文化審議会第4期文化政策部会(第4回)議事録

1. 日時

平成18年5月12日(金) 14:00~17:00

2. 場所

如水会館 3F 松風の間

3. 出席者

(委員)

青木委員 伊藤委員 上原委員 岡田委員 河井委員 川村委員 熊倉委員 嶋田委員 白石委員 田村(和)委員 田村(孝)委員 
富澤委員 根木委員 真室委員 山西委員 吉本委員 米屋委員

(事務局)

加茂川文化庁次長 高塩文化部長 岩橋文化財部長 亀井文化財鑑査官 竹下政策課長 他

(欠席委員)

尾高委員 中島委員 松岡委員 横川委員

4.議題

  1. (1)テーマ別審議(3)

    「文化芸術活動への支援の在り方等について」
    野村萬氏(社団法人日本芸能実演家団体協議会会長)
    中山欽吾氏(財団法人東京二期会事務局長)
    松木哲志氏(日本舞台音響家協会理事長)

    「文化財の保存と活用について」
    澤野道玄氏(社寺建造物美術協議会会長、株式会社さわの道玄代表取締役)

  2. (2)その他

5.議事

○青木部会長 それでは、ただいまから文化審議会第4期文化政策部会(第4回)を開催いたします。
 本日は、有識者の方のご意見を承るゲストとしまして4人の方をお招きしております。野村萬様、中山欽吾様、松木哲志様、澤野道玄様です。

○事務局 <配布資料の確認>

○青木部会長 文化政策部会では、現在基本方針の見直しに当たって検討すべき個別の審議テーマに関しまして、有識者の方々をお呼びしてご意見を伺い、審議を進めております。本日の進行は、前半は「文化芸術活動の支援の在り方などについて」と題しまして、野村様、中山様、松木様から、それぞれ15分程度ご意見を伺った後で、有識者の方々と各委員の間で自由討議を行います。後半は「文化財の保存と活用について」、澤野様よりご意見を伺い、自由討議を行いたいと思います。
 それでは、まず野村様より、文化芸術団体に対する支援方策や、地域における芸術創造活動への支援などに関しましてお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

○野村氏 私ども芸団協は、今を去ること22年前、ユネスコの芸術家の地位に関する勧告の認知を契機に、文化芸術振興のための法的整備の必要性を組織を挙げて提唱してまいりました立場から、この基本的な方針の策定により、国の文化予算の増額、芸能法人に対する法人源泉制度の撤廃など、目に見える成果、そして芸術家等の地位の向上に関する施策についての検討が進捗しつつあることをまず高く評価させていただき、ご関係各位のご尽力に感謝申し上げる次第でございます。
 芸団協は「芸能が豊かな社会をつくる」ということを組織理念として定め、芸能文化を担う人を育て、芸能文化をはぐくむ場をつくり、人と場が豊かに生かされる仕組みを整える。この三者を活動方針としてさまざまな事業を意欲的に展開しております。芸能振興にとって、場づくり、仕組みづくりが必要不可欠であることは当然であるとしても、問題はすべて人に帰着するものと考えられますので、まずは人づくりを中心に、日ごろ感じていることを申し述べさせていただきたく存じます。
 能を大成した世阿弥は、「命には終わりあり。能には果てあるべからず」という言葉を残しております。彼が数多くの芸術論を残したそのゆえんもまたこの思想に基づくものと考えられますが、これは何も能のことのみを言っているわけではなく、広く芸能全般、文化芸術のすべてに通ずる言葉であろうと私は思います。芸能の振興には、伝承・継承・養成・研修・創造・普及等々、芸能のすべての領域、すべての側面について、個々の事柄へのその都度都度の対応に終始するのではない、長期的展望に立った総合的視点に基づく息の長い継続的施策が何としても必要であると存じます。芸能において「人づくり」と申しますと、まずは演者の養成、特に伝統芸能に身を置く者は技芸の継承者に対する早期教育ということを思い浮かべますが、これは決して演者や、限られたその道の愛好者だけを対象とするものであってはなりません。すべての人にとって、幼いころから多様な芸能に触れるより多くの機会に出会うことによって、自ら文化芸術の世界を体得することは、心豊かな社会の構成員としての資質を養うことに通ずるものと確信をいたし、国や社会がそのような場をつくる着実な努力を息長く続けることが大切であると考えます。
 狂言が戦前から国語の教科書に取り上げられていたこともあり、私は、北は積丹半島、南は五島列島に至るまで全国津々浦々を巡演し、舞台を通じて子どもたちとのさまざまな出会いをいたしました。この子どもたちは生涯二度と狂言を見ることはないであろう。まさに、一期一会とも言うべき出会いであることに、たくまずして常の舞台とは異なる感慨を覚え、子どもたちもまた素直な心で受けとめてくれ、まことに感動的な心の触れ合いの場を幾度となく体験いたしました。いまだに、その折々の子どもたちの生き生きとした目の輝きを忘れることができず、齢77を数える今日もなお、舞台や芸を考える際の私の大きな原点となっております。
 教育の場における体験もさることながら、教育の枠組みを超え、教養主義から解き放たれた場でのすぐれた芸術との出会いが、環境の如何を問わず、もっと多彩に、もっと多く用意されなくてはなりません。それはまた、単に子どもたちのためばかりではなく、私たち実演家にとっても、芸能の未来にとっても、さまざまな可能性をもたらすものであります。文化も芸術も、つまるところ心に帰着するものであり、その振興を図ることもまた、心の視点抜きにしては果たし得ぬものと考えます。
 古典芸能である狂言の稽古は、物心つかぬころから師に向かい合って、一句一句おうむ返しに師匠のまねをするところから始まります。文字が読めなくても、音声で言葉を咀嚼することが要求され、意味も解せぬままに言葉を体得することが求められます。意識せずして身につけた言葉に対する感覚が、やがて文字と出会い、書物を手にしたとき大きな力となることを経験してまいりましたが、言語感覚を磨くこと、これは古典芸能の世界ばかりのことではあるまいと存じます。言葉は文明社会の源、その国の社会、文化の根幹をなすものであり、芸能のよって立つ基盤でもあります。日本語の衰退は、すなわち日本の文化芸術の衰退につながります。芸能に携わり、言語感覚を磨く努力を積み重ねている実演家が、芸能の庭から美しく豊かな日本語を発信していくこともまた当然の営為であろうと思いますし、それは、とりもなおさず文化芸術の振興、ひいては文化立国への道につながる重要な仕事であろうと存じます。
 早期教育、子どもたちの芸術体験の重要性について、経験の一端をご披露申し上げましたが、養成事業につきましては、国立劇場を初めとする各所で事業を推進していただいておりますが、出口の問題、すなわち課程修了後の受け入れ体制については、いまだ必ずしも明確になっているとは言いがたい向きもあり、また芸能分野によっては、いま少し若年からスタートさせてよいものもあるように思われます。いずれにしても、実情を踏まえたジャンルごとのきめ細かな検討に待つところなしといたしません。
 老年・壮年・青年という人生3期のうち、老と青については少しく施策が講じられつつあるように思われますが、壮は老を支え、青を導き、中核として最も重要な存在であるにもかかわらず、再訓練や研修等、その時期を支援する仕組みが抜け落ちております。ジャンルにより状況の異なるところもあり、これまたジャンル、年齢等、それぞれの違いに対応し得る多様な支援策が必要ではないでしょうか。とりわけ芸能においては、集団が同じ場を共有する中で醸成される創造活動が重要な位置を占めており、こうした集団に対する支援の枠組みの整備が早急に望まれます。古く世阿弥の時代、芸能が「座」によって営まれ、その活動を足利幕府に始まる時々の為政者が支援してきたことで現代まで続いてきたことを考えても、公の支援制度が必須であることは明らかであると思います。寄附文化の促進など、公益法人制度改革を契機に、公的制度をさらに確かなものにする必要があると考えます。
 地域における劇場や公共ホールは、人々の日常生活に根ざすという点で、地域に密着した芸能活動の拠点としての重要な役割を担うべきであろうと考えます。そうした機能を十分に発揮するためには、プロデューサー、コーディネーター的な役割を担う専門職、そして、実演家と実演を支える技術スタッフも配置されるべきであり、配置への支援策も手当すべきことであろうと存じます。また、創造の現場における出演に関する基本的ルールの形成が急務となっております。出演にまつわる諸条件がきちんと確認されないまま現場に臨み、事故が起こった場合、制作者と実演家の責任関係が明確でないがゆえに補償が十分になされないといった事例、また、昨今拡大傾向にあるテレビ・映画・ラジオ・レコード・舞台といったさまざまな作品の録音・録画・再利用についても、明確な契約が交わされていないがために、実演家の権利がなおざりになっている事例もあります。創造現場での責任関係を明確にし、再利用の果実を確実に創造現場に還流させることによって、実演家が安心して創造活動に打ち込める環境を生み出すことが、ひいては創造の活性化にもつながると考えます。そのためには、出演に関する基本的なルールづくりがますます重要になってきております。
 今日、文化芸術についても、経済的論理で産業の視点から論じられることが多いように思いますが、効率一辺倒の促成栽培では真の文化は育ちません。日本文化を支える「忍耐」といった視点、長い呼吸で物事をとらえるということなくしては、心に訴える芸能の花は咲かないということにもご有意をいただきたいと存じます。
 最後に、私ども芸団協正会員である邦楽の14団体より切なる要望でありますので、ぜひともお心にとめていただきたく、一言申し述べさせていただきます。
 文化芸術振興基本法第10条及び第11条のそれぞれの条文の中の芸能種別の連盟のいずれにも、「邦楽」という名称が欠落をし、「その他」の扱いになっております。私の立場で申しますと、現状文化庁ご関係の場におきましても、例えば日本芸術院におきましては、私ども能や狂言は「邦楽部門」、芸術祭におきましては能や狂言は「演劇部門」、芸術選奨におきましては「古典芸能部門」になっております。いささか一貫性に欠けるところがあるやに思われますし、加えて、昨今レコード業界においては、海外作品に対峙する呼称として、日本の作品を「邦楽」とすることが一般化していることを思いますと、江戸時代に源を発するれっきとした伝統音楽であり、多様性を誇る日本文化の一翼を担う邦楽を、まずは文化庁の施策の中にしっかりと位置づけていただきたいと思うのであります。このたびの見直しに当たっては、芸団協からも要望をまとめたものをお手元にお届け申し上げておりますので、あわせてご高覧をいただければ幸いに存じます。

