議事要旨

国語分科会第26回議事要旨

平成16年12月20日(月)
10:00 〜 12:00
東京會舘「カトレアルーム」

〔出席者〕

(委員)阿刀田分科会長,内田,甲斐,金武,小池,坂本,東倉,西原,前田,松岡各委員(計10名)
(文部科学省・文化庁)久保田国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

  1. 文化審議会国語分科会(第25回)議事要旨(案)
  2. これまでの分科会で出された国語をめぐる諸問題(論点整理)抄
  3. 人名用漢字と国語施策との関係について
  4. 新聞における常用漢字の扱いについて等

参考官報(平成16年9月27日)抜粋

〔配布資料〕

  1. 事務局から,配布資料の確認があった。
  2. 前回の議事要旨を確認した。
  3. 事務局から,配布資料2,配布資料3,配布資料4,参考資料についての説明があった。
  4. 配布資料2,配布資料3,配布資料4,参考資料を基に意見交換を行った。
  5. 次回の国語分科会は,1月7日(金)14:00から16:00まで,文部科学省ビル10階「10F1会議室」で開催されることが確認された。なお,今回議論できなかった「その他の表記」にかかわる意見や,更に意見がある場合には,事務局あてに,各自の意見を簡単なメモにして送付してもらうことで了解された。
  6. 意見交換における主な意見は次のとおりである。
    (○は委員,△は事務局を示す。)
漢字施策の歴史的な説明を聞くと,漢字については,「制限」から「目安」となり,漢字の数も増やすというような流れになっていると思う。漢字を使用する側としては,この流れ自体は歓迎する方向である。今回の改正によって,人名用漢字は大幅に増えたが,増やすに当たって「人名にはこれだけ使われている」といったような人名を対象とした調査は行われたのか。また,そのような調査はあるのか。
第22期国語審議会が「表外漢字字体表」を作成する時に実施した頻度数調査のうち「凸版調査」(平成9年)では,調査対象に名簿が入っており,ある程度人名及び地名の実態が分かると思う。ただ,今回の改正では,人名対象の調査は行われていない。
調査によって実態を知ることが,漢字を増やす場合などの出発点であろう。人名用漢字として追加されたものを見ると,到底,人名には使われないような漢字でも,制限することに対する批判を恐れて入れてしまったのではないかと思われる。この点については分科会として意見を言うべきであろう。あわせて,実際には人名でほとんど使われていないという数字を調査に基づいて示すことができれば,説得力が出るのではないか。
人名用漢字を増やすときに,根拠とした調査はどのようなものか。
表外漢字字体表作成時の『漢字出現頻度数調査(2)』(平成12年)の中の「新凸版調査」である。これについては,法務省の求めに応じて当課から提供したものである。
人名用漢字の検討時に使用したデータは,確かに「新凸版調査」であるが,これはあらゆる分野の資料を対象とした膨大な頻度データであって,人名に対象を限ったデータではない。そのために,人名にはふさわしくない漢字も入ってきたのである。
今までの人名用漢字は,人名としてのふさわしさということも考慮して選ばれてきたが,今回は「常用平易」という戸籍法の条文だけにのっとって,意味を考慮しない立場で選ばれている。「常用平易」とは言っても,人名としてふさわしいものということは前提にあるのが常識であると思っていたが,条文に書かれていることのみで,法務省は判断したいということであった。使用したデータが,人名に対象を限った頻度データであれば,追加される漢字は違ってきたであろう。
また,いわゆる旧字体を新たに付け加えたことも問題である。漢字表記ということで言えば,字体の標準については,印刷業界や辞典の業界では,常用漢字表の字体,表外の漢字は康熙字典体を標準として一字種一字体としてきた。例えば,「はるか」は「遥」と「遙」があり,人名用漢字の「遥」に統一してきた。今回の人名用漢字の追加においても,字体の混乱を防ぐために,これまで使われてきたものが標準であると示すべきではないかと法務省に訴えたが,法務省からは,自分たちには字体を定める権限はないという答えが返ってきただけであった。字体については,法務省でも,表外漢字字体表があるのでそちらを見るようにと言っている。人名用漢字も国語表記の一環としてとらえて,国語分科会の考えをまとめていく必要があるのではないか。
資料2に「総合的な漢字政策の構築」とあるように,常用漢字,JIS漢字,人名用漢字の三つを総合するような漢字表が出せればいいと思う。日本の漢字全体を考える形でまとめを示してほしい。
