文化審議会第4期文化政策部会(第2回)議事録

1. 日時

平成18年4月13日(木) 13:00~16:00

2. 場所

東京會舘本館 12階 ロイヤルルーム

3. 出席者

(委員)

青木委員 上原委員 岡田委員 河井委員 川村委員 熊倉委員 嶋田委員 田村(和)委員 田村(孝)委員 富澤委員 中島委員 
根木委員 松岡委員 真室委員 横川委員 吉本委員 米屋委員

(事務局)

河合文化庁長官 加茂川文化庁次長 辰野文化庁審議官 高塩文化部長 岩橋文化財部長 亀井文化財鑑査官 竹下政策課長 他

(欠席委員)

伊藤委員 尾高委員 白石委員 山西委員

4.議題

  1. (1)テーマ別審議(1)

    「これからの文化芸術の振興方策」
    三浦朱門氏(作家、日本芸術院院長)
    福原義春氏(資生堂名誉会長、企業メセナ協議会会長)

    「地方公共団体における文化芸術の振興方策」
    野呂昭彦氏(三重県知事)

  2. (2)その他

5.議事

○青木部会長 それでは文化審議会第4期文化政策部会(第2回)を開催いたします。
 本日は、大変お忙しい中をご出席いただきありがとうございます。
 また、本日は、有識者としてご意見を拝聴するために、三浦朱門先生、それから福原義春先生、また野呂昭彦三重県知事にお越しいただいております。

○青木部会長 まず文化庁の人事異動について、その紹介を事務局よりお願いいたします。

○竹下政策課長 <文化庁人事異動について報告>

○青木部会長 それでは、議事に入ります。まず、事務局から配布資料のご確認をお願いいたします。

○事務局 <配布資料の確認>

○青木部会長 次に議事録の確認をさせていただきます。<議事録の確認について説明>
 文化政策部会では、前回より、文部科学大臣から諮問を受けております「文化芸術の振興に関する基本的な方針の見直し」に関して審議を開始し、前回は、今後の審議の進め方などについてご検討をいただきました。
 前回多くの委員より「我が国の文化政策について大局的な見地から審議すべきではないか」といった意見をいただいたこともありましたので、本日は我が国の文化芸術施策、振興方策の在り方など、文化政策全般に関しまして、本日部会にお招きした有識者の3人の先生からご意見を伺い、その後、委員との自由な意見交換を通じて審議を深めてまいりたいと思っております。
 それではまず、三浦院長よりご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。

○三浦氏 今後皆様が審議することは、今後政府の方針の原案となり、刊行物として一般国民に配られることになると思います。そして私の役割は、今後の審議のイントロダクションとなることだと考えています。ですから今後審議を進められるときに、「あのときにこのような話があったが、このことはどう考えるのか」というような、問題を提起するという形で役に立てば大変光栄です。
 本日のこの会場からは皇居前広場が見えますが、昭和15年の一日、この皇居前広場をつくる作業行ったことがあります。午前中で作業が終わったあと、午後近くにあった日比谷映画劇場でアメリカの映画を見て帰りました。
 そのことが先生に発覚し、叱られたことがありましたが、私が「せっかく都心に来て、午前は皇居前広場をつくる作業をしたのだから、午後はアメリカ映画を見に行こう」と思ったのはごく自然な気持ちで、つまり、ナショナリスティックな伝統的なものと外国のものが、私の中でそれほど矛盾なく同時に存在していたのです。
 私は、日本の文化は、伝統的なものと外国から来たものをそれほど矛盾なく受け入れる体質を持っているのではないかと思います。我々はごく自然に、海のかなた、山のかなたにあるものを役に立つと思えば取り入れ、そして伝統の中にそれを生かしていくという性質が昔からあったと思います。
 例えば、法隆寺が一度焼失し再建される間の頃に、伊勢神宮がつくられています。それ以前にも伊勢神宮と同様の位置づけの神宮はあったと思いますが、天武天皇が壬申の乱の際、尾張へ向かう途中に伊勢神宮を遥拝されたということがあります。つまり、伊勢神宮は、日本の伝統そのものなのです。
 アワビの料理法とか、食塩のつくり方とかなどのソフトは千何百年前のしきたりがそのままに残っている。
 法隆寺の壁画も「あれを描いたのは実は韓国の芸術家なんだ」と言う方もいますが、それがそのとおりであっても全然構わない。ただ、純粋に外国のものとして法隆寺をつくり、こちらの方は、一点一画、瓦一枚も損じないように昔のままを残しておく。
 一方で、伊勢神宮の社殿は、20年ごとにつくりかえる。つまり伊勢神宮というのは20年以上古い材料というのはないわけですね。ただ、設計図や仕様書あるいは工事のプロセスといったソフトの部分は、20年ごとではなくて1300年来ずっと変わらない。つまり、伝統は、絶えず新しくつくり直しているけれど、そのソフトの部分においては一貫している。他方外来文化、たとえば大陸の文明についてはそれを正確に学びとろうとする。これが日本が異国の文化を取り入れる基本的な態度ではなかったかと思います。
 これは、後に明治維新のときにもそれと同じことが繰り返されました。「文明開化」ということを言います。そして、ちょんまげを結っていたのが、西欧ふうに髪の毛を伸ばしまして、背広を着る。そして、西洋ふうの学校をつくる。それから、法律をつくる。あるいは、社会のシステムを西洋ふうにする。しかし、その中に、目に見えない形で日本的なものがちゃんと残っている。
 私はアメリカの方を皇居前広場へ連れてきたことがありますが、そのときに、ここにあり、目に見えるものは全部、侍がつくった遺跡であって、天皇がつくられたものは全くないという趣旨のことを言うと、非常に不思議そうな顔をします。
 それに対し、バッキンガム宮殿やベルサイユ宮殿、シェーンブルン、あるいはルーマニアのチャウセスクの宮殿などは、君主たちが自己の存在を印象づけるために立派につくられたものです。しかし、例えば皇室は最も日本の伝統の基本的なものだと思いますが、その基本的な伝統というのは、いつも塀の中で受け継がれ、代がわりをしながら、20年ごとの伊勢神宮の式年遷宮のように続けられていく。その反面、西洋のものは一点一画違わないように厳密に受け入れる。
 私たちの外国語教育の基本は、外国語を正確に理解する、つまり、文法と字引による語学力でしたが、これはやはり日本の外国文化に接する基本的な態度ではなかったかと思います。そして、私たちは、外国語教育を受けるときに、字引と文法書によって、外国の精神を正確に学びとることを教えられた。やはりそれと似たことは、第二次大戦後の民主主義の時代にも繰り返されたのではないかと思います。
 このような繰り返しの中で、日本の文化は次第に広がりを見せてきました。そして、ほんの60年前までは、生の魚を食べると野蛮人みたいに思われたのでが、今は世界中にすし屋がありますし、このごろフランスのレストランに行きますと、昔はお皿というのは丸いのに決まっていたものが、四角い皿や細長い皿などがあって、日本の懐石料理のような出し方をすることもある。そういうことを考えますと、日本的なるものというのは、世界に広がっているということを感じます。
 これは、例えば学問の世界で言うと、恐らく日本は、非ヨーロッパ文明圏の中で最も多くのノーベル賞受賞者を輩出しているのではないかと思います。そのことを思いますと、非ヨーロッパ圏の中で、つまり近代国家の主役国以外で、学問の世界で一応の業績を上げていたのは日本だけではないかと思います。
 また、今まで研修者が活躍する場は大学が中心でしたが、最近は企業の中でよりよい商品をつくろうと思い研究しておられる方々の中からノーベル賞受賞者が出る。もちろん、カミオカンデにおけるニュートリノの発見のような、学者の発想や情熱に基づく業績、発見は立派なものだと思いますが、それを支えた企業の技術もまた無視することはできないと思います。そういうことを考えると、学問も大学から外の世界に、象牙の塔から一般社会に広がっていきつつあると思います。
 では、文化とは何かということについて私の考えを言いますと、個人の、あるいはその個人を生んだ社会すなわち国家の価値観の総体ではないかと思っています。「価値観の総体」というと分かりづらいようですが、つまり、どういうものを食べたいか、どういうものを着たいか、どういう生活をしたいかということ、それが価値観の基本になるものだと思います。
 食べ物を例に挙げて言いますと、「こういうものを食べたいんだ」という人がいると、それにふさわしい食べ物を供給するシステム、あるいはその個人の嗜好が大事にされる。そして、多くの人が好む食べ物をつくろうとする。その中からその分野のエリートも出てくる。これが文化に対する要求、あるいは文化の発展の原理ではないかと考えています。したがって、文化の発展の根本的なエネルギーは、民間にあると思っています。国や政府が主導して「こういう文化をつくろう」ということを言ってもあまり意味がないことだと思います。
 明治の文明開化にしても、政府が音頭をとったからみんなが従ったのではなく、国民が、新しいもの、異国のものにあこがれ、そして同時に、今までの封建的な体制ではやっていけないということを感じたからこそなのです。小説で言うと島崎藤村の『夜明け前』という作品がありますが、この作品は、日本の国学を学んだ信州の宿場の庄屋が、これからの時代はこのようなことではいけないと思い、西洋の文化をなんとかして受け入れ、そして自分の子どもに西洋流の教育を授けるという、精神の成長を書いた小説だと私は考えております。これは小説上の架空の人間の話ですが、明治の初めに日本全体をとらえていたのは、その小説『夜明け前』の主人公たちと同じ情熱、同じ危機感ではなかったかと思います。
 したがって、私が、もし国に要求するもの、期待するものがあるとするならば、個々の人間の文化活動、つまりいいものを食べたいとか、あるいは楽しい生活をしたいとかいうようなことも含めて、そのようなことが満たされるような条件づくり、あるいは場をつくるということに尽きるのではないかと思います。
 例えば、ほんの30年ほど前までは、コミックや漫画について、親は「漫画ばかり見ていては、いけない」と言ったものですが、現実に、日本のコミック、あるいはそれに類似する世界のものは、今世界的に大きな影響を与えている。漫画家という職業そのものがいいということを言っているのではなく、社会あるいは政府がそれほど評価しないものであっても、優れた才能があり、情熱を持った人々が、日本社会のあるいは世界の要求に応える作品をつくった場合に、それが成功につながっていくのだと思います。
 このような才能は、教育してできるものではありません。例えば私は、皇居前広場の作業をして、その後アメリカの映画を見に行って、「午前してることと午後していることがばらばらではないか」と先生に言われましたが、先生は私をそれほど強くは叱らなかった。私はそういう先生を今になって本当にありがたいと思っています。そのような午前中、勤労奉仕をして皇居前広場をつくり、午後、アメリカの映画を見て帰るというような複雑さの中に、日本的なものがあり、そこには、さまざまな雑多なものを受け入れながら、感性豊かな人間を育て、それが世界をより豊かなものにしていくという日本文化の秘訣があるかと思います。
 もう一度繰り返しますが、政府は文化活動の主導権を握るべきではない。ただ、文化的な動向をよく見定めて、そして新しい傾向の芽が伸びるような、客観的な環境をつくっていただきたい。そういうことに尽きるかと思います。以上です。

