文化審議会第4期文化政策部会(第5回)議事録

1. 日時

平成18年5月26日(金) 14:00~17:00

2. 場所

霞ケ関東京會舘 35F エメラルドルーム

3. 出席者

(委員)

青木委員 伊藤委員 岡田委員 河井委員 川村委員 熊倉委員 田村(和)委員 田村(孝)委員 富澤委員 中島委員 松岡委員 
山西委員 横川委員 吉本委員 米屋委員

(事務局)

加茂川文化庁次長 辰野文化庁審議官 高塩文化部長 岩橋文化財部長 亀井文化財鑑査官 竹下政策課長 他

(欠席委員)

上原委員 尾高委員 嶋田委員 白石委員 根木委員 真室委員

4.議題

  1. (1)テーマ別審議(4)

    「文化芸術の振興における民間と行政の新たな連携」
    ・迫本淳一氏(映像産業振興機構(VIPO)理事長)
    意見交換

    「文化芸術の国際交流」
    ・石原恒和氏(株式会社ポケモン代表取締役社長)
    ・河村晴久氏(能楽師、平成17年度文化庁文化交流使)
    意見交換

  2. (2)その他

5.議事

○青木部会長 それでは、ただいまから文化審議会第4期文化政策部会(第5回)を開催いたします。
 本日は、まず前半は迫本様からお話をいただきまして、後半は石原様、河村様からご意見をいただくことになっております。本日どうぞよろしくお願いいたします。

○事務局 <配布資料の確認>

○青木部会長 本日の進行は会議を前半と後半に分けまして、前半は審議テーマ「文化芸術の振興における民間と行政の新たな連携」に関しまして、1時間程度審議を行います。その後休憩をはさみまして、後半は「文化芸術の国際交流」について審議を行いたいと思います。
 それでは、迫本様より「文化芸術の振興における民間と行政の新たな連携」などに関しまして、20分ほどご意見を賜りたいと思います。

○迫本氏 VIPOは特定非営利活動法人で、昨年設立いたしました。そもそも、経団連のエンターテインメント・コンテンツ産業部会で映像産業に関する国の助成は、諸外国を見ると非常にしっかりしているけれども、日本はその点立ち遅れており、まずその受け皿をつくらなければいけないのではないかという話になり、その受け皿としてすぐに立ち上げました。いわば民間との橋渡しということから非営利法人、NPO法人でつくろうということで、松竹も加盟しております映連のところに話があり、どれほどのことができるかということでスタートをした次第です。
 おかげさまで順調にスタートをしまして、これからさらにいい形で活動ができればと思っております。資料の水色の冊子に現在の我々の活動を簡単に紹介しております。現在は映画会社からのスタッフが中心となって、いわば無料の手弁当で構成しております。この機構は映画だけではなくて映像という括りで、映画、テレビ、アニメ、音楽、ゲームと映像にかかわるすべての業界の方々に、またソフトだけではなくハードに関する会社の方にも関わっていただくということでスタートをいたしました。
 内容といたしましては、見開きのところでごらんいただければおわかりになりますように、人材育成への支援、作品製作への支援、起業への支援、市場整備開拓支援となっておりますが、一番力を入れるべきだと考えております2つの柱は人材育成への支援、それから市場整備、いわばマーケットの拡大、そこでの何かお手伝いができればというのが、この機構のねらいでございます。松竹でもシナリオ研究所などをつくったのですが、結局人が育ってもマーケットがなければ人材が埋もれてしまいますし、逆にマーケットができてもそこに本当に力のあるクリエーターがいなければ結局マーケットもシュリンクしてしまう。ですから人材の育成とマーケットの拡大と両方をやっぱりきっちりやっていかなければいけないのではないかという発想で取り組んでおります。
 映画業界はどちらかというクローズドな業界でして、あまり他業界と関わりがないということがありました。ましてソフトとハードの会社が一緒に考える等、これだけのいろいろな業種の中で、どれだけのことができるかというかなり危惧の声があがっており、私自身もそう感じておりました。それから、所属の官庁が特に決まっていないものですから、文化庁にも結果的には大変お世話になったのですけれども、総務省、経済産業省等々各省庁のはざまに挟まって沈没してしまうのではないかという思いがあったのですけれども、スタッフには本当に熱意をもって仕事にあたってもらい、1年を乗り切ることができました。我々は民間企業ですので、日ごろどうやってお金を儲けるかということばかり考えているので、お金儲けからちょっと離れて国のためになるようなことをしようというのは、ある意味で純粋に働けることで、ある種、職場としてのおもしろさがあったのかもしれません。
 最初に我々が開始するにあたって、「なぜ映像産業だけ国から助成を受けるのか、今、国からの助成を絞られなければいけないという方向にある中に、なぜ映像産業は国からの助成が必要なのか」ということを考えました。その理由は大きく分ければ3つあると思っております。
 1つは、やはり映画、テレビ、ゲーム、アニメ、音楽等々は国の守るべき文化財であることです。それからもう1つは、このようなコンテンツ産業が普及しますと、その経済的波及効果は非常に大きいということ。そして3つ目は、これは比較的日本では議論されていないのですけれども、諸外国ではこれらの産業を国家的な戦略事業として位置づけているということで、映画の例をとりますとどれだけアメリカ人が得をしているか、テレビドラマを例にとりますと「冬のソナタ」でどれだけ日韓の交流が進んだかということを考えますと、やはり映像というのはインパクトが強いので、国の文化を輸出するまたは他国の文化を輸入するという意味において、国益に資する点が非常に大きいのではないか、それだけに各国とも助成を振興しているということがいえるのではないかと思います。
 経済的波及効果に関していいますと、例えば最近「ダ・ヴィンチ・コード」という映画が公開されましたけれども、これは公開されると本が売れる、商品が売れる、それから旅行がある、いろいろな他の芸術分野に及ぼす影響も大きいということがあると考えます。ですから、各国が今国の助成を絞る中で映像産業にきちっとした助成をしていくことが、意義があるのではないかと思っております。
 資料3ページからお話をさせていただきたいのですけれども、今言いましたことを普遍してご説明させていただきますと、映像というのはそれ自体は無色といいますか、映像を利用することで何かできるということがあります。ですから(1)で書きましたように、ある種、総合芸術になるわけなんですけれども、製作では非常に多様な職能が必要で芸術的技能のすそ野の広さが求められ、それ以外にショーウィンドウ機能を持った芸術ですので、映像以外の分野への波及効果が非常に広範に拡がる。衣食住足りた先進国で、映像を利用していただくということは豊かさのある意味到達点ともいえますし、そういった意味でも各国とも国家的戦略の意味づけを与えているのではないかと思っております。
 2番目に、映像芸術の効果はもちろん文化的・芸術的な交流という意味においてもいろんなところに使っていただけるのではないか。例えば映像を使って絵画を映すとか、映像を使って音楽のさらなるアピールをするとか、それはテレビであろうが映画であろうが、インターネットであろうがゲームであっても、多様な文化にご利用いただけるという特質を持っているのではないかと思っております。それだけに限らず国家的見地、地域の活性化等で映像が果たす役割も非常に大きく考えておりますし、文化・教育等にも使える。アメリカでは、デジタルで配信するようなコマーシャル、映画館で例えば20分前に開場してコマーシャルを流す、映写室の中央からデジタルのコンテンツを流せる形になっているもので、それを使って夜は例えばロックのコンサート、朝、昼の映画館がすいている時間は小中学生に来ていただいて教育のコンテンツを流すということをやっていて、非常に印象深くこういう形でいろいろ利用できるんだなと思いました。
 4ページですが、各国は非常に映像製作に対する助成が進んでおり、フランスはCNCというご承知のとおり有名な機関が685億円、それからイギリスのUK Film Council、これは今力を入れていまして116億円、ドイツが340億円、韓国はご承知のとおり非常に映像産業は盛んですから800億円、アメリカは民間非営利組織でありますAFIは33億円ですけれども、アメリカの国自体がいわばハリウッドとその映像産業を軍需産業と並ぶぐらいの位置づけで支援しているというのはご承知のとおりだと思います。
 5ページをごらんいただきまして、各国の予算をグラフにいたしますと、大きなところでスペイン(ES)、イギリス(GB)、それからドイツ(DE)、フランス(FR)、イタリア(IT)が100億円クラスの予算をつけて国から助成を受けています。
 ご参考までに6ページのところです。映画の場合、どのように助成がなされているかと申し上げますと、最初に Script writing、脚本のところを助成している。それから Development Pre-production 、企画開発のところ。それから製作の助成。それから Postproductionの助成。配給の助成、 Exhibition、興行の助成。それから以下2次利用等々になってくるわけですけれども、こういう形での助成がなされています。
 それから7ページですけれども、その助成の受給方法としましては選択助成制度と自動助成制度で、選択というのは審査委員会が選択し、自動助成というのはある程度のマトリックスをつくって、その基準に基づき自動的に決まっていくという形で、今世界の流れはどちらかといいますと選択助成制度から自動助成制度へと流れており、先進国における選択補助制度はほとんど前歴のない新人への支援等に限定されるものになっております。あとは今国の関わり方として透明性・公平性が言われますので、その点から自動助成制度の方が多くなっているというトレンドです。
 資料8ページをごらんいただきますと、これは映像産業の波及効果の例ですけれども、フランスへの観光客が世界最大数で、それが映像産業によってももたらされているというのを、波及効果として挙げる例として適切かどうかはわかりませんけれども、フランスは、ともかくフランス語を世界の言葉にしようという戦略のもと、映画及び映像に関しての積極的な助成をやっておりまして、日本でもアメリカでもやはりフランス語を話すと洗練されていて格好いいといったムードが世界にあるのではないか、そういう意味で観光・ファッション等々に及ぼしている影響があるのではないかと憶測できます。
 9ページはイギリスの例です。映画とテレビを合わせ5,000万ポンドという非常に大きな貿易黒字で、イギリスは日本の3分の1の人口で、アメリカと同様に映像産業で、これだけの黒字を上げているということがいえると思います。
 10ページに韓国の例がありますが、説明するまでもなく、具体例はよくご承知だと思います。ただ一つご指摘したいのは、戦略的に国が関わっているということです。まず、1997年ごろから中国・香港に対応して、次に台湾、モンゴル、ベトナム、タイへ、そして今日本へ来てそれが花開き、次は中近東とかアメリカに行こうとか、そのような形で国と民間とが連携をとりながらコンテンツ産業を形成しているということがございます。
 私どもも昨年文化庁にご指導をいただき、スタートのときは関係は薄かったのですけれども、ふたを開けてみたら文化庁と一番いい形でやらせていただいたというほどです。平成17年度の受託事業としては、ソウルで小中学生向けに「日韓こども文化交流」ということで、児童映画作品を上映いたしました。それから日本映画45作品を「日本映画-多様な展開」ということでソウルにて上映会をいたしました。これ以外にも映像製作の製作側とお客様とをつなぐ、いわば評論できるようなゲートキーパーの育成、それから海外留学生制度の推薦団体になろうということ、文化庁日本映画海外展開助成の選考委員会に関してのお手伝いをさせていただくこと、それから釜山国際映画祭でのジャパンナイトや文化庁メディア芸術祭のワークショップ、それからアジア学生アニメコラボレーションの共催等々やらせていただいております。
 VIPOもいい形で本当に文化庁とも関わりができましたので、これを継続的な関係として国にとっていい活動ができればと思っております。あわせて先ほど申しましたように、映像にはいわばウィンドウ的機能があるので、こうしてほしいとか、こういうところを民間、国からの助成を受けて活性化させてほしいなど意見がありましたら、ぜひ言っていただきたい。国にとっていいものをやりたいというのがスタッフ全員の願いですのでよろしくお願いいたします。

