文化審議会第8期文化政策部会(第2回)議事録

1.出 席 者

(委員)

宮田部会長,田村部会長代理,青柳委員,加藤委員,後藤委員,佐々木委員,里中委員,高萩委員,堤委員,坪能委員,富山委員,西村委員,浜野委員,増田委員,吉本委員

(事務局)

玉井文化庁長官,合田文化庁次長,戸渡長官官房審議官,清木文化部長,関文化財部長,松村文化財監査官,大木政策課長,滝波企画調整官 ,他

2.議事内容

【宮田部会長】
 おはようございます。通常よりも30分早くでございますので,全委員お集まりではないのですけれども,定刻でございますので,始めさせていただきたいと思います。全体の流れが大変急を要しております。先生方の英知を集結したいと,かように考えております。よろしくお願いいたします。
 今回,事務局のほうから「論点」をお送りしております。本日この論点の「(1)国の政策としての文化芸術振興の意義について」ということをご審議いただきたいと思っております。
 議論の進め方でございますが,まず私のほうから事前に指名させていただいております3名の先生方にご意見を発表していただいて,その後に,意見発表も踏まえまして,その他の委員の皆様からもご意見を頂戴したい,かように考えております。本日は青柳委員,後藤委員,佐々木委員の順にご意見を発表していただきます。
 早々で恐縮でございますが,青柳委員,ひとつよろしくお願いいたします。
【青柳委員】
 「国の政策としての文化芸術振興の意義について」ということで,文化芸術振興は国民にとってどのような意義を持つのかというあたりからお話したいと思います。文化というのは,概念が非常にさまざまであり,そして,とらえどころのないところもあるし,それから,こういう形だということをはっきり定義する人もいる,そういう意味で大変厄介な概念であろうと思います。あるイギリス人は文化とはフレームワークそのものであると,枠組みであると。枠組みがあるからこそ,その中で文化というものが熟成され,あるいは洗練されたりすると。そして,それをある意味では完成への願望であるという言葉を使う人もいます。それから,ハイカルチャーであるとかサブカルチャーであるとか,あるいは,生活文化であるとか,さまざまにあると思います。
 国というものを軸にしながら文化を考えるときには,この文化振興は何よりも穏やかでなければいけない。文化政策という言葉をドイツ語や英語で初めて聞く人は,すぐに第二次世界大戦中のナチの文化政策をまず頭に思い浮かべると思います。それであってはならない。穏やかでなくてはいけない。そして,継続性や持続性,最近は持続性ということはサステーナブルが入ってきますけれども,そういうものでなければ,必要があるだろう。それから,国が政策として行うわけですから,だれもがそれを享受できるような,ある意味で普遍性というか,汎用性というか,そういうものが必要であろうと。
 そういうふうに考えると,国がとる文化政策というものは穏やかだし,普遍的だし,汎用性があるし,ということで決して見えやすいものではないのですね。ですから,政策を立てた段階の次の施策の段階では,政策自体をどういうふうにビジビリティーを高めるかということが非常に重要な役割を,特に今のような時代では持っているのではないかと思います。
 例えば,文化というものを川の流れにたとえて,川上から中流,下流ということに考えていくと,あるいは,層位であれば上層,中層,下層というようなとらえ方もできるでしょうけれども,国の政策はなるべく川上に位置するべきでものであり,そして,それが流れることによって,最終的な受け手である国民,市民のところに届くまでに,上流のほうにあってニュートラルな立場で,それが川下にいる国民,市民の中にいろいろな需要に応じて変化をしながらたどりつくようなものであるべきではないかと思います。
 アメリカのように,国がレッセフェールにして,ドネーションというやり方で寄附者が直接的に市民,国民へアプローチする,そういうやり方もありますけれども,これは世界的に見てもアメリカが非常に特殊なやり方を,社会的にいろいろなレベル,局面で持っているものであって,それ以外の国はそれほど国の関与を小さくしてドネーションを中心にしてやるという方策はとっていないと思います。ですから,アメリカは恐らくそれ以外の国にとってあまりモデルにならない。それをグローバリゼーションのような形の中で,文化をもう一つのアメリカのモデルがスタンダードモデルととらえるのは大きな誤りであり,それをまねてやってもその施策は失敗するだけで,あるいは,その経費も失敗でするだけであるのではないかと私は考えております。
 この資料3のペーパーにも簡単に書いておきましたが,文化芸術振興が対象とするような文化活動は,我々の根底にある日常生活の中での文化レベルのもう少し上位に位置するものとしてとらえていますが,そのような文化活動に参画,接触することによって,さまざまな文化財や美術作品,あるいは,再現芸術を理解・享受して,人間の創造力をたたえ,人間としての価値を高める機会を得ることができる。そういう環境やインフラをつくることが国の文化政策の根幹であろう。
 つまり,さっき申し上げました川上に位置しながら,川上の水量を増す,あるいは,川上の水源の純度を高めるということが,国の重要な役割ではないかと私は考えております。川上の純度を高めるとか,あるいは,川上の水源の水量を増すということは一体どういうことなのかというと,これまでの我々人類の推移を見てくると,人類がこれだけ栄えているということは,動物としての生命力がある一方で,多様な文化がこの地球上にさまざまに存在していて,それの総合的な刺激合いというようなものによって,私たちの生活環境の中でのソフトの部分を刷新したりしてきていると,そのことが非常に重要な役割を占めているわけです。
 それを経済的な指標に置き換えることも可能ですが,そうなると表層的になるので,なるべくそういうことはしないほうがいいとは思いますが,少なくとも今までの歴史を回顧するならば,いかにソフトである文化というものの継続性,その一方での刷新,イノベーションというものが,我々人類全体がこれまでさまざまな転換を乗り越え,反映してきたかの大きな理由であろうと考えます。そうであるがゆえに,そういう大きな歴史的な展望を持ちながら,そして将来への我々人類文化の,あるいは,日本列島に住む我々にとっての将来をさらに活性化するためにも,なるべく継続性のある,刷新性のある文化というものを見通しながら,それをエンカレッジしていくということが重要なのではないかと考えます。
 もしそういうことをやらなければですけれども,それを次の「国が公共政策として文化芸術を振興することはなぜ必要か」ということに少し書いておきましたが,特に現在,市場原理というものが重要で,市場原理に基づく商業主義であるとか,あるいは,アメリカンスタンダードなのですけれども,グローバリゼーションであるとか,あるいは,大変情報が氾濫しております。この情報の氾濫ということは,例えば情報をある程度限定して,それを熟成して,それが知識になり,知識を積み重ねることによって知恵になるのですね。それがほとんど今世界的にこの地球上で知恵をつくるということが機能不全に陥りつつある程度にまで情報が氾濫しております。そういう中で,一体良質な情報は何かとか,あるいは,選択的にした場合に,それが知識につながり,知恵につながる情報は何かというところを,あるモデルを示すことが非常に重要になってきていると私は考えております。
 例えば,市場化の商業主義の中での文化というものの典型的なものが,今,我が国の民放の放送であろうと思います。今も我が家にアメリカの学者が1人泊まっておりますが,それがテレビを見ていて,「日本の民放の番組というのはどうしてこれほどくだらないのか」と。そのことに対して私は何も答えられない。だけれども,民活とか何とかいうのですけれども,視聴率という指標を中心に文化をそのままの状態に据えると,結局はあの状況になっていくのですね。これは市場主義,商業主義の典型的な姿ではないかと思われます。
 それから,グローバリゼーションの中では,商業的な文化というものが,例えばハリウッドの映画などがその典型ですけれども,そういうものが蔓延していった。例えば1999年にオタワでWTOの会議があったときに,フランスは文化をWTOの中で例外化しろということを盛んに言っていました。それで確かカナダと組んで1999年のWTOの会議を流したのですね。それほどに文化というものは,商業活動や商業的なグローバリゼーションにはなじまないもの。かなり強引なデモまでかけてやったWTOに対するフランス,カナダの反対ぶりというのは,強引ではあるけれども,それだけの重要性を持っているものだと感じております。
 ですから,我々は特にこのようなグローバリゼーションの中で,文化というものをどうきちっと守り,維持し,継続させるかということを丁寧にやっていかなければならない局面に今現在きていると。しかも,最初に申し上げましたが,この地球の上で人類がこれだけ栄えてきたのは,文化的な多様性と継続性,そして,その逆ですけれども,イノベーションができてきたから,これだけできている。そうするならば,グローバリゼーションというもので,表層的な文化に対する均一化かもしれませんが,それが進めば,我々のこれまでの歴史的な経緯を見てもわかるように,文化的に刷新し,文化的に継続性を保つことによって,人類が繁栄を続けてきたということに対する,大きな弊害あるいは障壁になる可能性があるということも十分に考えていかなければならないと思います。
 そして,ハンチントンではございませんけれども,『文明の衝突』に書いてあったように,それぞれの国が今何よりも重要なこの地球上に生きる者として,あるいは,国として重要になりつつあるのが,文化的なアイデンティティーをいかに保つかということです。そのためにも国が穏やかで,見えにくいかもしれないけれども,インフラや基盤というものを,しっかりと文化が醸成できるような環境をつくっていくということが,今,グローバル化しつつあり,ボーダレス化しつつある中で,重要な要件ではないかと考えます。
 最後に,「新しい公共」というものが今課題になっておりますが,公共という考え方は日本の中ではまだ十分に討議されたり,公共が何かということを考える機会が歴史的にもありませんでした。ところが,ヨーロッパの特に共和国というのは,ラテン語でいうのですが,“レスプリバータ”と“レスプブリカ”,公共的なるものと私的なるものとの区別を明確にすることが共和国の本当の出発点なのですね。それを徹底的にやっているので,公共とは何かということが既に定着しているのです。その定着している上での「新しい公共」であれば私は十分理解できるけれども,それを今まで討議せずに,何を古い公共と考えて,何を新しい公共と考えるのか。そこを全く議論もせずにそういう言葉だけの新しさでやっていこうというのは,屋上階を重ねる,あるいは,砂上にさらに砂上の楼閣を積み重ねるだけのことではないかと考えております。
