第8回国語分科会敬語小委員会・議事録

平成18年7月27日(木)

14:00~16:00

丸の内仲通ビル・K1会議室


〔出席者〕

(委員)阿刀田分科会長,杉戸主査,蒲谷副主査,井田,内田,大原,菊地,小池,坂本,佐藤,陣内,西原,山内各委員(計13名)

(文部科学省・文化庁)平林国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

1 第7回国語分科会敬語小委員会・議事録(案)
2 第2章 敬語の仕組み(たたき台)
3 第3章 敬語の具体的な使い方(素案)

〔参考配布〕

1 平成17年度『国語に関する世論調査』(文化庁,平成18年7月)と,関連新聞記事
2 『敬語表現教育の方法』(蒲谷・川口・坂本・清・内海 大修館書店,平成18年7月)
3 敬語ワーキンググループの今後の日程について

〔経過概要〕

1  事務局から配布資料の確認があった。
2  事務局から,参考配布1,2,3についての説明があった。参考配布2については,蒲谷副主査から補足説明が行われた。
3  事務局から,配布資料2及び3についての説明が行われた。説明に対する質疑応答の後,配布資料2に基づいて意見交換を行った結果,配布資料2で示した,敬語を5種に分けて説明していくという枠組みについては,基本的に了承された。
4  次回の敬語小委員会は,日程調整表が出そろったところで調整・決定し,後日,事務局から連絡することとされた。また,配布資料2,3についての意見を8月10日の敬語ワーキンググループに間に合うように,各委員から提出してもらうことが確認された。
5  質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。


○蒲谷副主査
   参考配布1「平成17年度『国語に関する世論調査』」に関して,申し上げてもよろしいですか。「お疲れ様」と「御苦労様」の問題なんですが,「お疲れ様」と「御苦労様」の使い分けは,上下関係の問題ではないという認識がもともとありましたので,今回の調査にこういう形で入れていただいたんです。その結果は,ほぼ予想したとおりでした。部下に対しても,「お疲れ様」を使うようになったということが言いたかったわけではないのです。要するに,上下関係ではなくて,一緒にみんなで仕事をした後にお互いに声を掛け合うときには「お疲れ様(でした)」が選ばれるであろうという見込みで,入れた問いなんです。結果は,その方向に来ている。「御苦労様」の方は,例えば配達してくれた人にねぎらうような形で声を掛けるときにということで,思ったよりも「ありがとう(ございました)」が多く出ているんですけれども,そういう使い分けがあるだろうということをねらって入れたものです。新聞は,上下関係の問題として,かなり取り上げていますけれども,むしろ,そういう問題ではないということが見えてきたなということです。

○氏原主任国語調査官
   今の件に関連して申し上げると,記者発表の時にも「御苦労様」「お疲れ様」がかなり話題になりました。そこでは,これも予想されたことですけれども,社会人になる時にと言いますか,職場ごとにと言いますか,自分より目上の人に「御苦労様」と言っては失礼なんだ,「お疲れ様」と言いなさいということを,いろいろな形で,先輩から教えられたとか,職場で教育されたとか,そういう意見が複数出ていました。
 それから,今朝,これだけ新聞報道されましたので,一般の方からも電話が随分来ました。やはりその中でも,「お疲れ様」は自分より上の人に,「御苦労様」は自分より下の人に使うのが正しいと思っていたが,そうではないのかといったような問い合わせが多くありました。いわゆるマニュアル本なども,そういう書き方をしているものが多いので,そのような理解が,かなり一般に浸透していることも確認できたと感じています。

○杉戸主査
   本日は,先ほどの氏原主任国語調査官からの説明を受けて,主として配布資料2「第2章 敬語の仕組み(たたき台)」について議論いただきたいと思っております。さらに,時間があって,そして,特に御意見をここで伺うことができれば,配布資料3「第3章 敬語の具体的な使い方(素案)」の方にも時間を割きたいと思っております。
 そういうことを前提に,私から配布資料3について,ちょっとだけ補足させていただきます。2点申します。
 第1点は,配布資料3の1ページ目を御覧いただいて,「第3章 敬語の具体的な使い方(素案)」という見出しの下に4行,前文のようなものがあります。その3行目です。「適宜,解説1(どうすればよいのか),解説2(どのように考えればよいのか)に区分し,説明していくことにする。」という方針を明示的に掲げて,そして,そのように記述することに努力しようということにいたしました。そういう目で読んでいただいて,実際にそうなっているのか,まだまだこの姿勢では不十分ではないかなど,そのような御意見があれば,お寄せいただきたいというお願いにつながります。それが第1点です。
 第2点は,7ページの「12 相手をどう呼べば良いのか。」という項目についてですが,【15】の質問,「さん」「君」のこと,それから【16】の質問,「あなた」のこと,この二つとも,具体的な言葉遣いとしては,昭和27年の国語審議会の建議「これからの敬語」で取り上げられ,今も生きているというものであります。その中に,非常に具体的に「さん」と「あなた」が示されている。お手元の『国語審議会答申・建議集』の88ページからが昭和27年の「これからの敬語」なんですが,89ページの一番下,見出しが「(2)相手をさす言葉」とありますが,そこに「1)「あなた」を標準の形とする。」と簡潔に書いてあります。それから,90ページの上から6行目ぐらいのところに「2 敬称」とあって,「1)「さん」を標準の形とする。」ということになっております。92ページへ行くと,「9 学校用語」というところに,直接「さん」「君」「あなた」というのは出てまいりませんけれども,そういう学校の中での敬語の使い方についても,具体的な指針が書いてあります。そういう歴史を踏まえて,その後,約50年たって,今度,敬語の指針を出そうという段階に我々はいるということです。配布資料3の7ページに戻っていただいて,「これからの敬語」の,すべての生徒に対して「さん」を付けて呼ぶのが良いと言えるだろうという基本姿勢に対して,解説1のレベルの記述をしたり,あるいは,【16】の「あなた」について,むしろ,中立的である反面,やや冷たい響きが感じられるという,既にある種の人間関係が確立している場合には使わない方が望ましいだろうという記述をしたりしている。「これからの敬語」とは見掛け上というか,ある面で限られたと限定は付いていますけれども,反対の姿勢を示すと受け取られ得る案を検討しようとしているということがある。例えば,この相手についての呼称については,そういう具体的な課題がある。その意識をしながらワーキンググループの方でこの案を作っているということで,それについて,まずは,敬語小委員会での御意見を頂きたいと思います。そして,先ほどの氏原主任国語調査官の説明のように,最終的には文化審議会からの答申として出していけるものにしていきたいと思います。配布資料3については,以上の2点を補足しておきたいと思います。
 先ほど申しましたように,今日は配布資料2「第2章 敬語の仕組み(たたき台)」について時間を集中させたいと思います。第2章について,ちょっとだけ私から,更に補足させていただきます。今回の答申は,敬語についての「よりどころのよりどころ」を目指す,つまり,この答申が出た後,例えば,学校教育の世界,あるいは社会教育,あるいは会社の中での敬語といったところで,いろいろなよりどころ,マニュアルとか,社員教育用のテキストとか,そういったものが工夫されるだろうけれども,そういったもののよりどころになる答申にしていきたいということを言ってきました。そして,その方針は認めていただいていると思います。この第2章は,よりどころのよりどころという中でも,基本的なよりどころという位置付けを持たせたいということで来ております。それに対して第3章の方は具体的なよりどころと,そういう対比を持たせて,第2章,第3章を構成しようとしております。改めて,その点を思い出していただきながら,この第2章の案を,今日初めてですが,御覧いただき,御意見を頂戴したいと思います。
 もう一つは,これはさかのぼることになりますが,第2章,第3章は,このように案としてお示しできているわけですが,第1章はどうなっているかということだけ申します。これはまだそういう段階に至っておりません。具体的なよりどころの第3章,それから基本的なよりどころの骨組みが,ほぼ案としては固まっております。そういうものが,もう一歩固まった段階で,第1章はそれらの第2章,第3章の総論として,あるいは第2章,第3章から逆に帰納するような,そういう姿勢でまとめるべきものだと考えております。準備段階のメモのようなものは私の手元で作っているわけですけれども,次の段階のものだと考えていることだけ,これは,かなりの部分私の不能率も手伝ってのことでありますが,御了解いただければと思います。この8月に,先ほどのワーキンググループの日程で検討して,秋には第1章から第3章までそろった,次の段階のものをお見せしたいと思っております。
 ちょっと前置きが長くなりましたが,以上のようなことを補足しまして,具体的な御意見を頂く協議に入りたいと思います。ポイントとして,先ほど氏原主任国語調査官から三つほど出されました。最初の「1 敬語の種類と,それぞれの機能」で「(1)尊敬語,(2)謙譲語,(3)丁重語,(4)丁寧語,(5)美化語」の五つの種類に分類するという案をお示ししておりますので,このことについて御意見を頂きたい。それから,その名称に添えて,「いらっしゃる」型とか,「伺う」型とか,そういう具体例を示した「○○」型というのも添えたらどうかという案について御意見を頂きたい。それから,文言についてです。例えば,尊敬語の言わば定義・説明の一番端的な説明として,ゴチック体になっているところで,「人物を立てて述べる」という「立てる」という表現を案では選んでおりますが,それの適否について御意見を頂きたい。「高める」とか「敬う」とか,いろいろな別の言い方がある中で,ここでは「立てる」を用いている。ワーキンググループのメンバーとしては,かなり慎重に議論して,現代のこの尊敬語のグループを記述・説明する上で一番いいだろうと,「立てる」を案としているわけです。この点についての御意見も伺えれば有り難いと思います。この先は,どのポイントについてでも結構ですので,御指摘ください。御質問の形でも結構です。

