第6期文化審議会文化政策部会第4回議事録

1. 日時

平成20年7月28日(水) 13:00~15:30

2. 場所

文部科学省3F2特別会議室

3. 出席者

(委員)

池野委員 尾高委員 高萩委員 田村(和)委員 田村(孝)委員 富澤委員宮田(慶)委員 宮田(亮)委員 山内委員 吉本委員 米屋委員

(事務局)

青木文化庁長官 関長官官房審議官 清木文化部長 清水芸術文化課長 他

(欠席委員)

唐津委員 三林委員 パルバース委員

4.議題

  1. (1)実演芸術家(音楽,舞踊,演劇等の分野における実演家)等に関する人材の育成及び活用について
    【ヒアリング(3)】
    • ○野平一郎氏(作曲家,ピアニスト)
    • ○大谷康子氏(ヴァイオリニスト,東京音楽大学教授)
    • ○本條秀太郎氏(三味線演奏家,作曲家)
    • ○安達悦子氏(舞踊家(クラシックバレエ)
  2. (2)その他

【宮田部会長】 定刻となりましたので,第6期,第4回の文化政策部会を開かせていただきます。よろしくご審議のほどお願い申し上げます。
 本日は,お暑い中,ご多忙の中,本当にありがとうございます。
 有識者の4人の先生をお招きいたしまして,いろいろなご意見をいただきたいと思っております。野平様,大谷様,それから本條様,安達様においでいただいております。どうぞ,よろしくお願い申し上げます。
 それでは,会議に先立ちまして,事務局のほうから資料の配付の確認をお願いしたいと思います。

<清水芸術文化課長より配布資料の確認>

【宮田部会長】 では説明させていただきたいと思います。
 前回は,各分野の実演芸術家の皆さんに人材育成及び活用について,有識者の先生からご意見をいただきました。
 本日は,音楽,舞踊の分野における実演芸術家等の人材育成及び活用について,お招きしました有識者の先生からご意見を伺いたいと思います。その後において,委員の先生方と意見交換を交えて審議を深めていきたいというふうに考えております。
 改めまして,ご紹介させていただきます。本日,お越しいただいた先生方でございます。
 作曲家でピアニストであります野平一郎先生,バイオリニストで東京音楽大学教授の大谷康子先生,三味線演奏家,作曲家でございます本條秀太郎先生,舞踊家でクラシックバレエの安達悦子先生でございます。
 有識者の先生方には,約15分程度のご意見を伺った後,先生方と自由討議をさせていただきたいというふうに思っておりますので,よろしくお願いいたします。
 では,野平先生から音楽分野における実演芸術家等の人材育成及び活用について,15分ほどご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。

【野平一郎氏】 ただいまご紹介にあずかりました野平です。
 人材育成とか文化政策というような大きなものではないんですけれども,幾つかメモ程度に記してあることを少しお話ししていこうと思います。
 それで,私はピアノも弾き,作曲もしているわけで,いろいろなことをやっているので,いろいろな立場からのことが言えると思うんですけれども,それでこのようなペーパーになっております。
 最初に始めたいのは,演奏というところの2つ目といいますか,3行目に書かれていることで,これはよりほかの提言に比べると抽象的なことなんです。抽象的という意味は,具体的に今何をしたらいいかとか,そういうことが具体的にぱっと思い浮かばないということです。
 僕が国際コンクールのピアノの審査員で行ったときに,ちょっと感じたことをお話ししたいと思うんです。よくご存じのように国際コンクールというのは,大体上限が今28歳ぐらいまで受けられるんですが,大体書類で落としてしまって100人前後から始まるわけなんですけれども,書類で落とすので,一応100人とはいっても,大体100人の中の60%ぐらいは,実は二十五,六,七歳ぐらいでしょうか。28歳の上限のちょっと下ぐらいの人たちがいっぱいいて,そういう人たちが,経歴を見るとどこかのコンクールの3位であるとか,どこかのコンクールの6位であるとかという,非常にいい成績を持ちながら,まだ20何歳で国際コンクールを受け続けているという現状が一つあって,そういう人の演奏って聞いていて,ちょっと足りないものがあるというような気がするんです。
 僕,何人かそういう人を知っているんだけれども,28を過ぎて国際コンクールを受けられなくなって,そういう人たちは国際コンクールに出ることというのが,10年間ぐらいの目標だったわけです。自分の音楽の目標だったわけで,そういうものが失われたときに,一体何が残るのかという問題がすごく現在大きいと思うんです。
 それで,僕も国際コンクールが弊害だというつもりは毛頭ないし,それは物すごく重要なところなんだけれども,もっとより多様な音楽への考え方等,そういうことを実践していく場というものが,教師もそういうふうに,その人の素質を見抜いて努力していかなければならないというふうに思うわけなんです。
 考えてみると,自分を振り返ってみても10代後半から20代というのは,一番クリエイティブであることができる世代であって,そこを,クリエイティブではないとは言わないけれども,何か異なった目的のために突き進んでしまって,その後何が残るのかという問題はすごく大きいと思います。
 それから,みんながみんなコンクールを目指していると,コンクールというのはソリストというか一人でやるということがメインですから,スター性がある人はいいんですけれども,音楽というのはそれだけで成り立つわけでもないし。
 そのことに関して,ちょっとこれは,国際的という意味からすれば,少しレベルが落ちた話なんだけれども,伴奏法講座というのを自分がやっているのですが,これは何もピアノ伴奏家という一つの専門的なジャンルを確立しようとか,そういうことでは決してなくて,むしろ一人一人のピアニストがさまざまな立場に置かれて,そこから何か自分の音楽生活というものを酌み取っていくというふうに持っていきたいと思うんです。
 これは,実は自分が音楽監督でいる静岡音楽館というところで2年前から始めたんですけれども,この種の講座はもちろんいろいろなところにあるんですが,自分が考えるに,演奏家というのがどれだけのイマジネーションを持てるかというのは当然ですが,技術面,プラス音楽への深い理解がもちろん必要で,ただ音楽の深い理解といったときに,例えばシューマンのこの曲はこういうふうに書きましたということは,物の本を見れば書いてあるわけだけれども,実際の演奏の瞬間にイマジネーションが働くためには,作曲家がそこをどのように書いたかという一種の,演奏家に必要なアナリーズというんでしょうか,分析的な作業が必要になってくると僕は信じているのです。普通この種の,例えばピアノの講座というんだったら,ピアノに生徒を座らせて,先生がアドバイスするというのが普通の形なんでしょうけれども,そうではなくて1日はデスクワークみたいなことをやらせて,楽譜を見て演奏に必要なことを学んでいくというようなことをやってます。
 あと,この講座は必ずピアニストを2つの違った局面に置くんです。伴奏というのも非常に狭い世界になってきて,どこかの大学の伴奏助手をしている人とか,あるいは国立劇場でコレピテをやっていた人というのが来るんですけれども,そういう人は国立から来た人は歌と演奏しかしたことがない,バイオリンのクラスの伴奏助手を某大学でやっていた人はサックスとも歌とも何もやったことがないというような状態で,さっきのコンクールの話ではないですけれども,ピアノというのは一生かかっても抱え切れないぐらいのレパートリーがあるはずなのに,国際コンクールに行くと2日目か3日目ぐらいで飽きてしまうんです。
 何で飽きてしまうかというと,みんな同じ曲を弾くんです。だから,そういうふうに音楽界自体を構造化し,そういうふうに狭くしていくためのものみたいで,そういうふうなことじゃない,もっと幅広いレパートリーというか,幅広いシチュエーションに演奏会を置くということが非常に必要だと思いこのようなことをやっております。
 次に演奏及び作曲というのがあるんですけれども,ここで僕ちょっとここ二,三日,このペーパーを発表してから考えたことを一つつけ加えたいんですけれども,大学に学科をもっと新設したらいいなと思うんです。
 それは,どういうことかというと,自分自身フランスに留学するまで,例えばギターということに,僕は芸大の作曲科の学生だったんですが,ギター科というものがなかったので,ギターをする友達いなかったので,ギターの作品を書くということがなかったわけです。初めてパリへ行ってそういう人たちに出会ったり,あるいはもっと別の楽器に出会ったりしたわけです。
 若い作曲のクラスにいるような学生を考えてみると,その大学にそういったクラスがあるかないかというのは,非常に重要に違ってくる点だと思います。
 今,諸外国の例を見ても,ギター科が芸大にないとかというようなことは,非常におかしいなというふうな感じがしますし,例えば,原田節君とかがいるわけだから,オンド・マルトの講座が芸大であってもいいと思うんです。オルド・マルトの会に1年に5人も6人も来ませんけれども,楽器として確立しているものに,個人が教えているということに頼るのではなくて,例えば学校にそういうクラスみたいなものがあったら,もっと作品も若い人にできるし,それからもっともっと広がりが出てくるというふうに思います。
 僕はパリへ行って,福田進一という,今日本で有名なギタリストに出会ったんだけれども,彼がいろいろなところで教えている人たちが,今日本のギター界を支えている。例えば村治佳織とか有名な大萩康司とか鈴木大介というのはみんな彼が教えて,ではどこで教えたのかというと多分彼が個人的に教えているわけです。ですから,そういうのが彼をとは言いませんけれども,それなりの人が大学でそういうクラスを持つということは,非常に必要なことかなというふうに思いました。
 それから,若手の積極的活用ということで,ちょっとご提言申し上げたいのは,文化庁なりさまざまな外郭団体なりが,今コンサートに対していろいろな助成をすることがいっぱいあって,そのコンサートの中で,若手の作曲科に委嘱をするとか,作品を出すということは大いにあることなんだけれども,僕はフランスに留学していたときに,学校を出た瞬間にフランスの文化庁から委嘱作品をもらってすごく驚いたんです。
 そのときに,委嘱作品のリストを見たら本当に若手から大家まで,大体50曲以上ありました。つまりコンサートを助成するだけではなくて,例えば現代作品に非常に重要なアンサンブルというんでしょうか,例えば東京シンフォニーエッタであるとか,アンサンブル・ノマドであるとか,あるいはそういった作品を委嘱したい個人に対して,そういった作品の委嘱を支援するシステムが今でもあるし,オペラを支援する制度等いろいろありますけれども,全体的に見て委嘱の数というのは減っているんです。
 でも,委嘱という若手に委嘱が行く機会というのは減っていて,しかも本当に一握りの,1人か2人か3人ぐらいのところに集中してしまって,それでもっともっと多様な作品が生まれるべきなのに,どこに行ってもまたあいつの作品かみたいなことになる。─すみません言葉が悪くて。でも,そういう状況があるんです。
 大家というか,要するに少し歳がいってきた人ですばらしい作品を書いている人も,そういう機会がないということで,なかなか困難な状況に今あるので,できればコンサートの助成の枠というのをもう少し広げて,例えばコンサートそのものだけにするのではなく,その人たちがこういう人たちに委嘱をしたい,こういう作品がやりたいといったときの委嘱料の支援というんですか,そういうことをもっと積極的にやったらどうかというふうに思います。もちろん,金を出したからいい作品が生まれるということでは決してないんですけれども,活性化には絶対につながるというふうに思います。
 それから,その下の先端技術と音楽ですが,これは日本というのは非常に先端技術が進んでいて,先端技術と音楽が結びついている例ももちろん個々にはあるんですが,僕はフランスのポンピドゥーセンターのIRCAMというところで,昔少し仕事をしていたことがあって,もう少し大規模な形で若手に刺激を与えるような,例えば大学の附属機関か,あるいは非常に独立した機関みたいなものがあると,もっと電子音響の世界の人たちも,あるいはコンピューター音響の世界の人たちも,世界に伍していけるような人材が育成できるのではないかなというふうに思います。
 今,例えば普通大学のことを考えてみると非常にあやふやな状況で,もちろん芸大にも,昔は取手,今は北千住というものがありますし,それから国立でコンピューターセンターや,あるいは音楽デザイン学科ですか,ああいうものが始まったときに,あれだけの生徒が集まった,どれだけこういう新しい枠というものが学生を刺激していくかというようなことは非常に重要だと思うので,もっともっと科学者とかそういったいろいろな人たちが集まって考えられるような施設みたいなのが一つできたら,もっともっと音楽というものの広がりができるのではないかというふうに思いました。
 そろそろ時間ですか。その下の静岡音楽館というところは,先ほど伴奏法講座というところでお話ししたとおり,3年前から音楽監督をやっています。今,室内ホールで約650席でありますが,静岡の人口を考えると,クラシック音楽の室内楽で650席を埋めるということはなかなか大変なことなんです。
 そこで,これは静岡音楽館とは関係ない話ですが,そこでやっていることは専門家の人材育成ではありません。僕は専門家の育成の前に,まず聴衆の育成があるべきだろうと思います。聴衆がいなくて,だれが音楽をやるんだということになって,僕は西洋音楽のコンサートに行くたびに危惧を感じるのですが,静岡のホールをやっていても危惧を感じるのは高齢化です。もっともっと若い人たちが聞きに来なければならない,そのためのことだったら何でもやろうというふうに思っています。
 それと同時に,最後に一つご提案したいのは,約650席ということでいつも思うんですけれども,例の指定管理者制度によってホールというのは,文化振興財団みたいなものが受注するために,例えばこのホールを何%必ず埋めなければならないというような,非常に数値目標をいろいろなところで課されているわけです。650席を埋める企画を考えるのはそんなに難しいことではないんだけれども,でも文化的に何が重要かということを考えたときに,650人が入る企画と,あるいは200人しか入らないけれどもこれは重要な企画だということと,あるいは1,000何百人も入るけれども,これも重要だというような企画はいっぱいあるわけです。
 だけど,こういうところでやる事業の内容というものが,そういうことで必ず限られてくる。僕はどう考えても,これからのホールというのは,例えば僕の頭にあるのは,パリのことで失礼だけれども,パリのヴィレットのところにあるシテ・ドゥ・ラ・ミュージックというのがあって,あれは可動なんです。客席が可動で,それだからこそ,ご存じのように,シテ・ドゥ・ラ・ミュージックの1シーズンというのは,あれだけのバラエティに富んだ企画が立てられる。
 あのようなバラエティに富んだ企画を立てたいし,そういうことを静岡市民に聞いてほしいんだけれども,どうしても一つの枠にはめられてしまうということで,これは別に静岡のホールとは関係ない話なんですけれども,ホールをつくるときに,シューボックス型の今までの決まり切ったホールでできることというのは,もはや限られているので,これからの21世紀の音楽の発展に合ったようなホールというものをどんどん,これからつくる場合に考えていかなければ絶対だめになると思うんです。
 というのは,2年前,3年前ぐらい,神奈川で一柳慧さんのシンポジウムみたいなのがあって,50年後に音楽ホールはあるかというシンポジウムに出させられて,僕以外はみんななくなると言ったんです。僕は,絶対音楽に手で触れられる,そういうホールは絶対あるべきだというか,なくなるということは絶対ないと主張したんだけれども,建築家の安藤さんを含め,ほとんどの人はそんなものはなくなるというわけです。僕は,それには反対ですけれども,21世紀にある多様な音楽のあり方に対応していけないようなホールがいっぱいできたとしたら,それはどんどん朽ち果てていくだろうし,そういう意味では,可動式のホールが唯一の可能性かどうかわかりませんけれども,そこにはシャンゼリゼ劇場のようなすばらしい電球はないかもしれないし,旧オペラ座のシャガールの絵はないかもしれないけれども,そういう時代に合ったホールというものをこれから考えていかないと,企画自体が成り立たないということになっていくので,それを最後に提言したいと思います。
 お聞き苦しい話でどうも申しわけございませんでした。

