第10回国語分科会敬語小委員会・議事録

平成18年12月18日(月)

14:00~16:00

丸の内仲通りビル・K2会議室

〔出席者〕

(委員)阿刀田分科会長,杉戸主査,蒲谷副主査,市川,井田,内田,大原,甲斐,菊地,坂本,山内各委員(計11名)

(文部科学省・文化庁)町田国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

1 第9回国語分科会敬語小委員会・議事録(案)
2 「敬語の指針(報告案)」に寄せられた意見の扱いについて
3 文化審議会国語分科会「敬語の指針(報告案)」に寄せられた意見の概要

〔参考配布〕

1 文化審議会国語分科会「敬語の指針(報告案)」
2 「敬語の指針(報告案)」に対する意見 (←主査判断により非公開)
 
付1
<意見公募>期間外又は規格外書式で届いた意見
付2
平成18年10月23日以降の「敬語」に関する新聞記事等
3 『新常用漢字表の作成に向けて』(「日本語学」2006年9月臨時増刊号)

〔経過概要〕

1  事務局から配布資料の確認があった。
2  前回の議事録(案)を確認した。
3  事務局から,参考配布資料の説明が行われた。参考配布3については,甲斐委員から補足説明が加えられた。
4  事務局から,配布資料2及び配布資料3の説明が行われた。説明に対する質疑応答の後,配布資料2で整理された項目の順に,寄せられた意見の扱い方について意見交換を行った。本日の意見を踏まえた「敬語の指針(報告案)」についての修正に関しては,杉戸主査に一任することが了承された。
5  次回の敬語小委員会は,年が明けた1月15日(月)の14:00から,如水会館「けやきの間」で開催されることが確認された。あわせて,1月15日(月)の10:00から,国語分科会総会が如水会館「オリオンルーム」で開催されることも確認された。
6  質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。
○杉戸主査
   今の配布資料の御説明について,まず御確認や御質問はないでしょうか。その後に,一つ一つ項目に沿った審議に移っていきたいと思います。

○内田委員
   「5分類についての賛否がほぼ相半ばする」ということですが,「5分類にするのは反対」という意見を出された方の職業といいますか,例えば教育現場におられるというような方がそちらに多いのかどうかという,そういうふうな分析はされていますか。

○氏原主任国語調査官
   教員が多いかどうかということまでは分析していません。例えば,配布資料3の29番を見ていただくと,大学教員ということですけれども,一番上に今回の5分類は妥当なものと考え,その根拠を以下の(1)~(5)に示すとしています。教員と分かるものも大体,賛成と反対とが半々くらいに割れている感じです。
 ですから,学校の先生でも,非常にこれはいい指針であるので,すぐに授業に使いたいというようなことまで書いていらっしゃる方や,やっと現実の敬語の使い方に追い付いた,それに見合うような説明ができる仕組みが提示されたというように非常に好意的におっしゃる方と,逆に,基本的には3分類でさえ,生徒は理解するのが大変なのに,それを5分類にしたら,もっと大変だということで反対される方がいらっしゃいます。
 反対の御意見の傾向としては二つあって,今,申し上げたように,3分類でも大変なのに,5分類にしたらもっと大変だという御意見と,もう一つは,今回5分類にするというのは謙譲語のところをⅠとⅡに分け,それから教科書などで丁寧語というふうにくくられていたところを,丁寧語と美化語に分けるわけですが,それで例えば,美化語を立てること自体に反対であるという御意見があります。つまり,これは尊敬語との区別ができるのかどうかというような理由から,それから,謙譲語Ⅰ,Ⅱについてもそんなふうに分ける理由がないとか,ⅠとⅡに分ける根拠があいまいだというようなことで,5分類として新たに立てる枠組み自体に反対の方がいます。以上のように,大体二つの傾向に分けることができます。

○杉戸主査
   敬語を増やすのは反対だというような御意見も含まれています。しかし,決して敬語を増やそうというような指針を示してはいません。それから,敬語の分類は一つでいいのだ,あるいは二つでいいのだという,そういう御意見も入っています。今,氏原主任国語調査官から説明のあったような意見も含めて,その幾つかある考え方の中での一つを提示しようとしているというところを,この先どうやって固めていくかという,そういうことだろうと思います。
 よろしいでしょうか。ほかに質問なければ,協議に入ってまいります。
 今の説明を受けて,配布資料2の「1」から「8」まで順番に見ていきたいと思います。一つ10分くらい,それくらいの時間しか取れませんが,集中すべきところは集中していきたいと思います。なお,この八つ以外の観点として,この敬語小委員会の委員のお立場から,何かここは検討すべきではないかということがあれば,恐れ入りますが,最後にお出しいただくと,そういうことでお願いします。そのための時間も取れるようにしてまいります。
 では,「1 <よりどころのよりどころ>という指針の性格に関して」です。具体的に報告案がその点に触れているところは,参考配布1のこの意見公募に供した報告案の2ページです。<報告案の構成>というところに,文部科学大臣の諮問理由から「敬語が必要だと感じているけれども,現実の運用に際しては困難を感じている人たちに対して」という部分が引用されており,それを「主たる対象として」という表現を採っております。その項目の次,<報告案の性格>というところに<よりどころのよりどころ>という,そういう表現を使っています。その関係を整理する必要があるのではないかという,そういう検討に向かうべきであるという指摘があったというわけです。
 いかがでしょうか。敬語ワーキンググループとしては,この点はきちんと分かりやすく,指針についての性格付けを明示する,そういう文言を少しだけでも加筆する必要があるだろうということを検討しつつあります。

○阿刀田分科会長
   私は,この「1」に関しては,若干の補足説明が必要であるにせよ,敬語ワーキンググループあるいはこの敬語小委員会が採ってきた方針で貫いていいのではないかと思っています。この諮問理由に「敬語が必要だと感じているけれども,現実の運用に際しては困難を感じさせる人たち」に対して,分かりやすい指針を提示するという,極めて分かりやすい,要するにマニュアルに近いような,こういう場合はこう使え,こう使えと言って,だれが読んでも分かるようなものを作ってくれというようなイメージを提示しているように思うわけです。
 それは私たちも作りたい。作りたいのだけれども,それを作ろうとしても,日本の敬語はそんなにばっさりと分かりやすい指針を作成することができるほど簡単にはなっていないわけです。そのことを考えると,どうしても余り細部にまで触れられない。それから言語政策という問題として,公が「こういうふうにしなさい」と言うことができるわけでもないし,それぞれが選択するというのが敬語であり,話し言葉であるわけですから,分かりやすい指針と言われても,そう簡単に提示できないし,提示しても,なぜこれを提示したかという説明もしなければならないというところもあるわけです。ですから,これはある意味では根源的に矛盾構造になっていると言える。分かりやすいものを示せと言って,分かりやすいものを示すと,なぜこれを選んだかということを,次に説明しないとどうしようもなくなる。
 そこで,<よりどころのよりどころ>なんて,ややこしいものではなくて,一発で分かって使えるものを作ってほしいというのが諮問の内容だと思うのです。だけれども,それを出すのは簡単には行かない。だから,せめて<よりどころのよりどころ>で,これを基にして,それぞれが自己責任において,個なら個が自分の置かれた状況の中で,どう考えるか,あるいは旅客機の客室乗務員という立場でどう考えていくかということを,この先でもう一回考えてくれないと,それはこれだけで全部間に合うということはできないのだということも言っているわけです。これだけで全部間に合うものを作れと言われながらも,これだけで間に合うものはできないのだ,二重構造にしないと駄目なのだという指針案を作ったわけです。
 そのことを,やはり訴えていく必要がある。ただ「よりどころ」という不十分なものを出せばそれでいいかというものでもないわけで,その苦心の策であるわけです。その辺りを批判されれば,甘んじて受けるより仕方がない。矛盾的構造を,これはどこかにはらむ可能性は非常に強いと思うのです。
 ですから,これ配布資料2の「8」の最後に,索引・詳細目次なんていうことが出ていますが,それが簡単にできるかどうかはともかくとして,ゴシック体とか,太字体を使用する,「敬語の指針」本文に太字のところと普通の活字のところがあって,「御用とお急ぎの方は,どうぞ太字のところだけお読みになってください。太字のところだけ読むと,ある程度「よりどころ」といってもいいようなものが定義できています。」という具合であればいいのではないか。
 しかし,それだけでは敬語は十分ではないわけで,ほかの考え方もあるし,あえてこれを選んだ理由というのも,ここにこういうふうに考えているのだということを説明していますという,例えばそんなようなことをしながら,根源的にちょっと矛盾をはらんだ指針になっていくであろうなということを考えた上で,この方針を貫いていくより,私たちは仕方がないのではないかなということを考えています。微調整はあるにせよ,この方向でやったらいかがかなというのが,私の考えです。