 以上です。
【宮田部会長】
 ありがとうございました。
 非常にわかりやすく,また,穏やかであり,だけど継続と刷新,それから,見えにくいというのは本当にそうですね。このことに対しては皆さん大変ご苦労なさっているのではないかと思います。ありがとうございました。
 あとお2人の先生方にもそのまま続けさせていただいてよろしゅうございますでしょうか。
 では,次は後藤委員,そして佐々木委員と続けさせていただきたいと思います。後藤委員,よろしくお願い申し上げます。
【後藤委員】
 後藤です。おはようございます。
 私の資料は,事務局のほうで用意してくださった枠組みに入っていなくて,ちょっと見にくいかもしれませんけれども,私は経済学を専門にしているので,経済学的にこの問題を考えると,どういうふうに考えられるのかということと,割と概念的な問題提起だったので,それをもうちょっと具体的な事象あるいは政策手段の点から考えると,どういうふうに考えることができるのかということで,用意してきました。
 まず[文化芸術振興は国民にとってどのような意義を持つか」ということで,青柳先生が非常に高邁に述べられたわけですけれども,私は1番のところに「国際的合意としての発展と文化」というのを用意してきました。1998年にストックホルムで開催された国際会議,これは日本も参加していると思いますが,150カ国が参加して,文化というのが発展にとって非常に重要であると。それは先進国ばかりではなくて,途上国においても文化というのを発展の重要な要素あるいは政策として位置づけるべきであるということが勧告されたという中身を5つほど上げてきました。
 1番はそのとおりで,文化政策を発展戦略上の一つの重要要素として位置づける。2番目が,生活における文化の創造性を促進し参加を促す。3番目が,文化産業を育成する政策とその実践を強化し,文化遺産を保護してその質を高める。それから,4番目が情報化社会に向けて,またその内部で文化と言語の多様性を高める。5番目,文化開発により多くの人的資源と資金を調達する。というようなことで,多くの方が文化芸術振興の意義について述べられるときには,こういう観点を含んでいるのではないかというふうに思います。
 なぜ国際的にこういう流れになってきたかということなのですが,従来は発展(ディベロップメント)というのは,GDPの増大というか,所得の増大ということ,つまり経済発展を意味していたと思うのですが,発展パラダイムが本当にそれでいいのかということで,転換をしてきたと。これにはアマルティア・センという経済学者が大きく貢献をしていると思うのですけれども,人間の潜在能力を開発することこそが発展の基になるというような考え方に転換してきたと。そこで改めて文化の役割というのが,途上国においてもあるいは先進国においても,非常に重要だということが強調されるようになったと思います。
 3番目にある文化産業を育成するというのは,先進国だけではなくて,途上国が経済発展する上でも文化産業というのが非常に重要な役割を果たすようになってきているということで,映画のロケ地から発展して映画産業が発展している途上国もございますので,非常に重要なことになってきているということだと思います。
 それから,2番目,国が公共政策として文化芸術を振興することはなぜ必要かというのは,経済学的に説明すると非常にクリアなことなのですけれども,文化経済学という領域では,1966年にアメリカの経済学者であるボーモル先生とボーエン先生が,舞台芸術の経済的ジレンマというのを研究していまして,舞台芸術を初めて産業として分析した研究です。これは日本語訳も出されています。
 このときにボーモル,ボーエンが言った論点が幾つかありまして,一つは舞台芸術というのを産業として分析してみると,ほかの産業に比べて生産性を上げることができないので所得不足になる必然性があるということです。生産性を上げることが困難というのは,例えば技術革新で幾ら舞台技術が進んだとしても,例えば1時間のオーケストラ曲を4分の1の時間,15分で演奏して終わるということはできないですし,100人のオーケストラの曲をたった5人で演奏したら全く別の音楽になってしまうということで,そういう生産性を上げるのが非常に困難という性質を持っているということです。ですから,必ず何らかの支援をしないとこの産業は消滅してしまう運命にあるということを言ったわけです。
 2番目は,舞台芸術には外部性,これは経済学の用語なので,括弧して書いてあるほうがわかりやすいと思いますけれども,社会的な便益がある。これは直接享受しない,舞台芸術を見に行かない人でも便益がありますよということで,国家に付与する威信というふうにボーモルは書いていますけれども,これはアイデンティティーというふうに置き換えてもいいかと思います。それから,周辺のビジネスへの波及効果,それから,将来世代への遺贈価値とか,コミュニティへの教育価値,あとさまざまな経済学者はいろんな社会的便益を指摘していますけれども,こういうものがあるのだということです。だから,舞台芸術を見に行かないほかの人たちも税金でサポートしていいということになるわけです。
 もう一つは,ボーモル,ボーエンは観客の調査をしていまして,舞台芸術を見に行く人たちというのは,高所得で高学歴の専門職の人が圧倒的に多いということを指摘しています。これは今日でもある程度はあてはまるのではないかなと思うのですけれども,高学歴で高所得の専門職の人が見に行くということは,文化施設を運営するときには,そこの属性を変えるような仕組みをつくらないと,高所得で高学歴の専門職の人に補助金を出すことになってしまうのでいけないということを言っているわけです。
 残念ながら,日本では文化施設の観客調査というのがマーケティングの手法でされているので,属性はほとんど調べられていないと思います。つまり,学歴とか所得ということはあまり聞かれないまま,「どこでこの催しを知りましたか」というようなマーケティングで調査しているので,属性調査というのがあまり見当たらないわけです。ところが,スウェーデンなどですと,70年代から美術館に行く人たちの属性をきっちり社会学の方が研究の視点からとっていって,この属性を変えなければいけないということで,さまざまな展示,あるいは,劇場での上演の演目を工夫するというようなことが行われてきているということです。
 実はこの生産性が低いという芸術文化あるいは文化の特徴というのは,グローバリゼーションの中で多くの企業が輸出をふやす,あるいは,多国籍企業になって海外で生産を展開するというときに,さらに問題を抱えるわけです。というのは,2000年代になってですけれども,経済学の貿易論の中で,どういう企業が輸出を多く行っているのか,あるいは,多国籍企業として展開できるのかというような研究がされるようになりました。これは経済産業省などが詳細なデータを集めてやっていらっしゃると思うのですが,そのエッセンスを言うと,生産性が高い企業が輸出できる,あるいは,多国籍企業として展開できるという,おおよその傾向がわかっています。そうすると,芸術文化あるいは文化芸術というのは生産性が低いということになると,ここでも海外展開という意味でもハンディキャップを持っているというか,ハンディを背負っているということになりますので,さらに支援が必要ということが言えるかと思います。
 それから,次の論点で,「社会を挙げて文化芸術振興を目指す上でどのような取組が必要か」ということの論点の(1)で,「新しい公共」とはどのようなことかという問題提起がありますので,これに経済学的な観点からお答えしていくとどういうことになるかということなのですが,国と地方の役割分担というか,国と地方が支援する根拠は何かというのを書いておきました。
 まず国ですけれども,国の場合は資源配分の効率性と,難しい言葉で言っていますけれども,要するに市場に任せるとうまく資源が配分されないようなところを,公的な支援で資源を配分するということで,これは公共財というふうに言われているものですけれども,文化芸術というのもある種の公共財にあたるでしょう。つまり,市場だけに任せると,青柳先生ご指摘のように,非常に商業主義的なものしか供給されないということになるので,市場に任せては供給されないような質の高いものというのは,資源配分の効率性の観点から国が関与すべきであるということになるかと思います。
 それから,2番目に,これは地方もできますけれども,特に国がやらなければいけないのは公平性の観点で,アクセスの保障であるとか,アーティストの育成や,社会保障ということになるかと思います。
 3番目は外部性ということで,これはアイデンティティーであるとか,経済波及効果であるとか,将来世代への遺贈,コミュニティへの教育価値などですけれども,そういうさまざまな社会的便益というのも国が支援する根拠になるでしょうということです。
 地方の場合ですと,資源配分の効率性,同じですけれども。それから,もう一つ,地方の場合は都市あるいは地域ということになるので,より外部性を考えて文化芸術を振興する根拠があるということが言えると思います。これがクリエイティブシティなど都市政策として展開する根拠になるかと思います。
 「新しい公共」とは何かということなのですが,市場に任せておくと文化芸術というのが供給されないわけですから,市場というのは資源配分を効率的に行うために市場があるわけですけれども,それに失敗するわけです。ですから,市場が失敗し,では政府が全部やればいいかというと,政府も失敗するということで,市場の失敗と政府の失敗の両方を乗り越えるのが「新しい公共」だというふうに経済学的には言うことができるかと思います。
 私が書いた3番目の「文化政策の政策手段」を見ていくと,「新しい公共」とは何かというのが,政策手段と照らし合わせてクリアになるかと思うのですが,文化政策の政策手段としては,皆さんご存じのように規制,つまり法によって行うということがあります。この中に文化財保護法とか著作権法,それから,日本にはありませんけれども,“Percent for Art”といって,公共の建築物あるいは公共の事業ですかね,建設的な事業を行うときにその1%ないし3%とか,5%とか,さまざまですけれども,それを芸術に使うといったような法律でもって,文化政策を行うことができる。それから,補助金というのがあります。それから,税制で行うということもできるわけです。往々にして,文化政策の議論をすると,この真ん中の補助金のところにどうしても焦点がいってしまうのですが,国の役割としては法の整備というのは非常に重要で,これをどういうふうに整備していくかということが,市場をどういうふうにコントロールしていくかという意味で重要になってくるわけです。
