第3回文化審議会文化政策部会議事録

1. 日時

平成18年4月26日(水) 14:00~17:00

2. 場所

霞ヶ関東京會館 35階 シルバースタールーム

3. 出席者

(委員)

青木委員 伊藤委員 上原委員 岡田委員 河井委員 熊倉委員 白石委員 田村委員 田村委員 根木委員 真室委員 山西委員 横川委員 吉本委員 米屋委員

(事務局)

加茂川文化庁次長 辰野文化庁審議官 高塩文化部長 岩橋文化財部長 亀井文化財鑑査官 竹下政策課長 他

(欠席委員)

尾高委員 川村委員 嶋田委員 富澤委員 中島委員 松岡委員

4.議題

  1. (1)テーマ別審議(2)

    「子どもの文化芸術体験活動の充実方策について」
    小島美子氏(国立歴史民俗博物館名誉教授)
    岡本喜美子氏(大田区立蓮沼中学校長、全日本中学校音楽教育研究会事務局長)
    伊藤勝氏(全国高等学校文化連盟会長)

  2. (2)その他

(配付資料)

  1. 小島美子氏意見発表資料
  2. 岡本喜美子氏意見発表資料
  3. 伊藤勝氏意見発表資料
  4. 文化庁における子どもの文化芸術体験活動の推進に関する施策一覧表

5.議事

○青木部会長 ただいまから文化審議会第4期第3回文化政策部会を開催いたします。
 本日は、大変お忙しいところをご出席いただきまして本当にありがとうございました。
 本日は、有識者の方といたしまして、ここに3人の方をお招きしております。お忙しいところ、本当にありがとうございます。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、議事に入ります。
 まず、事務局から配付資料の確認をお願いいたします。

○事務局より配布資料確認

○青木部会長 前回の議事録に関しましては、間隔が短かったこともございまして、次回の部会にて配付しまして、委員の皆様にご確認をいただきたく存じます。よろしくご了承をお願いいたします。
 文化政策部会では前回より基本方針の見直しに当たりまして、検討すべき個別の審議テーマに関しまして、有識者の方々をお呼びしてご意見を伺っております。その後で委員の皆様との質疑応答、意見交換を行って審議を進めておりますが、本日は昨年の部会の審議のまとめにおきましても、重視すべき考え方として示されておりました子どもの文化芸術体験活動の充実方策に関しまして審議を行いたいと思います。
 本日は、この3人の先生から貴重なご意見を賜りたいと思います。
 それでは、まず初めに、小島先生から伝統文化の子どもへの伝承の意義、あるいはまた地域ごとの独自の文化の重要性などに関しましてご意見を賜りたいと思います。

○小島氏 一番最初に、文化芸術振興基本法について、前々から気になっておりましたことですが、経済優先の今の社会状況の中で、文化芸術振興基本法が出たということは、やはり非常に大きな意味があったと思うのですが、ただ、文化芸術という言葉の概念がはっきりしないように思われます。文化、芸術そのものははっきりわかりますが、一般に文化芸術という言葉が使われているかというと、必ずしもそうは言えないと思います。当然、芸術は文化の一部です。ですから、この概念をはっきりさせないと、どういうことを言おうとしているのかということがよくわかりません。文化にはやはり広い意味の文化政策、本当は科学も教育もスポーツもいろいろ含むのだと思いますが、そういう意味の広い文化政策、芸術には芸術政策が必要ではないかと考えております。
 2番目に文化芸術振興基本法の第3章にさまざまなジャンルが並列的に挙げてありますが、第8条では芸術の振興、第9条はメディアですけれども、第10条では伝統芸能の継承及び発展、第11条では芸能の振興となっています。その中身を検討しますと、どうも腑に落ちないことがあります。第10条で伝統芸能をとりあげているということは、第8条の芸術に伝統芸能は入らないのか、あるいは欧米系の近現代の芸術のみを指しているのかなと思ったりもします。私どもは伝統芸能の中でもプロの専門の芸能家たちがやっている古典的な芸術的な芸能と、一般の人のやっている民俗芸能は分けて考えておりますけれども、伝統芸能と芸能を分けて考えるという考え方は芸能の研究者はだれもしていないと思います。この法律が議員立法だったせいかと思いますけれども、非常にあいまい、ある意味では間違っているところがあると言ってもいいのではないかと心配をしております。
 それから、附帯決議の中で、この中に例示されていない分野も全部含むということが書いてあるのは大変結構なんですが、参議院の方の附帯決議に「古典邦楽」という言葉が出てまいります。学校で古典邦楽をやるようになったと書いてあるんですが、指導要領には古典邦楽という言葉は使われておりません。ただ、和楽器を中学校、高校の3年間の間に1つは演奏を必修にすると書かれているわけで、古典邦楽と言いますと、例えば現代邦楽、あるいは民俗芸能や太鼓の新しいグループのようなものは含まれないことになってしまいまして問題です。
 これから、いよいよ本論ですが、伝統文化は私たち日本人にとって風土と歴史の中で自然に形成されてきた最も自然な文化である。そのために非常に合理的でもあると考えております。例えば、最近スポーツの方では非常に注目されております「なんば」という動きがあります。なんばというのは、右手右足、左手左足が同時に出るような体の動きのことですが、伝統的にはそういう体の動きの方が非常に多かったんですね。それが、体の動きとしても合理的であるということで、スポーツ医学の方など非常に注目していろいろ研究されています。
 そのように日本の風土の中でつくられたもの、歴史的に長い間つくられてきたものというのは、それなりの合理性があると私は考えています。したがって、日本のすべての文化の基礎に伝統文化を置くべきであると発言要旨に書きました。近現代、欧米の文化を遅れないように取り入れることに日本は夢中になってきたと思うのですが、もうそういう時代ではないだろうと思います。ヨーロッパの文化は、はっきり言えばもともと異文化なわけで、私どもにとって一番自然な文化をやはり基礎にし、それを豊かにしていくのが本当であろうと私は考えています。
 次の要旨の2番の、子どもたち自身が既に無意識のうちに引き継いでいる伝統文化を自覚させ、はっきりと身につけさせるとともに、誇りを持たせることが必要であるということも一緒に申し上げますと、例えば子どもたちは伝統文化をもう継承していないと皆さん思っていらっしゃるかもしれませんが、実はまだまだ身につけています。例えば、ここにわらべ歌と書きましたが、「かごめ」とか「花いちもんめ」などの伝統的なわらべ歌はもちろん、最近はやっているものでは、「はじめの一歩」と言って一歩飛び出して、「だるまさんが転んだ」と鬼が言ったときに、みんながきゅっととまる。とまらなかった人は鬼になるというものですが、それが最近では「だるまさんの一日」とか「だるまさんの一生」という具合にどんどん発展しています。このようにわらべ歌がどんどん変わっていくときは、やはりそれが生きている証拠でして、わらべ歌は今でも盛んでございます。
 それから、伝統文化こども教室でございますが、これは今ご説明がありました資料4の、「文化庁における子どもの文化芸術体験活動の推進に関する施策一覧」の2番目、「伝統文化こども教室」というのがございます。この教室のやってみまして、あちらこちらの成果を聞いてみますと、子どもたちはやはり非常によくついてきて、生き生きとした成果を上げています。神楽とかお囃子のようなものはもちろん、日本舞踊やお花、お茶、また武道かいろいろございますが、生活文化もその中でやられております。例えば静岡県の例ですけれども、海岸で塩田をつくって、できたお塩を信州の塩尻まで届けるということになるわけですけれども、一部は歩いてどうやってお塩を運んだのかということを、実際にやっています。平成15年度から始まったんですが、平成16年度には全国から2,700団体が申請しておりますし、18年度は3,500団体が申請してきております。平成15年度と16年度の事例集がございますので、今お回ししましすので、もしご希望があれば国民協会の方からお送り申し上げるようにしますので、どうぞおっしゃってくださいませ。この15年度の方は、県とか地域とかジャンルの偏りがないように工夫して執筆をお願いしました。平成16年度の方は、生活文化を中心にしまして、そのほかに華道、茶道、武道など、道という字がついている道の文化のものを集めております。「伝統文化こども教室」を見ておりますと、地域の大人の方たち、あるいはご年配の方たちがいろいろな工夫をして、子どもたちを指導していらっしゃいまして、それに子どもはよくついて来ていると思います。子どもたちは既に無意識のうちに伝統文化を本当に引き継いでいると思うのです。例えばお箸とお茶碗がない家はないと思いますし、各地の食文化などは今非常に注目されております。外国に行くと、世界に寿司バーというのが幾らであって、モスクワなどはちょっと歩くとすぐあるということをこの間知りました。
 それから、お祭に参加している子どもたちもたくさんいます。要旨には宗教感覚と書いてみたんですが、日本人はすべてのものに命とか魂とか神、何かそんなものを感じる、そういう感覚があると思います。例えばお茶碗を割ったりしたら、ただ物が壊れたというだけではなくて、ごめんなさいと言いたい気持ちが動きます。そういう感覚は、子どもたちにもまだまだあります。こういうものをヨーロッパの人たちはアニミズムと言うんでしょうけれども、それは非常に素朴なものを言いあらわすような言葉になっているので、例えば山折哲雄さんなどは、万物生命教と言おうと言っていらっしゃるのですけれども、そういう基盤があるので、日本人はどんな宗教も非常に広くスムーズに受け入れてきたと思います。日本では、宗教戦争というのは非常に少なかったのです。今の世界で、少なくとも宗教戦争という形は日本人のような気持ちを持っている人たちだけになれば起きないと思います。
 私は音楽が専門なので、音楽について申しますと、伝統音楽は多くの場合、踊りとか演劇など体の動きと結びついた芸能という形になっております。日本の文化体系では、芸能は非常に重要な概念ですけれども、欧米の文化にはありません。私ども、英訳するときに困りまして、パフォーミング・アーツとか言っているのですけれども、民俗芸能のようなものをアーツと言ってしまっていいのかということで悩んでいます。学校教育は、主としてヨーロッパの文化体系によっているので、芸能という概念はありません。それだけに文化政策ではその重要性をはっきり打ち出す必要があります。例えば、獅子舞を一つやろうと思っても、音楽の時間に獅子舞の笛とか太鼓を勉強する。体の動きは体育の時間ということになって、ばらばらにしかできない。文化活動としては両方統一した形で芸能としてやっていけるのではないかという気がいたします。
 それから、美術の分野でも学校教育では工芸というのは一応あるらしいのですけれども、全体としては非常にわずかしか取り上げられておりません。しかし、工芸は日本の美術では非常に重要な分野だと思います。伝統文化を学ぶということは、ただ継承し保存するだけではなく、これをベースにして現代的に発展させるという観点が必要だと思います。実際にその可能性は大きいし、それによって独自の文化を発展させることができると思います。例えば、現代邦楽は今非常に盛んで、福岡県の久留米市で全国箏曲祭というコンクールをやっていて毎年全国から七、八十人が参加しているんですけれども、そのうちの七、八割は現代邦楽です。それも東京とか大阪とかだけではなくて、全国各地からそういう曲を練習して持ってくるという状況で、今では現代邦楽も全国的なものになっております。邦楽の演奏家たちが海外に出ることも非常に多いんですけれども、大体古典と現代邦楽と両方やっております。最近の例では、ニューヨークでのミュージック・フロム・ジャパンという催しで、尺八の中村明一さんが虚無僧尺八の古典と現代曲を演奏なさったんですが、スタンディングオベーションだったということで、評価が高いようです。
 科学的にも、例えば宇宙船で折り紙の技術を使った三浦折りとか、それからこの間の小惑星糸川にはやぶさが着くときの技術としてお手玉の原理を使ったとか、いろいろ伝統文化の中には効果的にこれから発展させることのできる要素はいろいろあると思います。
 もちろん、欧米文化を排除するというのではございません。日本の文化を豊富化するためには、世界中の多様な文化を認め、尊重し合うように学ばせるべきであると考えております。欧米に限らず、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなど、中国、韓国、朝鮮などはもちろんのこと、日本の伝統文化を尊重するということは、それらの民族、国、地域の伝統文化を尊重するということでもあると思います。その意味で、決して国粋主義ではなく、非常に国際的、平和的であると考えています。また、日本全体を画一的に同じ色に染めるのではなく、日本の伝統文化には地域性がありますので、各地域の文化を基盤にするべきである。それによって子どもたちは自分の地域の文化に誇りを持つことができる。例えば、山村の人たちは非常にダイナミックな体の動かし方をして、芸能も非常にダイナミックです。漁村とか島々の人たちは、一種の揺れのような感覚を持っています。また大きく言えば東日本と西日本、あるいは日本海側と太平洋側、南西諸島など全部文化の性格が違います。それはそれなりに認めて発展させるべきだと思います。
 最後に、子どもたちと同時に父親母親の世代も伝統文化について教えることが必要です。恐らく今の父親母親の世代は、伝統文化について教えられなかった世代だと思います。「伝統文化こども教室」に両親も出ていらっしゃる場合があるんですけれども、やはり皆さん喜んで一緒に勉強していかれます。ただ、この世代の方たちは今一番忙しい年代ですので、1カ所に集まってもらって何かそういう教室を開くということはなかなかできないかなと思いますので、インターネットとか、新しいメディアを使うなどの工夫が必要かもしれないと思います。結論として申し上げますと、これまでは欧米の近代現代の文化がこれからの文化のベースにあるかのように言われてきたように思いますが、伝統文化こそこれからの日本文化のベースに置くという位置づけが、文化政策の中で非常に重要なのではないかと私は思います。