○杉戸主査
   最初に敬語ワーキンググループで検討すると申しましたのも,今の阿刀田分科会長の言葉の中では,微調整というところに当たる,そういうことだと考えております。

○阿刀田分科会長
   それ以外には,なかなかできないのではないですか。我々はそれを議論してきたみたいなものですから…。

○杉戸主査
   「よりどころ」一つだけにしますと言ったら,これはもう後,また同じだけの時間が掛かります。「1」については,そのように必要最小限の補足説明をして,基本線はゆるがせないようにする,そういうことで進めたいと思いますが,よろしいでしょうか。
 では,次は「2 5分類とすることに関して」です。これは(1)~(5)まで細かく細分できる問題の指摘,あるいは検討の観点が出てきています。一番根本に当たるのが(1)で,最終的に案として5分類で示していくかどうかですが,この点はいかがでしょうか。
 これも敬語ワーキンググループの検討の経緯を報告申し上げるとすれば,これは動かさない,5分類で行くということは必要であるという,そういう立場であります。その点についても,御意見を頂ければと思います。

○内田委員
   5分類で行くという方針で私も同意するのですが,やはり現場の方たち,先ほど質問しましたのも教えるというような,特に小学生,あるいは中学校ぐらいですと,やはり「5」という数字が,いきなり出ることへの負担感というのが,かなりあるのではないかという気がするのです。
 先ほど,氏原主任国語調査官が整理してくださいましたように,三つの分類が従来あった。そして謙譲語のところが二つに分かれ,丁寧語のところが丁寧語そのものと美化語に分かれたという,水準を一つ詳細化すると5分類になるというスキームをきちんと整理して,これまでの現場で持ってきた教育の経験,それと架橋してあげられるような提示の仕方をした方がよろしいのではないかと思います。
 それから,先ほど甲斐委員にも教えていただいたのですけれども,例えば,これまでの3分類ですと,8割方は分かるが,2割ぐらいはグレーで,余りよく分からなかったところが,この5分類にすることによって,95%まで分かるということです。つまり,現実の使用に追い付いていっているということだとすれば,やはりそこのところを言ってあげると,「ああ,それでなのか。」と納得が行くのではないか,受け入れやすいのではないかと思うんです。
 ですから,「8」の(1)Bで,図を入れるなど,視覚の面から工夫を加えてとありますが,この方針で行きますと,11ページでいきなり5分類ではなくて,これまでの3分類との架橋,その図を11ページに入れるというようなことで行くのがよろしいのではないかと,そんなふうに思います。

○杉戸主査
   ちょっと今の御発言に補足させていただきます。この報告案の21ページを御覧いただきますと,従来の3分類との関係を表で示したものがあります。左側に5分類,右側に3分類で,氏原主任国語調査官から説明のあったとおり,右側の謙譲語の一つが左側で二つに分かれ,丁寧語も左側で二つに分かれる。これは余り動的ではなく,動きが感じられないのですけれども,表としてはそういう構造がきちんと示されている。
 それから,もう一つ文章での説明のところで,例えば,9ページの「敬語についての教育」に触れたところで,下から8行目「それらの敬語としての性格をよりはっきりと理解するために必要な区分けをしたものである」とあります。謙譲語として一括されてきたものを,よりはっきりと理解するために必要な区分けをしたということです。ここでは,「分類」という言葉をあえて避けた記憶があります。
 これくらいの程度しか書かれていないというところを批判いただいたのだと思うのですけれども,例えば,この表をもう少し工夫する。あるいは今,読み上げた1文をもう少し工夫するといったことが,内田委員の御意図かと理解しました。

○内田委員
   そうなのです。この表をこの位置,21ページではなくて,11ページのところ,第2章のトップに持ってきてしまう。それと,やはり左欄に3分類を置き,そこから派生して右欄に5分類を置くということにして,5分類が後から出てきている,詳細化しているという,そういう動きをしたのだというところが分かった方がいい。今のままですと,左右がやはり逆になっておりますので,何となくこれまでの流れと,今度のがどういう関係かという点が不明確なので,左と右の位置を変えた方がいいと思いました。

○甲斐委員
   名前を出していただいたので,ちょっと発言するのですが,先ほど内田委員と5分類と3分類の話をして,私は学校で3分類で教えるときは,やはり残る問題が2割ぐらいある。しかし,5分類にしたら,まだすっきりはしないけれども,9割5分ぐらいまで問題が片付くのではないか,ということをちょっと申したのでした。
 今,内田委員が,21ページの表の左右について,3分類を左に置いて,最初に持ってくるという御意見をおっしゃいましたが,私はこれは賛成でないのです。というのは,従来は3分類だった,今度新しく5分類にするということで,そこの整合性を考えたということですし,また,小学校で3分類を教えて,中学校で5分類ということも,以前に話がありました。けれども,小学校では,余り分類を問題にするのではなくて,やはり言葉遣いを教えるところだと思うからなのです。しっかりした分類は小学校でも高学年になってから,又は中学校になってからだと思うのです。
 国語教育は分類という方に向かうのではなくて,敬語の考え方とか,話し方とかという理解の方へ向かうといいのではないかと思って,21ページは,やはり形としてはこの形がよいのではないか。そして将来は,一番右側の3分類の部分が切れてなくなってしまうというようなことを思っております。

○阿刀田分科会長
   どちらかと言うと,私も甲斐委員の意見に傾いているのです。「分類」なんていうことは,学者・研究者がいろいろほざいているという意見も,寄せられたコメントの中にありましたけれども,そこに入り込むと,みんなそういう印象をやたらに持つだろうと思うのです。だから,むしろやはり実例でどんどんこうなのだ,こういうときにはこういうふうに使えばいいのだという印象を前面に出して,「問われて語るもおこがましいが…」というので,5分類辺りが出てくるというような感じで答申していった方がいいのではないでしょうか。
 だから,今の御提案を伺って,「そうか,この分類対照表を先に持ってくる方がいいかな」とちょっと思ったのですが,やはりこの21ページ辺りの中,ある程度ずっと進んだ段階で,この表をさりげなく出しておくという方がいいのではないかと思いました。そうでなくても,この指針は何かやたら,「3」か「5」かということが出た途端に,いろいろなところで言われ,もうそこのところだけがつかまえられそうな気がして仕方がないのです。けれども,我々は「3」か「5」かだけを一所懸命2年も掛けてやってきたわけではないわけで,もっと実際的な,皆さんが本当に使えるようなものをということでやってきたわけですので,やはり「3」か「5」ということに,余りこだわっていないのだ,根底にあるのはその考え方だという,そういう方向で行った方が答申としてはいいのではないかなと考えます。

○杉戸主査
   敬語ワーキンググループでも,この「2」の項目は(1)~(3),そして(4),(5)も含めてですが,かなり時間を掛けて議論してきましたし,この先の残った課題の大きな一つだと思っています。その敬語ワーキンググループでの方向も,今,最後に阿刀田分科会長のおっしゃった方向を向いています。
 やはり「5」と「3」という数字が非常に強調されて受け止められている。もちろん「5」を言っているわけですけれども,その趣旨をより分かりやすく説明していくことが大事だと思います。つまり,この問題点で行けば(2)とか(3)とかですね。特に(2)の方,5分類とすることの理由を明確化する,より分かりやすく説明する,そこを重点にして少し改訂,加筆をしたい,そんなことを考えております。

