字体を使っているところもありますし,それからこの「正字体」という言い方で一括できないと言いますか,国語審議会の印刷標準字体に準拠している社と3部首許容をすべて採っている社と,それから簡易慣用字体の一部を採っている社ということで,字体については,現在まだ統一が完全には取れておりません。原則的には(2)の,この原則ということです。

 それから,(3)として常用漢字・音訓の範囲内で書き表せないものは,なるべく別の言葉や字に置き換えるか仮名書きにするということがあります。やむを得ず表外字を使う場合は読み仮名を付けるのを原則とするということです。この「別の言葉や字に置きかえる」というのは,1956年でしたか,国語審議会が「「同音の漢字による書きかえ」について」というのを発表しましたけれども,それ以前から,当用漢字表を実施しようということになった時に,いろいろ書き表せないものが出てきましたので,仮名との交ぜ書きはなるべく避けたいということで,言い換えを新聞社独自で考え始めております。

 それで結果として,国語審議会の「「同音の漢字による書きかえ」について」が発表された7月以前に,「同音の漢字による書きかえ」の331語のうち214語は,先に新聞協会が言い換えを作っていたという事実があります。それから,読み仮名を付けるというのは,当時は―当時と言いますか,昔は新聞活字が非常に小さかったので,事実上ルビは付けられなかったわけですね。そこで,括弧して,平仮名で読みを付けるというやり方をしていました。現在ではルビが大勢になっておりますが,社によっては,まだ括弧で読みを付けるというところもあります。

 (4)の表外字では,固有名詞及びこれに準ずるものは使ってよいとなっています。これは正にそのとおりで,ただ固有名詞でも読みにくいものはルビを付けるという方針は,大部分の社で実施しています。

 次は,Ⅱの「当用・常用漢字表に関連する新聞の漢字表記の変遷」です。

 まず,1953年に新聞協会に新聞用語懇談会が設立されました。これは当用漢字表を実施するに当たって,各新聞社がばらばらに用語関係を検討していてもまずいんではないかということで,主要新聞社が集まって,用語関係については統一見解,特に,言い換えなどは社によって言い換え表記が分かれるのはおかしいので,話し合おうという趣旨でした。それから,当用漢字を実際に実施してきて,どうもこれだけでは不十分であるということで,当用漢字を補正しなければいけないのではないかということから,そういうことも含めて,新聞用語懇談会という組織ができたということです。

 新聞協会加盟社のうち,約80社が用語懇談会に所属しております。そのうち,幹事社が約30社です。幹事社では大体月1回定例会を開いて,用語関係についての意見を交換しております。そのほか放送関係だけの放送分科会というのもありまして,これも放送関係で問題となる用語を中心に審議をしております。

 1954年には,当用漢字の補正資料というものが国語審議会に報告されました。これは新聞側が出した資料に基づいて,28字の追加,28字の削除,2字の音訓追加ということを報告したもので,ここにありますように,追加と削除が同数になっています。これは当時,当用漢字の字数を増やしたくないという気持ちが働いていたのではないかと思います。それで新聞としては,これ以外の要望があったのですけれども,国語審議会が,これは補正ではあるが,いずれ当用漢字を正式に見直すときにこれを参考にして入れるということでありましたので,新聞界としては直ちにこれを実行したということです。

 そして,1956年10月に『新聞用語集』の初版を発行しております。『新聞用語集』というのは現在まで続いております。各社がそれぞれ社の用語を規定するハンドブックを作っておりますが,それのベースになると言いますか,基になるものでありまして,特にこの当時では,ほとんどの社は,この『新聞用語集』と全く同じ表記で,新聞を作っていたということです。

 1962年3月の『新聞用語集』では,まず,表外訓を含む熟語で漢字表記が慣用されており,適当な言い換え,書換えのない「海女」「為替」「夏至」「相撲」の4語は慣用として使用を認めています。要するに,当用漢字を忠実に実行すると,こういうものもみんな平仮名で書かなければならないということはおかしいんじゃないかということです。これは,もう慣用的に使おうということになりました。世間的にも全く問題なく「相撲」なんかは使われているわけですから。

 そして,1969年の『新聞用語集』では,この4語に加え,配布資料に示した語についても慣用されているという理由で使用を認めた。現在,熟字訓と言われているものの大部分をここで認めております。「お母さん」「お父さん」も平仮名で書かなくてはいけなかったということなんですが,これは漢字で書いてもいいだろうとしました。

 1973年には,当用漢字の改定音訓表が告示されました。この時,初めて「付表」というものが本表のほかに付きまして,この「付表」に新聞用語懇談会の既に決めた前記39語のうち,「夏至」「伯父・叔父」「伯母・叔母」を除く36語を含む熟字訓106語が掲示されております。ここで「夏至」がなぜ入らなかったかというと,この当用漢字改定音訓表の時に,「ゲ」というものを本表で,「夏」に「ゲ」を認めたからですね。それで,もう夏至は「付表」に入れる必要がなくなったということです。

 そして,1981年に「常用漢字表」が告示されるわけですが,この時に補正案で示された追加候補の28字が入りましたけれども,削除候補の28字は1字も削除されなかった。したがって,削除候補の中にあった竹冠の「箇」というものは残ったので,人偏の「個」の音の追加もされなかったということです。付表には,前記の106語に「伯父・叔父」「伯母・叔母」,それから「桟敷」と「凸凹」,これを追加して計110語が掲示されて,常用漢字表に至っているということです。これに対して,新聞用語懇談会では,削除候補28字のうち括弧内の11字,これを引き続き使用しないことと,新たに6字種1音を追加した。それから,付表の語に18語を加えることを決めました。削除の11字の削除理由は,頻度が少ないということが第一なんですが,そのほかに仮名書きで十分ではないかと,それから言い換えが利くのではないかということで,また「虞」は「おそれ」という場合だったら平仮名で問題ない。それから,竹冠の「箇(カ)」は今言ったように,人偏の「個」で代用できる。さらに,「且(かつ)」は平仮名でいいし,遵守の「遵」は順(より)という「順」ですね,あれで言い換えられるだろうというわけです。「但(ただし)」も平仮名,膨脹の「脹」も弓偏の「張」で言い換えできる。「朕」は使ったのを見たことがない。それから,「附」は,「付」で全く同じように使えるであろう。「又」は平仮名で十分である。「濫」も大部分は乱暴の「乱」で代用できるということが削除した理由です。追加した字種は,「亀(かめ)」「舷(ゲン)」「痕(コン)」「挫(ザ)」「哨(ショウ)」「狙(ソ)」,そして,字音は「個」に「カ」を追加したということです。

 それから,付表に,新聞独自にこれだけの語を更に追加しました。これらの中で,今でもちょっと疑問が出ているものは「神無月(かんなづき)」です。これは,音韻の単なる変化で,別に制限訓ではないんじゃないかというわけです。つまり,これはもう付表に入れなくても自動的に使えるのではないかという意見もあります。「生粋(きっすい)」についても,「っ」を抜けば全く問題ないわけなので,「っ」を入れたものが制限訓なのかどうか,これは辞書によって表内訓扱いにしている辞書もあるので,この辺も今後,今度の分科会ではこれから,こういうものが表内訓であるのかどうかということも,はっきり疑問のあるものはさせた方がいいのではないかと思います。

 それから,ルビなしで使用できる特別な語というのを12語決めました。これは,ここにありますように「華僑」「歌舞伎」「小唄」「鍾乳洞」,これらはすべて平仮名書きにはできないし,ルビを付けるほどでもないのではないかということです。

 そして,1993年ごろになりますと,交ぜ書き,特に平仮名が先に来ている漢字の熟語の交ぜ書きというのが非常に読みにくいし,おかしいという声が強くなりまして,「ら致」と「だ捕」ですね,これは漢字「拉致」「拿捕」としてルビを付ける。それから「斑点」の「斑」を,1班,2班の「班」で代用させていたんですが,これはもう読者から非常に違和感があるという声が強いので,やはり本来の字に戻そうということになったのです。それから「壇家」もそうですね。これは,(ぼん)語の音訳であるので,音訳なら何でもいいんじゃないかという声もありましたけれども,伝統的に木偏の「檀家」でやっておりますので,これはこれで戻すということを決めております。

 そして,1996年10月発行の『新聞用語集』には,更に付表23語,それから表外字を含むがルビなしで使用できる,これには「マルトク」という印を付けましたけれども,これらを追加しております。

 そして,1999年,このころになりますと「常用漢字表」が実情に合わなくなってきたのではないかという声が高まってきて,常用漢字並みに扱う表外字を増やそうということになりました。これについては,文化庁に,常用漢字表見直しの予定はあるかということを非公式に打診したところ,「今のところはない。」という回答を得たので,それでは新聞で選定を始めようというふうになったと聞いております。