○阿刀田分科会長
   (1)~(5)に分けましたけれども,この区分がこのゴチック体の説明を読んだだけではなかなか分からない。ほとんど同じじゃないかというような気さえします。その五つに分けるというのは,今までずっとこの会議でいろいろ伺ってきて,大体敬語は三つくらいに分けていたということでした。今回,それを五つに分けることには,恐らく必然性が何かあるはずです。その五つがどう違うのかということをもう少し鮮明に説明していただかないと,分かりにくいのではないかと思います。
 それから「立てる」という言葉の使い方のほかにも,「高める」という言い方がある。「高める」というのは,とにかく,これはある種の位置関係があって,この場合の「高める」ということは,非常に低いレベルで話して,その低いレベルから上であるということも「高める」ということになっていくわけです。「高める」という表現には非常に問題はあるのだけれども,「立てる」という言い方も,極めて日常的というか,厳密な言葉遣いではない言葉だと思うんです。それに比べれば,「高める」の方が意味がはっきりする。そういうことになったら,謙譲語などというのは「相手に対して自分を低める」といった言い方が相対的に出てくるのかなというように,「高める」が出てきたら,今度は「低める」の方もあって,「低める」はまた使いにくい言葉でもあるなという気もします。いずれにしても,そのゴチック体の辺りの説明で,五つに分けること,そして,その五つがどう違っているかということを,もっと実例ともども鮮明にする必要があるだろうと思います。私は,この会議にずっと出席している立場でも,これはかなり分かりにくいなという気がいたします。最後の「(5)美化語」だけは,非常によく分かるんですが…。
 そして,話は少し飛びますが,括弧して,もしうまくとらえられるのだったら,「いらっしゃる」型,「伺う」型,「参る」型,「お酒」型などというのが出てくると,それは分かりがいいし,これから先に敬語の規範としてこういうものが出ていくとき,「それは「お酒」型なんだよ。」とか「「いらっしゃる」型なんだよ。」とかということを言って話が通じていくのは非常にいいことだと思います。それがそこに入っている概念をうまくとらえる一語であるということが非常に大切だろうと思います。
 五つに分けることにはきっと必然性があると思うんですが,どう違うのかということをもう少し明確にしていただきたいということと,それから「○○」型とやるのは非常に面白いのではないかなと思います。
 更に細かいことを申し上げれば,実例のときには,まず「先生のところに行きたいんですが」と「伺いたいんですが」というのは,1行目には○と×を書いてしまって,「行きたいんですが」は×で,「伺いたいんですが」は○であると,その辺をはっきりさせてから説明に入っていった方が分かりやすいのではないかなどと読みながら考えていました。

○内田委員
   今の阿刀田分科会長とかなり重なるところがあるんですが,三つほど申し上げます。
 まず一つは,配布資料2についてです。全体を通して,敬意の法則というのは,相手との距離を取る,距離の取り方が高める側,つまり,プラス側に行く場合と,逆にマイナスの側に行く場合,それから第3の軸として,美化とかがあります。ここでは「丁重」というのが出てきて,「えっ,丁寧語とどう違うの。」ということで困ってしまったんです。しかし,ベクトルが謙譲の方,つまり,マイナスの方に向いているのが丁重語で,プラスの方に向いているのが美化語なんだろうと思いました。この資料を先週頂いたときには,そういうベクトルで考えてみました。だから,プラスとマイナス,もう1本軸があって,これがどっちに行くかというところで5種類に分けられたのかなと思いました。そういう意味で,「○○」型というのを入れていただくのは,特に丁重語というのがちょっと分かりにくかったものですから,「○○」型という典型的な用例をパターン的に示していただくのはとてもいいと思いました。また,「丁重語」というのは一般的なのかどうかというところがちょっと分かりにくかったので,御説明いただければと思います。
 それから5ページ目の[補足]で,これは単純な格助詞の使い方の問題ですけれども,「(3)が主に」でなく,「(3)は主に自分側のことを…」として,そして「(4)は広く様々な内容を…」となっていることと対照させるのがいいのではないのでしょうか。「(3)が主に」と「が」を使って新情報をここで入れたいというか,あるいは心理的なフォーカスが(3)にあるという意味で使っていらっしゃるのかとは思いますが,私は,これは普通には「は」ではないかなと思いました。

○杉戸主査
   恐れ入ります。今のは何ページですか。

○内田委員
   配布資料2の5ページ,下から3行目です。「(3)が主に自分側のことを述べる場合に使い…」に対し,「(4)は広く…」とあります。どちらも「は」でよろしいのではないかと思ったのです。

○杉戸主査
   非常に細かいことまで見ていただいてありがとうございます。

○内田委員
   非常に細かいとは思いますが,述部の方に重きがあり,カテゴリーの定義を述べる方をフォーカスさせたいので,「は」で構わないんじゃないかと思いまして…。そういう意味では非常に丁寧に表現されており,ストーンと伝わってこないので,もう少し端的に短く言っていただいた方が分かりやすいんじゃないかなと思いました。とても丁寧にいろいろ配慮して,大変な作業をしてくださって申し訳ないと思ったのですけれども,ちょっとここのところは引っ掛かりました。
 また,阿刀田分科会長も言われたように,「立てる」よりは「高める」というニュートラルな表現,上下をそのまま使った方がいいんじゃないかと思いました。「立てる」だと価値が入るような気がして,大和言葉であるというだけではなくて,普通に「高める」か「低める」かという,ストレートに表現していただいた方がいいだろうと思いました。

○阿刀田分科会長
   よく考えると,「高くする」とか「低くする」とかの方がいいと思います。「高める」というと,また一種の価値観が入ってきますからね。

○内田委員
   そうなんです,プラスの側に…。

○阿刀田分科会長
   だから,「高くする」とか「低くする」とかということなのかなと,今伺ってふと思ったんです。「高める」というのもやっぱり何か…。

○内田委員
   そこは,距離の取り方で,上にベクトルが伸びていって,こっちは下に行く。そして,あともう一つの座標軸で,どっちに向かって伸びるかというので,美化語と丁重語があるのかなと思ったのですが…。

○杉戸主査
   お二方からよく似た,重なるポイントについての御指摘,御意見がありましたが,今の重なるポイントについて,ほかの方から御意見はないでしょうか。ワーキンググループのメンバーが一つ一つすぐにお答えするよりは,いろいろな意見を出していただいた方が,今日は有り難いと思っておりますので,どうぞ。

○井田委員
   私も「立てる」という言葉にはちょっと引っ掛かりを感じました。辞書で「立てる」を引いても,この意味の「立てる」というのはなかなか出てこないんです。後ろの方にちょっとあるという程度です。ただ,確かにそれに代わる言葉がなかなか見付からないというのは分かります。「敬う」でもないし,「高める」もちょっと。「高くする」というと,何か相手をはしごに乗せるみたいな感じもするので,それもどうなのかなと…。

