第6期文化審議会文化政策部会第5回議事録

1. 日時

平成20年9月19日(金) 13:00~15:25

2. 場所

芸能花伝舎3-1会議室(東京都新宿区西新宿6-12-30)

3. 出席者

(委員)

池野委員 唐津委員 高萩委員 田村(和)委員 田村(孝)委員 富澤委員三林委員 宮田(慶)委員 宮田(亮)委員 吉本委員 米屋委員

(事務局)

青木文化庁長官 清木文化部長苅谷文化財鑑査官 清水芸術文化課長 他

(欠席委員)

尾高委員 パルバース委員 山内委員

4.議題

  1. (1)実演芸術家(音楽,舞踊,演劇等の分野における実演家)等に関する人材の育成及び活用について
    【ヒアリング(4)】
    • 金森 穣氏(演出振付家,ダンサー,りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督/Noism08芸術監督)
    • 北村 英治氏(ジャズ・クラリネット奏者,有限会社スウィング・エイジ代表取締役)
    【審議経過報告に向けた論点整理(1)】
  2. (2)その他
【宮田部会長】
 定刻になりましたので,第6期の文化政策部会の第5回を行いたいと思います。
 場所はお願いしました花伝舎で,新国立劇場の研修所ということで,大変楽しみにしております。
 それから,今日は金森先生と北村先生にお越しいただいております。お忙しいところ,ありがとうございました。
 本日の部会は,その有識者のお二人の先生のご意見を伺い,意見交換の後,もう5回になっておりますので,審議経過報告に向けた論点整理についてもご審議をしていく予定です。ただし,今日の審議ははさみを入れるのではなく,載せていく方に,いろいろなご提案をどんどん言っていただいて,その後の6回,7回の本会において,はさみを入れていくというような感じで,今日は忌憚のないお話をいっぱい積み上げていってもらいたいと思います。よろしくお願いします。
 審議の後,研修所の見学ということを予定しておりますので,よろしくお願いします。
 では,会議に先立ちまして,事務局から配付資料の確認をお願いしてよろしいですか。

