第6期文化審議会文化政策部会第6回議事録

1. 日時

平成20年10月15日(水) 10:00~12:00

2. 場所

文部科学省東館3F2特別会議室

3. 出席者

(委員)

池野委員 唐津委員 高萩委員 田村(和)委員 田村(孝)委員 富澤委員 三林委員 宮田(慶)委員 宮田(亮)委員  吉本委員 米屋委員

(事務局)

青木文化庁長官 関審議官 苅谷文化財鑑査官 清水芸術文化課長 他

(欠席委員)

尾高委員 パルバース委員 山内委員

4.議題

  1. (1)実演芸術家(音楽,舞踊,演劇等の分野における実演家)等に関する人材の育成及び活用について
    ・【審議経過報告に向けた論点整理(1)】
  2. (2)その他
【宮田部会長】
 時間が来ましたので,文化審議会第6期文化政策部会の第6回を行います。  前回は大変中身の濃い新国立劇場研修所見学会を行うことができました。宮田委員にはいろいろとご配慮いただきましてありがとうございました。冒頭に御礼を申し上げます。
 本日の部会は,審議経過報告に向けた論点整理について審議を行いたいと思っております。
 会議に先立ちまして,事務局からの配付の資料の確認をお願い申し上げます。
【清水芸術文化課長】
<配布資料確認>
【宮田部会長】
 ありがとうございました。
 それでは,審議経過に向けた論点整理について審議を行いたいと思います。
 本日は委員の皆様にご検討いただくたたき台として資料4「実演芸術家等に関する人材の育成及び活用について(論点整理案)」を中心に,まず事務局から説明をいただいた後に審議を行いたいと思います。
【清水芸術文化課長】
 <配布資料について説明>
【宮田部会長】
 ありがとうございました。膨大な資料でございますが,最後のほうで,先生方のご要望もございましたが,データを示すお話がございました。大学や,いわゆる高等教育の中の若者たちが,どういうところでどういう活動をしているかというふうなデータも精査していただいております。
 さて,それでは約100分お時間をかけたいと思っています。
 反省も少しあるんですが,以前の文化審議会において,先生方に大変努力をしていただいたのがむしろ総花的と言われて一括されたことがありました。それはないだろうという気がしておりますが,一生懸命,真剣にいろんなことを網羅して提言をしたつもりだったんですが,委員の中にそういうお話もあったことを,一応最初にお伝えしておきます。
 しかしながら,この実演の芸術家というのに対しては,いろんなことを配慮しながらご提言していくというのが,私どもの筋ではないかなと思っておりますので,前向きに進んでいきたいと思っております。
 それでは,資料4をきっかけとして議論を行いたいと思いますが,議論が前にいったり後ろにいったりすることがあっても,むしろ論点を広げる,あるいは深めるという意味では大事なことかと思いますので,先生方の中で忌憚のないご意見,どなたでも結構でございますので,お願いしたいなと思っております。
 前回の発表者のお二人との議論はよかったですね。とても中身が濃くて,ちょっと部分的に走りすぎたというのは少しありましたけれども,そのぐらいの気持ちが入り込むというぐらいのほうがよろしいのかなと私も思っております。とてもすばらしい議論が構築されたような気がします。
 私の意見で恐縮なんですが,資料4の2(1)ⅰ)の海外研修制度については,あの制度のおかげで人生の半分から全く自分の生き方が変わったという実体験がございますので,こういうのはとてもいいなと思うんです。よくある話ですが,例えば今,10万人の留学生制度というのが今度30万にしようというと,必ず,薄まって,結果的には余りいい状況にならないのではないかという心配が出てくるんですが,何事も何かをやろうとすれば心配というのは当然出てくるわけですが,30万人構想をするには,同時にその前に日本から向こうに行く人たちを多くする。そして逆に,言ってみれば文化の親善大使だと,彼らを,若者たちを送り出すというふうなことが大事なことかなと思っております。そうすると,多すぎて質が落ちるので150人を100人にというふうにするのは,僕はむしろ逆でもっと増やして,その中から得られた人間の全員がすべてそれだけの使命を持っていると思わなくて結構だと思うんですね。そういうような気持ちなどがありますが,いかがなものでしょうか。
 それから,資料4の2(1)ⅲ)では,新国立劇場のバレエ研修所の募集を17歳から15,6歳に前倒しをしたらどうでしょうかなんていうのは,僕はすごく賛成だと思いますね。先生方のご意見などをお聞きしていると,そうか,身体を早めにバランスのいい,身体能力を高めるための体づくりというようなことからいくと,大事なことかなと感じがしています。
 あと,芸術系大学の話をすると,たまたま,私も勤めているものですから,ちょうどいいやり玉になっていて,これは大変結構なことだと私は思っておりますが,自分も少なくとも,自分の勤めた段階の中では,4つばかり新講座の開設に対して挑戦をして,今のところ,横浜でアニメあるいは映像関係等の分野でも着々といい若者たちが育っているということでございますが,そういう意味でいくと,東京芸大を含めて,私学・国公立を含めて,全国的なレベルで若者育成ということを文化庁発信でリードしていくというような考え方が必要なのではと思っておりますので,そういうところは頑張りたいと思っております。きっかけづくりはしているつもりですが,もっともっとやりたいという気持ちでおります。
 最初は,このぐらいにして先生方のほうから,ご意見を伺い,長官を初め皆様からもぜひ中身の濃いところに持っていきたいと思っております。いかがでしょうか。
【田村(和)委員】
 では,私から。文化の政策というのは,何をやっても悪いことはないと思うんです。それだけに,こういう部会を開かれたときにはもっと,本音を出して施策を収れんさせる方向にいくべきではないかという気がしています。
 前提として,国内的にも国際的にもやっぱり日本の文化というのは,文化そのものはしっかりあるんだけれども,今,かなり危機的な状況にあるだろうということで,非常にせっぱ詰まった状況の中で答申を出さなきゃいけないということ,それからもう一つ,本会では,人材の問題をアートマネージメント領域と,それから実演プラス実演と共同される方,サポートする領域,その2つで人材の問題を議論してきたというところを前提にしたいと思うんですが,少し,ここで議論してきた人材ということの意味をはっきりさせるべきだろうと思います。それから,人材の育成と活用ということは,連続しているんだけれども,かなり違った側面から見るべきではないかなという気がしています。
 もう少しこの問題を収れんさせるために,少し本音を言うと,人材の育成といいますのは,これはもちろん裾野にたくさんのアマチュアがいて,それからプロの方々がいらっしゃるんですが,私はやっぱりこの際,エクセレントな人たちを対象に,それをどういう形で本当に育てていく,上り坂というのですかね,そういうものをつくる施策ではないかと思うんですね。
 で,この中に随分教育の話が出てくるんですけれども,私は教育の話というのは,これはむしろ人材を活用するフィールドの問題であって,すべての人に教育をよくしたから人材が育ってくるということの問題ではないような気がしているんですね。
 例えば第3回で牧先生から姿勢をよくするというような話がありましたが,姿勢をよくするというのは,むしろ,ある演劇の人材があって,その人たちが子どもたちに教育する場合の話であって,質をよくしたから人材が出てくるわけではないなという感じがあるんですが,そのあたりを混同されているような気がするんですね。
 人材の育成ということで考えますと,ともかく日本の場合は,人材というのはほかの国に比べて裾野が広いように思うんですね。ただ,問題は,非常に人がいない狭い場所というのは後継者の問題としてしっかりつかんでいくべきだと思いますが。人材の育成というサイドで言えば,この広い裾野の中から活用できる,本当に元気でどんどん進んでいく,前に進んでいくエクセレントな人をどう選び育てるのかという政策をきちんととるべきだと思うんですね。それは,この前,金森さんがうまいことおっしゃったんですが,やっぱり,「ふるい」の問題がありますね。それから,キャリアアップとかエンパワーをどうしていくかということを徹底的に考えていくべきだろうというのが,人材の育成の課題だと思うんですね。
 それから,活用のほうは,これはまさに文化力という話を,我々,正面に出しているわけですから,これをトータルに強化していくための戦略として,いわゆる活用ではなくてむしろ強化戦略として考えていくべきだろうと考えます。これには多分,議論していきますと,テリトリーとかフィールドで言えば偏りが出ると思うんですが,ともかく教養とか素養という話については,育てるのではなく活用に読みかえていくぐらいの話で,一方ではどういうところで本当に市場をつくっていくのかについての話をはっきりしていくべきではないか。つまり,市場をつくるということは,いろんなところに出てきているんだけれども,市場という言い方はされておらず,むしろ活躍の場所とか生計の場所をどういうふうにつくっていくのかという話ですね。こういう話をもう少し明確に打ち出していって,育成でエンパワーしていくことと,それから強化していく世界ですね。その活用というのは強化だと思うんですが,そういうところで本当に生きていく場所,それからそこで活躍する場所をどうつくっていくのか,これをもう少し選択的に考えていかないとですね。