○阿刀田分科会長
   そして,それとの関連で,「(4) 謙譲語Ⅰ,Ⅱの名称の問題」ですね。

○杉戸主査
   そうなのです,特に(4)。これも,敬語小委員会が始まって,しばらくしてから,敬語ワーキンググループが五つの分類でいかがでしょうかということを出して以来,大問題で続いてきています。意見公募に入る前にも御議論いただきまして,このままで行こうという案で出したわけです。
 これはいかがでしょうか。寄せられた意見の範囲でも,幾つか具体的な名称の提案の御意見も含まれていました。

○阿刀田分科会長
   難しい言葉がありましたね。

○杉戸主査
   敬語ワーキンググループでも可能性のある術語と言いましょうか,用語として検討の対象にした言葉がかなり含まれていました。しかし,それぞれにやはり問題はあるからやめておこうと,そういうことで見送った言葉が含まれているわけです。つまり,やはり難しい。「○○語」という,その「○○」の部分をできれば漢字2文字でというようなことを考えますと,これは途端に難しくなる。難しいから避けているというわけではないわけですけれども。
 ただ,これはこの先,その取扱いを学校教育の世界にゆだねたいとしたことにも含まれると私は考えたいのですが,謙譲語Ⅰ,謙譲語Ⅱに,Ⅰ,Ⅱを付けていると同時に,Ⅱの方に「丁重語」という呼び方を括弧して付けていますね。これも,やはり3分類と5分類の関係を示すと同時に,5分類なりの,特に謙譲語Ⅱの趣旨,あるいは位置付けを,この「丁重語」という,これは従来研究の世界でも使われてきた語を採用して当てているということで,そういう段階の案ということで示しています。
 名称の問題も,一つの姿勢は示していると思うのです。改めて今回寄せられた意見を受けて,やはりこういう示し方もあっていい,あり得るという気持ちを,かえって私などは強くしているところです。ただ一つだけ気になるのは,ⅠとⅡというそのことで,どっちがⅠだったか,どっちがⅡだったかと迷う,そういうことは心配しなければいけないという御意見もありました。この点は確かにそうだと思います。

○内田委員
   先ほどの表の入替えについては,私は引っ込めさせていただきます。いずれ3分類の部分をなくした方がいいという御意見も分かった気がいたしますし,ばっと5分類に余りフォーカスが行くのは避けたいという,それもよく分かりました。
 それで,謙譲語Ⅰ,Ⅱの分類なのですけれども,また分類って言ってしまいますが,Ⅰの方は視点が到達点の方に寄っていて,Ⅱの方は出発点の方に視点がある。つまり,出掛ける人の側にあるのか,到達する先の方にあるのかというような区別というふうに考えてもよろしいのでしょうか。これは質問でございます。

○杉戸主査
   動作の出発点と到達点ということからすれば,例えば尊敬語と謙譲語Ⅰの方が,その類推がきく枠組みだと思います。話すという行為と,話される素材との関係で行けば,その関係は,謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱの枠組みとなります。話し相手に向けてのが謙譲語Ⅱで,謙譲語Ⅰの方は表現される素材で,この動作の向かう先ということになります。

○井田委員
   謙譲語Ⅱは,あえて分類するならばですけれども,いずれ「丁重語」という言葉で人になじんでいけば,それはいつの日にか,例えば,この<よりどころのよりどころ>を基に,「よりどころ」の本が書かれたときには,謙譲語Ⅰ,謙譲語Ⅱではなくて,「丁重語」という言葉が先に来て,謙譲語Ⅱの方に括弧が付いて,「丁重語(謙譲語Ⅱ)」というようなことになる日が来るのかもしれませんね。

○杉戸主査
   「丁重語」という言葉が謙譲語Ⅱに当たるものに該当するということが定着すれば,ⅠとⅡというのは要らなくなりますね。謙譲語Ⅰが謙譲語だけになり,謙譲語Ⅱは丁重語と定着すればですね。

○井田委員
   確かに要らなくなるわけですね。そうすると,「かつての謙譲語Ⅱ」とか,何かそういうことになるのかもしれませんね。

○杉戸主査
   今回,慎重になっているのは,「丁重語」と「丁寧語」となる点です。この区別が少なくとも一般語としては「丁重なもてなし」とか,「丁寧なもてなし」って,ほとんど同じではないかと,そういうような感覚もあります。一般に使ってもらう用語として,まだ十分区別できない,はっきりした違いを表現し切れないところがあります。これはそういうことだということで,時間をかけて定着し得るものだと,私は思います。

○井田委員
   ですから,過渡期の表をあえて作るとすれば,これでいいのだと私も思います。とにかく日本人というのは,分類とか機構改革とか,そういうものが好きなのでしょうね,引き出しの収納とか,組替えとか…。ですから,「3」が「5」になって,さあどうやって分けるのだと,もうとにかく私は,学校の先生がこの表のある部分を空欄にして,「ここに該当するものを入れなさい」みたいなことがテストの問題に出ることだけは,絶対に起きないようにしてほしいと思っています。
 つまり,私たちは,そういうことを子供たちに求めているのでは全然ないわけです。「3」と「5」が独り歩きし,「謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱの区別を述べよ」などというテストの問題が出て,子供たちがますます敬語嫌いになるということだけは避けたい。そんなことのためにしてきたわけではないと思うものですから。先ほど「分類」ではなく,「区分け」と書いたと言われましたが,そのようにひそやかに忍ばせるよりは,はっきりと「分類は目的ではない」ということを強く打ち出した方がいいと思います。敬語小委員会では,これだけ「分類が目的ではない」「そうですね」ということになっても,どうしても,まだやはり「3」と「5」に目が行くのだろうと思うのです。
 私もその一員ですが,マスコミが注目し,記事になり,電波に乗っていくのは,やはり「3」と「5」のことです。ですから,この分類は「分類のための分類」ではない,「分類のための指針」ではないということを,相当強い力で引っ張り戻しておく,あるいは強調しておかないと,なかなか思うとおりには伝わっていかないというか,広まっていかないということを,ちょっと心配しております。

○杉戸主査
   「丁重語」という言葉について,もう一言補足いたします。この括弧の中に入れて示した言葉としての「丁重語」は,研究の世界ではこの区分に当たる名称としては,言わば磨かれたというか,一番有力な言葉として,ほかに幾つか,今回寄せられた意見にも含まれていた用語と比較検討された中でも生きている言葉です。繰り返しますが,日常の一般の用語として,さてこの先どうやって定着させていくかということが,まだ問題だということになります。
 「分類を強く打ち出すための答申ではない」ということをはっきり書くということですが,これも「8」の項目の方の一つの工夫ですね。より分かりやすい指針とするための工夫ということの一つだと受け止めて,先ほど9ページのところを読み上げましたけれども,例えばそこ,あるいは第2章で敬語の仕組みを説明する章の前文辺りで,本当に例えばですが,できるだけ早く工夫して,その案をお示ししていく,そんなふうにしたいと思います。
 「2」の(4)の「謙譲語Ⅰ,Ⅱの名称の問題」はいかがでしょうか。特に御意見がなければ,この案のままということにして進みたいと思います,敬語ワーキンググループの意向もそこにあるのですが,よろしいでしょうか。