○青木部会長 どうもありがとうございました。
 引き続きまして、岡本先生から、学校において子どもの文化芸術活動を充実させるために求められていることや、学校が地域と連携して文化芸術活動を推進する場合の課題などに関しましてご意見を賜りたいと思います。

○岡本氏 学校においてどのようにやられているかということについて、主にお話しさせていただこうと思うんですが、一番大きなことは、学校や、地域によって異なっているだろうということです。私自身が、新宿区で管理職をしているときに、伝統芸能、伝統芸術、音楽科の中に和楽器を取り入れるように学習指導要領が変わるということになりました。新宿の先生方は、それでは自分が習ってもいないものをどうやって子どもに伝えていこうかということで、このパンフレットなどにもありますが、芸団協の方のご協力を得て、夏休みの間に2日間にわたってさまざまな楽器の実習をいたしました。子どもたちと授業で取り入れるということについて、どのような形ができるだろうかということでお話し合いをして、少しずつ準備をしてまいりました。新宿区の当時13校の教員が一斉に準備をしましたし、区に掛け合いまして楽器購入の予算をいただいたり、メンテナンスのことなどについても、何年かかけて各校ではなく、区教委の所属にして管理をするなどという形をとってまいりました。大変うまくいったと思っておりまして、私が所属しております全日音研の中学校部会で、全国のそれぞれの県の支部長が集まる会などでは、そのことを広めてお話しさせていただいてまいりました。子どもたちが今まで私たちが余り触れないで育ってきたわけですが、今の子どもたちが文化芸術活動に触れることの意義については、ここにいらっしゃる方もよくおわかりだと思います。学校の中で教育活動として実施するときのよさは、スタートラインが同じで、ちょうどスキー教室で初めて子どもたちがスキーをするようなもので、今までお勉強がよくできたとか、運動が得意だったとかということは全く関係がない。そのときにみんな一斉に習うので、子どもたちはとても自分の気持ち次第で興味を持てば次々に伸びてくる、意欲が素直に成果にあらわれるという経験をいたします。音楽の授業は少ないので、例えば1年生で三味線をやるとなると、1年間に2時間、子どもたちはその間、途中の休憩時間も楽器を手放そうとしません。それほど一生懸命やります。そういう様子を見ていると、「ほかのことでいろいろな問題を抱えた生徒が、こんなに熱心にやるのか」と担任の先生や保護者に見ていただくと、大変びっくりされます。それで、子どもたちの新たな面の評価につながることが子どもにとってよい影響があります。それから、他学年の生徒や地域の方々の前で発表したり、それが認められるという経験につながります。
 また、他の教育活動で得にくいこと、つまり学習での評価以外の人間の本質みたいなものがここで出てくるんですね。伝統を尊重するとか、お三味線にしても、箏にしても、無言で体の動きで相手と合わせていくことは、言葉で説明するよりも、一度経験してみれば子どもたちは普段の人間関係を超えて、とても上手にやります。それから、教えてくださる専門家の方への礼儀とか楽器の扱いなどの面からも、今の子どもたちが全く傍若無人な日常を過ごしていることを考えると、自然に謙虚さのようなものが見えて、その時間の生徒は大変落ち着いた感じがして、独特の空気が流れるような気がいたします。このような授業といろいろな発表活動を通して、日本人なんだなということに気づいたという感想を述べる生徒がたくさんいます。これから音楽ばかりでなく、ほかの面の伝統文化への興味や関心も喚起されているように思われます。
 それでは、教育活動として取り入れるときに、どんな課題があったかということについてお話をすると、まず音楽科の教員が、そういうものを習った経験がありませんでしたし、周りの教員や保護者も大丈夫かしら、と心配してくれましたが、授業を公開し、保護者の参観も得て、できるだけ担任の先生には一緒に楽器に触ってもらいました。三味線の例ですが、3年目ぐらいになりましたら、子どもたちは大変喜んで、楽しみにする。先生にぜひ演奏してほしいという要望が生徒から出ました。全校145人ぐらいの小さな学校でしたが、約30人の子どもが先生の演奏を聞きに音楽室に集まってまいりました。また、保護者も大変興味を持たれて、保護者だけの授業というのも実施したことがあります。教員や保護者は生徒の様子に心を打たれて、子どもたちの純粋さが残っているとことにとても安心した。また、お家に帰っておばあちゃまの形見を取り出してみようかとか、家族の会話が広がったなどという反応がありました。
 さて、協力していただける演奏家をどうやって探すかということですが、新宿区の場合は、まずは芸団協にご紹介いただいて、大変高名な演奏家の方にボランティアで参加していただくという恵まれたところからスタートいたしました。そのうちに、新宿に本部を置いていらっしゃる団体がたくさんありますので、たくさんのお申し出をいただいて、尺八や琵琶などもお申し出によって学校の中に取り入れることができるようになりました。去年から私は大田区に異動いたしましたが、大田区では、各校の学校規模が、私のところが13学級、500人の生徒です。1カ所で一斉にというわけにいきませんから、小さい学校とは大分状況が異なりますし、予算の面でも大分違います。楽器の量もたくさん必要なわけですので、新宿のように全校が必ず1カ月間自分の学校に置いて利用することは難しい状況です。しかしながら、そういう状況をお話ししたところ、例えば、三曲協会からは箏を20面お持ちいただいて蓮沼中でも授業をすることができました。まだまだ演奏家の方々は大変熱心に協力していただける姿勢をお持ちですので、それは学校の努力次第で実現できるのではないかなと思っています。大事なことは、専門家任せにせず、先生方と専門家の方が意見交換をして、成果を検証していくことだと思っています。昨年度、箏の授業は子どもたちは大変喜んでやりましたが、教えてくださった専門家や家元に近い方が「指導者に向けて希望はありませんか」と聞いていただきました。私はもう少し型とか姿勢とか、道というような考え方をやはり生徒にも求めていただきたかったなということをお話ししました。先ほどお話しした三味線の先生は、音楽の先生方の研修にも尽力してくださって、夏休みなどレッスンをしていただいたんですが、学校の先生が研修のために出かけることが制度の中でも難しくて、どのようにしたら先生方が出張して、研修することを認めていただけるかということをお話しして、研修終了認定証を発行していただきました。決められた回数の研修を受けて、指導者としての認定証をいただいた先生は、初年度に2名出たそうです。学校で教えるのに十分な力を持っているという証明証を発行していただくような仕組みをつくってくださいましたが、そのようなことがこれからいろいろなところでできて、また協力してくださった団体に何らかのお返しができればもっとよいのかなと。それは学校から謝礼というようなものではなくて、何かそういう仕組みができればいいのではないかなと思っております。
 教育課程外の学校行事で力を入れること、これは多くの方の理解を得るためにも大事なことですし、小島先生のお話にあったように、子どもたちよりも親の年代、私たちの年代は全くそういうものが抜け落ちておりますので、学習発表会や地域への発表会などいろいろやってみました。最初の年は伝統文化ではなかったのですが、ピアノと朗読のコンサートをいたしました。葉っぱのフレディの物語を専門家に読んでいただいて、私の後輩の盲目のピアニストが即興で音楽をつける。もう一つは朗読部の子どもたちが走れメロスを朗読して、それにも即興で音楽をつけていただく。それを地域のホールで発表いたしました。学校の生徒が聞いていないのは残念だということで、翌年からは、合唱コンクールと抱き合わせて発表しました。そのときには平家物語の朗読と平家物語を琵琶でということでしました。果たして子どもたちが琵琶を真剣に聞くのかという心配もありましたが、大変熱心に聞きました。多分、これは子どもたちの朗読とかぶせたからだと思いますが、そのようなことを工夫していけば、十分にお互いによさが理解できるのではないかと思います。信頼できる演奏家を選ぶことが難しいのですが、芸団協などとご相談したり、私どもがネットワークを一生懸命アンテナを張っていればできることなのではないかと思っています。ただし、これは新宿ならでは、東京ならではであるところがあって、山間部などでは、先生方の研修も、それからそういう方を招くにもきっと大変なことではないかと思っています。このコーディネーター役をだれがするか。私が異動した後、新宿区には音楽の校長はおりませんので、果たしてどういうことになるのか、また教育委員会にご協力いただくとしても、なかなかそういうところは難しいことがあるかもしれません。しかし、努力をすればできることではないかと思っています。
 教育委員会と学校と連携ということでは、共有楽器の購入やメンテナンスを新宿では最終的には学務課の支出にして、予備のものもずっと楽器と一緒に回しまして、壊したり、失ったりしたところは各学校が補充して数を保つようににしてまいりましたが、区や市の単位でやることが大事かなと思っております。学校がそのほか授業にかかわることでなくできるとすれば、総合学習の時間で取り上げることです。先ほど言ったように国語とか美術とか体育などと、文字通りいろいろな教科と総合的に取り扱うことで発表の場面をつくるということが一番期待できることで、既にたくさんの学校がやっていらっしゃると思います。それから、卒業生が地域でどんな活動をするか、新宿淀橋中学校では運動会のときに、お昼休みに成子囃子の演奏を毎年やっておりました。それから、どういうわけか花笠音頭を全員で踊るというのもありました。多分よさこいソーランをやっている学校もたくさんありますし、エイサーなどもやっているところがあるかなと思います。卒業生が地域に入って、今度はお囃子の指導にあたっているということもありますので、学校でもそういうものを把握して、またそれを現場に戻していく努力も必要なのではないかなと思っております。せっかく持っている楽器を提供したり、発表の場を提供することも大事だと思います。あとは、これからただ継承するだけでなく発展的に、と考えますと、新宿で3カ年にわたって毎年200万円の予算をつけていただいて活動してまいりましたので、3年目には生徒の演奏発表会にぜひその成果を出そうということで、お三味線が1棹、そして箏を私の学校、西戸山二中から出しました。お三味線のときには、新宿で研修をした先生方もともに加わって演奏いたしましたし、箏でビートルズを子どもたちが演奏しました。大変熱心にやりまして、途中での調絃も子どもたちが自分でできるようになりましたので、これからの子どもたちには私どもが狭い解釈ではなくて、現代曲とかそういうものにつながるような発想を狭めないで子どもたちに提供していく心構えも必要ではないかなと思います。西戸山二中で教えてくださった方のお師匠さんは、何とアメリカの方に学ぼうとしている方だったんですね。それで、そんな形になりましたが、それもいい経験になったと思っています。
 最後に課題。何と言っても、地域の格差が大きい。音楽科の授業でさえ地方に行くと3校ぐらい掛け持ちで教える県もあります。先ほど言ったように立地条件の悪いところでは、研修に出かけたくても出かけられない。報償費がいただけるところ、いただけないところ、あらゆる意味で格差が大きい。それから、だれかコーディネーター役を上手にできる立場の者があるかないか、全日音研などではそういう先生を育成することも努力しておりますが、演奏家の団体ともよく連携をとって進めていくことが大事だと思っております。