 実は,これは今回,アート系でも美術等の分野は入ってないんですが,私は議論していて大体似ているなというような感じがあります。ですから,そういう意味で言えば,今回の議論というのは非常に有効な議論だし,こういうふうにおまとめいただいているところというのは,非常に意味がある話だと思うんですが,やはり分野はともかくとしまして,かなり人材を限定していく,それから育成も活用の話もかなり収れんしたストーリーをつくっていく。事務局から示された論点の整理というのは,本当に見事に整理されていると思うんですが,もっと我々はフィクションをつくっていいんじゃないかと思うんですね。せっかくこれだけの方がいらっしゃるんだから,フィクションとして強いストーリーをつくっていくことが,今,求められている時期だなという感じがしていますので,そのあたりから,もう一度この論点の整理をしてみますと,意外に,私も整理しつつあるんですけれども,違った見方が出てくるなという感じがします。非常に乱暴な言い方ですけれども,口切りとしてそういう感じがします。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。さっき総花という言葉が出てきたので,そのところでいきますと,今の田村先生の話というのはよくわかりますね。
【三林委員】
 フィクションだと思うんですが,小中高校の教科書に戯曲を必ず入れていただいて,それで国語の教職課程の授業に演劇というものを必ず必修でとるようにという形ができれば,そこに行くプロフェッショナルな人もふるいにかけられた人でなければいけないと思うんですね。ですから,そういう何か強いインパクトのあるようなことをしないと,何かぼけちゃうような気がするんですが,いかがでしょうか。
【宮田部会長】
 ターゲットは全国の子どもたちですか。
【三林委員】
 そうです。だから,例えば戯曲をただ声を出して読むだけでもいいと思うんです。今,子どもに感情のグラデーションがなくなりつつあるんですね。もう,イエスかノーかリセットみたいな形なので,相手のことを察するとか,手触りですか,空間の把握とかというようなことが,本当に苦手になってきていますので,それの授業としても私は非常にいい授業になるのではないかなと思います。だから,お芝居をしましょうというんじゃなくて,演劇を通したコミュニケーションというとらえ方もできると思うので,そういう形ができれば理想かなと思うんですけれども。
【宮田部会長】
 なるほど。単に演劇ということではなくて,根本的な人間の情操教育みたいなものにもなると。いいですね。
【三林委員】
 そうです。演劇だけで申しわけないです。
【唐津委員】
今の小学校・中学校・高校教育の問題にちょっと関連するんですけれども,演劇に限らず,前回報告いただいたTOAの意識調査を見ますと,音楽だとか美術などに期待を寄せるお母様方,お父様方が多いということがよくわかります。しかしだからといって,例えば音楽や美術の授業を増やしたから,その成果が本当に上がるのかという質的な問題が,私は実は議論の中に欠けているんじゃないかなということを思っております。
 今回,非常によくまとめていただいたこの資料の中でも,機会は増やすということがありますけれども,では,その機会の中身はどうなのかというところが,なかなか判断基準を持てないでいるのではないかということを感じるのです。
 実は,私自身が小学生の子どもを2人持っておりまして,今,1カ月に1回ぐらい授業参観があるんですね。そういった授業参観になるべく関心を持って見るようにしているんですけれども,そういった中で美術,それから音楽の授業を何度か見ることがありました。まず,驚くのは事前に切り口があり点線に沿って手でプチプチ切る教材があるんですね。子どもたちが,はさみではなく手でプチプチ切ることから始めまして,組立説明書がついていますので,そのとおりに教材を組み立てます。そこに,あとはちょっと自分で色を塗って,2時間で仕上げるような授業になっていたんですね。余りに驚きまして,先生に質問をしました。どうしてこういった教材になるんでしょうか。先生は子どもたちが紙を切るというようなところから授業を始めていては,とてもじゃないけれども,でき上がるとことまで持っていけませんので,最後に色を塗るだけにしてありますというようなお返事なんですね。それは小学校4年生のときの授業なんですけれども,はさみも使わないし,全員が同じ型をベースにして色を塗るだけのような授業になっています。
 それから,また一方,音楽のほうなんですが,こちらも多分,学校の先生方も非常に悩まれた末なんだと思いますが,やはり評価をしなければならないということと,皆さん一緒に教えなければならないというところで,まず音階を,皆さんが間違えずにとりあえず一斉に一度に弾くということを目的にされているような印象を受けます。ですから,音楽を,音を楽しむというようなレベルではなくて,とりあえず皆さんがよく耳なじみのある歌謡曲だとか,アニメの曲というようなものを授業の中で演奏させることを目的にしてしまっている。
 個人的なことで恐縮なんですが,子どもが学校に行きたくないということがありまして,いろいろ理由を聞いてみると,弾けるようになるまで休み時間がないというようなことが理由だったんですね。それで,とにかく授業と授業の間に練習をさせて,とりあえず弾けるということを目的にする。何かを1つやり遂げるという,そこに目的があるのであれば,それは納得のいく話だと思うんですけれども,芸術的な情操教育というところから見ると本質とは逆行しているのではないかというのが学校に対しての私のこれまでの体験からする意見です。
 学校教育の目的のひとつは,みんなで一緒に何かを行うことで,やはり学校はある意味管理的にならざるを得ないのですから,例えば音楽,それから美術,もちろん演劇やダンスなんかも含めての芸術教育については,その授業を実際に活動を行っているアーティスト等,本当に芸術そのものを楽しむことを一緒に体験できるような方を派遣することによって,もうちょっと管理体質を外していただきたいと思います。それこそ先ほどの戯曲についてのご意見ではないですけれども,まず,学校での芸術を楽しんで好きになった子がいて,さらにその中で選ばれた子が次のステップに進んでいくというような1つの仕組みとして,学校教育をもう少し考え直すことができるのではないかと思います。これは,文化庁の範疇ではないのかもしれないんですけれども,教育の部門とタイアップしてそういった方向が考えられないのかなということを感じております。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。全くそのとおりで,今,実演芸術家というふうに区切っているので,私もしゃべっていないんですけれども,音楽・美術という話になると山ほど言いたいことがあるんです。本当に今,教育の仕方は末期状態ですね。もっともっとあるはずだなと思うんですが,とりあえず,今の先生のお話を頭の中に入れた上ですが,ここにまた論点を絞っていきますが,どうぞ脱線してくださって結構ですので。これは結果的には脱線ではなくて,大きな根本的なものになると思います。
 米屋先生,どうぞ。
【米屋委員】
 事務局案の文章について細かいところは実はたくさん,あるんですけれども,冒頭に部会長が総花的ということをおっしゃったのでちょっとそれに関連するかなと思うんですが,読んでいきますと,ああ,これはバレエのことだなとか,これは演奏家のことだなとかというふうに,これまでの議論が思い浮かぶんですが,実演芸術家等というふうな言葉でくくっているので,どの分野のことなのか,全体の分野に言えることなのか,特殊なある分野に限ってのことなのかというのが非常にわかりにくくなっているんですね。
 先ほど,田村委員からもご指摘がありましたように,やはり分野によって抱えている問題が違うと思いますので,分野ごとの戦略というものをちょっと煮詰める必要があるのではないかなと。余りにもバランス感覚よくまとめてあるので,そこはちょっと突っ込んだほうがいいのではないかなということがございます。
 それと,今の三林委員と唐津委員のご発言にも関連するんですが,子どものころからの芸術体験,芸術環境ということは,この文章の中にもちりばめられておりますし,今日の参考資料の中でも,芸術団体でも大学でもそういったことのご指摘が多かったということで,非常にやはり関心が高いことだと思うんですが,この文章を読んでいまして,またかと思いましたのは,受け身の鑑賞だけでなくとか,体験ができればとか,今の唐津委員のご経験とも関連するんですけれども,目に見える何か形でやったということがわからないと,何かそれをやった気にならないというところがあって,実は鑑賞も表現も車の両輪でして,どちらも内側が動くと,内側の心が動くということで,鑑賞は決して受け身なことではないんですね。また,表現もうまくできてなくたって,そのやろうとしている中に心が動いていれば,それはもう立派な表現につながる第一歩をちゃんと動き始めているということなので,そういったところをちゃんと理解しているアーティストが行けばいいですし,先生方でもその辺を理解していらっしゃればいいんですが。
