第17回国語分科会漢字小委員会・議事録

平成19年10月17日(水)

10:00~12:15分

三菱ビル・M1会議室

〔出席者〕

(委員)前田主査,林副主査,阿辻,内田,沖森,甲斐,金武,笹原,杉戸,武元,出久根,納屋,松岡,松村各委員(計14名)

(文部科学省・文化庁)町田国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

1  第16回国語分科会漢字小委員会・議事録(案)

2  国語分科会漢字小委員会における今期の審議について(平成19年2月2日)

3  平成18年度『国語に関する世論調査』(文化庁文化部国語課)

〔参考資料〕

1  平成18年度「国語に関する世論調査」の結果について(文化庁)

2  臨時国語調査会「漢語整理案」(大正15年7月~昭和3年12月)

3  人名に関する朝日新聞記事・投書

〔委員限り配布資料〕

○ 凸版新調査について(案)

〔経過概要〕

1  事務局から配布資料の確認があった。

2  前回の議事録(案)が確認された。

3  事務局から参考資料2,3について紹介があった。

4  事務局から配布資料2,3についての説明があり,説明に対する質疑応答の後,意見交換を行った。なお,配布資料2については,参考資料1を用いて,漢字関係の問いに限定しての説明が行われた。

5  前田主査から,漢字小委員会内に「漢字ワーキンググループ」を設置することが提案され,了承された。また,漢字ワーキンググループのメンバーとして,主査及び副主査に加えて,阿辻委員,沖森委員,笹原委員が前田主査から指名され,了承された。

6  事務局から,委員限り配布資料についての説明があり,新規に実施する調査の基本的な方向が了承された。また,調査で取り上げる具体的な漢字について,希望があれば,10月31日までに事務局に連絡することとされた。

7  次回の漢字小委員会については,11月1日(木)の14:00から16:30まで,経済産業省別館1020会議室で開催することが確認された。

8  質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。

○前田主査
 常用漢字の「常用」というのをどう考えるか,あるいは常用漢字というものと,準常用漢字というものを分けることについてどう考えるのか,前回は,沖森委員から,分けた方がいいのではないかというふうな御意見を頂いて,そこで終わりになったわけです。このことについても,新規のメンバーが加わっていますので,改めて皆さんの御意見を伺ってまとめていきたいというふうに思っておりますので,どうぞそういった点について御意見を頂ければと思います。

○甲斐委員
 資料2の3ページですが,「A:読めるだけでいい」というのと「B:読めて書ける」ということの考え方についてです。
 当用漢字表ができたころに,いわゆる教育漢字と教育漢字でない残りの当用漢字について,当時の文献を読んでいると,「読めるだけでいい漢字」と,それから義務教育期間で「読めて書けるようにする漢字」ということで,既にこのAとBの考え方というのがあったと思うんです。それが何かあいまいな形で現在に来て,今でも義務教育では書けるのは学年別漢字配当表の漢字1,006字でいいわけですけれども,中学校の教科書では常用漢字もやっぱり幾らか書けるということが,数は書いてないけれども,載っているということになっております。
 それで現在,新常用漢字表を常用漢字と準常用漢字に分けていくというときに,これは昭和17年の標準漢字表でしたか,あれの考え方を踏襲しているということで,私もそこは賛成なんです。賛成だけれども,その昭和17年の場合の準常用漢字というのは,保科孝一氏が朝日新聞に,「将来これは使わないようにするためのものである。」と語っています。今は残すけれども使わないものになるということですが,平成の現在,我々が作るものとは大分違いますね。我々は消す気は一向になくて,やっぱり読める漢字としてどうしても常用漢字の中に入れたいんだということで考えるわけです。したがって2,000ではなくて,もうちょっと増やしたいんだという意向が多分我々の中にあると思うわけです。そのときに「読めて書ける漢字」は現在と一緒だから良いのですけれども,「読めるだけでいい漢字」というところを今後どう考えていくと良いかということで,私自身も,まだ十分に整理ができていないんです。例えば,教育の場で「読めるだけでいい」というのはどうすると良いのかというのが整理が付いておりません。しかし,この考え方でこれから進めていただけるのは結構なことだと思うんです。それと「特別漢字」,これも昭和17年の標準漢字表の中に入っていて,法律等で使われていて日常生活で余り出てこない漢字とか,あるいは皇室に関係する漢字とか,こういうものをそこに入れていた,これは頻度は低いけれどもどうしても必要なんだということで,「特別」という扱いで入れていくというのは,いいのではないかと思っています。したがって,私はこの現案の考え方でしばらく進めていただく,しかし,整合性だけはどこかで付けていくということがいいのではないかと思います。

○内田委員
 「国語に関する世論調査」の結果を伺わせていただきまして,非常に面白く聞かせていただきました。まず,常用漢字と準常用漢字の区分ということですが,私はこれは区分をしない方がいいという立場でございます。言葉は,使用する人のニーズを満たすために変化,増殖し,一方で減衰するものがあります。文字も同じでして,やはり日常生活でよく目にするもの,それから使う必要のあるもの,これは「常用」,正に「漢語整理案の一」にある定義ですよね。「現代の文章に用いられないものは捨てて,常に用いられるものを専ら整理したのである。」と。これが「常用」の定義だろうというふうに思いますので,準常用漢字と常用漢字は一体どこで区分するのかと思います。しかもそれが時代によって動くというふうに考えられますので,使われるということで,常用漢字表の中に入れてしまっても,甲斐委員も言われましたけれども,将来は消すもの,消えていくというふうになるものもあるわけです。
 それから2点目なのですが,「読めて書ける」というものについては,学校教育との関連で,先ほど1,006字とおっしゃいましたでしょうか,これはやはりきちんと「読めて書ける」ということで,やっぱり手の運動を踏まえて,パターンをしっかり認識するという小学校期から中学校の初期に掛けて,きちんとやってほしいというふうに思います。それで,学校教育との関連で「読めて書ける」という漢字については,一応その指針があった方がいいのではないかというふうに思います。
 それから3点目,「国語に関する世論調査」の結果を伺いますと,年齢差それから性差の点が非常に面白くて,これはやはり情報機器に慣れるに従って,それから慣れやすさに応じたものになっております。それと同時に,実は文章産出のスタイル,つまり情報処理のスタイルが変わってきているんだというふうなことが伺われれて非常に面白かった。
 また性差は,統計的に有意かどうかは別なんですが,やはり男性の方がいいですよね。読みやすい,易しいというふうに答えている率が高い。これはやはりパターン認知の能力というのは性差があることが知られておりまして,こういう複雑なパターンというのは男性の方が,これは脳の基盤もそのようで,右脳を使うところですけれども,やっぱり性差があるんだなと,それも確認できた気がしまして非常に面白く聞かせていただきました。

