議事録

国語分科会(第34回)議事録

平成19年1月15日(月)
10:00〜13:00
如水会館 「オリオンルーム」

〔出席者〕

(委員) 阿刀田分科会長,杉戸敬語小委員会主査,蒲谷敬語小委員会副主査,前田漢字小委員会主査,林漢字小委員会副主査,井田,岩淵,内田,大原,甲斐,金武,菊地,小池,坂本,陣内,東倉,松岡,松村各委員(計18名)
(文部科学省・文化庁)近藤文化庁長官,町田国語課長,氏原主任国語調査官
ほか関係官

〔配布資料〕

  1. 国語分科会(第33回)議事録(案)
  2. 敬語の指針(答申案) 付:敬語の指針(答申案)見え消し版
  3. 漢字小委員会における今期のまとめ(案)

〔経過概要〕

  1. 事務局から,配布資料の確認があった。
  2. 前回の議事録(案)を確認した。
  3. 敬語小委員会の杉戸主査から配布資料2についての説明が行われ,その後,同資料についての意見交換を行った。その結果,本日出された意見を踏まえて,同資料の修正を行うことが了承された。なお,修正に関しては,杉戸主査に一任することも併せて了承された。
  4. 漢字小委員会の前田主査から配布資料3についての説明が行われ,その後,同資料についての意見交換を行った。その結果,本日出された意見を踏まえて,同資料の修正を行うことが了承された。なお,修正に関しては,前田主査に一任することも併せて了承された。
  5. 次回の国語分科会は,1月29日(月)の10:00から開催する予定となっているが,「敬語の指針(答申案)」の修正の状況を踏まえて,開催するかどうかの判断は,阿刀田分科会長に一任することが了承された。また,各委員には阿刀田分科会長の判断が出た段階で,速やかに事務局から連絡することとされた。
  6. 両主査の説明と,その後の質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。

