日本語教育研究協議会 第4分科会

日本語教育研究協議会
第4分科会 「地域における日本語学習支援への第二言語習得研究の活用」
迫田 久美子(広島大学教授)

迫田 皆さん,こんにちは。 文化庁の大会でお話させていただくのはこれで二度目です。一度目はもう10年近く前ですが,そのころは大学の教員になってまだ1年か2年だったので,全く周りが見えないままひたすら突っ走ってきました。やっと少し落ち着いて少しは周りが見えるようになってきましたので,その間に私が気が付いたこと,勉強したことを皆さんにお話し,どうすれば学習者のための研究ができるのかということを一緒に考えていきたいと思います。
 朝のパネルディスカッションの中で,「気づき」についての話が出てきましたが,私もその「気づき」というのが非常に大事だというお話をこれから展開していきます。ここでは学習者の気づきだけではなくて,教師の気づきもとても大事だという話をします。そういうことを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
 では,まず「ねらい」をお伝えします。
 今,名簿を見せていただいて,非常に多様な参加者の皆さんがいらっしゃるということがわかりました。大学の先生,自立指導員,あるいは主婦の方もいらっしゃいますし,大学院生,もちろんボランティア,校長,本当にいろいろな方がいらっしゃる。そういう皆さんと一緒に,まず私が今日お伝えしたいことが,資料の「ねらい」のところに書いてあります。
 (1)「第二言語習得研究とは何かを理解する」,それから(2)「日本語指導への第二言語習得研究の活用法について学ぶ」です。第二言語習得の研究をしていてよく聞かれるのは,「先生,第二言語習得って役に立つんですか」ということです。私は逆に,「えっ,第二言語習得って役に立たないと思っているの?」と聞き返すんですね。そういう質問がたくさん出るということは,やっぱり第二言語習得というのは何か,ということがなかなか理解されていないんじゃないかなという気がしています。今日はその部分について,私が考えたことを皆さんにお話し,皆さんの意見も,伺いながら,答えを見つけたいと思います。
 第二言語習得研究の活用法,一つは教師への提案というか,教師自身への活用,それともう一つは,学習者への活用ということで,どのように指導に生かしたらいいのかという二点についてお話ししたいと思います。
 できるだけ具体的な活用法について話を進めたいのですが,皆さんにどうしてそういう指導法がいいのか,何が大事なのかということを理解していただくためには,方法をお話するだけではなかなか理解が難しい。方法だけ知りたいので,「先生,時間がないから,レトルト食品でいいから」と言っても,レトルト食品をそのまま渡すと,今度はレトルトばかり欲しくなるんですよね。そのレトルト食品を作るためにはどういう工程が大事なのか,あるいは自分でレトルト食品を作るにはどうしたらいいのかを考えてほしい。それが,私のねらいです。
 では,最初の40ページの資料を御覧ください。
 講義のためのキーワードです。難しい言葉やわからない言葉があると,大体人間の思考は止まるんです。大人は止まりますが,子供はあまり止まらないようです。大人は大学の授業の講義などもそうですが,難しい言葉や知らない言葉が出てくると,そこで思考がストップして,そこからあまり聞こうとしないんですね。そういうときにはその言葉が,わからなくてもいいから,とにかく聞いていくという姿勢でのぞんでください。その言葉がわからなければ絶対にわからないということはないと思います。そのうち何となくこんなことかなというのが大体わかってくると思うので,言葉一つ一つではなく,内容の理解を心掛けてください。そして,キーワードリストには,難しいかもしれないと思う用語の説明を書いていますので,そういう言葉が出てきたらちらっと見て,「あ,こんなことかな」というのをイメージしてください。しかし,キーワードを覚えることより大事なことは,「自分のキーワードを心に残せるかどうか」ということです。今日,ここで90分あまりの講義を聞いて,自分自身が何を勉強したのかということがわかるキーワードを持って帰ってほしい。それが,私の願いです。それは多分,人によって違うだろうと思います。一人一人キーワードは違うはずです。それはなぜかというと,ここにいらっしゃる方々の教えた経験年数,職場,それからそれぞれが生きてきた背景が違うからです。私が一つの話をしても,その中から得るもの,あるいは考えるものというのは全部違うはずです。ですから,ぜひ最後に自分のキーワード,今日はこれが印象に残ったなというものを一つ持って帰っていただければ,嬉しいです。