○松岡委員
 基本的には内田委員がおっしゃったことに私も賛成なんですけれども,何をもって「常用」とするかということは,やはりその一人一人が日ごろどういう活動をしていて,どういう状況にあるかによって変わってくると思うんです。
 ですから,今例えば「特別漢字」ということで,これまでの議論の中で挙げられた一つに歌舞伎の「伎」というのがありましたけれども,これは,伝統芸能のジャンルにいる人だったら,それはもう「常用」以外の何物でもないということになります。そういうふうに「常用」そのものもどこから見るか,だれがどういうことをしているかによって変わるのであれば,「常用」と「準常用」というのを区別するということ自体が,何かその活動の中に区別を付けてしまうということになりはしないかということが一つあります。
 それから,もう一つは,やはり内田委員が学年別漢字配当表の漢字のことに触れられ,甲斐委員もおっしゃったように,学年別漢字配当表の中の漢字,既にこれは絶対にこの国で生活する人としては読めて書けて分からなくてはいけないということが,その教育の段階で定められているのであれば,それの配当を将来見直すとか,そういう形にしていくということで,対処すべきであるのではないかというふうに思うんです。
 実は,この「国語に関する世論調査」の結果を見て非常に心強いと思ったのが,やはり調査対象の方々が手書きを非常に重視していらっしゃるということで,私は何が何でも手書きというふうに思ってきたものですから,そこはとても心強い思いをしました。漢字の習得の上でも手書きが大事という考え方が多い。それは,やはり小学校の教育でしょう。手書きをすると応用が利くというふうに私は考えているので,その基本のところで「偏」と「つくり」の意味とか,そういうことをしっかり覚えておけば,初めて出てくる漢字を見ても,大体どういう方向にある言葉であるかということが想像できると思うんです。
 実は最近,漢字の出てくるクイズ番組を見てましたら,「のみ」というのを読めるか読めないかだったんですね。それで,大工道具というヒントがあって,そして「金」という字が書いてある。だから,これは同じ大工道具でも金物を使った道具ではないかと考え,知らないけれども「のみ」というふうに当てられたというのを見まして,いかにその「偏」とか「つくり」とか,その漢字の構成要素というのが習得とか理解とかかわかるか,大事かというのを笑いながら認識しました。その辺で,読める,分かる,書けるということを押さえておけばいいのではないか。常用漢字の中で分けるということは必要ではないというふうに考えます。何か「書けなくてもいい」というのは,これは書けなくてもいいよという,そういうことを与えてしまったというふうに誤解されるのではないかという心配もありますし,書けるとか読めるというのはひとりでにできていって,読めない,書けないならもう少し書けるようになろうかという方向へ一人一人が行くということがいいのではないかというふうに思います。

○阿辻委員
 今,松岡委員がおっしゃいました大工道具の「鑿」,あれは穿鑿せんさくの「鑿」という字ですよね。雨水が石をうがつというときの「うがつ」を漢字で書けば,あの「鑿」になるわけです。あの漢字が頻度数で,どれぐらいの位置になるかというのはもちろん調べてみないと分かりませんし,今回,それが拾われるかどうかは別問題としまして,「うがつ」とか「鑿」という言葉は,日常の語としてはかなり使われる言葉ではないかと思うんです。ただ,あれを書けと言われると非常に難しい漢字です。議論の発端として憂うつの「鬱」だけが今までクローズアップされていますけれども,たまたま今おっしゃった,その穿鑿の「鑿」という漢字というものが,もしも社会的なニーズがあって,ここの中に浮かび上がらせる必要があるのだったら,それは手書きを要求するのは酷だけれども,使ったらいいのではないかというのが本来の議論の発端だと思うんです。
 それと,基本的な認識として,常用漢字というのは果たして手で書くための文字として設定されているのか,それとも印刷するときの語彙と言いますか,その範囲として設定されているのか,印刷として設定されているんだったら,必ずしも手書きということは本質的なことではないのではないかと私はかねがね思っているんです。

○出久根委員
 今の若い人たちは漢字を感性で読むというところへ移行しているのではないかという気がするんです。例えば,人名がそうです,この新聞記事の例のように。常用漢字表の中に人名とか地名を認知していきますと,歴史的なものは別としまして,これから生まれる子供に付けられた名前なんていうのも奇妙な読み方が多いわけですから,何か漢字そのものがおかしくなってくるのではないかという気がします。
 それから,これは実は作者の名前は隠してありますけれども,こういう歌集が私のところへ送られてまいりました。この「(<亠>の下に<回>と書く漢字)」字なんですけれども,「りん」というふうに仮名が振ってあるんです。つまり,タイトルが「りん」なんですね。この漢字は漢和辞典なんかではありますか。

○阿辻委員
 稟の上部にある「(<亠>の下に<回>と書く漢字)」ですか。

○出久根委員
 そうです。これで「りん」と読めるわけですか。

○阿辻委員
 はい。「りん」と読むんです。「稟」はその下に稲がある形です。その「(<亠>の下に<回>と書く漢字)」は音符ですから,それほど中国では使われない文字ですけれども,「(<亠>の下に<回>と書く漢字)」という文字はあります。

○出久根委員
 そうですか。それでは,これは正字ですね。

○阿辻委員
 そうです。

○出久根委員
 ああ,そうですか。では,いいわけですね。私の誤解です。

○阿辻委員
 大変特殊な漢字であることは間違いないですね。ほとんど使用はされません。

○出久根委員
 私の不明でして,申し訳ありません。例に出してしまって,失礼しました。ただ,人名で言うと,感性で読ませるというのは若い人たちには流行するだろうということは間違いないと思うんです。今までの私どもの読み方とは違う読み方,それが浸透していくのではないかという気掛かりはあります。ですから,やっぱり常用漢字表というのは規則として必要だろうというのが私の意見ですね。

