第四話「間違いやすい敬語(1)~尊敬語 VS 謙譲語I」理解度チェックの解答

第1問 : (ア) 私のお考えを発表します。

「私のお考え」は「考え」の向かう先がなく尊敬語で,「私」を立てることになり,適切ではありません。「お料理」は美化語,「御説明」は「説明」という行為の向かう先(説明される人)を立てる謙譲語Iで,適切です。

第2問 : (イ) 適切ではない

「伺う」は,「尋ねる」の謙譲語Iの形で,お客さんの行為である「尋ねる」を謙譲語Iにすることは適切ではありません。適切な形は,「お尋ねください(尊敬語)」です。

第四話「間違いやすい敬語(1)~尊敬語 VS 謙譲語I」解説

【1】受付の人に,「担当者に伺ってください。」と言われたけれど,客に対する言い方としては,何だか妙な感じがしました。どこが変なのでしょうか。

【解説1】

「担当者に伺ってください」の「伺う」は謙譲語Iです。したがって,客の動作に用いる敬語ではありません。

客を立てるためには,尊敬語を用いる必要があります。この場合は,「担当者にお聞きください。」あるいは「担当者にお尋ねください。」とすれば良いでしょう。

【解説2】

「伺う」は謙譲語Iであって,「聞く・尋ねる」という動作の<向かう先>を立てる敬語です。したがって,「受付の人」側の人物である担当者を立ててしまうことになり,尋ねた客を立てる敬語とはなりません。

同様に,「お聞きする」「お尋ねする」といった敬語も,「伺う」と同じ謙譲語Iです。したがって,「担当者にお聞きしてください。」「担当者にお尋ねしてください。」なども「伺う」と同様に,客の動作に対しては用いることができません。

【2】「課長,そのファイルも会議室にお持ちしますか。」と尋ねたところ,「うん,よろしく頼むよ。」と言われてしまいました。私は自分が持っていくつもりではなく,上司である課長が持っていくかどうかを尋ねたかったのですが,どう言えば良かったのでしょうか。

【解説1】

課長が持っていくかどうかを尋ねたかったのであれば,「課長,そのファイルも会議室にお持ちになりますか。」と,尊敬語を用いるのが良いでしょう。

【解説2】

「お持ちする」は,謙譲語Iです。したがって,自分が持っていくかどうかを上司である課長に尋ねたことになってしまいます。だからこそ,課長もそのように反応したのでしょう。これも,尊敬語を使うべきところ謙譲語Iを用いてしまったために生じた問題です。

【3】「お知らせ」として配布された文書に,「来週の日曜日に消防設備等の点検に伺いますが,御在宅する必要はありません。」と書いてありました。どうも気になる言い方なのですが,どこが問題なのでしょうか。

【解説】

「御在宅する」に問題があります。「ご……する」は謙譲語Iを作る形式だからです。この場合は,在宅している相手を立てて表現したい場合ですから,「御在宅なさる必要…」あるいは,より簡潔に「御在宅の必要…」などと尊敬語を用いるべきです。

【4】自分のことに「お」や「御」を付けてはいけないと習ったような気がするのですが,「お待ちしています」や「御説明をしたいのですが」などと言うときに,自分の動作なのに,「お」や「御」を付けるのは,おかしくないのでしょうか。これは,どう考えれば良いのでしょうか。

【解説】

自分側の動作やものごとなどにも,「お」や「御」を付けることはあります。自分の動作やものごとでも,それが<向かう先>を立てる場合であれば,謙譲語Iとして,「(先生を)お待ちする。」「(山田さんに)御説明をしたい。」など,「お」や「御」を付けることには全く問題がありません。また「私のお菓子」など,美化語として用いる場合もあります。

「お」や「御」を自分のことに付けてはいけないのは,例えば,「私のお考え」「私の御旅行」など,自分側の動作やものごとを立ててしまう場合です。この場合は,結果として,自分側に尊敬語を用いてしまう誤用となります。

【5】尊敬語・謙譲語Iの働きに関する留意点

敬語のうち尊敬語と謙譲語Iは,ある人物を「立てて」述べる敬語です。すなわち,尊敬語は「相手側又は第三者の行為・ものごと・状態などについて,その人物を立てて述べる」敬語であり,謙譲語Iは「相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて,その向かう先を立てて述べる」敬語です。