○青木部会長 ありがとうございました。続いて福原先生にお願い申し上げます。

○福原氏 元々、民間から、どのように文化芸術振興基本法が見られているかということの一端をお話しします。
 この法律ができる前、私たちが漠然と考えていた、あるいは文化庁側や議員が考えていたのは、まず、豊かで潤いのある生活を求めるような世情であったこと。当時、経済成長も盛んで、それがこれからまた落ちるという状況でしたので、何か潤いが足りない、ぎすぎすしたところがありました。
 日本では蓄積された固有文化があるにもかかわらず、次世代に継承されていないのではないか。次世代に継承することによって、未来を担う創造的な活動が生まれるのではないかということを私たちは考えていました。それから、ハードパワーからソフトパワーへの世界的潮流の中での国際競争というのは、もはや国民と国家の文化力に支えられて、軍事力やお金、政治力ではなくなってきた。相対的にそれらの地位は低下してきたということを考えていたわけです。
 この文化芸術振興基本法が提出されるということになり、そのとき私たちは、当初は「芸術文化振興基本法」と理解していたが、いつの間にか「文化芸術」に変わっていました。それが何を意味するかということはよくわからないが、タイトル一つでも変わっています。
 1988年、京都における第3回の「日仏文化サミット」では、佐治敬三さんと如月小春さん(いずれも故人)のお二人が席上で、日本側同士で大変激烈な論争をされました。つまり、佐治さんが「大衆が理解できなければ文化ではない」と言い切ったのに対して、如月小春さんが大反論をなさったのです。
 今日はご欠席の伊藤裕夫委員がそのころに「幅広い国民層で議論がないまま政治家主導で法案を制定して、将来に問題を残す」というようなことを発言しました。
 文化芸術振興基本法が制定され、それについて反応がどうだったか。「文化と芸術」なのか「文化芸術」なのか、いずれにしても文化芸術についての定義が(定義というのは大変難しいが)漠然とでもクライテリアを持つかどうか、質をどう見るかということで、これらについては全く明確ではない。基本法で、精神を謳ったものだから、その結果、あらゆるものがその中に含まれてしまって、総括的な理念によって、この法律は何を律するかということがわからないままになってしまったわけです。
 施行後、マスメディアで大きな取り扱いはされなかったように思います。現在でも、超一流の評論家の方が、「そんな法律があったのですか」ということを言われたというのを聞いて驚きます。私たちの世界ではこの法律は大変身近なもので、また若干議論にも参加したので、知らないわけはありませんが、一般の方々にはあまり浸透していないまま、今日、見直しになったということです。
 この法律は理念は述べているが、強制力がないので、これ基づいた関連法や制度ができない。実施計画のような具体的なものが生まれてきません。その点では、科学技術振興基本法は、具体的なプロジェクトや予算措置が組み込まれたということを聞いていますし、いわゆる「NPO法」、特定非営利活動法人法においては、今NPO法人が全国で大変な活躍をしています。
 現状がどうなっているかということを考えると、施行後、文化庁事業の増大には確かにつながりましたが、さきほど三浦氏のおっしゃったような国民側で一体どのような活動が行われたか、それによって国民生活にどう影響があったのか、成果としては5年間に何が生まれたのかということは、これから詳しく検証する必要があるのではないかと思います。
 そして、政策上の優先順位に文化芸術活動は全く考慮されていないわけです。
 一つの例を挙げれば、26条に「美術館・博物館に対する支援」が述べられていますが、現実には予算はマイナスシーリングされていますし、指定管理者制度は、教育・医療・文化にはそぐわないのではないかと思います。それから市場化テスト、これは経済的な法則を文化活動に当てはめるのは、いくら何でも無理ではないかと考えています。
 それから、税制上の措置がなされていません。すると、先ほどの民間の自発的活動を促進することを基本とするということを精神として述べていますが、例えば31条の「個人または民間の寄付に対する税制上の優遇措置」は、一部実現したところがあると言われますが、まず実現していないと言った方がいいのではないでしょうか。
 参議院の文教科学委員会における附帯決議では、「必要な財政上の措置を講ずる」と記録が残っています。また、その前に、平成13年5月14日、衆議院予算委員会、基本的質疑速記録を見ますと、小泉内閣総理大臣は、「これから文化関係予算についても、塩川財務大臣がいらっしゃいますが、今後予算配分も変えるということを言っているわけですので、私も、どこまでできるかわかりませんが、提案を誠実に受けとめて、日本も世界の先進文化諸国に遜色のないような、文化予算のきっかけをつくってみたいなという意欲がわいてまいりました」と言っています。このとおりには、必ずしもなっていないと思います。
 法律をこれから充実・改正するなら、次のようなことを視野に入れてもらいたい。先ほど、文化芸術の質的な評価をするにはどうするかということを言いましたが、それ以外に、例えば公共的な文化政策、1930年代におけるニューディール政策、あるいは、楽市・楽座や堺のような場づくりということもあるだろうと思います。
 そして自治体の文化政策はどうあるべきか。ハコをつくって文化ができたという時代は終わりました。それならば、ハコをどう維持するのか、それから地域の文化政策をどう発展させるのかということについては、むしろ地方自治体は困っています。
 また民間の多様な文化の振興がどのように成果を高めるのだろうか。三浦院長がおっしゃったとおり、1995年の阪神・淡路大震災のとき、あの一斉にボランティア、あるいは支援物資が送られたが、これは政府が奨励したわけでもなし、マスメディアが音頭をとったわけでもありません。それなら人々が自発的に出ていきやすいような法律体系、まず基本法を、その先に関連法規をつくってもらえればと思います。
 我が国独自の文化というのは間違いなくあるわけで、その文化面における政策、世界競争力を高めるような政府レベルの世界戦略もあってもしかるべきですし、民間においても、きっかけがあれば、いろいろな団体がつくり得るような能力を持っていると思います。
 そして、コミュニティの活動、あるいはNPOとの関係の整理。NPOにはいろいろなものがあり、例えば「芸術支援のためのNPO」とはっきり謳ったものもありますが、そうではなくて、必ずしも文化芸術そのものを目標としないが、結果として好影響を与えるようなプロジェクトがかなりあります。NPOを見出して、どのようにその活動を高めるかということがあろうかと思います。
 かなり生活文化に近いものもありますが、娯楽とか時間消費のための大衆的な文化活動を今のままほっておいていいのか、もう少しレベルアップするような方法をとることはできないのかということがあります。必ずしも罰することではなくて、いいものを褒めるとか、いろいろなやり方があると思います。
 文化交流と相互理解による国際平和の貢献についてはもう青木部会長が中心となって内閣で検討中です。言うまでもないので、私たちは現場で、いかに文化交流というのが政治に、あるいは商売に、どんなに大きな役に立つかといことを、身をもって体験しているので、それが結局、バイラテラルのような交流が世界中の平和につながっていくのではないかと、楽観的かもしれませんが、考えています。
 別添資料が四つほどありますが、文化庁月報、平成12年に企業メセナ協議会の専務理事だった根本長兵衛による提言です。根本長兵衛と私とが交わした議論というのは、彼が「役に立たない法律をつくることは罪である」と言ったのに対し、私は「そうであっても、害がなければ法律をつくるべきだ」と論争をしています。それから、3番目に、メセナリポートで、我々のメセナ協議会でアンケートをとった1社当たりの平均メセナ活動費の総額と、活動費総額合計がどのように年度によって変わっているかという表があります。
 そして、メセナ協議会の助成認定制度のなかで年度ごとの認定件数、寄付金総額の推移表です。不景気を理由にして文化芸術活動にそそぐお金というのはかなり減りました。そこで、マスコミは「メセナは死んだ」という標語を使いました。ところが「経済がよくなってきた」というかけ声のもと、次第にじりじり上がってきました。しかし、今度はそれがまた若干様変わりしまして、件数がふえて、1件当たりの金額が少し減ってくる。トータルとして上がる。これは、私たちはむしろ非常にいい傾向です。つまり、そういうことをする会社が、あるいは個人がだんだん増えてきているのだと考えているので、この方向で少し頑張っていきたいと思います。
 別件ですが、文化庁月報の今月号に私が、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館の館長であるマーク・ジョーンズの話をもとに、諸外国の美術館活動はどうなっているか、日本だけこのままほっておいていいのかということを書いていますので、ご覧いただければありがたいと思っています。

○青木部会長 それでは、続きまして野呂三重県知事からお話をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

