議事録

第27回国語分科会日本語教育小委員会・議事録

平成22年4月27日(火)
14:00〜16:00
文部科学省5階 5F6会議室

〔出席者〕

(委員)
西原主査,杉戸副主査,伊東,井上,岩見,尾﨑,佐藤,中野,西澤,山田各委員(計10名)
(文部科学省・文化庁)
匂坂国語課長,田中日本語教育専門官,仙田日本語教育専門職,山下日本語教育専門職ほか関係官

〔配布資料〕

  1. 配布資料1 第26回国語分科会日本語教育小委員会・議事録(案)
  2. 配布資料2 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)

〔経過概要〕

  1. 事務局から配布資料の確認があった。
  2. 前回の議事録(案)が確認された。
  3. 事務局から配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」についての説明があり,その後,資料の内容に関し,質疑応答と意見交換を行った。
  4. 配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」「教室活動の方法の例」「教室活動を行う際の参考資料(例)」について大枠の組み立て方及び書き方について了承された。
  5. 配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の5ページの4段落目が削除されることが了承された。
  6. 配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の8ページ「3 想定される利用者」の最後二つの段落が,「Ⅲ 今後の課題」の部分に移されることが了承された。
  7. 次回の日本語教育小委員会は,平成22年5月10日(月)の10:00から12:00まで,旧文部省庁舎の第1会議室で行われることが確認された。
  8. 質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。
○西原主査
ただ今から,文化審議会国語分科会日本語教育小委員会の通算で第27回,今期第3回の会議を開会いたします。前回に引き続きまして「標準的なカリキュラム案の開発の検討」について御審議いただきたいと存じます。
配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」や「教室活動の方法の例」,「教室活動を行う際の参考資料(例)」の部分につきましても,修正が入り,かなり充実してきておりますけれども,何か御質問,確認事項等がありますでしょうか。または,さらにこういうものもあったらいいんのではないかといった御提案や,ここは要らないのではないかというような御意見がありますでしょうか。
本日の日本語教育小委員会の後半に御検討いただく配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の1ページから9ページの前半部分につきましては,文言等について何かを加えたり,削除したりすることについて,まだ自由度があると思いますが,まず御検討いただく11ページから150ページについては,ほぼこのような形で確定していきたいと考えますが,いかがでございましょうか。
○中野委員
配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の109ページから114ページの「教室活動を行う際の参考資料(例)」の部分ですが,出版物を取り上げる場合は,発行年は要らないでしょうか。それは漸次変わっていくからということで,あえて付けていないのでしょうか。
○西原主査
出版物と言うか,例えばサイト(site)等につきましても最初にできた年についてはどのように取り扱うのがよろしいでしょうか。
○中野委員
インターネットのサイトは「○○現在のもの」ということで,年月日を示しています。出版物と言うと作成者と発行年がセットになって出ていくような気がします。
○西原主査
例えば論文等では参考文献リストには発行年が並ぶということになりますけれども,いかがでしょうか。入手しようと思ったときに,冊子の場合,発行年があった方が便利でしょうか。
○中野委員
発行年の情報があると,古いものか新しいものかが分かりますよね。ただ,必ず入れなければならないとは思いません。少し気になったので問題提起をしただけです。
○西原主査
当該の方々がここにいらっしゃいますが,いかがでしょうか。出版年は入っていたほうがよろしいでしょうか。
例えば配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の「教室活動を行う際の参考資料(例)」の一番最初,109ページに文化庁の「日本語学習・生活ハンドブック」というのがあります。この作成に関係した委員もいらっしゃいますけれども,これはダウンロード(down-load)できるのはバージョンアップ(version up)された最新版でしょうか。
○伊東委員
最新版ではありません。これは作成時のもので,バージョン(version)は充実していません。
○西原主査
そうすると,何年に作成されたものであるということが,言えるということですね。
○佐藤委員
それは作成されたのが何年と言うのか,それともこの情報を取得したのが何年何月とするのかどちらでしょうか。例えば今,話に出てきたのは文化庁とか大きな組織ですからいいですけれども,気になるのは例えば大学とかになりますと,サーバー(server)の保守管理ができなくなるとサーバーを止めてしまうということが頻繁に起こります。そうすると,ここに掲載されているURL(uniform resource locator)から情報にたどり着けないということが極めて多くなります。ですので,掲載するのは作成日でいいのか,入手した日にするのか。最近ですと,私どもはその情報を入手した日を引用ページとかに入れるという方法がかなり常識化しています。そうしないと,ホームページ(homepage)は自転車操業みたいなもので,どんどん変わっていきますので,掲載する情報を常にアップ(up)していかないといけなくなりますよね。
○山田委員
それについては配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の109ページの一番上にいつの時点での情報か書いてあります。
○西原主査
そうすると市販教科書とか,それから市販教材が幾らでどこが出版しているかという入手方法のところについて,例えば配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の110ページの一番下は,「市販教材1,300円,税別で株式会社ジャパンタイムズ」となっていますが,これについては何年に出版されたかということが書けますね。出版されたものについては少なくとも出版年を補っていくということで,いかがでしょうか。
それから入手方法ですから,初版がいつかということよりは,むしろ今手に入るのは何版かということも含めて,最新版の発行年を記載する方がいいですね。
では,配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の「教室活動を行う際の参考資料(例)」については,その情報の追加することにしたいと思います。それから,ホームページにつきましては,作成年月日は入れないということで行きたいと思います。
○佐藤委員
違う点で一つだけ確認です。配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の95ページから103ページの「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」の部分が非常に分かりやすくなったのですが,「サポート情報等」の欄で気になることがあります。「フォトランゲージ」と「ランキング」をサポート情報で取り上げていますが,その活動例が「フォトランゲージ」と「ランキング」と言えるのかどうかということが気になります。
つまり,98ページで取り上げられている一番最初の「フォトランゲージ」というのは,これは教材のことかなと思いました。写真教材を使うという意味ですよね。その次の99ページのところで取り上げられている部分は何となくフォトランゲージかなという感じもするのですが,あえて「フォトランゲージ」というような言葉を使うのでしょうか。別に,これは「写真とか絵を見せればいい」という話にはならないでしょうか。「ランキング」のところも,102ページに借りたい本を自分で順位を付けるというのが,108ページの「教室活動の方法の例」の「(6)ランキング」の説明と合っているのかどうかということが若干気になります。
108ページにある「教室活動の方法の例」の部分の説明で,「ランキングはこういうものです」というのは非常に分かりやすくはなったのですが,果たしてその説明が「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」と整合性があるかどうかということについて,確認をいただければと思います。
○伊東委員
