議事要旨

国語分科会第22回議事要旨

平成16年7月6日(火)
15:30〜17:30
三菱ビルB1階M6会議室

〔出席者〕

(委員)阿刀田分科会長,西原,前田各委員(計3名)
(文部科学省・文化庁)加茂川文化庁次長,久保田国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

  1. 文化審議会国語分科会(第21回)議事要旨(案)
  2. 平成15年度「国語に関する世論調査」抜粋
  3. 新聞における常用漢字の扱いについて等

〔経過概要〕

  1.  事務局から,事務局の異動(文化庁次長の交代)について紹介があり,加茂川次長からあいさつがあった。
  2.  事務局から,配布資料の確認があった。
  3.  前回の議事要旨を確認した。
  4.  事務局から,配布資料2,配布資料3についての説明があり,質疑応答を行った。
  5.  前回に引き続き,「国際化・情報化への対応に関すること」,「国語の教育・研究に関すること」,「表記に関すること」に分けて,意見交換を行った。
  6.  次回の国語分科会の開催日については,各委員の日程を調整した上で,事務局から改めて連絡することとされた。
  7.  意見交換における主な意見は次のとおりである。 (○は委員,△は事務局を示す。)

<配布資料2及び3に関すること>

「取り付く島(しま)」と「取り付く暇(ひま)」は,「ふとんをしく」と「ふとんをひく」のように江戸弁の「し」と「ひ」の問題もかかわるのではないかと感じる。また,外来語の 表記について,国として何か方針を立てたことはないのか。
平成3年の6月に「外来語の表記」が内閣告示・訓令によって,国の正式なよりどころとして示されている。しかし,ギリシャとギリシアのような例については,両方の表記を認めていて,どちらを標準とするかは明示されていない。このような扱いに対しては柔軟な方針で望ましいという見方と,どちらか一方を標準として示さなければよりどころにはならないという見方とがある。
外務省では国名表記について決めているのではないか。
外務省編集協力『世界の国一覧表』という冊子が出ており,小学校・中学校・高等学校の教科書における「外国の国名表記」は,原則としてこれによることとされている。また,教科書研究センターがまとめた『新地名表記の手引』という冊子もある。
情報機器ではJISの第1水準・第2水準の漢字が出てくるが,第1水準・第2水準と常用漢字表との関係はどうなっているのか。
JISの第1水準には2965字,第2水準には3390字の漢字が入っている。今の情報機器には,この6355字が基本的に搭載されているが,常用漢字の1945字は第1水準の中にすべて入っている。
今のお話から分かるように,パソコンでは常用漢字以外の漢字もたくさん変換されて出てくる時代なので,常用漢字表で「漢字使用の目安」を示していることに意味はあるのだろうか。変換して出てくるものについては,自然に使ってしまうのではないか。
新聞,雑誌,放送など公的な分野では,常用漢字表の範囲を守ってほしいと思うが,個人の表記は自由でよいと思う。その意味での二重基準は認めざるを得ないだろう。
パソコンを使用する立場から言えば,漢字変換されたときに,常用漢字かどうかが分かるマークを付けてほしいと思う。そうした注記がないと,常用漢字以外の漢字も気付かずに使ってしまうことになるのではないか。
各省庁には文書審査の担当者がいて,漢字の使用も含めてチェックしている。また,最近のソフトでは,当該の漢字が常用漢字かどうかの注記が出るものもある。
学年別漢字配当表に対応して,設定した学年までに習う漢字以外は変換しないというソフトは既に作られている。また,公用文の表記に対応したソフトなども開発が進んでいるようである。
パソコンなどの機械は商品であるだけに,多様なニーズに対応できるように漢字変換の幅も広いものとなるのであろう。確かに,随分と難しい漢字を使っている文章など,違和感を覚えるものを目にすることもある。
どこまで漢字表記にするかについては,新聞の場合は校閲部でチェックしているし,大学の入試問題においても担当者がチェックをしているはずである。