実際の場面で尊敬語や謙譲語Iを使って人物を「立てて」述べようとする場合に留意すべき主な点は,次のとおりです。
(1)自分側は立てない。
(2)相手側を立てて述べるのが,典型的な使い方です。
(3)ア:第三者については,その人物や場面などを総合的に判断して,立てる方がふさわしい場合は,立てる。
(3)イ:自分から見れば,立てるのがふさわしいように見えても,「相手から見れば,立てる対象とは認識されないだろう」と思われる第三者については,立てない配慮が必要です。

【解説1:(1)について】

(1)の「自分側」には,「自分」だけではなく,例えば「自分の家族」のように,「自分にとって「ウチ」と認識すべき人物」も含めてとらえるものとします。

(1)は,例えば,他人と話す場合に「父は来週海外へいらっしゃいます。」などと述べるのは適切ではないということです。尊敬語「いらっしゃる」によって,自分側の「父」を立てることになるからです。「明日父のところに伺います。」と述べる場合も,謙譲語Iの「伺う」が<向かう先>を立てる働きを持つため,やはり自分側の「父」を立てることになり,これも不適切な使い方です。

このように,「自分側は立てない」というのが,尊敬語や謙譲語Iを使う場合の基本的な原則です。自分側のことについて述べる場合は,自分側を「立てる」結果になるような敬語は使わず,上記の例で言えば,それぞれ「父は来週海外へ行きます。」「明日父のところに行きます。」のように述べるのが一般的な述べ方です。

ただし,自分側のことを述べるために使うふさわしい敬語(謙譲語II)が別にある場合には,これを使うと,相手に対する丁重な述べ方になります。上記の例で言えば,「父は来週海外へ参ります。」「明日父のところに参ります。」が,それに当たる述べ方です。

【解説2:(2)について】

(2)の「相手側」には,「相手」だけではなく,例えば「相手の家族」のように,「相手にとって「ウチ」と認識される人物」も含めてとらえるものとします。(2)は,例えば「先生」やその家族と話す場合に,「先生は来週海外にいらっしゃるんでしたね。」あるいは「先生のところに伺いたいんですが……。」などと述べれば,相手側を立てることになり,このような使い方が尊敬語や謙譲語Iの典型的な使い方である,ということです。初めの例は,尊敬語によって<行為者>である「先生」を立てる例,後の例は,謙譲語Iによって<向かう先>である「先生」を立てる例です。人物や状況によっては,相手側を立てずに述べてもよい場合や,立てずに述べる方が親しみを出すことができるような場合ももちろんありますが,立てようとする場合の手段として,尊敬語や謙譲語Iがあるわけです。このように相手側を立てて述べるのが,尊敬語や謙譲語Iの最も典型的な使い方です。

【解説3:(3)について】

【(3)アについて】

例えば,「先生」やその家族と話すわけではなく,友人と話す場合にも,「先生は来週海外にいらっしゃるんでしたね。」「先生のところに伺いたいんですが……。」などと,「先生」を立てて述べることがあります。この場合の「先生」は,「相手側」ではなく「第三者」ですが,その人物や場面などを総合的に判断して「立てる方がふさわしい」ととらえられているわけです。

(3)アは,このような場合を述べたものです。尊敬語や謙譲語Iは,このように第三者を立てる場合にも使われます。

【(3)イについて】

上述の例の友人が,例えば,同じ「先生」の下で,一緒に学んだことがある友人なら,一般に,上述の例のように「先生」を立てた述べ方を聞いても,違和感を持たないでしょう。しかし,例えば,その友人の全く知らない人物で,自分だけが知っている人物のことを話題にする場合に,「高校の時の先輩が遊びにいらっしゃったんですけどね……。」などと立てて述べるとすると,聞いた友人は,自分の全く知らない人物を立てられることになり,ある種の違和感を持つ可能性があります。

このように,自分から見れば,立てるのがふさわしいように見えても,「相手から見れば,立てる対象とは認識されないだろう」と思われる第三者については,立てずに,この例で言えば,「昨日,高校の時の先輩が遊びに来たんですけどね,……。」と述べる方が適切です。(3)イは,このことを述べたものです。

