議事録

国語分科会(第31回)議事録

日時:
平成18年1月30日(月)
10:00~12:00
場所:
東京會舘11階ゴールドルーム

〔出席者〕

(委員) 阿刀田分科会長,阿辻,井田,岩淵,内田,大原,甲斐,金武,蒲谷,菊地,佐藤,陣内,杉戸,東倉,西原,林,前田,松岡,松村各委員(計19名)
(文部科学省・文化庁) 加茂川文化庁次長,寺脇文化部長,平林国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

  1. 国語分科会(第30回)議事録(案)
  2. 敬語小委員会の今期の審議について
    参考:敬語小委員会における主な意見の整理
  3. 漢字小委員会の今期の審議について
    参考:漢字小委員会における主な意見の整理

〔参考配布〕

○ 国語分科会開催状況

〔経過概要〕

  1. 事務局から,配布資料の確認があった。
  2. 前回の議事録(案)について確認した。
  3. 敬語小委員会の杉戸主査から,配布資料2についての説明が行われた。説明に対する質疑応答の後,配布資料2に基づいて意見交換を行った。
  4. 漢字小委員会の前田主査から,配布資料3についての説明が行われた。説明に対する質疑応答の後,配布資料3に基づいて意見交換を行った。
  5. 2月3日の文化審議会総会における国語分科会からの報告は,今回の配布資料2,3及び今回の議論を踏まえて,阿刀田分科会長に一任することが了承された。
  6. 今回が第4期国語分科会の最終回であることから,委員に対し,加茂川文化庁次長より謝辞が述べられた。
  7. 質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。
○ 阿刀田分科会長
去年の9月に,国語分科会の中に,敬語の具体的な指針作成を担当する敬語小委員会と,漢字政策の在り方についてを担当する漢字小委員会の,二つの委員会を設置して,それぞれ作業を続けてきていただきました。
両小委員会とも大変精力的に取り組んでいただきまして,そのプロセスは資料番号の付いていない「国語分科会開催状況」に書いてございます。敬語小委員会は,その下に敬語ワーキンググループという,これまた大変精力的な活動をしていただいた小グループを作りまして,細かい点まで論議を進めてまいりました。
当初,諮問を受けた2点のうち,一気に両方ともというのは難しいところもありますので,少し敬語の議論を先行させ,漢字の方は後を追い掛けるというような形で,少し足並みを前と後とに分けて考えていこうかなという方針もございました。それで,敬語小委員会の方が少し密度の濃い活動を続けてきたというような事情でございます。
その半年くらいの成果を,まず敬語小委員会の主査の杉戸委員から,これまでの経過並びに審議報告をお願いしたいと思います。
○ 杉戸敬語小委員会主査
今,阿刀田分科会長から御紹介がありましたが,この「国語分科会開催状況」という参考配布の資料にありますように,9月7日の第1回から始めまして1月19日の第6回 まで,6回の小委員会の審議を重ねてまいりました。
その中で,第2回のところに書いてございますが,小委員会での審議のための素案と申しましょうか,たたき台を作成することを役目とする「ワーキンググループ」を6名の委員によって構成していただきました。これまでそのワーキンググループの方も6回の会合を開きまして,より具体的な素案作りの検討や作業を進めてきております。その都度,小委員会に素案や基本的な考え方の案をお示しして検討に供してきております。
小委員会での審議は,目指す答申の案作りについて,より基本的な事柄から出発しております。それは,今日の参考「敬語小委員会における主な意見の整理」と題された資料を御覧いただきますと,6項目に整理して,その主な論点が示されております。そういったことを中心にしながら,例えばそもそもどのような性格の答申にするのか,どのような対象者を想定したものとするか,あるいは大臣からの諮問の中に,敬語の具体的な指針を示してほしいとございますので,その具体性と言われることをどのように実現するのかと,そういったことを論点としながら進めてまいりました。
その参考資料を御覧いただきながら,かいつまんでこれまでの経緯を御説明,肉付けしたいと思いますが,「(1)「具体的な指針」作成に当たっての基本的認識」ということですね。「具体的」ということを,やはり非常に悩みました。二つ目の○に「敬語を使用するときの「よりどころ」となることを目指す。」とあります。その「よりどころ」ということも問題になりましたが,その中には,やはり具体的な「よりどころ」ということが付いて回ってきています。
三つ目の○に「どの分野,どのような個人にとっても<基本となる敬語の「よりどころ」>を示していく。」ということを総論的にと言いましょうか,基本認識とありますとおりで,それを基本的な目標として具体化の方針として選んではどうかということを考えております。つまり,世の中で,あるいは会社とか学校とか,いろいろなところで敬語についての「よりどころ」が具体的に示される,そういう「よりどころ」作りの,その「よりどころ」になる,「「よりどころ」の「よりどころ」」という表現を小委員会では繰り返しておりますけれども,そういったものを目指そうということです。
(2)が「「具体的な指針」の想定する対象者について」です。これは諮問の中に,既に「敬語が必要だと感じているけれども,現実の運用に際しては困難を感じている人たちに対して」という目標が一つ示されております。これを具体的にはどう考えるのかということがあると思います。これはこの先,具体的に答申の内容を固めていく中で,この想定する対象者は絶えず意識していかなければいけないものだと考えております。
(3)と(4)が,この期間,小委員会で特に議論を重ねてきたところであります。「(3)「具体的な指針」が扱う範囲について」,これは特に(4)と関係しますが,平成12年第22期の国語審議会で,「現代社会における敬意表現」という答申が出ております。これは敬語,狭い意味の尊敬語とか謙譲語などの敬語を含む概念でありますけれども,敬語の範囲をより広く考えて,相手とか周囲の人への気配りを表すいろいろな言語表現,更には表情とか身振りなども含めた様々な表現の広がりを敬意表現と考えるという,そういう考え方が積極的に示されたものです。これを受けて,今回,敬語の「具体的な指針」というものが諮問されている。そういうところを,具体的にこの答申の中で,どこまで,どういう範囲のことを扱うのかということが,まだ今の段階では具体的に議論しているというわけではありませんけれども,絶えず意識して審議を進めてきております。
2枚目の「(5)「具体的な指針」のイメージについて」,これが小委員会の中で具体的な検討を進めたということで申し上れば,ここに議論は集中したと申し上げてよいかと思います。指針の構成をどう考えるか。それから繰り返し申しますが,「2)具体性の持たせ方」,これが一番悩ましいところでありまして,いろいろな素案を作って小委員会で議論を重ねてきているところであります。後ほど,もうちょっと具体的なことを申し上げます。3)もそのことであります。
それから「(6)「具体的な指針」の普及方策について」,これはこの先,答申が出た後のことになるかと思いますけれども,「具体的な指針」を出した後の普及の方策についてです。これは後で考えればいいというようなことではなくて,答申そのものを,つまりその次の段階の普及のことと関連付けながら,答申ではここまで述べようとか,こういうことをこういったやり方でやるのが適切ではないかとか,そういったことを,言わば先を見越して考えておいた方がいいだろうという議論で,これも少しだけ議論をしているところであります。
そういった問題点を整理してみれば,この「参考」の資料の6項目になるわけです。そのようなことを内容としながら,先ほどのような小委員会6回,ワーキンググループ6回という経緯を経たわけです。答申の案作り,特にワーキンググループから小委員会に出すという段階の案作りが中心なんですが,その審議は本日の「資料2」にまとめているような事柄を中心にして,一つは答申の骨格,骨組み,そして,それぞれの部分の概略の内容あるいは方向性といったところが徐々に固まりつつあると,そう申し上げていい段階にあると思います。今後,それぞれの枠組みの内容案を具体的に固めていく仕事を,この先も継続していくということが課題となっております。
配布資料2を御覧いただきながら,少し具体的なことも,一部読み上げながら御説明してまいりたいと思います。
「1「敬語の具体的な指針」作成に当たっての基本方針」。これはどのような人を対象にして意識するかということを,先ほど申し上げたとおりで,諮問に書き込まれている,「敬語が必要だと感じているが,現実の運用に際しては困難を感じている人たちを主たる対象」にすると書いています。その人たちだけというわけではないだろうということで,先ほど申しましたように,「「よりどころ」の「よりどころ」」となるような,どのような分野の人たちにとっても基本となる「よりどころ」の作成を目指すべきではないかと,そういう方針を踏まえて,作業を進め始めたところであります。
「2「敬語の具体的な指針」の構成及び内容」ですけれども,これは,前文があって全体の本論がある,そういう大きな構成がいいのではないかというところから出発しました。点線で囲ったところにあるように,今のところは,本体として「第1章」から「第3章」までの三つの部分で構成するのはどうであろうかと考えております。