【宮田部会長】 ありがとうございました。
 コンクールの20代のお話,あるいは先端技術と音楽の広がり。ギターのお話しというのはそうですね,東京芸大にはございませんので。というか,ほかの大学にはギター科というのがあるところがあるんですよね。ドイツのほうにも結構ありますよね。

【野平一郎氏】 そうなんです。恒常的にやっておられます。

【宮田部会長】 日本人のたしか教授がいましたね。
 それから,今の最後の聴衆の育成というのが大変興味深いお話でした。若者に対して,特に子どもたちに対して。音楽の提言,ホールの提言というのは何人ぐらいのシンポジウムだったんですか。

【野平一郎氏】 それは,神奈川県立音楽堂だから,五,六年前だったかもしれません。でも,700,800ぐらいの人が集まって……,パネリストは五,六人でやったんです。

【宮田部会長】 ありがとうございました。大変興味深いお話でございました。
 それでは,次に大谷先生,お願いします。

【大谷康子氏】 のどを痛めてしまって,もしかしてお聞き苦しかったらすみません。
 私は,すごくいっぱいいろいろなことをやっておりまして,学生のころから一人で演奏したりもやっておりますけれども,そのほかにオーケストラでコンサートマスターをしたり,そういう活動もしておりまして,大学時代から子どもさんたちの音楽教室を回って演奏するような,それが時には小学校の体育館だったこともありますし,1日に何校も回ったりして,そういうことも続けている中で,特に子どもさんたち,今野平さんがおっしゃった聴衆の育成などにも実はつながるんですけれども,そういうことをいろいろずっと感じてきたことがあったんです。
 その後,今,非常に社会が複雑というか,とても悲しい事件が毎日のように起こるものですから,何とかみんなが自分の力でできることから変えていけないかなといつも思っていまして,例えば,昨日も名古屋の市民大学のようなところでちょっと話をしたりしながら演奏してきたんですが,音楽で世の中を少しでも明るく変えていきたいというような,そんな単純なものではないと思いますけれども,こういうときだからこそそういう情緒の部分が,すごくお子さんの影響にもつながると思いまして,そういう活動をしております。
 95年からは病院とか施設も回って,そういうところにも演奏をお届けしたりしているものですから,本当にやりたいことが時間が足りないんですが,東京音楽大学でも学生たちを教えているものですから,そういうプロを育成するという部分と,それからそれ以前に子どものときからの人間のあり方というか,豊かに育つというそういうことと両方について,すごくいろいろ感じてきたわけなんです。
 それで,まず東京音楽大学のほうで学生を教えたり,私も野平さんの後輩で芸大でしたので,そちらのほうの学生なども個人的に見たりしている中で,このごろ本当に演奏の場が少ないみたいです。私たち実演するものはお客さんがいらして,その場でたくさん演奏していくということの中で,自分がいろいろ感じたり気がついて人の心を動かす演奏家になれるということが,すごく体験の中から生まれてくるものも大きいと思うんです。
 もちろん,技術を勉強したり,そういうことも大事なんですけれども,幾ら手がよく回って,すごいスピードで弾けても,心から人の心に入っていくというような,そういうこととはまたちょっと違う問題がありますので,ですからできれば私も全国いろいろな公共施設を回らせていただきまして,年間,大体ソロの活動が70回ぐらい,オーケストラが60回ちょっとやっておりますので,大抵のいろいろなホールを伺いますと,立派なホールがいっぱいできているんですけれども,もちろん野平さんがおっしゃったような,音楽専門にはなかなか難しいというホールも中にはあります。
 それでも,私はそれをあえて演奏家とか実演者のほうが,こうでなければ演奏できないとか,こういう音響でないからここでは弾けないとか,そういうことではなしに,なるべくその中に入っていって,そこをうまく活用していったらいいんじゃないかというふうに思うんです。特にお願いしたいのは,そういう公共施設がなかなか活用されていないところも多いようなので,年間何回の公演,プロのどこかのオケとか,外来のオケがちょっと来たりするぐらいですと,もったいないなと思うので,そういうところでできればオーディションとか,そういう形で若い人たちをそこの舞台で,音楽だけじゃないですけれども,演劇でも何でもいいんですけれども,実演できるようなそういうチャンスをつくっていただいて,そうすればそういう人たちももう少し伸びていく機会がふえるんではないかなと思うんです。
 それから,また例えばそこでもう既に活躍していらっしゃる野平さん初め,皆さんそういう方たちの講習会みたいな,すぐれた作曲家や演奏者や実演者の方たちに直接習えるような,そういう機会を公共施設のほうで活用してやっていただけると,プロの育成にもつながるのではないかなというふうに思っております。
 ただ,先ほども国際コンクールの話とかいろいろ出ましたけれども,例えばコンクールで日本人が優勝したり,入賞することも本当に多いんですけれども,その後世界の人たちと対等に,日本人特有のすばらしい個性も出しながら,ファンをいっぱいつかんで,世界で活躍している人がどれだけいるかというと,ほとんど名前がすぐ上がるぐらいしかいないと思うんです。私は,それがとても残念だなと思っていまして,技術はとても上がっているんですけれども。
 それを考えたときに,先ほど最初に申し上げたように,大学生のときからいろいろな地方などで小さい子どもさんたちの,小学生のときもありましたし,もっと小さい人のときもありましたが,そういう人たちに演奏を聞いてもらったりしているときに,日本の国民性というのもあるとは思うんですけれども,なかなか思ったことが自由に率直にと表現できない,思ってはいるんでしょうけれども,表現の仕方がどうしたらいいのかわからなかったり,という人が多いように思うんです。
 考えてみれば,沈黙は金とかそういう時代もあるわけですし,それから静寂の美とか日本の中にはそういう奥ゆかしさとか,そういうまたいい部分もあるわけですので,そういう民族性ということも多少関係はしているとは思うんですけれども,子どものときから,できればいろいろないい音楽や,それからほかの分野も含めて接することができて,そういう機会をたくさん与えて,そしてまたそれをただ受け身の,見るとか,聞くとか,それだけじゃなくて,そういうプロになっている人たちに派遣して,その人たちと一緒に踊ってみるとか,楽器を鳴らしてみるとか,そういう実際に体験できるということができるようになれば,随分違うんじゃないかなと思うんです。
 それは,最初に申し上げたプロになっていく人たちの育成のためにもなると思いますし,それから子どもさんたちのことにもつながると思うんです。
 どこが,世界の人たちと見ていて違うかなと一番感じるのは,自発的というか自主的な,そういう表現とか自分の考え,自分の判断で動けるというところが少ない日本人が多いように私は思うんです。
 黒柳徹子さんのトットちゃんの本などにもありますけれども,なかなか個性が強かったりし過ぎると,全部平均化するというか,同じように育てていかないと心配というところもあるんでしょうか,そういうちょっと飛び出たところは平均的にならされてしまうのかもしれないんですけれども,私のやっている音楽というのは西洋の音楽が多いですけれども,西洋人と日本人は全く気質も違うわけですから,まねをしたって同じようにはならないし,そしてまた全く同じになる必要もないと思うんです。
 だけれども,日本人の持っている,先ほども申し上げたようなよさを生かした上で,そういう思っていることを自由に,もっと豊かに表現できるような,そういうことが小さいときから考えて育てていけば,それが例えばプロの育成ということでいえば,先ほど野平さんがおっしゃったような,いろいろないい案があると思いますが,そういう専門的なこともつくった上で,人間の精神的な成長としてはそこにもつながる。だから,実質的に非常に豊かな表現が自分からするような,そういう個性的な演奏ができるような,そういう人がふえてくるでしょうし,また,子どものときから,そういう音楽だけじゃなくて,いろいろな文化に接して育った子たちというのは,自分が別にプロの演奏家やバレリーナにならなくたって,そういう情緒の面で非常に豊かになりますから,例えばほかの分野にそれがいったときにも,自主的な判断ができ,自分の考えで動ける,そういう人たちがふえるんじゃないかなというふうに思うわけなんです。
 それで,何と言ってもバランスがとれるということがすごく精神的に大事だと思うんですけれども,ですから今申し上げたようなことを,余り形式的なしゃくし定規な教育方法だけじゃなくて,ちょっと取り入れていただけると,私は随分変わるように思います。
 先ほどの聴衆の話ですけれども,これは私の所属しております東京交響楽団が演奏会をウィーンでしましたときに,普通は日本ですと大体クラシックの演奏会にいらっしゃる方の感じというのは,同じ感じの方がいらしているんですけれども,そこに髪の毛がピンクだったり黄色だったり,こんなトサカみたいに突っ立ちゃったような,そういう人たちもいたんです。帰りに,出ていくのを見ていたらそういう人たちもいてびっくりして,でも例えばロックなどの世界の人もクラシックの分野も好きで聞きに来たり,だから幅が広いというんでしょうか,そういう人たちが大きく育ってくれるようになったらいいなというふうに思っております。

