資料6

資料 6

壁画の顔料・描線等の劣化について(材料・技法の調査に関する計画案)

独立行政法人国立文化財機構
奈良文化財研究所
肥塚 隆保

Ⅰ.はじめに

 高松塚古墳の壁画を保存修理するため,石室が解体されて壁画を含むそれぞれの部材は仮設保存修理施設で保管されている。
 平成20年度から壁画の保存修理のための基礎調査,あるいは壁画の劣化原因解明のための壁画材料に係る基礎的なデータを収集することとなった。
 古墳が築造されて以来,千数百年間にわたる自然界で通常に進んでいる風化・劣化以外に,盗掘などの人為的被害や地震などの自然災害が影響して,一時的にせよ壁画の劣化は加速度的に進んだと推定される。その後,比較的安定した埋蔵環境下に存在した壁画は,発掘調査によって発見されて以来,再び急激な環境変化を受けたと考えられる。壁画が発見されて以来,その劣化の進み方は環境的要因に加えて人為的な要素が大きくかかわっていたと推定される。

Ⅱ.目的

 保存修理のための基礎的なデータ収集を目的として,現状における壁画や石材等の保存状態を把握するための診断調査(劣化・損傷状況等に関する調査)を計画している。この調査では,基本的な壁画に関する材料学的,技術的な情報を収集すると同時に,現状の損傷状態などから劣化の原因についても検討を加える。

Ⅲ.対象

 調査する対象物は,石材を含む壁画を構成する材料で,(1):「壁石や天井石などの石室石材」,(2):「石室石材間の目地漆喰」,(3):「壁画の下地漆喰」と(4):「色料等画像を形成する材料で,顔料,染料,展色材などをさしている」である。

Ⅳ.調査方法

 上記対象の調査・測定は,非破壊的手法による。ただし,石材や目地漆喰については,必要に応じて薄片を製作して偏光顕微鏡観察を実施したり,ICP,原子吸光法等により測定することがある。色料の物質同定等については,分析試料の採取はおこなわない。

