国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策について

平成15年6月26日
国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会
報  告
目次

はじめに

  1. 石槨内及び墳丘の現状
  2. 調査研究の経緯
  3. 緊急保存対策のための調査概要
  4. 「国宝高松塚古墳壁画」の緊急保存対策について(提言)

参考資料

  1. 国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策に関する調査研究について
  2. 国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会委員名簿
  3. 国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会ワーキンググループ名簿
はじめに

奈良県高市郡明日香村に所在する高松塚古墳は、7世紀末から8世紀初めに築造された古墳であり、石槨内部に星辰(星宿)図、日月象及び四神図、人物群像が描かれた壁画古墳として、昭和48年4月に特別史跡に、壁画は昭和49年4月に国宝にそれぞれ指定された。
昭和47年に高松塚古墳壁画が発見されて以来、国内のみならず外国からも専門家を招聘して保存及び修理の方法について慎重な検討を重ねた結果、壁画を現状のまま現地保存する措置を講じることとし、国においてこれまで保存管理を行ってきた。
壁画の状態については、発見以来行われてきた保存措置によって約30年の間安定した状態で推移したため、ここ10年は年1回春の時期に定期点検を行っていた。
しかしながら、平成13年2月に石槨前の取り合い部壁面強化工事を行った後、同年9月に1年半ぶりに定期点検を行ったところ、石槨内に複数種の黴が発生する状況となったことから、点検回数を増やし黴の早期発見とその処置に努めてきたところである。
現在のところ、黴による壁面の汚染は、幸い絵画部分にまでは及んでいない。しかし、昨年10月以降、石槨内部に大量の虫の侵入が観察されるなど、高松塚古墳を取り巻く環境が何らかの要因で変化した可能性が考えられ、従来の処置法だけでは対応できなくなるおそれがある。
以上のことを踏まえ、平成15年3月12日文化庁長官決定によって、国宝高松塚古墳壁画の緊急保存対策について、専門家による検討を行うことを目的に、「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会」が設置された。
本検討会では、現地調査及び本検討会内に設置された作業部会による調査・検討結果を踏まえながら、本年3月19日以降これまで3回にわたる審議を重ねてきたが、このたび、その結果を取りまとめた。
ついては、国におかれては、この結果を踏まえ、国民の貴重な文化遺産である「国宝高松塚古墳壁画」を後世に護り伝えていくためにも、早急に所要の措置を講ぜられることを切に期待するものである。

1.石槨内及び墳丘の現状

(1) 石槨内の現状

 壁画が描かれている石槨壁面は、表面を平滑に加工された角礫凝灰岩面にカルシウムを主成分とする漆喰を3ミリから5ミリ厚で塗って下地とし、その上に絵画が描かれている。壁面漆喰層からは鉛が検出され、絵画部分ほど鉛分が多い。漆喰層の状態に当初から大きな変化はないが、すでに劣化が激しく、完全に剥落した部分、かろうじて粉状になって岩面に残っている部分も多く、一見健全に見える部分も構造的に空隙が多く、きわめて脆弱な状態である。
平成14年10月に発生した黴により、壁面には黴による汚損が、特に東壁女子群像下方や青竜後方、西壁白虎下方等に生じている。
この黴の発生直後からアルコールによる処置を行った結果、現在のところこの黴の拡大はみられず、壁面に痕跡を残すほどの発生も見られない。しかし、黴痕が新たな黴の栄養源になる恐れがあり、油断できない状態である。

 (2) 墳丘の現状

 墳丘部は、保存施設建設のため石槨の南側墓道部分を中心に発掘がなされ、さらに墳丘東側裾部近くの2か所にトレンチ調査(試掘調査)を実施したが、その他の墳丘部は未発掘のままである。保存施設建設後、この施設の上面から石槨上部にかけて封土がなされ、封土部分にはシャガやササが植えられたが、従来から墳丘上に生えていたタケや灌木類は、環境を変化させないようにそのまま手を付けなかった。
30年の経過により、タケが次第に他の灌木類を圧倒して繁茂し、シャガやササ類など下草は姿を消した。また、大木化していたモチノキ3本は、衰弱し枯死した。

2.調査研究の経緯

 美術史、保存修復技術、保存科学、考古学の専門家で構成される「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会(以下「検討会」という。)」は、平成15年3月18日に第1回検討会を開催、3月25日には現地調査を実施して、高松塚古墳壁画及び墳丘の現状把握を行った。
壁画保存対策で検討すべきことは、(1)黴の発生原因と再発の防止について、(2)黴により汚染された壁面の処置についての2点である。このような視点から、検討会では調査研究すべき基本的事項を列挙し、各項については要請される専門的知識を有する専門家で構成される作業部会を設置し、その具体的な検討を要請した。
作業部会のメンバーは、当初は、修理技術者、地球科学、合成樹脂、黴、光化学の専門家で構成されていたが、墳丘の環境変化の調査が不可欠であることから、考古学、森林育成学、地盤防災解析の専門家を後に追加した。
3月27日から6月16日までの間、5回の作業部会を開催し、独立行政法人文化財研究所の協力を得ながら(1)調査事項・調査方法を決定、(2)主として現地において各種調査を実施、(3)その調査結果についての検討を行った。
その調査・検討結果の報告を踏まえ、4月21日及び6月19日開催の検討会において、国宝高松塚古墳壁画の緊急保存対策についての具体的な検討を行った。