○青木部会長 どうもありがとうございました。
 それでは、続きまして中山様から、文化芸術団体に対する支援方策などに関しましてお話を賜りたいと思います。よろしくお願いいたします。

○中山氏 私自身は、三十数年間一般のメーカーに勤めておりました技術者で、たまたま縁があって東京二期会に入りましたが、事務局長になってまだ10年たっていないキャリアですが、「芸術文化」という言葉そのものの解釈についてもかなり迷いがあり、皆様がどういうご理解をしているのかということもわからないという状態から、今回の原稿を書き始めたわけです。
 「文化芸術活動」という言葉が使われておりますが、そこに書いてありますように、私にとっては「芸術活動」という言葉の方がぴったりしておりまして、その芸術活動が継続的に行われた成果として、文化に寄与していくという感じを持っております。私の出身である産業界においても「日本の文化だ」と言われていることはたくさんあって、そういったものと同じ「文化」というとらえ方を私はしております。
 まず、今日の私の話の主題であります「文化芸術活動への支援の在り方」について、レジュメには3つの視点ということを書いてありますが、文化芸術活動というのは自分にとって何なのかということと、立場によって見方は違うのではないだろうかなということ。もう1つは、日々悩み苦しんでおります芸術団体の経営ということです。
 オペラの主題というのは、結局、ほれた、振った、人を殺したというような人間の業のような、いわば形而下の事件を扱っているものが大部分でありますが、オペラというスクリーンを通り抜けた瞬間に、それは「芸術だ」と言われるように、芸術というのは多分形而上的な価値があると価値づけがされるのだろうと思います。オペラにするというプロセスは何なのだろう、もちろんそれは、台本作家があり、作曲家がいてでき上がるわけでありますが、我々がそれを再現していく、実際の舞台の上でそれを上演していくというプロセスを私は考えてみたわけです。それは、「ひと、もの、かね」の世界、日夜苦労しておりますのはそれ以外の何ものでもなくて、「芸術」といった香り高きものはどこにもない。そこからスタートしなければいけないだろうということです。したがって、芸術とか文化とかいうのは、その出てきた結果を皆さんがどうご覧になるかというところになるのであろう。私の立場は、我々が芸術的に価値がある文化に寄与しているものをどういう手段によってつくり込んでいくのかということで、それが今日の話の主題になります。
 次に、立場によって見方が変わるというのは、もちろん私はつくる側の人ですから、見る側の人とか評価する側の人ではないです。ですから、当然1つのオペラを完成していくに当たっても、見方は違ってきます。それから、経営的な側面ですが、そこに「目に見えないエネルギー」と書いてありますが、芸術活動というのをコイルと考えるわけです。コイルに電流を流すと磁力が発生しまして、その磁界の中に導体を入れるとある一定方向へ誘導電流が流れるという物理学の法則がありますが、オペラを考えますと、お客様に対して誘導電流を発生させるコイルだというような類似性を私は考えてみたわけです。そのコイルをどう使えば、その磁界の中に入ってきたお客様が、「これはすばらしい」という感応を受けるのかということであります。これは多分、精緻に考えられた1つの仕組みの中でつくり上げていく、しかも、継続して行うことが必要なのだろうと思います。そういうことから、私は「ものつくり」の本質について考えてみたわけです。これは、私がメーカーの出身で、しかも最終製品ではなく、いわゆる機能部品とか機能材料をつくる側の人間だったので、最終製品に使われることによって競争力を持つ製品に仕上がるというような機能部品、機能材料が、オペラの制作の過程でどうつくり込められていくのだろうかという観点であります。お手元の「オペラ制作のフローチャート」をポイントだけをご説明させていただきますと、まず、オペラの計画は3年前からスタートしなければいけません。継続してオペラの制作・上演をしていく団体としては、年間に何作品かを取り上げてつくっていくということを毎年続けていくこと、ある時点時点で、何のために、どういう演目をどのようにつくるかということを決定していくというプロセスであります。その中で、指揮者と演出家の決定は、かなり早い時期で行わなければいけません。それは、この中心になる2人の芸術家を選ぶ行為は、オペラの帰趨を制するかなり重要なポイントであるからです。その両方が決まった後、芸術コンセプトをまとめ上げていき、オーディション等のプロセスを経て、1年前までには出演者を人選することにしております。この流れを中心となって進めているのが我々政策団体で言えば制作部で、舞台監督集団を契約をして、一緒のチームをつくり、そこで、長期の稽古のスケジュールを立て、それぞれ展開していくわけであります。
 演出家の方は、「プランナー」と呼ばれる美術・装置のデザイナー、衣装のデザイナー、照明デザイナー、そういった方たちをチームの一員として選んでいきますが、これも我々が一緒に考えながら、コンセプトに合ったチームになるのかということを話し合いながらやっています。
 音楽の方は、音楽スタッフを指揮者と相談して決めて、それによって音楽の稽古スケジュールが立ち、歌手と合唱は半年前ぐらいから個人稽古を始めます。もちろん1年前に人選をして半年前からその間に音楽の内容を勉強するとか、暗譜をするとか、そういう作業が各出演者に委ねられているわけであります。個人稽古になってくると、きちんとコレペティテゥア又はピアニストがついて、プロジェクトとして正式の稽古が始まり、それが3~4カ月前からアンサンブル稽古になり、音楽の通し稽古をした後、立ち稽古に入っていくわけであります。かつては、約1カ月が常識だったのですが、最近は7週間ほど立ち稽古期間をとるようになっております。本番の2週間ほど前から通し稽古にかかりますが、我々は劇場を持たないので、そこまでやって会場に入っていきます。会場は借りる日数が限られておりますので、ピアノつきの舞台通し稽古、オーケストラつきの舞台通し稽古、それから、ゲネプロ、本番と、もう急行列車でやっていかざるを得ません。この辺が非常に問題があります。これだけのことは全体としては財政的な制約の中で四苦八苦しながらやらなければいけない。お金があれば十分に時間がとれるかもしれないのですが。
 それから、チームで仕事をしていきますので、演出家、我々プロデュース側、音楽を担当する指揮者それぞれの意見が違うということは、あらゆる場面で出てまいります。適当に妥協して進めると、必ず問題が起こります。稽古の間でも、稽古をストップさせて指揮者と演出家が丁々発止の議論をするというのは、最近では二期会の稽古場では当たり前のことになっています。そのような中から、出演者たちの緊張感、テンションが上がっていき、お互いに妥協をせずぎりぎりのところまで話し合いすることで、上演の質が、最終段階に行くにしたがって見る見る上がっていくわけであります。
 結局最大3年間に及ぶ全体のスパンを一貫して責任を持ち遂行しておりますのが、我々事務局であります。このような活動は、最初の2年間ぐらいはサンクコストになってしまいます。助成の枠も直接費の枠しかないという中では、プロデュースをする、事務局というコアになるチームがいないオペラづくりとは何なのかと考えてみた場合に、ある団体のオペラが5年・10年と公演を続けていくプロセスで、この団体の特徴は何なのかとか、最近はかなり実力が上がってきたとか、若い人が活躍しているとか、そういう評価につながっていく、つまり継続された結果としての価値が認められていくのではないかと思います。それは多分、それぞれの上演の芸術的な価値が積み重なって文化に寄与しているというレベルまで届くような力になるのではなかろうかと思っております。
 次に、支援というのは「ひと、もの、かね」だということについて述べます。「ひと」は、このプロジェクトに関与する芸術家という立場、それからスタッフという立場、それから聴衆という立場があります。このような「ひと」に対して、どういう形での助成があるべきかいうことですね。「もの」につきましては、舞台、会場、それから上演ができる機会を与えられるということ。例えば首都圏と関西圏と何か違うことがあるのかということ、各地域がどうであるかということとか、芸術活動のプロセスがどこで行われるのかということに関係するものです。「かね」は、入場料の収入と公的助成、民間助成、各項目の比率が多分非常に重要になってくるのではないかと思います。我々は入場料収入をできる限り上げるために努力は惜しんでおりませんが、残念ながら、最近民間助成が非常に低調になってきています。理想としてはこの3つの収入が3分の1ずつというのがいいのかもしれませんけれども、民間の助成が非常に低迷しているため、総合芸術を続けていくのは困難の度を増しているということであります。この辺を前提として、「支援とは」ということを考えざるを得ないわけであります。
 かつて、先端原理に基づく半導体の集積回路とか、光ファイバーを中心とする光技術について、通産省のもとで共同研究プロジェクトが行われたことがあります。それに参加した企業は数社にすぎなかったのですが、そのプロジェクトには参画できなかったメーカーも、その成果を、もしくはフルーツを十分に吸収して、自分たち独自の製品ラインを開発し、販売していった歴史があります。団体オペラも、沢山の市民オペラ、区民オペラなどの団体があります。それぞれ、私が今お話ししているのと同じような財政的な危機の中で芸術に対して真摯に努力をしている、その価値は全く変わりませんけれども、では支援をする場合にどういうやり方があるのかといいますと、私はその共同研究プロジェクトの例を思い出したのは、重点支援をするということの波及効果であります。これは、例えば我々がこれだけの大きなプロジェクトをやる中で、参画する人の数は莫大な数に及びます。平均すると200名以上のプロジェクトが数年のスパンで、オペラをつくり上げていっている。ここに参画した方たちが、芸術的なレベルを上げ、もしくは共同作業による新たなスキルを獲得し、日本中のさまざまなプロジェクトにさまざまな形で関与していっておりますので、そういった方たちをスタッフにしてつくり上げるオペラの全体のレベルは、国全体として上がるはずであります。そういった見方もできるのではないかと思ったわけです。
 次に「オペラと産業界の類似点:芸術という要素のつくり込み」について述べます。オペラの芸術性は芸術的要素を作りこんでいった結果として出てくるのであり、その継続的行為が文化に寄与すると考えれば、その根っこに当たる「つくり込み」が非常に大切なのではないかということであります。「文化は芸術の専売特許ではない」とレジュメに書いてありますが、車に例えれば、今海外に出てみると日本車が世界で一番高い品質との評価を獲得しているわけです。これは、信頼性という面が一番大きいわけですね。その信頼性というのは、日本独自の方法で築き上げていった「品質のつくり込み」によって得られたものです。私も実際に現場でこの「品質のつくり込み」をやってきたわけでありますが、「品質のつくり込み」とは、それ以前はアメリカに、大量生産品の品質を保障するために「品質管理」という学問体系が発達して、抜き取り検査法によって欠陥品の出る比率を調べてロット別の合否を決めるというやり方なのですが、そういったことではなく、すべて品質のいいものをつくりましょうということを始めていったのが「品質のつくり込み」という概念であります。代表的な成果を上げたのがトヨタですが、私はこれに似て「オペラのつくり込み」が、実は芸術性を高める一番重要なプロセスだと思っております。恐らく文化だとか芸術というのは、外から見てどう思うのかという、客観的な視点が必要であろうと思います。我々は内側にいる人間ですので、そういう客観的な評価を受けるためのプロセスをどうしていくのかというところに精力を集中せざるを得ないのであります。「文化の有無は受け手によって決まる」ということで、「文化の創生」とか「文化の発信」という言葉はよく使われますけれども、だれが「これは文化の発信」と言うのか、「文化の創生」と言えるのかというと、それはむしろ日本人ではなく、外国の人が見たときにどう思うのかというイメージを私は受けるわけですね。私どもがこの5年間、海外の著名な歌劇場と共同制作をした中で、オペラづくりのプロセスが非常に大きな評価を受けたことから、このことは自信を持って言えると思います。
 「支援の在り方」は「創作過程」に支援をしていただくことが重要ではないかということ。
 それから、「創作過程」ということになると、最初に申し上げましたプロデュースの中心である事務局、いわゆる運営費というものに対して、その存在が芸術的な成果に結びつくことを考えれば、この項目に対する支援はぜひやっていただけたらと思います。
 「ひと・もの・かね」の中で「会場」がありましたが、我々は会場を持たないというハンディキャップがあります。一方、会場を持っている各地の多面舞台を持つ劇場側は、年に何回の公演、制作をするにせよ、単独でそれだけの制作チームを持ち続けるのは費用的にも問題で、そういう地域の拠点と、我々のような団体が一緒にコンソーシアムを組んでプロジェクトを遂行することが、双方にない機能を補完し合い、多分1足す1は2以上の成果につながるのではないか、そういう形の共同作業に対して、新しい観点から支援をしていただくことが必要なのではないかと思います。

