特別史跡キトラ古墳の保存・活用等に関する調査研究委員会(第2回)議事要旨(案)

日 時: 平成14年1月21日(月) 12:30~15:30
場 所: 明日香村健康福祉センター「たちばな」
出席者
(委員)
青木,有賀,猪熊,今津,河上,川村,沢田,田辺,百橋
藤本,増田,町田,三浦,三輪,毛利,渡邊(明),渡邉(定)の各委員
(オブザーバー)
国土交通省近畿地方整備局公園調査官,奈良県教育委員会教育次長,
明日香村長,(独)文化財研究所総務部長
(文化庁)
木谷文化財部長,鈴木文化財鑑査官,湯山美術学芸課長,大木記念物課長
その他関係官
議事
1. 開会
委員会を開会し,文化庁文化財部長が挨拶を行った。
2. 配付資料確認
配付資料の確認を行った。
3. 委員の紹介
第1回委員会以降に委嘱した委員の紹介を行った。
4. 特別史跡キトラ古墳の予備調査について
田辺ワーキング・グループ座長より,予備調査の結果について説明があった。
5. 今後の進め方について
事務局より今後の進め方について,説明があった。
6. 意見交換
  1. 十二支の壁画について,朱だけが残っていて他の色が残っていないのは,かなり早い段階から水が入るなりして,消えてしまった可能性が高いのではないか。
  2. マルコ山古墳の場合もキトラ古墳の写真のような状況だったが,同様に遺物は見えなかった。床面の堆積土は奥の方で10cm以上堆積しているのではないか。
  3. 床面の高さは全く確認できないので,横幅と縦の長さの比率から類推して堆積土の深さを想定するしかない。高松塚古墳と同様の比率だとすると,深さ(厚さ)は10cmくらいと想定できるが,かなり幅がある。
  4. この状況で見る限り,盗掘坑の土さえ除去すれば中に入ることは可能ではないか。恐らく上の部分の幅が40cm弱あれば十分入れる。とりあえず入ってみることが先決で,その後内部の状況を肉眼で観察することによって,具体的に流入土をどのように除去するか,壁画をどのように処置するか等を検討すべき。
  5. 内部の発掘作業は,落ちている漆喰の問題があるため簡単ではない。恐らくこの漆喰はもう土に戻っていたり,水にかかっていて拾えるような状況ではないと思うが。
  6. 石槨の外側の盗掘坑以外の部分の土はあまり掘らない方がよいのではないか。版築の土を取っていくと振動でかえって壁画に悪影響を及ぼす可能性がある。
  7. 東壁の小像は,十二支の一つであるという考え方が妥当だと思う。
    十二支そのものは東アジアでかなり古い段階からあるが,頭が十二支であって体が人物であるというモチーフがあらわれるのは8世紀中頃が最初なので,このようなものとしては,東アジア最古である可能性がある。
  8. この古墳の時期は,多少の幅があるとしてもやはり7世紀の後半と考えるべき。
  9. 中国の四神の思想では白虎が南に向かうのに,キトラでは白虎の頭が北を向いている。
    その後朱雀が発見されたときに,朱雀が頭を西に向けていることがわかり,四神が時計周りに回っていて循環構造になっていることが確認された。
    同様の例は正倉院の十二支八卦背円鏡に見られ,内区に四神があってその周辺を十二支が回っている。墓の中に十二支を回らせるというのは,例えば統一新羅のキム・ユシンの墓が一番古そうだが,統一新羅でも8世紀に入ると多数の例があるようである。
    また,キトラ古墳では,首から下側の人物像が普通の武人姿で,頭だけが獣で槍のようなものを手に持っている。それが,北壁に3体同じ高さのレベルに等間隔に並んで立っているようであり,東壁にも確認できる。このことから十二支が3体ずつ4面に描かれたものと推定される。
    日本での例としては,8世紀720年頃の聖武天皇の皇子の墓がある。下は武人の姿で,子や卯や午の頭をした十二支の浮き彫りがあり,十二支全部はそろっていないらしいが,子の頭をしているものの上には「北」,卯は「東」,午は「南」とそれぞれ方位が書かれてある。
    統一新羅あるいは中国の影響を勘案して,十二支が描かれたという可能性が高い。
  10. 十二支の動物の絵だけであれば,中国でももっと古い段階で存在するが,獣頭人身像になっているというものになると,キトラ古墳が東アジアで最古の確認例ということになろう。
  11. 従来のやり方だと考古学の方が掘り(床面の発掘),後で保存科学が追いかける(壁面の保存処理)ということになるが,キトラ古墳では逆があってもよいのではないか。
    例えば,足場をつくって,まず壁画を完全に処理して発掘をするという方法もある。
