国宝高松塚古墳壁画の状態変化について

1.発見当初の状況
(1)

壁面(漆喰層)

  1. (1)漆喰層の状態は、亀裂・剥離・陥没・粉状化を生じ、表層部分は剥落等の損傷状態を呈していた。

    参考写真【1~5】

  2. (2)天井の粉状化は殊に甚だしく、天井石の継ぎ目に沿って米粒大の漆喰小片の落下が多く見られ、星宿の部分まで落下してしまう恐れがあった。
  3. (3)盗掘者によるとみられる人為的な擦傷がみられた。
  4. (4)ムカデなど虫類の侵入も見られた。
(2)

壁画

  1. (1)壁面の複雑な損傷状況が絵画部分にも及んでおり、表層が浮き上がり、表層の彩色層と共に剥落するおそれのある箇所があった。
  2. (2)特に天井の天文図は危険な状況にあった。漆喰層の粗鬆状態は天井が最もひどく、金箔のうち数枚は剥落しかけていた。
2.現在の状況
(1)

壁面(漆喰層)

  1. (1)漆喰層の状態は当初から脆弱であり、現時点で特に著しく劣化したと指摘し得るところはない。しかし、部分的には漆喰層内部の粗鬆化とともに、壁表面の平滑さを損なって荒れた状態の箇所がある。さらに、表面から観察できない漆喰内部で劣化が進行している可能性がある。
  2. (2)特に状態が悪く、接着剤を多量に使用せざるを得なかった箇所では、部分的に暗色化が認められる。
  3. 【5の2】

  4. (3)茶褐色及び細かい黒点状のカビの痕跡とみられる汚れが諸所に残存している。
(2)

壁画

  1. (1)淡い黒線が薄れている。
    〔西壁〕
    白虎の描線

    【6,7 】

    右端男子の衣裾

    【8 】

    女子群像中横向きの女性の髪生え際や顎の線

    【9 】

    〔東壁〕
    青龍の角、首から胸にかけての腹部、前後肢部

    【10,11 】

  2. (2)赤色が薄れている。
    〔西壁〕
    白虎の口部分。

    【6,7 】

    〔東壁〕
    青龍の尾ヒレや首部の一部。

    【10~12 】

    〔天井〕
    西南方の星宿の赤線が薄れている。

    【12の2 】

  3. (3)表面に汚れと荒れが生じている。
    〔西壁〕
    白虎及びその周辺部

    【13,14 】

    〔東壁〕
    青龍の頭部付近から前肢にかけて。

    【10,11 】

    右方2女性の頭頂部輪郭

    【15 】

    女子(右端)の右下辺

    【15の2】

    〔北壁〕
    玄武の下半分周辺。後肢の踵。

    【16 】

  4. (4)壁面の剥落が認められる。
    〔西壁〕
    女子(右から2人目)青色裳の正面上端部分(約4㎜角)

    【17 】

    〔東壁〕
    女子(左から2人目)左衿部分(約2㎜角)、右肩下(約3㎜角)

    【18 】

    男子群像下方の余白部分(約20㎝×14㎝)

    【19 】

    青龍の舌の縁(約2㎜長)

    【11 】

3.保存修理のために施した措置
(1)

修理方針

  1. 壁画修理は、漆喰層の補強と剥落止めを目的とし、以下の諸点を原則とした。
    1. (1)漆喰層の強化、接着にはアクリル樹脂を用いる。
    2. (2)合成樹脂は注射器や筆で漆喰層の内側、あるいは基底部に使用する。
    3. (3)樹脂溶液を漆喰層の表面に一面に塗布したり吹き付けたりしない。
    4. (4)漆喰層の強化と接着は必要最小限度にとどめる。
    5. (5)漏水による壁面の汚れのクリーニングは特に行わない。

      (『国宝高松塚古墳壁画−保存と修理−』(昭和62年刊行)より)

  2. 修理の年次と回数
    1. (1)第一次修理(昭和51年度)   2週間程度の作業を6回実施。

      (最も緊急な部分の保護処置を重点的に実施)