「第1章」は総論として,今後の敬語についての基本的な考え方について,第22期の国語審議会答申「現代社会における敬意表現」の内容との関連性を踏まえて記述するということです。
それから「第2章」,これをキーワードで言えば,「敬語を考える基本的なよりどころ」となります。説明の最後,「第2章」の説明の5行目にかぎ括弧でくくってありますが,「基本的なよりどころ」をまず示してはどうかということです。ここで説明の最初にさかのぼって,敬語,特に尊敬語・謙譲語・丁寧語等の狭義の敬語を中心にして,敬語というものの基本的な仕組み,語形の種類や意味,それらの相互関係あるいはその体系性ですね,これを「敬語の仕組み」という名前でとらえて,そのとらえ方,考え方を典型的な具体例を用いながら簡潔・平易に記述する。その内容が,諸方面から求められる指針として「基本的なよりどころ」となることを目指すというわけであります。
この「基本的なよりどころ」という言葉遣いは,次の「第3章」との対比を意識しております。「第3章」ではより具体的な指針を示していこうということで,「第3章」の説明の4行目に,「本「指針」が「具体的なよりどころ」ともなるように内容を充実させる。」とあります。「第2章」が「基本的なよりどころ」であるのに対して,「第3章」は「具体的なよりどころ」,同じ「よりどころ」でも二つの違いを意識して体系付けようというわけであります。
この「第3章」は,今のところ考えておりますのはQ&A方式,問題を疑問の形で,こういう問題があるんだけれども,どう考えたらいいんだろうかというような,問いを立てて,それに対して説明,解説を加える,そういう構成で具体性を確保する,具体性を実現する。どんな場面で,どんな人が関係する場面でどんな敬語が問題になるのか,そういうことをできるだけ具体的に挙げて,解説を施そうということであります。
以上の三つの章から構成することを,今のところ基本な考え方としています。これもこの先,具体的な案を検討する中で,構造が細かくなったりする可能性はないわけではないと思いますが,基本的にはこの構成でいこうという,そういう段階にあります。
今日は,その「第1章」から「第3章」までの中で「第3章」について,今,ワーキンググループでどんな素案が作られて,小委員会でどんな議論が行われているか,その1例を御覧いただきたくて,記述の見本例という位置付けで,先ほど申しました設問と解説の具体例を大きく三つのグループに分けて示しました。配布資料2の1ページの下の方にAとあります。それから2ページにBとありまして,3ページにCとあります。A,B,C,3通りの具体例を示しました。これは,それぞれA,B,C,全部並べて答申に残るという,まだそういうものではありません。Aのグループで,その中に少し構造があります。問題の立て方,解説の仕方で特徴があります。Bにもあります。Cにもあります。そういった三つのタイプを例としてお示しして御意見を頂ければ有り難いと考えた次第です。少しお時間を頂いて,このA,B,Cを簡単に御説明します。
Aは,敬語のタイプの誤りによってコミュニケーションに支障を生じる場合。具体的には立食パーティを想定していると思うんですけれども,その場面で,知らない出席者同士の間で「お取りしますか」と言ったら,意味を取り違えられて伝わってしまった。
これは「お取りしますか」,これを敬語の方から申しますと,尊敬語と謙譲語の取り違えということで,非常によくあるタイプの間違いであります。「お取りになりますか」という意味で,相手の動作を立てて言う意味で使いたかったんだと思いますが,それを「お取りしますか」と言ってしまったために,「私がお取りいたしましょうか」というように,こちら側の動作を表現した言葉として,相手に受け取られて誤解が生じたと,そういう例であります。そのことについて,これは尊敬語と謙譲語という言葉をほとんど使わずに,基本的な筋を淡々と説明すると言いましょうか,そういうタイプの設問と解説という,そういう例になっているかと思います。
2ページの一番上の【解説】という欄で,「「お取りになりますか」と言えば良かったところである。「お取りしますか。」と言えば,敬語(2)(いわゆる謙譲語)なので,自分から相手側に向かう行為」を言ってしまうので誤解されると,そこまで書く。そして,注意すべき点として,敬語(1),(2)と書いてあります。これは尊敬語と謙譲語なんですけれども,その使い誤りは「どちらの行為であるかという理解を妨げることにもなるので,注意を要する。」と単に敬語上の問題だけでなくて,その表現される動作の主体がどちらなのかという情報内容そのものに問題を生じてしまうから要注意であると,こんなところを説明するというわけであります。
それからBは,具体的に扱っているのは「させていただく」という言葉の使い過ぎです。具体的には,問いの中に[1],[2],[3]という三つの例を出しています。まず,お店の張り紙に「本日休業させていただきます。」という掲示が出る。これはどうか。それから,[2]は「結婚式のスピーチで「私は新郎と三年間同じクラスで勉強させていただいた者です。」」。この「勉強させていただいた」はどうか。[3]は,自己紹介で「私は○○高校を卒業させていただきました。」,これはどうかというわけです。
「させていただく」は,文化庁「国語に関する世論調査」でも,あるいは私ども国語研究所の「敬語の調査研究」でも非常によく話題になり,使い過ぎが議論されるところであります。この[1],[2],[3]は,それを私なりの見方をお許しいただければ,傷の浅いものから順番に並べてあるということでありまして,そのことを以下の解説で,かなり長い解説になっておりますが,順序立てて書いております。
解説の前半,約15~16行は,「させていただく」あるいは「何々していただく」という,その敬語についての基本的な解説であります。問題の[1],[2],[3] については,下から10行目ほどの三つ目のパラグラフです。「上記[1]の「本日休業する」ことは,」以下に一つ一つ書いてございます。
[1]の「本日休業する」については,「させていただく」の「自然な広がり」として認めるとらえ方が多いだろう,ただし一部違和感を感じる人もいるということを,「国語に関する世論調査」の結果なども踏まえて示してはどうかという案です。
[2]は,ちょっと違和感を感じる人が増えるだろう,「許容範囲の拡張」であるという考え方もあり得ると,そういうとらえ方をしますという案です。
それから,[3]「高校を卒業させていただいた」,何か単位が足りなかったところを,優しい先生がいてくださって助けていただいたという,そういうことがあれば,これも大丈夫だろうけれども,普通の場合はこれはまずいだろうということで「なじまない」と,下から3行目に書いてあります。
この広がりをどこまで認めるか,これについてはやはり意見が分かれるところでありますので,最終的な答申でどういう判断を示すか,これは今後の検討課題になっていくと思います。しかし,こういう問題は避けて通れない課題であるととらえまして,例として今日お示ししているわけです。
3ページのCですが,「「第三者」の扱い-「ウチ・ソト」の問題」とあります。
周囲の人間を身内の存在としてとらえるか,それとも「ソト」,部外者,グループの外の存在としてとらえるかということです。これによって特に謙譲語などが問題になるという,これも敬語の使い方の難しいところの例となる重要な問題点なんですが,このCの【問い】,【解説】の構成は,これを「ウチ・ソト」という論点について具体例を三つ,C1,C2,C3ということで掲げました。C1は,会社の面接の場面で,面接官に対して自分の身内,家族,親族のことを言う場合。それからC2は,会社の取引場面で,自分の会社の上司のことを取引先の会社の社員に話すとき,「田中」と呼び捨てにすべきなのか「部長」という職階名をどう使うかということについて述べています。それからC3は,学校で,中学校の教師が同僚の教師のことを保護者に対して話す場合はどうか。これまたよく話題になります。学校に電話すると,先生が電話に出て,別の先生に電話に出てもらいたいとこちらが言うと,「田中先生は今,授業中です。」と,こうおっしゃる。これは会社の中の敬語の,C2で扱った規範意識からすれば,ちょっとこの「先生」という呼称を使い過ぎているのではないかということになります。身内について「先生」という敬称に当たる言葉を付けているのはおかしいのではないかと,そういう議論の起こる,具体例であります。それについて説明を加えております。一番下のC3の【解説2】というのを御覧いただきます。「田中」とか「田中先生」という選択肢のほかに「田中教諭」という,より客観的と言ったらいいでしょうか,「教諭」という呼称を使うのも一つの可能性のある選択肢であろうかということも,言わば提案になっていくと思うんですけれども,こういう考え方もあるのではないかということも【解説2】として展開したらどうかという,そういう案を示しております。
ちょっと長くなりましたけれども,以上のような事柄を,つまりA,B,Cで三つの問題を扱った例をお示ししましたけれども,このほかに扱うべき敬語の論点としてどういうものがあるだろうかというので,20から30くらいの可能性のある項目をワーキンググループの方でリストアップしました。それを扱うとすればどういう設問があり,解説があるかということを,この先も蓄積していきたいと思っております。
