第20回 文化審議会文化政策部会議事録

1. 日時

平成17年11月8日(火) 9:57~12:27

2. 場所

東京會舘本館 11階 ゴールドルーム

3. 出席者

(委員)

青木委員 上原委員 岡田委員 河井委員 佐野委員 嶋田委員 関委員 田村委員 富澤委員 永井委員 根木委員 松岡委員 
真室委員 横川委員 吉本委員 米屋委員 渡邊委員

(事務局)

加茂川次長 辰野文化庁審議官 寺脇文化部長  岩橋文化財部長 亀井文化財監査官 関政策課長 他

4.議題

  1. (1) 「文化芸術の振興に関する基本的な方針」の評価と今後の課題について(各論④)
  2. (2)その他

5.議事

○青木部会長 これから第20回の文化審議会文化政策部会を開催いたします。まず事務局から配付資料の確認をお願いします。

○関政策課長 <配付資料および参考資料の説明>

○青木部会長 資料1の第19回の議事録(案)に関して委員の皆様にご確認をいただきご意見がありましたら,1週間後の11月15日(火)までに事務局までご連絡をお願いします。
 それでは,本日は,文化芸術の振興に関する基本的な方針の各論部分,第2 文化芸術の振興に関する基本的施策のうち,「2.文化財等の保存及び活用」「4.国際交流等の推進」「6.国語の正しい理解」「8.著作権等の保護及び利用」等を中心に,委員の皆様による発表及び質疑応答を前半と後半に分けて行いたいと思います。前半は,まず渡邊委員にお願いし,松岡委員,岡田委員の順に,それぞれ15分程度ご発表いただいた後で,発表を踏まえて委員の皆様からご意見を賜りたいと考えています。後半は田村委員,わたし青木の順にそれぞれ15分程度発表した後,委員の皆様から意見を賜りたいと考えています。
 まず「2.文化財等の保存及び活用」を中心に,渡邊委員よりご発表をお願いします。

○渡邊委員 最近の文化庁は,大変広範に文化財保護政策,あるいは文化財の活用政策を展開しております。私たちがこの仕事に入ったころとは全く様相を異にしていると思っています。ただ,この文化庁の仕事ぶりの基本にあるものは何かといいますと,やはり物と,それを保存する人,あるいはその材料ということになるわけですが,私は,長く有形文化財の保存,特に美術工芸品についてかかわってきたので,その面で問題点を提起したいと思っています。
 文化財の活用といいますと,最近は文化財保護よりも,文化財の社会的性格,あるいは活用を尊重するというようになってきています。しかし基本は,文化財は保存されなければ,結局それはいつか文化財としてはなくなってしまいますので,やはりこれに技術的に,あるいはその技術を持った人間がどうかかわっていくのかということが,重要になってきます。
 文化財の修復保存に関しては,長く文化庁としても技術者の養成にかかわってきていますが,明治以来の伝統として日本の文化財の保存・修復というのは,すべて民間に頼ってきたといういきさつがあります。国の機関で修復技術者を抱えて文化財の修復をすることは,これまで行ったことがありません。そのために,欧米に比べると,科学的な技術保証について若干おくれをとる傾向がありました。いずれにしてもそれを支えてきたのが文化財研究所,あるいは大学で,民間に頼る形は今日も続いています。もちろん,ただ民間に依存するというだけではなくて,その組織化という点では若干の進歩がございます。例えば建造物関係では,建造物保存技術協会というような財団法人化された組織があります。しかし,それは建造物という大きな事業量を持っている団体であればこそできたことであると思っていますが,美術工芸品に関しては,一つ一つ個人単位の仕事が今でも進められています。
 一つここで問題点は,日本には修復技術者を基礎から教育する学校教育の制度が今もないことです。今,若干部分的に始まってはいますが,まだ本格的な内容を持っていない。依然として工房に頼っているのが現状です。それでも文化庁の行政的な主導によって,これまで比較的安全に文化財の修復がなされてきたとは言えますが,しかしそれは一面的な成果であると思っています。文化庁は,文化財保護法によってさまざまな行政活動をします。修理に関しても助成金を出して,援助する制度は早くから行っております。しかし,問題は,その修理技術者です。
 また一つ,私が大きく問題と考えるのは,文化財は国指定のものだけではないということです。国指定のものに関しては,国が選択した修理技術者は,これに関わっていくのに比較的安全です。しかし,それ以外の者については文化庁の行政指導がほとんど及ぶところがない。私もこの数年来,財団の文化財保存の事業委員として事業の選択をしていますが,このところ,自分たちの知らない修復技術者がどんどん参入している。その人たちの技術的な程度を確かめるすべがない。
 例えば,表具師という伝統的な職種がありますが,その人たちがすべて修復に長けているわけではありません。ただ,世の中では表具師という看板を掲げると,技術の程度は全く無視されて同一に判断されてしまう。文化財の修復には,これから入札制度が進んでくると思います。この入札制度によって価格競争が起こる。安ければいいという修理になって,これが公共財を損傷させる大きな要因になってくるだろうと,私は心配しています。
 現在,絵画,古文書の修復に関しては,文化財方面で国宝修理装潢そうこう師連盟というものがあります。これは長く文化庁が育ててきた団体ですが,昭和34年に結成されました。最初は友好団体だったのですが,平成7年に,「装潢そうこう修理技術」が文化庁より伝統的保存修理技術として選定され,連盟がその保存団体として認定を受けて,みずから事業を展開し,定期研修会制度を設けるようになりました。そこで私は,この団体に提案をして,今は修理技術者資格制度を持っています。そうした資格によって自分たちの業績,あるいは自己のアイデンティティーを対外的にも確立できるようにしたいという願いがあります。また,仕事を発注する側にすれば,その人がどういう仕事の訓練を受け,どういう程度の技術を持つのかを判断する材料になるわけです。
 文化財の修理には,今申しましたように公的な資格制度はありません。あくまで私的に資格をつくり,訓練をしているのが実情です。これがいいか悪いかということになると,いい点もあるし弱点もあります。近年,国際的な文化財保存活動が盛んになり,日本の技術者が海外へ渡ったときに,そのIDとなるものがない。文化の交流は人が先頭に立って行っていくという観点からすれば,そういう人たちにしっかりとしたIDを出す制度が必要です。
 我が国の文化財の保護制度については,修復する人の面が弱点であり,なかなか克服し切れない。それで,私も長年こういう仕事にかかわりながら,何か強力な団体の必要性を提唱してまいりました。その一つの結果,先程の国宝修理装潢そうこう師連盟が任意団体から一歩進めた形で有限責任中間法人になっています。財団法人になればメリットもいろいろありますが,それはなかなかできないので,中間法人という形に10軒の工房がまとまり公的な仕事を始めていて,これが国際交流に乗り出すということです。具体的には昨年,文化庁の支援も受けて2回目の国際シンポジウムを中韓と英米の識者を招いて実施しました。その際に,中国の古文書の保護について,次のような提案がありましたので,背景を含めて少しお話しします。
最近,中国の文化財保護に関しては,欧米,特にイタリアが力を注いできていて,ヨーロッパの技術がどんどん進出してきています。古文書の修理にも新しい技術として,ラミレーション技術が登場してきています。ラミレーション技術は既に30年程の歴史がありますが,私どもは,よほどの状況のものでないとこれを使いません。これを安易に用いる傾向が続いてきていることを心配して,日本の修復技術者の発表あるような技術の研修会や講習会を中国でやってみてはどうかという提案がありました。そういうわけで,来年の4月に国家文物局,そして故宮博物院──故宮博物院も国家第一級の機関でございますが,その2つと提携して講習会を開く段取りになりました。
 確かに日本はアジアにおいて,文化財保存技術,あるいは科学的な保存科学に関しては一応先進的立場を保ってきました。もともと保存科学はヨーロッパから起きた学問ですが,日本はそれをいち早く取り入れ,昭和25年に文化財保護法ができ国立文化財研究所ができたときに,保存科学も研究をする機関としての性格を持たせた。その結果,技術が中国や韓国に伝播して,現在の中国,韓国の保存技術の進歩につながっています。しかし,ここに来て日本の文化財保存の海外諸国への協力という面における先進性がいささか薄れてきているのが実情です。近年,日本はアンコールワットに多大な貢献をしています。3年ほど前には,アフガニスタンの文化財保存に関しても積極的に協力し成果を少しずつ上げています。これは文化庁の政策的な転換を明瞭に示すものだと認識していますが,まだ一歩,対外的にその力が及び切れない。その間に東アジアに,欧米の国々が次々に進出しています。特にイタリアの協力ぶりには目覚ましいものがあります。西安に壁画保存のための研究所をつくり,そして今,シルクロードの文化遺産のために大がかりなプロジェクトを国家文物局と共同で行っていて,そこでは今,数十人規模の技術者の養成を行っていて,ヨーロッパ,特にかつてはフランス,そして現在はイタリアより技術者を留学させ勉強させています。
 日本は,かつて敦煌研究院の能力の向上に対して多大な貢献をしました。その提唱者は平山郁夫氏でした。それに政府が援助して立派な施設ができて,そこで日本と中国との大きなきずなができました。しかし今,それを上回るような仕事が欧米,特にイタリアによって行われております。また,アメリカも敦煌ではゲティ財団ですが,継続的な作業をしています。また北京には,別な人が美術館を1つ寄贈しているなど,文化的な攻勢をかけています。また,最近高句麗の古墳群が世界遺産になりました。これの調査に関してもユネスコの親善使節が入っていますが,その中核はイタリアの文化財関係者,特にデスタードという組織でした。
 日本の国際的な文化財活動というのは,政府の主導のものと,民間主導のものが別々にありました。これが,最初に一つの形をとったのが,在外日本美術保存修復協力事業でした。これも平成2年に平山郁夫氏が提唱し,文化庁がこの提案を受け入れて共同で仕事を始めたものです。この事業を契機に美術研究振興財団が設立され,今は敦煌保存のためにつくられた芸術文化の保護財団と合体して,一つの財団になっています。長く文化庁の予算と,文化財保護財団の方の資金をもとに仕事をしていて,現在では,主として国の資金が動いている仕事になっています。これが欧米で大変好評でして,日本の技術の理解とその技術レベルの高さを認識させる大きな仕事になっています。
 これに民間の協力を加えていくというようなことが望まれるわけですが,その最初の協力が,今回資料として用意したフィリップモリスのカレンダーです。これは在外日本美術修復協力事業で修理した文化資産を材料にカレンダーをつくって有志の方々にお分けし,毎年2000万円くらいの資金を活動する財団に投入しています。そしてこれを支えているのが文化財研究所です。これはこれで結構ですが,残念ながら日本にはこれ以上の協力をする民間団体があらわれていません。
 一方,韓国からはサムスンが文化財の保護に関して,平山郁夫氏の世界文化財赤十字構想の思想に協賛し,資金を提供するという申し出がありました。その最初の事業形態として資金集めをするわけですが,これもまたフィリップモリスのカレンダーづくりが大変結構であるということで,平山郁夫氏の絵そのものをカレンダーにして資金集めをするということです。集めた資金全額を財団に寄贈して仕事をするわけですが,恐らく自己資金も当然投入するので,今,どのような対象にどのような事業展開をするか検討していますが,恐らく建造物関係の中国の専門家,30人ばかりを4年間,フェローシップで資金を投入して養成するということです。