<清水芸術文化課長より配布資料の確認>

【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 前回の議事録が,9月26日までに訂正等ご意見がありましたらお出しください。
 前回,バレエと音楽,ピアノやバイオリン,三味線の分野における実演芸術家の人材育成活用について,有識者の先生から大変すばらしいご意見を頂戴いたしました。
 本日は,コンテンポラリーダンス及びジャズの分野における実演芸術家等の人材育成及び活用について,お招きをしております有識者の先生からご意見を伺いたいと思っておりますので,よろしくお願いします。
 その後に,先生方との間での意見交換をして審議を深めたいと思っております。
 改めて,お二人の先生,ご紹介させていただきたいと思います。
 演出・振付家のダンサーである,新潟のりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館舞踊部門の芸術監督をなさっております。Noism08の芸術監督の金森穣先生,並びに,ジャズ・クラリネット奏者,有限会社スウィング・エイジの代表取締役をなさっております北村英治先生でございます。
【宮田部会長】
 それぞれお二人の先生には15分ほどご意見をいただいた後に,また,おいでいただいている委員の先生方との意見交換をし,自由討議もしていきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。
 それでは早速ですが,金森先生のほうから,舞踊分野における実演の芸術家等の人材育成並びにその活用に関してお話しいただけたらと思っております。先生からペーパーをいただいておりますので,それもご参考にしながらお願い申し上げます。
【金森穣氏】
 今回はこのような場所に呼ばれて,いきなり先生と呼ばれ始めて,どうしていいかわからないですけれども,とりあえず自分が日本に6年前に帰ってきてから,この国の中で舞踊芸術のために何ができるかということを考えていく中で,今現在のように新潟に拠点を置いて,劇場付のダンスカンパニーを立ち上げることであったり,それ以外の日本の中における舞踊芸術に対して自分が感じている違和感であったり,自分が思う夢であったり希望であったりということをこの場で話させていただくことによって,何か皆様の足しになればうれしく思います。
 まず,自分が舞踊を始めた経緯から話させていただきます。
 自分は二世なんです。父がダンサーでしたので,自分が6歳のときから実家の1階にスタジオがあってダンスを始めたんです。それが自分が舞踊芸術と出会うきっかけとなったので,もう父の時代から舞踊芸術がこの国の中でどういう文化的な地位にあり,ダンサーという職業が職業としてどこまで確立されていないのかということは,父の姿を見ていればわかったことですし,実際自分がその道に入ってからも日々進めば進むほどぶち当たる壁でありました。
 そんな中,自分はすごく運がよくて,17歳のときにスイスにあるモーリス・ベジャールという20世紀を代表する舞踊芸術家のつくったスクールに行くチャンスにめぐり合いまして,そこで初めて日本を離れて舞踊芸術がいかに社会の中に浸透していることであったり,本当に舞踊芸術としての舞台芸術の力が人々から望まれているんだということであったり,ダンサーであるということを街中で公表したときの,そこの国のその街の市民の皆さんからのリスペクトのされ方みたいなものが,すごく心地いい前にまず驚きまして,ダンサーってここまで認識されているんだであったり,「ダンサーです。」と言うことが恥ずかしくないということが,すごく驚きでした。
 それは,もちろんヨーロッパと日本では歴史的な流れも違うでしょうし,例えばクラシックバレエであれば,それがそもそもヨーロッパから流れてきたものだということにおいて,日本の独自の文化ではないことは確かなんですけれども,ただ,ヨーロッパの中でいろいろなところを転々としていく中に,その舞踊芸術が言葉を要さない限りにおいてすごく国際的であるということで,言葉は関係ないんですね。だから,自分が日本人であるとか,行ったスクールがスイスのローザンヌにあるとかということは全く関係なくて,身体表現の専門家として選ばれるべき人であるか,選ばれないのか,ただそれだけの「ふるい」にかけられ,とりあえず自分のすべてを捧げていかなければいけないというのが,自分がベジャールの学校に入ったときに一番感じたことですね。
 それから,結局,なぜダンサーであるということを胸を張って言えるぐらい社会的にリスペクトを受けるかというと,まず,「ふるい」があり,その「ふるい」にかけられて,なおそこでダンサーをしていられるということが,もう既にダンスを知らない人にとっても,あ,それを職業にできているんだということで既にリスペクトが成立する。ですが,日本の中ですとどうしても,自分がダンサーですと言ってしまえばダンサーになれるし,今実際この21世紀の時代に日本の中で舞踊芸術に対する一番強い違和感としては,本当に一億総ダンサー,一億総振付家みたいな感じで,そのどこにも「ふるい」がないと。
 それはもちろん,身体というものは常にだれもが持って生まれるものである限りにおいて,舞踊芸術との接し方として,自分の体を使うことによって必ずしもプロになるためではなくて,その舞踊芸術と触れる触れ方というのはもちろん多様なんですけれども,ただ,その多様性というのはまさにそのさまざまなベクトルで,プロになるためにはプロの選ばれた人たちが活動できる場所があるからこそ,ダンスに触れる,舞踊に触れる場が成立するはずなんですけれども,日本の中ではそれがほとんどないと。
 なぜないのかということもそうですけれども,ない中において,自分がダンサーであると言ったときに,垣根がないようでいて日本の中ではものすごく垣根があって,クラシックバレエをやっているとジャズダンスをまず見に行かないでしょうし,ジャズダンサーと触れ合う機会もないと。音楽についても,もちろんダンスであるから音楽的なことももちろん踏まえていかなきゃいけないんですけれども,そういったことをバレエスクールでは教えてくれない。ダンスの歴史,音楽,それこそ舞台芸術で同じようにある演劇の可能性であったりということがまず把握できないんですよね。
 自分は結局,大学を経験をしたことがないんですが,自分のあこがれる大学の可能性としては,まさに自分がモーリス・ベジャールのスクールで経験したようなことであって,それは何かと言うと,他分野の芸術家との交流が目と鼻の先で行われるということなんです。
 同じ授業を,例えば朝のクラシックバレエの授業を演劇,役者になりたくてそのスクールに来た子も一緒に受けるんですね。そうすると,その中で,もちろんバレエが得意,自分にはバレエが向いているんだ,自分にはこのダンスのスタイルが向いているんだという意味で,その状況から自分に適したものを読み取ることができるんです。もちろん自分がやりたいということもそうなんですけれども。そうする中に,人と自分とのバランスの中で,自分が本当は何がやりたくて,自分には何ができるのかということも見いだせるし,同時に同じ舞台芸術の中でも,バレエクラスの中では全然できなかった彼が演劇のクラスになるとすばらしく光り輝いているさまを見ると,すごくそれはもう単純にリスペクトという形になるし,同時に自分がいかに演劇というものを知らないかという,その自分の無知みたいなものも肌身で感じることができる。
 そういう流れの中に,いろいろなことに興味を持って好奇心を持って学校生活を過ごせるということが,ものすごく貴重な経験として自分の中にありましたし,実際今日本に帰ってきてこうしてカンパニーを立ち上げて作品をつくっていく中にも,これはもう当然21世紀の舞踊芸術が置かれている状況として,20世紀に本当に極められてきたさまざまな舞台芸術の,それこそ演劇なら演劇の方向で開拓されてきたものであったり,そもそもバレエというのはオペラの中から出て独立して,また20世紀に極めていった先に,21世紀にまたこう全部がお互いに干渉し合うような時代になっているというときに,じゃ,クラシックバレエをやっている人はクラシックバレエをやっていればいいのかというと,もうそんな時代ではないということが,もうそれは舞踊に携わっていなくても皆さんおわかりいただけることとして,そのベジャールの学校で学べたことというのは,本当に21世紀のための舞台人のための学校であったと思います。
 ましてやそれがローザンヌ,スイスの国の援助を受けて学費は無料でしたから,両親がサポートしなければいけないのは日々生活する資金だけなので,それはもう東京で一人暮らしをしているのか,ローザンヌで一人暮らしをしているのかという援助の差だけであって,本当にバイトすることなく朝から晩まで,9:00から夜19:00まででしたけれども,クラシックバレエ,モダンダンス,演劇,音楽,リズム,そして,最後に剣道ですね。これを毎日,週1日休んで2年間ずっと続けて彼のもとで学べたということがすごく貴重な経験としてありました。もちろん形は違えども,そういった本当に専門的な舞台人を育てるためのスクールですね。だから,クラシックバレエの稽古場とかジャズダンスの稽古場ということではなくて,そのさまざまなことがさまざまな人たちと同じ空気を吸って,舞台芸術とは何かということを考えられるような場所,教育の場というものが,本当にこの国にも一日も早くできてほしいなというのを思います。
 そして,その後,17歳から19歳までその学校に所属しまして,その後オランダのイリ・キリアンという,これもまた20世紀を代表する振付家のつくったカンパニーに19歳からプロとして所属したんですけれども,プロということでいうと,19歳から給料をもらい始め,親の援助は一切なくてよくなりました。ただ,もし日本でやっていれば,今,自分は33ですけれども,多分何がしかの親の援助がないとダンサーはしていられないというのが現状であります。
 そこのカンパニーに19歳で所属したのは,ジュニアカンパニーといって19歳から22歳までの若いチームのカンパニーに所属したんですけれども,そのキリアンが行ったカンパニーシステムで自分がすごく意義があると感じているのは,3世代の異なるシステムとしてのプロフェッショナルダンスカンパニーをつくったことです。
 舞踊芸術が身体を使って行う限りにおいて,年代というのがものすごくかかわってくるんです。もちろん舞踊と一口に言ってもさまざまな舞踊がありますので,60,70になってもできる舞踊スタイルもあるんでしょうけれども,若いからこそできるようなそのダンスの体の使い方がある。そこから22歳から40歳までの,本当にマチュアな,一番コンテンポラリーダンスの分野ではベストな時期と言われている時期に過ごすメインカンパニーというものがあって,ただし,そこから40になって引退をするんではなくて,体は利かなくなるけれども,そこから今までの経験があるがゆえに出せる舞台人としての味,それはもう役者的なレベルの本当に舞台に立つだけで魅力あるような人になったときに,ダンサーとして体が利かないから,じゃ引退というシステムではなくて,40歳から60歳まで踊れるカンパニーをつくろうということをキリアンはやり,それがNDT3という形で。
 これ,今現在はなくなってしまい,すごく残念なんですけれども,それが何年間かオランダでつくられまして,このカンパニーはものすごく高く評価されまして,ワン,ツー,スリーある中でスリーが一番忙しいぐらい各地に呼ばれて行ったんですね。だから,それぐらい舞踊芸術の中の新しいカンパニーシステムみたいなものの扉を広げた出来事だったと思うんですよね。
 そのカンパニーの運営方針がまたすごくおもしろくて,結局それだけの人数の予算をオランダの国の援助で保てないので,何をやっていたかと言うと,ワンとツーの売り上げをスリーに使っていたんですね。結局,文化事業として国から得ているサポートの中でツーとワンは,それなりに活動していく中に,少しでも利益があるとその利益をスリーの作品をつくるために回して,ただし,先ほども言いましたけれども,それをしたら結果的にスリーのほうが活動が多くなったので,スリーがすごく稼ぐカンパニーになってしまって,逆にこっちに還元されるような形になる。しかしそのバランスが崩れてスリーが予算を使いすぎたので,結局スリーは無くなってしまいましたから,その予算のバランスには十分気をつけなくてはなりません。
 だから,結局カンパニーといったときに一つのただのグループにしてしまうと,その一つのグループのそこの振付家の作品が成功するかしないか,あるいはそのときのダンサーがいいか悪いか,あるいはそのグループとしてのどっちに行くという話になってしまうんですけれども,一つの屋根の下に3つの多角的なベクトルを持つことによって,一つのコンテンポラリーダンスというくくりの中でも,一つのカンパニーのくくりの中でもいろいろな方向性を持てる。
 この考え方というのは,今実際,自分も新潟に拠点を設けましてプロフェッショナルダンスカンパニーを今立ち上げていますけれども,来年の春にジュニアチームというのを立ち上げようと思っています。ただ,そのジュニアチームのための予算というのはもちろん無いので,今実際にいる研修生たちも親の援助を受けながらカンパニーの活動に参加しています。そういった形で給料は払えないけれども研修生チームを立ち上げて,1人担当者をつけてしっかりした公演も実際に行えるようなシステムにすると。
 新潟県内のさまざまな学校公演とかに,出前公演みたいな形でしていくような形というのを常に考えていたんですけれども,今あるメインカンパニーだけですと時間的なゆとりと,学校といっても,この会議室のような場所に呼ばれて,はい,踊ってくださいというようなことだったりするので,なかなか本当に一流を目指して日々汗水たらしているのに,はい,じゃここでどうぞということが,どうしてもプロにはそこまでは自分の領域を外したくないと思うようなところがあります。でも,17から20歳のような本当に人前にさらされることが今一番必要である若いチームであれば,さまざまな形で,自分自身もそうしてきたように,踊っていくことでそのNoism,あるいはりゅーとぴあの舞踊団の活動として,多角的にもっと新潟市,新潟県の方とコミュニケーションをとっていき,そこからさまざまなことを経験した子がメインカンパニーに入ってきてくれればと考えています。
 今実際にNoismが抱えていて感じる違和感の一つが,新しいメンバーが入ってくると1年2年かけて育てなければいけないということですが,本来プロになった人は育てなければいけないという過程にはなくて,もうその過程を経てプロになるわけですから,ただ,そのシステムというのがもちろんまだこの国,あるいは新潟では確立していないので,少しでも早くそういったプレイヤーとさまざまなベクトルというものを確立したい,する必要があると思っています。
 3つ目が,先ほどから話していますNoismという活動についてです。
 まず一番最初に,Noismの活動に対してお伝えしておきたいことがですね,Noismをよく新潟で立ち上げましたね,よくそんな予算ありましたねと,よくそんなゴーが出ましたねということをいろいろなところから言われるんですけれども,一つ重要なことは,新潟りゅーとぴあが年間使っている予算規模ははNoismを立ち上げたからと言ってに変わっていないということなんです。
 それまで,そのNoismができるまでの5年間も,りゅーとぴあには舞踊部門があって,さまざまな舞踊の企画,舞踊の公演をしてきており,そのとき使っていた予算枠からNoismが立ち上がったことによって何かを増やしたわけではない。
 これはすごく知られていなくて,しかも今,年間予算規模,大体5,000万でやっているんですけれども,その5,000万の規模というのは日本の他のさまざまな劇場の中でも,もちろん舞踊のためにとはいかないかもしれないですけれども,ある程度事業費として持っている予算ではあると。
