事例発表

事例発表
「年少者への日本語習得支援について ―私の実体験から―」
発表者:ペラエス・トミダ・エマニュエル(埼玉大学経済学部3年生)

司会(中野) 引き続いて,先ほどの佐藤先生の話にもありましたが,小学校の高学年の学齢相当のときに日本に来られて,それ以来,異文化の狭間でいろんな経験をしてきたエマニュエルさんという,今,埼玉大の3年生の方ですが,この方に事例発表という形で,言語習得の経験談も含めて,しかも現状抱えている問題とか今後皆さんに訴えたいこととかも含めて,これから約20分ほど話をしていただく予定です。
 それではエマニュエルさん,よろしくお願いいたします。

エマニュエル こんにちは。ただいま紹介いただきましたペラエス・トミダ・エマニュエルと申します。現在,埼玉大学の経済学部に通っております。
 それでは,早速ですが,話に移りたいと思います。
 僕がペルーから来日したのは今から11年前,1993年のことです。僕の家族が来日した理由というのは,何を隠そう,出稼ぎです。日本に来日する南米の日系外国人家族というのはほとんど,僕の家族と同様,来日して5年前後働き,貯金をつくり母国へ帰ろうとする短期の出稼ぎを計画して来日する家族がほとんどではないでしょうか。このような出稼ぎ家族は,余り長い期間,日本で生活を送る意思がないため,親,子供ともに,来日する前から既に帰国するときのことを考えてしまうと思うのです。そのため,日本での教育あるいは学校,さらには生活に対する関心が来日当初から希薄なものになってしまうものが多いと思うのです。
 しかし,短期の出稼ぎを計画して来日しましても,実際,長期化してしまう傾向にあるのです。長期化しないまでにしても,日本での生活,教育に対する考え方が安易なままではいけない日が到来してしまうのです。そのため,年少者が日本語を第2言語として習得するためには,親を含め,このような日本の教育,生活に対する安易な考えの改心,日本語教育への意識づけ,特に早い時期での意識づけが大事になってくるのではないかと思います。親のサポートも大きなキーポイントになると僕は考えております。
 なぜ僕はこのような主張をするかと申しますと,僕自身が幸いにも親の的確なアドバイスを受け,早い段階で日本語教育に対する意識化に成功して,大学まで進学できたからです。と簡単に申し上げましても,意識づけするのは,外国人家族のバックグラウンド上,容易ではなく,また,真剣に日本語教育に取り組み始めてからも多くのハードルがあります。僕自身もこれまでに多くの問題に直面し,何とか克服してきました。そして現在でも,多くの問題を抱えている状況にあります。
 まず,僕が来日して直面した問題というのは,学校生活に慣れることができず,勉強に対するモチベーションが上がらなかったことです。僕は,来日してから3か月間,自主的に日本語の勉強をしました。来日したのが1月という時期も関係していたのですが,いきなり学校に通い出しても,字が読めなければ日本語もわからないということで,このような勉強期間を設けました。正確には設けたのではなく,親にそうするよう勧められ,勉強しました。この3か月間,僕は絵本や低学年向けのドリルや,また外国人向けの教材を使い,平仮名,カタカナ,あと簡単な日本語をある程度覚えました。そして,少しだけですが,日本語をわかった気になったのです。ほんと気になっただけなんですけれども,そのことによって僕は日本語に興味がわきました。日本語習得のモチベーションも,若干ではありますが,上がりました。
 しかし,そういう思いで学校に通い出しても,当たり前のことですが,授業が全くわかりませんでした。生きた日本語がわからないのです。先生の話が字幕なしの外国映画のように感じ,非常につまらなかったです。それで僕の日本語習得へのモチベーションは完全に下がってしまい,さらには日本の子供とはうまくコミュニケーションがとれず,またいじめなどにも遭い,来日当初の学校生活は最悪でした。そういうこともあり,同胞のペルー人の子供ばかりと遊んでしまい,またペルーのテレビや音楽にも常に触れ,日本にいながらにしてペルーにいるかのような生活を送りました。そのことによってさらに日本の学校生活への対応が遅れ,ペルーに帰りたいという思いが大きくなり,日本での生活が嫌になっていき,勉強に対するモチベーションが下がり,学校にまじめに通わなくなるという悪循環が生まれてしまったのです。来日する外国人の子供たちは大半,このような状況に陥ります。つまり,日本の教育も母国の教育も受けられない状況です。