今日の資料の内容は,申し上げるまでもなく,飽くまでも現段階での審議の中間的な御報告であります。A,B,C,それぞれ固まった案の一部を提出しているものではございません。しかし,基本的な枠組みとしては,このような線で進めていくことを考えておりますので,その点について御意見を頂きながら御了解いただければと考えているところです。特に,配布資料2の1ページの下から始まっております「3」の部分は,具体的な「指針」,具体的な「よりどころ」として答申に求められる具体性が最も実現しやすい,あるいはそこで書き込まないといけない,そういう部分の例としてお示ししておりますので,忌憚のない御意見がちょうだいできれば有り難いと思います。
なお,任期が改まったこの先のことで,ちょっと先走るかもしれませんが,夏過ぎですね,秋が始まるころまでには案を小委員会としてまとめる。そして,この国語分科会で固めていただいて,一般の国民の皆さん方の御意見を伺うという期間も設けていくということだそうですので,それに向けて,当面,夏過ぎまでをこの案を審議する期間に当てていきたいというふうに考えている次第であります。
○ 阿刀田分科会長
扱ってみると本当に敬語の問題は膨大で,これをどう取りまとめていったらいいか,実際,私のような素人には随分戸惑いがあったんですけれども,敬語小委員会の方々のいろいろな英知を集めまして,この配布資料2の点線で囲った部分,まだまだ流動的なところはありますが,答申の基本的な形がこんなふうになるのではないかと思います。
「総論」には何を盛り込むのか,「第2章」と「第3章」とは逆の方がいいのではないか,具体例を先に出した方が一般の方には分かりやすいのではないか,そして,その根拠となる「敬語の仕組み」を後にした方がいいのではないかという意見も出たりしております。いや,やはり本来,筋はこういうものだということを先に出して,それから具体例だろうというようなこともあります。若干この点線の枠組みの中の構成は変わっていくかもしれませんけれども,取りあえず「総論」では敬意表現や敬語そのものが,話者が自分をどう認識しているかというような考え方とも非常に深くかかわってくるというような,敬語を取り囲む周辺の状況なども入れ込んで述べていく,そして「よりどころ」となる仕組み,さらに具体例というような三部構成みたいな形でやっていけばいいのではないかということが,大まかな展望として見えてきたところです。
ここまで進んでおります。7月に皆さんにお集まりいただいて以来,分科会に分かれてずっと審議をしてまいりましたので,敬語小委員会に属さない方々からもいろいろな御意見を賜りたいと思いますので,御質問,御意見をちょうだいしたいと思います。
○ 阿辻委員
まず最初は大変単純なもので,この配布資料2の2ページBの【解説】部分の第2パラグラフでしょうか,「何々させていただく」,そこから数えまして3行下の「ととえて」,これはミスプリントでしょうか,「ととらえて」ですね。そこの単純な話です。
それから同じページの上の方の,【注意すべき点】というところに,「敬語(1)」と「敬語(2)」というのが出てまいりまして,それはその上の解説にも「敬語(1)(いわゆる尊敬語)」,「敬語(2)(いわゆる謙譲語)」とありますが,これはどこかに定義されているのでしょうか。
○ 杉戸主査
ここのところの御説明は割愛してしまいました。
「第2章」で,敬語の仕組みを典型的な例とともに示すということなんですが,そこで,今お尋ねの「敬語(1)(いわゆる尊敬語)」というところが問題になってくると思います。つまり,現段階では,旧来の学校での敬語の教育でよく使われる「尊敬,謙譲,丁寧」,あるいはそれに加えて「美化」という3分類か4分類の敬語の分類をそのまま,あるいは言葉は悪いんですが,頭ごなしに尊敬語というものがある,それはこういう敬語であるというような,そういう姿勢で説明するのはちょっと考え直そうということを議論しております。
そのときに,名称はちょっとこの先考え直す余地を残しておこうということを考えておりまして,ここでは「敬語(1)」と「敬語(2)」というような仮の名前で言っているわけですけれども,この先,やはり尊敬語,謙譲語という用語がいいという結論になるかもしれません。
しかし,従来の敬語の議論からすると,尊敬語の中にも大きく分ければ2種類あるはずだとか,謙譲語も一律に謙譲語と呼んでしまうと,かえって分かりにくくなるグループがあるとか,そういう議論が定着しております。それをこの形で答申に盛り込めないかということを目下検討中でありまして,そのときにどういう名称が適切であるかという議論が出てくる。今はその前の段階で,今のところ「敬語(1)」,「敬語(2)」ということで,案作りをやっているというわけであります。
○ 阿辻委員
分かりました。三つ目はちょっと申し上げにくいことで,これまでの開催状況を拝見いたしますと,大変熱心に,頻繁に開いていらっしゃる結果が,今日の資料に出ているんだろうと思うんです。具体例を示していくというのは大変面白くてよく分かるんですが,A,B,C1,C2,C3でしょうか,このAの例は,果たして本当にあり得る会話なのかなというのが,御努力に対して水を差すような発言で大変申し訳ないとは思いますが,これはちょっと現実味が薄いのではないのかなというのが正直な実感です。
○ 阿刀田分科会長
実は,これは敬語小委員会でも割と問題になりまして,でも若い人はやはり言うらしいという話で,もう少し説明していただけますか。
○ 杉戸主査
阿刀田分科会長がおっしゃるように,小委員会でも,パーティーでフルーツを取ろうとしたところという,そこからもう既に議論が始まりました。そもそも立食パーティーで人のためにフルーツを取ってあげるなんてことをするだろうか,そもそもそれを言葉に出すだろうかといったところから議論がありました。
そして,核心である「お取りしますか」という,その敬語ですね。これ自体についても,やはりこれは耳にしたことがないという御意見も含めて非常に違和感がある,実例として出すのも要注意ではないかという,そういう意見が出ました。
ただ,これは私の意見が混じりますが,「お取りしますか」という「取る」という動詞も含めて,例えば「お書きしますか」,あるいは「お乗りしますか」というように相手の動作を表すつもりでほかの動詞を当てはめてもこの誤用は非常によくあるタイプであると,そういう考え方があります。それに違和感を持つか持たないかに関して,地域差があると言われているところでもあります。阿辻委員は京都の御出身で,京都の方の意識と東日本の方の意識とは変わってくる可能性が非常に強い,そういう敬語の例でもあります。そんなことも議論しております。今後,そこを確かめなければいけません。
○ 阿辻委員
はい,分かりました。
○ 阿刀田分科会長
これをそのまま実際に出すかどうかということは,また今後の問題で,どうもここにお集まりの方々は,皆さん,ちゃんと世の中の敬語について熟達しているものだから,「こんなばかなことが」というのがほとんどの方の考えらしいなとは思うんです。この方は「あなたが取るんですか」ということを言いたかったんだけれども,「あなたが取るんですか」は幾ら何でも敬語ではないから,「あなたが取るんですか」ということについて「敬い」を表さねばならないというので,手っ取り早く「お」を付けてしまったということではないかと思うんです。
「若い人はやるんだ」と言われると,このごろの若い人の言葉遣いは相当乱れているから,このくらいのことはあるかなということで,こういうとんでもないケースも入れた方が,また別の意味で面白いかなという意見もあって,取りあえずここには出ておりますが,最終的に,これは少し誤解が多過ぎるかなというようなことは,小委員会の方でも十分に考えていらっしゃると思います。
○ 岩淵委員
今のところですが,若い人は一体どういうふうに言うのだろうかと疑問に思います。と申しますのは,私の周りにいる人たちが発言するのを聞いておりますと,「取りましょうか」という言い方が最も丁寧なように感じられます。「取りますか」と言う者もおります。「取りますか」も,「取りましょうか」も,取ってくれるつもりなのです。もう少し上の年齢の人たちは「お取りしましょうか」と言うのでしょうが,若い人はそうではなさそうです。このことをどう考えればよいのかという点が大変気になるところです。  若い人たちは,尊敬,謙譲という区別が分からずに「丁寧な言い方」という気持ちでいるのではないかとも思います。特に相手を立てるとか,自分を低めるとかということが明確に意識できずに,ただただ「丁寧」に,「上品」にという意識での言葉遣いを心掛けようとしているのが若い人たちだと思います。そういう人たちに対して,尊敬語,謙譲語と言ってみても,これはなかなか理解してもらえない話です。このために美化語がどんどん増え,美化語を使えば自分は丁寧に言っているから相手を高めていると考えているのではないかとも想像しております。高める,低めるということも言葉では分かっていてもどう表現すれば良いのかが理解できないようです。  「あげる」と「やる」のようなたぐいの言葉には,一見して敬語は使われておりませんが,こういう表現にも敬意の意識があるのだと言うことについても同時に広めていく必要がありそうです。そのことを怠ってしまいますと,現代の敬語を考える場合にはバランスを崩してしまう結果になるのではないでしょうか。  