「敬語の指針(答申案)」について

○杉戸敬語小委員会主査
  資料2の「付」,右上に赤字で「平成18年12月27日送付版での修正点」,青字で「平成19年1月15日配布版での修正点」と書いてある「見え消し版」で,特に前回10月23日の国語分科会で頂いた御意見を踏まえて,敬語小委員会で検討し直した部分,それから,11月8日からの1か月間の意見公期間に頂いた御意見,さらに,この年末年始に国語分科会の委員にその段階での案を御覧いただいてお寄せいただいた御指摘などを踏まえて,赤い文字,青い文字で修正を加えた,その点を中心にして御説明することにさせていただきます。
表紙をめくっていただきますと,「目次」がございます。裏表で2ページになっておりますが,この構成は基本的には前回の案と変わっておりません。
そして,「はじめに」という章が1ページから始まります。特に1ページは検討の経緯ですから,10月23日以降今日に至るまでの国語分科会あるいは敬語小委員会の検討の経緯を説明して,補足しているという意味の赤い文字です。
2ページを御覧いただきますと,内容にかかわる改善案が含まれます。2ページの上から10行目ほどに,<答申案の構成と性格>という節を設けました。まず,「報告案の構成」というのがかつての案だったわけですが,この答申は「敬語の指針」という表題を考えているわけでございますけれども,その指針の性格についてもう少しはっきりと分かりやすく書いたらどうかという御意見がありました。特に文部科学大臣からの諮問の中にありました。これは下から3行目に引用してありますが,「敬語が必要だと感じているけれども,現実の運用に際して困難を感じている人たち」,そういう人たちに向けて具体的な指針をという諮問を頂いているわけです。その人たちを,この答申がどういうふうに読み手として,受け取り手として意識しているかを,以前よりは分かりやすく示そうという改善を加えました。基本的には<よりどころのよりどころ>という言葉をあえて使っています。その点はこれまでの案を変えているわけではありません。それを,下から8行目辺りの「しかしながら,…」というパラグラフを設けて改善したということです。敬語が使われる場面とか社会の人間関係などは非常に多様であって,その一つ一つを具体的に扱うことはこの答申にはなじまないというか,及ばない。そこで,それらに共通する基本的な指針,下から5行目にありますが,「基本的な指針を示すことを目標とした」としたわけです。それを<よりどころのよりどころ>と呼んで,この先,諮問に掲げられたような人たちにとって,直接あるいは間接的によりどころとなるようなものが,個別の社会と集団で実現していくことを期待すると,そういった姿勢をはっきりさせたという改善であります。
次の3ページへ行くと,<答申案の使い方>という節を御覧いただけます。これは上半分でありますが,特にこの国語分科会でいろいろな御提案を頂きました。どこがポイントであるのか,かなり分厚い指針案になるわけだけれども,その中でこの部分は基本的なところとして,よりどころの中核として利用してほしいというところを際立たせて分かるようにする必要があるのではないかという御指摘がありました。その点で,三つほど工夫したというところが赤い文字の中に含まれております。
一つは「索引を用意した。」とあります。申し訳ないんですが,これは72ページに御覧いただけますように「索引をここに入れる予定です。」という案が今日の段階です。索引を作る段階の作業は本文が確定してから,作業に取り掛かることができるということで,下準備は進めておりますけれども,今日の段階ではそういうところであります。
それから,赤い文字の1〜2行目に,「第2章「第1 敬語の種類と働き」において太字で示す部分がある。」とあります。これは尊敬語とか謙譲語?・?などをそれぞれ説明し始めるところごとに,つまり,より基本的な定義あるいは具体的で典型的な例を示したところごとに,【解説1】などがあります。その部分を太字で示しております。よくこの国語分科会でも「御用とお急ぎのある方はこの部分を」と,そんな御意見を頂いておりました。そのことに,こういう形でこたえてはどうかいう案です。
それから,第3章は,36問の具体的な場面を示して,そこでの敬語の考え方を具体的に説明しています。つまり,「具体的な指針を」という諮問に直接こたえる一つの具体性の姿だと思いますが,そういう構成を採った第3章について,どういう問題,どういう敬語の形を,どのように扱っているかを一覧できる資料があった方がいいという御意見も頂きましたので,一覧にするために,文字が小さくなってしまい恐縮なんですが,巻末に「問い一覧」というものを作りました。そして,各問いごとに,扱う言語形式,敬語形式,あるいは,場面などを際立たせてゴシック体で示すという工夫もしました。今申しました「索引」と「太字で示す」ということと,第3章の「問い一覧」を設けるという三つの工夫をしまして,御意見におこたえしようという改善案を用意しました。
3ページの後半を御覧いただきますと,<答申案の立場>という見出しを付けております。これは,10月以降新しく設けた節でありますが,特に指針の案の中で用いる言葉だとか,あるいは敬語の歴史的な事柄についての考え方だとか,あるいは敬語の区分,区分けについてだとか,それらを本文に入る前にあらかじめきちんと定義する,あるいは,こういう考え方であるということを読んで,本文に入っていただくことが必要だと考えました。(1)敬語の歴史的な背景についての扱い,(2)敬語の区分について,それから,4ページの(3)「立てる」という用語について,それぞれ15行ほどの文章で書き加えました。
最初の「歴史的な背景について」ですが,これは,新聞報道あるいは意見公募の中で尊敬語とか謙譲語,特に丁寧語との関係の中で,日本語の敬語の歴史的なある一時期が現代の姿であること,その中で,謙譲語?・?に分けるのはどういうふうな歴史的な認識を踏まえたものであるのかということ,まだ非常に流動的な段階ではないのかというような趣旨の御意見がありました。それはそれで,歴史的なことを考えるということを重視すれば,御指摘に当たるところも一部ですが,含まれていました。ただ,この時点での敬語の指針を示すためには,この段階での現代の敬語の姿をきちんと切り取るような形でつかまえて,将来この方向で動いていくだろうという見通しを持って示すことが必要だと,そんなふうに考えます。そうしないと,こういう指針はまとまらないはずだというふうに考えまして,そのことを(1)で書きました。
それから,(2)の敬語の区分についてですが,これは意見公募が始まる前,かなり早い段階から,新聞あるいはテレビなどで3分類が5分類となって提案されるという報道がされました。その中で,「また難しくするのか。」,極端な場合は「また敬語を増やすのか。」という御意見すらあった。敬語を増やすなどということは全然考えていないわけですが。そのことについて,基本的には従来学校教育も含めて行われている3分類を基本として,その三つの分類の二つ,特に謙譲語というグループについてその内訳を二つに区分けするということで,3分類という分類の枠組みを途中で別の軸で大きく変えようとするものではないということを強調しております。矛盾するものではない,あるいは基本としているものだということを書いてあります。
(3)の「立てる」ですけれども,これは尊敬語あるいは謙譲語?の説明を中心にして,「立てる」という用語を本文で使っています。この「立てる」という言葉の意味の定義をはっきりさせるということで書きました。赤い文字,青い文字が混在していますが,下から10行目くらいの新しいパラグラフが始まるところ,「本答申案,特に第2章以降で用いる「立てる」という用語は…」,その次,カギ括弧でくくっています「言葉の上で人物を高く位置付けて述べる」,そういう意味で「立てる」という言葉を使うのだということをあらかじめ明示しました。
そのことと,一般に敬語を説明するときに使われる,「敬う」とか「へりくだる」とか「改まる」とかいろいろな言い方がされます。それは,言わば気持ちの上の問題で,「心情」「姿勢」という言葉をこの文章の中では使っておりますが,人の気持ちの問題と,言葉としての敬語の働きとは区別すべきであるということです。心情とか姿勢は,「敬う」「へりくだる」「改まる」以下,非常に多様な心情があるわけですが,それを一つ一つ敬語の説明に持ち出すと非常に複雑なことになって,それこそ分かりにくくなる。そこは切り離して,言葉としての敬語を考える,そういう立場を選んでいるということをこの(3)で書いているというわけであります。
5ページから第1章が始まります。6ページに赤い文字がたくさんありますが,第2節の「『相互尊重』を基盤とする敬語使用」に書き足しをしました。これも寄せられた意見を考慮に入れています。「相互尊重」というけれども,これはいわゆる社会的な関係で上下の関係があった場合,下から上を尊敬したり,下の人が上の人にへりくだったりするのはよく分かるけれども,上から下というのはあり得るのか,あり得ない話だ,机上の空論であるという指摘がありました。それを意識して,ここで言う「相互尊重」というのはそうではないということを書いてあります。上からも下からもお互いの立場を尊重して,相手の立場や状況を理解したり配慮したりする,そういうことも含めての「相互尊重」であるということをかなり丁寧に補足したつもりであります。
第1章での大きな修正点は以上です。
14ページから第2章が始まります。ここでは,敬語の五つの種類について具体的な例を添えながら,定義に当たる説明も加えて,更に使い方あるいは特に注意すべき点などを書いていくという,言葉そのものの敬語を説明する章であります。それを示す上で,国語分科会あるいは敬語小委員会で,当初この第2章の最後の方にあった一覧表のようなものを前に出したらどうかとか,「こういう枠組みで内容を説明していきます」というようなことを最初に示したらどうかとかという意見を頂きました。後ろに示すか前に示すか議論は続いたわけですけれども,今日の案は,前に示すという案で,14ページの赤字のようにしました。
さらに,その表の前2行から後ろ3行にこの5種類の敬語についての考え方をきちんと書こう,今まで書いてあった以上に書き加えようということで,表の上の2行,「敬語は「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3種類に分けてとらえることが多い。ここでの5種類は,この3種類を基本とするもので,それらの対応は以下のとおりである。」,それから,表の下の3行,「基本的な敬語の仕組みは上記の3種類によっても理解することができる。ただし,敬語の働きと適切な使い方をより深く理解するためには,更に詳しくとらえ直す必要がある。そのため,ここでは,5種類に分けて解説するものである。」としたということです。冒頭申しました3種類を基本とした5種類であるということを最初に明示した次第です。
それから,15ページと17ページに赤い文字があります。【解説3】【解説4】です。これは,先ほど冒頭で「立てる」ということの説明をしましたが,15ページでは「尊敬語」について,特に「立てる」を説明し,17ページでは謙譲語?と説明する中で,そこで使う「立てる」ということについて再び説明するということです。ただ,これは「尊敬語」について,「謙譲語?」についてとありますが,基本的に「立てる」という言葉の意味は,最初に申しました意味で共通して使っているということであります。
ちょっと補足しますと,最初に申しましたような基本的な意味,「言葉の上で該当する人物を高く位置付ける」と,そういう意味で「立てる」を使うと,尊敬語についても謙譲語?についても同じ「立てる」という言葉で説明できる。ただ,「立てる」相手の人物が違う,そこが違うんだということがはっきり示せるという利点が生じる。これは非常に大切なポイントだと思っております。
以下,第2章は,括弧の使い方をより分かりやすくする方向で変えたところが随所にある程度であります。
35ページを御覧いただきますと,第3章に入ります。赤い文字,青い文字がここはむしろ個別的にぽつぽつと見えてきます。ただ,このぽつぽつと見える改善点が非常に重要なポイントを含んでおります。例えば37ページを御覧いただきますと,【6】の質問で,「小社」「拙稿」「愚息」という例の解説があります。その1〜2行目,「相手にかかわるものは,大きく,高く,立派で,美しいと表すことができる」とあり,括弧の中が,「御高配,御尊父,玉稿など」となっています。括弧内にあった「御芳名」が二重線で消されています。今までずっと「御高配,玉稿,御芳名など」で来ていたわけですが,よく見直してみると「御芳名」というのは「御」と「芳」が重なっている,過剰な敬語であるという指摘がよくされるものでありまして,「芳名」だけで十分だとか,あるいは,「お名前」とか「御氏名」というのでいいとかと言われています。それで,「御芳名」はまずいということに改めて気が付きまして,直したということです。そういう細かな,しかし重要な修正も含めまして改善を加えております。
42ページを御覧ください。寄せられた意見で,「いただく」と「くださる」が特に目立っていました。「○○に○○していただく」,あるいは,「○○が○○をしてくださる」という,「いただく」と「くださる」という,基本的に敬語としては違う種類のものなのですが,実際の文章とか話の中では非常によく似た文脈で使われる二つの違いを綿密に,この「いただく」と「くださる」については,こういうことを考え合わせるべきだという指摘を頂きました。これはぶしつけかもしれませんが,大学あるいは大学院クラスのレポート,非常によくまとまったレポートの内容と形式を整えたと言っていいくらいの本格的な御意見を,お一人ではなく複数の方から頂きました。もちろん,その点は事前の案作りの段階でも十分踏まえていたわけですが,その時に足りなかったか,不十分だったかと思うものを,この赤い文字,青い文字の部分で補足した,改善したというわけです。
それから,49ページを御覧ください。【29】の問いですけれども,最後の段階で「とんでもございません」あるいは「とんでもありません」,「とんでもないことでございます」といった一つのグループの表現について,どういう姿勢でどういう書き方をするのかという議論を繰り返してきたわけです。【解説1】の方が,今まで8行分あったところを,核心は最初の3行に絞って,後ろの5行分を【解説2】に回すということで,この解説の姿勢をよりはっきりさせた,そういう改善であります。
本文の第1章から第3章までについては以上のような点を特に書き直したり,書き加えたりして改善を試みました。
55〜56ページに「終わりに」があります。この部分については,平成12年の「敬意表現」の答申を踏まえて,その枠組みと今回の敬語を焦点とした指針の枠組み,その二つの関係を改めて押さえたわけです。そして,将来にわたる敬語の重要性ということで,まとめとしては敬語が欠かせないという姿勢で書いてあります。ここには御覧のとおり赤も青もありません。従来の案で行きたいという提案であります。
以降,参考資料として,こういう答申に必要なものがずらっと並んでおります。
65ページを御覧いただきますと,裏表2ページにわたりまして,概要をまとめるという案を,かつても提示しましたが,より分かりやすい概要のまとめ方を目指して改善したというわけです。特に裏側,66ページの上で「敬語の仕組み」,これは本文で言えば第2章に当たる内容をまとめたところでありますが,そこに,5種類と3種類の対比も示し,そして,表の中ほど,「従来の3種類との関係」でも繰り返して,特に太字で,この見え消し版では青い文字になっていますが,「ここでの5種類は…」で,繰り返して読んでおりますことがよりはっきり分かるような工夫をしてあります。
67ページ以降は,審議経過で,文化審議会の総会から,国語分科会,敬語小委員会,敬語ワーキンググループと,全部足すと計何回になるのかまだ計算しておりませんが,逐次こういう日程で,こういうテーマについて検討を加えてきたということをまとめてあります。何時から何時まで開催したかというのは見せ消しになっておりますが,これは今の段階では消した方がいいのではないかという意見を受けたものであります。
72ページは索引で,ここに入りますということを先ほど御紹介しましたが,2ページから3ページくらいになるかと思っております。用語の索引と,扱っている敬語つまり「おっしゃる」とか「参る」とかという敬語そのものの見出しとなる索引,用語索引と語形索引の二通りを考えております。
最後に「第3章 問い一覧」,2ページにわたって,全部で36問の問いを,扱う語形をゴシック体で示しながら,一覧できるようにしてあります。
長くなりましたが,以上のような改善を加えました。また改めていろいろな御意見を頂いて,今日の午後,敬語小委員会を予定しておりますので,この国語分科会で頂いた御意見を早速その敬語小委員会で検討させていただいて,更に最終の版に向けた審議をお願いしたいと考えております。

