日本語教育研究協議会 第3分科会

日時:平成16年8月4日(水)
文化庁

日本語教育研究協議会
第3分科会 「異文化間カウンセリングの活用 ―判断留保(エポケー)の実践―」
渡辺 文夫(上智大学文学部教育学科教授)

渡辺 どうもはじめまして,渡辺でございます。
 まだおいでになる方が多いようですので,数分遅れてから始めたいと思いますが,よろしいでしょうか。最初の出だしが肝心ですので,最初の部分で割と大事なことを申し上げようかなと思っていますので,ちょっとお待ちください。
 そろそろおいでになる方はおいでになったかなという感じですので始めたいと思いますが,先ほどの続きですが,もう2,3,このセッションを進めるに当たって皆さんに御了承をいただいておきたいことがございます。
 一つは,私の話し方なんです。この話し方はちょっと聞き取りにくい方もいらっしゃいますよね,恐らく。こういう話し方というのは,自然にこうなったとしか言いようがないんですが,それではこういう人様の前でお話しすることを仕事としている人間にとってはそれでは済みませんよね。皆さんもそういうお仕事をされている方がほとんどかと思いますが。私の場合は,実は意図的に変えないんですよね。その理由は,二つあります。一つは,これは私も本当にどうしようもないことなんですが,私が生まれ育ったのが福島県の郡山,いらっしゃいます,同郷。どこですか。うれしいな。