○武元委員
 各委員がおっしゃっていますように,常用漢字の「常用」の定義の問題が非常に大きいと思うのです。端的に言えば出現頻度だけでそれを常用漢字とするということにはちょっと抵抗を覚えます。例えば,大阪の「阪」,岡山の「岡」というのが,では造語力があるかと言いますと,多分ほとんどないと思います。ただ,一方で岐阜の「岐」は,「多岐にわたる」であるとか「岐路」であるとかというふうに使われるわけですので,その辺の区別というのはやはりさっき氏原主任国語調査官がおっしゃった言葉で言えば,「機能度」とか「造語力」とかの面で,区別しなければいけないのではないかという,そういう気がいたします。恐らくこれは議論として繰り返されてきたことだろうというふうには思うんですけれども,単に出現頻度でそれを決めてしまうというのは,ちょっと抵抗を覚えるということでございます。
 もう一つ,音訓の入替えの問題に関して申しますと,かつて私たちが小学校のころには作文を書くときに「おかあさん」というのを漢字を入れて書くなというふうに指導されたわけですね。今は熟字訓として認められておりますので,小学生はだれでも漢字を使って「お母さん」と書くわけでございます。その例からすれば,これまでも例に挙がっております「関(かか)わる」であるとか「応(こた)える」であるとか。それから,私は全部の「全」を使って「全(すべ)て」という読み方をしている例が非常に目立つなと思っているんですけれども,その辺りの訓は,音訓として後追いにはなりますけれども,認めていってもいいではないか,そういう気がいたします。

○杉戸委員
 「読めるだけでいい漢字」ということについて今回から本格的に議論が進むということなので,ちょっと考えていたんですけれども,ちょっと理屈っぽくなりますが,社会的に見て「読めるだけ」という状況で現れる漢字というのはあり得ないだろうと思うんです。だれかが印刷したり書いたりしなければ読むという状況はない。そのときに,この「読めるだけでいい漢字」というのをどう位置付けていくのかが問題になってくるだろうと思うんです。つまり,だれが書くから読むという状況が起こるのか,極端に言うと読まされる状況になるのかと,そういうこともこの「読めるだけでいい」という漢字については考えなければいけない要素だと思うんです。新聞あるいはテレビの画面で,その文字を使う,それが読めるかどうか,そういうプロセスがあって,読めるかどうかが問われる,そういうことだということが言いたい。それが先ほど阿辻委員もおっしゃいました印刷するか,手書きにするかということと議論がつながるはずだということも今の私の話につながると思います。
 それから「常用」という言葉にもやっぱり基本的につながる。だれが書くか,あるいは印刷するか,どれぐらい書いたり印刷するかという,その社会集団が何らかの形で限られていて,それを受容するだけ,読むだけの立場の社会集団も一方でいるという,そういう構造がある。そこのところを,だれにとって書くのが「常用」か,読むのが「常用」かという,その「常用」という言葉についても考えなければいけないという,そういうことが根っこの方にというか,構造としてある話だなということを思うわけです。
 ちょっと理屈っぽくなりましたけれども,「読めて書ける漢字」は割に単純です。書く主体にもなるし,読む主体にもなるという,それは一人の個人あるいは学習・指導の場で言えば,学校教育の現場の児童・生徒たちもそうなる。しかし,「読めるだけでいい」となると,その読むという行為の主体がかなり構造として気を付けなければいけない立場の人たちになる。そういう人たち,「読むだけでいい」という立場にさせる人が一方にいるということですね。新聞やメディアあるいは印刷関係のそういう人,あるいはそのワープロ自体もそうかもしれません。ワープロを打つと文字が出てきてしまう。それを読まざるを得ないという,そういう構造に立たされる人がいる。そういうものを認めるかどうかという,そういう議論を根っこの方に含んでいる話だと,そういうふうに思います。

○松村委員
 義務教育における漢字習得の立場ということで申し上げますけれども,前期の時に私は確か学年別の配当漢字1,006字を義務教育の段階で完全に書けること,常用漢字の大体を読むことということを一つの基準にしているということで言えば,書く力と読む力の子供たちの現状を考えれば,「読めるだけの漢字」ということもあり得るだろうというようなことはお話ししたと思うんです。常用漢字の大体が読めるようになって卒業という義務教育修了段階でいっても,やっぱり常用漢字の中の「1,006字+α」のどの漢字を「読めるだけでいい」とか,この漢字については書けるようにしたいとかという特定の漢字についての縛りがないままなんですよね。そのグレーゾーンと言いますか,常用漢字1,945字は読めてほしいけれども,その中のある部分については,「1,006字+α」の大体の部分はやっぱり書けるようにするのが望ましいだろう。だけれども,漢字の特定はしないということだけなのです。
 とすると,今回この会で目指すものが常用漢字と準常用漢字を分けるとすれば,準常用漢字に属する漢字を特定するということになるので,今までやっぱり義務教育の段階でも書く力と読む力の能力の差ということはあるのだから,当然そういうことは言えるだろうと思っていたのですが,特定することと,学校教育の中で,ある漢字は「読めないままでも仕方ないよ」という,そのグレーゾーンの中で,卒業させるのとはちょっと意味が違うだろうなという気がしています。
 今回,特定をするということになれば,多分学校教育に一番影響があるということは確かだと思うのですが,逆に,「この漢字は読めるだけでいいよ」,「この漢字は読み書き必要だよ」ということを世の中に示すことで,どういう影響が社会一般では出てくるのかなというところがちょっと疑問に思うんです。その辺は,皆さんどう考えていらっしゃるのか。ただ,分ければ学校教育の中では試されます。試す機会があるので,確実に影響があるんです。だけれども,これが世の中に示されたときには,今までどおりというのか,それよりもたくさんの漢字が新聞に現れ,雑誌に現れという,読む立場の人から言えば,分けたことはそれほど違いはないわけですよね。そうすると,書く立場の人ということで言うと,学校教育以外の場で,どこに一番影響があるのか,そこら辺がちょっと気になりました。
 それから,「国語に関する世論調査」のデータとしての回収率なんです。先ほどの当用漢字表のころの調査で行くと,80数%という回収率で本当に信頼すべき数字が出てきていると思うんですが,今回は50数%ですよね。こういう調査の場合,データの読み方という問題があるのですが,平成8年度と比べるとこのくらいポイントが上がっているというのが本当に意味があるのかなと感じました。実際には年々回収率が下がっている中で,余り軽々しくは前の調査と比べて多少は上がっているというようなことは言えないのではないかなという気もしました。逆に言うと,常用漢字と準常用漢字をそういうふうに分けるということについて余り差がないということは,もしかしたら回収率を考えて,データを読めば,逆のことが言えるのかななんていうことを先ほどちょっと御説明を伺いながら感じました。