○青木部会長 どうもありがとうございました。
 それでは小島先生と岡本先生のお話に関しまして、ご質問なり、ご意見なり、また先生方のご意見も拝聴したいと思います。よろしくお願いします。

○上原委員 とてもお二人の報告を興味深く拝聴いたしました。現場でいろいろなことが変わってきて、取り組みが盛んに行われているんだというのが先ほどの冊子と岡本先生のご報告でわかったんですが、一つ、小島先生にぜひご専門の立場から教えていただきたいのですが、伝統と言われた場合に、どのあたりを起源として伝統と考えていられるのかということが一つ。
 もう一つは、これは特殊地域性かもしれませんけれども、滋賀県などではピアノというのが家の中にほとんど入り尽くしているぐらい普及率が高いんですね。これは滋賀県だけではないと思うんですが、そういうものが今、かなり子どもたちの日常の中に入り込んできているのではないか、伝統の起源とかかわるのですけれども、明治以降100年以上過ぎた、私たちはどちらかというと、お琴、三味線ではなくて、ピアノとかそっちの方が日常生活の中に入ってきているような気がするんですね。それを教えていただきたいと思います。

○小島氏 伝統音楽はどこから始まったかということになりますと、恐らく縄文からと言わざるを得ないのだろうと思います。縄文にもう既に楽器らしいものはございますし、私は縄文からずっと続いているものと思っています。伝統的な音楽は各時代に発展してきたもので、現代邦楽もその流れの一つの動きです。現在の子どもたち、ピアノがお宅にあったとしても実際に習っているかどうかということになると、極めて貧しいですね。大体ピアノの借金が残っているだけという家が多いと思います。ですから、それは余り信用が置けませんし、中国がそのうちそんなふうになるんじゃないかと思って心配しておりますが、子どもたちは意識はしていないんですけれども、子どもが学校から解放されて遊ぶときには、やはり伝統的なわらべ歌で遊ぶわけですね。そのあたりなんですよね、私が言うのは。例えば、「かごめ かごめ かごの中の鳥は」、これは普通に話し声と同じように今も歌っているわけですけれども、今までの学校教育だと、こういう声は地声だからだめ、ヨーロッパ的な、いわゆるベルカントと言われているような声で歌えと教えているわけでしょう。そうすると「かごめ かごめ」(群衆の声で)ということになるんですかね、これは本当に気持ち悪い。やっぱりこれは異文化なんですよね。ですから、そこのところは子どもたちの自然な状態というのをもう一度考え直していただいく必要があります。ヨーロッパの音楽をとり入れてアフリカ系の人々が発展させたジャズとかロックとか、また今の若い人たちにはやりの音楽もありますけれども、日本の子どもたちには、基盤になる伝統的なものがやはりまだ残っていると思いますね。ですから、それを刺激することによって、どんどん伸びていくだろうと。例えば、岩手県の大償というところの山伏神楽を最近拝見したんですけれども、子どもが本当に大人顔負けに上手に舞っていました。それはやはり地域の名人が、毎週(土)、子どもたちに教えて、子どもたちは行きたくて行きたくてしょうがないそうです。そこではきちんとお行儀や直会の時の先輩や客達に対する礼儀を教えるなどお酒つげとか、そういう教育もやってまして、私は地域の教育力はまだまだ非常に強いと考えました。

○上原委員 もう一つ、議論になってしまうかもしれないんですが、縄文起源の日本の伝統的な文化は、変容を遂げながら、発展してきて、大陸文化を受け入れて、大きくなってきたと思うんですね。突然、明治以降百数十年たった日本の今現在のものを否定してしまうようなことなるとちょっと怖いなと思うので、そこのところを確認したいということと、もう一つは、地域の民俗芸能のようなものがまだ根づいている、そういう地域というのは、定住定着人口がかなりいる地域ではないのかしらと思うのですね。岡本先生がおっしゃった東京の場合は、芸団協があって、いろいろな指導者を送っていただける。それから、地域ではおっしゃるように地域の中にまだ定住定着人口というのが残っていて、まだその人たちが生きているという恵まれた地域、それも恵まれた地域かと思うんですが、そうでない地域もいっぱいあるんですよね。例えば大都市近郊などでは、定住人口というのが少ない。そういう中ではどうしていったらいいのかなという問題もあると思うのですが、いかがでしょうか。

○小島氏 先ほども申し上げましたが、ヨーロッパ系の文化を否定しているわけではないので、要旨の2枚目の1行目から2行目をごらんいただければいいのですけれども、ただ、もう既にヨーロッパの文化だけを追いかけて一生懸命やるという時代ではないと思うのです。そのかわり、アジアの文化とかアフリカの文化とか、そういうものをもう少し受け入れていいんじゃないかと私は考えています。
 それから、確かに大都市近郊では定住している人が少なくなっています。お話ししました大償あたりでも非常に過疎化はしているので人口は減っています。でも、一生懸命やっているんで当分大丈夫だと思います。東京あたりでも確かに私の住んでいるマンションという名前のコンクリート長屋ですが、余り長屋的雰囲気はなくて、お互いにどういう人か知らないで100戸近い人間が暮らしているという中で、お祭だからといって祭に参加することもありません。でも、それでも祭り囃子の音が聞こえれば、やはり何か行ってみたくなる、そういう気持ちはまだあるわけです。それから子どもたちのわらべ歌はあちらこちらから転校して来るとかえって豊かになるんですよ。その前の学校でやっていたわらべ歌を持ち込んだりして。ですから、子どもたちのわらべ歌はまだまだこれから、そういう定住してなかった、流動してきた人たちの間でかえって豊かになっていくと思っています。そのあたりから、育てていけばごく自然に伝統文化になじむだろうと。

○青木部会長 1つお聞きしたいんですけれども、今のに関連しますが、学校教育なんかで、例えば伝統文化を教える場合に、どういうところのことを一番、どういう時期のものを一つの典型として教えれば、伝統文化とはこういうものだと伝えることができるんでしょうかね。

○小島氏 まずはわらべ歌ですね。とくに低学年では。それから日本の場合は、例えば音楽について言いますと、階層によっても違うし、時代によってもやはりいろいろ変化してきているわけで、邦楽でもいいんだろうとは思っています。明治以前のいわゆる近世邦楽と言われている三味線音楽とお筝の音楽も、明治以後、実は発展してきているんですね。ですから、決して固定的にどこかを、例えばお能でなければならないとか、歌舞伎でなければならないとか、そういう形ではなくて、その時代のものを、これはこういう意味がある、これはこういう歴史的背景があったことも勉強するとか、そういうふうにいろいろな選択肢を持っていていいと思っています。

○青木部会長 音として再現できるといいますか、万葉集から源氏とか、古典というものがある程度はっきりとしていますね。どういうところだと音として再現できて、あるいは教えることができるかという、伝統文化としてね。ヨーロッパではどこまで伝統と言えるか、古楽器の演奏とありますよね、あれは絶対18世紀ぐらいか17世紀ぐらいでしょう。そうすると、日本の場合はもっと前から、それこそ縄文からと言われるわけですから、どの部分を出せばこれは伝統文化の音楽だと言えるのかなと思いますよね。

○小島氏 音楽史学として近代以前の音を再現させることは不可能に近いことですが、しかし日本の場合は古い音楽を比較的よく伝えてきています。私は学校教育でとりあげるのはどの時代のものでもいいと思っているんですが、例えば子どもたちと一緒に石笛、石の笛をつくってみる、これは縄文のものですけれども、神を呼ぶためにつくったということがあるわけですから、それによって日本人の感じ方、考え方に近づくことができます。雅楽でしたら飛鳥・奈良時代に中国や朝鮮から入ってきたものを平安期の貴族の社会、天皇家を中心とした貴族の社会で、自分たちの感覚に合わせて再編したものです。これはその時代のこういうものだと教えていけばいいので、私はどこか一つのものに核があるとか、そういう考え方はしていないです。

○青木部会長 僕らの戦後教育では全くそういう教育はなかったんですよね。知識も何もないんです。

○小島氏 でも、わらべ歌はお歌いになりましたでしょう。

○青木部会長 ああいう家庭、地域で伝承しているものと別に、学校で例えばヨーロッパのクラシックと同じレベルで教えてもらうものが当然あってもいいと思うんですね。雅楽とかああいうものをもっと小さいときから聞いていれば、もっと我々の音楽経験が豊かになって、ヨーロッパに行ったり、アメリカに行ったりしているときも、それを向こうの演奏家が聞いても、それと比べながらいろいろと聞くことができて、豊かになったとは思うんですが、残念ながら全然知らない。

○小島氏 すべての文化の基準をヨーロッパにおいて見るという考え方はもうやめてほしいと思うのです。

○青木部会長 学校行ってもベートーベンとかその肖像画ばっかりだったですけれども、ごく最近は知りませんけれども。

○小島氏 それは決してグローバルではないと思うんですね。

○青木部会長 子どもたちへの伝承の仕方とか、岡本先生の貴重なご意見もございますので、皆様から積極的なご意見を。

○伊藤委員 私自身は芸術と芸能の違いというものを、ある意味でTPOにある程度絞られているものが芸能であって、芸術というのはTPOからある程度解放されたものだと理解しているんです。逆に言うと、芸能のよさというのは、TPO、つまり場所、あるいはお祭りだとか、さまざまな生活時間の中でのある時間であったりだとか、幾つかのものにかかわっているがゆえに地域文化としての意義が非常に高いんじゃないかと理解したいと思っただけなんですが、こういう理解がまずいいかどうかというのがまず第一点です。2番目にそういう理解に立った場合に、学校という場が比較的TPOから隔離された、つまり、地域の持っているTPOではなくて、全国的、普遍的な基準の中につくられた場である。そういった場において、TPOに縛られている。それによって、より豊かな文化性を保持している芸能、あるいは工芸もそうだと思いますけれども、こういった伝統文化というものを生かす方法というのが本当に可能なのかどうか。逆に言うと、地域と連携という問題がより大きな課題になってくるんじゃないかと思うんですが、この辺についてはむしろ岡本先生の方にご質問になるんですが、この2つをお聞きしたいと思います。