私が107ページ,108ページの「教室活動の方法の例」の「(6)ランキング」と「(5)フォトランゲージ」の説明を書いたのですが,これは開発教育の一つの教育理念に基づく活動例なので,やはり実際の教室活動の展開が,その開発教育の理念に必ずしものっとったものにはならないということがあると思います。ですので,その整合性ということについて考えると,「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」の部分では,教室活動の展開例の部分であえて「フォトランゲージ」あるいは「ランキング」とは入れず,例えば「順位付け」という別の言葉で言ってもいいかなと思います。やはり勘違いや誤解を招く可能性があるなと思いますので,私としては「フォトランゲージ」,「ランキング」という言葉は使わないほうがいいかなと思いました。
○佐藤委員
「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」を見た場合,例えば100ページの「5 居住地域のゴミの出し方について隣人に質問する(3401080)」の部分で活用している例はフォトランゲージがイメージができるかと思います。しかし,私が言いたいのは,活動例として「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」で挙げるのであれば,ここで扱っている活動がフォトランゲージなのか,それとも単に写真を教材として用いているだけなのか区別した方がいいのではないかということです。それから学習者についても,こういう教材を使えば効果的だと考えられるレベルなのかどうかということも気になります。活動例としてフォトランゲージをあえて挙げるのかということについても,その説明に一貫性があればいいとは思います。「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」で取り上げているのは,一つの例ですから,それでもいいのかなという感じはしますが,その辺りの整合性をどうするかということだけは整理して,どこかにその整理の内容を記入しておけばいいんのではないかと思います。ただ,その場合も今,102ページの「6 (地域の公共施設(図書館,スポーツセンター等)の)利用方法を尋ねる(4403030)」で取り上げている「ランキング」はうまくはまっていないように思います。
○西原主査
伊東委員は今,「開発教育」とおっしゃいましたが,言語教育の分野で使っている他の概念や用語も,他の領域で,言語教育とは異なる目的で開発されたものを言語教育の実践に応用する際に,定義を拡張して使っているということが往々にしてあります。今の話は,元々の定義や意味と,言語教育で活用する場合の定義や意味の関係をどのように整理したらよいかということも含んでいると思うのですが,いかがでしょうか。
先ほど,佐藤委員がおっしゃったように,開発教育で使われている文脈と照らし合わせても,いかにもフォトランゲージだと思われる使い方については,「フォトランゲージ」と書いておいて,その他の部分については言い換えるということもできるかと思います。ただ,元々の意味を換骨奪胎している部分というのはどのように扱ったらよろしいでしょうか。
○佐藤委員
妥協案として,開発教育の元々の定義と今回の定義との対応関係に着目して整理することもできますが,例えば「ランキング」に関して配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の108ページの「(6)ランキング」の「手順」の欄の説明を見ますと,日本語学習の初心者であれば[1]と[2]ぐらいを行うことになるけれども,中級レベルになれば少し話し合ったりするというようになると思います。「手順」は,「どの程度まで深く活動を行うかという,活動の深さを提示してあります」というようにするのであれば問題はないと思います。つまり,「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」のところで「教室活動の方法の例」の応用の仕方について,留意点か何かを書いておけば問題はないと思うんです。
○西原主査
そもそも開発教育のために開発されたという手法ですよね。そうしますと,それを言語の教室で使うために,何か活動方法の形だけを取ってきているというところもありますよね。
○佐藤委員
一つの方法として,例えば留意点として配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」のところで,「うまく工夫すること」というように書くことがいるかもしれません。例えばこういう手法を言語学習に取り入れることによって学習者の意欲が高まったり,学習が深まったり,言語習得が早まるということが多分実証されていると思いますので,このように示すのはいいことだと思います。
○西原主査
確かにこういった活動を用いることで教室活動は活性化しますよね。
○佐藤委員
「教室活動の方法の例」の手順の欄の説明と,「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」の部分でどういう形で整合性を取るかということになると思います。
○西原主査
ということは,「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」の「サポート情報等」の欄で単に活動の名称だけ「フォトランゲージ」と書いて,投げ出すのでなく,そこに何か説明を加えるのでしょうか。それとも,「教室活動の方法の例」の説明部分のところに何か説明を加えるのでしょうか。
○佐藤委員
ただ,具体的に教室活動を行う際に,例えば「教室活動の方法の例」の107ページ及び108ページの手順で書かれている手順のとおりに最後までやらなければ「フォトランゲージ」や「ランキング」という活動にならないという話ではないので,それぞれ「手順」の欄の[1],[2]の部分だけを活用した「ランキング」の例があったり,「能力が高い,あるいはレベルの高いクラスの学習では,もう少し深めた活動を行うことができますよ」としたり,どの部分まで行うかということについて説明を付け加える工夫をすればいいのではないでしょうか。
○岩見委員
確かに「フォトランゲージ」と命名しなくても,開発教育の理念には必ずしもとらわれずに写真を使ったり,文化情報を交換したり,そういった教室活動を実際に行っているところはあります。95ページから始まる「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」のところでは,開発教育のそもそもの考えにのっとって説明している部分と,手法として似たようなものを説明している部分がありますので,なかなか難しいところです。
折衷案としてどうかと思うのは,「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」の「サポート情報等」の欄に「フォトランゲージ」や「ランキング」について書く場合に,「フォトランゲージを応用してもよい」とか,「ランキングを応用してもよい」といった説明を付け加えるのはいかがでしょうか。「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」の部分は,全体的に活動の例がバラエティに富んでいて,今のような形でいいと思います。
また,実際問題,「教室活動の方法の例」で取り上げている教室活動の方法も,学習者の日本語のレベルやそのほかの要因によって,そのまま使えるかどうかというのが現場によって異なってきますよね。
○西原主査
それでは,今の岩見委員の御提案を基に考えさせていただいて,事務局で検討してみるということで,よろしゅうございますでしょうか。確かに専門的な目で見ると,「フォトランゲージ」や「ランキング」については,元々の定義や意味と離れているのではないかという御意見があるかもしれないと思います。ほかについては,よろしゅうございますでしょうか。
「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」「教室活動の方法の例」「教室活動を行う際の参考資料(例)」の大枠の組み立て方,こういうパーツ(parts)があるということと,それからこのような書き方をしているということにつきましては,御承認いただいたということでよろしゅうございますでしょうか。(→了承。)
○西原主査
次に配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の1ページから9ページの説明部分の検討に移りたいと思います。前回,第26回日本語教育小委員会で御検討いただいた「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について 骨子案」がこのような文書としてまとまり,そして前回の委員会で御指摘いただいたようなことも含み込んだ内容になっております。細かい文言につきましては,引き続き検討が続けられますけれども,それよりもむしろ骨子として含まれるべきだとお考えくださったもののうち,大きく欠けているもの,あるいはそのような内容について不必要かと思われるようなことについての御意見をまず頂ければと存じます。もちろん,小さなことについてお気付きになった時点で御指摘をいただいても,それは結構でございます。
○山田委員