○阿刀田分科会長
  2年前に当時の文部科学大臣から受けた諮問は「敬語に関する具体的な指針の作成について」ということで,短い1行ですけれども,理由などを読んでみますと,結構内容がうかがえるところがありました。つまり,「敬語に関する」ということで,これは基本的にやや狭義の敬語ということで,敬意表現とか言葉以外のもので表される敬意表現については,簡単に言えばそれは扱わなくてよくて,敬語というものをここで答申してほしいということが示されているということです。もう一つは「具体的な指針」,これは「具体的」という言葉で書かれておりますが,具体的であって,同時に敬語は大切だと思うけれども,それを使うことに困っている人が理解できるような,易しい指針を出してほしいという意味が含まれていると考えまして,国語分科会の作業はその枠組みの中でずっと続けてきたわけです。
しかし,結果として出たものは結構分厚いもので,最後に敬意表現との関係は後書きで少し書いてございますが,これが易しい指針であるかと言われると,なかなかそうとも言い切れないというのが率直な感想ではあります。私は人間が軽薄にできているものですから,すぐキャッチフレーズを申し上げるんですけれども,これは「分科会が悪いのではなくて,日本語が悪いんだ」というのが私の考えで,どう考えても,敬語というものをきちんと説明しようとすると,そんなに簡単には行かないわけです。どう努力したってそれはどうしようもないところがあります。
だから,具体的に簡単に分かるということにこたえるとしたら第3章,しかも第3章は,【解説1】と【解説2】と二つに分けているところがありますが,第3章の設問と【解説1】とを読んでいただければ,比較的具体的で易しくということになるかもしれません。それを明示するに当たっては,なぜそういうふうにするかということをちゃんと説明しないと,中途半端なものになってしまう。そういうことを踏まえて詳細な,そして,本当に配慮の行き届いた第1章,第2章が作られているというのが,今回の指針の基本的な姿であろうと考えております。
杉戸敬語小委員会主査から懇切な説明をいただきましたが,全般にわたって,どの点でも結構でございますので,御意見,御質問をいただきたいと思います。

○松岡委員
  敬語小委員会の議事録を頂戴するたびに拝見して本当に敬服の一語でございまして,どれほど大変だったかということを拝察いたします。一つ提案なんですが,「敬語の種類と働き」で,尊敬語,謙譲語?,謙譲語?などというところで,「いらっしゃる・おっしゃる」型,「伺う・申し上げる」型,「参る・申す」型などとありますけれども,これの尊敬語でもない,謙譲語でもないのが,「行く・言う」であるということを1行入れると,非常に分かりやすくなるのではないかと思うんです。
つまり,何を立てるか,「立てる」という言葉はこの中で大変な発見だと思うんですけれども,そうではなく立てない場合を出したときに,その立て方がはっきり分かると思うんです。例として,「行く・言う」を挙げれば,尊敬語だとこう言うんだよ,謙譲語?だとこうなんだということが分かると思うんですね。例えば,15ページに「召し上がる」がありますけれども,これは,立てない言葉が「食べる」なんだということが分かって,初めてどういう立て方があるのかということが分かるのだと思うので,その1行があれば非常に分かりやすいし,ほかの言葉に関しても読む方一人一人が敷えんできるのではないかと思いますが,どうでしょうか。

○杉戸敬語小委員会主査
  例えば,15ページの尊敬語の書き始めの四角で囲った<該当語例>のところに,一つ一つ,今おっしゃる「いらっしゃる」とか「おっしゃる」,「いらっしゃる」ですと,三つくらい並ぶ,「いる」「行く」「来る」,全部そうですね。そういういわゆる敬語でない,元の意味の動詞と言いましょうか,そういうものを挙げたらどうかという御指摘だと思います。
これについては,該当語例のところではそれはしていないのですが,最小限と言いましょうか,【解説1】を御覧いただきますと,「「先生は来週海外へいらっしゃるんでしたね。」と述べる場合,「先生は来週海外へ行くんでしたね。」と同じ内容であるが…。」という説明をしております。ここは寄せられた意見で誤解された部分でもあるんですが,「いらっしゃる」と「行く」にアンダーラインを引いて対比しているということで,松岡委員の御指摘の一部分,「いらっしゃる」と「行く」については示していると思います。
これは謙譲語の方でも同じ構造で,16ページの下の方に「「先生のところに伺いたいんですが…。」と述べる場合,「先生のところに行きたいんですが(先生のところを訪ねたいんですが)…。」となっています。「伺う」と「行く」「訪ねる」にアンダーラインを引いて対比しております。今の案はそこまでは一応やってあるということであります。さらに,26ページの「第2敬語の形」という節の【特定形の主な例】の中には<「いらっしゃる」(←行く・来る・いる)>という記述もあります。