○青木部会長 続きまして,6の「国語の正しい理解」,7の「日本語教育の普及及び充実」等を中心に,松岡委員よりご発表をいただきます。

○松岡委員 私は,第21期国語審議会から,国語の施策の一端に関わっていまして,現在も国語分科会で漢字小委員会に所属していますので,その立場からご報告いたします。
 まず,この基本方針の見直しの対象であります国語の問題に関して,現在国語分科会で2つの小委員会を設けて検討を進めています。それがこれまでどういう流れの中にあるのか,お手元の資料に簡潔にまとめています。戦後のこれまでの主な国語審議会答申からは,漢字に関しては平成12年,それから敬語に関しては,やはり平成12年の現代社会における敬意表現と表外漢字字体表が,現在の国語分科会での取り組みにつながっています。平成13年にこの基本法が制定されましたが,国語に関しては,6の「国語の正しい理解」と,「日本語教育の普及及び充実」が挙げられています。
 この6と7に対する施策がどうなっているかと申しますと,最初に分析力や論理的思考力,表現力,想像力など,これからの時代に求められる国語力があります。次に学校教育に携わるすべての教員の国語についての意識を高めるという,教員と,学校教育の内容に関する問題。それから,家庭,地域における国語の教育と,その意識をどうやって高めるか。そして,近年の外来語,外国語,いわゆる片仮名言葉の氾濫に対してどう対処するかという4つの問題が施策に挙げられています。それらの問いかけに対して,「これからの時代に求められる国語力について」という答申が出されました。
 その中は,国語教育のあり方,それから読書活動のあり方の2つに分かれています。それらが,それぞれ現場でどのように定着していくか,普及していくか,その成果が上がるかどうかは,これからの問題です。例えば私の知る限り,学校教育での取り組みの一例として,来年度から中高一貫校になる都立の両国高校の例が挙げられます。中高一貫校というのが試験的に何校かつくられて,それぞれに特色のある教育活動というのを旗印にしていますが,この両国高校と附属の中学校の特色ある教育活動が国語力の育成です。はっきり国語力を目標に掲げる公立の学校があらわれてきたのも,教育における国語の正しい理解を求める基本法の一つの対応ではないかと思います。
 それから,外来語,片仮名語の氾濫に関してですが,国立国語研究所では外来語委員会を設けて,これまで3回にわたり外来語言いかえ提案を出してきました。現在では4回目の委員会提案の中間発表をしている段階です。こういう片仮名語を使っているから,こういうのに換えたらどうですかという提案をしていますが,これに対して一般の関心も高いと思います。杉並区役所が発刊した「外来語・役所ことば言い換え帳」は,国立国語研究所の言いかえ提案をもとにしているように,反応も生まれてきています。
 いずれにしても,この取組は他の言葉の問題に関しても言えると思いますが,言葉を自覚的に使うことを促すのが目的です。特に官公庁とか白書とかが言いかえ語の提案の対象になっていますが,文化庁は他の省庁で行っていることに対して文化の側から異議を唱えたり応援をしたりということをすべきだと言えます。片仮名語の問題でも各省庁が無自覚に使っている片仮名語に対して,言葉,文化の側から,これは行き過ぎではないか,こういう言葉で日本語に十分言いかえられるのではないかという提案をしているので,これもこの基本法のあり方そのものと関連することだと思います。
 それから,7の「日本語教育の普及及び充実」ということです。国語施策の日本語教育の推進に関しては,国語施策懇談会が協議会の開催をしたり,ほぼ毎年,国語に関する世論調査を実施したりしています。それから,日本語教育の推進に関しては,国内,海外において日本語を母国語としない人たちの日本語の習得の必要性の高まり,学んでいる人たちの数の多さには目を見張るものがあります。そういうものに対応して,例えば地域の日本語支援コーディネーターや,日本語ボランティアの研修を行ったり,日本語教育の相談を行ったりしています。これは実際日本にいる日本語を母国語としない方たちへの日本語の支援です。それから日本語の教育シンポジウムなどを開いたりしています。あとは,インドシナ難民の定住支援事業の一環として,財団法人アジア福祉教育財団に委託して国際救援センターで日本語教育事業を実施しているとか,中国の帰国者に対する日本語教育の支援等もしています。
 次に基本法を受けての国語分科会での活動について。これは敬語小委員会と漢字小委員会の2つに分かれて審議を行っています。
 敬語小委員会の現在の課題,そしてそれに対する活動の主軸は,敬語の指針をつくろうということです。世論調査で,これからも敬語が必要だと思うと答えた人の比率が96%の高さに上る反面,正しい日本語,敬語を話している自信がないとか,敬語をどう使ったらいいか困っているという回答もある。敬語は必要だと感じていても実際の運用に際しては困難を感じている人たちに対して,敬語の使い方に関するわかりやすい指針をつくる活動をしています。その中では,どういう人を対象にするかとか,どこまで踏み込んで敬語に対する指針を出すかとか,出すにしても文字,言葉だけでいいのか。具体的な例を出すためには,いっそDVDでも付録につけた方がいいのではないかと,いうようなことで委員は大変悩んでいて,今,国語分科会の総会や,この文化政策部会からも意見をいただきたいという声も出ています。永井委員は「ら抜きの殺意」という日本語,国語問題総ざらいのような名戯曲をお書きになったので,何かご意見をいただければ思います。
 要するに敬語は,人間の上下関係を前提としていたり,それから人間の生活の内と表があるということを前提としている言葉遣いですので,やはり上下関係よりは平等の方がいいとか,人間裏表があってはいけないとかという,現在通用している倫理観にそぐわないのではという面もあります。にもかかわらず敬語は必要という矛盾が委員を悩ませているところではないかと思います。個人的には私は3つの敬語の中の尊敬語,謙譲語,丁寧語の中では,徐々に丁寧語の方に重心を移していって解決していくのがいいのではないかと思っています。
 それから,漢字小委員会の課題について。どういうところから漢字小委員会を設置するという必要性が生まれてきたかというと,これは近年の情報機器の発達によることが大きい。現在私たちが使っている漢字も,例えばパソコン,ワープロに搭載されているJIS漢字の統括は通産省,人名用漢字は法務省,それから常用漢字に関しては文部科学省と縦割りになっています。具体的な混乱の例としては,ついこの間法務省から発表された人名用漢字の件。だれがこんな文字を子供につけるのだろうというような疑問のある字までが入っていて,それをまた戻した。これは国語分科会からの意見も出したのですが,それで一部削られた。3つの省庁それぞれで漢字政策を行っているわけで,それを今すぐ統括することは難しいかもしれないけれども,少なくとも横の連絡がとれるような組織が必要ではないか。これは今のところ漢字小委員会における合意点の一つです。
 あとは,常用漢字を今どうするか。新聞協会等による漢字使用の頻度数等でわかりますが,現在ほとんど全く使われていない漢字も常用漢字の中に入っている。これからはそういうものを省くと同時に,入っていなくても頻度の高いものは積極的に入れていくという方向で検討を重ねています。それが現在の国語分科会で行っていることです。
 実は先ほどの,敬語問題も情報機器の発達によって変わってきている。例えば携帯電話が非常に発達してきているので,それこそメールアドレスや携帯電話番号の交換を一度できれば,もう言づてとか取り次ぎとかは必要なしにいつでも当人と直接話すことができるようになる。そうなると,家庭に1台しか電話機がなかったころには自然に行われていた,敬語を含んだ言葉の訓練ができなくなっている。
 それから,パソコンやワープロだと,手書きの生活がどんどん減っていくわけで,漢字の習得も,手で書いて体で覚えるよりは,目で見るだけの知識になるので,深い記銘力となって入ってこない。それから若い人の間では電子辞書の方が紙の辞書よりも使われることが多くなってきている。ところが電子辞書だと字体がはっきりしないので,その点でも覚え方があいまいになってしまう。そして,今までですと話し言葉と書き言葉という分け方で済んだ言葉の分類に,最近では打ち言葉というのも入ってきて,それこそ絵文字も含むメールで打つ新しい言語が出てきた。そういう状況にどう対応していくかということが,これからの国語施策に求められることではないかと思います。