○青木部会長 どうもありがとうございました。
 それでは委員の皆様からご質問なりご意見なりをよろしくお願いします。

○河井委員 地方都市の中心部は、今非常に衰退の一途をたどっております。郊外にできた大型店舗のために商店街が非常に苦しい経営をしていると、店舗数も相当減っているということです。映画館につきましても同様でありまして、戦後、ピーク時を経てから数十年たっておりますが、映画館がどんどん減っている。ここ数年地方都市でもシネコンのようなシステムができましたので、中心部にある映画館は惨たんたる状況です。私は茨城県の人口20万の日立市ですが、映画館が1館、ホール2つという状況で、市民が身近に映像にふれる機会がだんだん減っています。また、多くの地方都市には視聴覚センターという社会教育施設があり、学校教育に映像教材を届けるということの他に市民へ名画を提供するという社会教育的な仕事をしています。ネット社会になり、学校へ映像を配信するのは視聴覚センターの役割ではなくなりつつあるのではないかと思っています。今後、視聴覚センターがどういう役割を担うかというのが私どもの宿題ですけれども、残るのは市民への映像文化の提供だろうということです。その中で映画館を再開しようという方と数日前に話したのですけれども、視聴覚センターという行政と映画館とタイアップができないのかと、ビジネスとして中心部の映画産業が成り立たないのなら、文化支援ということで行政ができないのかということを話しました。行政とのタイアップを検討する中で地方都市での映像産業の振興、映像文化の振興についてもいろいろご研究いただいて、私どもにいろいろご指導をいただければと思っております。わかりやすくいうと、地方都市で映画館と本屋が極端に減っている状況、それは広い意味で文化の問題と思っておりまして、研究の成果を聞かせていただければと思っております。よろしくお願いします。

○迫本氏 VIPOの立場としては地方の振興は、かなり大きな仕事の一つとして考えておりまして、国の方もそれがすべて行き届いているとは思いませんけれども地域振興ということになりますと、議員の方、行政の方とも話がしやすくて比較的助成が付きやすいという状況があります。やはりおもしろい何かフックになるようなものがあれば地域は活性化すると思っていまして、これは映像の例ではないのですけれども、松竹では金比羅で歌舞伎をやっております。長い間かかったのですけれども、今非常にいい形になっています。
 それから、浅草で新春浅草歌舞伎をやっています。根づいてくるとかなり、みんなの知恵を絞って、そしてそこに何か映像を活用しよういう声が出てくれば、比較的助成も付きやすいですし、継続してやれるような体制ができれば花開く可能性はあるのではないかと思っています。これはそれこそ本当に国の助成ですので、地域振興の各国の制度を研究することにお金を付けるようにVIPOから働きかけるとか、そういうことを言っていただければ我々やります。ただ、まだスタッフ全員が各分野のプロではないものですから、ご指摘がないとなかなか動けない面などもありますので、それは言っていただければ前向きにはできると思います。

○吉本委員 各国の映画への助成の金額ってすごいですよね。

○迫本氏 これは映画だけではなくて映画とテレビを合わせての金額という場合もあります。ただ、主に映画が多いと思います。

○吉本委員 文化庁の場合は日本の映画映像振興プランというので17年度が24億円ですか、まず桁が一つ違うなという印象があります。また、このお金がどう使われているかというと、映画の製作に対する助成はたしか文化庁はほとんどなくて芸術文化振興基金に少しだけあると思うんです。本日ご用意いただいた資料で、各国の状況を見ると映画製作には全部助成金が出ています。このときに例えば公的な助成金が映画製作に1億円なら1億円出たとして、その映画が大ヒットして商業的に成功した場合に、その公的なお金がそういう助成に使われるということはどのような整理をされているのか、ぜひ教えていただきたいと思います。

○迫本氏 日本ではまだそういう形になっていませんので、例は挙げられないのですけれども、韓国の例を見ると、ある程度リクープしたらリクープ後、お金を戻すという制度もありますし、援助を受けたら受けっぱなしというものもありますし、幾つかの対応はあると思います。特に映画の場合は継続した支援は必要なのではないかなと思います。音楽なら例えば作曲家が1人いれば、あるいは作詞家の先生がすばらしい方がいらっしゃれば2人で、極端な話ですけれどもできるというところがあります。映画は監督だけがいてもできないですし、プロデューサー1人でもできませんし、監督とキャストとカメラメンといろいろあって初めてこういう映像ができて、しかもその映画を製作するだけではなくて配給して、興行して、映画をかける映画館があってという形でネットワークが必要なので、そういう優秀な人をつくろうとすると、何本か映画をつくっていかないとなかなかできない。ですから、継続的につくり続けることに対する支援は重要だと思うんです。それがある程度ビジネスベースにのってきたらもうそこからは自助努力でやるべきで、儲かったお金は国に返すというスキームはあるのではないかと思います。

○岡田委員 アーツプランでもらったお金で、例えば映画が成功した場合、商業性と芸術性がミックスされているものですから利益は上がった分は返すべきじゃないかという意見を申し上げたことがあったのですけれども、その後しり切れとんぼになっております。やはりよく話し合ってもらって、成功したらやはり返していって、次の人たちにまたそのお金を使ってもらうというのが正しいやり方ではないかと思います。
 もう一つ、日本はアニメの作品やゲームなどが世界的にレベルが高いもので、テレビ用のアニメも劇場用のアニメも非常に外国でヒットしております。けれども、最近アニメの下絵を描く人材が少なくなって、それを韓国や近隣の国に出していると、下絵を描く作業を海外に発注しているということがおきていまして、今まで日本がアニメでは断然トップだったのがもうすぐ韓国に追い抜かれるのではないか、中国もやがて追いついてくるのではないかという話を耳にします。アニメへの対応、そして日本のアニメの技術をもっと伸ばして、そして世界一のアニメ王国というのを目指すお気持ちがあるのかどうかということをお聞きしたいと思います。

○迫本氏 今スタッフも映画業界以外からも来ていただいて、映画以外の仕事をやっていくことがこの機構がきっちりする重要なことであるから、そういうことをやりたいと全スタッフ共通の認識で、そういう意味ではアニメもきちっとやっていきたい。映画ももちろん、音楽もゲームもアニメもテレビもやっぱりきちっとやっていきたいと思っています。
 アニメに関しては私自身がちょっと不勉強なところもあるのですが、非常に脚光を浴びていますけれども儲かっているのは一部で、その下に大変な中小のアニメの会社の方がいらっしゃる。ですから儲かっているところはどんどん世界に向かって行っていただいて、それ以外のところに対する助成で、儲かっているところと新陳代謝ができるような国の関わり方ができたらいいなと思っております。

○富澤委員 国が映像産業を戦略的に助成をすると同時に地方の自治体が映像とうまく組んでやっていく、その地方の活性化に非常にプラスになるのではないか。例えば映画にあるロケ地に選ばれるとそれが日本中に拡がる、あるいは世界に拡がっていくということもありますから、多分地方でロケ地に使ってほしいという要望もたくさんあるんじゃないかと思うのですが、その辺のところが自治体がどのくらい熱心なのかをまず一つ知りたいということ。
 それからお話の中で人材育成と市場の開拓とおっしゃいましたが、人材育成という面では多分昔日本の映画産業が非常に盛んなころよりも、各大学などにはたくさん映画の人材をつくる機関がふえていると思うんですね。芸術大学もたくさんありますし、人材は相当育成されていると思いますが、多分市場がうまくついてきていないために生かされないのではないかという感じもするのですが、その辺のところはいかがなんでしょうか。

○迫本氏 まず1点目の地方自治体との関わりですけれども、一つの例としてはフィルムコミッションで撮影を誘致しようというのは非常に今盛んになっております。ただ、本当にまだこれが本格化するのは時間がかかるかなと思っておりますが、私が直接関わったものでは「ラストサムライ」をトム・クルーズがやるときに、明石かどこかのフィルムコミッションと連携をとったと思うのですけれども、まだやはりフィルムコミッションの方が映画に慣れていらっしゃらない。ご担当される方も行政側の広報の方で、映画というのはかなり専門性高いものですし、特にハリウッドは自分たちでこういう映画をつくっていくというスキルが相当ありますので、かなりのフラストレーションがかかって、不満を持ったという事実があります。フィルムコミッションを非難しているのではなくて、慣れないことをやっていくにあたっては当然そういうことは出てくると思うのです。消化する時間は必要なのではないかと思います。ただ、できるようになってくると地域の活性化という意味においては地方自治体との関わり、国との関わりで映像が果たす役割は今後中長期的な意味では、私はある意味非常に重要なことであり、いい結果が出るのではないかと期待も持っております。
 人材と市場のことも、いくら人材をつくっても結局マーケットがなければ、それは厳しい現実があります。やはり基本的にはエンターテインメント産業とは、お客様にどれだけ喜んでいただけるかを考えられるかどうかというところ、いわば民間の自助努力が重要になってきますので、マーケットに向けた自助努力を助成する形での国の関わりはあると思うんですけれども、やはり市場の拡大はその民間がどれだけお客様をエンターテインできるものをつくれるかどうかというところにかかっているので、VIPOとしてはそういうことがやりやすいように、お役に立てる形で応援していきたいと思っております。

○青木部会長 人材育成ですけれども、迫本さんからご覧になってどういう面での人材が今一番足りないと思いますか。例えば映画監督とか俳優はそれなりに出てくると思うのですが、映画学科を大学院クラスぐらいまでやった人が地方自治体とかあるいは文化庁に配置されると大分違いますかね。

○迫本氏 松竹の中でも、VIPOの中でも調べたのですけれども、端的に言いますと、一番必要なのはビジネスとクリエイティブの両方わかるプロデューサーですね。

○青木部会長 プロデューサーはどういうところで養成できますか、例えばここに大学との提携と書いてありますが、逆にその大学だと映画学科ではなくてビジネススクールとかそういうところでしょうか。