【宮田部会長】 ありがとうございました。
 本物に触れるという,いわゆる技術のみではなくてというようなこととか,自発的,自己判断によって活力が独自のものが生まれるというようなお話でございました。
 小さいころからいいものにちゃんと触れる教育という場面が必要であるということですね。

【大谷康子】 そうですね。ちょっとつけ加えさせていただくと,最初に書いてあるのはどういうことかといいますと,大学で,先ほどお話ししたように,将来の就職とかそういうのが難しいわけなんですけれども,今,すごくマスコミとかテレビが,ちょっとこれは売れるかなという感じで商業ベースでつくっていく場合があるみたいなんです。そうすると,そこに乗っていると二,三年はもつわけなんです。それもずっと続くとは言いませんけれども,なかなか活躍する場が少ないので,それがすごく簡単に生きる方法かなというふうに向いちゃう人もいるので,ちょっとそれが……,それで本物になっていけばいいんですけれども,そのことも感じていたものですから,書かせていただきました。

【宮田部会長】 ありがとうございます。
 さて,それでは続けさせてもらってよろしいでしょうか。それでは,本條先生よろしくお願い申し上げます。

【本條秀太郎氏】 三味線を弾いております本條秀太郎と申します。よろしくお願いいたします。
 なれませんので,ちょっと話をするのが難しいような気がして,自分の思ったことだけ話をさせていただこうというふうに思いました。
 このペーパーに書いてあります,壊れてしまいそうな三味線音楽と書いてあるのは,僕は三味線を弾き始めてからも,プロになってから40年か50年になるんですけれども,そんな短い時間の中で,三味線の世界というんですか,三味線の音の感覚とか,そういうのがとても変わってしまったみたいなことがあって,それはすごく微妙で,僕などが三味線を弾いてますというと,何の三味線を弾いているのというふうな聞かれ方をするんですけれども,長唄やっているとか,清元やっているとか,キヨズをやっているというふうに,そういう説明をしないと皆さん納得しないみたいな感じで,尺八とかお琴をやっていますというと,イクタカ,ヤマダカという程度で済んで,三味線だけはすごく何をやっている,何をやっているというふうに聞かれます。
 それは,それだけ三味線というのは微妙に雰囲気の違うジャンルというんですか,流派という言葉を使うんですけれども,流派というのはグループという意味なんですけれども,ジャンルとかそんな程度な考え方でいいんだと思うんですけれども,常磐津だったら常磐津の音のスケールがあって,それからもちろん節の使い方もあるしという,そういうふうにして微妙に違っていて,全体的に流れているものは全部三味線音楽なんですけれども,落としとかそういうところだけでちょっと違っているところで聞く人というんですか,それをひいきにする人というのか,日本的にいうとひいきにする人たちというのが個々に違っているということなんですけれども,それが最近は全部そういうところがなくなってしまって,全部ボーダーレスというのか,どの曲を弾いても,三味線を弾く場合はみんな同じように弾くとか,そういうような感じになってきている。
 それから,唄もそうです。どうしても,土台に西洋の音楽のように1つのメソッドがあるわけではなくて,日本の音楽というのは練習曲からしないで,いきなり何かの作品をそのまま始めてしまうという,そういう稽古の仕方なので,その中でいろいろな弾き方を覚えたりということなんですけれども,そういう中でこのごろはそれが平均化してしまっているというんですか,そういうことで長うたを聞いても,僕などが子どものころに聞いていた長うたとは随分感じが違うなという感じがします。
 長唄という自体が,今現在そういう流派がなくなってしまったというようなものもみんな取り込んで一つに組み立ててあるということもあるんですけれども,もっと力強いというんですか,もっとぶばっているというのか,そういう荒々しさみたいなこともたくさんあったのに,このごろの長唄は何となく角がとれてきれいにうたうというような,そういうような感じがしてきて,それがほかのジャンルにも言えて,例えば地唄のようものだと上方で唄われますので,上方のアクセントで唄ったりとかというのが,全部それが標準語になってしまったりとかというふうにして,昔と違って交流もすごく盛んにできますので,情報もたくさん取り入れることができるので,その辺が画一化してしまうみたいなところがあるんだと思うんですけれども,それは稽古法とかそういうことに多分問題があるんじゃないかなというふうに思うんです。
 昔は,お師匠さんのところに行って,そこでただただ写してもらう,芸を写してもらうという,そういう勉強の仕方なんですけれども,今はそうではなくて,何となく学校で西洋の音楽を教えているとか,教えるほうもそれに近くなってきているのかなということがあって,そういうところで音程など一つとっても,みんな平均律化しているというんですか,西洋の音楽に近い音程を使ってしまうという,そういうことがあって,そういうことで結果的に唄も三味線もみんな同じ,長唄も,清元も常磐津も同じスケールで弾くという形になってしまっているという,そういうのがちょっとこれから先心配だなという,常磐津も清元も長唄もみんな一緒みたいな,本当に違っているというのがわかりづらくなってきたということが心配しているところです。
 それと,あとは学校で教わっているという。例えば,邦楽でもこのごろは大学を卒業して邦楽家になる方というのはたくさんあるので,何となく見ていると,もちろん演奏も含めてですけれども,楽屋などの振る舞いというんですか,そういうのを見ていても,何となく部活をやっているような感じがするところがあります。ちょっと違うのかなと思います。ある意味,日本の音楽だから日本人がそれをよしとして,今まで育んできた芸能なので,もう一度そちらに戻ってみた方が,より一層日本の音楽がちゃんと次の時代につなげるというふうに思うんです。
 けれども,何となく小学校の子どもの時代から洋楽をみんな勉強するわけですから,ほとんどの人が邦楽を耳にするのは,ある程度大きくなって自分で選べる時代になってからやっと聞けるという状況です。
 昔でしたら,僕などは花柳界のあるところで育ったものですから,いつでも学校の帰りでも,遊んでいる間でも三味線が聞こえるし,木造の家だったからどこからでも音が聞こえたということもあるんですけれども,そういう聞き方も,接し方もできない時代ですので,そういう三味線の音楽,そういう芸能をやっているところへ足を運ばないとそういうものが聞けないのが現状です。先ほど大谷先生もおっしゃっていたように,若いときというか,子どものときに,邦楽という言い方をすれば,子どものときに三味線の音楽なり,そういう邦楽を聞かせたいなというふうに思います。
 別に,子どものときに聞かせて,その子たちが三味線弾きにならなくてはいけないという必要もないし,ただそういうものを日本人として,そういう良さというのか,美しさというのか,そういうものを感じられるというのをすり込みたいなと思うんです。ほとんどの場合が,西洋の音楽だけを聞いているわけだから,突然中学生とか,中学生あたりは大丈夫だと思うんですけれども,高校生とかそのぐらいになってから日本の音楽をやろうとしても,体つきも違っていますし,座ることも,正座したり,そういうことすらも今の時代というのは少ないわけですから,そういうことも含めて体ができていない。そうすると,邦楽を唄う場合は邦楽の唄う体つきというのもつくらなくてはいけないわけですから,そういう訓練をしていかなければいけないというのがないわけです。ですから,さっき言った学生邦楽に聞こえてしまうというのは,多分そういううた一つで言えば体ができていないということだと思います。
 日本の伝統芸能というのは,子どものときに,能楽でも狂言でも,そういうものでも,日本舞踊でもそうだと思うんですけれども,子どものうちにわけのわからないうちに,既にそういう所作をすり込んでいくというのは,あれをすることで後々にその芸能を継いでいくというところにつながるんだと思うんです。
 それが,突然学校で勉強して,それですぐプロになるという必要も全然ないし,プロになるというのも,学校を卒業したらどこか就職できるみたいな,音楽を勉強したから就職できるという,そういうのも必要ないと思うんです。それは聞く人が選ぶことなので,ましてやこういう音楽ですから,必要なものなんですけれども,とっても大事なものなんだけれども,学校を卒業してすぐにプロになれたりとかという,コピーしてさっさっさっさとつくるようなそういうものじゃないような気がするんです,芸能というのは。
 ですから,まずいい音楽,いい音のするものを,小さいうちからそれを聞かせてあげるという,触れさせてあげるというのが一番大事だと思うんです。子どもたちは,その中から,自分がバイオリンを聞いて,バイオリンがいいなと思えばバイオリンを選ぶだろうし,大人がこれをしなさいという必要も全然ないし,そういうすごく柔らかい頭を持っているんだと思うので,まずいい音楽を聞かせてあげたいというのが一番大事だと思うんです。
 それで,あとは三味線弾きから言いますと,劇場がどちらかといえば洋楽の演奏に向いているような造り方がしてある。それから,もちろんこういうマイク一つにしてもそうですけれども,ほとんどがそういう洋楽器がよくとれるというんですか,そういうふうに多分つくってあるんだと思うんですけれども,日本のお琴がいい音にとれる,それから三味線がいい音にとれる,尺八がいい音にとれるというためのマイクというのはほとんどないんだろうと思うんです。
 ですから,そういうものを,日本人がこういう機械をつくるのは多分上手なんだろうと思うので,そういう電気関係の人というのか音響関係の方にそういうものをつくっていただいて,もっと日本の楽器がなるような,それでいつも,もともと日本の楽器というのはすごく音量が小さい楽器で,小さな空間で演奏していたものですから,それを今は大きな劇場でわっとやるときに,PAが,音響ですけれども,そういうのがすごく出し過ぎていて,本当の意味の邦楽器の微妙な音というのがほとんど出せないという。ですから,なるべく小さな小屋で生音で聞いてくださるような小屋がたくさんできたらいいなと思うんですけれども,そういう小屋がなかなかなくて,それとまた小さな小屋ですと経済的に,チケットを売ってもなかなか演奏家が,出演した方にお礼とかそういうことができない,要するに演奏会自体が運営しにくいということもあるんですけれども,いい音を聞いてもらうためには小さい小屋で生の音で聞いてもらえるという,そういうものが欲しいなというふうに思います。
 配布した資料に日本音楽のサポーターをと書いてありますけれども,それは,いい音を聞いてくれる小屋があって,いい演奏家が育てば,それを応援してくれる人が多分できてくるので,まずは僕は自分が演奏家ですから,演奏家の立場から言えばいい音でいい音楽を聞いてもらえるような勉強をしたいなというふうに思っています。
 以上です。

【宮田部会長】 ありがとうございました。日本人が日本らしさをというようなことですね。
 先ほど,私聞き漏らしたかもしれませんが,プロになって40年か50年といいますと,先生お幾つ……。

【本條秀太郎氏】 60幾つですかね。

【宮田部会長】 10代のころから。失礼しました。大変お若く見えたのでいつからプロになったのかなって,素朴な疑問を。

【本條秀太郎氏】 ですから,初めてNHKに仕事へ行ったときは内幸町のころでしたので。ギャラも1,000幾らというそんな程度でした。

【宮田部会長】 そうですか。ありがとうございます。
 なかなか矛盾したところがいっぱいありますね。小さなところで,言ってみれば1対1のような環境の中でといったときに,一番日本の邦楽の楽器がうまくいく。だけど,そうすると多くの人に知ってもらいたいということとの矛盾だとかという部分というのは,いっぱい突っ込んでいかなければならないところがあると思いますが,大事にしなければいけないのは日本人の音,響き,らしさ,みたいなところですよね。