 ただ,その予算をどういうふうに使っているかということが違うだけであって,結局自分が新潟で提案させていただいたのは,その予算を,例えば形としては自分が芸術監督として新潟に来てくださいというオファーをいただいて,自分が一人で行って,それこそ作品をつくるために予算をかける。あるいは東京から良いダンサーたちを集めて作品をつくるために,そのりゅーとぴあの予算を使う。あるいは,東京でやっている面白いダンスの公演を新潟に呼ぶために予算を使うということもできたんですけれども,そうではなくて,その予算を一回預けてほしいと。その予算でまず専門家を育てるべきだと。プロのダンスカンパニーをつくるべきなんだということを主張させていただいて,通った理由としては,今まで使っていた予算を超えていないということが絶対的だと思うんですよね。新しく予算を増やしててくださいということの難しさというのは,たった4年ですけれども,毎年毎年やっぱりその難しさというのは感じているので,ただ,そもそも使うものの考え方を変えるであったり,使い方を変えるということぐらいは,自分一人でも説得できるると信じているし,実際今までもそうしてやってこれたということが,すごく新潟の活動では重要なことであって,皆さんにそこのところは知っておいていただきたいと思います。
 あとは何でも聞いてくだされば何でもお答えしますので,とりあえず一人で説明するのはこの辺で大丈夫でしょうか。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 小泉さんに聞かせたい点ですね。米百俵の話を今言ってくださったような気がします。本来,教育,人材育成のために同じお金でも使うというあたりが興味深かったです。
 特に2つの学校における学習というあたりも大変興味深いですね。ありがとうございました。
 また,質問等は北村先生の後にしましょう。
 では,ジャズ・クラリネット奏者でございます北村先生,お願いいたします。
【北村英治氏】
 私のやっていることは,金森先生は非常に芸術性の高い分野で活躍をなさっていらっしゃるが,それとは全く違いまして,全く大衆芸能そのものなんです。それから,僕は学校も出ておりません。慶応大学2年中退です。2年のときにプロのバンドから引っ張られて,プロになってしまいまして,やっているうちに行き詰りまして,これではしょうがないというんで基礎からと,気がついたのが50歳過ぎだったんですね。
 それで,芸大の村井祐児先生について基礎から52歳のときから学び始めました。音楽の場合はありがたいことに,年齢に全く関係ありません。今79歳ですけれども,まだバリバリでやっていられますけれども,その点は体を使うといっても使う場所が違いますから,非常に楽に演奏ができる。これはありがたいなと思うんですけれども。
 50歳ぐらいまでは自分が耳で聞いて覚えて,それもむちゃくちゃに聞きました。自分で演奏しながら,ジャズだけではなくて,クラシックもいい演奏があると必ず聞きに行って聞いておりました。何がこんなに心を打つのだろう,何がこんなに心を打つのかな。クラシックを聞いてもそうです。ジャズも一流の演奏家を聞くと心を打ちます。なぜこんななんだろうというのを自分で考えて,これは結局つまるところ心の問題,それしかないなと。その自分の心を表現するのに,ついていかなければならないそのテクニックというのはありますよね。それも自分が買ってきた教則本,それから外国から取り寄せた本,そういうもので自己流に勉強していましたけれども。
 やはり,先生につくということはとても大事なことだなと思って,52歳のときから弟子入りをしまして,今でも教わっておりますけれども。それで,やっとここ数年,自分の演奏を聞いて,聞いた人が,何か元気をもらいましたとか,それから,目の前が開けてきましたと,そうおっしゃってくださるファンの方が結構ふえてきたんで,このまま僕はやっていけばもっとちゃんといけるんじゃないかなと思うんです。
 それと,海外の経験もとても遅いんです。1977年に僕,初めてアメリカのカリフォルニアのモントレーのジャズフェスティバルに招聘されまして,そこで演奏しました。そうしたら,7,000人のお客さんが全部スタンディングオベーション,初めてしてもらって,それでこれでよかったんだなってそのとき思ったんです。それと同時に,この上どういうふうにしたらいいだろうとすぐ考えました。この先,それに一歩上がるにはどうしたらいいんだろうなと。それにはやっぱり先生に教わることが必要だったんですけれども。
 それ以来,外国のフェスティバルに呼ばれるようになって,非常に困ったのは肩書きなんですね。皆さん見ると,どこどこ音楽院卒業とか何大学卒業とか。僕は慶應義塾大学2年中退。それしかないんです。それで,でも肩書きはいいや,自分の実力でひとつやっていこうというんで,自分で勉強というよりも一所懸命考えてみました。
 一番音楽で大事なことは聞いてもらうこと,それと心を打つこと。ああ,何ていい音なんだろう,それがまず大事ですよね。何ていい演奏だろう,これがとても必要なんだな。そうすると,コンサートなんかやっておりましても,かえってお客さんからこっちが感動をもらうんですね,感激してくれて。これは大事にしていかなければいけない。
 もちろん,補助も何もありません。私たちのジャズマンというのは補助も何もなくて,日銭で生きているわけです。でも,僕はよく学生に言われるんです。ジャズ,弟子入りしたら稼げるようになりますか。そういう考えを持っているんだったら音楽やめてください。稼ぐための音楽じゃないんです。自分が生きるための音楽なんです。そういうことを全部,音楽のために生きるんだって,稼ぎは二の次,入ってくるものなんだって。そういう,弟子にしてくださいというのは全部そういうのはお断りしているんです。稼ぐための音楽というのは僕にとってはあり得ないんです。いい音楽を提供するということ。
 それと,ここにもちょっと書きましたけれども,お客さんとのキャッチボールであるというふうに言いましたけれども,聞いている人たちの態度がひしひしとわかるんですね,こうやって演奏しておりますと。そうすると,なお自分がまたよくなってくる。いい演奏をしたいなというふうになってきますけれども。
 はっきり言って演奏家は教育だけで育つものではなくて,自分自身の考えだということなんですね。自分の考えをもとにしてどうやって向上させようかと。
 僕は,教わったのは,5歳のときからピアノを教わりました。それで終戦まで,戦争で焼けるまでクラシックのピアノを教わっていたんです。それは教わっていただけの話で,何もピアノで生きようとも思わなかった。親の命令で教わらされたという感じなんです。できれば,サボりたいなと思って先生に教わっていたんですけれども。
 ところが,自分でどうしてもやりたいと思ったのが19歳のとき。遅過ぎたぐらいです。19歳のときに,どうしてもジャズを演奏したい。それで,クラリネットをやっと手に入れて始めたんですけれども。やっぱり,自分がどうしてもやりたいと思ったものがやっぱり一番強いなと思うんですね。もちろん,うちの親にも非常に感謝しております。ピアノの先生のところに行って教わるようにやってくれたということは,とてもありがたい話で,それがあったからまた今日があるのかなと思って,親にはとても感謝をしているわけなんですけれども。
 それと,今情緒ということが非常に,情緒豊かに育てる環境というのは非常に乏しいなと思うんです。
 イヤホンを耳に入れて,必要以上の音量で聞いている人が非常に多くなってきました。あれ,入れれば入れるほど難聴になってくると思うんです。小さい音が聞こえなくなってくる。それで,列車の中なんかでも音楽を聞きながらお互いしゃべっているというのは,聞きながらしゃべるということが非常に不自然なんですね。車両じゅう聞こえるような大きな声でしゃべっている。怒鳴りまくってしゃべっているわけですよ。これは,このイヤホンが原因だなと思うんです。僕は何も怖いことないんで平気で行って,声が大き過ぎますよ,イヤホンのボリュームを下げてくださいと言うと,どんな人でも必ず受け入れてくれますよ。だれかがそれを言わないといけないんだと思う。
 環境をやっぱり大事にしていきたいな。音量が大き過ぎます。それはもうみんな大人のつくったことなんですけれども。いい機材がいっぱいあるのに,それを使う人たちが音を大き過ぎ,それと音質も考えずに。それがとても怖いなと。それをいいもの,それを文化だと思って,どんどん機械をつくって大きな音,それもひどい音で聞いて,それが文化だと言っているところを直さなきゃいけないんじゃないかなと。
 私のジャズのコンサートですけれども,できるだけPAは使わないでやっています。お客さんは聞いていて,ふっと聞いてくれる,それがやっぱり一番大切なことではないかなと思うんです。ジャズだからといって音が大きい必要は全くないんです。やっぱり心にしみ渡るような音で演奏できれば必ず聞いてくれると思って,絶対聞いてくれるんだと思って,それを徹底しているわけです。よほど聞こえなかったら,どうぞ耳をそばだてて聞いてくださいって,そういうふうに前置きします。それが一番いい状態ではないかなと思いますので。
 それと,僕の先生が,村井祐児という先生ですね,日本の学生の部屋に行くと,大きなテレビがあって洗濯機があって電気冷蔵庫があって,見回すと写真等がいっぱい飾ってある。ドイツに行ったとき生徒の部屋に行ってみたら,本当にいい絵が1幅かかっている。電気冷蔵庫もない,テレビもない。あの1幅の絵から彼らはどれだけのものを感じ取っているんだろうねと話してくれたときに,本当に僕はすばらしい先生に会えたと思ったんですよね。その絵から感じるものをいかに音で表現できるように勉強しているかという,何か手に取るようにわかるんですよね。やっぱりそういうもので,自分でつくり上げていかなきゃならない。音楽というのは,ジャズでもクラシックでも全部それがあると思うんですよね。それが今,学校で音楽の専門学校たくさんありますよ。日本にも,芸大を始めいっぱいありますけれども,芸大でもジャズをいろいろ生徒たちがやり始めて,いいジャズをやっていますよね。
【宮田部会長】
 旗振りです。
【北村英治氏】
 とてもいいことだと思うんですよ。
【宮田部会長】
 そう思います。
【北村英治氏】
 垣根がなくなってきたということは,僕が始めたときは英語の辞書で見ましたらジャズというところを見たら,アメリカの黒人が始めた騒々しい音楽,それしかなかったんです。本当にそうなんです。今はもう変わりましたけれども。
 それで,僕が大学をやめるときに,恩師である池田弥三郎先生のところに相談に行って,プロになるというふうに言ったら,おまえ,そんな変な仕事やめろと。学校2年残っているのにもったいないじゃないかと言われたんですよね。それで,先生といろいろ話して,月給はよかったんですよね。そんな月給取れるんだったら,それじゃ学校やめろ,大きな声じゃ言えないけど,学校やめて明日からバンドマンとやらになれよって先生に言われて,それで僕は中退してしまったんですけれども。でも,その当時は,ジャズというのは非常に差別がありました。
 でも,僕はなぜかクラシックの方たちと結構仲良くて,いろいろな方とおつき合いしていて,僕に関してはクラシックとジャズの境というのは全くないんです。それで,よくクラシックもちろん大好きで,コンサートには本当によく行って,そこでクラシックの人たちを顔を合わせるという。それはもう,村井先生に教わるはるか前からなんですよね。
 それと,ウイーンのクラシックのクラリネッティストが日本に来てクリニックをやると言ったときに,ジャズなんだけれども,僕は構わずその教室に3日間のクリニックに通ったんです。何かそういうチャンスがあったら,クラリネットをうまくなりたい一心でそういうところに首を突っ込むように。それで,だんだんクラシックの人たちとおつき合いができるようになってきましたね。
 それで,ジャズとクラシックの垣根というのは全くなくなりました。私の先生の村井祐児先生も平気でジャズのライブに来て,一緒のコンサートをやって,その間にクラシックをやったり,そんなこともやっておりますけれども。
 その点は非常に垣根がなくなってよくなったと思うんですけれども,学校で教えるとなると,ジャズ専門で教えるのかクラシック専門で教えるのか,これは非常に難しいところなんですよね。基礎はクラシックでもジャズでも同じなんですよ。ところが,表現の仕方,演奏の仕方というのは,クラシックの場合はあくまでも作曲家のことをまず大事にします。モーツァルトのトリルはこうだよと。それがまずありますよね,ピアノでも。ところが,ジャズのほうは,だれそれのトリルは作曲家じゃないんです。演奏者のだれそれのトリルはこうだよということになってくる。個人的なものを非常に大事にする。そういうところがあるんで,学校ではとても教えにくいと思う。だから,基礎知識,基礎のテクニック,それを教える学校というのはとてもありがたいと思うんです。それ以上のものを教えるところは全くないです。
 はっきり言って,アメリカでもボストンのバークリー音楽院とか,ジュリアードもジャズ専門の科ができましたね。
【宮田部会長】
 できたみたいですね。
【北村英治氏】
 それで,8月にジュリアードの先生方が,生徒から先生になった人たちがグループを組んで日本に来て,その演奏を聞きました。教科書どおりの演奏をやっているんです。新しいんだけど教科書どおりなんです,それは。何コーラス,アドリブやっても,自分の発想というのが全然入ってこない。教わったことをずっとやっている。聞いているほうでは飽きちゃうんですよね。それが今,アメリカでもてはやされているんだったら怖いなと思いました。
 その点,僕はヨーロッパが大好きで,ヨーロッパになるべく行くようにしているんです。去年もドイツのミュンヘンからちょっと南に下りたところで,1週間のジャズのフェスティバルがあって,それも1週間,毎日演奏出ずっぱりでやったんですけれども。そのときに,ヨーロッパの人たちは,来ているお客さんもバイエルン交響楽団の人たちがジャズを聞きに来て手をたたいている。とてもいい光景ですよね,これは。それで,古い新しいがないんです。古い新しいというもの関係ないですね,ヨーロッパの人たち。僕はもちろん新しいモダンジャズは,あんまり得意じゃないんです。やはりオーソドックスなジャズが,どうしても自分の性に合ってる。それを突き詰めたい。いい音で聞いてもらいたい。決して大きな音ではないんですけれども,いい音で受け取ってもらいたい。
 そういうことをやっておりますと,やはりヨーロッパのジャズフェスティバルの主催者から必ずオファーがあるんですよね。また来年の3月にドイツの仕事が来ていますし,これはありがたいなと。決して新しがる必要ない。自分を正直に美しく表現していきたいなと思うんですけれども,それをいくら言ってもわかってくれないのが,今の音楽大学の人たちです。音にボリュームがないという。キャリーがある音で小さく吹いても必ず聞こえてくるわけですよ。そのボリュームがないという先生は,恐らくちょっと難聴になっているんじゃないかなと思うんですよね。それは日本の機械が良過ぎるからなんです。大きな音が出ちゃうから。
 その音楽大学の先生は,自分しかないなということをどうして教えてくださらないんだろうと思うんですよ。ここまではあなたに教えますよ,その後,自分しかないんですよ。いろいろサジェスチョンはありますよね,いろんな方に。それと,シャイな人が多いんです,音楽大学の人。出しゃばりかものすごいシャイかどっちかです。中ぐらいの人はいません。
 それで,アメリカの音大の生徒なんかは本がカリキュラムの本,それから運指法の本,こんな厚い本がありますよ。そんなの捨てちゃえって言うんですよ。なんでそこに書いてあることにとらわれて,アドリブをやってもその中のことしか出てこない。自分の考えていることが一つも出てこない。何でそれだけやって,一つの音でどうして心を打つような音を出さないんだと言うと,音が大きくなきゃいけないからって,みんなそれを言うんですよね。どうして,それをやらないかな。
 それともう一つ,僕が吹奏楽のほうでとても気になっていることは,毎年,吹奏楽のコンテストをやりますよね。金賞,銀賞を決めて。賞に入ることを目的にして皆さんやっている。高校生でも社会人でも。それをみんな賞に入ることを目当てにしてやっていて,使う譜面がテクニックの込んだ難しい譜面で,そういうものをいかに大きな音でうまくやるかで金賞が取れるんですよ。ところが,一度僕はそれを聞きに行きました。もう聞いていられないんです。初めの1曲は我慢して聞きます。同じ曲を幾つものグループがガンガンガンガンやって,それで終わったときに,あー疲れたとなるんですよ。音楽でああ疲れたっていうのはあり得ないと思う。ああ良かったなというのが音楽の本質なんですけれども,ああ疲れたというのは,演奏していてああ疲れたというのはあるけれども,聞いていてああ疲れたというのは,あれは吹奏楽もちょっと考えなきゃいけないんだろうな。というのは,指導者はみんな音大を出た人たち。