<情報化への対応に関すること,国際社会への対応に関すること>

漢字を使う中国,台湾,日本において,中国では簡体字を使用し,台湾では古いままの繁体字を使っている。日本はこれらの中間の字体を使っている。ユニコードなども考えられてはいるが,特に,パソコンに対応した漢字表記をどう国際化するかというような問題があるのではないか。
国際的な漢字の共通化については,現在,どのような状況にあるのか。
中国では,学校教育も含めて日常の文字生活においては簡体字が標準となっているが,繁体字も芸術分野や観光客向けの看板等では使われている。台湾では,繁体字が専用されている。日本では,一部を簡略化した常用漢字の字体が使われている。
 というように三者三様なので,その中で共通化を考えるということになれば,字体の原点である「康熙字典体」を使うしかないというのが今の国際的な流れと言ってよいだろう。また,国際符号化文字集合(いわゆるユニコード)についてであるが,現在ではおよそ7万の漢字が入っている。文字コードは余り大きくなりすぎると使い勝手が悪くなってしまうので,漢字を使う各国は,ここから自分たちに必要な漢字集合の切り出しを進めているというのが現状である。
この分科会で,国際化や情報化についても考えるのであれば,「漢字文化圏」という観点も取り上げることになるのではないか。
私の世代は,日本の漢字についてならば旧字体でも分かるが,中国の簡体字は見てもなかなか分からない。
確かに中国に行った時,看板が簡体字で書いてあって,何の店だか分からなかったという経験をしたことがある。
今の若い人たちは,旧字体で書かれていると,何の字だか分からないのではないか。
そのとおりである。今の若い人たちには,旧字体は難しいと思う。恐らく,分かる字と分からない字との差が大きいであろう。
韓国では,ハングル世代の人が学問としての歴史を学ぼうとすると,どうしても漢字を勉強しないといけないので,大変であるという話を聞いたことがある。
韓国の子供たちは,自分の名前に当たる漢字をいつごろ知るのか。
今は知らないままの人もいるようだ。実際に,大学の先生でも漢字で名前をどう書くか知らないという人がいた。
ベトナム人の名前も元々は漢字表記であったが,今では,漢字表記をされなくなっている。中国では,現在,中国音をローマ字表記したピンインから学び,その後で漢字を当てはめると聞いている。ちょうど,日本で,仮名から習って漢字の学習に進むのに似ている。
国際化の中で漢字をどう扱うかという問題は,国語分科会ですぐに取り掛かる課題であるのかどうか分からないが,先々はかかわってくることなのかもしれない。
漢字ということでは,日本国内においても,常用漢字表は文化庁が担当しているが,情報化にかかわるJISやユニコードは経済産業省が担当し,人名用漢字は法務省が担当している。このようにバラバラに扱っていてはいけないのではないか。漢字政策を全体として一括して考えていかないと,国際化や情報化にはとても対応できないと思う。
人名用漢字についても,漢字ということで,文化庁が担当しているとの誤解も一部にはあるようだ。文化庁,経済産業省,法務省と,漢字政策を扱うところがバラバラではやはり問題であろう。