【本條秀太郎氏】 弾くというのが,昔はそれこそ日本に輸入された時代にできた三味線の弾き方みたいな教則本があるんですけれども,糸竹初心集とかそういうものがあるんですけれども,要するに三味線でいいますと,アップする,すくいをするのを「すくいばち」,それからすごく強く当てる,それから押して弾く「おしばち」とか,それから「こかしばち」とか,そういう何とかばちということがあるんです。今は,「ひくばち」というのがないわけです。一番単純なことなんですけれども,ばちをただ振り上げて振りおろすということなんですけれども,振り落とすときに糸がばちに触れて音が出るわけだけれども,そのときの音が美しいか美しくないかということが,とても一番大事なことなんだけれども,糸竹初心集とか古いことには書いてあるんですけれども,「かたばち」という言葉が残っているんです。「かたばち」というのは上から下におろすだけのことなんですけれども,すくい上げるとそれは「むろばち」という言い方をするんですけれども,「かたばち」という言葉は単なる弾くという動作をあらわしている言葉です。弾くという動作がすごく,今は弾くという言葉はイコール演奏するという言葉に取ってかわってしまったものだから,弾くということをそんなに重きを置かないような気が僕などが聞いているとするんです。
 だから,せっかくいい三味線をつくる人がいて,いい皮を張って,いい音に鳴るようにしても,実際にはよい演奏,よいばちの当て方をしないから,余りいい音にならないみたいな,そういうところもあるんです。
 三味線をつくる人と演奏家と一緒になっていい音を出すということにもう少し神経を使っていくと,もっともっと心地よい三味線の音が聞けるんじゃないかなというふうに思うんですけれども。

【宮田部会長】 その辺はバイオリンも似たようなものでしょうね。楽器と演奏する方というのは,高い部分で共通項が合ったときに,聞く側と演奏する側もそうですが,お聞きする側でも心地よさというのがあって,だから角度とかすごく大事みたいです。

【本條秀太郎氏】 バイオリンなどもそうだと思うんですけれども,弾くことに専念してしまうというのが多いみたいです。

【宮田部会長】 ありがとうございます。大変興味深いお話をありがとうございました。
 それでは,安達先生お願いします。

【安達悦子氏】 安達悦子です。クラシックバレエで東京シティ・バレエ団に所属しております。
 私は,東京芸大とか東京音大のオペラ科にバレエを教えに行かせていただいたり,友達にクラシック界の人が結構多く,小学校の同級生に大野和士という指揮者がいたものですから,そういう関係で若いころからクラシック音楽の世界の方とお話しする機会が多かったです。それで,昔からバレエの世界とクラシック音楽の世界の違いというのを感じておりました。大学もないですし,そういう意味で少し寂しい思いをしてきたものですから,これまでのダンサーとしての経験,シティ・バレエ団にずっと所属してきたということから,人材育成のことをお話しさせていただきます。
 まず,日本のクラシックバレエの現状をお話しますと,日本では古くからお稽古事文化が発達していますが,バレエも今では最もポピュラーなお稽古事の一つとして確立されてきました。その結果として,今日全国にある個人経営の教室から将来を嘱望されるダンサーたちが続々と育ってきています。コンクールなどでもかなりのダンサーが育って,外国で賞を取るようになってきています。
 しかし,残念ながら,現在の日本ではプロとして働く場が極端に少ないのが現実で,バレエは職業として成り立ちにくいという構図ができ上がってしまっています。
 この問題は,簡単に解決するとは思ってはおりません。そこで,彼らの受け皿としてのバレエ団の充実が大切となってくると思っております。クラシックバレエダンサーは,バレエ団に所属しているということが重要だと思います。足元を固めるという意味においても,キャリアアップしていくという意味においても有形無形の核となるからです。
 朝,クラスレッスンをして体のトレーニングをします。ダンサーは体が楽器ですので,まずそれが基本的なことです。そして,リハーサルをし,舞台公演につなげていくわけなんですけれども,集団でのことなので集団でできる場所,また団体の中で動ける場所があってこそ,その後の個人活動につなげることもできます。真の意味での切磋琢磨もここから生まれるような気がしております。
 こうした考えは世界共通で,私が駆け出しのころというのは,私に最初にこの話をしてくれたのは,実は日本人の方ではなくて,カナダで宝石と言われていたイブリン・ハートというプリマバレリーナの方でした。
 一流のダンサーたちも海外のホームカンパニーを持っていらっしゃいます。今,日本の新国立劇場などの公演に客演していらっしゃるダンサーたちも,皆さん本国ではバレエカンパニーに所属していらっしゃいます。パリ・オペラ座だとか,ボリショイバレエ団に所属していて,そして全世界で活躍していらっしゃると思います。
 次に,バレエ団の中における人材育成ということでちょっと考えてみました。
 まず,ダンサーは楽器である体をつくるために,日々,毎日毎日朝レッスンをします。そして,作品のリハーサルです。その上で舞台をたくさん経験することによって,アーティストとして成長していきます。振付家はバレエ団の中でよいダンサーを使い,いろいろな振りつけをして,たくさんの発表の数を経験することで,振付家としても成長していきます。最初は実験的なこともしないといけないと思うんですけれども,なかなかその機会はないんです。
 それから,教師は教師になってからも勉強は必要で,経験を重ね,またすぐれた教師から吸収することもあります。
 これを反対から見ますと,バレエ団が充実するためには,バレエ団が安定した活動をしなくてはいけなくて,そのためにはバレエ団としてはすぐれた人材を抱えられるバレエ団でなくてはいけないですし,定期的に公演ができて,しかも多数の公演ができたら一番よろしいかと思います。そして,一番大切なのはダンサーのトレーニングとか作品のリハーサルの場所の確保です。かなりの広さとか,踊るためには床とかそういうものも特別なものが必要になります。
 また,総合芸術の一つでもありますので,どうしても衣装とか道具の保管をしておかなければならなくて,そういうスペースも必要になります。
 そこで,バレエ団の円滑な運営のために通常経費などの援助があれば,ダンサーや作家,そして教師にまでよりよい環境を与えることができると思います。舞台を数多く踏むこと,さまざまな場を経験することこそが成長の基本であり,舞台活動への助成がダンサーとしての,そしてアーティストとしてのレベルアップにつながっていくのだと思います。
 さらに,舞台数がふえれば内外の振付家の作品に触れる機会を得ることができ,新進作家には創作のチャンスを与えることができます。
 今,現在日本の国からも大きな助成をいただいています。公演にも助成していただいていますし,あとは文化庁の新進芸術家海外留学制度という在外研修員の制度では,ダンサーや振付家,教師それぞれに勉強する場を与えられています。私たちのバレエ団にもこの制度を利用して勉強に行って帰ってきて,またその成果を発揮している人材がいます。
 私自身もダンサーとして行かせていただきましたし,実はことし指導者としてまた特別派遣で勉強させていただくつもりです。そういう助成のことはとても感謝しております。
 けれども,こういう助成を受けての公演活動をするための基本的な安定した活動をするためには健全な運営が必要で,この基本となる稽古場の維持とか充実とか,基盤の運営に対してもし何らかの援助を考えていただけたらというのがバレエ団からの,私がぜひここで話してほしいというお願いでございました。
 それと,もう一つはつい先日まですぐれた教師を海外から招く制度というのがありまして,この制度を使わせていただいて,シティ・バレエ団でもダンサーたちに負担をかけることなく,ダンサーだけではなく,これは教師にも勉強になることでしたので,団員に負担をかけることなく,海外のすぐれた教師の教えを受ける機会を持てたんです。この制度がつい最近なくなってしまったことも残念に思っていることです。
 もう一つシティ・バレエ団は,江東区と提携させていただきました。東京シティ・バレエ団が提携したのは1994年で,これは東京シティ・フィルとともに事業提携させていただきました。バレエ団では唯一だと思います。オーケストラは,数箇所でそういうことがなされていると思うんですけれども,とても実験的なことなので,いろいろな問題を区の方たちも処理しながら一生懸命やっていただいています。
 内容としては,レジュメに大きなことを書き忘れましたが,年4回の提携公演があります。それからティアラジュニアバレエという江東区がやっている公のバレエ教室に教師を派遣しています。これには,ジュニアオーケストラというのも併設されています。
 それから,江東区でのオーディションにより選ばれた子どもたちとシティとの「くるみ割り人形」を毎年12月に公演しています。これは,バレエ団のダンサーたち,プロとして活躍しているダンサーと,東京シティ・フィルというオーケストラでの公演なので,とても成果が上がっているようで,お客様もいつもいっぱいになっています。
 あと,アウトリーチをさせていただいています。
 この提携をすることによりまして,とりあえず拠点ができたということと,古典と新作をコンスタントに発表できるようになり,舞台稽古の回数が増えました。バレエというと,ほとんどそれまでは,ホールを借りると,当日に朝舞台稽古をして,すぐ本番でおしまいということだったので,それが少し舞台稽古の回数を増やすことができました。
 それから,シティ・フィルとの信頼関係が生まれたので,これは舞台に大きな影響があります。当日1日だけオーケストラ合わせをして,ぽんと本番というのではなくて,恒常的な10年,14年かけての信頼関係というのは,お互いすばらしい関係ができているような気がします。もちろん,オーケストラの生の音楽で踊るチャンスが増えたことも,私どもにとってはとても幸せなことでした。それと,劇場との密接な関係が深まり,作品の精度も上がってきたような気がします。
 東京シティ・バレエ団は,地域に根ざした,地域の人に愛されて,誇りに思ってもらえるようなバレエ団を目指しております。バレエを単なる子どものお稽古事から職業に結びつく可能性のある芸術と認めてもらうのには時間がかかると思いますが,一歩一歩誠実に活動していけたらと願っております。
 あと,東京シティ・フィルと提携することで,打ち合わせをする機会がふえました。知れば知るほどオーケストラの組織がしっかりしていることが羨ましく思えております。マネジメントを勉強する人たちが,もっとバレエ団の運営に興味を持ってくれたら,携わってもらえたらと切望します。
 それから,シティ・バレエ団としては文化庁の本物の舞台芸術体験事業という学校公演もさせていただいて,これも一つの大きな事業です。学校公演は,全国になりますけれども,観客育成,ダンサー育成にもつながり,すばらしい事業ですし,ダンサーたちにとりましても,直接子どもたちとバレエを通して触れ合うということで大変な感動を覚えます。終わってからは,学校のほうからもたくさんお手紙をいただいて,とても充実した公演をさせていただいています。
 そこで,もう一つ欲を言えば,バレエは劇場芸術なので,劇場に子どもたちを招待して鑑賞していただけたらという,そういう企画も考えていただけたらと思っております。
 あと,ダンサーとして感じていることをちょっとつけ加えさせていただきます。
 プロのダンサーを目指す人は,高校卒業と同時に活動を始める場合がほとんどです。例えば,舞踊大学,クラシックバレエ科というようなものができるとしたら,それは研究者,教師を養成する場となるのか,ダンサーとして踊りながらアカデミックなことを学ぶことになるのか,そしてまたそれがキャリアにつながる道となるのか,未知数ですけれども,とても期待しております。
 それから,これは実はエヴァ・エフドキモワというすばらしいプリマバレリーナがいまして,引退されてからは全世界で教えていらっしゃいますし,日本でもバレエのコンクールの審査員とかされて,スカラーシップをダンサーに与えていらっしゃるんです。彼女に聞かれて,はたと私が気づいたことなんですけれども,中学卒業後とか高校途中で海外に留学する子どもたちがバレエの場合は大変増えております。当然ながら,そのうちの全員がよい結果に結びつくわけでもなく,そこからその後のことを考えて……,エヴァはこういうふうに私に聞きました。「彼女たちのエデュケーションはどうなのか。どうするの。」というふうに聞かれて,私もどうなっているんだろうというふうな答えしかできなかったんですけれども,後で考えてみて,海外で受けられる通信教育とか,帰国してから高校に行けるようなシステムとかが私も知らないので,あるのかなとちょっと不安に思ったわけです。
 それから,先ほど申しましたように,芸大とかいろいろな音楽大学の講師をさせていただいているんですけれども,そこで教えている大学生とか大学院生の方たちと,バレエ団で入ってきている,一番人数の多い若い団員たち,ダンサーたちの年齢層というのは,余り変わらないような気がいたします。音大生が大学,大学院で学んでいる時期に,バレエダンサーはバレエ団の活動を通して,心身ともに学び成長していきます。バレエ団は,学校の役割も果たさなければいけないということを感じております。
 バレエ団でも,身体的,肉体的な成長だけではなく,精神面でのサポートもしていかなければいけないんだなと最近考えておりまして,そういうものを考慮した講習会なども行っていくべきなのでしょうが,余裕がないというのが実情です。
 最初に申しましたように,クラシックバレエの社会的認知度というのは,最近アップしてきたと思いますが,社会的ステイタスはまだまだであると思います。とても残念です。けれども,クラシックバレエに携わる者一人一人の熱い思いが未来を明るくすると思いまして頑張っていきたいと思いますので,どうぞご助言よろしくお願いいたします。