 そこで,2000年になって,新聞用語懇談会加盟各社にアンケートをして,候補194字 種を関東幹事会で検討し,この時には,文化庁による「漢字出現頻度数調査(凸版印刷・新旧調査)」なども参考にして,39字種に絞って,秋の全国総会で表外訓9字種10訓とともに採択したということです。それが,次のページの字種と字訓です。 現在,各新聞社は,これに基づいて表記基準を決めています。ただし,それぞれ新聞独自の調査をした結果,例えば「牙(きば)」であれば,「きば」と読むことはできても,「ガ」や「ゲ」という音読みは難しい。「瓦(かわら)」にしてもそうですし,あるいは参詣の「詣(ケイ)」,「詣でる(もうでる)」は読めても,「ケイ」とはなかなか読めないんですね,高校生,大学生ぐらいでも。というようなことで,ましてや柿の「シ」の「熟柿(ジュクシ)」などというのは全く読めなかったということもありまして,新聞によっては,この辺の字を使う場合に,音を使う場合は読み仮名を付けるというふうに決めているところもあります。

 2001年の秋季合同総会,用語懇談会の合同総会ですが,ここで39字種の単漢字以外に読み仮名なしで使う熟語24語,「一揆(いっき)」とか,「元旦(がんたん)」とか,「拉致(らち)」とかですね。「拉致」は,それまで読み仮名を付けていたんですが,非常に新聞やテレビに「拉致」が報じられることが多くなって,いつの間にか,だれでも読めるようになってしまったということで,読み仮名を外しました。「拿捕(だほ)」は今でも付けていると思います。これを受けて,39字種も含めまして2001年の秋から2002年の春にかけて,新聞の新しい漢字表を各社がそれぞれ多少の違いはありますが,基本的には実施しております。

 それ以後,新聞用語懇談会としては,代用漢字とか言い換え,書換えの洗い直しと言いますか,見直しを始めておりまして,まず,2002年には「潰走(かいそう)」というのを「潰れる」から「壊れる」に言い換えしていた,あるいは,「詭弁(きべん)」を単なる常用漢字の易しい「奇」に言い換えしていた,「橋頭堡(きょうとうほ)」の「堡」についても「保」にしていた。それから,「合祀(ごうし)」は「合祭(がっさい)」という言い換えを一応使っていたんですね。ところが,非常に使いにくい,「合祀(ごうし)」を「合祭(がっさい)」と言い換えると,何だということになってしまって,意味から言えば「合祭(がっさい)」なんでしょうけれども…。そこで,これらについては言い換えは廃止した。「潰走」については,まだ「敗走(ハイソウ)」の方が言葉としては分かりやすいのではないか。「詭弁」は,もうルビ付に戻そう。「橋頭堡」や「合祀」もルビ付きということで,これが2002年に採択されております。

 そして,2003年には,「冥土」「冥福」「伴侶」,これも読み仮名なしで読めるのではないかということで採択しました。

 それから,2004年には「旬(しゅん)と「放(ほうる)」が付表に入っておりましたので,これはもう付表に入れるものは基本的に熟語であるから,単独を入れるのはちょっとそぐわないということで,本表で「旬」と「放(ほうる)」を認めたということですね。それから,「柵」と「芯」ですが,これはもう漢字を使っても読めるのではないかということで,特例として,ルビなしで使用できることを採択しました。これも理屈から言うと単漢字ですから,使用字種を増やせばいいのではないかということですが,もう常用漢字の見直しが始まるという審議会の予定もありましたし,また新聞が新しい字種を追加するということは控えて,特例というようなひそかな形で使うということになったわけです。

 それで,2006年,今年ですが,以上の改定を含む『新聞用語集』の最新版というものの編集が大体終わりましたので,来年早々には発行できるのではないかと思っております。これは今まで『新聞用語集』では常用漢字表という形で,ただし何字かは追加しているというような形で出していたんですが,今度は大幅に増えましたので,「新聞常用漢字表」というふうに「新聞」を入れまして,本表には内閣告示の常用漢字表の1945字,それに使用しないことを決めた11字も記号を付けて掲載しています。そして,常用漢字表外であるが新聞用語懇談会が使用することを決めた45字と追加する13の音訓をつけ加えて,計1990字の字体と音訓を示しております。ただし,新聞常用漢字としては,11字を引くわけですから,1979字を使っているということです。

 付表の方も,内閣告示の常用漢字表の付表115語に,新聞用語懇談会が使うことを決めた慣用表記52語を加えております。この52語の内訳は,前の1981年に17語ありましたうちの「内証話」をまず削除した。新聞では「ないしょ」というときに,言偏の「内証」を使っておりましたので,表外音訓になるということで付表に入れて使っていたんですが,今回の改訂では,「内証」はもう糸偏の一般に使われている漢字の「緒」に変えようということになりました。糸偏であれば,音訓には引っ掛かりませんので,これを外したということです。それから,96年の21語から「旬」と「放る」が本表に入ったということで削除したので,52語になっております。なお表外字を含むが,ルビなしで使用できる「マルトク」扱いの語が20語掲載されております。ただ,新聞としては,付表に追加するものは,常用漢字若しくは新聞常用漢字の表内字ではあるけれども,音訓が制限訓であるものですね,それが付表です。それから,表外字を含むがルビなしで使用を認める熟語というものは,付表には入れないで マルトク 印を付しております。この中で,既に「冥王星」「冥土」「冥福」という「冥」の付く熟語が3語も入っておりますので,「冥」も将来,常用漢字が見直されれば,常用漢字に入ってもしかるべきものではないかという声もあります。「柵」「芯」もそうです。これが今までの経過であります。

 それから,もう時間になりましたので,ちょっと簡単に新聞界の要望について触れたいと思います。新聞界の中にも,もちろん放送も含めてですが,表記についてもいろいろな意見がありまして,まだまとめる段階に至っておりませんので,今回新聞界としてのまとまった要望は,後ほどと言いますか,これから用語懇談会で1年ぐらいかけて審議をして具体的な案を作ろうということにしています。それで,国語分科会に文書として出したいという意向であります。ですから,これから申し上げるのは,こういう意見もあるという程度のものです。1点目は,新聞で削除を決めた字は,常用漢字表から削除してほしいということです。次に,固有名詞に使われる漢字についての見解ですね。現在野放しの状態だが,それでいいのかということです。3点目は,人名用漢字が法務省に移った時,常用漢字表の趣旨が十分参考にされることが望ましいとあったけれども,ほとんど今回参考にされていないのではないかということです。これについては,「一字種一字体」の原則を守るという方向を,国語分科会として,何らかの形で言及すべきであろうということは,既に要望されております。

 明治書院の『日本語学』という雑誌の臨時増刊号は,「新常用漢字表の作成に向けて」という特集号になっています。甲斐委員はじめ,皆様お書きになっているんですが,その中で,読売新聞の関根健一さん,朝日新聞の福田亮さん,NHKの柴田実さん,この3人とも用語懇談会の委員でして,私も含めまして新聞報道界からの,これはそれぞれ個人的な見解ではありますけれども書いておりますので,これらも新聞報道界の新常用漢字表に対する意見の一つだと思って読んでいただければ有り難いと思います。

○前田主査

 大変詳しく,これまでの状況を御紹介いただき,また個々の漢字についても,語についても表にしていただきましたので,随分分かりやすかったかと思います。最初にまず今の説明と,この資料につきまして,何か疑問の点がありましたら質問していただきます。

○岩淵委員

 細かいことですけれども,「朕」を除くというのは分かりますが,「璽」は,新聞ではそのままお使いになるわけですね。

○金武委員

 そうですね。補正案の時には確かに削りました。でも,常用漢字に残ったし,何らかの場合に使うこともあり得るのではないかということを考えたのです。

○岩淵委員

 日本国憲法の関係で入っているのではないかと思うのですが,「朕」を除くと,もう憲法に縛られる必要はなくなってくるので省かれてもいいような字が出てくるのではないかと思います。そうした場合,削除の候補にはなりませんか。

○金武委員

 それは,具体的に削除する字と追加する字というものを用語懇談会で審議していきますので,当然削除候補には入ると思います。

○阿辻委員

 質問というか,私自身よく分からないところがあります。
 まず,2ページの1981年の段階で,〔ルビなしで使用できる特別な語〕として「華僑」以下,幾つかあります。ここで挙げられた語は,それ以降,特別に議論されない限り現在も引き続いて使われていると理解してよろしいですか。

○金武委員

 そういうことです。

○阿辻委員

 そうしますと,例えば,2006年に〔表外字を含むがルビなしで使用を認める熟語〕の,「一揆」「旺盛」というのは今まで作られている集合に新たに加えたということです か。

○金武委員

 そういうことです。

○阿辻委員

 分かりました。それはそれで十分理解できるんですが,例えば1981年とか96年とかに,伝統芸能に関する言葉が大量に入っているんですね。「ぎだゆう 義太夫」であるとか,「歌舞伎」「小唄」「長唄」「端唄」,それから,96年にも「おやま 女形」とか「常磐津」とか。これは,その時代に,そういうことを主張される強力な御意見があったということなんですか。

○金武委員

 そうですね,新聞社には芸能部や文化部というのがありまして,そういうものの記事について,これはもう漢字を使わせてほしいという声が,以前からありまして…。

○阿辻委員

 歌舞伎(かぶき)のことを新聞で書こうと思うと,余りにも制約が多いから困るというようなことだったんでしょうか。

○金武委員

 はい。全部ルビ付き若しくは仮名書きということでは煩わしいということですね。

○阿辻委員

 2006年の追加には,そういう単語がほとんど含まれていない。もう大体出尽くしたということでしょうか。

○金武委員

 ええ,もう大体出尽くしたと思っております。ここでは,固有名詞に準ずるものと言いますか,『新聞用語集』の「用語用字集・前書き」で,もう既に「歌舞伎」とか「小唄」とか「浄瑠璃」とか,そういうものは固有名詞に準じて使えるということを入れてありますので,必ずしも本当に全部入れなくてもいいのではないかという声もありました。