○野呂氏 まず、きょうはお招きいただき、今、三重県が取り組んでいる「文化力」というテーマについてお話をさせていただく機会をいただきまして大変うれしく思っております。
 実は、私自身は以前、衆議院議員を4期務めておりましたが、そのときには国を変えるのだ、改革、改革ということで自民党を飛び出して新進党の結党に参画をしたりというようなこともございました。衆議院の選挙で失敗をいたしまして、その後、地元の市長になれという強い要請を受けまして、松阪の市長を務めました。ただ、1期も務めないで2年9カ月か10カ月で、前の北川正恭知事がお辞めになるということで、今度は知事に担ぎ出されました。
 国会議員のときにはどうも前にばかり頭が行きまして、改革とは前に進むということで、人には「三歩先まで歩もうとすると、人は理解できないよ」と言われたことがございました。そういう経験をしまして、市長という市民に直接向き合う行政を経験をいたしました。国会でいろいろ取り組んできていたことと、現実に、市民生活をまのあたりにしてしっかり受けとめてみたときとの落差を少し感じたところでございます。そこで、地方行政においては、もっと足元から素直にしっかり構築すべきだということで、松阪市の場合にも、「市民が主役」というところからスタートをしたわけです。
 資料にありますように、三重県政を考えましたときにも、私は三重県というのは県民、もしくは県においでをいただいた方もそうでありますが、そういう人たちが人生の長い時間、あるいは一コマを踊っていただく人生の舞台なのだ、県政はまさにその舞台づくりだというところから政治行政はスタートすべきではないかと考えました。
 ですから、県政の運営は、「誰のため、何のため」ということを常に復唱しながら行なわなければならない。その上でどういう三重県をどのようにつくっていくかということであると考え、3年前に、選挙でも主張しました。選挙後も、その次に書いてあります「県民が主役、県民との協働」、そして、通常は県政運営に「感性」という言葉は使わないかもしれませんが、県民のみなさんに、県民が主役での人生の舞台づくりだから、主役のあなた方も一緒に舞台づくりに参加してくださいと言うからには、県民の思いをしっかり受けとめられなければならない、すなわち、行政側にいる私たちは感性を鋭く磨いて、豊かにしていかなければならない、こういうことを県政の運営の基本にしております。
 そこで、どういう三重県をどのようにつくっていくのだということで、総合計画を進める中では、市・町や国、あるいは県民とも直接にお話しする機会を設けて、対等協力の関係の中で、マネジメントをやっているところであります。
 県の行政運営では、前北川知事はいろいろ新しいマネジメントシステムに取り組んで、全国でも有名になりました。そういうステージを経て、現在、全く新しいステージに三重県政は進んできているところです。
 北川改革における行政改革というのは、「ニュー・パブリック・マネジメント」という、行政体が、企業が取り組んでいるような手法をいろいろ取り入れながらやっていくということであります。現在は、北川県政のニュー・パブリック・マネジメントをさらに進化させた「みえ行政経営体系」というマネジメントシステムを平成16年度からとっております。
 その違いは、県政のマネジメントのベースに、リスク・マネジメント、環境マネジメント、あるいはこれは前からもやっていましたが経営品質向上活動を置き、マネジメントの体系的なシステムの中でこういうものをトータルにやっていく、いわゆる「トータル・マネジメントシステム」ということが大事だということで手直しをしてまいりました。
 ニュー・パブリック・マネジメントは、県庁の改革という内部の改革でありましたが、今は「ガバメントからガバナンスへ」という、もう行政が公を独占するときではない、多様な主体が現にいろいろ参画をしてきている、そういう人たちと対等に、それぞれに主体性を持ちながら、一緒になって公というものを考えていこうとするものです。そこで県の行政体の仕組みを、むしろそういう仕組みに変えていこうではないか、それが三重県で行っておりますガバナンスへの取り組みで、ニュー・パブリック・ガバナンス、「新しい時代の公」と言っているところでございます。
 また、その図に「文化力」と書いてあります。さきほど「大地への手紙」というお話もございましたが、今の私たちの時代は、物質的には豊かになった反面、本当の心の豊かさを考えてみるとどうだろうか。社会においても、いろいろなひずみが起こってきております。いろいろなことがありますが、特にニート問題などは、まさに今日の社会のひずみの一つの象徴にもなるものではないかなと思っているところであります。
 そういう意味では、「スローライフ」でありますとか、時代の成熟化に伴ったいろいろな新しい動きというものが見えてきているところですので、我々の生活そのものを広い意味での文化ととらえて、そしてそれを私たちの政策の物差しに置いていくことができないか、すべての政策の基本に置いていくことができないかと考えたところでございます。
 2年前からこの取り組みをやってまいりました。その間に、勉強会で何人もの方においでをいただき、福原先生にもおいでいただいて文化のお話を伺ったところであります。
 さて、お手元に本題の「文化力指針」、それから、別冊というのがあります。あわせて簡単にポイントをまとめたペーパーを用意しましたので、これにしたがってお話をしていきたいと思います。さきほど申し上げましたように、県の政策の拠り所としてこれを取りまとめました。
 この指針の本体の方は、県民の皆さん、あるいは市町村の方々とも共有したいという考えをもちましてまとめたものでございます。
 それから、「指針別冊」についてでございますが、これは県の職員が文化の視点から政策全体を見直すツールとして活用するものとしてつくったものでございます。一昨日、その前日と、泊まりがけで部長達と喧喧諤諤5時間ぐらい議論をいたしてまいりました。なかなかこれは難しいテーマだと思っておりますが、間もなく指針として出しまして、これからもいろいろな方にご意見をいただいて、進化をさせて、よりすばらしいものにしていきたいと考えております。
 さて、まずみえの文化力指針のポイントについてでございます。
 さきほど申し上げましたように、いろいろな社会のひずみが顕在化してきています。社会のひずみや、あるいは成熟への大きな転換期に、これまでの行政はきちっと対応できていないのではないかと考え、そこで注目をしたのが「文化」ということでございます。資料に「文化と文化力」というところがございますけれども、文化は長い時間をかけて育まれてきました知恵と工夫の結晶でございまして、暮らしの営みの履歴とも言えるものでございます。
 この文化ですが、例えば三浦先生がおっしゃったように「価値観の総体」というようなとらえ方もあるかもしれませんし、あるいは「人の生きざま」というようなとらえ方もできるかもしれません。三重県では文化を、「生活の質を高めるための人々のさまざまな活動及びその成果」と広くとらえた上で、このような文化の持ちます、人々の心や地域を元気にする、あるいは暮らしをよりよくする力というものを「文化力」と定義をいたしているところでございます。
 人々の価値観が多様化・複雑化しております中で、「幸せというのは何か」ということを素直に考えましたときに、経済的な豊かさというものも大事でありますが、これは必要条件であっても決して十分条件ではございません。これからは生活の質や暮らしの中の幸せ感をもっと大切にする方向に、政策の重点を移すということが求められているのではないか、文化力をまさに政策に生かしていく必要がある、こう考えてきたわけでございます。しかしながら、「文化力を政策に生かす」と言いましても漠然としていて、なかなか難しいものであります。また、いろいろと探してみましたが、そういう取り組みをやっているところがありませんので、お手本になるものもございません。
 そこで、文化力ということについていろいろと因数分解をし、いろいろな側面から見てみました。そして、私たちが整理をいたしましたのは、一つは心豊かに生きるための一人ひとりの力である「人間力」ということ。それから、たくさんの人の力が集まって、地域の魅力、あるいは価値を高めていく力である「地域力」。それから、人間力や地域力の源泉になります新しい知恵、あるいは仕組みを生み出していく力であります「創造力」、この三つの側面に注目をしたらどうかということになったわけでございます。
 このように、三つの側面からとらえました文化力を、すべての政策のベースに置きまして、経済的な合理性や効率性といった一つの物差しだけで判断するのではなくて、これまでの発想を転換し、経済的価値に加えまして文化的な価値にも着目して、多面的に政策を考え、そして政策を見直していきたいと考えているところでございます。
 そういった「文化力」でどのような三重県を目指すのかということでございますけれども、三重県はまことに多様で豊かな文化がございます。三浦先生から伊勢神宮についてのお話が随分ございました。三重県には、まさに、日本の精神文化の源流をなしているこの伊勢がございます、また、世界遺産に登録されました熊野古道をはじめとする熊野というところもございます。それから、ご承知のとおり本居宣長は伊勢の地で学問を積み、研究を行いました。そして、芭蕉は伊賀に生まれ、観阿弥も三重の生まれだと言われております。このように「もののあはれ」「わび、さび」など日本人の心を深く見つめてきた、多くの文化人も輩出をしているところでございます。
 そういう三重県は、古来「美し国」とも言われておりまして、実にさまざまな文化が育くまれ、そして地域の魅力、あるいは価値、こういったものもつくってきているわけでございます。それから、伊勢商人や伊勢神宮のPR等も兼ねての御師の活動も随分有名でありました。また、伝統工芸を生かした職人の技など多彩な知恵、技というものを育くんできているわけでございます。
 こういう文化資源を最大限生かしながら、文化力を高めていく、生かしていくということによりまして、人々の心を元気にする、地域の元気を回復する、さらに、産業もより元気にする、この三つの元気で、元気な三重づくりをやりたい、つくりたい、こう考えております。
 そして、歴史と文化が息づく「三重の未来」として、「こころのふるさと三重」、それから自分らしい生き方ができるような「暮らしを楽しむ三重」、常に新しい価値や魅力を生み出していけるような「知恵が響きあう三重」、この三つの未来像を目指していきたいと考えているところでございます。
 次に、職員向けの政策ツールのところでございます。最初、この別冊につきましては、チェックリストのような形もできないかと、これまでにいろいろと検討しましたが、文化というのが多様で、一つの物差しではなかなか測れないものでございます。そういう中で、「文化力」と言ったときに、職員の意識改革を進めていくということが一番大事なことではないか、そして、職員一人ひとりが政策を立案し実行する上で、常に誰のために、何のために、何を目指しているのかということを問い続けるということが大事ではないかと考え、まずは発想を転換するヒント集のようなものを作ろうということにしたところでございます。
 中段に、点線の括弧で三つの「わ」というのがございます。「文化力」について三つの力「人間力・地域力・創造力」を申し上げましたが、それと同時に三つの「わ」というものに注目をいたしました。一つ目は、「ストックの活用・循環」でございまして、サイクル、循環の「環」であります。これは、経済的な効率性、合理性を追求する中では見過ごされがちであった、「ひと」「もの」「こと」といったさまざまな地域の文化ストックを発掘・活用・循環させて、新たな文化や価値の創造につなげていこうということであります。それから、二つ目は「交流・連携」でありまして、これはネットワーク、つながりの「輪」でございます。最近、「ソーシャル・キャピタル」という考え方が注目されております。人との信頼関係やつながりが、社会の基盤、社会資本として大切であるという意味で使われています。さきほど申し上げました「新しい時代の公」は多様な主体が参画して、みんなで支える社会を目指すという取り組みでございますが、その前提として信頼と相互理解が大切であるということでございます。出会いの場や、ネットワークをつくり、広げ、信頼・協力の関係を築いていくということが重要ではないかということです。
 それから、三つ目は「多様性と調和」でありまして、バランス・調和の「和」であります。文化の本質は、言うまでもなく多様性にあるわけですが、新しい文化は、さまざまな考え方、あるいは価値観の葛藤の中から創造されていくのではないかと思います。そういう意味では、社会の中の多様な考え方や価値観の調和が図られ、多様な価値やお互いの違いを尊重する風土が大切で、これが新しい文化を創造したり豊かな人間性を形成したりしていくと考えているところでございます。
 そこで、その下に表がございますけれども、職員が固定的なものの考え方を改めて、発想を転換するヒントとして、文化力の、「人間力・地域力・創造力」を縦軸に置いて、そして横軸に三つの「わ」を置きまして、九つのヒントとしてまとめたところでございます。
 それにつきましては資料の指針別冊案に書いてありますので、お目通しをいただきたいと思いますけれども、そこに書いてありますように、例えば「人間力を高め、生かす」と「ストックの活用・循環」では、「積極的に人材を発掘し、活用するように考えていますか」、これはことわざの「亀の甲より年の功」と一つひとつにことわざが載せてあります。また、高齢者の知恵が生かされているか、あるいは障害者というものをどうとらえているのかと、いろいろな観点からヒントを出して政策の見直しを考えてもらおうではないかということでございます。
 最後になりましたが、これまでさまざまな立場で行政、政治に私は携わってまいりました。いろいろな課題が山積をいたしております。どちらかというと、そういった課題に対してこれまでの政策は対症療法的な取り組みであったかと思います。
 しかし、今、大事なことは、社会全体の体質を変えていく、あるいは健康な社会づくりを目指すという、いわば漢方薬的なものが政策としても大事なのではないかと考えまして、すべての政策の基本にこの「文化力」という視点を置き、バランスのとれた政策を構築をしていきたいとこのような取り組みをやってきたところでございます。
 これからさらに磨いていきたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。