配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の3ページ「3 生活上の行為の事例に対応する学習項目の要素の記述」の下から6行目に「「機能」は,やり取りが人間関係構築のために果たす役割を記述している。」とありますが,今までずっとこの言葉を使ってきて気が付かなかったのですが,「人間関係の構築」と言うよりは,「コミュニケーションにおける関係を表す」ということなのではないかなと思います。「人間関係の構築」と言うともっと大きく,だれとだれが上下の関係になったとか,横の関係になったとか,そういうことではないかと思うのですが…。
○西原主査
そうですね。コミュニケーションの何とすればよろしいでしょうか。
○山田委員
例えばここは,「情報要求」とかそういうレベルでの話ですよね。
○西原主査
そういうことです。
○山田委員
情報提供とか,そういうことを記述しているのだとすると,何か違う言葉の方がいいのではないでしょうか。
○西原主査
「コミュニケーション関係構築」というのは文言として大丈夫でしょうか。注目要求と言うか,相手に対してどのような行為をしようとしているかというのを,「生活上の行為」とは違う次元で書き表すために,「機能」として置いているわけですよね。もう少しほかのいい言い方がありそうでしょうか。(→挙手なし。)
では,ここの部分に工夫が必要だという御意見を頂いたということで少し検討したいと思います。
○山田委員
それから,いわゆる公文書の文字表記に合わせると思うのですが,気が付いたところでは,「さらに」というのは漢字だったんじゃないかなと思います。
○西原主査
それは事務局の方で別途見させていただきます。副詞をどうするかというのは,私の記憶に関する限り行ったり来たりしています。
○山田委員
「さらに」だけは漢字だったから,私は違和感があったんだけれども,そうじゃないということでしょうか。
○西原主査
では,それは今どういう状況になっているかを検討した上で書くことにいたします。
○杉戸副主査
副詞の「さらに」と接続の意味の強い「さらに」で揺れるんですね。
○山田委員
「さらに」が両方出ていたと思います。1か所だけ漢字で,あとは平仮名になっているようです。
○西原主査
これは事務局で,検討させていただきます。「さらに」を含め,副詞,接続詞の表記については,ある指針はあるのですけれども,その指針が揺れ動くと言うか,年次ごとに訂正しているので,今どうなっているか検討した上で最終案と致します。
 
○尾﨑委員
これは全体に対する意見ですが,「この標準的なカリキュラム案を基にして各地においてカリキュラムの開発をしましょう」と言うときと,「これを参照しながら,各地においてカリキュラムの開発をしましょう」と言うので実質的に言いたいことは変わりないのですが,「基にして」と言われると,標準的なカリキュラム案が規範的な感じがするのですが,いかがでしょうか。
文章の中では両方出てきています。例えば配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の5ページ,上から四つ目ぐらいの短い段落で「これらの内容は各地域において「生活者としての外国人」に対する」と続き,「具体的なカリキュラムを編成する際に基となるものである。」とあります。それとは別に,「編成する際の参考に」という書き方もあります。最初にこの「基」というのを見たときに強い印象を私は受けたのですが,いかがでしょうか。
○西原主査
どちらがいいでしょうか。
○尾﨑委員
「基」ではなく,「参照」という意味で,この標準的なカリキュラム案を作成していたと思うのですが…。
○西原主査
5ページの上から4段落目の部分については「具体的なカリキュラムを編成する際に参照すべきものである」と書くということでしょうか。
○尾﨑委員
「基」と言うよりは,「具体的なカリキュラムを編成する際の参考に供するものだ」とか「参考にできるものとして作った」という趣旨だと思います。
○岩見委員
同じような個所が4ページの「Ⅱ 標準的なカリキュラム案の内容について」の「1 標準的なカリキュラム案の概要」の2行目にもありますね。
○尾﨑委員
一番最初は4ページでしょうか。
○西原主査
ただ,「検討する際の基となる」と言うのと,「編成する際に基となる」と言うのは少し違いますよね。
○尾﨑委員
委員の皆さんの受け止め方が別にこれで問題なければ構いません。私は最初に読んだときにそういう印象を受けました。「基となる」という言葉を見たときに,「この標準的なカリキュラム案をベースにしてお作りなさい」と言われている感じがしたというだけです。特に強く修正を期待しているわけではありませんが,印象として感じたことを言わせていただきました。
○西原主査
委員の皆様方はどうお思いでしょうか。
○井上委員
私も最初にこの資料を読んだときに,引っ掛かりました。やはり使われている場所によって随分と言い振りが異なっているのではないかと思います。
配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の4ページ,5ページでは,かなり強目に言っています。「3 想定される利用者」の8ページの真ん中辺りにそのような表現がたくさん出てきます。ちょうど真ん中辺りです。「国が示す標準的な…」で始まる大きなパラグラフの下から5行目,「標準的なカリキュラム案を基に日本語教育の内容について検討することが求められる」とあります。そのほかにも,今の続きの部分に「日本語教育担当者が日本語教育事業の企画を行う際に参考としたり,…」と書いてあります。これは,もちろん標準的なカリキュラム案のことだと思うのですが,さらに,「利用し,」とあります。それから「参考としたりする」ということで,この辺りに少し統一感がないと思います。
恐らく,「この標準的なカリキュラム案はプロの人たちを相手にしたカリキュラム案なんですよ」ということをおっしゃりたいのだと思うのですが,そうだとすれば,やはり「これを参考にして地域の実情に応じて,あるいは教室活動の実態に合わせてお使いください」という方が自然なのではないかと思います。
しかも,「生活者としての外国人」に対する日本語教育は大学における留学生に対する日本語教育とまた違うわけですよね。飽くまでもこれが対象としているのは「生活者としての外国人」ですから,やはり生活者の状況がどうも地域によって随分偏っているということがあります。例えば研修・技能実習生が多いところと日系人が多いところでは色合いが違いますので,やはり余り押し付けがましい言い方ではなく,その地域の実情をお考えになった場合には,「この標準的なカリキュラム案を参考にしていろいろなことを企画されたらいかがですか」と言う方が自然なのではないかという感じが致します。
○西原主査
いかがでしょうか。各地域におけるカリキュラムの作成については確かにそのとおりなのですが,標準的なカリキュラム案で取り上げているこのレベルと言うか,例えばヨーロッパにおける言語教育の共通参照枠(CEFR:Common European Framework of Reference for languages)で言えばこれはA1,A2辺りのレベルだと思います。そのレベルに該当する部分について,地域を横断的に考えて基礎となるところ,基盤としては余り揺るがないところを今回の標準的なカリキュラム案で取り上げています。
そのことをしっかりと伝えるということと,その一方で学習順序や学習項目の選択は地域で御自由に行ってくださいということを書く必要があると思います。そのことをきちんと理解していただく必要があるのではないかと思うのですけれども,そこをどう書き分けたらよろしいかということであろうかと思います。
○井上委員
そうなると,配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の4ページから6ページまでのところの最初に「1 標準的なカリキュラム案の概要」が来て,その後6ページに「2 標準的なカリキュラム案の活用方法」が続いています。自然に書くと,こういうことなのですが,今,西原主査がおっしゃったようなことをおっしゃりたいのであれば,この6ページから始まる「2 標準的なカリキュラム案の活用方法」のところに書いてあることを少し前の方に持ってくるというのが一つの解決方策なのではないかと思います。
例えば,6ページの「2 標準的なカリキュラム案の活用方法」の二つ目のパラグラフの冒頭ですね。「標準的なカリキュラム案で取り上げた生活上の行為の事例は,生活上の基盤を形成する上で必要不可欠なものとして列挙したものである」とありますが,これは非常に重要なことだと思うんですね。これが前の方に書いてあるのとないのとでは,随分受け止め方が違うのではないでしょうか。
4ページから始まる「1 標準的なカリキュラム案の概要」のところでは,非常に淡々と「こういうものがこういう形で書かれていますよ」ということしか書いてないのですが,まず,「実は標準的なカリキュラム案というのはこういう性格のものですよ。」ということを言った上で,それから概要とか,活用方法とか,利用者というように並べていけば,すとんと落ちていくのではないかと思います。それとは別に,「このぐらいのことは必要なんだな」というように理解させることの方が重要なのかなと思います。2ページから始まる「? 標準的なカリキュラム案の開発過程」のどこに入れたらいいのかということが,少し定かでないまま来てしまったんですけれども…。
○西原主査
今,井上委員がおっしゃったことを4ページの「1 標準的なカリキュラム案の概要」のところに書かれるということになりますと,4ページの第1パラグラフに移すということでしょうか。
○井上委員