○迫本氏 それもあると思います。

○青木部会長 アメリカだとビジネススクールに行って映画に関心のある人が映画学科で単位をとることもできるけれども、日本の大学でそういうことができるところはまずないと思うんですね、その辺の教育体制の問題もあるかと思うのですけれども。

○迫本氏 ですからプロデューサーになるにあたって最低必要限度、クリエイティブなこと以外にファイナンスとマーケティングとアカウンティングの知識がなければいけないと思っているのですけれども、やはりそういうことをやっていこうという機運は今までなかったので、プロデューサーの養成の中で、もののつくり方だけではなく映画や演劇の見方など、そういう面も教育できるような方向は必要じゃないかと思います。

○青木部会長 映画会社もそういう人を採ろうという枠や意欲はあるんですか。

○迫本氏 あるんですけれども、なかなかそううまくいかなくて苦労してます。

○伊藤委員 アメリカのシネコンで午前中に子どもたちに児童映画を見せた話がありましたが、それを別にしますと、どうしても映像関係の話は産業になってサプライサイドに対する議論が中心になっている気がします。しかし文化政策、文化行政の視点を考えた場合にやっぱりディマンドサイド、芸術的成果を享受していく、受容していく人たちがどういう形で芸術と接点していくかということが大きな問題であり、特に映画、映像を考えるとメディアの発展というものがどんどんその視聴覚生活を変えているのではないかと思っているわけです。それが顕著に出てきているのが現在の地方都市で、映画館の数はどんどん減っていって、シネコンあるいはレンタルビデオという世界が中心になってきているわけです。たしかにビデオ化していく形で市場がふえていくことは産業的発展として高く評価できる面があります。しかしやはり、多くの人たちにきちんと受容されていく仕組みについて、政策的にもっと考えていく必要があるのではないだろうか。海外ではその辺はどうなっているかということについても余りデータがなくて、つくる側の議論ばかり、つまり人材育成やプロダクション助成などがたくさん出てきて、実際に地域社会の中で映像文化をきちんと受容していくための仕組みについての議論が若干少ないような気がしてしようがないわけです。
 この受容するという視点から見たときと、つくる側との接点の中でやはり大きな問題になっているのが、ユネスコの文化多様性条約ではないかと思いますが、例えばアメリカとフランスの対立、つまりハリウッド映画を受け入れていくのがいいのか、あるいは自国の言語でつくられた映画をもっときちんと保障していくのがいいのかどうか。これはある面では生産者的議論もあるのですが、受容という意味において映画が地域の文化にどういう形で影響を与えているかという点から見ても、かなり大きな問題ではないかと思っております。この辺について今VIPOの方ではどのような考え方をされているのか。
 それから地域において、例えば昔の映画館を復活させるのがいいかどうかということについてはいろいろ議論があると思いますが、シネコン、ビデオ以外の人々との映画との接点について何か対策はないのか、あるいはシネコンがこれから先の社会の流れとして自然的なものであるならば、少なくともアメリカでやっているように時間帯を分けて、ヒット作だけではなくて地域のさまざまなニーズに応えられるような配給体制をつくることができるかどうか、お考えをお聞きしたいと思っております。

○川村委員 私は歌舞伎が大好きで松竹歌舞伎を拝見させていただいておりますが、歌舞伎という総合舞台芸術はまさに現場で観るから迫力があるので、伝統文化の放送は見ない。放送では歌舞伎を理解するにはいいのかもしれないけれども、楽しむということにはならないと思うんです。つまり総合舞台芸術とのは生で観るからそこで体験できるわけなんですね。歌舞伎座で観る歌舞伎が歌舞伎であるがごとく、コンテンツの話として映画の場合はそれは映画館で観ようがホームシアターで自宅で観ようがそれは同じだが、総合舞台芸術はまさに現場で観て理解するのが一番いいことなのか、つまりそのコンテンツという中身に総合舞台芸術なんかは入らない、映画という形に加工され、それがまた小さなサイズのDVDになったものがコンテンツだと理解していいのかということを、ちょっと教えていただければありがたいです。

○迫本氏 まず、伊藤委員のご質問で、映像を考える場合に製作サイドだけではなくて受容する側の立場に立って考えていくべきではないかというご指摘と、それからフランスに代表されるような文化の多様性を尊重していくという考え方、それぞれ理解できるのですが、むしろ多様性を尊重する場合にはその受容する側がどう受けとめようが、フランス語はフランス語で守るんだということである意味強制的にやっているような気がするのです。

○伊藤委員 文化的多様性に関して言いますと、今アメリカとフランスの大きな対立は極端な言い方をすると、フランスは映画を文化として考え、文化多様性条約のもとに自国の映画をきちんと国民に見せていく必要であるとしています。それに対してアメリカの場合には、映画は文化であると同時に今日においては商品であり、言ってみれば文化的多様性尊重は一種の非関税障壁にあたるとして、自由化を進めるべきであると。したがって、多くの国民がハリウッド映画を選ぶならば、制限を設けるのはおかしいじゃないかというところに示されている見解ではないかと思うわけです。どちらもある面では理がかなっている議論であって、どちらが正しいか判断しにくいのですが、文化政策という観点で映像を考えた場合に、私としてはアメリカ型ではなくてフランス型になるのではないのかという気はするのですが、どのようにお考えかということです。

○迫本氏 VIPOもその辺は非常に問題意識がございまして、昨年、東京国際映画祭で韓国の方、フランスの方、アメリカの方それぞれ各国でVIPOのようなことをされているところの代表の方に講演していただきました。パネルディスカッションではフランスの女性とアメリカの方との激論があったのですけれども、そういう場を提供していっていろんな方に見ていただくということは我々としてやっていきたいなと思っています。今どちらかというとアメリカの映画に席巻されているというのが、去年あたりから変わってきていますけれども、やはり日本映画はマイノリティーですから、どちらかというとフランス的にやってほしいと思いますけれども、簡単には結論はでないかなと思っています。
 映画館がなくなった地域でも映像映画が観られるような、何かしらの国の助成のあり方というのはたしかに一つあると思います。ただ、難しいのは国が保護、補助してシネコンを一つつくると、今度逆にそれが民業圧迫だと言われる方もいらっしゃるので、その辺うまく民間の活性化を維持しつつ、国が民間の手の足りないところに助成して皆さんが映像に親しんでいただけるようなスキームができたらなと思っております。
 それから川村先生のご質問で、たしかに映画の場合は映画館で観るのとDVDで観るのとは、サイズの違いはありますけれども、映像という意味では同質ですので、舞台とはちょっと違うかなと思っております。伝統文化放送以外で、デジタルで今度玉三郎の「鷺娘」を録りました。その前は勘三郎の「野田版 研辰の討たれ」を大きなスクリーンで上映いたしました。普通映画は週ごとに大体八掛けで興行成績が落ちていくものなのですけれども、このシネマ歌舞伎は初日からどんどん口コミで拡がっていく形で、むしろ興行成績が伸びていきました。日ごろ遠くで観ているのがアップで観られるところもありますので、そういうところから入っていって、また生の歌舞伎を観ていただくお客様あるのではないかなと思っております。

○川村委員 つまり、歌舞伎なりオペラにとっては上演の場所としてホールの存在が不可欠ということですね。それに対して映画は映画館あるいはシネコンという場所が不可欠の存在なのかどうかと。

○迫本氏 現にストレートビデオとかストレートDVDという、映画用につくらずにビデオとかDVDのためにつくるコンテンツがございますから、厳密にいうと不可欠ではございません。

○青木部会長 私はどうも映画は映画館にちゃんと行って観なくてはだめだと。それから観客として非常にありがたいのはシネコンは映画の上映時間が非常にフレキシブルなんですね。例えばいい映画館は大体最終回は19:00ぐらいですね、それはちょっと行けない。シネコンだと大体20:00とか21:00とかやります。24時間やっているところもあるんですね。そういうサービスが日本の映画館でほとんどこれまで考えられなくて、だからやっぱりシネマコンプレックスにとられてしまうところはあると思う。
 それから、地方ではシネマコンプレックスができることによって、映画人口の開発はあると思うんです。それは伊藤委員おっしゃった自国の映画を守って、アメリカのハリウッド製品を入れないというのは一つの見識ではあるんだけれども、同時に映画人口の拡大という点ではやはりハリウッドの作品がこないと本当に好きな人だけが観に行くことになってしまう。
 もう一つ、先ほど富澤委員のおっしゃったとおり地方都市で映画と観光は非常に結びついている。ニューヨークやロンドンやパリでも映画のロケをきちんと提供し、協力的ですよね。石原知事がようやく東京をこの間許可したわけですけれども……。

○迫本氏 ホワイトハウスでも撮影できるんですね。

○青木部会長 日本の名所というのはほとんどちゃんとした映像として映画に出てこれないんですね。東京が映像にどれだけ現れているか、国際的な映画にどれだけ現れているかというとほとんど出てこないですね、そういう問題もあります。
 イギリス映画「ナイロビの蜂」を見て、これはもう時代が変わったと思いました。今ケニアの政府もまだ独裁的な政府ですけれども、映画に協力しなくてもその映画のロケをケニア政府は許可しなかったとなると、ケニアの国際的なイメージは非常に悪くなる。逆に許可することによってケニアの暗部は暴かれるところはあるのですけれども、逆に国際的なイメージとしてはケニア政府の英断は評価されるだろう。それからイギリスの外務省が協力したことによって、幅を示すだろうという意味で、先ほど最後に迫本さんがおっしゃった国の関わり方の一つの例だと思うんです。
 今日本の映画を振興していくために予算そのほかの措置でどういう組織を予算の決める場所として、国家として、どういう形でつくったら一番やりやすいのか。組織に例えば予算請求の権限をつけるとかですね。

○迫本氏 今我々も検討しておりますのは、民間のために役に立てるような戦略企画を練られる若手人材がほしい。そこできちっとした議論ができて、地に足のついたビジョンのもとに行政の方、民間の方にいわばシンクタンク的に提言できるようなところまでいくのが1つと。
 それから国の行政にお願いしたいのは、予算を1年ではなくて、ある程度継続的に使えるような形があるといいなと思っていまして、この年は製作助成するべき映画はなかったけれども、この年はたくさん出てきたということはきっと映画に限らずあると思うので、そのような対応のあり方が変わっていけばありがたいかと思います。

○松岡委員 私、戯曲の翻訳という形で演劇に関わっているものですから、ビジネスとアートの両方がわかるプロデューサーが一番待ち望まれるということ。演劇でも同じだなと納得して伺ったのですけれども、つまり挙げられている2の作品製作への支援、2と4を合わせたものを実現する人材が1で一番求められているということですよね。
 演劇の世界を見渡してもすぐれた才能、劇作家、演出家あっても、そこにいいプロデューサーが付いているかいないかで、活動範囲があるところでとまってしまうか、逆に世界まで拡がっていくか完全に分かれる。