○青木部会長 ありがとうございました。
 3人の先生方からお話を伺いましたが、いずれのお話も大変貴重なお話で、啓発されるところが多いと思います。
 三浦院長からは、日本文化の本質と、それから、文化は国民あるいは個人の価値観の総体であるということ。国は何ができるかということについて、発展や創造を促進させていくような条件づくりというものをするべきだというお話をいただきました。
 福原会長からは、基本法の制定前からの問題と、それに対しどういう形で取り組んできたかということを民間の立場からお話いただき、また発表レジュメには、その問題点というのが非常に詳しく記述されています。
 確かに福原先生がおっしゃったように、科学技術基本法は具体的な問題が盛られており、実際にそれに予算をつけるという仕組みとなっているわけですが、文化芸術の基本方針は、理念や抽象的な表現が中心となっていますから、それを実際、具体的に実行に移すという面との関連が必ずしもはっきりしないということがあります。これは、非常に大きな問題です。それから、民間がやはり文化の発展には一番力があり、それと国との関係が大きな問題として提起されたと思います。
 野呂知事からは、「文化力」というのを県政の基本に据えて、県の発展と県民の豊かな生活の展開を見ていくという、非常に画期的な視点が提示されたと思います。
 それでは、どなたからでも自由に発言いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

○三浦氏 私から、福原さんに一つ伺いたいと思っていたことをお聞きしますが、私はこの十何年来、シンガポールに度々訪れるのですが、そこでは資生堂製の商品がよく売れるのです。現地の方に聞くと「欧米の化粧品は自分たちの肌に合わないが、日本製のものは我々の肌に合う」と言うのです。
 資生堂としては、初めはフランスの化粧品の影響があったと思うのですが、その巻き返しと言うと変ですが、日本的な化粧品を、西洋風の化粧法あるいはネーミングの中に、隠れた日本的なものをいかにしてつくってこられたのかについては、会社の中では伝統的に苦慮をしてこられた歴史があるのではないかと思うのですが、その点はいかがでしょうか。

○福原氏 資生堂は、明治5年、明治の改革が極めて急速に行われたところで、政府の一種の民活奨励みたいなインセンティブが与えられていた年に、祖父が西洋処方の初めての薬局を銀座につくりました。元々は薬局なのです。たまたま、何十年か経って化粧品について事業を始めたのであって、薬局オリエンテッドの会社なのです。
 西洋流の処方のような、油主体から発生した、油が足りないから補うというような考え方ではなくて、もうちょっと長期にわたって使うと結局よくなるというか、漢方薬的なものの考えで西洋化粧品をつくっていったものです。
 中国では、「資生堂」という名前を聞いただけでこれは安心できる商品だと思っています。易経の坤卦の巻にあるので、ほとんどの人は「資生」という意味を、知っているわけで、翻訳しないで中国語で表示できるです。そういう、創業のときには考えていなかったことが今実現してしまっているわけです。ですから、そこで、今のようなご質問のことが起こるわけです。私が社長になる直前、三宅一生氏、森英恵氏、高田賢三氏が成功して、ソフトでも成功する時代になったのではないか。例えば電気製品とか自動車のようなハードだけでなく、ソフトでも西洋に入れる素地ができたのではないか。そこで、かなり本格的にそれを目指してたのです。

○青木部会長 ありがとうございました。大変興味深いお話を伺いました。
 先ほどの伊勢神宮お話については、伊勢神宮は日本の文化の、三重県の誇りであり、日本の中心であるところはわかるのですが、この点について野呂知事のお考えはお聞かせいただけますか。

○野呂氏 ことし堺屋太一さんが伊勢神宮についておもしろい提案をされまして、大変私ども地元としても喜んだのでありますが、「還暦お伊勢参り」というのを提唱されました。それは、60歳になって、今の時代、まだまだ先は長い。60歳以降の人生設計も大事ですね。
 そこで、60歳まで生きた感謝と、60歳以降のこれからの人生設計を何か大きなものの前で誓うということが大事なのではないか。結婚式で、神前で結婚の誓いを述べるように、それは決して宗教ではなくて、パワースポット的な非常に大きな力の前で誓いをたてるのがいいのではないか。それには、伊勢神宮が最もふさわしいのではないかと、こういうお話でありました。
 ですから、やはり日本の精神文化の源流とさっき申し上げましたが、まさに私は日本のDNAではないか、そういうパワースポットでありヒーリングスポットなのだと、こう思っております。2013年の20年に一度のご遷宮という話題も出てまいりますので、これからそれに向けてどんどん伊勢神宮を知っていただきたいと思います。
 ただ、申し上げたように、宗教という側面ではなくて、やはり精神文化という側面で伊勢神宮をもっと語れるようになるといいのではないかなと。一番問題なのは、修学旅行で伊勢の方へせっかく来ても、伊勢神宮へ参るということがなかなか行われていないのであります。それは非常に宗教とかかわりが強いのでしょうが、私は、宗教というよりも、やはり精神文化のDNAとして、もう少しゆったりとらえることができないのかなと感じています。

○福原氏 20年というのは、人生50年の時代としては非常に適当な時間で、20年ごとにご造営することで、職人が次代の若い人たちにその手わざを伝えるということがあるんですね。
 10年ぐらい前から着々と20年後のことに備えていろいろな部材をつくったりしているそうですが、組ひもや飾り物の金工については、もう既に継ぐ人がなくなっているような状況だそうです。これをもしなくなしてしまったら、全く継ぐ人がなくなってしまう。
 それから、あれを解体して捨ててしまうのはもったいないという質問を私も持っていたのですが、部材は全部行く先が決まっているんですね。次はどこのお宮に行くとか。全く捨てられることはないということだそうで、非常にすばらしい知恵だと思います。

○富澤委員 伊勢神宮の話が出たので、野呂知事に伺いたいのですが、おそらく江戸時代も、一生に一度伊勢神宮にお参りするというのは庶民の切なる願いで、そのことはたしか田辺聖子さんが小説でお書きになって、『姥ざかり花の旅笠』という小説を何年か前にお書きになって、九州の未亡人が3人でお伊勢さんにお参りに行こうと、こういう話なんですね。
 伊勢神宮に日本人の精神的なものがあることは間違いないのですが、外国人から見て、伊勢神宮はどのように写るのか。そのようなところを、もしご存知でしたら教えていただきたいのですが。

○三浦氏 私の経験ではなく、妻の曾野綾子の話なのですが、曾野綾子が日本財団という組織の仕事をしていたときに、イラクの女性の先生を日本に呼んで、非キリスト教圏の文明というものを知ってもらおうと思い、伊勢神宮へご案内したわけです。そのときは、もちろん女性だけではなくて宗教の指導者もいたのですが、みな伊勢神宮でちゃんとした礼拝をされた。
 その宗教指導者が言うには、「イスラム教では天国というのは、緑豊かであって、清らかな水があって、そこで美女がいるというのが極楽だ」と。そして「ここには三つともある」と言うんですね。それで、曾野綾子が「しかし、美女はいないではないか」と言ったら、彼は「巫女さんがそうだ」と言うのですね。それで、つまり「これは、イスラム世界の天国だ」と言うんですね。
 それで思い出すのは、暗殺、「アサシネーション」という言葉の語源は「ハシッシュ(大麻)」だという説がありますが、ハシッシュを使って、今で言う自爆テロを行う暗殺者をつくったと言われる男がいます。彼は、山の中のオアシスの緑と美女と清らかな水のところにハシッシュを飲ませた若者を連れてきて、そこで遊ばせて、またハシッシュを飲ませて砂漠に連れもどして、「おまえは死ねばあそこへ行ける」と言って、そして自爆テロリストをつくったと言われています。
 伊勢神宮はメッカと違い、どんな宗教の人も受け入れる。そして、そこに決して豪壮な建築物とか偉大な美術があるわけではない。自然と対立しない程度の神社、社がある。そのようなところは、多くの人にとって大変魅力のあるものなのではないかと私は考えています。

○青木部会長 ありがとうございます。いかがでしょうか、ほかにご意見は。

○田村(和)委員 お話を聞いておりまして、福原会長、そして野呂知事の話が、それぞれ民間と地方自治体というサイドからお話になっていらっしゃるのですが、これは我々に対する示唆ということではなくて、むしろ文化の内側からのお話と聞いておりました。
 したがって、私は、お二方の話はそれぞれ次元が違うように見えますが、非常に近いところにあるなという感じがしました。実のことを申しますと、私は昨年から本部会に参加しておりまして、国の文化政策を議論する本部会の「文化芸術」というのは、今のお話からすると視野狭窄に陥っているような気がしています。視野狭窄と言うのは失礼な表現かもしれませんが、非常に限られた世界の中でしか話をしていないなという感じがしています。
 ただ、国の文化政策というのは本当にどこを押さえるべきなのかという問題が私の中にあります。ですから、本当に国の文化政策というものが、政策また法律となるときに、どこを重視して考えていくべきなのか、これは三浦院長からもお話がありましたが、まだ依然としてわからない面があり、これは本日の最大の課題という気がしています。
 福原会長にお聞きしたいのは、文化に対する法律をどういうものとして描くべきかということについて、お考えがあれば教えていただきたいというのが第1点でございます。
 それから、第2点として野呂知事にお聞きしたいのは、私は文化をマネジメントシステムの中に置くのは難しいことだと私は思っております。野呂知事は先ほどのお話の中で、自治体の政策を展開していく中で、トータル・マネジメントシステムの中に文化を位置づけるということをおっしゃいましたが、それは、マネジメントの基本コンセプトとして置くということと理解してよいのでしょうか。そこをお伺いしたいと思います。

○福原氏 では、先にお答えを申し上げます。確かにもともと文化を法律で律するということについては根本的に問題があるのかもしれません。そこは私もわからないのですが、根本長兵衛氏の言うところでは、法律というのは、何か問題があるのでそれを補う、あるいは問題が起きないようにするためにつくるのであって、この文化芸術振興基本法はそのような法律ではないので余り意味がないのではないかということです。
 私の立場というのは、そうは言っても、国の理念として、やはり憲法のように法律があって、その法律を体系のもとに補完する諸制度だとか関連法が成り立てば、法律は存在した方がいいのではないかと考えています。
 では、諸外国でそういうことがあるかということになるわけですが、私は必ずしも全部研究したわけではないのですが、これは熊倉委員に伺った方がいいのですが、たしかアメリカでは、いろいろなインセンティブを与える、租税の減免、優遇措置でありますとか、あるいは寄付扱いの措置でありますとか、そういうことを定めるための幾つかの制度があると思いますし、それから、フランスでは芸術文化をはっきりと規定している法律があったように思います。熊倉委員、ちょっと後で補足していただけますか。
 以上です。