○阿刀田分科会長
   「上に置く」とか。

○井田委員
   屋根に乗せてしまうという感じなんですね。

○阿刀田分科会長
   みんな変なんですよね。

○井田委員
   ええ,みんな変なんですね。ただ,「立てる」では伝わり切らないと言いますか,まず「立てる」って何だろうというところで,かなりの人が戸惑ってしまうのではないかなと思いました。
 そのほか5種類に分けたということは,今日,氏原主任国語調査官の御説明を聞いて初めて「ああ,そうだったんだ。」と気が付きました。ちゃんと読んだつもりでしたのに,5種類に分けられているということに気が付かなかったんです。別に幾つの種類に分けるということは重要ではないのかもしれませんが,少なくともこれまで学校では,尊敬語・謙譲語・丁寧語の三つと教わってきたものが,検討した結果,五つに分ける考え方を採ると使いやすいということで五つに分けられたんだと思います。今回五つに分けましたということを,もっとはっきり打ち出した方がいいのではないでしょうか。かなりいろいろな意見が最終的にも来るとは思います。でも,「五つに分けました。」,「それはこういうことです。」,「その方が敬語というのは使いやすくなるんです。」ということを説明した方がいいと思いました。
 また具体例は第3章に入るのだなと思いながら,第2章にもできることならば,11ページの[不適切な敬語連結の例]などは,厚めにしていただいた方がより読みやすくなるのかなとか,美化語の具体例ももう少しここでもたくさん欲しいなと私は感じました。それから,「ござる」という言葉が丁重語だという考え方は全くないんですか。

○蒲谷副主査
   あります。

○井田委員
   やはりあるんですか。読んでいるうちに,「ございます」はもちろん丁寧語なんですけれども,「ござる」が丁重語だと考える考え方もあるのではないかという気がしたんです。その辺はどうされるのかなと,これは質問でございます。
 あと,私も細かいことを言わせていただくと,8ページの[ア-3:「お(ご)……になる」が作れない場合]のところの3行目,「例:×お死になる」は,ここは,「に」がもう一つ要りますね。これだと「おしになる」になってしまいますね。×の次ですけれども,「お死にになる」ということで,ここは「に」という文字がもう一つ入った方がいいと思いました。
 それともう一つ細かいことを言わせていただきますと,1ページの[解説1]に出てくる「先生は来週海外へいらっしゃるんでしたね。」はごく自然な表現なんですけれども,例えば,外国人留学生などがパッと見ると,来週のことなのに,「でしたね。」と過去形になっているのをどうとらえるかなと思うんです。一瞬戸惑うかと思います。日本人を対象にすればいいのかな,日本人ならすんなり聞ける言葉だからと思いながらも,一方で,「来週」と「でした」というのが入るのは,細かく考えたり,日本語に慣れていなかったりする人にとっては,「あらっ」と思うのかなとも思います。もちろん,「いらっしゃるんですね」よりは「いらっしゃるんでしたね」の方が自然なんですけれども,この点は,どこまで読む人を対象に置くかということで……。

○阿刀田分科会長
   紛らわしい部分は入れない方がいいということはありますね,確かに。

○井田委員
   そんなことを感じました。細かいことですが。

○内田委員
   「いらっしゃるんでしたね。」は,確認という感じなんですね。

○井田委員
   そうなんです。

○内田委員
   知っているスケジュールの確認のためですよね。

○井田委員
   大抵の人はすんなりは受け止められるんですが,小学校の3年生ぐらいまでとか,あるいは留学生は,一瞬「来週なのに過去形なんですか。」みたいなことを言うかもしれないなと思いました。

○阿刀田分科会長
   スケジュールを立てたのが過去であったというニュアンスがここに入っているんですよね。なぜそうなるのか。

○山内委員
   過去形の「た」ではなくて,確認の「た」なんですね。そう言われているものですが,確かに「た」は伝わらない。

○西原委員
   「どいた,どいた」という命令の「た」とか,そういう言い方をすると,「た」っていろいろあるんです。

○阿刀田分科会長
   日本語は,現在・過去の区別がそんなにない言語ですからね,動詞などにおいては。

○西原委員
   定義の中に定義の言葉を入れてしまうのは,定義ということの一般的な法則に反するのではないかと思うんです。何を一般と言うかというのはまた問題になることだと思いますけれども,普通はと言った方がいいのかもしれませんが…。つまり,丁寧語ということの定義の中に「丁寧に述べる」と言い,丁重語の中に「丁重に述べる」と言い,美化語の中に「美化するものだ」と言うのはいかがなものでしょうか。

○阿刀田分科会長
   西原委員の言うとおり,それを言ってしまったら,何も説明しなくたっていいじゃないかいうことに…。「美化語は美化する言葉である。」,「丁寧語は丁寧な言葉である。」と言えば,それで済んでしまうわけですものね。

○杉戸主査
   このゴシック体の短い文を「定義」と位置付けるか,「説明」と位置付けるかですね。

○西原委員
   定義にしろ,説明にしろ,事柄を分かってもらうようにするときに,挙げた項目そのものを使って説明しない方がいいと,子供たちも習うんじゃないかと思うんですが…。

○蒲谷副主査
   学生には注意します。私も学生がこう書いたら注意します。でも,ちょっとここは理由があるんですけれども…。

○杉戸主査
   一般的かつ原理的な姿勢の問題ですか。
 意見を出していただくばかりでなく,少しずつ解決していかなければいけませんので,まず最後の西原委員からの御指摘についてお答えします。例えば,丁寧語に「話や文章の相手に対して,丁寧に述べるもの」というゴシック体の一文が添えてある。ここに,「丁寧」が出るのは問題が出てくるだろうということですが,この点については,「定義」とすれば同じように考えるわけですが,一言で言えば「丁寧に述べるものという性格を持つから丁寧語という名前を付けたんだ」と理解してもらいたいというのが,端的な我々の考え方です。「自分側の行為・ものごとなどを,話や文章の相手に対して,丁重に述べるもの」,そういう性格を持った敬語の種類であるから,「丁重語」ということです。
 これは,最初の段階ではその理屈は通ると思うんですが,確かに御指摘のとおり,これが例えば学校教育とか社会教育などの教科書・テキストに入っていくと,説明の中にその名称の用語が繰り返して出てくるというのは,情報としてもったいないということは少なくとも言えるし,説明になっていないという批判もあり得ると思います。

○阿刀田委員
   「丁寧に述べるもの」という最後の部分がなくても,基本的に,もうその前のところで意味がある程度分かるようになっていて,そして,これを丁寧に述べるものなんだから丁寧語と名付けるのであるというプロセスがたどれるようなものだといいなと思うんです。そういうことを考えると,(1)も,尊敬するものであるというから,尊敬語とここでは名付けるのだ,(2)も,こういうことで謙譲を示すものであるということで,謙譲語と名付けるという,五つの分類の全部に対して,これこれの場合に使う,そして全体をまとめて,謙譲を表すものであるとか,丁寧を示すものであるということが,最後に必ずここで結ばれる。それゆえにこの見出しを付けているんだという全体でのユニフォーミティー(uniformity)が保てれば,分かりやすいし,整うんじゃないかという気がいたします。二つ目までは,全然その言葉を使わずに説明してきておいて,三つ目から急にその言葉が出るのは少し違和感があります。ここにこの名前を付けている,見出し語として,これを付けているのは,これこれこういうことであるということが最後に入るような形で全体の統一を取れば,そんなに違和感はないのかなという気もしますが,いかがでしょうか。

○杉戸主査
   それでは,ワーキンググループのメンバーから,私は先ほどのような説明をしましたけれども,別の説明の仕方でこの案についての考え方を補足できませんか。

○菊地委員
   では,まず今の阿刀田分科会長の御発言についてから,私どもの考え方を申しますと,全体のユニフォーミティーというのを伺って,なるほどと思いましたのですが,実はこれは意図的に(1),(2)と(3)以下では扱いが変わったところがあります。(1)と(2)は尊敬語・謙譲語という伝統的な名前で呼ばれていたのですが,実は,この二つのタイプについては,そのターミノロジー(terminology)にそもそも問題があるという認識が専門家の間ではかなり強いものがありまして,その名称変更の可能性も検討はしたのですが,適切なものがなかった。それで,取りあえず名称は現行のものを使って,しかし,その説明の部分では,尊敬とか謙譲という言葉を避けて通ったという点が一つあります。一方,(3),(4),(5)につきましては,西原委員がおっしゃったように,特に丁重語について,丁重語でいいのかという意見はワーキンググループの部内で出ましたのですが,丁寧語及び美化語についても併せて適切な言い換えが事実上困難であったというのが本音でして,代案があればむしろ承りたいところなんです。ただ,開き直るわけではないのですが,これは極めて学問的なものの定義付けということですと,西原委員がおっしゃったとおりだろうと思いますけれども,一種逆に教育的配慮としては,Aを説明するのに強いてA’のようなものを持ってくる方が,教育現場に対して余計な負担を掛けるかなと。それで,杉戸主査のおっしゃいましたように,丁重に述べるものを丁重語と呼ぶんだという考え方で通せないかなというところでございます。
 なお,ちなみにここまで申し上げていいかどうか分かりませんけれども,この(1)から(5)の○○語(「○○」型)という示し方の(「○○」型)というものについては,御好評を得たようですけれども,当初,敬語ワーキンググループでは,一つのプランとして,「○○」型というものだけを示して,説明の後の方で,これを一般には尊敬語と呼んでいるとか,一般には丁寧語と呼んでいるということで,丁寧語とか尊敬語というのを表に出さずにいけないかということも議論されました。その場合にはこの定義で全く違和感はないんだろうと思いますが,ディスカッションの半ば辺りで,それよりは不備であっても,不満足であっても,現行の名称を提示する方が分かりやすいのではないかということになって,結果としてこういうことでお出ししたといったことでございます。

