資料3

資料 3

発見当時の壁画の状況について

※文中の下線は事務局で付したもの

1.昭和47年3月1日〜4月5日 明日香村・橿原考古学研究所・関西大学等調査
3月21日 高松塚古墳壁画発見

昭和47年10月『壁画古墳 高松塚』

壁画面の現状についてのみを記した項目はない。

2.昭和47年4月6日・17日 第1回 高松塚古墳応急保存対策調査会調査

昭和47年7月『高松塚古墳応急保存対策調査会中間報告』

Ⅱ.調査の結果

C 石室壁画面について

(ⅰ)現状
石室内は,凝灰岩切石の表面に,厚さ2〜7ミリメートルの石灰層(いわゆる漆 喰)が形成されている。その表面は,もともと平滑であったと思われるが,それに薄い顔料層から成る彩画がある。
 壁画の保存状況は,南の盗掘口から流入した土砂の影響を受けた部位が悪い。とくに,南壁は,ほとんど石灰層がすべて剥離している。
 東西両壁では,南に高く,北側に低く,楔形に,損傷と汚染が生じている。とくに顕著なところでは,酒粕状に石灰層が剥離している。また,天井の星宿の金箔にうちには,落下寸前のものが数か所あった。

 切石の目地のところでは,石灰層に亀裂がある。天井の切石目地からは,その時期は不明だが,流水があったらしく,その部位から下へ東西両壁面の一部に,赤褐色の汚染が見られた。
 壁面の石灰層は,もとは強固であったらしい。それは,盗掘時に固い刃物様のもので掻き取った痕跡から推測できる。
 しかし,長年月の間に,地下水が石灰層に供給され,その可溶成分が流出し,あるいは石材にしみこみ,あるいは壁面上を流れ,そのため,石灰層は,漸次粗鬆となり,脆弱化したと思われる。一部には,石材面から剥離し,ふくらんだところが,その後陥没しているのが,観察されたところもある。

 現状の観察からすると,壁画の保存の問題は,彩画層の粉化,彩画層の石灰層からの剥落,石灰層の粗鬆脆弱化,石灰層の石材面からの剥落,以上の4点にまとめることができる。
(ⅱ)石灰層について
 壁面に塗られた石灰,いわゆる漆喰について,橿原考古学研究所から試料の提供を受け,定量分析をおこなった。分析に際しては,試料を100℃で乾燥後,塩酸に溶かし,不溶解物を除去し,カルシウムとマグネシウムを定量した。その結果は表1の通りである。(表は省略)
 この結果によると,石室壁面にあるいわゆる漆喰は,純度の高い炭酸カルシウムであると判定できる。
 また,石灰層には,砂やスサの混入も認められなかった。

昭和47年9月30日〜10月10日 第2回 高松塚古墳応急保存対策調査会調査

(10月1,3〜6日 に総合学術調査会調査,8,9日に写真撮影を実施)

昭和47年11月『高松塚古墳応急保存対策調査会調査報告』

Ⅱ.第2回現地調査報告

B 調査結果

3 壁画の保存状況
 壁画の保存状況については,調査の全期間を通じて観察し,その状況を写真に記入した。保存状況は,一般に,剥離,亀裂,脆弱化,剥脱,微小欠損,機械的損傷,汚損に分類できる。
 剥離個所は,ふくれあがっており,天井で見られるものでは,その中央が離脱欠損しているものがあった。
 細かい亀裂は広く点在しており,老化が進んだ部分は全体に脆弱化し,やがて剥脱する運命にある。さらに数ミリメートル程度の微小欠損は全体にみられ,また鉄分を含む流水の赤色痕跡が東西壁で顕著に見られた。
 壁面の保存状況をより詳細に調査するために,拡大写真を撮影したが,その際,炭酸ガスによる石灰面上の再結晶の現象が確認された。保存状況調査のためには,総合学術調査の際に撮影された絵画部分の拡大写真の分析も今後必要である。
 9月30日の開口当初に剥離落下していた部分は,東壁南第1石の向かって左下にあたり,今春の調査の際にすでに酒粕状になって剥落寸前であったところであって,10月1日に剥離落下した部分もそれに南接するところであった。落下した石灰層の裏面は,切石表面との間に植物の根部が網状に存在していた状態を示しており,これが石灰層の切石面からの剥離の一つの大きな原因であることを考えせしめた。
 壁画の保存状況の危険性については,フランスの2名の専門家も指摘しており,上空を飛行するヘリコプターの振動すらも共鳴によって剥脱を誘発することがありうると語っていた。なお,フランス人専門家によって,壁画がフレスコ技法によると思われるとの所見が述べられ,今後の保存法の検討に注意が与えられた。