 3番目の文化税制ですけれども,補助金プラス文化税制でというのは,「新しい公共」と関係があって,税制を使った支援というのは,民間の資金を引き出しながら支援することになります。つまり,まず意思決定が個人や企業によってなされるというところが出発点になりますので,補助金だと意思決定の出発点は政府になってしまうわけですね。補助金を配分するのは政府ですから,政府がこれはいいということで支援をするのですが,税制ですと,個人や企業がいいということで,やってみようということで始めたことを税制がバックアップしていくというようなことで迅速性もありますし,あるいは,文化団体は支援者,つまり個人とか企業のほうを向くということで方向性が変わってきます。
 ここで文化税制といっているのは,皆さんは寄附税制を連想されると思うのですが,文化税制というのは寄附税制だけではなくて,相続税の物納というのは先回私申し上げましたけれども,ほかに文化ファンドというのをやっている国もあります。それから,個人が所有する文化財の補修のための融資と減税を組み合わせるとか,企業により美術品を取得する。これは,国宝級の美術品が流出してしまうときに,それを企業が買って公の美術館に展示するということをすると,90%の金額が控除の対象になるということがあります。それから,VATを低税率にしているというのはヨーロッパ共通のことになっておりますので,日本で消費税が上がったときに文化への消費税がどうなるかというのは,非常に大きな論点になると思うのですが,ほとんど日本では知られていません。
 ということで,「新しい公共」を支えるためには,法と補助金と文化税制の3つを政策手段として吟味することが必要というふうに言えるかと思います。
 最後の論点ですけれども,省庁間の連携などをどうすべきかということを考える上で,一つ事例としてクリエイティブ産業というのを考えてみたらどういうことになるかということで申し上げたいと思います。日本は今までコンテンツ産業政策ということで,文化がコンテンツになるわけですけれども,それは与えられたものとして流通の促進,つまり市場の拡大に力を入れてきたわけです。ところが,経済産業省のほうでもコンテンツ産業だけでは狭いので,クリエイティブ産業政策が必要だと多分なってきていると思うのですが,どういうものが含まれているかというと,広告,建築,美術品,骨董品市場から,ファッションデザインとずっとありまして,工芸,デザインというふうにかなり幅広い分野を含んでおります。
 クリエイティブ産業というのを経済学でどういうふうに定義しているかというと,創造とビジネスとの契約による結合というふうに定義をしておりまして,例えば音楽であれば,アーティストが創造の側で,レコード会社が流通になっているというふうに見ていくわけですけれども,たくさんの産業がほとんどクリエイティブと,それを流通させていくビジネスとの結合になっていると思います。
 このクリエイティブ産業というのはどういう特徴を持っているかというと,需要が予測できないためにリスクが非常に大きいという特徴があります。それから,企業規模が極めて小さいということです。出版社などで大手出版社とかいっていますけれども,1000人を超える出版社というのは多分いなくて,数百人というところが大手出版社ですから,幾ら大手といっても企業規模が小さいと。東京都でクリエイティブ産業を調査したものによると,2人~4人という企業が圧倒的に多いということがわかっています。それから,立地に関しても独特な集積の特徴を持っていて,製造業とは全く異なっているということです。
 ですから,クリエイティブ産業政策というふうに大きく転換した場合には,流通の促進に力を入れてきた産業政策とは全く異なる視点が必要で,何が必要かというと,クリエイティブのほうを振興していかなければいけないということですから,クリエイティブを振興するというのは文化の振興になるわけで,国の関与が必要ということになっていくかと思います。それには補助金のみではなくて,著作権がかかわりますし,税制による支援も可能ということで,コンテンツ産業からクリエイティブ産業というふうにとらえ方を変えただけで,大きく政策が変わっていくということが言えます。そうなると,青柳先生が指摘しておられるように,経済産業省と外務省,文化庁が一緒にやらないといけないということになっていくわけです。
 5番目には,農村におけるクリエイティブ産業の可能性ということに触れましたけれども,これは非常に新しい傾向で,クリエイティブ産業というのと,東京に集積しているのでしょうというのが普通の考え方だと思うのですが,実は農村あるいは農業をどうしていくかというのも非常に大きな課題でして,財政の視点から農村の財政を調べると,農業で得ている所得が農村における所得のたった4分の1になってしまっているのですね。あとは全部農外所得,農業以外で上がる所得が4分の3となっています。その多くを何が担ってきたかというと公共事業になってしまったわけです。70年代,80年代以降を通じて,公共事業によって財政依存を強めてしまったというのが農村の現状で,それに代わる産業が必要ということになります。
 そのときにアジアの国々で非常に注目しているのが,地域あるいは民族固有の文化を掘り起こしたフェスティバルとか文化観光,あるいは,昔からあった伝統産業のようなものを掘り起こして,クリエイティブ産業にしていくというようなことに注目している国が多いです。日本でもそういうことが今後重要になってくると思います。
 そうすると,青柳先生がお書きになっているとおり,今度は農水省とか観光庁,国土交通省といったようなところとの連携が必要になってきて,もう既に歴史まちづくり法では,文化庁,国土交通省,農水省が連携しているというような状況になってきているわけですけれども,連携というのも連絡会議みたいなものではなかなか難しいと思いますので,先回多くの委員の方がおっしゃっていたように,文化省にして,この中に全部入れるということにしたほうが実効性があるかなと思いますので,単なる連携を超えて文化省としてクリエイティブ産業などにも実際に政策ができるようにしていく必要があるのかなというふうに思います。
 以上です。
【宮田部会長】
 ありがとうございました。
 文化と産業ということ,それから,国と地方の再配分,これは大変重要な問題ではないかと思っております。ありがとうございます。あと,イギリスの13分野というのはちょっとおもしろいなと思いまして,私も勉強させていただきたいと,かように思っております。
 佐々木先生,よろしくお願いいたします。
【佐々木委員】
 佐々木でございます。
 いわゆる「文化」という表現,これは中国では随分古くから使われていると思います,六朝時代ぐらいから使われていると思います。その意味は,文化の「文」というのは織物の「綾」なわけですね。ですから,人間の英知をもって混沌とした社会の中に「綾」を織り込んで一つのはっきりとした模様をつくり出すということなのだろうと思うのです。そこには秩序というものが重要でありますし,そこには当然,法というものが出てくるでしょうし,さまざまな今でいう経済政策のような形も出てくるでしょうし,もちろん人間の生活にとって非常に快適であるという,美しいものを製作するというふうな,狭い意味の芸術というものもそこに出てくるでしょうし。ですから,それはあくまで人間の生活の中でさまざまな工夫をして,その生活の中に美しい模様を織り出すと,これがまさに文化なのだろうと思うわけですね。
 それはさておきまして,いわゆる文化芸術振興というのが国民にとってどのような意義を持つか,あるいは,国が公共政策として文化芸術を振興することはなぜ必要なのかということにつきましては,理念的なことをこの資料の5で書いておりますので,きょうはその辺は割愛させていただきまして,文化芸術振興策の基本的な考え方について少しお話をしてみたいと思うわけであります。
 文化振興策としてぜひ必要なのは,その時代,その社会の状況に対応しているということが必要なのではないかなと。現代なら現代のある意味で難しい,混沌とした社会の中できちんと対応しているということが必要なのだろうと思います。それから,2番目には,いろんなことをやりたいわけなのですけれども,そのいろんなことが一つの方向性を持っているということなのだろうと思います。それから,3番目に重要なのは,個々のものは個々のものなのですけれども,それが一種の総合的な取組ができていると,総合性があると。私は,文化政策にとって必要な条件というのはこの3つではないかなと考えているわけです。
 社会状況に対応しているかどうかということ,それから,明確な方向性がちゃんと指し示されているかどうかということ,そして,個々バラバラではなくて,総合的な取組がきちんとなされているかどうかということであります。そうした個別対応では大きな成果というのは得られにくいと言いますか,成果を得るのは困難な場合が多いわけでございまして,現在の文化政策のあり方というのは,各分野の振興策ではあるのですが,そして個々には意味があるものではあるわけですが,いろんな方向を向いているということが多いのだろうと思うのです。そのために個別に対応する形になってしまって,目に見えた成果というものがはっきりとした形では見えにくいという点があるのだろうと思います。
 そういう意味でも,国全体としての文化の力を上昇させていく,アップさせていくということに文化政策が必ずしもまだ十分に対応しきれていない状況にあるというふうにも見えるわけであります。現代社会の状況に的確に対応する,そして国として各分野を統合して束ねていく,そして,そこに明確な大目標の設定と指針が示されて,それがきちんと浸透しているということが非常に大切なことであります。たとえて言いますと,非常に地震が多い地域がある。その地震の多い地域に家を建てようとするときに,まず考えなければいけないのは耐震性,耐震構造はどうなっているか,耐震補強はどうなっているかというわけでありますから,文化を支える基盤の強化ということが何といっても第一に必要なことであるわけであります。