 それが指導するからそうなっちゃっている。指導者がもうちょっと考えを変えて,音楽はこうあるべき,吹奏楽でも同じだよということを,クラシックでも吹奏楽でもジャズでも全部同じだよということ,それを指導者が考え直していただいたら,これはうまく運ぶんじゃないかなと。
 それと,ちょっと自分が自慢のような話になりますけれども,つい先だってNHKのBS2で「響け!みんなの吹奏楽」というのをやっています。そこで100人のグループを組んでやるんですけれども,やるならMALTAと須川,それと角田,それと私と4人で分担したんです。私のほうはうんと柔らかい曲を,日本の曲を,「見上げてごらん夜の星を」をやったんですね。
 それをやって,ところが,その101人いる中で音大生が何人もおります。その話を聞いて驚いたんです。音大に行って練習して,テナーサキソフォンやっているんですけれども,練習していると,ただテクニックで隣の友達と競争しなきゃならない。いつも競争,競争で家へ帰ってもおもしろくない。お父さんともお母さんとも話ししない。ただそのことで頭がいっぱいになっちゃって,非常に暗いところでやらなきゃならないって。もう学校をやめようかなと思っていたけれども,あの番組に出て,これちょっと生意気なようですけれども,僕の音を聞いたときに,その子は何か笑いながら吹いているという感じがしたんです。切羽詰っていない。そういう感じがして,音楽はこうあるべきだなというふうに思ったって,その子が言ってくれたんですよ。それじゃ,僕本番であなたと,アレンジがないけど一緒にメロディー吹きましょう。クラリネットとテナーサキソフォンでほんの12小節,一緒に吹いて,それを練習したんです。
 そうしたら,その子が家へ帰って,お父さんと口をきくようになった。お母さんとも口きくようになった。夕ご飯をみんなと一緒に食べるようになって,今日はこんなことがあったんだ,今日はこんなことがあったって,それをいちいち報告するようになった。お母さんから私連絡をもらいまして,これは音楽のすばらしい力だなと思って,あの101人の中で1人だけそういう生徒がいたということなんです。それだけでも僕は大成功だったと思うんですよ。僕が音楽に携わってきた,それに本当に生きがいを感じました。
 そういう気持ちでやっていけば,何人の音大生が救われるのかなと思って,その女の子に,「あなたからみんなに話してください。音楽というのは心の問題であって,競争でも何でもない。自分がどう表現したい,この曲をどう表現しようかと。それに尽きるんだよ。」と話したんです。番組に出たというよりも,その音大生に会えたことが僕にとってとても栄養になりました。また,これでもっともっと頑張っていけるんじゃないかなと自分で思うんです。
 指導者の方たちに言いたいのは,競争という気持ちは全部なくして,強いて競争するんだったら自分と競争したらいいんですよ。今日は飲みたいなと思ったら,待てよ,練習しとこう。一つこれを聞こう。その時間に割いて欲しいなと思うんです。遊びたいなと思ったら,音楽に時間を割いたらいいと思うんですよ。
 池田弥三郎先生は大学の先生でしたけれども,先生は「よく遊び,よく学べ」,これはもう生きていくうちに一番必要なんです。おまえたちは遊ぶだけだ,学ぶことを忘れている。それこそ30%でいいけど,勉強しろと言うんです。音楽の社会でもそうですよね。30%でもいいんですよね。それだけ勉強に費やしてほしい。あとの30%は音楽を大いに聞いてと言いたいですよね。
 聞くことと自分で演奏することは本当に大事なことだから,いい音楽はたくさん聞いて。でも,僕の中では音楽を聞く,演奏会を聞きに行くというのは遊びに含まれているんですよ。だから,本当にありがたいなと思うんです。本当にいい音楽を聞くと,何て,何て幸せなんだろうと思う。自分にこれができたらどれだけ幸せだろうと思いながら,演奏を続けているわけですけれども。
 私は偉そうなことを言うならば,どうぞ指導者の方たちは競争を忘れていただきたい。それが一番大事です。それから,いい演奏家をつくるには,教科書だけでは絶対できない。自分の意思でしかできないものだろうなと。どんな演奏家に会っても話を伺うと,すばらしい一言が必ずあります。なるべくいい演奏家に近づいて話をしたい。いい芸術家に近づいて一言でも話をもらいたい。一所懸命聞くと,必ずそこには本当に栄養になるような言葉が一言二言ある。だから,僕はすばらしい芸術家にお会いするのって本当に楽しみにしています。なるべくそうやって自分で話を聞いて行きたいなと思って生きておりますけれども。
 このぐらいにさせておいてください。しゃべりだすとまた僕はとめどもなくなってしまいますので,このあたりでよろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。
【宮田部会長】
 ありがとうございました。いやあ,一言のすばらしさというのがとても感じましたですね。ありがとうございます。最後のお二人ということでございましたが,とてもいいお話をいただきました。
 だけど,おもしろいですね。海外で絵を1幅とおっしゃいましたね,先ほど。1幅という言葉は日本の言葉ですよね,1枚ではなくて。
【北村英治氏】
 そうですね。それを言うのは非常に日本的な人ですからね。
【宮田部会長】
 お軸を見るときに1幅という言葉が出ますけれども,その辺が私にとっては久しぶりにいい気分になりました。
【北村英治氏】
 でも,いい絵を見過ぎると疲れますね。アムステルダムでゴッホ美術館に行って一所懸命見たら,初めは一所懸命見ているんですよね。最後にゴッホのパワーがあり過ぎて疲れて,へとへとになりました。それで午前も午後も一所懸命見て,絵好きなもんですから見て,それで,ああ,絵を見るというのは音楽を聞くより疲れるもんだなと思いましたね。
【宮田部会長】
 いや,それは音楽家だからじゃないですか。美術家としてはどちらもとてもすばらしいことだと思っております。
 さて,お二人の先生方から貴重なご意見をいただきましたが,委員の先生方からも自由な,今のお二人の先生方のお話なども含め,より膨らませていく時間帯を持ちたいと思いますが,いかがでしょうか。
 金森先生,もうちょっと僕聞きたいのは,19歳からプロとしての学校というのと,17歳からの2年間というものの中で,もうちょっと先生の中でお時間をいただいてお話しいただけたらと思います。
【金森穣氏】
 17歳で行ったところが学校でして,19歳で入ったところはもはや学校ではなくて,ダンサーのカンパニーだったんですけれども。一番,17歳でその学校に入ってそこまでの,その前を話したほうがいいと思うんですけれども,日本でダンスを始めたときにまずジャズダンスを始めました。ジャズダンスを始めた後に,父に,先ほどの音楽の話じゃないですけれども,基礎を学んだほうがいいという話になって,そのダンスの中ではやはりジャズダンスはもちろんあるんですけれども,クラシックバレエが基礎だという考え方があるので,クラシックバレエをやったほうがいいと父親に言われて,クラシックバレエを始めました。
 その後,クラシックバレエを始めたんであればある程度極めたほうがいいということでバレエ学校に入り,バレエ団に入り,クラシックバレエ一つだけずっとやっていた中に,17歳で行った学校で,さっき申しましたとおりクラシックバレエ,ジャズダンス,モダンダンス,さまざまな舞台芸術の可能性,プラス剣道もありましたけど,これらを学んだときに,もちろんとまどいましたけれども,そこで何を学ぶかっていうと,体について学ぶんです。
 だから,結局日本で学んでいたことというのは,クラシックバレエという,それこそ歴史が決めたのか,教えてくださる先生が決めたクラシックバレエという様式的なものを学んでいただけなんですね。
 そこの学校で学んだのは,もう様式ではなくて本当に体を通して,演劇であっても,じゃ演劇はこういうものだからという学び方をするんではなくて,じゃ言葉を発してみよう。言葉を発することをやめて,じゃ例えば動物になってみようとか,体を使って何かをしていく中に,自分で感じて学ぶものであって,同時にその学校の中でだれかが動物を演じているのを見ると,そこから何かを学ぶんですよ。
 だから,見ることからも学ぶし,自分がその体験をすることからも学ぶ。それは,日本の中でよく言われることですし,実際自分も感じていた,こうしなさいと教えてもらう,先生からもらった情報として学ぶのではなくて,もうそこですごく多国籍な。ましてや自分は英語もしゃべれないで行ったので,コミュニケーションは全くとれない中に,ギリシャ人からスペイン人からオランダ人からスイス人から,もう雑多な人たちがそこで体を動かして何かをしようとしているところに身を置くことによって学べることというのは,本当に言葉で学べることを全然超えていたと。
 それはもう,今もそうだと思いますけれども,日本のどこかのスクールでは決して学べることではない。そのインターナショナリティということも,同時にすごく重要だと思うんですけれども,結局,そういう国際的な場に身を置けば置くほど自分がああ日本人なんだなと,日本語しか知らないなということをすごく感じる。
 それが舞台芸術というインターナショナルなもの,特に舞踊芸術であれば,ダンスはすごく言葉を要さないことにおいてインターナショナルであるということを,本当に肌身を持って感じられるようなスクールシステムであったし,プラス無料ですから,親に負い目を感じることもなく学べたということはすごく重要であって。
 そこからカンパニーに入ったら,プロとして給料もらって毎日活動するわけですけれども,そうなると,そこで何を学ぶかというとお金をもらって踊るということに対して考え始めるんですよね。結局,日本の中で自分でバイトをしながらやっている若いダンサーたちというのは,自分がダンスを好きだからやります。好きだからバイトをしてでもやる。それはすばらしいことですし,ただ,お金をもらったことによって,好きではないけれども踊らなきゃいけないということが出てきたわけですね。要するに,ダンサーとして,この振りはどうしたって自分は好きじゃないとか,それこそもうひざが割れそうに痛いけれども舞台があるとか。
 そのオランダのカンパニーでは年間100回公演があるんですね。100回公演があるということは3日に1回は踊っているということなんですけれども,もちろんミュージカルなんかだともっとなんですけれども,酷使される度合いを考えたら,ものすごい数の公演なんですね。ましてや,人数も少ないので,きょうは休みますということが通らない。通らなくなって,体は痛くて,本当にダンスが好きかどうかもわからなくなる中に,報酬をもらう。その国の税金の中から報酬をもらって,舞踊家としての社会的地位のもとに突き進んでいく果てに養えるものというのは,これもまた好きだからやっているだけでは学べない,自分の社会の中での舞踊の立ち位置であるとか,舞踊家として自分はどう立つべきであるとかということを考えさせられる環境であったということですね。
 それは,今の新潟での活動でも,自分が一日も早く日本の中で定着させてあげたいことであるし,うちに来るメンバーでも,入って一,二年はそのことがまずわからないんですね。何でそんなに厳しいのかまずわからないんです。何で毎朝トレーニングしなきゃいけないのかがわからないんです。好きなときに踊るし,稽古したくなったら稽古しに行くし,だれかに稽古しなさいと言われたら稽古しに行くことはあるけれども,毎朝10時にバーをつかんで全く同じエクササイズを毎日やらなきゃいけないことの意味がわからないんです。
 でも,わからなくていいんですよ。それをやっていくと体が変わっていって,そこで初めて自分を通してわかるんですけれども。結局そういう場が日本にはないので,まず場をつくって体で体験するための一,二年ということをまず整えないと,いくら最初からこれが必要だからと説明してもなかなか理解してもらえないですし,その場所を提供して,じゃとりあえず1年間頑張ってください。そのかわりバイトしないでいいだけのこれだけの報酬を払いますということが成立しているのが,今のうちのケースです。
【宮田部会長】
 徹底した形の基礎教育ですよね。
【金森穣氏】
 そうですね。毎朝クラシックバレエを基礎にした,自分たちで自分が信じるクラシックバレエのいい部分と,今の現代的なものを織り交ぜたクラスを,毎朝必ず10:00からやっています。これはもう欠かすことなくやっています。
【宮田部会長】
 ありがとうございました。
 北村先生は,そういえばピアノをやらされていたものは別としても,やっぱりある意味でのいわゆる音楽の基礎ですよね,それをやっぱり自然に身についた上だというようなことを何となく感じたんですが。
【北村英治氏】
 そうですよね,基礎がね。やっぱり基礎が一番大事。ピアノももちろんそうですけれども,管楽器なんか特にそうなんですよね。音を出すこと。初めはクラリネットみたいな楽器というのは全然出ないんですよね,音が。自分で唇のコントロールがちゃんとできないと絶対出ない楽器なので,それは基礎的なことというのは絶対やらなきゃだめですよね。
【宮田部会長】
 それと,やっぱりまだ概念的なものがございますね。先ほどのアメリカのじゃないですけど。
【北村英治氏】
 今はもう,それがなくなっていると思いますよ。
【宮田部会長】
 いや,それ日本はまだあるんですよ。我が社もそうですから。本当,たまたま私は音楽家じゃないので,やれやれと言って後押ししているというか旗振っているんですけれどもね。なかなかやはり難しいですね。
【北村英治氏】
 割に垣根をつくりたがる人が多いみたいですね,クラシックの方は。
【宮田部会長】
 ええ。だって,すてきなものはすてきじゃないですかと言い切れないのって。
【北村英治氏】
 そうですよね。でも,今の若手のクラリネットの方なんていうのはよく遊びに来ますよ,僕のところに。クラシックの連中が遊びに来て,うちで一緒にクラリネットを吹いて,なんていう状況はとてもいいんじゃないかなと,お互いに。
【宮田部会長】
 すてきですよね。
【北村英治氏】
 こんなシーンで吹いているんだよってやって。そういうところから割にうまい交流ができているんではないかなと思うんですよね。
 かといって,子どものころから無理してクラリネットなんかやるというと,みんな出っ歯になっちゃうんですよね。日本の先生がいけないんですね,口に力がないから下に下げなさいと。そうすると,歯を押し出しちゃうんですよ,こうね。ところが,アメリカの先生,ヨーロッパの先生というのは,ちゃんと正規の方法で唇の力で押さえなさいと言うから,歯をちゃんと下から当てるような感じでやるんで,出っ歯にはならないで済んでいるんですね。先生の,ちょっとした感じで出っ歯になるかならないか。ほんのちょっとの教え方ですよね。
【宮田部会長】
 北村先生の最終的には指導者次第だということに,すべての結論に。もう本当に大きいですね。
【北村英治氏】
 そうですね,すべては指導者次第です。
 それとあと,ちょっとつけ加えさせていただくと,音を聞く耳を持つように。というのは,街の騒音がどうにもならない。あれは条例で何とかならないのかなと思う。買い物なんかに行きますでしょう,そうすると,こっちの店でがんがんスピーカーが。それに負けずと隣の店で,何やっているかわからないような音がここら辺に,交わっている。そこの中に平気な顔をして若者がいるというのは,これは恐ろしい光景だと思うんですよ。よく逃げ出さないなと思います。いろいろな音が混ざり合っている。あれは原宿なんかひどいですね,行くと。渋谷でもそうです,新宿でも。そういう音の中に,騒音の中にいられるということが恐ろしいことだなと思って。
 あれは騒音をなくしたほうがいいと思うんですよね。かえって,秋になれば虫の音が聞こえるよとか,そういう風情があってほしいなと思うんですけれども。全く逆の方向に行っているみたいで,あの騒音には耐えられない。あれは条例で何とかならないものかと思うんですよ。