その方が,「そうか,標準的なカリキュラム案で取り上げている内容がかなりベースになるものなんだな」という認識を持って読むことができます。
○西原主査
ただ,これはベースではありますが,目の前の学習者は標準的なカリキュラム案で取り上げていることを,もう既に全部できる人かもしれないし,それからこんなことは取り上げなくていいという項目もあるかもしれないということがあります。それはそれぞれの地域の日本語教育のプログラムを企画する人がその人自身の責任において,自分の仕事の内容と照らし合わせて見ていってくださいということになるわけです。ただし,標準的なカリキュラム案で取り上げている生活上の行為のリスト(list)そのものの基礎不可欠性というものについては,薄めてしまうことはできないです。
○山田委員
先ほど,西原主査がおっしゃったように,「検討する際の基となる」という表現と,それから「カリキュラムを編成する際に基となる」というので,その違いは大きいと思います。
井上委員の御指摘にもあったように,「これは「生活者としての外国人」にとって不可欠なものだ」ということは,この日本語教育小委員会のある種の責任と言うか,こういうものを出すからには,本小委員会のやっていることがいいかどうかも含めて,きちっと「これは「生活者としての外国人」に対する日本語教育の基になるものなので判断してください」と言うべきです。でも,これは実際に使う場合には,今度は参考にするぐらいの,こちらのこの学習項目が一覧になっている部分については適宜必要なものを取ってもらってかまわないし,実際には方言だってあるだろうし,そういう部分は変えてもらっていいので,これは参考にすべきものだということになります。やはり2段階じゃないかなと思います。
○西原主査
今の本文はそう書けていないということですね。そのようには伝わってこないという話ですね。
○尾﨑委員
西原主査のお話を伺い,それから井上委員のお話も伺い,もう一度自分の理解の確認ができました。配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」について,特に来日間もない人たちに関して言えば,これはやはり,その方たちのためにも日本人のためにもやっていただかなければならないことだということですね。それで,学習を始めるときに,標準的なカリキュラム案で取り上げていることをどの程度できるかということは,もちろん個々人によって異なりますし,それから各地域において日本語教育のカリキュラムを編成する際に配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」をどのように利用するかは御自由なんですが,この標準的なカリキュラム案はベースなんだということを強調したいということが6ページ「2 標準的なカリキュラム案の活用方法」の5行目から書いてあります。ですから,標準的なカリキュラム案の基本的な性格についてはもっと目立つ位置にあった方が良いという井上委員の御意見に私は賛成です。そういう意味で「これは基になる」ということがよく理解できました。
○西原主査
一番具体的なのは,今,井上委員から御指摘のあった配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の6ページの「2 標準的なカリキュラム案の活用方法」の第2パラグラフの「学習内容については」から始まるその3行を4ページ「1 標準的なカリキュラム案の概要」の冒頭に動かしたらどうかということでございました。
○杉戸副主査
大切なことなので繰り返すことは必要だと思うのですが,今の部分は配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の5ページの上から空白行も含めて5行目「標準的なカリキュラム案の内容としては,まず…」と始まり,その2行下の部分でやはり内容について「必要不可欠」ということが出てきています。ここの部分で標準的なカリキュラム案の内容についての説明の言わば学習内容,時間,順序という要素についての説明が初めて出てきています。
それで,私としては,今の議論がはっきり表現されるべきであるとすると,もっと強くしなければいけないと思います。「基となる」というのは非常にあいまいな表現で客観的過ぎると思うんです。この日本語教育小委員会なり国語分科会の姿勢を示すべきで,「基としてもらいたい」とか,「基とすべきものである」くらいの姿勢で,例えば4ページの「1 標準的なカリキュラム案の概要」の2行目や,5ページの4段落目,「これらの内容は各地域において…」と始まる文に「基となる」という言葉がありますが,それを変えた方が姿勢がはっきりすると思います。
「基となる」という言い方は読んでみると,文としてねじれていると思うんですね。この日本語教育小委員会の姿勢としては標準的なカリキュラム案で取り上げている学習内容は必要不可欠なんだから各地域で日本語教育の内容について検討する際に基にしてほしい,これを基盤に編成してほしいんだということが言いたいわけです。
○西原主査
「基盤」という言葉に書き換えてみるのはいかがでしょうか。各地域においてカリキュラムやプログラムを編成する際の「基盤となるものであり」あるいは「基盤とすべきものである」という表現です。
○杉戸副主査
「基盤」と「基」では,私は「基盤」の方が好きなんですけれども,その後ろの言葉と関係してきます。「となる」なのか,「とすべき」であるなのかによって違ってくると思います。
○井上委員
そこは恐らく,本来ならもう少し後で議論すべきことなんでしょうが,配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の9ページの「? 今後の課題」のところにつながってくるのではないでしょうか。
これから,教材作成について検討し,さらに,日本語教育の指導方法を検討し,日本語能力の評価まで行うとなると,それがパッケージになるわけです。
○西原主査
こうやってパッケージにすることは,実はやんわりとですが,第8期日本語教育小委員会の審議経過報告の最後に予告してあります。だんだん,これが現実に見えてきた,近くなってきたということです。
○井上委員
要するにこの標準的なカリキュラム案を基盤として各現場で教えていただければ,恐らく「生活者としての外国人」の日本語能力の評価もできるし,それから指導者についての評価もできるということになるのですね。
ですから,そこまで本気でやるということであれば,先ほどの議論も「基あるいは基盤とすべき」という表現になると思います。これは国としての審議会の検討ですので,そこまで責任を持ってやるということを本当に覚悟として決めるのであれば「すべき」であると思います。
「すべき」と言うのは,すなわち「? 今後の課題」に書かれている日本語教育の指導方法とか,それから日本語能力の評価とか,あるいは指導者の指導能力に関する評価とかをパッケージでやらないと現場はいつまでたっても前進できないのではないかということです。
○西原主査
ただ,この標準的なカリキュラム案が「生活者としての外国人」に対する日本語教育の基礎の基礎としての働きを持つということ,しかし,今まで議論したような認識で,かつ柔軟に対応を地域で行ってほしいというメッセージは伝わらないといけないと思います。
これは事務局全体で,この文言の公文書的性格にかんがみると,「? 今後の課題」の部分は「やります」と読むべきなんでしょうか。それとも「責任はないけれども,やってみたらどうでしょうか」ということになるのでしょうか。
○山田委員
「? 今後の課題」の4行目に「以下の検討課題について引き続き検討を行っていくことが必要である」と書いてありますね。
○西原主査
「必要である」ということは,やるということですか。
○山田委員
やらなければならないということではないでしょうか。
○西原主査
これは日本語教育小委員会がやるということですか。
○尾﨑委員
配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の9ページ「? 今後の課題」の3行目から「小委員会又はその他の検討の場において,」と書いてありますから,やれることはやりますということですよね。
○匂坂国語課長
本小委員会以外の場で検討することもあり得るということです。
○尾﨑委員
そう書いてありますから,みんなでこれについて考えましょうという提案ですね。
○井上委員
配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」を読んでいて,非常に力強いなと感じたのは,「必要不可欠」とか「基」という言葉もそうなんですが,何か一歩二歩踏み出した感じがあるからなのです。国がこの問題に「責任を持って」という言葉までは使うかどうか分かりませんけれども,「本気でやりましょう」という踏み出しなのではないかと感じました。
これで,専門家の皆さんでカリキュラムを作ったり,評価方法を作ったりするということになってくれば,もっと時間も掛かるし,手間も掛かってくるとは思うのですが,恐らく期待している人たちは多いのではないかと思います。
その一方で,自分たちの行っている活動がどう位置付けられるのだろうかと不安を持っている人たちもいます。そういった人たちへの対応の必要性というのがあるのではないでしょうか。
今までボランティア等で活動している人に対して,「これまでのように,やってきたことを続けていいんでしょうか」とか,あるいは「我々のやってきたことは否定されるんでしょうか」というようなことを感じさせてしまわないようにすることも必要だと思います。