 私も時々学校に行ったりしますけれども,学芸会の前になりますと,先生方,ともかく大きな声が出せるようにしてくださいということをおっしゃって,先生方も決して声が大きくさえあればいいとは思っていないんですが,体育館で学芸会をするという学校の中に定着した文化そのものが,何か人前で発表しなければいけないというところにこだわりすぎてしまって,その前の何か表現するというところを大事にすることを飛び越して,大きな声を出すという指導になってしまうというところがありますので,その創造に対する哲学といったものが,この文章からは考えられないというか,その辺をすっ飛ばして,また形式に走ろうとしてしまわないかという危惧を覚えましたので,芸術家であればいいとか教師ではいけないとかということではなくて,やはりその辺の理解をどう社会の中で浸透させていくかという課題があるのではないかなと思います。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。よくある,日本人と言い切っていいのかどうかわかりませんが,縦軸があるんですけれども,非常に大事な横軸の部分がちょっと前後するのは当然だと思うんですけれども,やっぱりちゃんと通すという仕事は,この論点の中には必要ですよね。よくわかります。
 「ようこそ先輩」ってあるじゃないですか。あれ,別に単位でも何でもないんだけれども,本当に持っている今までの人生観をいろんな先輩諸氏が母校へ行ったときにしゃべっている。当然,編集が入っているかもしれないんですが,あそこで生き生きと輝く子どもたちの目を見ると,文化力,人間を動かす力,先ほどのお話じゃないですけれども,まず,心が先行してくるあたりがすてきだなと思いますよね。
 どうぞ,高萩先生,お願いします。
【高萩委員】
 論点が2つあるんだと思います。初等教育で行う人材育成と専門家育成の2つです。初等中等教育に踏み込むんだとすると,これはかなり大きな話になると思います。この分野は吉本さんがイギリスの例について調べられて何かに書かれています。イギリスはかなり戦略的に幾つかの地元からの希望にこたえて,モデルケースを作って芸術家を送ったりして,結構,成功している。後で吉本さんから報告していただければと思います。やるとなるとこれはかなり,ものすごく大きいし,この分野に踏み込むと,文部科学省とかいろんなことが出てくるんだろうと思います。やれるならばぜひやってほしいんですけれども,かなり大きな話かなと思います。
 2つ目は,専門家の育成です。限られた原資の中で,文化庁のやるべきことというのをうまく整理してすすめて欲しいと思います。地方公共団体に対してどういうことをやるべきこととかというのを整理していった方が良いと思います。さっき田村さんがおっしゃったように,何でもやったほうがいいということはあるのかもしれないけれども,どこに対して刺激を与えて成果へ持っていくのかというのをちょっと明確にしたほうが,次の時代が見えてくると思うんです。国際的なことに関しては,やはり地方自治体はそんなに得意ではないと思うので,その辺を軸にして国がやるべきことというのを整理していくといいのではないかなと思います。
 日本の教育に関して,海外と一番違うのは,お稽古ごとというのがものすごく日本は盛んなんですね。これは海外のアーティストが日本に来たときに,やりたかったことはもう日本は全部やっているんじゃないかみたいなことを言うくらいです。皆さん,小さいときからお稽古ごとに通わせたり通ったりしている。体験型はそこでやっているわけですね。学校教育とか公共劇場がやるべきことというのを本当に地域が担っている。それがすごくうまくいっているかどうかはまた別の問題かもしれないけれども,そこを日本の文化としながら,そこに国が関与して何を刺激していくかというのは大事だなという気がします。
【宮田部会長】
 高萩先生,私はこの会議というのは,それが文化庁だから文化庁のためにではなくて,もっと大きく指針を示すとか姿勢を示すという意味では,対文部科学省であろうと,財務省であろうと,そんな小さいことを言っているんじゃないんだという気持ちでいくべきだと私は思っております。そのスタイルはずっと変わっておりません。ちょっと私ごとですが,先の先の首相のときにも,アジアゲートウェイで文化部門7人委員会の中の1人で文化を担当しましたが,そこで言わせてもらったのは,防衛庁を省にする云々の話よりも文化庁を力を持った省にしろということは,首相の前ではっきりと言いましたし,その姿勢は変わらないつもりで先生方と一緒にスクラムを組んでいきたいという気持ちでおります。
【富澤部会長代理】
 国としてどうやって取り組むべきなのかということは非常に大事だと思うんですけれども,国土交通省が主導で観光というものが非常にこれからの高度化した日本の中では大事だということで,いろんな役所を整理をした上で観光庁というのが10月1日に発足しましたね。これは国土交通省の中にあるわけですけれども,観光に関しては国の大きな柱として,観光庁がいろんな役所にまたがる問題を全部窓口となって,あるいはまとめ役となってやっていこうと,こういう意気込みで発足したんですね。
 そういう意味から言うと,文化庁というのはもっと前からそういう目的であるわけですから,日本の文化に関しては文化庁が仕切るんだ。文化庁が窓口になってあらゆるところに働きかけもするし,国の文化についていろんなリーダーシップを発揮していくんだということだろうと思うんですね。ですから,私はそういう立場で文化庁がやっていけばいいことであって,まだ,確かに予算も1,000億で非常に少ないわけですけれども,これを徐々に増やしながら,そういう高い志を持ってやっていくことが非常に意味があるんだろうというふうに,今までも考えていましたし,今もそういうふうに思っているんですね。
 それで,いよいよ論点整理ということで,これまでヒアリングで現場で苦労されているお話とか,あるいはこうやってうまくやっているんだというお話や何か,非常に参考になりました。その議論も踏まえて,いよいよ論点整理ということになると,今日おまとめいただいた基本的な視点という中で,育成と活用ということを分けて論点整理されていただいて,大変いいと思うんですが,これは結局,裏腹のコインの裏と表みたいなものでしょうけれども,やっぱり分けてきちんと整理をしていくということが重要です。まず第1に育成ということで,今までのヒアリングとか議論を,委員の皆様の議論なんかを聞いておりますと,やっぱりちょっと欠けているなとか,あるいはちょっと置き去りにされているなという分野は,あるとすれば,それは舞踊なのかなというような感じを私は持っておったんですが,それを皆さんどうお感じになったか。バレエ,舞踊というものがちょっとほかの美術とかあるいは音楽という分野とは違うというところもあるんでしょうけれども,そこのところの人材育成というか,教育というのが,ちょっとほかよりも少し弱いのかなというような感じを強く持ちました。
 そういう意味で,今回,論点整理をするならば,舞踊というものをこの中できちんと位置づけをして,芸術の中の主要な柱として位置づけていく必要があるのかなと。それは国の支援もそうですし,いろんな地方自治体との連携もそうですし,そういう形でこの中で明確に位置づけをできたらいいんじゃないかなということが1つであります。
 それから,もう一つは活用という分野,あるいは環境整備。環境整備も活用の1つに関連するんでしょうけれども,第5回の金森さんのお話なんかを聞いておっても,地方自治体,ここには地方自治体と企業という整理をされていますけれども,地方自治体がうまく実演芸術家のサポーターとなってやっているというお話を聞いて,大変心強く思ったんですね。こういうあり方というのは非常に重要だと思うし,今,日本が一番必要としていることじゃないかと。つまり,東京にばかりいろんなものが集まって,地方が非常に衰退をしているわけですから,芸術・文化をもって地方を活性化していくという意味からも非常に重要なことだと思いますので,環境整備の中の1項目じゃなくて,国の支援と並んでこの大きな柱にでも立てて,文化庁がリーダーシップを持って地方の,これは実際は日本の国の官僚制度の縦割り行政の中から言えば,総務省,昔の自治省の分野になるんでしょうけれども,こと文化に関しては文化庁が中心になって,地方自治体とのいろんな連携あるいは協力関係を探っていくということが大事なんじゃないかというふうに思っています。
 ですから,ここのところを特筆して,新潟もそうでしたし,文化の江東区というお話がありましたけれども,そういうあり方をもっともっと増やしていくと。そして,それぞれのローカルの地域の皆さんと文化というものが1つの特徴をつくっていくということが増えていけば,日本の文化の全体が底上げしてくるというような感じもするものですから,ぜひ,そこのところを今度の中で大きな柱にしていただきたいなと思います。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。そうですね,冒頭に観光庁のお話をなさいましたけれども,大変,興味深いお話で,文化,観光というのは非常に両輪の中にございますので,観光のところに行ったときに,そこに例えば土地に根ざした文芸がありますよね。いろんな芸があったり,いろんなものがあったりする。それを活性化する,増やすということも,十分考えられると思いますよね。わかりました。