歴史的に見れば,終戦直後に封建制と漢字との関係から,GHQはローマ字化を求めてきた。それに対して,日本人の読み書き能力調査を行い,平仮名や易しい漢字は読み書きできるというデータを示して,漢字を守り,制限的な性格を持つ当用漢字表を作ってきたのである。しかし現在,二つの動きが注目される。一つは,漢字の字体において略体でなく正字体を使用する流れがあること,もう一つは,コンピュータにどれだけの漢字を搭載できるかという問題である。
こうした動きがある中では,国民の漢字能力調査が必要である。国立教育政策研究所の調査では,「拝啓」と正しく書けたのは高校3年生の2割しかいなかったという結果も出ている。漢字能力の実態をつかむことは重要である。
人名用漢字については裁判に訴えられているという現実を回避するために,法務省は人名用漢字の追加を行った。希望を出す人は必ずしも漢字の知識があるわけではなく,例えば,「月」と「星」を組み合わせると明るいイメージになることから,「腥」という漢字を人名に使いたいという希望があったが,「腥」は「生臭い」という意味であることを理解していないようである。人名用漢字における親の希望には,どの字を選ぶかということと,選んだ字を自分の好みに合わせて読みたいという二重の希望があり,漢字と読みの結び付きに制限がないだけに,読めない名前が既に多く出てきている。
人名用漢字もJIS漢字も増やす方向にあるが,無制限に増やせば良いというものでなく,国民の漢字能力の実態を示すことでしか歯止めが掛からないであろう。そのためにも,「読めるか」「書けるか」「意味が分かるか」という三つの観点での調査が必要である。独立行政法人国立国語研究所などで調査することになるのではないか。振り仮名を付ければ読めるので,どんどん漢字を使ってもかまわないというような考え方もあるが,やはり意味が分かることも重要である。
昭和21年に当用漢字表が定められた時に,固有名詞は別に考えるとして,現在まで国語審議会で十分な答えを出すことなく,そのまま来てしまった。当用漢字表の制限的な性格が,常用漢字表で目安とされた流れは,漢字使用の実態とつじつまを合わせようとしたためであると考えられる。その意味で,これまでの国語審議会は常に実態の後追いをしてつじつまを合わせているのが実情である。表外漢字字体表を定めたのも,JIS漢字が広く使われている実態が前提であった。今回の人名用漢字追加の問題は,正に,固有名詞は別に考えるとして扱ってこなかったことから大きな問題になったように感じている。この辺りで,国語分科会でも固有名詞について考えていくべきであろう。
実態を調査する必要があるという先ほどの委員の意見に賛同する。表外漢字字体表の議論の時は,頻度数調査だけでなく,明治時代の活字までさかのぼって調査していた。人名用漢字でも,こうした綿密な調査が必要だったのではないか。「常用平易」ということで選んだと言っているが,人名用漢字に入っていないもので,姓に使われる漢字を選んで,「常用平易」であると訴えることはできるわけであるから,法務省が言う「常用平易」というものの根拠も確固たるものではない。国語分科会では,この辺のことを踏まえて,どう考えるのかを出せたら良いと思う。固有名詞の調査と言った場合には,現在のものだけでなく,過去の調査も必要である。
人名用漢字の問題は,漢字問題の一面を象徴している。日本人の漢字能力が大きくかかわる問題である。日本人の漢字能力は,情報機器の導入・普及で変わってきている。それなのに,その実態が正確に把握されておらず,感覚だけでものを言っていても仕方がない。現在,小学生向けに『未来を探そう』という本を執筆しているが,その中で,漢字は「未来になくなってほしくないもの」として挙げてある。
戦後,漢字を守ってきたという歴史があり,文化やアイデンティティーなどの関係で失ってはいけないものである。教育においても,漢字を守れとか,漢字は学ばなければいけないものだとか,というトップダウンの行き方でなく,漢字を持つことでどういう良い点があるかを説いていかなければいけない。しかし,現実には,そこが不足している。漢字の問題は大きな問題であり,日本語全体の問題とオーバーラップする。
言葉は生き物で変化・増殖していく。使う人の必要を満たすために変わっていくのである。特に,情報機器の普及とテクノロジーの変化が,漢字を変え,言語生活を変え,精神構造を変えた。谷崎潤一郎は,日本語は平仮名,片仮名,漢字を持って,視覚的・音楽的効果を持つに至ったと指摘している。使用する文字が精神構造を作り上げる上で大切であるということである。先ほどの説明で83JISで混乱が起こり,既に収束の見通しが立っているということだが,変化の過程で齟齬が起こるのは当然であろう。