 そのためにも,大目標の設定と政策の見通しが必要でありますが,この大目標は,現在の社会を考えれば目指すべき方向はどういう方向があるのかというと,これは文化基盤を守る,それを守っていくという文化基盤を守るための法の整備であるとか,あるいは,ルール化であるとか,マニュアルづくりなどを含む,まさに文化の基本インフラの整備でありまして,これが成立しないことには,その上に生まれていく次の活動,あるいは,その活動をさらに展開して利益を得るということがなかなかそこにつながっていかないのだろうと思うわけです。この文化的基本インフラ整備というものが進めば,その土台の上にさまざまな各種の活動が活性化されていくわけですし,先進国として国際社会での地位を高めていくことも可能でありますし,文化の力を基にした経済効果も生み出せるわけでありまして,基盤整備なしに活性化というものはなかなかその効果が出にくいというのが現実であろうと思います。
 国と違って民間は基本的には個々の利益を追求するところでありますから,非常にエネルギーを持っているだろうと思うわけでありまして,民間のエネルギーと力というものも文化と断絶してはいけない。そのエネルギーをいい形で利用していかなければいけない,いい意味の利用をしていかなければいけない。その力を発揮するためには文化芸術活動を守るのだという,守る政策というものが必要でありまして,例えば創作者,作家を守る著作権とか,あるいは,文化的な環境保護というものをきちんと整備して,基本的なインフラの整備を整えていくということが不可欠であります。
 この基本的インフラが整備されれば活性化というのは,利益追求の結果として民間の力がかなりいい形でかみ合ってくるという可能性もあるわけであります。そして,民間の力が活用できれば,結果として国も,民間が活発化するということは民間が利潤を得るということですから,当然税が生じてくる,国がそれで潤うという循環になっていくのだろうと思うわけです。ですから,何度も繰り返しておりますけれども,そういう意味でぜひ主張したいのは,国の公共政策として,文化的な基本的インフラ整備に徹するということを第一にすべきだろうと。そのときに,その方向性はまさに文化芸術活動を守るという一つの方向性をはっきりと視点として入れるべきだろうと思うわけであります。
 そうすると,先ほどもちょっと例に言いましたけれども,いろんなことが考えられるわけであります。例えば著作権がそうであります。これは作家の創作とその権利を守るわけですし,それから,例えば大きなデータバンクをつくるということにしても,そこにはいろんな芸術作品が登録されてある,あるいは,作家がきちんと登録されているということによって,いろんな人がその情報を共有できる,知識も共有できる。するとその次の創造ということに大きく結びついていく可能性がある。まさにこれも守るということを軸に上げた基本インフラの一つであるだろうと思うわけです。
 それから,もちろん教育の強化もそうですね。つまり,文化の未来を守るためには教育の強化ということをやらなければいけない。あるいは,未来に活動するいろんな技術を持った人を守る,そのためには例えば職業訓練のようなことをきちんとやっていかなければいけないとか,それから,さまざまな文化財を守るということも当然のことであります。未来に文化財を伝えていくためには守りというものをきちんとしていかなければいけない。もちろん言語もそうですね,日本語をきちんと守っていくということも基本インフラの一つの大きな要素であります。整理していけばたくさん出てくるだろうと思います。ただし,それらが個々別々の方向を向いているのではなくて,あくまで文化的な芸術活動を主軸にして,その方向で守っていくのだという視点がぜひ必要なのだという意味であります。
 現在,国際化された社会であるわけですが,我々の文化度というのは,先進国としての日本の国際的な地位を決定づける大きな要因であることには間違いありません。ですから,文化度の高さというのは,例えば商業デザインであるとか,観光ということにも大きく結びついていっているわけであって,例えばバッグが売れるというのは,文化度が高いということが背景にあるからバッグが売れるわけですね。そういうふうに文化度の高さというのは,商業活動にも大きく結びついているという結果になっていくわけであります。ですから,国土が小さく資源が少ない我が国であるからこそ,マンパワーの頭脳をできるだけ活用し,文化の力によって国の力を上げていくということを考えていかなければいけないわけです。国際的地位を高めれば,文化立国,文化大国としての経済力をもつけることができるわけですし,そうすることによって,民間にはなかなかできないような,国としての総合的な文化の基本インフラというものをぜひ考えていただきたいと思うわけであります。
 もう5分ほどよろしいでしょうか。
【宮田部会長】
 どうぞ。
【佐々木委員】
 それから,文化振興策として文化の基本インフラの整備が整うということは,ちょっと比喩的に言いますと,例えば都市であれば,道路がつく,水道が整備されるとか,下水道が整備される,そういう基本インフラが整備されるととたんにそこに民間がどんどん家を建て,都市というものが形成されていくわけですね。そういうふうに基本インフラが整ったから,そこではじめて発展して都市として機能していくわけでありますから,そういうようにスタートとして必要不可欠なものは何かということをぜひ考える必要があるのだと思います。それは私が今繰り返し言っております,文化における基本インフラなのだろうと思うわけです。先ほど来,各先生方,「新しい公共」ということにも触れていらっしゃるわけですが,私はこの「新しい公共」というのは,言い換えればまさに基本インフラそのものだろうと思うわけです。つまり,文化芸術の活動を守るということを軸にした文化的基本インフラそのものが新しい公共を担っていくのだろうと思うわけであります。
 今いろいろ話をしましたが,私として言いたいことをまとめておきますと,3点なり4点なりありまして,まず一つには文化的基本インフラの整備,そして,それが一つの方向性をきちんと持っていると。文化の未来を守る,あるいは,文化芸術の活動を守る,そういう守るという方向性をきちんと持っているということ。そして,それが「新しい公共」として皆さんに浸透していくと,そういう形を考えていかなければいけない。同時にそういう基盤の上に立った民間の活動の活性化ということをねらうべきだと。先ほども申しましたように,民間が利益を上げれば国も潤うわけです。ですから,そこに文化がいい形でかみ合っていくと。かみ合っていくというか,基盤を整えていくというのが国の役目であると思っております。
 以上でございます。
【宮田部会長】
 ありがとうございました。
 文化は一つの方向性であるということ,それから基盤の強化ですね,その辺のところはよくわかりました。それから,先ほどの後藤先生と共通しているところは,結果的には産業が,そして,民が潤うことが大きな活性化になる,そして,それはもともとの文化の部分というか,文化力ができ上がるというふうなことでございますね。ありがとうございました。
 お三方の先生方,大変ご苦労さまでございました。とてもいいお話をいただきました。
 さて,せっかくきょう先生方にお出でいただいております,今お話いただいた3人のお話も踏まえ,それぞれの先生方でプラスアルファ,また,こういうこともというふうなことも含めてお話をいただけたら幸いかなと思っております。どなたでも結構です。
 私の仕事はタイムキーパーみたいな部分もありますので,それぞれ5分ぐらいをめどによろしくお願い申し上げます。
【堤委員】
 ありがとうございます。今すばらしいお話をたくさん聞かせていただきまして,大変勉強になりましたし,すごいなと思って感服しておりました。私は全く違う観点からお考えいただきたいなと思って発言させていただきたいと思います。
 私は,文化芸術,芸術文化,どちらでもいいのですけれども,ある意味では人間生活にとってのプラスアルファのものだと思うのですね。着るものとか食べるものではなくて,もちろんそれも文化になりますけれども,そこから何か別なすばらしいものをつくり上げていく,人間の基本的な美を求める,そういう形のものだと思うのですね。ですから,そういう政策とかはすばらしいとか思うのですけれども,そこで一番基になるのは個人なのではないかなと,その人そのものなのではないか,人間環境なのではないか,そういうことを思います。
 ということは,文化というのは個人的な活力だと思うのですね。そこは下からというか,個々の人が集まって,それが10人になり20人になり30人になり,市になり,県になり,国になる,そういうふうに文化というのは広がっていくのではないかなと思います。音楽でも演劇でも伝統芸能にしても,基にだれかが何かをつくることによって文化というものが生まれてくると思うのですね。ですから,国の政策としてそういう土壌をつくる,そういう環境をつくる,そういうものをエンカレッジする,そういう姿勢というのをお考えいただけたらすばらしいなと思います。
 文化庁というのは文部科学省と非常に密接な関係にあるわけなので,教育というものが非常に大事だと思うのですね。教育というのは何かを教えるということではなくて,例えばだれかが何か問題にぶつかったとき,何かを考えなければいけないとき,そのときに正しい判断力,先ほど民放でくだらない番組が多いと。私も長く外国をいろいろ見てきましたので,確かにそういうこともあるかもしれないけれども,もしくだらないと思ったら見なくてもいいわけですね。そこで見てしまうというのは,そういうときに個人的な判断,これは本当に価値のあるものだ,これは価値のないものだ,では見ない,見る,自分でつくると。そういうときにも教育というものが個々の自分をつくっていく,そういう教育というものがこれから非常に大事になってくるのではないかと思います。
 最後に一つ,私がいつも思っているのは,文化というのは,非常に大きなものもあるし,美しいものもあるし,高いものもあるし,いろいろなものがございますけれども,ある意味で私たちが毎日生きている,ここに文化というのはあると思うのですね。例えを一つ申し上げさせていただきますと,あるとき私の学校に韓国から指揮者とそのアシスタントの方が見えました。いろいろお話したりしてご飯でも食べようかということでおそば屋さんに行きまして,みんなでおそばを食べたのです。お箸が出てきますね,お箸は大体カバーに入っています。私は食べ終わったお話をまたカバーに戻したわけです。それを見ていた指揮者の方が「あ,これが日本の文化なのだ,これはすばらしい。韓国はこういうあれはない。食べたらその箸はそのままだ」と。私は非常に感心いたしました。これが綿々と続いている日本の文化なのだなということ。