私は大教室で授業を何十年もやってきました。最近の教室の事情は,帽子を取れというところから始まります。マイクを握って帽子を取れとどなり付けて,そして携帯電話の電源を切れなどというようなところから始るのです。幸いなことに,今は「授業を始めます」と言うと静かになります。私語が多くて困るという話はもう過去のものとなっていて本当に静かになりますから,マイクなしでも授業はできます。しかし,以前と比べて随分少なくなってはきたのですが,その前の段階の,帽子を取るとか,あるいは携帯電話の電源を切るとか,そういうたぐいのものが全くできていない者がいるということです。そのことが,敬語を教えるときの前提として大変重要なことなのではないかと思います。こうした言葉以前の問題をどう考えていけば良いのか,お聞かせいただければ幸いです。  少し話が変わりますが,大学の授業の中でも敬語のことについては,当然触れることになります。そういうときに敬語をどう使えば良いのか教えてくださいと言われることも少なくありません。具体的な場での具体的な表現についての質問でしたならば教えようがありますが,ただ漠然と敬語の使い方を教えてほしいと言われても教えようのない場合が少なくありません。これは敬語の理論的なものを求めているわけではないからです。学生たちの意識の中には,若い人の敬語は乱れているとか,間違っているとかと言われるものですから,それを直したいという気持ちがあるからなのだろうと思います。それで,どう使えば良いのかという質問になってくるのでしょう。そこで,学生たちの求める答えにはなっていないかもしれませんが,相手をどういうふうに思っているのか,「この野郎」と思っているのか,あるいは「この人にはいろいろお世話にもなるし,自分としては尊敬している」と,そういうふうに考えているのか,そのことが言葉に表れてくるのだということで説明しています。分かったという学生,肯いている学生もおりますが,反応のない学生もおります。このようなわけで敬語には悩まされることが大変に多くあります。  若い人たちは,敬語と言いますと,単語としての一つ一つの敬語について考えてしまい,表現として敬語をとらえることに慣れていないようです。資料を拝見しておりまして,大変御苦労なさっていることはよく分かるのですが,エチケットの専門家の書いた言葉の使い方についての文章と,言葉の専門家が書いた敬語についての文章と比べてみますと,私自身もそうであるのですが,言葉の専門家の場合には,どうしても言葉を言葉として説明しようとする傾向が強いようです。エチケットの専門家の書いたもののすべてが正しいかどうかは別としましても,敬意の表現,敬語の機能という点からは,「なるほど」と思わされる文章が大変多いように思います。そういう意味で,言葉の専門家としての意識を外して考えることも敬語について教えるときには必要ではないかと,学生と向かい合ってみたときに,感じることが少なくありません。とりとめもないことを申しましたが,私の感想を申し上げてみました。
○ 杉戸主査
たくさんの点について御指摘を頂きました。  最初は,若い人たちが「取りますか」,「取りましょうか」という「ます」を使っていわゆる尊敬の気持ちを表したことにしている,そういう例が多いということの御指摘でした。これはおっしゃるとおりだと,調査結果などを見てもそう思います。  それと関連して二つ目の御指摘で,尊敬,謙譲と言っても分かりにくい,そもそもその心遣いと言いましょうか,ここに託す心ばえというものがそもそも分かっていないんだという,そういう御指摘がありました。
その二つに関係することとして,ワーキンググループあるいは小委員会では「敬う」とか「へりくだる」という言葉で説明する以外に,尊敬とか謙譲の気持ちを表す言葉を工夫しなければいけないのではないかということを議論しております。「敬う」や「へりくだる」というのは,「尊敬語は敬う言葉である」,「謙譲語はへりくだる言葉である」という,敬語を説明するときの言葉ですね。今日の資料の中にもそれが一部現れておりまして,配布資料2の2ページで,「お取りしますか」という尊敬語を説明する部分,1行目です。「この場合は,相手側の行為を立てて述べようとするケース」と書いてあり,「相手側の行為を立てて述べよう」と,そういう言葉を,ここの案では考えております。焦点として取り出せば,「立てる」という言葉ですね,こういう言葉はどうであろうかという,一つの案です。実は敬語研究の方でも,尊敬語の表す敬語的な意味をどういう言葉で説明するかが問題となっています。「立てる」も含まれていますが,「上げる」とか「敬う」とか,いろいろな言葉が使われて敬語の本が書かれています。それをリストアップしたような研究もあるんです。その中から,今回の答申に適切な言葉を選ぶ努力が必要であろうということが議論されていますが,岩淵委員の御指摘は,そのことにつながるものとして伺いました。
それから,「あげる」など,<やり・もらい>の関係ですね,そのことも御指摘がありました。これも「くださる」という語が典型だと思うんですけれども,尊敬語に分類される中にも,恩恵を受ける,相手から何か恩恵と意識すべき事柄をしてもらうときに使う,そういう敬語がある。そのことを単に尊敬語とひっくるめて言うのではなくて,区別して説明する必要があるのではなかろうか。<やり・もらい>の関係は,単なる言葉遣いの問題だけではなくて,人と人との間の暮らしの動作にかかわる事柄ですので,そのことに触れるためには,敬語の問題に含めて,<やり・もらい>,あるいは恩恵の授受を扱う必要があるだろうということも議論の内容に入っております。
2ページにBの「させていただく」の【解説】がございますが,その三つ目のパラグラフの,「このように「させていただく」は,本来,ただ自分側の行為を…」という,そのくだりに含まれていると思います。「自分側の行為を,相手側又は第三者からの許可・恩恵を受けてのことととらえ」という部分に入っていると思いながら伺っておりました。事柄としては議論しております。ただ,これをこういう固い表現で答申の中に盛り込むかどうかというのは,また次の課題なんですけれども,御指摘の事柄は,議論の項目の候補にはもちろん入っております。
最後に,貴重な御指摘だと伺ったのは,敬語について,言葉を言葉として説明してしまうという弊に陥りがちだという,そういう御指摘だったと思います。このことは心して避けるべき話だなと改めて伺いました。既に,つい先ほど読みました「自分側の行為を,相手側又は第三者からの許可・恩恵を受けて」という言い方,これはやはり敬語の意味を非常に端的に表現しようとするとこうなると,言葉の研究者あるいは教育の立場からは言えるかと思うんですけれども,一般の方に分かりやすく言葉を言葉としてだけでなくて説明する姿勢をもっと考えなければいけない。そういうことだと伺いました。
○ 蒲谷敬語小委員会副主査
ただ今,杉戸主査からも御説明がありましたし,また,阿刀田分科会長からも補足の御説明がございました。今回の配布資料2の「3 第3章「敬語の具体的な使い方」の設問・解説(記述見本例)」に書かれているのは,これは飽くまでも記述の見本例であるということなんですね。ワーキンググループの方でも6回かけていろいろ議論してきましたけれども,一番議論を重ねているところは「第2章」の敬語の仕組み,敬語そのものの仕組みと,それから「第3章」の具体的な使い方との関連なんです。
「第2章」で扱う敬語の仕組みについても基本的なところは出しましたし,その後,「第3章」の実際の敬語の使い方と,その敬語の仕組みとがどういうような関連で示せるのかというところに現在のところは一番力と時間を注いでいるというところでございます。飽くまでもその中での記述の見本例として,この「第3章」が出ているというふうに御理解いただければと思います。それが1点です。
それから後,先ほど岩淵委員からも御意見がありましたけれども,言葉の問題だけではないというところもワーキンググループの方ではかなり議論をしております。言葉についてだけの説明に終わらせないで,それは今度,「第1章」の問題と絡むんですけれども,「第1章」の総論と「第2章」,「第3章」とのつながりをどういうふうに考えるのか,言葉の問題ではなくて,やはり気持ちや中身の問題を含めて検討していこうというところで議論を進めているというところが,6回かけてワーキンググループの方で行っていることだということを補足させていただきます。
○ 阿刀田分科会長
「総論」が相当いろいろなものを含んでいかなくてはならないのではないかというようなことも議論になっておりました。尊敬もしていないのにどうして敬語を使うんだというような話まで出てまいりました。あるいは敬語というのは,表情とかその時の動作とかというものによって,言葉としては全然敬語でないものでもちゃんと敬意を表せるような場合というのは世の中幾らでもあるんだということも出てまいりました。
この国語分科会の答申としてそれに触れるとしてもどこまで触れるかという問題なども入ってまいりまして,「総論」には何か盛り込まねばならないだろうけれども,そういう言語以外のものについて,どう触れるかということも悩ましいところがあります。今後,いろいろ考えていくことになろうと思っております。意識はいたしております。
○ 松村委員
7月の前回の分科会の時に,今回,敬語の指針を出すに当たっては,中学生と言ったかどうかはちょっと覚えていないんですけれども,子供にもそのまま読ませて分かるような答申をというお話があったように記憶しています。