【宮田部会長】 安達先生,ありがとうございました。
 大変,立派なレポートで非常に考えさせられるところが多いですね。
 この公的機関との提携というのはなかなか新しいとらえ方だと思います。それと同時に,若いころに留学したときにおける教育力の部分というものがうまく確立しているといいですね,帰ってきてからでも,また改めて高校を受けなければならないとか,そういうことがないようなとらえ方みたいなものを今後考える必要があるでしょうね。自由に,思い切って海外で勉強して帰ってきても大丈夫というような環境というのは必要なことですよね。ありがとうございます。
 尾高先生が14:30にご退出ということだったものですから,イレギュラーで恐縮ですが,ちょっと何かご発言いただけたら幸いなんですが。

【尾高委員】 14:40ぐらいまで大丈夫と思いますが,4人の方々のお話はすばらしかったです。
 ただ,すごく思いましたのは,共通していることがあると。というのは,ここでこう言ってはいけないんですけれども,昔の文部省が悪かったのがここにすべて出てきているのではないかという気がします。
 前の席でも申し上げましたけれども,日本の音楽の教科書のあり方がやたら洋楽ばかりで,そこで邦楽が入っていない。そういうような影響を受けて,放送,マスメディアまでが,邦楽がほとんど入ってこないという状況をつくってしまったのは,ここにいらっしゃる方ではないですけれども,ずっと昔の日本がとても悪かったんだと思います。
 ところが,日本にはすばらしい歴史があったのに,あるところから突然切れてしまって,そして作曲などでも,本当は日本にハイドン,バッハ,モーツァルトがいていいはずなのにいないところから始まっているんです。これはしようがなかったんです,鎖国のために。でも,それに対する教育の仕方が,西洋から来たものをまねて勉強しなければいけないというので減点法がすごく盛んになって,だめだ,だめだという方向から来て,でも今それを全部本当は取っ払わなければいけないときに来ているんじゃないかと思うんです。
 そして,今若い人たちに対して,これも前にお話ししましたけれども,札幌市長の上田さんが発案してくださったKitaraファーストコンサート,Kitaraというのは札幌にある日本一と言われるコンサートホールですが,2,008席です。そこに,毎年札幌の小学6年生を全員呼びます。そして,あるときは1万2,000人,あるときは1万4,000人。そして,その人たちに,昔文部省が奨励していた音楽教室という,先生が,そこに入って,そこからそこまで静かに,指揮者が出てきたら万雷の拍手を,子どもは嫌になってしまいますね。
 そして,なおかつ選ぶ曲は文部省の教科書に載っている,今ほとんどやられない「マドンナの宝石」であるとか,そして予算がない,そうすると指揮者はどうでもいいような人が出てくる。そうすると,子どもはもっと嫌になってしまうというのをどうにかしようというので,札幌では札幌交響楽団が高関健さんという人と僕の2人で振っています。そして,曲目も,教育委員会には怒られるかもしれないという「スターウォーズ」とかいろいろな子どもが喜ぶものをやって,そしたら子どもの反応というのは本当にすばらしいです。そして,ちゃんと入場券をみんなに渡すんです。自分たちで席を探して自分で座ってプログラムもいただいて,大人として扱われて,曲を僕が説明しながらやると,本当に子どもの反応はすばらしくて,どうして今までの音楽教室でああいう反応がなかったんだろう,それは上が押さえつけるからです。静かにして聞かなければいけないというからだというようなことを取っ払ってあげると,今の子どもでも可能性は十分あると思います。
 奥尻島に一度行ったことがありますけれども,「新世界交響曲」をやっていて,しばらくたってティンパニがすごい音を出す,そうしたらそのときに僕のここに座っていた坊やが「すげー」って言ったんです。そうしたら,お母さんが焦っちゃって「しっ」と言ったけれどもいいんです。子どもがさっき反応が悪いとおっしゃったけれども,悪くしているのは絶対大人が悪くしています。子どもの可能性はすごいと思います。
 ナショナル・ユース・オーケストラというのが英国にもありますし,その子どもたちと練習するときに,こっちがこいつらここまでできるなと思ったら,そこまでしかできません。本当にそういうところを僕たちが反省して,子どもの可能性を伸ばすように,伸ばすようにしていかなければいけないなということを感じます。
 そして,先ほど野平さんがおっしゃったギターがどうのこうのという,芸大にギター科。もう一つあるのは,サウンドエンジニアというのが日本はとても遅れています。サウンドエンジニアというのは,例えば英国でもヨーロッパでも皆さんいらっしゃって,日本の車をぜひレンタカーしてください。トヨタでも何でもいいです。そうすると,ソニーのラジオがちゃんとついています。でも,付けてみてください。絶対日本よりいい音がします。絶対保証します。それは,なぜかというとサウンドエンジニアというものが向こうでは文化として成り立っているからで,そうすると,僕が向こうで仕事して指揮台で聞こえていた音,後からテープをもらうと指揮台よりよっぽどいい音で入っています。おれ,こんないい演奏したのみたいな。
 それは,サウンドエンジニア科というのが向こうにはありますから,そうするとその人たちが練習を聞いていてくれて,尾高はこうやりたいんだというと,その音に一番近い音につくってくれる。そういう科がなくて,別にこれはNHKの悪口でも何でもないですけれども,日本のテレビ,本当はいい音がもっとするはずです,サウンドエンジニアという文化がしっかりしていれば。
 そうすると,この間メルボルンでオーストラリア人がつくった尺八と,それから和楽器とオーケストラの曲をやりました。尺八は2,000人の席ではやはり本当にうまくは聞こえません。でも,すばらしく聞こえたんです。それは,尺八にピンマイクみたいなのをつけているんですが,特別製だそうです。ですから,ああいうものをつくれば三味線でも十分大きなところで,ソニーができるかどうかわかりませんが,どこかがつくるようなことをして,本当は大きなところで子どもたちに三味線の良さをわかってほしい。
 僕,棒を振り始めたころに,それこそNHKで,さっきおっしゃった謝礼900円ぐらいで仕事をしたことがありますけれども,邦楽の方とご一緒して。そして,練習したらぴったりうまくいって,そして,はい本番ですと赤ランプがついたら,僕の前のおばあちゃまが三味線でした。ずれちゃうんです。上がっていらっしゃるなと思って,もう一回やりましょう,もう一回やりましょうと言って,幾らやってもずれる。僕の感覚では明らかにずれているとしか感じませんでした。僕は明らかに洋楽で育っていますから。そして,休憩にしました。少し落ちついていただこうと。そうしたら,そのおばあちゃまが僕のところにいらっしゃって,「いいんです,これがわびです,さびです,このずれをわかっていただきたい。」と言って,すごい冷や汗をかきました。そう思ってやってみると,いいんです。
 だから,僕たちは洋楽のいわゆる縦線で全部決まっているのに毒された世界にいて,邦楽のいわゆる縦線がない,微妙なよさを本当はそろそろわからなければいけない時期に来ているんじゃないかなと思います。すみません勝手なことばかり申し上げて。でも,そういうようなことも感じながら皆さんのお話を伺いました。

【宮田部会長】 もうちょっといいですよ。30分の2分ぐらい前に終わらせて,さすがでございます。サウンドエンジニア科というのは……

【尾高委員】 服部良次さんというバイオリニストで指揮者,彼の弟かお兄さんか,どっちかがスイスでちゃんとその免許を取っています。だから,ああいう人たちが日本に帰ってきてくれるとすごくいいんです。
 ですから,今僕はレコーディングをするときに英国人を呼んでいます,残念ながら。もちろん,日本にもいらっしゃいますけれども,でも明らかにそれを聞いたときに,オーケストラのメンバーは喜び方が全然違います。

【宮田部会長】 伝えるということがいかに難しいかということですね。

【尾高委員】 本当に,日本のラジオはすばらしいです。本当はすばらしい。だから,そこに流しているもとがもっとすばらしくなればと思います。

【宮田部会長】 大変興味深いお話をありがとうございます。
 本條先生,今のお話をお聞きすると,ちょっと勇気が。

【本條秀太郎氏】 そうですね,海外の白人の方たちが三味線などを聞くと,三味線本来の音を取ってくれるというのがあります。

【宮田部会長】 そうですか。縦軸との間合いのずれというか,息というあたりもいいですね。

【本條秀太郎氏】 そうですね。それは,間合いで全部するものですから。要するに,日本のものというのはほとんどが表と裏という考え方しかなくて,普通の洋楽のニュアンスとはちょっと違うので,その辺で,よく口三味線とか,口唱和で「よーい」という間をつかむんですけれども,これは表,裏ということなんです。これは「よーい」という場合もあるし,「よい」というときもあるし,これは1拍を「よい」と2つにしているという,それをその中で必ず伸びているから,すごく変に伸びているというふうに思われるらしいんですけれどもそうじゃなくて,伸びている中にちゃんとしたリズムがあって,だから自由にうたっていても細工しやすいんです。下手な人という言い方をするといけないけれども,下手な人がすると細工するのが物すごく大変なんです。読めないんです,寸法が。自由に伸ばすというのがわからない。ですから,そういうのが多分にあるんだと思います。その辺を楽しんでいただければ日本の音楽もいいかなと思います。

【宮田部会長】 ありがとうございます。ずっと,きょうは音楽系のお話だったんですけれども,偶然さきほどご父兄の話がありましたけれども,夏にいつも私法務省の社会を明るくする運動ということで,お子さんと親御さんと呼んで実習をさせるんです。まず,うちの先生方に一番最初に言うことは,まずお母さん,お父さんをガードしなさい。自分がつくる,その後子どもさんにつくる,子どもさんは絶対それと同じことはやらない。親は必ず怒る。その怒った親を怒れと言っているんです。
 これ大事なことで,彼らが違うことをやるのは教わることじゃなくて自分の個性を出すことだから,そのことを大事にしてやらないといけないよという話からやっているので,ちょっと興味深い,大きな部分で似ているところがあるなという感じがしました。というのと,伝えるということとまた微妙に違うところもあるんでしょうけれどもね。
 大変きょうは4人の先生方から興味深いお話をいただいております。これからしばらくの間自由討議をしていきながら,きょうの一つの流れをつくっていきたいというふうに思っておりますがいかがでしょうか。
 どうぞ,田村先生。

【田村(和)委員】 ちょっと,ご質問させていただきたいんですが,我々の部会といいますのは,人材をどう育てるかということなんですが,きょうお話を聞いていて非常にすばらしいと思ったのは,それぞれの芸術分野のインフラの問題であるとか,それから外堀をどうするかとか,周辺領域の問題が物すごく明確に出てきたなという感じがありまして,特に先端部分までどういうふうに開いていくかというようなことで,結局人材の問題だけではなくて,それの総体として,それぞれの分野がただ守るだけじゃなくて,これからどれだけ進化させていくのかというんですか,内部的な努力をどういうふうに保っていけるのかということが一番大切なんだというようなところが,非常によく見えたような気がするんです。
 ちょっと1つだけお伺いしたいのは,本條先生にお伺いしたいんですが,特にこういう,先生の分野でおっしゃるお話,非常にサジェスチョンが多かったんですが,後継者というんですか,実際に先生の周辺の人をどう育てていくかというのは,どういうような形が一番中心なのか,私外側から見ていまして,邦楽分野は特にわからないものですから,ちょっとお伺いしたいんですが。