○松岡委員
  もちろんそこまでは拝読しました。ですけれども,いきなりここに「おっしゃる」型と来るのがちょっと唐突な感じがしたものですから,申し上げただけです。細かく一つ一つの例をというのは,もちろん私も読んでおりません。

○阿刀田分科会長
  どうしますかね。(注)くらいのところで処理できますかね。余りいろいろなものを入れると全体の体系が乱れるというところもありますね。

○松岡委員
  いや,本当にこのままでいいんだけれども,いきなりこれが出てくるのはどうかというだけのことなんです。そんな大それたことではないんです。読んだ時にいきなり「いらっしゃる・おっしゃる」型というのが出てくるのが,唐突かなと。それで例として,元の動詞を付すと,収まりやすいのではないかということだけなんです。

○阿刀田分科会長
  15ページの中ごろに(注)がありますよね。これに今の松岡委員のおっしゃったことを加えることはできるかもしれませんね。この範囲だったら全体の構成に全く何の影響もないと思いますので,その辺りのところで少しお考えいただけませんか。

○杉戸敬語小委員会主査
  分かりました。

○内田委員
  非常に分かりやすく修正がしてあって感銘を受けました。2点,軽微なことでございますが申し上げます。
55ページの「終わりに」という文字の使い方ですが,「はじめに」と合わせて平仮名で「おわりに」とした方がよろしいのではないかと思うんです。
それから,66ページに「「敬語の指針」の概要」というまとめがありまして,本文をまとめたものが載せてございます。66ページの「敬語の種類と働き」の表は,14ページの表の方が非常に分かりやすいというか,定義はむしろ右側の「いらっしゃる・おっしゃる」型という下に入れていただいて,新たに欄を作っていただいた方がよろしいのではないか。つまり,14ページの表に定義を加えた形の方が見やすいのではないかと思います。それから,同じ表示にした方が同じものをベースとして定義を加えたものという印象が強くなりますので,その方がいいのではないかとも思います。14ページの表は,以前のものに比べて,私はとてもよくなったなと思いました。
それから,松岡委員の言われたことで,一つは確かにそうなのですが,14ページに端的にぱっと示して,そうすると読む構えというのができますので,「えっ,これ,どうなっているの。」というのでより注意深く後の方に行けるという効果もあるのではないかと思うのです。ここは,最初の枠組み提示の役割があるところなのかなと思っておりますので,この表示の方が良いのではないでしょうか。もし(注)のところで「行く」というニュートラルな中立的な表現を入れるんだとすればですけれども,うるさくなりはしないかなという気がいたします。

○阿刀田分科会長
  14ページと66ページの表は確かに共通性がもっとあった方がいいかもしれませんね。

○杉戸敬語小委員会主査
  ちょっと聞き漏らしたかもしれません。66ページの表の定義文ですね,ゴシック体にしていない部分を,14ページの表で行くと「いらっしゃる・おっしゃる」型の下,真ん中の列のところに入れる,そういう御意見ですね。

○内田委員
  そうでございます。ラベルは左側にはじき出して…。そうすると,3種類のものは,今のままですと,右側にありますので,そっちの方がアピールするというか,クローズアップされてしまうので,むしろ表の形にして,ニックネームを付けて定義を加えるという方がよろしいのかなと思うんです。

○阿刀田分科会長
  66ページをぱっと見ると3種類型の方が今回の主張であるような感じに,表の印象としては見えちゃうところがありますよね。だから,左側に5種類型の姿をはっきり示してということで…。

○東倉委員
  前回の「敬語の指針(報告案)」に対して,5種類ということについて,いろいろな意見があって,3種類が基本なんだというところを非常に苦労されて,そういう意味で5種類と3種類の関係ということはより分かりやすくなったと思います。
もう一つ,それについてこういうふうにすると何か差し支えがあるのかなと感じまして,それがコメントなんですけれども,ここで言わんとするところは3種類が飽くまで基本なんだ,しかしながら,敬語の働きと適切な使い方ということをより深く理解するためには5種類に分けて説明した方がいい,そういう内容だと思います。そうすると,最初に敬語は3種類が基本だということを言って,それをより理解するために5種類に分けて説明するという順序だけの違いですけれども,そういう言い方をした方が5種類について難しい,あるいは,敬語を増やすのかというような感じ方をする人たちに対しては,非常に安心感を与えると思います。つまり,従来どおり3種類が基本なんだという書き方に変えた方がいいのではないか。今の書き方だと,やや回りくどいというか,言い訳じみた書き方になっているような感じを受けるということです。

○阿刀田分科会長
  もう少し御説明いただいた方がいいのですが…。

○東倉委員
  例えば,14ページの「第1 敬語の種類と働き」というところで,「本指針案では,敬語を,次の5種類に分けて解説する。」とあります。この5種類が最初に出てくるわけですね。それよりは,「敬語というのは3種類なんだ。」ということを先に出して,「働きと使い方をより深くするために5種類として解説する。」という言い方はないのかなということです。

○阿刀田分科会長
  杉戸主査に,なおカバーしていただきますが,今回の答申は<5種類が基本的な分類なんだ>というのが基本的な立場だと思います。

○東倉委員
  そうなんですか。

○阿刀田分科会長
  従来の3種類とのかかわりをその後で説明しているわけであって,3種類を基本として,5種類を補足的に説明するということではないのではないかと思いますが,いかがでしょうか。

○東倉委員
  この答申案の中には「3種類を基本とする。」という言葉が随分出てきますよね。

○阿刀田分科会長
  「5種類は,3種類を基本とする。」ということを強調することが多くあるならば,多少考えた方がいいのではないかなというのが今の私の印象です。今回の答申は,基本的には5種類案というのが基本ですと考えますが,いかがでしょうか。

○杉戸敬語小委員会主査
  今回の指針は,5種類を提案する,あるいは指針として示すことを本旨とするものです。確かに「3種類を基本とするもので」というのが,14ページの表の上の赤い文字の部分にあります。そこを「3種類が基本的な分類だ」,今までの敬語の学習とか指導に関する基本線をそのまま使うという意味での「基本」であると受け取っていただきたくない,そういう気持ちを込めているんです。
その現れが14ページの表の下から4行目ですね,ここで見せ消しになっているところにその工夫がにじみ出ていると今改めて思うんです。「敬語の基本的な仕組み」という案であったのを,「基本的な敬語の仕組み」というふうに直した案を今回お示ししています。「基本的な敬語の仕組み」については,「骨組み」という言葉ではどうだろうかという議論も途中であったわけです。けれども,非常に大まかな,あるいは概観的な,概括的な敬語の仕組みは3種類でもとらえられる。しかし,今,現代の敬語を考える,あるいは,使うことを考える上で必要な情報は,五つの種類を考える必要がある。そういう姿勢を一貫して主張したい。そういう方針でずっと審議してきました。
ですから,阿刀田分科会長が先ほどおっしゃったように,「3種類を基本とする」という表現が何か所か出てきていますが,その部分で誤解を招くようであれば,その点についてはもう一度検討することが必要になるかもしれません。ただ,基本線は繰り返しておりますとおり変わっていませんので,そういう意味で「5種類を基本」というふうに読んでいただけるような文脈に改善すべき点があれば改善する,そこにとどめるべきだと私は思います。