○甲斐委員
 先ほどの杉戸委員の発言は,大変大事だと思ったんです。つまり私は先ほど「読めるだけでいい漢字」と「読めて書ける漢字」という考え方に賛成したんですが,杉戸委員は,コミュニケーションの上で,国民を二つに分けるという立場が出るのではないかと言う。そのときに,以前のこの資料は「読めるだけでいい」というところで,「読めて分かる」という言い方が実はあったんです。「分かる」という言葉を加えていたんですね。
 したがって,「読めるだけでいい」というのは「読めて分かる」ということがあって,「書ける」というのは私はここでは手で書ける,手書きというふうに取っておりますが,「読めるだけでいい」というのはパソコン等を使えば打てるけれども,手では書けない,こういうようなのが「読めるだけでいい」という漢字と取っているんです。そう取らないで,「読めるだけでいい国民」と,発信者としてのプロフェッショナルを用意するというような考え方になるとしたら,これは,常用漢字の考え方は正しくなかろうと思います。そこのところ,私も杉戸委員に賛成だということです。それから松村委員もそこのところを指摘されたのですが…。
 それで,後もう一つ関連してくるのが,先ほど申さなかったけれども,「読めるだけでいい漢字」と「読めて書ける漢字」というのを分けていくと,次に,字体の問題というのが生じてくるだろうと思うんです。というのは,今の常用漢字は常用漢字体という字体になっている。それに対して,表外漢字の印刷標準字体の方は康字典体という形になっていて,それを現在の常用漢字を少し増やす,表外漢字から常用漢字に入れていくと,どうするのだということがある。
 パソコンで打てたらいいんだというのであれば,康熙字典体でもいいのですけれども,そこら辺りまで,先ほど言うとややこしいから言わなかったけれども,とにかく「読めるだけでいい」というのを「読めて分かる漢字」というふうに,ここをちょっと言い換えていただく方が,いいのではないかと思います。その辺りはどうですか。

○氏原主任国語調査官
 先ほど確認していただいた資料2の3ページを,もう一度見ていただきたいのですが,甲斐委員のおっしゃるとおりで,この委員会の中でも「読めるだけでいい漢字」についてのとらえ方がかなり違っていて,それが議論の阻害要因になっていたんですね。それで,漢字小委員会の中で随分議論しまして,3の(2)を見ていただくと,「「A:読めるだけでいい漢字」と「B:読めて書ける漢字」についての考え方」ということで,基本的に「読める」「分かる」「書ける」という三つの要素で考えることにしたわけです。そしてそこにありますように,Aは「読めるだけでいい」と言いながら,(1)と(2)の条件を満たすもの,Bの方は,(1),(2),(3)の条件を満たすものと考えることにしました。したがって,「読めるだけでいい漢字」というのは,条件の(1)と(2),すなわち「読めて分かる漢字」のことを指して,そう呼ぶことにしようということで,このことは既に漢字小委員会としての合意事項になっています。
 ですから,甲斐委員がおっしゃっているのが,「読めるだけでいい漢字」という名称だと誤解を受けるから,「読めるだけでいい漢字」という名称そのものもやめてしまおうということであれば,ここで合意されれば,その下の説明に書いてあるような形で「読めて分かる漢字」というふうに変更することはできると思います。ただ,ここは議論の経緯があって,「読めるだけでいい」という言い方でずっと来ていたものですから,そのように変更することについては,議論が必要だと思います。ですから,「読めるだけでいい」という中身そのものは,既に甲斐委員のおっしゃっているとおりなわけです。ただ,それを名称にまで反映させるかどうかというところが問題になると思うんですけれども,中身は全くおっしゃったとおりです。

○前田主査
 それから,「国語に関する世論調査」について,松村委員からの御質問がございましたけれども,その点はどうでしょうか。

○内田委員
 私は,サンプルの特性が少し動いたかというところもあるとは思いますが,やはり56%の回収率ですので,立派なデータだと考えてよろしいかと思います。今,研究者がやる社会調査の回収率は2割,3割なんです。個人情報保護法が出てきてからなかなか研究できなくなっています。小学校や中学校にお願いしても,安全教育についての基本的な調査をやって,どうやって対策を取ろうかという現場に密着するような調査をやっても,まずお断りです。親から文句が出ますというようなことでできなくなっている。それから見ると,5割を超える回収率というのはすごく立派なものです。では,前の8割と今回の5割で被験者のサンプル特性はどうかというと,少し動いている可能性があります。それも,いい方に。今までは割に満遍なくいたところが,少し意識の高い,それから漢字とかそういうものについて少し配慮のある人で,しかも,こういう調査にきちんと応じようというようなタイプの方たちが割合としては増えている可能性はあります。けれども,8年前の人たちの意識と今の人たちの意識の中で,少し先端化しているとはいえ比較は可能であるというふうに思います。

○前田主査
 これだけによることはできないけれども,それなりに参考にはなると。だから,実際に参考にしていく場合には,そのときにやはり慎重に考えながら利用するというふうなことならよろしいということではないでしょうか。

○松村委員
 先ほど,5割を超えているということで,私も今まではそういうふうに読んでいたのですが,今回先ほどの御説明の中で,当用漢字表のころの調査の時8割の回収率というお話があったので,随分下がっているんだなということで…。

○内田委員
 文部科学省がやると80%,100%なんですね。教育委員会を通じてやりますから。でも,現場は大変だと思うんです。普通の社会調査ですと2割ですからね。すごいものだと思います。

○金武委員
 読める漢字について,この前こういう話が出てきたとき,私の記憶では,常用漢字の数が現在より多くなる場合,現在のように情報機器で読めれば,幾らでも打ち出せる時代だから,考え方としては,読めるだけでいい漢字も必要だけれども,対外的に,この漢字小委員会で,これは「読めるだけでいい漢字」だというようなことは宣伝しないと言うか,出さない。つまり,我々が常用漢字を選ぶ段階で,これは書くのは難しいけれども,読めて意味が分かればいいのではないかという漢字があるだろうということで挙がってきたと思うんです。ですから,もし準常用漢字とか特別漢字というものができたとしても,これは書けなくてもいい漢字ですと言うような必要は全くないのではないか。そういう了解があったと思います。