【本條秀太郎氏】 多分,昔風のやり方でちゃんと内弟子に入ってというのが一番いいんだろうと思うんですけれども,そういうふうにして育ってこなかった人たち,さっき言った大学を卒業してプロになったという人たちと比べると,最後の踏ん張りがないみたいなところがあって,多分それはきっと毎日勉強していく中での培われ方が違うんだろうなという,稽古ということ自体が,まず昔の人は,芸は盗めという言葉があるぐらいで,その辺が多分邦楽って入りにくいところなんだと思うんですけれども,ほとんどの場合まねて覚えていきます。
 それで,あと自分でまねていって,でき上がってきたときに初めてその人の個性が出るという。だから,それをまねている間,ちゃんとでき上がるまでは,そのものは個性を持っていないという考え方で育てていくわけですから,今よく学校などでもそうですけれども,生まれたらすぐ一人ずつ個性があるみたいだけれども,それは個性ではなくて,技術とかそういうもの,芸能という言葉もそれに含まれるんだと思うんですけれども,そういうものを身につけたときに初めてその人が個性を持つということであって,そうじゃない場合は個性というのはなくて,個人であるわけだから,その辺が芸の中では,日本の芸能の場合にはとっても大事にしている部分だと思うんです。
 ですから,稽古で,お月謝を払って習いに行くというのではなくて,先ほど話があったような,親が何かを言うのではなくて,お稽古に子どもを預けたとすると,そこの時点でそれは先生がすべて面倒を見るということなわけです。親がこうしてくれなければ困るとか,そういうことを一切言ってはいけない。それで,先生がすべてその子の面倒を見てあげる。それで,その中で礼儀作法であったり,所作であったりとか,それから上下関係であったりとか,大人に対してとか,自分たちの仲間に対してとかということを稽古場で覚えるんです。だから,何となく西洋のレッスンとは違うというところがあって,それが稽古だと思うので,その辺ができるかできないかで人材も育つということになるんだと思うんですけれども。

【田村(和)委員】 具体的には,そうしますと,それをくるみ込む場というのは先ほどおっしゃった内弟子ですか。

【本條秀太郎氏】 今でも細々とですけれどもあります。だけど,今言ったように子どもたちの親御さんが,余り子どものことを考え過ぎるのかどうかわからないけれども,余り師匠が文句を言うと親から文句があるみたいなことがあるから,そういうところで割と邦楽の世界も,余りそういうところはきつくなくなってしまった,緩やかになってしまったということはあります。

【田村(和)委員】 わかりました。ありがとうございました。

【宮田部会長】 ありがとうございました。いかがですか。

【吉本委員】 きょうの4人の先生方のお話,本当に分野も全然違うということもありまして,すごく勉強になりました。ありがとうございました。
 その中で,すごく印象に残っているのは,子どものころから本物のすばらしい音楽に触れるということが重要だということを皆さんおっしゃっていたと思うんです。それは,この部会のテーマである芸術家の人材育成のためにそういうことが必要だということをおっしゃっていたんだと思うんですけれども,それと同時に芸術家が育つための環境として,子どものころから本物の芸術に触れられることとは,芸術家の育成だけではなく,そのことが結果的に日本の子どもたち全体をを健全に育成することにつながるんだということをおっしゃっていたと思うんです。
 ですから,言葉をかえると芸術家が育つような教育環境を整えることが,日本の教育環境そのものをよくするというような言い方もできると思いながら話を伺いました。
 それで,ちょうどそれに関係する非常に興味深い調査のレポートがありまして,音響メーカーのTOAさんがやっている「TOA音楽と教育の意識調査」というものがありまして,この春に発表されたんですけれども,親御さん向けのアンケートをしているんです。その中で,「お子さんが生きていく上で,どんな力が必要だと思いますか」という設問には,1番が心の豊かさ,2番がコミュニケーション力,3番が表現する力という結果になっています。その「心の豊かさを身につけるために,重要な科目は何ですか」という設問の回答は,1位が音楽,2位が国語,3位が図工,美術。2つ目の「コミュニケーション能力をつけるために役立つ科目」は,国語,外国語,音楽。それから,「表現する力を育成するために何が重要ですか」は,1位が図工,美術,2位が国語,3位が音楽ということで,親御さんたちは,子どもたちが生きていく上で,今日まさしく皆さんがおっしゃったような,本物の音楽に触れたりすることで,身につくものが重要だと思っていて,なおかつそれを教えるためには音楽とか美術のようなものが重要だということを親御さんたちも考えているということで,今日話を伺いながら,まさしくそういうことが今日本の芸術家を育てるということのためだけではなく重要なんだなということをすごく思いました。
 それから,もう一つは野平先生のおっしゃっていた作曲委嘱のことですけれども,作曲を委嘱される機会が作曲家の方にはすごく少ないというようなことなんだと思うんですが,この部会の実演芸術家等という「等」の中に作曲家とか脚本家とか,そういう人たちが入っているということでこの部会は始まっているんです。ですので,作曲委嘱もそうでしょうし,それから脚本でも振りつけでもそうだと思うんですが,公演に対する助成の仕組みの中に,新しい作品をつくる公演に対する助成のようなものができれば,その中から積極的に作曲委嘱が生まれたり,新しい舞台の作品が生まれたりというようなことにつながってくるんじゃないかなというふうに思いながら聞いていました。
 以上2点です。

【宮田部会長】 そのTOAさんのデータおもしろいですね。国語が必ず入っているという。

【吉本委員】 次回の部会に配付していただくように資料を取り寄せます。

【宮田部会長】 そうですか。音楽と美術が結構交互にいっているあたりがおもしろいですね。ありがとうございました。
 先ほど,尾高先生が,今は文科省ですからあえて言ってもいいかなみたいな感じなんですけれども,私もつくづくそれは思っています。高々百二,三十年の中で西洋化しようとするときに,やらざるを得なかったという部分はあるでしょうけれども,かといって捨ててしまうのもいかがなものかというときに,捨て去られたような部分が結構あった中に,大きく文化芸術の部分があったのかなという感じがしておりますし,これはあえてこういう一つの人材育成のきっかけづくりのときに,声を大にして言わなければいけないのかなという感じがいたします。
 事務局としてはいかがでしょうか。

【清水芸術文化課長】 ちょっと,私も教育の関係で直接答えるというわけではもちろんありませんけれども,文部科学省もいろいろ邦楽について教育する機会をふやしたりとかといったようなことを幾らか反省を踏まえながら始めているとは思っております。もちろん,楽器が学校に今十分ないとか,指導者がすぐにはできないというようなことがありますので,そういった課題を解決しながらということでありますけれども,いろいろとご指摘を踏まえながら,また必要があれば,文化庁等,また教育関係機関と連携しながらやっていきたいと思っております。

【宮田部会長】 救いの道の部分はあるというのはわかって話を振っています。方角が全くなかったら言いませんから。少し開けてきているなという努力は感じますが,同時に私どもも発信する側としてもファン層,言葉が適切ではございませんが,伝え手と伝わり方,そして聞き手とのキャッチボールの関係を余り大切にしていなかったかなというのも,ある意味での反省点ではあるかもしれません。それも,やや私などもちょっと気になりました。私もアーティストなどと言いながら,非常にクラシックなものが大好きで,いわゆる日本の伝統工芸の世界をきっちりやりたいと思っていながら,最終的な表現は随分モダンなことをやっているんですけれども,その辺がちょっと気にはなっているところです。
 いかがでしょうか,ほかの先生方。

【富澤部会長代理】 私ども,この政策部会では,芸術家の人材育成ということで話をして勉強しているわけですけれども,きょうの4人のプロの先生方のお話を聞いて,人材の育成というのは私は2つあるんだなというような感じがしたんです。
 その1つは,西洋音楽,あるいはバレエ,あるいは邦楽ですね。みんなジャンルの違いによって,基礎的なファンダメンタルなこと,あるいは技術的なことはみんな違う環境で,違うやり方で教育なり学んでくるということが一つですけれども,もう一つは共通して言えるのは,そういうものを磨き,あるいは個性を出していく場合には,舞台なり実際の場でそういうものを実践しながら,さらに高いものにしていくというところなんです。
 そこのところはどのジャンルでも一緒なんだなというような気がするので,人材の育成ともう一つは,我々のほうから言うと活用ということなんでしょうけれども,そこのところをどう考えるかというのが非常に大事だなという感じがしました。
 そういう意味では,安達先生が言われた江東区との提携というのはおもしろいなと。私,初めてきょう伺ったんですけれども,そういう地方自治体との提携というケースもあるでしょうし,あるいはかつてもう10何年前に非常に盛んになった企業との提携,メセナという言葉で言っていましたけれども,このメセナはバブルが崩壊して以降どんどんなくなってしまって,我々の認識は非常に浅いものであったなという反省も込めて思っているんですけれども,企業との提携もあるでしょうし,あるいはメディアとの提携とか,いろいろなやり方がケース・バイ・ケースであると思うんです。こういうものをもうちょっと発掘していくというんですか,いろいろな知恵を出していくということが大事じゃないかなという感じを持ちました。
 そういう意味で,安達先生が言われた地方自治体,この場合は区ですけれども,各市町村との提携とか,そういうものをもうちょっと研究していけばいろいろな可能性があるんじゃないかなという気がしておりまして,もっと詳しくまたお話を伺えればありがたいなと思います。

【宮田部会長】 安達先生,私もさっき思ったので,そのことをちょっとお願いできますでしょうか。成り立ちでも結構です。

【安達悦子氏】 成り立ちは,現在の理事長の石井清子が江東区民で,30年,40年と地元でずっとこつこつとバレエを教えてきて,それが地元のバレエの研究所を巻き込んでの「くるみ割り人形」に発展していったんです。その「くるみ割り人形」の公演に,常に東京シティ・バレエ団がダンサーとして,賛助出演しており,衣装の部分,舞台の部分,装置の部分でも援助していました。多分14年前になるんだと思います。そのときの区長さんが新しい会館,ティアラ江東というのができるときに,シティ・フィルをフランチャイズするのに,シティ・バレエ団もくっつけてくれたわけです。オーケストラのフランチャイズはその当時から始まっていますが,それに,バレエ団もくっつけてくれたという英断をされたんです。そのおかげで始まりました。
 14年間紆余曲折,区長さんもお変わりになりましたし,私も不勉強なので間違うといけないんですけれども,区の中で運営が指定管理者制度というのになって,そのときも一度危機を迎えたと聞いてます。
 先ほど,大谷さんのお話の中で,公平の話がありましたよね。平等感を求めると,バレエ団とかオーケストラの,会館の優先利用などもやはり問題があるみたいで,いろいろ区の方と話し合いながら,何とか14年間続いています。
 今もいろいろな問題が起きつつ頑張って続けています。「くるみ割り人形」が子どもたちにとてもいい影響があったので,観客もすごくふえました。江東区との提携にあたって最初に石井清子先生が思ったのが,シュトゥットガルト・バレエ団の例だったんです。シュトゥットガルト・バレエ団のあるシュトゥットガルトは,まちがダイムラー・ベンツの街で,ベンツとシュトゥットガルト・バレエが有名というようなまちで,それはシュトゥットガルトだけではないと思うんですけれども,別にバレエを見に行かなくても,八百屋さんとか,その街の人たちがバレエ団の話を普段していて,サンダルをつっかけてもバレエを見に行っちゃうような,そういう気軽にバレエを楽しめる雰囲気がある。そのことを在外研修員としてシュトゥットガルトに行かれているときに,石井先生にとってはそれが一番羨ましかったとのことでした。それが,石井先生の夢だったので,何とか江東区で実現したいという願いだった訳です。
 私も,実は再び在外研修員としてシュトゥットガルト・バレエ団の校長先生だった方の紹介でベルリンに行かせていただくんですけれども,前回シュトゥットガルトに訪問したときに石井先生と同じように感じましたし,ベジャールバレエ団のあったブリュッセルでもこんなことがありました。私が泊まったペンションのオーナーでもともと軍人だった方が,「ベジャールは実はフランスで嫌われたけれども,私たちベルギー人が受け入れて,これだけのすばらしいバレエ団ができた。それを誇りに思っている。彼の青い目を見てごらん真の芸術家の目だ。」と話してくれました。軍隊を引退してペンションをしているような方たちに言われて,そういうふうにバレエが語られていることをとても羨ましいと思ったことがありました。バレエが地域の人に愛されることを願っていたので江東区からの申出に飛びついたんです。日本の状況の中で,14年間続けてこれてよかったなと思っています。また,アウトリーチなども区のほうからも教わって一生懸命やっているところです。

【富澤部会長代理】 先ほど,本條さんが邦楽とサポーターという言い方をされて非常におもしろいなと思ったんですけれども,安達さんが言われた中に,江東区民,江東区がサポーターなんだろうと思うんです。そういう意味で,地方の時代と言いながら,日本の場合は地方が自立していませんから,これからは大いに自立してもらわなければということで,そういう芸術と地方が結びつく。でも私は企業であってもいいと思いますし,また別の形であってもいいと思います。そういうサポーターを持つことが基本的な広がりになってくるんじゃないかなということで,非常に力強く感じました。