参加者 郡山です。

渡辺 郡山のどちら。

参加者 富久山です。

渡辺 僕,富久山の育ち。行健小学校。

参加者 行健小学校です。信じられないです。

渡辺 信じられないですね。いや,うれしいですね。言葉で苦労したことないですか。

参加者 イントネーションがなまってとれないです。

渡辺 とれないですよね。

参加者 はい,とれないです。

渡辺 ほかの地方御出身の方もそうでしょうけれども,これはどうしようもないんですよね。
 実は我が家は,家内も含めてみんな音楽をやっているものですから,お父さんの言葉が標準語にならないのは,お父さんの耳が悪いからだという,いつも責め立てられますが,だけど,これ自体しようがないことですね。それが一つ理由。
 もう一つの理由は,なぜ変えないか,それは,この私の授業の進め方に理由があるんです。私はずっと大学でもう30年近く教壇に立っておりますけれども,大学院を出てすぐ教壇に立っておりましたので,昔はどうだったか覚えていませんが,もっと滑舌よくやっていたんじゃないかと思いますが,だんだん変わってきまして,大学教育あるいは成人教育と言ってもいいかもしれません。大学教育に限りましょうか,成人教育というとまた広い大きな問題,領域でございますので。
 少なくとも大学の教育の目的の一つは,非常に平ったい言葉で言いますと,自分の目で見て,耳で聞いて,よく見て,聞いて,解釈をし,分析をし,要点をまとめ,それにどう対応するかを考え,対応をして,その結果,どういう変化が起きたかをさらに自分の目で見,自分の耳で聞き,それでさらに対応していくというそういう力,これが特にグローバル化,情報化時代では非常に大事にされる力なんだと思うんです。これは私が勝手にそう思っているのではなくて,私が20数年調査研究,主に企業の方,JICA*1の方々が中心ですけれども,調査をし,持論化をして,それに基づいて研修プログラムをつくって実践をしてきた中からもそういう結論が得られるわけですが,私にとって非常に印象的だったのは,今申し上げましたことを以前,放送大学の社会心理学の文化コミュニケーションという最後の章─人間科学の方ですね,昔二つ担当しておりまして,人間科学の方でグローバル化時代における人間の問題ということで,私のプロデュースで番組をつくったんです。そのときに,初めて私がぜひこの方にお願いしたいと思って,面識はなかったんですが,私のインタビューに出ていただくことになった方がいらっしゃいます。それはソニーの執行部隊の一番の責任者,上席常務の方なんです。
 彼は,長い間ソニーのブラジル工場やアメリカ工場の工場長などを務められてこられた方なんです。彼が私との話の中で,いろんないい話をしてくださったんですが,先ほど申し上げました私の大学教育の目的の一つと絡めて言いますと,その方が,海外での仕事で問われるのは,何が起こるか分からない状況にどう対応できるかどうかだときっぱりとおっしゃったんです。それはそのとおりだなと私も思うわけです。
 私の略歴がそこに載っていましたでしょうか。自己宣伝という意味ではありませんが,自分自身がこういう異文化の問題を専門にしておりますので,私自身が異文化で通用する人間を証明しなければ何の説得力もございませんので,そういう意味もあって,アメリカとかフィリピンとかインドネシアとか幾つかの国で仕事をしてまいりました。それに載っていないところもございます。一番長く滞在したのはフィリピン大学なんですけれども,日本政府とフィリピン政府の高官協定で,実は戦後初めて政府間レベルで日本から派遣された人文社会科学者であったんですね。それは大分古い話ですが,1980年から1981年,戦後60年ぐらいたって。それまでに,フィリピン大学は日本政府からのそういう協力関係を,特にフィリピン大学の文理学部はかたくなに拒んできたわけです。その理由は皆さん何となくお分かりになりますよね。
 私のカウンターパートと言いましょうか,私の専門は異文化間心理学ですけれども,フィリピン大学のそのときの心理学科長,私の長年の同志といいますか,その方が言っていましたけれども,その理由は,日本から人文科学系,社会科学系,人間について学ぶことは一つもないときっぱりと言われました。自然科学,経済ならまだしも。それは皆さん御存じのとおり,第2次世界大戦の問題もございますし,戦後の経済・政治,主に経済関係でしょうね。彼らから見ると,何て言いましょうかね,ちょっと難しい,私,フィリピン人じゃないから余り言えないですけれども,これはフィリピンだけじゃなくて,私がいろんな企業で発展途上国に派遣された方々に聞きますと必ず出てくる問題ですが,インドネシアでもやはり同じなんですが,日本から派遣された人たちの話,言葉をそのままかりれば,現地の人からは日本人はお金もうけをして帰るだけだと見られているという,そういう問題ですね。そういうことが一緒になってそういうことであったということなんですが,そういうことで,私が1980年に参りましたときにも,私のカウンターパートがいろいろ教えてくれましたが,象徴的なことで申し上げますと,例えば彼にこんなことを注意されたことがあります。お前の研究室のごみ箱に何を捨てるかは注意して捨てろ。これ,意味分かりますか。ごみ集めのお兄ちゃんがいるんですよね,そのごみ集めのお兄ちゃんは警察とつながっている。だから,おまえのごみは全部チェックされている。どういう内容のものを私が読んでいるのか,使っているのか。それぐらい厳しい状況。
 話を戻しますと,ですから,何が起こるか分からないんですよね,海外で仕事をするというのは。ただ,会社もそうかな,留学生の人たちもそうですけれども,ある意味で保護されている。そうでない場合,利害関係真っただ中で仕事をする場合,ある会社の現地の部長さんなんかは,労務関係の総責任者でタイに行かれた方ですけれども,いつピストルで殺されるか分からない覚悟はしていたと言っていましたね。フィリピンに私がいたときも,これは冗談じゃなくて本当だと思いますが,10万円出せばスラム街に住んでいる人間は簡単に人を殺してくれますよと。日本でも最近,ヤクザがそういう手を使い始めているらしいのを新聞記事で知ってちょっと愕然としているんです。ですから,本当に何が起こるか分からない。それは世界中そうなわけですよね。我々がよく知っていると思われる国でも,やはりすべてを知っているわけではありません。それは不可能ですよね,日本でさえすべてを我々日本人が知るというのも不可能なことと同じように,それ以上のこと。ですから,これからグローバル化が進むと,どんどんそういう我々が想像つかない,予想できない,考えられないことが多く起こる。もちろんそうでないことも多く起こると思うんですね。言葉が通じないからこそ,気持ちを純粋にして話し合いをする,人間関係をつくると,これも私も何度も,数は少ないですけれども,外国人の友達で,日本人の友達以上に親密な深い話ができて,信頼関係が持てる友達もできます。そういういいことも山ほどあるんですが,ですけれども,一方で,やはり何が起こるか分からない,自分が理解できない状態に対応しなければいけない事態が山ほど。要するに,教科書にない,授業では出てこない。
 ちょっと話がそれるようですけれども,ハーバード大学のビジネススクールで有名だったのは,ケーススタディだったんですね。それを私が聞くところによりますと,最近,ハーバード大学のビジネススクールはやめたのか,続けているのか,いずれにしても,それじゃもう対応できないということになったんだそうです。というのは,ケーススタディというのは,ケースをつくるだけでも1年か2年かかるわけですよね。1年,2年前につくられたケースというのは,もう現状に合わないわけですよ。だから,リアルタイムの学習でないともう追いつけない,それがグローバル化時代の大問題で,今,私もJICAで年に7,8度研修をやっていますが,そういう提案をしました。リアルタイムで,今現在,例えばこの部屋に電話機とファクスとコンピュータを置いてインターネット回線をつないで,例えばアラブのヨルダンのJICAの事務所につないで,リアルタイムで情報を収集し,解決策を検討し,現地の方も入って,それ自体を研修とする。実は,グローバル企業はもうやっているんです。これは日本のグローバル企業じゃなくて欧米のグローバル企業はそれをもうやっていまして,リアルタイムのアクションラーニングという特別な手法で。これは話し出すと長くなりますから,またの機会があればと思いますが,とにかくリアルタイムの学習が大事になる。
 それで,またまた話を戻しますと,随分長くなりましたが,私がなぜこんな話し方をするかという話なんですが,簡単に言うと,教え込む教育ではない教育をしなければいけないとずっと思っていたわけです。それで,今日皆さんに御紹介します実習もそういう考え方で,私が少し工夫をしてつくってみたものです。
 私の授業では,基本的に教材は明確にはっきり学生に渡します。事例とかですね。それから場の設定,例えばグループワークをするならグループワークをする,場の設定はちゃんとします。それから,あるいは学生がその前の週に書いた小論文を今日はその発表会だということであれば,そういう場を設定します。ですけど,それ以外に,私が講義をして教え込むという,この言葉をこういう意味でこうだよ,こういう事例があるでしょう,こういう事例があって,そのときはこうしなければならないんだよとか,そういうことは言わない。一人一人に考えてもらって,その考えを自分の言葉にしてもらって発表をして,それを私が受けとめて返していくという,それを基本にしているんです。最後に全体的なことで何を考えたかというのを,場合によっては小さな紙に書いてもらう。次の時間・週にその中でいいものを発表する,それでまた議論をする。時には学生が教壇に立って勝手に授業を始めることもございます。すごく立派な授業,私よりもうまい授業をしたりしている学生もおります。そんなふうに大学でもJICAの研修でも企業の研修でもやっているものですから,こういう話し方でないとそれがうまく進まない。
 私の授業に,内地留学である大学から異文化コミュニケーションの専門の先生がおいでになって,私が博士論文の指導も今しているんですけれども,その方が私の授業に出て,私がこういう話し方をしている。その方は,実は私と違って,余り詳しく言うと分かっちゃうけれども,まあ,いいですか。ちゃきちゃきの河内人というんですか,大阪人,ちゃきちゃき娘。大学院もアメリカ,大学の専攻も英語,めり張りのきいたばりばりという方です。
 私のこういう話し方の授業に出て,自分の大学に戻って,私のこの話し方をまねしたんだそうです。まねして授業をしたら,学生が彼女の話を聞くようになったと,こんなことを言っておりまして,多少お役に立てたのかな。皆さんの中にも御不満な方は絶対いるはずです。いろんな研修で毎回感想文をとると,渡辺の話し方はもっと滑舌をよくして,物をはっきり言うべきであると感想が必ずお一人,大体一人あるものですから,これだけの人がいらっしゃると,多分5人ぐらいの方はそう思われるかもしれません。
 さて,実はこの姿勢というか,今日のエポケー実習と非常に関係のある。実はこれからやるエポケー実習というのは姿勢の問題なんですよね,意識の姿勢の問題。うまく相手の話を聞くことができたかが問題ではない,相手をうまく理解できたかが問題ではない,言葉が分かるかどうかが問題ではない,もっと大事な問題がある。それは,私たちが持っている基本的な姿勢,それがどうであるかによって相手が変わってくる。相手が変われば,相手の見え方も変わってくる。それを一言で私は「関係は本質に先立つ」という標語をつくりました。その最も中核的な方法がこのエポケーという。
 このエポケーというのは,その資料にもありますように,現象学という哲学の非常に革新的な流れをつくったフッサール*2という哲学者が,現象学の中で最も重要な方法として提案したものです。詳しく言えばエポケーにも2種類あったり,現象学的な観念とかいろいろ複雑な言葉もあるんですが,それはちょっとわきに置いていただいて,とりあえずはエポケーということだけで,正式に言えば現象学的なエポケーということで今日は話を進めていきたいと思っております。
 それで,この中には研究をされていらっしゃる方も多くいらっしゃると思いますのでついでに申し上げますと,最近,質的な研究が重視されていますよね,量的じゃなくて質的。質的というのは,面接調査とか事例研究とかフィールドワークとか観察とかそういうものですね。要するに,数量化しない,アンケート調査とか質問調査とかそういうのではない,数字に置き直さないで,あと習っていくものが,その人個人がどういうふうに自分を語っていくかという,それを延々と記録していくとか,そうしないと,生身の人間の重要な部分が分からないではないか。分からなければ,幾ら数字を並べても役に立つ研究ができないじゃないか。私もずっと,そもそも私は大学院ではカウンセリング心理学を専門にしていましたので,それは当然なことだと思ってきました,ずっと。私も量的な研究をしたこともありますけれども,資質ですね,いい質の情報こそがすべて,それから研究のすべてのレベルで質のいいマネジメント,手続をとるということがすべてだと思ってきました。質こそすべて。ごみは幾ら集めてもごみ,ごみには悪いですけれども。最近,中国からのバイヤーの方,皆さんテレビ見られた方もいらっしゃると思います。最近のごみはごみじゃないんだそうですね,資源,お金になる。
 ですから,ある最近出たドイツの研究者が書かれた質的方法論の訳本が何年か前に出ましたが,そこにその研究者がはっきり書いていますが,今までの数量的な研究のほとんどは,その人は実は看護科学なんですよね,彼女によれば,今まで研究されてきた質的な研究に基づく研究成果というのはほとんど現場には役に立たなかった。なぜならばと,さっきの問題ですね,質を重視してこなかったから。
 それで,私は大学院のころカウンセリング心理学,しかも,私の指導教授は,専門は実存主義及び現象学的カウンセリングが専門で,アメリカの大学院で勉強して帰って来たばかりの人だったんですが,彼から直接指導してもらってやってきたんですが,その当時から今日のエポケー,この手法を使ってまず現象学的なアプローチで面接調査をして,その面接調査を整理して質問項目をつくって,多変量解析*3などをやって,またその結果を,普通は多変量解析を計算を分析をして結果を出して,考察で終わっちゃうんですが,私は,さらにその多変量解析をした結果を自分の調査の相手になってくれた現場の人たちにもう一回戻してインタビューするんですね,こういう結果が出ましたが,この結果を皆さんどう解釈されますかと非常に慎重な面接,これも現象学的な面接の仕方でやっていくわけです。
 それで,やっと今年,イギリスのロンドン大学のある先生が,心理学の方法論の本を出されて,それがすぐ訳されて,今,書店に並んでいますけれども,そこに初めて現象学的な方法というのが一つの章の見出し,1章に丸々それが書いてある。おっ,やっと出てきたかと,僕はもう30年前からそれをやっているんです。これぐらいの自慢話はお許しいただきたい。僕は謙虚な渡辺先生で通っているものですから,こういうことは苦手なんですけれども,やっぱり最近,いつ死ぬか分かりませんからと思って,言うべきことは言っておこうと,決して自慢話としてじゃなくて事実です。日本が決して後れているということは全くないと僕は思っています。僕は,20歳のころから欧米の研究者と対等になろうと思って研究をやってまいりましたから,それで今までやってきている。ですから,ちょっと事実を申し述べたくて言ったので,ですから,人の受け取り方はさまざまですから,渡辺,自慢してやがると思ってらっしゃる方もいらっしゃるのは当然かなと思いながらお話ししています。ですから,今日行いますこのエポケー実習というのは,そういう広がりを持った,非常にグローバルな,歴史は大分前からあるんですが,非常にホットな課題です。
 それから,もっとホットなのは─なぜ前置きが長いかというと,それだけ十分お話ししないと,このエポケーがなぜ重要かという意味が,非常に簡単な方法なんですよね。だけれども,それがいかほど重要なことかということが分かっていただけないと思いましたので,今ちょっと時間を使ってお話ししていますが,後で皆さんから御質問を受けます。一方的な講義は私,さっき言いましたように学生時代から大嫌いで,こういう大教室でも,先生が話している途中でも手を挙げて質問をしていましたから,その分,授業料を取り返そうと。親が出してくれていたんですけれども……,また余計な話。
 僕は,人と対等でないと嫌なんですね。だから,さっき言った欧米の研究者とも対等,アジアの人たちとも対等,どこの人たちとも対等,偉い人とも偉くない人とも対等。学生時代のときも,学生という甘えは許されない。同じ年で働いている人間が山ほどいるわけですね,高校,中学で終わって工場で,寿司屋で働いている人間,そいつらとも対等。いや,ショックだったんですね,大昔,大学生になって,中学生の同級会が開かれて行ったら,中卒,高卒で終わった人たちから見ると,やっぱり大学生っていいなという目で見られる,これはだめだと。それ以来,私は決心したんですけれども,確かに親から仕送りをもらっています。ですけれども,それは給料だと,親からの仕送り,微々たるものです。父親は公務員ですから,全然裕福ではないですけれども,親からの仕送りは給料である。自分は,その給料に見合う,あるいはそれ以上の仕事をする。その仕事は何かというと,勉強である。私は勉強は死に物狂いでやりました。ただし,条件がついていて,嫌な勉強はしない,自分にとって意味のあることだけする。だって,人間いつ死ぬか分からないわけですよね。いつ死ぬか分からないのに,嫌な勉強をしていたってしようがない。悔いるだけじゃないですか。死んでもいいためには,自分が読みたい本,自分にとって意味のある本をがむしゃらに読む。いい先生の授業にはどんどん出て,どんどん質問していく。授業の途中でも手を挙げて質問する。というのは,中学生のころ,実は死ぬ思いをしまして,それ以来,命ははかないものだから,いつ死んでもいい生き方をしようということでそうなっちゃった。その結果が,今まだ生き延びて,こんな仕事をしているわけです。
 さて,私が言いたかったのは,この後です。実は,8年ほど前に上智大学文学部教育学科に移りました。その前には,そこに書いていますように,東北大学の文学部に当時,全国の六つの国立大学に日本語教育学専攻講座ができました。その中でも日本で初めてできた講座,小講座ですね,現代日本論講座というところの助教授として今から10年ほど前に赴任しました。そこでは,普通ですと日本事情というような科目が小講座で設けられることが多かったんですが,私は上智大出身ですから,さすがと思ったんですが,東北大学の文学部の先生方のプライドが高かったんですね。学問的にちゃんとした講座名でないとだめだと。それで,教室はできた,日本語教育学研究室という大講座ができたんですが,小講座は日本語教育学講座,二つの小講座で成り立っているんですけれども,これもできた。もう一つがなかなか決まらなかったんですね,当時の文部省が見切り発車した。それで,東北大学の文学部の先生方は知恵を出し合って,異文化間の研究をしている心理学者,それも日本人研究者をとろうということで,まず私の上の教授が決まりまして,その後に何人か候補者がいたんですが,私に決まりまして,それ以来,日本語教育の道に私も入れさせていただきました。文化庁の野山さんという調査官が,あるとき私の国立国語研究所での研修,何年かやっていまして,そのとき,このエポケー実習をやったんですが,それに野山さんが出られて,これは日本語教育の中で非常に重要なものであるというふうに認識されて,それからこのエポケー実習というのが,皆さんも御存じでしょうけれども,日本語教師のカリキュラムの中の一つの課題になったと,そういう経緯でございます。
 それで,そのエポケー実習も含めて私の理論,簡単に言うと,統合的関係調整能力という関係調整,先ほど言いましたように,海外に行った場合,グローバル化時代では何が起こるか分からない,そういう中で,相手が何人で,どういう考え方,価値観を持って,こっちは日本人でどういう価値観を持っているか,それはそれとして非常に大事なことなんですが,だけれども,それも分からないことも多いわけですね,言葉がまず分からない。向こうからしてもそうなわけですね,この日本人,何考えているか分からない。そういう中で,何が問われるかというと,簡単に言うと,さっき言いました,本質は本質で重要なんですが,それはちょっと置いておいて,それよりも先にやりとりですね,関係という言葉はちょっと抽象的ですから,私はやりとりという平ったい言葉で使っていますけれども,やりとりをまず工夫してみよう,やりとりをちょっと工夫してみて,相手の出方を見て,相手が何を言うか,何をするか,それを見て,こちらもそれにあってまた対応してみて,それをずっとつくり続けていくことによって仕事を進めていこう。単なる言葉だけでのコミュニケーションの場合もありますが,製造業の場合には,その両者の間に機械と製造物があるわけですね。あるいは事務系の場合ですと書類があるわけです,文書。また組織もあります,会社もあります。細かいことを言えば机もあります,何でもあります,そういうすべてのものの関係を調整できるか,どう調整しながら相手のやりとりを工夫して仕事を成功に導いていく。もっと簡単に言うと,まず,共に生きることが先でしょうと,そういう発想ですね,関係は本質に先立つという。
 そういう資質を高めるための研修を幾つか提案して,「異文化と関わる心理学」という,サイエンス社から2年ほど前に出した薄い880円の本がありまして,これはアマゾンランキングで─僕インターネット嫌いなんですよね,コンピュータ大嫌い。コンピュータを開くのも嫌で,学生に怒られるんですよ,渡辺先生,返事いつまでたってもくれない。だけれども,嫌いなものは嫌いで。僕の友達でコンピュータ大好き人間がある大学の教授で,僕の親しい仲間なんですけれども,昔から一緒の。そいつとけんかになりまして,そいつはコンピュータ人間,僕は電話人間,アナログ人間,こうなると戦いですよね,戦争ですよ。本当ですよ。戦争。どっちがどっちにあわせるか,僕は妥協しない,向こうも妥協しない,どうなります,いまだにそのままです。彼はメールを送るし,僕は電話で。話はあれですけれども,さっき言いました関係調整能力を高めるための研修プログラムを幾つか開発したんですね,自分でつくっていろいろ工夫して。その研修をトレーニングする人たちの養成も始めたんです,トレーナーズトレーニング。私の大学院でも今年から始めました,ちょっと遅かったんですけれども,ですけれども,それよりも4,5年前から上智大学の公開学習センターという夜の社会人の方々のためのコースがあって,そこで研究コース,大学院レベルのコースがあって,そこで4,5年前からそれを始めました。これは基礎理論,教育のちょっと古い昔の,いわゆる教え込む教育のときのパラダイム*4ですね,その理念,理論と哲学,その背後にあるそういう考え方も含めて。それと,その後に出てきた,先ほど言いましたように,世の中何が起こるか分からない。一つ言い忘れましたが,情報化というのもそうですよね,いつ何どき,何が,どういう情報が自分の家にいてもテレビとか何かインターネットで飛び込んでくるか分からないですね,新聞でも。自分が想像していないような情報が飛び込む。それをどう受けとめるか,どう解釈して,自分でどう理解して,どう分析して,それに対して自分の姿勢をどうしていくか。必要ならば,それに発信していかないといけないわけですよね,一市民として。その結果どうなるか。だから,グローバル化時代と非常に似ているわけです。
 ですから,そういう世界の歴史の中で1970年代から世界中の教育の現場で新しいパラダイムができてきたんです。御存じの方も多いと思いますが,構成主義,英語で言うとコンストラクティビズム*5というんです。これは今,世界中の中で文脈が二つありまして,今のように教育の実践現場で使われている構成主義,コンストラクティビズムという使われ方と,もう一つは,政治社会的な文脈です。そっちでは,日本語では構築主義という言葉,社会的構築主義とかという言葉で使われることが多いようです。例えば東京大学の上野千鶴子先生なんかは,その旗頭ですよね。つまり,例えば彼らというか,例えばジェンダーというのも,あれは少数民族の何人というのも,それは社会的に構成されたものにすぎない。だから,再構成が可能なのであるという一種の新しい発想と同時に,一つの社会活動,あるいは欧米では─欧米といっても,ヨーロッパでも多様性がありますが,イギリス,アメリカでは政治活動とも区別しない。こういう授業さえ政治活動だとはっきり主張する人たちも出てきています。確かに厳密に考えれば,そういう面はありますよね。こうやって私がお話ししていること自体,この中に政治性が全くゼロかというと。僕はそういう政治性を意図してお話ししていませんけれども,この中には,そういうふうに感じ,そういうふうに見られる方もいらっしゃるし,それは僕は否定しないです。
 私が今言っている新しいパラダイムというのは,そういう政治社会的な文脈じゃなくて,あくまでも教育の現場ですよね。グローバル化,情報化時代に対応できる人材をどう育成するか。そのためには,構成主義,コンストラクティビズムが重要で,その原理には,カント*6以来の,簡単に言うと自分の頭の中でものを考えるという思想とか,いろんなものがまじっているんですね。現象学*7も絡まっていますし,それから解釈学*8とか,あと私は実存主義*9も入れているんですね。もともとは数学の問題でもあったんですね。数の概念,あとサイエンスの問題でもあったんです。要するに,人間を抜きにしてものは存在するのか。これは神学,神様の学問とも関係があるんです。
 この間,立教大学の異文化コミュニケーションの大学院で授業をやったんですが,ある院生の方がおもしろい,いい例を言っていました。例えばここにいろんな色がありますよね。これは人間だからこそ見える色ですよね。では,この宇宙から人間がいなくなって,ゼロになって,犬しかいないと想定したらどうでしょうか。犬は犬に詳しい方はいらっしゃいますか,僕は余り詳しくない。犬は色はどこまで,どういうふうに見えるんですかね。知っている方いますか。僕のうっすらした記憶だと,白か黒か灰色じゃなかったでしたっけ,赤は分かるのか,もう少し分かる。だけれども,人間と同じじゃないですよね。人間がすべて宇宙からいなくなった,犬しかいない,この宇宙に。そうしたら,どうですか,私たちが今見ている色はそれでも存在すると言えるでしょうか。構成主義の一番の問題はそこなんですよね。要するに,客観的な事実というのは存在し得るのか。
 このフッサールという現象学者は,それでも諦めなかったわけです。このエポケーということを繰り返しすることによって,我々は本質に到達するというふうに彼は考えたわけです。ちょっと話を戻しますと,先ほどの上智大学の社会人のための研究コースで新しいパラダイム,構成主義のパラダイムで,今日これからやりますエポケー実習等々,私が開発したものをまず私がやってみせて,受講生の方々が今度私の役,トレーナーの役をやって,それを私がスーパーバイズ*10して,受講生の方々もプロの人がほとんどですから,後で肯定的なフィードバック*11だけを出してもらうんです。すると,見違えるように変わってくるんですね,教え方が。それは4年目になりますが,その中に企業で働いている方が多くいらっしゃるんです。今年どういうわけか,その受講者の何人かの方々から,実は,今日これからやるエポケー実習というのは企業の組織の活性化と創造力,クリエイティビティーの開発に非常に役に立つ。だから,異文化教育じゃなくて,だから,その視点で新たに9月に同志を集めて合宿研修をやりたい。それには大きな企業の管理職の方とか外国語教育の先生,これも質を大事にしようということで,オープンではないんですね,残念ながら。ものをよく見,考え,そういう管理職のような立場にいて,そういう問題に非常に強い関心を持って仕事でもそういう姿勢で取り組んでいる人だけに限ろうということで,今年から始めることにしました。ですから,これから皆さんに経験していただくこのエポケー実習というのは,そういう非常にいろんなところで今最もホットな,我々に問われている方法の一つだと。これは決して渡辺が発明したものでも何でもないわけです,そのフッサールという大哲学者が,これはやっぱり人類の遺産の一つだと思うんです,我々が共有すべき天才だと思うんです。
 彼が言ったエポケーというのも,少し私なりにカウンセリングをずっと専門にして,今でも実は精神科のクリニックでカウンセリングをやっているんです。そういう実践がないと,人間に対する洞察がにぶりますから,研究はカウンセリングとかはやっていないんですけれども,クライアントを研究対象と見た瞬間,関係が変わっちゃいますよね。だから,僕は大学院を出て学生カウンセラーになった瞬間からカウンセリングは研究はしない,そう決めたんです。研究は異文化接触の問題だけ,異文化教育の問題だけ。
 ちょっと話が長くなりましたが,今まで大分前置きですが,私にとってはそれぐらいの重要性がある。そこを文化庁の野山さんが見抜かれたんだと思います。で,こういう分科会を開いてくださっているんだなと理解しておりますが,できるだけ分かりやすい言葉で説明しようと努力しました。ですけれども,私のこういう分かりにくい言葉はどうしようもないので,すみません,お許しいただいて。
 何か今までのところで御質問,御意見でも結構ですが,何なりと。その後,ちょっと休憩に入りたいと思います。
 はい,どうぞ。