○阿辻委員

 そういうことですか。
 ところで,2ページの96年の付表に,追加で「手数入り(でずいり)」とありますが,これはどういう意味の語なんですか。

○金武委員

 相撲の用語です。

○阿刀田分科会長

 土俵入りのことですね。

○阿辻委員

 ああ,土俵入りのことですか。

○金武委員

 相撲の記事では,時々出てくるんです。これも仮名で書くとは限らないと思います。

○阿刀田分科会長

 新聞社においては,記者が全部ちゃんと書いてくるとは思わないんですが,こうした字のチェックというのは特別にどこかでやっているわけですか。

○金武委員

 最終的には校閲部というところなんですが,名前は校閲部じゃなくなっているところが今ありますけれども,そういうチェック機関というのは各社あります。それから,現在は記者はみんな記者用のパソコンを持っていますので,それに引っ掛かる制限漢字を使うと印が出てきます。

○阿刀田分科会長

 記者が持っているパソコンで,これは使えないという印が出てくるわけですか。

○金武委員

 ええ。

○阿刀田分科会長

 そうすると,きちっとした相当煩雑な規則が作られていても,実際使うときには,そんなに煩雑というか,不便はないということですか。

○金武委員

 現在はそうですね。昔は校閲部の負担が多かったと思いますけれども,今はもう,例えば,送り仮名なんかは社の規定の送り仮名がまず出てきます。

○阿刀田分科会長

 分かりました。

○東倉委員

 今おっしゃっているパソコンのソフトというのは,各社共通のものがあるんですか。何か共通のボディーがあるとか,各社でソフトを作っているとか…。

○金武委員

 各社がそれぞれ作っているみたいですね。ただ,基が『新聞用語集』ですから,そんなに違いはないと思います。

○東倉委員

 用語集が辞書としてあって,それを使っているわけですね。

○金武委員

 各社それぞれ工夫していますので,間違いやすいようなものはどんどん入れています。

○阿辻委員

 この間,「冥王星」が話題になった時に,確かNHKのニュースは「冥」にルビを振っていたような記憶があるんです。新聞協会では「冥」がいかにも市民権が与えられているかのように,この資料では見えるんですが,それ以外に更に各社が独自の判断を加えるということもあるのですか。

○金武委員

 それは当然あります。つまり用語懇談会で決めたもの,あるいは『新聞用語集』は現在正に目安であって,それぞれ各社が独自の判断を加えることは自由です。例えば,字種についても朝日新聞は一番多いと言いますか,39字じゃなくて60字ぐらい表外漢字を使っていると思います。「冥」については,2006年の用語集の検討で決まったもので,来年早々に発行する『新聞用語集』に初めて入るわけですので,実際には,まだ市民権を得ている状態ではないでしょう。

○阿辻委員

 冥王星の議論が,そのきっかけになったわけですか。

○金武委員

 『新聞用語集』で洗い直しているときに,この「冥」はもう使ってもいいんじゃないかという声が出て,それが採択されたということです。これはまだ採択されたばかりです。

○岩淵委員

 先ほど伺えば良かったのですが,「朕」は新聞には確かに出ないというのは分かりますが,新聞以外のものには出てくる場合がありますね。例えば時代小説には出てくるとか。そのような場合には,新聞に出てこない字は除くという考え方を採ったらいいのか,あるいは,いろいろな分野を考えたときに,分野によっては使われるけれども新聞には出てこない,そういうものについても拾うとお考えになっているのか,それをお教えいただきたいと思います。

○金武委員

 新聞は,基本的に新聞記事,報道記事に使う記事を,この『新聞用語集』で限定と言いますか,原則を立てているわけです。例えば,小説とか詩歌,和歌,俳句のようなものにまで当てはめようとは思っていないわけですね。飽くまで伝達を目的とする文章についての新聞記事としての規定であるということですから,新聞に連載される小説なんかは原則的には著者の書いた表記をそのまま使って,表外字にはルビを付けるという形です。それから,投書欄,和歌や俳句の投句欄がありますけれども,これも原則的にどんな漢字でも創作として認めております。これらは,もう例外扱いです。

○岩淵委員

 常用漢字表を新たに作ろうということになった時に,頻度の多い少ないだけを考えて,新聞以外には出てくるけれども,新聞には出てこないから,その字は除くということになると,やはり問題なのではないかと思います。

○金武委員

 新聞としては新聞の希望を出しますけれども,これから調査された場合に,全体の使用頻度と理解度というものが出てくると思います。それで上位に入るものについては,新聞でも多分そんなに違わないのではないかと思っています。

○甲斐委員

 「朕」は,確か昭和20年代後半に天皇陛下御自身が,自分はもう使わないというように宣言されましたね。それに対して,「御名御璽」の方は今でも官報によく載っておりますから,普通の新聞には出ないけれども,官報では日々出てくる漢字だと思うんです。その差があるかなと思います。
 ところで,教えていただきたいことがあるんです。最後に新聞界のまとまった要望と して三つおっしゃったんですが,その一つ目は何でしたか。

○金武委員

 まとまったというか,こういう意見があるということです。

○甲斐委員

 三つ目は人名用漢字で一字種一字体の原則。二つ目は固有名詞の漢字。一つ目は何だったのでしょうか。

○金武委員

 一つ目は,新聞で削除を決めた11字については,削除してほしいという意見です。

○阿辻委員

 その11字はどこに書かれていましたか。

○金武委員

 2ページの1981年のところです。

○阿辻委員

 拝謁の「謁」からですね。

○金武委員

 そうです。

○前田主査

 ただ今の御説明を受けまして,常用漢字表の見直しに際しまして,当然,新聞界でいろいろと検討されていることを参照することになると思うんですが,その点について,どういうふうにお考えかということで御意見を頂きたいと思います。

○林副主査

 最初に金武委員がおっしゃいましたように,やはり新聞というのは一番,常用漢字とも関係が深いし,国民的な影響が非常に大きいものです。また,独自の調査やお考えを持っているところなので,これまで具体的にどういうふうに,新聞協会の御意見を取り入れてきたのかは承知しておりませんが,やはり今回の改訂では,かなりコミュニケーションを取ってやっていくということが,非常に重要だなというふうに思いました。
 そのときに,是非いろいろ教えていただく必要があるだろうと思うんですけれども,今の削除する11字に関しまして,これは新聞でも,もう一度見直しもいいのではないかなと思うような字がなくはないんですね。氾濫(はんらん)の「濫」とか,それから,非常に限られているけれども,遵法の「遵」とか…。もし削除にしろ追加にしろ,実際の新聞協会での議論がどういうふうに行われているのか承知しませんけれども,ある程度そういう個々の字に関しては,これは一字一字大事でございますので,削除の候補としたり,あるいは付け加えるという理由なんかをいろいろ言っていただくと,ここの議論ともうまくかみ合ってくるのではないかなというのが今伺った印象です。

○金武委員

 これから用語懇談会で,個々の字種についてもすべて洗い直していくつもりですので,当然,まだこれ以外にも削除候補が出るでしょうし,あるいはここの11字から復活という意見も出る可能性はあります。

○林副主査

 さっきお聞きしておくべきだったのかもしれませんけれども,こういう見直しというのは定期的にされているわけですか。

○金武委員

 月に1回定例会をやっております。今年は『新聞用語集』を改訂するので,その見直しが中心でしたけれども,これが今年で終わりますので,来年からは常用漢字表の見直しを審議していこうかということになっております。

○林副主査

 そういうふうなスケジュールの立て方,例えば新聞というのは新しい字にどんどん対応していかなくてはいけなくなりますから,ある時には頻度が落ちても,ある時にはまた上がってくるということがあるわけですね。「拉致(らち)」などは,今,非常に頻度が多くなっている言葉ですが,これが例えば,しばらく前でしたら,「拉致」などという言葉はめったに使わないからいいだろう,というふうな判断も当然されてきたわけです。新聞の用語というのは,そういうわけで,新しい字にどんどん対応していかなくてはいけないという機動性,柔軟性というのが非常に必要なので,もしそれが,毎年定期的に見直していくんだとか,あるいは2年に1回ずつやるんだとか,あるいは,常時,そういうものは見直しているんだというような,そういうスケジュールの立て方があるのかどうか,今お聞きしたかったわけです。

○金武委員

 月1回の定例会というのは,もちろん一つの決まったテーマを議題として続けてやるわけですが,そのほかに必ず日々の事例と言いますか,新しく起こった用字用語関係についての問題の討議というのは常にやっております。その過程でこの字は,制限字であるけれども,もうルビなしで使おうとか,そういう意見が出てくることもあるし,過去も個々のものはそういうことで部分的に追加されていって,『新聞用語集』を改訂する時に,ここにまとめて挙げたというようなものもありますから,当然その時々に合わせて,用語関係は始終検討しております。