○西原主査
私は,今,個人的に一番恐ろしいと思っていることは,来日間もない外国人に期間を限定して標準的なカリキュラムを作りましたよね,来日間もなくなくなった人たちはどうするのかという部分についてはどうでしょうかという点です。少し時間がたった人たちについて,今後例えばヨーロッパにはヨーロッパ共通参照枠というのがあり,B2とかCのレベルについても検討が進むのかというような期待をされると困るのですが,そこについてのニュアンスはないですか。
○井上委員
配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」について言えば,それはないですね。ともかく,日本に来た方々には,「来日直後,これ位のことはやっていただきます」というメッセージになっていると思います。
○西原主査
そのことについて,教材作成の方向,それから評価の方向,それから指導者に対することというのが書かれているということですね。
○井上委員
恐らく,来日間もない外国人を対象としたその部分ができると,後は応用でできる部分が拡がります。最近大学も非常に開かれたものになってきていますので,そういったレベルの高いところで日本語を学びたいという人たちに開かれた新しい大学の機能を示していく大学も出てくるかもしれません。本当に東京外語大学のような大学がほかにも出てくるかもしれないです。
○西原主査
最近,国際交流基金から2010年版の日本語スタンダード(standard)が出て,それがダウンロードできるようになっています。日本語スタンダードの中でイラストになっている部分があるのですが,坂道をA1からCまで上がっていくイラストは非常に優れていると思うんですね。
そのA1レベルというのが,どういうものなのかということを,やはりヨーロッパの共通参照枠,あるいはそれに足並みを合わせようとしている日本語スタンダードが示していると思うので,この標準的なカリキュラム案はA1レベルに該当するとは全然言っていないけれども,基礎の基礎であるというところは,踏まえていただかないといけない。
○井上委員
そうなると,やはり少し強目に打ち出した方がいいのかもしれないですね。それから,当然,予算,日程等のこともあるかもしれませんけれども,今後,本小委員会等でも更なる検討を進めていくということをはっきりと明記することが大事ではないでしょうか。
○西澤委員
ですから,先ほどの議論に戻ると,配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の6ページ「2 標準的なカリキュラム案の活用方法」の2段落目,「学習内容については」から「強調したい」と書いているこの3行の中身を何らかの形で,前の方にきっちりと示しておいた方がいいと思います。4ページの「1 標準的なカリキュラム案の概要」の部分は本当に概要ということで,客観的説明から始まってしまっていますので,ここで,標準的なカリキュラム案が示しているものは,みんなが共通に習得してもらわないと困る事柄なんですよということを示す必要があります。既にその日本語能力を持っている人にあえて,また勉強してくださいということは言わないけれども,「基礎ですよ」ということをまずどこかで強調しておいた方がいいのではないかなという感じがします。
○西原主査
この配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の6ページ,「2 標準的なカリキュラム案の活用方法」の2段落目,「学習内容については」から「強調したい」と書いているこの3行の移動先をどうするのがよろしいでしょうか。最もあり得る形として,4ページの「1 標準的なカリキュラム案の概要」の最初の部分という可能性がありますね。
○尾﨑委員
はい。結構だと思います。
○佐藤委員
先ほどからの議論ですが,主語をはっきり追っていくとそう違和感がないのですが,どうでしょうか。
例えば4ページの「1 標準的なカリキュラム案の概要」の2行目に「検討する際」とありますが,これは標準的なカリキュラム案がその「具体的内容を検討する際の基」ですよね。
次の5ページの2段落目,「標準的なカリキュラム案の内容としては,まず」から始まる文ではその段落の2行目に「…来日間もない外国人が生活上の基盤を形成する上で必要不可欠であると考えられる生活上の行為の事例,又は安全にかかわり緊急性があるもので,日本語でのやり取りが複雑でないと考えられる生活上の行為の事例をまとめた。」ということは,操作的なものですよね。つまり,標準的なカリキュラム案を開発するために基にしたというだけの議論ということになります。
そして,その後更に読んでいくと,6ページのところも,「2 標準的なカリキュラム案の活用方法」の2段落目,「学習内容については」で始まり,その次の行に「生活上の基盤を形成する上で必要不可欠」と書いてあります。読んでいくと,これも開発上,こういうものとして想定したということのはずなんですね。
そして,その次にもう一つどこかにありました。8ページの「3 想定される利用者」のところにも,3段落目の7行目,「実情に合わせて標準的なカリキュラム案を基に日本語教育の内容について検討することが求められる。」ということですから,今の議論とここで書かれていることが一致しているのかどうかということ,つまり飽くまでも開発する上で基にしたという議論と各地域においてカリキュラムを編成する際に基にするという議論は少し違うはずなんです。その辺りについて少し議論をしないといけないような気がします。
○杉戸副主査
今の佐藤委員の意見の基本的に賛成します。というのは,先ほどの「もっと強くしたらどうか」,「基盤とすべきものである」という表現を4ページでも5ページでも6ページでも書いてはどうかという意見を,少しトーン(tone)を抑えて言うのですが,ただ,1か所だけ,5ページの上から4つ目のパラグラフですね。「これらの内容は」で始まる部分だけが,まだ違和感が残ります。つまり,これは主語をはっきりさせるという佐藤委員の御意見に従って見ると,「各地域において」と書いてあります。各地域において検討し,編成する際に基となるというふうに読める文になっているので,これは落ち着かないと思います。
○西原主査
どうすればよろしいでしょうか。
○杉戸副主査
少し長くなるのですが,「参考とすることが期待される」というように8ページの「3 想定される利用者」の3段落目の最後の部分の表現とそろえたらいかがでしょうか。
○西原主査
5ページの4段落目,「これらの内容は」から始まる2行を削除してしまうという方法もあります。ここにこれがなくても論旨は別に変わりません。
○杉戸副主査
この点は8ページで繰り返し言われることですね。
○西原主査
5ページの3段落目の最後,「文化的情報として示した。」の後に5段落目の「標準的なカリキュラム案の学習時間については,」と続いても問題がありませんので,4段落目には挿入的な意味しかないとも取れます。
○杉戸副主査
そういう意味では5ページの4段落目の「これらの内容は」から始まる2行は削る方が重複もなくなります。
○西原主査
それでは,これは削除することと致します。その他の点でいかがでございましょうか。今かなり根本的な議論をしていただきましたけれども。
○尾﨑委員
配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の8ページの「3 想定される利用者」の下から二つ目のパラグラフ辺りから,今後の課題が幾つか,もう既に書かれていると理解しました。
一つは,この「標準的なカリキュラム案の使い方に関する研修を行うことが必要である」,それから「優れた実践を広く共有する仕組み」を作る必要がある。次の段落では,「人材の養成について検討を」する必要があると書かれています。これが,9ページの「? 今後の課題」のところに続くような気持ちで読むと,9ページの「? 今後の課題」には大きく四つ出ていて,人材育成について書かれていれば,この報告を読む人にとっては整合性があるのですが,「今後の課題」には人材養成が落ちているのかなと思うと思います。
言いたかったことは,9ページの「? 今後の課題」のところで1から4と挙げられていますが,もう一つ人材育成というようなことは今後の課題に入るのかなと思いますが,いかがでしょうか。
○西原主査
8ページの下から二つ目の段落と,次の段落の最後の3行ぐらいの話ですね。
○尾﨑委員
そうです。それから,8ページ「3 想定される利用者」の5段落目には標準的なカリキュラム案を実際に地域で生かしていくための研修が必要だとも書かれていますし,実践例をデータベース化するということも必要だということが書かれているわけです。
○西原主査
9ページの「? 今後の課題」の「2 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の指導方法についての検討」というのが,かなり内容があいまいと言うか,これが「研修等」も意味しないわけではないですね。
○尾﨑委員
はい。では,何かその辺りにもう少し工夫が必要ではないでしょうか。
○西原主査