○阿刀田分科会長
   非常によく分かりました。

○内田委員
   これは,丁寧語として,美化語とか丁重語を加えるような形は取りにくいんでございましょうか。区分けがちょっと難しいなと。例を示されているので,これをくくっていらっしゃるんだなというのは分かるんですが,それらが重なっているように思われたので…。

○杉戸主査
   今の御意見は,丁寧語という大分類を立ててという…。

○内田委員
   大分類を3番目にして,そこの下位項目として,「ございます」といったいわゆる丁寧語,それと「お」を付ける美化語,それからちょっと低めて言うような丁重語,その三つを入れていく。丁寧語の(1),(2),(3)というように。

○杉戸主査
   その場合の上位概念としての丁寧語の丁寧という概念規定が分かってもらえるかどうかですね。そして,二重の構造に上位・下位の区分を設けるというのが,良いものかという疑問を,私などは感じます。

○内田委員
   「丁寧だ」と言うと,上下という感覚ではなくて,ただ同じ地平に立って相手との距離を取るというニュアンスで今までいたものですから。

○杉戸主査
   敬語のいろいろなタイプをさらに,ここでは五つだけなんですけれども,七つとか,十とか,いろいろな細かく分ける考え方はあるわけです。それの構造を,先ほど先生は二つの軸とか,ベクトルの数とか,そういう言葉で御説明になりましたが,そのとらえ方はいろいろな可能性があると思うんです。それは最終的には議論してより良いものを選んでいくということになりますが,当面たくさんの考え方があるということで,その中で複雑にならないようにしたい。学問の議論をするわけではないという前提で,しかし,分かってもらいやすい構造で示したい。そうすると,1次元の5分類が適切な線ではあるまいかという案です。

○蒲谷副主査
   学校教育を中心に一般的には3分類が非常に広まっています。けれども,この5分類という考え方は,特にこれは新しい考え方でも何でもなくて,むしろ,日本語学,敬語を研究している歴史の中では,この5分類というのが中心なんです。どういう名称を付けるかとか,それを更にどうするかというのはそれぞれの研究者によって違うんですけれども,ただ基本的に恐らく研究者の中ではこの5分類というのは基本的には異論がないところだと思います。ですから,特に敬語ワーキンググループで新しい説を出したということではなくて,従来言われていることを整理しただけです。特に謙譲語から丁重語を抜くこと,美化語については既に学校教育の中でも一時期示されたときがあったようです。そう見ると,この5分類自体はある意味では定着している考え方の一つであると言えます。一般的ではありませんけれども,そのような趣旨です。

○杉戸主査
   その場合に用いる丁重語とか美化語という言葉は,もちろんより一般的に使われてきているものを選んだということですね。

○蒲谷副主査
   そうですね。

○杉戸主査
   さてそれで,最初に阿刀田分科会長から,五つの分類の相互関係がもっと分かりやすく示せないものか,説明が欲しいという御意見がありました。これは,一つは,これも敬語ワーキンググループで話題になってきていることなんですが,例えば,1ページの最初の「1 敬語の種類と,それぞれの機能」,「敬語には次の各種がある」その直後に(1)尊敬語,(2)謙譲語…と名前だけでも五つ並べるということも,検討の中で出てきています。それだけでも,先ほど井田委員がおっしゃったような意味でも,五つに分かれていることが後で分かりましたということへの対応になるだろうということもあります。
 それから,全体としてこの答申には目次が付く。目次の中には「1」の(1)尊敬語,(2)謙譲語…,説明も文章も例もない,そういう一覧の見掛けのページが目次として,出るわけです。だから,そういうところも支えになるだろうと,そういう点が一つです。
 もう一つ,これは阿刀田分科会長の御指摘はそちらに重点があると思うんですが,もっと説明として,お互いの相互関係あるいはその違いを分かりやすく説明すべきであるという御指摘だと伺いました。その点は,例えば,いわゆる敬語の3分類から5分類に展開するときに,謙譲語を二つに分けていく。それで,ここで言うと(2)謙譲語と(3)丁重語,その違いはどういう違いなのか。これをかなりたっぷりと4ページ,[補足ア]というところで大きく,ア-1,ア-2,ア-3と書いてあります。そこの前文,4ページの上から6行目,「これらは,謙譲語や丁重語を適切に使う上で重要な相違点である。」,そういう趣旨で,この謙譲語と丁重語をあえて分類するんだということも,短いですけれども,説明しております。
 さらにそのまとめのところ,4ページの下から6行目でしょうか,「(2)と(3)には以上のような違いがあるため,(2)を謙譲語,(3)を丁重語と呼んで,両者を区別することが重要である。」ということも説明的に書いてあります。
 こういうのが,今は(2)と(3),謙譲語と丁重語については,ほぼこの1ページを使って書いてあります。それらを五つの分類枠それぞれに関して,一覧表のような形でしょうか,説明として,相互にどのポイントでどう違うから別のグループなのだということが,もう少し分かりやすく示せた方がいいという御指摘だと伺いました。工夫の可能性はいろいろあるかと思いますが,これはいかがでしょうか。

○蒲谷副主査
   最初の5分類のところは,ワーキンググループの中でもいろいろな意見がありました。5分類であることを明示した方がいいという意見も出ました。ただ,私は個人的にはその分類ということをそんなに明示しなくていいのではないかなという気持ちがある。一つの理由は,ここで目指しているのは分類ではないということです。要するに,分類することが目的なのではなく,3分類が駄目で,5分類が良いのだということが言いたいわけでもなくて,従来の3分類では見えてこなかった重要な点があり,それを何とか示したいということがむしろ趣旨なのです。5分類は,先ほど研究者の中では,ある程度一般性の高い分類だと申しましたけれども,そうは言ってもいろいろな考え方といろいろな意見があります。この中でも既に,「お(ご)……いたす」という形は,4ページの下,[補足イ]に書いてあるようなところは,(2)と(3)の両方の性質を併せ持つ敬語であるという指摘もあります。ですから,これは両方の性質を持っているのだから別ではないかと言えば,当然6分類になるということなんです。けれども,その辺の議論をしたいわけでもなく,また5分類じゃなくて6分類だということが言いたいわけでもないので,それぞれの敬語の持っている性質には,こういう違いがあるんだといったことを示したいということで,現状のような形になっていると思います。ただ,意見はいろいろ出ていました。

○西原委員
   ただ,それであれば,「敬語には,次の各種がある。」と,これほどはっきりした断定はないと思うんです。そこをむしろ「この本の中では5種類を想定する。」というトーンにしてしまった方が,今おっしゃったような趣旨が生きるんじゃないんでしょうか。この「次の各種がある」というのは,もうとにかくそれしかあり得ないと聞こえます。

○杉戸主査
   表現上の問題ですね。

○西原委員
   ええ,表現上の問題なんですけれども…。

○井田委員
   そうですね。従来3種類というのが一般的に学校で教えられるものであったが,5種類と考えると,より分かりやすく使いやすくなるといったことでしょうか。