 しかし,僕がこういう状況を打破するターニングポイントというのがありまして,それは,両親が僕を呼び出し,ペルーにはそんなに早く帰れないかもしれない,いつ帰国できるかわからないと僕に対して告げたことです。3年で帰れるとてっきり僕は思っていたので,それを心の支えにして生活していましたし,またそれが日本での怠惰な生活,学校生活のための口実にもなっていたため,そのことは考えないようにしていたのです。恐らく両親は,そういった僕の思いを悟り,それを告げることに決めたのでしょう。しかし,現状を突き出された僕は,もう逃げることはできませんでした。そして両親はさらに,自分たちのように低賃金の出稼ぎ労働者になりたくなければしっかり日本語を習得して,日本で教育を受けるよう僕を諭しました。初めは怒りの余り,親の言うことに耳を傾けなかったのですが,冷静になって自分の将来を考えてみたら,いつ帰国できるかわからないのだったら日本語をしっかり学び,日本で教育を受けてもいいのではないかという気になれたのです。
 それからの僕は,積極的,能動的に学校の勉強,生活に取り組みました。そこで大きく生きたのが,最初の3か月間で多少なりとも日本語に興味を持ち,学ぶこと,わかることの楽しさの味を覚えていたことです。このことによって日本語,学校の勉強をすることが余り苦にならなかったのです。当面の僕の目標は,日本人の子供に学力で追いつくことでした。負けず嫌いな性格のためか,日本人の子供には負けたくなかったのです。
 しかし,勉強を教えてくれる人などもいなかったため,学力の差は初めのうちはほとんど縮まらなかったのです。しかし,能動的にみずから接し始めたためか,日本人の子供たちとは心の距離はすぐに縮めることができました。それまでほとんどペルー人の友達しかいなかった僕に,日本人の友達がたくさんできたのです。僕をいじめていた人とでさえも友達になれたのです。それで,今度は逆にペルー人の子供とは遊ばなくなり,気づいたらほとんど日本人の子供といました。日本人の子供と多くの時間を共有することによって日本語の会話力は著しく上達して,また,日本の文化についてもいろいろ学ぶことができました。そして,何よりも日本での生活が好きになり,ずっと日本に住んでもいいじゃないかと思えるようになったことです。
 日本人の友達の存在は,日本語習得に関して,すごい大きな力になりました。日本人の友達には勉強で負けたくなかったですし,みんなと同じようになりたいと思えるようになったことが大きかったです。もちろん,僕以外のほかの多くの外国人の子供たちにも日本人の友達ができ,会話力も上達したのですが,学力で日本人に追いつく者はごくまれでした。外国人の子供というのは,母国でしっかり教育を受けて来日しているわけではないので,初めに日本の勉強についていくだけでも精いっぱいなのです。
 それでは,なぜ僕は日本人に学力で追いつけたのでしょうか。その一番の理由として,恐らく両親の教育に対する高い関心だと思います。両親の助言によって,僕は幸いにも早い段階で日本語の勉強に対する意識化ができまして,学校にまじめに通えるようになったのです。子供というのはあくまでも子供なので,やはり大人のナビゲーションというのは必ず必要になると思います。外国人の子供たちというのは,周りから見て,学校の先生ですとか親ですとか友達ですとか,そういう人たちから見て,日本の勉強はできなくて当たり前みたいな目で見られているため,本人たちもそういう気になりやすいのです。自分は外人だから勉強はできなくてもいいやって,そういう気になってしまうのです。そういうことによって意識化が遅れ,学業で日本人の子供に追いつくことは難しくなります。僕が先ほどから何回も言っている意識化というのは,自分を一人の外国人としてではなく一人の生徒,周りの日本人と同じ生徒として勉強に対して強い意識を持つことです。僕はそういうような意識化で勉強を続けることができました。僕が日本人に学力で追いつくことができたのは,来日してから3年くらいたってからですかね。中学1年生のころでした。ちょっとした自慢なのですが,中学1年生のときに学年で総合3位でした。成績。(拍手)
 そのころから,日本人の子供とは変わらぬ生活を送ることができました。周りも急になぜか認めてくれるようになって,急にみんなと親しくなりました。