○阿刀田分科会長
   全く賛成です。つまり,これはもうある意味では折衷案そのものです。従来の3分類の謙譲語というのが,基本的にこの流れの中に入っているということで,謙譲語という語を残してⅠ,Ⅱを付けた。それからまた学会なんかで「丁重語」という言葉が熟しているのであるということであるから,括弧として後ろにくっ付けておく。本当にこれは両方を寄せ集めてきて作ったようなことですけれども,これは現状の中ではやむを得ないし,やはり今までの謙譲語とのかかわりがどうであったのだろうかということを考えると,この謙譲語Ⅰ,謙譲語Ⅱという言い方を残した方が,従来の謙譲語とのつながりが明確になる。一方,「丁重語」という言葉を括弧で付けることによって,この方面に一定の知識を持った方々は「ああ,あれのことか」ということも分かる。本当に苦肉の策と言えば,苦肉の策なのですが,取りあえずはこれでやっていこうということでよろしいのではないかなと思います。

○杉戸主査
   次の「(5) 美化語にかかわる問題」も,今の(4)とよく似た面を持った議論が,寄せられた意見でも出てきています。特にこれは丁寧語との関係,さらには尊敬語との関係が議論され,指摘されている。それはその美化語に属させるべき,特に「お」という接頭語について,歴史的な経緯をさかのぼって,その語源と言いましょうか,昔の用法を強く意識した場合に,出てくる意見だろうと思います。
 最初の,氏原主任国語調査官からの説明にありましたように,歴史の中で,あるいは変化の流れの中で,ある時点で規範なり,あるいはその規範に基づいた指針を示す上では,瞬間をとらえて,そこから将来につながる枠組みを示さなければいけないと,そういう立場であります。そうした場合,この美化語という枠組み,あるいはその説明も,今の案が適切だと,そう思って,このまま案を持ってきているわけです。そこに,より深く歴史をさかのぼったことを踏まえてというような,そういう立場から名称を変えたり,分類の枠を変えたりする,これは避けるべきだと私は思います。
 それから説明の中に歴史的な経緯・事情を書くかどうかということも一つのポイントになるかと思いますが,これを美化語だけについてやると,ほかの分類枠の方はもっと言わなければいけないことが増えるはずです。これはバランスを欠くことになります。これは避けたいと私は思います。

○甲斐委員
   18ページに「5 美化語(「お酒・お料理」型)」として,括弧して(「お酒・お料理」型)というのがあって,また【該当語例】も「お酒,お料理」,21ページも「「お酒・お料理」型」となっています。すると,これいかにも食べ物,飲物ということで,神への感謝という,寄せられた意見に見られる指摘が生きてくる感じがあります。
 しかし,さっき氏原主任国語調査官が資料3の29番の意見に関連して,「お遊戯」を挙げられた。幼稚園でいうと「お絵かき」という言葉があって,「お絵かき」などは,これを入れていただけると,神への感謝ではなくて,普通の言葉ではないかと思うんです。したがって,この口に入れる食べ物・飲物だけでなくて,できたら1例だけ変えていただけると,誤解が減るのではないかと思います。

○杉戸主査
   確かに食べ物・飲物ばっかりに集中していると言われればそうなっています。それが歴史的にさかのぼって,天からの恵みとか,あるいは作ってくださった方への気持ちがこもった言葉ではないかという今回の寄せられた意見に反映されています。そう言われれば確かにつながってしまうというか,そういうおそれというか,そういうような例がたまたま出ていた。ただ,この例は非常にたくさんの中から入れ替え,差し替えして選んだ言葉ではあるわけです。つまり,別の例だと尊敬語の用例の方がすぐ思い付きやすいから,これはやめようとか,あるいは美化語というよりは丁寧語と言った方がいいのではないかという,そういう例と入れ替え,差し替えして,ここにあるわけです。
 それから,今の「お遊戯」とか「お絵かき」,これは親愛語,子供向けの非常に親しい気持ちを表す,そういう種類の言葉遣いだという分類名があるのです。それを美化語に含めるかどうかということも,また議論があり,特殊な用法であることも確かです。

○内田委員
   「お洋服」なんてどうですかね。

○杉戸主査
   それも尊敬語というふうにとられやすい,例えば「先生のお洋服」とか。「先生のお洋服」ということに言及することは避けた方がいいと,第3章に書いてあったりするのですが,目上の方が着ていらっしゃる洋服について「お洋服」というのは,性別,使い手の性による差もありそうです。
 ここはどうでしょうか。飲物・食べ物に限らず,別の例をもうちょっと工夫してみるというところではないかと思っています。

○菊地委員
   そういう点で工夫した方がいいのでしょうね。ただ,なかなか難しくて,どこからも文句が出なそうなものを選んで,この例に落ち着いたという経緯があります。そうしたら,神への感謝とかという声が来てしまったというところはあります。何か考えられるものは考えてみたいと思います。

○杉戸主査
   「おにぎり」なんていうのは,「お」を取ってしまうと,別物になるとか。

○井田委員
   「お習字」は駄目ですか。「お習字」では,「お絵かき」と同じですかね。

○阿刀田委員
   からだの部分に「お」を付けたものなんかどうですか,「お鼻」や「お耳」などは。

○杉戸主査
   場合によっては,目上の方のということで尊敬語に入れることになりそうです。

○阿刀田委員
   そういうのもありますね。

○杉戸主査
   「お習字」は,いいかもしれませんね。

○大原委員
   「おビール」なんてどうですか。

○杉戸主査
   「おビール」は…。

○大原委員
   それも食べ物・飲物だからまずいですか。

○甲斐委員
   「おビール」は,逆に誤用ではないかと言われるから,例としては良くないでしょう。

○杉戸主査
   国立国語研究所とか,国語課の世論調査で,この美化語に類する「お」の使い過ぎをちょっとにおわせる問いの例に「おビール」入れているのです。

○井田委員
   「お祭り」も神への感謝ですか。

○杉戸主査
   それは正にそうなりますね。

○井田委員
   「おみこし」も全部そうですね。

○杉戸主査
   「お習字」というのは,今まで検討していない言葉で,いいかもしれません。それも含めて,もうしばらく余裕が頂けますので,この先敬語ワーキンググループでもう一度具体的な例を検討し直します。
 美化語の根幹にかかわる説明の方針,あるいは枠組みの取り方は,これまでの案どおりで行くということでよろしいでしょうか。用例を差し替え,そして,本文の説明の中でも,その実例に関しての配慮をします。
 さて,先へ進みたいと思います。「3 用語「相互尊重」に関して」ですが,寄せられた意見の趣旨は大体そこに書いてあります。基本的に「相互尊重」,あるいはお互いに平等な人格に基づく人間関係というのが,余りにも空論ではないのか。あるいは上下とか,あるいは「へりくだり」とかという,そういうことに関する心遣い,その心遣いに基づく敬語という,そういうことを,この言葉に隠して意識的に避けているのではないか。そういったことなのですが,これは決してそうでないということを第1章に書いたつもりであります。これも敬語ワーキンググループとしては,誤解を少しでも減らすように,少し加筆するということを今,検討中であります。
 立場とか年齢に上下という言葉で言う関係はあるわけですが,それでも,上から下に向けての気持ちの持ちようというものもある。それも含めて「相互尊重」なのだ。上の立場から下の立場に対する尊重の気持ちはあるべきだという,そういう意味の「相互尊重」を前々から,昭和27年の「これからの敬語」も,平成12年の「現在社会における敬意表現」も同じ言葉を用いて言っているわけです。その精神は,そこにあると思って,それを引き継いで使っているわけです。その基盤は揺るがしたくない。揺るがすべきではないと,私は思います。