○青木部会長 それでは、次に松木様から、文化芸術活動を支える舞台技術者に対する支援方策の在り方などについてお話をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

○松木氏 資料4の「パフォーミング・アーツの仕事の流れと舞台技術者の位置」を見ながら話を聞いていただきたいと思います。一般的に私たちの仕事は、皆さんが劇場に行っても姿が見えないところで働いていることが多く、一体何をしているのだろう、何人ぐらいいるのだろうということをよく聞かれます。まず、私たちの仕事はどのように位置づけられるだろうかということを話し、舞台技術者の現状と課題と、それから提案ということできょうはお話ししたいと思います。
 基本法が策定される前のいろいろな話の中にも、スタッフを何と呼ぼうかという話があったと思うのですが、その辺に関して、「舞台技術専門家」という形で、文化芸術を担う定義づけをしたいということです。劇場等演出空間でのパフォーミング・アーツの中で実演家、アーチストたちの舞台創造を技術面で支えるのが「舞台技術専門家」と呼びましょうということです。
 資料4をご覧ください。カラーで書いてありますが、黄色いところが「スタッフ」と呼ばれているところです。それから、黄色の中に水色が入っていると思うのですけれども、これが劇場などで働いている方です。仕事の流れとしては、プロデューサーから劇作家、演出家、音楽家、振付家、その他の「メインスタッフ」と呼ばれている、デザイナーがいます。デザイナーには舞台美術、衣装、照明、音響、映像、メークアップ、特殊効果等がいます。そこで構想を練って、舞台監督が、プロデューサーとデザイナーとの間を、「こういうことをやりたいのだけれども、金がないからそれはカット」とか、「もう少しやりなさい」などと調整をする。そして、そのイメージを具象化するのが、「舞台技術専門家」と呼ばれている人たちです。
 稽古期間は、オペラの場合は、大体1カ月ぐらいが多いですね。ポップス・コンサートは、1カ月ぐらいスタジオに入って練習して、そこで曲づくり、曲の並べ方をやります。劇場に入る前に。
 劇場の中にいるスタッフの中で、「技術監督」と呼ばれて、全部の統括をする人間がいます。日本では、技術部長、海外では「テクニカル・ディレクター」にあたります。劇場の中には、舞台機構・舞台照明・舞台音響・映像という方がいます。この方たちは、劇場の機能を管理し、運営し、外から来たカンパニースタッフに対して助言、サポートをしていく仕事をしています。
欧米と違って、初日までに、新作でも、劇場などで3日か4日で上げてしまうというかなりすごい現場もあります。もう朝の4:00ごろになってゲネプロをやって、朝方あけて、それでそのまま初日を迎えることもざらにあります。
 私たちスタッフは、文化芸術基本法の中の16条の「芸術家等」の「等」の中に全部入っています。「舞台技術専門家」という言葉はどこにも出ていなくて、舞台を支える人たちということで書かれてありますが、専門的知識・技能を持った舞台技術専門家ということですね。全国に約3万5,000から4万人いると思われます。その中で、各職能で、自分たちの技能を確立しようとして各団体があります。日本照明家協会、日本舞台美術家協会、日本舞台監督協会、それから日本舞台音響家協会、日本音響家協会です。それから日本演出者協会があります。
 劇場・ホールは全国では、約2,500会場ぐらいがあります。その中で、1,000人以上のキャパシティーを持った劇場が750、公立文化施設協議会に加盟館が1,330ということです。
 舞台技術専門家の私たちの課題ということで、大きく3つ書いてあります。
 まず、私たちの仕事の中で大きなことは、舞台上でスタッフ、それからキャスト、それからお客さんを基本的に安全に、いわゆる安全面で支えながら自由な舞台表現をするということが第一です。この辺の、専門的知識を得ればいいということではなくて、キャリアをどうやって積み重ねていくかということが一番大事なものですから、時間がかかります。熟練された技能・知識を持つ舞台技術専門家の養成、キャリアアップ、キャリア転換。キャリア転換というのは、例えば僕が舞台音響をやっているとすれば、舞台音響以外の知識を持って、例えばフロントスタッフに入るとか、総合的に、技術監督になるとかということを示しています。熟練された技術専門家は、45~60までの団塊の世代が非常に多いんですね。有能な技術者は舞台の安全を担い、自分の専門領域にとどまらず、舞台が総合芸術であるための知識・技能を持っているのですが、それを伝承していく環境が全く整っていないということです。
 提案-1に関しては、「人材育成事業の特別支援枠の設定」ということで、これは今文化庁が行っている芸術団体人材育成事業は、支出の50%支援なんですね。私たちの事業は興行ではないので、「黒字を出せ」と言われても、お客さんを入れることが目的ではなくて、そこに参加する人を、いわゆる学校がわりにやっているということがありますので、興行的に成功させることは非常に難しい。キャリア形成のための研修が、さまざまな芸術団体の人材育成事業で行われています。その中で、相互評価を行って、選ばれた事業に関しては予算の100%支援枠の新設を提案します。私たちの人材育成事業に関しては、審査員がいて、「これはよし。これは今年は少なく」とか、「増額」とか、いろいろなことを言っていただいているのですけれども、相互評価、お互いに評価をしていくことだとか、ある意味で、研修の質の競争ですね、やはり差別化をすることを逆に提案します。
 提案-2に関しては、国立・新国立劇場の中に、プロが専門的に学べる舞台技術総合研修所のようなものを設置したい。今、新国立劇場の中には、バレエそれから演劇に関しては研修所があります。プロが学べるところですね。それのスタッフ版をぜひつくりたいということです。
 私たちの舞台技術専門家というのは、専門学校や大学のサークルの活動を経て劇場に、あるいは職場の中で、まず仕事を覚えます。それで、30歳前後でまず離職期を迎えるのです。それから、もう1回、40歳~45歳に第2次転換期がある。40を過ぎると、もう1個何か付加価値がないと負けるんですね。そうすると、「あの人は腕は遅いけど、何かすごく人づき合いがうまいね」とか、「あの人がいると何かほわっとして、もめているのに、いつの間にかもめごとが直っちゃったね」とかと、いろいろなことがある。その辺の付加価値をつけていく時代が、40歳~45歳なんですね。能力評価は現場で、実演家、それから演出家、デザイナーたちがやってくれます。舞台技術者は、10年間もつと大体一人前なんですけれども、そこから先、デザインをできるのか、つまりゼロからものをつくれる力がおまえはあるのか、技術的な自分の専門領域だけではないものをきちんとできるのか、力を試させられるんですね。そのときに、スタッフに対しての公的支援の道は、新進芸術家海外留学制度というのがあります。これと、文化庁の国内の方の研修10カ月があります。これは有効に働いている部分と、見直した方がいい部分があると思います。
 国内研修制度は、それを受け入れる劇場や劇団、カンパニーがいない、あるいはその担当者がいない、教える人がいないということなんですね。この国内研修にかわって、短期間でもいろいろなカリキュラムの中で単位を取れというような、いわゆるキャリアアップにためになるような、大学院スタイルの研修所を劇場の中につくってほしいということです。
 提案-3に関しては「舞台技術専門家を目指す人材の確保」ということです。このごろ、造形大学だとか専門学校で、例えば4年制だとすると、男性・女性の比率が今や、4年だと30%ぐらいは男性がいますかね。1年ぐらいになると、ゼロになります。何で男性がいわゆるスタッフを目指さなくなったのか。これは世界的な傾向なのかもしれませんが、とにかく男性がいない。全体的にいわゆるスタッフを目指す人が少なくなっている。やはり劇場で舞台芸術に接するチャンスが少ないんですよ。私も子どもが「お父さんの仕事」と幼稚園で絵を描くと、ヘッドフォーンをかぶったりしていますけれども、小学校、中学校へ上がると興味が離れてくるんですよね。基本的に演劇を芸術の時間に見せる習慣がない。劇場に行く時間がない。あるいは、僕たちのスタッフワークを見るチャンスがない。
 このごろ、指定管理者制度が始まっていまして、公共劇場が担わなければいけない責務としてアウトリーチというのがありますね。実際に生の舞台を見せる。それから、接しさせる。そういうことをぜひ、自主事業の中に取り組んでいきなさいという指導を、文化庁から各自治体の方に強力に進めてほしいと思います。接しなければわからないと、そういう世界が見えないところで、魅力ある仕事がやはり見えないのは非常に不幸だと私は思っていますけれども、これが第3の提案です。
 最後に、「劇場法(仮称)の制定に向けた準備委員会の設定について」があります。現在の劇場の中には、基本的に舞台上には、ふさわしい法律がないんですね。労働法、消防法、電気工事法、建築基準法、電波法、PL法などが、いろいろな世界から劇場に当てはめようとしているのですけれども、これには非常に難しい問題がある。今の劇場で行われている仕事は、法律が制定される300年前ぐらいから歌舞伎小屋にあったわけで、そこでセリやボンだとかも当然あったわけですからね。劇場の中では全くの暗闇の中で床が動いています。床に穴があいています。転換が行われています。当然、役者はその上に乗っています。懸垂物、これは秒速2メーターぐらいのものがバッと上から、重いものを持って上がり下がりします。それから、本火が、あるいは煙が焚かれます。それから、電気量で言えば工場並みです。何トンもの舞台機構があっという間に動きます。このごろは、人間が客席の上をフライイングでビューンと飛んでいます。
 こういうものに関して、自前のガイドラインをつくる。つまり、安全だとか、法規制みたいなものは自前でつくって、安全で自由な芸術表現を妨げない、劇場独自の法、イコール劇場法を文化芸術基本法の下につくることが、私たち舞台技術専門家の、法制度に関した、あるいは文化芸術法に関係した部分の提案です。
 劇場というのは、単に舞台作品の上演施設としてのものではなくて、舞台芸術の専門家による創造の拠点であって、それで地域住民にとって文化拠点であるということは、基本法の中にもうたわれています。劇場の多くは、1980年から90年に建立されて改修の時期を迎えていますけれども、舞台設備のリニューアルは、その運営環境、それから、そこで働く人たちのリニューアル、意識改革からまず始めていかなければいけないのではないのでしょうか。