○小島氏 前半だけ答えさせていただきます。
 TPOと結びつく、それが非常に強い条件になっているとは民俗芸能の場合だと思いますね。あとは、この第11条に書かれておりますような文楽、歌舞伎、能とか、そういうものはTPOと関係がないので。ですから、その考え方には私は賛成できないですね。ただ、音楽だけとか、踊りだけとか、お芝居だけという形では日本ではあまり発展しない。むしろ、総合化していく方向で日本の文化としては発展してきたと思いますので、そういう意味の芸能という言葉を私は使います。

○伊藤委員 例えばお能あたりをとりましても、確かに最近は、普通の舞台等々で演じられたりだとか、薪能等々も至るところでお能の公演が行われるようになってきていますが、やはり能楽堂という場を、そしてまた一期一会みたいな風潮はそう簡単には消えないですし、それをなくして能を語ることはやはり難しいんじゃないかと思っていたんですね。そういう意味では、私は歌舞伎はかなりTPOから開放されてきているとは思うんですが、お能などは、かなりそれとのかかわりが強いんじゃないかなと理解はしているんですが、伝統芸能、伝統文化とは関係ないというお話になってしまいますと、岡本先生に対する質問が甘くなるのかもしれませんが、ちょっと岡本先生のご意見もお聞きしておこうと思います。

○岡本氏 学校で筝をやる、三味線をやるときに、じゃあ、何を題材にするかということも音楽の教師の中でいつでも「さくら」でいいのだろうかとか、やはり悩んでいるところです。何を取り上げるかということも、これでなくてはならないということはないし、和楽器を取り上げることというときに、その楽器を習熟することが目的ではないので、もしかしたらその学校で一番協力が得られる種類のものということで決めていく方がずっといいのかな。新宿ではいろいろ試してみました。大田に行きまして、池上本門寺が近くにございまして、そのお会式で我が校の生徒もたくさん、「まといを振るんだよ」とか、「御囃子に加わっているんだよ、僕は」と言いにきましたので、今年はそれを自分の目で見て、ぜひ校内の発表会のときに彼らを大人の人と一緒にやらせてみようではないかと思っているんですね。そのように、その学校、その学校でベストなものを選んでやることができるのではないかな。
 それでちょっとお話がそれるかもしれませんが、新宿区では毎年伝統芸能祭というのを区が主催して四谷のホールでやっている。教え子が出るというので連絡をくれまして、ぜひ先生に見てほしい。それが鳴子囃子から戸塚囃子としていました。まだ30にならない者ですが、子どもたちに教えるときにとっても大変だと、口移しで教えるんだけれども、「1週間たつともう忘れちゃう。今度、それを楽譜に書いて教えてあげたら、今、楽譜は余り習わないから、先生だめだ、僕たち習ったころのように教えてないね」って言いにきたんですね。その伝統芸能祭のときに、16年1月だったと思いますが、「サムルノリ」が出演しました。韓国の大久保あたりはそういう方がたくさんいらっしゃるので、そのチームが出ました。もうびっくりするほどの音量の差でした。お年寄りもたくさん聞いていたけれども、途中から耳をふさぐような方が多くて、本当にびっくりしました。大田区に行きますと、街の掲示板にやはり伝統芸能発表会みたいなものがたくさん出ています。メセナの活動が大変盛んのようです。きっといろいろなことをたどって、本物に近いものに子どもが触れるのがいい選び方かなと思っております。

○横川委員 先ほどここに小島先生挙げていらっしゃるように、いわゆる日本人にとって風土、歴史、自然との関係がとても強い。そういったものが素材としてわらべうたとか、かつての童謡にはいっぱいあったと思うんですね。現在は、そういう童謡とかわらべうたというのは実際に学校の中では教えて見えるんですか、あるいはよく教材としてお使いになっているんですか。

○小島氏 わらべうたは、実際に遊ばせてみるといろいろ知っていますね。例えば、“あーぶくたったにえたった”と始まって“むしゃむしゃむしゃ”っていって鬼の頭にさわるような、そういうところを含んでいる遊びですけれども、新しい言葉がどんどん入ってきていたり、わらべ歌は今も随分盛んにやっています。ただ、学校の先生方、意外にご存じない方も多いんですね。子どもと遊ぶ余裕がないんですね。

○岡本氏 学校の授業の中でわらべうたを学ぶということはそんなにはないと思います。ですから、童謡を歌い継いでいくというようなことは意識的にしないと、なかなか難しいのかな。私、初任は小学校で教えましたが、そのころは音楽の時間以外に音楽朝礼とか宿泊を伴うような行事の際とかに、音楽の先生が心がけてそういうものを取り扱うということはあったと思います。それから、演奏会のときに、わらべうたから発展したような合唱曲を取り上げるということはあると思います。それから、今で言うと、お筝や三味線の一番最初のときに音が少ないですから、わらべうたは単純ですから、「ひらいたひらいた」とか、「かごめかごめ」とかから入るということはあると思います。

○横川委員 邦楽を専攻するというのは、東京芸術大学にはございますけれども、ほとんどの音大にはあってもほんの数校にすぎないんじゃないかと思うんですね。先ほど来いろいろ音楽のことに関して、日本の伝統的な和楽といいますか、とても大切であるにもかかわらず、そのあたりの高等教育がなされていないんじゃないかと。実際に実習として、あるいは実演奏として、というのはほとんどないんじゃないか。ミュージックは特にそっちばかり向きまして、だから先ほどおっしゃったように海外に和楽器を持っていく、和太鼓に、あるいは三味線なり。そういったものは一つの日本のこれが伝統的な楽器演奏、何か一つの看板みたいなものを掲げて紹介するような形で持っていく状態で、いま一つ国内で一番大事なものというのはどうも欠落しているような気がするんですけれども、お話聞かせていただきたいなと思います。

○小島氏 確かに、音楽大学で邦楽をやっているところは非常に少ないんですよ。大事なのは、教員の検定試験に和楽器を幾らかやっていないと通らないという。今そういう時代になってきましたので、これからだんだん変わっていくんだろうと思います。

○岡本氏 私どもが学生だったころは、和楽器に直接触れるという時間はありませんでしたが、今の教員養成のところでは必ず指導していますから、これから先生、最近なられた方は、皆さん経験をしています。

○横川委員 そういったことがなされれば大いに結構だと思いますし、学校の先生というのは、どの教科を持たれていても大変忙しいと思いますけれども、そういう人材育成みたいなところで、和楽器のことを音楽の先生方にも実体験としていろいろ時間を割いてやっていただければ大変ありがたいなと思っております。

○小島氏 これはむしろ文科省の方にお願いできれば。

○横川委員 いろいろ難しい問題はあるかと思いますけれども。

○白石委員 小島先生、岡本先生、お二人とも伝統文化の重要性ということを非常に強くおしゃっていらっしゃいまして、本当に同感です。あちこちで伝統、伝統というと、どうしても先生おっしゃったように、国粋主義的な感じにとられがちなので、そういうものではないということは、しっかりとしなきゃならないと思っております。伝統文化の鑑賞というようなところではどのようにお考えか、ちょっとお伺いできればと思います。

○小島氏 私は、音楽は本当は自分で表現するというのが一番大事なことだと思っています。ですから、楽器がなくとも、例えば民謡、わらべうたのような調子でもいいですし、自分の思っていることを歌にできたら、それがまずベースだと思うんですね。例えば、教え子がやっている精神科の病院があるんですけれども、そこで「海は広いな大きいな」の節で、自分の思っていることを歌ってごらんという実験をしたらしいんです。そうしたら「ビールを腹いっぱい飲みたいな」と歌った人がいまして、それを歌ったら、もう何かビール飲みたいと思っていたのが随分おさまったという話です。音楽にはそういう力があります。そういう力を土台にして伝統音楽を聞けば聞き方が随分変わってきます。自分たちの音楽として聞くことができるようになるからです。それと、鑑賞については、やはり今マスコミがもう少しいろいろ伝統音楽やってくれるといいなと思います。今、NHKの田村委員がいらっしゃいますけれども、NHKだけが伝統音楽をやってくださっているんで、それも最近は現代邦楽が非常に少なくなってしまいました。もう少し伝統的なものをNHKもやっていただきたいし、民放もやっていただければ大分鑑賞のチャンスはふえるかなと思っておりますけれども。

○岡本氏 学校の特に中学生に鑑賞させること、その気持ちがない生徒に聞かせること、ましてや今は映像なしで音だけということはほとんどないと思いますが、それでも映像で聞かせることより、やはり本物を見せたり、聞いたり、できれば触らせたいというのが本当のところですね。本物を見ていると、こんなところにこんなきれいな象眼がしてあるとかということで、また別の面の日本の美にもつながっていくのかなと思いました。

○白石委員 実際の演奏の方は、学校なんかでもそう多くないんでしょうけれども、鑑賞に関しては、それほどの余裕がない状態なんでしょうか、現実には。

○岡本氏 そうですね、本当に音楽の授業数は1年生45時間、あと35とかということですので、年間に。ですから、そんなにたくさんの時間をかけるということは難しいですね。

○田村(孝)委員 何よりも学習指導要領が変わり、検定試験も変わったにもかかわらず、伝統音楽を取り入れるという段階になったのに予算が全くとられていなかったということがすごく大きくて、英語教育であったり、コンピューターであったり、それに対してはすぐ予算がつくのに、伝統音楽を取り入れる、それで先生の検定試験さえ変わっているにもかかわらず、予算措置をしなかったというのがすごく問題であるかな。それで先生がおっしゃったように、地域格差があるというのは、1975年からきちんとふるさと教育というようになっている、市長の意識のあるところではそうしていらっしゃる。その一方で、何十年と子どもの教育の、音楽教育の中にそういうものを取り入れていらっしゃって、NPOを立ち上げられたにもかかわらず、今年になって打ち切られなくちゃならない方がいらっしゃるという、この現実はどこに問題があるとお考えでいらっしゃいましょうか。

○小島氏 これはむしろ文化庁からも文科省の方の方にお答えいただいた方がいい問題じゃないんでしょうかね、予算化の問題は。ちょっと私はその辺はわかりませんけれども。

○田村(孝)委員 先生としてはどうしたらよろしいと。

○小島委員 私のわかる限りで申し上げますと、今楽器をこれだけ買うために予算をつけるということはなくなってしまったんですよね。文科省の予算のつけ方。楽器のためにこれだけ使えというような指示の仕方は今はしなくなったんですね、何年か前から。それで、多分ほかの地方交付税の中で自由に使っていい部分で楽器を買うことになります。そうなりますと、もうほかの分野にどんどんお金を使われちゃって和楽器などはだめ、そういうことには使えなくなるという現状だと思います。ですから、やはりきちんとした指示をしていただかないと困るんだと思います