 ですから,もちろん文化の大きな政策も大事ですし,大きなものを求める,強いものを求める,何でもいいのですけれども,やはり基になるのは自分たちの周りにあるものからだんだん豊かになっていくのが本当の文化なのではないかと私は思いますので,いろいろ政策などを考えていただくときにそういう面も考えていただけたらと思いまして,発言させていただきました。
【宮田部会長】
 堤先生,ありがとうございました。
 教育ですね。これがまた数値であらわれにくいところで,私もいつも悩んでいるところでございます。 はい,西村先生,お願いいたします。
【西村委員】
 3点ほど申し上げたいと思います。
 私は文化財を扱っているところにいるので,そういう分野に偏るかもしれませんが,一つは,国が公共政策をやることはなぜ必要かという質問があって,恐らくこれは,今の政権が地方主権ということを言っているので,地域主権の中で国が何をやる必要があるかという問いだろうと思いますが,一つは,少なくとも文化財に関して全体像を示すことは地域にはできないので,明らかに国がやる必要があるのではないか。もう一つは,各地域の文化的な多様性を守るのはやはり国の役割ですから,その意味でも国でもやる必要があると。もう一つは,先ほど後藤先生もおっしゃいましたけれども,文化と芸術へのアクセスを保障するということからも,これはやっぱり国がやる必要があるということははっきり言えるのではないかと思うのですね。それが1点目であります。
 2点目の「新しい公共」,これも新しい政権の一つの主張なわけですけれども,文化財の側からいうと,これから文化財の裾野を広げていくときに非常に重要な課題だと思うのですけれども,これは公共だけではやりきれない仕事だと思うのですね。やはりいろんな人の力を借りないといけないので,その意味でも「新しい公共」というのは必要ではないか。
 と言いますのは,日本の文化財の行政というのは,戦後は1960年の文化財保護法から始まるわけですけれども,その数を限定して,守るべきものはきちんと国が責任を持って守ると,優品主義と言われますけれども,そういうものに頼らざるを得なかった。当時の時代から,そういう背景があると思うのです。それが徐々に登録文化財や文化的景観に広がってはきましたけれども,基本的な法的な仕組みは,数を限って,しかし指定したものに関してはきちんと守る。きちんと守るということは財政的な支援をするということですけれども,それだけではなかなかやりきらない時代になってきたのではないかと思うのですね。
 例えば,今,歴史文化基本構想などでやられているようなことは,もっと裾野を広げていくことであって,これは行政がいかに守るかというよりも,いかに意識を広げていくかということにかかわってくるわけで,そこには民間またはNPOのこれに関心がある人たちの力を結集する必要があるだろうと思うのです。また,そのほかに文化財を何らかの形で公的に使うとか,指定管理者制度をうまく使うとか,裾野の文化財の相続税を何らかの形で物納で代えてもらうとか,ナショナルトラスト的な仕組みを入れていくというような,さまざまなところでの制度的なバックアップを国はやる必要があって。でも,主体はかなりの部分が「新しい公共」の部分になっていくのではないかという意味で,文化財の裾野を広げていくときに重要ではないかなと思っています。
 それから,3番目は省庁間の連携です。先ほどもありましたけれども,ようやく歴史まちづくり法などで,いろんなところの垣根が少しずつ取り払われてきて非常にいい方向だと思うのですね。ただ,私が見ていても,例えば土地の中に文化財としての線が引かれていて,文化財に指定されたところの内側は文化庁がやるけれども,その外側は全然違う省庁の管轄になっていたり,なかなか意見が及ばないところが多い。例えばバッファーゾーンみたいなものも日本の仕組みの中でまだないわけですよね。世界遺産ではあるのに,日本の中にはない。
 そういうことをきちんとやるのは,歴史まちづくり法みたいなものの中で大きなマスタープランをつくって,そのマスタープランの中にきちんと文化を入れていく。つまり,地域政策の中に文化を入れていくということが非常に重要なのだろうと思うのですね。そこで,例えば今やられているような歴史まちづくり法をもうちょっときちんとした形で動かしていったり,ほかの省庁でできない,文化庁でしかできないことは価値付けなんですね。いろんなことにお金を出すことはできるけれども,何が重要かということを価値付けすることはこの省庁しかできないわけだから,もうちょっときちんとした形でのうまい仕組みの中に価値付けというところで入り込めるのではないか。
 また,歴史文化基本構想を今やっていらっしゃるわけだけれども,モデル事業の域をまだ出ないような感じがするのですね。せっかく歴史まちづくり法が動いているわけだから,歴史文化を基本としたマスタープランを全国でつくらないといけないような仕組みをつくっていって,その中にきちんと文化を価値付けしていく。そして,裾野の文化財を入れていくということをやっていけば,非常に大きな文化政策をこの国全体に広げることができるのではないかと思うのですね。そういう制度の拡張が必要ではないかなと思います。
 以上です。
【宮田部会長】
 ありがとうございました。
 国の必要性,文化財の裾野を広げる,そして,価値付けですね,こういうことができるのは文化庁しかないのではないかと。ありがとうございます。
 せっかくですので,全員の先生方にお願いしたいと思っております。
 増田先生。
【増田委員】
 私は今までの先生みたいな具体的なところではなくて,私立大学で教育に携わっている立場から,先ほどの堤委員のようなお話にもなりますけれども,歴史とか文化を勉強している学生は就職率が極めて悪いのですね。極めて悪いのです。だから,学生が来ないし,親がそういうところに学生を送り込まない。そうすると,先ほど堤委員が言っていたように,個人的にそういうところに興味を持つ,基盤を持つ社会的人材が育たない。文化庁はそういう役所ではないかもしれませんけれども,文部科学省のほうに,大学の中に歴史とか文化とか,昔の文学部関係に特に協調して激励するような政策をしてもらえないかなというような個人的な感覚があります。かなり切実にそう思っています。
 それは学生だけではなくて,今,社会人である,子どもを持っている親が行かせないのですね。そんなところに行ったって就職ならないから工学部へ行きなさいと。偏差値が高いのにどうして文学部なんか行くのというような状況なので,それが日本の文化の下支えをかなり減らしていると思うのですね。江戸時代などでは,士農工商といって,お侍の中で文化人がたくさんいるのですけれども,それは文化ということに対して興味を持つような土壌があって,かつ,財政的な下支えがあるから,旗本などにもおもしろい人がたくさんいて江戸文化を支えていたと思うのです。
 そういうような基本をつくることに,文化庁が意見とか具体的に力を及ぼすことができないのかなというようなことを,堤委員の意見を聞きながら思ったものですから,発言させていただきました。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 私の大学のことを言われているのかと。倍率はそんな減ってないような気もするのです。でも,先生,本当におっしゃるとおりですね。親が子どもに話すときに,非常にたわいもない話で自分が選択肢を決められていくという現状というのは実際ございますものね。大事なことだと思います。 それでは,吉本先生,お願いします。
【吉本委員】
 きょうの論点の下から2つの「新しい公共」のことと省庁間の連携の話について意見を述べさせていただきたいと思います。
 つい先日,私は徳島の吉野川市というところに行っておりました。そこに山川アメニティセンターという小さなホールがありまして,そこを指定管理者制度で元気やまかわネットワークというNPOが運営しているのですね。指定管理者制度で民間が入るとなかなかうまくいかないのですけれども,そこは私の経験では初めてこういうやり方があるのだということですごくびっくりした例なのです。どういう事業かと言いますと,これは地域創造と共同で実施したものなのですが,若い演奏家をホールに連れて行ってリサイタルを行うわけですけれども,その前に小学校に行ったり,老人ホームへ行ったり,リハビリセンターに行ったりするという,いわゆるアウトリーチを6回ほどやって,最後,リサイタルをやるという仕組みです。
 そのときに,このNPOというのは,決して文化だけではなくいろんなことをやっていまして,そのNPOがキーステーションになっているために,医療の現場とか福祉の現場とかと芸術をつなぐということは非常にスムーズに行われているのですね。なおかつ,そこはまちづくりをやっていまして,地元に高越山(こおつさん)というのがありまして,一番上に高越寺というのがあるのですね。そこは非常に急な山なものですから,山伏の伝説があって,それが途絶えてしまっている。そういうものを復旧させようということで,演奏会の本番には,開演ベルの代わりに山伏の装束を着た人がほら貝を吹くというようなことなど,いろんなことをやっています。
 つまり,私が何を言いたいかというと,その事例で学んだことは,まさしくそれが「新しい公共」のひとつのモデルと思ったのです。エリアは小さいけれども,「新しい公共」というのは,個人がかかわったり,民間がかかわったり,もちろん町が応援していますから,いろんなセクターを巻き込みながら,なおかつ,文化を軸にしていろんな政策領域をつないでいくようなことをやっている事例をつぶさに見ました。その高越寺に登っていく途中に空き地のようなところがあって,そこが登山道の途中のごみ捨て場になっていたそうなのですが,それを全部きれいにして500本の桜を植えて観光名所にしようとか。そうすると高越寺への登山道の環境整備ができるとか。そういうふうに様々なことを巻き込んでいっているのですね。その中心になっているのが文化というキーワードだと思うのです。
 今日の資料では,「新しい公共」とはどのようなことかという論点の立て方になっているのですけれども,むしろここは文化を軸にして「新しい公共」をどうつくっていくのかという視点で,この審議会で議論したほうがいいのではないかと思います。つまり,今や国や地方公共団体,民間,個人と書かれていますけれども,国とか地方公共団体という,いわゆる従来の公共と考えられていたところだけでは文化というのは振興できないと思いますので,それを前提として,「新しい公共」というのはいろんな政策分野でこれから考えなければいけない仕組みだと思うのですね。けれども,それを一番やりやすい,あるいは他の領域をも牽引できるのが文化という領域ではないかなと思います。