    2. (2)第二次修理(昭和53~55年度) 10日間程度の作業を毎年4回実施。
    3. (3)第三次修理(昭和56~60年度) 4日間程度の作業を年1回実施。
  3. なお、昭和61年度以降、基本的に年1回の点検時に問題があると判断した箇所の剥落止めを実施。
(2)

修理内容

  1. 高松塚古墳石槨内の温度は、おおよそ16℃±2℃の範囲で一定の緩やかな季節変化の曲線を示し、湿度は相対湿度95%以上を常に保っていた。石槨内の漆喰層は、このような極めて高湿度の条件の中で、内部から多孔質となり、石面とは多数の点で接触しているだけであった。
  2. 剥落止め作業に当たっては、まず、湿潤状態の漆喰層及び彩色層に樹脂溶液を滲透させて強化し、次に石面から剥離した漆喰層を接着するという、二つの工程をとることが必要であった。
    このように、修理は最小限落下を防ぐ補強の処置から進められたが、最初から剥落しかかっている部分に樹脂溶液を注入することは、溶液の重みで落下する危険があり、周りの強化をあらかじめ行ってから目的部分の処置を行うという工程を取ることが往々にしてあった。中には、それも危険であるため、薄い和紙を適当な大きさに切り、3%以下の樹脂溶液でフェーシングし、剥落をとりあえず防止し、次に実質的な強化の措置を行った部分もあった。このフェーシングの処置を要するのは漆喰層の状態がそれだけ悪いためであり、その過程においては危険を伴うが、星宿の一部はこのフェーシングによって剥落から防護された。
  3. 樹脂溶液の注入作業においては、漆喰層自体が脆弱なため、粘度の高い樹脂溶液を無理に層裏に注入すると、壊れてしまうことから、溶液の拡散滲透の速度にあわせて、比較的濃度の低い溶液をゆっくり注入し、漆喰層に滲透させて強化し、石面との接着を行った。
  4. 昭和51年から開始した保存修理は、水分を含んだ漆喰壁の剥落止めという、未経験の取り組みであり、作業を軌道に乗せるためには、有効な接着剤の模索や接着技術の習得など様々な試行錯誤を繰り返した。狭い石槨内の作業は終始緊張を強いられる上に、光量及び作業時間を制限された。また密閉に近い空間内で毒性の高いトリクロルエチレンやパラホルムアルデヒドを使用するという危険をあえて冒さざるを得なかった。
  5. このような状態から出発した漆喰層の補強・剥落止めを中心とした壁画修理により、昭和60年までには、危機的な状況を脱することが出来た。
(3)

使用した接着剤(樹脂溶液)

  1. アクリルエマルジョン(プライマルAC34)【昭和47年】
  2. パラロイドB72(アクリル系樹脂)をトリクロルエチレンで溶いたもの(3%~20%までの濃度の溶剤)【第一次修理以降】
  3. アクリル系エマルジョン(AC55に微量のアンモニアとプライマルASEを加えたもの)【第一次修理、昭和51年に天井の一部のみ】
4.カビ発生の経過とその対策
(1)

経過と対策

  1. カビは壁画発見直後から発生が見られたため、昭和47年4月6日及び17日に微生物調査を実施し、調査時に微生物数が増加すること、黒色や緑色を呈する菌が多いこと等が確認された。対策としてパラホルムアルデヒドをシャーレに入れて石槨内に布置し、効果があった。
    しかし、昭和53年頃から石槨内に布置したパラホルムアルデヒドが結露水によって溶け、気化しない状況となった。これに呼応するかのようにカビの発生量が増加傾向を示し、昭和55年暮れから同56年にかけて大量に白色及び灰白色のカビが石槨内に発生し、絵画にも及ぶ状況となった。特に、昭和55年には、樹脂溶液を注入した箇所、剥落止めに用いたうす紙にもカビが発生した。

    【20 】

  2. これらカビに対する処置としては、ホルマリン1:エタノール9の溶液で滅菌したが、この処置部分に、白色粒状のカビが発生した(昭和56年2月)ので、トリクロルエチレンで除去した。なお、TBZによる防黴を実施したが、効果がなかった。
  3. 昭和56年6月には高湿度の環境下でパラホルムアルデヒドで燻蒸する方法を開発した。
  4. 昭和57年以降カビの発生は漸減し、昭和60年から平成13年までほとんど抑制された状態となった。
  5. 平成13年春に取合部天井の崩落止め工事を実施したが、この時からカビが取合部及び石槨内に発生し、絵画にも被害が及んだ。カビの除去と殺菌にはエタノールを使用し、特にカビが繰り返し発生する余白部分はコートサイド159で滅菌した。取合部には防黴剤コートサイド123を用いた。これによりこの時のカビは一旦収束した。