○青木部会長 どうもありがとうございました。
 自由討論に移る前に、事務局より配付資料6について説明いただきたいと思います。
 この資料は、第1回の部会で承認をいただきました「基本方針見直しについての文化芸術関係団体への意見募集」について、各団体から提出いただいた意見を事務局にて取りまとめたものでございます。

○事務局 経緯だけ簡単に申し上げますと、今部会長がおっしゃられましたとおり、1回目の文化政策部会において、団体ヒアリングはしないかわりに、書面において意見を募集するということとさせていただきました。
 4月3日付の公文書で団体に対して依頼をしましたところ、4月末までに26の団体から回答がございました。それを事務局にて、照会の項目ごとにまとめたものが資料6でございます。また、各団体からの回答の本体につきましては、机上資料ということで配付をさせていただいております。

○青木部会長 3人の方から、大変示唆に富む、また重要なご提案を盛り込んだお話をいただきました。せっかくの機会でございますから、委員の方々からご質問なりご意見をいただきたいと思います。

○岡田委員 野村先生に2点ほどお伺いしたいと思います。小学校の子たちに狂言を見せるために全国をお回りになった経験があるとおっしゃいましたが、すばらしいことだと思います。
 前回のヒアリングのときに小島先生が、「日本の文化のまん中に伝統文化があるべきだ」ということをおっしゃって、私も大変共感いたしましたが、今そういう子どもたちに芸術体験を与えるため、そして文化の継承・発展を目指すために、自発的にそういうことをなさっている若い方は、いらっしゃるかどうかということをお伺いしたいということと、事業者と出演者の契約が話題に上りましたが、それは私、もう大分進んでいることだとばかり思っていたのですが、この報告書を見ると進んでいない。いまだに、事業者と出演者がしっかりした契約のもとで仕事を始めるということが少なそうな様子ですけれども、実務の中で、どうなっているのかを教えていただきたい。
 もう1つは、これは文化庁にお聞きしたいのですけれども、野村先生のところで、芸術活動助成法のようなものを提案なさっていますが、これは文化芸術創造プランとかぶるところがあると思うのですけれども、もしも芸術活動助成法のようなものができると、文化芸術創造プランとの兼ね合いというのはどうなるのか。そして、前々から、芸術創造プランのお金を差し上げた人のフォローアップはどうなっているのかということをここで何度も伺っているのですけれどもお伺いしたいと思います。

○野村氏 今は、自分の経験では、やはり私学の学校は比較的視聴覚教育というものにいろいろ力を入れているところがたくさんあるように思うのですけれども、やはり公立はなかなか、教科書から古典が減ってくるということも1つ原因であるでしょうし、やはり私どもは個人で動くわけにいきません。ただ私の考えでは、やはり伝承というものは縦軸と横軸とがどう織りなしていくかということがとても大切なことです。普及ということを考えると、確かに広いけれども、とても浅いという問題。世代的にも、次の若い人たちが普及ということに大いに力を入れてもらうことがやはり大切だと、演ずる側からは思うんですね。それを、学校に入っている業者とタイアップしているのが、今一番多いのだろうと思います。上原委員もご一緒の場で、振興基金などの場でも、やはりいろいろなことが制度としてつくられるのですけれども、その周知の問題というのがなかなか徹底されていないということのうらみ。そして、おっしゃるとおり、古典芸能はやはり非常に昔から相変わらず大福帳で、およそ契約などは全くどこ吹く風みたいなことでやってきた。今芸団協という組織をお預かりしていて、まだまだそういう契約のルールを、もう一つきちんとしていかなくてはならないというのが現実だと思いますね。
 先ほど劇場法のことをおっしゃって、確かに新しく助成法のことは、さきほど松木氏がおっしゃったこととは意味が違うかもしれませんが、発想としてはやはり、博物館なり何なりにやはり学芸員がきちんといて成り立っている。図書館には司書がきちんとあってというのと同じように、やはり劇場、文化ホールに専門職をきちんと位置づいていくことが、何としても大切だろうと漠然と思っております。

○米屋委員 簡単に、ここの芸団協としての要望書に書かせていただいている趣旨を申し上げますと、当初私どもでは先に劇場法というのを、松木さんからご提示いただいたのと同じような趣旨と、今野村会長が言及なさった、専門家がいる専門施設という意味でのことを申し上げたのですが、必ずしも場所は持たないかもしれませんけれども、芸術団体として専門性を持って活動しているところに支援をするときの法的基盤というものは、今はやはり弱いのではないかということがございまして、専門的には文化庁の方からお答えいただいた方がいいのかもしれませんが、文化芸術創造プランですと、今文化庁からの委託・委嘱事業、文化庁と契約を結んで芸術団体が行う事業という枠組みになりますので、芸術団体が変更があったときにとても使いにくかったり、また、協会組織と言っているようなところに関しては、芸術文化人材育成事業という枠組みがございますけれども、それも協会組織の実態に合わないところがある。そうなってくると、支援の根拠は何か、目的は何かといったところの法的基盤をきちんとして、実情に合って、柔軟に運用できるような支援の仕組みを整えるべきではないかという趣旨でございます。