 それから,2点目の省庁間の連携ということですけれども,これからは,本当に省庁間の連携をしないと,今の文化を軸にしたさまざまな政策というのは進められないと思います。先ほど後藤委員から発言のありました,例えば創造産業の推進ですね。私,シンガポールに行って取材をしたのですけれども,情報・コミュニケーション・芸術省(Ministry of Information Communications and the Arts)というところが中心になってやっているのですね。
 創造産業の人材育成を考えなければいけないということで,教育省と連携し,その人材をどうやって雇用に結びつけるかということで,労働省と連携しというようなことで,各省庁が連携し,なおかつ,外郭団体全部合わせると16の国の機関と,その情報・コミュニケーション・芸術省の創造産業担当の方は交渉しながら創造産業政策に取り組んでいるのですね。話を聞くと,3年間,なぜ創造産業がこれから重要かということを他の省庁や関連部局に説得し続けるのが仕事だったそうです。労働省にいきなり行っても全然わかってもらえないと。でも,しぶとく説得して,今シンガポールは創造産業の分野別の人材育成についても,ものすごく詳しいカリキュラムのようなものができていて,実際それをとるとある資格が与えられてその産業に就職できると,そういう仕組みまで組み立てられているのですね。
 そういう連携はやらなければいけないと思うのですけれども,もう一つ,同時に私が思うのは,前回も文化省という話が随分出たのですけれども,私もそれは賛成なのです。でも,文化だけで省になるというのはなかなか厳しいのではないかと。例えば,今のシンガポールは情報・コミュニケーション・芸術省という,関連のあるものが一緒になることで,文化を軸にした省庁ができていますし,イギリスの場合は文化・メディア・スポーツ省で,これは割と新しくて,ブレア政権が誕生したときイギリスは国民遺産省(Department of National Heritage)という非常に古い感じの省だったのですが,これを文化とメディアとスポーツを一緒にしましょうとなりました。確かお隣の韓国は文化,観光というのを一緒にしていると思うのですね。ですから,文化というものに親和性のある政策領域をくっつけて省庁にしていくというようなことを,連携ではなくて,もう少し強く打ち出す方法があるのではないかと。
 私がイギリスの方に聞いた話ですと,ブレア政権が文化・メディア・スポーツ省をつくり,創造産業というのを打ち出していったときにもう一つ重要なことをやったそうです。2004年の,ちょっと古いデータなのですけれども,全省庁に占める文化・メディア・スポーツ省の予算割合は0.4%だったのですね。ですから,文化大臣というのは閣議に出られなかったそうなのですけれども,それをブレア首相は閣議に出る大臣に位置づけたそうです。ですから,例えば玉井長官が閣議に出るようになっていただくだけで,文化庁というか,文化というものが国の中心施策になって,省庁間の連携を進めるというようなことになるのではないかと思いました。
 以上,2点提案させてもらいました。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 ちょっと私事ですが,先般,NHKの『視点・論点』でも述べさせてもらいました。私は文化財産省をつくれと。財産省というのは,すべての文化が,産業の話もしましたけれども,財産になることであると。だから,当然観光も含める,そこにはスポーツも含める,いろんなことを含めたものでつくり上げることが大事なのではないかということを述べさせてもらった。
 それと,先生方のお話は大変ありがたい,すばらしいと思うのだけれども,聞いている人がみんな同じ仲間なのだよね。ここが問題なんでね。これを違う仲間に伝えるということが必要になってくるので,今の吉本先生のお話ではないですが,長官,お願いいします。と同時に,私どもも相当いろんなところへ伝えていくと。特に省庁の中ではお隣の財務省等々には常にこの論理を伝えていくという仕事を行商人としてやりたいと,かように思っております。
 この間,ビートルズが録音する建物が,二百何曲もつくった,そんなのを壊すといったときに,文化メディア・スポーツ省というテロップがテレビに出たのですよ。日本でもああいうふうにテロップがぱっと出るときに文化財産省,いや,ほかの名前でも結構ですよ,つまり,総合されたものが出てきたらもっと力になるのかなという気がいたしました。頑張りましょう。
 ほかにいかがでしょうか。浜野先生,どうぞ。
【浜野委員】
 国と民間の関係なのですが,日本の企業ですら,日本の市場だけをあてにしていないといいます。民間が背負わざるを得ない市場原理主義というのはそういうもので,彼らは日本の市場を無視してでも生きていかなければならない。でも,文化ということを考えるとそういうわけにはいかない。市場という観点からすると一人ひとりは消費者にしかすぎず,海外の文化的な財の消費者にすぎないかもしれませんが,わが国の文化という点からすれば,文化を担い継承する主体です。だから,国がやるべきことはちゃんとやらないと,民間の力とか市場の力を活用するといっても,市場としての日本の魅力がなくなれば,日本の企業ですら目を向けてくれないでしょう。企業人は日本がなくたって生きていかざるを得ないという心積もりでしょうから,文化として国の関与すべきところは大きいと思います。
 その点で文化芸術振興ということを考えると,博物館などで保護する対象をふやすのではなくて,今生きている表現が生きたままに使われて,自己表現として残っていくことが大事だと思います。小林一三が言っていますが,「君が代ですら五線紙に書いている。邦楽では自己表現しなくなったから,宝塚は洋楽でやるのだ」と。表現を引き出せるものこそが文化の核であって,日本人が表現したいという日本の手段を政策的に弱体化してきたように思います。明治維新の時に,文部省は西洋音楽だけを日本の学校教育で教えるとして,小林一三が言う通り我々は邦楽で自己表現できなくなってしまったわけです。
 そういうことも含めて,新たな表現を生み出す試みも支援しつつも,生きている表現も守っていくことが大事だと思います。経済的価値だけで測れば,あるべきところにある文化財,たとえば道端にあるお地蔵さんや,寺にある仏像を盗んでいく行為に結びつく。それがあるべきところにあるようにしていく国民の意識を高めていくことが,文化芸術振興ではないのかと思います。保護対象がふえて,それを保護しているからよいということではなくて,文化芸術が自分たちの生活の中にあることこそが大事だと思います。
 最後に,資料6の最後のページですが,大きな間違いがあります。一番下の行に,「文科省」ではなくて,「文化省」なんですが,「科」が間違っていて。これは意図的な間違いではないですから。新たな文化省でやらないといけないのではないかと。これまでに各先生方が「これは文科省で,これは経済産業省で」と,エクスキューズしてからしかしゃべれなくて,総合的にパワーを結集して何か発言できないというのは大変もったいないことで,思ったことを一括的にできる,力を集結できるような配慮をしていただきたいと思います。
 以上です。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 先ほどの浜野先生のお話でいくと,例えば西洋音楽から云々というと,うちの大学の話で恐縮なのですが,伊澤修二という初代の校長は西洋音楽を吸収してきた。しかし,その後育てた子どもたち,例えば滝廉太郎とかは日本の歌曲,童謡,唱歌,そちらのほうに転化して持っていく。そうすると,日本の文化と西洋などにあるものとをうまく融合させて,あの当時ですが,現在に合っているというものをつくり上げていくという,その日本の醸造力みたいものがあると思うのですね。それの再発見ということを今の浜野先生のお話の中から感じることができますね。大事なことではないでしょうか。ありがとうございます。
 次に加藤先生,お願いいたします。
【加藤委員】
 私は民間論者なので,国が文化にかかわるということには基本的にあまりいいことだと思っていないというか,懸念も持っています。それは青柳先生も最初にご指摘になったと思いますけれども,文化政策というものについてはいろいろと心配事もありますね。とはいえ,国のやるべき役割は当然あると思ってもいます。そういう意味では,国と民との役割のあり方ということを,さっき吉本さんがおっしゃられた文化を中心にして「新しい公共」をどうつくるかということを考えていく必要があるだろうと思います。
 そういう意味では,国が文化といったときに少し幅広く考えて,先ほどの創造産業,後藤先生のご指摘など,あるいは特に観光ですね,あるいは地域の振興,そういうことと結びつけてあるビジョンを提示するということは必要だろうなと思っていますし,特に基盤整備を進めるべきだという点については大変賛成なのですが,後藤先生のレポートは非常によくできていると思いまして,そこに二,三つけ加えるとすると,クリエイティブ産業のイギリスの分類,非常におもしろいのですが,これは衣と住はあって食がないのですよね。こういうところがいかにも食のないイギリスらしいと言えばイギリスらしいと思うのですけれども。例えば食も含めてもうちょっと幅広いクリエイティブ産業を考えていく必要があるでしょう。
 それから,基盤整備ということで言えば,歴史まちづくり法,その他幾つかご指摘ありましたが,耐震を含むインフラを整備していくのだという意味においては,今取り沙汰されている劇場法がもしかすると既存の文化施設の活性化法だとすると,同時に幅広い地域の歴史的な遺産を今日にまさに創造的に生かすという意味では,地域創造拠点を振興していくような法体系というのか制度設計というのか,そういうことが必要になってくるのではないかというふうに思っています。
 そうした中で,文化を中心とした,文化だけではない,経済の振興やら観光の振興,教育,そうしたものを含めた新しい文化省,文化観光創造産業省みたいなものでしょうか,そうしたものをつくっていくとして,それはぜひそうした方向で検討されたほうがいいと思いますが,同時に,文化のコンテンツというか,中身そのものに国があまり関与すべきではないという観点から言うと,文化を振興していく実際の施策を運用していくには,別途,アーツ・カウンシルのようなシステムが同時に必要なのではないでしょうか。そういう意味で,文化省の設立があるとしたら,国から独立した機関の設立も同時に必要でしょう。今あるいろいろな諸制度を改革することによって可能な部分もあるかもしれませんが,新たにつくる必要があるかもしれない。