○東倉委員
  分かりました。5種類が基本ということなら,「3種類が基本」という表現をできるだけ誤解を受けないように変更していただくという工夫をお願いできたらと思います。

○阿刀田分科会長
  もう一回全部,3種類に「基本」が付くようなところは見直していただきましょう。14ページのところは,この5種類という分類は3種類から出ているものだという意味での「基本」という限定だと思うんですね。

○杉戸敬語小委員会主査
  この文脈ではそういうことです。

○阿刀田分科会長
  ただ,ほかにもちょっと疑わしく読めるところがあるかもしれませんので,「3種類を基本とする」というのがにおうような表現について,全体を通してチェックする必要があろうかと思います。答申の基本は飽くまでも今回は思い切って5種類を打ち出していこうということです。ただし,従来の3種類というのが余りにも強く一般に知られているので,それについてのいろいろな配慮はしながら作ってあるという状況だろうと思います。その痕跡がいろいろなところに少し残っていそうな気もしますので,もう一回その点を考えてみたいと思います。

○内田委員
  今のことに関連しておりますけれども,5種類が3種類から出ているものであるという意味の「基本」であるというのは,この審議に参加している者には分かるのですが,阿刀田分科会長が言われたように「基になるのが3種類」と,ここの部分はどうしても読まれてしまうのではないかと思うのです。ですから,それをやめて,この5種類について,「従来の3種類との対応は次のとおりである。」というふうに,端的に書いてしまった方が,5種類が基本だという姿勢がはっきりと出てくるのではないかという気がするんです。ですから,阿刀田分科会長が言われたように,ほかの部分も,「基本」というのを使いますと,3種類が基本かなと読んでしまいます。

○阿刀田分科会長
  3種類あるということに対しては,寄せられた意見でもいろいろと出ておりまして,度胸が今いち足りなくていろいろ気を遣っているというようなことが漏れこぼれているんだろうと思います。だから,せっかく打ち出したんだったら,度胸よくやれという励ましだと思って,もう少し度胸を付けて対応していこうと思います。

○甲斐委員
  66ページの「「敬語の指針」の概要」です。下の「敬語の具体的な使い方」というところの書きぶりなんですけれども,タイトルに「「敬語の指針」の概要」とありますから,概要を書いていただく方がいい。ここの第1,第2,第3というところを見ると,下線を引いた上で,(問いの例)を出しているんですが,目次を見ると,何についての問いがあるかということを説明しているんです。そういう具体的な内容を書かれた方がいい。点線の枠の上のところに(問いは全部で36問)と書かれているんですけれども,それを例えば,第1は何問,第2は何問,こういう問題であるというふうに,もう少し概要として書いていただく方がいいのではないかと思うんです。

○阿刀田分科会長
  36問を第1,第2,第3に分けて何問ずつか示すことは可能ですよね。ここに(問いは全部で36問)とあって,これを更に細かく第1,第2,第3と分けているわけですので…。どちらとも言えないというのがありましたか。

○杉戸敬語小委員会主査
  この問いは第1に属し,この問いは第2に属しという,その所属ははっきりしていますから,そこに例えば,第1には何問,第2には何問というのはすぐできるわけです。その数字を出すということでしょうか。それとも,…。

○甲斐委員
  これは「概要」なものですからね。アナウンス,パンフレットであればこれでいいわけです。しかし,「敬語の指針」の概要を手短に簡潔に書いているわけだから,幾つの問題についてどういう方面から回答しているというような,それこそ概要を書いていった方がいいのではないかと思ったわけです。

○阿刀田分科会長
  つまり,問いの例を出す前に,第1であることはこういう趣旨によって第1の分類になっている,第2はどういう趣旨のものを第2に集めているということを2行くらいで書くということでしょうか。

○甲斐委員
  そういうことがあればいいということです。

○阿刀田分科会長
  そして,その下に,問いの例が入るという方がいいのではないかということですか。それはやれば可能ですね。

○杉戸主査
  はい。例えば,第1は6問あります。第1という今アンダーラインが引いてあるところの,(問いの例)となっているところには6問立てたと書き,そこに主なものとして,例えば「相互尊重」の考え方とか,あるいは「自己表現」としての考え方というのを,できればこのページは裏表2ページで概要をまとめたいというわけですので,その範囲で選んで重点的なものを挙げるということになるかと思うんですが。

○阿刀田分科会長
  問いの例というよりも,何が第1であるかを明記してほしいということですね。

○甲斐委員
  今,杉戸敬語小委員会主査が言われたようなことで,2,3挙げて,「など」というふうな形でくるめられたら分かると思うんです。

○阿刀田分科会長
  例えば,第1は,「第1 敬語を使うときの基本的な考え方」とありますから,これである意味では概要ですよね。もう少し内容が分かるように増やせということですか。

○杉戸敬語小委員会主査
  最初の目次の裏側の第3章に,「第1 敬語を使うときの基本的な考え方」の後に,1から5まで見出しを掲げてあります。第1は,問いと対応して1から6なんですが,第2の1から6は問題の数とは違うんですね。今の甲斐委員の御提案は,例えば第1であれば1から5に,目次の方に書いてある言葉で幾つか,これは全部入らないと思いますので,主なキーワードを選んで書くという御提案というように伺いました。

○阿刀田分科会長
  それは可能だろうなと思いますね。その方向で,お願いいたします。
それでは,敬語についての検討はこのくらいでとどめたいと思いますが,よろしゅうございましょうか。
敬語小委員会の皆さん,そして敬語ワーキンググループの皆さん,御苦労様でした。ここまでたどりついたことはすばらしいと思います。途中でどうなることかという懸念もあったのですが,立派な指針ができたなと考えております。どうもありがとうございました。
それでは,次に漢字小委員会から,今どのように進んでいるかということのまとめを前田主査よりお願いいたします。