○青木部会長 文化庁の方からのご意見は。

○高塩文化部長 私も、法案と、この最初の基本方針のときにかかわりましたけれども、ご承知のようにこの文化芸術振興基本法は、いわゆる単なる基本法ではなくて、振興基本法として作成したために、第8条の第3章の条文が、それぞれ公演・展示に対する支援や劇場に対する支援及び事柄が書いてあるんですね。恐らく芸術文化振興助成法をつくるとしても、書くことはおそらく同じことになるのではないかと思います。今の法案自体が相当の個別具体の内容になっていますので芸団協のご要望はわかるのですけれども、必ずしも「助成振興法」がなくても、この「芸術文化振興基本法」があれば、法律的な根拠として、文化芸術創造プランをはじめとする支援も実施できると思います。ただ、文化芸術創造プランが法律補助か予算補助かという仕分けになりますと、なかなかこれは難しい面もありまして、今さまざまな支援をしていることからすると予算補助ということになるのかもしれませんが、私どもとして言えば、この振興基本法の中で、ある程度の法的な基盤はあると思っております。最初の基本方針をつくる際にも、その助成法については触れずに、むしろ、これも大変難しい課題ではありますが、今お話の出ている劇場法の方を視野に入れて、法的措置の検討を進めると4年前に掲げたということです。助成法についてはあればあるに越したことはないですけれども、必要性ということについては、必ずしも優先順位は高くないのではないか考えております。なお、評価につきましては、これもこの基本方針をつくるときにいろいろご意見がございまして、基本方針の9ページに「支援及び評価の実施については、より効果的な支援を行うため、支援の仕組みや方法などの在り方及び多様な手法、活用について検討を進める」ということを掲げておりまして、第三者評価のような形がございませんけれども、文化芸術創造プランについては、本年度から事業補助に変わったということもございまして、団体ごとに自主的な評価をやっていただき、仕組みはスタートさせておりますが、当初の時点で予想していたより取りまとめの遅れていることを認めざるを得ない状況でございます。

○加茂川文化庁次長 今文化部長が話したことに尽きると思うのですが、多分ご要望の趣旨は、今の予算補助を法律補助的にすることによって、予算の増額とか財源の確保をより確かなものにしたいということだと思います。その趣旨は私どももよくわかっていますが、現状から言うと、今の法律のスキームの中で、また予算獲得の努力の中で対応するのが現実的だと思います。ただ、ではこの法律が不要かと言われれば、あるに越したことはないという見方もできます。私は前に私立学校を担当していましたが、ご存じのように私立学校の場合には特別法があって私立学校振興助成法という法律がありますが、これは大変な法律です。ここに出てきます評価と情報の公開について言うと、かなり厳しい前提がなされていて、事務局の組織1つとっても、恐らく芸術関係団体が対応困難なほどの責務を負うことになります。情報公開について言うと、そのハードルがどんどん高くなっていますから、こういう法律が望ましいにしても、できたときに受けとめるだけの体力が、私たちの芸術関係団体の中にあるかということも慎重に考え、できた後の責務についても視野に入れておく必要があるのではないかということも付言しておきたいと思います。

○青木部会長 劇場法については、どうなんですか。

○高塩文化部長 まだ劇場法については、私どもの作業も、その素案すらできていないのが現状でございます。確かに、消防法とかそういった他省庁の法律の特別法になりますので、安全の問題は、舞台芸術にとっての極めて大きな問題と認識していますが、さまざまな調整やさまざまな面をクリアしなければいけないと考えます。芸団協の方で素案のようなものがあれば、またご相談をはじめさせていただきたいと思っております。

○川村委員 1点だけ中山氏に教えていただきたいわけですが、オペラづくりで大変苦労されていて、中山氏のところはホールを持っていらっしゃらない。一方、地方にいわゆる拠点の劇場、ホールはたくさんあって、これがまたそういうスタッフを抱えていない。ですから、その両者のコンソーシアムをぜひ考えるべきではないか、私は、まさにそのとおりだと思っておりますが、今まで二期会として、そういうコンソーシアムでやられた実績はどの程度あるのかということと、それが余り進んでいないと思うのですけれども、その具体的なネックとなっている点をもう少し、中山氏のお立場から教えていただきたいと思います。

○中山氏 今おっしゃったそのままのような形のものは今までやったことはないんですね。ですけれども、近くそういうものを具体化するプランはございます。例えば、日生劇場と私どもの団体が協力をして1つの公演をつくり上げていくということは、今年度から始まりますし、それは、考えてみれば非常に的を得た方向性だろうと思います。ただ、今までなぜできなかったかといいますと、やはり助成の在り方が、例えば拠点形成事業ということでホールが自主公演をやることに対する助成と、我々のような重点支援という助成とがドッキングしたような形の新しい支援システムができない限り、どちらかが消えてしまうということになり、このような形ではなかなかできないということでございます。例外事項として、新国立劇場ができて数年間は、日本オペラ振興会と私どもが年に2本、その後は1本という具合に、「共同制作」と称するものをやっておりました。ただ、これはそういう形をとったということだけで、本当の意味で一緒のチームとして1つのものをつくり上げるというところまではなかなか行かなかった。しかし、今後はそれをやっていかないと、本当の意味での成果は上がらないのではなかろうか。そのための助成のシステムというのが必要だろうと思います。

○根木委員 今のことに関連して、中山氏にお伺いしたいのですけれども、昨年までちょっとご一緒させていただいて、その延長線上のことですけれども、オペラ公演に関して、例えば1つの演目を類型化して、何回か公演することによって、どこかで損益分岐点というのは出てくるのだろうと思うんですよね。そのような状況があって、どこまでどうやれば到達できるかということを明確に提示していただければ、公的支援とか、民間支援の在り方が可能になってくるのではなかろうか、という感じを持っています。また、それを巡回させた場合に、その最も効果的なシステムも別途考え得るのではなかろうかという感じがしておりますので、そこのところは、オペラ団体としてもこれからきちんと計算をしていただいて、具体的なモデルを提示していただければ大変有益ではなかろうかという感じがしております。

○中山氏 その点につきましても、同じような問題意識を持っておりまして、今年度中にはそういうモデルをつくらないといけないと思って、今作業を水面下で進めているところでございます。遠からぬ将来、具体的な形でご提案できるようにやっていきたいと思います。

○上原委員 その議論に関連してですが、オペラという総合芸術の場合は、巡回公演はもともと無理な設定で、その劇場のためにつくられた装置を簡単に取り外して持って歩けるようなものではない。例えば巡回公演用につくられたオペラは、それは劇場側から見ても、またお客様から見ても、必ずしも満足のいくものではないこともあります。そうではない場合ももちろんありますが、そうなるとコストはぐっと上がるという点もぜひ考慮に入れていただきたいと思います。
 それから、野村先生がおっしゃいました、「芸能というものは長い期間をかけた忍耐の中でできるものである」ということは、実感をもって受けとめさせていただいたのですが、それと、今現在の指定管理者制度にあらわれている、短期間の評価とか市場性とは、全く相容れないもので、前回も、福原会長がたしか同じようなことをおっしゃったと思います。「劇場法」ができたから、果たして劇場は「公の施設」として指定管理者制度の適用から免れているかという危惧があります。個別法のある「図書館」とか「博物館、美術館」でさえも「公の施設」として指定管理者制度が導入されていることもあります。文化施設は指定管理者制度とは無縁のものであるべきだということを示す法制度、仕組みが必要ではないかと思います。
 それから、先ほど松木さんから、「劇場に入って3~4日で全部やってしまうので、未明のゲネプロもある」というお話がございましたけれども、労働時間が長くて、とても危険だなと思うことがあります。又最近、招聘元の中に、技術スタッフとして熟練を積んできた方が辞めていかれる年齢に来たということなのでしょうが、そういう人材がいなくなっている場合があります。招聘先の劇場との技術的なコミュニケーションが不十分であって、急に「夜中の3:00まで作業が要ると思います」とか、そんな話が突然出てきます。松木さんのお話の中では、そういうのが恒常的に行われているということを伺いまして、労働時間の問題についても、ぜひ何かお気づきの点があったらお話をいただきたいなと思います。

○松木氏 私たちの技術を高めるのは、「オン・ザ・ショップ・トレーニング」といって、「そういうことをやっちゃだめだ。おまえ、何やってんだ。舞台を走るな」ということは、これはもう先輩が口うるさく言うわけですよ。舞台上で先輩から教えてもらうことから始まっていく。それはすごく時間がかかるんですよ。つまりメソッドも何もないから、みんなその場で覚えて、メモするわけにいかないから、もう1回やって、頭をドンと殴られないとまた覚えていかないという、そういう状況です。今の、長期的に人を育てるのに時間がかかるということと、実際の作業に時間がかかるということと、妙にリンクしているのですけれども、いわゆるツー・バイ・フォーみたいな感じでつくってくるというわけにはいかなくて、やはり飾ってみてわかることがいっぱいあるんですね。例えば舞台美術を飾ってみた。「ああ、やっぱり違う。じゃあ、ちょっとあそこを直そうよ」と。舞台照明家が初めて舞台を模型ではなくて見たときに、「ちょっと待ってよ、絶対これはまずいよ」という話が出て、舞台上で設営しているときにもめ始める。劇場側と、カンパニースタッフ両方ともできる人なら、時間の節約はできるのですけれども、やはりカット・アンド・トライみたいなことが行われることがどうしてもあるんですね。その中で覚えることもいっぱいあるんですよ。だから、決して労働時間が長いからだめだということだけでもないんですね。そういう長さの中で覚えていくことは、絶対に必要なんです。
 疲労によるけが、事故というのはやはりあります。このことは、私たちが交代要員で8時間労働でかわれるような職種ではないからなんですね。待ち時間がすごくあるわけですよ。明かり合わせをやっていたら、その間はまっ暗けで何もできないけれども、仕事は残っている。そういう中で一緒に仕事をやっていくということで、どうしても時間が長くなっていく。せめて新作をやるときには、どういうものであっても基本的には最低1週間ぐらいとってくれないだろうかということをずっと、プロデューサーの方にもお話をしているのですけれども、やはり劇場日がふえることに関してのコストと、やはりペイ・ラインに行かないというところで、まず優秀なプロデューサーがどんどん、辞めていくんですね。悲しいかな、ものすごく儲かっているプロデューサーは日本にはいないんですよ。
 それから、ベテランの人はきつくなってくる。責任も重くなるし、時間も長くなる。私たちも危機感を持っていまして、特に舞台監督と言われる、各セクションを全部統合して、すべてに目を光らせて、対外的なところにも全部話をつける役をやっている方の人材育成は、専門学校も何もないんですよ。今までは全部、劇団であるとか、先ほど「座」という言葉が出ましたけれども、そういう中で育ってきた人たちです。この辺に関しては、やはり公的なものでやらないと、これを目指す人もいなければ、それで困ってつぶれてしまう公演体制もどんどん出てくるだろうということは、多分皆さん同じ意見ではないかなと思っています。