9ページの「2 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の指導方法についての検討」の指導方法に内容についての検討が含まれないわけではないということを書くのでしょうか。それとも,「1 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の参考例としての教材作成についての検討」の部分の中身をはっきりさせることによって,つまり教材作成ということの中に「2 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の指導方法の検討」の半分を収めるように書くのでしょうか。
○杉戸副主査
少し別の確認の仕方をしてもよろしいでしょうか。尾﨑委員のおっしゃるとおり,8ページの下の二つのパラグラフは,やはりこの標準的なカリキュラム案を提案するという今回の報告内容にとっては,直後の次の段階の仕事であることは確かです。ですので,その二つのパラグラフを9ページの「? 今後の課題」の最初の2行のすぐ後ろに置いてはどうでしょうか。
最初の2行は「標準的なカリキュラム案は,今後,地域における具体的な活用の実践等を通じて,その充実を図っていくことが必要である。」とありますね。そのためには,その研修とか人材が必要であり,それは直後の課題としてあるということです。
それから,「? 今後の課題」の3行目「このほか,」と始まる今の1から4までの新しいゴシックの課題はその次の段階の課題だということで,まとめるのはどうでしょうか。
○西原主査
この最後の二つのパラグラフにつきましては,事務局としては「このことができる」というお考えでよろしいでしょうか。
○匂坂国語課長
「できる」と申しますか,「何らかの形で実践をするべく努力していく必要がある」と思っています。
○西原主査
ということは,今後の課題の中に押し込んでおいても問題ないでしょうか。
○匂坂国語課長
ええ,それは別に構わないと思います。ただ,杉戸副主査がおっしゃったように,私のイメージとしては,9ページ「? 今後の課題」で1から4まで挙げている事項につきましては,今,真っさらな状態でこれから新規に御検討いただくものですが,この8ページの最後のパラグラフ二つにつきましては,これから中身を御検討いただくと言うよりは,実践に移していくという段階のものだと思います。ですので,その書き分けは必要なのかなと思います。
○西原主査
8ページの最後の二つのパラグラフについては,やるということ,そして,そのほか9ページにある「? 今後の課題」の1から4については本当に今後の検討課題となるということですね。
そうすると,杉戸副主査,この位置はどうなりますでしょうか。やはり,9ページの「? 今後の課題」の中で本当にやることを最初に書いておいて,そしてこれから検討することを下に書くということにすると,少しページとしては美しくないのですが…。
○杉戸副主査
はい,1ページでは入りません。
○西原主査
8ページの最後の段落二つを「? 今後の課題」に入れるとなると,全体で10ページまで行くのかなと思います。
○山田委員
それは,追い込んでしまえばいいのではないでしょうか。
○西原主査
そうしますと,8ページ「3 想定される利用者」の最後二つのパラグラフは,「? 今後の課題」の最初の2行の後に移されます。それから,文言の点検と修正を行った上で,「? 今後の課題」の3行目から始まる「このほか,これまでの審議を踏まえ」以降の部分はそのままにしておくということでしょうか。
○杉戸副主査
はい。
○西原主査
委員の皆様方,よろしいでしょうか。(→了承。)
○伊東委員
少しこれまでの議論から外れますが,最初に読んだときに申し上げればよかったのですが…。9ページ「? 今後の課題」の「4 「生活者としての外国人」に対する日本語指導者の指導力の評価基準等についての検討」とあります。やはりこの標準的なカリキュラム案では,指導者というのを具体的にイメージしていませんし,利用する人は日本語教育担当者でもあるということで,これはボランティアの人たちとも取れるし,あるいは日本語教育の専門家などいろいろ取れると思いました。
そうすると,「日本語指導者の指導力」と言ったときに一体だれを対象にするのかということをはっきりさせないと,この評価という言葉が余りにもインパクト(impact)が強過ぎるかなと思いました。
ですから,そういう意味では,私は教材作成があり,そしてこの標準的なカリキュラム案を実践するためのいわゆる教師あるいは担当者の訓練というのがあって,その結果として「生活者としての外国人」がどれだけ日本語を身に付けていくかということに対する評価もあるということで,私はこの「4 「生活者としての外国人」に対する日本語指導者の指導力の評価基準等についての検討」の「指導力の評価基準」というのが,どうもこの標準的なカリキュラム案の考え方にそぐわないという印象を持ちました。
これは具体的にどういうことになっているのでしょうか。
○西原主査
第8期日本語教育小委員会のまとめで,コーディネーターの養成ですとか,地域日本語にかかわる人たちの人材育成をせねばならぬとかと書いてあります。ということは,そこで予告してしまったものがここに転写されて載っているということになります。
○西澤委員
そのときにも指導力の評価については若干議論がありました。本当に盛り込めるかどうかという議論がありましたし,確かに指導力の評価とは一体何をするのかという問題があるのだろうと思います。
○西原主査
そしてこれは,恐らくこのように書いておけば,国語課がそのための予算を取り,次の事業として展開できるだろうということですね。
○伊東委員
そういう意味では,これは一回読んで「日本語指導者の指導力」ということについて考えると,「教える力」とか「技術力」という何かスキル的なこととしてとらえられがちかなと思うのですが,よろしいでしょうか。
○西原主査
それでは,少し文言を変えた方がよろしいでしょうか。
○伊東委員
むしろ,スキル的なことではなくて,「生活者としての外国人」に対する日本語指導のコーディネーション(cordination)とか,さっき西原主査がおっしゃられたようなコーディネーションということを考えると,やはり多様な地域の外国人のプログラムについて大局的に見られる,そういった素養を持った人たちの養成ということかなと思うのですが,いかがでしょうか。
○西原主査
8ページの最後の段落の最後の文に「専門性を有する人材の養成」という言葉が出てきます。
○岩見委員
前々期である第8期の日本語教育小委員会の審議経過報告でしょうか,「コーディネーター」については,専門性を有するということがはっきり明記してありました。国として果たして将来的に現場の「生活者としての外国人」のための日本語教育の指導をする人に対する手当と言いますか,予算を取って専門性を持った教育を地域外国人住民に対して行うかどうかは,覚悟を持ってそういうことを想定しているのであれば「指導力の評価」という言葉も当然必要になってくると思います。ただ,その辺りはまだ具体的にはなっていないんでしょうけれども…。この報告書全体としてボランティアに過度の依存をしていることについて反省と言いますか,それは改善していきたいという指針は出しているわけで,今,8ページの「? 想定される利用者」の部分について読んだときにも,必ずしも現状にのっとってということではなく,将来的に理想の形を一つ追求する方向で進もうとしているというイメージを持ちました。
そうであれば「指導力」というのも,調査研究等を行わないといけないのでしょうが,「指導力」という言葉で載せておいてもいいのかなと思いました。
○山田委員
日本語教育能力検定試験というのがあり,その見直しが行われていますが,そのときに基本レベルの次に上級レベルを考えるのではなくて,ある意味ではアカデミック(academic)な日本語教育に対応する力とか,それからこういう「生活者として外国人」に対応する力とか,そういう学習者のカテゴリー別に違う専門能力が必要だという発想をするとすれば,やはり指導力の評価基準ということなので,日本語教育能力検定試験にシラバス(syllabus)があるように,「生活者としての外国人」に対する日本語教育についても何らかの形でシラバスを示していくことが必要になると思います。私は今のボランティアの人たちをどうしたらいいということではなく,ボランティアの人たちはもっと重要な役割があると思っています。それは,この報告の中にも多く書いてありますが,ボランティアの人たちには多文化共生的な日本人社会とのつなぎ役となるためのすごく大事な役割があり,それは日本語指導者となった人たちの専門能力とは少し違うと思うので,私は「指導力の評価」という言葉は残した方がいいと思います。
○西原主査
残したとしても,その表現をどう読むかということも関連すると思います。先ほど日本語教育能力検定試験のことが出ました。平成23年度から日本語教育能力検定試験は,そういうアカデミックな日本語教育や「生活者としての外国人」に対する日本語教育等,専門に分かれていく前のスタートラインを測定する意味合いを持たせる形に変わっていきます。ですから,その日本語教育能力検定試験の新しい形としては,「生活者としての外国人」に特化しないところに合格者像が設定されているので,この種の地域の日本語教育にかかわる人間の専門性というのは改めて問われると思います。改めてこれが求められているというようなことが設定されねばならぬということでもあります。それは,研究者とか留学生とかに対する日本語教育とは明らかに違うことを目指した能力ということになります。
○佐藤委員