【宮田部会長】
 すみません,それはちょっとここの場所ではちょっとつらいところなんで。同意見ですが,ちょっと外します。どうぞ。
【富澤部会長代理】
 北村先生の話で非常におもしろかったのは,やっぱり大きい音,もう我々慣れちゃっていまして,確かにほとんど難聴気味なんですけれども。
 まず日本の社会全体がそうなっちゃって,例えば絵画芸術なんかでも院展とか行くと,今もうやたらと絵が大きいんですよね。多分ね,大きな絵をかかないと入選しないからじゃないかって思うんですね。もう全部大型のキャンバスで。
【北村英治氏】
 それも結局,コンテストを目標にしたからなんですね。
【富澤部会長代理】
 そういうことなんですね。結局,そのコンテストで入らなければ,全部ごみですよね。だって,日本の家は小さいですからあんな大きなもの絶対飾れませんよ。だから,そういう傾向にあるのかなというような気がしますね。
【北村英治氏】
 コンテストというのはよくないですね。
【富澤部会長代理】
 それから,金森先生の話で,今のカンパニーにというのはもちろんカンパニーとしての公演,目的があるんでしょうけれども,教育部門があるわけですか。それで若い人たちを教育しているとか。
【金森穣氏】
 今,実際研修生という子たちが,カンパニーの活動に参加をしている子たちが4人ぐらいいるんですけれども,それを来年の春から,しっかりした研修生チーム,ジュニアグループとして彼らの公演もできるぐらい,しっかり担当者をつけて教育的にもっといろんなことを教えていって,その子たちが一,二年たってからカンパニーに戻ってくるようなシステムをつくりたいという考え方です。
【富澤部会長代理】
 その専門家を養成するための教育ということですね。
【金森穣氏】
 はい。とはいっても,今実際自分のもとでやっていることだけなので,舞踊芸術でもさまざまな人たち,あるいは演劇のさまざまな人たちから学ぶような機会は新潟では到底,今は創れていないんですけれども。
【富澤部会長代理】
 一般の家庭で舞踊をやりたい,あるいはダンスをやりたいという人たちは逆に受け入れていないんですか。
【金森穣氏】
 オーディションをしていますので,その研修生になるために。もちろん,そのオーディションの場に来る方たちであったり,あるいは市民向けのワークショップというのをやっていて,うちのメンバー,自分も含めそうなんですけれども,ダンスに興味があるけれどもやったことがない方向けのワークショップ,あるいはクラシックバレエをやっている人たち向けのワークショップ,あるいは現代のダンスに興味がある子たちのためのワークショップという感じで,幾つかプログラムを組んで市民のために有料/無料でワークショップをやっています。
【宮田部会長】
 先生方もどうぞ。どうぞ一言。
 今までずっとこの会議を,前のときの会議もそうだったんですけれども,やはり何かお金がない,補助金がない,よって作れない,理想はあるという関係でずっと終始する部分があるんですね。現実としてしょうがないのかなと思いながらも,そうでもないだろうという気持ちがあったときに,金森先生のお話の3番目の中で,公的資金は5,000万しかないと。にもかかわらず,その中で何かができるのではないかという模索しているあたりの,これは一つの非常に大きな提言かなというふうに思うので,ちょっとその辺もうちょっとお話できれば,チャンスかと思うんですけれども。
【金森穣氏】
 実際,今5,000万程度なんですけれども,設立当初は8,000万だったものが今5,000万に落ちていって,4年目でここからこれ以上下がらないようにどうするかということがいっぱいいっぱいのラインですけれども。実際,今人件費と運営費で4,900万ぐらいかかっているんです。ということは,事業費はチケットインカムでやっているわけです。だから,その作品をつくるためにはお客さんに来ていただいて,お客さんがくださったチケット料から作品をつくり,公演をしているという形態なんです。
 新潟市から得ている補助金の中では,人と場所のための予算が計上されていて,そこから可能な限りの作品を作り,その作品を売って,今実際に海外にも公演行っていますけれども,そうして入った収入等で,また次の作品の予算繰りをしているという形ですね。
 だから,さっきも言いましたけれども,結局5,000万あったら5,000万でそういう事業をしてしまうんではなくて,5,000万を専門家を育成するための場所と人のために割いて,その専門家がいるからこそ作れる作品というのがある。
【宮田部会長】
 そこからの収入はもう一回の。
【金森穣氏】
 そうですね。
【宮田部会長】
 そう聞くんです,これが売買になったりするということですね。
【金森穣氏】
 ええ。もちろん,そのためには良いものを作らなきゃいけないというプレッシャーが当然来るんですけれども,ただ,そういうことも含め,さっき言った,プロである給料をもらってこれだけの環境をやっているんだということがあるから,捧げられる情熱であったりということがある。
【宮田部会長】
 先ほどの19歳以降お給料をいただくということとプロであるということのお話と,今のはつながってきますね。
【金森穣氏】
 要するに見せる,プロとして見せる人が日本の中にいないんですよね,舞踊芸術のほうに。このことは,一番最初に書かせていただきましたけれども,みんなやるんですね。見に行っているお客さんも自分が少しダンスの教室に通っていたり,先生が踊っていたり,友達が踊っていたりという感じなので,では実際どれだけの人が,舞踊をやったことがないけれども舞踊芸術を舞台で見ることが好きだという文化が,どこまでこの国に定着しているのかというのは,いまいちなんですね。やっている人たちは増えているんですけれども,見る文化が成熟しない。それは見せる文化が成熟していないからです。
【宮田部会長】
 うんうん,その両者ですね。
 先生方,どうですか。
【青木長官】
 そのベジャールスクールというのは,どこが経営していていますか。スイスの国が運営しているんですか,あるいは全く私立。
【金森穣氏】
 スイスと,あとローザンヌ市が出していると思います。
【青木長官】
 そうですか。一応そういう基本的な資金も全部。それは学校なんですね。
【金森穣氏】
 学校ですね。ただ,カンパニーがありまして,モーリス・ベジャールはベルギーで60人ぐらいのカンパニーを,20世紀バレエ団というのをつくっていまして,そこからローザンヌに移るときに,その60人規模の予算をスイスのローザンヌが用意してくれたときに何をしたかというと,行って,カンパニーを半分にして,その半分の30人分の人件費で学校運営に使ったんです。要するに,先生たちを招待したりするための予算をそこで割いたので,学費がただで生徒たちを受け入れて。
【青木長官】
 入るための試験とかそういうのはあるんですか。
【金森穣氏】
 オーディションがあります。
【青木長官】
 それで選ばれて入って,そのための学費はただで,あとは自分の生活費だけだということで。
【金森穣氏】
 そうですね。
【青木長官】
 年齢制限はあるんですか。例えば入学の時期というか,ある年齢以上でないとだめだとか,そういうことはあるんですか。
【金森穣氏】
 16歳から24歳ぐらいまでいましたけれども,多分基本的には18から22ぐらいの枠なんですけれども,そこまで厳密に年齢で切るというよりは,そのオーディションに集まった子たちの中からという感じでしたね。
【青木長官】
 そうですか。
 もう一度先ほどの新潟の資金の話だけど,普通,国とか地方自治体が援助するときは,お金の使い方は非常に細かく決まっているでしょう。予算請求して,それで払われている。例えば養成に使うとか,あるいは人件費とか自由に新潟ではできるんですか。
 例えば,ベジャールの場合,それは恐らくスイスのローザンヌ当局とかは,全部そういう舞台があって,で,お金の使い方自由にやれると。裁量は任せたということがあると思うんです。やっぱり国の資金とかだと使いにくいですよね。文部科学省の科研費でもそうなんですよね。 その辺のことはどういう。そういうのは,やはり今のお話なんかをどこかで国や自治体で受けとめて,非利益団体の援助というものの資金内容については,ある程度考えていかなくちゃなと思いますけどね。
【金森穣氏】
 新潟も最初から任せてくれたわけではなくて,詳しく説明してしまうと,一番最初に自分が始めたときは,もちろん予算は明かしてくれなかったです。29歳の若造が予算を明かせなんて何事だみたいなことが当然あったので。
 ただ,自分は幾らあって何のために使えるかわからなければ,何をすればいいかもわからないし,勝手にこれがやりたいあれがやりたいと言ってもしょうがいないですし,ということを1年かけて説明をして,2年目に体制が変わって支配人が変わられたときに,一番最初からどうしても,少なくてもいいから幾ら自分がハンドリングできるのかということを教えてくださいということを言って,やっと明かしていただいたんです。
 ただ,そこで決まった予算が入りますよね。それで,さっき言いましたけれども,給料制とはいえ年俸制なんですよ。だから,じゃ5,000万なら5,000万を給料制にするとして,契約書までつくって,じゃいろんなシステムまで変えたわけではなくて,年間これだけこのダンサーに払うという,その事業費的な考え方の中に月々で分割して給料という形にしているんです。だから,そこまで自由に,中の仕組みをもちろん変えられる訳ではなくて,システムは同じだけれども本当に考え方を変えて,給料として支払い,ダンサーがアルバイトをしなくていいような形にしているという感じですね。
【青木長官】
 もう1点,北村先生にも少し。金森先生も北村先生も日本の音楽界,東京芸術大学等では学んでないよね。それで,北村先生の場合は一応大学,慶應大学で,先生も国文学の先生ですよね。
 それだから,公教育というか教育というものと,お二人は天才的な人なので,僕なんて今天才の養成が一番大変だと言っているんだけども,教育というのは芸術教育,ジャズなども含めてですね,これはどういうやり方が一番いいですか。
 金森さんは,高校からスイスに行っちゃったでしょう,19歳からおやりになっていて,それでプロで全く通じるわけですから,大学は要らないということですよね。高校から,音楽教育とか,バレエなんかの芸術教育というのはどういうふうに受け続けたらよろしいんですかね。
 ジュリアードの話を聞いて非常に興味深かったですけど,ああいう東京芸術大学とかジュリアード音学院にジャズ学科みたいなものができることは,僕はやっぱりすばらしいと思うんですよ。だけど,実際のプレーヤーはなかなか,僕らが今CDで聞いているようなものは,およそマーシャリスとかあんなのは余り面白くないですよね,実際問題。ジュリアードの優等生だけどね。それが非常に僕は不思議で一番面白いんです。
【北村英治氏】
 それを出ただけでいいんだという人たちがいるんですよね。出ただけでそれでいいんだと,優秀な成績で出たからそれでいいじゃないかという人が。
【青木長官】
 東京芸術大学首席とか,この間見たのだけだと。
【北村英治氏】
 ところが,そのことに囚われて,本当に心を聞く耳を持たなければ音楽というのは。それこそもうモーツァルトのコンチェルトを実にいい感じでやっている人もいれば,それから学校で習ったようにとても忠実に吹いて,その肩書きを見ると何々コンクール優勝。また,こっちの人がいいんだというふうになるということは,聞く人たちが,聴衆が耳を持っていない,心を持っていない。ただそれだけに,ブランドに惑わされてしまう。そのブランドは要らないんじゃないかと思うんですよ。ただ,聞くような状況,またバレエや何かを楽しむような状況,そういう状況をつくっていくことのほうが大事なんじゃないかなと思うんですよ。
【青木長官】
 状況というのはどういうふうにつくるの。
【北村英治氏】
 ですから,例えば美しいものは美しいと感じられるような状況ですよね。いろんな音がありますよね。いろんな表現方法があるんだけども,何が自分にとって一番美しいんだということを,これが一番大事なんじゃないかなと思うんですよ。
 本を読む人がとても少なくなっているでしょう,今。本を読まなくても済んでしまう。というのは,そういう教育で今まで来てしまったんですよね。やっぱり,本を改めて夏目漱石を読むと感激します,ものすごく。それから,その弟子の内田百閒読んでもすごく感激するし,本を読むのは大好きなんです。相変わらず僕,池田彌三郎先生の本を読んでるんですけれども。
 時間があるとそうやって本を読むというような,状況を与えないといけないんじゃないかな。音大生だからといって,芸大生だからといって,本を読むなとは言いたくないですよね。本を読んでほしいです,ちょっとの時間でも。それがみんな栄養になるんだからということを先生たちは教えてほしいなと思う。
 そうすると,ブランド志向でなくなって,自分の感覚で物事を処理できるようになるんじゃないかなと思うんですね。
【青木長官】
 それはもちろん僕も全く賛成なんで,全くそういうふうにありたいと思います。もうちょっと教育のことにこだわりますが,つまり,お二人はむしろ芸大とか,あるいは別の日本の制度の高校出て,大学に行かれていたら今日は恐らくなかったんじゃないかと思いますか。
【北村英治氏】
 いや,そうでもないと思いますね。もっと早くうまくなれたかもしれないと思います。基礎を非常に音大というのは厳しく教えます。
【青木長官】
 基礎を教えると同時に,先生がおっしゃったようにまた形にはめようとも思われるんでしょう。
【北村英治氏】
 そうですね。
【青木長官】
 だから,そうすると,芸大は今何とか首席で出たけれども,N響の一流メンバーにはなれるかもしらんが,今の北村英治は出なかったんじゃないかなと。
【北村英治氏】
 いやあ,そうは。僕は遅過ぎたんですね。
【青木長官】
 今日は学長がいるから遠慮して言っているんですよ。
【宮田部会長】
 多分そうでしょう。
【青木長官】
 ジュリアードなんか,またコクテンでいいと思うね。
【宮田部会長】
 よくわかりますよ。この間,2年前ですかね,本校のジャズイベントで北村先生がおいでになられて,すばらしい演奏の後にトークがありましたが,クラシックのある先生が「あなたの音は品がない」と舞台の上で言い切っちゃったんだよね。
【北村英治氏】
 そうそう。
【宮田部会長】
 よく覚えているんですよ,僕は。面白いこと言うなと思ったの。だから北村先生は,クラシックの先生の音はとても清らかだという言葉を使う。品がないと清らかはどこに違いがあるんだろうとかって。同じ舞台の上でのクラリネットの2人の音をずっと聞き分けたんですね。あ,なるほどなという感じがして。品がないということは悪いことなのかと,今度は逆に思うようになったんです。ところが,むしろその音のほうが心に入っちゃったんだよね,記憶というか。
 というようなのがあったのはあったんで,今日はだから,その辺の話まで聞けるかと思って,めちゃめちゃうれしいんですけれども。
 だから,どうなんでしょうか,基礎を教えたり覚えたりするというのは,その辺のところまで教える必要があるのでしょうか。でも,先生,必要なのかな。あんまり教えるということはよくないと言っているけれども。
【青木長官】
 北村さんの話を聞いていると,先ほど50歳のとき,これまでほとんどジャズのクラリネットを独学あるいは,バンドの仲間や先輩たちとやっていて,50歳になって芸大の先生に基礎をならうと。だから,その基礎を教えるところは必要なんですね。
【北村英治氏】
 必要です。
【青木長官】
 そのとき学んだクラリネットというのは,クラシックの正統的なクラリネットのいわゆる奏法なんですね,同じなんですかね。
【北村英治氏】
 ええ。
【青木長官】
 それはやっぱりそういうのはどこかでやっていることは必要。
【北村英治氏】
 ええ,絶対必要ですね,これは
【宮田部会長】
 わかった,品がないんじゃなくて個性なんだよね,あれは。カラーなんだよね。
【北村英治氏】
 そうですね。
【宮田部会長】
 それぞれのカラーだと僕は思うな。だから,とてもきれいに,僕はきれいに聞けたんですよね。
【北村英治氏】
 それで,先生が絶対僕の音は出せないし,僕は先生の音は絶対出ないし。
【宮田部会長】