新聞界は,一般の生活で必要とされるものをよく示している。新聞界で使える漢字を拡大しているということは,それだけ一般でも必要とされているということであろう。JIS,文化庁,法務省それぞれバラバラであるが,拡大の方向においてそれらを整合させることがこの国語分科会の役割ではなかろうか。
また,手書きの問題であるが,習得時と運用時とに分けて考えるべきである。習得時に当たる小学校・中学校では,それぞれの年代できちんと書き取りをやってもらう必要がある。書き取りで漢字を手書きすると,眼球を絵筆のように動かすことにつながり,それは将来漢字を弁別し,読むことに結び付く。小学校では眼球を絵筆のように動かす訓練が大切で,漢字を手書きすることは必要である。手書きする漢字学習のドリルなどを増やすことも一つの方法だろう。運用時については,手書きが減り,ワープロなどで打つことが多くなる。その場合,瞬時に正しい漢字を選択できることが必要で,うまく選択できるようになるためにも,習得時の手書きが不可欠である。
資料2の中にある「総合的な漢字政策の構築」についてだが,現在の漢字政策が三つに分かれている問題は昔から指摘されており,統一的な考えが必要である。ワープロでは「鴎」しか出なくなったが,教科書では「?」が使われていた。このような問題が生じてしまったが,問題を解消するために,経済産業省は文化庁に歩み寄った。しかし,今回の人名用漢字の追加では,法務省は文化庁との兼ね合いを直接考えずにやっていたように感じる。字体の問題については,関知せず,使える漢字を示すだけであるという立場を法務省が採るのであれば,文部科学省に所管を移すべきであると指摘したこともある。移すことができないのであれば,漢字政策にかかわることに関しては国語分科会の意見を聞くというようなシステムを作るべきであろう。
人名用漢字に関して,追加される前の人名用漢字表では常用漢字の許容として括弧付きで示されていた旧字体が,今回の追加では,許容字体から人名用漢字に格上げされてしまったという問題もある。これまでどおり許容字体のままとし,名前には「当分の間使用してもよい」として,何ら問題はなかったはずである。今回,括弧を外して格上げした意図が分からない。この点については,分科会として指摘すべきであろう。
人名用漢字については,法務省も以前は漢字施策を理解して考えていたが,今回から変わった。括弧内に入れてあっても使えるのだから全く問題はないのに,人名用漢字に格上げしたことは解せない。
これまでの意見を整理すると,?漢字の知識・能力に関する調査のこと,?固有名詞の実態に関する調査のこと,?漢字習得時のメカニズムと運用との関連,という三つになる。これらは重要な柱として,国語分科会のまとめの中に入れるべきであろう。
独立行政法人国立国語研究所では,住基ネットの漢字調査も実施しており,姓・名・地名にどのような漢字が使われているかの調査は進めている。
固有名詞の実態調査ということに関連して,名付けにかかわる慣習の実態についても調べておいた方が良いと思う。私の教えている学生の調査によると,日本とアメリカにおける名付けの慣習について,アメリカでは音の響きを大事にし,日本では漢字の意味をまず考え,次いで音を考えるということだ。こういうことも一つの情報であろう。
独立行政法人国立国語研究所では,次の中期計画の中で,生命保険会社が行っている新生児の名付けの調査を自分たちでも実施しようと考えている。
漢字能力の件だが,小・中学校から高校,大学までも含めた漢字習得の問題がある。現在の小学校で習う1006字という数が妥当かという問題もあるが,小学校の先生方に聞くと,6年間で大体600〜700字は読み書きできるというような意見が多い。
 漢字習得についての調査もすべきであろう。
情報処理の関係でも日本語処理をする場合,そのよりどころとなる信頼できるデータがないことが問題となっている。コンピュータの音声認識では,人名の頻度表が必要であるが,頼れるデータがないのが現実である。また合成音声を作って,その音の「聞き取り試験」をする場合,使用頻度の低い音を聞かせても,使用頻度の高いよく似た音として聞き違えることがあり,頻度を見る信頼できるデータがないことが問題を生じさせている。各機関がデータを無秩序に作成しているのが現状である。信頼できるデータは情報化時代には特に必要になってきている。
表記の問題については,大多数の人たちが大多数の人たちのために決めるというのも大切な観点だが,母語話者ではない人や障害を持つ人の観点も必要ではないか。今指摘のあった音声認識の問題などは,障害を持つ人にとっては大きな問題であろう。
漢字に関する総合的な政策が必要ということについては,大体合意が得られていると思う。国語分科会が日本の漢字をあずかる以上,こういう形が望ましいという姿を提示してほしいとすべきであろう。それを基に具体的施策を,それぞれの所で考えてもらいたいということで出すべきであろう。