○西原委員
   そういうことです。

○蒲谷副主査
   趣旨説明をきちんとするということですね。

○阿刀田分科会長
   これを新たに出すに当たって,確かに今まで3種類ということが,それが学術的に正しいのか何かよく分からないけれども,3種類ということが何となく世の中に通っていたわけです。私もまだよく分からないところもあるけれども,いろいろお話を聞くと,敬語の専門家が,3種類でやっていったらいろいろ問題点があって,少しそれを複数にした方が 分かりやすいのであるということをこの会議で何度も何度も繰り返してきたわけですね。
 専門家の議論だから分からないところはちょっとあるんですけれども,きっとそうなんだろうとまずそれを信じます。信じた結果,五つがどうも良さそうだというのだったら,確かにそれを今回は鮮明に,この五つなんだとして,それがどう違うか,そしてそうやるとどう使いいいかということを具体的に示していただきたい。なるほど,これは分かりいいし,使いいいということが出てきたら,おっしゃるように,五つにしようと,六つにしようと,そんなことは大した問題ではない。ただ結果として,なるほど分かりいいなということが出てこないと,何で三つを五つにしたのだろうということに議論が逆に戻ってしまう。どうも今までのお話を聞いていると,敬語を厳密に考えていくと,これまでの三つの分類というのは問題がある。そうすると,六つがいいのか,五つがいいのかという問題はあるにしろ,どうやら五つぐらいにまとめるのが良さそうだということらしい。それが決まったのであったら,それを鮮明に出していって,その相互の違いをクリアにしていくという方が,プレゼンテーションとしては私ははっきりするんじゃないかなと思います。その辺りは,ある程度,また後で揺り戻しがあるかもしれませんが,この委員会の一つのコンセンサスとして,その線に沿って進めていただくということでよろしいんじゃないでしょうか。

○杉戸主査
   今日,この第2章を検討していただくについては,今の阿刀田分科会長のお言葉,この5分類で基本的に案を作り続けるという方針で敬語小委員会としては行くと,そういうところをお示しいただけるかどうかが,今日のワーキンググループからのお願いでもあったわけですので,その点について,よろしければ非常に有り難いですが,そういう観点から何か御意見はないでしょうか。

○菊地委員
   5分類でいいとおっしゃっていただけるのは大変有り難い,一応これで作業してきた者としては有り難いと思います。ただ,今日最初に阿刀田先生がおっしゃったことがちょっと私は気になってもおります。五つのグループの説明といいますのは,できるだけ短い言葉で,それぞれの差異ができるだけ鮮明になるようにということで,随分,試行錯誤をして到達したという気持ちがありまして,もう少し詳しく書いてほしいということなんですが,またこれ以上長く書くと,かえって違いが見えにくくなったりすることがあります。それで,三つでしたならば分かりやすいんだろうと思うのですが,五つに増えて,それぞれに説明が付くと,その違いが見えにくくなる。それで,私ども敬語ワーキンググループは皆一応言葉の専門家なものですから,5分類というのが唯一絶対のものではないのですが,それなりの支持を得ているということは承知しておりますので,割とすんなりと,そこは五つで行こうとしてしまったところがあります。私は個人的にはちょっとほかの考え方も考えたのですが,それは部内では余り支持を得ませんで,五つで行こうと決まった。ただ,ほかのチョイスとして,内田委員がおっしゃいましたように,三つとか四つに分けて,その中を細かく分けるということは,できなくはないんです。ただ,暗黙の前提として,2段構えになっているのでは分かりにくいだろうと主査もおっしゃったように,そういうところがあってフラットに五つとしました。とにかく,この五つを区別しなければならないことは信じていただきたいところでして,その区別の示し方として,その2段構えでもいいのかということは一応確認した上で,やはりフラットに五つという御了承が頂けたら,その線で進めたいと思います。ただし,その場合に,その五つの区別を非常に早い段階で分かりやすく示すことがちょっと困難になるかもしれませんといったところはあります。それでもよろしいということであれば,その五つの区別を,見せ方を変えることによって,例えば初めに定義と例だけワッと並べて,説明は後からといったことで解決できるのかどうか。そういったことを念頭に置いて,御了承いただけるものなら御了承いただきたいといったことを感じております。

○阿刀田分科会長
   これを五つに仮に分類すると,五つは皆,容量が似たようなものだということを考えてしまうんです。だけれども,非常に簡単に説明できるものと,非常に複雑なものとが入り乱れているんじゃないのかと思うんです。よく分からないんですが,(4)丁寧語というのは,簡単に言えば「です」「ます」のことですと書いてくれれば,それで済むんじゃないのか。(5)の美化語というのは,「お酒」「おまんじゅう」のことですと書く。そして,もっとそうでない例外,当然それでは覆い切れないものがあるけれども,この(4)と(5)などというのは,ある意味では非常に簡単な敬語というんでしょうか,それほど重い意味があるわけではないけれども,ちょっと丁寧にやった方がいいといった範疇ではないかなという気がするんです。それに比べると前の方は非常に容量が多くて,場合によっては二つか三つ,更に分けていかないと分からないような気がするので,むしろ,簡単に実例を二つ,三つ挙げたら,そういうことについて言っているのかということが分かるようなものと,それからもう少し詳しい説明をちゃんと加えなければならないものと,そんな分け方もあるような気がします。(4)と(5)というのは,割と軽い敬語で,重い敬語と軽い敬語がどうもあるような気がして,そういうことではないのでしょうか。

○蒲谷副主査
   正にそういうことだと思います。難しいのは結局「伺う」と「参る」の違いなんです。「伺う」も「参る」も,どちらも自分が伺うので,自分が参るので,「先生のお宅に伺います。」と言ったって「先生のお宅に参ります。」と言ったって違いがないじゃないか,だからどっちも謙譲語だということで,要するにそこの違いなんです。「いらっしゃる」と「伺う」が違うことはほぼ明らかなので,そこはまず紛れがないんです。だから,尊敬語と謙譲語の紛れは,もちろん「御利用していただきます。」といった形の上での紛れはありますけれども,でも基本的に尊敬語と謙譲語の違いは明らかである。問題は謙譲語と丁重語の違いなんです。「伺う」と「参る」を尋ねられて,それを即座に説明できる日本語の母語話者が一体どれだけいるかと言われると,非常に厳しいです。大学の学生でもそれを問われるとなかなか難しいところはあります。しかし性質がすごく違うんです。それは,この説明がいいかどうか分かりませんが,例えば「東京駅へ参りました。」というのは言えますが,「東京駅に伺いました。」と言ったら,「だれか東京駅に知り合いでもいるんですか。」となってしまうんです。ですから,一般的に東京駅に行ったということを「東京駅に参りました。」とは言えるけれども,「東京駅に伺いました。」と言ったら,おやおやと思うという違いなんです。その違いがあるということがかなり重要なんです。
 ただ,敬語ワーキンググループでもいろいろ話をしたのですが,非常に難しいのは,それが使う側にとって使いやすいとか,分かりやすいというところに直結するかどうかというところなんです。そこはずっと私も考えているんですが,難しいんです。果たして,その違いを聞いて,なるほど,「伺う」と「参る」は違うな,面白いな,「弟の家に伺いました。」と言うのは変だ,「弟の家に参りました。」というのは言える。この違いは比較的鮮明なので,みんな,なるほどと言ってくれるわけですが,ではそれが使いやすさにどう結び付くのかというところで説明が非常に難しいんです。ですから,何でこの違いを言おうとしているかというと,一つは敬語の性質が違う,明らかに違う敬語だから分けたいというのが一つなんです。
 それからあと,実際に教育などでよく話をするのは,「いらっしゃる」と「参る」とを対照させて,「いらっしゃる」は尊敬語です,「参る」は謙譲語ですと教えてしまうケースがあるのですが,実はこの「参ります」という敬語は,そんなに日常的に多く使う敬語ではないんです。どこで使うかというと,「参る」とか「いたす」とかというのは,非常に改まりの高い敬語なので,使われる場が限られているんです。今このように私が大勢の人の前で一人で話していますけれども,こういうときには「先ほど申しましたように…」と,「申す」という丁重語を使いやすいんです。でも,一対一で話していたら,そんなに「申す」という言葉は出てこないので,そういう敬語を使う上で,その性質がかなり重要なところがある。そういったところがだんだん分かってくると,小学生に対して例えば,尊敬語は「いらっしゃる」,謙譲語は「参る」だと教えても,別に小学生が「参る」を使う場などはほとんどない。ただ形だけで教えていってしまうようなことを避けたいということも一つのねらいなんです。
 ただ,それが使いやすいか,分かりやすいかという話と直結するかどうかというところは,ちょっとまだ私の中でもはっきりは説明がしにくいところがあります。ただ,性質が違うということと,使われる場が明らかに限られているというところは非常に重要な違いですので,それはずっと敬語の研究の歴史でも,その違いは明確にしなければいけないという歴史がありますので,そこは是非打ち出していきたいというのが趣旨なんですけれども,説明はまたいろいろ考えなければいけないなと思っています。

○西原委員
   「よりどころのよりどころ」なので,非常にフラットに考えてしまう。「三つだったのが五つになった。大変だ。暗記しなくては。」,「五つになった。テストにも出るぞ。」となってしまうわけです。そこのところが世の中に対するときの専門家集団の大きな課題なんじゃないかと思うのです。それが現実だということを踏まえた上で対処していただくということなんじゃないでしょうか。