今,9ページの「? 今後の課題」の四つ目「4 「生活者としての外国人」に対する日本語指導者の指導力の評価基準等についての検討」に関して話が出ていますが,「指導力の評価基準」という用語が,少し誤解を生むかなというように思います。例えば今,私どもの教員養成の領域においても,いわゆる教育実習における実践力とか指導力について明確な基準が作られています。それは,単なるスキルだけではなく,子供との関係の取り方や,先ほど伊東委員がおっしゃったような広い意味で,評価する上での枠組みが作られています。当初,これが教育委員会から出されたときに我々も随分反発をしたんですが,実はいろいろ検討してみると,かなり整合性があるのではないかということになっています。
逆に言うと,私たちがこれを教えればいい,例えば「こういうことが学習できればいい」,「専門性を高めていくにはこれをやればいい」というように,評価基準とは逆で,ある基準に到達しているかどうかという議論ではなく,それをどう教えるか,ある能力をどう育てていくのか,例えばボランティアの方々が担うのであれば,どのようにその能力を育てていくのか評価するための枠組みであれば,議論としては成立するだろうと思います。
○西原主査
文言としてはこのままでしょうか。
○佐藤委員
この文言のままですね。だから「評価基準」と言ってしまうと誤解があるかもしれないので,「評価するための枠組み」とか,何か評価するための基準作りでも何でもいいと思うのですが,「評価基準」や「指導力の評価基準」と言うと,その基準にどれだけ到達しているかということをイメージしますよね。そうではない表現が必要だと思います。
ですから,「評価基準」というところを少し変えていただければ,今議論になったことを整理できると思います。ただ,基準は必要だろうと思います。「評価基準」というところを,「評価するための基準作り」とか,「評価するための枠組み等についての検討」とかに変えるといいと思います。
○西原主査
そうしますと,「指導力を評価するための枠組み」でしょうか。
○佐藤委員
その言葉が妥当かどうか分かりませんが,そうするともう少し広い意味として,とらえられるんじゃないかなと思います。
○西原主査 
数年前に日本語教育学会が翻訳した「アメリカにおける言語教師の持つべき能力」のかなり詳細なリストがあるのですが,初任者のための10項目,ベテランのための15項目か20項目というのが分類されています。その中には学習者の学習状況を把握するとか,学習環境を把握するとか,学習者との関係を友好的に保つとか,そういうことも含めて教師の持つべき能力が一覧になっています。そういうことも含めたものとして,ここでの「指導力の評価基準」という言葉は意味していると思うのですが,「評価基準」と言うと何かとても厳しく聞こえてしまうのでしょうか。
○佐藤委員
取りようによるのではないでしょうか。
○西原主査
先ほど,おっしゃったのは,「指導力の評価」だったでしょうか。
○佐藤委員
「指導力を評価するための枠組み等についての検討」とかです。何かそのようにした方が,今のような議論をしていく上ではよろしいのではないかと思いました。「評価基準」と言うと何となく基準ができてしまった上での話に聞こえます。
○山田委員
文化庁が2000年に出した「日本語教育のための教員養成について」という報告書で出しているシラバスは教員養成の基準です。それで,それがそのまま日本語教育能力検定試験の基準にもなっているので,指導能力養成に関する基準とか,養成基準とか,そういう表現にした方がいいのではないでしょうか。
○西原主査
「指導能力養成の基準等についての検討」ということで,大丈夫でしょうか。
○佐藤委員
それでも結構です。これは単に評価をするのではなく,養成を進めていくのでしょう。養成の議論ですよね。
○西原主査
そうです。養成の議論です。
○佐藤委員
そうであれば,よろしいのではないでしょうか。
○杉戸副主査
養成となると,配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の8ページの一番下のパラグラフの項目と重ならないでしょうか。一番最後の行に「人材の養成について検討」というのが出ています。
○西原主査
そうですね,コーディネーター等を養成するとありますが,「? 今後の課題」の「4 「生活者としての外国人」に対する日本語指導者の指導力の評価基準等についての検討」ではもう少し踏み込んで,養成された人がどういう能力を持っているべきかということに検討の主眼を置くということになります。
○杉戸副主査
それであれば,「? 今後の課題」の四つ目「4 「生活者としての外国人」に対する日本語指導者の指導力の評価基準等についての検討」については,今の議論で出てきたような表現の方が良いと思いました。
○西原主査
では,「指導力の評価に関する枠組み等についての検討」ということにしたいと思います。
○中野委員
「? 今後の課題」の三つ目が「3 「生活者としての外国人」の日本語能力の評価についての検討」なので,四つ目も「4 「生活者としての外国人」に対する日本語指導者の指導力の評価についての検討」でもいいのではないかと思ったのですが,いかがでしょうか。
○佐藤委員
今の修正案が一番いいかもしれませんね。
○西原主査
「指導力の評価についての検討」ということで,今後どのようなことについて検討をしようとしているかということについては大体皆さんの御意見は一致していると思いますが,よろしゅうございますか。(→了承。)
○中野委員
2ページの「1 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的・目標」で,今四つの目標については分かりやすく,それぞれ「○」が付いてまとめられているのですが,目的が地の文に埋もれている気がします。
以前の第8期日本語教育小委員会の審議経過報告では,一番最初に目的を二,三行ですっと書いた文章があったと思うのですが,今回の報告でも冒頭1ページの最初に「地域社会の一員として社会参加するため」とか,確か「社会参加」と「多文化共生」といった大事なキーワードがあった気がするので,目的もすぐ分かるような形で一文にされた方がいいと思いました。
○西原主査
それは目的が埋もれてしまっていて,目標だけが目立つようになっているから,目的もはっきりと目立つようにした方がいいということですね。
○中野委員
「1 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的・目標」と書いてあるので,目的が何なのか,はっきりさせた方が分かりやすいと思いました。
○西原主査
第8期の日本語教育小委員会の審議経過報告では,一つの段落にまとめて書いてありました。
○中野委員
目的のところに,確か「社会参加」という大事なキーワードが入っていたと思うので,それは明示した方がいいと思います。
それから,少し細かいのですが,7ページの4段落目「「教室活動の方法の例」は,」という部分についてです。「言語を体験的に学ぶ」と書いてあるのですが,「言語や文化を」というように「文化」という言葉も入れた方がいいのではないかと思いました。それから,「体験的」という言葉が気になりました。
○西原主査
文化については,少し私がこだわって書いたのですが,「文化」という言葉に非常に誤解されやすい響きがあるので,余り不注意に組み込まない方がいいという気がしています。
理由を申しますと,言語教育の世界ではいわゆる伝統文化等を指し示す大文字の「CULTURE」と生活習慣や規範等を示す小文字の「culture」を使い分けています。それが日本語ではすべて「文化」という単語になってしまいます。
この標準的なカリキュラム案の場合は特に厳密に小文字の「culture」を目指した実践が行われると思います。ただ,文化を学ぶと言うときに,それを「文化」と言ってしまうと生活習慣や規範等だけでなく,いわゆる伝統文化等も含んだ「CULTURE」の意味で理解されることを非常に恐れています。特に,これはプロに向けて書いているので,生活上の規範とか,そういう言い方でこの文の中では言い分けてきたつもりです。
「生活文化」や「生活文化情報」と言うときの文化は生活にくっ付いているので,「CULTURE」に誤解されることはないと思うのですが,「言語と文化を学ぶ」と言うと,その「文化」が独立して「CULTURE」の方の響きを持ってしまうことを非常に恐れています。
もう少し言いますと,7ページの4段落目辺りでは押し付けにならないようにする必要があるということを言っているのですが,結局学ぶということは,教室活動において提示されるとおりにするということではないということを少し詳しく書いています。「言語,文化を学ぶ」と特徴付けることに対して躊躇(ちゅうちょ)しています。
○中野委員
7ページの4段落目全体を見ると,やはり文化のことを配慮しているということが伝わります。しかも,押し付けではないということが。
○西原主査
日本語で「文化」と言うと,「culture」も「CULTURE」も入ってしまうので,それを恐れています。「文化」という言葉をそのまま出してしまうことで誤解が生まれてしまうのではないかということです。
○中野委員
「文化」という言葉が,7ページの4段落目にたくさん出てくるのですが…。
○西原主査
「言語」と言わずに「コミュニケーション」と言う方が安全かもしれません。
○中野委員
「言語」と言うと,表現とかだけがイメージされるのではないかと思い,少し心配しています。先ほど「標準的なカリキュラム案の活用例(実践例)」もすごく改善していただいて,話し合いも活動例の中に実際に組み込まれていたと思うんですね。ですから,言語だけのための活動ではないのかなと思ったのですが…。