 それから,細かい話ですが,“Percent for Art”を後藤先生がお出しになっておられて,かねてから私が非常に不思議に思っていることの一つは,いわゆるハードをさまざまに世の中につくった場合に,部分的にその中にアートを入れていこうというのが“Percent for Art”なんですけれども,そもそも文化施設をつくったときに,この“Percent for Art”の考え方が全くないのではなかろうか。
 つまり,とりあえずつくれば安心してそれでよろしいということで,100億かけて施設をつくったら,10億ぐらいのランニングコストは当然かかるはずなのに,その部分について全く考慮されていないという点は非常に不可解で,文化施設のソフト確保のため,それが創造ということを担保するということだと思うのですが,そうした面で施設づくりの際の施策ということが当然必要だろうし,これからできてくる施設はあまり多くないと思うので,過去にさかのぼって施設をつくってしまったものは責任を果たす必要があるでしょう。もちろん地方の自治体がつくられた文化施設が多いという意味から考えると,その財源をどうやって確保していくかということはもちろん考えられていくべきことです。
 経済に身を置いている人間から見ると不可解なことが幾つも世の中にありますが,一方で,後藤先生のお出しになったクリエイティブ産業の定義が極めて興味深いのです。それは,創造とビジネスとの契約による結合だということをおっしゃっておられて,ここに「契約」という言葉が入っているのですけれども,最近我々は「コンパクト経済」という経済的な新しい概念を提案しています。いわゆる大きな市場レベルでの経済ではない,地域においては規模が小さいけれども,創造とビジネスが結びついたような経済のあり方ということは十分考えられる。そういう意味で,地方のクリエイティブ産業の可能性には大変強い関心を持っておりまして,古くて新しい経済というものをもう一度,部分的に復活することは十分可能だと思います。それによってグローバルな市場経済がなくなるわけではないし,それとの割合の問題はあるでしょうけれども,地方においては新しい経済の考え方,今ここで詳しくご説明しませんが,そうした考え方も必要になってくるのではないかなと思います。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 コンパクト経済ね。 では,次いきましょう。 高萩先生,お願いいたします。
【高萩委員】
 前半の「文化芸術振興は国民にとって必要だ。」というのは,よくわかったと思うのです。後半の2つについて話します。まず一つめ「国が行うということについて」。先ほどから後藤さん,吉本さんが,海外の例を出してお話になっています。海外,海外というと,なぜ海外なのだという意見があると思うのです。しかし,この国際化が進んだ時代に海外の国の政策との比較は必要です。日本の地方というのは,海に囲まれ,直接外国と接していない分なかなか国際的になりきらないという特徴があります。はっきり言って日本自体は5年前,10年前よりも少しずつはよくなってきていると思います。特に芸術関係のところは少しずつよくなってきているのですね。
 そんな中で今一番国に行ってほしいのは,このままいくと10年後にどうなるのか,20年後にどうなるのかということについて,きっちりほかの国の政策と比べた上で,同じ轍を踏まないようにするということではないか。つまり,ほかの国ではこういうことをやったからこうなりましたよ,こういうような状況にあった国はこうなりましたよという風に知らせるべきだと思います。今はある程度は予測がつくわけですよね。新しい施策を取り入れたところはこういうふうになりました,そのままやったところはこうなりましたということについて,それをちゃんと知らしめるということは非常に大事なのではないかと思います。
 IT産業の育成において日本は一時期非常におくれていたわけですね。何周もおくれているということで大きなプロジェクトが行われて,今日本は通信速度が速くなることによって追いついたし,先をいっている部分がある。また追い越されている部分もあるかもしれませんけれども。今,文化政策をほかの国ではどういうふうにやっているか,何年か前にどういうことが行われたので,今どうなっているかということをきちんと説明することは,地方分権化の時代に国が行う意義があると思います。ぜひそこら辺はきっちりやってほしいと思っています。
 次に「新しい公共」の部分です。「新しい公共」と言うからには「古い公共」は何なんのかと考えてみます。役所の仕事はお上に任せておけばいい。役人とか官僚の人たちが適当にやってくれるから,税金さえ払っておけば,市民は普通にしていれば,何とかよくしてくれるのではないかというのが,「古い公共」。「新しい公共」を担うのは,役人とか官僚だけではなくて,そこに専門家が入り,市民が参加していく形だろうと思うのです。
 さっき加藤さんがおっしゃったような,文化芸術に関しては指標の作り方とかがほかの分野と異なる。あまり特殊性を強調するのはよくないのかもしれないけれども,やっぱり難しいのだと思うのです。産業育成などとは違って,何年間か投資をすれば,国のお金は要らなくなるということではないわけです。文化芸術政策は,教育分野とか科学技術関係の実験とか基礎教育みたいなものとちょっと似ていると思います。常に耕していることが必要な分野に関して指標を出したりというのは結構難しい。そうすると専門家の人がきっちり入っていく。そういう制度をぜひ,作って欲しい。指標づくりも含めてそれぞれ専門家が関わる日本版アーツ・カウンシルというのが一番いいのかと思うのです。専門家の人だけではなくて,専門家の人と官僚機構がうまく混ざり合ったような形で,助成金の配り方,評価指標作りを行う何らかの組織がうまくいくのではないかなと思います。
 それから,推進体制のことですけれども,いろんな形をまとめて文化省みたいなことをつくっていくほうがいいのだろうと思います。それと同時に,ほかの省庁にまたがったことを全部文化省が取り入れちゃうというのはやっぱり無理だと思うので,改めて文化省を代表した方がほかの省庁との連携機関みたいなものを,国家文化戦略室とか,「戦略」とつくとものものしいのですが,何らかの省庁間連携の組織をきっちり提案したほうが良いと思います。文化省をつくったらそれでおしまいということではないほうがうまくいくのではないかと思います。
【宮田部会長】
 ありがとうございました。
 他国の比較というのは大事ですよね。どこかがやっているから云々ではなくて,分析も含めて。ありがたいことだと思います。
 里中先生,お願いします。
【里中委員】
 「文化省」でも,何かついてもいいのですけれども,ちゃんとした省という言い方をすると,今ちゃんとした庁ではないみたいな言い方で申しわけないのですけれども,やっぱり我が国はこういうことに力を入れているのだという外に対する見せ方というのもあると思うのですよね。外の感想なり判断基準がまわり回って日本国民全体に我が国ってこうなのだなと。割と日本人のくせとして外から言われることを気にしたり,外から褒められるとすごくうれしくなったりとか,どうもそういう性格なようですから,外にどう見えるかということをもう少し客観的に見て,国全体の形をつくっていくというのも必要かなと思っております。
 また,先ほど来,「新しい公共」に対して「古い公共」は何かと。確かに「新しい公共」といきなり言われてもよくわからないのですよね。そのうち消えてしまう言葉なのかなと思ったりするのですよ。でも,私たち全員,そういう言葉が出てくることで,では「古い公共」というのは何だったのかなということで考えますよね。このことが大事だと思うのですよね。
 私なりに考えたのは,以前,「公共」というと,継続性があって,一度つくり上げられたシステムなりものなりは滅びないものだと,国とともにずっと存続するものだというようなイメージでとらえておりました。だけど,「新しい公共」というのは,かかわる人みんな,国民みんなが育て支えていかないとなくなってしまうシステムかもしれないと,そういう危機感を伴って,おどかすわけではないのですけれども,お上に任せておいとくだけではだめなのだよ,消えちゃうかもしれないよというにおいをぷんぷんさせながら,何か投げかけるシステムが必要だと思います。
 あと,教育の場で,振り返ってみますと,大学で文学部に入っても役に立たない,何が役に立つか立たないかでずっと子どものお尻をたたいて,企業もお役所もきっとそうだと思うのですけれども,人の力を測る目安としてテスト,それも知識のテストしかないわけです。その知識も採点しやすい知識でずっときたわけですよね。その中で個性を発揮したり独自の意見を言えたりという子は,よほど勇気のある子かよほど鈍い子かのどっちかだったんですよね。だから,親としては子どもが将来食べていけなくなるかもしれないということは,親の本能として一番心配なものですから,なるべく間違った道にいかないようにと思うのでしょうね。地に足のついた生き方ということで,確実に職につけて,確実に一生食べていけるという道を選ばせたがる。これは昔から変わらないわけですよ。
 ただ,かなり幼い時期に文化芸術に触れる喜びとか,それによって感動したり,充実感を味わうと,抜けられなくなるんです。でも,学校教育の中で,大昔よりは多少よくなったのですけれども,文化芸術に触れる時間というのが余りにも低く見られていたがゆえに,点数に反映されない教育内容というのはどんどん削られてきちゃったわけですよね。しまいには知識という概念すらあやふやになってきた。どういうわけか円周率は約3で認識しておけばいいとか恐ろしくなっちゃうのですけれども,学校教育,特に義務教育の中でとりあえずは点数に反映する形じゃないと学校も力が入らないと思うのですけれども,何らかの教育のシステムの中に全面に入れて文化芸術に親しむ。親しめないと楽しみ方もわからないのですよ。ちょっと知っていてこそ,見て楽しめる,聴いて楽しめるというのがあるわけですね。だから,そこから入っていかないのですよね。そこが大変残念で。
 ただし,先ほどの増田委員のお話と違って,私はずっと大阪芸術大学というところに行っておりますが,幸いに生徒の志望率は高いのです。芸術大学に行こうという子は,先生のところもそうかもしれませんが,最初から食い扶持を期待しない子が多いのですね。親もそれにかけるわけですよ。ばけたときはすごいわけですよね。その万分の一の可能性にかけてみんな夢を見て入ってくるわけで,一般の総合大学の中の役に立つか立たないかという分野でいくと厳しいものがあると思います。ただ,芸術大学を出たからといって,すべてがプロの芸術家になれるわけではないので,そのときの覚悟というのがあるかどうか,これは個々の教育現場でたたき込んでいかなければいけないと思いますけれども。