○米屋委員 先ほど岡本先生からもご紹介いただきましたように、芸団協の方で6年前らか取り組みまして、昨年度で一区切り至ったんですね。これ芸団協も負担はいたしましたけれども、財団からの支援をいただいて、モデル事業を開発するということで続けてきたものです。それで、先ほどの伊藤委員と上原委員のご意見に関連しますが、確かに伝統芸能は多分表情化するのは非常に難しい。いろいろなルーツのものがあって、それぞれが違いを全面に出す形で存続しているものですので、例えばお筝一つにとっても流儀によって爪が違うとか、それを何々中学校は何々流で、何々中学校で違う流儀というように固定させてはいけないとか、そういうところの難しさはあるのかなと。それを私どもでも先生方といろいろ議論しまして、解決した一つがこのパンフレットの最初の方に紹介してあるんですが、子どもたちにまず創作をさせたんですね。既にある古典の曲を演奏させるということではなくて、和歌をつくったり俳句をつくったり、あるいは学校によっては学校の校歌を題材にしたり、あるいは合唱コンクールで歌った規定の曲の歌詞をもとにして、それを長唄に乗せてみる、お能の謡風にしてみるという試みにして取り組んでみました。実は演奏家の方からは最初とても抵抗がありまして、自分たちは古来から伝わっている正当な古典芸能を子どもたちに伝えたいんだ。では学校教育でバイオリンコンチェルトを習得するまでやっていますかということを申し上げながら、あえてそういった伝統芸能にともかく触れさせたいという気持ちを一旦抑えてもらって、導入するということに限定してプログラムを組んでみました。学校の中でできるのは、多分そういう入り口を流派とか、ジャンルとか、そういったものにかかわらず、何かスピリットを伝えるというところまでが多分必要なことだし、限度なのではないかなと感じております。
 ただし、私は直接担当していないのですが、担当者が残念だなという思いで言っているのは、せっかくそういう授業ができても、そこで興味を持った子どもたちがじゃあ演奏会に行きたい、お能を見学したい、もっと習いたいという意欲があったときに、地域に受け皿をつくっていくという、この2つのことをやはり同時並行でやっていくことが大事なのではないかなと思います。先ほどの田村委員のご意見にありましたように、やはり予算措置というのはとても大切なことですが、一つ私どもも感じております解決法は、どうしても学校の中のことですと、文科省の管轄、教育委員会の管轄ということで、学校が申請するとか、学校に予算をおろすという格好でしか、今まで余り考えられてきませんでしたけれども、例えば本当に何とか協会とかNPOであるとか、私どものようなところに、学校の内外でそういった機会をつくるための支援があれば、学校の中と外を連携する形で、別のアプローチで先生方を側面から支援することも可能ではないかと思います。学校と地域という二文法ではなく、それをつなげて考えるような支援策を工夫していただけたら一つの解決法になるかなと。
 もう一点、申しわけないのですが、日本の伝統芸能が大事だというと、何人かの意見、委員からのご心配にありましたように、国粋主義的ではないかということがありますが、邦楽の関係者の中にはこの思いはとても根強いんですね。私どもの傘下にはクラシック音楽、洋楽の方もいらっしゃいますので、伝統芸能の方がそういうことを主張されますと、クラシック音楽の方がオーケストラだって、洋楽だって日本の音楽ですとおっしゃいまして、確かにこれもどちらが大事という二文法ではなくて、音楽としてそれぞれに違う、多様なものがあるんだという姿勢で取り上げていっていただかないといけないのかなと思っております。

○加茂川文化庁次長 先ほど和楽器指導の関係で、財政措置のご質問がありましたが、それに答えつつ、学校だけではなくて、関係団体の話にも触れます。今の学校で必要な教材について、特別な分野について国が補助金を出して充実する仕組みはもうとられていません。情報対応、コンピューターとの話もありましたが、コンピューターについてすら、文部省が直接補助金を手当して整備を図っていく時代はもう終わっていて、いわゆる地方で必要な経費について一般財源化されています。地方交付税の積算の中にこの和楽器についても教材整備費の形で入っています。その教材整備費としてカウントされている市町村ごとの予算をどう具体に予算化するか。情報を優先して整備するのか、和楽器を優先して整備するのか、両方やるのか。そういう判断は自治体、簡単に言うと、首長、市町村長のリーダーシップにかかっているわけです。現に和楽器については一番安いので和太鼓がずっと普及したんです。しかし、市町村によってはお筝をそろえるところも見られたんです。一般的な財源措置なものですから、取り組み方によって差が出てくる。それは実は仕方のないことだとも言えます。というのは、法律の基本は設置者負担主義、学校の設置者がまず必要な経費を措置をし、具体にどう手当をしていくかという細部について裁量余地がかなり自治体に任されている仕組みになっているからです。もっともっと和楽器指導について必要性が高まって、財源措置が必要なんだと、一般財源ではだめなんだという声が高まれば、また違った施策の検討も始まるだろうと思っています。
 ただ一方で、学校で全部やるべきかというと、実はそうではなくて、例えば外部の指導者が地域の団体を代表するような形で入ってくると、団体の協力を得ながら、必要な条件整備も少しは充実していく、全体を見た上で、また大きな条件についての課題が見えてくるのかなといった思いが当時はあったように記憶をしています。

○田村(和) 2つお伺いします。1つは、今伝統芸能とか、伝統文化というお話をした場合に、私はあまり悲観はしていないんですね。といいますのは、私の専門はまちづくりとか地域づくりということで全国回っていまして、むしろ必要に迫られて、伝統文化がよみがえってくるという状況があると思うんですね。やはり日本の歴史、伝統文化を育てた歴史の方がはるかに長いわけですから、大きな世界だと私は思っていまして、それは今ちょうど、まちづくりなどでは非常に大きな形、いろいろな形でよみがえってきている時代なので、そのシーズの大きさは、もう我々は自信を持って言うべきだと思うんですね。そういうときに、「国粋主義」というような言い方は私は嫌いですけれども、むしろ国の花の主義というんですか、国花主義みたいな形で、もっと文化庁は自信を持って言われるべきだと思っています。そういう場合に一つ問題なのは、地域を回っていますと、例えば伝統芸能がエイサーであったり、よさこいソーランであるように、それぞれの場所にふさわしいものがいっぱいあるはずなんですね。そのデータ、シーズがどこにあってどうなんだということが、ライブラリーの形で地域ごとにあってもいいと思うのですが、そういうものが非常に少ないところで今の話が議論をされているというのは、私は地域づくりの側から見て非常に残念だなという気がします。ですから、小島先生がいらっしゃる国立歴史民俗博物館などで本当に普及活動としてもなさっているのかという問題が一つ。それから、どういう形が一番いいのかという話ですね。
 第2の問題は、この今のお話の議論のベースにありますのは、やはり言語表現だと思うんです。ですから、芸能も芸術もいいんだけれども、文芸という世界から見ますと、先ほどの伝統文化はもっと大きな意味を持っているかもしれない。特に、最近若い人たちが俳句とか和歌とか、東北などに行きますと連歌などをやっているところもありますね。こういう世界というのが、もっと重視されるべきだと思うので、これは国語の問題に関連してきますから非常に広い世界なんだけれども、むしろその言語表現のもとになる言葉というものの伝統性をどう考えていくのか。そのあたり非常に乱暴な質問なんですが、2点お伺いしたいと思います。

○吉本委員 先生のご用意くださった、きょうのペーパーの2枚目に課題が何点か書かれていたかと思います。この中で、コーディネーターをだれが担うのかというのが、これが非常に重要なお話だと思います。今の田村委員のシーズがどこにあるかわからないというのも、コーディネーターがいればできると思うんですけれども、今後こういう活動を推進するために、それをどういう方々にコーディネートをお願いすればいいのか。今NPOなどでこういうことを活動しているところがあると思いますから、そのお考えがあれば伺いたい。
 もう一つ、その上の一行の中に、謝礼がボランティアで、しかし楽器運搬、附属品の補充などの費用確保が困難ということなんですが、これは予算がないから、アーティストの方には何とかボランティアでお願いいただくことができても、楽器運搬、附属品などの費用はそういうわけにはいかないということですよね。ところが、仮に予算があった場合、これは楽器などの運搬費は払われるけれども、アーティストはやはりボランティアとなる可能性があるということになります。そこが日本の芸術活動の課題を非常に象徴に表わしている。この基本法の中でも芸術家の地位向上というのがうたわれているわけですけれども、芸術家が無償で、運搬業者にお金が払われるというのは、全く逆の話だと思います。アーティストの方にお金を払う、あるいはコーディネーターも、これも非常に専門的な職能だと思いますので、そういう専門的な人たちのところにお金がどうやって払われるかというところを、ぜひ政策の中で変えないと、こうした活動はこれ以上続かないことになると思うので、そのあたりのお考えがあったら、ぜひお伺いしたいんですけれども。

○岡本氏 実際に、中学校の教諭レベルは大変忙しくて、こういうことをする時間は無理だと思います。区の音楽科の先生たちの集まりには担当の校長がいますので、音楽科の校長がいれば一番よくて、私が自分のときは、それは割合簡単にできるわけです。自分の気持ちで積極的に地域に出ていけば協力してくださる方もいるし、団体とお願いに上がることもできる。そうではないときには、なかなか難しいかなと。そうすると、今度は東京都で言えば「都中音研」という、東京都の音楽の先生の組織がありますので、そちらで支援していく形が他地区も一緒に面倒を見ていく形、それが全国版になると全日音研という形になっていくかと思うんですね。先ほどお話があったように、全日音研の立場で言えば、中学校部会から大学部会に指導者養成などというお話もできるわけです。演奏家の方にはボランティアでやっていただきましょうと書いたのではなくて、そこから始まって、このことの重要さとよさがわかってくると、区教委の方も考えていただく。ちょうど16年度までは、大田区は何と1回の報償費は1,000円という単位です。新宿は2,200円でした。新宿では2,200掛ける何十何という、全体で言うと大きな金額があるのですが、大田区は外部の方にお支払いできる予算が少ないのです。でも、17年度には和楽器の講師費だけは3,000円にかわっていました。それで、私は今、別の方が音楽部の部長なので、この値上がりをしたときに、「みんながたくさん活用しなさい、せっかく区が認めてくださったんだから、このときにみんなが活用しなきゃだめなのよ」と脇から相当言いました。そうして私の今の立場では実績を上げて、そのことの重要性を認めていただく。そして、いつまでも無償でやっていただく形ではなくて、そのことについて認めていただくという姿勢をとりつつ、早くどこかで何とかしてくださらないかなというところです。

○青木部会長 ここで、岡本先生、公務で退席されます。どうもありがとうございました。

○岡本氏 失礼いたしました。

○青木部会長 それでは、伊藤先生から、文化部活動の充実に当たっての課題や、文化部活動を通じた国際交流などの問題点についてお話を伺った後、全体的な質問に移りたいと思います。