そういう意味で,今回の具体的な指針の点線で囲んだ部分なんですが,「第2章」の敬語の仕組みのところで,典型的な具体例を用いながら説明をするとあり,さらに「第3章」の方で,典型ではなくて,世の中でいろいろな間違いを犯していたり,困難を感じている部分が多いだろうというようなものから選択をして具体的に示していく,そういう構成なのかなというふうに私は受け止めていました。
「第2章」の方の典型的な具体例というのが,今まで学校教育の中で子供たちに指導している尊敬語,謙譲語,丁寧語,ここら辺の典型となるものを示すのかなというふうに思っているのですが,それでよろしいのでしょうか。
それから,先ほどのお話の中で,やはり敬語で何を子供たちが困難だと感じているかというと,やはりどの場面で尊敬語を使い,どの場合で謙譲語を使いという,尊敬語と謙譲語の使い方があいまいになっている,ここが一番多いんだと思うんですね。それともう一つは,敬語ではないけれども,先ほどおっしゃった,その場面でこの言葉は適切なのかとか,言葉そのものの使い方というのも問題になります。例えば,前にもお話ししたかと思うんですが,子供たちが高校を受けるのに,面接の場面でいろいろな質問がされます。その中で,「どうしてこの学校を受験するつもりになったんですか」という質問に対してあなたはどう答えるというふうな質問をしたときに,「今回,体験授業に来たら,担当の先生が教え方がうまかったから」というふうに言った子供がいるんですね。子供にとっては実感なんだと思うんですが,教えてくださる先生に向かって,「あなたの教え方はうまかったよ」という評価を中学生が下すことについては,やはり言葉遣いとしては適切ではないだろう,そういうことが学校の中ではたくさんあります。ですから,そこら辺りを敬語と絡めてどういうふうに指導するかということについては,敬語の授業そのものよりも,国語科であったり,あるいは学校教育全体の中で見ていくものだろうと思うんです。
そうすると,ここの場面で,やはり敬語を型としてきちんと子供たちにいかに分かりやすく指導できるか,分かりやすく子供たちに伝えられるような方針が欲しいというふうに私は思っているんです。これまで尊敬語や謙譲語の指導の中でよく使われていたのは,やはり自分をフラットな立場に置いて相手を高める,あるいは自分がへりくだる,自分を低めるというんですか,その言葉がやはり一番子供にとっては分かりやすい。ただ,それでもなかなか使いにくい,身に付かないという現状があるので,これからどういうふうに指導するのかなということも考えていかなければいけないんです。
先ほどのお話の中で出てきた「相手を立てる」,「立てる」という言葉が本当に一般的なのか。「尊敬・謙譲・丁寧」というこの三つの言葉を押さえることは,今の中学生なら中学校を卒業するまでには言葉としては分かっているし,相手を高める,あるいは自分がへりくだる,そのような考え方もある程度は浸透しているだろう。それから先の習熟というところでどういうふうに言ったらいいのかなということなので,やはり後の普及啓発というか,その部分が一番大事なんだろうと思うんです。
配布資料2を,本当に分からないまま私も読ませていただいた中に,「立てる」のところにもう一つ,「向かう先を立てる」というような言葉もあったかと思うんですが,ここまで行くと,子供にこれを理解させるというのはかなり難しい。「向かう先を立てる」,「相手を立てる」と「自分の行為の向かう先を立てる」,この区別をどういうふうに教えていくのかというのは,ちょっと難しいなということを感じました。
それから,「第3章」の具体的な使い方のところなんですが,これはQ&A方式でというお話だったんですが,ここら辺はこのまま使えるだろうというふうに思いました。
このまま使うとすれば,こういう詳しい説明ではなくて,場合によっては「何々というのは適切だったのだろうか,不適切だったのだろうか」という問いに対しては,まずは「不適切だと考えます」とか,これは「社会的にはこうこう,こういう状態です」というふうに結論めいたことをまず端的に示していただいて,その後に,それはこういう理由ですということをもう少し解説のように付け加えていただく,そんな形の方が分かりやすいかなというふうに思います。
先ほどから議論になっていましたAのパーティーの件なんですが,私もこれは,こういう例の一つとして,一番間違いやすい「お…する」という尊敬語と謙譲語の取り違えのようなことは,このパーティーの場面は中学生ではほとんどないと思いますが,ほかの場面ではやはりたくさんあるだろうなというふうに思っています。
教員の中でよく私も耳にしていて,どうしようかなと思うことは,保護者が何か急用で学校に訪ねてきたときの例です。寒い日などだとなおさらなんですが,廊下にいる保護者に別の教員が対応する場合に,「あと10分ぐらいで授業が終わりますが,このままここでお待ちしますか」というような言い方はよくあるんですね。「お待ちしますか」というのは,やはりおかしいのではないか。耳にするとちょっと注意をしたりはしていますが,こういったたぐいの例はたくさんあるかと思います。
それから,最後のC3のところでは,中学校の教師が子供の立場に立って「○○先生は…」という言い方は本当に多いんです。正直言って私もいたします。これを「○○教諭は…」という言い方をすると,現状では随分固い感じがするんですね。ほかの何か,保護者といろいろ学校教育について議論をする場合は,「うちの数学科の○○が…」とか「国語科の○○が…」というふうに名前で言うんですが,保護者の子供の欠席連絡とかそれ以外のいろいろなことでは,「○○先生は授業中ですので,もう少々お待ちください」とか,そんな形で対応していますので,この「教諭」という言葉がそれに代わるものかどうかについては,現状ではちょっとなじまないような気もいたします。
○ 杉戸委員
「第2章」でどういうことをどういう書きぶりで書くのかというところが,松村委員の御指摘に関係することだと思います。
小委員会の方でも,この答申,敬語の部分が出たときに,そっくりそのまま部分的にいろいろなところに引用される可能性はあるだろう,引用されるとすれば,「第2章」の部分が引用される可能性が高いのではないか,そういうことを覚悟して考えていこうということを言っております。
ただ,いろいろ引用していただくところが出てくると思うんですが,その引用が学校教育の例えば教科書のコラムの中にとか,そういったことも含まれるとすれば,それを考慮に入れて書くことも必要になってくるという話になります。けれども,それをどう考えるのかというところは,まだ今後,十分詰めなければいけない事柄だろうと考えております。
一方で,最初に申しました,今回の答申は「「よりどころ」の「よりどころ」」ということで行けないものかという考えも強くあります。学校教育の方で児童・生徒に直接示す資料あるいは解説が一つの「よりどころ」だとすれば,その「よりどころ」作りの「よりどころ」に答申をしていただければ有り難いと考えております。ただ直接引用される,そのまま引用されるということは,繰り返しますが,覚悟しなければいけない。
それからもう一つ,結論をまず書けと,これは適切かどうかと,その議論もつい先日の小委員会で非常に強く指摘がありました。そうしましょう,そういうことを目指そうということを言っておりましたところです。
○ 阿刀田分科会長
いろいろ御意見もあろうかと思いますが,御承知のように,小委員会を作り,敬語と漢字とに分けております。分科会の委員はすべての会議に出席できるわけでございますので,漢字小委員会の方も敬語について,是非聞いて申し述べたいことがおありでしたら,どうかそちらの方にも出席されて大いに発言していただきたいと考えております。
時間の関係もありますので,敬語の件はこの辺で打ち切りまして,次に,漢字政策の在り方について,漢字小委員会主査の前田委員から御説明いただきたいと思います。
○ 前田漢字小委員会主査
時間がちょっと押しているそうで,十分な説明ができるかどうか分かりませんが,かいつまんでこれまでの検討の結果を申し上げます。
なお,漢字小委員会の方は敬語の方よりも少し遅れて進んでいるというふうなことでございまして,これまでのところははっきりとした結論をまとめるというよりは,現在までの問題点を明らかにして,それについていろいろ意見を出していただき,だんだんと絞っていくという,いわゆる検討の途中でございます。今日,御質問いただいてお答えするというよりは,もし触れなかったことで何かいいお考え,あるいは特に問題とすべきところがありましたら,それを御質問というか,御提案いただくという形で出していただければ,これから検討していきたいというふうに思っております。
私どもの漢字小委員会では,これまでのいろいろな漢字政策とかかわりまして,特に最近の情報機器の発達に伴いまして,いろいろな問題が出てきたと考えております。これに対してどう対処すべきか,それから,これと重なるところもありますけれども,既に出ております常用漢字表というものが長い間たちまして,またそれ以降,JIS漢字の問題や,それからいわゆる人名用漢字の問題などが出てきたために検討すべきところが出てきているというふうな考え方に立ちまして,検討を始めました。
そういう点で,配布資料3の「1総合的な漢字政策の在り方にかかわること」ということが第一の問題でございます。このうちの一つは,今申しました情報機器の普及に伴うこと,もう一つは,JIS漢字や人名用漢字を含めて一貫した漢字政策というものが必要であるのではないかということ,その二つの面を特に中心に置きまして,そのほかの問題も含めて広く話し合ってまいりました。