○迫本氏 まったくそのとおりだと思います。

○松岡委員 映画の場合あるいは松竹の場合は演劇もやっていらっしゃいますから、プロデューサーを育てるということでは、具体的にどういうことをお考えになっていらっしゃいますか。

○迫本氏 通常の民間企業の場合、社員に働きがいのある場を提供するか、ということが議論になると思うのですけれども、映画、演劇の現場は、無条件におもしろいと思うんですよ。私はどちらかというとマネジメントをやりたいと思っているんですけれども、すごくおもしろいと思うんですよ。そのおもしろい仕事での結果が出なかったときに人を変えるぞというルールをつくるのは難しい。おもしろいものをつくって結果を出せる人がきちっと仕事をしていく体制になれば松竹もいい会社になるのではないかと思います。

○松岡委員 例えば人材育成の項目の中で大学、大学院という言葉が出てくるのですけれども、やはりそういう教育機関も可能性はあるのでしょうか。

○迫本氏 基礎知識はやはり必要だと思うんですよ。会社に入ってファイナンス、マーケティング、アカウンティングを教えなくても、ある程度基礎知識があって、プレゼンテーション能力など資料をパッとつくれるところまで高めてもらえば社内でも教育しやすいので、ありがたいですよね、民間の教育機関でそういうことをやっていただければ。

○青木部会長 では、横川委員どうぞ。

○横川委員 実はこれを見ますと、人材育成の支援と大体すべて支援がこの5つの大きな軸になって構築されているわけでございます。コンテンツ産業という映画だけではなく幅広いものを含んでとらえていらっしゃるわけですけれども、実際に大切なのは受容者の育成だと思うんですね。ということは、やはり小中義務教育までですね。地方の行政や教育委員会との連携をもって、やはり文化的であり教育的であり、いろんな要素を含んでおりますので、受け手に映画のよさ、文化的なよさ、社会的なよさをやればもっと人口はふえるのではないかと思いますけれども、そのあたりぜひ念頭に入れていただきたい。
 もう1つは、人材育成に関しては大学、大学院とありますけれども、やはりどちらかといえば製作者を視点におかれているわけです。これは文部科学省のカリキュラムの問題などいろいろあるかと思いますけれども、映画を一つや二つぐらい講座の中に、特に教育、教員を志望する過程には組み入れていただければと思っております。できればぜひ働きかけをしていただきたいなと思っております。

○迫本氏 今、ご指摘の点はまったくおっしゃるとおりで、小学生たちに映画館で映画を観せるときには椅子の上に立たないようにという注意から説明しなければならない。映画に慣れ親しんでいないことを考えると、ある程度教育機関で年に何本かは観ていただくことの助成は必要かなと思っておりますし、カリキュラムの中に組み込められるような形で、我々はお手伝いをできればと思っております。

○青木部会長 時間がまいりましたものですからこれで迫本様のご発表を終えようと思います。どうも長い間ありがとうございました。

○迫本氏 ありがとうございました。

○青木部会長 後半は、「文化芸術の国際交流」をテーマに意見発表・意見交換を行いたいと思います。
 石原様より「文化芸術の国際交流」について、特にコンテンツの国際発信に関する国と民間の役割などについて、ご意見を賜れればと思います。よろしくお願いいたします。

○石原氏 ポケモンがどれだけその文化政策的な話ができるかというのは、余り自信はないんですけれども、世界で一番おもしろい遊びをつくっていると、そしてそれが世界中の子どもたちに幅広く楽しまれているということに関しては、自信を持っております。
 私とポケモンとの関わりは、今から10年前に発売されましたゲームソフト、「ポケットモンスター赤・緑」のプロデュースを手がけたことから始まりました。現在は株式会社ポケモン代表取締役社長としてポケモンの原作であるゲーム、さまざまなコンテンツや商品などポケモンのビジネス、ブランド全体のマネジメントを行っています。
 今日の日経新聞にも出ていましたけれども、昨年、2005年の日本国内のゲーム産業規模というのは約5,000億。2005年はこのゲームハードの市場が2,000億ぐらい、そしてゲームソフトが3,000億ぐらいの市場でした。ハードが余り普及し過ぎてある程度頭内打ちになったときには、大体ハード1に対してソフト2システム規模になっているようです。昨年はかなりハードの需要がありましたけれども、やはりソフトの方がビジネスの中心になっていまして、大体このハードを1台買って、そしてソフトを3本から4本買ってもらえるようなビジネス、これがコンピュータゲームの産業の構造だと見ていただければと思います。
 スライドに示しましたとおり、ピカチュウでおなじみのポケモンですけれども、1996年に発売されました。ポケモンのソフトはさまざまな派生的なものも含めまして全世界で1億4,000万本発売しております。ポケモンソフトだけで累計5,600億円のビジネスがあったということになります。
 そこからカードゲームあるいはテレビアニメ、そして映画、その他のマーチャンダイジングなどの複数のメディアに拡がっております。ポケモンカードゲームは、このポケモンの特徴でありますポケモン同士を戦わせる遊びなんですけれども、これは今40カ国以上で、現在7言語で展開しておりまして、これまでの累計で140億枚が発売されています。
 そしてテレビアニメですけれども、1997年に放送が開始されました。アニメの主人公であります少年サトシ君とそのパートナーでありますピカチュウがまさしく人気を博しまして、ピカチュウはポケモンのシンボルとして世界中で親しまれています。これまでにこのポケモンアニメは68カ国と2つの地域でオンエアされています。
 次に映画ですけれども、1998年から毎年夏には映画を公開してきております。年に一作つくり続けている体制です。子どもたちにとっては毎年夏休みの定番はポケモン映画を観に行く形で日本の子どもたちにはすごく親しんでいただいております。昨年の映画、「ミュウと波導の勇者ルカリオ」は昨年公開された邦画の興行収入ナンバーワンでした。興収約43億円で昨年1位の記録です。昨年までの国内の累計興行成績は大体380億円で、これらの映画は例えばアメリカ本土でも興行されておりまして、これまでに44カ国で展開されてきております。
 大体我々がライセンスを与える会社が国内で約70社、海外で約200社となっております。全体の市場規模としましては過去10年間の累計で国内で約1兆円、海外で約2兆円となっています。海外は実に日本の2倍の市場になっています。累計市場規模といいますのは、大ざっぱにいうとポケモンが付いた商品がこれまでどれだけ売れたかということの数字です。
 ここからは日本生まれのこのポケモンというコンテンツがどのようにして世界で定着したのか、あるいはワールドワイドに展開できたのかというポイントについて述べたいと思います。
 まず、ポケモンゲームの魅力を簡単にご説明しますと、1つは、このゲームの中に380種類を超える非常に個性的な生き物としてのポケモンがいます。このゲーム世界の野山にいるポケモンたちを捕まえる行動というのは、まさしく子どもにとっての昆虫採集になぞらえて考えられています。文化圏や言語が異なっていても小さな子どもでも非常にわかりやすい遊びの仕組みになっていまして、こうしたわかりやすさと普遍性が世界中の子どもたちの心をとらえた理由の一つだろうと思っています。
 次に、同じ種類のポケモンであっても、実は細かい個体差があります。そして育て方によって進化する、あるいは個性や性格が変わっていきます。これはペットを育てたりとかあるいは草花を育てたりする行動に近い形になっていまして、プレーヤーは自分だけのポケモンを愛着をもって育てる楽しみがあります。そしてコレクターとしての子どもがいろんなポケモンを集めたいというコレクションの楽しみです。珍しいポケモンを全部集めたいという、その集めることに対する欲求を満たしているポイントがこのポケモン図鑑がありまして、集めたポケモンをどんどん登録していって図鑑を完成させるというのがゲームの大きな目的になっています。
 そうして集めたポケモンあるいは育てたポケモンたちを交換する、実はこの部分こそがポケモンの遊びを最大限に拡張することができた一番大きな要因であると思っています。このハードウェア持つ通信機能を生かしまして、集めたポケモン、育てたポケモンを友達と交換することができます。あるいは友達と育てたものを戦わせることができます。つまり今のこの現実世界でポケモンを友達と交換する遊び、メタゲームといいますかゲームの外側にあるもう一つのゲームがポケモンの真髄だと思っています。今ではこういった通信機能が大きくなったものを利用して、日本の子どもがその Wi-Fi機能を使って世界中の子どもたちとポケモンを交換したり対戦したりという仕組みができています。
 そしてもう1つ、戦略性なんですけれども、ポケモンにはタイプがありまして、そのタイプによって特徴、強み、弱みを持っています。赤い炎タイプのヒトカゲというポケモンは、水タイプ、ゼニガメの水でっぽうには非常に弱いわけですね、そして一方、草タイプのフシギダネは草タイプですので、炎攻撃に弱いという相克関係があるので、一つのポケモンだけをずっと集めて育てるだけでは強くなれなくて、じゃんけんのようなこういう関係が380種類におよんで存在していますので、集め方、育て方によってポケモンが非常に奥深いゲームになっていくということになります。