 手書きの問題についても,十分に意見が出たとまでは言えないまでも,これは絶対に必要であるということは言えよう。ただ,そのことを学校教育の中で,どう生かすかというような問題はある。また,人名用漢字については,調査を綿密にやる必要がある。 ただ,どういう調査をやるべきかについての検討はまだ不十分であろう。
新聞界で,地名のことが話題になっている事例があるので紹介しておきたい。
今年の10月1日に合併で発足した奈良県葛城市では,「葛」の字を表外漢字字体表の印刷標準字体「葛」ではなく,「葛」に決めて,マスコミに対しても「葛」を使ってほしいという要望があった。なぜ印刷標準字体を使わないのかと理由を尋ねたところ,パソコンで「葛」の字しか出ないから,こちらの方が便利であるということであった。JIS規格が改正され,「葛」が表示されるようになるということを伝えたが,市議会で決めたことだからということで変えないということであった。一方,葛飾区の「葛」は以前から印刷標準字体を使っている。
新聞界では,表外漢字の字体は,原則として「表外漢字字体表」に従うという方向でやっている。自治体によって略字体であったり,印刷標準字体であったりして異なるというのはやりにくい。葛城市については,関西版では「葛」を使い,全国版では「葛」を使うという社もあるようだ。同じように,「条」という字も問題である。常用漢字表の字体は「条」だが,奈良県の五條市,大阪府の四條畷市では,康熙字典体の「條」を使う。地元からは康熙字典体を使ってほしいという要望がある。また『広辞苑』では,見出しでは「条」の字を使って表記し,行政名としては「條」であるという注記を付けている。こういう字については,新聞社でも扱いが分かれている。
固有名詞だから,1字種に複数の字体があってもいいというのでは,マスコミとしても困る。字体をどう考えるのかという点で,こうした問題も考えていく必要があろう。
資料2に,「手で文字を書くこと」が挙げられているが,学校教育のことになると,中央教育審議会とのかかわりが問題となろう。書写の教科書とのかかわりもあろうし,6年間の漢字配当については,学習指導要領で定められていることなので,文化審議会や国語分科会としてどの程度の意見が言えるのか分からない。中央教育審議会との関係や書写の教科書の状況などが分かる資料も必要ではないか。
文部科学省とのすみ分けは,どういうことになっているのか。また,手書きの問題についてはどうか。
教育との連携について言えば,常用漢字表のときも,先に常用漢字表ができ,その後教育での扱いが考えられた。つまり,基になる部分を,かつてならば国語審議会,現在ならば国語分科会が担っており,こちらが発信元となって中央教育審議会に検討を促すことになる。いずれにしても,文部科学省と連絡を取りつつやっていくことになる。
手書きの問題については,次期の分科会での議論にかかわってくると思うが,手書きの重要性という観点で審議していくことは全く問題ないと思う。書写教育についても,文部科学省と連絡を取って対応していくことになろう。
基本的に,問題というのは正しく提示されていれば,その問題の解決策は,おのずとその中に含まれているものである。漢字については,その問題が正しく提示されていないのではないかと感じている。そもそも漢字の世界は「海」のようなものである。それなのに,戦後は「海」としてとらえずに,「池」や「湖」であるかのように矮小化してとらえて,その中で意思疎通を図ろうとしたのではないか。「海」を相手にした対策が打てなかった。そこが問題である。
戦後,ある文学者が,漢字の世界を「池」や「湖」とするような,当用漢字表や常用漢字表をなぜ作ったのかと書いていたが,私はそれに共感を覚えた。「海」を「海」として見詰めるところから,議論をしていく方が良いのではないか。ただ現状としては,これまでの経緯もあり,もう少し状況を見守っていきたいと考えている。
前回,敬語の議論の際にも送り手側に対する規範という問題があったが,常用漢字表は送り手側の規範に相当するものである。JIS漢字は使われているものをすべて拾うという発想である。こうした分担をはっきりとさせることが必要であろう。昔は送り手が限られていたが,ワープロなどの普及によって,今は送り手が広がっている。それに伴って,常用漢字表の性格も変わってくるように思う。
今の日本人の学生を見ていると,驚くほど漢字を使えなくなっている。だからこそ,余計に難しい漢字を使って権威付けしたがる傾向があるのではないか。人名用漢字については,すべての人が送り手になるという特殊性がある。送り手にとっては自由に使えた方がいいようにも見えるが,康熙字典体の漢字がこれだけ増えたのはどうかと思う。
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