○杉戸主査
   下世話な言い方ですけれども,五つに分けたら得をすることをきちんと説明できないといけないということですね。そこは難しいと思いますが,したいと思っているところです。

○井田委員
   今日,敬語ワーキンググループの皆様方のお話を聞けば聞くほど,なるほど,なるほどと,とても分かりやすく,親しみやすいというか,なじみやすいものになっていくんですけれども,一読しただけでは,私もだんだんこの手のものに慣れてきてしまって,前よりは読めるようになってしまったので,読んでしまうのですが,文科省担当記者以外の人がどれだけこれをすっと読もうという気になって読んでくれるかどうかというのは…。ですから,本当にお話を伺っていると,とても分かりやすく伺えたので,そのお話しくださったような部分を何か盛り込めないんでしょうか。

○杉戸主査
   この答申自体をおろそかにするつもりはないんですが,答申が出た後の解説とか,あるいは普及の段階があるという話が当初もあったわけです。その段階での説明の仕方,それは「よりどころのよりどころ」の,その前の一つ目のよりどころがもう既にそこで始まると思うんですけれども,そこでの説明の仕方はいろいろ工夫ができると思うんです。先ほど蒲谷副主査がワッとおっしゃいました。あれだけの長さでもってしか言えない。しかし過不足のない説明だったと私は思うんですけれども,そういう説明をしてようやく丁重語の特徴が浮かび上がる。そういう角度からの説明だったと思うんです。それをこの答申というものの中に追加することが適当かどうかということは,悩まなければいけない,考えなければいけないということですね。さて,時間が気になりますが,五つの相互関係を明示するということは,更に工夫していきたいということになります。
 それから,重要なポイントとして,「立てる」という「説明のための言葉」について,最初に御意見が出ました。これについて,いかがでしょうか。「高める」の方がニュートラルではないだろうか。「立てる」というのは,一般的にも分かりにくいのではないか。あるいは,「高める」よりは,「高くする」「低くする」というのもあるんじゃないかという御意見もありました。消去法的に言いますと,敬語ワーキンググループの方で,「尊敬する」とか「敬う」とか,そういう言葉は使わない方がこういう場合はいいだろうということは言っておりました。というのは,これは配布資料3の第3章の最初の方の問いの中で,「3 敬語と敬意とは関係があるのか。」というのが2ページ目にあるんですが,尊敬している人に敬語を使って話したいのだけれども,尊敬していない人には使いたくないというようなものを出しているわけです。そういうことと関係して,尊敬語は尊敬していることを表現するために使う言葉であるというのは,現代の敬語はそうではないという 認識であります。そういうところを,「尊敬する言葉である」という説明を消去していって,現代の,そして,近い将来の敬語を見通して説明し得る言葉として「立てる」が良さそうだという考えにあります。

○西原委員
   全くつぶやきの感想なんですけれども,英語の敬語についての解説があって,それを読んだことがあるんですけれども,例えばだれかに呼ばれたときに「そっちへ行きます。」というのは,英語では“I'm coming.”と言うわけです。その come は実は英語では敬語なんだというんです。それは,相手の視点・立場に立つということにおいて,それは英語では敬語と扱われるんだという解説になっているんですけれども,それなどは,正に「立てる」ということなんです。想定するという意味で「立てる」という,何かそういう扱いなので,コンセプト(concept)において,いろいろなことで敬語を解説するときにこの「立てる」という言葉を使うこと自体はよく分かると思いますけれども。

○阿刀田分科会長
   「立てる」というのを英語で言うとしたら,何と言いますか。

○西原委員
   何て言うんでしょうね。私もこの5分類を例えば英語にしたらどうなんだろうとさっきから考えているんですけれども,丁重と丁寧,どうするんだろうとか。

○内田委員
   相手の視点に立ってという意味ですか,今の“coming”は。

○西原委員
   “coming”はそうです。つまり,相手から見れば“coming”になるのでというか,そういう視点です。

○内田委員
   相手の視点に立って,ものを言うということですね。

○西原委員
   だから,それは英語では敬語の範疇に入るのだという解説の仕方でしたけれども。そのときに敬意とかということは関係がないんです。

○阿刀田分科会長
   丁寧と丁重では,丁寧より丁重の方が重いんです,「重」という字が入っている分だけ。「寧」の方はねんごろですから,重いか,ねんごろかという違いはここに微妙に出てきているんだなと,さっきから感じていたんですが…。

○蒲谷副主査
   先ほど謙譲語と丁重語の違いだけ説明しましたが,むしろ難しいのは,確かに丁重語と丁寧語の違いの方で,この違いが一般的には難しいんです。

○阿刀田委員
   重さが違うとでも言うより,ちょっとしようがないかもしれないなと思って…。

○蒲谷副主査
   とらえ方の問題で,これもいろいろ分かりにくいと言われるんですけれども,丁重には,改まりとか,形式的であるといった要素が入ります。丁寧はもうちょっと意味が広がって,「丁寧に取り扱う。」とか,「丁寧な説明をする。」とかというのがありますね。あと,丁重というのは,その人のとらえ方とか認識の仕方が絡むので,そこは非常に難しくなるんですが,説明では,改まりとか形式とかというのが丁重には加わるだろうということを言うんです。だから,いかに分かりやすく伝えるかが多分大きな課題だろうと思います。

○大原委員
   今何か丁重と言うと,「丁重にお断りする。」しか浮かんでこないんですけれども…。

○蒲谷副主査
   そういう取扱いの態度というか,姿勢というか,断る姿勢の問題だろうと思います。

○阿刀田分科会長
   「丁寧にお断りする」とは言わないね。

○内田委員
   言わないですね。

○杉戸主査
   例えば配布資料2の3ページの丁重語の説明,[解説1:丁重語とその典型的な用法]の3行目に,「丁重に(改まって)述べることになる。」とある。この「(改まって)」を残すか残さないかで,敬語ワーキンググループでは相当議論に時間を使った記憶があるんですが,こういうところを「丁重に述べるもの」というゴチック体にしてある定義文・説明文を補足する説明をどこまで追加するか,そういう工夫はあると思うんです。それも,体系的に丁寧語の説明と丁重語の説明がうまくクリアに見えてくるように工夫して…。

○内田委員
   読む側としては,括弧の中に入れて,言い換えられない方が,ストンと伝わりますね。「丁重に述べることになる。」だけで,「改まって」という感じが伝わります。

○杉戸主査
   括弧があると,また別のことを考えなくてはいけなくなるということですね。

○内田委員
   また別の処理をしなくてはいけなくて…。

○杉戸主査
   括弧を外して,「丁重に改まって述べることになる。」では同じですか。

○内田委員
   いや,違うと思います。これはほとんど同じ意味で,「改まって」と使われたんじゃないんですか。精緻化させているんじゃないですか,同じ意味のことを。

○杉戸主査
   別の説明の軸を持ち込んでいるという理解を私はしているんです。「丁重に」を補足して,ちょっと別の,改まりか,くだけた調子か,そういう軸からすれば,改まった表現であると。

○蒲谷副主査
   説明的なものを加えているという感じですね。先ほどの参考配布1の『国語に関する世論調査』の28ページに面白い調査,「「改まった場」とはどういう場か。」というのがあります。その調査結果では,「大勢の人前で話すとき」「会議の場で話すとき」「就職や進学などの面接会場で話すとき」といったことが上位なんです。ですから,一般的な「改まった場」の認識がそういうところに集中しているのは非常に面白いと思いました。更に面白いのは「国会議員や県会議員と話すとき」とか「著名人と話すとき」は低いんです。ですから,さっきも申しましたけれども,確かに特定の尊敬している人もいると思うんですが,その尊敬している人と話すときということではなくて,大勢の人とか,会議とか,面接とか,そういうところにこの「改まった場」の認識があって,そこに丁重語が絡んでくるというところの関連性なんです。そこが面白いなと思います。一般の人もこれはそういう感覚を持っているというところは,今回,丁重語と尊敬語・謙譲語・丁寧語との違いが出てくるのかなと,そんな印象を持ったので,一言付け加えさせていただきます。

○阿刀田分科会長
   「改まって」という言葉は,完全に正しくとらえているのかどうかは分からないけれども,端的にこの辺りの感じは述べている言葉だという気はします。むしろ残したい言葉のような気がいたします。何が違うかというと,子供には分かりにくいかもしれないけれども,大人にとっては,正に「改まって」と言われることによって,違うんだなということが少し見えてくるところがありますね,特に今の説明などを聞くと。