○青木部会長 それでは,続きまして,8の「著作権等の保護及び利用」等を中心に,岡田委員からご発表をお願いいたします。

○岡田委員 岡田でございます。私は,文化審議会の著作権分科会の方にも所属委員として出ておりまして,著作権の保護についてと,ほかにもう一点述べさせていただきます。
 平成14年に国は知的財産戦略会議を立ち上げ,知的財産大綱を決定し,知的財産基本法が施行されました。この知的財産基本法はどちらかといえば,特許権とか実用新案権などにウエートが置かれているようですが,著作権につきましても,知的財産戦略が国の重要施策として打ち出される以前と以降とでは,その扱い方,考え方が微妙に違ってきていると思われます。つまり,国が知的財産という経済の柱を新しくもう一本立てたことで,著作権が文化的な側面に加えて経済的な側面を強く持ち始めたということです。
 ところが,このところの新聞等では,インターネット等で新しいビジネスを始めようとすると,「著作権が壁」だとか,「著作権の問題が障害になって云々」とか,本来ならば,まずは著作権ありきで,著作権使用料というコストは真っ先に考えられてしかるべきはずなのに,著作権があたかも邪悪な権利であるかのような報道がたびたびなされています。また,権利者の正当な権利行使,例えばライブハウスなどへの著作権使用料の請求等が「零細な業者いじめ」のようにとらえられて報道されることも多々あります。
また,著作権法30条の2項に書かれている私的録音補償金につきましても,新しいデジタル機器への追加政令指定に対して消費者やメーカーのご理解がなかなか得られません。
これらの現実は,ひとえに著作権について社会全体の認識度がまだまだ低いことが原因だと考えられます。著作権思想が思うように普及しないことが著作権の経済的な側面を圧迫しているとも言えます。
 知的財産の中でも著作権は,この目に見えない権利です。手にとることのできない権利です。目に見えなくても,手にとることができなくても,代金を支払わなければならないということが一日も早くすべての人々の常識になるように,小,中,高における著作権教育のさらなる充実を望むところです。現在,著作権教育が始まるのが小学校3年ぐらいからだったかと思いますが,できればもう少し早く幼稚園のころから,かみ砕いて,楽しくおもしろく著作権思想がからだの一部になるような教え方が道徳教育と抱き合わせでやれないかなと考えます。よく万引きと不正録音が並列で引き合いに出されますが,どちらも窃盗です。万引きをする人たちは悪いとわかってしているわけで,著作権の侵害に対しましても悪いとわかっているのなら,道徳心で歯どめがかけられるような教育をしなければ意味がないと思っています。
 大学におきましても著作権教育は重要だと考えますが,昨今,著作権ビジネスの分野の学問が脚光を浴び始めています。これはとても喜ばしいことです。
文化をビジネスとしてとらえ,文化が産んだお金で,また文化を再生産し,発展させていくということは夢のある仕事です。私は作詞家ですが,歌はそれを書いた作家の思惑を離れてひとり歩きし,さらに大きく育っていくことがあります。
日本語という言葉のハンディキャップを超えて,日本から第二のビートルズ,第二のローリング・ストーンズが生まれれば,国としても経済的に大変潤うことになり,それはいずれ消費者である国民に還元されていきます。
パソコンが日常生活の一部となった今,大げさに言えば国民総著作権者という時代が来ようとしています。他人の権利をないがしろにするということは,自分の権利を失うことに通じます。その昔,優秀な画家や音楽家にパトロンがいたころから,いつの時代も文化を支えてきたのは経済です。著作権思想が普及し,著作権というものの文化的側面と経済的側面がバランスよくかみ合うことで,世界へ向けて発信できる文化芸術のすそ野が広がればいいなと私は考えています。
 また,先ほど私的録音補償金のところで少し触れましたが,科学技術の進歩が速すぎて,新しい機器,機材に対して法律がついていけないという現実があります。著作権法も,技術や経済の変化に素早く反応して機敏に条文を変更し,法律の空洞化だけは避けてほしいと思います。
 海賊版についてですが,防止,撲滅が声高に叫ばれていますが,その成果が余り見えてきません。アジア近隣諸国に対して,今まで官民がどのような指導,働きかけをしてきたのか,その成果はどうだったのか,次回で結構ですので具体的に報告してくださいますでしょうか。
 最後に,インターネット文化に対する期待と危惧を一言だけ述べさせていただきます。
 ネット文化の広がりのスピード,情報の量,その多様性には目を見張るものがありますが,パソコンの中には空恐ろしい無法地帯があります。ルールをつくるにはもう遅過ぎる,不可能ではないかとだれもが言いますが,自殺志願者が集まって集団自殺をしたり,「殺人請け負います」というサイトがあったり,青少年の教育上好ましくない過激なサイトにだれでも簡単にアクセスできたり,他人への誹謗中傷が氾濫していたりとか,行き着くところまで行ったらどうなってしまうのだろうというより,どこまで行っても行き着かないのではないかと思われるほどのやみの奥深さを感じています。そのような状況を野放しにしたままで文化や芸術について語っても,それは虚しいことではないでしょうか。ネット文化の負の部分について本腰を入れて規制の方法を考えるべきだと思います。もちろん言論の自由,表現の自由は守られなければなりませんが,自由を勘違いしている人たちに間違った自由を与えるべきではないと思いますし,そのような人たちを正すのも文化行政の役割だと考えます。
 情報公開の時代ですから,当然私のこの発言もすべて議事録としてアップされます。それを読んで,岡田冨美子が気に入らないと思う人がいたらと思うとかなり怖いし,恐怖感が募れば当たり障りのない発言しかできなくなります。ということは,相当の覚悟で臨まなければ,このような会議でさえも本音が言えなくなるおそれがあるということです。もともとインターネットにはすばらしい未来がいっぱい詰まっていたはずです。
人間が人間であるために人間を尊重するのだという視点から,ネット文化を見直す必要があると考えます。それはすなわち,生きるとはどういうことなのかという,まさに文化の原点に立ち返ることかもしれません。

○青木部会長 前半の,文化財,国語,著作権,知的財産権の問題で,ご発表いただきました。ご質問ご意見を賜りたいと思います。

○富澤委員 最初の渡邊委員の文化財についてのご意見,まず保存が非常に大事だというお話,全く同感ですが,先日,10月末に福岡に新しくオープンした九州博物館を私は見学してきまして,その印象を申し上げたいと思います。
 一つには,この博物館が,東京,京都,奈良に次ぐ日本で4番目の国立博物館だということです。その意味では初めて地方にできた本格的な博物館ということで,今言われている中央から地方への大きな流れに沿っていることが特徴だろうと思います。
 もう一つは,博物館自体が外へ開かれていることです。オープンな感じのする博物館でして,市民に開かれた博物館という印象を強く持ちました。そもそも文化財も保存しなければ,見せていただけないわけですが,余り保存に重点が傾いてしまうと,ともすれば閉鎖的になってしまう。建築家の安藤忠雄さんが上野の博物館を見たときに,「これは外へ出さないようにする建物だ」と語りました。要するに,この中へ閉じ込めておく,外から人が入らないようにする建物だという印象を私に言ったことがあるのですが,そういう意味から言うと,今度の九博は非常にオープンで入りやすい。この間,副館長に聞いてみましたら,1日1万人の人が訪れている。大変な数の人が見に来て,できたてということもありますが,非常な人気があるということでした。環境もすばらしく,太宰府の森の中に調和した建物で,こういうものができると,今は,観光,ツーリズムが観光立国ということで大きな国策の一つにもなっていますが,その意味でも大きな寄与をするのではないかと思いました。

○岡田委員 松岡委員にお尋ねいたします。先ほどの敬語の件ですが,指針をつくろうとしているとおっしゃいましたが,指針をつくることが果たして有効なのかどうかということに関して疑問を持ちました。言葉というのは自然に,敬語というのは特に自然に身についていくものでして,テキストでこう言いなさい,ああ言いなさいといって教わって身につけたものが本当に美しい言葉として口から出てくるかというと,そうではないと思います。自然と身につけていくはずのものがいつの間にか失われていった背景に,何があったのか考えてみると,ふと漫才ブームに思い当たりました。あのころから日本の風俗とか言葉とか,いろいろなものが乱れ始めたような気がしてなりません。現在言葉がどのように乱れているかという事実だけを把握してどうするかということではなくて,その裏側にある風俗の歴史についても考えていかないと,歯どめはかからないと思います。そして,その原因がわかったときに,テレビというのは影響力の強いものですから,お互いに知恵を出し合って,お笑いはお笑いで大衆芸能ですから,それを拒否するものではありませんし,十分私も楽しませていただいていますが,それはそれとして考えるというような国民的な風潮をどこかでつくっていくような流れを模索してみてはいかがかと思います。

○松岡委員 それは敬語小委員会の方に伝えておきます。

○永井委員 敬語については私も頭を悩ませる一人です。確かに若い人から全然敬語を使わないで言われると頭にくることはありますが,私が「ら抜きの殺意」という作品を書いたときの,最後の結論を自分で改めて考えてみると,敬語の使い方を押しつけることは非常にむなしいということです。
 昔の明治の女学生の雑誌等を読みますと,もう既に日本の若い女の言葉は乱れているという特集があった。「最近では『私,何々してよ』なんて言う人がいる。とんでもない」と書いてありましたが,私はそれを深窓の令嬢の言葉として認識していたのでびっくりしました。言葉というのは規則で変わっていくのではなくて,人にいかに愛されるか,いかに好まれるかが法則になる。ですから,こうした変化は仕方のないことだと思うと同時に,やはり日本の敬語は難し過ぎると思います。
 それから,敬語が過剰になっている二重尊敬表現。私には,「させていただく」の氾濫は敬語ではなくて,自分が文句をつけられないように,つまり私は正しい言葉を使っているぞと言いつつ図々しいことをやるための方便になっているような気がしなくもない。敬語が本当に尊敬として丁寧な思いで使われているかどうかはかなり怪しく,自分が突っ込まれないための道具として使われている場合もかなりある。私は,さっき松岡委員がおっしゃったような丁寧語だとか,あと思いやり表現について考えていくべきではないかと思います。つまり,尊敬語を使っていなくても,相手に対する思いやり表現を用いれば,それが人の心をなごませ,コミュニケーションをスムーズにしていくものだと思いますので,やはりハートからということが非常に重要ではないかと思います。

