資料6-1

資料 6-1

高松塚古墳壁画における材質調査について

奈良文化財研究所 肥塚 隆保

Ⅰ.非破壊調査によってわかること

1.表面状態の観察

1)デジタルカメラ観察・撮影

[原理]
デジタルデータとして画像を取得することができるため,外部モニターを接続し,リアルタイムで観察しながら画像の記録をおこなう。マクロ撮影により細部の接写が可能である。小型で軽量のカメラを使用する。
[調査内容・期間]
正光および側光などのライティングを様々に変えて,壁画および漆喰の表面状態(亀裂,付着物など)を観察・記録する。現在,ひとつの壁画面について2日間ほどで撮影をおこなっている。
[この調査によってわかること]
漆喰の損傷状況,壁画上に付着した物質の形状,壁画顔料の残存状況
[この調査ではわからないこと(破壊調査をおこなうことでわかる可能性)]
漆喰内部の状態

2)デジタル顕微鏡観察・撮影

[原理]
CCDカメラにレンズ系が取り付けられたいわゆるデジタル顕微鏡である。外部モニターを接続して,20倍から160倍までの観察ができる。
[調査内容・期間]
デジタルカメラ撮影では観察することのできない倍率に拡大して,壁画および漆喰の表面状態をより詳細に観察する。ライティングも任意に設定が可能である。現在,ひとつの壁画面について4日間ほどを要している。
[この調査によってわかること]
ミクロレベルの漆喰の損傷状況,壁画面に付着した物質の形状,壁画顔料の残存状況など
[この調査ではわからないこと(破壊調査をおこなうことでわかる可能性)]
漆喰内部の微視的な状況(スサの存否,層構造の有無など)

3)紫外線を用いた観察

[原理]
物質には紫外線照射により蛍光を発するものがある。紫外線を照射して蛍光を発する部分について詳細な調査・分析をおこなうことで,壁画に付着している物質や損傷の状況を知ることができる。
[調査内容・期間]
壁画に紫外線を照射し,蛍光を発する部分を確認する。ひとつの壁面について1日程度の作業時間を要する。
[この調査によってわかること]
壁画面上における鉛白の平面的な分布,蛍光を発する顔料の検出,過去に用いられた修理材料の検出
[この調査ではわからないこと(破壊調査をおこなうことでわかる可能性)]
蛍光を発する物質の漆喰内部における分布

4)赤外線を用いた観察

[原理]
赤外線は紫外線や可視光線に比べ波長が長いため,物質内部への到達深度が深い。したがって,赤外線をよく吸収する物質の表面がほこりや汚れなどで覆われていて,肉眼ではその存在をうかがい知ることができない場合,赤外線を照射して赤外線カメラで観察することによりその存在を知ることができる。
[調査内容・期間]
壁画に赤外線を照射し,赤外線カメラで撮影記録する。作業期間としては2日間程度である。
[この調査によってわかること]
白虎の「墨線」が現状で見えにくくなっている現象,バイオフィルムや泥の下の絵
[この調査ではわからないこと(破壊調査をおこなうことでわかる可能性)]
「墨線」の材質

2.下地漆喰層の内部構造

1)X線透過撮影

[原理]
物質にX線を照射すると,一部が吸収され,一部が透過する。これをフィルムなどに感光させると,その物質の内部の透過像を得ることができる。
[調査内容・期間]
取り外された漆喰片などのX線透過撮影をおこない,その内部構造を撮影する。イメージングプレートを用いたコンピューティッドラジオグラフィにより,より詳細な内部構造を2次元的に調査する。漆喰片の撮影・スキャンニング・画像処理には1カット1時間ほどを要する。
[この調査によってわかること]
内部の亀裂など
[この調査ではわからないこと(破壊調査をおこなうことでわかる可能性)]
亀裂などの3次元的な分布