○内田委員
   今聞くと,そうですね。

○阿刀田分科会長
   「改まった服装」というのを考えると。

○蒲谷副主査
   小学生でも,式典か何かのときに一人だけ壇上に上げて話させたら,「改まる」の感じがつかまえられる。

○杉戸主査
   説明に用いる用語の「立てる」という言葉をめぐって,まだまだ結論には少し遠いようですが……。

○阿刀田分科会長
   「立てる」は,まだちょっと固いなという気がいたします。

○井田委員
   「立てる」を使うんでしたら,「立てる」とはという説明が必要になってくるのではないでしょうか。

○杉戸主査
   その点はいかがでしょうか。「立てて述べるもの」という説明文を使ったら,その「立てる」とは,ここではこういう意味であるといった説明を付けるかどうか。

○菊地委員
   ちょっと補足説明をさせてください。ここは敬語ワーキンググループでも,「立てる」にするか,「高める」にするかという議論がありまして,難しいところだと思っております。ただ,杉戸主査も言われたように,「敬う」とか「尊敬する」とかというのは違うであろうということで,それは,一つの前提としてあるんです。ただ,私は個人的に「立てる」がいいと思いましたのは,つまり「高める」を避けた方がいいと思った理由は,二つあるんです。
 一つは「高める」と言うと,本当に上下の表現だという印象が前面に出る。敬語を使うのは,「上下」ということとか,内田委員もよく言われる「心理的な距離」であるとか,いろいろなベクトルが働くわけです。ただ,その基本的な定義として,いろいろなベクトルを持ち込んで定義するわけには行かない。そこで,何か一つの代表的な概念でやるしかないんです。ですから,仮に「高める」という言葉を使ったとしても,それこそ補足説明が必要になります。ここで言う「高める」とは,「上下」だとか,「心理的な距離」だとか,何だかんだというのをすべて総合的にとらえて,それを一つのベクトルに集約したような意味での「高める」であるといった説明です。専門書を書くならこういう注釈が必要なわけですけれども,一般向けのものですから,そんなにごちゃごちゃ注釈は書けないであろう。それで「高める」と言った場合に,敬語が「上下の表現」だということを余りにも前面に出し過ぎるのではないか。そして,その敬語の実態というのが,歴史的にはそもそもはやはり上下の表現と言わざるを得ないんでしょうけれども,随分敬語の使用実態が変わってきている中で,何十年か後になってみたときに,まだ2006年,2007年のこの答申では「高める」などと言っていると言われるようなところがあるのではないかというのを個人的には恐れたところがあります。
 もう一つは,「高める」という言葉はそれほど日常的な言葉ではないのではないかということです。「意識を高める」とか,「モチベーションを高める」とか,ないわけではないんだけれども,実は敬語の議論をするときには平気で使う言葉なんですが,それこそ日常言語としてのなじみの程度がどのぐらいか,中学生・高校生の学習といったことを考えたときに適当なのか。それは,「立てる」もそうなのかもしれませんが,そういう問題がある。それから,阿刀田分科会長もおっしゃいましたように,「高める」を出すなら「低める」を出すのか。「低める」は一段となじみがないのではないか。といったことで,高い方だけを書いて,それを「立てる」としてはどうかというテンタティブ(tentative)な言い方で,これがベストだとは思っておりません。ただ,この敬語小委員会の席で,今日は御欠席ですけれども,甲斐委員が「立てる」というのはなかなかいいじゃないかとおっしゃってくださったことを一つ心の支えとして,今日はこれでお出ししてみようと思ったわけです。こだわるつもりはないんですが,「高める」を一応退けた理由としてはそういうことだということをちょっと御説明しておこうかと思いました。

○西原委員
   私も「立てる」はとてもいい言葉だと思います。ニュアンスの一つとして,「自分の真情ではないけれども,仮に」といった社会的慣習というものを意識して使う言葉ですね,「立てる」というのは。だから,そういうことが共有される文脈であれば,「立てる」という言葉は生きると思います。ただ,だからそれは一つの条件があって,そういう社会的慣習が共有されているということが条件で,理解される用語であるわけです。ということなので,そこをクリアしない人に「立てる」を使ったときに,それがストレートに理解されるかという問題は残ると,まだ思います。

○菊地委員
   第2章はできるだけすっきりということをこれでも一応目指しておりまして,今おっしゃったこととか,あと,もともとは3種だったじゃないか,何で5種になったんだという辺りとかは,第1章で書かれるか,あるいは,第2章の冒頭か何かで書かれることになるだろうということで今考えております。

○阿刀田分科会長
   意見がころころ変わるのが特徴でして,だんだん説明を聞いているうちに「立てる」はいいかなという気になってきたんですけれども。こういうものというのは,この答申によって「立てる」という言葉をはっきりさせるんだというくらいのつもりで挑んでいくというんですか,そのくらいの覚悟というか,新しい言葉,新しい使い方というものを訴えていくというくらいの心構えというか,度胸がないと,一つのなかなかうまくとらえられない概念を,しかし非常に重要な概念を訴えていくことはできないと思うんです。
 だから,もうこれは「立てる」に分科会は命を掛けますというぐらいの気持ちで,今度のは,「立てる」ということが非常に重要な答申なのであるという,その気迫がこもっていると,「立てる」はちゃんと生きた言葉になってくれる,「立てる」を立てるということが一つの役目になってくるだろうと思います。今,菊地委員のおっしゃるのを聞いていると,西原委員がおっしゃったように,これは社会慣習上,「立てる」のですね。「顔を立ててくれ」という「立てる」だって,そんなにこっちは立てたいと思っているわけでもないんだけれども,どうも状況から言って立てねばならない状況があるから立てるということで,正にそういうことにかかわっているような気がするので,なかなか熟慮の末これが出てきたというのは,非常によく分かりました。分かりましたけれども,これを世の中に出すときには,今ここで,おれたちは頑張ってここを通すんだぞというくらいの覚悟でやれば通るし,ぐじぐじしながら,これでは駄目かななどと思いながらやったら,これは袋だたきに遭う可能性があるかもしれないという,そんなことを今ちょっと考えました。「立てる」でもよろしいんじゃないでしょうか,結論的には。

○内田委員
   西原委員が言われるような,それが社会慣習として成り立つような,そういう文化を残したいと思いますよね。それが共有できないようなのではなくて,共有したいという姿勢だったら,いいです。私もいいと思います。

○杉戸主査
   心強いお言葉をありがとうございました。

○佐藤委員
   ちょっと今のお話とは違うかもしれないんですが,配布資料2の4ページの辺りが私には非常に分かりにくいのです。なぜ分かりにくいかというと,それは3ページから続くわけでありますが,読んでいって,[補足ア]を見ろ,戻ってくると[補足イ]を見ろといった,下手なコンピューターの取扱説明書みたいな文章で,行ったり来たりしているうちにどこを今読んでいるのか,素人には分からなくなるんです。今お話を聞いたら,専門書であればいざ知らず,専門書ではないんだという話があったものですから,であればなおさら読む人が行ったり来たりするというのは,極めてまずい書き方ではないかなと,生意気にそう思うのであります。どうして[補足イ]とか[補足ア]とかが必要かとなると,説明の欠陥をくまなく羅列して,揚げ足を取られないようにといった事細かな配慮があるのでしょうけれども,それがかえって読みにくくしているということはないでしょうか。素直に読んでいける文章,例えば,さっきの「改まって」を括弧の中に入れるか入れないかですが,括弧の中に入れると,いったん気持ちが途切れるんですが,括弧に入れないですっと読んでいけるような文章にしてくれると,引っ掛かりなく先に進めるといったことを全体的に感じたんです。専門家じゃないからこそ,そのように思いました。

○杉戸主査
   括弧とか,注とか,あるいは参照とかというのはできるだけ避けたいと,今まで努力はしたのですが,しかし今こういう感じですと,まだ努力の余地があると思いました。更に努力しなければいけないということは思っております。
 すみません,進行に不手際があったかもしれませんが,第2章全体について,こういう枠組みで,この先,案をより検討し続けていっていいかどうか,その点についての御意見を全体的に頂ければと思います。今まで,5分類の相互関係をより明確にして,今,佐藤委員からは,より分かりやすくということもありました。それから「立てる」という用語については,腹をくくる,うじうじしないということがあれば,認められる用語であるということも示していただきました。もちろん,それも更に点検,あるいは裏を取るといった作業も必要かもしれません。そういったことも含めて,課題を敬語ワーキンググループの方に引き継ぎたいと思います。さらに,定義の中に,例えば,丁重語に「丁重」という言葉を説明に用いてしまうという,そのことも御指摘いただきました。そういった点は更に敬語ワーキンググループの方で引き取らせていただきますが,全体として5分類を提示する,そして名前を付ける,そして「いらっしゃる」型とか「伺う」型という型も示していく。そして,該当語例を四角で囲んでまず出す。そして,[解説1],[解説2]という説明をしていく。更に必要であれば[補足]を加える。そのような記述の枠組みといいましょうか,そういうことについての御意見がもし特にありましたらお聞かせください。