○野呂氏 よろしいですか。私の方から申し上げたいと思いますけれども、三重県におきましては、さきほどの話の冒頭で申し上げましたように、「新しい時代の公」、それから「文化力」というのが県政の大きな二本柱になると考えております。
 そして、それはどういう関係かといいますと、一つは、県政の運営の仕組み、これはただ単に県行政内部のマネジメントというよりも、行政も県民と協働して公を支える一つなのだという形の中で、「新しい時代の公」、ニュー・パブリック・ガバナンスというのを仕組みとして、当たり前のようにこれからやっていけるようにしていきましょうと、これが一つです。
 それから、もう一つは、それで何をやるのかという政策そのものについては、文化力という考え方、これを、経済的な効率性ばかりにこだわらずに、バランスよくするためにベースに置いていこうと考えております。三重県は、今の総合計画の実施計画であります「戦略計画」というのを持っていますが、これが平成16年から18年までの3カ年で第1次が終わります。来年度から第2次に入りますので、今年は第2次の戦略計画を立案していく、計画をこれからつくっていくわけです。その策定の中に、この「新しい時代の公」というやり方で、中身は「文化力」という考え方を入れ込んでいこうと考えています。
 実際には、政策的には、今までも文化的ないろいろな発想というのは入っているのですけれども、みんなが意識改革をして、あらゆる政策に、文化力という新しい物差しをつけ加えて見直してくださいとお願いをしています。見直すことによって、一つひとつの事業も変わってくるだろうと、こういうふうに思っているところです。

○青木部会長 では、先ほど福原会長がおっしゃったことについて熊倉委員いかがでしょうか。

○熊倉委員 アメリカに関しては、先ほど福原先生からご指摘があり、また皆さんもご存知の通り、寄付、民間からのインセンティブが大きく、文化に限らず、寄付に対する大きな優遇税制の仕組みがあって、これが国の中での第三セクターを基本的に支えていて、国力としてとても大きなものとなっている。外から見えるアメリカ像というのはホワイトハウス中心のように見えるのだけれども、現実のコミュニティの中では、NPOの活動があらゆる分野で盛んです。
 連邦レベルでの文化政策は、文化に対する支援を実施するNEA、全米芸術基金という組織がありますが、政権によってその在り方が議論を呼び、残念ながら20世紀の後半ぐらいから、予算は毎年度決めることになってしまって、政権によって連邦政府の予算が継続的にならないこともありますが、先ほど言ったように、民間の財団が非常に力があるので、政府系の資金が弱くなってきたときに、基金の中から文化の市場に資金を融通することで、バッファーとなって機能していることがあると思います。
 日本のこの振興基本法ができたときには、私も福原会長の下で、企業メセナ協議会で働いており、フランスに関して言いますと、文化省ができたときに、アンドレ・マルローが書いた法律を、その後に、もう少し地域文化振興ということも含めて一度大きく法律の原文を書きかえているのですが、その辺も踏まえて、理念をもう少しあらわす法律だったらよかったと思います。

○青木部会長 アメリカの場合は、今、大格差社会ですよね。本当の階級もありますからね。けれども、いわば一種のチャリティーと、メセナ活動によって、その格差がある程度緩和されるようなところがあると思います。もしそういうものがなかったら、革命が10回か20回は起きているのでは。革命が起こらないのは、やはりメセナ活動やチャリティーの精神が非常に強くあるので、財が還流する一種の装置があるんですね。

○川村委員 大変すばらしいお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。
 先ほどの田村委員に関連をするのでございますが、野呂知事にお伺いさせていただきたい。県政のレベルで文化力を正面に出しているのは、多分ほかの県にないのではと思います。私は現在神奈川県に住んでいるけれども、およそこういう話は聞いたことがない。
 前も申し上げましたが、今、田村委員がおっしゃった国の文化政策と、地方の文化政策がどういう関係があるのか。その地域で野呂知事が取り組んでいらっしゃることがまさにそれであろうと思うのですが、県はあくまでも広域自治体なんですね。ですから、おっしゃっているこの「文化力」の県政が、一体市町村レベルとどういう関係になってくるのかというところが、私どもはよくわからない。
 つまり、私どもの生活の実感で言えば、文化に関する限り、県政と市町村レベルの行政は全く別、それぞれの市町村が個性を出している。個性を出さないところは、全く何もしていないということになるわけで、そこへ、田村委員がおっしゃったように、国が文化政策を出してくると、一体この関係はどうなるのかということについて、ぜひお考えをお話しいただければありがたいというのが1点です。
 もう1点は、「文化力」というお話をずっと伺っていて、なるほど、元気の出る三重県、県民がやる気を出す文化力ということは大変重要なことなのですが、例えば、地域を活性化させるため、地域を元気に、心を元気にという観点で文化財を守るということで本当にいいのか。
 つまり、有形文化財を地域の元気に使おう、その道具として使おうということだけで大丈夫なのかと思うんですね。
 最近島原半島の先の方で、国の指定した史跡を破壊して、そこへ桜の木を800本か何か植えた。これは、あの地域が合併で南島原市ということになるので記念に桜の木を植えて、そのときに史跡を壊した。史跡を史跡として整備しても観光客は来ない。史跡は観光のために役に立たないのなら、そういう使い方よりも、地域の住民が年に1回桜の下で花見ができるように花を植えた方が地域の役に立つのではないかということなんですね。
 文化財をその地域の活性化のために、心を元気にするために、あるいは産業を元気にするためにという道具として使っていいのか。文化財を守ることの意義を国のレベルできちんと押さえるのか、県のレベルで押さえるのか、市町村で押さえるのかということについて、お考えをお話しいただければ大変ありがたいと思います。

○野呂氏 まず、今地方分権議論が随分行われているところであります。そういう意味では、これから国の役割、そして私ども地方の役割、地方におきましても、県、最先端の基礎自治体である市町村、こういったレベルのそれぞれの役割というものを考えていかなければならないと思います。
 さっきお示しした図の中でも、私どもはこういう時代の背景の中で、地域主権の社会を目指す必要があると考えています。地域主権の社会と言いましたときには、「補完性の原理」とかいろいろ言われておりますけれども、実は「個の確立」ということが非常に大事なことでありまして、そういう意味では、行政に甘えてくださるなということを今、県民に申し上げながら、「新しい時代の公」という協働の仕組みが、考え方としてだんだん定着しつつある、広がりつつあると思っております。したがいまして、三重県においては、そういう意味での意識を共有する基盤というものは市町村との間にもできつつある、あるいは、できるきっかけをつかみつつあるというようなことがございますので、指針本体の方は、県民との意識共有、あるいは市町村との意識共有、こういった気持ちを強く持ちながら打ち出しているところでございます。
 県としては県民と直接向き合う部分というのは少ないのでありますけれども、これまで広域で「生活創造圏」をつくる努力をずっと積み上げてきまして、三重県では地域で、県も入り、そして地元もNPOも市民も参加する、そういう地域づくり活動というのがどんどん進んできているところでございます。「文化力」という考え方も受け入れられる素地が整備されてきているのではないかと期待しているところであります。
 それから、二つ目のことでありますが、「文化力」という中で使っております「文化」というのは、先ほど申し上げましたように非常に広い意味で使っているところでございまして、決して芸術文化、あるいは文化財ということに限定しているわけではありません。
 しかし、私どもは、その芸術文化というものも、その中の象徴的な、やはり人の元気をつくっていくものだというふうに思っておりますし、文化財もやはり地域の資源としての、ストックの資源の中では宝となるべきものがたくさんあるのではないかなと思っています。
 ただ、具体的なことを言ったときには、私どもは文化の中身、評価については、やはり政治行政が口出しすべきではないのではないか。これは、三浦先生がおっしゃったように、我々官は、民間、あるいは地域がいろいろ取り組む、そういう舞台づくりの条件をそろえていくということだと思っております。
 文化財につきましても、今年は、例えば文化財として残したいのだけれども、維持をする、修復をするのに金がかかるという場合に、県の方で資金的な支援策を設けていこうということにしております。ただ、それを地域の資源として本当に評価をし、それを活用していくのかどうなのかというのは、やはり地域の主体性、それぞれの判断に委ねなければならないところというのは随分あるのかなと感じています。県政では、やはりそういう点は少し、一歩遠いのかなというふうには思っております。

○上原委員 三浦院長が、「国の果たすべき役割は条件や場の整備である」とに言われました。条件や場の整備というと、具体的には法律、制度の枠組みをつくるということだと思うのですが、文化芸術振興基本法は、そういう意味では基本的な枠組みを示した大切なものであったはずです。制定後、文化庁予算が増えて、1,000億を突破して大変うれしいことですが、ただ、その後できた数々の法律制度が、必ずしも文化芸術振興基本法を支えるようなものではない。
 地方自治法の改定による指定管理者制度の導入とか、国立の美術館や博物館に市場化テストを導入しようという話もありました。地方自治体ではこの市場化テストと同じような影響が出かねない指定管理者制度が自治法の改定によって導入されました。国は、どういう仕組みをつくっていくかということを本当に基本的に考えないといけないのではないかなと思います。
 また、野呂知事がおっしゃった「文化力を基盤に据えた県政の進め方」ということについては、1979年に初めて全国自治体が集まり「文化行政シンポジウム」を行った。その場に私はおりましたが、その当時から言われてきたことが、まだやはり十分に浸透していなくて、新たな力として、野呂知事のもと三重県はその方向を志向しているのだというのがよくわかりました。
 私は滋賀県で、25年ぐらい、文化行政に携わってまいりましたけれども、ずっと言われてきてなかなか達成できないのが「行政の文化化」ということです。「文化化とは何か」、まさにきょう野呂知事がおっしゃっていたことです。ぜひ、各地域で進めていただきたいなと、深く感動しながら聞いておりました。
 それから、今、川村委員がおっしゃいた市町村と県との役割分担というところで、野呂知事が注意深く「地域の主体性」をお話ししていましたが、このあたりも、その地域の文化力がどういうものかによって、主体性のレベルも変わってくる。しかし、やはり分権の世の中では、地域の力で決めざるを得ないという厳しい現実があるのは事実だと思います。

○岡田委員 野呂知事が、社会的なひずみ、人間的なひずみが起きているとおっしゃいましたが、私もまず、人間の心を豊かにするということを一つ理念として中心に置かないと、何を言ってもむだになるような気がしてならないんですね。
 人間力と三重県ではおっしゃっていますが、「人間力を高める」と言葉で言うのは易しいですが、では実際に具体的にどういうことをイメージしていらっしゃるのかということをお聞きしたいこと。そして、私は文化について考えるときに、文化のつくり手・受け手が人間である以上、その教育問題とセットで考えていかなければならない。教育行政と文化、文化力のアップ、人間力のアップとは一体であると思います。「条件づくり、場づくり」という言葉も出てまいりましたが、やはりその中身で、具体的な方策があればお聞きしたいと思います。
 あと、福原先生の「大衆的文化活動のレベルアップ」というのは、これは非常に私も興味があることでございますが、テレビ文化とから下品な風潮が蔓延しているような気がしてならないのですけれども、大衆文化のレベルアップということの具体的なイメージもお聞きしたいと思います。