*1 JICA 国際協力事業団。
*2 フッサール Edmund Husserlドイツの哲学者。現象学の創始者。初めブレンターノの記述的心理学の立場から「算術の哲学」を著したが,のちにその心理主義の立場を自己批判して純粋論理学を構想し,やがて「現象学的還元」の方法を確立して一切の対象的意味を構成する超越論的主観性に立脚した構成的現象学を大成した。後期には意味の発生を解明する発生的現象学の立場に移行し,身体・地平・間主観性・生活世界などの独創的な分析を通じて,ハイデッガー・サルトル・メルロ=ポンティらを筆頭とする現代哲学の展開に多大の影響を与えた。著「論理学研究」「イデーン」「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」など。
*3 多変量解析 観測値が複数の値からなるデータ(多変量データ)を統計的に扱う手法。因子分析・クラスター分析・主成分分析などがある。
*4 パラダイム 範例。一時代を通して支配的なさまざまな概念の集合体。理論的枠組。
*5 コンストラクティビズム 構成主義。
*6 カント ドイツの哲学者。自然科学的認識の確実さを求めて認識の本性と限界を記述する批判哲学を創始。
*7 現象学 判断留保をして,ものの本質にせまろうという哲学体系。
*8 解釈学 解釈の仕方を論議する哲学の分野。
*9 実存主義 実存(一番確かで根本的なものとしての人間というものの,独自な在り方)をもとにして,世界を考え,行動しようとすること。
*10 スーパーバイズ (supervise)監督[管理]する。
*11 フィードバック (feedback)帰還。一つの動作,行為による結果によって,動作や行為を変えること。