○阿辻委員

 新聞協会以外にも私たちが考慮すべき,こういうマニュアルと言いますか,作っておられるところはないんでしょうか。例えば,雑誌協会なんかはどうなんでしょうか。

○金武委員

 余り雑誌のことは詳しくないんですけれども,雑誌協会としての表記の基準というのは決めていらっしゃらないと思いますね。つまり,雑誌でも単行本でも一般の出版でもそうですけれども,これは基本的に著者の表記を大事にすると思いますので…。そうは言っても,雑誌記者の一般的な記事についての規定は各社それぞれにあると思います。

○氏原主任国語調査官

 日本雑誌協会では特に作っていないと思います。雑誌協会の中には表記委員会というのがあって,表記にかかわることについて定期的に意見交換を行っていますが,雑誌協会として,『新聞用語集』のような形のものを作っているということはないと思います。

○阿刀田分科会長

 雑誌であっても,やはり著者にゆだねない部分というのは相当ありますよね。そういうものは各社のマニュアルみたいなものがあるやに感じるんですけれども,現状では,それはもう末端に,つまりは各社にゆだねられているということなんでしょうか。

○氏原主任国語調査官

 はい,基本的に各社で表記のマニュアルを決めています。ただし,その大本は,当然, 常用漢字表になります。ただ,そうは言っても,新聞界に比べると,表外漢字の使用などについてはルビを使用したり,より柔軟な対応になっていると思います が…。

○林副主査

 NHKの用語委員会なんかとは,何か定期的な協議はされるんですか。

○金武委員

 NHKの用語委員会と直接的な協議はしませんけれども,NHKからの委員が用語懇談会に出ておりますので,情報は交換できていると思います。

○前田主査

 NHKの用語委員会は,今でもやっているんでしょうね。

○金武委員

 今もNHKはNHKで用語委員会があると思います。

○東倉委員

 先ほどの御説明の中に,読者の意見や要望といった,そういうようなお話がありましたけれども,これは何か傾向をとらえているということですか,用語とか,使い方とか…。

○金武委員

 新聞でも放送でもそうですけれども,読者や視聴者からの要望や意見は,しょっちゅう来ます。そのうちの用語関係を専門に扱っている部署がありまして,そこで,かなり多い意見であるとか,しょっちゅう来るような意見というものは,用語懇談会に取り上げられてくる。「班点(はんてん)」については代用漢字の「斑点」を使うたびに必ず来るというような報告が出てきますので,そういうものは,考慮しなければいけないんじゃないかということになるわけですね。

○松岡委員

 今,NHKのことがありましたけれども,ほかの民放とかはどうなんでしょうか。

○金武委員

 民放もみんな,それぞれの社に用語関係の部署がありまして,それぞれのマニュアルは作っております。それは『新聞用語集』をやはり参考にしていますので,大本では近いと思います。ただ,放送の方が新聞よりは自由度が高いです。

○松岡委員

 最近はニュースでも何でも,文字が音声と並行して出ることが多いですよね。それで,多分新聞はとても積極的に,自分から読まなければ目に入らないけれども,テレビなどは自動的にでも入ってくるから,結構影響が大きいんじゃないかと思うんです。
 この間も,「必要」の「要」が用事の「用」になっていたんです。それがぱっと出て,ぱっと消えちゃったから,ああ良かったと思ったんですけれども…。でも割にそういう,余り漢字の意識のない人にもどんどん入ってくるという影響力があるので,そちらの方にもちょっと目配りをした方がいいのではないかなと思っています。

○金武委員

 用語懇談会には放送関係の委員,アナウンサー出身あるいは現役のアナウンサーの委員もおりますので,そういう話題はよく出ます。新聞と違って,字幕というのは製作時間が短い。それで,新聞のように丁寧にチェックする機関がないところが多いので,どうしても間違いやすいということで憂慮されている。何とかしなきゃいけないということは反省しているようですから,だんだんとチェックが厳しくなっていくとは思いますけれども。

○東倉委員

 特に,ニュースでは「字が間違っていました」と後で訂正が入る場合が,かなり頻度が高いですよね。

○林副主査

 今,松岡委員がおっしゃったこととちょっと関係するんですが,やはり新聞というのは非常に影響が大きいというか,むしろ新聞が,こういう指針を基本にして守っていってくださるおかげで,常用漢字みたいなものが非常に定着もします。独自の判断が多少加わるにしても政策的な効果を発揮するということで,新聞は非常に大きいと思うんです。
 しかし,最近の若い学生たちを見ますと,新聞をだんだん読まなくなってきているんですね。前にいた大学は,割合,自宅通学の学生の少ないところなんですね。4,000人ぐらいの日本一大きい学生宿舎を抱えています。それから,周辺のアパートなんかで暮らしているのが大半ですけれども,アンケートを取りましたら,新聞を取っているのは確か30%とか,それぐらいなんです。
 それから,今の大学に移りまして,この間,授業中に,何げなく「毎日,新聞読んでいる人,手を挙げてごらん。」と言ったら,40人ぐらいの中で1割いるかいないかという,もうそんなところなんですね。では「テレビのニュースは見るか。」と言ったら,テレビのニュースは手を挙げるんです。でも,それも,毎日ちゃんと定期的にニュースを見てはいない。新聞は,そういう面で若い人たちにだんだん読まれなくなっています。一方で,松岡委員のおっしゃったようにテレビの文字で言えば,字幕とか,それからパソコンは,だんだん使うようになってきていますので,学生たちは,新聞を見る前に,こういうので何かあると見ていると思うんですね。
 結局,かなり国民的な,言わば情報源というのが拡散,多様化して,しかも文字に依存する度合いも若干低下している。そういう事態も,やはり我々としては,これから非常に注意していくべきことだなというふうに思いました。今までは,紙の新聞に非常に依存しているところが多かったんですけれども,学生なんかには明らかな変化がございます。

○東倉委員

 ちょっと今の御意見に関連してなんですが,ネットのニュースというのはどんどん普及してきて,各新聞社が持っているオンラインのサイトがありますね。ネットの方の文字というのは,いわゆる新聞の文字に統一されているんですか。

○金武委員

 新聞社が提供しているニュース番組はネットで流れていますけれども,それは,新聞の表記で出しております。

○東倉委員

 それで,コントロールが利いていないのが,いわゆるほかのベンダーがいろいろやっているニュースで,そちらの方が若い人には利用度か高いんですよね。そこからニュースを見る。ヤフーとかグーグルとか,もっと最近はいろいろなものがある。しかし,その辺りというのは,新聞の表記からは多分外れていると思いますので,その辺りが今後,非常に大きな影響を持ってくると思います。

○前田主査

 時間もそろそろ来ましたので,この問題は,後でまたいろいろ議論していくことになると思います。その際には,金武委員からもまた御意見を伺いたいと思いますので,どうぞよろしくお願いいたします。

○金武委員

 用語懇談会側からも機会を見て,国語分科会の先生方か,あるいは事務局から御意見を聞きたいということがあるかと思います。

○前田主査

 どうぞよろしくお願いします。
 それでは今,情報の問題の方にもいろいろと質問,意見が出ておりましたが,この後は東倉委員の方にお話をお願いしたいと思います。

○ 東倉委員の説明

 それでは,このたび取り組む課題の一つに,「情報化時代に対応する漢字政策」ということで,「情報化」が付いていますので,情報化というものをどういうふうに考えたらいいかということで,「1.情報化の現状」を立てました。そういう情報化の中で言葉ということがどういうふうにかかわりを持ってくるかということを中心にお話ししたいと思います。情報化社会というのは,今現在,非常に動いている社会でして,金武委員のように系統的なお話はなかなかできないので,私が見る情報化社会と,私自身も情報化社会の波の中に絶えず身を置いていますので,その辺りから見ていきたいと思います。

 それで,情報化の現状というのは,これはいろいろな統計的データから取ってきたものなんですけれども,今,日本政府は「e-Japan」から「u-Japan」というふうに,大きく情報化社会の政策を発展させたわけですけれども,e-Japanというのはインフラ整備です。これは,ブロードバンドということを中心に,非常に高い目標を掲げて,光ファイバーをできるだけ引いていこうということであります。これが予想より,こういうことは珍しいと思うんですが,政府の目標よりもどんどん早まって,インフラが整備されました。ですけれども,ここには細かく書いてありませんけれども,それが使われているかというと,これはe-Japanの反省になるんですけれども,非常に使用頻度が低かったのです。そこで,この利用を活性化しなきゃいかんということで,その取組の中心になったのがu-Japanです。

 そういうことで,u-Japanでは「いつでも,どこでも,何でも,だれでも」ということで,これはユビキタスネット社会と総務省は呼んでいますけれども,ユビキタスというのも,どのぐらい国民に浸透したかが分からない部分がありますけれども,確か国語研究所の外来語言い換え提案(第2回中間発表)では「時空自在」でしたか,これは何かいろいろ意見があったということで,最終的にこういうふうに言い換えますよという用語集の中では一応保留という格好になったと思います―それでよろしいですか。それで,どちらにしても分かりにくいなということに多分なったのだったなと記憶しています。