昭和48年3月 高松塚古墳総合学術調査会『高松塚古墳壁画』

「高松塚古墳壁画調査報告書」

二 壁画概要
 ここで壁画の損傷状況について概略を述べておく。
 まず壁面は切石の接合部分で漆喰層に亀裂を生ずるほか,西壁上部などにはこれに起因する漆喰層の剥落がある。また天井と側壁の切石の接合部分の一部から下辺にかけて鉄分を含んだ水の滲出による赤褐色の汚染があり,このため東西両壁の男子群像および青竜の一部が著しく不鮮明になっている。
 南壁の盗掘孔から流れ込んだ土砂は床面に対して約二〇度の傾斜で北壁の近くまで達し,これが原因で土砂に埋れていた部分の漆喰層は著しく汚染と粗鬆化を来たし,かなり広範囲に剥落する。東西両壁男子群像の下辺はこれが原因で著しく不鮮明になっている。
 その他,画面の剥落の著しい個所は,東壁女子群像の頭部および腹部,西壁男子群像の一部,青竜の尾部周辺,日輪の下辺などに見られる。このうち東壁女子群像の腹部の剥落は,盗掘時のものと思われる擦傷に起因しており,そのためと思われる金箔の付着が明瞭に認められる。また類似の擦傷は青竜の上部,白虎の下部,西壁男子群像の下辺にもみられる。
 この外,玄武の中心部には意識的に掻き落したとみられる切石に及ぶ掻き傷状の打痕があるほか,日輪,月輪の中心部にも金箔や銀箔を意識的に掻き取った形跡が認められる。なお,壁面の各所にこれらに起因すると思われる金箔の小断片の付着がある。
 最後に切石の損傷について一言すれば,天井の南寄りの二枚の切石は,そのほぼ中央部に亀裂があり,また西壁の南寄り第一,二の切石の境目にも亀裂が入っている。

4.昭和50年5月 修理のため斜光による壁面の現状撮影

→ 参考 増田勝彦「高松塚古墳壁画修理記録原図の作成」

5.昭和51年9月〜52年2月 第1次修理

昭和52年5月 『国宝・高松塚古墳壁画修理報告書(中間報告)』(文化庁)