○伊藤氏 1ページです。全国高文連の概要、組織、沿革、運営費等です。それから、各都道府県でそれぞれ文化連盟を組織しておりまして、高等学校の文化連盟をつくり、その場でそれぞれさまざまな活動をしておりますが、全国の高等学校文化連盟の事業としては、7つを現在進めています。2ページは、内部的な問題ですので、割愛いたします。3ページです。全国高文連ですが、現在47都道府県の高文連が加盟しておりまして、専門部というのは合唱専門部や演劇専門部などを指すわけですが、それが18あります。それから、加盟校ですが、現在、全国の高等学校の89%が加盟しています。公立、私立問わずでございます。最高は、この最高というのは都道府県で100%入っているというのが最高でして、最低は64%が加盟しているというふうに見ていただきます。加盟生徒数は286万ということで大変な数になるわけですが、これは、全国津々浦々で高等学校文化連盟費をちょうだいしている生徒の数が280万だということでございまして、文化的な活動に参加しているということではございません。18専門部に属している子どもは、全国で、私どもの調査では36万ですが、東京都が部門登録をしていませんので実際はもっと多い数になります。高校生の部活動は、その2に書いてあるとおりです。それから、発表・活動の場の提供は3に書いてあるとおりです。このごろ、特に5の国際交流事業に力を入れていまして、特に昨年度は日韓交流年でしたので韓国からも来ていただきましたし、私どもも韓国に訪問して、特に12月には、フィナーレ、レセプションをソウルの日本大使館でしたわけですが、その際には青森県の高等学校と岩手県の高等学校を招いて、そこで発表などをさせていただきました。
 4ページと5ページですが、これは学習指導要領上の教科以外の教育活動、いわゆるクラブ活動、部活動と呼んでいるものですが、それがどのように扱われてきたかということを、昭和33年から平成14年まで、私なりにまとめてみたものです。一番の特徴点は、平成14年の現行の学習指導要領から中学校、高等学校ともにクラブ活動という文言がなくなっているということです。そして、部活動は、学校の教育活動に位置づけられるものではありますが、任意の同行者による放課後の任意の活動となっているところが一番の特長かと思います。
 次に、6ページ、7ページ、8ページ。これは、現在の部活動を進める上でこうしたことが問題になる、あるいはなっているということを私なりにまとめたものです。これが全国的にこのようにいえるかというと、自信はありませんが、できるだけ客観的に最大公約数をまとめたつもりでございますので、後でお読みいただければ幸いです。
 そして、裏表紙ですが、これは盛岡第四高校の運動部、文化部の所属状況です。岩手県の場合は、大体これぐらいのクラブ数であり、運動部、文化部の比率もこのくらいです。
 資料番号が打ってある資料に移ります。1項目ですが、基本的な方針については、大変ありがたいものだと認識しております。2項目です。基本方針の課題ですが、これはどの施策や法案でも言えることだと思いますが、国が施策なり法案なりをつくったということが、そのまま地方自治体等で理解し支援するということになるわけではありません。ここが、我々が実際に活動する場合には難しいところです。施策をあらゆる分野にわたって示すことは、それは一つの指針としてよいことであると思いますが、周知徹底を図ることと、具体的施策を焦点化していくことを逐次的に進めていかないと、不十分な面があるのではないかという感想を持っております。それから3項目ですが、青少年の活動が学校教育、社会教育の中で、認知され、支援され、評価されなければならない。その意味で、学校教育及び社会教育などにおいて青少年の文化活動の重要性を明確に位置づけ、制度的にもその活動を保障していく必要がある。具体的には、学習指導要領などで部活動を教育活動として位置づけていった方が、各学校は実施しやすくなるのではないかということです。反面、かつては必修クラブがあったわけですが、クラブ活動を教育活動の中の必修としてしまうと、どうしてもなじめない子どもも出てまいります。そうした子どもたちを、例えば同好会のような活動に参加してもらうとか、校外のボランティア活動に参加してもらうなどの方策も必要になってきますので、学習指導要領に必修クラブあるいは部活動を明文化することの是非は、論議しなければならないと思います。
 2枚目お願いいたします。文化芸術活動の重要性を法令等に明記し、ここでの法令というのは学習指導要領のことを指しますが、文化芸術活動を制度的に保障していかなければならない。また、予算措置も必要だと思います。国際交流については今後、ますます充実してくると思います。それから、かつて学校が文化活動で公的な施設を使う場合には、使用料が全くかからないとか、あるいは大きく減免していただくことがありました。ところが、今そういう施設は、独立行政法人や第三セクターになっています。管理が地方自治体ではなくなっているところが多いわけです。そうしますと、管理者側には経営上の問題がありますので、学校といえども無料で施設を貸し出すわけにはいかない。あるいは減免額をこれまでの8割から5割にするなどということが起こってまいります。これが実は、私どもの活動にとっては大変大きな制約になっています。
 本日私は、3つのことを申し上げたいと思っております。一つは教育行政、文化行政を担当している本県教育委員会からの要望事項なのですが、「青少年の文化芸術活動に関連し、美術館の充実についてお願いしたい。地方において国際的、国内的に有名な美術作品を、青少年が直に見る機会は非常に少ない状況にある。県立美術館等が独自に開催する企画展において、国際的に有名な作品を展示することは、財政的な問題から非常に機会が少ないことから、県立美術館等が独自に開催する企画展に対する支援制度の創立や、国等が開催する企画展の地方開催について配慮願いたい。」これが1つ目です。
 2つ目は、高等学校、中学校の部活動を学習指導要領に載せる、復活するか、もしくは現在中央教育審議会で大事な教育活動の一つであるということで進んでいるようですが、この検討をもう少し積極的に進めていただければ、中学校、高等学校の文化活動、文化部の活動は盛んになるのではないか、これが2つ目です。
 それから3つ目です。国語についてですが、現在英語教育の重要性が非常に声高に言われておりまして、それ自体はそのとおりだと思います。しかし、小学校の高学年に英語教育を導入することについて、それがどの程度の有効性があるかということについては、我々教員は懐疑的に考えているところがあります。と言うのは、小さいころから2つの言語環境で生活していれば別ですが、一般的には我々は、第一言語を介して第二言語を習得します。ということは、第一言語をしっかり習得しない状態で第二言語を入れてしまうと、特に日本語とインド・ヨーロッパ語族というのは大きく違うわけですから、子どもたちが言語を習得する過程で混乱が起こるのではないかということを心配しているわけです。
 さらに、私は今、日本語で話していますが、これは生まれてから毎日使っているからこそだからであって、中学1年生で週3時間ぐらいの英語というのでは、恐らく英語教育の実は上がらない。それを小学校で週1時間ぐらいやったとしても、あまり効果はないのではないかと思います。また、現在の脳生理学で言われていることは、母国語の臨界期は8歳ぐらいで、第二言語の文法の感受性期は13歳ぐらいということのようです。英語を始めるのも早い方がいいという論議があることは理解できますけれども、そこはもう少し慎重に考えた方がいいのではないかなと思います。もし実施するとしても、国語教育を圧迫する形で英語の時間を入れると、子どもたちの言語環境は、ますます貧弱なものになっていくのではないかと思います。恐らく、文化とか社会というもの、創造というものは、情緒や理性的な感性などがベースになってつくられていくのだろうと思います。情緒や理性的感性は何によって培うことができるかというと、これは国語力にかかわってきます。さらには、広く文化的な鑑賞や芸術的な鑑賞のの経験にもかかわってくると思います。

○青木部会長 どうもありがとうございました。
 それでは、今の伊藤先生のご意見、ご発表も踏まえまして、先ほど来のご質問、ご意見を委員の方々から賜りたいと思います。

○根木委員 伊藤先生と小島先生、お二人にお伺いします。まず小島先生にお伺いしたのですが、民俗芸能、特に文化財指定された民俗芸能に関して、その保存継承のあり方がいろいろ問題になっていると思います。とりわけ伝承基盤が山間僻地では徐々になくなっていっていて、衰滅の危機に瀕しているというケースが多分にあるのだろうと思いますが、その際に、後継者の育成が大きな問題になっていると伺っております。そういった場合に、子どもの文化芸術活動をその後継者育成に組み込むということが、よく行われていると思います。その時、文化財指定されたものに関しての指定された段階での一つの型をそのまま踏襲するということにならざるを得ないと思うのですが、先ほど小島先生は「伝統文化をベースにしながら新しい文化の創造、発展へつなげていくことが、子どもの文化芸術活動の本来のあり方であろう」とおっしゃいましたが、単なる型の伝承という側面のみについて、子どもの文化芸術活動を民俗芸能の保存継承に組み込むということでいいのかどうなのか。
 もう一つは、保存継承と創造発展は紙一重だろうと思いますが、特に無形の文化財に関しては、何回も演ずるたびに微妙に変わっていくという側面があると思いますので、恐らく凍結保存ということはほとんど不可能なのではないかと思います。そういった場合に、子どもたちに対して伝統文化あるいは特に民俗芸能の保存継承をどの程度まで教えればいいのか。あくまで旧来の型の踏襲ということをベースに置くべきなのか、そういったものをそこからさらに創造発展の方向まで考えて教えるべきなのか。とりわけ文化財の保存、継承という観点から見た場合に、どちらが妥当なのかということについてお教えいただきたい。
 伊藤先生には、クラブ活動としての生徒たちの文化芸術活動のみを考えるべきなのか。もう一つ、芸術教育との関係をどう一体整理するのか、そこをどのように考えたらいいのかということについて、お教えいただければと思います。

○小島氏 子どもたちに民俗芸能を教えている例というのは非常にたくさんあるのですが、問題はいろいろあり、大人だったらここまで本当は芸術的な成熟度があるのだが、子どもの場合はそこまで要求できないという問題も一つあります。しかし、子どもたちに教えることによって、その芸能が生き生きしてくる面もあります。
 それから、国指定あるいは都道府県の指定などを受けた芸能が、芸能を保存、継承するということは必要なことだが発展はどうか、創造性はどうかというご質問だと思うのですが、私はこういう時代ですから、やはりこれまでの時代と同じ形だけでは満足できないだろうと考えます。これはやはり昔のままの形でも、非常に現代的な性格を持った、例えば大償の山伏神楽などは、もうそのまま現代芸能と言ってもいいぐらいダイナミックなものですから、そういう場合もありますけれども、普通はやはり現代社会の感覚とは幾らか離れてくることがあると思います。新しく加えていくことは必要だと思いますが、そのためにはその伝統、その民俗芸能の本質的な部分はきっちり継承しなければ、新しい展開はできないでしょう。今まで例えば関東地方の三匹獅子舞を60カ所ぐらい調査しましたが、例えば旅芸人が来ていろいろな新しいことをやると、それを取り入れる。また別の旅芸人が来ると、それを取り入れる。取り入れるかどうかということは、その村、あるいは集落の人たちの感覚で変わってくるので、同じ名前がついていても随分多様な形が生まれてくるんですね。私は古い形を保存継承しなければ、本当にその地域らしいものは生まれないだろうと思います。その意味で、継承することについては非常に肯定的ですけれども、ただそのままだけでは、やはり人々は満足しないのではないか。若い人は特に満足できないのではないか。例えば千葉県佐倉のある中学校で祭り囃子を音楽の正式な授業の中で取り入れて、ほとんど全部演奏できるようになった。実際にお祭りのときに屋台の上で演奏できるぐらいになっているんですが、それだけでは満足できないというので、子どもたちが相談をして、「にんばサンバ」という新しい曲をつくりました。「にんば」という曲は祭り囃子に多いパターンで佐倉の祭り囃子にもあるのです。やはり、そういう動きがあって当然だと思うんですね。私は否定しないし、そうでなければ、恐らく民俗芸能は滅びていく方向に行ってしまうだろうと。これは、博物館に入れて置くわけにはいかないものですから、先生もおっしゃったように当然そういうことが考えられると思います。それから、やはり地域が子どもたちを育てる面もあると思うので、それが失われてきているところに問題が起きるのではないかという気がします。
 それから残念ながら国立歴史民俗博物館は、伝統文化を普及するため特別なプランは持っていないと思いますが、ただ博物館活動自体が伝統文化の普及に役立っているはずです。普及についてはまだまだ、努力する必要があると思います。不躾なことを申しますが、例えば、文化庁の中でさえも伝統文化課が所管でおやりになっていた民俗芸能の事業を芸術文化課の方はご存じなかったり、芸術文化課の外国の民俗芸能の催し物を伝統文化課の方がご存じなかったり、文科省の方が全然ご存じなかったりと縦割り制度というのがここでも邪魔している面もあるかなと思います。
 それから、子どもたちは実際に何か自分たちでやると、やはり鑑賞の力が全然違いますね。例えば栃木の今市市のある小学校は獅子舞体操というのを工夫してやっております。それは、集落ごとにかなり形が違うので、その一番基本的な部分だけをつないで、体育の時間に獅子舞体操という形でやっているんですね。それで子どもたちは、大人たちが獅子舞をやるときはもう乗り出して見ていますね。やはり何かちょっと自分でやれば、全然鑑賞力が違ってくると思います。