 しかし,中学3年生の受験生になりますと,大きな問題が発生しました。僕の家族というのは,最初にも述べましたとおり,日本には出稼ぎを目的に来日しました。つまり,なるべく早くお金をためて帰国したかったのです。一般的に,出稼ぎ外国人労働者の子供たちというのは,高等学校の先の大学や専門学校への進学はお金がかかり,家族の帰国を遅らせてしまうため考えられないのです。一種のタブーであると言えます。そのため,学業に対して強い意思を持っていたとしても,進学をあきらめてしまう子供たちが大勢いると思います。当然,僕もそのように思っていました。中学3年のときの意識調査で先生に志望校を聞かれたときに,僕は就職に有利な商業高校を挙げましたが,担任の先生は,せっかく日本で頑張ってきて,学業でもある程度みんなに追いついたのだったら,普通科の高校に行って大学の進学を目指してみたらどうだと僕に勧めてきたのです。僕も心のどこかで大学には進学したいと思っていたので,そのことを親に話し,大学に行ってもいいかと聞きました。そうしたら,何と驚いたことに,僕の両親は即答で,「大学まで面倒は見るから好きにしな」って。僕はうれしかったですね。普通の出稼ぎ家族なら,こんなことはめったにないと思うのです。僕は両親の器のでかさにも今でも大,大,大感謝です,本当に。現在僕がこうやって大学に通えていることはすべて両親のおかげだと思っております。
 そのことを言われた僕は,勉強に対するモチベーションというのはすさまじく上がりました。もう右肩上がり。すごいですよ,これは。そして,猛勉強のかいあって,模擬試験では志望校に必要な点数も何とか取れるようになったのです。一番苦労した科目というのはやはり国語だったんですけれども,暗記力ではなく理解力を試される科目なので,10歳まで向こうで育っている僕にとっては,理解しがたい表現方法が幾つもあるのです。日本語は何かを言った後に「…」で物事を語るじゃないですか。あれがもう理解できなくて,大変苦労しました。それはもう勉強とかではなかったですね。ある意味,勘で受かったようなもんです,高校は。
 そして,何とか志望校に合格しまして高校生になれたわけなんですけれども,高校ではごくごく普通の学生生活を送りました。部活に行き,友達と遊び,ガールフレンドとデートなどしまして,もちろん勉強もしましたよ。このころ自分の住んでいた町というのは,日本人のよく言う「地元」になっていました。完全にみんなが認めてくれて,日本人のコミュニティの一人として生活を送ることができました。親にはお金のことは心配するなとは言われていましたが,実際,出稼ぎ労働者なので,低賃金なんです,非常に。そのため,大学入試は私立はもう絶対無理なので,国立大学に絞りました。国立大学には授業料の免除制度などもあるので国立大学に絞ったわけなんですけれども,大学入試には外国人枠みたいなものがないんです。なので僕は,一般で入るしかなかったのです。センター試験も受けましたよ。大学入試戦争の真っただ中に僕は飛び込んだわけなんですけれども,何とか大学生になれたんです。しかし,今でも経済的にちょっと厳しい状況でして,親の貯金を食いつぶしている感じなんですけれども,非常に申しわけなくて,何でもっと外国人をサポートするような奨学金とかないのかなと。あることにはあるんですけれども,非常に狭き門で,ほとんどもらえないのです。入試にも外国人向けの制度みたいなものがないので,外国人というのは初めから進学をあきらめるしかないのです。勉強したくてもできないのです,そういうバックグラウンド上の問題で。そういう制度なりを設けることによって,学問の扉をあけることによって,外国人ももっと大学を目指す者が増えるのではないかと思うのです。
 こうして僕は大学まで進学できたわけなのですが,自分のアイデンティティーの形成などには非常に苦労しました。日本で教育を受けると決めてから,ほとんど日本人の子供としか接していないですし,それ以来,ほとんど母国の文化にも触れておりません。ペルー人の友達もいません。なので,スペイン語の能力は低下しています。また,日本で教育を受けたからといって,今お聞きいただいているとおり,日本語は完璧ではないのです。今でも辞書を持ち歩いて,わからないことはすぐ調べます。つまり,僕は完全なペルー人でもなければ日本人でもないのです。このことによって僕はずっと悩み続けているんですけれども。僕は何人なんだろうって今でもよく思います。
 また,本日,このような会に参加してみて,2月ごろにもこういう会に参加したのですが,驚いたのが,こんなに日本語支援があると僕は知らなかったのです。こういう場があるとはほんと知らなくて,今まで全部自分の力でやってきたんですけれども,そういう情報が恐らく外国人全員に行き届いてないと思うのです。もっとそういう情報を提供する場が必要なのではないかと思うのです。日本側の提供ばかりではなく,外国人の能動的な動きも必要だと思うんですけれども,もっと日本側も,外国人側も,共同になってこういう問題に立ち向かうべきだと僕は思うのです。
 何を話したらよいでしょう。困ってきました。以上です。(拍手)