○市川委員
   「相互尊重」ということは,大変大事である。「4 用語「立てる」に関して」とも密接なつながりがある。しかし,「立てる」という言葉を使っていること自体が,やはり「相互尊重」と言うことと矛盾しはしないか…。尊敬語は相手を「敬う」,謙譲語は「へりくだる」というのが,やはり本来の言い回しのはずだと思っています。それが言えない事情というのが,何かあるのだろうなと思うんですけれども,「立てる」という言葉を使って,「相互尊重」があると言えるのかなというのは疑問です。ちょっとこの両方,尊敬語でも「その人物を立てて述べる」,それから次の謙譲語Ⅰでも「人物を立てて述べる」,この言い方は,やはりいろいろ矛盾を含んでいるのではないかなと思います。寄せられた御意見の中にも,かなりそういった指摘が多かったと思うのですけれども…。
 敬語ワーキンググループでは,いろいろ御努力があったのだと思うのですけれども,やはり「敬う」「へりくだる」という言葉が使えない理由がよく分からない。「敬う」というのは,最終的に天皇陛下に行ってしまうからとか,いろいろな政治的なものでもあるのでしょうか。でも,現代の敬語というのは,相手を理解して,相手を尊ぶということですよね。それがとらえ方によっては,「敬う」だから天皇陛下をかなり偏重してしまうというような,何かそういうことがあるから,こうなるのでしょうか。その辺りの理由がちょっと解せないところなのですけれども…。

○杉戸主査
   先ほど,最初の配布資料3の説明の中で,寄せられた御意見(参考配布2)の27番の方の2ページ目を氏原主任国語調査官が読み上げました。「目的」とか「手段」という言葉を使って意見が書かれています。これを私なりに申しますと,敬語を使うときのその人の気持ちと,その気持ちを土台にした敬語の表現が果たす機能,働きとを区別しているということです。ここのところは非常に難しい,御理解いただきにくいところかもしれませんが,気持ちの問題として「敬う」とか「へりくだる」とかということを否定しているわけでは全然ありません。
 そういう気持ちは,いろいろなものがあって「敬う」と「へりくだる」の2種類だけではなくて,「改まる」とか「慎みを表す」とか,そういういろいろな気持ちがある。その中で,それらをできるだけ一つの軸で説明しようとしているわけです,敬語の分類や区分けをするときには…。尊敬語の場合は○○の人を立てるとか,謙譲語Ⅰの場合は○○の人を立てるとか,同じ言葉で説明しようとしている。言葉としての働きを説明するのが,「立てる」という用語です。ただ,その言葉の働きの基には,人としてのいろいろな気持ちが含まれているのです。市川委員はそちらの人の気持ちの方を重視された御意見だと,私には聞こえるわけです。
 敬語として言葉になった場合の,言葉の働きを整理するときには,そこにいろいろな種類の気持ちがあるのを,一つ一つ詳しく書き切れない。一つの尊敬語,例えば「おっしゃる」にも,いろいろな言葉で表すべき気持ちがこもるわけです。それをすべて書くかどうか,そこのところは,これは敬語の説明をする専門の世界でもそうですし,学校教育でもそうだと思いますが,そこは簡単には行かない。そして,過不足が必ず出てくる。場面による気持ちの種類もいろいろある。その時,その時にいろいろな気持ちがあるわけで,それを一つの言葉が担い得るわけです。そのいろいろな気持ちを一々記述,説明の中に入れ尽くすわけには行かないということ,それよりは言葉そのものが果たす言葉としての働き,そちらの角度から一番端的に表せる言葉は何かということを考えて「立てる」をこの場合,選んだわけです。それは,尊敬語にも謙譲語Ⅰにも使える言葉である。そういう理解であります。
 それが「4」の方の項目になって,論点になっています。先ほどの最初の配布資料3の説明のように,「顔を立てとけばいいよ」というような,非常にマイナスの意味合いも含めて使われる日常用語の「立てる」というのとのぶつかり合いなど,誤解を生じる余地は残念ながらある言葉なんです。しかし,言葉を説明するこの指針の中では,こういう意味で使うと,そういう説明を補足する案を敬語ワーキンググループの方で検討しているわけです。そういう手当をすることによって,今,私がちょっと長々しく申しましたような考え方を分かっていただきたいというふうに考えているわけです。そして,それは可能ではないかと,そんなふうに思うのです。
 第1章には,「敬い」とか「へりくだり」は昔もあった,そして今もあるということが書いてあります。それを決してそういった気持ちの問題,人と人との関係のとらえ方を否定している,あるいはそのことから逃げているということは,決して考えていません。そこのところをうまく第2章とつなぐという,その工夫を少ししようかと,そんなふうに私なりには考えています。

○蒲谷副主査
   今のちょっと補足になります。
 先ほどの美化語の問題もかかわってくるのですけれども,ちょっと誤解されてしまうところがあるのです。前提として,気持ちにかかわる問題と,言葉を記述するときの問題,その二つを大きく分ける必要があるということなのです。
 先ほどの美化語でも,「お米」に対して,「お米」というものに対して敬意を持つとか,その「お米」を作ってくださった方に敬意を持つとか,「お酒」に対していろいろな敬意を持つとかということは,それは気持ちの問題です。美化語に関する記述にそうしたことが書かれていないと,何か文化庁はそういうものを認めていないというような誤解があるわけですけれども,それは言葉の記述の問題であるから書いていないということなのです。
 今のお話でも「敬う」とか「へりくだる」とか出てきましたが,この「4」と「5」にもかかわります。「立てる」はちょっと中間なのですけれども,「敬う」とか「へりくだる」とか「改まる」とか,それから「尊重する」とかという,そういうものは気持ちの問題,気持ちに関する事柄です。そのことと,尊敬語とはこういう敬語だ,謙譲語Ⅰとはこういう敬語だという言葉の記述をするというところとは区別して考えるということなのです。その言葉の記述に関して中間的な「立てる」という,その用語を使ったということです。
 杉戸主査からも説明がありましたけれども,ただ「立てる」という言葉は気持ちにもかかわってくる。そういう意味だというふうに理解されてしまうために,少し気持ちの話をしているのか,言葉の記述の説明をしているのかがあいまいになってしまう,そういう問題があるのだろうというのが,この「4」の問題,あるいは「5」の問題というところだろうと思います。ですから,その辺りを区別して考えていただきたいというのが,敬語ワーキンググループで何度も出てきた議論です。

○杉戸主査
   言葉を説明するということについて,一般の方に,どうやってそのこと自体を説明していくのかが問題だと思います。言葉を説明するって,そんなに特別なことなのかということになりかねません。そこは慎重に避けなければいけません。こういう立場でこういう言葉を使っていますということ,その説明を「立てる」という言葉を取り立てて,「敬う」とか「へりくだる」との関係を補足すべきところを補足したい,そんなふうにして,この手当を考えています。

○蒲谷副主査
   従来よく言われているのは,例えば子供に向かって「早くおっしゃい」というふうに敬語を使ったら,子供に尊敬語を使っている,子供を尊敬しているのかというような,そういう誤解が起こるわけです。だから,「おっしゃる」という敬語の持っている基本的な性質と,その「おっしゃる」という敬語を使って,尊敬の気持ちを表すということとは,ちょっと区別して考える必要があるというようなことがある。その辺りが誤解というか,考え方の問題をちょっと整理した方がいいかなというようなことがあります。

○阿刀田委員
   確か,私は前々回の敬語小委員会で,「高める」ではいけないのかという発言をしたと記憶しています。「尊敬する」ではなく,「高める」と言ったら,やはり「高める」というのは水準より上に行くことであって,水準より下に言うようなときも敬語に扱われることがあるという用例が確か出てきてました。結局,「立てる」ということは,ベクトルが向かっているということを表現している言葉であって,状況がどうであって,その中において人間関係に明らかに上下があれば,「尊敬する」ということになっていくけれども,別に尊敬もしていなければ,何でもないけれども,やはりある種のベクトルがそちらに対して向かっているというような状況が,結構敬語が使われる現場にたくさんあるという,そんなような御説明をいただいて,ああそうか,「高める」でもいけないのだということを納得したときがあったのですかね。どうもそんなところだったのですよね,あの時の話合いは…。

○市川委員
   「立てる」という言葉は,立派な言葉だと思います。けれども,これに「お」を付けて「おだてる」と言うと,美化語が逆に悪意に取れる部分もある。美化がすべて尊敬かというと,逆の働きもするわけで,「立てる」という言葉しかないのかもしれないけれども,「おだてられる」って逆に丁寧に使ってしまうと,おかしなことになってしまわないかなという,そんな感じもしたものですから。ほかにももっと御苦労なさったのでしょうけれども…。