 そういうことで,インフラとしては,ブロードバンドとモバイルという,いわゆる移動ですね。こういうことになって,それがどんどん浸透しつつある。携帯端末の契約数というのはもう9,300万台弱になりまして,これは6月ですから,今は,もうこの数字を超えていると思います。それから,パソコンの出荷数というのは,ここ数年,年間100万台を超えている。世帯普及率は7割超になってきた。インターネット利用人口等の統計をとってみると,約8,500万ということで,インターネットをパソコンから使っている人が6,600万,携帯端末から利用している人が6,900万ということで,携帯端末からの利用がパソコン利用と逆転しているというのは,日本の特徴です。こういう状況にあると,両方使っている人がかなりいるわけですね。これはちょっと話がそれますけれども,インターネット依存症というようなことも社会的には問題になっています。

 ビジネスや生活の中で情報化というものがどんどん進んでおりまして,インターネット導入企業というのは,もうかなりフルに近づいている。「個人のインターネット利用」と書いてありますが,ちょっと表現が正確ではなくて,インターネット利用をしている人の中で,どのぐらい利用しているかというものの統計がここに書いてありまして,毎日利用が平均で5割ぐらいいます。パソコンでは5割弱で,携帯では6割ということで,携帯の方が多いということですね。手軽にどこでもインターネットにアクセスできるということだと思います。

 教育ということも,この漢字の問題に深くかかわっていますので,教育を取り上げてみましたけれども,教育の情報化というのはインフラが先行して,小学校にもどんどんもうネットワークを敷かなきゃいかんということになりました。これは最初,非常に貧しい状態だったわけで,それを強化しようということで,できることを先にやったわけです。現状を見ると,これは利用がまだ促進されていない代表でありまして,例えば学校のホームページの更新状況が挙げられます。どこの小学校にもホームページのないところはないぐらいホームページはあるんです。ところが,年間の平均更新回数というのは17.8回と多いように見えるんですけれども,年間300回以上更新する学校がある一方で,全体の約43%が更新回数が7回以下ということで,2か月に1回ぐらいしか変わらないんですね。それも本当に一部しか変わらないという状況にある。私も,ちょっと小学校の,この情報化にはかかわっているんですけれども,内情というのは,それをやる先生方に時間がないということなんですね。それがもう一番大きな理由です。

 次に「2.情報化の特徴」を御説明します。情報化,インフラ中心に今現状をお話ししましたけれども,この特徴というのは,利用形態がかなり今変わってきているということです。それで象徴的に言われるのが,利用形態が「r」から「r/w」へ変化している。「r」というのはread,「w」というのはwriteの世界ですね。つまり,今までは見るだけ,読むだけという世界だったのが,両方やるようになってきた。読み書きと,書く方が強調されているのが,今「Web2.0」と世の中で言われている,本当に専門知識がなくても,インターネットにどんどん情報が発信できる時代に入りましたということになるわけです。

 ですから,具体的に言いますと,ウェブ閲覧,電子メール,電子掲示板,ブログ,ソーシャル・ネットワーク・サービス,それから,ネットショッピングというように利用形態が多様化してきた。したがって,さっきの新聞の話になりますと,情報を読むということは飽くまで新聞やニュースの情報を読むということなんですけれども,それだけでなく,どんどん書き出したということがあります。今一番代表的なものはブログなわけですね。本当にたくさんの人が書いた文章がインターネットの中にどんどん出され,日々変化している。その中には,間違った漢字と間違った表現というのがかなりあって,多くの人たちがそれをまた読むということで,かなり負のフィードバックの要素が出つつあるというふうに私は見ています。

 それから,それも含めて情報爆発,あるいは洪水とか,氾濫(はんらん)とか言われるんですけれども,これが加速していまして,象徴的に言いますと,1年間で生み出される情報の総量というのは,全世界で1エキサバイトだと言われています。この「エキサバイト」というのは余りなじみがないかもしれませんが,これは,「ギガ」の10億倍でして,1000倍ずつ,「ギガ」「テラ」「ペタ」「エキサ」と来て,次が「ゼタ」「ヨタ」と,こうなるんですけれども,だんだんと,これまでは使われなかった単位が出てきます。しばらく前まではギガぐらいで十分だったんですけれども,今は,コンピューターのペタコンピューター,文部科学省が推進して世界で一番早いコンピューターを作ろうというプロジェクト「ペタコンプロジェクト」というのが走っているんです。これは1,000億円レベルの予算を投入して総力を挙げてやろうということで,今はペタ時代なんですけれども,情報としてはもうエキサ時代に入りつつあると認識しています。それで,今後2年間で目にする情報量と,いろいろ新しく出てくる情報量というのは,人類が過去に目にした全情報量よりも多いと言われています。そのぐらいエクスポネンシャル(exponential)に,つまり急激に情報が増えていきます。グーグルでも80億ページを検索するということです。

 しかしながら,この情報爆発ということの中での問題は,探したい情報が探せないということにあります。どこかにはあるが,どこにあるか分からないという状況にあるわけです。したがって,探していた情報というのが本当に探せたかというと,探せた気になっているだけでして,もっといい情報がどこかにあるという状況でもあるということが断言できると思います。

 それから,情報というのは価値を持つという,「物が財物」の時代から「情報が財物」の時代へということになってきている。したがって,デジタル財というものの知的財産権というようなものが非常に複雑化してきた。デジタルというのは,媒体と情報とが切り離せるというところが,非常に今までと様子が違うわけです。

 2ページ目の「3.情報化と日本語」に行きまして,こういう情報化の中で,日本語がどういう局面になっているかと言いますと,ここの議論で出た話題も幾つか入っていますけれども,ワープロ,パソコンによる文書作成というのが普及したと言えます。仮名漢字変換,スペルチェック,文書テンプレートや用例などの機能を利用するというようなことが,かなり進んできた。それから,電子メール,ケータイ言語というようなものが登場しまして,これはできるだけ早く,できるだけ短くという,いわゆる時間節約,通信コスト節約という,そういう価値観で作っている言葉ですから,当然,特殊な言語になります。絵文字によって非言語情報の文字化もしようというようなことも,私なんか絵文字がなかなか使えませんけれども,若い人から携帯にメールが入ると,もう一杯絵文字が付いているということで解釈に困る場合もあります。印刷を前提としない文書作成ということで,携帯だけではなく,チャットやパソコンメールというのもそういうことになります。

 さらに,ブログの登場ということで,これはもう最近急速に登場していますけれども,情報生成,コンテンツ創成というのが非常に簡易化されてきた。今,象徴的に言われているのが1億総クリエーター時代ということです。だれでも自分の文章やその他の情報というのをクリエイトできる。ブログの言語というのは書き言葉と話し言葉の中間―中間というか,それとは違うものだということですね,両方の性質を持っている。また,書かれた話し言葉というものに近いのかもしれないというような状況になっています。

 そういう中で,全世界のインターネット利用者の言語人口というのは,英語が36.5%,中国語が10.8%,日本語が9.7%ということで,これは要するに,インターネットを使っている人口が,つまりどこの言語に属しているかというのものの比率です。これに対して,ウェブの中のコンテンツの言語の比率というのは,統計を取ると英語が約7割弱,日本語が5.9%ということで,日本語は2位になっています。これは,ウェブの中での情報量としてです。ドイツ語が僅差(きんさ)で続くというような状況で,インターネットを使っている人の比率,人口の比率9.7%よりは5.9%というのは落ちるんですけれども,世界のウェブ言語としては健闘している。特異現象としては,ブログの記事数というのが,最近のアメリカのある雑誌の取ったデータでは,日本語の記事というのが,37%で1位になっているということで,これは恐らく日本人の携帯利用頻度の高さ,インターネットのアクセス,携帯でどんどん文章を打ち込んでいるということがあるということです。

 それから,ちょっとさっき言い忘れましたが,最初にワープロ,パソコンで文書を作成して,それがインターネットともつながることになって,文字のテンプレート,用例だけを利用するだけじゃなくて,ウェブ上にある情報のある文も,そのまま利用しちゃおうということが起きます。これは学生のレポート作成などでは,そういうことがしょっちゅう起こるわけです。そういうことで,自分が作ったオリジナリティーのある情報と同じものをだれかがコピーしていないかというようなことを,非常に高機能にチェックするソフトウエアもだんだん開発されつつある。ですから,非常に短い単位のマッチングだけではなくて,例えば,いろいろと入れ子になった文章を置き換えたりとか,そういうことをうまく類似尺度で,これとこれはこのぐらいの類似率があるというようなことが言えるようになりつつあります。こういう状況に対応したチェックソフトができつつあります。

 こういう時の課題として,筆記からパソコン入力へということで,手書きの機会というのが非常に減少したということは,この委員会でも再三取り上げられている話です。これは「書く」から「選ぶ」ということになってきて,手書きできない漢字もパソコン利用では書ける,選べるということです。「書ける」というよりも「選べる」ということになってきた。しかし,これは人間の脳の機能まで関連する問題でありまして,漢字を「書く」と「選ぶ」では,使用する脳の機能や活動が明らかに異なるようです。これは,脳の中のどこが活性化しているかということを,脳活動計測でやるとすぐに出てきます。

 それから,漢字の学習・記憶には,手書きでやる場合には,視覚とともに手先の運動がかかわるわけですね。今の手書きで覚えるということは,脳の中では,視覚と運動を関連付けて漢字を記憶しているということになっています。したがって,漢字の想起でも,脳の運動系が活動するんですね。漢字を思い出すときに,実は頭の中では手先を動かしたような,そういうような活動が一部見られるということです。漢字を想起する「空書」で,指先が動くというようなことというのは,実際に日常生活で経験することがあるし,実験でも確認されている。漢字にかかわる脳の部分が損傷した人でも,指が動くということがあり,これは運動系だけが切り離されて残っているというようなことが起こっています。文字が全く読めない失語症の「純粋失読」というのは珍しいんですが,それでも文字をなぞると回復する場合があって,運動から刺激をするということによって回復する。こういうことは,いわゆる運動と視覚ということが一緒になって脳の中で働いているということになると思います。

