資料 7

資料 7

壁画の下地漆喰・顔料・描線などの劣化に関する調査

奈良文化財研究所 肥塚 隆保

1.はじめに

 高松塚古墳壁画の下地漆喰・顔料・描線などの劣化原因を調査するため,検討会においてさまざまな非破壊的手法の適用に関する提案をしてきた。一方,調査にあたっては,安全な方法によることが必須となるため,これまで各種の測定機材を取り付けるフレーム(以下,測定用フレームとする)の設計,試作についても準備状況を報告するとともに検討を頂いて,平成20年10月初旬に製作が完了した。測定用フレームは,仮設修理施設に搬入して(10月14日)各種機材を取り付けて実用試験をおこない,安全性を確認して調査を開始した。
 今回は,石室解体前に取り外した余白漆喰の小片を用いた基礎調査と西壁2(白虎)の調査の現状について報告する。ただし,西壁2については調査を始めたばかりで,予備調査的な段階にあり,これまで得られたデータを紹介するのみで十分に検討して,結論づけた報告内容ではない。以下,調査概要についてPWと併せて報告する。

2.基礎調査

(1)マイクロフォーカスX線CTを用いた調査

 下地漆喰の内部構造および漆喰と鉛白(鉛成分をここでは便宜的に鉛白と仮定する)の関係,つまり層構造もしくは,混合物を成すものかを調べるため,石室解体前に取り外した余白漆喰片(西壁石2-3の間)を試料としてマイクロフォーカスX線CTを用いて2Dスライス画像を構築した。当初,X線CTを用いてCTnumberを測定して密度分布を詳しく調べる予定であった。しかし,照射X線エネルギーが70-80KeVと小さいため,精密な密度分布を求めることはできないため,画像の階調差でもって観察するにとどめている。なお,今回,使用した試料の厚さはほぼ5mmで,比較参考試料としてSGT-7,Calciteを用いた。

図1.漆喰断面2Dスライス画像(漆喰層厚は約5ミリメートル)

 構築された2Dスライス画像を観察したところ,石材側(図1の左側)に密度の高い層が形成しているが,壁面側(図1の右側)にはこのような層は形成していない。つまり,壁面側に鉛白の存在を示す層構造は観察されておらず,次に示す(2)蛍光X線分析調査の結果とも合致する。なお,石材側に形成している層はほぼ30-50μm前後で,推定密度は3.0前後で,CalciteもしくはAragoniteに近似すると推定できる。つまり緻密で新鮮な漆喰層が石材側に残存しているのかもしれない。また,漆喰層全体については,不均一でポーラスな状態になっていることも推定される。しかし,非破壊的な調査では限界があり,薄片を製作して断面の偏光顕微鏡による状態観察や,X線回折法と併せて鉱物種の同定を実施することにより,現状の正確なデータを得るばかりでなく長期間にわたる漆喰の劣化過程を推定する手掛かりとなる。なお,今回の実験に用いた試料片は,西壁石2と西壁石3にまたがる端部を確認したのみで,壁画全体についての構造を示すものではない。

(2)蛍光X線分析法における基礎調査

 壁画の下地漆喰・顔料(色材)等の調査において,蛍光X線分析法の適用を提案してきたが,安全性上できるだけ軽量,小型で,X線照射においても小線量でかつ検出感度が優れる機種で,かつ,測定操作はリモートコントロールにより,壁画上での操作の必要がないことが望ましい。これらの条件を満たす測定装置(Niton社製携帯型蛍光X線分析装置XLt500)により調査をおこなうこととした(測定条件は,励起電圧:40kV,電流:10μA,試料―装置間距離:7-8mm)。なお,以下の基礎調査?,?においては,壁画の測定時と同一条件下において実験をおこなった。

(1) CaCO3-PbCO3(二成分系)におけるPbCO3の検出限界とPbCO3濃度と検出PbLα線強度(ここではC.P.Sを便宜的に強度とする)の直線性について調べた。
 その結果,CaCO3-PbCO3の二成分系におけるPbCO3の検出限界は,ほぼ0.1%以下である。0.5%濃度においては,十分な検出感度が得られることが確認され,10%程度の含有量までは直線性が良好であった。一般に,蛍光X線分析法においては,軽元素中の重金属元素の検出感度は良好なことが知られている。