「漢字小委員会における今期のまとめ(案)」について

○前田漢字小委員会主査
  それでは,配布資料3の「「漢字小委員会における今期のまとめ」(案)」について御説明させていただきます。
先週,漢字小委員会が開かれまして,その時に案として出して御意見を頂いて,修正したものでございます。その時,御出席の委員の方々にあらかじめお送りする時間的な余裕がございませんでしたので,修正した部分について,何かありましたら,この場でおっしゃっていただければと思います。もちろん,これはそのほかの方々には初めてのものでございますから,御意見があるかと思います。
具体的には今期のまとめでございますから,今日,初めて御覧になった方で御意見があります場合には,それについてここでお答えするというよりは,次期の国語分科会でそういった面も含めて検討していただくということになります。そういう意味で,ここでは「今後更に検討すべき課題等」になっているところも,多いわけですので,新しい御意見も頂ければと思っております。
内容に入りますけれども,「? 総合的な漢字政策の在り方について」です。最初にこれを漢字小委員会として考えるに当たりましては,文部科学大臣から出された諮問に従いまして,検討をしようということで,まとめた総論的な部分でございます。
「情報化社会と漢字使用との関係」ということが,この漢字小委員会に課せられた大きな課題でございます。「(1)情報機器の普及と漢字使用」には,情報機器の普及が著しく,漢字使用の状況が非常に大きく変わっている,ただ,読む行為自体は基本的な部分においてはそれほど大きな変化がない,つまり情報機器というのは「「書く行為」を支援する機器であって,「読む行為」については,基本的にこれを支援するものではない。」とあります。情報機器が普及しまして,その使用が一般化した時代の漢字使用の特質は,こういった点と非常に大きくかかわるものでございます。情報化時代において,これまで以上に「読み手」に配慮した「書き手」になることが求められているのではないか。そういう点で,「読み手」に配慮した「書き手」になることにおいて,情報量が圧倒的に多くなった現在,漢字使用の問題か非常に大きな問題になってきているというふうに考えられます。
「(2)漢字政策の定期的な見直し」では,これまでの漢字政策の在り方とのかかわりで反省すべき点もあるのではないかということが話題になりまして,書き足してあります。漢字政策というのは,ある意味では定期的な見直しが必要ではないか。これは,漢字使用についての状況が,後にもありますように,JIS漢字の制定,人名用漢字の制定など,違った方面で漢字政策にかかわる重要なことが決められておりました。今こういうふうなことを考えざるを得なくなったことについては,定期的な見直しができていれば,多少避けることができたのではないか,問題を少なくすることができたのではないかという反省がございます。言葉に関する施策につきましても,定期的な見直しが必要ではないか,特に漢字表のような,現在進行しつつある書記環境の変化と密接にかかわる国語施策については定期的な見直しが必要であるということを書いてあります。
もちろん,見直した結果,この段階では変更する必要がないという結論が出てもいいわけで,問題が出てきた場合にはそれによって改定を進める,あるいは,意見を出していくということも必要であり,また,そのためにも定期的かつ計画的な漢字使用の実態調査が必要ではないかということです。
「2 今後の漢字使用の在り方」についてですが,ここでは,JIS漢字についての問題と,人名用漢字など固有名詞についての問題というものが大きな問題となっております。「(1)JIS漢字についての考え方」では,JIS漢字に関する問題につきまして,その下の点線の枠の中に示しております。これは,表外漢字字体表を作成するに当たり整理した「国語施策としての漢字表」の意義ということです。そこのところは読みませんけれども,この認識自体は変わらないのではないかと思っています。JIS漢字とのかかわりを考える場合,常用漢字表というものの意味は依然として重要であり,むしろ,その重要性はかえって高まっているのではないかという認識をいたしました。分かりやすい日本語表記の在り方を実現していく上で,「国語施策としての漢字表」は不可欠のものである,そして,情報機器に搭載されている漢字を使いこなすという観点が必要であると述べております。
「(2)人名用漢字についての考え方」ですが,これは,この漢字小委員会の最初からの一つの問題でありまして,平成16年9月の改正によりまして,人名用漢字が大幅に増えた。その中には,およそ名前として使うのにはふさわしくないような漢字もかなり含まれていて,問題があるのではないかということが話題になりました。ここでは,適切な漢字を使用していくという考え方を一般に普及していく必要があるということで,国語審議会(昭和27年当時)において,「子の名というものは,その社会性の上からみて,常用平易な文字を選んでつけることが,その子の将来のためであるということは,社会通念として常識的に了解されることであろう」という認識が示されていましたが,これは基本的には現在も継承すべきではないかと思います。もちろん,それらは一つの名前という文化の継承でもあるということです。ただ,難しいところは,命名する人の自由ということも踏まえながら,しかも読みやすく分かりやすい漢字を選ぶというところです。<その漢字の本来の意味を十分に踏まえた上でふさわしい漢字を選ぶ>という認識を世の中に普及していくことが求められるという考え方を述べております。
これに関して,具体的には漢字表の中にどういう形で反映できるかという問題についてかなり意見が出たわけですが,ここでは,そのことについては述べません。具体的に漢字表の中でどの字を選ぶかという問題について,人名用漢字を取り込んでいくということについてはいろいろ難しい問題があるということで,固有名詞の問題ともかかわりますから,ざっくばらんに申しますと,今期の漢字小委員会ではやや消極的な述べ方になっております。しかし,そういう考え方を普及していくことが必要であり,場合によっては漢字表の前文でその考え方を述べることも考えられます。この辺についてはまだ決められておりません。
人名用漢字と固有名詞についてというところがかかわっているわけですので,その次の「(3)固有名詞についての考え方」というところで,それを繰り返して述べております。先ほど述べたところでもありますけれども,固有名詞用の漢字表を作成するということも話題としては出ました。しかし,今の段階ではなかなか困難であるという方向になり,固有名詞における漢字使用の基本的な考え方をまとめて,それを新常用漢字表(仮称)の前文中,あるいは附則事項の中などに示すことにしたらどうかということが述べられております。そして,「基本的な考え方をまとめる場合,新たに名前を付ける場合の参考にしてもらうという観点から,以下の項目の具体化を検討する。」と記述しております。
?として,「これまで明示されてこなかった<国語的な視点>からの参考情報(「名付けの考え方」や「ふさわしい漢字の選び方」など)の提示」をしたらどうか。そこでは,常識的な名前の推奨,熟字訓的な読みの扱いなどが問題になりました。それから,固有名詞用の音訓を新常用漢字表の音訓欄に示すことは考えられないか,歴史的由緒のある地名を尊重していくという考え方を明示することが必要ではないかということが,意見として出されました。これらをどういう形で取り入れていくかということなどは,これからの課題になっております。
?として,「「一般の漢字使用」と「個人の漢字使用」の場合の使用字体の考え方」を示してはどうか。ここでは「公共性の高い,一般の文書等における使用字体」と「個人的な文書等における使用字体」の考え方を整理して,一般の漢字使用においては「1字種1字体」が基本である,つまり,公共性の高い文書と個人的な文書とは漢字使用の仕方が違っていい,字体が異なってもいいというふうな考え方を示しています。それから,新地名を付ける場合の採用字体の考え方についても,考え方を示して,一般の漢字使用に準ずるということを期待したいということが出されました。
これらが固有名詞,人名用漢字についての考え方です。
次に,「? 常用漢字表の見直しについて」です。もう一度,元に戻って考え直してみました。「(1)漢字表作成の意義」ですが,国語施策としての漢字表の必要性が本当にあるのかどうかということは,当然のことのようにも見えます。しかし,もう一度検討し直しました。基本に戻って考えますと,現在の常用漢字表は「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すもの」とされております。このような目安の漢字表があることによりまして,国民の言語生活が円滑になり,また漢字習得の目標が明確になるというプラス面が認められております。言語生活を円滑にするということは,漢字表に従った表記をすることによって,文字言語による伝達を分かりやすく効率的なものにすることができるということです。また同時に,表現そのものの平易化に寄与しているということです。このことは,<漢字使用の目安としての漢字表>がなかった場合を考えてみると,実際に有効であるということが明らかであろうかと思います。
以上のことから,国語施策としての漢字表については,今後とも必要なものであると考えていいのではないかということを記してあります。
「(2)常用漢字表の改定の必要性」では,それならば,漢字表は前のままのものでいいのか,現在の常用漢字表を改善することが必要なのかどうかということを検討した結果,やはり改定が必要であるということを改めてそこでは記しておきました。
?としまして,「言語内の変化に基づくもの(「常用漢字表」制定から既に25年経過)」。?としまして,「言語外の変化に基づくもの」。これは,最初にも申しましたように情報機器の普及による書記環境の劇的な変化があったということです。?としましては,「新聞・放送各社における漢字使用の変化」で,使用漢字の増大と各社のばらつきが出てきています。という3点から検討して,常用漢字表はここで改定することが必要であるという結論に達したわけです。
情報化の進展が著しい現在,情報機器の普及を全く想定せずに作成された常用漢字表は,やはり情報化時代における「漢字使用の目安」という観点からの改定が必要であると思われます。
「2」としまして,「新常用漢字表(仮称)における固有名詞の扱い」を立てています。これも前の考え方と重なるところがありますが,「新常用漢字表の中に直接,固有名詞(主に人名・地名)用の漢字を取り込むことは,一般用の漢字と,固有名詞に用いられる漢字との性格の違いから難しい。」とあります。この点はいろいろ議論したんですけれども,そういう結論になっております。そこで,「したがって,これまでどおり漢字表の「適用範囲」からは除外し,対象外とする。」わけです。
この対象外とするのは,両者の性格の違いということでありますが,もう少し具体的に言いますと,使用字種及び使用字体の多様性ということです。人名・地名などの固有名詞を取り込みますと,漢字表の字種が非常に多くなって,使用字体も多様になるという点がありまして,それをどういうふうにして限定できるかというところがなかなか難しい。実際に固有名詞だけに使われている字種や字体は,かなり多いのが実情です。
最後に「ただし,一般の漢字使用における固有名詞表記の重要性を踏まえて,固有名詞についての基本的な考え方については記述することとする。」というふうにまとめてあります。
次の「3」としまして,「新常用漢字表(仮称)の基本的な性格」を立てています。「(1)「準常用漢字(仮称)」の設定」ですが,これを設定したらどうかということが話題になりました。「準常用漢字の設定に関しては,新常用漢字表の字数を検討していく過程で,その総字数との関係で,改めて考えていくべき課題とする。」となっています。つまり,新常用漢字表に属する漢字の数がどの程度に限定されるか。これは表としては一つの限定した数字で出さなければいけません。ところが,固有名詞などを入れまして多くすると問題になってくるということで,準常用漢字というものを設定したらどうかということが話題になりました。具体的には(2)で述べる「A:読めるだけでいい漢字」というものを設定して考えてもいいのではないかということが話題になっております。
そこで,(2)に移ります。「「A:読めるだけでいい漢字」と「B:読めて書ける漢字」についての考え方」です。これについても随分いろいろな議論が出まして,まだ確定しているところではありませんが,基本的には「?読める」「?分かる」「?書ける」という三つの要素で考えてみると,「読めるだけでいい漢字」というのは,「?読める」「?分かる」という条件が満たせればいい。「読めて書ける漢字」というのは,すべての条件を満たすということになります。この点で,「読めるだけでいい漢字」というものを最低でも漢字習得の場合には満たすように考えていくことが必要であろう。しかし,漢字習得の基本は,この三つの条件を満たすことが必要であろうということが話題になっております。
(3)としまして,「字種の選定」の仕方です。基本的には,一般社会においてよく使われている漢字(出現頻度数の高い漢字)を選定していくということが出発点になるのではないかと思います。この場合に,これまでの漢字表作成の経験などから,最初に3,000字〜3,500字程度の漢字集合を特定し,そこから絞り込んでいくという作業過程を考えていったらどうかということです。この過程では,配布資料3の3ページの?を基本とし,?以下の項目について配慮していく。単に個別の漢字の頻度分布だけでなく,いろいろな要素を総合的に勘案しながら選定していくということです。
「?教育等の様々な要素はいったん外して,とにかく日常生活でよく使われている漢字を漢字出現頻度数調査によって機械的に選ぶ」。「?固有名詞専用字ということで,これまで外されてきた「阪」や「岡」についても,出現頻度数が高ければ,今回は最初から排除はしない」。「?出現頻度数が低くても,<日本人として読めなければいけない漢字>については拾っていくことを考える」。「?漢字習得の観点から,漢字の構成要素を知るための基本となる漢字を選定することも考える」,などという選定の方法を考えているところです。
こういった議論の過程で,?の漢字の一部を「特別漢字(仮称)」,出現頻度数は低くても,日常生活に必要な漢字として位置付けるという考え方も出されましたが,実際に,「特別漢字」を指定するかどうかについては,今後の課題として残しております。いずれにしましても,この辺りは,次期の国語分科会で実際の進め方について更に検討していくことになるかと思います。なお,字種の選定については,点線で囲まれた常用漢字表の選定基準を参考にしております。この部分についての説明は省きます。
?は「今後更に検討すべき課題等」です。これまでに述べたところでも,今後に検討すべき課題が挙げられておりますが,ここではそのほかのことを示しております。
具体的には,「ア)音訓の入替えの問題」,「イ)採用字体の問題」,「ウ)手書き字形との関係」,「エ)学校教育における漢字指導との関係」。こういった点は,今後検討していこうということで,今のところまだまとまっておりませんので,課題として残しております。エ)では,学校教育の漢字指導について,常用漢字表の答申前文に書かれたことを4ページの点線の括弧内に示しておりますが,基本的にはこういう考え方を継承するのではないかと考えております。オ)は,「手書き文字との関係」。「手書きの重要性を踏まえて,更に以下の点について検討する。」として,
 