 つまり,こういうことをやっていても食べていけないかもしれないというのがスリルに結びつくか,自分を試すことに結びつくか,それとも不安に結びつくかで,大いに違ってくる。だから結局は国全体の問題なのですよ。我が国は老後を安心して迎えられ,どんな病気になっても安心で,子どもの教育費もかからない,子ども,お年寄りの医療費の問題ですね,老後の生活の問題ですね,それが安心できる国であれば人はもっと伸び伸びと文化芸術に親しみ,知識を知恵にまで発展することができると思うのです。食べるのにやっとこさで,先がどうなるかわからないという不安ばかりでは文化を認める気持ちは育たない。一部の変わり者と勇気のある人と鈍い人が集まってこういう論議をして,お互いわかりあった者同士が,なんか本当にひどい言い方ですけれども,それで国に何とかしてほしいと言っていたって始まらないと思います。だからこそ,省になって。
【宮田部会長】
 お気持ちはよくわかります。里中委員のおっしゃるのは,外から見えるというのと外に見せる,「外」と「見える」という間にある言葉で全然違ってきますよね。このことはとても大事なことだと思っています。ありがとうございます。
いかがでしょうか,富山先生。
【富山委員】
 私は伝統の音楽のほうの専門家でございますので,文化芸術や経済学的に分析できるというのは初めて伺いまして,非常に勉強させていただきました。近代箏曲の祖と言われております八橋検校はバッハが生まれた年に亡くなったと言われております。また,三味線は1562年とか64年に日本に伝わってきたと言われております。そういうもので明治以前,つまり江戸時代をかけて今の形をつくり上げてきたわけですけれども,いろいろな国に参りますと,そのときに明治以前のものをやりますと,西洋の音楽家から非常に高い評価を受けます。
 それが,明治以降に入りまして西洋の音楽の影響を受けたものを演奏しますと評価が低くなります。つまり,明治以降の西洋の音楽の影響を受けたものを持っていきますと,我々のやっているもののほうがもっとすばらしいものだと,影響を受けたということで彼らの評価が変わってくるわけです。これは演奏していまして,はっきりわかる反応です。彼ら自身,西洋音楽というものに非常な自信を持っている。そういうものの影響を受けていないものをあなたたちは持っているのだということで評価されるということだと思います。
 地方に参りますと,伝統芸能と言われるような,例えば神楽とかいうようものでも地方で延々と,地方の人たちがそこの地域だけでやっているようなものもたくさん残っております。そういうものも外国の旅行者なんかが来て見ますと非常な感銘を受けます。そういうものを我々としては利用していくべきではないか。そういうことを考えていくべきではないかなと思います。
 以上です。
【宮田部会長】
 日本文化の再発見というか,自信……。
【富山委員】
 そうですね。それは見てくださる方,聴いてくださる方の反応ですので。影響を受けたか受けないかで彼らはそれを敏感に感じるということだと思います。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 では,坪能先生,お願いいたします。
【坪能委員】
 いろいろな問題はあると思うのですが,その基になっているのはひとつ人材の問題,人ではないかと思っています。いろいろな仕事がありますが,文化芸術に対する,専門職がとにかく不足していると思います。国のほうも少ないと思いますが,地方自治体にいくともっと少ない。文化芸術系の大学をお出になった方もおられるんですけれども,文化芸術を語ったときに,皆さんといろいろなことを組み立てていくというような役の人がとにかくいなすぎると思います。まずその設置を国のほうから始めていただくというのが一番だと思います。
 そういう人材はいないわけではないと思います。いいことをしているというか,立派な人というのは町の中にもたくさんおられます。それが文化芸術のいろいろなところに結びつかないというか,それを結びつけて力になりにくい。そういう状況をまず打破していく必要があるのではないか。それには教育とか人材を育てていく。今,アート・マネジメントという学科も頑張っておられますけれども,いろんな人たちが文化芸術に対して,指導,助言とか伝達をする役ではなくて,それらをサポートする人たちの力があることによって,情報の共有化とか,創造への共有化,活用できる,活性化,そういう方向に向かっていくのではないかと思うのです。
 ですから,システムとサポート体制というものを決めていかないと,一部の人が考えて,こうあるべきだと言っているだけで,現実的には文化芸術というのは十人十色で,地方にいくといろいろな考え方があります。そのどれが間違っているとか正しいとかというよりも,いろいろなものが育つだけの環境と,それをサポートするという体制がまずあって,その上に立って「新しい公共」の展開をどうするかという方向に進んでいただければよろしいのではないかと,こう思っております。
【宮田部会長】
 ありがとうございました。 田村先生,お願いいたします。
【田村部会長代理】
 私,実は1月に歌舞伎を拝見しました。とてもすばらしくて,歌舞伎だけあれば日本は良いのではないかと思ったくらいでございます。そのときに一番感じましたのは,歌舞伎の俳優さんは演技も踊りも楽器もすべておできになるのですね。それも小さいときからその中に育って身につけられていらっしゃるから素晴らしいということだと実感しました。先ほど皆様からも教育のお話が出ましたけれども,文化振興が何のために必要か,それは人間の子どもたちの創造性を育むため生きる力を育むために力あるからと思います。地域でも,国でも力を入れなくてはならないことと思います。
 それも総合的な文化振興が大切です,残念ながら省庁の,省庁間と言いますけれども,芸術界も同じであるような気がしております。そういう意味で小さいときから総合的に,魯山人の作品のように生活の中にある美というものは何かということを教えられるような教育,そういうものが大切,そんな力をもった上質な芸術を国が地方隅々まで届けてくださるということが一番大切ではないかと思っています。
【宮田部会長】
 ありがとうございます。
 先ほど長官もお話になる機会が必要だろうということがございました。ぜひひとつ……。
【玉井文化庁長官】
 ありがとうございました。
 前回から引き続いて示唆に富むご議論をいただいていると思っております。先ほど宮田先生が,文化が大切か,あるいは,教育が大切だと,ここでは通ずるけれどもという言葉を使い,まさにそうでありました。世の中に打って出たときに,皆さん教育にせよ文化にせよ大切であると総論はよろしいのですけれども,各論の具体的な施策になってきて,これをどうすると。特に財源論に結びついた瞬間に総論が単なる総論で終わってしまうというのが残念ながら今の状況ではないかなと思っております。
 今,総論のところに入ってきていますけれども,これをいずれまとめるときに,いかにここの人たち以外の人たちに説得力を持って示していくのか。多分これは論理と具体的な数字,あるいは,他国の比較とか,こういった説得力のあるものにしていかねばならないだろうと思いますので,きょうのご議論をいただきながら,我のほうも準備をいたしますし。それから,多分これからは具体論にそれぞれの分野で入ってきますけれども,この具体論がまた総論にフィードバックされる,それによって総論が裏打ちされると,そんな議論をしていっていただければ大変ありがたいかなと思いながら聞かせていただきました。
 ありがとうございました。
【宮田部会長】
 どうもありがとうございました。大変いいお話でした。
 本日は大変いいお話を先生方ありがとうございました。改めて感謝申し上げます。
 この後,6月までに一つの形をお示ししたいと思っております。今回の委員会のシステムとしては,それぞれワーキングをつくりながら,その中で集約させていくというふうな方向性を持っていきたいと思っておりますので,座長役の先生方におきましては,提言の集約というお仕事もぜひお願い申し上げたいと思います。
 ありがとうございます。議論は尽きないのですが,これにて終了というふうに考えております。
 今後の進め方でございます。恐縮ですが,ご提案させてください。次回は3月11日,第3回。第4回は3月23日の部会で,本日と同様な形で引き続き,「論点2,文化芸術振興のための基本的視点について」,それから,「3,文化芸術振興のための重点施策について」と。各回3~4名の委員の先生からご意見をいただき,それをベースに意見交換をすると。
 その後の審議の進め方でございますが,「3,文化芸術振興のための重点施策について」でありますが,文化芸術の振興策について専門的な審議を進めるために,この部会の下に,先ほど申しましたが,幾つかのワーキングを設置し審議を進めていくのがよいのではないかと考えております。そういう意味では,今,長官がおっしゃったようなことがまさしくここにあてはまるのではないかと思います。
 部会の委員の先生方におかれましては,いずれかのワーキンググループに入っていただきます。すみませんが,よろしくお願いします。そして,必要に応じてそれぞれの分野の専門家に専門委員としてご参加いただくというふうに考えております。ワーキングの種類,あるいは,具体的な審議の事項,人選等につきましては,恐縮ですが,私のほうで進めさせていただいてよろしゅうございますでしょうか。
 ありがとうございます。ご賛同いただいたと解釈させていただきます。事務局とも相談しながら,3月23日開催の第4回のこの部会でワーキンググループの分野,審議事項,人選を含めまして,ワーキンググループの設置について正式にお諮りしたいと思っておりますので,よろしくお願いします。
 事務局,この後,お伝えすることをお願いします。
【滝波企画調整官】
 ありがとうございました。
 今,部会長からご提案がありましたとおりのことで今後進めてまいりたいと思っております。なお,先ほど部会長からお話がございましたとおり,次回第3回のこの部会の開催は11日の(木),14:00からこの場所で行いたいと思っております。また,その次の第4回の部会につきましても,3月23日の(火),15:00から,同じくこの場所で行いたいと思っております。
 本日は本当にありがとうございました。
【宮田部会長】
 どうもご協力ありがとうございました。
ページの先頭に移動