高松塚古墳壁画の修理について

Ⅰ 壁画の構造と損傷の状況
高松塚古墳壁画は凝灰岩の切石を組み,内壁に消石灰を塗り(以下漆喰と呼ぶことにする),顔料で,東西の側壁に男女各一組づつの群像と青竜,白虎を,北の壁に玄武を各々描き,天井に星宿を表している。 漆喰の塗り方は丁寧であり,特に絵を描いている部位は入念に施工している。壁画が今日まで保たれた大きな技術的要因である。しかし,現在では表面的には損傷も少なく比較的健全と見られる部分でも漆喰層の中層部が弱くなっていると見られるところが多い。以下は外見上の損傷を中心に記述するが,損傷の実態は複合的であり,修理施工にあたってはそれ等の損傷を壁画の上記の構造的な変化や損傷と併せ,総合的に把握する必要がある。
1 顔料層の状況
過去における顔料の剥落や,表面を水が流れて顔料を洗い流してしまったような痕跡が認められるが,現在では比較的安定した状態である。ただし,漆喰層の表層が浮き上り,表層と共に剥落する恐れのある部分がある。
2 漆喰層の損傷の諸態
a 漆喰層の剥離
漆喰層は天井壁,側壁と天井壁との接合部,側壁底辺部を中心に数多くの大きな面積の剥脱があり石面が露出しているが,その開口部の周辺では漆喰層が盛り上ったようになり,石切面から剥離していることが多い(図11)。漆喰の剥脱は往々楕円形を成しているが,次に述べる漆喰層のふくれと密接に関係すると見られる。側壁を斜めから観察すると相当の起伏が認められ,漆喰層の剥離は広い範囲にわたり散在すると判断される。
b 漆喰層のふくらみ
漆喰層が部分的にたるんだように脹れ,あるいは半球状に脹れる現象である。前者は側壁の上端部に認められ剥落の危険が大きい。後者は東壁女子群像の壁面に多発している他,北壁にも認められる。東壁の女子群像では押し漬されているものもある(図9)。天井部の剥脱は多くの場合,この脹れが生長した結果と見ることができるようである。
c モザイク状の小片化
漆喰層のモザイク状の小片化(5ミリメートル角程になってしまう)は損傷の最も代表的な形態であり,天井壁,側壁共随所に認められる。表層の剥離と共に早急な処置を求められる損傷である。剥落の危険度はその位置と周辺の状況によって異なるが,当然のことながら位置的にも天井壁の危険度が高く,なかでも漆喰層が大きく剥落して開にした部分に生じている場合は特に危険な状態にあると見られる。
このモザイク状小片化の分布状況は天井壁に最も大く,しかも一つの小片が剥落すると次の小片の剥落を喚び起しかねない状態となっていることが少なくない。特に星宿が多数描き配されている二枚目と三枚目の切石の接合部の附近の状態は表層剥離も生じ,辛うじて保たれているとよい程である(図21)。
漆喰層の損傷の代表的な形は以上の如くであり,この他,漏水や盗掘口からの土砂の流入等によって,汚染と相当の損傷を受けており,各部分の損傷の様子は千差万別の感がある。 このような剥脱した部分を含めた損傷の分布を概括すると,高さ関係では絵の描かれている中位の部分よりその上と下が,方位では東側より西側に多いということができる。

6.昭和53年9月〜59年11月 第2次・3次修理

昭和62年3月 『国宝高松塚古墳壁画-保存と修理-』(文化庁)