○笹原委員
 「国語に関する世論調査」が少し話題になったので,その調査の先ほどの参考資料の1を拝見していてちょっと思ったことなんですけれども,その7ページでは,新聞の漢字というのが難しいと思うという回答が多かったとあります。雑誌に比べると,確かに多い。ウェブニュースに比べても相当多いという結果が出ているわけですが,実際は新聞の紙面の漢字というのは,相当に校閲の方も努力されていて,いろいろなルールを作って,表外漢字は使わない,使ったとしても読み仮名を付けるというような努力をしている。そのためのいろいろな規則を作って実際表記をしているわけですが,それに対して雑誌はいろいろな雑誌があるわけですけれども,雑誌の方はそういう規則がほとんどなくて,実は表外漢字であってももう読み仮名も何もなくて使っている。「顰蹙ひんしゅく」なんていう言葉でさえも読み仮名なしで使うような雑誌は幾らもあるわけでして,ここで出ているような「難しいと思う」というのは,これは意識の調査ですから,恐らく雑誌の漢字と言えばこんなイメージ,新聞の漢字と言えば堅苦しい新聞の紙面だな,漢語が多そうだな,難しい言葉が多そうだなといういろいろなイメージが膨らんだ結果が,その難しい漢字という言葉に集約されて出ている数字なのかなと思うんです。
 例えば,新聞の紙面とウェブニュースは同じ新聞社が出しているものであれば,基本的に表記は一緒ですし,この出てきた数字,7ページのこれに関してだけの話なのですが,漢字と言えばというときの,そのイメージが深くかかわった結果かなというふうに思いました。

○前田主査
 読めるだけでいいかどうかというようなところについては,どうも前提となるところにちょっと誤解があったようで,その点は,今日は随分深められたというか,はっきりしてきたように思います。
 それで,もう一つの問題ですけれども,先ほどの常用漢字表の考え方とともに,準常用漢字表ということが話題に出ていたわけですが,今日の御意見は,どちらかと言うと,準常用漢字表というのを定めることに賛成できないような意見が多かったように思います。
 前期の漢字小委員会からの継続というふうなことで考えますと,今日話題に出ていなかったことは数の問題です。全く数の問題が議論されていなかったようですが,例えば先ほどある集団において,あるいはある文化においては常用漢字というふうに考えられるということが,言語学の言葉ですと「位相」というのですが,位相的に異なる各集団において,それぞれ要求されるとすれば,常用漢字表に入れた方がいいという漢字がどんどんと増えてくるんですね。それでいいかどうか。
 具体的なことで申します。今まで何となくこの目安として考えられたところは,今ある常用漢字表の2,000字以内というふうな辺りが一つのやはり目安になっていたと思うんですが,これが例えばいろいろな分野で,これはどうしても常用漢字として必要だというふうな希望があった場合に,これが3,000なり4,000なりに増えても,それでも常用漢字表でいいのかどうかということなんです。これは,前期の漢字小委員会では話題になっていたように思うんですけども,その点が今日はどうも出ていなかったように思うんです。そういった点も含めて御意見を頂ければと思います。

○金武委員
 この問題も,今おっしゃったように,前期での話題の中では,教育とかその他を考えると2,000字以内が常用漢字としては限度ではないかという暗黙の了解みたいなものがありました。もし今回の調査で頻度とかから,いわゆる特別に必要な漢字をピックアップしてくると,2,000字を超える場合があるので,そういう場合は,準常用漢字とか特別漢字というような位置付けが必要になってくるのではないか,というふうな議論だったと思うのです。今回も私としては,もし2,000字前後で収まるのであれば,常用漢字表だけでいいと思います。ただ,これからの審議の中で,やはり2,000字を超えてこれだけの字は必要であるということになれば,果たして常用漢字の枠内でそういう多いものを収めるのか,あるいは別の名称にするのかということが出てくると思います。
 まだ,新聞界が一致しているわけではありませんけれども,今のところ大勢として新聞が現在実施している常用漢字並みに扱っている表外字というものは40字余りですから,実際2,000字を超えていないわけですね,新聞が使っているいわゆる新聞常用漢字ですが…。そういうことから考えると,2,000字前後で収まりそうかなという気もしています。