    【21 】

  6. 平成14年秋より再び取合部と石槨内に複数種のカビが多量発生し、エタノール噴霧及び湿布並びにパラホルムアルデヒドでの燻蒸にて処置した。
  7. 平成15年3月「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会」を開催し、同検討会ではカビ対策について検討を重ね、同年6月に検討結果を提言にまとめた。この提言を受けて、墳丘部をシートで覆う等の諸措置を講じた。
  8. 平成16年春からカビが再発生するようになり現在に至っている。
  9. 平成16年6月「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」開催し、高松塚古墳壁画の保存について抜本的な検討を開始した。
(2)

カビ発生の要因

  1. 発見直後の石槨の開口及び出入りによる急激な環境の変化が影響した可能性がある。
  2. 発見から現在までの間の温暖化による石槨内の温度の上昇が影響した可能性がある。
  3. 特に平成13年以降のカビについては、墳丘への水の浸透状況変化による漆喰表面の含水率の変化が影響した可能性が指摘されている。
  4. 平成13年12月のカビ発生については、取合部工事に際して、カビ対策が不十分であった。
(3)

使用した薬品

〔燻蒸剤〕
  1. パラホルムアルデヒド
    (昭和56年まではシャーレに入れて石槨内に布置。)
    (昭和56年以降は燻蒸。)
〔消毒剤〕
  1. ホルマリン1:エタノール9の溶液【昭和53年以降】
  2. トリクロルエチレンでの除去【昭和56年】
  3. エタノール(75~90%)による殺菌と除去【平成13年以降】
  4. コートサイド159【平成13年以降】
〔防黴剤〕
  1. TBZ【昭和56年】
  2. コートサイド123【平成13年】
5.写真による状況変化時期の推定
(1)

壁面の汚れと荒れ

  1. 壁面の汚れと荒れについては、写真の精度に大きく依存し、絵画以外の壁面では明確な比較基準を得難いために、その変化を正確に把握することは困難である。特に、『国宝高松塚古墳壁画』(平成16年刊行)に掲載されている平成14年に撮影したデジタル画像は、従来の写真撮影法とは全く異なり、反射する散乱光をカットするという工夫によって得られたもので、壁面の質感や色調等が普通写真によるものと同じではない。
  2. 漆喰表面の平滑さが失われ、やや荒れた様相の箇所があるが、特に顕著な変化を示す時期は認められない。
  3. 茶褐色の汚れや細かい黒点の中には、塵埃等の付着とは別にカビ痕と思われるものがある。多くはカビが多量に発生した時期に生じたと推定されるが、その時期を特定することは困難である。
(2)