○松岡委員 ありがとうございます。22期の国語審議会で出した敬意表現というのがありますが,結局,あれの本当に核になっているのは永井委員ご指摘のところです。それまでの国語審議会の答申の中で初めて使い方を主軸に置いたことでは評価されたのですが,では,具体的にどうしたらいいのかが書けなかった。書こうとしても,本当に細かく一つ一つ実例を積み上げてやっていくのか,それとも体系を最初に出して,それが実際にどうなっているかを出していくのか。帰納的と演繹的とどちらからいくかということで,今現在敬語小委員会でも大変悩んでいます。例えば今ここに「放送で気になる言葉」という,これはアナウンサーのための手引ですが,これが敬語編ということで,新聞協会等の協力のもとで,いろいろな放送局で使われているようです。敬語小委員会は,こういうものをつくるためのさらにもう少し基本的なところの指針を出せたらというので,押しつけるというよりは,困ったときに手がかりになるものを目指しているようです。

○青木部会長 敬語は社会のあり方といいますか,身分とか秩序とか階級とか階層とか,そういうものと一緒に発達してきたものですから,日本のように江戸時代までの身分階層の強さと明治以降の,特に第二次世界大戦後の変化の中で言葉がついていけない感じがしますね。ですから,簡単な問題ではない。社会関係とか人間関係の肝要な部分を表現する問題ですから,そちらと合わせていかないと,言葉だけ変えても,あるいは批判してもなかなか難しいと思います。
 それでは後半に入りまして,まず田村委員から「基本的な方針」全般について,まちづくりの観点からご発表をお願いいたします。

○田村委員 お話ししたいことは,私もずっとまちづくりを行ってきて,気持ちの中に重くあるテーマとして,一つは地域の問題。地域イコール文化という話の中でどうするかという問題。それから,文化というものを一体我々が考えていくのにどうマネジメントしていくかという,この2つの問題を中心に話したいと思います。
 今の言葉の話との関連で言うと,言葉の問題以前に伝えることが非常に希薄化しているということです。このテーマの中にも,地域が主張するとか,交流するとかいう話がありますが,その一番もともとは何を伝えるか,どういうコンテンツで中身を持っていくのかという話になります。そのあたりがITの時代になってみますと,中身がどんどん希薄化している。そういう中で,地域をもう一度とらえ直すべきではないかというのが私の本旨です。
 私は,文化の問題を議論するときに,文化の状況を語ることと文化施策を語ることとは全然別のことではないかと思っています。といいますのは,文化の状況を語るときには,非常にカオティックな状態の中で我々は非常に自由な立場をとるべきだと思いますが,政策を語るときには,ある欠けた部分を明確にしながら,あるガイドラインを引いていくという話になるべきだろうと思いますので,ロジックの違うことではないかと思っています。私も長い間文化の問題を地域とのかかわりで見てきたのですが,その点では下部構造が上部構造を決めるという社会観ではなく,上部構造が下部構造に影響する,あるいは下部構造にも文化があるという観点から,文化を大切にしていくべきだと考えています。
 まちづくりにおける文化の読み方ですが,文化,芸術との接触面は,地域づくりでは非常に多いわけです。基本方針を見ていても,伝統芸能も生活文化も文化財も,それから鑑賞機会をつくる,文化施設を充実させるというような話も,17年の施策の話を見ていましても,日本の文化の魅力とか,それから観光立国の話なども出ています。ですから,文化芸術の振興とまちづくりは非常に近いところにあると思います。私どものまちづくりの方の論理からいいますと,地域を文化で見ていく。つまり場から出来事を生むという考え方です。文化芸術からその地域づくりを見るということは,文化を地域で考える,つまり出来事から場をつくっていくというような話だと思います。これは単純に言いますと,文化芸術の方の話は,ハレからケの場をどういうふうに変えていくかということであり,我々の方の地域づくりといいますのは,ケというところからハレというものをどう生み出していくかというような話だろうと思います。そういう意味では似ているようですが,文化芸術の創造と,まちづくりの文化というのは,論理が違うのではないかと思います。問題は,この両方の発想をパラレルに充実させていくことが,この国の文化の振興とか活性化とかいうものにつながってくるという気がしています。
 すなわち,まちづくりの方で言いますと,場とか容器とか環境,こういったものに文化性をどう投入していくのかということですし,町,あるいは我々が日ごろ住んでいる全く日常的な空間の質を向上させていく。そういう意味では,ストックを浮かしてよきフローをつくっていく。そして,よきフローをまたストックにしていく。このサイクルを地域の中につくっていく,使っていくということで,文化というものは決して形容詞でも名詞でもなくて,我々はまちづくりでは動詞として考えていくべきだろうと考えています。
 例えて言いますと,吉祥寺という町の駅前に古くからの0.3ヘクタールぐらいの闇市があります。これを長い間どういうふうに再開発するかという話があって,そこでずっと私は委員長を務めてまいりましたが,最近出しました結論は,このままでよい。この時代に闇市を伝統的な文化財として守っていこうではないかというものです。土地効率とか経済性を抑えて町の記憶を継承していく。あえてダウンサイジングだとかヒューマンスケールだとか,それから混沌の維持というものをこれからの町の中に生かしていく。ただ,防災性能とか環境基盤というのは非常に弱いわけですから,国土交通省あたりに相談して,どういう形で防災性能が守れるかということを考える。確かに町の一等地の中にそういう場所があって,従来なら再開発ということになって,キーテナントを呼んで大きなことをやるというところですが,それを闇市として残していこうと,これが何が悪いかと開き直ったやり方を主張しているわけです。
 私もそういう話で,いろいろな場所をどう変えていくかという話の中に文化が必ず出てくるわけです。そういう意味で言いますと,私は,地域とか都市とかいうものが,そもそも文化の構成体としてあったのではないだろうかという気持ちが強くあります。ですから,最近私が困っているのは合併の問題です。我々が今まで認識していた名前のもとにあった地域の名前が変わることでイメージが変わっていく。政治とか経済の話の中でこういうふうにどんどん変えていいものかという感じがしますが,私が先ほど吉祥寺の再開発と言ったように,やはり地域そのものは,もともと固有のエトスを持った文化構成体としてあったと思います。例えば弘前等でお話をしていますと,標準時に対して地域の時間,固有時という話を強くされます。やはり戦後60年で,あらゆる地域が標準時に降参していったのが日本の国土開発だった。それに対して,我々はどういう形で再び固有時を取り戻していくのか。そういうところが,我々が都市とか地域をつくりながら主張もしていく,また,それから交流のシーズもつくっていくということではないだろうかと思います。
 そういうことで,近代合理主義とかポストインダストリゼーションの成熟社会で一番大切なことは,もう一度地域の風土をとらえ直す認識をどうしたら持てるかということです。もちろんまちづくりには,そのほかの要素もたくさんありますが,私が今非常に気にしているのは都市計画がすべての場所をスペースとして見てきた。つまり,プレースやランドとしての意味で見てきていなかった。そこに我々が文化を排外してきた世界があった。ところが,やはり今我々は,このあたりに大きな回復というか,原点回帰のようなものを求めているということが,我々の都市計画が近づいている問題です。
 しかも,この国には失意と痛みの10年があったわけですが,この時代に妙な方向に行かなかったのは,我々は高度成長からバブル崩壊にかけて地域が解体してきたと言いながら,実に固有の文化で構成された部分がいろいろなところにあったことが大きな救いになったと私は確信しています。日本という国には,たくさんの知恵の動きがある。こういったものが地域を支えている。それから,文化芸術はそのうちの非常に薄い部分ではあるが,それがずっと支えてきたところが確かにある。こういったことを,もう一度見直すべきだと思います。
 そういう意味では,文化的なまとまりとしての地域をもう一度どういうふうに見ていくべきかということ。町の中にあった風土を見直す,あるいはそれを語り継いでいくために,トータルに見ていく目が失われてきたのが非常に残念だなという感じがしています。
 まちづくりへの文化性の投入ということをメニュー群で考えてみますと,文化芸術の側からは,先ほどお話ししたようにいろいろ例はありますが,サスティナブルグロースであるとか,それからスマートグロースであるとか,それからスローイズム,エコロジー,それから最近よくはやっていますロハス,つまりライフスタイル・オブ・ヘルス・アンド・サスティナビリティー。それからローカルルールであるとか,それからユニバーサルデザインとかコンパクトシティー,これは全部都市の近代化に進むというよりも,むしろ原点の方に回帰する言葉です。こういうようなあたりで,我々はやはりもう一度地域というものを原点から見直していくことを語るべきです。残念ながら,全部横文字になっていますが,本来こういう事柄は我々が日本の中でつくってきた考え方であったと思います。そういうものをもう一度まちづくりの中に戻さなければいけない。そういう意味で地域づくりは,コモンセンスとして,そういうものをどのように持つかということだろうと思っています。
 最近では景観三法が去年の6月にできましたし,先ほどお話ししましたが,伝統的な建造物群の保存問題とか,それから,産業遺産をどういうふうに残していくかとか,それからフィルムコミッションというような形で,いろいろな形でロケーションの場所をどう見出すかというような契機で町を生かそうという話もあります。それから,イベントにしても,必ずしも目新しいものだけではなくて,非常に伝統的なものも出てきています。それから,中心市街地の活性化というときに,従来であれば商業施設を持ってきたものを,最近は文化施設と福祉施設を真ん中に置くことによって,全く違った輝きを持たせようというような話もあります。それから,そもそもアメリカから出た話ですが,カルチュラルゾーンとして文化施設を中心に町をつくっていく形で町の構成を見ていく。しかし,一番もともとのところにあるものは何かといいますと,やはり脱近代というあたりの価値観が大きく出てきている。こういったものをもう一度見直していかねばならないという話になってきて,それと文化芸術の考え方と,この2つの流れをどういう形で一つの場所に実現していくかというところでマネージングの問題が入ってくると思います。
 かつて私は文化行政という話を昭和50年代あたりに出して,その中で,文化のパトロネージというものを行政が持つべきだと。そういうことで行政を文化化せねばならないという話を出しました。しかし,これはあくまでも,その時代,非常にまだ豊かだった財政のもとに,すぐれたガバナーたちにそういう形をサポートしていただいたというわけです。そして,文化が行政を支援し,文化が行政を変革していくという話があって,トップダウン型の文化活性化ガバナンスがいろいろ出てきた。それから何年かして30年ぐらいの間にたくさんの施設が整備され,たくさんの地域づくりの中で文化を得てきたように思います。しかし今変わってきているのは,地方分権とか,ローカルルールとか,横断的なニューパブリックマネジメントとか,それからもう一つ民間パワーの,NPOとかボランティアというのが出てきた中で,パトロネージからコラボレートへ,セルフパワーで文化をつくっていく時代に変わってきています。
 一番私が気になっているのは,最近の経済の動きを見ていますと,やはり文化というものの一つのあいまいさではなく,わかりやすい豊かな部分を対象に,ファンドマネージャーの人たちのいろいろな動きによって経済や社会との新たな繋がりを持たされてきていること。あるいは構造改革と言うのでも結構ですが,こういう世界の中で文化を一体どういう形でファイナンスしていくのか,あるいはマネージングしていくのかということの潮流において,肝心な文化自体が危機に瀕しているような気がしてなりません。このときにあって,もう一度全体像としての文化という形をどうとり直していくのかが課題になってきている。これが例えて言いますとニューパブリックマネジメントという中で,先ほどお話ししましたように,いろいろな町をつくっていく事業であるとかプロジェクトになります。そこにどういう形で文化をつないでいくかということを積極的に考えていく時期に来ているのではないかという感じがしています。
 ぜひこういうまちづくりの中ですばらしい文化の花を咲かせていくべき時代に来ている気がしていると同時に,そこに随分時代の中での文化の弱みもできてきているということも考えていただいて,新しい基本方針をつくっていただきたいと思います。