 出せないと出ないっておもしろいですね。
【北村英治氏】
 無理して先生の音を出そうとも思わないし,使っている楽器も違いますからね。先生の方はドイツの楽器を使って吹いている。僕は日本のヤマハを使ってる。
【宮田部会長】
 そういう問題でしょうかね。
【北村英治氏】
 楽に吹けるようにしているんです。というのは,ドイツの楽器を使ってたら,やっぱり年とってきたら結構きついと思うんですよ。日本のヤマハの楽器は非常に楽に息が入るので,これ100歳になっても吹けるなと思って,それから日本の楽器を使っていますけれども。まあ,カラーです。
【青木長官】
 先生方,もうちょっと聞きたいことがあるんですね。金森さんが日本の学校に行かないでベジャールに行ったというのは,やはりそちらの方が自分が伸びると思ったんですか。あるいは別の理由からですか。
【金森穣氏】
 行くときはもちろん運命的なめぐり合わせというかチャンスだったので,要するに海外に出たいということがまず最初にあったので,それが単なる父親からのすり込みなのか何なのかは,今となってはちょっとわからないんですけれども。
 ただ,確かにおっしゃるように,日本の中にいてその当時のクラシックバレエカンパニーならクラシックバレエカンパニーにいたら,今のようにはなっていないですし,今のように新しいダンスの可能性というのは経験できなかったですね。
 このベジャールスクールで学べたことの,そのシステムとしてすごく重要だったのは,年間を通している先生というのは限られていますね。クラシックバレエというのは歴史があってもうスタイルが確立されているので,その先生と剣道の先生は変わらないんですけれども,モダンダンスとかコンテンポラリーダンスって,要するにジャンルがすごくたくさんあるものに関しては,この人って特化していないんです。3カ月ぐらいで先生が変わるんですよ。だから,たった1年,2年の間で,ものすごいさまざまな舞踊スタイルを経験することができるということがすごくあって,それはもしかしたら大学のように長期的に同じ先生が教えるケースとは違うのかなと思いますけれども。
【青木長官】
 北村先生に聞きたいことがあるんですが。音の大きさについては,私も非常に気になっているんですけれども。例えば,この間東京国際フォーラムで開催された,東京ジャズフェスティバル2008,それから,上原ひろみとチック・コリアは武道館でやりました。僕は初めから,この音でジャズをやることは危険だと思って,そういうとこでジャズがやりだしたらだめになっちゃうんじゃないかという思いがあるんです。だから,家庭でもそうなんですけど,音量と,つまり実際我々が聞く音というのは,増幅いくらでもできるんですよね。適当な音量,それから空間ですね,音の響く。こういうのって何かご意見がありますか。
【北村英治氏】
 ありますね。武道館でやるものじゃないですね,ジャズは。武道館で,6,000人も入るようなところでやるのではなく,せいぜい広くても1,000人が限度じゃないかなと思います。でないと,生の音が届かない。それを届かせようと思うと無理が来ますので,どうしても生でやるには音が大きくなって,うるさい音になっていく。
 それと,無理して拡声装置を使ってやると,全然自分の思っていた音と程遠い音で出されちゃうということがほとんどですから,やはり1,000人が限度だと思う。特に,クラリネットなんていうのは室内楽の楽器ですからね。そんなに大きな音を出す楽器じゃないものですから。
 ところが,うまい人,ベルリンのクラシックのカール・ライスターの演奏聞いていると,ホールのどこで聞いていても同じ音量で聞こえてくるんです。それが大きくなくて。というのは,音のキャリーがあるんだなと思って。やっぱり音のキャリーがとても大事だなと,いい音で。音のキャリーをみんな考えたらいいんじゃないかなと,どこまで通るかという。
 大きな音だから遠くまで行くとか,決してそんなことないんですよね。小さいピアニッシモが通っていくという,それが大事なんじゃないかなというふうにつくづく思います。それはその人の技術と心がけなんじゃないかなと思うんですけれども。
 まあ,大ホールでやるべきものじゃないですよね。チック・コリアも頭のいい男だから,あんな音を考えていないんじゃないですか。
【青木長官】
 そういうジャズファンとしては非常に危険な傾向だと思って,ジャズを,1万人も聞きに来るというのはいいんですけれども,その後がもうだめになっちゃうんだよね。
【北村英治氏】
 そうですよね。それが怖いですよね。
【青木長官】
 それから,ジャズのピアニストももちろんクラリネット奏者も,クラシックももちろんクラリネットもピアノもいっぱいありますから,育成ということはいろんなことがあるんですけれども,いろいろな分野の人間がいて一所にやるんですけれども,あの傾向というのは先生から見てどうですか。
【北村英治氏】
 とてもいいことだと思うんですよ。ジャズ一辺倒でやってきた人がクラシックに目を向けるということはとても,音楽の根本ですからね。小曽根真は40歳になってモーツァルトを始めたんです。それまで自己流でやって,バークリー音楽院に行ってやって,それでアメリカに行っている間に,やっぱりクラシックもやらなきゃなと思って,クラシックの先生について少しやり出して,40歳になってからモーツァルトを弾くようになったんですよね。それで,僕は小曽根真に,おまえいいな,40歳でクラシック始められてよかったな,僕は60歳のときにやっと村井祐児からモーツァルトを吹いていいよって言われたって。60歳の還暦のときに初めて,モーツァルトのクラリネット五重奏を吹いていいよって言われたんですよね。それまでずっとお稽古しかできなかったんです。
 クラシックは本業でないのですが,一番根本のものだと思って大事にやってきたんで,クラシックを一度やるということは,音楽を見直すことができるんですよね。ジャズだと自分を表に出すことをいつも考えています。ところが,クラシックをやると,その曲,作曲者の言うとおりにいろいろやらなきゃ,その表現ができないという場合が多いものだから,自分を一つ手前に置く。それでテクニックのことを考える,音楽を考えるというためには,クラシックをやるというのはとても大事なことだと思います。
【青木長官】
 ジャズで育ったプレーヤーがクラシックをやる場合,クラシックだけやってきた人が同じモーツァルトをやるという場合と,どこかで違うものが出てくる。それはどういうところが違うものか。つまり,ベニー・グッドマンのクラシックの演奏を聞くと,やはり音が弾むといいますか,非常に特色のある魅力的な音が出てきて感激するんですけれども。クラシックの立場からどう思うか。それから,モーツァルトそのものはどう思うかというのはあるからね。
【北村英治氏】
 そうですよね。ベニー・グッドマンなんかはクラシックの方たちに言わせますと,あれは旦那芸だよと言うんですよね。悪い言葉かもしれないんですけども。いわゆる趣味でやっている。ところが,僕なんかが聞くと,やっぱり見事にやっていますよね。そのものを実に見事に。ただ,問題はおおよそこの問題がある。それと,お年を召してからのことだから,どうしても口のくわえ方も悪くなっているところがあり,それは指摘すればいくらもあるんだけど,それはあれだけのスウィングを作った人だから,もう許せることじゃないかと思うんですよ。
【青木長官】
 それから,モーツァルトの時代にジャズはなかったですが,もしモーツァルトがジャズを知っていれば,恐らく作曲に取り入れたでしょうね。本来なら,ラベルにしてもドビッシーにしてもいろいろな人がジャズの影響を受けている。そういうものと,それからいわゆるジャズプレーヤーが正統的なクラシック音楽を聞くというのと,いろいろと入り組んでいるんですけど,その辺をどう整理したらいいかというのはちょっと自分でもよくわからないので。
【北村英治氏】
 一歩戻る感じですね。その印象派の曲をやるのでなくて,本当のクラシックの曲を,戻ってピアノでもクラリネットでも,本当にモーツァルト,ベートーベン,その辺をやるというのはとても大事なことだと思うんですよ。音楽の本質に触れるために,ジャズの連中はクラシックをやると。
【田村(和)委員】
 きょうは本当にお二人のお話をお聞きして感動いたしました。
 最初に金森先生がおっしゃっていた中に,「ふるい」という言葉をおっしゃったんですよね。
 僕はいろいろな人材を養成するというのは,外側から言うのは非常に僭越な話なんで,やっぱり人間というのは,北村先生もおっしゃったように自分しかないだろうと思っています。ただ,やっぱり環境をどういうふうな形で社会がつくっていくかということで,ダンスの場合には見せる文化と,それから逆に見るほうの文化ということがある。それから,音楽の場合にも聞かせる文化が提供者のほうにあるだろうし,それから我々のほうは聞く文化というのがあると思うんですね。
 すごくたくさんの中に音楽もダンスも広がっているんだけど,一つの芸術に高まっていくときに何か「ふるい」みたいなものがいろんなところにあるような気がするんですよね。
 人を育てるときに,「ふるい」をどこに置くのかということがあって,一番大きいんだと感じてます。これは客観的過ぎる言い方なのかもしれないけれど。何かそれをどこにセットできるのかみたいなね。これは何か非常に抽象的な言葉なんですけど,非常におもしろい表現をされたと思ったので。
【金森穣氏】
 その「ふるい」という言葉をいろいろなところで使うと必ずどこか引っかかるんですけれども。あえて,言葉としてきつい感じになってしまうのですけど,結局は選ぶ側というのがありますよね。その責任の所在ということもありますよね。で,選ばれたほうの責任の所在ということもあって,どこかでだれかが腹をくくってやらなきゃいけないということなんじゃないかと。
 要するに,それが今,自分はこうしてすごく恵まれてこういう形で新潟でできていると。だから,そういう偉そうなことが言えるんだって,まさにそうで,だから偉そうなことを言いたいし,もっと「ふるい」をかけて選ばれるべき人たちが選ばれて,選らばれたがゆえにもっと努力しなきゃいけないんだろうし,もっといろいろなことについて勉強して考えなきゃいけないだろうしということを,「ふるい」として敢えてかけていかないと,本当に今ダンスはもう,一口にダンスといってもバックダンサーからクラシックバレエダンスからいろいろな形が,フラから,ハワイダンスとかいろいろなことがあって。
 皆さん,稽古場を開かれてある程度やりますよね。そうすると,稽古場を開いて,稽古場を開くとその生徒さんの月謝で収入になるわけですから,生徒はだれでもいいわけですよね。将来性があるとかないとか,あるいはそのお稽古事としてやっているとか,本当にプロを目指すとかそういうこと関係なく,1人でも多くの生徒さんが収入になるわけですから,そういう稽古場がたくさんある。
 それはそれでいいんですけれども,そこから,ある限られた人たちしか入れない狭き門というのがしっかりあって,そのスクールを出た人たちが入れるプロのカンパニーというのが,逆にもっとバリエーションに富んでいてということがヨーロッパでは成立しているんです。だから,コンセルバトワールって,街にあるわけですね。そのコンセルバトワールを通らないとなかなかプロは目指せないですね。また一方,もちろんそのシステムががっちりあるからこそ,そうじゃないところからやってみようというエネルギーも,ものすごいエネルギーが出てくるわけですよね。
 でも,日本の場合,それに対抗するものがないのです。今自分がダンス界においてできるだけ波風を立てたいなと思うのは,波風立つことによってアンチ金森穣,アンチNoism,アンチりゅーとぴあで,自分たちがそういう制度じゃなくてやってやるんだというエネルギーが起きれば,それは本望だし,そうあってほしいんですけれども,そうもならないんですよね。
 結局,ああ,あの人はラッキーなんでしょうとか,あの人はうまいからねとか,何かそういう話になって,結局そういう意味での拮抗するエネルギーもないし,お互い手をつなぐエネルギーもないというか。今実際,日本の舞台芸術,舞踊も,振付家の中でこういうことが話せる人は本当に片手ぐらいしかいないんです。
【田村(和)委員】
 いや,その提供者のほうもそうなんだけど,僕は北村先生がおっしゃった音の大きさが決して音楽そのものを証明していない。つまり音があふれるということは,音の大きさではないわけですね。かなり,もっともっと豊かなものだと思っているんですけど。
【青木長官】
 さっき話しました国際フォーラムで,90歳のハンク・ジョーンズの演奏は,音がちっちゃいんですよ。だから聞こえてないんですよね。あれやると大問題,あんな一節でなくて,普通のをやりなさいと,別のを。
【田村(和)委員】
 本当に,ハンク・ジョーンズはそうですね。
【北村英治氏】
 ハンク・ジョーンズさんなんていうのはもうお年だし,強く弾こうなんていう気は全く持っていないんです。
【田村(和)委員】
 要するに,何か他国にも,聞かせる文化だけじゃなくて,聞くほうにも僕は「ふるい」があるような気がするんですね。そのあたりがやっぱり,日本の人材を育てる場合常に非常にあいまいな形になっていて,やっぱり今のマスメディアなんかも本当に見ていると,聞くほうの文化みたいなものをほとんど育てていないなという感じがあって,そちら側の「ふるい」というのが人材をつくっていく場合に相当影響があるような気がしているんですけど,そのあたりは,何かを考えることってありますか。
【北村英治氏】
 僕なんかジャズをやっていると,仕事柄非常に気楽なところが多いです。ジャズのライブハウス,コンサートなど,いろいろなスタイルの仕事があるんですけれども。僕はもう本当に中学生,高校生から,それから僕らの年代過ぎた方たちまで全く雑多なんですよね,そういう方が皆さん来てくださっている。
 ということは,それほど危惧することではないんじゃないかと思うんです。皆さん,いいものを提供すれば必ず聞きに来てくれる。また,聞きに来てくれた人がその友達を呼んでまた次に来てくれるというんで。割に,かえって大人のほうがジャズクラブ,ちょっと行きにくいなというような人たちが多いんですよ。気楽に来て来てって言って,みんな呼んで聞いてもらう。聞いてもらうと,それで次にまた聞きたいなというんでコンサートに来てくれたりなんかしますのでね。
 だから,ジャズのミュージシャンに限っては,本当に出し惜しみしないことですよ。仕事が来たらどんどん受けちゃうこと。僕なんかも本当にもう節操なく仕事を受けています。それで,ジャズのライブハウスなんかでも月に最低3回やっていますからね。そうやって,できるだけ聞く人,ターゲットを多くというふうに思っています。たくさんに聞いてもらったりする。
【宮田部会長】
 田村先生,さっき手を挙げられた。
【田村(孝)委員】
 私,40年前から北村さんとはよくNHKでご一緒させていただいたのですが,ジャズの番組に携わってまいりました。先程50歳になって新たにクラリネットとおっしゃっておられましたが,当時一流の方が外国からも沢山来日されていらっしゃっていましたが,いつも違いを感じるのは,外国のジャズのミュージシャンは,クラシックをきちんと聞いていらっしゃるな,幅広く学んでいらっしゃるなというのをすごく感じていました。
 日本の方で本当に世界に向けて活躍する方が出ていらしたとき,やはり幅広く学んだ方が出ていらっしゃっているなとも感じておりました。先程金森さんがお父様に,ダンスをするならばクラシックバレエをというアドバイスを受けてとおっしゃっていらっしゃいましたけど,外国の舞踊家にも演劇の方にも音楽の方にも,知識としてもそれから技術としても基礎のものをきちんと小さいころから身につけていらっしゃるなと。学生さんの部屋に1枚の絵があるという環境といいますか,そこがすごく違うかなというふうに思っています。
 コンテンポラリーダンスは今の状況,多分お立場上おっしゃりにくくていらっしゃると思うのですが,私は相当びっくりするような状況にあるなと常々思っていますので,その中でやはりそれ以上の作品,きちんとした,海外に出てもすばらしいと認められる作品をおつくりになる方というのは,きちんとした基礎を皆様お持ちの方かなというのは感じておりました。何か日本って,クラシックの人はクラシック,そうでない人はそうでないというふうに両極端になってしまう。