その情報機器の普及を前提とした漢字政策につきましては,特に「書けないけれども読める漢字」というものが実際に増えてきているということがございます。最近の若い人,それから子供たちまで含めまして,携帯でメールを送ったりする場合に,変換すれば自分では書けないのに漢字が出てくるというふうなことがございまして,小説などを書く若い作家の中にも,いわゆる常用漢字の枠を外れたような漢字が多く使われてきている。それから,機器によりますいろいろな字体の問題などもありまして,こういうところが問題になっております。
そういう点で,「書けないけれども読めるような漢字」についての扱いというものをどうしたらいいかというふうなことについても,いろいろな意見が出てまいりました。
また,「手書き」と「文字を打ち出す」ということ,今のことと関連しまして,それをどう考えていくかということもございます。これは手で書けなくても打ち出せる漢字があって,それをそれなりに正しく使えていれば,それはそれでいいのではないかとも言えますし,そういうところでは従来の用法からはみ出した使用が出てきますので,そこに問題が起こってくるというふうなことでもございます。
そういったことを含めまして,歴史的には「当用漢字表」,それから「常用漢字表」と参りましたけれども,どちらかと言いますと,そういうふうな検討が遅れ気味でありまして,事柄の方が先に進んでしまう。前に,国語審議会では表外漢字の字体表を検討して報告させていただいたわけですけれども,その前には既に今申しました情報機器の問題などがございまして,表外漢字の使用が非常に増えてきていて,そこに混乱も見られるというふうなことがあって,それを後追いする形で表外漢字字体表の答申がなされたわけです。その前提として,本来ならば常用漢字表の改定というふうなこともあればもっと分かりやすかったんだと思うんですけれども,後追いの形になってしまっているというところに問題があるかと思います。そういう点で,全体的な見直しを定期的に行う必要性ということもあるのではないかと考えています。
また,学校教育の問題もありまして,学校教育での漢字の学習と一般の漢字使用との関係をどうすべきか。これは敬語の場合も同じような問題が先ほど出ておりましたけれども,漢字の場合にも当然手書きのことなど,これはそういったこととかかわって問題になってきます。こういうふうなことにつきまして,総合的な漢字政策を構築していくということについての議論をしてまいりました。
JIS漢字や人名用漢字につきまして,これは国として一貫した漢字政策が必要ではないか。「参考」の「漢字小委員会における主な意見の整理」の方に書いてありますように,これについては時間がありましたら触れていきたいと思っております。この人名用漢字を少しずつ増やしてきたというふうなことがあるわけで,そこにも問題が感じられたわけです。最近,法務省で,この人名用漢字の追加が非常に大幅に行われまして,しかも最初に提案されたときには,かなり人名には使われにくいというふうな字も多く入っていたために,新聞そのほかでも非常に議論を呼びました。多少の手直しはあったわけですけれども,それがほぼそのまま字数を大幅に増やすということで認められて,行われております。このことにつきましては,国語審議会,それから現在,それを引き継ぎます文化審議会国語分科会で検討すべき問題でもあるというふうに感じられるわけですけれども,国語審議会,それから国語分科会での検討という形を経ていない。もちろん,これは担当するそれぞれの部署での必要性があるわけですけれども,全体として将来の漢字の在り方を考えていくという方向の中で人名用漢字をどういうふうに考えていくかということが,どこかで統一されなければいけない。JIS漢字のこともそうですけれども,JIS漢字は経済産業省で,人名用漢字は法務省でというふうな形ではどうも困る。基本的な検討はそういうところから始まってもいいとしても,それらを何とか統合して考えていくようなことが必要ではないかというふうに感じる次第です。そういった点につきまして,一般的な基準となるような「よりどころ」をJIS漢字や人名用漢字との関係を踏まえて,これから考えていく必要があるのではないかというふうなことが議論となっております。
総合的な漢字政策の在り方にかかわることにつきまして,個別的な,具体的な問題としましては,常用漢字表の見直しにかかわることというのが,これが非常に大きな問題となっております。
先ほど申しましたように,当用漢字表が定められ,それから当用漢字表が見直されて常用漢字表が制定されました。常用漢字表についても,その見直しが話題となりながらも今までそれがそのままに行われてきたわけで,その点でも漢字使用の状況を考えますと,現在,どの程度まで見直すかということはともかくとしまして,見直すことは必要であろうという方向では,大体小委員会の皆さんの意見の一致を得ました。ただ,どの程度まで見直すか,ここのところが非常に難しい今後の課題となっております。
そういう点で,見直す場合の観点,どういう考え方で見直すのかという,必要な観点というものを具体的に検討していくことから始めていくことが必要かと思います。その点では,これまでの漢字政策とこの問題とのかかわり,それから字種や音訓の入替えの問題,漢字を手で書くことをどう位置付けるか,学校教育における漢字習得との関係など,いろいろな話が出まして,これらを総合してどういうふうな見直しの観点を作っていくかというところが課題となっております。
それから,正確な漢字の実態調査が,やはり私どもとしては必要ではないのか。正確な漢字の実態調査に基づきまして,その見直しの観点を定め,それを参考にしながら見直しを行っていく。そのためには,どういう資料を作っていくことが必要か。今までのものもあるわけですし,具体的には表外漢字字体表作成時に資料集を8種類,9冊作りました。また,国語研究所でも現代雑誌の漢字調査に加えていろいろな調査が行われております。そのほかにも当然必要となってくるものもあります。この場合にもやはり先ほどの観点の問題もありまして,例えば,表外漢字字体表作成時の資料というものは,今度の人名用漢字の検討においても参考にされたようですけれども,それは漢字使用の頻度を問題にしたものであって,個別の漢字の在り方を問題にしているものではない。具体的に言うと,人名ではどういう漢字が非常によく使われているかというふうなことのための資料ではない。その点で,それを参考資料として使うというところには,ちょっと問題があったのではないかというふうに私などは思っております。
しかし,今度は基本的な国語全体の漢字使用の在り方の中でこれを考えるための調査を行っておくことが必要となる。具体的には,使用頻度だけの問題ではなくて,語として,あるいは音訓としてどう使われているかというふうなことをも含めた語彙資料的な漢字資料が必要になってくるだろうというふうに考えております。
この辺のところについては私個人の意見も入っておりますので,また皆さんに御検討いただきたいと考えています。漢字小委員会でもいろいろな意見が出されているところがありますけれども,その一々については御紹介いたしません。
それで,小委員会をやっておりまして,私自身不勉強なところがございました。特に今回問題としているいわゆる人名用漢字ということにつきましては,当然これは固有名詞ということになります。固有名詞ということでは,子供に名前を付ける場合の人名用漢字と,それから姓名に使われている漢字とがあり,しかも固有名詞という範囲で言えば,地名などの問題もある。そういった全体を含めて考えていく必要があるわけです。しかしその中で,この分科会ではどこまでをやれるかというふうなことも問題になってまいります。そういう点で,これまでのいろいろな経過がありまして,そういう検討の歴史を漢字小委員会でかなり勉強してまいりました。
これにつきましては詳しく説明できませんけれども,これまでの漢字政策について,人名用漢字などのことについても触れておりますものを,配布資料3の「<参考>これまでの漢字政策について(付:人名用漢字)」として付けてありますので,御覧いただければと思います。
1番目には,「当用漢字表以前の漢字表等」。ここでは「常用漢字表」という名前のものが既に大正12年に出ている。これらのいろいろな検討というものは,それが実際に実行される形で公表されたものは必ずしも多くない。しかし,いろいろな検討がされているということが分かってまいりました。
最初の「常用漢字表」という名前自体が非常に興味のあるものですけれども,これが大正12年に作られた。漢字制限の立場から,漢字の負担を軽くしようという立場で選ばれた漢字表です。ここでは1,962字,重複と言うか異体字のことを考慮すると1,960字,その程度の数の漢字が問題とされている。 154字の簡易字体も含んでおりますが,字数で言いますと,後の当用漢字表とやや近いところがございます。
それから,字体につきましても,「字体整理案」というものが大正15年に作られまして,先ほどの常用漢字についての字体を検討したもので,そのうちの 1,020字について整理を行ったものです。当用漢字表のいわゆる旧字体と新字体のことにつきましては,いろいろな議論が当時あるいはその後もあったわけですが,これらの経過は十分御存じないまま議論をしておられる方もいるのではないかというふうに存じます。