2)X線CT撮影

[原理]
物質の断層画像を撮影するだけでなく,その断層画像を連続して撮影し,3次元的に構築することにより,内部構造を立体的に把握することが可能となる。
[調査内容・期間]
取り外された漆喰片などのX線CT撮影をおこない,その内部構造を立体的に構築する。調査に必要な時間は,スライス厚,スライス数および画像解像度などにより大きく異なる。通常,1スライスに20分ほど要する。
[この調査によってわかること]
内部の亀裂の3次元的な状況など
[この調査ではわからないこと(破壊調査をおこなうことでわかる可能性)]
内部構造的な観点からは特にないが,得られた断層画像などが材質的な特性を十分反映しているかどうかについては詳細な検討を要する。

3.壁画材料の調査

1)蛍光X線分析

[原理]
物質にX線を照射するとその物質に含まれる元素に特有の固有X線が二次的に発生する。逆にその固有X線のエネルギーを検出することで含まれている元素の存在を非破壊で知ることができる。
[調査内容・期間]
携帯型の蛍光X線元素分析装置を用いて壁画表面の元素分析をおこなう。ひとつの壁面について4ないし6日を要する。
[この調査によってわかること]
壁面上での顔料の推定,壁面における鉛白の分布
[この調査ではわからないこと(破壊調査をおこなうことでわかる可能性)]
漆喰の精密な元素組成,材料の同定

2)紫外・可視分光分析

[原理]
物質に紫外線および可視光線を照射すると,一部の波長の光が吸収され,その他の光が反射される。反射スペクトルあるいは吸収スペクトルを得ることで,色彩に関する知見を得ることができる。
[調査内容・期間]
ファイバープローブを用いて紫外線から近赤外領域までの波長の光を照射し,同ファイバープローブを用いて反射光を捉え,分光器により分光して分光スペクトルを得る。作業時間はひとつの壁面に対して2日ほどを要する。
[この調査によってわかること]
壁面上での色料の推定
[この調査ではわからないこと(破壊調査をおこなうことでわかる可能性)]
黒色の線の材質

3)蛍光分光分析

[原理]
物質には単一波長の光を照射されると,照射光とは異なる波長の光,すなわち蛍光を生じるものがある。得られた蛍光スペクトルから材料を推定することが可能である。
[調査内容・期間]
壁画にファイバープローブを用いて単一波長の光を照射し,同ファイバープローブを用いて反射光を捉え,分光器により分光して蛍光スペクトルを得る。あらかじめ,ポリライトなどにより蛍光を発生する波長および場所を面的に把握しておき,該当箇所に対してこの手法を用いる。作業時間はひとつの壁面に対して2日ほどを要する。
[この調査によってわかること]
蛍光を発生する色料の推定,蛍光を発生する修理材料の推定
[この調査ではわからないこと(破壊調査をおこなうことでわかる可能性)]
詳細な2次元蛍光分光スペクトル

Ⅱ.破壊調査(サンプリング)によってわかること

1.表面状態の観察

1)電子顕微鏡観察

[原理]
物質の表面に電子線を照射すると,物質表面から2次電子や反射電子が飛び出す。物質表面を電子線により規則的に走査して,飛び出した2次電子や反射電子を検出し,画像に構成したものが走査電子顕微鏡像(SEM像)である。数十倍から数十万倍までの拡大観察が可能であり,通常の光学顕微鏡に比べ焦点深度が深く,表面形状を詳細に監査鶴ことができる。
[この調査によってわかること]
漆喰層表面の劣化状況,菌糸などの入り具合,炭酸カルシウムの結晶の形状

2.下地漆喰層の内部構造

1)偏光顕微鏡観察

[原理]
結晶性の物質を薄片とし,偏光顕微鏡で観察すると,その結晶の形状からだけでなく,その偏光性から結晶性物質を同定することができる。
[この調査によってわかること]
漆喰層の断面における漆喰の劣化状況,スサの有無,炭酸カルシウムの種類(カルサイトかアラゴナイトか)