 まとめますと、ポケモンゲームの魅力といいますのは、何度プレーしても常に新しい発見がある非常に奥深い世界で、やはり日本のコンテンツ産業においてゲームや漫画あるいはアニメは世界に誇れるクオリティーと奥の深さを持っている。その最高峰が我々のゲームソフト開発の中でつくってきているこのポケモンだと自負しております。
 そしてハンドヘルド機、こういうコンパクトでそして持ち運べるこのポータブルな遊びが非常に子どもにとっての重要なギアになって、日常的にいつでもどこでもだれとでも楽しむことができる。このゲーム機の分野では圧倒的に任天堂とそしてソニーがすべてのシェアを占めています。
 ポケットに入れて持ち歩いているポケモンを育てたりあるいは探したりしながら友達と自慢し合ったり、見せ合ったりするというところが非常にこの携帯ゲーム機とマッチしていたというふうにいえると思っています。
 続きまして、海外展開の戦略について幾つか私の経験を少しご説明したいと思います。
 まず、このポケモンというソフトは米国に最初進出しようとしたときに、非常に評価が低く、受け入れられませんでした。アメリカの子どもにとっては、ボタンでパンチを繰り出す、あるいはジャンプをすることの方がアピールし、こういう文字をたくさん読ませるゲームというものは向いていないと言われました。またスパイダーマンとかミュータント忍者タートルズとかモンスター的でぶきみな感じこそアメリカにはウエルカムのキャラなんだけれども、こういうピカチュウのようなキュートなものはアメリカ人の子どもは余り喜ばないと言われまして、その2つの理由で最初はアメリカに出しても売れないからやめようという話もあったほどです。
 ただ、我々はこのゲーム性、そして子ども同士がつながっていく遊びには非常に無限の拡がりがあると感じていましたので日本で成功した事例をもう一回検証して、アメリカの場合は一番わかりやすいテレビアニメを最初にロールアウトして、ポケモンのおもしろさを映像で理解してもらって、そしてこのゲームを発売しようと、アニメのサポートによって、このゲームをしっかり遊んでくれるようになりまして、日本を超えてアメリカの方がたくさん売れるようになりました。そしてその次の展開でポケットモンスターカードゲームという一番複雑な戦略的なゲームを出していくという方法をとりましたところ、市場としてはアメリカの方が日本より大きい規模になったという成功体験があります。そして欧州、そして中南米、豪州、アジア地域というふうに展開していきました。そういった展開の中で一番気を配ったのがローカライズ、要するに海外へのアダプテーションですけれども、つまり、いかに子どもたちに日本の子どもたちが感じているのと同じ感覚でポケモンを受けとってもらえるかということのために、非常に翻訳に努力したということです。このピカチュウというのは電気のポケモンでピカッとするのとネズミポケモンなのでチューなんですね、このピカチュウをアメリカで何と呼んでもらおうかというのが一つのポイントです。そして世界中の商標を調査したところ、このピカチュウという言葉はたまたまほぼ全世界で商標申請取得可能である唯一のネーミングでした。ただ、アメリカ人にとっては日本人がさっきのピカッでチューだろうというふうに感じるようにはもちろん感じてくれません。意味のない単語の発話の羅列で何の意味もないということでした。
 380種類のポケモンたちをネーミングするときに、本来のポケモンのネーミングの意味とそしてその存在を上手に掛け合わせようということで、このフシギダネというのは背中に不思議な種を持っている生き物だからフシギダネという名前がついているのですけれども、それをアメリカではバルブ、球根ですね、そしてダイナソーの2つを掛け合わせてバルバザーという名前をつけました。ドイツ語では同じようにビザザム、フランス語ではブルビザー、中国では種を持ったカエルというようにポケモン一匹を世界の言語文にローカライズしていく、そしてヒトカゲというのは尻尾に炎を持っている火のあるトカゲということですけれども、英語ではチャーコールのサラマンダーということでチャーマンダーという名前をつけています。このローカライズに1年ぐらいかかりまして、そして1年の半分は商標が取れるのかどうかというところに費やされて、ポケモンの数と言語の数だけポケモンの名前がついたということです。
 そしてそのことがやっぱりアメリカ人の子どもにとっても、意味や役割を知っているという形でつながった。それを交換することの意味も同じく等価にあったという実感がありまして、このきめの細かいローカライズがこのポケモンの魅力をしっかりとホールドしたまま海外に持っていくことができたと感じています。ただ、やっぱり世界中で使用可能な商標を取得するのがいかに大変か、あるいはいかに金がかかるかということを実感した次第です。
 それが長続きするかどうかというのはまた別の問題です。ポケモンの原作者はこのゲームを製造販売する任天堂、そしてソフトを開発するゲームフリーク、そしてそれをプロデュースしてきましたクリーチャーズの3社ですけれども、それに加えアニメ、映画あるいは海外等に展開するにしたがって複数の企業が関わるようになりました。こういった企業の力を結集してビジネスを最大化させ、ポケモンを永続的なキャラクターへと育てるためにつくられたのがこの株式会社ポケモンです。株式会社ポケモンはこのポケモンの知的財産権を管理し、そしてポケモンのビジネスを推進し、統合的なブランドマネジメントを行うという役割を担っています。海外でも関連会社でありますポケモンUSAincはニューヨークとシアトルとロンドンに拠点を置き、日本以外の全世界のマーケットでポケモンのグランドマネジメントあるいは著作権管理ができるような体制をつくっております。ただ、我々は自分自身を版権管理の会社ということではなくて、むしろコンテンツ自体をいかに大きく展開、拡張できるかを常に考えていく、そういうプロデューサー集団と考えています。そのためにはそのコンテンツを守るという意識だけではなくて、ときには壊したり、あるいは再構築したりするということも必要だと思っています。逆にそういった努力がないと、いかに魅力的なキャラクターも時とともに陳腐化してしまうと思います。
 これまで海外進出において大きく分けると2つのハードルがあることを感じました。1つは、文化的な障壁ともう1つは国家政策的な障壁です。もちろん、ポケモンは世界中の子どもたちにとっての共通する遊びを基盤にして提案してきましたので、先ほどの昆虫採集やイヌやネコを育てる、あるいは草花の花を咲かせるようなことは世界の子どもたち共通にわかるタームですので、まさしく説明する必要がないくらい明解でわかりやすい遊びを提案してきたつもりなんですけれども、やはり文化的あるいは宗教的な、あるいは歴史的な差が我々には予想のつかないような反応あるいは対応が出てきたりしました。
 例えば韓国においてはお正月のシーンで初詣があって鳥居が出てくるシーンがあると、その鳥居をデジタル処理で消さないといけません。あるいはオーキド博士が縁側でお茶を飲んでいるシーンがあると、その畳みを板の間に変えるとかあるいは子どもがカブトをかぶっている回は、これは韓国では放映できないということが起きました。あるいはクリント・イーストウッドっぽいキャラクターが拳銃を持っていた回がありました。アメリカで放映できませんでした。宗教的には、例えばポケモンは進化するというのがありますけれども、ダーウィンニズムであるとか、あるいは進化して角が立派になったり角が生えてくるポケモンがいると、それはサタニズムだということでキリスト教から非常に強い抗議を受けることがあったり、あるイスラムの宗教学者がポケモンはよくないと書くと、それ以降イスラム圏での扱いが非常に難しくなってしまう、我々にとっては非常に理由のわからないところでシャットアウトを受けるということもありました。ドイツではピカチュウの尻尾が、二匹並んでいるとSSのマークになるのでそういう意図でつくられているものは許されないということで、そういったマークや模様を一切排除しなければいけないということが起きました。我々にとっては想定の範囲外であることが起きて、そして自分たちの中ではちょっと解決不能なことがたくさんありました。
 中国を例にとりますと、製作的な障壁もありますけれども、製造業にとっては非常に量産可能で工場施設、低賃金、非常にいい魅力があるのですけれども、ポケモンというコンテンツを輸出する場所として見た場合は余り魅力はありません。非常に関税が高く国内事業に対する保護主義も強いですから、ビジネスとしては非常に成り立ちにくい。アニメを放映する代わりに我々と一緒にアニメを2作つくらなければいけないと、あるいは最近は3作つくることと引き換えに日本製アニメを放映してよいという条件がどんどん厳しくなってきています。私企業がどう頑張ってもこの障壁はほとんど乗り越えることは不可能だなという場面で積極的な政策あるいは我々をヘルプするようなサポートを国の側からいただければと思う場面が数多くありました。