(2) 実際の壁画の測定においては,壁画面とX線装置間距離は一定しないので,CaCO3-PbCO3(二成分系)におけるX線間距離とX線強度(c.p.s)の変動について調べた。
 その結果,X線間距離の変動については,距離が大きくなれば,指数関数的に検出されるX線強度(c.p.s)は減少するので,測定にあたってはX線装置と壁画表面の間距離を一定範囲内にすることが必要なことを示している。実際の壁画の測定にあたっては,上下距離調整が可能であることから,基準値を7mmとして-2mmから+3mmの範囲で測定する予定にしている。Pb/Caの含有量が一定である場合は,PbLα/CaKα(c.p.s)の値を比較することによって,壁画表層に鉛白が塗布されているかは十分に判別できる(距離が大きくなるにつれてPbLα/CaKαは少し大きくなる)。

(3) X線CTで用いた試料の断面および表裏面の蛍光X線分析による測定を実施して,鉛成分の分布と含有量の推定をおこなった(エダックス社製イーグル?使用)。なお,測定にあたっては,100μmのスポット径を用いた。壁面側の表面,断面部(断面方向に測定),石材側の表層部について蛍光X線分析法による測定を実施したところ,特に鉛成分が多い部位は発見されなかった。平均的にはほぼ0.3%前後含有していると推定された。以上,CTによる調査と分析の結果から,漆喰は層構造を成すものではなく,わずかな鉛成分(鉛白)が混ぜられていたことを示し,従来から指摘されている内容と矛盾するものではない。ただし,下地漆喰の位置によって異なる結果が得られることも予想される。

3.西壁石2(白虎)

 高松塚古墳壁画のなかで最も劣化が進んでいるとされている西壁石2について,観察調査と分析調査による現状の把握と,劣化原因等の解明にむけたデータの収集を開始した。現在,調査は始められたばかりで一部のデータしか収集できておらず,十分に検討された内容でないことを了解いただきたい。また,データの収集と検討を進めながら,調査法についても再検討する必要がある。

(1)観察調査

 (1) 観察手法においては,安全上,壁画上で顕微鏡をセットして観察できないので,デジタルカメラのマクロ機能を利用して拡大観察と撮影をおこなった(撮影装置:リコー GX-100,光源:HOZAN L-701)。画像観察については,リモート機能を用いて,安全な位置においてLCD上で観察して,必要部分について記録した。また,20〜100倍におよぶ実体顕微鏡レベルの画像については,ファイバースコープを用いた観察をおこなった(装置:オムロン ファインスコープVCR800,外部光源:Hama LED)。
 以上の観察調査の結果,1972年に撮影された白虎画像と比較して描線や色材が薄れて消失しかかっている部分については,主に二つの理由が考えられそうである。第一点は,実際に描線や色材自身が薄れているか,もしくは消失して詳細な観察においても確認できない。第二点は,描線や色材の上に二次的な物質が覆って,これらが見えにくくなっている。もちろん,描線などが薄れた上に二次的な物質が覆っているケースも考えられる。これらの二次的な物質は,乳白色を呈し脂肪光沢を有する皮殻状,時に流理状であったり,乳白色ないし淡黄色を呈する顆粒状ないし葡萄状などである。石灰質物質の可能性や生物起源のゲル状物質なのかもしれないが,現状においては同定できていないが,現状においては安定しているようにも見える。

 (2) 可視光以外の光源を用いた予備的な調査も一部で実施した。描線や色材などの状態を調査するため,実験的にハイビジョンビデオカメラのナイトショット機能を利用した観察と撮影をおこなった(機材:ソニーHR-3,シャープカットフィルター:IR76,IR82)。また,実験的に紫外光源を用いて,石材断面側の目地漆喰が残存する部分に照射したところ,青白色(365nm使用),淡赤色から鮮赤色(254nm使用)の蛍光らしき光を肉眼的に確認できたので,?の調査で必要と判断した部分についても試験的に適用した(機材:ニチカ UVSL-26P 6W放電管使用)。ただし,今回の調査は実験的要素を含むので励起光源に用いた照射光カットフィルター,バンドパスフィルターは使用していないので,厳密には蛍光であるとは断定できない。なお,画像記録にあたっては?のデジタルカメラによった。