 これは,実はこういう文字を書くということではなくて,ここ数年の脳科学の発展の中で,非常に面白い現象としては「見まね学習」というのがありまして,ある動作を見て,自分の手ならこう動かしたらいいかなということを,自分で動かしてみなくても学習するんですよね。ですから,そういう動作の学習というのは,それぞれ見まねで学習できる。したがって,学習がちゃんと成立すると,相手の手の動きを見ただけで,見た人の脳の中では,自分の手を動かしているのと同じような脳活動が起こるということが観測されています。最初は,これは仮説だったんですけれども,解剖学的にも証拠が見付かりまして,これを「ミラー・ニューロン」といって,いわゆる鏡のニューロン,相手の頭の中にあるニューロンがこちらに反射して鏡のように写っているんだと,そういうような非常に面白いことが分かってきました。そういうことで,手書きがなくなるということは,脳活動に何らかの影響があるということは間違いないと思います。仮名漢字変換機能の利用が普及して,漢字を書く脳の機能を使わないということになって,その機能が退化して,漢字を忘れる,思い出せないということが起こってきます。書ける,すなわち筆記できる漢字と読める漢字が乖離(かいり)してくると思います。

 私はここのところは,よくまだ承知していないんですけれども,筆記できる漢字,書ける漢字がこういうことで減っていくということは理解できるんですが,読める漢字がどのように変化しているのかということというのは,そんなに今統計があるのかどうか,この辺りについて,御存じなら教えていただきたいと思います。読める漢字が難しい字を目にするごとに増えているという状況は,書ける漢字との乖離が進んでいるということです。

 それから,日本語の文章というのは,人にもコンピューターにも,仮名漢字混じり文の方が読みやすいということになっています。これはコンピューターによる日本語解析で,形態素解析,単語などをある単位に区切るわけですが,これが基本になるわけですけれども,例えば,「もうすぐ」「冬」「が」「始まり」「ます」ということで,これは形態素に分かれているわけですけれども,一区切りの構文解析になると,「もうすぐ」「冬が」「始まります」とこうなって,これを見ても分かるように,いわゆる漢字のところで区切れているわけですね。ですから,今のコンピューターはもっと高級なことをやっていますけれども,初期の段階では,コンピューターでも仮名と漢字の区別があるので,日本語表記の中での漢字の特徴というのが十分利用できたわけです。我々も,この仮名系列ということを見ると,それが漢字が交じっているよりも分かりにくいと思うわけです。

 仮名系列の日本語解析ということを無理やりやったのが,仮名漢字変換ですけれども,仮名漢字交じり文よりも解析が難しくて,したがって,誤変換というようなものが起こりやすいわけですね。変換ミスコンテストというのも毎年開催されていて,「海外に住むことになりました」が「貝が胃に()むことになりました」と,どこで区切っていいか分からないから,こういうことになるわけです。

 それで,既存文章のカット・アンド・ペーストによる文章作成,これはさっきちょっとお話ししたのですが,こういうことが多様されて,故意又は無意識の盗用ということで,そのうち自分でもどれがオリジナルなものであるのか管理できなくなってくるという状況が起きつつある。

 それで,こういう状況の中で,情報をどうとらえたらいいか,ということを3ページ目の「4.情報化とは何か」で御説明します。これはかなり私の考え方が入っていて,ある部分についてはコンセンサスが得られていますけれども,一番上の方に書いてあるのは情報化のサービスのビジネス,生活やビジネスの利便性,効率性の向上,生産性,経済性,情報技術,最近は「IT」じゃなくて「ICT」と訳すことが増えてきましたけれども,インフォメーション・アンド・コミュニケーションという「コミュニケーション」を入れているわけです。これは,もういろいろなレベルで,情報通信技術,情報化社会の効用というのが声高らかに言われているわけです。これには,人間にとってどうなのかということの見方というのがなかなか少なくて,ICTを利用して人はどうなるかというときに,感覚,知識,コミュニケーション,行動などの人間の能力というのを,ICTを使って,人とICTが組みになることで拡大・向上できるというわけです。これは,ある種,表層的な見方をするとそうなります。それで,距離,時間,場所の時空間の壁を超えた感覚やコミュニケーションの拡大ということも起こっているわけです。仮想的に行動が拡大するということで,これは非常に分かりやすく言うと,分身の術というのができるようになって,会議をやりながら携帯のメールをちょこちょこっといじったり,一瞬では分身にはなれないわけですけれども,ちょっと長い時間を取ると,ここにいながらあちらにもいるというようなことになります。

 それから,情報や知識の地球規模の共有というのが起こりつつあって,昔は自分や仲間の頭脳を使うのがせいぜいだったんですけれども,現在は全地球が一つの頭脳へという,象徴的に言うと,こういう時代を迎えつつあります。非常に重要なのは,人と情報の相互作用による知識の創造というようなことが,上手な利用法として起こりつつあるのです。すなわち,検索の情報を取ってきて,それを見てああそうかというだけじゃなくて,その検索で取ってきた情報から新しいことを着想して,また検索ソフトに働き掛ける,そういう相互作用でどんどん新しい方向に向かってくる。そういうことをうまくやるための検索技術はどうしたらいいのかというのが,最近非常にホットな話題になっています。

 それから,情報のデジタル化ということが非常にこれは大きな影響を与えていまして,真贋(しんがん)の区別ができないコピーというのが出てきたわけです。情報がデジタルである以上,あるものをデジタルにした途端,デジタル・クローンという,そのもの自体が複製されるということは,もう覚悟の上でやらなきゃいかんということになるわけです。無限の再生が可能になったのです。ですから,今度は,技術で再生できないようにコピープロテクトをしたり,そういうことで何とかしのいでいるわけです。それから,デジタル財の知的財産権,デジタルコンテンツの流通が大きな課題になりつつある。余りそういうことを気にすると,利用を妨げるわけですね。今,非常に難しい業界になりつつあります。

 それから,従来の技術に比べたICTの特異性ということに注目しておかないといけない。すなわち,(1)にあるように,ある情報というものの伝達速度というのは,けた違いに早くなりました。昔は月や日の単位だったんですけれども,今は秒以下の単位になってきた。あっという間に,ぽんとキーボードをたたいた途端に,全世界に行ってしまうということがあり得るわけです。今メールの誤送信の問題というのが,非常にいろいろな問題を引き起こしています。あるところに送るつもりが全員にメールで流しちゃったとか,とんでもない情報だったとか。それから,(2)にあるように,情報伝達の範囲がけた違いということで,身の回りとか,地域とかの規模から,地球規模に変わりました。それから,(3)にあるように,これは非常に大きな問題で,情報通信技術というのは,我々の知的活動に影響を与えてくるということがあります。今までの技術というのは物理的な関係だったんですが,それが心理的・生理的な関係に変化してきた。それから,この伝達速度が早いために,動き出したら止まらない摩擦のない世界と,それから動きの影響が未知の世界に我々は住んでいるというような状況が起こりつつあるのです。

 それからもう一つ,現実社会とネット社会が融合して,相互作用をし始めた。従来には存在しなかった事象が生じる未知の社会になってきた。例えば,拳銃の製造法というのがだれの手にも入ったり,爆弾の製造方法が手に入ったり,それはネット社会にある情報というのが現実社会に来て,それが人間によって,ある種の行動を引き起こす。それから,ネット自殺などという,非常に特異なものがいよいよ出てきている。

 それで非常に重要な視点は,ICTは光と影の両面を持つということでして,光の面というのは強調されがちなんですけれども,影の面というのが非常に重要な視点になってきています。光として得るものがあれば,影として失うものがあるということで,筆記からパソコンへの移行による漢字処理能力の低下というのは,失うものの一つだというふうに考えられる。ICTや新サービスの商品化・販売・使用に関して「何を得て何を失うか」ということに関するインフォームド・コンセントが必要です。知らないうちに,例えば非常に悪いケースは,いい面だけを知って使って,結果的に悪い面が出たと,そういうことでは困る。情報というものを考えてみると,薬と同様に扱うことが重要だということで,これは作用と副作用があって,生理的・心理的に全身に働き掛けるという説明が必要なのです。時には,専門家の処方せんが必要であるし,内容に応じた管理が必要です。子供の手の届かぬところ,十分な試用を経て実用に供するというようなことは,情報にも薬にも共通するところでしょう。

 今後の情報化社会,情報技術の課題として,光と影のコントロールというのが非常に大きな課題になっています。光を最大にして影を最小化するということは,非常に勝手な考え方かもしれませんが,これを何とか達成しなければならないと思います。いずれにしても,どういうふうに使うかというのは,これを作り出した私たちと,使う私たちの責任と能力に依存しているんだということでして,これから情報化はどんどん進んでどうなるか分からないというんじゃなくて,やはりどうするかという視点を持たないといかんということが,非常に重要な時代になっていると思います。ですから,今ここで漢字問題ということについて,これを当てはめると,情報化によって漢字についていろいろな変化が出てくる。それがどうなるかというよりは,それをどうするんだという視点が重要じゃないかなと私は思っています。