○林副主査
 今のことと,最初の御説明の中で,氏原主任国語調査官がおっしゃった「常用」というものの意味はどういうところにあるのかということとちょっと絡めて,考えていることを申し上げたいと思います。「常用」というのは文字どおり日常よく使うということでありまして,これは頻度数を目安にして,ある程度の判断ができる。ただし,その頻度数は文字としての頻度数かあるいは語彙というレベルの,これは杉戸委員のおっしゃったことと関係しますが,語彙としてのレベルを考えたその頻度数か,その中には,造語力の問題も含まれると思いますが,そういうものを含めて頻度数と仮に大ざっぱに考えてみますと,これはそれでもってある程度判断はできる。
 もう一つは,実は日常よく使うといっても,個人のレベルあるいは一定の狭い集団のレベルと,それから国民共通してというレベルとでかなり違うんですね。藤原さんの「藤」という字は確か常用漢字に入っていなかったと思いますが,しかし,藤原さんや藤井さんは個人のレベルで言うと,「藤」という字は自分の名前を書くために使いますから,個人のレベルでよく使うという場合と,国民共通してよく使うという場合とで違ってくる。
 大事なのは,今我々が考えようとしているのは,国民共通として,どういうふうに使うかということでありますが,これは文章の性格が非常に深くかかわっている。文字使用の範囲,もうちょっと限定して言うと,その文章の性格,ここをある程度規定をしていくということが常用漢字の性格に非常に重要な意味を持つのではないかなと思うんです。
 ちょっと乱暴ですが,トータルで結論だけ申しますと,その結果として導かれる言わばその字数から言うと,当用漢字,常用漢字の経験からいって,金武委員がおっしゃったように2,000前後という辺りに収まってくるという予想は恐らくできるだろうというふうに思っております。
 常用漢字表に対して準常用漢字あるいは特別漢字表を作るのがいいかどうかということですけれども,原則としては,これは最初に氏原主任国語調査官がおっしゃったように,これはシンプルな方がいい。これは当然だと思います。しかし,こういう逆説も成り立つのではないかと思います。常用漢字では2,000字程度ということになる。でも,まだ使う漢字があるので,それを準常用漢字で広げ,文化の伝統を守るためにどうしてもやっぱり必要なので特別漢字を認めましょうといって許容していくと,逆に,その漢字の使い方の制限色を非常に強くする。広げていくと,ではその中で書かなければいけないのではないかという意識が強くなって,実はその許容を広げると,制限的な性格が非常に強くなるということです。その辺りをよく考えた上で,そういう特別の漢字表を認めるか認めないかというのは,これからちょっと慎重に考える必要があるということが一つ。
 これは,ちょっと蛇足ということになるかもしれませんが,今日の議論でちょっと気が付きましたのは,この「読めるだけでいい漢字」と「書けて読める漢字」という分け方がございますけれども,実は<読めて分かる漢字群>というのがあって,書ける漢字というのはその中の部分集合に当たります。だから,これは対立するものではなくて,「読めて書ける漢字」の範囲をむしろ我々は常用漢字として考えて,その中に,「どうしても書けなくてはいけない」のと,「まあまあ書けなくても仕方ないね」というのがあって,実はその書けなくてもいい漢字というのは,現に1,945字の中に存在すると思うんです。教育の観点から言っても,あるいは個人のレベルから言っても。現にそういうものがあるものですから,仮に例えば,準常用漢字みたいなものを認めて,これはまあ書けなくてもいいからねとやると,現にあるそういう漢字群との区別が分からなくなって,準常用漢字というものの表の性格もあいまいになるというようなことが一面でありますので,これに関係する議論の前提として,やはり「書ける漢字」,「書けなくてもいいけれども読めて分かる漢字」というふうな,二分法というのはむしろ誤解を生じることがあるのではないか。それよりは,「読めて書ける漢字群」の中で,「書けなくてはいけない」漢字と,「まあまあ書けなくても仕方ないね」という二つの部分集合から成った「読めて分かる漢字」という大きい集合,これを常用漢字の言わば対象として考えていくのがいいのではないかなと考えます。

○納屋委員
 私は今期から加えていただいた立場なんですが,国民の96%が高等学校に入っているという現状を考えると,今,林副主査がおっしゃったように「書ける漢字」と「読めて分かる漢字」,こういうことをとても強く意識します。ただ,常用漢字すべて書けるというふうになると問題が絶対起こると思います。ですから,これは慎重にしなければならないというふうに感じます。
 一方で,今日の議論の中で準常用漢字というふうに言われると,この漢字小委員会としての収まり方としてはそういう形もあるのかなと思うのですけれども,これは私はやっぱり余り広げない方が,準常用漢字ということではシンプルイズベストだと思います。国民の意識にどんな動きがあるのかというのを,こういうふうな「国語に関する世論調査」で見せていただいて,書くというときに手書きで書くことと,それから道具を使って書く,つまりこれはパソコン等ですけれども,それで書くということも含めて,常用漢字が成り立っているのではないかと思います。
 それは,この「国語に関する世論調査」の結果でも,仕事以外の文章を作成するというときに,70%近くの方が情報機器で打ち出していると言っているということ,この辺りから考えても,やっぱり書くということが手書きだけではないという認識の下で言えば,常用漢字の中にも,林副主査がおっしゃったようなことが入ってきているんだということがうかがえます。
 一方で,人名用漢字のことが,この前から私はすごく気になっていて,人名用漢字が,ここで問題にされても,法務省管轄だということでどうにもならないのではないかという気もしているんですが,その辺は逆にどう考えているのか質問したいところであります。常用漢字でないのに,それを使っては悪いというふうにならないで,どんどん人名用漢字の数が増えてきているというのは,ちょっと奇妙な感じを受けています。

○前田主査
 人名用漢字のことはどうですか。事務局からお答えいただけませんか。

○氏原主任国語調査官
 人名用漢字そのものについては,前からお話し申し上げていますように,国語分科会として直接はタッチできないということです。常用漢字表の制定時に,法務省の方にお任せしてしまったわけですから,そこはもうそれで行くしかないと思います。ただし今回この議論が始まったそもそもの原因の一つは,平成16年に,人名用漢字が大幅に追加された時に,当初,「がん」だとか「くそ」だとかそういう漢字まで入っていて,ああいうのが人の名前に付ける漢字として挙がってくるというのは余りにも非常識ではないかみたいな議論が一方にあり,また命名ということ自体が非常に大事な文化なわけで,そういったところで文化のことを本来論ずべき文化審議会,特に言葉を扱っている国語分科会で,この問題について取り上げる必要があるだろうという,そういう流れがあったわけです。
 ですから,人名用漢字そのものは法務省が扱っているということを踏まえた上で,今回ここで人名用漢字に関して,どういう出し方をするかというのは,まだはっきり決まっていない部分があって,それはここに書いてあるとおりですけれども,何らかの形で考え方をまとめることができれば,そこに関しては,当然法務省なり何なりに働き掛けていくということは考えていくべきですし,これまでも法務省の方にも必ず漢字小委員会がある時にはお知らせして,会場にも来ていただいていますので,今後も連携を取りながら進めていくということになると思います。

○金武委員
 今のことに関連しますけれども,この資料2の1ページ目の最後の(2),ここに人名用漢字についての考え方というのが前期のこの国語分科会の意見としてまとめられております。2ページ目に掛けて,(3)で固有名詞についての考え方というのがありまして,要するに,「これまで明示されてこなかった<国語的な視点>からの参考情報(「名付けの考え方」や「ふさわしい漢字の選び方」など)の提示」というようなことがありますので,私は参考資料の新聞のコピーにあるような,全く読めそうもない名付けには,やっぱり歯止めを掛けた方がいいのではないかと思います。
 そのために,国語分科会としても,名付けの考え方というのは具体的に何か示した方がいいのではないか。つまり,常用漢字音訓内のような制限は難しいし,そこまで制限する必要はありませんが,伝統的に多くの漢和辞典には「名乗り」という項目があって,この漢字は名前にはこういう読みがあるというのはかなり出ております。せめてその範囲で付けるのであれば分かるのですけれども,そういうような提言は,国語分科会としてもしていいのではないかという気持ちはしております。