(1)「新常用漢字表(仮称)」の中で考えていくべきこと
(2)「新常用漢字表(仮称)」の外で考えていくべきこと
(3)漢字の習得という観点((1),(2)ともに)
(4)文化の継承という観点((1),(2)ともに)
  を挙げています。(1)から(4)までの観点を踏まえた形で,手書き文字をどう位置付けるかという,理念の整理を次期の委員会でしていくべきであろうと思われます。
そのほか,「カ)各種の漢字調査の実施」として,漢字使用の実態を可能な限り正確に把握して,そういったことを参考にしながら,これからの漢字使用の在り方をどういうふうにしていくかということを次期の委員会で考えていただきたいと思います。
以上,説明の不十分な点もあるかと思いますが,この文面で今期のまとめとして出したいということが一つ。そして,残っている課題は,次期の国語分科会の検討にゆだねたいということが二つ目です。是非,御意見を賜りたいと思います。
○阿刀田分科会長
  実際に漢字の問題に携わってみると,歴史が随分長くて,いろいろな形でいろいろな問題が存在し,実行されていることも結構ありまして,千々に乱れているというと言い過ぎかもしれませんが,いろいろな考え方が錯そうしているのが今の漢字の状況で,随分難しい問題が一杯あるなというのが実感です。しかも,「いたちごっこ」という言葉が適当かどうか分かりませんが,何か一つ決めないと,例えば新常用漢字表を作っていくということで,大体こんな字を入れようということが決まらないと進みません。
固有名詞表をどうするかということもあります。つまり,相対的に皆関係があるものだから,こっちが決まらないと,こっちも何も決めることができないというような関係が入り乱れているし,ちゃんとしたものをやろうとすると,背景となる調査を踏まえないと,新常用漢字表でも何でも作りにくいということもあります。それでは,その用意がきちっとできているかというと,できている部分もあるし,できていないものもあったりして,その辺の資料についての吟味もやらねばならないことがあって,非常に錯綜している。とりあえず何か一つをきちっと決めないうちは,何も決まらないというような感じを抱いております。
敬語よりちょっと遅れながら審議をしてまいりまして,とにかくこういう「まとめ」が出ておりますので,忌たんのない御意見,御質問等を承りたいと思います。