○前田主査

 「情報化」ということが,今度の検討の重要なポイントにもなっておりますが,その具体的なことについては分からないところも多いわけですけれども,ただ今の御説明で随分整理してお話しいただきました。最初にまず今の説明,この資料につきまして,何か疑問の点がありましたら質問していただきます。

○東倉委員

 触れるのをちょっと忘れましたが,こういう情報機器の利用に対しては,まだ世代差や地域差など,幾つかのディメンション(dimension)で,今かなり開きがあると思います。これが,恐らくあと10年で大分狭まって,20年でかなり均一化されるだろうというような見通しがあります。

○阿辻委員

 東倉先生がいらっしゃる国立情報学研究所というのは,そういう情報社会に対する研究をされるのか,それとも具体的な技術とかというようなことを主眼に置いていらっしゃるのか,国立情報学研究所という組織について簡単に教えていただけませんか。

○東倉委員

 これは,やや変わった組織でして,「情報学」という余り聞きなれないことを標榜しているんです。その意味は,今,阿辻委員が御指摘の情報の持つ技術的な可能性,サイエンスとしての情報の持つ新しい部分ということを明らかにしていくと同時に,それが社会に対してどう影響して,情報化社会がどういうふうになるかといった,技術的な面だけではなくて,社会システムや人間とのかかわりにおいて,どうして行かなきゃいかんかというようなことまで含めてやるということで,非常に幅広い領域の研究をしています。

○阿辻委員

 ある意味では,哲学的な認識の下に,研究していらっしゃるということも言えるということですか。

○東倉委員

 そうですね。哲学とまで言うと,そこまで断言する自信はありませんけれども,社会学者,法律学者など,そういうジャンルの人が中心メンバーとなっています。哲学者の先生なども,我々は時々お呼びしてお話ししているという状況です。

○阿辻委員

 なるほど,分かりました。

○甲斐委員

 大変に話が面白かったです。最後の「どうなるかでなく,どうするかが重要である。」というのは,私もそう思うんですけれども,東倉委員の場合,例えば読める漢字と書ける漢字という二つの分け方よりも,場合によったら,もうすべて書ける漢字で行った方が,今の若い子供たちが大人になった時に良いのではないかという,お考えなんでしょうか。

○東倉委員

 「どうするか」というのは,今までどおりのようにするという意味ではなくて,ちょっとさっき触れましたけれども,情報化でこういう影響が起きる,その影響というのはこうこうこうだから,ここまでは,許容していいんだということをよく理解してということになります。
 今,漢字というのは仮名漢字変換とかパソコン,情報機器の利用とかで書けなくなってきつつある。それが全部書けなくなっていいのか。非常に極端な考えもあるわけですね。20年たったら,みんなパソコンを使うんだ,だから,漢字はパソコンに任せていいだろうという考えも成立し得るわけです。けれども,そこのところは私はそうじゃないと思っているんですね。やはりある部分,基本的に書けるという教育と,そういうことによる我々の中の脳の,いろいろな機能の連携というようなことというのは,恐らくほかの知能にも影響しているだろうと思うんです。そういうことが分からないまま,どんどん情報に流されるということはいかがなものかなと考えています。
 ですから,あるところで書くことに対して,ここまでの努力はしなきゃいかん,必要なところというのは維持しなきゃいけないだろうと思います。しかし,そこだけを守って,いろいろなところに不都合が生じるということでは,また困るので,いわゆる基本的な,ここで言うと光の最大化と影の最小化ということが言えるかどうか分かりませんが,光の最大化というのは,いわゆる「読む」と「書く」ということの両方を考えて,一番使いやすいというか,こういう実情を認めてもいいという実情の中で,最大効果が発揮できるというところであるだろうし,同時に影の最小化を目指していくという,基本的なところは持っておかなければいかんということじゃないかというように思います。

○前田主査

 何かもう,質疑というよりは情報化時代のとらえ方の方に入っているような感じがしますので,もし内容についての質問がなければ,御意見の方をお伺いしたいと思います。

○松岡委員

 昨日頂いた,この前の議事録を読んで考えてきたことと今の東倉委員のお話とが,何かぱっと一致したような気がするんです。前回,欠席してしまったので,議事録を読んで議事の進行の経過を知ることしかできなかったんですけれども,再び大きな全体の問題に立ち返ってというようなところで,前回終わっていたように理解したんです。
 やはり,なぜ今ここで漢字の問題,常用漢字表の問題が出てきたかという,その背 景と必然性と現状というのが,全部一緒になっている。それは今,東倉委員がおっ しゃったように,やはり情報化の問題で,私たちを囲む,私たちが現在接している文 字,言葉,特に我々にとっては漢字ですけれども,その状況が大きく変化してきてい る。そうなったときに,私はぱっと,前回の議事録を読んで,もう「漢字新時代」という とらえ方を積極的にしていくべきではないか,それがたまたま今,東倉委員のおっ しゃった情報化社会の光の最大化というところに行くんじゃないかと思ったんです。
 私自身が国語教育を小学校のころ受けた時期というのは,もうごく当然のこととし て,読めて,書けて,しゃべれてというのがすべて一つだったわけですよね。それが 分裂していくということは,全く予想だにしなかったんだけれども,今はもうどんどんそ うなっていっている。それだったら,もう本当に読める漢字,体を使って書くことを楽し む漢字,音読して楽しむ漢字,それから例えば「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」みたいに 書けないけれども,でもあの字のイメージというのは,平仮名で「ちみもうりょう」と書 いたのでは到底キャッチできないような面白いイメージが字そのものから出ている。 書けなくても読める字ということを,またそのレベルで楽しむという,その様々のレベ ルを一人の人間なり一つの世代なりが積極的にとらえていくという方向に向かったら いいのではないかと思います。
 非常に今雑駁(ざっぱく)な話になってしまいましたけれども,基本的な姿勢としては,その方向で行くのがいいのではないかというふうに,前回の議事録を読んで漠然と思っていました。そして,今,東倉委員のおっしゃた「光の最大化と影の最小化」という言葉と何か一致したように感じたので,ちょっとお話ししました。

○阿辻委員

 氏原主任国語調査官にちょっと確認をしたいんですが,Windowsの新OS「Vista」という名前の新バージョンが,日本語でできていましたね。来年の発売だという話が新聞なんかに出ていたんですが,あれは,表外漢字字体表のフォントが全部搭載されるという予定ですよね,確か。

○氏原主任国語調査官

 はい,そうです。

○阿辻委員

 そうですね。JISは0213のフォントが搭載されるということですか。

○氏原主任国語調査官

 はい,平成16年に改正された「JIS X 0213-2004」に基づくものですね。

○阿辻委員

 第4水準まで,使えるということになるということですか。

○氏原主任国語調査官

 はい,第4水準まで使えます。

○阿辻委員

 その新しいWindowsのOSが来年発売されて,1年,2年,今後新発売のパソコンもそれが普及してくるということですから,現在,例えばよく言われるおう外の「鴎」とか,冒とくの「涜」とかという,これまでパソコンで散々問題にされてきた漢字は,今後新しいOSが普及していくにつれて,ほぼ解消されるというふうに考えていいですか。

○氏原主任国語調査官

 そうですね。今,OSの主流はWindowsXPですよね。以前マイクロソフトの方に伺ったら,今使われているOSは,98を使っている人もいるし,2000を使っている人もいるわけですが,既に6割以上はXPだそうです。Windows Vistaでは,阿辻委員がおっしゃったとおり,表外漢字字体表の「印刷標準字体」がそのまま出るようになります。実は,その時にXP搭載のパソコンでもダウンロードできるようにするそうです。要するにXPの使用者にも同じフォントが提供されると聞いています。それで,どれだけダウンロードされるかということはありますが,多くの人がダウンロードすることになれば,国語審議会答申の表外漢字字体表に示されている「印刷標準字体」がかなり一般化して,文字どおり標準として利用されるようになると思います。そうなれば,これまでの表外漢字の字体問題もほぼ解消するだろうと考えています。

○阿辻委員

 現状で,ジャストシステムが提供しているのと同じような形になるのでしょうか。

○氏原主任国語調査官

 恐らくそうだろうと思います。

○阿辻委員

 結果的には,今おっしゃったように,これまでよく問題にされた事柄は,時間とともに解消されていく方向になるということですね。

○氏原主任国語調査官

 はい。

○阿辻委員

 今回の新しい常用漢字表を考えるときに,それはやはり大きく参考にすべきことではないかなという気がするんです。情報をめぐる問題で具体的に,実際ハードとして提供されてくるソフト,何か変な言い方ですけれども,それは着実にこれまでの問題を解消しつつあるなというのが実感なんです。それで,今この資料を見せていただきながら,もう本当にブロードバンドが,これからどんどん普及してくるに違いないので,来年,特に漢字の字種を考えていくときに,新しいコンピューターでどうなっているかというのが大きな点になってくるんじゃないかなという感想を持ちました。

○前田主査

 そういう点で,情報化時代のとらえ方は非常に問題ですね。少し先を見越して考えておかないと,ここで決めたことが的外れ,時代遅れになっちゃうということになりかねないですね。