【吉本委員】
 先ほど,高萩さんがおっしゃっていたのは,イギリスで2002年に始まったクリエイティブパートナーシップスという取り組みのことです。これは学校に,アーティストだけじゃなくさまざまなクリエイターを派遣して,子どもたちのクリエイティブな能力を育成しようということで,2002年から2006年の間に約400億円が国の予算として投じられました。アーティストの育成が目的ではなくて,クリエイティブな才能を持った子どもたちを育てることで,将来のイギリスの新しい産業の起業とか新しい経済活動を担う人材を育成しようというようなこと,さらに学校の教育システムそのものをクリエイティブなものに変革しようということが大きな目的になっていました。
 それで,2006年にその成果に関する非常に広範なリサーチが行われまして,この授業を受けた子どもたちのほうが国語や算数,理科などの基礎学力も高かったとか,それから,この授業を受けた学校の校長先生の約90%が,子どもたちの自信が向上したとか,学習意欲が向上したとか,そういう非常に大きな効果があったという調査結果が出ているんですね。その結果,今年から,イギリスは全小中学校で週5時間の「Find Your Talent!」という新しい授業を始めることになりました。これもいろんなバリエーションがあって,学校にアーティストがやってくるだけではなく,子どもたちが例えば美術館を見学に行ったりとかということもあるんですね。いろんなプログラムがあって,今年始まったばかりなので,試行錯誤している段階だそうですけれども,とにかく週5時間,文化芸術の教育・授業を全校でやりますというのが決まったそうなんですね。それで,イギリスの教育事情を聞きますと,サッチャー政権のときに,芸術の授業というのがどんどん学校からなくなっていったものが,今,やっぱりそれは重要だということで,復活しているというようなことがあると思います。
 ですので,実演家を育成するということと,小中学校に芸術教科を入れていくということというのは,もちろん関係はあると思いますし,小さいころから例えば脚本を読むというようなことが,将来の実演家等を育てることにつながると思いますけれども,それ以上の大きな教育効果があるというような意味で,初等教育,中等教育に芸術的な科目や子どもたちの創造力を育成するようなことが重要だということがこの提言の中でうたわれても良いんじゃないかと思います。
 それと,もう一つ,先月の末にちょっとロンドンに行く機会があったんですけれども,そのときに2つ教育機関を視察することができたんですね。1つはザ・プレイスという現代舞踊の教育機関,劇場も併設されているんですが,そこではザ・プレイス・プライズといって新しい振り付け作品の賞を出したりしていまして,文化庁の在外研修生として,そこで学んでいる日本人の生徒さんもいました。
 それから,イギリスにはあともう一つ,ラバンというこれも舞踊系の教育機関があって,そこは身体のケアから何からもすごく幅広くやっていて,ダンスでも,カリキュラムをちゃんと見た訳ではないんですけれども,恐らくバレエもあれば現代舞踊もあればヒップホップもあればジャズダンスもあるみたいに,トータルな形でやっていると思うんですね。
 それともう一つは,ロンドンのちょっと郊外になるんですけれども,メニューイン学院というのを視察できました。小野明子さんというバイオリニストの方が,先生をされているんですけれども,メニューインが昔の貴族の館を買い取って,夢のような話なんですけれども,7万平米の敷地があって,ゴルフ場みたいな感じで。そこの昔の館を改装してレッスン教室になっているというな学校です。そこは60人の8歳から16歳までの生徒が,アフリカからも来ているし,アジアからも来ているし,もう世界じゅうから来ていて,その60人の生徒に対して40人の先生がいるという贅沢な環境です。それで,子どもからなので,要するに算数とか国語とかそういうものを全部教えているんですね。それで,イギリスの教育制度に沿ってちゃんと学校を卒業したということが同じように与えられると。
 それで,ちょうどその日,私が伺った日は,最近建設されたメニューインホールでランチタイムコンサートというのがあって,8歳ぐらいの小さな女の子が出てきて,生徒たちの前でバイオリンをやるんですよ。小さいころからそういう経験を積んでくる子どもたちというのは,何かすごいなと思って。しかも,大半の学生は授業料を奨学金で賄われているそうです。メニューインなのでバイオリンなどの弦楽器が中心で,ほかにピアノ等あるんですが,最近ローリングストーンズから莫大な寄附を獲得して,今度,ギターのコースをつくる計画があるというようなことも聞きました。ですから,実演家育成のしくみと言っても,日本は歯が立たないほど全然違うんですね。
 それから,ほかの海外の例で言うとシンガポールには舞台芸術の専門学校があって,これは亡くなられましたクオ・パオクンさんという有名な脚本家がつくった学校なんですが,舞台芸術をとにかく総合的に教えるために,日本からは能や狂言などの古典芸能を含め,日本の演出家も先生として招かれて,向こうで教えるしくみになっていると,随分前ですが聞いたことがあります。今もやっていると思うんですけれども。
 そういうことをいろいろと考えると,前回,金森さんに話を伺ったベジャールスクールもそうだと思うんですけれども,何か日本には,ここを出たらすごい才能のアーティストが育成されるというようなシンボリックな教育機関,育成機関というものがないと思うんですね。何か在外研修ってすごくいい制度だと思うんですけれども,裏返せば,日本にそういうシンボリックな教育機関が無いから在外研修になっているんじゃないかと思うんですよ。確かに海外の劇場とか現場で研修を積むということはすごく重要だと思うんだけれども,本当に日本でシンボリックな教育機関がないということの裏返しじゃないかという気がするんですね。
 ですので,新国立劇場の研修所というのは,確かにオペラ,バレエ,演劇といって,それぞれ,この間も演劇のプログラムを拝見してすばらしいことをやっていらっしゃると思うんですが,何か小さいと言っちゃ失礼かもしれないんですが,海外のものを見るともうかなわないという気がするんですよ。例えば新国立劇場ではバレエはあっても現代舞踊というのはないですよね。現代舞踊を新国立劇場でやっているにもかかわらず。だから,その辺もすごく不十分な気もしますし。
 なので,この政策の打ち出し方として,総花的にならないためにも何か強いそういう本当の専門的な,資料の中でコンセルヴァトワールとかいうようなことも出ていますが,舞台芸術系も含め,それは大学の附属であってもいいかもしれないし,新国立劇場の附属であってもいいかもしれないし,何かそういう理想像を一回,描いてみる必要があるんじゃないかと思います。海外のそういったところの教育制度がどうなっているか。大学とか劇場とかじゃなくて,専門の教育機関ですよね。メニューインスクールの資料とかももし必要であれば提供できますので,そういうところを調べていただいて,何か一回そういうものを,予算とかいろんなことを考えると難しいかもしれないけれども,描いてみるというようなことをやってはどうかと思いました。
 それから,ちょっと長くなって恐縮なんですが,あと2点ほど,このペーパーのまとめ方についてなんです。
 まず,この部会での検討が実演芸術家等となっていて,実演芸術は音楽・舞踊・演劇等となっているわけですけれども,その実演芸術家等の等の中には脚本家とか作曲家とか振付家とか,そういう人たちが含まれているということだったと思います。文章を読んでいけばそういう人材育成のことも出てくるんですけれども,ここで扱う実演芸術家等には何が含まれているのかということを頭に書いておかないと,実演芸術家等だけで始まっちゃうと,例えば作曲家の人は関係ないと思ってしまうと思うので,そういう説明が必要だと思いました。
 それから,もう一つ,在外研修のことで,これは先日,ある民間劇場の中堅のプロデューサーの方に聞いたんですけれども,自分も応募して行きたいと思っていると。けれども,一番大きなハードルというのが,派遣期間中は戻ってこられないということだと聞いたんですね。確か研修期間中は研修に専念するため戻ってくることが禁止されているんですけれども,そうすると,1年間日本を空けることになり,戻ってきたときに仕事がなくなるというんですよ。だから,仕事を続けていて,あるタイミングで1年間行くにしても,その期間に日本に何回か戻ってくることができれば,その仕事をタイミング,タイミングでつなげて,研修が終わって戻ってきた時にその仕事を継続できるんだけれども,1年間全く日本に戻ってこられないということは,戻ってきたときに仕事が全くなくなるという恐れがあって,どうしても踏み出せないと。だから,若手の人は1年間しっかり研修して,その間戻ってこないでしっかりやってきてねという意味合いで,戻ってきてはいけないという制度があると思うんですが,中堅の人たちになってくると,そういう制度的なことの見直しもあってもいいかなと。