左側写真:図3a.爪の上部には,乳白色の物質が覆っている。右上は高松塚古墳総合学術調査会1773より引用。(左前脚爪)
右側写真:図3b.赤外線画像では,乳白色物質の下に敷材が残存していることを示唆している。

(2)分析調査

 現在,分析調査にあたっては,蛍光X線分析法を適用している。フレームに装置をとりつけて,リモートコントロールによって操作をおこなっている。測定箇所は壁面上を5cmメッシュで測定する。横方向に線上をほぼ18ポイント,縦方向は,下部の土に覆われていた部分までを予定するとほぼ18ラインとなる(機材:Niton XLt500, 励起管電圧:40kV,電流:10μA, 試料間距離:7mm±)。その他色材部分など必要な個所についても測定を予定する。なお,分析位置の確認は機材先端に取り付けたCCDカメラにより確認している。
 現在,測定が終了したのは7ラインにすぎず,壁石2の特徴を把握するに至らないが,以下の結果が得られている。

左側写真:図2a.色材そのものが薄れている 例。(舌部分)
右側写真:図2b.描線上を二次的物質が覆っている例。(左前脚輪郭線)

  •  (ⅰ)漆喰の存在する部分からは必ず鉛が検出されている。
  •  (ⅲ)カルシウム強度(CaKαのc.p.s値)が小さく,鉛強度が大きくなる(PbLαのc.p.s値)部分は,漆喰層の上に鉛(鉛白らしきもの)層が存在していると考えられる。月像のすぐ上,朱線の雲部分,白虎頭部分,白虎の顔周辺で図像を取り囲むように鉛が分布している(鉛白が塗布されていた可能性を示すのかもしれない)。
     図像のない部分では,PbLα/CaKα(c.p.s)は,ほぼ一定している傾向を示し,基礎実験の結果からも漆喰中に鉛が混合されていると考えられ,PbLα/CaKα(c.p.s)が大きくなっている部分では,前述のように漆喰層の上に鉛白が塗布されていたと考えられる。この結果については,従来から東京文化財研究所の調査(高松塚古墳壁画 2004年)によっても指摘されていることで,今後の調査でも同じ結果が得られそうである。
  •  (ⅳ)月像から垂下する白色部分は,鉛成分が特に顕著な部分である。紫外線によっても著しい蛍光?を発し,近辺にも及んでいる。今後詳しい調査が必要な個所でもある。

 なお,今回は分析結果を報告するには至っていないが,ファイバープローブ方式の分光光度計を用いた色材等の調査(可視分光分析)を開始している。先日(12月9日)報道発表したように,11月25日にこの分析によって壁面の一部を損傷した。今後はより安全に分析を行うことができるような体制を確立するため,一層の検討を重ねる必要がある。

4.まとめ

 現在,劣化が最も顕著であると指摘されている西壁石2(白虎)から調査を開始した。観察調査と分析調査を継続しており,データを収集している段階である。白虎画像は,発見当初に比べて描線や色材が顕著に薄れているもので,描線や色材が消失しているのではないかと指摘されてきた。実際に描線などが消失しかかっている部分もあるが,二次的な物質がこれらの表面上を覆っていることが原因で,薄く見える部分が存在することなどが明らかになりつつある。また,今回は報告していないが,ファイバープローブ方式の分光光度計を用いた色材等の調査も実験的に開始しており,新たな分析手法の導入についても検討をはじめている。

 (参考資料)
 漆喰下地の科学的調査は1972-1973年に実施されており,漆喰中に鉛を含むことが明らかにされた。また,漆喰の表層には,再結晶した炭酸カルシウムの薄い層が形成していることが報告され,画面の保存とも関係するのではないかと指摘された。2004年,東京文化財研究所によって壁画の色料,漆喰の調査が実施された。携帯型蛍光X線分析装置を用いた測定が実施され,壁面のすべてからPbが検出され,なかでも図像部分のPbは図像のない部分より強い反応を示したことが報告された(検討会2資料6)。

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