○東倉委員

 昨日の国語分科会での「敬語の指針(案)」でも,情報化のところがちょっと半ページぐらい触れてありましたね。あそこで,余り踏み込まなかった理由は,いわゆる今後まだまだ変わり得るからということだったんですけれども,やはり私は,敬語より漢字というのは,先に情報化の影響を受けるものだと思います。ですから諮問の中でも「情報化」というのは,漢字の方にだけ付いていると思うんです。やはり先を見越しておかなきゃいけないのは,漢字の方がより強いかなと思います。

○林副主査

 東倉委員のおっしゃるのを伺って,感想めいたことで恐縮なんですけれども,やはり言語を載せる手段は非常に発達してきているんですけれども,それに載せるにふさわしいと言うのか,それとうまく合った言語,文字を含めて,それをどうしていくかというのは,本当に本質的な問題だということが,今まで以上に迫ってきたという感じがいたします。  文字に関して言うと,文字以外にも言えることかもしれませんけれども,非常に昔,例えば平安時代はどういう生活をしていたかということを考えてみたいんです。現在は,完全に情報の伝達の範囲,スピードが広がってきた。昔は目の前の人に話をするとか,手紙だって手で書いたものをだれか人が届ける。だから,何か起こっても活動の範囲が非常に狭かったんです。けれども,現代は本当にグローバルになってしまった。だから,どういうことが起こるかというと,もし言語が混乱し始めると,これは非常に広い範囲に,非常に加速度的にそういうことが広まって起こることになる。そういうことを予想しながら,この言語の政策というのは,つまり,これまでと違う,どういう配慮が必要かということを考えていかなきゃいけないんじゃないのかなというのが,東倉委員のお話を伺って強く感じたことなんですね。  政策の点で言うと,先ほどブログの言語なんかで話し言葉と書き言葉,中間的な言語が認められるというのをおっしゃいましたが,特に常用漢字というのは余りインフォーマルなコミュニケーションには,そんなに影響しないだろうし,基本的にそこまでこれを押し付けるという考え方ではないわけですね。むしろ国民の共有できる,そういう手段としての言語,フォーマル,インフォーマルということで言うと,フォーマリティーの高い,ある程度以上のものを想定してこういうものを作ってきた。ところが,こういうネット社会で発生してくる言語の中には,フォーマリティーはそんなに高くないが,インフォーマルとまでは言えない,そういうレベルの中間的な言語が出てくる。そういうものに対して,果たして我々の考えているようなものは,どういうふうに影響させるべきなんだろうかと思います。さっきの新聞記事もそうですけれども,いわゆる有力新聞が出している,こういうネット上での記事と,それ以外のところがどんどん提供しているような記事との,言わば質的な違いと似たような現象が,いろいろなところに起こってきている,そういうものに,これは一体どういうふうな姿勢で臨んだらいいのかなという,かなり難しい問題に改めて気付かされたなというのが,伺った感想です。

○東倉委員

 今のにちょっとコメントさせていただきます。これは放送の問題になってくるわけですけれども,全員が放送局になれる。新聞も同じなんですよね。全員が新聞社になれる。実際,非常に人気のあるブログというのは,ものすごい読者がいるわけですね。ですから,そういう意味で,今おっしゃった点というのは,非常にこれから大きくクローズアップされてくるだろうと思います。  2004年に,アメリカで,あるボランティアの研究者たちが,ネット上で見られるフラッシュムービーで,10分ぐらいの未来を見通した映画を作りました。いわゆるメディアというのはどう変わるかということを,面白くドキュメンタリー風に10分の映画に仕上げたんです。それは,EPIC2014と言いまして,「EPIC2014」で検索していただくと,そのムービーをパソコン上で見られます。それで何を言っているかと言いますと,まずアマゾンとグーグルが合併して「グーグルゾン」になる。そのグーグルゾンが,すべてのユーザーの個人志向とか,行動とかコミュニケーションとかいうものを非常にうまく把握して抽出し,その人に応じた情報を提供する。したがって,いわゆるボランティアから,非常に権威のある情報源まで,すべてをうまくミックスして,どういう情報が欲しいかというのは個人配信になるんだというものです。そして,ある時,ニューヨークタイムズがグーグルゾンを訴えて裁判をやるということになるのですけれども,ニューヨークタイムズが破れて,それで最終的にニューヨークタイムズがオンラインサイトを閉鎖して,インテリ向けの紙の新聞を,細々とやり続ける新聞社になる。ざっとそういうような筋書きになっているんです。ですから,それは非常に極端な,面白く作った一つのシナリオなんですけれども,そうはならないにしても,非常にメディアの世界に大きな影響が出てくるだろうというふうに思います。

○林副主査

 「書く」ということなんですが,やはりこういう状況の中で,ただ文字を習得するということとはちょっとまた別の問題として,我々が日常生活の中で「書く」ということはどういう意味を持ち,かつどういう意味合いで,書いて伝えるということが重要かという点については,ある程度,言わば見識を示すような答申にしたいなと思いました。例えば,メールでやり取りするのとはまた違って,いわゆる肉筆で伝達をするということの重要性とか意味合いとか,そういうものについて,やはりある程度見識を示すような,そういう答申にしたいなということはあります。  それから,もう一つは,文字の習得についてちょっと触れられましたけれども,日本の漢字に関して申しますと,いわゆる字形を覚えるというのと,それから,音とか意味とか使い方を覚えるということとが,実は相互に関連しながら,ちょっと別の面を持っております。字形というのは漢字の構成から昔,漢字で六書(りくしょ)ということを言って,象形とか指事とか会意とか,ある一定の,そういう構成法を持っているものですから,すべての文字はちゃんと一字一字,全く等しく努力をして獲得しないと使えるようにならないかというとそうじゃなくて,ある程度まで行くと,記号の組合せですから,組み合わせた漢字の方が圧倒的に多いわけです。会意とか形声とか。ですから,書くということを通じて覚えるということに関して,字形に関してはそういう類推によって,獲得のスピードや獲得できる漢字の量というのは,ある程度まで行くと,非常に加速度的に増えていく。存外難しいのは,音や訓ですね。さっき金武委員のこの資料を見ていても,例えば「夏至」などという言葉が追加されるというようなことになって,そうするとやはり夏を「ゲ」と読むのは,ほかに例がないわけです。そういう,つまり一字一字の漢字の読み方が多いというのは,これは中国に比べて,日本では比較にならないぐらい複雑で,多くなっているわけです。そこのところをどういうふうに絡めて,文字の習得ということを我々としても考えの中に入れていくかというのは,非常に難解な問題だと思います。こういう状況の中で,やはり今までとはちょっと違う意味合いで,そういう問題も考え直さなければいけないのかなというのを思い付きました。

○前田主査

 言語生活の在り方自体が非常に変わってきているような気がするんです。だから,その中で,どういう場面でどういうふうな漢字が,どういうふうにかかわっているかという辺りの将来の見通しをある程度付けておかないと,例えば読み,書く,そういったことと,どうこれを絡めて出していくかということがちょっと問題になりそうですね。

○阿刀田分科会長

 やはり言語というんですか,国民のアイデンティティーにかかわる非常に重要な問題だと思うんですね。藤原正彦さんは,日本人というのは,要するに日本語だとおっしゃっています。日本語を話す,使うということが日本人だと。常に文化の歴史の中で,ダンテがイタリア語を用いることによってルネッサンスを迎えたり,グリムがドイツ語を集めることによってドイツという国の統一をなしたように,言語というのは,必ず民族の一つのアイデンティティーを作っている,とても大事なものだと思います。これからは,この情報化の中で,もうそれぞれの日本語が出てくるようなことになっていく。その中で,やはり公としては,あるべき日本語のスタンダードみたいなものを示していく。もしかしたら,それはニューヨークタイムズになっていく道かもしれないんですよね,考えようによっては。だけれども,ニューヨークタイムズになろうとも,乱立する時代ではやはりこれが日本語なんだというところは,何か考えながらやって行かんとまずいんじゃないかなという気がいたしますね。非常に痛感するところですね。

○前田主査

 極端に言うと,日本語が断絶してしまうおそれがあるわけですから,その中で共通した基盤を作るということが,あるいは常用漢字表の役割なのかもしれませんね。

○甲斐委員

 今日の東倉委員のお話で一番心に思ったのは,1枚目の下の「情報爆発」というところでした。例えば,学校図書館も本が7,000冊を超えると子供が探せなくなるんだそうです。3,000冊ぐらいだったら,さっと何があるか探せる。それと同様で,漢字の場合も我々は,さっき前田主査がおっしゃったんですけれども,国民の日常の言語生活というところをやはり考えて,そこで漢字の読み書きということを考えないといけない。コンピューター,パソコンの方がどれだけ漢字を搭載するかというのは,これは,社会の必要に迫られて,どんどんと増やしていくわけだから,これはこれでよい。しかし,そちらの方に引かれていって,我々は国民を忘れてはいけないような感じがしまして,読み書きというところで検討していきたいなというようなことを考えました。

○前田主査

 まだ,いろいろ御意見があるかと思いますけれども,この問題は非常に重要なことで,今日お話しいただいたお二人の御意見等も,これからまた検討させていただくことになると思います。それでは,今日はここまでといたします。

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