3.緊急保存対策のための調査概要

(1)黴について

  1. (1)石槨内壁面に黒い痕を残した黴については、既に黴が死んでいたため培養検査によっても正確な黴の同定ができなかった。しかし、平成13年12月に取り合い部及び石槨内から採取したサンプルの培養検査により、石槨内に褐色の胞子を作るFusarium sp., Cylindrocarpon sp., や、黒色の塊を作るGliomastix sp. が検出されており、これらが黒い痕の原因となったと推測される。なお、同時期の調査では、石槨内の黴のうち、Cylindrocarpon sp., とGliomastix sp. は取り合い部では検出されていない。
  2. (2)有効な黴の除去方法を確立するため、作製した壁面サンプルに彩色し、黴を生育させた試料を用いて、種々の処置方法による黴の除去実験を継続中である。
(2)石槨内

 壁面に関して、肉視による観察のほか、赤外線水分計測・温度分布測定・蛍光X線分析等を行ったほか、浮遊真菌採取・炭酸ガス濃度測定等を実施した。
  1. (1)現在、壁面を観察すると、おおよそ以下の3通りの現状を示している。
    1. 表面は滑らかで、ある程度の強度を保っている部分
    2. 表面が若干荒れていて、細かな凹凸があり堅牢性に劣る部分
    3. 漆喰が劣化して砂状になりつつある脆弱な部分
  2. (2)肉視による観察では、自然に剥落や欠損を生じるほどの緊急性を要しているようにはみえないが、漆喰層や顔料層の中で劣化が進んでいる可能性もある。
  3. (3)平成14年12月と平成15年4月に赤外線水分計による壁面の水分分布調査を行った。二回の調査の結果、壁面の含水率は一様ではなく、特に東壁中央部及び北側下方、北壁下方、西壁中央部下方の含水率が一貫して他より高く、ここに黴が発生しやすくなっていること及び壁面の平均含水率が何らかの問題により、短期間のうちに大きく変化していることが判明した。
  4. (4)石槨内は、切石接合面や亀裂部で間隙が生じており、虫が自由に出入りできる状態である。
  5. (5)石槨内は相対湿度100%、温度変化の状況が外気に対してほぼ3か月遅れで推移する点は20年前と同様であるが、平成14年の年間平均温度は約18.0℃で、20年前より2℃ほど高い。奈良県の年間平均気温は、昭和40年以降漸次高くなる一方、相対湿度はやや低下傾向にあり、年間降水量は過去4年に関しては減少傾向にあるが、短時間に多量の降水量をもたらす降雨が増加傾向にある。
  6. (6)浮遊真菌の採取の結果、取り合い部に隣接している保存施設内の前室までは十分に遮蔽されており、点検時に外部から取り合い部・石槨内に菌を持ち込んでいることはない。

(3) 墳丘部

 墳丘部では、植生の調査・電気探査・水分分布の計測・土質調査等を実施した。
  1. (1)現在墳丘上はタケが繁茂しているが、墳丘の北東部、やや斜面が急になっている箇所はタケの生育が他の箇所に比べて極めて悪いことが注目される。タケは土中水分の滞っている箇所を嫌う性質があることから、この墳丘北東部の土中水分が他の箇所より多いことが予測される。
  2. (2)墳丘上のモチノキの枯木のうち、北東端に位置する枯木の根周辺におびただしい数のアリが土中に出入りしているのが観察された。アリの中には羽の生えたものもあり、またワラジムシなど他の虫も混じっていた。枯木の根が土中で腐り、アリの巣ができていることが推測される。なお、同種の生物が石槨内で採取されている。
  3. (3)この北東端の枯木を伐採したところ、年輪の幅が北東部に広いことが判明した。これは北東部に根が張っていることを示しているが、その根が版築構造に悪影響を及ぼしている可能性がある。
  4. (4)墳丘について各種の調査を行った結果、
    1. 墳丘北側で土中の含水率と降雨の関係を調査した結果、多量の雨水によって土壌含水率が影響を受けていることが判明した。
    2. 石槨東側から北側底部にかけて、含水率の高い土壌が分布している。これらの部分は本来石槨を包む版築が存在する部分であり、そこの含水率が高いということは、版築構造に問題があることを示している。
    3. 墳頂部においても、電気抵抗に差異が見られることから、雨水の浸入に関与している可能性が高い。

4.「国宝高松塚古墳壁画」の緊急保存対策について(提言)