(注)なお,例えば,上司のことを,更にその上司に述べる(例えば,課員が課長のことを部長に述べる)ような場合には,次の[1][2]の二通りの考え方ができます。[1]は,上記(3)イに従った考え方であり,[2]は,これとはまた別の原理に従った考え方です。

[1]部長から見れば,課長は,立てる対象とは認識されないであろうから,課長を立てずに述べるのがよいとする考え方
[2]部長から見れば,課長は,立てる対象とは認識されないであろうが,課員が課長を立てれば,それによって更に上の部長を立てることにもなるはずなので,課長を立ててよいとする考え方

どちらの考え方にも,理があると言えます。どちらを採るのがより適切かは,この三者(部長と課長と課員)の間の距離感や,状況などによっても変わってくると考えられます。

こうした点も含めて,(3)イをどこまで適用するかについては,個人差もあるようです。

【6】二つ以上の種類の敬語にわたる問題

(1)「お」と「御」

「お」あるいは「御」を付けて敬語にする場合の「お」と「御」の使い分けは,「お+和語」「御+漢語」が原則です。

【「お+和語」の例】
「お名前」「お忙しい」(尊敬語)
「お手紙」(立てるべき人からの手紙の場合は「尊敬語」,立てるべき人への手紙の場合は「謙譲語I」)
「お酒」(美化語)

【「御+漢語」の例】
「御住所」「御立派」(尊敬語)
「御説明」(立てるべき人からの説明の場合は「尊敬語」,立てるべき人への説明の場合は「謙譲語I」)
「御祝儀」(美化語)

ただし,美化語の場合は,「お料理」「お化粧」など,漢語の前でも「お」が好まれます。また,美化語の場合以外にも,「お加減」「お元気」(いずれも尊敬語で,「お+漢語」の例)など,変則的な場合もあるので,注意を要します。

なお,以上は名詞・形容詞などの例を挙げましたが,動詞の尊敬語の形「お(ご)……になる」「お(ご)……なさる」「お(ご)……くださる」,謙譲語Iの形「お(ご)……する」「お(ご)……申し上げる」,「謙譲語I」兼「謙譲語II」の形「お(ご)……いたす」などを作る場合についても,「お」「御」の使い分けは,「お+和語」「御+漢語」が原則です。また,いずれの場合についても,語によっては「お」「御」のなじまないものもあるので,注意を要します。

(2)「二重敬語」とその適否

一つの語について,同じ種類の敬語を二重に使ったものを「二重敬語」と言います。例えば,「お読みになられる」は,「読む」を「お読みになる」と尊敬語にした上で,更に尊敬語の「……れる」を加えたもので,二重敬語です。

「二重敬語」は,一般に適切ではないとされています。ただし,語によっては,習慣として定着しているものもあります。

【習慣として定着している二重敬語の例】
・(尊敬語)お召し上がりになる,お見えになる
・(謙譲語I)お伺いする,お伺いいたす,お伺い申し上げる

(3)「敬語連結」とその適否

二つ(以上)の語をそれぞれ敬語にして,接続助詞「て」でつなげたものは,上で言う「二重敬語」ではありません。このようなものを,ここでは「敬語連結」と呼ぶことにします。例えば,「お読みになっていらっしゃる」は,「読んでいる」の「読む」を「お読みになる」に,「いる」を「いらっしゃる」にしてつなげたものです。つまり,「読む」「いる」という二つの語をそれぞれ別々に敬語(この場合は尊敬語)にしてつなげたものなので,「二重敬語」には当たらず,「敬語連結」に当たります。

「敬語連結」は,多少の冗長感が生じる場合もありますが,個々の敬語の使い方が適切であり,かつ敬語同士の結び付きに意味的な不合理がない限りは,基本的に許容されるものです。

【許容される敬語連結の例】
・お読みになっていらっしゃる
(上述。「読んでいる」の「読む」「いる」をそれぞれ別々に尊敬語にしたもの。)

・お読みになってくださる
(「読んでくれる」の「読む」「くれる」をそれぞれ別々に尊敬語にしたもの。)