○田村(孝)委員 2つお伺いしたいのですが、今、松木氏から専門的な教育機関についてのお話しがございましたが、例えば兵庫県のピッコロシアターのように、舞台技術学校から始めているところもございますね。そのような学校教育は広がりを見せていないのかをお聞きしたいと思います。また、野村先生にお伺いしたいのですが、先生が「教科書に取り上げられていたから、全国で狂言を観せる機会があった」とおっしゃっいましたが、今「学習指導要領」が変わって、邦楽といいますか、伝統楽器が音楽教育に取り入れられるようになりました。これまでも音楽教育者の中だと思うのですが、これは多分、西洋音楽に対する音楽教育が主だと思うのですが、現在邦楽が取り入れられ、伝統音楽が取り入れられるようになって、邦楽界の中に流派、楽器などを越えた「邦楽教育研究会」と云うものは始まっているのかどうか、お伺いしたいと思います。

○松木氏 先ほど野村会長が、青年、それから壮年・老年と言いましたけれども、今おっしゃられた部分で言うと、その壮年の部分ですね、自分がスキルアップしたい、ステップアップしたいというところの教育機関ってないと言っていいと私は思います。それは、先生がいないと断言できると思います。若手、あるいは青年に対しての専門技術の習得に関しては、これは専門学校もあるし、キャリアのある人、あるいは教えるメソッドがある程度できているんですね。ところが、ものをつくるとか、人との関係とかというのはすごくファンダメンタルな力が入ってくるので、これがものすごく難しい。とりかかれていないという現状ではないかなと。私たちが見ると、若手で、人の顔を見て話せる人が少なくなってきているんですよ。若手の研修のときには、まずそこから始めるんですね、ファシリテーターというのを入れて、まず、人と話せる、人の顔を覚える、名前をすぐ覚えるという能力をまずつけさせる。人に好感を持てるという、コミュニケーションで仕事をしているものですから、そういうものの力をまずつけるところから始まるんですね。言ってしまえば、やはりメソッドとしては、プロがキャリアアップするときの、プロのための学校は今はまだないのではないでしょうか。

○野村氏 私、専門学校だったころの東京音楽学校というところに入学して、卒業するころに芸術大学というのになったのですけれども、そのときに、音楽学校の邦楽科というのが大学教育には向かないと、時の校長が邦楽をとにかく、メソッドがないから芸大の教育からオミットすると。それを、僕らは教官に連れられて国会などにいろいろ陳情に行ったりした経験があります。それから、三味線の棹に五線譜をつけてやるようなこともどうしてもしなくてはならなかった。それが、戦後これだけ年月がたったら、今度は、いい意味でまた昔の勘どころに戻るような教育になってきたのですけれども、やはり学校教育の中に日本音楽というのが、日本でありながら何で洋楽が主体の音楽であるのかというのが、それは音楽取り調べ所から始まっていろいろな問題があろうと思うのですけれどもね。結局、今日のベースになっているのが、やはり邦楽が言葉を悪く言ってしまえば、遊ぶ芸、「遊芸」の対象であったり、稽古事の対象であるという域をどうしても出られないところを一方に抱えていて、そして、日本音楽のこれからの歩みというときに、従来の、稽古事の対象としての歩みと、教育的な位置づけというものが、実際にタッチしている方々がやはりその意識をしっかり持っていただかなくてはならないし、当然舞台に立ってアクターとしてものが成立しなくてはなりませんけれども、一方今度は伝承というもので考えていったらば、ティーチャーというものの要素もしっかり、両方兼ね備えていなければ、伝承の中に生きている人間とは私は言えないと思うんですね。
 ですから、みんな小さい子たちにまずは本当に、「楽しいよ、おもしろいよ」ということをまず説いていく、そこがまずはとても大切だと思うのですけれども、今度は、私たちですとどうしても、その「おもしろいよ、楽しいよ」というものの先には、どうしたって「厳しいよ、難しいよ」ということが出てくるので、それを超えた先の楽しさとかおもしろさに、どう押し出ていくのか。よく聞きますのは、何かもう、どこまでがプロで、どこがアマだか、もう何もわからない。写真家協会の会長に聞くと、「アマの方がいいカメラを持ってるぞ」ってね。プロよりもアマの方がいい意味で心もぜいたくという現象も一方に生まれつつあるところを、逆に委員の先生方にいろいろお考えをぜひいただきたいという気がいたします。

○青木部会長 委員も宿題をいただきまして、大変でございますけれども、今日は、本当に重要で、また非常に意義のあるご提案、それから、劇場法や助成法など法律に関しても、どうしたらいいかというご提案をいただきました。ともかく、次世代の養成は本当に大変だと思います。あらゆる面で言われておりますけれども。アニメなども、今非常に隆盛を誇っていても、一番下の技術者がもうほとんどいなくて、韓国などで養成しているんでしょう。だから、やはり先ほど松木氏、中山氏がおっしゃったように、芸術を支える技術者をきちんと養成する、それだけの手当をしなくてはいけないと思いますね。
 もう1つ、中山先生がおっしゃったアジアに今、シンガポールのエストラネーダとか、上海のオペラハウスとか、いろいろと出てきまして、日本は30年先に行っているので、技術的な移転も要請されて、可能であると。ODAも、これに使ってもらったらいいと思うのです。ただ、日本が非常にこういう近代的な技術に関しては先に行っていることは事実ですけれども、それを維持していくのは、やはり日本の国力の1つの大きな問題だと思いますので、こういうこともやはり考えたいと思うんですね。実際は、新国立劇場より、シンガポールのオペラハウスの方が大きいんですよね。私は成立過程から全部、調べていますけれども、立派なものが入っています。演劇劇場もありますし。今は上海で、北京に今度すごいのができますよね。それから、ソウル、バンコクとかそのほかにも動きがありますから、こういうところと対抗していくためには、日本はやはり、きょういただいたお話を参考にしつつやっていかなくてはもう日本の将来もないのではないかと、ちょっと危機感を持ちました。
 後半は、社寺建造物美術協議会会長、株式会社さわの道玄代表取締役の澤野道玄様にお話を伺うことになっております。
 それでは、澤野様より、「文化財の保存と活用について」、特に建造物や美術工芸品などの保存技術の継承、人材育成等についてご意見を賜りたいと思います。