 前置きが少し長くなりましたけれども,本題にいきたいと思います。今日はできるだけ資料に沿ってお話をし,そして,ところどころパワーポイントのスライドを使って御説明したいと思います。
 「第二言語習得研究は何か」ということですが,さきほど大阪大学の西口光一先生と食事をしていたときに,先生から「海外では第二言語習得研究というのは,教育現場の先生が頑張って研究歴,業績をつくるためにやり始めた。そういう意味では非常にプラクティカル*1 なんだよね」とおっしゃっていました。たしかに,海外で第二言語習得研究をやっている先生方は,実際に語学を教えていらっしゃる方が非常に多いです。それに比べると,日本の場合は少し違う面があります。そのことについてお話を始めましょう。資料を見てください。
 1950年代,対照研究が非常に全世界花盛りで,そのころというのは皆さんが中学校で英語を習い始めたときにあたると思いますが,一生懸命/r/と/l/の違いなどを習ったのではないでしょうか。私などは割りばしとかスプーンを口に突っ込まれて訓練させられた思い出があります。それから,英語では「he」とか「she」になったら三人称の単数だから動詞に「s」をつけるとか,いろいろ覚えさせられました。その時代は,母語と目標言語の違いが誤りを生むというふうに考えられた時代だったためです。この影響で,留学生たちは一生懸命自分の母語と日本語の違いを研究することが盛んになった時代でした。
 しかし,時間が経つと,日本語と英語の違いが必ずしも英語学習に影響するわけではないことがわかりました。たとえば,皆さんがもし英語で日記を書くことを想定した場合に,「I」という主語を書くか,書かないかということを考えてください。(参加者に挙手で尋ねる)そうですよね。ここにいらっしゃるほとんどの人は「I」を書きますよね。でも,日本語は主語がほとんど使われません。もし皆さんが日記を日本語で書くときは,「私は」と書きませんよね。大きな違いです。そこで,日本人は英語で日記を書く場合に,きっと「I」を省略するのではないかと考えられました。そこで,ある研究者がアメリカで英語を勉強していた日本人に作文調査をしたところ,90%の人が主語をつけて書いていたという報告がありました。つまり,母語と目標言語,日本語と英語の違いが日本人の英語学習に誤用として必ずしも表れないということがわかり,対照研究の問題点などが明らかになりました。次に,ではどのような間違いが出てくるのかということから,誤用の研究が始まりました。学習者の誤用研究は,学習者の言語に関する研究として海外での第二言語習得研究のスタートだと言えるのではないかと思います。
 いろんな学習者からいろんな誤用が出てきます。たとえば,「先生,私は日本と台湾の割りばしになりたいです」と言うんですね。「割りばし」じゃなくて,「架け橋」ですよね。あるいは「先生,びっくり話してください」というのは,「ゆっくり」ですよね。それから,「まあどうぞたくさん食べてください」と言ったら,「いえいえ,もう先生,おなかがおっぱいですから」と言ったという話を聞いたことがあります。これは「おっぱい」ではなくて「いっぱい」ですね。三つとも文法というよりは言葉の間違いですが,どこか共通点がありますか。「ゆっくり」を「びっくり」,「かけ橋」を「割りばし」,「いっぱい」を「おっぱい」と間違えたのですが,どこが共通点でしょう。そうです,音が同じなんですね。後半の音が似ているんです。おっぱい,いっぱい,びっくり,ゆっくり,架けはし,割りばし。人間というのは,最後の音というのは耳に残るようです。このように誤用を見ても,「ああ,学習者はおもしろいな。こんな間違いをする」というところで終わらずに,彼らの誤用には共通点があるんじゃないかという気持ちで観察してください。そういうことに興味を持って,これはどうなんだろうと思い始めたら,もうその時点で皆さんは正真正銘,第二言語習得の研究者になっているのだと思います。ですから,第二言語習得の研究といってもそれほど難しいことではなくて,日々の皆さんの授業での学習者たちの間違いが研究につながるのです。それほど,学習者にはたくさんのいろんな種類の誤用が出てくるのです。
