大地からの手紙

日本は疲れています。日本は自信をなくしています。
日本人は彷徨さまよい続けています。

戦後,ものを作り,ものを売って高度経済成長を果たした日本は,この半世紀を爆走しながら,富の代わりに何を手放し,何を見失ってきたのでしょう。
無国籍風の若者たちが集う街では,崩れた日本語がはん濫し,乱れた性が行き交い,刹那せつな主義的なにぎやかさが日常の風景と化しています。
だが,楽しげに遊ぶ若者たちほど,ふと寂しげな表情を見せるのは何故なぜでしょう。
若者たちを横目で見ながら,「昔は良かった」と嘆く大人たちのまな差しの奥に,うずくような情熱が消えずに残っているのは何故なのでしょう。
若者たちも大人たちも,日本人すべてが,人生の土台となる「熱い何か」を探して,時代と闘っているのかもしれません。

その昔,小さなパン1個で,満たされいやされたことはありませんか?
飽食の昨今,ご走を食べながら,心の空腹を感じたことはありませんか?

富を得て,日本も,日本人も,お金で買えるものを買いすぎました。
衣食足りたあとの富は,時として人間をひょう変させ,礼節を忘れさせ,国の生命力さえもえさせます。
おなかをすかせた心に尋ねてみましょう。
「欲しいものは何ですか?」「それは,この目に見えるものですか?」

 狂想曲は鳴り終わりました。
立ち止まって,青空を見上げてみませんか。
 久しぶりに大地と話してみませんか。
日本は今,日本をよみがえらせる「日本人の熱いちから」を待っています。

ページの先頭に移動