○井田委員
   「本当に敬って敬語を使う場合」,それから「相手の立場を尊重して,実を言うと,尊敬はしていなくとも,使う場合」,それから「よく知らない人だから,敬語を使う場合」と,敬語を使う状況というのは大体その3種類ぐらいだろうと思うのです。その場合の三つを合わせて言うのに,「敬う」ではちょっと該当しない例が出てくる。「尊重する」だと「敬う」とちょっと違ってくる。距離感を取るというのでしょうか,そうなるとますますどうしていいか分からないという中で,「立てる」という言葉にまとめられたのだと思います。ただ,余り第2章で「働き」ばかりを述べて,「立てる」「立てる」という話になると,やはりそこでなぜ「立てる」のかという気がしてきてしまう。敬ったり,立場を尊重したりというようなところがあるのだというのを,第1章では書いていらっしゃいますけれども,第2章の敬語の働きの部分でも,例えば「敬ったり,尊重したりする場合に,相手を立てて述べる」とか,繰り返した方がいいのではないでしょうか。第1章に書いてありますよと言っても,一般の方は第1章は読まない方もいらっしゃるでしょうし,第1章を読んで第2章に入ったら,第1章のことがそんなに頭に残っているかどうか分かりませんし。
 そういうことを考えると,「敬う」とか「へりくだる」とか,そういうことを否定していないのであれば,第2章の「立てる」とか,向かう先を「立てる」というところにも多少補足の意味で「敬う」「へりくだる」という言葉が入ってもいいのではないか。その方が,むしろ一般の人にとっては,「ああ,そういうふうなときに相手を立てるのだな」と,納得が行くのであれば,そうした方がよろしいのではないかと思いますが,いかがでしょうか。

○杉戸主査
   正に具体的に今,御提案いただいた表現の仕方が,先ほどのちょっと繰り返しになりますが,寄せられた意見の27番の方の御意見なのです。「手段」も含めてという,そういうことだと思います。
 敬語ワーキンググループでも,謙譲語Ⅱについての定義はそのままにするとしても,最初に出てくる説明の部分に言葉を補ってはどうかという議論を今,してきています。それを「立てる」という言葉を使った尊敬語・謙譲語Ⅰについても,もう一度検討をするという,大急ぎの宿題を頂いたということで,今日のこの問題点としては,「3」,「4」に関してまとめたいと思います。
 次の「5 用語「へりくだり」に関して」ですが,これはそこにAとBと書いてあります。Aの方は今の「立てる」との関係で,絶えず問題になることです。そこでの手当というか,工夫で十分に配慮していきたいと思います。Bもそうですね。
 私としては,「3」,「4」,「5」は,先ほどのまとめ方で,この先の,敬語ワーキンググループとしての宿題にさせていただくということにしたいのですが,よろしいでしょうか。(敬語小委員会として了承。)

○杉戸主査
   「6 「いただく」のとらえ方に関して」です。これは「いただく」の誤用の範囲をどうとらえるかです。特に「いただく」と「下さる」と,その二つの対比の中で,絶えず問題にもなり,今回寄せられた意見でも,その点が非常に注目されて指摘されています。このことに関しては,この報告案では補足的な位置付けなのですが,30ページで,第2章の最後に「付 敬語との関連で注意すべき助詞の問題」を立てて,格助詞の問題として説明しています。「先生が指導してくださる」,「先生に指導していただいた」という,端的には「が」と「に」の使い分けが敬語の使い分けに非常に密接に関係しているということで,その動作,指導という動作の,だれが指導するのかということをめぐっても説明をしてあるわけです。
 この部分を読んでいただければ,寄せられた意見のかなりの部分は出てこなかった意見であるという,そういうことも言えます。ただし,それ以外の「いただく」の問題,誤用の範囲について非常に厳密に「いただく」についての正用,誤用を区分けして,意見というよりはレポート,小論文を書いてくださった方もあるわけです。その点について,どのように反映させるかですが,第3章の記述の方で少し手当をするかということを敬語ワーキンググループでは考えています。特にこの点に関して,寄せられた意見を御覧になった上で,何か御意見はあるでしょうか。

○井田委員
   非常にシンプルな質問ですが,「御乗車いただけません」は間違いなのでしょうか。間違いであると書いている方が何人かいらっしゃいます。

○甲斐委員
   そう書いている人の考え方はちょっと極端だなと思ったのです。

○蒲谷副主査
   「御利用いただけます」とか「御利用いただけません」,「御乗車いただけません」というのは,この「敬語の指針(報告案)」では肯定している。要するに慣用として,もう認められるだろうとしているわけですが,それに対して否定的なコメントが何点か出ています。
 あと関連して,「御利用いただきましてありがとうございます」も認めないというようなコメントでした。その一つの理由は,「利用してもらってありがとう」に戻せないという点にあります。それはもういろいろなところから指摘されることなのです。ただし,「御利用いただきまして有り難く思います」という言い方に変えると,それは認められるということになって,その辺りにまで踏み込んで書くかどうかというところがあります。ただ,そこまで書くと非常に複雑になるのです。けれども,一方で「利用してもらってありがとう」がどうしても気になるという,そういう御意見がありますので,その辺りはちょっと踏まえながら,少し記述を変えながら,しかし,それが間違いだということは,指針ではちょっと言えないだろうというふうに思っております。

○杉戸主査
   具体的には,案の34ページに出ている第3章の第2の【8】のところです。駅のアナウンスでという,この【解説1】,一番端的に説明を加えたところで,「御乗車いただけません」というのを出して,可能であると,こう書いています。その下の【解説2】で「もらえる」という言葉を持ち出して,今,蒲谷副主査がおっしゃったことが細かく書いてある。「○○してもらってありがとう」,その「もらって」の「て」で区切られる前半と後半とで関係がねじれるのではないかという,そういうことが気になる人がいらっしゃる。私なんかは気にならならない方なのです。これは,地域差もあるようなのですが…。この34ページの【8】の【解説】,それから38ページの【17】,こちらが直接的に「いただく」とか「下さる」を扱っている項目ですから,そこで基本的な姿勢は変えずに,言葉や説明を補う,そういう工夫をしたいと,そう考えています。ちょっと急ぎ足になっておりますが,「6」はそのようにさせていただきます。
 次に,「7 言葉の変化との関係について」です。これは先ほど別の項目の議論の中で,私がつい言ってしまいましたけれども,この指針というものはある規範に基づかないと出せないと思うのです。その規範を非常に固定的に硬いものとしては,できるだけ考えないようにして,少し時代的にも,場面の多様性も含めた,ちょっと緩やかな規範を意識して作っているつもりです。
 しかし,何らかの範囲の規範に立たないといけない。そこは非常に長い日本語の歴史全体を含み込むわけにはいかないという事情があります。飽くまでも,現代のある用法の歴史的な背景としては,きちんと踏まえなければいけないが,そこに踏み込み過ぎると,この指針は少なくとも分量が何倍にもなってしまう。
 今回,規範に基づいた範囲のことで行くとすれば,ここで指摘されているような言葉の変化を踏まえていないという批判の中で具体的に挙げられている事例は,説明を広げない方がいい範囲のものだろうと,そんなふうにとらえています。ただ,今はちょっと断定的に言い過ぎたかもしれません。
 例えば,尊敬語も丁寧語化しているという,これは謙譲語も含めて大きな歴史の流れで,それはそう言われているわけです。新聞記事とか,この寄せられた意見の中にも,現代語のある非常に現代的な用法の中の尊敬語ももう丁寧語化しているのだと,そういう指摘が繰り返し出てきています。
 同じ論法で行けば,尊敬語と丁寧語は区別しなくていいということになります。あるいは尊敬語を消さなければいけなくなる。それは謙譲語ⅠとⅡを区別するという論理と全く同じ土俵の上ですけれども,別の方向を向いています。尊敬語と丁寧語の区別もなくするという,そういう歴史把握も,これは学説的にも認められていると思いますが,そこに踏み込むかどうかの問題で,そこは避けるべきだと,そんなふうに思います。
 現状で適切な選択をして,例えば五つの区分をする。それに基づく現代敬語の把握として,言葉の変化を余り書き過ぎていないという,この枠組みは守るべきだということを考えているわけです。多分,これは次の段階の<よりどころのよりどころ>として,これを使っていただくための背景的な情報,あるいはより肉付けとして心得ておくべき知識といったところでは,十分に扱われるべきかもしれませんし,それを否定するわけでもありません。