<国語の教育・研究に関すること>

小学校の英語教育を考える審議会で,英語が国際語となりつつある中で,国語科の単元として「世界の言語を知ろう」というようなものを立てる必要があるのではないかと発言している。これは国際化への対応という意味で必要なことである。言葉の教育ということを考えると,海外から多くの人が流入してくる現在,英語も含め言語を客観的,分析的に見ることが必要である。優れた文学作品を読んで,美しい日本語を学ぶことも大切であるが,一方で,英語の問題を無視して,次世代のコミュニケーションを考えることはできないだろうとも思っている。
アメリカ・イーストのペンクラブ代表が,「アメリカは文学作品の輸出はたくさんしているが,輸入が足りない。」と発言していた。日本から見れば,国語の輸出とも言えるこのような翻訳の問題は,国語施策の問題と言えるかどうかは分からないが,今後,出てくるものと思う。しかし,実際の問題として,日本語で書かれた文学作品を外国語にきちんと翻訳できる人がどれくらいいるのであろうか。例えば,日本文学をロシア語へ翻訳する場合には,日本語とロシア語の両方ができる人がまずロシア語に訳し,その訳されたものをロシアの文筆家が更に直していくというように二人がかりでやらないと完成しないという話を聞いたことがある。
英語であっても同じようなことはある。学術誌の翻訳で,日本語も英語もできる人が日本の研究論文を,ジャングリッシュと呼ばれる,日本語をそのまま英語にしたようなものに直し,それを英語しか分からない人が英語として通用する文章に直すという作業をする。日本語の原文と最後の英文を比べると,似ても似つかないものとなっている。
あるエッセイで翻訳論が展開されていた。忠実に訳していくが魅力のない文章となってしまう翻訳と,滑らかな文章ではあるが原文に忠実でない翻訳とがあり,翻訳としてはどちらも問題があるという内容のエッセイである。翻訳という場合,常にこのような問題があるのだろうと思うが…。
これからの時代,海外から入ってくる人が増えてくると,国内におけるコミュニケーションの在り方も変わっていくものと思われる。海外から入ってきた人たちにも通じるものに日本語も変わっていかざるを得ないだろう。ある研究発表で,小泉八雲と妻とのコミュニケーションが取り上げられていた。八雲と妻はブロークンジャパニーズを使って意思疎通を図っていたということである。このような,ブロークンジャパニーズを使って意思疎通を図っていくということが,外国語を母語とする人と日本語を母語とする人との間では往々にして起こる。これは,日本語のピジン化ともとらえられるが,どのように持っていったら,相互に問題が少ない形になるのかを考えていく必要があろう。

<表記に関すること>

法務省から人名用漢字の追加案が示されているが,578字というのは多過ぎる上,内容的にも問題がある。これまで,人名用漢字は,要望に応じて少しずつ出てきていたので,当用漢字表や常用漢字表への影響はほとんどなかった。しかし,今回のように一挙に増えることになると,「人名用漢字だから常用漢字並みに使ってもよい」と思われるおそれがあり,影響が大きいと思う。さらに,常用漢字の場合,字体も音訓も決まっているが,人名用漢字の場合はそうではないということも問題であろう。
人名用漢字578字の追加は既に決まったことなのか。
現在,広く意見募集を行っている段階で,578字が決定されたということではない。恐らく,評判の悪い「糞」などは落とされようが,9月中旬に予定されている法制審議会で正式に決定され,10月から新人名用漢字が使えるようになると聞いている。
法務省が578字も出してきた経緯は何なのか。
人名用漢字についての裁判が多く起こっていることが一つある。これまでは,全国の法務局で受理されなかった字を集約し,それらを要望のある字として民事行政審議会で検討して増やしていった。しかし,今回の追加は,要望に基づいてというよりも,戸籍法にある「常用平易」という観点から選ばれたものである。今回の追加のきっかけは,あるテレビ番組で人名用漢字の追加が取り上げられたことや,最高裁判所で「曽」が明らかに「常用平易」の字と認められたことが大きく影響している。最高裁の判決の結果,地方裁判所等でも,人名用漢字について「曽」以外の字を認める判決が相次いでいる。
漢字に関しては,制限から目安へ,というような大きな流れがある。当用漢字表は制限的なものであったが,常用漢字表は目安という緩やかなものであり,ここに政策の転換がある。しかし,常用漢字表が目安という緩やかなものになった中で,人名用漢字は依然として制限方式を採っているが,大きな流れから言って,緩和の方向はやむを得ないのではないかと思われる。
親からのニーズにこたえていたら,どんな漢字も出てきてしまうであろう。どんなものが出てきても良いと考えるのかどうかが問題である。
ローマ字表記の名前は許されるのか。
名前については,片仮名,平仮名までは使えるが,ローマ字は認められていない。
そのうち,ローマ字表記の名も認められるということになるのではないか。
ローマ字を認めてはどうかという意見だけでなく,人名用漢字部会の中では,ハングルも認めてはどうかという意見も出ていた。
人名用漢字の問題は,地名の表記にも影響を与えるようになるだろう。特に,字体の問題が出てくるだろうと考えている。
漢字や表記の問題をこの分科会でもそろそろ考えていかないといけないということが出てきたようである。
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