 1970年代に入り,誤用だけでなく正用も含めて研究されるようになりました。学習者の言語は全て間違っているのかというとそうではありません。正用もたくさん産出されます。皆さんは,日本語学習者にとって日本語では何が難しいと考えますか。敬語が難しいんじゃないか,助詞が難しいんじゃないですかというのが,一般的な答えです。皆さんもおそらく助詞が難しいんじゃないかと思っていらっしゃるのではないかと思います。しかし,ということは,「先生,助詞は難しくないんですか」というふうに思われるかもしれません。いえ,難しいことは難しいんです。でも,助詞よりもっと難しいことがあります。助詞は,日本語を話す際に頻繁に出てくるので,間違いが耳に残るんです。外国人の日本語を聞いていて,『あ,間違った』『あ,また間違った』と気になるんですね。しかし,実際は誤用と同じだけ,あるいはそれ以上に学習者が正しく使っている助詞も多いんです。ですから,皆さんが学習者にとって何が難しいかと考えるときに,「やっぱり助詞だよね」と短絡的に思わないでください。助詞も難しいのですが,誤用はほかにもたくさんあります。大切なことは,彼らの誤用にだけ注目するのではなくて,正用にも注目するということです。そうすると,ワンランクアップの習得研究ができると思います。
 それでは,次に,日本語の習得研究の流れはどうなのかということですが,日本での研究は海外と比べると,10年か20年ぐらい遅れているようです。私の独断と偏見による日本語の第二言語習得研究の流れなんですが,1970年代の初め,日本語教育学会が発行している「日本語教育」という雑誌が,誤用分析の特集を組みました。それが第二言語としての日本語の習得研究の先駆けではないかと思います。さきほど海外では現場の先生たちが業績を上げようということで始まったという話をしましたが,日本でもやはり大学で教えていらっしゃる先生が研究を始めました。それが誤用分析です。
 しかし,この誤用分析には二つの流れがあります。その一つは,日本語文法の解明が主な目的で,誤用分析を始めた流れですね。さきほどもいくつか誤用例を出しましたが,別の例を御紹介しましょう。例えば,「もうすぐ」と「すぐ」というのがよくわからないということで,「駅に着いたらもうすぐ(→すぐ)電車が来ました」とか,「もうすぐ(→すぐ)国へ帰りたいよ」とか,あるいは「おなかがすいたね。もうすぐ(→すぐ)食べよう」という誤用が出てきます。なぜ正しく言えないのでしょう。これらは「すぐ」に置きかえた方がいいわけです。さらに,「もうすぐ」が使えないのであれば,「すぐ」と「もうすぐ」はどう違うんですかという質問が出ると思います。当時,大学で教えていらっしゃる先生が出会ったのはこういう状況なのだろうと思います。なぜ「駅に着いたらもうすぐ(→すぐ)電車が来ました」と言えないのかということから,「すぐ」と「もうすぐ」には使い分けの制約があるということに気が付くわけです。そして,「あ,13:00だ。もうすぐ先生が来るよ」とか,「もうすぐ冬休みだ」とかと,「もうすぐ」を使っていい場合と悪い場合と並べて考えたら,次の制約が見えてきました。(1)「もうすぐ」という言葉は,現在を基準として未来をあらわすときに使う。したがって,「駅に着いたら」という現在ではない未来のある時点から言うときという場合は,「もうすぐ」は使えないんですね。それから,(2)「帰りたい」とか「食べよう」などの言葉に「もうすぐ」が使えないというのは,希望とか勧誘とか依頼などと共存しないというような制約があるということがわかってきます。
 次に,「すぐ」です。「私はもうすぐ二十になります」とは言えるのですが,「私はすぐ(→もうすぐ)二十になります」とは言えない。「すぐ(→もうすぐ)冬休みだ」。そういうふうに「すぐ」というのを使って間違った例を見てみると,(1)ある時点から何かが起きるまでの時間が短いことであって,それが現在とか未来,どちらでも使えるということがわかります。「もうすぐ」というのは「現在の今の時点を基準にしてしか使えない」のですが,「すぐ」というのはそうではない。「もうすぐ二十になります」に対して「すぐ二十なります」というのは不自然な日本語です。「すぐ冬休みだ」というのもやはり不自然ですね。「もうすぐ」の言葉には制約が多いようです。