○青木部会長 ありがとうございました。
 それでは、続きまして河村様から「文化芸術の国際交流」に関しまして、特に文化庁文化交流使を通じて得た日本文化の国際発信のご経験などについてお話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

○河村氏 私は、京都に住んで能を舞う人間でございます。能楽師の極めて個人的に仕事をするのでございまして、文化交流使という大役を仰せつかり大変大きな経験をさせていただきます。能がユネスコの世界無形遺産に登録されたのですけれども、Heritageという言葉、遺産というと古いものが残っているように日本語で思われるのですが、先祖代々の、これからまた将来へ伝えていく、代々伝わっていくという意味合いの単語で、遺産というところにその雰囲気が出にくくて困ったものだなと思うのです。つまり、能は生きているわけです。600年前にできたもの、しかもその土台となっているものは平安時代の文学作品あるいはもっと古いものもございます。平安時代の人の感覚で書いたものを中世の人間が劇に仕立てて、それを600年やり続けて現代人が演じている。現代にプロといえるのは見に来てくださるお客様がいてくださるからこそであります。結局武家であるとか将軍であるとか富裕層であるとか、そういう人たちが好んで見てくれて江戸幕府の式学となった。こういう制度的なものがあったにしても、根本的に芸そのものに魅力があるからこそ続いてきたわけで、その時代に合ったものが魅力を失えば即なくなる、芸というのは本当にはかないものだと思います。ですから、能は時代が古くても日本人の持っている感性、また世界にもわかっていただける普遍性、時代性を超えたものがあるからこそ今生きているんですね。
 主な能の作者といわれる大成者、観阿弥、世阿弥という人たち、室町時代の始まりとともに能の大成者が活躍しているんですね。ちなみにシェイクスピアの生まれた年は世阿弥のちょうど200年後なんですね、西洋社会で演劇と申しますとギリシアは断絶しておりますのでシェイクスピアをいうのですけれども、日本のほうがちょうど1.5倍古いと言えます。その古いものが今生きている、ここが一番の私の強調したいところなんです。
 さて、海外へそういうものを紹介する経験なんですが、平成6年の2月、ワシントンへ寄せていただきました。そして日本大使館の広報文化センターで講演、レクチャーデモンストレーションをさせていただき、また向こうにいらっしゃる方のあっせんでいろんな所の講演をつくっていただきました。一番初めに、テキスタイルミュージアムというところで学芸員の方相手に講演をしたんですね、私は英語をしゃべりました。実演もします能装束も持っていっています。とりあえず喜んでくれるのです、珍しいものを見て。だけどいや、そんなことで喜んでほしくなくて、もっと私の言いたい能の心はこうなんだというのが伝わらないのです。よくよく反省してみて、私のしゃべっていた英語は日本語なんですね、つまり英語の正しい文章はしゃべっております、でもその構文、構成、頭の回り方すべて日本語です。日本語の翻訳です。10日間ほどいるうちに現地の方と話し合って、とにかく話して、話して、向こうの人の頭の回り方、感覚を一生懸命勉強して、そして最終回の講演のときには、こちらも満足できたし、見ている人も喜んで聞いていただけた、手ごたえがございました。
 すぐに広報文化センター、大使館からもう2カ月後の4月に今度は本格的な能をしないかというお話をいただいて、4月に能楽団をつくって持っていきました。私自身装束をつけて本格的な能を舞うとともに囃方全部そろえていって、しゃべりました。次から次へいろんな仕事をいただいてハーバード大学やダートマス大学で講演や授業をしました。デトロイトとかミネアポリス、アムステルダムへまいりました。
 一番大きなのはこの文化交流使で、そのあともバルセロナ、マドリードは去年行きましたし、ことしの秋はまたトロント、オタワへまいります。このように不思議にご縁が広がって海外で話をさせていただく機会が多くなってまいりました。去年、この文化庁の文化交流使という形で寄せていただき、行った先はアメリカ東北部です。ロードアイランド州の州都プロビデンスにブラウン大学がございます。このブラウンをずっと滞在基地にして、ボストンの隣のハーバード、それからさらに西へ行ったアーモスト、そのすぐ北のデアフィールド、ニューハンプシャーへ入りましてダートマス、それからカナダへ入ってオンタリオ湖のトロント大学で授業、講演、レクチャーデモンストレーションをしました。それからボストン美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、フィラデルフィア美術館、それからロードアイランド美術館に能面能装束が来ているのですけれども、それを蔵の中へ入って全部見せてもらい、学芸員の方にその扱い方、触り方をお教えをしました。
 一例としてハーバードを取り上げますと、Spirit of Noh Stageというまるで指名手配みたいな広告が出ていましたんですけれども、これが学内に張り出してあったんですね。
 能というのは装束着けて舞おうと思っても、一人では何もできないんですね、もちろん一人で行ってしゃべって実演はやれないことはないです。でも、少しでも実演に近いものを観ていただこうと思うと人手が要る。そこで家内、娘に加えまして、これは能の玄人としてあり得ないことなんですが、現地の大学院生や大学生相手に手伝ってもらって作り物、能の道具をつくってもらったのです。で、家内と私で娘に装束を着けました。今度は娘と家内で私に装束を着けさせました。そしてこれで「船弁慶」という能の一節を舞うのです。
 楽器演奏者はなしです。ですからこれは楽器演奏者の許可を受けてテープ演奏にいたしました。初めに家内が今から舞う能が何であるかを解説する、そしてこれを10分ぐらい舞う。今度は私が紋付に着替える間、家内がまた能の歴史や文学をしゃべる。そして、私が今度は実演をともなって能の表現の仕方や何かをいろいろしゃべる。
私はシテ方という舞う人間でございます。能の世界の分業は非常に厳しいものでございまして、私が舞台で鼓を打つことはありません。海外なので、まあ、やろうかと、4つの楽器全部習っておりますので実演はできるのですが、日本ではやりません。
 大学院の学生に装束を着けました。これは「葵上」という源氏物語の曲です。床に装束が置いてあります。葵の上が病気で寝ている象徴、そして六条御息所の生霊がその嫉妬の心から鬼となって葵の上に襲いかかるところなんですけれども、モデルの人は舞えませんから説明だけして、私が舞って見せる。今度はまたモデルの人の装束を後半の鬼に着替えて、前半から後半に着替えるということをしました。1、2時間、実演をともなった講演が終わったあとで、歓迎式をしていただき現地の研究者やらいろんな方々と一緒に話をして、次から次へと情報交換をしていく次第でございます。
 ブラウン大学は4月28日、4月29日、5月3日と3回やりまして、 Festival of Nohということで非常に大がかりにやっていただきました。文化交流使というのは本来私一人ですが、まったく自費で、法政大学能楽研究所の西野春雄教授をお招きしたり、若手の二人の能楽師を呼び寄せたりしまして、かなり大がかりなこともするようにいたしました。
 交流というのは一方通行ではなくて行って帰ることでございます。一番初めに私が海外へ出て行ったときの言いたいことが伝わらない現象、つまりこちらのものを持っていこうと思えば向こうのことを知らないといけない。向こうへ出て行くと、当然のことながら視野が広がります。世界の中で能がどうなのかという、視点が私自身非常にありがたいことに広がっていった。その視点を持てば、またこちら側から伝えることができます。
 今後たくさんの方々が海外へ出て行ってほしいと私も思うのですが、海外へ伝統芸能の人間が出て行く場合、日本のものを紹介するんだという意識は非常に強いのですね。それは必要なんだけれども相手を知らないと紹介できないという当たり前の視点が今まで比較的欠けているように思うのです。ですから、特に若い人材を次から次へ海外へ派遣していただきたいと思いますけれども、この海外交流の意義をよく自覚したうえで海外へ出て行く、それなしに出て行くのはまことにどうにもなりません。
 日本で有名な「葵上」という曲をやりました、「船弁慶」というものを例として使いました。今年のトロントでは「石橋(しゃっきょう)」と「井筒(いづつ)」を使おうと思います。これは名曲中の名曲であり、能の特質がよくあらわれるのですが、玄人の一流の能楽師とするならば、これはよく上演する曲なのです。もちろん稽古はしますが、何も意識せずにその能ができていきます。日本国内でやっていたときには能楽師が能を舞う、観ていただく、お終いです。海外でやると質問がきます、それに答えなければなりません。大体が能というものは私ども子どものときから体に叩き込んで育ってきたものでございます。また頭で考えるなんてとんでもないと言われてきました。「これはどういう意味や」といって子どものときに私叱られたことがあります。そんなことでなくて、とにかく体がどう表現するか、技が立たないことには話になりません。ですから逆にいうと、答えられないんです、意味知らないんです。それで能って成り立っているんですね。でも、それを言葉で知らせるには、自分自身がわかる必要がございます。これは勉強して、また英語を話すこと、それぞれの国の言葉をしゃべることは非常に重要でございます。ただ、外国語に堪能になる必要はないと思います。中学生レベルの英語でも、大学で2時間でも3時間でも英語でしゃべり続けております。言いたいことあるからそれができるんですね、問題はそっちです。つまり、自分が日本の何を伝えたいかということがはっきり言える人材が育ってほしいということでございます。当然ながら外国語を勉強する必要はありますけれども、それより自分の国のことをよく知ってもらうことが必要なんですね。とにかく能とは何なのか、自分がやっていることは何なのかということを、意思を持って、意識的に知っている人材をつくることがものすごく大事です。
 例えば外国にあるバレエ学校のように子どものときからバレエを教えている、だから日本の文化を教える学校があっていいんじゃないかなと思うわけです。能をする、歌舞伎をする、お香をする、お花をする、お茶をする、そういったこと全部実技をする、実際に身につける、そして理論も習う、日本の歴史、古典を勉強する、それとともに外国語を習得する、外国の文化、芸術を理解する、本物を見る、そして日本のものが世界の中でどういう位置にあるのか、相対的にどうであるのかというのがわかるような人をつくる学校があってもいいじゃないかなと思うのです。そういう能の実技者、実演者になるもよし、企画者になるもよし、プロデューサーになるもよし、いろいろなれるでしょう。そういった人材ができて日本文化を海外発信する必要があるのではないかと思います。
 教育問題が国会でも非常に盛んに論議なされていますけれども、国民全体が日本のものにもっと目を向けてほしいなと、足元のことがわからなくて国際化はできないわけですから、英語の勉強より日本語がきちんとわかり、日本語でものを考えることができる人材が育ってほしい。
 能は支えてくれる人たち、観てくれる人がいないことにはどうにもなりません。どうすれば国際発信ができるか、それが一番議論の中心であると思いますけれども、その前に能がちゃんとしていないことにはどうにもならんのですね、だから能楽師が技を鍛えてちゃんとした能を舞う。海外へ出て行こうと思うとそっちばかりの仕事が忙しくなり、本当の稽古ができなくなる、これも困ったことなんです。だからきちんとした能を舞える能楽師を育てることが必要、ということは、能楽師がやっていける社会でないとあかん、ということは、能を観てくれる人、能を受け入れてくれる人がいないといかん。能楽師の育成もさることながら例えば楽器をつくる人、装束をつくる人も風前の灯でございます。私どもは扇子をつくる人に最高級のものを要求いたします。能の扇子になるのは最高級の竹です。ところが扇屋さんが最高級の竹だけ取ってこいといっても、それでは成り立たないんです。最高級の能衣装だけつくってくれと、これでは成り立たないわけです。だから日本の文化全体の中で和風のもの、日本のものが見直される必要がある。それがないといくら日本にはこんな文化がありますよと言おうと思っても足元から倒れていくことになるんですね。
 今まで邦楽の世界の人間は私も含めて、どうしても視野が狭くなるんです。こうして海外へ出させていただき、「能って世界ではこう思われるのか」ということを、直に肌で感じることができました。この経験をたくさんの能楽師に、またたくさんの日本文化を背負っている人たちにしていただきたい。文化交流使の制度は、これからどんどん進めていただけたらありがたいと思います。草の根から広がっていくいい活動であると思います。ただ、その場合にまた援助もほしいわけです。今回の場合、文化交流使は一人で、当然私一人に費用をいただいております。しかし家族を連れてまいりました。法政の先生に来ていただいた、能楽師を連れて行った、全部自費でございます。私どもは給料をいただいている生活ではなくて日雇い労働者でして、日本で舞台に出るお弟子さんに教える月謝をいただく、それがないと生活できないんですね。会社組織でやっているのではなくて、それこそ今回、私は自分でインターネットを見て格安切符を探します。文化庁から助成金をいただいて本当にありがたいことで、もう大いに感謝しているのですけれども、例えば今年秋のカナダ公演では旅費の7割給付です。ありがたいのですが、飛行機に乗って行く場合に7割いただいて残り3割をどうするか、これ自費なんです。切符の見積もりやパスポートチェック、現地とのやりとり全部する、本来、能楽師、舞台に立つ人間は舞台に専念したいと思うのですが、会社組織ではないわけですね、全部個人でやるわけです。どうかそういう現状もお汲みとりいただいて、現状に則した形での支援の仕方、そのためには私どもにこうして話をする場を与えていただくと大変ありがたいことなんですけれども、いろんなことを見ていただいて、それぞれの現状に応じた応援をしていただけると非常にありがたいと思います。
 今日は本当にこういう発言の場をいただいたことを感謝いたしております。ありがとうございました。

○青木部会長 どうも河村さん、本当に貴重なお話をありがとうございました。
 お二人から大変興味深いお話を伺いました。それでは委員の皆様からお二人のスピーカーの方に対しまして、ご質問なり、ご意見なりをいただきたいと思います。

○田村(和)委員 石原代表にお話を伺いたいのですが、国際的に出て行かれるということでお話を聞いていますと、結果論だと思うのですけれども、結局日本の文化という意味でどうとらえられているのかが、非常に難しいことなんですけれども、そのあたりで話があったらお話を伺いたいのです。といいますのは、先ほどローカライズの話などを聞いていましても問題になるときには必ず日本の文化がどこかで浮かび上がってくるのですが、攻めて拡げていくときに、ローカライズという話が、日本の文化っていろんな層がありますから、その中でいろんな形で生まれてくると思うのですが、果たして日本の文化という意味で何か言われたり語られたり、お考えになったということはあったかどうか、そのあたり非常に抽象的なんです、ちょっとお聞かせいただきたいのです。

○石原氏 日本の文化というとらえられ方をポケモンがしたかどうかについて、された記憶はありません。イスラムでボイコットを受けたのは、ポケモンがアメリカの商品だと思っているからでした。ポケモンが日本製であると意識して受けとっているお客さんは少ないと思います。