  12. 今後石室の中に入って保存処理を行うのだが,応急処置といってもこれは高松塚古墳の例を見てもわかるように大変な作業になる。作業の手順の問題は,保存施設の在り方にも関連する。高松塚古墳のときは材木で組んだ小屋をかけてから調査を行っていたが,今回はどうするか。
  13. 盗掘坑の形や墓道の範囲確認などの事前調査を行わなければ保存施設の設計は難しいのではないか。
  14. 高松塚のように恒久的にきちんと密閉し,将来にわたって長期間保存していくための施設と,今回建設しようとしている「保存施設」とは性格が異なる。
  15. ワーキング・グループでは,覆屋の設置と調査のタイミングの問題で,先にある程度盗掘坑を掘って外側の様子を探った段階で覆屋をかけるのか,先に大きめの覆屋をかけるのがいいのかという議論が出た。
  16. いずれにしても,盗掘坑からどのように内部に進入するかという問題が解決しないと具体的な中の養生の問題などを検討しにくい。少なくとも盗掘坑がどのぐらいの形,広がりを持って南壁に達しているか調査することが非常に重要と考える。
    南壁の養生をどのように行うかということも最初からしっかりとした戦略を持っていく必要がある。そうしないと,せっかく盗掘坑をあけて入ろうとしてもなかなか入れないという事態にもなりかねない。施設との関係で言えば,理想的には手順だ。
  17. 植生の調査も必要である。天井石が割れた原因が木の根によるものなのか否かは不明だが,現状では根が大きく成長して入り込んでおり,そのためにどんどん石がずれていく非常に危険な様相もある。
    後の整備のことも考えれば当然必要な課題である。今から植生の問題を調査項目の中に入れて対応する必要があるのではないか。
  18. 盗掘坑から内部に入るのは可能だと思うが,漆喰壁に損傷を与えずに出入りするとなると相当危険が伴うだろう。
    調査の手順としては,まずだれか身軽な人が中に入り,状況を把握してから保存・修理と発掘調査を並行して進める。そのための足場,機材の持ち込み方などを検討しなければならない。
    発掘調査では,どのような遺物が出てくるか予測できないが,遺物搬出をどのように行うかという問題がある。狭い空間で発掘調査・遺物搬出,及び保存処理を同時に行うのは難しい。
  19. 最終的には,南壁を外せるかという問題も含めて,委員会で方向性を決めていただきたい。保存・手当をきちんとして,かつ床面の調査を行うにはどのくらいの空間が必要だろうか。
  20. 発掘調査はそのときの状況に応じて臨機応変に進めていく。
    まず盗掘坑の発掘を行うことが先決である。盗掘坑部分の土は柔らかくなっており,振動による影響は心配ない。その後,一人だけでも石槨内に送り込んでみる。それは保存科学の専門の人に見てもらわなければいけないが,その状況次第でその後の作業の方向性が決まってくる。今の段階であまり厳密な話をしなくてもいいのではないか。
    ただ,作業空間,空気の調整等を含め,覆屋についてはかなり工夫したものにしておかなければいけない。
  21. 覆屋の中で発掘作業を行うこととすると,作業のための人の出入りの区画と石室の中での立ち入り区画は,カビが入らないようにするために全く異なる区画になる。その場合,施設としてはかなり大きなスペースが必要になると考えられる。
  22. 調査の段取りにも関わってくる問題である。ある程度入口近くのところまでの盗掘坑の土を除去していく作業はオープンでやっておき,そこで覆いを作るということになれば作業は限定されるが,盗掘坑の発掘を始める段階から覆いをかけておくということになれば,相当の大きさが必要である。
    例えばオープンで盗掘坑を掘っていき,壁際までとりあえず行くという作業で,中の温湿度に影響がないと判断できれば,恐らくそれが作業としては一番楽だと思う。
  23. 墓道,あるいは墓道と盗掘坑の関係は,ある程度想定できるか。
  24. 盗掘坑の範囲は,外側から見た状況では墓道の範囲ではなく,墓道がつぶれるなどの影響はない。
  25. 要するに石槨内の状況を保ちながら,いかに調査を円滑に進めるかというところに問題は絞られてくる。それについてはワーキング・グループの方で御検討いただきながら進めていっていただきたい。
7. 閉会
次回委員会は,ワーキング・グループで覆屋の在り方を検討した上でその結果を踏まえて開催することとなった。

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