○青木部会長 それでは,最後に4の「国際交流等の推進」等を中心に,私の方から発表させていただきます。
 国際交流というのはいろいろな見方がありますから,それぞれの立場からいろいろな形での実践が行われているし,また提言もあるかと思います。全般的な大きな見方としては,グローバル化と情報化が世界を覆っている今日,国のあり方は全世界から注目されている。日本のことは日本国内だけの問題ではなくて,世界的な問題としてとらえる必要もある。そのところで,いわば国のイメージ,あるいは国のあり方というものも問われてくることは事実でして,それが現実の国際関係,あるいは国際政治にも結びついてくるだろうと。先ほど片仮名だと申し上げましたが,ソフトパワーというのもなかなかいい日本語にならないわけで,ハードとかソフトとかいう言い方を使っています。
 アメリカではパブリック・ディプロマシーという市民に対する外交というのが,大体1950年代,冷戦の開始のあたりから非常に積極的に行われるようになりました。これがアメリカのイメージをよくするということで,ソビエトに対する対抗ということもありましたが,アメリカは市民に対する働きかけをこれまでずっと行ってきています。姉妹都市といったものもそこから出てきたものです。それから,クール・ブリタニアというのは,現在のブレア政権が発足したときにイメージ一新というので打ち出した格好いいブリタニア,イギリスということで,ゴーイング・パブリック,市民の中に入っていこうという話ですが,これも一時代を画した政策でした。
 今日は文化外交というような言葉が──これはパブリック・ディプロマシーを日本語で訳せば文化外交になると思うのですが,外交空間というものも非常に拡大してまいりまして,国際関係,あるいは国際政治における外交の役割も非常に多様になってきている。特に外交の対象がメディアとか,あるいはいろいろな企業や集団や社会,あるいは地域や個人といったものにも働きかける必要も出てきます。それからまた,国のイメージがどうであるかということがいろいろな形で問われていて,余りイメージが悪いと,それこそどこかから攻撃されかねないようなことにもなりますし,またイメージがよければ,一緒にやっていこうという国がいっぱい世界から出てくる。日本の国連における常任理事国入りについても好意的な反応が出てくるのではないかと思うようなことがあります。
 それから,今大きな戦争はありませんが,いろいろな紛争が文化間,あるいは文明間で起こっているところもあります。これには文明間の衝突という有名な言葉があります。僕はそれには批判的なのですが,一見すると宗教とか文化が違うことによって紛争が起こっていることも事実でありまして,相互理解とか信頼の涵養というものを文化外交としてやっていこうとか,それから,やはり今問われているのは,グローバル化時代における共通の価値とか理念とかいうものがどこにあるのかということも,やはり日本からも発信する必要があるだろうと思います。
 そこで,文化外交の推進に関する懇談会が,昨年12月からことしの4月まで内閣府で小泉首相の私的諮問機関として開催されましたが,7月に「『文化交流の平和国家』日本の創造を!」という報告書を出しました。
 この中で基本理念として,発信,受容,共生を打ち出しました。発信は,文化発信を通して「21世紀型クール」としての現代日本文化を評価していくこと。クールというのは,格好いいとかすてきとかいう意味です。近年,日本の現代文化に対してアメリカのジャーナリストが「ジャパニーズ・クール」という言い方をしています。それが世界的にも有名になって,現代日本が提示するさまざまな文化,アニメや漫画や映画やファッションや,あるいは回転ずしのような料理,健康食といったものに至るまで,世界から注目を集めています。ハリウッドのアカデミー賞受賞会場に,日本のハイブリッドカーに乗って大スターが登場する時代です。ああいうハイブリッドカーをつくり出すこと自体が外から見るとクールなのです。そういうことでいろいろなものをつくり出していこう,そういうものをまとめていこうということを,世界に発信しながら行っていく。
 それから受容。これは創造的受容が非常に重要であって,日本で様々なアーティストや,学者,そのほかいろいろな分野で仕事をしてもらう。それが世界的な業績になる。ノーベル賞をとらせるようなことも必要ですし,日本から世界的な名画を出すことも可能なはずである。そういうことをやろうということです。
 それから,共生というのは,多様な文化や価値の間のかけ橋としての貢献です。例えば日本がODAでは世界でも最高ランクの援助をしていて,大変な貢献をしているのですが,このODAの日本発の思想がなかなかわかりにくい。単に開発の利便を提供するための資金援助だけでは余りにもつまらない。アメリカやEUは人権とか民主化を主張しながら与えるわけです。日本の場合は和の思想。和と共生ということ,自然との和,あるいは人間関係の和,そういうものを尊ぶような開発であれば援助しましょうとか,そういうことを言ったらどうかというような意見もここには含まれています。
 こういうことを,どのように実際行えばいいか。日本の文化発信が「ジャパニーズ・クール」と言われているように,日本の現代文化が提示するものは非常に意欲的で,これにアメリカやヨーロッパや,あるいはアジア各国でも多くの人が関心を持っていることは事実です。それが今のところは,制作者自身とか,それを必要とする人が発信を行っているだけで,日本政府や,そのほかの推進体制がはっきりしていなかった。外務省は確かに国際関係において重要な役割を果たしていますが,文化については外務省が全部できるとは思わない。ですから文化庁が積極的に,こういうところを外務省と一緒になってするということと同時に,経産省など,いろいろなところが文化を扱っていますから,そういうところと調整して効果的な対外文化政策を実行するための組織づくりが必要です。
 これから,この報告書を受けて,内閣府ではこういうことを推進する委員会等を設けて振興すると聞いていますが,これには民間の協力体制が必要です。アニメや漫画等についてどうやって効果的に発信していくか。また,表現とか言論の自由という問題があって余り政府とか公共的機関が創造の場に関与することについては,当然批判もあります。ただ,支援するという態度,効果的な支援体制を示すことは国際的なイメージも非常によくなります。
 次に対外文化機関・文化施設の拡充と充実について。これは私の以前からの持論です。今度の報告書では財務省の緊縮財政の影響で,こういうものがほとんど織り込めなかったのですが,対外文化機関とか文化施設が非常に貧しい。日本を代表する対外文化機関というのは国際交流基金で,これの事務所ないし会館は全世界19カ所しかありませんが,例えばフランスは全世界約110カ国に2,000カ所近いものを持っている。日本にも,東京の日仏会館だけではなく京都にもある。それから,ゲーテ・インスティテュートというドイツの機関も東京と京都にあります。ところが,日本にはそれに値するものが海外にありません。パリには日本の文化会館はありますが,いわば情報文化センターみたいなものがなかなかできない。ロンドンに行っても,そういうものはありません。一方,ロンドンにあるドイツのゲーテ・インスティテュートはだれでも使えて,館長は現代美術の専門家でドクターを持った人ですから,むしろドイツの宣伝ではなく,イギリス,ドイツ双方のコンテンツをどのようにうまく活かしていけるか文化交流の部分で研究していきたいと言っています。
僕は外国でいろいろな調査をしましたので,よくそういうデータも持っていますが,特にアジア各国において,やはり日本のプレゼンスというのは非常に弱い。ハノイへ行きますと,ハノイはあれだけアメリカと戦争をしていたのに,もう既にアメリカ文化センターがありますし,それからフランスの植民地だって,あれだけ確執があったのに,フランスのいわゆる越仏会館,フレンチ・インスティテュートといったものがあります。アンコールワットの発見そのほかで非常に業績のある学術機関もあります。そういうものが堂々と店を開いている。ところが,ベトナムにとって日本は非常に重要な国だと言われているのに,また日本にとっても重要な国だと言われているのに,日本のそういう文化センターは全然ない。これはハノイ大学の学生とかからも,みんなにどうしてですかと言われるのですが,そういうことがあります。
こうしたことを踏まえて,日本としても文化交流,文化業務のネットワークをつくることを積極的に進めて動くことが将来必要だろうと思います。少なくとも世界の主要都市には日本文化情報センターが,文化庁の支援によってできればありがたいということがあります。
 それから同時に,そういうことをしても,在外の文化交流担当の専門者を置くことがなかなか難しい。これは外交官とも違いますし,また交流基金の事務職員とも違う。文化に対して見識を持った人,自分の派遣先の国の文化についてもよく知っているような人が橋渡しをして,特に当該国におけるいろいろな文化人とか,あるいは知識人,学者のネットワークをつくることができる人が求められます。
 それから,現代日本文化の発信産業として重要な役割を果たすのがコンテンツ産業ですが,先月末の新聞に次のような関連記事がありました。コンテンツ産業連携への閣僚会合というのがあって,映画や音楽,ゲームなどコンテンツ産業の振興でアジア各国の連携を強めるために,日中韓と東南アジア諸国連合(ASEAN),インドの計14カ国による閣僚級の会合が11月28日に東京で初めて開かれる。国際共同制作の活発化に向け,各国が窓口を整備するなどで合意する見通しだと書いてあります。
アジアのコンテンツ産業は年10%前後成長を続けていて,日本はアジア市場で主導的な役割を果たしたい考えで,国際共同制作の推進のほか,人材育成の推進とかコンテンツの取引市場への連携強化とか,貿易投資環境の整備などが確認される見通しだと聞いています。世界のコンテンツ産業の市場規模は,04年は約140兆円で,8年には約180兆円に成長する見込みだと。アジアでは年10%前後と世界平均を上回る伸びを続けておりますから,世界シェアも04年の19%から15年には28%に達すると見られる。こういうようなことで,日本のコンテンツ産業,あるいはアニメ等のソフト産業も,今や産業として大きく成り立つような状況になっていますが,そのときに,今ここで触れたような政策が繰り出されると,もっとはっきりとそれを発展させることができるのではないか。
 最後に,東アジアにおける積極的な文化協力・交流ですが,東アジア地域は,日中韓を見ても政治的にぎくしゃくしています。経済競争も激化しています。経済的には世界の30%以上を占める地域になっていますし,中国を中心に発展も目覚ましく,東南アジア諸国も大変大きな力を持つようになってきています。ここで日本が果たすべき役割に文化協力や文化交流があって,これがいわば基礎的な──日本といえば歴史問題とか,いろいろな問題がすぐ繰り返されますが,相互理解の促進と友好関係の強化に,最も役立つだろうと思います。現にまた,そういうニーズが中国やそのほかの国にもある。韓流ブームで一挙に韓国と日本の距離が縮まったと言われていますが,現実問題として,こういうことで日中のかけ橋をつくっていくことが必要ではないか。文化交流の果たす積極的な意味とか効果を改めて皆様に訴えて,「国際交流等の推進」についての発表を終えたいと思います。
 それでは,後半の発表に対する皆様のご意見を賜りたいと思います。