○山西委員 先ほどそのポケモンの魅力について5つほど挙げられました。しかしこれが10年たってもいまだにその新鮮さをもって家庭や子どもたちに受けられているというところは一つ大きな魅力なのかなと思いますね。その新鮮さを常に保っている努力の中で、これを外さないようにしているとかストライクゾーンのようなものがあればお話いただければありがたいと思います。
 河村先生のお話の中で能が時代の普遍性というお話がありまして、私も専門が能や歌舞伎であったり、あるいは現在は茶道等をたしなんでおりますので、日本の伝統文化については自分自身は理解をするよう努力しているのですが、しかし今の家庭や子どもたちの中で、この時代の普遍性という問題を考えたときに無常観やはかなさ、あるいは諦観とかいったものがなかなか一般の子どもたちの中に入っていかないのではないか。子どもたちの中に入っていく時代の普遍性のようなもので、何か能の開発というか、今までの能の中でももっと子どもたちや家庭に心にヒットするような、そういう普遍性はないのだろうか。
 例えば「安達ヶ原」では、前段の糸繰りで今までの人生を回顧するところで、もう子どもが既に離れていって、動きの激しい部分ではもう一回舞台に食い入ってくるのですが、その糸繰りで老女が自分の生い立ちを語っていくというところから、もう離れていくということがありますね。ですから子どもにヒットするような、そして安易に迎合しないような能の開発していくということがあるかどうかということが1つです。
 それから、日本伝統文化の持つ閉鎖性というのが幾つかあるのではないかと思うのです。学校現場の中で、能楽師をお呼びして中学生用に言葉を直して、洋楽を使いながら、そして鼓なども入れながら作曲もしてそれを上演しようかと思ったら、とてもそれはまかりならんということでありました。どうも文化のレベルとともに一般との距離があるのではないかと考えました。先ほどどう文化や能を理解する人たちをふやしていくのかというご意見がありましたけれども、そういうところでいま一つ学校の中に定着しない、これは別世界でないとだめなんだというその接点が切り結べないとところに一つの問題があろうかなと思いますので、伝統文化の中でそういう部分の垣根がとれるような努力があるのかどうかですね、教えていただければありがたいと思います。

○石原氏 ポケモンというキャラクターが陳腐化しないための具体的な努力、方針は、1つは単純に数の努力です。最初のポケモンは151種類売り出されて、そして「ルビー」、「サファイア」というソフトを得たことによってポケモンの種類は250になり、今380、そして500種類になるだろうというところ。また、子どもたちにとって最初のピカチュウは進化するライチュウというポケモンになりますけれども、系統的な進化の関係が拡大していくことによって進化の系統がどんどん複雑化しているような世界観のつくり方をしていく、これは数の努力です。
 もう1つは、メディアの努力で、去年も愛知博でポケパークという遊園地を名古屋駅のそばにつくり、そこでも三、四百万人を超える来場者がありました。そうやってゲームから発したものがテレビアニメ、カードゲームあるいは映画、次にテーマパークになっていくというような新しいポケモンを表現する仕掛けを次々と開発していくというところですね。
 それから、このポイントだけは押さえておきたいというストライクゾーンについてですが、このポケモンのキャラクターを管理して守っていくことをライセンス管理会社としては考えるべきだと思うのですけれども、私の考え方はポケモンというコンテンツをプロデュースするプロデューサー集団であるという意識は根っこに持っている重要なポイントと考えています。

○河村氏 能の普遍的なことですけれども、いい能は感動を与えます。能がすばらしいというのではなくて、いい能がすばらしいんですね。まず、結局提供する側の心意気がございます。日本にありましては小中高、大学生、そういった若い人たちに能を普及する活動を、今必死になってしております。おっしゃいますとおり、「安達原」という曲、これは能としてはおもしろいですけれども、前半部分のじっとしているところって退屈に感じる人がいるのも事実です。どうしたら子どもたちがそれを観てくれるかということ、そういう改編はしてもいいだろうと私自身思います。例えばベンジャミン・ブリテンというイギリスの作曲家は「青少年のための管弦楽入門」なんて曲をつくりましたけれども、私は青少年のための能楽入門というような曲をつくったらいいじゃないかと常日頃思っています。小さい段階ではもっとおもしろい動きのあるものをパンと見せるというところから始めて、「土蜘蛛」でもいいでしょう、「船弁慶」でもいいでしょう、北野天満宮のすぐ近くの小学校で「雷電」という天神さんが雷になって暴れるという曲をやったこともございます。幼稚園の子どもたちですが、やっぱりそれを観て喜びます。能の芸の範囲内で短くしたりすることはいいと思いますし、やる側の人間の態度が真剣であって、気迫を込めたものを出せば何か伝わるんですね、当然のことながら外国でもそうです。
 実は今私のやっている京都の能楽会、能楽協会京都支部の仕事で、京都市芸術センターで小学生相手に夏休みの間に謡や仕舞を教える、楽器の演奏を教える、これは5週間連続で1時間半ずつ教えて、そして最後に発表会をします。京都市芸術センターの別の教室で子供がつくった詩をもらってきて、節づけをして楽器の演奏を入れます。私はいいと思っています。でも、そんなものはという人もあるのは事実です。一定レベルを満たして真剣にみんなで考えたものならば、どんどんやればいいと思います。学校教育の場で、例えば校歌に鼓や大鼓を入れる、七五調になっていたならばこんなのもいいでしょう。ただ、それがすべてではない、それをきっかけとして次々にやってもらったらいいと思いますし、私どもは何とか新しい方向へ導きたいなとに思っております。
 ただ、どうしても師匠と弟子の世界で、師匠がうんと言わないと絶対ものは動かないという芸の世界ですので、その辺が難しいです。でも、努力はしているところでございますので、どうかあきらめずに期待していただいて、次々試みていただいたらありがたいと思います。

○河井委員 子どもの国際交流でちょっと申し上げたいと思うのですが、日立の地域で能楽の後継者養成ということで、地域社会で能楽の先生に少年団をつくっていただいて継続的にやっていると、40人ぐらいの子どもが今やっています。その勢いで中学校に部活ができるようになってきたということで、文化少年団というのを日立市で運営しています。この子どもたちをこの春に姉妹都市、アメリカのバーミンガム市に10日ほど能楽の発表で派遣しました。能楽の理解、交流というのは子どもですから無理ですけれども、大きな成果としては子どもが表現することの喜びを知ったということで、大きな拍手もあったでしょうし、スタンディングオベーションもあった、それは招聘する方の当然のエチケットかもしれませんけれども、そういう中で子どもが発表したということで、本当に発表する喜びを知ったということで、この子どもは一生能楽に関わってくれる子どもに育ったなという評価を得たということで、子どもの国際交流も非常に大事かなと思いました。
 日立市でも海外からお客様を呼んでいろいろ事業をやるのですけれども、お帰りに歌舞伎のチケットをあげると非常に喜ぶんですね、短い期間の日本の滞在、あるいは観光で来た方はなかなか歌舞伎とか能とかお茶の経験ができない。けれども、能というのはよほどタイミングよくその方が来日されないと観ることができない環境にあるんです。私どもは地元の先生にお願いして見せていただいたりして、私どもが下手な仕舞いをやってそれなりの体験はしていただくのですが、日本に来た外国の方にとって能を観るというのはすごく難しい状況にあるということはちょっと理解していただきたいなと思っています。

○河村氏 例えば松竹は歌舞伎を経営なさっています。で、成り立っております。だから1カ月間やる、お客さんお越しになります。しかし能に手を出されません、理由は簡単、興行として成り立たないから。能楽堂が例えば400名収容であると、京都なんかですと入場券は3,000円ぐらい、満杯になって120万円、それで40人、50人出る能をやる、会場費を払う、出演料を払う、成り立ちません。
 それこそお願いしたいことは、例えば国立能楽堂があります。ならば国立能楽堂が経費を負担して1週間ぶっ通しで能をやっていますよとかいうことが成り立てばそれが可能となるんですね。本当に慣れ親しんでいただく機会がなかなかない。自分たちだけで今やっているところをお助けいただいて成り立つようにしていきたいなと、自分たち努力はいたします。一生懸命舞うようにしますし、若い人たちに普及活動もしたいと思いますが、そこにも手を差し伸べていただきたい。
 「経済的な支援のためには、個人で行動する実技家への援助方法も検討願いたい」と、つまりみんな一人でやっているんですね、能楽協会はございます、文化庁から能楽協会もご援助いただいていますけれども、結局のところは一人ずつが動いている活動しかないのです。個人では援助はいただけないのです。何かをお願いしようと思って申請書をもらってきた、そうすると「あなたの団体の過去3年間の経理状況を書きなさい」と、必ずこう書いてあります、そんなものないんです。だからこれは申請できないなと、そこのところで挫折するんです。
 それから私、河村能舞台という能楽堂を持っております。土地は父や伯父のものです。上に株式会社で舞台を建てました。でも、これ相続できないのです、能面、能装束は個人の力でつくりました。結構いい土地で、どう考えても相続税払えない。土地があり、能面があり、それで私ども収益あげているわけでは全然ないんですね。そこで催しをしたら観ていただける、その能面、能装束を持って海外へ行って能をやってくる、発信ができる、小学生が能楽舞台があるから修学旅行なんかでも小学生が来る、賑わっています。でも、相続できないんですね。  つまり実情に則したいろんなことを考えていただいて成り立つように、私どもも努力したいと思いますので、どうかそういう支援も聞いていただけるとありがたいと思います。

○伊藤委員 私、20年ほど前に広告代理店に勤めておりまして、そのときに民間による国際文化交流という形で、ヨーロッパ、アメリカで日本の特に現代的な文化を伝えていこうという形で演劇、音楽、それからさらにファッション、コミック等紹介するようなことをしたことがあったのですが、そのときに非常に苦労したことが幾つかあったわけです。
 特に今回、この国際交流ということに関して、前回の基本的な方針の中にも理念の問題が謳われており、多分青木先生が中心となって文化外交の方の委員会等々なんかでもその辺の議論はされているのではないかと思うのですが、少しきょうのお話を聞いて、例えば2つのケースを支えていく国際交流の理念とは一体何だろうか。私が20年ほど前にやったときには、国際交流基金が中心となってやってきた日本文化の紹介が余りにも伝統的なものに偏っていた、現在の日本の姿を見せていきたいという中で貿易摩擦等々の解消にも寄与していくと形の方から、単に日本を知ってもらうだけではなくて、共同して何ができるかも少し理念として伝えていこうということを考えたりしました。こういった理念という問題について、お聞きしたいなと思っています。
 それから2番目の問題として、当時考えなければいけなかったのが、それを推進するにあたっての仕組みとしてたしかにお金が必要であり、特に能楽等々になってきますとビジネスとして成り立ちませんから支援の問題は非常に重要になってきますし、ポケモンになってきますとさまざまな文化摩擦の中で情報あるいはノウハウだとか、あるいはコーディネートする人だとか、あるいは契約、例えば公演を行うとした場合に著作権の問題から契約の問題からクリアしなければいけない課題が生まれてくるわけですが、そういったことについて相談する機関が余りないわけです。例えば海外の国際的なフェスティバルに参加するに関してもその情報あるいはそれに参加するための条件等々については、交流基金に行けば多少あるのですが、こういう体制が20年たってどこまで整備されてきているのか、特に河村さんのお話の中で個人で行く場合の経費の問題、さらに仕事を休んで行くわけですからさまざまな形の課題があるのではないかと思うのですが、こういうお金以外の課題が特にあれば出していただければありがたいなと思っております。