参加者 ICUのOと申します。ありがとうございました。
 もしかしたら実習の後で出るかもしれないんですが,さっきトレーナーズトレーニングのときに,先生がなさった後に受講生が先生のかわりをして,先生がスーパーバイズをした後に受講生から肯定的なフィードバックだけを挙げてもらうとおっしゃっていたような気がするんですけれども,そこの肯定的に限る意味というか効果というか,その辺についてちょっと教えてください。

渡辺 皆さん,アニメでポリアンナ……,かわいい女の子が出てくるアニメ,御存じの方。何でしたっけ,あの名前。アメリカの……。

参加者 ポリアンナ。

渡辺 ポリアンナ,それがアニメの題名でしたっけ。

参加者 主人公の名前。

渡辺 主人公の名前で,なぜ,僕これ知っているかというと,娘が小さいころよく見ていて。僕の記憶では,自分を生んでくれた親が牧師で,どこか行っちゃった。

参加者 ちょっと忘れたんですけれども,私も大好きな物語なんですが,いわゆる前向き志向というのかしら,もらわれて……

渡辺 あれどうなったんでしたっけ,養女じゃなかったかな。

参加者 養女に行って,結局……

渡辺 すごい苦労するんですよね。

参加者 ええ。だけれども,周りをだんだんハッピーにしていくという物語。

渡辺 彼女はよかった探しが上手な子なんです。

参加者 よかった探し。

渡辺 そうですよね。

参加者 そうです。

渡辺 アニメの世界で,だけど,ちゃんとした哲学及び心理学的な理論がございまして,僕はさっき言いましたように,欧米の研究者と対等になろうと思って,日本の研究者はいつもそういう人たちの物まねをする人が多いですよね。その中で一人戦ってまいりましたから,戦いにはなれておりまして,どんな戦いにも負けないように理論武装だけは山ほどしていまして,今の問題も説明すると時間がかかりますが,いいですか。本当に山ほどのそごがあるんです,理論武装の。