 それから,ビザの取得がすごく大変だと聞いています。これは文化庁さんもすごく大使館に働きかけをされているそうですけれども,やっぱり,採択されてもビザがとれないというのは,これはどうにかならないかなと。また,海外に行ったときに,海外でのサポートというのが全然ないんですよね。なので,それは例えば交流基金の海外事務所とコンタクトをとって,現地でのいろんなケアができるようなことを文化庁さんと交流基金さんでタイアップしてできないかとか,そういう制度の面での見直しでもいろいろあると思いました。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 在外研修の制度では研修期間中に日本に戻れないのですか。
【清水芸術文化課長】
 そうですね,今の仕組みとしては原則として,1年間なら,1年間の間は戻らないようにと。もちろん,緊急のことで家族に不幸があったとかいったような場合には,それは認めていますが,自分の仕事の都合などで1年間の間で戻ってくるということは,原則認めない制度になっています。
 それから,指導者向けには少し短い80日間のコースとかいったものも設けているというところはございますけれども,1年間あるいは2年間というのは原則として若手対象という考え方でやっておりますが,確かに海外に行ったり来たりするのが大変だったころから変わっていない考え方と言われるところはあると思います。
【宮田部会長】
 多分,水杯をあげて行くような時代の話が残っているんだと思います。私も,今,ふと思い出すと,そうだ,おふくろが調子悪くなったので帰ろうと思ったら,大学に電話したら,だめですと言われたときに,何てことだというふうな気持ちがあったのを思い出します。それは今後,時代に対応した考え方ということも大事でしょうね。
 先ほど,吉本委員から,海外の大変すばらしいいろんな教育機関があるという話があったんですけれども,日本だってあっていいはずなんですが,やはり寄附制度というのが非常にネックになっていると思うんですよ。だからといって,それを直せといってもなかなか難しい問題があって,現存しているいろんな機関を,先ほどの話,横つなぎをすることによってすばらしい結果を得られるということは即効性はないかもしれないんですが,すぐできる仕事かなと思っています。
 1つの例なんですが,私どもの大学のオペラ科の学生が,新国立劇場の大劇場で練習をさせていただいたんですね。全員が出かけまして,2回だけなんですが,練習をしたんです。で,その後,私どもの大学の奏楽堂でやったんですが,オペラ用につくってある劇場ではないんですね。やはり本物の舞台でやったことによって,毎年やっているオペラなんですが,もうレベルが全然違ったんですね。これは新しい方法だなと思ったので,いろんな機関が共同利用する,そういうふうなこともこの提案の中に入れることによって,これはすぐできる話だと思うんです。それはもう先生方,あるいは機関の意識改革の中ですごくできることだと思うので,やられたらいかがかなという気がしているんですね。
 それは少しの勇気で大丈夫だと思うんですよ。1つの事例ですが,その奏楽堂で,ついこの間ですが,映画の試写会をやったんですよ。それは大学の中では猛反対するんですけれども,大体,ジャズをやるとかというとみんな猛反対なんですがね。その人が言うのは,過去にやったことがない。そうじゃないんだと。新しいものをつくる,ときめきをつくるのは新しいことをすることだということでやったときに,とてもいい反響をいただいた。ちょっとした勇気づくりのきっかけづくりをすることも,この審議会の中では必要,すごく大事なことかなという気がしているんですが。ちょっとした経験事からお話をさせていただきました。
 ほかの先生方,どうでしょうか。池野先生。
【池野委員】
 先ほど富澤委員から,この政策部会で舞踊を中心にしたいというご発言があって非常に感激しております。芸術というものを音楽と美術ということでとらえられている現実から見まして,それはなぜかというと,恐らく宮田先生の大学の前身というのが,音楽学校とそれから美術学校を統合した形で芸術大学ということになったという経緯がございますので,もともとそういうところから発しているために,そこに舞踊が入り込むすきがなかったという,そういう不幸な歴史だったと思うんです。
 舞踊家に関しましては,これまでにヒアリングを重ねてきまして,そういった実践的な方々が発言されてきて本当に説得力があるということを実感しました。舞踊家は不幸な立場に置かれているにもかかわらず,国内のみならず,世界でも非常にたくさんの優秀な舞踊家が活躍しているということを見ますと,そこに至るまでの努力というのは,決して国の支援があったからとか,そういった公的なことがないとだめなんだということではなくて,むしろ,日本人の力というものはそういったことがなくてもできるぐらいの能力があるんだということをまさに示しているのではないかと思われます。
 これからは,やはりそこにそうやって非常に不幸な立場に置かれていた舞踊もきちんと芸術であるということを認識していただかなくてはならない。ただ,よく舞踊家の方とお話ししていて思うのは,今,宮田先生もたまたま映画を奏楽堂で上映してはいけないとか,あるいはクラシックの音楽の専門家の方にはどうしてもジャズを受け入れがたい方もいらっしゃるとかというふうに,実は舞踊の中でも特にクラシックバレエあるいは現代舞踊というところで,やはりいまだに溝があるということは事実です。どうしてそういうことになってしまうかというと,これまで,おけいこごととして地域のお師匠さん的な方々が,地域の子どもたちを幼児教育あるいは初等教育,そういったところで教えてきたというところから,次のステップへとつながっていかない。そういったところから誤解が生じていると思うんですね。
 一方,世界の舞踊界では,日本でとても人気のあるパリオペラ座バレエ団にしてもそうなんですけれども,バレエ団だからといって常にクラシックバレエだけを上演しているだけではなくて,今,コンテンポラリーダンス,現代舞踊というような視点で新しい舞踊を,作品をつくっていくということにシフトしている。逆に言うと,21世紀の現在,19世紀につくられたグランドバレエというものがだんだん,いろいろな面から上演しにくくなっているということもあるんですけれども,それ以上に,それだけではなくて,やはりヨーロッパという伝統的な文化を推進していく中で,ただ単に過去の舞台芸術をそのまま継承していくことだけではなく,新しい時代に即した芸術形式というものを劇場から見出していくという,そういう考え方がないと,伝統文化も継続していけないだろうと。そういった危機感もあって,それからまた若い観客をどうやって確保していくかということも含めて,そういった視点から,舞踊に関して言えば,実際のところはクラシックなのか現代舞踊なのかといった,そういった1つのジャンルの中でもさらに区別する,差別するというような考え方がなくなってきているわけです。
 ところが,日本ではそういった考え方を持っている方というのは非常に少なくて,クラシックバレエの観客は現代舞踊を見にいきません。コンテンポラリーダンスの観客というのはクラシックバレエなんかといって,何で私が来るのみたいなことを言われることもよくあります。そうではないという現実を余りにも見ようとしない。狭い業界の中でお互いを牽制しあったり,足を引っ張ったりということも見られるわけです。
 どうしてそういうことになってしまうかというと,歴史的な経緯については今お話ししたとおりなんですけれども,やはりそこには広い立場で物を考えるという視点が習慣としてなくて,そこにはどうしても,次のステップと先ほど申し上げましたけれども,おけいこごとから発展してプロフェッショナルな職業へというステップが全く欠けている。そこで,余り深く物事を考えることなく,即実践の場に投げ込まれてしまっているという現実があるかと思います。
 そこで,非常に私が重要だと思うのは,中等教育,高等教育というところで,なぜ舞踊家ではバレエのレッスン以上のものが必要なのかということも以前聞かれましたけれども,そういった1つの芸術を推進していくためには,やはり実践の場だけではなくて,それをどうやって考えるかという,そういったことも必要で,それからまたそうした哲学等を広めていくための言葉というものが必要になってくると思います。そういった言葉を持たずに,とにかく実際に演じてみてください,あるいは鑑賞してみてくださいというだけではなくて,そういったことに触れる機会のない人や,そういった立場にない人たちに説明するためにも,自分なりにそれを,これはどういうものであるかということをきちんと考えて説明していくための過程として,大学教育というのは非常に重要だと思われます。
 ですから,これから育成ということで言いますと,1つには実践的な教育と,それからそれを論理的に語っていく。それからまた,そういった人材を教育指導していくということでも,やはり大学教育の中で舞踊を考えていくということが非常に重要になってくると思います。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。高等教育の問題というのはすごく大事なことだと思いますが,そうすると,うちの大学にあと3つぐらい科を増やさないといかんかなとか,非常に具体的に考えて,さあどうやって資金を集めようかとか,いろんなことが頭の中をよぎってしまいました。