○阿刀田分科会長
   これはもう当然なのではないでしょうか。今の段階で微調整が必要なところは,いろいろあるでしょうけれども,現段階でのものを考えてやっていくより仕方がない。言葉は変化するのだから,今,ここでこう断定しては駄目だと言われたら,答申として何を言っていいか分からないということになってしまうのではないですかね。

○杉戸主査
   でも,その指針というものを作るという仕事自体が,そういう選択なり,範囲設定をしなければいけない立場のものだということを踏まえて,この先もこの線で行きたい。少し注意深く文章の書きぶりを点検することは,もう一度,この観点でしなければいけないと思っております。
 さて,「8 より分かりやすい指針とするための工夫について」です。これはこれまでも幾度か,この角度からの御意見を頂いてまいりまして,例えば,単に箇条書にするだけではなくて,あるいは【解説1】【解説2】という段階を付けるだけでもなくて,字体を変えたり,太字にしたりしたらどうかという御意見も頂いて,一部それをしてもおります。第2章の説明はゴシック体の説明部分があり,定義文などはこのゴシック体の部分に当たります。そういった工夫は一層すべきであるという意見が敬語ワーキンググループの中でも出ています。それから,今日の議論に入る最初の段階で,図を入れるということについての御意見も出ましたが,いかがでしょうか。

○甲斐委員
   図を入れていただきたいところがあるのです。今日何度も出てきた<よりどころのよりどころ>ですが,このことを分かりやすく示す図を入れていただけるといいと思うのです。例えば何か仮にちょっと漫画化して言いますと,レストランの店員のための敬語の本があるとすると,それは「よりどころ」なのですね。だから,そういうのをまとめた形での全体の基盤というような形の図があると,<よりどころのよりどころ>ということの意味がくっきりしてくるように思います。それぐらいしか説明できませんけれども,あると誤解を招かずに,この意図がはっきりとするのではないかと思います。

○阿刀田分科会長
   航空会社だとか,コンビニエンスストアだとか,それから学校とか,そういうのが五つ,六つ散っていまして,その「航空会社のよりどころ」,「コンビニエンスストアのよりどころ」,「学校のよりどころ」とか,それらが書いてあって,それがふっとまとまったところに<よりどころのよりどころ>を置くということですかね。

○甲斐委員
   はい,そういうイメージです。

○杉戸主査
   (ざん)新なページになりそうですね。検討させていただきたいと思います。
 今,聞いてすぐにお返しするのもどうかと思いますが,少なくともこの答申が出た時に,説明するための説明資料にはそれがあると,非常に意図は分かっていただきやすいものになっていくだろうと,そんな感じを受けました。
 そのほかに何か特にございませんか。例えば,意見公募に掛けた報告案の61ページ,最後に,1ページを使って,四角で囲って,「敬語の仕組み」と「敬語の具体的な使い方」という形で,第2章,第3章について1ページにまとめ,前の60ページには第1章をまとめています。これも文章というか,文字が多いものですけれども,これだけでも随分理解していただく手掛かりとして,一覧性のある,一目で見られるものだというふうに考えております。こういう工夫をこの報告案全体の中に,ここの部分に特にしたらどうかという,そういう御提案があれば,また考える余地があると思います。今,その一つが<よりどころのよりどころ>についての図の提案でした。どうでしょうか。
 あわせて,配布資料2の ※ が付いております「8」の(2)の項目の問題があります。意見公募以前から,既に敬語小委員会でも検討をしてきていたもので,敬語ワーキンググループとしては可能な限り,この索引というもの,それから第3章でどういう問いを立てているかが一覧できるような見出しも含めた「詳細目次」というものを追加するということを考えています。
 ただ,索引といっても,いろいろな索引が可能であるわけですが,スケジュール上,最終的な答申に至る直前の段階で,どこまで可能かを見極めながら作成していきたいと思っていますが,それ以外に何かあれば御提案ください。

○井田委員
   「読んで得したな」というもののある答申にしたい。答申とは,そういうものではないのかもしれませんが,広く読んでいただきたいし,読んだ人が「あっ,得したな。」と思えるものにしたいと思うんです。それは何かと言いますと,マニュアル敬語のことではないかと思います。マニュアル敬語についての記述が少ないという御意見がありましたね。マニュアル敬語については,<よりどころのよりどころ>は示しているのですけれども,「例えば」という感じで,もう少し具体例をたくさん挙げてもいいのではないか,不思議なマニュアル敬語から派生してしまった今のお店などで使われている不思議な言葉遣いを,市川委員がおっしゃる「1,000円からお預かりいたします」なども含めて,いろいろと挙げて,これはこうした方がいいのではないですかと書く。つまり<よりどころのよりどころ>なのですが,ちょっと「よりどころ」にも踏み込んだものがあってもいいと思います。今,一番緊急に求められているもの,みんなが違和感を感じているものは,お店でのやり取りだと思うのです。
 いわゆるマニュアル敬語の問題,付録でも何でもいいのですけれども,見て「ああ,そういうことなのか」と,何かもう少し具体例があって,読んで得したと思えるもの,明日からあの店員に言ってやろうと思えるもの,何でもいいのですが,そういうようなイメージです。そういう仕掛けがあって,その部分から始まって,第1章まで読んでもらえたら,この答申は大成功だと思いますので,それはいかがなのでしょうか。今から時間のない中で,例えば「これだけはちょっといかがなものか,マニュアル敬語集」というか,「マニュアルの変てこな言葉集」みたいなものを添えるとか,あるいはマニュアル敬語の部分をちょっと厚くするとか,そういうことは今から可能でしょうか。

○阿刀田分科会長
   もしやるとしたら,【34】辺りでしょうね。

○杉戸主査
   そうですね。48ページにある【34】。この問いは,レストランの場面の,「御注文の品はおそろいになりましたでしょうか。」という実例を取り上げているわけですね。

○阿刀田分科会長
   これに関連して,今の報告案の【35】の前に,新たな【35】を置いて,今,世間でよく問われている問題みたいなものを,ざざざっと5項目くらい挙げるということも考えられます。でも,もう少し目立つように,それを置きたいということですよね。

○井田委員
   そうです。目立つような形で置きたいのです。付録にした方が目立ちます。おまけから入るという感じで…。

○市川委員
   今の若い人たちにとって,敬語は外国語ととらえられるものだとすれば,朝のあいさつ,お礼,紹介,そういうような,情けないけれども,そういう外国語入門的なことから紹介するということも考えられましょう。「おはようございます」,「ありがとうございました」,それから紹介とか,道を尋ねるとかといった事例,そういう外国語入門的なところからやれば,やはり親しみというのですが,かなり興味もわくのではないでしょうか。

○井田委員
   そうですね。正にイメージとしては,例えば,マニュアル敬語と申し上げましたけれども,おっしゃるように,「これだけ覚えていれば外国旅行で困りません」のように,「30語でできる世界旅行」なんていうのありますよね。あの手のものですね。

○市川委員
   そうすると,やはり楽しく,こんな会話でとなりますね。日本人はそうなっては困るのでしょうけれども,今,ある面で若い方にとって見れば,敬語は外国語に近い存在かもしれないですから。