○石原氏 ポケモンにとって世界の子どもたちと交流するポイントは、ポケモンのカードやゲームの世界大会をやっていまして、中心となる言語はやはり英語になります。大体25カ国ぐらいからの子どもたちの参加があり、7言語から11言語ぐらいの言語に翻訳されたポケモンカードで子どもたちが対戦する、400名ぐらいの世界大会になります。子どもたちがしゃべる言葉はみんな通じていないわけです。その中でポケモンカードをきっかけに友達をどんどんふやしていく、あるいはポケモンカードを交換するということを通じて家族同士が知り合いになっていくという中で、最初に生まれたカ日本にあこがれてくれたり、そして日本のカードが当然最初に出すカードですから一番新しいカードシリーズで、これはいつオランダ語になるんだとか、これはいつ英語に翻訳されるんだということを聞きながら、日本語でいいからとにかく交換してくれとかを身振り手振りで示しながら楽しんでいます。
 いかに日本発のポケモンだという意識で子どもたちが遊んでくれ、しかもそういうポケモンの世界観が全体共通に、同じような意識で遊んでくれて、そして彼らがいつかまた日本に行って新しいカードを買いたいとかいうことを言ってくれると、自分にとっては世界の子どもがつながった感じを実感することができたりします。先ほどのある種自分たちが守っているストライクゾーンをしっかり表現していけば、それらが世界中の子どもたちにとってのあこがれになるような、そういう商品が生まれるという意識はすごく持ち続けていたいなと考えています。

○河村氏 日本文化を伝えるということ、日本の文化というものが継続性があるということを一番伝えたいと思っております。大体よそのものを見ると前代を否定して新しいものができるということが多いです。ところが日本ではずっと継続する、能があり文楽があり、歌舞伎がありと、次々いろんなものが生まれてきて否定されるのではなく継続していく。伊勢物語という平安時代のものがあれば、それが世阿弥の「井筒」になり、演じ続いていくと。そうすると、それがお茶の道具にちょっと井桁の模様が入っていると、これは「井筒」のものだなとか、「杜若(かきつばた)」の模様があったらこれは伊勢物語の業平がということから話題、美意識がどんどん拡がっていくという文化、また戦をすることの無益さ、戦うことのむなしさ、また人が死ぬとどれだけ悲しいことかという、それも能の主題としてございます。
 能の中にはそういった日本人の持っていたいろんな美意識、理念がいっぱい詰まっていますよね、それを声を大にしてよそへ持っていきたい。江戸時代の武道でも結局相手は倒す相手ではなくて、自分を高めてくれる人だという意識がございますよね、これとても日本的だと思うのです。600年の昔から日本人がやり続けて考え続けてきたこんなものも持っているんですよということを、私はご紹介したい。それが一番の目的でございます。
修行するのに30年、40年かかります。でも逆にいうと、そのわずかな動きというのは600年分のことを30年、40年で我々は身につけることができるんですね、だからそれを我々は武器にしてというか、日本ではこんなことが今でも感じてもらえるんですよという日本の意識を伝えたい。結局心から心に伝わるこういった日本の文化を海外交流の一番の目的にしたいと思っております。その課題となると今度は経済的な問題、これ非常に大きなことで背に腹は換えられないというところがありますので、そういう経済的なところのご支援をお願いしたいということと、もう1つは、実演者がやっていける状態をつくっていただきたい。芸の人間が芸に専念できるような社会で芸の人間は一生懸命それを磨き、これからの日本文化のためにそれを世界に発信できる状態になる。そして、またそれをプロデュースしてくれる方、企画してくれる方、いろんな支え方、結局人材の問題になりますけれども、全部がまとまった形で動いていける、機能していける、そういう社会になればと思います。

○川村委員 お能はシステムとして経営的に成り立たないというお話がございます。本来、文楽でいえば、国は文楽協会というものをつくってそこへ経常的な援助をしている。お能の場合は国立能楽堂というハコをつくって、資料は非常にいいものを集めているが、その本体については何もやらない。それで民間の企業がお能のある流派、あるいはお能全体に対して援助をするということが現実にあるのかということをお伺いしたい。
 つまり、オペラでいえば国立劇場のオペラに対して協賛企業が毎年1億ぐらい出すのが何十社と並ぶわけですね、それに対してお能の場合はあるのか、ないのかということを教えていただきたい。

○河村氏 個人的に企業の有力者をご存じで、その人がご援助を受けられて催しをすることはあります。でも、能全体に対してということになるとありませんし、第一能楽協会というものがそういう形でまとまって機能はできていないです。能のプロは全員入っているということでは一枚岩ですが、本当のところ、社会に向けてのそういう発信などは全然できておりません。

○熊倉委員 まさに日本が世界にもっとも強く発信している現代の文化のポケモンと、世界文化遺産に指定されている能と2つの対極がきょう並ばれて、その裏側のお話や問題意識を伺えたわけですが、それぞれの分野に対してお話を聞きながらどう思われたかちょっと一言聞いてみたいなと思ったのですが、石原さんは能のその成り立たないという現状を聞いてどう思われたか。河村さんはポケモンのつくられ方を見て何か感じられることありましたでしょうか。

○石原氏 3月に都がやっていました子ども能チャレンジの協賛をさせていただいたりしましたけれども、私個人で言いますと、先ほど河村さんがおっしゃられた外国人に伝わらない感覚が私にも伝わらなかったらどうしようという気持ちになった部分が正直あります。自分自身がどの程度の知識と、どの程度の文化への大切に思う心を持っているのかというのを、少し反省した次第ですね。

○河村氏 ポケモンにしても松竹にしても、すごい人材を持って大きな仕事をなさっているなというのが実感でございます。能楽師は何もございません、全部一人で自分で考えて自分でやります。そうすると、本当にその企画力、作戦の立て方といい、こちらも勉強させていただいて、例えば能楽協会なら能楽協会あるいは京都なら京都で、もっと現状認識をして、どうすれば社会に対して働きかけができるのか、外国に対して働きかけができるのか、そういうことを真剣に考えないといかんなと考えさせていただきました。

○石原氏 何歳推奨の商品かというところで、米国では13歳以上であれば13+とか数字が書かれます。そしてGeneral、だれでも問題なく遊んでいただけますという商品はGのスタンプが押されています。ポケモンはバイオレンスやそういうものの表現を使わないで必ずGのマーク、映画館においてもGと書かれているその Generalなポジションであらゆる階層の、あらゆるターゲットが安心して遊べるというところはすごくこだわってきています。

○田村(孝)委員 モスクワで「景清」が上演されましたとき、拝見したのですが、日本人ですらなかなか言葉が理解出来ないのに、あちらの方が真剣に観ていらっしゃる、乗り出すようにして観ていらっしゃいたしました。先ほどお話しされていたように、いいものは伝わるというのは確かだと実感しました。ただ、亡くなられた尺八の人間国宝方・山口五郎さんがおっしゃっていらっしゃいましたが、新しい作品が大切(武満徹作曲「ノヴェンバー・ステップス」が世界のプロの尺八奏者ばかりでなく、日本の若手尺八奏者誕生のきっかけになっているように)新たな発想の作品が生まれて欲しいと・・・私、一度だけ野村万之丞さんが「赤ずきんちゃん」を狂言になさったのを拝見したことがありますが、お能の方で先ほど短くするなどの工夫について話されていましたが、新しい作品ということは考えていらっしゃるのでしょうか。
 それともうひとつ、文化交流使としていらした時に、在外公館や現地の日本企業の支援は得られたのでしょうか。地域によって温度差があるようにも伺っていますけれども、実際如何でしょうか。

○河村氏 新作自体、能でも結構行われております。いろんな実験があります。その人の立場によるんですね、そういう活動のできる立場の人、志はあってもできない立場の人、これはやっぱり能の社会の枠組みの中で限界があることですけれども、でも新作は行われていますし、また新作を行うことによって能の本質が見えてくる面がございます。だから私自身は新作はどんどんすればいいと思います。新しい試みはどんどん出てほしいとともに、まともなものをまともにやっているところも目を向けてほしいという面は非常にあります。
 それから、おおむね特に海外へ出て行ってわざわざ観に来る人はすごい方が多いからよく伝わるという面はございますね。
 私が外国へ出て行きましたときに、在外公館や何かも結局自分自身で全部連絡とるのです。これもこれからお願いしたいことですけれども、文化庁と外務省はもちろん別々なんですが、その辺の情報の共有化とか行き来というものをもっともっとしていただけたらいいなということを思います。インターネットで見て不動産屋へ電話をかける。切符は自分で手配する、ということをやりました。現地企業との接点、そこまで手が回らないというのが事実です。
 これからお願いしたいことは助けていただけるような体制ができれば、これからの文化交流使の方はもっともっと効率よくいろんな活動ができるようになられるのではないかと思います。

○青木部会長 ポケモンは10周年というお話でまだまだ進化していくというお話なんですが、日本のアニメ、ゲームソフトの世界は石原さんの感じではまだまだこれから展開するエネルギーと、あるいはその才能はまだまだ大丈夫だと思われますか。

○石原氏 アメリカにおける日本のソフトの売行きはアメリカのオリジナルソフトの方が高くなっていますので、どんどん日本のコンテンツは後退していると見た方がいいと思います。

○青木部会長 その辺がちょっと政策的な問題もある。それから河村さんのおっしゃった海外における日本文化機関は非常に弱いんですよね。日仏会館のような組織があってやってくれると非常にいいんですよね。それから先ほどおっしゃった日本文化の専門教育、コースというのは、伝統芸能だけではなくて、まさにポケモンも含めたものができるといいなと思います。
 ここで本日は終了したいと思います。石原さん、河村さん、本当にありがとうございました。

○石原・河村両氏 どうもありがとうございました。

○青木部会長 ここでちょっと最後に事務的なことになるのですが、今後のこの部会の進め方について簡単にご説明させていただきたいと思います。大体これまで本日のようなお話を専門家の方からお聞きしてきたのですけれども、次回からは夏ごろまでに中間まとめをつくらなければいけません。その論点整理に入りたいと考えておりますが、これはまず、専門家の方、それから委員の皆様のご意見を調整してたたき台をつくらなければいけませんので、そのための作業チームというものを設置して四、五人の方にご協力をお願いしたいと思います。
 前期の会のときにやはり最終的なまとめをつくったときにお願いした委員と重なるかと思いますが、田村和寿委員、根木委員、吉本委員、米屋委員の4名の方に作成チームのメンバーとしてお願いします。今この部会が大体1カ月に2回ペースで、それからプラス2回ぐらいしなければいけないので大変なご負担になると思いますが、できましたらこの4人の方にお願いいたしまして、作業を進めたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。
 それでは、事務局から次回の日程等についてご説明をお願いいたします。

○事務局 <次回連絡>

○青木部会長 本当にきょうはお二人の先生、ありがとうございました。それではこの会を終わります。

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