 ちょっと根本的な話,ちょっと気になっているんですが,実演芸術家という言葉が,今,世の中に存在していますかね。それを人材育成という,すごく根本的な話なんだけれども,その単語1個なんですが,この言葉は普段日常会話の中にないなとちょっと思ったときに,これはどこの人たち,どういう人たちに当てはまる表札なのかなというふうなことがちょっと気になっているんですが,その辺は先生方,いかが感じますか。
【吉本委員】
 最初は芸能実演家となっていたんですね。だけれども芸能というのは,文化芸術振興基本法の中で特別のジャンルを指す言葉なので,芸能実演家だといわゆる現代演劇とかバレエとかそういうのが入らないということで,そうであれば実演芸術家とされてはどうでしょうかということで,こうなっていると思います。
【宮田部会長】
 それはいつごろの話ですか。
【吉本委員】
 昨年度の最初のころの話だったと記憶しています。
【米屋委員】
 実演家という言葉は著作権法に出てきますので,法律上はそういったパフォーマー全部を含む言葉としてあるんですね。芸団協の場合は芸能実演家という,芸能の中に現代物も古いものも全部含めているんですが,これは芸団協ワードといいますか,世間一般の受け止め方は,芸能というものは古いものだけと思われていてちょっとずれがあるかと思います。
 芸能なのか舞台芸術なのか実演芸術かということは,私どもの組織ではいつも使うとき気を使って議論することなんですけれども,舞台芸術と言うとそれに入らないと思う人がいたり,なかなか包括的な言葉ではないんですね。ですので,演劇・音楽・舞踊など,人前で演じるということ全体を芸能と言ったり実演芸術と言ったりというのがあるので,それが合わさってこういう表現に今回なっているんじゃないかなと思います。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。ほかに先生方。私もいろんなところで辻説法するときに,その辺の言葉に対する裏づけがほしかったものですから。どうぞ。
【田村(孝)委員】
 この調査を拝見しまして,コンクールのところでございますけれども,コンクールで日本の方が優秀な成績をおさめられているというのはほかの国に比べて全く遜色がないわけでございます。それなのに,バレエにつきましては世界で活躍されている方がたくさん出ていらっしゃいますが,比べて音楽の方はどのぐらい,世界のトップレベルになっているかというと,ちょっと寂しいところがあるというのが現実で,これは音楽世界ではマーケットの話もございますので,一概には言えないのでございますけれども,一番は,この間,金森さんがおっしゃっていらっしゃいましたように,観る文化聴く文化というのが全く育っていない,特に地方は上質のものに触れるチャンスがないと言っていいかと思います。どちらかと言えば静岡というのは国もできなかった,公立の文化施設がソフトを持つという文化政策をとっているところでございます。ですから,相当文化的に豊かな環境かなというふうに思ってまいりましたけれども,演劇以外のものはほとんど触れられないというのが現実でございます。
 例えば国際オペラコンクールもあります。国際ピアノコンクールもあります。でも,本当の意味で自立しているプロのオーケストラというのは存在しないのです。プロを自称される方たちはいらっしゃいます。それにアマチュアのオーケストラ連盟というのは全国で4番目に多い県でございます。でも,あれだけ広いエリアのある静岡に自立したきちんとしたプロのオーケストラというのは存在しないというのが事実で,子どもたちの鑑賞教室と言われているものも,ちょっと差し障りがありますけれども,上質な演奏が提供されているとは言えない状況です。そういう意味で,大変申しわけございませんが,文化庁の「本物の舞台芸術体験事業」というのがございますけれども,是非本当の意味で本物の舞台芸術を提供していただきたいと思います。本当に観せるまでになっているものを鑑賞する場が地方はないのです。静岡は東京からたった1時間で,どちらかというと,先進的な文化政策をとっているところでございます。そこでおいてすら,そこに生まれ育つ子どもも大人も上質なものに触れるチャンスがないというのが現実でございます。
 それとこれだけ世界でコンクールでトップになる方たちがいらっしゃいます。でも,その方たちをそれだけで評価してしまうという日本の現状もあります。海外ではコンクールに優勝するということはスタートだと言われておりますけれども,日本は,在外研修が経歴の中に入る,コンクール優勝ということで,もう評価されてしまう。残念ながら本物を観るチャンスがない地方は大部分のところがそうでございますから,肩書きだけで評価してしまうというのが現実でございます。
 そういう意味で,私は,極端かもしれませんけれども,国立劇場と新国立劇場にソフトを持ってほしい。劇団があってほしい,バレエ団があってほしい。静岡のように公共の文化施設で持っているところもございますけれども,金森さんがおっしゃったようにそこが目標になれば,雇用の場があるということが,やはり芸術を目指す方の励みになるのではないかと思います。
 国立劇場で40年以上前から国が,いわゆる伝統芸能に携わる方たちを支援していらっしゃいます。でも,そこで学んだ方の中に笑也さんのような方がたくさん出ていらっしゃらないのが何故なのでしょう。今日の歌舞伎界で活躍されている,例えば脇役であったり鳴り物の方たちは,大部分が国立劇場の養成のもとに育てられていると思いますけれど,もし国立劇場に歌舞伎劇団があったならばもうちょっと変わっていたのではないかと思います。
 そういう意味で,やはり場があるという事が,観せるまでに高められるものになっていくのではないか。それが一番大切ではないかなとちょっと思っております。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。いわゆるソフトを持つということですね。大事なことでしょうか。
【青木長官】
 大変すばらしいご意見,貴重なご意見を拝聴していてありがとうございます。それから,この資料4,そのほかの資料でのご意見も重要だと思います。
 ただ,結局人材というのは,プロをどう育てるかどうかという話ですね。だから,プロをどういうふうに養成するかという話を芸術の各分野でどういうふうに行っているかというのが目的とすれば,1つはプロの中でいわゆる本当に世界的なそれぞれの分野の天才的なプレーヤーとかトップレベルの人たちの養成をどうするかという話と,それからもう一つは,先ほどここに中堅層と書いてありますが,これ,先ほど静岡の田村さんもおっしゃいましたけれども,確かに国際的コンクールに入賞する人って,かなりの数の人たちがいますね。エリザベートにしてもチャイコフスキーにしても。それで,そういう人たちはどういう形で,養成されたということが1つ問題ですね。それから,そういう人たちは海外で賞をとると帰ってこないですね。神尾さんだってスイスにいるんでしょう。それから,樫本大進さんもヨーロッパで。だからこういうところでトップになるとか優勝したりすると,日本に帰ってこなくて,アメリカとかヨーロッパに大体とどまって,それを拠点にして演奏活動をして,日本には時々公演に帰国される,という問題が1つありますね。
 トップアーティストがどういうふうに育っていくかというのを見ると,必ずしも現代の日本では養成機関が学校も含めてどれだけ役に立っているかというのは疑問であり,トップアーティストを日本だけで養成していけるのかどうかという問題も出てきます。
 それで,例えばこの間ノーベル賞の日本からの受賞者が今年4人も出ましたけれども,あれを見ると小林さんと益川さんは,全く日本の大学で養成された人で,いわゆる欧米の大学で業績を上げたということがなくて,益川さんなんかパスポートも持っていないというような人が,ノーベル賞をおとりになったですね。それから,あとのお二人は,生物科学とか日本では余り研究されていなかった時代。現在は力を入れていますけれども,そういう分野での研究で認められるのにはアメリカの方が研究の場としてよかったとか,南部さんなんかの世代の場合はやはり,ご自分のインタビューの記事にもありましたけれども,やはりシカゴとかが研究環境が抜群によかったということであったとは思いますが,これを見ると,素粒子論,物理学等は日本の得意な分野なんです。だから,芸術も得意な分野というのがあると,そこは満遍なく各面で全部いくのか,得意な分野で勝負するのかというのは,やはり考えたほうがいいと思います。