3番目に,「常用漢字表」というのが再び昭和6年に出されまして,(1)の「常用漢字表」(大正12年)から147字を削り45字を加えた。そして固有名詞の扱いについては,これは前のものと同じで,「固有名詞ニハ本表ニナイ文字ヲ用イテモ差支ナイ」,つまり対象から除くという形でまとめられているものです。
4番目に,昭和13年に「漢字字体整理案」が出されました。これは,(3)の「常用漢字」(昭和6年)1,858字につきまして,字体を整理したものでございます。
それから5番目に,「標準漢字表」が昭和17年に出されました。ここでは,各官庁,一般社会で使用する漢字の標準を2,528字として,全体を「常用漢字」「準常用漢字」「特別漢字」に分けて表にしています。
これらは,これからの検討の中でも参考にしてもいいという考え方があるかもしれません。それらの意見につきましては,別に「参考」の「漢字小委員会における主な意見の整理」にかなり挙げてありますので,そちらの方を御覧いただければと思いますが,今,その一々については御説明申し上げません。
漢字表が,こういう形で昭和20年以前にもいろいろ作られていたわけですけれども,最後に「常用漢字表案」という形で,昭和21年4月,あの非常な混乱期に作られておりまして,これが以後の「当用漢字表」の基礎になったものです。そこで,「(6)常用漢字表案」のところを見ていただきたいんですけれども,上記の「(5)標準漢字表」の常用漢字1,134字から88字を削り,249字を加えて,計1,295字から成る漢字表案で,この1,295字案は,教育用としては漢字数が多過ぎるのではないか,一般社会用としては逆に少な過ぎるのではないかというふうな議論が出まして,結局,議決には至らず,次の「当用漢字表」になったわけです。
これまでの議論というのは,表としては,いろいろな形で公表はされているんですけれども,それが国の施策として行われるには至らず,次の「2 当用漢字表(昭和21・11・16 内閣告示・訓令)」になったということになるわけです。それが,今,私どもがよく知っていることになりますけれども,昭和21 年11月16日に内閣告示・訓令として出されました「当用漢字表」です。
ここでは,「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で,使用する漢字の範囲を示したもの」として1,850字を掲げております。「固有名詞については,法規上その他に関係するところが大きいので,別に考えることにした。」とあり,ここでは人名・地名を対象外としております。
なお,これらの固有名詞のことについての議論は,その審議の過程を整理した文章には出ておりまして知ることができます。しかし,表自体としては,表を見ただけでは,固有名詞の扱い方など余りよく分からない。ですから,固有名詞のことを取り上げるにしても,表に入れることができなければ,表というか漢字の一覧表だけでなくて,固有名詞の扱いについて,多少の説明を付け加えるということも考えられるのではないか,ということが話としては出ております。
それから,「3 当用漢字音訓表[1]・当用漢字別表[2](昭和23・2・16 内閣告示・訓令)」が昭和23年に出まして,これは後追いの形ですけれども,「当用漢字表」に載録されている漢字につきまして,音訓などを整理したものが出ているわけです。
そして,字体につきましては,「4 当用漢字字体表(昭和24・4・28 内閣告示・訓令)」として,昭和24年4月に内閣告示・訓令として字体の標準が定められました。ここでは筆写のことなども含めまして,まとめられております。
また,人名用漢字につきましては,前の「当用漢字表」では少な過ぎるという意見があったために追加が行われることになりました。昭和26年には92字,それから昭和51年には28字追加しています。
そして,「7 常用漢字表(昭和56・10・1 内閣告示・訓令)の制定になるわけです。ここのところでは,「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」として,この「目安」としてという部分が非常に大事なところでありまして,ここに「当用漢字表」と「常用漢字表」との違いが明確に出ております。<「目安」として>ということは,許容を認めているわけです。したがいまして,これ以降の社会における漢字使用の増加というものは当然のことであったとも言えますし,あるいは社会情勢が多くの漢字を用いる傾向に入っていたからこそ,<「目安」として>とせざるを得なかったとも言えるかもしれません。いずれにしましても,そこのところに非常に大きな変化がありました。
しかし,「この表は,固有名詞を対象とするものではない。」ということで,人名・地名は対象外としました。ただし,「常用漢字表」の答申前文にある「人名用の漢字」には,配布資料3の3ページのようなことが述べられておりますけれども,この辺りのところは,もう時間もありませんので省略いたします。
そして,先ほど申しましたように,表外漢字字体表が平成12年12月に行われまして,これが今,字体の方まで含めて,しかも表外の漢字についても問題にしたという点で,大きな結果をもたらすことになったというふうに思います。
先ほど,最初に問題提起しましたように,昭和56年に54字,平成2年に118字,平成9年に1字追加されたものが,平成16年の2月に1字,6月に1字,7月に3字ということで,この段階で人名用漢字の総数は290字となっておりまして,少しずつ増加しているわけです。けれども,このころから法務省では,戸籍に登録するための名前の漢字の使用について裁判が起こったりしまして,そのことが,人名用漢字の追加に至る理由となってきたわけです。そして,人名用漢字に用いられるものが,この段階で格段に増えることになりまして,現在の総数は983字となっているということになります。
そういうふうなことで,審議会の議論から外れた形で人名用漢字のことが定められるようになってきたのは,「常用漢字表」の制定以後のことでありまして,これがある意味では現在の状態に至っている理由であるわけです。
そういうことで,人名用漢字のことは,考え出すと非常に難しい問題だというふうなことを私はつくづくと感じたわけですけれども,漢字小委員会の皆さんもなかなか難しいということが感じられたように見受けられました。
というようなことで,時間のことがあります。ちょっと超過したかもしれませんけれども,一応,今,取り上げている課題と,それからこれまでの歴史のことにつきましてお話をさせていただきました。
○ 阿刀田分科会長
本当にたどってみると随分いろいろな歴史がありまして,特に固有名詞の漢字なんていうのは,さんざん議論した末に,結局先延ばしにしてというような形をずっと続けてきている。せっかく議論したんだから,もう少し結論を出しておいてくれたらよかったのにというような感じがするところも随所にあるんですが,漢字小委員会はまだいろいろな議論がなされている段階です。
姓と名とはやはり分けて考えないといけない。姓はもう既にあるものですから,これを「おまえの名字はけしからぬ。」というのはなかなか言いにくいところがあります。それから,姓と地名というのは,どうも相当深いかかわりがあるように感じられます。ただ新しく付けられる名前については,こうしろということは言えないにしても,一つの指針・方針を出した方がいいのではないかというように,漢字小委員会ではある程度まとまりかけているところかなと感じております。
どなたの意見でしたか,下の方のいわゆる名の方についてですね,これはその子供が育っていって,世の中で生活していく上で普遍的であることが非常に便利であっていいという側面と,やはり,ユニークな子供,オリジナリティーを持った子供であってほしいという個別性という,親にはその二つの本来矛盾する要求があるということでした。世の中できちんと読まれる名前であってほしいという要求と,何かオリジナリティーを持ってほしいという要求と,二つの矛盾する問題が親の意識の中に,どんな親も含めて横たわっているわけで,その中で子供の名前をどう決めていくかというのは,本来矛盾しているものを統合しようということですから,根源的に難しいのではないかというような議論も起きております。
○ 甲斐委員
二つのことを申し上げたいと思います。私も,この漢字小委員会に入っております。
一つは,「参考」の「漢字小委員会における主な意見の整理」の(1),配布資料3でも「1」となっている「総合的な漢字政策の在り方」ということについては,これはもう省庁を超えた問題になっていて,今日は,ちょうど次長も部長もいらっしゃるからなんですけれども,どうすれば文化庁が漢字についての総合的な政策を取る立場を取れるかということなんです。私は,文化庁に取っていただければ有り難いと思っているんです。つまり人名用漢字にしても,JIS漢字にしても,どうしても中心になるべきものとして,文化庁という存在を何とか強く打ち出していく必要があると私は思っております。この点について,よろしければ後で,次長,部長がいらっしゃるので,何か発言があればというのが一つ。