○松岡委員 国際文化交流に役立つ人材の養成は大事です。むしろ国際交流の中で一番大事なのは人ではないかと思います。例えば蜷川幸雄さんのイギリスでの公演や,ニューヨークのジャパン・ソサエティーの活動を割に間近で見ておりますので痛感するのが,今ここに言われている日本側の人材育成とともに相手国側の人材を育成することも大切だということです。私が今挙げた2つの成功例ですが,蜷川さんの場合は,その舞台にほれ込んだ強力なプロデューサーがイギリス側にいたわけです。それから,ジャパン・ソサエティーを拠点とした日本側からの舞台,ダンスや演劇公演も,向こう側に,日本の演劇や舞台芸術に理解があり,すぐれた目を持った人がいたことで実現した。ですから,そういう交流を通じて相手国にどれだけ日本の文化を理解し,積極的にその国に招こうと思う人がいるかいないかによって,状況がまるで違ってくると思います。

○青木部会長 そういうキーパーソンを見つけることが,非常に重要だと思います。
 国際交流等の推進という点から,国際連携のコンソーシアムをつくったりネットワークをつくったりして交流を深めることで,相手国のこともよくわかる人が育ってくれば,松岡委員のお話のようになるわけです。今のところは蜷川先生とか,日本の代表的な人しかそういうことはできないけれども,もっと普通のレベルの交流を,それこそロンドンの情報センターの人がきちんと行ってくれれば一番いいのです。

○関委員 田村先生から問題はやはり中身で,それが希薄化してきているのではないかという議論がありましたが,その中身の議論をきちんとした方がいいと思います。その過程で,日本がアドバンテージを持っていると考えられている文化,これから発信していく文化,それからまちづくりのときに取り上げていく文化というものの,競争力を一つ一つ評価して,何がアドバンテージで,何がアドバンテージでないのか。どういうふうにすればそれが競争力を持つようなことになるのかという,実質的な中身の議論が抜けているのではないのかと思います。国際競争力という観点から見たときに大事にしなければならないこと,育てていかなければならないことを全部棚卸しした上で,具体的に政策を論じる。文化の状況と文化政策は別という議論がありましたが,文化の状況を一遍やはりそういう視点で全部棚卸しして,そして文化政策を論じるという作業が要るのではないかと思います。経済人としては,必ずそうするわけです。それで,そういうことを進めるための体制を,どうつくっていくのかという議論になると思いました。

○田村委員 そうですね。私も強い,弱いというのが何か方法とかツールだけの問題になっているのが最近非常に気になっています。最近の韓国の映画を見ていると,やはり役者が違います。よき時代の我々が映画に期待した時代の役者の演技をしています。ところが日本の若い人たちは,テレビの小さい画面の中でタレントと称する人たちが出てきて,まさにままごとをやっている。これは奥様連中が大騒ぎするだけの話ではないという感じを持ちます。

○上原委員 それを支えているのは,基本的にはきちんとした環境を整えていることだと思います。ですから,中身についての議論はできますが,その中身を直接私たちが一つ一つさわっていくことはできないので,むしろそうしていくための仕組みとか,外枠の論議をせざるを得ないということになっていくのではないでしょうか。

○田村委員 環境だけではなくて,もう一つ,例えば地域を議論するときに,いろいろなプランナーと話していますと線が細い。つまり,その町の構造とか歴史を議論しないで,物すごく簡単な方法論だけを持ってこられる。今東京にたくさんのシンクタンクがありますが,いろいろな都市で議論をしても,既存のホームページから引っ張り出したような話だけをしてくるようなことが幾らでもある。

○米屋委員 私も上原委員と同じ意見でして,きょう田村委員がおっしゃった,文化の状況を語ることと施策を語ることは視点が違うべきだというのは,非常に重要なご発言だったと思います。きょうのご発表の中での共通点を申し上げると,目指していくべきグランドデザインを考えなければいけないということです。創造的な力を発揮できる人が活躍できる世の中にしていくことを文化政策の根幹に据えねばならないと思いますし,それが著作権政策であったり国語の問題であったりというところにも関連していくのだと思います。
 そこで,田村委員が場ということで,ケからハレへということを言われたことに関して。私が最初にイギリスに行って,イギリスの劇場をいろいろ調べていたときに,日本の演劇人とあちらと違うなと思ったのは,日本の演劇人はお祭りをやるようにいつも踏ん張っていないと,悲壮感を持って何かいろいろなものを背負ってやらないと何も実現できない。でもあちらの方は,見る人にとってはハレの日なのかもしれませんが,そのハレの日を見せる人は毎日日常的に淡々と職人技として提供できている。そこには,それを支えている仕組みがあって,専門性が蓄積され伝えられる仕組みがある。そこの違いをすごく感じました。日本の文化行政は,文化をお祭り的な一過性のイベントとしてとらえてきたところが強かったのではないのか。青木委員がおっしゃった文化を紹介する外交の拠点も,やはり蓄積があって常に発信できる拠点の整備ということでしょうし,専門性をどう蓄積して発展させていけるかという,そういう施策のデザインが必要なのではないかという感想を持ちました。

○青木部会長 一言だけつけ加えますと,文化機関が必要だということは,日本の文化配信というと,相撲を持っていったり歌舞伎を持っていったり,あるいはオーケストラを持っていったりというイベント的なことが,まず行政の発想にある。それだと予算がつくからです。でも,今はもう日常活動です。いかにそれぞれの国で日常活動レベルで日本との交流を進めるかということが大切であって,今の仕組みだと,それは非常にやりにくい。