【安達悦子氏】 ありがとうございます。Jリーグを目指せという感じですけれども,サポーターに愛されることが大切だと思っています。

【宮田部会長】 言葉は違いますが,キャッチボールという話をさせてもらったんですが……

【安達悦子氏】 同じです。今まで,バレエもバレエに関係する人だけでやっていたんです。ダンサーたちだけで。外国の方に,日本はダンサーのご両親というか家族が日本のバレエ界のサポーターだねってよく言われたくらいです。それをもう少し一般の方に見ていただけるようにしたいと思います。

【宮田部会長】 よく(日)の夕方など,ぱっと見てお子さんがバレエの帰りだなというのがわかる,お母さんと一緒に電車に乗っているのを,心の中で頑張ってもらいたいな,だけどどうなるんだろうって心配が出会うたびにあったわけですけれども。

【安達悦子氏】 例えば,ここでお目にかかってびっくりしたんですけれども,私は一度本條先生のお三味線で石井清子振付のバレエを踊ったことがあるんです。すごく感動的でした。石井先生の稽古場が富岡八幡宮の中にありまして,お隣がお三味線の先生なんです。そういうところにバレエのお稽古場もありまして,多分江東区の方たちは割と開けているというか,バレエとお三味線も自然体で受け入れられる気がします。そういう土地柄なんです。石井先生も子どものころから端うたとか謡を勉強しながらバレエをやられたと聞いてます。端うたで踊るのが最初大変だったんですけれども。しかも完全にクラシックバレエの振りだったので。ただ,だんだん自分の日本人の感性が意識され,本條先生と合わせたときに感動しました。日本舞踊を習ったわけでもないのに,日本的なものが自分の中から出てくるような気がして。

【宮田部会長】 お稽古事という言葉が適切ではないんですが,皆さん大変熱心な区であることは確かですよね。ただ,片仮名がどうもうまく,僕はきょう勉強になりました。

【安達悦子氏】 区民の方も一生懸命見に来てくださっているので,こちらもキャッチボールをする努力をしなくてはと思っています。

【大谷康子氏】 今,安達さんがおっしゃったので,行政と結びついている例として,東京交響楽団に私所属していますけれども,ちょうど新潟のリュートピアというホールとフランチャイズしているんですけれども,その関係で新潟市内の小学生をホールにいっぱい集めて,毎年演奏会したり,その子どもたちを舞台の上に上げて一緒にやったりとか,あるいは学校を回っていろいろ授業みたいのを体験したりとか,病院を回ったりとかそういうのをやったり,あと川崎市ともフランチャイズしているので,そちらでも同じようなことをやっております。
 実際,そういうのを続けていると,私も実際やりましたけれども,川崎駅のところで弾いたり,ごった返している中でやるんですけれども,でもそうするとだんだん根づいていって,生活の中に入っていけるんです。子どもさんたちのこともありますので,ぜひ地方の行政とくっついたり,またぜひ国に支援していただいたり,そういうことはすごく大事だと思いますので,よろしくお願いいたします。

【宮田部会長】 長官,どうぞ。

【青木長官】 東京の下町をばかにしちゃいけません。 墨田区のトリフォニーホールをつくるときに,そういうコンサートホールの計画を墨田区と,それから小澤征爾氏を始めとする芸術家が出しました。テレビの有名な夜のニュース番組で,有名なキャスターが,墨田区にそんなもの必要かというようなことを言ったというんです。そしたら,それを聞いていた江東区や墨田区の人たちからは物すごいブーイングが起こりました。実際に,歌舞伎や伝統芸能は,東京の下町の人たちが支えてきたんです。非常にすばらしい高価な和服を作って,それで歌舞伎座に行く。そうした下町の主に商人の人たちの支持で,歌舞伎座はもっているし,それから伝統芸術に対しては,本当の意味でのサポーターというのは山の手には意外といないんです。これは,僕はよく知っているんですけれどもね。
 だから,下町の商家,今は少なくなりつつあるけれども,伝統的な商家の奥様たちが支えているので,その下町文化というものの意味というのは非常に大きい。
 たまたま今そういう話が出たので申し上げたんですけれども,先ほど野平先生がおっしゃった先端技術と音楽,作曲,そのときに例えば,先端技術面から見ると音の出し方とかもいろいろな点で非常に進んでいると思うんです。ではそういう技術というのはどこで学べるのか。例えば,作曲家の中には電子音楽とかいろいろなことがありまして,それからブーレーズなどがやっている先生が行かれたようなポンピドゥーセンターの実践的な音楽などももともと非常に電子機器などをうまく取り入れてやっているわけですけれども,そういう教育というのはどこで可能なのか。先ほど尾高さんがおっしゃったサウンドエンジニア,これもどこで養成するのか,今のところはほとんどレコード会社などでそういう音楽技術をもった人が多いようですが。
 そういうものを養成するような場所があるのかどうか,芸大などそういうことやっているかどうか。ちょっとつけ加えますが,音の追求というのは非常に重要であって,これは前から私も言っているんですけれども,日本の音楽教育がいいか悪いかは別としまして,西洋音楽のドレミで我々は小学校以来習ってきますので,三味線の音とか,あるいはアジアのいろいろな楽器の音に対して違和感を持つ場合があるんです。
 音のあり方には多材なものがあるし,もちろん三味線などの音はすぐピアノで同じものが出せるわけでもない。それから,例えばジャズには有名なブルーノートという音があるわけです。こういうものは,クラシック音楽では見つけられなかった音で,マイルス・デイビスなどが見つけた音なんですけれども,こういうジャンル特有の独特の音階というのがある。ハワイアンの音階も非常におもしろいですね。アジアのいろいろな伝統音楽の音階も,これと西洋音楽の音と一緒にしながら,本條先生がおっしゃったように,新しい音楽をつくっていくのは,一体どういう場でそういうことができるかというのをお聞きしたい。
 ミャンマーは軍事政権で,当時のサイクロンに対する政府の対応などでいろいろと国際的に評判が悪いところなんですけれども,あそこには,かなりしっかりした文化庁ならぬ文化省がありまして,そこに文化大学というのがあるんです。文化大学があって,それは大学なんですけれども,唯一文化省の所属です。そこではミャンマーのビルマ民族だけじゃない,いろいろな少数民族の音楽も含めて教えています。もちろんアジア的な音楽もやっているし,それから西洋音楽も教えておりますよ,ということだったんですけれども。
 私,2回ほど訪ねて校長さんに案内していただいて,いろいろなパフォーマンスも見せていただきましたけれども,ああいうようなものは日本の教育体系にどれだけなじむか知りませんが,今のお話を聞くと先端科学の状況,技術の研究の進みぐあい等,それから芸術の創造と,それから文化の多様な音の追求というのは,どこかできちんと研究教育をしなければいけない。今のところ芸大は何もやってないようなのですが。ギター科がないというのは今日初めて聞いたんですが。

【宮田部会長】 ありがとうございます。このぐらい熱があるほうがいいですね。
 美術の人間はここには1人しかいないんだけれども,例えばTASK,台東,足立,墨田,葛飾と4つの区と,美術の中で伝統工芸の職人さんたちと学生とでコラボしていて新しい発信をしたり,江東,荒川と,リサイクルセンター利用して学生と一般の人たちとの関係をつくっているとか非常に大きくやっておりますので,下町のほうが芸事,芸事という言葉が適切ではございませんが,しっかりと根づいているというのは確かですよね。
 同じようなことで,音楽環境創造科というのを取手につくりまして,その後これもご縁があって,旧千住小学校跡を使ってつくらせていただきました。大変優秀な亀川先生というNHKのご出身の若い先生にいろいろご指導いただいてやっと芽吹いてきましたね。同時に,アートマネジメントの人材育成に関しても非常に積極的に,ただ人材ってなかなかすぐできるような化学肥料ではございませんので,ただ場所をきちっと,教育者をきちっとつくっておかないと,いい人材も来ませんので,その関係が徐々にできつつあるということは事実ですが,もうひと踏ん張りしたいなという感じはしております。
 同じように,邦楽科がございますが,ついこの間もちょっと邦楽の先生方と話したんですが,学科じゃなくて学部ぐらいにまで持っていかないと,日本の芸術教育の中で,日本のものをきっちりやっている学部がないなんていうのは,まさしくこれは恥だと私思っておりまして,そういう意味では本條先生のお言葉などは大変力強く後押ししてくださっているなという感じがいたしました。ありがとうございました。
 あと少し時間がございますが,いかがでしょうか。

【青木長官】 ちょっと野平先生に先に聞きたいんです。科学技術と音楽作曲について。

【野平一郎氏】 それは,ある種のきちんとした研究施設なり,大学の附属機関でもいいんですけれども,もし北千住のああいった学部が今後拡大していくと,拡大整備してもう少し力をつけていくというようなことであれば,そういうところでももちろん可能だと思います。ただ,長官がおっしゃられた,いみじくもアジアのことが出てきたんですけれども,日本の伝統音楽をもちろん大切にするだけではなくて,我々はこの時代に生きているので,ある程度西洋に目を向けるということと,日本に目を向けるということの二元化になってしまっているので,そうじゃなくてもう少しアジアへの眼差しとか,例えば西洋音楽の中だって,ピアノの先生は,ショパンを何か,先生を招きたいなと思うとポーランドから呼んでくるとか,ベートーヴェンだとウィーンから呼んでくるとかは,それは一つの考え方ですけれども,これだけ世の中がグローバリゼーションで,いろいろなところでいろいろなことが起こっているわけですから,もう少し考え方をフレキシブルにしていくということ,つまり日常の鋭意の中で考え方をフレキシブルにしていくということも,非常に必要かなというふうに思います。どうでしょうか,その辺で答えは。

【宮田部会長】 よろしゅうございますか。
 池野先生,どうぞ。

【池野委員】 きょう,お話を伺っていて非常に明解になったことが二つあると思います。
 一つは,芸術に親しむ環境という問題で,これは先ほど安達悦子さんから東京シティ・バレエ団の例を挙げていただいたんですけれども,石井清子先生が住んでいらっしゃるところが江東区ということで,小さいころから邦楽にも親しんでいた。これは,一つの例としてどんなジャンルのものであっても,そういった芸能・芸術の場があるというところで育った人間は,ほかのジャンルの芸術であってもそれに通じるものがある。そこで,そういった下地ができている江東区で東京シティ・バレエ団が成功しているんじゃないかなと思いました。
 これは,環境がいかに大事かというところでいうと,そのほかにも例えばこの部会でしばしば取り上げられています新潟のりゅーとぴあ,あそこもそうですし,要するにそこに住んでいる地域の核となるような拠点があるということが非常に大事だと思いました。新潟も,それから江東区のティアラ江東もそうですけれども,芸術団体に,単に公演の場として貸し出すということだけではなく,新潟の場合はノイズムというダンスのカンパニーもありますし,江東区ではシティ・バレエ団というバレエ団とフランチャイズ,それからシティ・オーケストラとフランチャイズすることによって,創造の場を提供するというような意味合いを兼ねて,それとそこに住んでいる地域の住民を中心とした人たちとより多く接する機会を設けているということが,一番大きいのではないかと思いました。
 ですから,ここで何度も訴えておりますように,地域の公共施設,それから地域の住民,それと芸術家というものの交流の場としてのまさに創造発信の場ということが非常に重要になっていると思います。
 もう一つは,技術的なこと,あるいは研究活動を広げていくということでいえば,養成機関,研究開発する場というものが一つあると思いますけれども,これは大学等で創造し,学びというところで養われるのではないかと思っております。
 例えば,先ほど安達さんの例で非常に重要じゃないかなと思ったのは,若いころからバレエの方だけではなくて音楽家と交流する機会があったということもです。一つのジャンルだけで活動していますと,どうしても視野が狭くなってしまいますけれども,ほかのジャンル,ほかの芸術の分野の方と接することによって目が開かれていくということもありますし,そういう意味では芸術大学というものの充実が図られていったほうがいいのではないかと思っております。
 単に見て親しむということだけではなくて,研究をしていくという上では,他ジャンルの人との交流というものが非常に大事だと思われます。