参加者 私が知りたいのは,全体的な議論の時間に対してちょっともったいないと思われるようでしたら,後で説明をお願いします。

渡辺 詳しくは後で。簡単にだけ申し上げます。確かに人間には否定的,僕もそうですけれども,完全な人間じゃない。だけれども,いい面,すべてにはそういういろんな面があるんですが,人は,例えば肯定的に見られると成長しますよね,やる気が出ますよね,自分にたとえ悪い面があったとしても。それは個人についてもそうだし,組織の中でも。
 僕は本田技研とのつき合いが長いんですね,本田技研,一つの会社の名前を言っちゃうとまた問題がある。でも,いいですか,言っちゃって。というのは,本田技研というのは特別な会社だと思うんですよ。本田宗一郎の哲学というのは,これは本田の部長クラスの人と一緒に3年がかりで2,30年スパンの人材育成のプログラムの中の一環を我々検討していた。異文化適応気づき度テストという,これも世界で初めてだと思うんですが,私と北海道大学の山岸みどり先生と二人で1年がかりで開発をした。これは本田の会社は文化が違いますから,本当に違います,会社によって。だから,その文化に合ったテストじゃないと意味がないんですね。市販されている,一般化されているテストというのは,余り意味ないです。僕も開発しましたが,ある製錬系の会社に頼まれて。余り意味がないと思う。
 そういうことで,本田のことはもう重要なことは大体知っているんですが,例えば,全部お話しすることはできませんが,その部長さんは,本田宗一郎が言ったことで,みんなそれに魅力を感じて集まってくるんですね,中途採用が多い会社でもあるんです。ですけれども,みんなそれに共鳴して来るので,皆さん,いろんな会社の方に会われると多分分かると思うんですが,本田の社員の方々というのは,総じて,いろんなくせのある方,特徴のある個性のある方いろいろですけれども,総じて元気がいいんですよね。私のことなんか絶対先生なんて呼ばないし,渡辺さん,みんな「さん」づけです。部長も何も。それは本田宗一郎の哲学。それはどうでもいいんですが,僕が今の問題で絡めて言うと,いっぱい彼の哲学はあるけれども,彼の哲学の中心の一つに,自分のために働きなさい,会社のためじゃなくて。楽しみなさい。その哲学がばっとあるんですけれども,実存主義もそうですし,これからやるエポケーも実は人間の極限までいったときに,肯定的に人間をどうとらえるかの我々の戦いの一つの方法だと思います。よろしいですか。
 ほかに,何か御質問。

参加者 先ほど先生が,上野さんが構築主義というのを,先生は構成主義と,何か違いがあるんですか,用語の問題,概念の問題で。

渡辺 英語ではコンストラクティビズムで同じなんですよね。

参加者 それを違う用語でおっしゃるのは,何か意味が。

渡辺 それは私は意図的に,こういう教育の現場での一つのパラダイムとして使う場合には構成主義と言っています。それは,その中には政治的なもの,社会活動的なものを私の中では入れていないから。いいですか,それで。
 ほかには,何かありますか。またありましたら,いつでもお答えしますので。
 ちょっと長くなりました。今14:37ぐらいですから,本当は10分ぐらいとりたいところですが,15:30までですので,その間にここでエポケーの実習をやりたいと思います。
 では,45分まで休憩としましょう。どうもお疲れさまでした。

渡辺 5分超過でございますが,企業での研修だったら次の仕事は回ってこない,お許しください。ちょっと今御質問を受けていたので。
 今せっかく御縁ができましたので,先生,ちょっと私と。エポケーの説明をする前に,まずやっちゃいます,その方が話が早いと思うので。

参加者 全然分からなくていいわけですか。

渡辺 何でもいいです。
 さっきのポリアンナの話じゃないですけれども,このエポケーの実習は,実は皆さんにまだ言わなかったんですけれども,ある精神科のクリニックのTQC*1,トータルクオリティーコントロール。理事長から頼まれまして,今,病院も競争時代で,つぶれる病院も山ほどある。その中でスタッフ,看護師,パラメディカル*2,コメディカル*3の人たちの,医師も含めてですよね,もちろん,事務の方も含めて,全部TQC,トータルクオリティーコントロールしないとだめだということで,その理事長に頼まれて,全員に実はこのエポケー実習をもう3年前からやっているんですよね。月1回,だんだんバージョンアップしているんですけれども,それとは別に,同じクリニックで10年前からお医者さん数人と管理職クラスの人たち,臨床心理士の人たちとカウンセリング勉強会をやっているんです。性能は割と音も画像も悪いので,ソニーの高性能のビデオカメラと,あと音もボーズのスピーカー,本格的です。それで理論の勉強から始まって,今はもう大分中級レベルまでなっているんですが,ロールプレイですね,毎回。つぶさな,さっき言ったスーパーバイズ,ロールプレイをやってもらった後,ビデオカメラに撮ったものを巻き戻して,僕は意見を言わないんです,さっき言ったように教え込まない,あくまでも科学的にやる。あなたがこう言いましたが,このとき,クライアント役のあなたはどう感じましたか。例えばね,そういう事実を確かめていくだけです。私が何かこのときはこうした方がいいよとか,そんなことは一切言わないです。あと気づいたことを全部言葉にしてもらう。それも現象学的,実務主義的,構成主義的な私のやり方になるわけですが,そこでやっているトータルクオリティーコントロールの,彼らはビギナーズコースと呼んでいますけれども,でやっているエポケー実習を皆さんに見ていただこうと思います。
 私がエポケーをする役,Oさんは,さっきのポリアンナの話じゃないですけれども,よかった探しで,いつもそのビギナーズクラスでは,すべてを肯定的な雰囲気,フィードバック,話の内容をそうしていますので,大体話題がよかった探し。具体的に言えば,最近経験したよかったこと,うれしかったこと,うまくいったこと,何でもいいから一つ話してください。できるだけ相手の人に分かってもらえるようにたくさん話してみてくださいと,そういう指示をするだけ。あと,お手元の資料にある手順に従ってもらうだけなんです。私は,それをその手順どおりやっていただいているかどうかをチェックするだけで,いろんな意見は言わないということですから,私が多少伺ったこと,受けとめたことをお返しするというか,こんなふうでしょうかというふうに確かめさせていただきますが,そうしたら,それを聞かれて,またお話しになりたいことが出てくると思うので,それをどんどん話してみてください。で,私にいっぱいどういうことがよかったのか,うれしかったのか,うまくいったのか,いっぱい教えてくださるような感じで話してみてください。
 では,やってみますね。
 距離はこのぐらいでいいですか,ちょうどいいですか。

*1 TQC (total quality control)主に製造業において,製造工程のみならず,設計・調達・販売・マーケティング・アフターサービスといった各部門が連携をとって,統一的な目標の下に行う品質管理活動のこと。
*2 パラメディカル (=パラメディカルスタッフ)(paramedical staff) パラ(para)は,そばにある意。コメディカルスタッフ。
*3 コメディカル (=コメディカルスタッフ)(comedical staff) コ(co-)は,共同の意。医師・看護師以外の医療従事者。薬剤師・歯科衛生士・理学療法士・作業療法士など。パラメディカル-スタッフ。


参加者 多分。

渡辺 オーケー。これ大事なんですね。あと,この間に机を置くかどうかというのも大事ですね。

参加者 強いて言えば,ちょっと斜めに座る方が気が楽ですけれども,いいですか。

渡辺 どうぞ,御自由に。

参加者 多分このぐらいの方が。

渡辺 あと,机のある……,これをやると長くなっちゃう。ちょっとやめます。ちょっとしたところで,一つだけ挙げると,皆さん感性をよく勉強している人もいるかもしれないから,そんな当たり前だと。例えばここに机があったとして,皆さんと話す。例えば腕を組んでこうやる,それから腕を組まないでこうやる,あるいはこう,感じ違うでしょう。ちょっとしたことで全然違うメッセージが伝わっていくわけです。それぐらい我々人間は微妙なもので,だから楽しいというか悲しいというか。

参加者 では,最近あったおもしろい,よかった話,幾つもあるんですけれども,今ぱっとここで話しても差し支えないかなと思うようなことでというと,先週ちょっとおもしろい研究会に行ったんですね。そこの懇親会で妙なハイテンションなおじさんに出会いまして,50前半なんですけれども,とても頭のいい方で,離婚2度目で,僕は3度目に挑戦したいというんですね。でも,相手は25から35ぐらいを限定すると,また妙なことをおっしゃるので,うーんと思って聞いていて,だれかいたら紹介してくださいと言われて,たまたま該当する,彼にだったらうまく知的な会話もできそうな友達がいたので,彼女は独身で,彼女は彼女でだれかいい男性がいたら紹介してくれと言われたので,バツ2で年齢も離れているからどうかなとは思ったんですが,ちょっと紹介しようかなと思って,そんな話をしたら,では,メールくださいというので,とりあえずメールをというので出したんです。
 そうしたら,メールの中で,実は何かそんなハイなテンションというのはつくられていて,すごく傷ついているというか,まだバツ2になった経験から立ち直っていないというのが分かって,ああ,そうなんだと思って,別に慰めるつもりはなかったんですけれども,ああ,そういうお気持ちだったんですねとメールを書いたら,何かすごく立ち直られたらしくて,それから毎日メールが来るんですけれども,でも,何かその方が変わっていくというか,落ち着いてきたというのが,何だか分からないんですけれども,すごくよかったなと思って,最近一番自分でいいなと思ったのは,そんな経験です。