○吉本委員 まず地域と都市の関係でいくと,クリエーティブシティーというコンセプトがあります。これは最近主にEU諸国を中心に,衰退した工業都市を芸術や文化で活性化しようという取り組みで,具体的には,産業遺構を大規模な文化施設に転用したりするプロジェクトが行われています。そのときに,何か文化施設をつくって文化事業をするというだけではなく,都市経営とか地域経営のある種の非常にファンダメンタルな部分というか,そういうもののソフトウエアのような感じで,文化やアートというものが浸透しているという気がします。これまで文化政策というと,何かいろいろな政策がある中の一つの領域としてとらえられていたと思います。ところが,今ではもっと政策全体を貫くような,あたかもそういういろいろな政策の基礎を支えるOS,オペレーションシステムとしての機能を発揮すべきではないかというようになってきている気が強くします。
 それで,我々の検討対象のタイトルも,「文化芸術の振興に関する基本的な方針」ですが,文化芸術による国とか地域とか,何かそういうものを振興するというように,文化芸術だけを対象とするのではなく,何かそういうふうに大きく広げた提案が,この審議会からできるといいと思います。
 それで,部会長の御発言にあったクール・ブリタニアと関連して,クリエーティブ・インダストリーというのも同様にあります。コンテンツ産業はクリエーティブ・インダストリーズの一領域だと思いますが,日本の場合は経済産業省を中心に行っているために,その経済的な効果ばかりが強調されている気がします。映画も確かにすごく経済的な効果があるし,これから重要な産業だと思いますが,それがどうも僕には経済的な側面だけに偏っているような気がするので,ぜひこの文化審議会からコンテンツ産業,あるいはクリエーティブ・インダストリーの文化的な側面,文化的な価値を強く打ち出すようなこともできればいいと思いました。

○嶋田委員 これまでは文化芸術を振興するために,これほどまでにいろいろしなければならないことがたくさんある中で,国民の視点で見て日本文化の強みとは何だろうというところが語られてこなかったように思います。全部だめなのかというと,すごく日本文化のよい点とか守ってきた点とかがあって,それをもう一回明確にしながら,なおかつ今抜けている点で,国際競争力というのは余り意識するといけないのでしょうが,競争力も含めたところで何をするのかというところを整理する活動もすべきではないかと思います。吉本委員のご指摘どおり,文化芸術ということだけになってしまうと,国力というものと全く分離した世界にあると一般の人は思ってしまうために,いつも文化を取り残して経済性ばかりを追求してしまう。そうではなく,文化芸術が国の仕組み全体の中で非常に重要なポジションにあるということを,もう一回きっちり明記する必要があると思います。
 それと,先ほどの国語力のところですが,私には,周りの若いお母さんたちと交流する機会があるので危惧していることがあります。それは,国語力を考えるときには,今は英語力と一緒に考えなければならない時代になってきているのに,それへの対応が十分でないのではということです。というのは,アジアの国々,ベトナムなどはもう小学校から英語を教えていて,それはいい悪いは別として,これから経済活動をする上ではとても有利になってくる。そんな状況の中で今,日本の若いお母さんたちからは,英語のクラスをセッティングする保育所の人気が高まってきている。そのことがいい悪いというよりも,何かもっと安心させてあげるというか,国語と英語の関係性を明確にして,基本的な国語として,日本人としてのアイデンティティーがきっちり形成された中に,また英語の文化も入れなければいけないというような学問的な研究をしてその成果を一般にも示していかないと,物すごい混乱にこれからなります。というのは,英語力がないために企業の中でもとてもマイナスになっていると思い込んでいる人たちが多いので,自分の子供には何とかしてやりたいということで,国語力は置いておいて英語力というように今走っている。けれども,実際は国語力がないと,アイデンティティーが保てないのだというところを,もう少し関係性の中で示していかないとならないと,私は周りを見ていて心配になっている昨今です。

○渡邊委員 ちょうどここに文化庁の資料で,国立美術館,国立博物館,文化財研究所の見直しという資料もありますので,これに関連して少し私の希望を述べたいと思っています。
 先ほど来,国際交流に関してはイベントを中心にするよりも,持続的な,あるいは継続的な交流が大切であると,私もそれはまことに同感でございます。そういうときに,我々の文化財保存の面で継続的にできるかということと同時に,またそれを行う人,またそれを行う機関というものをやはり想定せざるを得ない。文化財の保存に関しては,もちろんさまざまな大学の教授がプロジェクトを組んで行っておりますが,大体それは調査的な部分で,しかも経済的には学振の助成金を得るということで,大概年限が切られてしまって,悪くすると研究終了ということで跡形もなくなり,報告書だけが残るという話になります。その辺で,日本の現在のアジアにおけるプレゼンスといいますか,位置づけが問題になってきます。
 先ほどイタリアが非常に強力に文化財外交を行っていると申し上げましたが,そういう最中に,国立美術館,博物館,文化財研究所,これは持続的に文化財の交流ができる機関であると思っていますが,ここを予算規模的にも人的にもダウンサイジングする形で見直すという。ところが日本のこういう文化施設,美術館,博物館の人間は,人数から言えば決して多くない。特に文化財保護にかかわる人間というのは多くないのです。
 例えばサムスンの文化財保護プロジェクトがあって国際交流を行っていますが,その技術的な部分,あるいは教育のプログラミングを日本の文化財研究所が養成している。だれがやっても文化財のためになる交流だからいいのですが,日本の影がだんだん薄くなっていくのが現状です。この辺は,やはり文化庁がもう少し戦略的に文化財交流をとらえていかないと,ますます日本はアジアで影が薄くなっていくということです。それについてぜひとも対策を立てていただきたいと思います。

○横川委員 先ほど嶋田委員が,松岡委員の国語の問題と,それから部会長の国際交流のお話のことについて触れられましたが,私も同じ意見です。まず国語の力について。小さいときから英語を習わせなければならないということがよく言われますが,基盤としての日本語が家庭の中でも,あるいは小学校の中でもきちんと会話として成り立っていない部分が多いのではないかと思います。先ほどの敬語の問題も,核家族化されて,親子でありながら兄弟のような話し方がされることもある。あるいは,小学校で若い先生方がお兄さんお姉さんと,弟や妹というような会話の仕方になっていないか。これにはやはり少し考えていただくべき部分があると思います。その上で生活指導において子ども達がしかられたり,人を尊敬したりすることを学んでいく。そうしないと先ほど来の敬語の問題も,地に足のつかない議論になってしまう。ですから,まず家の中できちんとした会話をする。それから,学校の中でも,教師は何も偉ぶれということではなく,先生としての威厳を持って,きちんとした言葉遣いをしていただく必要があると思います。
 それから,海外に日本文化の機関としての拠点をつくる必要があるが,非常にそれが数少ないということについて。例えば国際交流基金とか,あるいは文科省,文化庁が特に文化関係で様々に海外からの招聘や,海外への派遣を積極的に行っています。そうして海外の研究者や芸術家が一定期間,いろいろな研究をしていく。そして母国へ帰る。問題は,それからの密なる関係がなかなかないということです。関係がそこで途切れてしまう。そういうことをうまく継続して連携を保ちながら行っていけば,世界の多くの国や地域との文化交流の軸をつくり上げていくことができると思います。

○青木部会長 本当にそう思います。海外では,日本に関する情報が非常に偏っています。例えばアメリカでは何か余程の事件でも起こらない限り,日本のことが新聞に載ることは,まずめったにない。だからこそ,日常的に海外との交流を行う窓口があるべきです。例えば日本に留学したいというアジアの人がたくさんいますが,どこにどういう先生がいてどこに行けばいいということが,ほとんど情報として示されていません。それが一つの窓口,あるいはセンターに行けばすぐわかるようにする。かつては,芝にあるアメリカ文化センターに行って,アメリカではどうしたらいいかと多くの人がよく調べたりしたものです。今ではインターネットでいろいろな情報がとれますが。

○横川委員 ですから,海外の大使館とか総領事館とかが,いろいろとあります。そういったところ。それで,彼らは非常に進んでいますから,今はインターネットで今おっしゃったようなことを尋ねようと思えばできるのです。対応もできるかと思います。

○青木部会長 基本的には人間関係,人と人だと思います。ところが日本は国際交流において人間関係が希薄になりがちなところが,大きな問題だと思っています。
 きょうは皆様から貴重なご意見,ご発表をいただきました。まだまだ問題がこれから展開するべきことが多いかと思います。先ほどの博物館とか,あるいはまちづくりです。文化的なバランスがとれたいい街が出現することが,まさに日本のソフトパワーの要の一つであって,中国あたりから,京都とか奈良だけではなくてあの街へ行きたいとか言われることが増えてくるといい。我々がヨーロッパの町について,いろいろな細かいことを知っていて話題にしているように。
そして,国語については英語との関係もありますし,一体どういう言葉になっていくのか。そして,それでいいのか。言葉は皆が使っている生きたものですから,これは簡単に定型化できないけれども,一体どういう言語なのかというような問題があります。
 それから,文化の中身について,まさにコンテンツで,内容について関委員がおっしゃったようなことは,どういうふうに議論を進めていくかが問題です。日本の大体の文化のあらゆるものが,何かうまく効果的に発信すればクールになり得ると私は思います。いずれにしても,貴重なご意見ありがとうございました。
 それでは,ここで文化庁よりご説明したいことがおありとのことですのでお願いします。