【宮田部会長】 ありがとうございました。
 田村先生,どうぞ。

【田村(和)委員】 音楽とバレエのお話を聞いていまして,ちょっと気になりましたのは,非常に音楽とかバレエというのは,身体性というのは年齢的な問題が非常にかかわりますね,養成されるときに。私の周辺などを見ても,音楽とかバレエを志す人たちいっぱいいるわけです。ところが,その後に,これまた乱暴な話かもしれないけれども,コンクールというのが一つの登竜門みたいになってきてという話がありますね。
 そうしますと,最初に志した人がいて,それが非常に年齢的とか身体性が非常に豊かなときに勉強していくと。そこから,コンクールだけじゃないと思うんですが,一つの機会があって,そこから一つのプロになっていくというプロセスがあると思うんです。これは,一つのある芸術家の生涯みたいなものだと思うんですけれども。
 きょう聞いていて一番大切だなと思うのは,あちこちにふるいがあって,ふるいで残ったとか落ちたというのは非常に嫌な言い方なんだけれども,ふるいに通った場合にはこういうふうにいくんだけれども,ふるいから落ちていった人たちは一体どういうふうな形で,それぞれ大きな蓄積を持ちながらどうなっていくのかというのは,これは私は自己責任部分が多いと思うんだけれども,こういう部分に対して何か大きな形で受け皿を用意していく。現実的にはいろいろな話があるんですけれども,そういうシステムみたいなものは何かあるんでしょうか。
 それから,特に大谷先生がおっしゃったと思うんだけれども,コンクールに通ってもその後に,コンクールに通ったことを生かし切れない社会なんだというふうにおっしゃったんだけれども,ずっと聞いていますと,最初から登っていく過程は問題があるんだけれども,その途中に,その後,後に,その途中にふるいがあって,そのふるいの後,後にたくさん問題があって,そのあたりで非常にたくさんの志を持った人たちが消えていくみたいな話がすごくあると思うんです。これは,非常にスポーツの世界もそうでして,現実に私が今ぶつかっているのが,いろいろなプロになったアスリートなどは結局,アスリートになるまでに随分落っこっていくわけですけれども,アスリートになった人たちが,ある年齢を超えてしまうとどうするのかという問題がありまして,これを全くスポーツとかその領域でもっと別のところで受け皿をつくっていくという。
 受け皿をどう利用していくかというのは本人の問題なんだけれども,できる限り今の成熟社会の中で受け皿をできるだけつくっていこうというようなことをやっているものですから,ちょうど芸術の話に合わせてみますと,その後をどう見るのかということと,それからふるいをどういうふうに,ふるいとふるいの後,そのあたりでそういう世界がどういうふうにつくられていくのかということをちょっと事例でもあれば教えていただきたいなと思うんですが。

【宮田部会長】 間違っていたらごめんなさい。アスリートの後に,この間マッスルの劇場,例えばあれで,マッスルの人たちではなくて,コシノジュンコさんつながりで,デザインを私はやるから,今までただ裸というか肉体美を見せるだけではなくて,デザインが入ることによって,あれだけ美しく人に伝えることができるので,ぜひ皆さん見に来てというので何回か見に行ったんですけれども,出演者が変わるごとにデザインも変えるということで,とてもおもしろかったですし,こういう生き方は十分あるなという感じがしたので,あれは一つの生き方かなと。ただ,そのとき,次の舞台があるんじゃなくて,そのとき必ずプラスアルファの部分を入れることによって,新しい展開,見せ方ができるという点では,成功例の一つなんじゃないでしょうか。
 そういうことが,どなたかがマネジメントをきっちりすることによって,新しい展開ができるということがあると思うんです。華やかな舞台と,次のまた新しい違った華やかといったらいいのかわかりませんが,新しい舞台も確実にあるというふうなとらえ方まで持っていくことは大事なことでしょうね。
 私どもも,たまたま大学人としては,卒業するまで頑張るんじゃなくて,卒業してからどうするかみたいな話もいろいろなことで議論しておりますけれども,大学以外のところで卒業生に与える場ということも,昨年からやり始めております。
 そういうところで,さっきちょっとお話ししましたけれども,場所が上野ですので,下町のほうのいろいろな場所でいろいろなことを展開させてもらっていますけれども,これは美術の場合ですが,とてもうまくいっておりまして,まちの人たちとの関係もでき上がっているし……。

【青木長官】 話ちょっとまた戻しちゃうんですが,トリフォニーホールに,行ったことがありますか,結構いい番組が,プログラムがあります。僕も数回聴きに行きましたけれども,リヨンの交響楽団などの演奏会のときでも,周囲にいる人たちはつっかけみたいなのをはいていて,Tシャツとつっかけで,その辺のまちのお兄さんみたいな人が来ていて,ちゃんとクラッシク音楽を聞いているんです。ああいう雰囲気はサントリーホールには全くない,もちろんオペラ・シティにもないし,ああいうふうになってくると日本のクラシック音楽は根付いてきたなとも思ったりします。新国立劇場にしても,結局そういうサポーターがどれだけ出てくるかとういうことかとも思います。そういう観光層の掘り起こしというか,下町にはそういう素地があるんです。

【田村(孝)委員】 本当にそのとおりでございまして,観客の問題というのも日本は非常に大きいとは思っております。
 野平先生が,専門家に対する講座については先程紹介されていましたけれども,私からもひとつご紹介いたしますと,AOIのアウトリーチ活動で,小学校に野平先生がいらして,学校のピアノを弾いていらっしゃるのです。今日,アウトリーチ活動,ワークショップは非常に盛んでございますが,このようなものであってほしいとい,ふだん聞いているピアノがこういう音がするのかと思ったというふうに,子どもたちは感動しております。
 ちょっと手前みそでございますが,私も先日グランシップで,ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団のブラスクインテットを招へいしてコンサートをいたしましたが,その時ブラスクインテットの皆さんに近くの視覚障害者のための特別支援学校に行って,演奏していただきました。近くの肢体不自由児のための特別支援学校の子どもたちも来ておりましたし,たくさんの視覚障害の卒業生も来て下さいました。本当に考えられないくらいに静かだった。こんなに子どもたちが集中して聞くとは思わなかったと先生方は言っていらっしゃいました。
 いただいた,感想の中に,「これが本当の音楽だと思った」「一生に一度の経験だったかもしれない。
」と書いているのです。周りの大人というか,公立の文化施設に携わる者が本当にやるべきことがあると考えさせられました。先ほど,ティアラ江東のお話がございましたけれど,公立の文化施設に携わる者が,どうやって芸術を社会の中に提供していくかということを きちんと考えることができたら,そのことが可能な時代であると思います。
そういう意味で,文化庁がやっていらっしゃいます来日芸術家などの文化交流使とか,積極的に本物の芸術をという事業を進めていらっしゃいます。例えば吉衛門さんがいらっしゃって,学校でワークショップなり公演をなさったら,それだけで子どもにとっては最高のプレゼントだと思いますし,確実に何かを子どもに教育できると思います。
 先ほどお話があった福田進一さんに,高校生にギタークリニックしていただいたときも,本当にそれは実感しました。単にギターを教えるということではなくて,人生に取り組む姿勢,そういうものをきちんと教えていらっしゃる。子どもたちがそのとおり受け取るかどうかわかりません。でも,結果としてたくさんのものを教えていただいたけれども楽しかったと子どもたちは感想に書いています。是非文化庁にもっと支援していただいて,公共の文化施設がそういうことをやりやすくできるような仕組みというのをつくっていただけたら大変ありがたいなと思います。

【宮田部会長】 ありがとうございます。

【高萩委員】 昨日まで沖縄に行っていました。沖縄市のキジムナーフェスティバルというところだったんですけれども,沖縄ではちょっと夜パーティになると三線が出てきてすぐ歌が出てきてというような世界でした。芸術と近い場所にいるんだなと実感して,都会ではあり得ないだろうなと思いました。
 ただ,外へ出ると,沖縄市をご存じの方がいるかどうかちょっとわからないですけれども,シャッター商店街なんですね。本当に寂れてきていまして,そういう状態の中で,芸術,芸能だけが盛んだということはちょっと不思議でした。これからどうしていくんだろうというのはすごく考えました。
 ちょっとそれといきなり結びつけることはできないんですけれども,人口の集積地において,今後公共劇場とかをどういうふうに活かしていくのかということが,大きな問題になってきているんだと思います。今,発表していただいた方たちというのは,きちんとご自分でアーティストになることを選んで育ってこられたんだと思うんです。しかし,今,アーティストの育成に関してかなり大きな転換点が来ているんだろうと思うんです。これからは,自分でがんばってアーティストに何かを頼むのではなく,社会がアーティストをきちんと育てて,そのアーティストの力を社会に役立てるようにしていく。今でも公共劇場というのは,どうしても住民に対して,アーティストに対して平等に施設を貸し出していればよいというのをかなり強く言われるんです。けれども,文化庁のほうで,ここは転換点なんだ,これからはアーティスト,それからアート,芸術活動というのを活用していくんだ。とはっきり言うことが大事だと思います。
 つまり,アートを社会のいろいろなことに活用していくために,きっちりとアーティストを育てるんですよ,そのためのアーティスト育成ですよということから次が始まるんじゃないかなというのをすごく感じました。
 今までは,どうしてもアーティストになりたい人を周りが助けて育成していくという感じになっていってしまう。アーティストを社会に役立たせるために,きちんと育成するということを,ぜひ,強く言っていただきたい。逆にそうなったときにアーティストの方たちが,アーティストの育て方としてそういう形じゃだめなんだ,こういう形でやってくれというのが強く出てくると思います。「こうしてくださるとうれしいんです。」という感じのアーティスト側からの発言になってしまうと弱いと思います。ぜひどこかでアーティスト育成の転換点だということを宣言をしていただけると,よいのではと感じますのでよろしくお願いします。

【宮田部会長】 ありがとうございます。
 当然,これの最終的な結論の文章の中には宣言になってくると思っております。力強い言葉をありがとうございました。
 吉本先生,どうぞ。

【吉本委員】 荒唐無稽というか,妄想的なことかもしれないんですけれども,さっき青木長官がミャンマーの文化大学の話をされたので思ったんですけれども,国の政策として芸術家等を支援するときに,東京芸大のようなコアな大学の役割というのは,すごく重要だと思うんです。
 それで,前回も例えば芸大には演劇科がないとか,舞踊科がないとか,それから電子音楽がないとか,いろいろな指摘がありますよね。だから,この際いっそ芸大は文科省から脱退していただいて,文化庁直属の大学になっていただき,もちろん予算も定員もあると思いますが,宮田学長がうんと言えば,すぐに電子音楽の学科ができ,邦楽科が邦楽部になりみたいな,それぐらいのドラスティックな提案というのが,この部会からできないかなと思いながら,先ほどの長官の話を伺っていました。

【宮田部会長】 私がじゃなくて,日本の文化芸術は何かやらなければだめなんです。そのために,たまたまきっかけづくりで,私はいろいろなところで話させていただいていますけれども,長官とすごくどこかで通じる,すごく似ているなと思っているんですけれども。

【吉本委員】 この間の爆笑問題のテレビとかに,私1回目しか見なかったんですけれども,ああいうところでぜひ宮田学長ががんと発言をしていただいて,日本は文化が変わらなければだめだと,そのために芸大が変わるぞみたいなことを,ぜひがんがんとやってほしいなと思いました。

【宮田部会長】 力強い言葉ありがとうございました。いろいろなところでしゃべっているんですけれども,まだ足りないということですね。
 さて,きょうは4人の先生方に大変いいお話をいただきました。ありがとうございました。何かきょうはとても心地よく何かをしなければいけないという血が騒いでいる感じがいたします。先生方ありがとうございました。
 では,この辺できょうの会議を終わらせていただきたいと思いますが,事務方のほうで一つご発言,何かお伝えすることがありましたね。

【清水芸術文化課長】 <次回の予定等について説明>

【宮田部会長】 ありがとうございました。
 それでは,先ほどの本條先生ではございませんが,「よーい」というのは表と裏とあるというあたりもなかなかきょうはいい勉強になりました。ありがとうございました。
 きょうはこれにて散会いたします。

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