Ⅴ.各対象物に対する従来の調査と今後の調査計画

(1)石材
 石室を構成する石材については,古墳石室が発見された当初から益富や梅田により調査が実施されている。「資料は盗掘時に砕かれた径10センチメートルほどの石室の破片が対象とされ,灰白色の火山灰の中に1-10ミリメートルの黒色の礫が混じっており,ピッチストーンと呼ばれる小さく輝く礫であることから鹿谷寺跡周辺にある凝灰岩であることを突き止めた」と記載されている(益富 1973)。その後,石材に関する調査はされておらず,石室解体前と石室解体後において,調査された(石室解体処理班により実施)。
 石室解体前においては,石室解体時における安全性確保の検討を目的として,石室構造と石材の劣化・損傷の程度について調査された。また,南壁石や天井石1の一部については,軟岩ペネトロ計を用いて,針貫入勾配が測定されて,その値から一軸圧縮強度が推定された。石室解体前には,石室構造や劣化の状態が把握されたが,実際の解体作業が進むにつれて,予想されたものとは異なる形状と寸法の石材が使用されていることなどが明らかになった。また,劣化の状態についても,予想よりはるかに亀裂が多く,ブロック状の割れも予想できなかった。
 石室解体後,仮設保存修理施設内において目視観察による調査が実施され,石材に生じている亀裂などの損傷状態から,各石材は3-4ランクに分類された(国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会において報告)。
 調査の結果,石材を分断する大きな亀裂が生じている石材,石材の形状に大きく影響を与えるブロック状の割れをともなう石材などは,劣化の程度が大きな石材としてとらえられ,緊急的な保存対策が立てられた。
 石材の大きな割れは剪断応力によるものと推定され,地震が大きく関与したことが考えられた。また,環境的には水分の多い環境下に存在したことも凝灰岩の劣化を進める大きな要因であったことも推定された。(リーチングテストによると主成分である火山ガラスを構成する二酸化ケイ素が溶出する)。
 石材の材質については,肉眼観察によって流紋岩質凝灰角礫岩であることが確認された。この凝灰岩は,緻密で硬い溶結凝灰岩礫や多孔質で脆いパミス礫を含む不均質な石材である(石室内部での強度,含水比等ついて検討会において報告している)。 高松塚古墳の石室石材は,キトラ古墳の石室石材の石材と同様な岩石で,二上層群下部ドンズルボー累層の鹿谷寺跡ないし牡丹洞付近に分布する岩相に相当する。
 現在,石材に関する調査はほぼ終了しており,保存修理へと作業は進められている。
(2)目地漆喰
 目地漆喰は,石室解体時に取り外された後,奈良文化財研究所・都城発掘調査部・飛鳥・藤原地区で保管されて整理作業がおこなわれている。整理作業が終了した後に,科学的な調査を予定している(薄片を製作して偏光顕微鏡下において観察,SEMによる観察など,XRDによる結晶相の同定,ICP発光分光分析,原子吸光分析法(Na,K,Pb)等による精密化学分析など)。
(3)壁画を構成する漆喰下地
 石室解体班では,石室解体前に石室内部から壁画を構成する漆喰下地の目視観察による調査をおこない,劣化・損傷状態と石材の取り上げ時における安全性について検討した(国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討委員会において報告)。
 観察の結果,漆喰の保存状態は極めて悪い状況にあると判断された。隣片状に剥落した痕跡,モザイク状,ブロック状に収縮した痕跡が随所で観察された。石室内部は長期間にわたり湿気の多い環境にあったと考えられるが,粘土が収縮したときに生じる亀甲文状(モザイク状やブロック状)に収縮した痕跡は,湿潤な環境から乾燥が急激に進んだことを示している可能性が考えられた。あるいは,乾燥-湿潤環境が繰り返されたとも考えられる。天井部分では,水分の影響により漆喰が膨潤して破壊した痕跡(カルデラの形状)が随所で観察される。
 外部からの水分の流入による鉄分の沈着による漆喰面の汚染も顕著である。版築層や目地漆喰により内部の密閉状態が守られていたが,地震によって版築層が破壊され,やがて水分や粘土粒子が流入して汚染が進んだと推定できる。流入した水(鉄分や粘土粒子を含んでいた)は壁画表面を汚染し,さらに溶解した石灰分と混じって,乾燥時には表面に石灰質の結晶を形成したと考えられる。
 漆喰が部分的にせよ壁石の面からきれいに剥落した痕跡を示して石材がむき出されている個所がある。壁石のコーナー部分が激しく損傷していることなどから,地震による強い衝撃によって,直接影響を与えたと考えられる。いずれにせよ,地震によって直接的,間接的に与えた影響は大きい。一方,人為的なものとして盗掘時に与えられた損傷と思われる連続した引っ掻き痕跡も顕著に残存する。