2)電子顕微鏡観察とEDS

[原理]
電子顕微鏡による観察については上述のとおりである。電子顕微鏡にエネルギー分散型蛍光?線元素分析の検出器を取り付けたものにより,元素の同定とマッピングができる。
[この調査によってわかること]
漆喰層の断面における漆喰の劣化状況,スサの有無,炭酸カルシウムの結晶の形状,漆喰層断面での鉛の分布状況

3.壁画材料の調査

1)湿式法による元素組成の精密分析

[原理]
漆喰を灰化した後,溶液化し,ICP発光分析や原子吸光分析により精密な元素組成を求める。
[この調査によってわかること]
元素組成,灼熱減量

2)X線回折分析

[原理]
結晶性の物質にX線を照射すると,回折現象を生じ,その物質の結晶構造に特有の回折スペクトルを得ることができる。したがって,このX線回折分析をおこなうことで未知物質の同定をおこなうことができる。
[この調査によってわかること]
結晶性化合物の同定

Ⅲ.壁画の調査分析への漆喰試料の供試に対する指針

高松塚古墳の壁画の劣化原因を究明するとともに保存修復にあたり壁画の現状をできる限り詳細に把握することを目的に,現在,壁画の調査分析がおこなわれているところである。現段階では,壁画面に対して完全な非破壊の手法(赤外線観察,紫外線観察,顕微鏡観察,デジタルカメラによるマクロ撮影,蛍光X線分析)で分析をおこなうことを主とし,石室解体時に取り外した漆喰片の一部に対し,X線CT撮影をおこなっているところである。
これまで白虎の調査結果について,「墨線」が見えにくくなっている現象に2つの原因(物理的な消失と二次的生成物質による被覆)があること,月像から白虎に向けて鉛白と思われる白色の線が伸びていることなどが明らかとなってきている。
鉛白が漆喰に混入されているか,あるいは絵画のある部分に鉛白を塗っているかという問題については,絵画技法の解明とともに劣化原因の究明および保存修復指針の策定に当たっても重要な点となる。鉛は酸化状態によって,著しい変色が見られるため,修理の際の薬剤選択等にあっては,漆喰中の鉛の平面及び断面における分布を把握することが必要である。この問題については,非破壊調査には限界があり,サンプリングをおこなった漆喰に対して,形状の変化あるいは消滅をともなうより精密な調査分析をおこなう必要がある。
サンプリングをおこなう漆喰としては,石室解体に際して取り外した漆喰片あるいは原位置を特定できない漆喰片があるが,当面は後者,すなわち橿原考古学研究所,奈良教育大学,奈良文化財研究所,東京文化財研究所に保管されている原位置を特定できない漆喰片に対して徹底した調査をおこなうことが望ましい。石室解体時に取り外した漆喰片については,原位置を特定できない漆喰片に対する調査の結果をまって,必要に応じておこなうことにしたい。

高松塚古墳壁画の材料調査に係る各分析法の目的と相違点(概要)

目的 方法 非破壊法 サンプリング法 わかること
表面状態の観察 デジタルカメラ観察・撮影   漆喰表面の損傷状況(目視程度)
デジタル顕微鏡観察・撮影   漆喰表面の損傷状況(高倍率)
紫外線を用いた観察   鉛白等の蛍光を発する顔料の分布,修理材料の検出
赤外線を用いた観察   見えにくい墨線に関する情報
電子顕微鏡観察   漆喰表面の損傷状況(超高倍率)
下地漆喰の内部構造 X線透過撮影   内部の亀裂等
X線CT撮影   内部の亀裂等の3次元形状
偏光顕微鏡観察   漆喰層断面における劣化状況,混和材等の観察,漆喰の分類
電子顕微鏡観察とEDS(SEM-EDS)   漆喰層断面における劣化状況,鉛等の分布,漆喰結晶の形状
壁画材料の調査 蛍光X線分析   材料表面の元素組成(定性・半定量)
紫外・可視分光分析   表面の色料の推定
蛍光分光分析   蛍光を発する色料の推定,蛍光を発する修理材料の推定
湿式法による元素組成の精密分析   材料の元素組成(定量)
X線回折分析   材料の結晶構造・化合物
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