それからもう一つは,人名用漢字で,姓とか地名はちょっと別として取り分け名前の方ですけれども,実は私どもが現在問題にしているのは,漢字の字種だけの問題なんですね。ところが,人名用漢字で一番の問題になっているのは音訓の問題,どういうように漢字を読むかということです。その漢字の読み方に関しては,多分ここにいるだれもが分からないような読み方というのが,現在,通用していると思うんですね。私もこれはどう読むんだろうというのがあって,結果を知らされると,そうかというようなことになっている。そこで,今日の前田委員の説明でも非常に分かるんですけれども,常用漢字には読み方,音訓の定めがありながら,なぜ人名用漢字の読み方に関しては勝手な読み方を許してきたんだろうという思いがあります。ここのところは,今後,やはり先ほどの文化庁が総合的な漢字政策を取るというところからいって何らかの手が打てないのかどうか,この2点をちょっと申し上げたいと思います。
○ 阿刀田分科会長
大変重要な問題で,いかがでしょうか。次長,部長,今,ここで感想程度のことかもしれませんが,伺えたらうれしいんですが…。
○ 加茂川文化庁次長
漢字政策について,文化庁や文化審議会がイニシアチブを取って総合的な政策を打ち出すべきではないかという甲斐委員の御指摘は,誠に私どもも同じ気持ちを持っておりまして,できればそういうことをしたいと,こういう思いは強い部分がございます。
ただこれまでもそう考えながら,なかなかできてこなかった事実は,先ほど前田主査がこれまでの経緯を御紹介してくださったことで明らかでございます。
「常用漢字表」にしても固有名詞については対象外にしていますし,法務省との関係では,法務省にゆだねるという意思表示も,かつてしたことがあるわけですから,それとの整合性をどう取りながら,甲斐委員のおっしゃった,また,私どもも気持ちとしてはそう思っている総合的な漢字政策についてのインシアチブをどう取るかというのは,そんなに簡単なことではないと思います。どう工夫してやっていくのか,または影響の及ぼし方もいろいろな程度,工夫があり得ると思いますから,これから皆様方の御意見を伺いながら,この場で審議を深めていただきたいと,こう思っております。
○ 阿刀田分科会長
部長,それでよろしゅうございますか。
○ 寺脇文化部長
次長の申し上げたとおりで,いつの日かはそうありたいというために手続を踏んでいかなければいけないわけですが,ただ,今までは,どちらかというと余り積極的に動いてこなかった面もあったのかもしれません。今回は,そもそもこれを議論しようということ自体がそういったことを踏まえての話でございますので,むしろここで闊達な議論をしていただいて,自己規制せずに議論していただいたものを,後どういうふうにすり合わせていくかというのは我々役人の仕事でございます。
従来の経緯に縛られることのない御議論をというのを最初の会でも,お願いいたしましたけれども,そういう議論をしていただく中で,私たちの課題がまた明らかになってくるのではないかと思っております。
○ 前田主査
今のようなことについて,小委員会としてはまだ議論していないのですが,具体的には,外側に出すことを考えて議論するか,それとも内側でまず固めるということで議論するかというふうな問題が最初にあります。
だから,外側に出してというふうなこととは,今までは余り関係なしに,取りあえず自由に発言していただいてという方向で考えてきたんですが,ある程度,それの結果がまとまってきたら,それについてどういうふうに発信していくかという議論を,その後の段階でやったらどうかなと考えております。それまでは,皆さんが理想的と思われるような,しかし社会的にそれが共通した理解となるようなものをまずはお考えいただくということが先かなと,私自身は思っております。
○ 阿刀田分科会長
語弊があるかもしれませんが,やはりはっきりとした明確なスタンダードになるようなものを出して,守らない人がいるのは仕方がないと考えていかないといけない。法務省から「守らない」と言われたら,「守れ」と言うわけにもいきませんけれども,そこを余り遠慮することなく,この国語分科会としてはこういうことを一つの指針として,指針はこれなんだということをやはり世の中にアピールして,それを守らない人がいたり,守らない部署があったりすることについては,それはまた別な考え方だろうというような,そこを余り遠慮してこうもあろう,ああもあろうというような答申にはならない方がいいかな,というふうに今は考えて進めていきたいと思っております。
○ 陣内委員
常用漢字についてのことですけれども,「参考」の「漢字小委員会における主な意見の整理」の2ページ目です。「(3)常用漢字表の見直しにかかわること」ということで一つ,これは質問でもあるんですけれども,私の意見も述べたいと思います。
その中の,特に「2)見直しの観点について」というところの最後辺りですね。学校教育との関係,それから一般の言語生活のレベルで,常用漢字をどうするのかということなんですが,質問としては,今現在の議論の中で,この常用漢字の数の見直しというのは,どういうふうな方向になっているのかなというのをお伺いしたいんです。読めたらいいというのと,書けないといけないというのとあると思いますけれども,そこら辺の区別も含めてどういうふうになっているのかなというのが質問なんです。
私の個人的な意見としては,常用漢字はなるべく増やさない方がいいだろうというような意見です。というのは,言語能力,読み,書き,話し,聞くという,そういうふうなことを考えた場合に,漢字というのは,書く,読むということが必要になりますが,かなり負担があるだろうと思うんです。
今の言語生活を考えたときに,非常に主張されているのは,話し言葉を充実させないといけないというような流れがここ数年あると思うんです。それを考えたときに,もうちょっとそちらの方に教育なり言語生活のエネルギーが使えるような形で全体を持っていくためには,これ以上,常用漢字の負担というのはない方がいいのではないか,というような個人的な意見を持っているんですけれども,先ほどの質問に関して,どのようになっているかちょっと教えていただきたいと思います。
○ 前田主査
現時点では,常用漢字表をそのまま保持するとか,そういうふうなことではなくて,場合によっては,削る字があってもいいし,増やす字があってもいいと考えています。それで,どちらかと言えば,増やす方向の御意見が強いかと思いますけれども,当然,今お話のように,余り増やすと問題になってくる。ただ,先ほど申しました私の報告の中にもありましたように,読めるけれども書けなくてもいいというふうなことも配慮に入れると,その辺はどうなるかという問題が実はあります。
学校で教える漢字ということになりますと,これは当然,読めるだけではなくて,書ける,使えるというふうなことの両方が求められてくるわけです。その辺りのところがどうかということについては,なお御意見があるようで,今のところ,一つの方向にはなっていないように思います。
○ 阿刀田分科会長
少なくとも今まで読めるけれども書けないということを,積極的に漢字政策や何かのところに取り入れるという考え方が余りなかったと思うんです。昔はやはり漢字というのは,覚えたときには読めるし書けるというのが割とくっ付いたものとして教育を受けてきたんでしょうけれども,機器がこれだけ盛んになることになって,読めるけれども書けないという字がこれからますます増えていく可能性は十分にあると思うんで,そういう新しい考え方がこの漢字の問題に提示されている,その局面にあるんだということは痛感してはいるんです。しかし,だったらどうするかということは,これからの問題かなと考えております。
○ 内田委員
ただ今の陣内委員の御意見に対してですけれども,漢字というのは,やはり情報処理という観点から見ますと,非常に負担が軽いんです。同時的な処理ができますので,特に意味表象を作るというような観点から見ますと,概念を端的につかむというところで非常に有効な力を発揮するものであります。ですから,石井方式の漢字教育プログラムなどですと,幼児であっても杜甫,李白の詩が読めてしまう,もちろん書けないわけですけれども…。ですから,やはり漢字というのは知を高めるための財産である。これは本当に大事にしていただきたいなというふうに思うのです。
特に,ワープロのようなものが出てきますと,自分できちんと読めて意味が分かるもの,それは必ずしも手書きのときに書けなくても,使うことが可能になってきました。ですから,思想や概念の伝達媒体として漢字の持つ優れた特性というのを是非考慮していただいて,少なくするのではなく,やはり維持あるいは少し増やすぐらいであってもよろしいのではないか,そんなふうに思います。
○ 阿刀田分科会長
本当に話せばこれは幾らでも議論が出てくることかと思いますが,取りあえず9月にそれぞれの分科会を作って,現在までこんなようなことをやってきているということを全体的な報告とさせていただきました。
来月,文化審議会がございまして,そこで,この1年間国語分科会が何をやってきたかということの報告をすることになっておりますので,今日の審議を踏まえた内容を,私が文化審議会で報告するということになります。余りここで論じられなかったことを報告するつもりはありませんが,ディテールに関しては私にお任せいただきたいと思いますが,よろしゅうございましょうか。(一同了承。)
それでは,本日の御議論を踏まえて,文化審議会には報告させていただきたいと思います。できるだけその中で意見が反映されるように,そして,忠実に伝えられるように努力したいと思います。
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