○杉戸主査
   思い出して見ると,報告案の第3章では36の問いと解説とありますが,当初,90くらいの案が出た時があり,60くらいに減らす,そういう過程がありました。案の中には,今の「1,000円からお預かりします」とか,マニュアルに書かれている不思議な言葉遣いについてのこともあって,それが結果的に【34】の一つだけになったという,そういう経緯を経てきたことを思い出しているわけです。もちろん御意見を,今日頂いて,更に検討し直しますが,90とか60とかの案の時に含まれていたと思うのです。
 一つのポイントとして,敬語には直接関係のない問題としてマニュアルの言葉遣いが問題になっているということがありました。例えば,「1,000円からお預かりします」というのは,「お預かりします」の部分は確かに敬語なのですが,そこではなくて助詞の「から」が問題になっているということで,これは敬語とは直接は関係のない問題だというふうにしてそぎ落としていったと記憶しております。
 マニュアル敬語ということについては,第1章でも7ページの「3 いわゆる「マニュアル敬語」」ということで,言わば総論的にマニュアル敬語についての考え方なり,今後のあるべき姿,そしてこういうマニュアルの作り方が必要ではないかというところまで,かなり踏み込んで書いてあるのですね。これは,やめとけという御意見も敬語小委員会で頂いたのですが,頑固に残してあります。
 ただ,具体的な例,「1,000円からお預かりします」というような言葉のレベルの具体例は,まだ削ったままですので,その点をもう一度,敬語ワーキンググループで検討はします。どんなふうな扱いが過不足のない適当な選択かというところを,ちょっと考えさせていただきたいと思います。

○市川委員
   でも,その「1,000円からお預かりします」というのを敬語ではないと言っても,当人たちは敬語だと思って使っているところに問題があると思うんです。

○杉戸主査
   「お預かりします」の部分は敬語です。助詞「から」が問題だということなのです。言葉屋の悪いくせで,細かい使い方を区別して考え,「から」が問題だとなるのです。「から」は敬語そのものの問題ではないと考えるわけです。

○市川委員
   でも,当人たちは「1,000円からお預かりします」と言えば,敬語を使っていると錯覚しているわけですよね。それが問題なのです。

○杉戸主査
   ちょっと遠回しな,婉曲表現で,それが敬意表現としての意識があるという面はあります。これを正当に評価しようとすれば,私は評価するのですが,ここで扱う狭い意味の敬語からちょっとずれるという,そんな問題があったかと思います。

○阿刀田分科会長
   多分,敬語以外の言葉遣いの問題に踏み込んでいかねばならないということなのでしょう。「正しい日本語」とは何かという問題に踏み込んでいく,そして,そうなると,なぜそれがいけないのかという説明が必要になる。「おはようございます」はだれが言っても大丈夫だろうと思うけれども,あるものを否定したとき,その否定の根拠を示すために,また相当敬語以外の言葉遣いそのものの領域に入っていかなければ駄目だという,意外に難しい問題が出てくる。難しいけれども,これだけ専門家がいらっしゃるのだから,説明はできるでしょうけれども,説明するのが難しいということになるおそれは,やはりありそうですね。今の「から」がなぜいけないかという説明だけでも,結構な量になるのではないですか。
 私たちは非常に慎重にやってきたと思いますが,国が言葉遣いをそんなに規制していいのかという意見の方もありましたよね。言葉はそれぞれが自由に使うものであって,国がこういう言葉遣いが正しいのだということを,一方的に上からトップダウンでするのはけしからんというような考え方があるし,実際にそういう意見もある。トップダウンですることを私たちも強く主張するつもりはない。そうすると,やはりなぜこれがいけないのかということは,かなりきちっと説明しないと,難しいものが多くなりそうな気はしますね。
 でも,世の中には,もう少し何とかならないかというところは,一杯ありますけれどもね。敬語ではなく,「望ましい日常の日本語」とかということにならないと,多分,「1,000円からお預かりします」なんていうのは扱えない。それでも,これはまだ敬語に近い方で,敬語では絶対扱えない問題というのはいろいろ出てきそうですね。美しい敬意にあふれる日本語というようなことを考えたら,首相ではないけれども「美しい日本語」なんていうことを考えたら,それはもう,とても敬語では負い切れないものが一杯ありそうな気がします。

○大原委員
   自分のことを考えてみたときに,小さいころから言葉遣いについては家庭でいろいろ言われてきたことが,今,私の身に付いて,それにプラスして社会で学んだもので自己表現して言っているのだと思うのです。それを今度はこういうふうにきっちり論じ立てられた本を頭から最後まで読んでいって,そして,自分が今まで身に付けた言葉を基に選び出して使っていく。
 私の場合は,言葉を登場人物によって使い分けていくということになるのですけれども,さっきから出ていますように,今の若い人たちの言葉遣いというのは,家庭の中での親御さんたちがもう既にこういう敬語について─言い方がうまく言えないのですけれども─身に付いていないというか,そういう中で,若い人たちが育ってきているから,変な言葉遣いになっているのではないかなと思うのです。
 こういう場面ではこういうふうにというのは,だれからもきっちりと学問的に習ったわけではないけれども,リズムに乗って出てくるわけです。そういうのは今度,これを読む人にとっては,<よりどころのよりどころ>として,とても大切な本になるのではないかというふうに思うのです。

○阿刀田分科会長
   おっしゃるとおりだと思います。つまり,敬語をそれなりに今,話している人たちというのは,3分類だ,5分類だというのを分かって話しているわけではないのですよ。これは格助詞をどう使っているかなんていうことで話しているのではなくて,我が家では大体,育ってくるプロセスの中で,あるいは私の自分の環境ではこういうことを話していたというのが残っている。とにかくおおむね口移しでやってきて,時々ひどいところだけチェックされたりして,そして今日,自分の敬語の知識というのを持っているわけです。私も今回この敬語小委員会に出席して,「ああ,あれはそういうことであったのか」ということで,もう目からうろこが落ちる思いを何度したかというくらいです。大体,分科会長がその程度なのですから,推して知るべしなのだけれども,実際にそうなのではないですか。敬語を文法とか理屈から入った人なんていうのは,日本人の中にはいないと思います。結局,自分自身が育ってきた環境の中でどう覚えたかということだと思うのです。

○大原委員
   ですから,これを<よりどころのよりどころ>として利用します。私個人で言えば,とても有り難い本です。今度は,これを頭から最後まで読みますけれども,必要に応じて,ぱっと後ろで,これはここを見ればこの部分は利用できる,使えるというふうな,そういうあんちょこ的なところも付けていただければなと思いました。

○杉戸主査
   一つは,索引を利用して,本文に戻っていただくことができるようにということは,最少限したいと思います。ただ,そのダイジェスト版とか,部分だけを取り出したものというのは,ここでは考えないということを敬語小委員会の前の段階で御議論いただいていますから,それはこの審議会答申の次の段階のものだというふうに考えています。
 「8」の項目までは御議論いただけました。それで,「8」より次の「9」,「10」の観点なり,問題点があるという御指摘があれば頂きたい。最初にも予告しましたが,特にこの点は追加して考え直せというものがあれば,お出しくださいませんか。
 この後,年明けから2月にかけてのスケジュールについて,事務局の方から御説明いただきますが,1月の半ばまでには提出する成案をまとめたいと思います。敬語ワーキンググループの方で作業する時間はもう少し残されています。
 それでは,幾つかかなりはっきりとした結論というか方向,今後のまとめ方の方向をお示しいただいた点もあり,あるいは敬語ワーキンググループの方で引き取らせていただくとした点があります。恐れ入りますが,今,ちょっと申しましたような,この先のスケジュールに沿って成案を作る仕事を進めていきたいと思いますが,この辺りのことについては,主査である私に御一任いただきたいと思いますが,御了解いただけますでしょうか。(敬語小委員会了承。)
 それでは,本日の協議はここで終わりにいたします。
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