○野呂氏 それでは、私の方からはまず最初に人間力の、例えばそれを高めていくための具体的な取り組みということについてでありますけれども、19年度以降の政策のベースに置いていこうとしておりますが、18年度は既に、「文化力」の具体的な政策としてやれるものはやっていこうではないかということで、いろいろな事業を予算化しています。
 その事業の中身について少し言えば、もうかなり前からやっていることですが、例えば「景観まちづくり」というのをやっております。その「景観まちづくり」ですが、例えば東紀州という熊野古道に近いところ、これは過疎でなかなか今大変なところでありますが、まちづくりについて、いろいろな団体のメンバーや市民の方々が入った部会を6地区でつくりまして、その中での交流・連携でいろいろなことをやっています。
 例えば、史跡や人物を紹介をする場合に、地域の歴史文化に詳しい語り部というのが今熊野古道で随分育っていますので、そういう人たちに文章を考えてもらうとか、それから、まちなかの案内のマップをつくるときの看板や、あるいはインターネットでのホームページに載せる地図などを得意な人を探してきて、活用を図っていくといった具体的な取り組みの積み重ねによって、人間力というものはさらに磨き上げられ、創造性とかが育くまれ、その創造性がさらにまた人間力を高めていくのではないか。それが、地域の連携で、さらに広がっていくのではないかなと思います。
 それから、教育委員会が取り組んでいる事業ですが、三重県の博物館はもう非常にひどいもものでございまして、「博物館へお越しください」というのは、私は知事としてちょっと恥ずかしいぐらいの思いを持っております。しかし、なかなか、財政難ですぐには手を出せません。
 そこで、少し改修をしながら博物館の在り方を考えてみようということで、今年いろいろな取り組みをやりますが、一つは、これまで拠点で企画展示をしてきたという博物館を、県内各地域に出向いて、そして地域の特色を反映したような展示が実施できないかとか、あるいは県民が博物館の企画にも参画して、そして自己実現の場、交流の場、あるいは文化活動の拠点としての活用ができないか。こういう観点からいろいろ考えています。
 同じようなことを図書館においても、いわゆるニューヨークの未来型図書館といったようないろいろ話題がありますけれども、旧来の発想ではない、地域として生かせるものがあるのではないか、それが文化の拠点になり、地域文化、あるいはその人間力をまた高めていく拠点になっていくのではないか、こんなことも考えております。
 それから、農林水産の関係では、三重県にはいろいろな農産物がございますので、それをぜひ活用していこうと考えています。旧来ですと、大量生産して、そして大量消費地の東京へ出していくということにこだわりがちでした。しかし、そうではなくて、在来品種で、伝統的なものというのは知的財産とも言えるのではないかと考え、こういうものをより付加価値をつけることにより、地産地消としてだけではなくて、観光の素材にも活用できるのではないかと考えています。
 食に関するNPOなどと協働いたしまして、ネットワークを広げて、そういう人の人間力を積み上げ、伸ばしていくということも考えているところでございます。
 それから、文化と教育との関係でありますが、私は確かに教育ということについてのかかわりは非常に深いものがあるかと思います。しかし、社会全体を健康にし、社会全体の体質を変えていく漢方薬としての機能を果たしていくためには、土木や福祉政策をはじめあらゆる政策の中で取り組んでいかなければいけないと考えています。しかし、その中で最も基本的な、人の心を元気にする象徴となる芸術文化も、これもやはり教育委員会が中心になっておりますし、それから、子どもたちのそういう感性を高めていく、そういうものについてもやはり教育によるべきところがあるかと思います。

○福原氏 大衆文化をレベルアップするのに、やはり法律をもってするということは難しく、意味がないことだと思いますので、民間でどうすることができるのか、例えば、テレビ業界等で自主規制、あるいは自主審査といったこともできるでしょうし、第三者機関を設けて、それを審査してもらう。強制力はないが、それがマスコミに発表されれば、そのように皆、考えるでしょう。
 ただ、今の野呂知事の話を伺っていますと、地域における文化、人間力の優先度は、リーダーの資質によって決まるということを感じるわけです。同様に、国においてもそうではないでしょうか、と感じるわけです。
 新しい、ニューパブリックに対しての県民の参加ということですが、憲法13条を下敷きにして、各地域で具体的にそのような方策をとられていることが、今後、文化力を高めることの体系の一つではないかと思います。
 先ほどの田村(和)委員によるアメリカの問題ですが、たしか去年12月末になってアメリカの連邦歳入庁のホームページは「ギブ・ア・ドネーション」という、つまり、「まず、今のうちに、年末までに寄付をしなさい」とホームページにあったそうです。これはまた聞きですが、全く逆転の発想だと思いました。
 先ほどから「文化力」とは何かといろいろ議論されていますが、文化力とは、あこがれ度、あるいは人を引きつける魅力ではないか。どうしてフランスにあれだけの旅行者が行くのか。その旅行者の大半はなぜルーヴルに行くのか。やはりそこに行ってみたい、あるいはその場に立ちたいという魅力が引っ張っているのではないかと思います。その意味で、住んでいる人たちのあこがれ度、遠くにいる人たちのあこがれ度、含めて文化力になるのかなと考えています。

○青木部会長 どうもありがとうございました。おいしいものを食べたいとか、先生がおっしゃったように、そういう段階、次の段階へと行くわけですね。これが文化力の一つの源泉かもしれませんね。

○吉本委員 午前中、私のかかわっているある小さなNPOの本年度の予算を決めるというミーティングに出ました。そこで議論していたのは、月々1万円をどうやって工面するかという話でした。そうしたNPOの状況と文化審議会で議論していることの間には正直かなり距離があって、やはり私はNPOのことについてもっといろいろ考えるべきではないかと思っています。
 特に、きょうの福原氏のお話の中でも、それからほかの委員のお話の中でも、指定管理者制度、市場化テストに関する課題が指摘されました。これは小さな政府をつくるために、いわゆる民に開放するという中で行われているのだけれども、私は民に開放すると言ったときの「民」のとらえ方が大変乱暴ではないかという気がしています。今は「民に開放する」と言ったときに、基本的に民間の営利企業、つまりそれは市場に委ねていくということの原則で開放されていると思うのですね。ところが、市場に委ねたときに文化的な価値というものがどうしても消えていってしまっている。市場に委ねる部分と、民の中の公共性、あるいは市民の公共性のようなものに委ねていくという、両方のルートがあってしかるべきなのに、今はその市場性の方ばかりに行ってしまっていると思います。
 結局は寄付金税制の問題になってくるような気がしていて、先ほどアメリカの話が出ましたが、文化の分野に寄せられるアメリカの民間の寄付(大半が個人)金額は年間大体1兆円と言われています。
 それから、日本の文化予算は、地方自治体と文化庁などを合わせて大体7,000億円ほど。そのお金の分配を決めているのは、すべて議会、つまり議員です。議員は国民が決めているので国民を代表しているのだが、そこで決められると予算が本当に必要なところにどうしても行き届かない。つまり、私が午前中議論していた「1万円をどうしよう」というところにはお金は回ってきません。
 だから違うルートで市民が税金の使い方を決められる。それも、自分の目的、自分の利益のために使うのではなく、公の利益のために自分の税金をどう使うかを決められるルートを、「民への開放」と言ったときに確保しないと、やはり市場性に委ねるだけでは、文化的な価値や多様性がどんどん切り捨てられてしまう気がしています。
 NPOのことについては、昨年度の「全国NPOフォーラム」には河合長官にもご出席いただいて、NPOで働いている人たちは大変勇気づけられました。
 そこで質問なのですが、まず福原会長には、企業メセナ協議会でも今、NPOのことをいろいろ取り組まれていますし、民間企業でもNPOとパートナーシップを組んで新しいことをやろうとされていると思うので、企業の立場でNPOと組んでいくことにどういうビジョンがあるか、あるいは、逆に国がNPOと手を組んでどう取り組めばいいか。ご提言があれば、ぜひお伺いしたいということと、野呂知事には、文化力で「新しい時代の公」をつくるときに、地方公共団体レベルでも、NPOと手を携えて新しい公共をつくっていくということがあるかと思います。そのときは、政策で「NPOと協働して」とか、「パートナーシップで」という、美しい文言で書かれているのだが、現場レベルの話は、本当に私が申し上げたように1万円レベルの話でみんな苦労しているんです。
 だから、県の政策として新しい時代の公をどのようにつくろうと考えているのかということについて、お話をお伺いできたらと思います。

○熊倉委員 まさに「人間力」と言ったときに、行政の方々、現場の方々がこうした意識で携わってもらえたら心強いと思うのですが、やはり市民の側に、今、吉本委員がおっしゃったような、市民の中での公共性の概念、あるいはそれをどう行動していったらいいのかということを学んでいくのには、少し時間がかかると思いますし、それを、机上ではなくて、地域の中での活動の場、学ぶための場が必要だと思います。
 あるいは、例えばNPOやそうした活動を起こしていく力が、知事も書いていらっしゃるように知恵は中高年層の方があるのですが、行動力は若い人の方があるんですね。この人たちが、NPOの予算の中で1万円をどうしようかというときに、本当に全部ボランティアでいいのかと。人生をかけて活動するのに、専門的な職業として成り立っていかなくていいのか。このプランを実施していくときの措置、制度的な措置として、人的措置をどう考えていらっしゃるのか、ぜひプランを聞かせていただきたいと思います。

○福原氏 二つに分けてお答えしますと、一つは官と民です。一つは企業とNPO、これは官とNPOでも同じことだと思います。
 私は、5年前に東京都写真美術館の館長を拝命し、東京都庁や東京都歴史文化財団から回って仕事をしている官僚たちの仕事の能率のよさ、時間がかかるところだけが問題でしたが、その非常に行き届いた仕事に驚きました。
 会社の人たちは、何か市場性があると、すぐ手を出します。すぐ撤退します。ところが官僚の人たちは、撤退したら自分のキャリアに黒星がつくので、すべて調べて、根回しをしてから出発します。出発してからは極めて早いわけです。
 官僚の方々の仕事はビジョンが与えられていないのです。法律にはビジョンがないのです。館長が行ってビジョンを与えると、ものすごい勢いで仕事をする。その結果、4年間で入館者数が、大体20万のレベルが今は44万になりました。予算は2.5分の1、3分の1に近くになりましたが。また200社に近い企業の協賛金をいただくようになりました。
 別に官が悪いのではなくて、官をうまく引っ張ると、非常に効率的ないい官になる。逆に、市場化に任せると、悪貨は良貨を駆逐するというように、レベルダウンにもつながってくる場合もあります。
 次に企業とNPOの関係ですが、企業は、これまでNPOは、5年ぐらい前までは何か危ないもののように見ておりましたが、今は、この人たちの使命感、達成度合い等を見て、企業が実現する価値体系を実現する方々なら、一緒に取り組んだ方が早い。その場合には、お金を出すだけではなくて、会社の社員も、志を同じくする人たちはお手伝いをしているので、現実にフィールドでは随分、企業とNPOが一緒になって何かの価値を実現しているのが結構あると思います。もっともっと増えてくるはずです。