 それから,もう1つは,活動の場ということなんですけれども,私,よくわからないのは,東京には大体クラシックのオーケストラが10以上ありますよね。ということは,芸大とか音大とかそういうところを出られた方が就職するチャンスはそれだけたくさんあるわけですね。内実は別としまして,一応そういうバイオリンなんか芸大でおやりになった方がN響とか東京交響楽団,いろんなところに就職するチャンスはある。だけれども,例えばニューヨークとかベルリンとかそういうところを見ると,そんなにたくさんはない。それで,しかも伝統ある音楽学校,コンセルヴァトワールというのはあるわけですけれども,そういうところで音大出の人たちはどうしているんでしょうか。つまり,そういうところ,専門の音楽教育を,アメリカのボストンにしてもニューヨークにしてもあるいはベルリンにしても,そういうところで教育を受けた人たちは結局,卒業したらどこで働いているんでしょうか。ベルリンフィルとかロンドンシンフォニーとかニューヨークフィルハーモニックに行くというのは人数が限られているわけで,しかもそういうところには必ず外国人がたくさん入っていますよね。日本人も必ず入っているし。そうすると,その地域でアメリカでちゃんと専門教育受けた人は就職のチャンスは非常に限られるのでようか。
 東京で教育を受けた人は十幾つオーケストラがあります。ニューヨークに行ったらニューヨークフィルハーモニックと,あと二,三はありますけれども,基本的には1つか2つしかない。こういうときは実演演奏家の活動の場というはどうなっているんでしょうか。
 もう一つは,初等中等教育その他で芸術を教育するということは非常に重要だと思うんですけれども,これは2つ目的があって,本当にそこでプロになるような人が,そこからそういう教育によって目覚めていくのか,もう一つは中学校とか小学校で音楽舞台芸術等のすばらしさの一端を伝え,それが将来,全然別の実業界とかいろんなところに行かれた方にインプットされて,芸術というものを支援する気持ちを育てるようなもの,観客の養成ということですね,につながっていく役割,これは非常に僕は重要だと思うんです。
 それと,必ずしもプロの養成というのはつながらない部分があるだろうと思いますね。ですから,日本の教育体系の中では,本当に文化のことも含めて文化芸術に対して十分な時間がとられていないことは事実なので,これは私はいろんなところで強調して言っていることですけれども,そういった意味では,やはりどこかで文化芸術のすばらしさを教える必要がある。それは,必ずしも実演演奏家を養成するというのではなくて,つまり観客を養成するということであって,その部分が非常に重要だとも思うんですね。
 それで,例えばニューヨークフィルハーモニックでもボストンでもベルリンでも音楽監督というのは,町の誇り,代表的な人物の一人です。もうヒーローなんですね。だから,小澤征爾が音楽監督であったときボストンでも,何かあると必ず,ボストン市の誇るべき名士として小澤征爾の名前が出てくるわけ。バーンスタインのニューヨークなんていうと,市長よりも力があるぐらいですね。カラヤンのベルリンを言わなくても。だから,そういうような形での芸術家に対する,芸術家の特別な地位,それから特にオーケストラとか,これはヨーロッパ,アメリカの場合ですけれども,オーケストラのいわば音楽監督の地位というようなものをもっときちんと位置づける。今後の課題としてはそういうものをどういうふうに育てるかというのが,1つの大きな問題だと,私は思うんです。
 それで,例えば今回はこの人材養成の中に文学とかそういうものは入ってこなかったけれども,今は結構作家の中でカルチャースクール出身が多いんです。カルチャースクールでどういうふうに小説を書くかとか,文章を書くかという,そういう教室があるでしょう。そういうところで学んで,それで小説を書き始めたとか,結構そういう人がいるし,それからアメリカだったら,大学にいわゆる創作学科があって,そこ出身という作家も結構いますね。だから,いろんな面でプロの養成というのは必要性があるわけです。分野によるニーズに応じた養成する場所というのがあって,それを一律に学校とかそういうことではなくて考えるべきであろうとは思いますが。
 やはりトップの人を育てるということが一番重要だと思いますが,そういう人たちというのは,前に学長さんがおっしゃったけれども,それは勝手に一人でやっていくということなのか。例えば有名な日本のピアニストが戦後出てきたとき,これが世界的なレベルになるには,やっぱりスポンサーが必要ですね。これは今,アスリートもそうですけれどもね。そういうスポンサーがついて援助して,ヨーロッパ等に派遣したりしながら育てていくというモデルもある。そういう形でも天才は育っていくだろうと思うんですね。
 それと,今日ここで考えているような一般的なレベルの話というのはどこで折り合いをつけたらいいのかというのをお聞きしたいし,観客というか,例えば先ほど静岡のお話にもありましたけれども,やはり確かに地方に中央からは来ないけれども,東京に10もあるオーケストラがどこかへ移住して,それでそこで最高の音楽を聞かせて,ただ,町とか都市とか,その地域が,そこのオーケストラを育てる気持ちがあれば,一般市民がです,それで,やっぱり我らが指揮者を非常に尊敬して,誇りに思うような文化的な土壌が出てこないとなかなか難しいと思うんですね。東京でも,N響の指揮者にしても,ほかのオーケストラの指揮者にしても地位があまり高くないですよ。ニューヨークに行ってニューヨークフィルハーモニックのロリン・マゼールとかいったらもうみんな知っていて,音楽に関心のない人でもみんな一目置くというのはあるんだけれども,そういうものがないですね。
 そういうのがないとなかなか難しいかもしれない。これは文化庁の立場で言っているわけじゃないので,個人的なファンとして言っているんですが,やはり物理学は得意だけれども,ほかのところは得意じゃないというと,そっちにお金をポンと出してノーベル賞を育てるけれども,やっぱり日本で得意じゃない分野というのがあることはあると思うんですね。そんなことはどういうふうにメリハリをつけたらいいのかということも,非常に戦略的な意味で感じました。
【宮田部会長】
 ありがとうございました。要するに,超プロを育てるために今議論をしているわけではなくて,もちろんプロはプロとして存在しなければいけないですが,先ほど長官のお話の中にあったように,やはり聞き手,訴えるほうと,いわゆるキャッチボールのような関係がきちっとできてないといけないのではないかということは,先般のときのご議論の中にすごくあったし,今の長官のお話でもそうです。ですから,大学の教育などというのも含めて,地方の先生方がいろんなところで頑張ってくださっているということは,発信する人を育てるのと同時に聞き手のほうの教育という,これも大事なことであるということだと思うんですが,その後,バーンスタイン云々の話,それから音楽監督がすごいというふうな話をするには,やはり,先ほど言いましたけれども,庁を省にするぐらいの力を持てば確実にそれは育つということに結論は持っていきたいと私は思っております。
 米屋委員,どうぞ。
【米屋委員】
 今のことに関連するんですが,この文書で言いますと,国の支援のあり方や実演芸術家等の活用に関する施策というところで,公演の練習やけいこ期間から支援する助成システムを検討すべきではないかというようなことですとか,戦略的メリハリをつけた支援ということが書かれているんですけれども,この辺,とてもちょっと深入りすると時間が足りなくなるんですけれども,集団創作を必要とする団体とソリストが活躍する場というのは,ちょっと理屈が違うんですね。
 それから,今ちょうど青木長官がおっしゃいましたけれども,海外のオーケストラと日本のオーケストラを比較してみたら何が一番違うかというと,事務局員の数が圧倒的に違うんですね。日本は本当に数人で何もかもやらなきゃいけなくて,広報専任を置いているオーケストラさえほとんどないぐらいで,ましてマーケティング専門,資金調達専門を置いているオーケストラは日本にはないんです。これはどういうことかといいますと,芸術団体側も公演を成立することだけで手いっぱいだったし,アートマネージメントの定義を見てみても,公演をすること,企画をすること,展示をすることで終わっていて,どういうふうに社会に提供していくか,そこの工夫について,今,部会長がおっしゃいましたように,観客・聴衆をどう育成していくか,広げていくかという視点がない状態では公益的な芸術活動というのはあり得ないんだと思うんです。その辺を支援の仕組みに組み込んでこなかったんですね。
 ですので,準備だけではなくて提供の仕方も含めて,しかもそれは公演をやっているということではなくて,その団体がどういうミッションを掲げているのかということも重要になってきます。やはり,芸術団体の中で本当に支援すべき団体というのはどういう像なのかということを,きちんと明文化していかないと,公演をやりたい人がみんな支援の対象になる。それは違うのではないかなと。本当に優れた芸術家が活躍できるような劇場であったりホールであったり芸術団体というのがどういうものかというのが見えてくれば,それが目標となって,優れた人がそういったところで活躍できるというふうになっていくんだと思います。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
【宮田(慶)委員】
 いろんな意見を伺いながらも,自分自身が新国立の養成所を抱えていたり,国立劇場に携わるようになったり,目前の課題なものですから,なかなか具体的なお話が,何か自分の中でまだ堂々巡りをしているようなところもあります。ただ,芸術ってやはり,実演家も含め,非常に素質とか資質に負うところが基本的にとても多くて,それで,よく植物と私は似ているなと思うんですけれども,土壌の中に種があって,それでそこから芽が出てきて,それを今回いろんなお話を伺っていて,バレエは双葉から手を入れたほうがいいのか,演劇はもうちょっと本葉が出るまで待ったほうがいいのかとか,いろいろなタイミングの問題がありますが,その一番適切なタイミングで手を入れられるというシステムをいかに用意できるのかということだと思っているんですね。