渡辺 自分が返したメールによって,その相手の方がだんだん元気を取り戻してきた様子を御覧になってうれしいなと感じていらっしゃるんでしょうか。

参加者 自分が返したことで変わられたのがうれしいというんでは多分ないと思うんですね。最初に来たメールがとても落ち込んでいて,次に来たメールが少し立ち直ってというふうに,その方がほかにもきっといろんな要素があって立ち直っていらっしゃるんだと思うんですけれども,何だかその最初のメールが余りにも暗かったので,その方が上向きになってきて,妙な空元気がなくなってきたというのが分かってきたのがとてもうれしかったという感じです。

渡辺 妙な空元気がなくなってきたのがうれしいなと感じてらっしゃるのでしょうか。

参加者 そうですね,何か空元気だと思った瞬間にすごくかわいそうというか,痛々しいというような気持ちになったんですね,最初。その方が無理して薬を飲んだり,お酒を飲んだりして,周りの人とはしゃいでいたというのがとても何かつらそうで,私だったら嫌だなみたいなふうに思ったので,それが直っていく,普通に落ち着いていくというのを,将来明るくなりそうで,そうなってきたら,この間みたいに,25から35のきれいなお姉さんと知り合いたいとかじゃなくなると,きっと本当に素敵な人と出会う可能性も出てくるでしょうし,とても研究の部分では優秀な方なんですね。お話ししていても知的でおもしろいし,そういう才能がもっと生かせるんじゃないかなという想像をしたら,こちらも少しほっとしたというか,そんな気持ちです。

渡辺 そうすると,その方の可能性がさらにこれから広がっていく可能性を感じられたので,それがうれしいなと感じられていらっしゃるんでしょうか。

参加者 そうですね,それにちょっと近いですね。何かでも,そんなに飛躍して,ああ,いいなというのでもないんですけれども,それよりは心が落ち着いてよかったなという感じでしょうかね。

渡辺 心が落ち着いたことが何よりもよかったなと感じていらっしゃるんでしょうか。

参加者 うん,そんな感じだと思います。

渡辺 見た目には,多分,傾聴訓練*1とかアクティブリスニング*2と変わりないじゃないかとおっしゃる方が多いと思うんですが,だけれども,それは今私がやっていた中では,私がうまく返せたかどうかというのは,そこには集中はしていなかったんですね,最もどこに集中していたかというと,自分の頭の中です。例えば離婚の話が出てきたら,今僕,離婚ね,自分の問題でもあるから,一瞬やっぱりどきまぎしちゃいますよね。だけど,そのときそれをわきに置く,そういう自分の感情とか考え,思いを自分の意思の力で意識のわきに置いて,括弧の中に入れて宙ぶらりんにしておく,固定化しない,英語ではサスペンド*3という言葉を使います。そして,新たな気持ちで相手に目を向け,耳を向け,全身ですよね。さっき言ったように,これだけで違うわけでしょう,体全体,顔の表情,カウンセリングのトレーナーの中でもあるんですよね,顔の表情,全部ビデオを撮ります,自分がどういう顔だったか。こっちが緊張していたら,相手も緊張しますよね。顔の表情というのは重要なんです,自分の顔は,あと姿勢。緊張していたら,相手も緊張します。
 だから,そういうふうにこちらの話を聞いている中で,自然にそういうことは出てきちゃうわけですね,今,離婚の話が出てくれば,家内の顔が浮かんできたり,ああ,やばい,私はどうしたらいいんだろうかとか,それは自然なことですよね。それを否定するんではないんです。打ち消すんではない。それは出てくるままに,この辺は禅の思想と似ているかもしれません。私は実は高校時代,大学もそうですが,ずっと禅,特に臨済禅です。禅よりも禅画の方が好きなんです,座禅もしたんです。ちょっとそれは余計なことですが。余計なことじゃないですよね,実は東洋のいろんな思想と,僕の知り合いに哲学者がいるんですけれども,哲学者でも変わっていて,西洋と日本の哲学を両方知っているんです。実はいろんなところで関係があるんです。皆さん御存じ,これ話すとまた余計な……,ヨーロッパが植民地支配したでしょう,400年。それで,東洋の知的財産も含めて全部自分たちのものにしちゃったから,彼らは,これはおれたちの考えだぞと言っている中に,実は東洋思想が山ほどあるんですよね。それはまた別な話。この現象学もそのうちの一つだと僕は思っているんですけれども,それはちょっと余計な話。余りこんなことを話していると,そのうちCIAににらまれるんじゃないか,余りそれ以上のことは。
 それで,そういうふうに絶えず,自然に出てくるのはしようがない。それはそれで出てくるままにして,問題は次の瞬間ですよね,次の瞬間,自分の意思でそれをわきに置いて括弧の中に入れる。これは実は,もう一つ非常に有名なアメリカの心理学者で,偏見の研究者,「女性の研究者」と言うこと自体が差別用語なんです。僕は前,東北大学の日本語教育研究講座にいたときに,皆さん御存じの方も多いと思いますが,サイタ先生にあるとき指摘されました。僕が「女性の教授が」と言ったら,「先生,それ差別用語ですよ」と言われた。そうですよね,本当にそう思いますが,今言ってしまいました。お詫び申し上げます。  それで,その先生の有名な研究なんですが,実験は複雑なんですが,簡単に言うとこういうことです。どんな人種的な平等主義者でも,一瞬人種的なネガティブな刺激を見せられると,瞬間的にネガティブな感情の反応が起こる,だれでも。平等主義者とそうでない人で何が違うかというと,次の瞬間だそうです。その次の瞬間,どういう意識を持つか,どういう行動をとるかで分かれるんだそうです。だから,今のこのエポケーも同じですよね。こうやって相手の話を聞いていて,生身の人間ですから,いろんなこと感じますよね,考えますよね。それはそれ,問題は次の瞬間,自分の意思でそれをどうするかです。まず,このフッサールが主張していることは,固定化しないで,わきに置いて,彼は括弧に入れちゃいましょうと言っています。ちょっと宙ぶらりんにしておいて,また自分の目で見て,耳で聞いて,体全体で,私は受けとめるという言葉の方がいいと思うんですよね。ただ聞くんじゃない,だから,そこが傾聴訓練と全然違う。相手全体を受けとめる姿勢をとる,それがこのエポケーができていれば,自然とそういう相手全体を受けとめる姿勢ができているわけです。そのエポケーの意識の操作ができていないと,その姿勢ができない。
 相手の話はどんどん続いていきますから,相手の話がずっと流れていくたびに,自然にこちらにもいろんな感情が出てくるし,判断が出てくるし,思いが出てくる。それを次から次へとわきに置いていく作業を自分の中でする。相手が話が終わったら,そうやってエポケーをしながら受けとめた相手の,今私がしたのは,主に話の最後の方に出てきたことで大事なことだけを相手が言った言葉のとおり,それをそのまま使って,あなたは何々ということがあったのでうれしいと感じているのでしょうかと同じ,私は「開かれた確かめ」と呼んでいますけれども,言葉,口調で,機械的ですよね,これは不自然です。こんなこと日常的にやりませんよね。だけれども,そうやってやらないと分からないことがいっぱいあるのでこうやっているんですが,それを繰り返していっただけなんです。
 それで,ここに残っていただいた理由は,ということを私はやってきたわけですが,話し始めたときからずっと私がそういうふうに開かれた確かめをしていて,話し終わったとき,その気持ちの流れをちょっと今思い出していただくと,どういう変化があったように気づかれましたか。

*1 傾聴訓練 アクティブリスニングと同意。
*2 アクティブリスニング (active listening)話し手の意図をも積極的に理解しようとする聞き方。
*3 サスペンド (suspend)つるす。宙に浮かす。浮遊させる。一時中止する。