○澤野氏 私どもの社寺建造物美術協議会と申しますのは、文化財建造物の漆塗り、そして彩色、それから金具、そういう同志の集まりでございます。文化財建造物ですから、ほかにも、伝統建築の設計・管理の団体でありますとか、屋根、屋根と申しましても瓦や、檜皮とかそういう屋根工事、それから左官工事、畳、建具というように、文化財建造物にはたくさんの保存団体がございます。そういうことで、文化財建造物を中心として本日はお話をさせていただきたいと存じます。日ごろ私ども文化財保存・修理に携わりながら、我が国の文化財保存の現状と問題点について思うところをこれからお話しさせていただきます。
 私たちの業界は、伝統産業界においてもその一翼を担ってまいりました。そして、同時に文化財保存・修理にも取り組んでまいったわけです。かつての日本の社会は、文化という基盤の上に経済活動があって、それぞれの時代を形成してまいりましたが、残念なことにこの戦後60年間は、文化と経済の関係が主客転倒いたしまして、経済優先社会になってしまいました。その結果は申すまでもなく、皆様が想像される以上に文化力を衰退させ、日本を衰亡させてしまったと考えております。例えば伝統産業の世界の痛ましい状況をお話しいたしますと、全国の漆の産地では、地域の特産品とうたいながらも、外国製品、特に中国製品ですね、それからプラスチック製品が、あたかも漆の製品であるかのように氾濫いたしておるのが現状であります。
 また、後継者と言える20代・30代は、ほとんど各産地ではおられないという状況です。大体50代・60代の皆さんが今なお産地を支えていられるということは、全国の産地で共通いたしております。漆の文化といいますのは、6,000年とも8,000年とも言われております。そういう文化が消える日はそう遠くはないと考えております。もう1つ、畳の文化、我が国の生活、住居には畳というものがあり、必要欠くべからざるものであったのですが、京都の一流料亭でも、それから、「備後表」と申しまして、日本の畳の本場、岡山県ですね、そちらでも、プラスチックの畳がほとんど主流になっております。畳の材料でありますイグサも、もう国内産はほとんどなくて、主産地は中国であります。中国も、経済状況が非常によくなってまいりまして、もうイグサなんかつくっていられないということで、もう生産をしなくなってきております。そうしますと、もう日本から畳文化も消える日は近いということであります。
 先ほどの漆の場合も主産地は中国でありまして、同じような理由から、漆を生産しなくなるという日はもうそう遠くないと考えます。国内産の漆は、価格も、輸入の中国産の漆に比較しますと大体6倍から7倍の高価なものであります。ごくわずかしかとれないわけです。石油と一緒でして、国内産はごくわずかしかとれませんが、現状では、生産しましてもなかなか売れないということで、生産過剰ぎみであります。要するに伝統産業は既に産業ではなくなったと明言できます。産業は、文化をはぐくむ経済土壌でありますが、今後伝統産業からの文化的な発信は絶望的であり、期待できないと思います。
 私たちの文化財修復業界も、御多分に漏れず、それぞれの伝統産業としてのバックボーンを失いまして、ただ公共工事に望みをつなぐといった心細い状態にありますが、伝統技術の継承や人材育成、文化財保存に対するさまざまな努力は活発に行っております。今や伝統産業にかわって、伝統文化の重要な使命を担わなければならない存在でございます。しかし、種々さまざまな問題が横たわっております。1つは技術伝承の問題です。既に、かつてのような徒弟制度は崩壊いたしました。伝統技術は徒弟制とともに今日まで継承されてまいりましたが、人材の高学歴化や、いわゆるきつい・汚いの3K労働に象徴される、仕事の苛酷さから来る後継者不足、最低賃金法や仕事量の減少による、親方自体の不足などの理由によりまして、思うに任せない状態にあります。
 2つ目は資材の問題です。先ほどの漆の場合と同様、彩色工事などに使用する膠の生産者は数軒しか残っておりません。かつ、現在の膠と申しますのは、非常に運動量の少ない牛からとります。また、主な使用目的は食品添加物なんですね。食品添加物を目的として生産されますので、接着力は非常に弱いという問題があります。一刻も早く文化財保存のための膠生産者を確保したいところなのであります。文化財修理といいますのは、当初の材料を使用するということが原則であります。飾り金具や漆塗り、丹塗りや彩色の工事の資材として、有害な水銀や鉛やカドミウムといった伝統的な材料を使用いたします。しかし、最近は環境汚染などの問題もあり、現場のスタッフは肩身を狭くして働いておる状況であります。このような材料を今後使用し続けていくのか、あるいは新しい材料を開発するのか、どちらかを明確にしていかなければならないと考えております。
 3つ目は入札制度であります。入札制度と、もう1つ、ゼネコンの問題でございます。文化財建造物関連の工事は、今話題になっておりますような随意契約はほとんどありません。一般建設業における入札制度なのです。ですから、最低制限価格を設定しない場合も多々ございます。伝統建築に対して何の経験も知識もない大手ゼネコンが参入してくるのも、一般建設業での入札制度であるからです。ゼネコンは、労務管理をするだけで何もしません。それでも30%~40%の工事費を持っていくわけです。せめて、一般競争入札制度とは一線を画した「文化財入札制度」を設けていただきたいというのが私たちの要望でもあります。
 私どもは、常に逆風の中で働いているという思いがございます。この程度にいたしておきますが、まだまだ数え上げればきりがないほど問題は山積しております。各種の文化財保存団体の会議に参加いたしましても、悲観的な意見ばかりで、しまいには愚痴になってしまいます。今、何とか踏んばらなくてはならないと思う毎日でございます。
 ところで、最近教育基本法が問題になり、検討されております。その改正案は、愛国心の表現として、「伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する云々」とあるのですが、学校の教科書だけでこの目的が達成できるのでしょうか。当然、我が国文化の基盤である、生きた教材でもある文化財や文化遺産の活用が重要になってくるのではありませんか。私はかねがね、公に指定されたものだけが文化財だとは思いません。今日まで守り伝えられてきたものはすべて文化財であるとの認識で、仕事をいたしております。そのような意味からも、希少価値や学術的な物差しだけで指定するのではなく、100年ないし150年以上を経過した物件には、文化財としての何らかの措置を講ずるべきかと思います。
 現在は国土に点在するだけの指定文化財ですが、新たな文化財をどんどんふやしていただき、面に拡大していくことによって、我が国と郷土を愛する環境と教材が整い、本当の愛国心を養えるのではないでしょうか。まさに、今日の我が国の文明的な繁栄は、伝統文化を犠牲にした結果であることを忘れないでほしいし、教育基本法の改正以前に、政府自体がこの60年間を振り返って、文明を深追いすることではなく、文化を温めていく方向に国政の舵取りをお願いいたしたいと思います。
 少子・高齢化社会であれば、なおさら過去と現在を融合させ、調和のとれた文化的環境の国づくりが急務であると思います。最近の社会情勢を見ておりますと、国民の精神的窮状を感じるところであります。私たちの祖先が培ってきた生活や知恵を身近にある文化財から学びとり、心のよりどころとしてほしいものです。
 もともと文化というものは空気のようなものであり、光のようなものですから、当たり前すぎて、その大切さに気がつきません。特に文化財は、今も祖先が私たちに語りかけている光であります。私たち民族が共有する空気であることを、もう一度確かめなければなりません。そして、この日本列島を見直し、埋もれている文化財を積極的に見出し、保存していくことが現代に生きる私たちの務めであり、子孫に対する責任であります。こうして文化財保存修理の仕事が活発化することによって、私たち業界の産業化が図れるのであります。産業化が進めば、私たち業界も、閉塞的な家業経営から脱皮しまして、社会的使命を担える企業に成長できるのです。現在のように伝統文化を個人の力に求めようとしましても、その先はありません。社会の力、組織の力をいかに結集して、文化財再生産業を立ち上げ、伝統文化を守っていくかが、最も望まれるところであります。
 最近、電車の中で、サラリーマンをしております友人に出会いました。世間話をしているうちに、たまたま彼が言った何げない言葉が心に残っております。「君の仕事は、日本がなくならない限りなくならないよ。」私は、あっけにとられて聞いておったわけですが、これが世間の文化財保存事業に対する大方の見方かもしれません。この言葉を文化庁の皆様方や審議会の先生方は、どのようにお考えになりますでしょうか。

○青木部会長 どうもありがとうございました。
 それでは、ただいま承りましたお話、ご発表に関しまして、委員の皆様からご自由なご討議をお願いしたいと思います。
 漆も畳も、もうなくなるというお話ですよね。それから、文化財も、100年もたったら。あるいは150年たったものは、もう文化財として指定するということでしょうか。

○伊藤委員 4月から行っている大学が旧高岡短期大学で、今は富山大学の芸術文化学部ですが、ここでは漆がかなり大きな柱になっていて、学生たちもその技術を学んでいるわけなんですけれども、こういった伝統美術が学校教育の中でどこまで可能なのかということに対して、私も入ったばかりなので全然わからないですし、先生たちも非常に張り切ってやられていることは事実ですが、私の専門としているアートマネジメントもそうですけれども、大学の中でそういった分野の学生たちを養成した後、そういった人材が将来的にどのようなことで食べていけるのか。ここがやはり、あいまいなままで、育てていることに対する疑問が常につきまとっているわけです。そういった意味で、特に漆に関して、高岡にはまだ銅器がございますけれども、こういったものを若い学生たちが学んでいること、これはすばらしいことだと思うのですが、しかし、彼ら自身が、例えば就職率をとって見ましても必ずしもいいわけではありませんし、ではどう考えるべきか、このあたりをぜひ澤野様にお聞きしたいと思うのですが。

○澤野氏 昔は、色気づくまでにこういう伝統的な仕事は早く体で覚えるというのが普通、常識だったわけですが、現在は高学歴化しておりまして、そういう意味では非常に高年齢からの勉強ですので、どこまで成長するかというのは非常に心もとない部分がございます。
 それと、学校には、日本でも漆の学科を備えた美術学校はございますけれども、そこを卒業された方の受け皿がないわけですね。食べていけない。ですから、これは私の想像ですが、卒業生は年間そう多くはないとは思いますが、やはりそれを最後まで続けていく方はもうわずかだと思います。

○川村委員 最初におっしゃったように、文化と経済の関係ですけれども、やはり日本の伝統文化をつくってきたものは、まさに日本の伝統の社会があり、おのおのの経済活動があり、その結果として今の文化財ができたわけです。ところが、社会構造が変わり、経済構造が変わってしまって、伝統的な木造の家には住まないようになった。だから、その意味で仕事がなくなっていく。仕事がないから、そういうものが伝えられない。それをどうやって歯止めをかけるのかということが、まさに澤野さんの問題意識だし、我々も何とかできないかと、こう思っているわけですが、それで、1つ大きく分けて、先ほど仕事が減って公共事業頼みだとおっしゃって、そのとおりだと思うんですね。
 公共事業も、大きく分けてみると2つあって、例えば国指定の文化財の修理ということになると、多分中国産の、プラスチックの畳を使ったり何かはしないはずですね。これは国の方で「きちんとやれ」と。その場合でも、漆は、ちょっと日本の漆は使っていないのではないかという感じはしていますけれどもね。
 もう一方、最近非常に盛んになっているのが、地方の自治体が復元建物という大きなものをつくっている。間もなく熊本城の本丸御殿が復元される。今度、名古屋城も本丸をきちんとするというあたりで、国の指定の文化財ではないから、どういう構造にするかというのは実はあまり規制がない。私がちらっと聞いたところによると、熊本城の復元された本丸御殿に敷かれている畳が、あれが実はまがいものではないかという話を聞いて、いや、まだ実際に私は見たこともないし、確認はしていないのですけれども。やはり自治体が金を出してきちんと復元するときに、やはりきちんとイグサを使ったのでやり、再生するときはちゃんとした漆を使ってくれということで、やはり自治体もきちんと考えていただかないといけない。
 今こういう厳しい財政状況の中で、国の指定物件に対する国の補助が非常に減っているというのは、私は基本的に問題があると思っているのですが、国に頑張ってもらうと同時に、自治体でせっかくそういう本丸御殿の復元であるとか何とかをするのだったら、そのときに、きちんと伝統的な手法を使ってもらいたいということが1つあるのではないかと思います。
 もう1つは、これは文化財の仕事が産業になるというためには、そういうお上の公共事業は所詮限界があって、やはり一般の民家や社寺など、きちんとした手法が守られていかなければいけないということだと思うんですね。やはりそれが仕事の量としては非常に大きいわけですから。
 先ほど、100年たったものは文化財というお話があったけれども、私は50年ぐらいでもいいと思うんですね。50年ぐらい前までだったら、結構伝統的な手法で一般の民家もつくられて、社寺もつくられていたわけですから。だから、そういうものをもっと大切にしようという意識がないと、家が古くなったから、もう土壁は嫌だから、プラスチックの壁で、新建材でやれというのが全く普通の発想で、京都に行くたびにもう悲しくなって、京都のあの古いまちが、どんどん小さなビルに化けていっているわけですね。
 それを、文化庁がやっているような「まちなみ保存」で、外側だけ残せば、あとは中は、どうでもいいと言っては語弊がございますが、中は近代的なものでもいいよ、外側のまちなみ保存で残すという、あれでいいのかと私は実は思っていましてね。せっかく残すのだったら、中身の方もですね。使い勝手がいいということも大切だけれども、伝統的な材料を使うということを、やはり国民一人一人の意識の中にしみ込ませていかなければいけない。一体、それはどうしたらいいのか。
 やはり、先ほどから学校教育の話が出ていましたけれども、まさしくおっしゃったように文化財、文化というのは、ほんわかと温まってくるような、空気のような存在だという意識をずっと広げていく。そのことについて私は全く同感で、ぜひ文化庁にもお願いしたいし、この審議会でもそういう方向で、文化財を本当に身近なものとして大切にしていこうという意識を、今回のこの答申の中でぜひ盛り込んでいただきたいと、こう思っています。