 それで,これが活用の話と,確かに育成の話とリンクしてしまってはいるんですが,今やはり,初等中等教育に対して我々が思っているのは,そこにせっかく土壌に種が埋まっているのに全く水も肥料もやれないというような,果たして適切な肥料がやれているんだろうか,ちゃんとした清らかな水が与えられているんだろうか。最初から非常に何らかの成分が入り込んでしまった水しか与えられていないんじゃないか。それから,非常に吸収しにくい質の水が与えられてしまっているんじゃないかというような反省というか,そこがやはり忸怩たる思いがあり,せっかくの芽が出ない。出てこないことには,その後の双葉にしろ本葉にしろ,出てきた状態で我々が引き受ける選択肢がこんなに少ないというところにやはり強い焦りがあり,できたらそこからきちんとした水であり肥料であり太陽光でありということを何とか提供できないかというような発想だと思うんですね。
 それが,ひいては,先ほど長官がおっしゃったように,もちろん芸術家を育てるというだけでなく,やはり初等中等教育間の情操教育というのが非常に,やはり例えば物理学者が生まれるにしても非常に想像力がなければ生まれてこない。そこからどんな方向に進んでくれてもいいけれども,とにかくいい水といい肥料をいろんな形でやっておきましょうよ,というふうに思っているんです。
 だから,何も舞台の芸術家だけでなくいろんなジャンルがありますが,イギリスから科学者が来て授業をやっていらっしゃる。ああいうこととかがどんどん広くやれればいいと思うし,ロンドンの美術館に行くたびに,絵の前で学校の先生が座って,子どもたちが10人ぐらい座って,さあ,この絵のこの人は何をしているのって先生が本当の名画の前に座り込んでやっていますよね。あれがやはり本当の教育だと思うし,そういう意味において,芸術家はどんどん社会のために貢献するべきだというか,働くべきだと思っています。
 その上で,いい機会でキャッチができる組織って何なんだろうなと思ったときに,これを言っちゃうと何か,よろしくお願いしますみたいな話になっちゃうからあれなんですけれども,私は一番最初に申し上げたように,せっかくここまで国立で立ち上げたバレエ,オペラ,そして演劇の研修所というのを,私はこの間,花伝舎を見ていただきましたが,もちろん芸団協さんも皆さん入っていらっしゃいますが,私はここだけで演劇全部使えるのが夢だなとよく言っています。最低必要ですね,あの学校1個分ぐらい,演劇だけで。それはもちろん人数を抱えるということもそうですし,それだけの種類の授業をやりたいと思って,ある場合はマンツーマンだとすると,50の教室が必要になる。今,3学年で45人いますので。そうすると,あっという間にあのぐらいの施設が必要になります。さらに内容を充実させていくには多分あの研修所,オペラもバレエも本当に,なぜバレエの中にコンテンポラリーがないんだと。本当,まさしくそうだと思います。いろんな形で拡大の可能性があるので,ぜひとも,例えばあそこをベースに考えて考えられることはないだろうかというようなことは,自分のフィールドになって恐縮ですが,提案させていただければなとは思っております。
【高萩委員】
 さっき長官がおっしゃったことで言えば,ヨーロッパとアメリカは地方にプロフェッショナルな楽団とか劇団とかバレエ団とかがありまして,そこがアーティストを吸収しています。地方のプロフェッショナルが裾野になっていて,そこと大都市のプロのカンパニーの間でアーティストが循環をしています。地元でプロフェッショナルとしてやっている人がいるわけです。日本の場合は東京に集中しすぎていて,地方にプロフェッショナルがほとんどいないというのが,問題だと思います。ですから,国民の中でのアーティストというのを職業としている人の割合というのはかなりヨーロッパとか欧米諸国のほうが高いと思います。
 日本の場合,国の芸術に対する支援というのが何となくおずおずとばらまいていたという感じだと思うんですね。しかも額的にもそんなに多くなかった。ちょっとほかのところに多く出したりすると,言葉は悪いかもしれませんけれども,ラウドマイノリティーが,おれのところが何で少ないんだみたいな文句を言う。アーティストは本当に分野別,それぞれのジャンルの中でもそれぞれ違うので,すごく強く言う人がいると,それがまた,いろんな政治とかいろんなことが絡んでくる。そうなると面倒くさいから平均的にばらまいてしまったという感じなのかなと思うんです。
 それで,ただ日本がここまで成熟してきて,特に今,日本の誇れるところというのは,地方に公共文化施設のかなり機能の高いものが存在しているということだと思うんですね。それをどう使っていくか,使ってやはり教育にとか地域のことに役立っていけば良いと思います。そのときに,全部国がやる必要は僕はない。国がやるべきことをはっきりさせる。アーティスト団体を持てば支援をしますよ等,何かはっきりさせたほうがいいということを感じました。
 ちょっと手前みそになりますが,最後に資料でお配りした東京都の総合芸術高校の基本計画というのがあります。この間,インターネット上に出ていたので見つけてびっくりしたんです。それで,2010年にはもう開校します。今まで,東京都は駒場に都立芸術高校というのを持っていまして,音楽分野と美術分野でかなりの方が芸大に進学していました。今回,舞台芸術という分野をつくりまして,資料に基本理念が書いてありますが,今,話しているようなことがほとんど書いてあります。
 これだけのことを地方自治体がやったのならば,国としては当然高等教育の中に分野を持つべきだというような話をしてもいいんじゃないかなという気がします。やっぱりどこかが頑張ってやったらそこに対して支援をする。どこかがすごくうまくいけば,あそこがうまくいっているんだったらそれをまねしようとか,そういう競争原理がきちんと働くようになれば良いと思います。
 今,実は都内は各公共の音楽ホールがレジデントという形で交響楽団を持つようになっています。そこの地域に対しては,杉並ですと日フィルの方たちが学校にかなり行っている。それから墨田区ですと,新日フィルの方たちがほとんどの学校に必ず行っている。それから,小学校で1回,中学校で1回,必ずコンサートを鑑賞するというようなシステムを持っているんですね。そういうことをやっていれば国からかなりのお金が出るんだということなれば,地方自治体も頑張ると思います。墨田区にだけそんなに出していいのかと言われたときに,いや,墨田区は実はこれだけ出しているから国も出しているんだよということになればよいのでは。どこかのほかの地域でバレエ団を持ちたいといったときに,国が,地方がどこかこれだけ支える,それで国がその半分を出しますよとなってくると,そういういい形の競争原理が働くと,何かが変わっていくのかなという気がします。
 今,何となく芸術家がプロでやっていくというのが難しい。さっきから見る文化が育ってないという話が出ていますけれども,見るためにお金を払う,お金を払ってプロになるということがうまく展開しない。賞をとったりした才能のあった人たちが結局プロになれないので教える。才能のある子どもたちを教えるということで,これをプロと言うのかどうかわからないですけれども,生活を成り立たせている。どこかで,そのプロの技を見せることによって,本当にプロフェッショナルになるということができて,その人たちの考え方とか技術を社会に還元できるようになれば,そこから新しい社会の形が見えてくるんじゃないかなと思っています。そういうかたちでプロの活動を刺激できるように,ぜひ施策をとっていただきたいなと思います。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 全国に今60ぐらい芸術系の高校があるんですね。結構,やっぱりまたばらばらなんですよ。そこをちょっと1回まとめて,いろんな意味での哲学的な部分をきちっとまとめて,若者たちをどうやって育てているのかというあたりの検証みたいなこともやろうとして,今,動いておりますけれども,本当に大事なことかななんて思っております。東京都がこうやってつくっている3つ目の学校になるわけですからね。大変,期待すべきことかなと思っています。
 時間が来ました。最初,100分というのは長いなというふうな気がしたんですが,全くそのようなことではなく,先生方,大変貴重な意見ありがとうございました。
 さて,ここでちょっと事務局のほうからまとめてもらいましょうか,今後の流れも含めて。
【清水芸術文化課長】
 <今後の日程等について説明>
【宮田部会長】
 せっかくすばらしい先生方がお集まりだったものですから,いわゆる任期まで,このご議論を深めていきたいと思っております。お忙しいと思いますが,ご協力のほどよろしくお願いします。
 本日は大変貴重なご意見ありがとうございました。
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