○阿刀田分科会長
   配布資料2の7ページ以降の「2 敬語の形の作り方」になりますと,今まで5分類をしてきた,ところが,ここに入ると,「(1)動詞の尊敬語・謙譲語などの形の作り方」としておいて,そして今度は「尊敬語の形」「謙譲語の形」「丁寧語の形」となるんですが,これは可能な限り,前に五つに分けたものに応じるような形でできないでしょうか。このようになる理由は分かるんです。でも,「動詞の尊敬語・謙譲語などの形の作り方」と言われると,せっかく五つに分けて認識したのに,今度は「などの作り方」になってしまう。できれば,尊敬語の形はこうである,謙譲語の形はこうである,丁重語の形はこうであるという,5分類とリンクするような形で作っていただいた方がいい。もし重複するところがあるのだったら2度出してもいい。けれども,せっかく5分類しているのに,それが交錯してしまうと,読む方としてはちょっと読みづらいなという気がします。
 そして,もうこれはどうしようもないという問題,例えば,「二重敬語」の問題とか,それらは最後に補足的に,もう5分類から明らかに離れているといった形で,提示してはどうか。一応「1 敬語の種類と,それぞれの機能」で5分類を使ったならば,「2 敬語の形の作り方」でも,その5分類の意識が残るような形でいっていただいた方がいいのではないか。「1」で五つに分けておいて,「2」になると,今度は,(1)の尊敬語と(2)の謙譲語が一緒になって説明されると,読む方としては非常につらい気がいたしました。私はそうなんですが,ただ,これはどうしてもこうするより仕方がなかったのかなとも思います。

○杉戸主査
   (1)尊敬語,(2)謙譲語というレベルで,「1 敬語の種類と,それぞれの機能」の方は5分類を示した。ところが,「2 敬語の形の作り方」では,一段レベルがずれるんです。(1),(2),(3)というレベルで尊敬語・謙譲語・丁重語まで出している。丁寧語とか美化語については,形の整え方というのは,もう説明するすることもないということで出さないわけです。その辺りで,配布資料2の10ページの「(2)「お」と「ご」の使い分け」,あるいは「(3)可能の意を添える場合」,それとこの基本的な形の整え方として「(1)動詞の尊敬語・謙譲語などの形の作り方」で書いたことと区別できれば,阿刀田分科会長のおっしゃるレベルの「1」との統一ができるわけです。そこを更に検討していただくと有り難いと思います。

○阿刀田分科会長
   可能であれば,私は,「(1)動詞の尊敬語・謙譲語などの形の作り方」などは置かずに,もういきなり「尊敬語の形」「謙譲語の形」「丁重語の形」。丁寧語・美化語は説明する必要もなしとか,見てのとおりであるとか,どう書くかはともかく,一応5分類に沿うようにしてその形というのを示していただく。そして,更に敬語には以上のような分類の仕方では分類できない,いろいろな形がある,全部にまたがるような形がある,ということで,「お」と「ご」の使い分けとか,可能とかということをやっていただくような,つまり取りあえず5分類というものに対してせっかく「1」でやった以上は,それに沿うような形で説明があって,そこからはみ出すものははみ出すものとして,まとめていただいた方が,読む側としては読みいいかなという気がするんです。最初にこれを見た時に,せっかく分けていただいたのに,「2」に入ると,さっきの分け方とは,また別なものが持ち込まれたような気がちょっといたしました。よく読むとそうでもないんですが,もう少し鮮明にその辺があった方がいいかなと感じております。

○西原委員
   私は,さらに,自明のところも,阿刀田分科会長が自明だから丁寧語や美化語は「見てのとおり」でいいとおっしゃいましたけれども,これはこういう形を採っているものなんだということが,自明であっても入れていただきたい。

○阿刀田分科会長
   何か入れていただいた方がいいかもしれません。

○西原委員
   それは自明だろうと思いますけれども,怖じずに自明の自明たるところを書いておいていただく。

○阿刀田分科会長
   3行くらいで済むことだと思います,自明のところはきっと。

○西原委員
   そうですね。ただ,例えば,「おビール」の類も美化語なのですかといった素朴な質問にも,「形の作り方」というところでは,答えるような形で例を付けていただくということなのではないんでしょうか。

○杉戸主査
   形の説明で足りるわけですね。

○菊地委員
   もう確認済みなのかもしれませんが,念のためですが,五つをフラットに分けるということでよろしいのでしょうね,という確認を。

○杉戸主査
   そのつもりになっていますが。

○菊地委員
   ほかの先生方の御意見が,どうも今一つという,お顔があったように思いましたので。もし2段階にして「三つ→五つ」を御覧になったら,実はそんなに大した話ではないんですが,三つというのが頭に入っていらっしゃるものですから,そこのギャップを埋めるということも大事な仕事だと西原委員がおっしゃったことに配慮した場合,三つに分けて,謙譲語とか丁寧語を二つずつ分けたりすることは,全く不可能ではない。
 つまり,1と2A,2B,3A,3Bみたいにして,全体は五つだけれども三つに見せるということは,全く不可能ではないと思いますが,フラットではなくなるし,余り学問的にも正確ではなくなるんです。しかし,そういう方が今までの理解とのギャップを少なくするという御意見がもしとても強ければ,考え直さなければならないのかなとも思った りもしておりますが…。

○西原委員
   例えば,私は明日の午前中は児童の国語力の育成の会議に出るんです。それで,そこでは例えば学習指導要領の書換えが目前なわけです。それで,私が心配しておりますのは,「よりどころのよりどころ」が教科書にということになると,「3じゃないんだ,5だ,5だ。」とさっき私が言ったようなことが,直ちに教科書作成者の当面の問題になるわけです。内田委員もそこにいらっしゃるんですけれども…。

○内田委員
   そうなんです。それで,3というのは非常に安定した数で,処理はいいんですが,5になると途端に難しくなるのと,カテゴリーの区分がそんなにうまく付けられるのかなというところがあるんです。そこが,ちょっと心配ではありますね,現場を考えると。

○西原委員
   確かに,現場を考えると心配です。

○阿刀田分科会
   この間の国語専門部会では,とにかく初中等教育において敬語をもう少しきちんと教えるようにしてほしいという意見が出まして,私は,ちょっと待ってくれと。「敬語を教えてください。」というのはよく分かるんだけれども,今,国語分科会の方では敬語をどう考えようかと検討している最中で,「教えろ。」と言われたって「何を教えるんだ。」というところで揺れているわけです。現在,鋭意努力していますということを申し上げて,帰ってまいりましたけれども,焦眉の急というか,いろいろなところでこの敬語の問題は回答を求められているところがありますね。

○内田委員
   そこになると,必ず,「文化庁での検討を待ちましょう。お任せしましょう。」という言葉で終わりますね。

○阿刀田分科会長
   でも,今,具体的に菊地委員のおっしゃったことは,一応ここではコンセンサスがあったと見てよろしいんじゃないでしょうか。それは杉戸主査の方から皆さんに確認を取っていただいてよろしいかなと思っておりますが。

○杉戸主査
   今日の御意見の流れはそういうところに落ち着いていると理解しておりますが,それでよろしいでしょうか。

○蒲谷副主査
   すみません,3種から5種への説明が必要かどうかという点だけ確認していただけないでしょうか。

○杉戸主査
   その点について,先ほど菊地委員が第2章の最初のところとか,あるいは第1章のしかるべきところで,その辺りを説明する必要があるかもしれないということをおっしゃいましたが,私もそれを考えなければいけないと思って聞いていました。
 つまり,今,基本的な考え方として流布している3分類から,なぜ5分類にしたのか,5分類の方が得だといったことが納得できるような記述,あるいは,その5種の間の相互関係の更なる説明といったものを補足する,そういうことに努めるということを前提にして,5分類で行くという基本線は,今日の敬語小委員会でお認めいただいたと理解したいと思いますが,よろしいでしょうか。(委員会了承。)
 それでは,御了承いただけたということで,本日の協議はここまでといたします。
ページの先頭に移動