○岡田委員 今のご発言の後半のところには私も同感で、澤野先生が、伝統文化を大切にするかどうかということは、国の将来の在り方、人間の在り方に大きくかかわってくることではないかとおっしゃったことにも大賛成です。
 私は大分前からこの会議でよく発言しているのですけれども、人間の心が、地域の中でのつながりが薄れてきている事実があります。それを、なかなか点を面にできない。重要な文化財に指定されているものではなくて、身近にある文化財をきちっと、「あそこにこんなすばらしいものがある」とみんなが知ることによって、地域のコミュニティがまた活性化するのではないか。それを昔から知っているおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんたちが子どもにそれを伝えることで、子どもの心というのは、やはり文化の大切さを学んでいくと思うんですよね。だから、文化が人間の心に与えるもの、そして国の将来に働きかけるものとして非常に大切だという認識はすごく正しいことと思って、感動いたしました。
 それで、今私が申し上げた、地域が地域として、地域の人間関係の連帯が薄れていくことに対して、何らかお考えがあったらお聞きしたいのですけれども。

○白石委員 今のご意見と重なるところがあるのですけれども、前回、民俗文化財のことで、地域でどういうふうにその地域に残ったものを生かすかというお話と、今回も、やはり残っている文化財を地元がどう生かすか、というところが、非常に重要な観点かなと思います。
 もう1つは、本当に地場産業というのはもう壊滅状態でありまして、もう何年も前なんですけれども、輪島へ行きまして、輪島というと日本の一番大きな漆器産地なんですけれども、あそこでさえ、バブルがはじけて数年たったらもう産業としてかなり細っているということをお聞きして、非常に残念な思いをしたのですけれども、ただ、日本の漆、中国も含めて、それぞれ質が違うということで、値段が当然違いますので、その辺は、使う場所が非常に狭まっているということはあるのですけれども、下地に使うとか上塗りに使うとかというので、その使い分けは必要だろうと思います。
 それから、ゼネコンによる文化財の修理も、一般競争入札でやるのでしょうか。

○澤野氏 そうですね。

○白石委員 大体どんな場合でもそうですか。

○澤野氏 もうすべて、私どもが文化財の仕事をするということにおきまして、まず、建設業の許可をとらなければいけないわけです。私どもは、漆塗りとか、極彩色ですから、塗装業という範疇に入っておるわけです。建設業の塗装業という範疇なんです。ですから、国土交通省の管轄下で、文化財の建造物工事も入札は行われますので、やはりそこで、この業者はだめだとかどうとかいうことはなかなかね、競争入札ですので、そこの制限は加えられないのではないかと思います。しかし、小さな仕事にはそう入りませんし、また、地方ですと、できるだけ地方の建設業者が元請になるということはございますけれども、やはり大きな工事になりますと、そのような状態です。
 地域の問題ですが、私も、文化財の仕事をさせていただいて感じますことは、日本の文化というのはやはり地方文化の集積されたものである。ですから、私どもが京都から地方にまいりまして、京都のやり方でやりましたらこれはだめなんです。やはりその地方の文化の特色、京都ではこうやるのだけれどもここはそうなっていないから、京都方式でやるそれはもう地方の文化を消してしまうことになりますので、できるだけそのような点をよく調査いたしまして工事を進めていくということで行ってまいります。
 やはり文化財というものを1つの地方、これからの地方のコミュニケーションの基点というのですかね、そこを基点にして、こういう文化があったんだという形で、文化財から、もう一度地方のコミュニケーションの復活というのですかね、そういうものを図っていただければなと考えております。

○根木委員 たまたまレジュメの3、「文化財再生業の確立」と書かれていらしゃいますけれども、例えば建造物に関して、指定文化財、それ以外のもの、いろいろあるかと思いますけれども、全体の数を押さえて、それに対して何年かごとにどう修復していったら、産業としてどう成り立つかといった試算はなされたことはおありなんですか。

○澤野氏 私どもはまだ試算までは計算させていただいておりませんし、先生がおっしゃいますように、やはり今後はそういう提案をしていかなければいけないなとは思います。ただ、そういう計画、計画的な文化財保存・修理、そういうものが必要であると痛感しております。

○根木委員 先ほど川村委員からもおっしゃったように、多分、経済的・社会的にどんどん変わっていく状況にあって、やはり何らかの新しい方法論といいますか、それは考えざるを得ないと思いますし、私も文化財はこよなく愛する方でございまして、できれば愛国心の根底になるような格好でそれを活用していただきたいという気持ちは非常に強いのですけれども、かといって、あまり情緒的、感覚的なことばかりだと、やはり説得力がないことになりますので、どこかで数値的な目標みたいなものが何か設定されて、それに対して、ではどういう効果的な手を打つかという戦略戦術といいますか、そういったことをやはり考えられてしかるべきではないかという感じがするのですけれども。

○澤野氏 私は文化審議会の中に「経済部会」というものをおつくりいただいて、やはり今後、そのあたりの審議もしていただきたいなと考えるところであります。

○吉本委員 私も、この入札というのにすごく驚いたのですが、これはどうすればこういうことにならずに済む方法があるのかなというのが全然わからないので、具体的なアイディアがあればご開示いただけないかなということと、あと、先日、青木部会長も別のところでおっしゃったのですが、京都迎賓館を拝見する機会がありまして、そこではかなり伝統工芸的なものが、いろいろな調度品とか建築に使われていると思うんですね。
 たしかあれは、坪単価が400万とか、べらぼうなお金が投じられてつくられているのですけれども、あれはまさか入札ではなかったのではないかと私は思うのですけれども、今技術の継承や材料の問題は、仕事がきちんとないとそれができないと思うのですけれども、入札以外の方法で、それこそビジネスとして成り立つような仕組みというのはできないものでしょうかね。

○澤野氏 私どもも、京都迎賓館の仕事をさせていただきました。この迎賓館に関しましては、コスト・オン方式という、それぞれの業者の方に、最高の仕事をすればどのぐらいの金額かということで見積書を提示するという形でなされたわけですけれども、まだまだそういうコスト・オン方式が慣れておりませんので、そのあたりでこちらも、業者側もとまどった部分はあったかと思います。
 それと、迎賓館という工事、すべてはやはりゼネコンが仕切るわけです。ですから、それまでにいくらいい方法でやってまいりましても、やはりそこに元請としてゼネコンが入りますと、そこはゼネコンのまたいろいろな考え方が入ってくると思います。ですから、そのあたりまで行政側が干渉するということもなかなか難しいことだろうと思いますし、私どももそのあたりはちょっと専門の域外の問題ですので、どう解決すればいいのか、ちょっと悩んでおるところでございます。

○亀井文化財鑑査官 考えられることの1つとして、文化財の保存をするために必要な技術、選定保存技術という制度があるわけですが、それをうまく活用できないかということは考えています。というのは、せっかく技術認定者と認定しても、その方が公の場で活躍できる場というのが確保されていない。国の補助事業はあくまで補助ですから、事業自体は所有者がやるということです。すると、県や市、関係の自治体もかんできます。そうしますと、現実的には、その市の会計規則、県の会計規則に則っとるのが大前提です。ですから、地元業者を使う、あるいは競争入札するという大きな方針があれば、それに従わざるを得ない。
 ただ許されるのは、特記的事項を持ったものは許される部分があります。それとうまくリンクさせるというのは1つの方法ではないかと思うのですが、その辺ももう少し研究しなければいけない。国が直接やる事業ではございませんので、あくまで自治体ベース、所有者ベースの話です。

○青木部会長 いろいろと問題があると思います。文化財の修復とか、国交省の管轄下の塗装業の中に入ってしまうとか、ほかにも、文化関係の事業でいろいろ、文化庁の管轄でなくて、ほかでやっていることがたくさんありますけれども、文化財というのは、やはり文化庁が1つきちんとしたセクションをつくって、国交省の管轄とは違った形で、あるいは地方自治体とは違った形で、その選定をすることができるのが本来はいいのでしょうね。
 だから国が、そういう文化政策をきちんと位置づけることによって、そういうことが可能になるかもしれないですけれども、今はいろいろなところでやっている。僕は経産省で映画をやっているのはけしからんと思っているのだけれども。映画産業だからね。もっと文化庁の方でそういうことをきちんとおやりになるような方向になるとありがたいなというのは、会長ではなくて、税金を払っている一国民の願いでございます。
 それでは、今日は澤野先生から大変に貴重なご意見を賜りまして、本当にありがとうございました。

○澤野氏 どうもありがとうございました。

○青木部会長 これを機会に、また我々も参考にさせていただきます。

○事務局 <次回日程>

○青木部会長 それでは、長い間どうもありがとうございました。またよろしくお願いします。

以上

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