○伊藤氏 クラブ活動と教科との関連ですが、これは基本的には非常に関連があります。ただ、例えば高校の場合ですと、美術・工芸、書道、音楽と、3本芸術教科がございまして、その中から子どもたちはどれか一つを選ぶ形になっているわけですが、これは体系化された知識の授受として授業が組み立てられていくわけで、放課後に自分たちで何か発表するための部活動とは、やはり基本的に違っているものでございます。同じように、例えば物理部とか化学部などがございますが、これも授業として物理、化学の授業を受けて、さらにその顧問の指導を受けながら自分たちの研究を進めていくわけですが、それはその授業とは直接は関係がない。例えば日本語の母音と子音の波長はどうなっているかということをやってみる物理部がいたり、太陽光線のエネルギー変換がどうなっているかということをやってみたいという化学部がいたり、子どもたちは自分たちの興味と関心の部分を部活動で進めていく形になっています。各教科の授業で教わったことをベースにしながら、自分たちで自主的にさまざまな活動をつくり上げていく、それが部活動というような形になろうかと思います。

○真室委員 きょうは、学校教育における文化活動のお話が中心になっておりますけれども、その中に伝統文化をベースに据えるとか、あるいは地域との連携で、その場合も伝統文化を利用して、その文化を継承していく若い人たちを育てていくとか、非常にこれは重要なことだと私も思います。ただ、その伝統の継承という中で、そこにどういう伝統を継承していくのか、これは指導者の役割が大変大事ではないかと思います。学校の場合、いい指導者がいれば盛んに部活動等も行われているようですけれども、指導者が別のところにかわると、また停滞するということのようです。指導者の後継者を育てる問題があるのかなと思います。それをどう支援していくかという仕組みをつくって、行政なりが手助けしていくかということは大切かなと思います。それと伝統の継承という中で、一つの伝統の中にいろいろな文化の形があり、本質的なものを受け継いで後世に伝えていくということですが、例えば前回、伊勢神宮の20年ごとの建てかえというお話がありましたが、建築の場合、コストから考えると、多少使える建築も建てかえた方がいいという風潮も現代にあるわけですね。ですから、何を継承していくか、また現代にどういう伝統を残し伝えていくかということは見きわめる必要があるのかなと思います。伝統を大切にするということでは大賛成ですね。伝統なくして新しい創造も生まれてこないというぐらい、特に美術の分野等では考えております。

○青木部会長 伊藤先生の言われたことに先生も賛成で支援するということですよね。それから、今のお話は、伝統のことはやはり非常に大事だと。

○山西委員 子どもの文化芸術活動を考えるときに、2つの側面があると思います。一つは、子どもをどうするかという側面と、文化芸術活動をどうするかという側面と、この2つの双方の側面から考えていくことが大事かなと、拝聴しておりました。特に学校、極めて子どもについてのねらいをどこに定めるのか。先ほどの米屋委員から、スピリットの問題が出ました。したがって、小島先生が継承保存するだけではなくて、普及や外国の文化も理解をさせて尊重する態度も育てていくことには賛成ですし、またそれ以外にも、例えば個人の人間性を豊かにしていく部分での問題あるいは日本人としての資質、教養として、それを理解をし体験をしているという、幅広く言えば日本人の市民性としての教育という言葉は言っていいかどうかわかりませんが、私はそういう分野としても必要かなと考えているところです。ですから、子どもの側面と文化芸術活動の側面と、両方から突き合わせて、一体子どもたちに何を求めるのかということが必要になってくるのではないかなと思います。特に、ねらいの中では、本当に実技を継承して次世代につなぐ役割を担う側面もあるでしょうし、もっと幅広く、例えば小学校の低学年では慣れ親しむとか、あるいは高学年ではそれを尊重し、愛するとか、高等学校の方では、例えばそれを活用するというような、発達段階でそれぞれもまたアプローチの仕方も考えていかなければならないかと拝聴したところであります。
 それで、一つ小島先生に、もし教えていただければというところは、実は2番目の問題で、その役割は何かというと、伝統文化を自覚させること、はっきりと身につけさせること、そしてそれに誇りを持たせることと、3つ上げていただいて、なるほどと若干すっきりした部分もあるんですが、一つ心配をしているのは、先ほど伊藤先生からも、青少年の問題で学校教育か社会教育かと言われるお話がありましたけれども、私はもう一つ、親の仕事としての親業として、この1番、2番を考えるときに、本当にこの童歌や伝統文化がきちっと親業として伝わっているのかということが、一つ不安です。従来の日本の伝統文化や従来の日本の家庭は、非常に重心が低かったんではないかと思うんですね。こたつがあったり座ってみたりということで、非常に低い重心の中で数え歌が出てきたり、ずいずいずっころばしや童歌が出てくると思うんですね。今の生活様式を考えてみると、いすやベッドの生活にかわっていますから、家庭生活そのものの重心がかなり高くなってきているのではないかと思うんですね。それに伴って、日本の伝統文化がだんだん失われていくことも一つあるかなと思いますので、その親業としてこれをどう伝えていくかということで、何かいい例があったら情報として御指導いただければありがたいと思います。
 2つ目は、さきほど伊藤先生からクラブ活動の必修化の問題が出ておりました。これについてのメリット、デメリットと両方あるかなと思いますが、いわゆる部活動ではなくて、クラブ活動を自主化したらどうかということについての、お考え、教育観をお聞かせいただければありがたいと思います。

○小島氏 親に対して非常にいい例は余り知らないんですが、「伝統文化子ども教室」では、やはり親も一緒に啓蒙されて、伝統文化に非常に関心を持ち出した例はいろいろございます。やはり今の私の、レジュメの最後にも母親、父親の世代の教育が必要だろうと書きましたが、本当に必要だろうと思います。ただ、重心が高いとか低いとかという問題は単なる家庭のことではなくて、むしろ日本人の多くが水田稲作耕作をやっていた、その時代の体の使い方が重心が低かったんだと思います。それで、能でも歌舞伎でも、みんな重心の低い姿勢で、それを美しく見せるような形で発達しているわけですね。今、みんな足が長くなってしまって、重心が非常に高くなっているということは事実ですので、その辺は日本舞踊などを教えるときに相当苦労をなさっているようです。例えば座って、足の指を曲げて立つなどということは、今の子どもたちはできないとか、問題はもちろんあると思います。ただ、それは家庭生活だけではないと思いますので、日本の文化全体として、やはり大きな問題と考えております。

○伊藤氏 参考資料の6ページ、7ページの一番下の2行、「クラブ活動・部活動もまた、教育課程における他の教科と相伴って、子どもたちが生涯にわたって、心身共に健康で文化やスポーツを楽しみ、意義ある実り多い人生を送ることに資するものでなければならない」ということになるだろうと思います。
 それから、学習指導要領における部活動の位置づけは、先ほど申し上げたとおりで、部活動の位置を重視していることは、そのとおりでございます。ただし、下の3行でございます。「この表現は、学校の放課後の多様な教育活動の一つとして部活動を考えるという解釈もできるし、教育課程上は部活動を実施しないことも可能である。従って、学校教育の中で積極的に部活動の位置づけを明確化できるとは限らない。ここから、生徒の放課後の活動を支援する体制を、例えば社会教育に求める」ということが今出てきていると考えております。
 教員の問題ですが、これは少子化に伴う教員の採用が少なくなっていることと、教員の老齢化があるということが上の3行です。
 次に7ページの、「さらには」のところからお願いします。指導する教員の部活動に対する認識も一様ではなくなってきておりまして、教員は、部活動を指導するのが当たり前だという感じが非常に強いのですが、年代が下がるに従って、学習指導要領に位置づけられていない活動を、なぜ義務づけられて指導をしなければいけないかという意見も、わずかですがあるわけでございます。さらに、管理する立場といたしましては、最後の3行、「勤務の厳正を求められれば、教育課程外である部活動に対しては消極的にならざるを得ないし、放課後、勤務時間外の指導の取り扱いも問題なしとしない」。文中「関連する業務」というのを「学校において計画する教育活動とはいいながら」と直していただければ幸いでございます。「「学校において計画する教育活動」とは言いながら、教育課程に位置づけられていない業務のために「出張」や「勤務」を命じることができるかどうか」という問題が出てまいります。つまり、部活動というのは、教員が非常に積極的に指導しているわけですが、指導する法的な根拠がないために、子どもたちを連れて出張に行くとか、部活動にかかわる会議に出かけるとか、部活動にかかわる研修を受けたいといった場合に、校長としてはそれを認めるべきか認めざるべきかということは、非常に難しい判断になってくる場合がございます。
 それから、部活動に対する認識もまた変わってきており、かつてのスポコンとか、寝食を忘れて部活動に熱中するという子どもは、減少してきています。むしろ同好会のようにゆっくりと楽しみたいという傾向がふえております。ただ、一方では、ぜひ高度な技術等を身につけたいということで、夜遅くまで絵筆を動かしたり、筆を動かしたりしている子どももいるわけで、学力の二極化ということを言われておりますけれども、部活動についても二極化が進んでいるのかもしれません。それから、全国的には中学校は、部活動を社会教育に移行しようという考え方が進みつつあります。学校から部活動を社会教育に移行した県があったように記憶しているんですが、結局また学校に戻しました。これは結局、子どもたちを指導できる体制を各地域がどの程度持っているかということでしょうし、学校教育というのは、学力もでございますが、将来社会に出て他人と協力、協働して一つの仕事を成し遂げていくという資質をつくるためには、部活動、体験的な活動、生徒会、奉仕活動などを重視しなければならないということが、改めてわかってきたということだろうと思っています。

○上原委員 非常に置かれた状況は厳しいということですが、特に6ページの3、7ページの最後の部分を解決するためには、つまり学校において勤務の厳正を求められれば、以下のところですが、学習指導要領にこれが復活すれば、この問題は解決するのかどうか教えてください。

○伊藤氏 現在の部活動は、学校が計画する教育活動の一つであって、ホームルームや清掃と同じような位置づけになっておりますので、学校が指導するものであることは間違いありません。しかしながら、部活動は任意の同好の子どもたちによる放課後の活動だという認識ですので、そこに教員の指導を強要することがどうかということについては、非常に難しいわけです。要するに非常に曖昧だということです。したがいまして、これが学習指導要領に書き込まれますと、少なくとも管理する立場からは、あなたは教員でしょう、学習指導要領は法的拘束力がありますからやりなさいと言うことは可能ですが、逆に部活動等になじめない子どもたちを、どこでどう指導していくかという問題が出てきます。書き込む書き込まないもですが、この部活動が大事なものだという理念を何らかの形でご明示いただけると、学校はやりいいかなということです。