●渡邊明義・増田勝彦「高松塚古墳壁画の損傷状況とその修理」

2 高松塚古墳壁画の損傷の様態
漆喰壁には様々な損傷の形が見られる。剥離,亀裂,表層の剥落,漆喰層のポーラス化,陥没等である。
 剥離は円形に剥落した周辺で一般的に観察されるが,剥離は剥落周辺部にとどまらず,かなり深くなっている。西壁では盗掘口から見ると女子群像が描かれている壁で全体的に波うったような緩やかな起伏が感じられる。この壁画では半球状の膨れが多く見られるが,これは高松塚古墳壁画の特徴的にして,典型的な剥離の形である。天井壁の円形状の剥落の周縁はやや盛り上がったようになっており,このように半球状に膨れ,剥落していったのではないかと考えられるが,半球状の膨れの生長は剥離の拡大を意味するから注意を要する。
 この半球状の膨れと,円形の剥落の周辺を観察すると皺が生じていることがわかるが,壁の隅ではこの皺が必ずといってよいほどに生じている。おそらくこの皺は,その部分で漆喰壁が浮き上がり,進行しつつあることを示すであろう。
 漆喰壁の異状で特に目立つのが亀裂である。亀裂は網の目状に不定形に生じている。一つの一亀裂は3?の方眼に入るほどに小さくなっており.しかも割れ目の隙間が広い。これは収縮した結果で,剥離の危険は高い。この亀裂は側壁面に多く認められる。天井壁にも亀裂が前面にわたっており,その位置もあって剥落の危険は特に高くなっているが,亀裂の形状は側壁のそれとは異なっている。
 側壁面の亀裂の周辺では,往々,部分的に陥没したように断続する不完全な亀裂が認められる。亀裂の成長過程を示すようでもある。
 壁画の異状の中で,軽く見られそうな異状ではあるが,注意を要する異状として小さな陥没がある。この陥没は女子群像や四神などの絵の中にも生じ,また,比較的状態のよい西壁・白虎の辺りでも生じているように,全面にわたっているといえる。この陥没は押されて生じたのものではなく,自然発生の異状である。
 このような状態から,漆喰壁は表面が緻密と見られる部分も含め,全体に層の内部がポーラス(密度が弱くがさがさとなった状態〕になっていると判断される。この点はモーラ氏の最初の調査でも指摘されている。原因についてはモーラ氏は炭酸ガスの影響と見,江本・三浦両氏は過剰な水分の影響と考えているが,漆喰壁の異状は全体的に水分が大きく作用していると見られる点が多いようである。
 彩色面には部分的な剥落や流れたような損壊があるが,現状では安定していると判断される。
 高松塚古墳壁画は,自然条件の中での異状の外に,人為的な損壊とその影響も受けている。日月・玄武は故意の破壊を受けており,天井には鑿の跡も多く残っている。
 盗掘人たちはまず天井石を壊そうとしており,そのために石に割れ目が生じたが,それを果たせず南壁に掘り進んで南壁を壊して中に侵入している。このためこの盗掘□から多量の土砂が入り,天井石の継ぎ目からは鉄分を含んだ泥水も漏水するようになってしまったようである。土砂は斜めになってなだれ込み,側壁底部には吃水線のように褐色の汚れがついていることから水も溜まったことがあった。
 こうした状況の激変が,漆喰壁の状態の変化を更に助長したと思われる。土砂に埋まった部分の漆喰壁は壊滅状態であり,漏水のあったところで漆喰が切れるように剥落している部分もあり,影響の大きさは容易に類推することができる。

●参考 増田勝彦「高松塚古墳壁画修理記録原図の作成」

 昭和50年5月,修理原図を作成するために,石室の各石面を約16分割した斜光照明によるカラー写真撮影が,修理担当者の手によって行われた。その写真の整理と保管は,東京国立文化財研究所修復技術部で行っている。
 撮影の際には,焦点を固定したとはいえ,カメラの手持ちの撮影のうえ,石面の16分割も目測によるものであったので,そのまま合成して大画面とすることができるような写真ではないが,1枚ずつ独立して使用する時には,修理記録用として十分に役立つ。原則として画面右上からのストロボ1灯による斜光照明であったが,石室の隅近くや天井近くでは,真横,または,やや下からの照明で撮らざるを得なかった6センチメートル×6センチメートルカラーネガフィルムで撮影し,四つ切り判の印画紙にノートリミングで焼付けして,2組を用意した。1組を東京国立文化財研究所に,1組を現地に保管して,修理に利用している。東京の1組は,処置個所記録用のコピーを作ったり,修理中に撮影した写真の整理をする時に参考とするためである。
 写真には,斜光照明による影で漆喰層の凹凸が強調されているが,漆喰脱落部分では,影のできる側の剥落が強調されている割には,光源に向かって口があいている剥離が,実際よりも控え目に映っている。
 その写真を,できるだけ薄いコピーにとり,記録用紙とする。ただ,茶色系と灰色が紛れてしまうため,写真を見ながら損傷部の輪郭線を鉛筆で描き起こさねばならない。
 このコピーには,修理作業中に注入したパラロイドB72トリクロルエチレン溶液の濃度と注入箇所などを記入していった。修理が進むにつれて,写真撮影した時には映っていた漆喰が落下して,すでに石面が露出している部分も確認されるので,その箇所を記録する。たしかに,主に天井からの小片の落下は継続していたのである。それが,大面積の剥落へとつながる前に,修理作業を進行させねばならない。(以下略)

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