【宮田部会長】
 縦割りが好きなんですよね。
【田村(孝)委員】
 そういうものではないのではないかと。
【宮田部会長】
 安心しちゃうんでしょうかね。
【田村(孝)委員】
 歴史の上に成り立っているのではないかと。コンテンポラリーもそうですし,ジャズもそうです,音楽という。
【金森穣氏】
 クラシックバレエが基礎といったときに,クラシックバレエが基礎なんだという考え方でクラシックバレエをするんではなくて,クラシックバレエの中に含まれている基礎性みたいなものを把握して,それを基礎として体にたたき込んでいくという教え方がないんですよね。日本の場合,バレエは基礎と言ってしまうと,もうクラシックバレエをすればいいという話になって,そのビデオのようにバレエをやれば基礎が通るという感じになるので,日本に帰ってきて新国立バレエ団に振り付けに行ったこともありますけれども,クラシックバレエに関しても正直に言って自分のほうがうまい。クラシックバレエダンサーを志して進んでいる人よりも,自分のほうができるんじゃないかというぐらいのトレーニングしかしていないのを見ると,やっぱり教え方は何か違う部分があるのかなと考えます。
【高萩委員】
 金森さんに幾つか聞きたいことがあります。ベジャールのスクール,何人ぐらいの生徒がいたのですか。
【金森穣氏】
 最初,自分たちがスイスのローザンヌに行ったときは,ローザンヌでつくったときの第1期生なので,始まった当初は30人。ただ,2年後に卒業したのは8人でした。みんなやめました。しんどくて。
【高萩委員】
 無料なのにやめていっちゃう。次の年,また30人採るということなんですか。
【金森穣氏】
 自分たちの2年目に,1年生というのが20人ぐらい入ってきました。
【高萩委員】
 無料だということだと,大体日本だと卒業した後に義務はあるんですか,みたいなことを言われると思うんですけれども。
【金森穣氏】
 全くないですね。卒業証書みたいなものもないです。逆に言ったら,行ったと言ったら行ったことになっちゃう。
【高萩委員】
 卒業したと言ったら卒業したということに。
【金森穣氏】
 そうですね。
【高萩委員】
 ベジャールはお亡くなりになったと思いますが,その後今どうなっているんですか。
【金森穣氏】
 そもそもジョルジュ・ドンが仕切るはずで立ち上げた学校で,9月に始まって彼が10月に亡くなって,みんなもお葬式出るような,そんなタイミングだったので,ベジャールが仕切るための学校ではなかったので,今もミッシェル・ガスカールというもともとのダンサーが自分たちの2年目からずっと学校はやっていますので,ベジャールが亡くなっても学校としてはもちろんあります。
【高萩委員】
 スイスとローザンヌがそのまま資金援助を延長ということですか。
【金森穣氏】
 そうですね。ただ,この間聞いた情報ですと,あと2年後までがカンパニーとしての契約があって,その後わからないという話なので,多分スクールも同じようなことなんじゃないかなというのが考えてますけれども。
【高萩委員】
 日本人は結構行ったりしているんですか。
【金森穣氏】
 自分の後にも男の子1人行ったり,大体毎年1人2人は行っているんじゃないですかね。ただ,卒業するまでいる子は結構少ない。
【高萩委員】
 すみません,ちょっと細かくて申しわけない。
 Noismができて何年たちましたか。
【金森穣氏】
 4年です。
【高萩委員】
 4年ですね。新潟の町としては何か変わったかなという雰囲気ってありますか。Noismができたことによって。ちょっとご自分で言うのは難しいかもしれないんだけど,何か聞いたりとか市のほうから言われたりする,Noismがあるとないということで。
【金森穣氏】
 そこまではいけてないんじゃないですかね。もちろんそこまでいければいいんですけれども,今はその新潟で市長をはじめ評価していただいているのは,東京,国内,海外に出てさまざまな評価を得ているということが一番の評価。
【高萩委員】
 それこそNoismは新潟にとってもですし,文化庁の政策にとってもというか拠点形成事業にとって非常に成功例だと思います。でも,そのフォロアーというか,ほかのところで同じようなことが起こらない理由というのは何か心当たりはありますか。
【金森穣氏】
 まさに自分が聞きたいですね。一日も早くほかのところで立ち上がって欲しい。
【高萩委員】
 実際,今,僕は演劇系なのですけど,舞踊系の公共劇場で,新潟に続けみたいな可能性のあるところというのはできていないんですかね。
【金森穣氏】
 ちらっとそういう構想があるといって見学に来たところもあったんですけれども,それもなくなったし,人づてにできるかもと聞いたところも,館長が変わってなくなったりとか,今はまだできていないですね。
【高萩委員】
 じゃ,ちなみに予算が倍になったら何かしたいことってありますか。
【金森穣氏】
 予算が倍になったら,もうまさにスクールを創ります。
【高萩委員】
 やっぱり新潟でやっていきたい。もう一つ別につくろうなんていうことは思わないですか。
【金森穣氏】
 どこか別の場所にですか。
【高萩委員】
 別の場所で。2カ所でやるとか。
【金森穣氏】
 予算がどこから出ているとかということでいろいろ絡んでくると思うんですけれども,ただ,地方都市新潟でやるということの意義をもう一つすごく感じている部分であるので,新潟でできるのであれば新潟でやりたいなと思います。
【高萩委員】
 ベジャールのほうは指導者の方が,結構3カ月単位ぐらいで変わるとかというふうにおっしゃっていましたけど,Noismの指導者はどうですか。
【金森穣氏】
 その予算がないのでできていないんです。
【高萩委員】
 できれば指導者は変えていきたいですか。
【金森穣氏】
 指導者を変えていきたいというか,さまざまな,それこそ演劇であったり音楽であったりの先生を招いて,ワークショップみたいなものをしていただくとか,朝のNoismバレエクラスに関しても基本的に教えているのはメンバーなので,自分かミストレスをやっているメンバーなので,朝のクラスのピアニストもいないし,毎日CDでみんなでやっているという感じですね。
【高萩委員】
 今,日本人ばかりですよね。
【金森穣氏】
 そうですね。
【高萩委員】
 国際化の可能性というのは,許せば行いたいですか。
【金森穣氏】
 もちろんいいダンサーというか,そういう出会いがあればですけれども。
【高萩委員】
 今,ダンサーの募集はどういうふうな形で行っているのですか。
【金森穣氏】
 年間を通してプライベートでいつでもオーディションは受けていて,資料は送られてきて,見て,じゃ書類審査通った,来てもらってカンパニーの活動に参加してもらって,どうだっていう感じですね。
【高萩委員】
 さっきおっしゃった,その見る文化,見せる文化がなかなか成立していないというのは多分本当にそうだなと思うんですけれども,ちょっともう一回戻って,新潟の中で公演に来ているお客さんというのは変わってきたという感じはありますか。
【金森穣氏】
 今,結構頭打ちというのが現状ですかね。大体900人ぐらい来てくださっていて,地方都市で900人がコンテンポラリーダンスを見るというのはものすごいことらしいんですけれども,ただ,自分にとってはもちろんまだまだ。東京では1,500人ぐらい。
【高萩委員】
 東京だとどうしても,どっちかというとダンスをやっていらっしゃる方というのが観客の中にかなり多いと思うんですけど,新潟の場合だとそんなに,900人ダンスをやっているとは思えないですね。
【金森穣氏】
 全然いないです。
【高萩委員】
 どういう方たちがお客さんとしてはいますか。
【金森穣氏】
 大学の先生とか,ギャラリーをやっている女の方とか,飲食店の人とか,美容師さんとか。
【高萩委員】
 やっぱり少し観客層が成立しているのかしら。
【金森穣氏】
 もう大体その900人ぐらい,あるいはサポーターズというのができていまして,市民の中から。その中から300人ぐらいなんですけれども,その方たちは必ず見に来てくださって,それ以外の方は公演ごとにという感じですけれども。結局,今頭打ちだという理由として,Noismに対する興味で頭打ちなんじゃないんですよ。劇場に足を運ぶ人が頭打ちなんです。これは劇場に対して常に会議のときに話していて,もっと劇場として市民が劇場に集まる企画をしていかないと,例えば自分が新潟に行ってアパートを借りるときに不動産屋に行って,りゅーとぴあで今度働くことになりましたと言ったら,りゅーとぴあって何ですかと不動産屋に言われました。新潟市民の中でも劇場の名前とか劇場の場所を知らない人が山ほどいて,そうの状況で「Noism,Noism,舞台芸術だ。」と言っていてもだめです。
【高萩委員】
 それぞれのジャンルで観客数がある程度まで伸びてきた時,それ以上観客を増やすには,それこそジャズとコラボレーションしたりとか,あるいは異ジャンル系と結びつけたりすると増えていく方法があります。でも,りゅーとぴあ自体の観客掘り起しが問題だっていうことですね。
【金森穣氏】
 りゅーとぴあ自体も,音楽のほうに来るお客さんが頭打ちであったりとか,演劇は演劇でこうついていて,舞踊と演劇合わせて,プラスNoismはもう4年間に今頭打ち。だから,劇場としてもやっぱり常に新しい人たちを開拓していくための何かを考えていかなきゃいけなくて,長期スパンで学校に出向いていって,その子たちが大人になったときに来るとか,そういう本当に長期的なスパンで考えなきゃいけないということが常あります。
 新潟駅に着いたときに,劇場の写真とかというのがなかったんですよ。それがおかしいだろうって,29歳の若造が乗り込んでいくときにまず言ってできたりとか,そういうことから始めていっているので。
【高萩委員】
 今4年目ですよね。5年後,10年後ぐらいとか15年後みたいな計画というのは新潟のほうで話されたりしているんですか。
【金森穣氏】
 話せないです。なぜかと言うと,自分の契約が3年ごとですから,この間延長が決まって,やっとここから5年間見据えて頭の中でビジョンが描けるって感じで,自分としてはもちろん新潟が続かなくても,ビジョンは本当に10年20年単位でできればということを信じてやっているつもりなんですけれども。ただ,劇場としても指定管理の問題,やっとぎりぎり通るか。通るんだったらこう考えるけれども,通らないんだったらとか,じゃ支配人がいつどこでだれになる,課長がかわっちゃったとか,そういう状況の中で,どこまで長期的な本当に劇場文化のビジョンが持てるのかというのは難しいですね。
【高萩委員】
 わかりました。
【吉本委員】
 きょうは本当にすばらしいお話をありがとうございました。東京芸術大学の学長だけではなく,全国の芸大,音大のすべての学長さんたちに聞いていただきたいお話だと思いながら伺っていました。
 それで,金森さんにちょっとご質問なんですけれども,非常に印象に残ったのが,体が痛くてもお金をもらっているということをすごく考えざるを得なかったとおっしゃっていたことです。それは舞踊家としての社会的な使命感というか責任,そんなものもいろいろあるんだと思うんですね。それで,先ほど新潟でも,仕組みを変えて,ダンサーに給与を毎月支払うような形でやっているとおっしゃっていましたけれど,やはり日本だと税金を使ってアーティストに給与を支払うというコンセンサスは,ヨーロッパと違って全然できていない思うんです。ステージに立ったごとに出演料を支払うということは,大丈夫だと思うんですけど,練習することも舞踊家にとってはお仕事なわけですよね。だけど,その練習するということに対して税金を使って給与を払うというような感覚というのは,残念ながらコンセンサスが得られていないんじゃないかと思うんですね。そういうことが人材育成であったり,国の芸術に対する助成制度だとか,いろいろなことの根本的な問題として横たわっているんじゃないかなというふうに思っています。
 それで,稽古にくる生徒の月謝を目的にしたいろんな舞踊の学校とかがあるということなんですけど,稽古に対しても税金で報酬を支払うというところに,金森さんのおっしゃっている「ふるい」というのがあって,そこを越えた人が社会的に非常に意味のある芸術家として,稽古することも含めて舞踊を仕事として生きていかれるような社会的な存在になるんじゃないかなというふうに,お話を伺いながら思ったんですね。
 だから,そういったあたりのことについて,ヨーロッパで何年もおられた後,今は新潟,日本で活動されていて,何かその根本的な社会の仕組みの違いとかというようなことを感じておられるんじゃないかなと思って,その辺のこと伺いですけれども
【金森穣氏】
 まさに根本的な違いというのに日々直面しています。新潟で実際役所のほうに自分が出向いていっていろいろ説明してお話しするときも,あ,向こうはこういうことを気にするんだ。こういうことを気をつければこれはできるなとか,そういうことの仕組みというのは現場でなきゃ学べないんですね。だれも教えてくれないです。周りも,しかも問題共有できる人が今はいないので,とりあえず自分で感じるままにぶち当たって失敗したら失敗の傷を記録しておくぐらいのことしかできません。
 まさにおっしゃるように,それこそ文化の成り立ちとか考え方の違いにまでいってしまうものの,ただ本当に,さっきの5,000万の予算の話にしても,とらえ方じゃないですか。だから,今細かいそういう言い方をするのは適切なのかちょっとわからないですけれども,例えば人件費で9割なくなってしまうということがこちら側の認識だったとしても,対外的に5,000万というのを使うときに,年間2本の作品をつくったらもっとかかるんです。だから,年間2本の作品をつくっているんですっていうことが,日本の社会の中ではわかりやすいんであればそれでもいいんです。こっちとしては体制としてダンサーに給料払ってしっかりできているので。要は,見たときにいい作品で評価してくださるときに,ダンサーの質が上がったね,すごいねと言ってくださるときに,我々はよかったと思いますけれども。もしかしたら,行政の方はそうではなくて,作品が評価されて金森穣の振り付けが何々賞を取りましたとすると喜んでくださって,では続けましょうということでもいいんです。
【吉本委員】
 そうですね,でも,何かねじれた状態でそのままいくわけですよね。
【金森穣氏】
 そうですね。
【吉本委員】
 現象としては同じことが起こっていたとしても,根本的な考え方のところが食い違っていれば,どこかで破綻しますよね。なおかつ今のお話だと,そういう行政や仕組みの手続の中にどうやったら合わせられるかというようなことまでも,舞踊家の金森さんが考えなきゃいけないということになっているところも,実はすごく根本的な問題だと思うんですね。そういうことこそちゃんとできるアートマネージメントの専門家がいて,金森さんはそれで作品2本分の予算として支払われているということを知らなくても,舞踊家にちゃんと給料が払われる仕組みにしましたということを,だれか行政官がちゃんとやって,そういうことを金森さんは気にしなくてやれるような仕組みにならないといけないんじゃないかなと思うんですけど,その辺はいかがですか。
【金森穣氏】
 もちろん劇場の支配人を始め,財団の皆さんが自分には解らない行政的な事をやってくれています。それに自分の立場を少しでもだれかかわってくれる人がいればという部分はありますし,実際つくることに集中したいであったり,いろんな気持ちはあります。ただ,もしかしたらなんですけれども,そういう人がいて任せて,じゃ自分は本当につくったり,体をトレーニングするだけでよくなったとしたら,本当に何か変えられるのかといったら,そこもちょっと不安であるんですね。
 今はつらいですけれども,でも,これだけの経験ができているというのはすごく大切なことで,もし後に全くそういうやりとりを知らない,振り付けだけで評価されてきた人が,そういう環境が整ったときに,これ気をつけたほうがいいよとか,こういうふうにやればとかということが少なからず残していける。