○熊倉委員 伊藤先生に伺いたいんですけれども、特に今、上原委員も指摘された3のところ、非常に現状があらわに見えるようで納得したんですが、どうしてもう少し社会教育施設との連携ができないのかというところが、納得がいかない部分です。まず地域でも充実してきている県立美術館の自主企画展などに高校の先生方は、行っていらっしゃるのでしょうか?あるいは、そういう文化活動、地域で行われている文化活動のポスターなどが高校に張られていますか。というのも、入学したての学生や受験生を見ていて感じるのは、高校生の文化観が非常に狭く、多様性に乏しいという危惧です。自分の町に劇場や美術館があることすら知らない。芸術系の大学を受けようという学生には、高校の先生方が受験指導として地元の美術館やホールを見ておけとおっしゃってくださるといいのになぁ、と思います。もちろん、高校時代に吹奏楽部や演劇部で熱心に実演活動を学んだ高校生は多いでしょうが、鑑賞に関しては明らかに情報が届いておらず、地元の劇場でやっている海外の新しい演目を見に行くようなことはほとんどしていない気がします。お話をうかがっていると、正直、学校現場における文化的なクラブ活動を、無理に充実させていくのがいいのかどうか個人的には疑問を感じます。熱心でない先生に指導されるよりは、文化施設の熱心な普及担当のスタッフが組んだワークショップに参加するほうが、高校生の文化との出会い方は幸せかもしれないからです。しかし、ホールや美術館の普及担当者の多くが嘆いているのは、学校の先生方が協力的でないということなんです。もちろんこれは文化施設側の一方的な意見なので、学校の先生方から見るとどうなんでしょうか。公立文化施設と連携する時間がないのか、文化施設が行っているプログラムがわかりにくいのか。あるいは、熱心な高校の先生方の研修を地域の文化施設で実施して欲しいとか、具体的なご要望があれば教えていただけますか。

○伊藤氏 東京で東京芸大を受けるような子どもたちのレベルと、私どものような美術館にも50キロもあるというところとは、なかなか同じにはいかないんですよね。そうはいっても盛岡の場合は、比較的さまざまな美術展とか音楽とかございますので、そうした場合には、クラブの顧問は子どもたちを連れて出かけたりはしているようです。それから、ポスターは廊下に行くと張ってあることが多いです。
 それから、文化観が浅いということにつきましては、これは一に私どもの教育にかかわっておりまして、まことに申しわけございません。
 芸術的文化活動の充実は疑問だということでございますが、私どもの県から東京芸大に合格した子どもは、週に一度とか、こちらに来てレッスンを受けている子どもなどが多うございます。そうしたことからしまして、高等学校の文化芸術活動というのは、成果主義にはならない方がいいと教員は考えています。つまり、一生懸命やって、その結果として全国高等学校文化祭に出展して、47都道府県から一つ文部大臣奨励賞に輝くということになるわけです。

○熊倉委員 私の学科は東京芸大の中で実技ができなくても入れる学科ですけれども、まずそこを第一志望に受けるといったときに、高校の先生がそういう学科があるということをまず調べてくれないんですね。もちろん器楽系を受けるのはおっしゃるとおり、親御さんと一緒にレッスンに通わなければ、なかなか受かるものではないという楽器もあります。でも、そうではなくて、一般に芸術系の大学で言われていることなんですが、今もうちょっと広く文化をとらえるということで、文化コーディネーターをむしろ育てるという学科や学部が日本中にたくさんできています。でも全然地域の文化施設は余り知らないし、活用されていない。特に地域から来る、地方から来る学生さんと、東京の私立の高等の文化的多様性の度合いが非常に差があるという意味です。

○伊藤氏 問題が二つでございまして、一つは学生、高校生が文化活動に対して深い造詣を持っていないし、それを教員が指導できていないという問題と、もう一つは高等学校でそういう文化的な活動をすることについての意味があるかないかという、この二つがちょっと今混乱していると思うんですが、まず高等学校で文化的な活動をするということについては、確かに質の高いものは生めないかもしれませんが、努力することで、子どもたちの心は育っていると考えている教員が多いだろうと思います。
 それからもう一つ、もしそうした大学等があることについて高校の教員が承知していないのであれば、それはその学校の進路指導の教師、3年生担任の教師の不勉強です。少なくとも我が校であれば、戻って、それはあなた方の進路指導の欠陥ではないのかという形になるのだろうと思います。
 社会文化施設につきましては、まず、いっぱいある地域と少ない地域があるということはご理解いただけると思います。少ない地域であっても多い地域であっても、勤務時間内に出かけていって、見ることは、大変、難しいだろうと思います。私どもの教員は(土)(日)に子どもたちを連れて出かけているようでございますね。先生のご趣旨は、恐らく子どもたちをそういう社会教育施設に子どもたちを差し向けて、そこで指導をすることも可能ではないかということだと思いますが、そこまで社会教育施設と連携が成熟してはいないと思います。

○白石委員 社会施設との関連というのは本当に難しい問題で、一時、総合教育の時間というのが大きな問題というか、テーマになった時期がありまして、そのときに随分、先生方に働きかけをしようと動いたんですけれども、学校の先生は大変いろいろな事情がありまして、難しいことが一方にあるんですが、それでも理解のある先生は美術館の授業に積極的に参加される先生も結構いらっしゃいまして、その辺の落差は非常に大きいと感じました。ただ、全般的に言いますと、やはり美術館で、特に学生を連れてくるというのはまず、先生の理解がないと学生は来ませんので、まず先生に何とか来ていただけるようにとプログラムしていると思うんですけれども、それにも参加する先生が限られてしまう。やはり学校側だけではなくて、文化施設側も継続して、いろいろなアイデアを出しながらやらないと、これは解決しないのではないかと思います。
 それから、伊藤先生の話の中で、世界的に有名な美術品を地方では目に触れることができない、という話がありましたけれども、一つは国が開催する企画展を回してくれないかと。これは幾つかは国が開催する展覧会、国が所蔵しているものですけれども、地方へ公開するようなプログラムを組んでありますのでできると思います。ただ、県の美術館の基本姿勢がありますので、積極的に進めるのもどうかなという気がします。やはり岩手は岩手なりの美術館の特色がありますから、しかも専門家の学芸員がおりますので、そういうところで計画されないと、これは何か表面的なものになってしまうと思います。
 もう一つお聞きしたいんですけれども、岩手の場合は盛岡周辺だったら県立美術館あるいはいろいろな文化会館に行きやすいと思うんですが、例えば美術館で地方、例えば三陸の方へ行ったり、そういう機会をお持ちになっていらっしゃるんでしょうか。

○伊藤氏 巡回展のような形ですか。おっしゃるように企画展をやりまして、世界から、全国からいろいろ集めて、県立美術館でやっております。その県立美術館の所蔵品をどこかに持っていって、それを見せることは、私の記憶ではやったことはないかと思います。

○白石委員 県立美術館もいい作品をたくさんお持ちですから、むしろ県立美術館でいい作品をやるから、県内のどこからでも来れるだろうという考えは、ちょっと持てないんではないかと思うんですね。むしろ県立美術館でいい作品をあちこちでやった方が、子どもたちにとっては有益ではないかなと、見やすいのではないかなという気がしますので、その辺ちょっとお考えいただきたい。よろしくお願いします。

○青木部会長 伝統文化と今日本で考えるのは、これは非常に難しい問題がありますね。アメリカの場合、伝統芸能といったら、ブロードウェーとミュージカルですよ。あれが一番はっきりと出てくる。そういうはっきりとしたものはなかなか、日本はないかもしれないですね。関連して申し上げたいのは、先生がおっしゃったように伝統音楽の、雅楽にしても邦楽にしても、音が大事なんですよね。僕はアジアへ旅行に行ってから日本の音楽に目覚めたんですけれども、つまり共通した音楽があるんですよ。アジアとの連携が日本文化とアジア文化、共通する音のバリエーションがありますね。

○小島氏 文化庁の伝統文化課の所管で、国際民俗芸能フェスティバルというのを毎年やっていますが、それは日本の伝統芸能と関係があるもの、共通要素があるものを選んでやっています。昨年度は東京と沖縄の国立劇場でやったんですが、本当は地方でもやっていただけるといいなと思っています。

○青木部会長 音についても子どもは無限の能力を持っているので、いろいろな言葉でも何でも教えれば、それをうまく取り入れながら自分をまた見つけていけると思うんですけれども、それが、学校教育になってそれが制限されてしまう。

○吉本委員 今日ご報告いただいたような、いわゆる子どもと芸術との関係づくりは、もっと推進すべきだというのは皆さん一致した意見だと思うんですが、ではそれを実現するために、この基本的な方針をどう書き直したらそれが実現するのかということをさっきから考えていました。実際、20ページ、21ページに、もう既にそういう施策が重要であるということが書き込まれているわけです。ですから、この政策部会は基本的な方針をどう見直すのかというのが与えられた課題ではありますが、これを見直すだけでは、私は物事は変わらないのではないかという気がしています。それは、かけ声の部分で、それに基づいて具体的な戦略、あるいはこの基本的な目標を含めて、次の5年間のロードマップをつくる、例えば5年後には小学生全員が、毎年1回は本物の芸術体験をできる世界を実現するといった戦略目標を立てて、それには5年間どうやっていったらたどりつけるかという具体的な施策を書くことが非常に重要ではないかという気がします。
 もう一つ、資料4に今具体的な施策がいろいろ出ていますけれども、例えば真ん中の段にある(1)の芸術家等派遣事業というのは、学校に芸術家を派遣できるんですけれども、申請が3月までなんですね。翌年のことを申請しなければいけないんですが、それを学校の先生が申請するときに、4月以降先生は異動するかもしれません。あるいはその時点でアーティストも決めなければいけない。これは現場で非常に使いにくい制度なんですね。だから、制度の技術的な設計を見直すだけで、現場にとっては非常にインパクトがあることになるんではないか。そのように文化政策といった場合、何階層もあるので、この基本方針の見直しを何のために、どういう目的でやるのかという戦略について少し議論しないと。このスケジュール案どおりいくと、もう7月の下旬に中間まとめですから、何かあまり生産的な結果にならないのではないかということを、大変強く感じましたので、次回そういうことも含めて議論いただけたらと思いました。

○岡田委員 文化の基礎として伝統文化を置くということは大変賛成ですけれども、あまり大げさに構えるのではなくて、伝統文化というのは日本人の素養として、細胞の中に生きてきた分蓄積されているべきものだと思うんです。そういうものが、常に日常的に身の回りにあるということで、継承発展されていくのが一番自然な形ではないかと思うんです。伝統文化が継承発展されていく中で地域の住民の輪ができたり、世代間のかかわりあいができたりしていくということが、暮らしとして望ましい形ではないかと思います。吉本委員のご発言とつながるかもしれませんが、やはり昔あった隣組だとか、ああいう地域の塊というのがもう一回できると、日本人の心も、隣のおじさんが隣の若い子に注意したりとか、一緒に何か教えてあげたりとかという和む形ができるんではないかと、さっきから考えておりました。

○田村(孝)委員 先ほど部活動も社会教育と書いていらっしゃいましたけれども、社会教育の場面では、文化施設ということがあまり認識がないのが残念な部分である気がいたします。意識のあるところ、例えば図書館で読み聞かせの離乳食として、小島先生がおっしゃるような童歌をきちんとしている、手踊りのついた童歌をしているところもあります。でも、残念ながら文化施設をそれに社会教育の一つとして利用するという認識が、社会的な認識はちょっとないのではないかという気がいたしました。

○青木部会長 まだいろいろなご質問、ご意見もおありになると思いますが、時間となりましたので申しわけないんですが、ここで本日の当部会は終了させていただきたいと思います。

○事務局 <次回日程・内容説明>
 なお、吉本委員から、会の進め方につきましてご意見ありましたので、また青木部会長ともご相談の上、決定させていただきたいと思いますが、6月9日の前半までは、有識者の方をお呼びすることになっておりますので、その後の会議の進め方については、またご相談させていただきたいと考えております。

○青木部会長 小島先生、伊藤先生、本当にありがとうございました。今日はこれで終了いたします。

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