壁画の変化

  1. (1)黒線の薄れ
    1. 白虎における黒線は発見直後から淡い色調であったが、特に耳に注目して変化を追うと、昭和51年の写真では明瞭に識別できる。しかし、昭和55年12月撮影の写真では耳の形は確認できるものの既に薄れており、昭和56年6月の写真では耳の形状はさらに曖昧となっている。昭和58年以降は写真を比較する限り、線の薄れは微細である。
      【6,7 】
    2. 西壁男子(左端)の衣裾の描線は、昭和47年の写真でも既に薄れが進行している。以後漸次薄れが進行していることが、昭和62年及び平成14年の写真の比較により認められる。
      【8 】
    3. 青龍は、昭和51年から昭和53年までの写真は残っていないが、昭和54年12月の写真では、2本ある角のうち、左側(向こう)の角について根元が薄くなっており、昭和57年10月の写真ではさらに薄れている。なお、左前肢の一部の黒線は平成13年12月のカビ処置の結果、薄れたものである。
      【10,10の2,11,21 】
    4. 以上のことから、黒線は昭和54年までに漸次薄れつつあったと考えられ、昭和56年から57年までに薄れが増したと推測される。その後は、急激な薄れは認められない。
    5. なお、西壁の女子群像における黒線の薄れは微細なものであり、変化の時期を特定できない。
      【9 】
  2. (2)赤色の薄れ
    1. 白虎の口、特に舌や歯茎部分の赤色に薄れが認められる。昭和55年の写真でも薄れつつあることがわかるが、昭和56年以降徐々に薄れが進行したものと思われる。
      【6,7 】
    2. 青龍の首や尾のヒレの一部に赤色の薄れがある。昭和54年の写真で既に認められる。
      【10,10の2,11,12 】
    3. 天井星宿の赤線が、昭和59年の写真を見ると既にこの時には薄れが進んでいることが推測される。
      【12の2 】
  3. (3)汚れと荒れ
    1. 白虎周辺の漆喰表面が、昭和55年の写真では、昭和50年の写真に見えるような平滑さを失いつつあるように見え、昭和56年以降、漸次表面の粗鬆化が進行していることが写真の比較によって推定できる。
      【6,7 】
    2. 青龍の首から前肢及び東壁右端の女子右下辺にかかる汚れは、平成13年12月に発生したカビによるものである。
      【11,15の2,21 】
    3. 東壁女子(右側の2像)の頭頂部(髷)は、昭和47年の写真に比べて昭和60年12月の写真では輪郭がぼやけている。
      【15 】
    4. 玄武の下半分の輪郭周辺の壁面が汚れているが、これは昭和62年の写真でも確認できる。後肢の踵の汚れは平成13年12月のカビ痕である。
      【16 】
  4. (4)剥落部分
    1. 西壁女子(右から2人目)青色裳の正面上端部分の欠損は、平成13年12月から翌14年1月28日の間に生じたことが、写真の比較によってわかる。この間、点検を1月7日から9日と1月27日から29日の2回実施しているが、剥落は認識できず、剥落片も採集されていない。
      【17 】
    2. 東壁女子(左から2人目)左衿部の欠損は、昭和50年5月と昭和62年1月の写真を比較すると、この間に拡大したことがわかる。
      【18 】
    3. 同女子右肩下の赤色部分は、昭和50年5月の写真では既に欠失している。したがって、本格的な壁画修理を開始する以前に生じた剥落である。
      【18 】
    4. 東壁男子群像下方の余白部分については、昭和47年9月30日及び10月1日に崩落が確認されている(『国宝高松塚古墳壁画−保存と修理−』(昭和62年刊行)参照)。
      【19 】
    5. 東壁青龍の舌の半ば辺り、輪郭に沿って荒れがあり、これは平成13年12月のカビ処置の際に生じたものである。
      【11 】
6.変化の要因の可能性について
(1)

壁面の汚れと荒れ

  1. 汚れの要因としてはカビ痕があげられる。
  2. 荒れの要因としては、カビが発生したことに対する一連のカビ処置により、漆喰が脆弱化したことが考えられる。
  3. 発見直後から昭和53年頃までの漆喰面の含水率の大きな変化が、漆喰面に影響を与えた可能性がある。
(2)

絵画部分の変化

  1. (1)色調の薄れについて
    1. 黒線や赤色の薄れについては、カビ処置がなんらかの影響を及ぼした可能性がある。
      【22,23 】
    2. 色料自体の変化だけでなく、壁面の汚れや表面が荒れたことにも起因すると考えられる。
  2. (2)汚れと荒れ
    1. 白虎及びその周辺部、玄武の汚れは、カビ痕と推定される。
      【13,14,16 】
    2. 白虎及びその周辺部、東壁緑衣の女子頭頂部の輪郭部分が不鮮明なのは、漆喰の荒れが影響していると推定される。
      【15 】
    3. 青龍周辺や東壁女子の右下辺の汚れは、平成13年12月に発生したカビの痕跡である。
    4. 【11,21 】
  3. (3)剥落について
    1. 壁画の剥落止めは絵画部分全域に及ぶものではなく、漆喰の状態によっては処置を控えた所や不可能だった所がある。
    2. 経年による壁面の状況変化で剥落した箇所もあると考えられる。
    3. 外部からのムカデなどの虫類の侵入が関与している可能性もある。

参考資料

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