○野呂氏 ご質問いただいたことは、実はきょうのテーマの「文化力」というよりも、私どもがもう既に取り組んでいるニュー・パブリック・ガバナンス、「新しい時代の公」での取り組みだというふうに思っておりまして、これは平成16年から、それまで三重県はかなり協働というのは進んでいましたけれども、それをガバナンスとして、仕組みに取り込んでしまおうということでやってきました。現在は、県民からのいろいろな提案事業を受けまして、協働でやりながら検証し、19年度以降にさらに磨きをかけたものにしていこうと考えております。まず県民、NPO等は水平的に対等協力の関係で、パートナーシップなんだという考え方で取り組んでいます。
 それから、役割分担をしなければいけませんので、公というものについて一つの基準をつくりました。行政がやるべきこと、行政がやるべきことも、市町村がやるべきことと県がやるべきことに分ける。それから、一緒にやるべきことあるいは、民間でやってもらうべきこと、このようにまずシステムとして、仕分けの仕方というものをつくってまいりました。
 それから、県は多様な主体の中の一つとして、どういう役割を果たすのかということについても、追求していこうということにしています。そこで、いろいろな取り組みをやっているのでありますけれども、県民から受けたいろいろな提案事業の展開の中で、「協働の指針」というのをつくっております。「協働の指針」は、今後大事になっていくのではないかと感じています。
 本来的には、行政がお金を補助するというやり方はよくないと思います。さきほどの資金のお話でいきますと、今のNPOを取り巻く法令は日本の場合には全く不備だと思っておりまして、これは政府に、特に文化行政に携わっておられる文科省、文化庁には、抜本的に見直すようにお願いをしたいなと、こう思います。
 ただ、今の状況ですと、お金を渡して、中間支援組織で分配までやってもらおうと思いますと、知事は予算権を持っていますから、議会との関係から言っても、首長としての責任はどうなのか、もしか問題が起こったときに、その責任はどうなるのだと、こういうことが出てきます。したがって、非常に難しい問題があると思いますが、今できることとして、必要な約束事を協定として結ぶ、それから、終わった後「振り返り会議」というのを行いまして、その検証を必ずやっています。それから、資金の分配について、今年も、大学の先生やNPOの人たちと一緒になって取り組みをやっています。
 なお、さっき言いました「協働の指針」ですが、これはNPOの関係の皆さんだけで議論してつくっていただいたものをたたき台に、私ども県で整理をしたものであるということを申し添えておきたいと思います。
 それから、いろいろ事業をやっており、「新しい時代の公」の提案事業も17年から本格的にやり始め、この2年間の検証をやっていきますので、そういう意味ではこの「文化力」というものが、人間力、地域力として政策の中に生かしていく中では入ってきやすい状況にあるのではないかなと思っております。

○青木部会長 文化力と、新しいパブリックのガバナンス、これは非常に重要なのですが、三重県だけではなく、日本全体の問題ですね。ジェフリー・サックスというカリフォルニア大学の教授の本で、『レンブラントの絵でダーツを遊ぶ』という本があります。文化は、パブリックなものなのかプライベートなものなのかという議論があって、レンブラントの名画を買ったけれども、自分のお金で自分のものにした以上は、そこにダーツを投げて遊ぶのも構わないではないかと、そういうプライベートなものであるという考えと、やはりみんなに見せるべきだと、公のところで保護管理をしなくてはいけないという考えとあり、今日の市場化や日本の社会を振興をする人と、側面には、まさにレンブラント、自分のものだったらダーツで遊んでもいいではないかという面もあると思います。

○根木委員 私は大学で文化政策論を教えておりまして、学生たちに対して講義をする際に、「文化政策の対象となる文化の範囲とは何か」ということでいつも悩んでいます。
 文化は人によって随分定義が違います。かつて文部省設置法の中に唯一、法律上文化についての定義があったのですが、それを引っ張り出して、“政策対象としての文化”はこういうものであると教えて、その上で、文化政策とはどういうものかという議論を始める。
 これまでにも、「文化」あるいは「文化芸術」と、いろいろな言葉が使われましたが、文化の範囲が、例えば国が行っている政策と、先ほど野呂知事がおっしゃったように、地域文化振興の場合の文化、あるいは地域政策における文化のとらえ方、これは随分違うだろうと思います。極めて広範囲な定義づけにより、地域の場合はとらえているし、国、特に文化庁の場合は、かなり限定的になるのではないかと思います。それは、各省の役割分担の上からやむを得ないと思われます。
 現在基本方針の見直しについての審議がおこなわれていますが、先ほど福原会長のお話の中で、基本法そのものに関する議論の中で、科学技術振興基本法のような具体的な計画性がないと批判がある、こういうご指摘がありましたが、科学技術振興基本法はかなり具体的な数値化、目標設定が可能となる性格を持っていると思います。同じように、環境基本法、これも人の生命・身体に直接影響があるので環境基準をきちんと決めた上で、何カ年計画かで目標達成を行うという手順を踏んでいるのだと思います。しかし同じ環境関係法制でも、自然環境保全法では、具体的な基準設定ができません。したがって、自然環境保全基本方針という、やや抽象的・観念的なものにとどまっている。
 文化芸術に関しても、具体的な計画性の設定は困難ではないかと思います。現在の基本法で決めることを義務づけている基本方針も、その辺が背景にあって、基本計画ではなく基本方針、となったのではないでしょうか。この点、福原会長はどうお考えでしょうか。
 また基本法、現行基本方針で、地方公共団体について何も触れていないではないか、という意見をしばしば聞きます。現在の地方分権の流れの中で、国の文化政策として、地域文化の振興、あるいは地方公共団体の文化政策に一体どの程度かかわったらいいのか。野呂知事にご教示いただければと思います。

○福原氏 19世紀・20世紀は産業経済の時代で、すべて数字を効率や質の尺度としてきた。例えばコリンズの「ヴィジョナリー・カンパニー」の第1部に挙げられた会社は、すべて今のような経済指標ですぐれた会社です。ところが、10年経つと多くは脱落しています。つまり経済指標だけで将来を見ることが難しくなってきた。
 また、ギリシャ時代に、時間を測る尺度として、物理的な時間を示す「クロノス」という単位と、時間の質的な中身を表示する「カイロス」という単位があったそうです。今その質的な中身を全く数字であらわせないものだと放擲していることに大きな問題がある。
 数字であらわせないものを測るマネジメントを確立することが21世紀の会社であると思います。数字であらわすといっても、すべて代用数値である場合があります。例えば、テレビ番組の良し悪しを示す視聴率があります。しかし、視聴率は、ネコでもテレビの前に座っていれば視聴率にカウントされる。これはすべて代用数値でして、質をあらわすものではありません。 質をあらわすことを私たちは真剣になって考えるべき時期に来た。それが21世紀の管理手法です。現在、私にその提言はありません。皆さんと一緒に考えていくべきことです。ただし、グローバリゼーションの中で欧米の数字的なスタンダードに合わせないと会社は評価されないということが、本当に起きていいのか。例えばトヨタは数年前に、経営成績がいいのに評価機関の格付けを1段下げられました。ところがますます経営成績がよくなった。一方でGMとフォードは転落しました。GMとフォードについての質的な評価は評価機関ではできないのです。

○野呂氏 大変難しいご質問だと、こういうふうに思います。
 私の申し上げた「文化」というのは、非常に広い意味での文化ということでございますけれども、やはりそこは、国を見ましたときにはやはり縦割り行政で、本来なら私の言っている広い文化というのは、総理がこの国、この国民をどういう生き方の国にしていくのだということを言うべきものと考えています。
 それから、芸術文化であれ、あるいは広い意味での文化であれ、文化というものについては、やはり押しつけであってはいけない。価値観を、行政側から「こうですよ」ということをおしつけるものであったのでは、これは全くだめだと、こう思います。
 それから、もう一つは、やはり東京からの物差し、目で、地方を見ていくという今の傾向が強いことについても危惧を覚えます。やはり、広い意味での「文化」ということについて言えば、人の生きざま、あるいは人の生き方の問題であります。したがいまして、それは人それぞれ、自分の生き方をつくっていくものであります。
 また、それぞれの地域があります。そして、教育基本法で「国を愛する心」、あるいは「愛する姿勢」というような言い方について言うならば、国に対するその思いの前に、やはりそれぞれ住んでいる地域、故郷を思う気持ち、これから育くんでいかれなければなりません。
 そういう意味では、文化というのは、それぞれ、この日本の国がいい国だと思えるためには、自分の住んでいる地域から見た国がいいかどうかということになりますから、その地域の文化というものを一番中心になって考えていく。したがって、やはり押しつけであってはいけないのではないかと思います。とは言いながら、例えば芸術文化という非常に最先端のものについては、それをどうリードしていくのかということについては、必ずしも地方がそれだけの力、あるいは財力も含めて、ないかもしれませんから、そういう意味では国の芸術文化政策というのも非常に作用しなければならない部分があるのではないかと思っています。

○三浦氏 根木委員が文化を考える場合に、範囲はどの程度にするかとおっしゃいましたが、私は、これはオーソドックスな、伝統的な決め方でいいと思います。必ずアンティ・オーソドックスの考え方を持っている文化人、文化活動家はいるわけですが、その人たちはやがて、本当に力があれば、新しいオーソドックスの中に入っていくと思います。
 国はもちろんすぐれた芸術が地方においても享受できるように、楽しめるようにする努力をすべきだと思いますが、地方自治体としては、例えばもし三重県出身のすぐれた音楽家がいればその人に、いなければ適当な人に頼んで、三重県のオーケストラをつくっていただきたい。小さな町でも、公演を続けているうちに、本当の音楽ファンが育っていくかもしれない。あるいは、その中から、何が何でもピアニストになりたいという少年少女が育ってくるかもしれない。地方が発信するということはそういうことであって、刺激を与えて、才能を育てるというか、才能ある人間の自覚をうながす。これがやはり、私が地方自治体に対して望むことです。