参加者 質問されるときに,自分の思っていることがもっと正確にというか細かくなっていって,何々でしょうかと言われたときに,あっ,この部分は違うなという部分を捨てていくというと変ですけれども,それじゃなくてこっちだという路線がはっきりしていったような,最後にはそうですとしか言いようがないような気持ちになったという感じです。

渡辺 路線がはっきりして,最後にこういうふうにしか言えないなと今思ったところまでいったということですか。それをもう少し詳しく,どういうふうに。

参加者 例えば,さっきの例で申し上げると,あなたがメールを書いたことでその方が気持ちが落ち着いたというのがうれしかったんですかと言われたときに,私がメールを書いたことは別にそのうれしいという気持ちの中には入ってなかったなと自分が気がついて,いや,そこは問題ではなく,その方の気持ちが変わったということがうれしいというふうに,そこの部分は二つあったものが一つに絞られたというような感じがしました。
 今言われてもう一つ思い出したことは,最後は最後で,これ以上説明することはないなと思ったんですが,今の私のメールのせいではなくと言っていたときには,同じように質問されたときに,何となく,もう少し説明したいなという気持ちが出て,それをもう少し,では,その方が落ち着いたというのがうれしかったんですねと言われたときには,何で落ち着いたのがうれしかったんだろうと考えて,例えば将来に彼の知的な部分が広がっていくことがうれしいとかというようなことを話したいという気持ちになりました。で,話してみて,それがうれしかったんですねと言われたら,でも,やっぱりそこはそんなに重要じゃなかったかもという気付きが出てきて,その方の未来が開けてうれしかったんですねと言われたときには,いや,そうではないですというような否定になってというような,両方あった気がします。幾つか挙げられたうちの,この部分は余り重要じゃなくて,ここは重要というふうに絞られたところと,ここが重要なんですねと言われたときには,それをもっと枝葉広げて話したいという気持ちと,その両方を行ったり来たりして,何となく伝わったような気がして,これ以上言わなくてもいいかなというふうに最後落ち着いたというような気分です。

渡辺 どうでしょう,今,皆さんお話を聞かれて,決して私の確かめが相手の方のお気持ちそのままではなかったというのがお分かりになりましたよね。だけども,私がエポケー的なことをしながらこういう開かれた確かめをし続けるこのやりとりの関係をし続けることによって,こちらの方の中で,自分の気持ちの中にいろんな思いがあることに気付かれて,それが言葉にして表現できて,最終的にはそれが全部こちらに伝わったかな,これ以上もう言う必要がないなという気持ちで落ち着かれた,そういう感じですよね。

参加者 はい。

渡辺 ですから,先ほど関係は本質に先立つと,フッサールも本質に迫るためには,このエポケーというのが重要なんだというのは,今のようなことなんですよね。だんだんエポケーをしながらやりとりをし続ける中で,その相手の人も話してみるまでは気付かない自分の世界があるわけですから,こういう相手,こちらがエポケーの姿勢をとっていると,それが気づきやすくなって,自分の言葉にしやすくなって,さらに新たな気付きができて,それで全体が言葉に表現できて,相手に受け入れられて,気分は,感情はどんなですか。

参加者 単刀直入に言うのをちょっと避けて,違うことを今思ったんですけれども,最初,いわば能面のようなと言ったら失礼なんですが,全く抑揚もなく,どう考えているか,私が,渡辺先生がどう考えているかが分からないなという返事が返ってくるのがとても居心地悪くて,何でそういう態度をとっているんだろうというのがずっとこの辺にありながらお話ししていたんですね。最後終わってみて,言うことはもうなくなったという,あのときにはすっきりでもないんですけれども,中にあったものは全部出たなという,そういう気分だったんですけれども,今お話を伺った後で,その能面のような反応について自分が何を思うかというのを考えてみたときに,反応が分からないから考えたのかなという気はしました。すごく肯定的にしろ否定的にしろ,ああ,何々なんだと言われていたら,はっきり自分が違うと思ったときには,いや,そうではなくてと返したと思うんですけれども,自分が気が付いていないときに,何々なんでしょうかと言われたときに,そうなのかなとちょっと考える間が持てたというか,何かそういうのを意図的にやってらっしゃるのかなという気はしました。

渡辺 あくまでも相手中心,日本語教育でも学習者中心主義というのがありますよね。カウンセリングでもクライアント中心主義と。こっちはどうでもいいんですよね,こちらの方の中でどう,先ほどの言葉で言えば,再構成,リコンストラクションができるかどうかが重要なんであって,こちらのバイアス*1はもう最小限にする。ただ重要なのでしょうかと,それからエポケーだけはし続ける。だから,そのエポケーができるかどうかがまず第一のポイントですよね。だから,エポケーができるかどうかは,心の中の問題といえば問題ですけれども,こちらの意識の姿勢の問題ですから,かかわり方です,関係のあり方ですよね,相手に対する。僕は「理解」という言葉は余り好きじゃないんです,受けとめる。というのは,人間の場合,全体的なことですから,全体を受けとめる。文化もそうです,ですから,私は「異文化理解」という言葉を使わないで書いたんです。
 それで,だから,もちろんこちらの方がどういうことを考え,どういうことを思っていらっしゃる方なのかなという,フッサールの言葉で言えば,フッサールだけではないですけれども,本質というものが仮にあるとすれば,それが受けとめられるためには,そちらをまず気にするよりも,自分自身の関係の持ち方の方が,より先なんではないでしょうか,それがちゃんとできているかどうかの方が先なんではないでしょうかというのが関係は本質に先立つという言葉の意味になるわけですね。
 今,二人がここにいる間で確かめたいこと,さっきと同じ,科学審議でいきましょう,意見じゃなくて感想じゃなくて事実として,あのときはどうでした,確かめてみたいことがおありの方は,どうぞ,御遠慮なく。これだけの人数がいると,手も上げにくいかもしれません。だけど,いつも私は学生に言っていますし,私も学生のときそうでしたが,自分に分からないことは分からないことなんですよね,どんな偉い先生がそばにいても。

*1 バイアス (bias) 考え方などが他の影響を受けてかたよること。


参加者 メールを交わしているお相手の方に離婚なさったということを聞いて,その男性的な魅力というのは全然自分の中に感情としては起きてこなかったのか,どういう感情を抱いたかみたいな変化。

渡辺 ちょっと質問を限らせていただいて,このエポケーのやりとり,これについて限りましょう。そうじゃないと切りがない。私の離婚の話までいっちゃうと,それは困るんです。

参加者 こちらの方の表情は,ずっとこちらで見えていたんです,ずっと話している間。先生は,どういう表情をなさっていたんでしょうか。能面のようなお顔だったということだったんですが,初めと終わりでは先生の表情は何かあなたの心の中では変わられてきましたか。

参加者 私の記憶する限りでは,変わっていないというか,変わっていないように見えました,最後まで。それは私が質問したいことでもあるんですけれども,ああ,そうだったんだというのもないですし,そうでよかったねという顔でもないですし,常に何かこういう感じでした。だから,落ち着かない気分というのは,そういう意味ではあったんですけれども。
 それでちょっと関連して伺っていいでしょうか。肯定的に全体を受けとめると言われたときに,何となく自分の中のイメージでは,全部が伝わったという気持ちはあるんですが,伝わったことが,それをそう伝わったけれども,だからどうなのという部分はやっぱり最後まで見えないわけですね。私の何となくの五感では,受けとめられるってすごく肯定的に何でもいいんだよと,例えば母親が子供を受けとめるようなイメージを持っていたんですけれども,実際こうやって質問が終わってみて,理解されたという感じはするんですが,受けとめてもらっているのかなというのが私の五感では余りない気が実はするんですけれども,その辺はどうなんでしょうか。

渡辺 それは多分,私のせいだと思うんです。これだけの人数の前でやっぱり緊張しますね。能面のような顔というのも,その表れだったかもしれません。望むべくは,できるだけにこやかな顔で,体も緊張しないで姿勢もずっとそちらに向いているというのが一番望まれる姿勢だと思います。

参加者 すみません,そうしたら失礼な言い方をしたのかも。何でそう能面のようだと思ったかというと,さっき質問のときにこちらに伺ったときには,笑顔で話をされていたわけですね。その笑顔がふっと消えているという印象があったので,さっきとすごく違うので,これは意図的に何か感情を殺して,絶対出さないようにしてらっしゃるのかなと思って,エポケーはそうあるべきものなのかなと実は。