司会(野山) エマニュエルさん,ありがとうございました。もうちょっとそちらにいていただけますか。
 先ほどエマニュエルさん,経済的な話をしてくださいましたが,私が事前に伺ったところでは,今でも埼玉大に通いながら,週に5日は夜のアルバイトをしている状況にあるということで,そんな状況でも常に辞書を持ち歩くという努力は,ぜひ第1言語が日本語の学生さんにも見習ってほしいというふうに思いました。今日は,敬語の使い方も含めて,こんなに日本語ができる学生さんに出会ったことは最近余りないかも---と思いながら,私としては感動して聞いていました。最後に一つ質問があります。
 かつてのエマニュエルさんと同じように,二言語で囲まれた言語環境にいる第一言語が日本語ではない子供たちが,少なくない状況なわけですが,その子供たちに対して,一つか二つ,先輩として何かアドバイスをするとすれば,何を伝えておきたいですか。

エマニュエル やはり最初はいじめにも絶対に遭うと思うんですけれども,根気強く通い続ければ,いつか認められると思うのです。周りの日本人にも。ですので,そういうのに負けず,学校に通い続けることが大事だと思うのです。学校に通わなくなるのは簡単なことなんですけれども,頑張り続けることによって,そういう楽な道を選ぶより絶対いろんなことを学べますし,自分にとっても必ずプラスになると思うので,とにかく負けずに学校に通い続けてほしいということですね。

司会(野山) ありがとうございました。(拍手)
 エマニュエルさんには後半のシンポジウム,パネルディスカッションのときもこの辺に座っていただきます。先ほどの佐藤先生のときも質疑応答の時間とれたらよかったんですが,押している関係で,後半の部でもし時間があれば,とりたいと思います。
 これから約15分ほど休憩の時間をとりたいと思います。35分から後半の部のパネルディスカッションに入りたいと思いますので,よろしくお願いします。
 そして,先ほど佐藤先生の方からご紹介いただいた本なのですが,「地域日本語学習支援の充実」という本が昨日付で発行されました。販売所がグリーンホールから少し離れた建物の1階にある学生ホールにありまして,そこで販売しております。特に,今日だけではなくて,明日の第2分科会,それから第1分科会と第5分科会にも関係あるところがたくさん書いてありますし,実際に執筆してくださった方も明日は分科会で説明をしますので,御興味がある方はぜひ手にとってもらえればと思います。よろしくお願いいたします。
 それでは,休憩に入りたいと思います。

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