○伝統文化課長 政府の行政改革の流れの中で独立行政法人制度ができまして,国の文化施設である国立美術館,国立博物館,文化財研究所も5年前,平成13年度に独立行政法人化しました。それぞれ独立行政法人化したときに,国立美術館は4館あったものを1つの独立行政法人に。国立博物館につきましても,当時は3館,今4館ですが,それをまとめて1つの法人にしました。文化財研究所も,2つあったのを統合しました。
 それぞれ5年間の中期目標期間が定められていて,その5年間が終了するときに事業等を見直す仕組みになっています。今年度が5年目になりますが,この5年間にそれぞれの機関で非常に努力をして,例えば一般業務経費については,それぞれ1割程度を減らしました。また,美術館,博物館では,自己収入を1.5倍程度に伸ばし,入館者数についても1.3倍から1.6倍に伸ばしてまいりました。これらについて,次期中期計画を策定するに当たってどう見直すか,それについて,ことしの8月末に文部科学省の独立行政法人評価委員会が案をつくりました。その内容のポイントは,職員の身分については非公務員型に移行すること。それから,経営努力,民間委託をより一層推進して効率的な運営に努めること。それから,国の独立行政法人であるということに注目して,事業をそれぞれ重点化するといったことです。
 これを受けて,さらに今度,総務省の独立行政法人評価委員会においてご議論をいただいております。また,それ以外に行政改革推進本部という内閣総理大臣を本部長とする会議がありまして,その中の有識者会議,これは座長はセコムの飯田最高顧問ですが,こちらでもご議論をいただき,その有識者会議において去る10月28日に指摘事項が出されたところです。我が国の財政が危機的状況にあることを踏まえて,独立行政法人の見直しについて意見を述べるということで,ポイントは3つあります。
 1つ目が,独立行政法人の職員については身分を非公務員化すること。2つ目は,組織を見直して抜本的な効率化を図るべきであるとして,類似業務を行っている,あるいは共通の目的を持っている法人については,再編・統合について検討すべきではないかということで,国立美術館と国立博物館と文化財研究所について再編・統合をさらに検討すべきという提言をいただいています。3つ目に市場化テスト等,さらなる業務運営の効率化,あるいは民間委託の推進を図るべきであること。こういう指摘事項をいただいています。この指摘事項を受けた形で,今度は総務省の評価委員会で勧告の方向性が今月中旬に出され,それを踏まえて12月下旬に政府の行政改革推進本部で,この独立行政法人のあり方,次の中期計画に向けての見直し内容を決定するという日程になっています。
 民間委託については,一方で規制改革・民間開放推進会議という会議もありまして,そちらの方では市場化テスト,つまり公平な競争条件のもとで,今まで運営をしていた官と,民間が競争入札を実施するという仕組みや,さらなる民間委託の推進ということもまた,別の会議で検討されているところでして,現在の状況をご報告いたしました。

○渡邊委員 独立行政法人の問題が出てきたときに,いずれ先ゆき独立行政法人はみな民間型に移るだろうという認識は持っておりました。ただ,奈良と東京の文化財研究所が一つに統合されるときに私は当時の文化庁長官に「この際,全体的な見直しを文化庁も入れてやってほしい」と進言しました。それは組織の定員の問題や,目的を含めてです。しかし,緊急性はあるのですが時間的猶予がないということもあったと思いますが,「独立行政法人になってからしてくれ」ということで話が終わってしまっています。
 先ほど来,機関がこれから有効に活動していくために,何をするのかというようなことと同時に,やはり政府として,民間型になっても相当政府の金,税金を使うわけですから,何が求められているのかという視点を,機関の方にも持ち出して両方で検討しないと,戦略的な課題は浮かび上がってこないし,それを実行する体制にならないと思いますので,その辺を文化庁の方々にお願いしたいと思っています。

○青木部会長 先ほどの吉本さんがおっしゃったように,余り経済効果ばかりで文化をはかるのは,どうかということがあります。先ほどの新聞の記事のこともそうですが,確かに文化産業を育てることは必要です。それもものすごく必要ですが,文化庁がむしろ文化の価値とか内容とかいうことをきちんとまとめて提言していただきたいと思います。

○関委員 私は,国立美術館と博物館と文化財研究所の統合・再編は,すぐにでもやってもらいたいと思いますが,問題はそういう視野ではなくて,そういうものを核としながら,民間の美術館等も含めたすぐれた美術館や博物館の運営という発想がもう少しあってしかるべきではないかということです。そうすることによって,民間からいろいろ金を引き出すこともできると思います。だから,視野としては国立研究所の国立施設の統合ということではなくて,どういう形がいいかわかりませんが,その次の民間を含めた再編・統合のようなことを考えて,民から相当の資金を集めるというような展望が要るのではないのかという気がします。これはここで議論することではないかもしれませんが,先ほど申した国際競争力といったことは,そういうことを言っているわけです。

○加茂川文化庁次長 どうやったら民間がお金を出してくれるか,ぜひお知恵を拝借したいと思います。

○関委員 それは構想の魅力です。魅力ある構想であれば経済界で協力できると思います。内容の問題なわけです。
 私が言っていることは少しわかりにくかったかもしれませんが,例えば東京大学にしても,幾ら外国の優秀な先生や学生に来てくださいと言ってもそれだけでは競争力はないわけです。ですから,そういう一つ一つの中身をやはり濃いものにしていかないとならないと思います。発信する前提となる中身の議論をぜひしてもらいたいということを申し上げたいわけです。

○青木部会長 今の東京大学に発信力がないという話でしたが,今,大学の査定がロンドンタイムスとかいろいろなところで,今度ユネスコもすると言っていますが,世界の大学のランキングとか,そういうことが非常に大きな話題になってきています。昨年では東京大学は世界12位で,北京大学が17位。ことしのものが11月に出されて,この間,東京大学の総長に呼ばれて話をしてきましたが,そのときに東京大学側が言うのは,ことし北京大学に抜かれたことについてが焦点でした。それはいろいろな問題をもちろん含んでいますが,やはり日本の文化指針として大学が非常に魅力的だということはあるべきです。アメリカのソフトウエアの本当の中心は大学ですから,そう思います。

○上原委員 今,中身が問題だというご指摘がありました。そのとおりだと思いますが,その中身をつくっていくのは,そこで仕事をしている専門家たちです。先ほど渡邊委員の方からおっしゃっていただいたように,日本の学芸員の数は,目を覆うばかりの少数です。そこで世界の博物館や美術館との競争力をつけることができるのかどうかということが問われているわけでして,決して市場化テストで安い方が管理運営した方が競争力がつくといったたぐいのレベルの問題ではないと私も思っています。そういう状況であるということを,少なくともこの審議会に参加している委員は認識しておかないと,価値をつくるということは一体どういうことなのかということが忘れ去られて,運営の効率化とか行財政改革の流れの中で流されてしまうような気がして仕方がありません。それぞれの文化的な核になるところは一体何をすべきなのか,ミッションは何なのか,国立であるという意味はどういうことなのかということを,きちんと踏まえた上で実施されないと,日本の国の文化はストックが全くなくなって,フローばかりになってしまうのではないか。そのフローもストックがないから内容のないものにしかならないのではないかという危惧を持っています。

○青木部会長 日本ではルーブルとか,そういうものはどちらにしてもできないのではないか。先ほど関さんがおっしゃったように民間も一緒にして,アジアでも最高に魅力があるような美術館,博物館が日本でできるとしたら,スミソニアンタイプではないかと思います。零戦から何から全部展示して,日本の産業過程も示していく。

○根木委員 先ほど上原委員がおっしゃったことは全く同感です。もともと文化政策には,弱いところを支えると同時に,強いところはさらに伸ばすという,両面があると思います。卑近な例で申し上げますと,東京芸大には留学生が100人少々いますが,工芸とか,文化財保存学,伝統芸能の分野は,大体全世界から集まってきています。一方,絵画,彫刻,それからクラシックの分野に関しては大体アジア系が多いといった状況になっています。そこからおのずと我が国の強い部分,弱い部分がわかるだろうと思います。そういったところにどうめり張りをつけるか。強い部分は当然伸ばすべきでありましょうし,弱い部分に関してはさらに政策として後押しをする,それが文化政策ではなかろうかという感じがしています。したがって,勝ち組だけを残すというのは,よろしくないことであろうと思いますし,むしろ負け組の方にどう国家としてサポートしていくか,このことが最も必要なのではなかろうか。そんな感じがしています。
 それから美術館,博物館と文化財研究所の統合の話ですが,先ほど関委員の言われたことはもっともと思いますものの,一方それら3つはそれぞれ目的,性格が違うわけでして,これをそのまま一緒くたにするというのは極めて乱暴であり,これまでの経緯,本来の目的,そういったものをきちんと踏まえた上で,なおかつ一緒にすべきなのかどうかを考えるべきです。少なくともこれまでの経緯から見ますと,これらをすべて一緒にするというのは乱暴きわまる話ではなかろうかと思われます。この点を審議会としても十分含んでおいた方がよろしいのではないかという感じがしています。

○青木部会長 おっしゃることは非常に意味があると思います。ただ,基本的に文化の価値の問題は平等主義ではないです。ですから,弱いところにどういう意味があるのかです。やはり強いところが少なくなったら意味がないと私は思います。弱いところがどうして弱いか,あるいは日本にとって必要なのかどうかという議論は,もっと個別にやった方がいいのではないでしょうか。つまり,平等主義的に全部少しずつ行うというと,結局何の個性もないようなものができ上がって,先ほどからいろいろと議論が出ている,言葉から何から全部それに当てはまってしまいます。ですから,行政のいいところは公平性ということですが,公平性は重要ですけれども,文化政策については必ずしも平等主義だけで行ってはいけないということがあるかと思います。すっかり時間が超過いたしました。討議はこれで終わります。
 最後に事務局より,次回の日程そのほかについてご説明があると思います。

○関政策課長 次回,第21回ですが,11月30日(水),時間は14:00から16:00の2時間。場所は今回と同じ11階のゴールドルームということでお願いいたします。
 内容については,今まで委員の皆さま方からのご発言を整理したものを準備したいと思っています。それを踏まえて,どのように部会としておまとめいただくかということについて,青木部会長ともご相談したいと思っています。

○青木部会長 それでは,一応私の責任でこれまでのご発言をまとめまして,この委員の中からご協力を仰ぐ方がいらっしゃるかと思いますが,それを皆様に提示してご議論をいただきたいと思います。それでよろしいでしょうか。
[一同から,異議なし]
 では,これで閉会いたします。

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