○西原主査
それは当然なんですけれども,「文化を学ぶ」というようにはならないようにしたいということです。
○山田委員
「言語行動」という言い方は分からないでしょうか。一般用語としてはふさわしくないでしょうか。
○西原主査
「言語行動」は専門用語ですよね。
○中野委員
あるいは,「言語」と言わずに「生活上の行為としての日本語」と言うか,「日本語を使った生活上の行為ができるようになるために体験的に学ぶ」というのはどうでしょうか。「言語」と言ってしまうと,何か表現そのものを学ぶということにならないかと思います。
○西原主査
具体的には何ページのどこの部分のことでしょうか。
○中野委員
7ページの4段落目,「「教室活動の方法の例」は」で始まる部分です。
○西原主査
その一行目の「言語を体験的に学ぶ教室活動」の「言語」という部分ですね。
○中野委員
ここであえて「言語を」と言わない方がいいのではないかと思いました。
○西原主査
それでは,「コミュニケーションを」としてしまっても,ここは大丈夫ですけれども,どういたしましょうか。
○中野委員
そうですね,「コミュニケーション行動」といった表現にした方がいいかと思います。私は「文化」というより逆に「言語」の方を恐れました。「言語」だけが入ると,また表現とか,そういうものを覚えるものとしてとらえられないかと。
○西原主査
ここはむしろ「学習項目」と言ってもいいですよね。
○中野委員
そうですね。十分文化についてはこの段落で伝わると思うので,入っているとは思います。
○西原主査
では,7ページの4段落目の「言語を体験的に学ぶ教室活動の」は「学習項目を体験的に学ぶ教育活動の」という形に変えたいと思いますが,いかがでございましょうか。(→了承。)
そのほかにも,何かございますでしょうか。
○尾﨑委員
もう十分議論した結果が書かれていますが,今,こうやって通して読んで若干分かりにくいなと思うのは,やはり5ページの5段落目「標準的なカリキュラム案の学習時間については」で始まる部分の「学習時間の相対的な割合」の部分です。我々は議論したからいいのですが,普通の人が読むと何だかよく分からなくて,ここでしばらく考え込むだろうなと思いました。
○西原主査
例えば「全体を30単位にした場合に,ここは3単位なので,これは全体の10分の1になりますね」といった議論ですね。
○尾﨑委員
そのことを理解できる文章になっているとはとても思えません。分かっている人が読めば分かる文章ではあるのですが…。
結局,その次の「また,参考として」で始まる段落のところで30単位で60時間がミニマム(minimam)だと言っているわけですから。相対的な比率という説明よりも,もっと単純に「何時間」とは言い難いから単位にしたということですよね。それで,30単位の最低の時間設定を言うか言わないかということになってしまいます。言ってしまうのであれば,比率と言おうが何と言おうが,全体で幾らぐらいは最低必要だというこの日本語教育小委員会の判断を述べているわけですから,比率は関係ないのではないでしょうか。結局,議論を引っくり返すことを言っているので,もうこのままでも仕方がないかとは思いますけれども…。
とにかく,7ページの4段落目の3行目,「相対的な割合を「単位」で示してある。」という表現は,普通の人は分からないだろうと思います。
○西原主査
それでは,その部分でもう一度「全体を30単位とし」というように,単位の説明を繰り返しますか。相対的な割合であるということを説明するたびに,「全体を30単位とし」と言った方がいいでしょうか。
○尾﨑委員
はい。
○西原主査
時間を書くことに対する危惧(きぐ)については繰り返し御意見がありました。それを後ろに引っ込めようとしているうちに,今のような表現ぶりになったという経緯があると思います。
○尾﨑委員
結果としては,60時間を最低限とするいうのは出ていますから,相対的な割合ということの意味がはっきりしません。
○山田委員
5ページの4段落目の3行目に「必要と考えられる学習時間の相対的な割合を「単位」で示してある。」と言っていながら,またその単位のことについて,「これは日本語を学習する際に必要となる具体的な時間数ではなく,それぞれの区分の学習にどの程度時間がかかるかという学習時間の相対的な割合を示すものである。」と2回「相対的な割合」と言っているのが煩わしいと思うので,3行目を「学習時間を「単位」で示してある」だけにして,「相対的な割合を」というのを取るのはどうでしょうか。
ただ,同じ段落の一番最後のところは説明なので,「学習時間の相対的な割合を示すものである。」はそのままにしておいたらいいのではないかと思います。
○西原主査
そこで,また,もう一度言うのではないでしょうか。「日本語を学習する際に必要となる具体的な時間数ではなく,全体を30単位として」,または「全体を30単位とした場合に,それぞれの区分の学習にどの程度時間がかかるかという相対的な割合を」というように,全体が30単位だということをまた言うということによって,少しすくえるところもあるんじゃないでしょうか。
○尾﨑委員
はい,すくえると思います。
○西原主査
繰り返し繰り返し言うので,標準的なカリキュラム案で示されているのは単位で,時間ではないと思ってもらえれば一応はいいかと思います。
○佐藤委員
これは読んで分かるのでしょうか。
○尾﨑委員
恐らく結論部分,「30単位60時間」しか記憶に残らないと思います。
○佐藤委員
これを最初からすっと読んでみたら,4ページの表は何なんだろうとならないでしょうか。我々は議論しているので理解をしていますが…。
○岩見委員
7ページの2段落目「学習時間については,」で始まる部分の5行目に,「どの程度時間を掛ける必要があるかを学習者の状況に合わせて検討することが必要である。」と書いてあるので,そこをよく読んでいただければと思います。
○西原主査
4ページの四角に囲まれたところのタイトルに「標準的なカリキュラム案で扱う生活上の行為の事例」とありますが,ここに括弧して「全体が30単位」といった感じで示しておくことが必要ですね。
○尾﨑委員
全体が分かるから,比率の説明が出てきたときに分かりやすくなりますね。4ページの四角に囲まれた部分に「全体で30単位」というのを入れるという方向でよろしいと思います。
○西原主査
その「単位」という言葉についても,審議経過の中で十分御議論があり,一番中立的ではないかというようなことで,この「単位」という言葉が単位として選ばれたという経緯があると思います。しかし,結果としてつくづく見ると,少し問題が残るということでしょうか。
○尾﨑委員
6ページの下から3行目の真ん中辺りですが,先ほど西原主査が気を付けて書いたとおっしゃったんですが,「その一方で,日本社会における日常生活の規範を学ぶことが」という部分についてです。学習者に対して押し付けにならないようにということ,それから指導者も相手から学ぶような活動をするんだということが書いてありますが,ここはとても大事なポイントです。この標準的なカリキュラム案自体は来日間もない外国人に学んでほしいことが全面に出ていますが,これはもう一つ大事なポイントですよね。
そうすると,これはやはり段落を変えるとか,もう少し目立つようにした方がよろしいかと思います。
○西原主査
6ページ,下から3行目の真ん中辺り,「その一方で,」というところから段落を変えるということでしょうか。
○尾﨑委員
もう少し目に付くような書き方にした方がいいという気がします。
○西原主査
それでは,この4行を別の段落にします。「その一方で」から始まり,7ページ1行目の「求められる。」までを一段落として独立させるということですね。
○尾﨑委員
いかがでしょうか。
○西原主査
これも山田委員からは,このことをもっと強調して,「新しい日本を作るためにも」というような文言を入れた方がいいのではないかということもあったのですが,抑えて抑えて,この4行になっています。
○尾﨑委員
ここに,指導者も学ばないといけないんだというようなことが出てくると,むしろ違和感があります。分かっている人にとっては言葉が足りないと思うだろうし,分からない人にとっては,ここまでずっと読んできたものがここで引っくり返る感じなります。ですから,何か工夫が必要かもしれません。
ただ,やはりこういう文言があった方がいいと思いますし,わざわざ具体的な活動例の中に相手の文化のこととか外国の学習者が感じていることを言ってもらいましょうということが意識的に盛り込まれていますから,そのこととの関連ではやはりここは書いておいた方がいいと思います。
そうすると,この標準的なカリキュラムを通してだれに何を学んでもらおうと思っているかというところが,難しいですけれどもポイントの一つとして出てくるのではないでしょうか。
○西原主査
表に出ている部分だけでなく,隠れたカリキュラムがどこにあるかという話ですね。
○尾﨑委員
はい。それで,私は段落を変えるだけで,もう少しそれが見えるようになると思います。でも,全体としては,読む人によっては,少し違和感を持つかもしれないという感想です。
○西原主査
それでは,次回,5月10日の第28回日本語教育小委員会までに,今回御指摘いただいたことを整理した上で,ほぼ最終案として,まとめたいと考えております。本日はこれで閉会といたします。御協力ありがとうございました。
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