渡辺 いや,そういうことでは……,ちょっと私のまだ修行が足りない部分で。恥ずかしがり屋なんです,本来。
 どうぞ。

参加者 T養護学校のSと申します。
 今の話とかかわるかもしれませんけれども,先生の方はエポケーして相手の話を聞きますよね。そのときに,普通会話をしていると,聞いている方はうなずいたり,「ええ」とか,相づちを打ったり,日本語の場合は自然に出てくると思うんですけれども,それは意識的にうなずいたり,ええ,はい,はいとか,そういうふうにはしないようにしているんですか。

渡辺 それは,そこまでは制限していません。してもいいですし。

参加者 それはもう自然にしてもいいと。

渡辺 はい。問題は,それよりも大事なのは,意識的にエポケーができているかどうか,そっちの方が大事だよと,そういうふうに認識しています。

参加者 自然にうなずきをしたら,恐らく相手の方も,ああ,先生は理解しているんだというので,また反応が違ってくるのかなという感じがしたんです。さっき能面という感じで,余り出してなかったから,この先生,本当に分かっているのかどうかというような,ひょっとしたら不安があったのかなと。もし,うなずいたり,相づちを打っていたら,ちょっと違う印象になったのかなということを今私思ったんですけれども,その辺はどうなのかなと。

渡辺 恐らくおっしゃるとおり,私に対する印象は変わっていたんじゃないかなと思います。ですけれども,一番話をしてくれている人の側からこのエポケー実習を考えた場合に大事なのは,先ほど私が再構成という言葉を使いましたが,要するに,私とのやりとりの中で,自分を見るゆとりができて,自分への気付きが深まって,それを自分の言葉,言語ができて,表現していく中で,また新たな自分に気付いて,それがだんだん繰り返され,らせん状かどうか分かりませんけれども,最終的には,全部言いたいことが言えて,この場での再構成が一応終結する,それがこちらの側に立ったときの,この実習の目的になるんです。私の方はエポケーは絶えずできたかどうかが目的になるわけです。ですから,こちらの側で再構成ができている限りにおいて,それがちゃんとできていれば,一応目的は達成されたというふうに考えているわけです。よろしいですか。

参加者 さっき私,相手が能面のような顔だったので,分かっているかどうかが分からないから,言葉を探したと言ったんですけれども,うなずきがあったり,ちょっと表情がもっと柔らかかったりしたら,何となく分かっているような気になって,話さなかったかもしれないと言ったんですけれども,それもあるんですが,むしろテンポだったかなという気が今はしています。もし,先生がにこにこと,ああ,何々なんですかとおっしゃっていたとしても,テンポよくどんどん言われたら,考える余裕がなかったけれども,このテンポだったから,何となく自分にリフレクションがあったのかなという気がしました。

渡辺 それはとても大事な点です。おっしゃるとおりです。
 はい,どうぞ。

参加者 G大学のFと申します。
 先生のレジュメの12ページを見ながら,今のお二人のやりとりを見ていたんですが,最後のところで,「講師は」というのが出てくるんですが,「講師は,AにBから「確かめ」を受けてどのように感じたかを発言させ,」これは,Aのオザワさんが今発言なさったのがそうなんですよね。

渡辺 そうです

参加者 その後の,その発言に対してエポケーをするのは講師なんですか。では,そのエポケー実習をするというのは,二人1組のA,Bのペアがいらして,そばに講師が立って見ている。

渡辺 そう,そういうことです。

参加者 ありがとうございました。

渡辺 はい,どうぞ。

参加者 ボランティアグループのK日本語の会のTと申します。
 今,エポケーのお話とやりとりを見ていて,とてもいい勉強になったというのは,私,別なところで電話相談なんかをやっておりまして,そういう意味では非常に役に立つなと思ったんですけれども,実際日本語を教えている教育現場,ボランティア現場でこれがどういう形で生きるんであろうかということを,今,私自身は悩んでいて,どういう形に生かせるのかがちょっと分からないので,今日のこういう日本語教育現場で不可欠な実践力の一つであるというのは,どのようになっているのか,どういう位置づけがあるのかを伺いたいと思うんですが。

渡辺 私の,先ほど申し上げました上智大学の公開学習センターで秋学期には初級コース,春学期には大学院レベルの研究コースをやっておりまして,そこに英語教育の先生やら日本語教育の先生も,企業の人事担当の方もおいでになりますが,私が最も印象的だったのは,研究コースに出られた日本語教育の実践,日本語学校の現役の先生が二人出席された年が去年かなありまして,そのときに,そのお二人の先生は徹底的にエポケーを使って70分ぐらいの授業をデモンストレーションでやられたんです。それをどういうふうにしてやったかといいますと,お二人とも中級レベルの授業だという前提でされていましたが,学習者に課題を与えて,日本語で発言させますよね。すると,その日本語で発言された内容を,今僕がやったように,エポケーをして開かれた確かめをしてどんどん返していく。そうすると,学習者はもっともっと話を日本語でするんですよね。日本語が否定されることもなく受け入れられていきますから,どんどん話を。全員に対してそれをやりますから,全体が肯定的なムードになって,非常にグループが活性化してくるというか活発になっていく,そういう授業を見事にされたなと思いました。
 それから,日本語教育とはちょっと違いますけれども,私はJICAの方の研修所でJICAから海外に派遣される方々のための外国語教育の改善・研究プロジェクトに3年間入っていまして,そのときに我々がテーマにしたことの一つは,外国語教育はカウンセリングであるというテーマ,標語と言えば標語なんですが。つまり,それはどういう意味かというと,学習者一人一人レベルが違うわけですよね。すると,教える方は,学習者一人一人の困難さ,問題をまず理解しないといけませんよね,何に困っているのか。そのときに話をしますよね,教室でもいいし,1対1でもいいし,そのときにこのエポケーを使う。相手が,例えば自分はこういうところでちょっと今苦労している,困難さを感じているんですがと言ったら,即座に意見を言っちゃうんじゃなくて,受けとめる。あなたは今こういうことで困難さを感じて,親しい仲だったら,「でしょうか」じゃなくて,「の」でいいと思うんです。「こんなことでちょっと困難さを感じているの」。この感じているというのも大事なんですが,感じという言葉は全体考えていることも入るし,思っていることも入るし,感情も入るから,その人の全体があらわれやすい。そうすると,相手の人が,「の」と言ってくれますから,今みたいにやりとりをしていくと,もっともっと,その人が一体本当は何に困っているのかというのがだんだんはっきりしてきますから,はっきりした段階でこちらからアドバイスをすればいい。すると,かみ合いますよね。かみ合えば信頼関係も増しますよね。それで,相手からすると適切な指導ができる。
 これは語学教育だけじゃなくて,すべての仕事,最近コーチング*1という概念が企業ではやっていますが,コーチングの原理も実はここにあるんですけれども,このエポケーをいつもしていればいいという意味ではないんです。重要な,こちらから見て,今はこの人が何で困っているのか,じっくり確かめた上でこちらが助言しないとうまくかみ合わないな,あるいは仕事がちょっとうまく一緒にやれそうもないなと思ったときに,ちょっとでいいですから,このエポケー的な開かれた確かめを入れて,短い時間で済みますから,急がば回れと私は言っていますけれども,急ぐなら急ぐほどちょっと遠回りのようだけれども,このエポケーをやると,短い時間に相手の人は自分の深い気持ちを言葉にして出せるようになりますから,そこが出てきたら,そこに合うようにこちらから指導・助言をするし,指示をするし,注意をするなら注意する,怒るなら怒る。そうすると,かみ合った対応ができますから,人間関係は壊れにくいというのが私の考えです。ですから,いろんなところで使える。よろしいですか。

*1 コーチング (coaching) 学習者の気付きを尊重し学習を進める方法。


参加者 ありがとうございました。とても役に立つというか,要するに,人間関係で信頼関係を築かないところでは教育は成立しないという一言かなと思いました。

渡辺 その信頼関係ができるのは,私の考えでは,あくまでも結果であって,結果できる。だから,それよりも先立つものは,こちらがどういう関係を持とうとするのか,どう関係を調整していくのか,それによるんだと思うんです。どういう姿勢をとるか。
 どうも長い間すみません,大変いいデモンストレーションになりました。ありがとうございました。(拍手)
 ちょっと時間が延びてしまいました。これも私の至らぬところで失礼申し上げますが,皆様のお仕事がますます発展して,いい仕事が皆さんを中心に展開されることを望んでおります。
 どうもお疲れさまでございました。(拍手)

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