テーマ「都市」について

 都市は近代文学のゆりかごだった。ディケンズのロンドン,バルザックのパリ,ドストエフスキーのペテルブルク――それぞれ,世界文学の輝かしい場所として記憶されている。日本の場合はどうだろうか? 京都,大阪,東京,さらに独自の風土の中で発展してきた地方都市の数々が,文学の舞台となってきた。
 都市は人々が出会っては別れ,希望と絶望が絡み合い,異質な要素がぶつかりあいながら,そこから新しい可能性を生み出す場であり,現代日本文学もまさにこの生成の現場につねにあった。今回選定された作品は,そういった都会の様々な様相を映し出す鏡になっているといえるだろう。そこには,大都会の喧騒も,小都市に生きる人たちの孤独も,庶民がたくましく生きる下町も,妖しい欲望が渦巻く風俗街も,敗戦直後の荒廃した首都も,近代的な大都会の郊外に広がるベッドタウンやゴミの墓場も――およそ都会とそこに生きる人間に関わるもののすべてがある。
 都会は輝かしい表層の奥に見通せない闇を抱えながら,貪欲な怪獣のようにあらゆる混乱と矛盾を飲み込んで成長していく。現代日本の小説もまたそこから莫大なエネルギーを吸収し,新たな人間関係や愛や家族のありかたを探り,それに見あうだけの新しい表現を切り拓いてきた。都会を舞台にしたこれらの小説が私たちに問いかけているのは,日本という国が第二次世界大戦後から現代にいたるまでの間にどのような新しい顔を獲得し,現代の日本人が何を失って何を達成し,そしてこれからどこへ向かおうとしているのか,ということではないだろうか。

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