○前田主査
 人名用漢字あるいは固有名詞については,何らかの形で,今度の答申の中で意見を出したいということは前期から引き続いて課題になっていることです。ただ,それをこの常用漢字表の中に,今すぐ反映するというような形では,先ほどの法務省との関係もあって,出しにくいというふうな辺りではないかと思います。
 地名,人名など固有名詞として用いられるものについては,この漢字小委員会としてはやっていこうということで,意見は出していきたい。それについて法務省でどういうふうな態度を取るかということについては,もちろん意見を出す以上,将来の方向としてそれに沿う形になってくれることを期待するわけですが,法務省側は例えば裁判の問題などがあって,そういうときにどういう形でなら対応できるかということを当然考えますので,こちらで言った希望どおりにしてくれるとは言えないということになるかと思います。

○氏原主任国語調査官
 そういうことで,この委員会の中では,むしろ法律でどうなっているかというよりは,松岡委員など随分おっしゃっていたと思うのですが,一般の人たちにこういう名付け方がいいんだということをもっとアピールして,そういう考え方を広げていくというところが大事なのではないかということで,そこはかなり合意されていたと思います。ですから,もちろん法務省に働き掛けていくということはあるのですけれども,それと同時にやはりそういったことについての一種の啓発活動というか,そういったものが大事であるということは,この小委員会の合意事項になっていたと思います。

○甲斐委員
 昭和20年代ですか,国語シリーズの中で,名前の付け方というのを一度,出したことがあると思うんです。それと同じようなものを出す,この漢字小委員会で作るなりして,出版されるといいなと思うんです。

○前田主査
 今日は今の常用漢字表についての考え方をまとめて,それから準常用漢字表を作るかどうかということについても意見をまとめて,実際に漢字ワーキンググループを作って検討したいというふうに考えていたのですが,今のところ,これについて結論を出すことがちょっと難しいような感じがいたします。
 それで,やり方としましては,この準常用漢字表についての問題を,もう一回先延ばしできるかどうかということです。
 それからもう一つは,漢字ワーキンググループを作って,その問題も含めて検討していくというやり方を,あるいは時期的なことで申しますと,せざるを得ないかというふうなこともあるんですが,いかがなものでしょう。
 ちょっとこの辺が私も悩むところですけれども,全体の委員の意見でそれを集約して,そういったことに沿って,できれば漢字ワーキンググループで検討していきたいというふうに考えています。もし,例えば先ほど私が申しました2,000字というふうな目安ということを前提とすれば,いろいろこういう字を入れてほしいという要望があっても,それは切り捨てる方向で考えていかざるを得ないんですね。準常用漢字表というのはそういったところに一つのクッションを置くというか,そういう考え方があるので,全体的に言えば社会が複雑化して漢字についての要望が高くなって,しかも情報機器が発達した中で漢字を増やさざるを得ない。その場合に,それが,例えば3,000字,4,000字となった場合に,それでも常用漢字表という名前でいいのかどうかと,そういう問題ですね。ここのところを,具体的に準常用漢字表は作らない方がいいという御意見の方がどうお考えになるか,それが問題なんです。

○阿辻委員
 浄瑠璃るりの「瑠璃」という言葉がありまして,本体の常用漢字表には多分入らないだろうと思います。ただ,高等学校の教科書なんかには出てくるでしょうし,新聞は確か浄瑠璃は使っていらっしゃるんですね。一般の雑誌とかそういうものでは浄瑠璃というのは日本の大変貴重な文化遺産でもありますので,それもやっぱり漢字で印刷していくべき言葉だろうなという気はする。だけれども常用漢字表本体に「瑠璃」が入るというのは,2,000字という枠を設ければちょっと厳しいかなというふうに思います。別に浄瑠璃以外でも,相撲もあるでしょうし,様々なジャンルにそういうものがある。あるいは冥王星が昨年でしたか,話題になりましたけれども,天文学の分野では冥王星の「冥」という字が表外字ですので,それぞれの領域において,これはやっぱり漢字で印刷したいというような文字はあるだろうと思うんですね。そういうものを救えるというのでしょうか,漢字で印刷できるようにシステムを作るためには,準常用漢字表という名称が正しいかどうかは別問題として,別枠を用意しておく方が処理は簡単かなという気がいたします。

○甲斐委員
 もう一回この議論をやっていただけるといいと思うんです。というのは,今の常用漢字表では,「読めて書ける漢字」というのは1,000字ほどあって,それから,後は読めて,ある程度書けるかもしれないけれども,分かるというのが1,000字ほどある。今,新しく提案されている「読めて分かる」というのは今,阿辻委員が言われたような「浄瑠璃」みたいな漢字ですね。これはいろいろあると思うんです。だから,それを今の常用漢字表に付け加えて,「準」という形でやっていく。すると,これは現行の表外漢字字体表と割と似てくるわけですが,そういうようなのをどう考えるかというためには,もう一回会合を開く。私なんか前の時の回でもう決着が付いていると思ったのですけれども,今日また,御破算にしているから,またこんなことを言い出すのですけれども,前の時に決まって,ほぼ3,000字ぐらいでどうするとかいうような形があったと思うんです。けれども,もう一回やっていただいて決着を付けてから,漢字ワーキンググループを始めていただく方が皆さん納得するのではないかと思います。

○金武委員
 浄瑠璃の「瑠璃」とか歌舞伎の「伎」については,前期の漢字小委員会で新聞の表記を御説明しましたけれども,歌舞伎の「伎」というのは歌舞伎以外には使わないので,そういう熟語としてしか使わないものは,新聞としては「浄瑠璃」「歌舞伎」のような熟語に限って,ルビなしで使っています。そういう熟語は,ちょうど今の常用漢字表の付表のような形で,数十語ありますけれども,熟語に限って使うという形を採っております。
 だから,今回この漢字小委員会でもし歌舞伎の「伎」を認めようということになると,単独の漢字で準常用漢字か何かに入れるのか,あるいは,そういう付表的な,付表は常用漢字の範囲内の熟字訓ですから,性格が違うので,別の表を作らなければならないというちょっと複雑なことになりますけれども,そういうことが同意されるのであれば,熟語としてそこに収める字というものを選びやすくなるのではないかという気がします。