「国宝高松塚古墳壁画」の緊急保存対策については、「3.緊急保存対策のための調査概要」を踏まえ、
  1. (1)緊急に実施すべき事項
  2. (2)引き続き検討すべき事項
の2点に分けて実施すべきである。具体的には、以下のとおりである。

(1)緊急に実施すべき事項

  1. (1)墳丘上全体を防水断熱シートで覆い、降雨による雨水の浸透を防ぐこと。
  2. (2)現在、墳丘北部の一般通路から降水時には多量の水が墳丘部に浸入するため、墳丘の北側・東側に排水溝を設置し、墳丘部への雨水の直接の流入を防ぐこと。
  3. (3)墳丘部及びその周辺の土層構造、水分量等をより的確に把握するため、必要な調査を実施すること。
  4. (4)壁面試料の作製、黴除去方法の選定等の作業を継続し、早い時期に壁面の処置を実行すること。
  5. (5)取り合い部の黴発生は少量ながら継続しており、黴の栄養源も豊富であると考えられることから再発生する可能性が高い。したがって、取り合い部については効果的な防黴措置を実施すること。
  6. (6)虫類の侵入を防ぐため、石槨内の間隙部については、通気性を保持した素材により閉塞すること。さらに墳丘北東部の枯木に対しては、アリ等の駆除処置を行うこと。

(2)引き続き検討すべき事項

  1. (1)シートをかける等の対策はあくまでも緊急的な対応であり、早い時期に墳丘部の封土について抜本的な措置をとるとともに、今後、墳丘全体について整備計画を策定すること。
  2. (2)伐採した枯木の根は腐食して水や虫の通路となる可能性が高いため、速やかに除去すること。
  3. (3)壁面の保存状況について、全面にわたって再点検し、従来の保存修復方法も含め新たな観点から保存修復計画を策定すること。
  4. (4)壁画の恒久的な保存に資するため、様々な保存科学的な調査研究の実施及び継続的な観測による管理体制を確立すること。

以上の措置とともに、さらに、保存施設についても建設後25年を経て老朽化してきていることをかんがみて、今後の高松塚古墳及び壁画の保存管理の方法について、抜本的に検討することが必要である

参考資料

  1. 国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策に関する調査研究について
    (平成15年3月12日 文化庁長官決定)
  2. 国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会委員名簿
  3. 国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会ワーキンググループ名簿
    ※本文中では、作業部会で表記

国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策に関する調査研究について

平成15年3月12日
文化庁長官決定

1.目 的

 近時、奈良県高市郡明日香村に所在する国宝高松塚古墳壁画を取り巻く環境に大きな変化が認められることから、その保存管理の在り方について緊急かつ抜本的な保存上の対策について調査研究する。

2.調査研究事項

  1. (1)国宝高松塚古墳壁画の緊急保存対策の検討
  2. (2)その他

3.実施方法

  1. (1)この調査研究を行うため、専門家で構成する「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会」(以下「検討会」という。)を開催する。
  2. (2)特定の専門的事項について調査研究するため必要があると認めるときは、独立行政法人文化財研究所の協力を得るとともに、検討会にワーキンググループを置くことができる。
  3. (3)ワーキンググループは、検討会の委員のほか専門委員をもって構成する。
  4. (4)委員及び専門委員への委嘱期間は、委嘱をした日から平成16年3月31日までとする。
  5. (5)検討会及びワーキンググループには、関係行政機関の職員の出席を求めることができる。
  6. (6)検討会は、互選により座長を選出する。座長は副座長を指名することができる。

4.庶 務

この調査研究に関する庶務は、文化財部記念物課の協力を得て、文化財部美術学芸課が行う。



国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会委員名簿

青 木 繁 夫
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所修復技術部長

有 賀 祥 隆
東北大学教授

岡   岩太郎
国宝修理装こう師連盟理事長

金 子 裕 之
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所
飛鳥藤原宮跡発掘調査部長

沢 田 正 昭
筑波大学教授

白 石 太一郎
国立歴史民俗博物館教授

田 辺 征 夫
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長

百 橋 明 穂
神戸大学教授

増 田 勝 彦
昭和女子大学教授

町 田   章
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所長

三 浦 定 俊
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所協力調整官

三 輪 嘉 六
独立行政法人国立博物館九州国立博物館(仮称)設立準備室長

渡 邊 明 義
独立行政法人文化財研究所理事長



国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会ワーキンググループ名簿

青 木 繁 夫
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所修復技術部長

石 﨑 武 志
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所物理研究室長

岡   岩太郎
国宝修理装こう師連盟理事長

小笠原 具 子
修理技術者

川野邊   渉
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所修復材料研究室長

木 川 り か
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所主任研究官

佐 野 千 絵
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所生物研究室長

柴 田 昌 三
京都大学大学院地球環境学堂助教授

田 辺 征 夫
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長

松 村 恵 司
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所
飛鳥藤原宮跡発掘調査部考古第二調査室長

三 村   衛
京都大学防災研究所助教授

山 本 記 子
修理技術者

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