・お読みになっていただく
(「読んでもらう」の「読む」を尊敬語に,「もらう」を謙譲語Iにしたもの。尊敬語と謙譲語Iの連結であるが,立てる対象が一致しているので,意味的に不合理はなく,許容されます。)

・御案内してさしあげる
(「案内してあげる」の「案内する」「あげる」をそれぞれ別々に謙譲語Iにしたもの。)

【不適切な敬語連結の例】
・伺ってくださる・伺っていただく
(例えば「先生は私の家に伺ってくださった。」「先生に私の家に伺っていただいた。」は,「先生が私の家を訪ねる」ことを謙譲語I「伺う」で述べているため,「私」を立てることになる点が不適切であり,結果として「伺ってくださる」あるいは「伺っていただく」全体も不適切です。「隣の窓口で伺ってください。」のような「伺ってください」も,同様に,「隣の窓口」を立てることになるため,不適切です。)

(注)ただし,これらは,次のような限られた場合には,問題のない使い方となります。

[1]「田中さんが先生のところに伺ってくださいました。」,「田中さんに先生のところに伺っていただきました。」
[2]「鈴木さん,すみませんが,先生のところに伺ってくださいませんか。」


[1][2]では,「伺う」が<向かう先>の「先生」を立て,「くださる」あるいは「いただく」が「田中さん」や「鈴木さん」を立てています。また,「先生」に比べれば,「田中さん」や「鈴木さん」は,この文脈では「立てなくても失礼に当たらない人物」ととらえられている(例えば,[1][2]の文を述べている人と「田中さん」や「鈴木さん」が,共に「先生」の指導を受けた間柄であるなど),というような場合です。

このように,その行為の<向かう先>が「立てるべき人物」であって,かつ行為者が<向かう先>に比べれば「立てなくても失礼に当たらない人物」である,という条件を満たす場合に限っては,「伺ってくださる」「伺っていただく」などの形を使うことができます。

・御案内してくださる・御案内していただく
(例えば「先生は私を御案内してくださった。」「私は先生に御案内していただいた。」は,「先生が私を案内する」ことを謙譲語I「御案内する」で述べているため,「私」を立てることになる点が不適切であり,結果として「御案内してくださる」あるいは「御案内していただく」全体も不適切です。「して」を削除して「御案内くださる」「御案内いただく」とすれば,「お(ご)……くださる」「お(ご)……いただく」という適切な敬語のパターンを満たすため,適切な敬語となります。「……ください」の場合についても同様です。)


(注)ただし,この場合についても,例えば,次のような限られた場合には,問題のない使い方となります。事情は,先の「伺ってくださる・伺っていただく」の場合と同様です。

[1]「田中さんが先生を御案内してくださいました。」,「田中さんに先生を御案内していただきました。」
[2]「鈴木さん,すみませんが,先生を御案内してくださいませんか。」

付 敬語との関連で注意すべき助詞の問題

例えば,「自分が先生の指導を受けた」という内容を「くださる」あるいは「いただく」を使って述べる場合は,次のいずれかの形を使います。

・先生が(は)私を指導してくださった/御指導くださった。
・私が(は)先生に指導していただいた/御指導いただいた。


ここで「私」を表現しない場合は,次のようになります。

・先生が(は)指導してくださった/御指導くださった。
・先生に指導していただいた/御指導いただいた。


それぞれ,敬語でない形の「くれる」「もらう」に戻して考えれば,助詞が以上のようになるべきことは容易に理解できます。


これらの内容を述べるのに,次のように述べるのは不適切です。

・先生が(は)指導していただいた/御指導いただいた。


確かに「先生が指導する」という内容であるため,上記のような述べ方をしたくなる心理が働くところではありますが,上の文全体の動詞「いただく」は「もらう,受ける」意味ですから,指導を受ける側「私」を主語として述べ,「先生」の後には「に」を付けなければならないことになります。「私」が表現されない場合でも,この事情は変わりません。「先生が(は)指導していただいた/御指導いただいた。」と述べれば,「先生」が別の人物(例えば「先生の恩師」)の指導を受けたことになってしまいます。

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