○氏原主任国語調査官
 ちょっと確認なんですけれども,今日の資料2ですね,これはやはり生きているんだと思います。そうでないと,これまでの議論が全部無駄なことになってしまいます。
 それで,今日何度か確認していただいた資料2の3ページをもう一度見ていただきたいのですが,そこの3の(1)の「「準常用漢字(仮称)」の設定」というところですが,準常用漢字の設定に関しては,新常用漢字表の字数を検討していく過程で,その総字数との関係で改めて考えていくべき課題とするということは,既に了解されているわけです。かなり総字数が多くなればそういうことも検討しようということです。ただ,字数を検討していく中で,この漢字は要らないだろうということでやってみたら,そもそもたたき台そのものが2,100ぐらいになって出てきた,そういうことであれば,あえて準常用漢字の設定ということは考える必要がなくなるから,そのこと自体,話す必要もなくなるだろうということが合意されています。
 ただし,3の(3)のところを見ていただくと,ここも実は合意されているんですね。そのときに,いきなり2,000字とかということで土俵を狭くしてしまうと,重要な漢字を見落としてしまう可能性があるので,一般社会においてよく使われている漢字をまず選定する。この場合,最初に3,000から3,500字程度の漢字集合を特定し,そこから絞り込むという作業過程を考えていくこととするということも合意されています。ですから,最初は土俵を大きくとって,そこで作業をしながら,これは要らないだろうとかそういうことになってくるわけです。その結果,2,000ぐらいまでに減ってしまえば今のように常用漢字1本でいいでしょうし,2,500字や2,600字ということになれば,果たして常用漢字1本で大丈夫なのかという問題が現実的な問題となって,準常用漢字の設定をどうするかを議論せざるを得ないということになってくるわけです。
 今日御意見を頂いているのは,最初に前田主査からお話がありましたように,沖森委員が前回の委員会の最後のところで,常用漢字,準常用漢字に分けた方がいいのではないかという御意見をお出しになって,その方向性を明確にされたわけですが,そこに関して,メンバーが新しくなったこともあり,皆さんがどういうお考えを持っていらっしゃるのかを改めてお聞きしたいということだったと思います。この辺りの御意見をある程度お聞きしておかないと,ワーキンググループで,最初に3,000から3,500字の土俵を作って,そこから必要でないものを落とし,必要なものを拾っていくという作業ができない。やはり,委員会の意向をある程度は踏まえておかなければいけない,というのが前田主査のお考えだったと思います。今日はどちらかと言うと,準常用漢字を置かなくてもいいのではないかという御意見が多かったように思います。そういう意味で今日は両方の意見が出てきたので,また,次回継続して,この辺りのところをもうちょっと詰めておく必要があるのかなという気はします。
 ただその問題と,作業自体の,3,000から3,500字の漢字集合を特定して,そこからある程度絞り込んでいくという話は既に合意されていることですので,ちょっと別の話になると思います。ですから,前田主査が言い掛けたことで申し上げれば,ワーキンググループをこの時点で置くということは特に問題はないと思います。

○前田主査
 そういうふうなことで,今のお話の全体で考えなければいけないのは,漢字ワーキンググループをいつ作るかということですけれども,これについては,後のいろいろな議論の進行を考えると,早目に検討を始めた方がいいのではないか。そして一方,場合によってはその結果も踏まえて,あるいはここでの議論を踏まえて漢字ワーキンググループの方に反映させる。両面作戦みたいになりますが,そういう形で考えていくということでいかがでしょうか。そうしますと,今日はこの漢字ワーキンググループというようなことについての議論は,ほとんど出なかったわけですが,これは今までの国語審議会以来のやり方でそれを参考にしていきますと,こういうふうな一々の漢字の順位がどうなっていて,それは全体の中でどういう位置にあるのかとか,その判断,それからそれに対して,しかし,こういうことがあって,やはり入れた方がいいかどうかというふうな問題,個々の漢字の問題が非常に大きい問題になりますので,これを人数の多い全体の委員会でやることは,とても無理だというふうに経験上思っております。そういう点で,個々の漢字についても詳しくていらっしゃる方々に中心になっていただいて,やはり漢字ワーキンググループを作るということをお認めいただければ,と主査としては思うのですが,その点はよろしいでしょうか。(委員会了承)
 それで,もう既にそういった点からメンバーを考えておりまして,主査,副主査は当然入らなければいけませんが,今度の漢字ワーキンググループには,今回新しく加わった方も含めまして,そして先ほど申しました,漢字の具体的なことについて調査しておられるような方を中心に選ばせていただいたというふうなことで,比較的若い方をと思ったのですが,具体的な候補で申しますと,主査,副主査に加え,阿辻委員,沖森委員,笹原委員の5名で,漢字ワーキンググループを作りたいと思うんですけれども,この点は,いかがでしょうか。(委員会了承)
 お忙しい方ばかりで大変恐縮なんですけれども,そういう形で,たたき台を作っていきたいと思います。全体の会議で報告をしながら,また御意見を頂き,具体的な案をまとめていきたいというふうに思います。その結果,準常用漢字表というようなものができるかどうか,これは,また先ほどの氏原主任国語調査官のお話にありましたように課題として残されておりますけれども,取りあえず全体の委員会と別にそういうワーキンググループを作ることをお認めいただきたいと思います。お忙しいところ恐縮ですけれども,どうぞよろしくお願いいたします。

○甲斐委員
 事務局から御説明のあった漢字調査についてですが,「応」を「こたえ」というように追加する訓のことは分かったのですけれども,前から私は削ってほしいものをお願いしています。例えば,貴重品の「貴」です。「たっとい」「たっとぶ」「とおとい」「とおとぶ」という尊敬の「尊」と同じ訓があるんです。これはまた別途ということでしょうか。

○氏原主任国語調査官
 今のようなことであれば,「貴」と「尊」の2字を調べれば,それぞれの訓の使用状況はある程度明らかになると思います。

○甲斐委員
 追加したいものではなくて,削る分についても調査してほしい漢字としてお願いするのでしょうか。

○氏原主任国語調査官
 はい。削る分についても国語課まで御連絡いただければ,そのように対応いたします。尊敬の「尊」と貴重品の「貴」については1,500位以内に入っていますので,同じように出していただきたいと思います。

○甲斐委員
 分かりました。

○前田主査
 それでは,本日はこれで閉会といたします。
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