 だから,いつもうちのスタッフも,結局今,財団の職員1人もいないんですね。これもちょっと言い忘れていたんですけれども,その人件費の中に今4人いるスタッフの人数も入っているんです。本来であれば劇場の中のカンパニーなので,劇場の職員がついてやってくれるべきなんですけれども,劇場はそれまで運営していたことを維持するので手一杯なので,海外に行くとか国内ツアーをするということができない。じゃ,わかりましたと。ダンサーのように委託でいいからスタッフを増やしてくれと言って,自分でその算段をして,委託したスタッフと一緒に今回っているんです。来春の春にようやくNoism担当の財団の職員が任期付で加わってくれますが。
 ただ,結局彼らと何をしようとしているかと言ったら,あと5年でたとえ終わったとしても,後に残せるちゃんとしたアーカイブをつくろうということなんです。
 結局,その先がなくて,今一番とりあえず先に始めてしまったことなので,もちろん静岡で鈴木忠志さんが始めていらっしゃいますけれども,演劇と舞踊では違うかもしれないし,そもそももう規模が違うかもしれないし,いろいろな違いがある中に,自分たちが残せる何かアーカイブを残して,もしかしたらそれを見て次の人が,いや,金森穣はここが失敗だよねと,もっと分業にするべきだよと言ったら,すればいいと思うし。
 例えばダンサーに給料を払うということに関しても,スカンジナビアのスウェーデンのカンパニーにいたときに,そこは19歳で契約をもらい始めて3年たつと永久契約なんですね。ということは,22歳のときにもう首にならない終身雇用になるんですよ,ダンサーとして。40歳で引退するまでできる。そうすると,もうだれも頑張らないんですね。体でやる限りにおいて毎朝のトレーニングでどこまで集中できるかということがダンサーのすべてにかかっているときに,そこが保障があることによってとりあえずバーだけつかまっている人たちが半分以上いる。
 だから,やっぱりスカンジナビアのそのようなカンパニーのダンス芸術みたいなものは,世界に広がっていくほどのインパクトを持ち得ないということが歴史的にあるのは,そういう社会保障みたいなものがあるから。
 だから,今この時代に自分がダンサーの保障をとしていったときに,もしかしたら将来的にはそれで衰退するかもしれないけれども,でも,結局やることって今までの歴史の中で違う方向に切りかえてということの繰り返しでしかないから,だから,今とりあえず自分は一人でできるだけやるしかないという感じです。
【吉本委員】
 ありがとうございました。
【高萩委員】
 基本的には,アートマネジメント教育はやっぱりアーティストにすべきだとは思います。やっぱり芸術を自分で作っているのだということがあるし,アーティスト自体はやっぱり今の社会に飽き足らないから自分で表現をしているというのがある。バレエの場合,社会問題とかって難しいですけれども,演劇とかだとやっぱり違う見方ができるということが多いので。
 それから,何か世の中的にアーティストが発言すると受け入れやすい。やはりアーティストとして有名な方が演出家としてしゃべると非常に社会は受け入れやすいですね。でも,プロデューサーが言ったりとか,アートマネージャーが何を言っても,なかなか受け入れられない。やっぱり振付家の方,ダンサーの人がこうじゃないのって言ったときのほうが,世の中的には受け入れやすいということはあるんじゃないかしら。
 お役人を相手にして,特に地方の公共団体の方を相手にしているときは,いくら劇場のスタッフが何を言ってもなかなか通らないですよね。金森さんが言っているとか,アーティストがこれって変じゃないのと言っているんで何とかしてくれませんかというように持っていくと,やっと初めて少し動くみたいなのが多いと思います。
 日本の中では,アーティスト教育のときに本当にアートマネジメント教育というのは入っていない。音楽・美術はもしかしたら何か政府から恩恵を受けてというか,教育機関の中で何らかの恩恵の中で自分の才能を伸ばしてくるというのは感じるかもしれないけど,演劇は特にほとんどみんな勝手に自分たちは演劇人になったと思っているから,社会貢献とか公共的な何かをするというのはすごく難しいですね。
 ただ,今,それだけじゃだめなんだと,やっぱりちゃんと基礎的なことについては,単にエンターテインメントじゃなくてアーティスティックなことをやろうと思ったら,そういう公共的な役割をわかっていないと先へ行けないよという話は始まっています。ただ,演劇に関して役者さんなんかの場合は,やっぱりそれよりはテレビに出たりとか,映画に出たりとか,CMに出たりとかという方向に行っちゃうなという感じですよね。
 だから,その住んでいる世界が少しずつ違うというか,社会の側が何を求めているかということをこちらからもきちんと示していかないとアーティストのあり方について,なかなか次のステージに変わっていかないなというのを思いますね。
【宮田(慶)委員】
 すごく大変だと思うんですけれども,さっき今おっしゃったように,演劇もそうだし,ただ,そこで,これはすごい,外国に行ってもどこへ行っても評価して,それで公演すれば収入ができて,それで次の作品をつくるというシステムができている,そういうようなの例えば金森さんのところにあるとして,じゃ予算が倍になったら創るという人材育成,もうできるとなれば,そこには予算をつけられないんですか。簡単なことだと思うんですけれども。そういうシステムにはならないんでしょうか。
【清木文化部長】
 人件費のお話がありました。結局,実際何に一番お金がかかったか。練習も含めた人件費になると思います。
 ただ,ご承知のように人件費に直接芸術関係を支援するという仕組みになっていないんですね。本当はそれができれば一番いいとはよくわかるんですけれども,恐らく国も地方も同じだと思いますけれども,いろいろな分野があって,財政当局というのがあります。財政当局は,これはそれぞれの演奏家なりあるいはプレーヤー,これ人件費に行きますよということに対して,なぜかすごく抵抗があると。あるいは,税金使うということに関して,ひょっとしたら国民の抵抗もあるのかもしれないと。
 金森さんが実際にやっぱりマネジメントに携わっていらっしゃるなと思ったのは,結局お金には色がついていない。したがって,いい演奏をする,いい舞台をやるためにこれは使うんですよと言うほうが,実際問題として予算は通りやすい。それが本当にいいのかどうか,それだっていずれ行き詰ってしまうかもわかりませんけれども,現実にマネジメントに携わっておられたら,いいものを出すためにこれは使うんですというのが通りやすいということはあります。
 したがって,人材育成に仮に支援ができるとすれば,これは将来いい人材を育てて,いいものをやっていくために。したがって,それは文化芸術のレベルが高まっていくために使いますよというふうに,説得力ある主張をしていけるということが大事なのかなと思います。
【金森穣氏】
 しているつもりですけれども。
【吉本委員】
 全くそのとおりだと思うのですね,そういう言い方で説得していくことだと思うんですけれども,例えがいいかどうかわかりませんが,病院にはお医者さんがいますよね。だから,お医者さんに人件費がかかっているじゃないですか。劇場というところでは舞踊をやるとすると,その舞踊をやる人は病院のお医者さんと同じですよね。すると,同じように人件費がなぜ得られないのかというのはすごく僕は疑問を持つんです。学校も同じですよね。バレエの先生,人件費は必要ですよね。
【清木文化部長】
 学校は,例えば国立なり公立の経費というのは,人件費も含めて出ているわけでしょう。実際には授業料収入があったりして,国立大学の場合には,人件費が大体運営費の半分ぐらいです。国からは,その運営費に対する大体半分お金が出ているんです。ということは,人件費相当分が国から出ているという形になっているんです。私立学校の場合にも,人件費に対する継続補助というのがあるんです。
 おっしゃるように,学校や病院がいいのに,じゃ何で文化がだめなのかというところで,私ども文化庁はどうやったら乗り越えられるのかというのを考えないといけないと思うんですが,現実はそうなっているということです。
【吉本委員】
 そこはやっぱり財務省とかそれをわかってもらわないことには,本当の解決にならないんじゃないかと思うんですよね。
【宮田部会長】
 安心しないんでしょうね,形がないという。そこの一言でね,外に予算が回される分があるというのは本当に悔しい思いをしているんですよ。
【清木文化部長】
 それともう一つは,やっぱり国の財政状況全体が厳しいので,お金が支出が増えるようなところはとにかくシャットダウンという方針があると思います。
【高萩委員】
 基本的には常に増やしていこうとするからいけないんで,多分一番難しいと思うんですけれども,スクラップ・アンド・ビルドして欲しいというのが我々の希望で,何かを止めて新しくやるというんじゃない。今の手持ちの中でも,多分文化庁の中でも,もう要らない部分というのは出てきていると思うんですけれども,これはこちら側から,つまりアーティスティック側から言うと,いきなりやめられると,当てにしているいろいろなところがあるから難しいかもしれないけど,そこはぜひ考えてほしいです。
【清木文化部長】
 おっしゃるとおりですね。じゃ人件費補助をしたいんですとか,3分の1を2分の1にしたいんですとかいう,際限なく支出がふえていくような要求に対しては,財政当局は極めて抵抗が強いです。
 したがって,私どももどうしても通りやすそうな要求を出すと。いいものをもっと支援するためのこれは仕組みなんですという,拠点形成とかですね。かつ,通りやすいものとしては,スクラップ・アンド・ビルドあるいは選択と集中,それが文化に関して本当にいいかどうかわかりませんけれども,そういう打ち出し方が現時点の行政の中では通りやすいということがあります。
【宮田部会長】
 今のはテクニックの話ですが,学校にいるといつもそんなことばかり考えているんですが。性でしょうがないんですが。当然だとは思いますが。
 もう少しお二人の先生とのことで,いかがですか。
【田村(孝)委員】
 本当にご苦労なさっているのがよくわかります。私は静岡に今おりますので……,日本の中で静岡は数少ないソフトを持った公立の文化施設専属劇団のある劇場としてスタートし10年経っています。でもそれが,県内にどれくらい理解されているかといったら,それは相当お寒い状況で,舞台芸術センターについて,スタッフについて何でこの様な仕組みになっているのか語って歩かなくてはならないのが現実です。
 効率劇場の中で現在注目されている兵庫県立芸術文化センターですが,うまくいっているのは,アートマネージャー,プロデューサーの方と,それから県からいらした方が副館長です。あそこは館長が知事でいらっしゃいますし,その副館長が10年携わっていらっしゃるのです。プロデューサーの言葉と副館長の言葉はもう全く違って大変だそうです。でも,それをコーディネートしている方も県からいらした方なのです。その方も長く携わっていらっしゃる。
 公立の文化施設というのは,県の方に,それは財政では通らないんですとよく言われます。でもよく申し上げるのです。税金を使ってやっているわけでございますよね。ですから,行政側がきちんと何のために文化振興するのか語る言葉を持たない限りうまくいかないですと……。それを説得するのは相当大変です。
【宮田部会長】
 わかります。
【田村(孝)委員】
 少しうまくいっている地域というのは,行政側にそういう意識のある方がいらっしゃる。金森さんのようにすべてを語ることができなくても,そういう方がいらっしゃるところがうまくいくのです。
 サイトウキネンフェスティバルが続いているのもそうなんです。実は,NHKは第1回目をドキュメンタリーも作り,コンサートもオペラも中継いたしました。そのときにちょうど担当しておりましたのですが,松本から電話がかかってきたんです。県と市の税金を使ってあんなものをするのにNHKは加担するのかとまで言われました。でも,ずうっとフェスティバルが成り立ってきて,世界でも注目され,パリの歌劇場と共同制作もなさっていらっしゃいます。そうなったのは,やはり行政の側にその努力をしていらっしゃる方がいらっしゃった。行政が,その地域の住民の方を巻き込んで,なるべく関心のない遠い方をひきつける努力をしていらっしゃる。その事がすごく大切かなと私も思っております。日々本当に戦いです。今高萩さんもそうでいらっしゃるのかなと思いますが,それを行政の方に,多くの方に理解していただくのはすごく大変です。
【宮田部会長】
 おっしゃるとおりだと思うんです。
 きょうは金森先生のお話,北村先生のお話ずっとお聞きして,とても痛快,別にまとめるうわけじゃないんです。痛快というか心地よく聞くんですね。例えば一つの例なんですが,この間,今NHKさんの話が出たんで爆笑問題の番組での話ですが。
 そのときに,学長って何やっているんだよみたいな話になったときに,いや,学長というのはね,学生や教授,要するに芸術ですが,それを持ってどこでも行くんだ。何しろ芸術は待ってちゃだめなんでね。感動させるものを持っていってどこでも行くんだ,行商人なんだと言ったら,彼が,三流プロダクションのマネージャーみたいなことを言っちゃだめだよと言ったんです。それを聞いて当たっているなと思ったんです。これでいいんだと思ったんですよ。
 だから,金森さんにしてもそうですね,本当に一生懸命行って訴えているよね。こんなにすばらしいことがあるんだということを直接言わなかったらだめなんだよね。来いよ,こんなにすてきなんだからという,身体表現がもうまさしくそこにできていて,それが行政であろうとどんな方であろうと,さっきのお話じゃないけど遠くの方であろうとですね。それは先生だったそうじゃないですか。やはり,そうやって舞台の中,それからご自分でなさっている大学の中での話なんかしていても,一遍やっているから引っ張ってこれるという自信というか意図があるんですよね。
 だから,逆に返すならば,余りにも僕らがお高く,さっきもちょっとちらっと言いかけたんだけど,お高く言っていると,芸術なんてそんなもんじゃねえぞ,もっともっと大きくみんなの心の近くにあるものじゃないのかなということを,とても感じましたね。
 ここへ来て,こんなに熱い気持ちをいただいたのに,いかがでしょうか,ねえ。それでむしろ,せっかくこの花伝舎に来させていただいたので,30分とは言わずもう少し,あそこにちょうど来るときも研修生なんかいたんで,声をかけたかった。ちょっとやっぱり教員なんですね,すぐ声かけたくなっているんで,そういう時間にちょっと多目にしたらいかがなものでしょうかね。半からなんですけど,15分早いんですが。どうですか。
 では,今後の予定を事務方の方でお願いします。
【清水芸術文化課長】
<次回の予定等について説明>
【青木長官】
 配布しているTOAの資料について,吉本さんに説明してもらいたいんです。
【吉本委員】
 前回もちょっとご説明しましたけど,これは保護者の方500人に聞いたアンケートでして,「お子さんが生きていくうえで,どんな力が必要だと思いますか」という設問への回答は,1番が心の豊かさ,2番はコミュニケーション力,3番は表現する力ということで,この3つがすごく重要だというふうにお父さん,お母さん方は思っていらっしゃると。それを育成するのに重要な科目は何ですかという設問には,音楽,国語,外国語,美術,図工という回答が挙がっています。音楽を教えるということが歌ったり演奏したりすることが上手になることを教えるんじゃなくて,その音楽を教えることで心の豊かさを学んでほしいというふうに親御さんたちは思っているというあたりが,きょうの北村先生の話なんかとすごく通じると思うんですが,それが非常におもしろい調査結果だなというふうに前回ご紹介させていただきました。
【宮田部会長】
 共通する何かがありますね。
【高萩委員】
 心配になってきちゃった。我々にとってはいいのかもしれないけど,ちょっと心配だね。
【吉本委員】
 もちろん基礎的な学力があった上でのことだと思います。
【宮田部会長】
 はい,ありがとうございます。これも大変興味深い,いい資料でした。ぜひ見させていただきたいと思います。ありがとうございました。
 それでは,よろしゅうございますか。
 改めまして,金森先生,北村先生,ありがとうございました。大変すばらしいお二人に来ていただきました。
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