 漆喰下地の科学的調査は1972-1973年に実施されており,漆喰中に鉛を含むことが明らかにされた。また,漆喰の表層には,再結晶した炭酸カルシウムの薄い層が形成していることが報告され,画面の保存とも関係するのではないかと指摘された。2004年,東京文化財研究所によって壁画の色料,漆喰の調査が実施された。携帯型蛍光X線分析装置を用いた測定が実施され,壁面のすべてからPbが検出され,なかでも図像部分のPbは図像のない部分より強い反応を示したことが報告された。石室解体後において,本格的な調査は実施されていないが,一部,試験的に蛍光X線分析が実施された。現在,蛍光X線分析装置を取り付けるための治具の設計と製作に取り掛かっている段階である。今後,材料調査班では,実態顕微鏡やファイバースコープによる漆喰下地の保存状態に関する観察,蛍光X線分析法による調査を計画している。
(4)色料等の彩色部(黒線を含めて)
 壁画にもちいられた顔料については,1973年に公表され,ベンガラ,朱,黄土,緑青,群青,墨,金,銀が記載されている。また,漆喰下地の鉛白の鉛同位体比測定がおこなわれたが,別子型鉱床の鉛の領域に分布するが,その産地については不詳である。その後,科学的な調査は中断しており,東京文化財研究所が実施した光学的調査(携帯型蛍光X線分析,可視域励起による蛍光撮影,赤外線画像)が最新のもので,多くの成果が得られると同時に,問題点も指摘された(国宝 高松塚古墳壁画 文化庁監修 2004年)。主なものを以下に紹介する。
  •  今回の調査結果で最も特徴的なのは鉛がすべての測定箇所から検出されたことである。下地の漆喰層に直接彩色をしたのではなく,鉛を含んだ材料によって彩色下地を作り,その上に絵を描いていたと推定できる。
  •  黒いカビの発生箇所についても測定を行ったところ,鉛検出量は他の箇所に比べて一様に少ないことが明らかになった。カビの発生と鉛存在量との関係は明らかになっていないが,彩色が存在しない部分や表層が剥落した箇所にカビの発生が多く見られることから,鉛を含んだ彩色下地の存在がカビの発生に何らかの影響を与えている可能性が高い。
  •  今回の調査で女子の上衣の赤色や黄色から,HgやFeを検出しなかったということは,それ等の色の彩色部分は少なくも顔料ではなく染料に依っていると見なければならない。
  •  女子の黄色の上着も光の吸収より発光を示している。これ等の状態は蛍光?線分析による分析結果と適合するものであり,染料による彩色の可能性は確実性が高いというべきである。これ等の部分を高精細デジタルカメラによるカラー画像で見ると,顔料による彩色らしくはなく,上衣の赤色の彩色は,如何にも染料で彩色したと思わせる筆の跡を見ることができる。染料の使用は疑いを入れないと思う。
  •  蛍光画像での注目すべき部分は男子の緑色や青色の上衣,緑色の蓋,女子の緑色の上衣,裳の緑色や青色,更に青龍の胴や玄武の後足の付け根,蛇身など線色と見える部分等から薄紫色の輝きが斑状になって写し出されていることである。それ等の部分からはみなCuが検出されており,緑青や群青が光を吸収して暗い斑を作っているということになる。しかし青色の上衣とされた彩色を見ると,青色が単独にあるのではなく緑色と併存していることが観察される。しかも蛍光画像を見ると,その青色が薄れている部分においても薄紫色の輝きが写し出されている。更に細部を見ると,緑色が鮮やかに見える部分で却って薄紫色の輝きが強く現れている。緑色の彩色部分も緑色である緑青が単独に在るのではなく,別々の色料と共に在ることを示している。このような彩色の状態は青龍の鱗の表現にも認められる。薄紫色の輝きをコンピューター処理した画像を見ると,その輝きは緑色や青色の部分全休に及んでおり,薄紫色の輝きを発する色料は彩色の上層部に在ると判断される。この判断を高精細デジタルカラー画像で補完すれば,輝いて写っている色料は青色であることが理解されるであろう。では,この物質は何であるのか。青龍の肌の部分で分光分析した結果,その分光曲線はラピスラズリに一致することが判明した。

 これら従来の成果と問題点をふまえて,再調査することを計画している。基本的には観察調査と分析調査を計画している。
 観察調査にあたっては,ファイバーを用いたCCDカメラによる顕微鏡観察,可変波長光源装置(ポリライト)を用いた蛍光反応に関する調査,赤外・紫外線による調査を計画している。とくに,白虎の描線部分について精査する予定である。
 分析調査については,蛍光X線分析法,蛍光分光分析(可能であれば3次元蛍光がのぞましい)等を予定しているが,有機系顔料,有機染料の同定等についてはかなり困難であると予想される。

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