○嶋田委員 私は企業の人間ですが、文化とは国民と、企業と、国が支えるべきだと思います。嘆かわしいのは、企業の中では協賛してチケットがあれば行くのだが、買うことになると損したというようなことです。
 国民をもう少し日本の文化を支えていくように意識づけるためにはどういう方法があるだろうかという点を3人の先生方にそれぞれのお立場でご意見をいただきたいのですが。

○青木部会長 いかがでしょうか。

○三浦氏 文学の場合に、自治体とか国とかの保護は全く要らないと思います。
 つまり、本をつくるということは、それほどお金がかかるものではありませんし、ことに今はパソコンの時代ですと、一度ダウンロードした人たちが仲間の間で回覧していると、図書館に出した本と同じですから、文学については全然要らないと思うのです。
 ただ、演劇とか美術とか音楽とか、それは印刷した美術全集ではわからないもの、それを見る機会を、あるいは生の舞台に接する機会を、国と自治体は一生懸命につくってあげてほしい。
 学問で言うと、学問をするということのおもしろさと辛さと、知的な関心というのは、受験勉強と違ってこういうものだということを、やはりすぐれた学者、研究者と接触することによって、中学生・高校生に知的な関心、あるいは情熱をかきたてるようなことを考えていただきたいと思います。

○福原氏 文化は世界平和をもたらす一つの要因なので「皆さん、文化度を上げなさい」ということをリーダーの人が言うべきです。
 その一環として、例えば国立美術館、国立図書館などの入場料をフリーにする。現実は「もっと採算を上げて黒字にしなさい」としている。全く反対です。国民の文化度を下げるようなことが行われている。アテネ・オリンピックで金メダルをとった女性が「若いころ、お父さんに美術館などにいろいろ連れていってもらったおかげで、今の私のスポーツ感性がある」と言っていたのを見て、そう強く感じました。
 公立の美術館はただという国は幾つかあります。フランスでも18歳以下は無料です。「子どものころ美術館に来た人は、必ず大人になって美術館に帰る。それが文化資産」なのです。
 寄付をすることによって、その人の創造性が生まれるといいます。このことを学者が展開すれば政府の厄介にならなくても、寄付が少しずつ増えるかもしれません。

○野呂氏 まず、私は政治的な感覚、私自身の思いからいきますと、政府自身も、財政難もありますから、お金ということから意識として抜け出せないのではないかと感じています。
 私は、小さな政府論も、「小さな政府が何で国民のためにいいのか」という一番大事な議論が行われていない、にもかかわらず、何か「小さな政府」というとそれがいいようになっているというような、非常に不思議な国だと思います。もっと真っ向からそういった議論を国会等でやってもらう必要があるのだろうと思います。
 そういう意味では、今行われている何ごとについても、常に回ってくるのが経済的なもの、数値目標も、何か最終的にはお金に換算してしまう。まことに、そういう意味では今の国民のこだわりの人生、こだわりの生き方を求める方向からみると、やはり逆になっているのではないかというふうな気がしてならないところでありまして、そういう意味ではこの国は、まずそういうものから解き放たれなければならないと思います。
 そこのところは、政府に対して行政サービスを求めると負担が伴うのだが、負担の議論になると、そのバランスのとれた議論が全く行われていない。だから、「ただの方がいいんだ」という何か妙な価値観に行っていますね。
 しかし、私は、例えば教育のようなものは国がきちっと保証すべきもので、国民全体という意味で負担をしているのですから、私は、そういうふうなものについての使い方と負担との整理も、まだ不十分なのではないかなと感じています。これは、私たちが本当に、文化というものが息づくような、そういう国をつくるために乗り越えていかなければならない大きな課題なのではないかな、そんな気がいたしております。

○青木部会長 文化力の国際競争力の時代でもあります。先ほど福原会長がフランスの例を挙げましたが、日本が世界に誇るべき美術館だとか博物館をつくる場合に、全国津々浦々まで同じようなものをつくっていくのか、あるいは、中国やヨーロッパからでも、「日本にああいう博物館があるから、みんな行こう」と思うものをつくるのか。東京にいろいろな美術館あるいは博物館、いろいろな文化施設がありますが世界的に誇るものは余りない。
 特にアジアの中における日本を考えると、競争力がいろいろな面で落ちている。大学もロンドンタイムズの評価によれば、アジアでトップの大学は北京大学で、東大はその下になりました。世界に冠たるよう文化施設が必要なのかどうか。

○三浦氏 パリのルーヴルが偉大であるというのは、やはりヨーロッパの近代というものの学問と芸術、社会構造というようなものが世界にとって魅力があるから、例えば芸術の作品が集まったものとしてルーヴルへ行くのだと思うんですね。
 ただ、20世紀になって状況は大分変わってきまして、アメリカ合衆国が文化国家であるとは第二次大戦前は余り思わないのですけれども、しかしアメリカの偉大さというのは、ニューヨークでしか見られなかった舞台というものを映画という形で、人口2万、3万の町でも見ることができるようにした。もちろん舞台芸術と映画とは違う要素もありますけれども、共通の要素もあります。しかし、それをさらに推し進めて、アメリカには、隣の家まで車で10分何ていうのがざらにありますから、個人の家の中にテレビというものをつくった。つまり、舞台、それから映画、テレビという動きというもの。
 あるいは、著作権というのを英語で「コピーライト」と言いますけれども、これは文字どおりに言うと「複写権」ですね。フランスのルーヴルにあるものは複写の効かない、もう唯一絶対の芸術作品です。しかし、アメリカがつくったデザインとか、あるいはグラフィックデザインとか写真とかいうものは、これは初めからコピーのできるものなんですね。
 そういう意味で、20世紀のアメリカは、世界に新しい形の文化の発散するシステムをつくり上げたと思うのです。偉大な芸術家はいなかったかもしれない。だけれども、実質的にアメリカのシステムは世界を支配した。
 だから、そういうことを考えますと、日本はまだフランスではない、あるいはアメリカではない。その意味で、日本の文化力というのは、やはりはっきり言えば二流だと思う。しかし、世界の人が日本のシステムを、さまざまな形の日本の文化的なシステムを受け入れるような傾向は見えている。それは、売ることに努力するのではなくて、我々が内部を充実すれば自然に世界が求めてくるようになるのではないかと、私は想像しています。

○青木部会長 ありがとうございました。

○福原氏 ルーヴルと大英博物館は時代のつくった特別なもので、これに匹敵するものを東京につくることはできない。
 パリにはルーヴル装飾美術館を初めとして、質の違う、ピカソ美術館やロダン美術館などものすごい数の美術館があります。
 さらに東京の博物館・美術館の解説書は外人向きにできていないという、次なる問題ができます。ルーヴルなどでは、大日本印刷さんが協力して、日本語のカタログまでつくっている。ところが、日本の場合には、フランス語のカタログなどない。やはり一つ一つに目配りしていくことが大事ではないかと考えます。

○野呂氏 私の立場からは、ちょっと今のご質問にそのままお答えできないところがあるのかなと思います。
 実は、河合長官にはよく三重の方にお越しいただくのでありますけれども、太宰府に今度できました国立九州博物館、1回見るようにというので、この間、見てきました。
 それで、きょうはいろいろお話が出ている中で、日本の精神文化のDNAである三重県には、文化をテーマにした京都の国立博物館の分館ぐらいはあってもいいのではないかなと感じています。少なくとも、私は、東京を通してというのではなくて、そこに行けば日本がわかる、伊勢に行けば日本がわかる、こういう博物館をつくっていただくように陳情申し上げたいと、これが一つあります。
 それから、もう一つ申し上げますと、「ガバナンス」という考え方は、まさに世界平和に通じるものだと、こう思っております。今これだけ小さな地球として考えたときには、世界の民族がお互いの違いをどう認め合って、尊重しながら共生していくのか。やはり、かつての宗教の対立、民族の対立、文化の対立で戦争を起こす地球をどう克服していくかということだと思います。
 そのときに、やはり三重県は、三重県民だけの幸せを追求するのではなくて、グローバルの考え方に基づいて、小さなローカルな私たちが何ができるのかということを考えるのも、三重の文化だと、こう思っております。例えば環境問題は、いくら理屈で国が言っていても、一人ひとりの個人が実行しなければなりません。三重県では、「ごみゼロ政策」を県全体で取り上げて、20年がかりの取り組みを始めたところです。
 また、三重県は、やはり「もののあはれ」だとか「わび、さび」、こういった日本人の独特の感性、こういったものをもっと何か発信できないのかという感じもあります。
 それから、国際貢献活動も、例えば三重県の小さなまちの消防隊員が、地震が起こったときに実際に出かけていっている。こういう貢献活動も今やっているので、それは例えば国あたりのいろいろな取り組みに連携できると、より私たちの地域からも世界に向けて発信できると思っています。

○青木部会長 アメリカも、メトロポリタン、近代美術館、あるいはゲッティミュージアムなど世界的なものができて、19世紀の人はパリだったかもしれないが、20世紀の人は文化首都はニューヨーク。それを民間の活力でつくりました。

○野呂氏 ちょっとすみませんけれども、私、日本がやはり文化で輝くという場合には、外国から見て、日本人の生き方が羨ましいと思われることだと思うんですよ。
 日本人の生き方が羨ましくないのに、そこでいくら披瀝している美術品、展示であっても、本当に心底興味がわいてくるだろうかという根本問題もちょっと思いますね。

○青木部会長 江戸時代から明治にかけて、外国人が日本を見て、「子どもが本当に楽しそうに遊んでいる。こんな国は世界的にない」と書いています。黄表紙など集団の営みとか、俳句とか、和歌とか、句会とか、日本文化の活性です。最後に河合長官から一言いただきたいと思います。

○河合文化庁長官 三人の方々のバックグラウンドも切り口も違う、その三様のお話を聞いて、文化を考えたり何かをするのは、大変なことだと実感しました。
 共感しましたのは、野呂知事の、日本全体として、こういう文化を持っている。ここは来るだけでも気持ちがいい、そういうことを日本人はもっと考えていいのではないかと思います。
 今は違う方向へ行っているような感じがして仕方ないのですが、経済に重点を置きすぎた考えではなくて、生き方を考えてほしいと思うのですが、そのためには文化が大事であるし、我々文化行政に関係している者の責任の重さを痛感いたしました。

○青木部会長 文化庁は日本の今の省庁の中で、20世紀において最も重要な省庁ではないかと私は思います。文化政策を本当に重要なものだとして国民にも知らせていく。そのために、文化庁はしっかりと文化政策をつくらなければなりませんね。
 今日は、三浦院長、福原会長、野呂知事、本当に貴重なお話をありがとうございました。最後に、事務局より次回の日程その他について、ご説明をお願いします。

○事務局 <次回の日程、内容の説明>

○青木部会長 どうもありがとうございました。では、これで閉会します。

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