○内田委員
  漢字は概念や意味を活性化して,知をかん養する大事な道具ですので,ここでは減らしていかないという大方針と,それから,よく使われるものは取り入れていく,しかしながら,読みやすく分かりやすいものを時代に合わせて採用していこうという姿勢が読み取れて大変有り難くすばらしいと思いました。2点,私がちょっと引っ掛かったところがございます。これを答申の文面に残されるという話も出たものですから…。
2ページの2行目からの文でございます。ここに「「廰(庁)」のような常用漢字の旧字体までも人名用漢字とされたことを受けて,適切な漢字を使用していくという考え方を一般に普及していく必要がある。」と書いてあります。これを読んだときにとても強いという印象を受けました,非常に強い表現です。むしろ「旧字体までも人名用漢字とされたところであるが,読みやすく,分かりやすい漢字を使用していくという考え方を普及していくことが望まれる。」というような表現の方が抵抗が少ないように私には思われました。
それからもう1点は3ページ目でございます。3の「(3)字種の選定」の「?出現頻度数が低くても,<日本人として読めなければいけない漢字>については拾っていくことを考える」です。姿勢は大変結構だと思うんですが,<日本人として読めなければいけない漢字>というのは特定できるのかどうか,ここも現実と遊離してしまいはしないかと思うんです。それから,やはりグローバル化の時代に<日本人として読めなければいけない漢字>というのがちょっと抵抗があるように思われました。

○前田漢字小委員会主査
  御意見としてもっともだと思うところが多くございます。その中で,<日本人として読めなければいけない漢字>についてです。自分で書いて使える漢字,これはかなり限定されているわけですね。書いて使うまでに至らないけれども,日本文化を支えている漢字として読めることが望ましい漢字というものはあると思うんですね。そういったものを,そんなに多くではなくても,取り入れる余地を残しておくということなんです。
こういった点では,話題として出ていることで,漢字小委員会で決定したわけではありませんが,例えば,日本文化を支える,具体的には歌舞とか演劇とか,そういった面でどうしても使わざるを得ないような漢字が,新しい常用漢字表に入っていない場合に,そういったものを入れるかどうかということで,そこで検討する。そして,入れる余地を残しておくという程度でございます。これが非常に多くなってしまうと,漢字表としての意味をなさなくなってしまうんですね。
その辺りのところは,おっしゃるとおり規定がしにくいところで,大変難しいところだと考えております。具体的には次期国語分科会の方々の議論で進められていく,多くの方の御意見を頂いて,いい知恵が出ればと思っております。

○阿刀田分科会長
  この文章を見ると,主張のはっきりしたことを言っているように読めるんですが,むしろ「日本文化とのかかわりで読めなくてはいけないような字」と言った方がいいかもしれません。「日本人として読めなければ」というのは,会議で出てきた趣旨とは少しずれているかなという気が,今,指摘を受けて思いました。
歌舞伎のことが出ましたけれども,歌舞伎が一番多いでしょうか,日本の伝統文化に関する用語ということで考えられるものは。それはそれで歌舞伎の「伎」だけ平仮名で「き」と書くということはほとんど考えられないわけです。そういう用語はあるのではないかと思うんです。だけど,頻度表で調べたら,その用例以外はないわけでしょう。そういうような字があるので,それを考慮する余地を残しておこうという意味ですね。「日本人として読めなければいけない漢字」といったら,正に常用漢字表がそれなのではないかということになってきますので,この表現は言われてみると確かに問題はありますが,趣旨はそんなことでした。

○前田漢字小委員会主査
  「日本文化の継承として必要な漢字」というふうなことになりますよね。「日本人として」と言うと,それがないと日本人ではないようにも取れますから,ちょっとまずいかもしれません。

○小池委員
  基本的には常用漢字表がそういうことをまとめたものではないかということになってしまいますのでね。文言については,まだまだ不十分なところがあろうかと思っております。そういうことも含めて御意見を賜りたいと思います。

○菊地委員
  ただ今の件については阿刀田分科会長のおっしゃったことで尽きるとも思いますけれども,こういう時代ですので,日本語というのが日本人だけのものなのかという視点は必要だろうと思います。こう書きたいという,お気持ちは分かりますけれども,これだけ多くの人が日本語を学習しています。日本文化を知ってもらうという観点を忘れない文言が必要ではないかと思います。

○前田漢字小委員会主査
  学校教育のことはこの文面に出ているんですが,日本語教育のことは確かに文面に出ていないんですね。学校教育もありますけれども,日本語教育の場合ですと,世界のいろいろな人に学んでもらいたい漢字ということになるわけですから,おっしゃるとおりそういう面からもというよりも,そういった面ではなおさらこういう常用漢字表が必要になってくると思います。ここでは,そういった点についても述べていくことが必要だというふうに感じました。

○阿刀田分科会長
  ほかにいかがでしょうか。まだ道半ばというぐらいのところでしょうか。

○前田漢字小委員会主査
  問題ばかりがたくさん残って,次期の国語分科会の負担になるなと思っているんですけれども…。

○阿刀田分科会長
  あれもある,これもあるというふうに,次から次へと問題が出てきましてね。でも,敬語の方も途中で絶望的かなという気がしたけれども,最後にちゃんとまとまりましたので,漢字の方もまとまるのではないかなと思っております。確かに歴史的に随分長いし,日本の国語政策としても戦中から引きずってきているものが一杯あるようですし,漢字そのものが『康熙字典』ではどうだというところまで入っていきますと,大変な歴史を持っていますので…。
それから,私はよく分からないんですけれども,情報機器なども含めて流動的なものも,ある程度行くと情報機器の影響は,今はこういうふうにいろいろな影響が強くあるけれども,少しなだらかになっていくのではないか,そんな予測もあるやに聞きますので,現在は,情報機器によって漢字が一番影響を受けている時代のただ中にいるのかなという気もします。
とにかくその中で漢字を考えていかなければならないというのも実際ですので,そういう外的な状況がいろいろ変化しているということもあります。「手書き」という言葉自体も余り正しくないんだという指摘もありました。考えてみれば,機械が出る前はみんな手書きだったわけで,書くというのはすべて手書きを指していた。このごろ「手書き」という言葉がやたら出てきたんですね。手書きの問題をどう背負っていくかという問題も,学校教育の中では一応続けていくという強い姿勢があるようですが,否応なしに手書きというものが減っていくであろうということははっきりしています。そういう流動的な状況の中で,漢字政策をどう考えるのかというのは非常に厄介な問題があるのかなと考えております。ただ,これは今期のまとめで,中間的なものなので,依然として国語分科会で今後とも扱われていくことだろうと思います。
漢字についての御意見,御質問については,この辺りで打ち切ってよろしゅうございますか。それでは,これで漢字のことも打ち切ります。
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