「すぐ」と「もうすぐ」には使い分けの制約

 こういうふうに学習者の誤用を分析していくと,「こういう場合には使うと誤用になる」という日本語の規則(文法)が明らかになってきます。このような方法で,日本語の研究をした先生が多く出ました。皆さんがよく御存じの寺村秀夫先生,佐治圭三先生,そして水谷信子先生です。そういう先生方は1970年代に日本語を教えて,誤用から気づいたことを研究になさったのです。
 もう一つの流れは,日本語の指導的観点から誤用を参考とする指導を考えた教師です。この当時は,誤用というのはまだ教え方が不十分だから生まれてくると考えられていました。したがって,もっとこういうところに注意し,このように説明すれば,誤用がなくなると考えられていました。1980年代に誤用分析研究が始まり,多くの誤用を集め,一体どういう傾向があるかというところを研究していきました。
 私事になりますけれども,1985年ぐらいから誤用分析を研究し始めました。その当時,広島大学にいらっしゃった長友和彦先生と一緒に誤用分析を3年間続けました。研究を続ければ続けるほど,謎の方が深くなり,「これは大学院に入って勉強しなければいけないな」と考え,1989年から1年間受験勉強し,1990年,ちょうど誤用分析から中間言語の研究へと流れが変わるころに,広島大学の大学院に入りました。今年はそれからちょうど15年になります。修士と博士を終え,6年後,大学の教員になって今年で10年目になります。
 10年間,私は中間言語研究を行ってきました。ある先生から「まだ習得研究,やってるの」と聞かれるのですが,いつもこう答えます。「はい,いまだにやっております」と。研究の謎が深まるばかりで,なかなか解決の方向に行かないのですが,それほどに習得研究は私にとって魅力的です。次に,「第二言語習得研究とは,どのようなことをする学問なのか」という話をしましょう。
 では、皆さんにもいろいろうかがってみましょう。私は演壇にずっと立って話すというのは苦手なんです。もともと日本語学校の教師でしたから,一人でしゃべるというのが苦手です。人にしゃべらせるのは意外と上手なのですが,自分一人でずっとしゃべるというのが苦手なので,この辺からフロアの皆さんにもしゃべっていただこうかなと思います。
 まず,「第二言語習得研究の範囲」というのを見ていただきたいのですが,「第二言語習得とは一体どういう研究か」といいますと,学習者と言語のかかわりの研究なんです。ですから,私は現場教師に最も近い学問領域だと思っています。今日,ここにもし現場の先生がおいでになったら,習得研究は実は皆さんのための研究なんだということを伝えたいと考えます。なぜかといいますと,習得研究というのは,第二言語学習者の習得過程です。どのように習得をしていくかということの研究です。また,どういう要因がこの人の言語能力を向上させたのか,あるいはなぜ,なかなか上手にならないのか,それらの要因,それを明らかにすることの研究です。それから,母語と第二言語の習得が同じなのか違うのか,さらに母語の影響はどの程度あるのか,また,母語の影響があるとしたらどういうところに強く影響が出てくるのかも含まれます。
 私が習得研究を始めた最も大きな理由は,教室指導と自然習得の違いを明らかにしたかったからです。つまり,教室で教えることはいいことなのか,と言うことを知りたいのです。アメリカのある研究者が「教室で教えたって知識を覚える『学習』はできても,使いこなせるレベルの『習得』はできないよ。」と言っています。つまり,時間を与えて作文とかをさせたら,そのときは習った知識が生きるけれども,実際に話したりするときには,学校で習った知識は役に立たないと言った人がいます。知ってらっしゃる人も多いと思うのですが,1980年代の初め「習得と学習は違う」と言った人がいました。その話を聞いて,「そんなことはない」と思ったんです。当時,私は日本語学校で教えていましたので,私が教えていることを真っ向から否定されたような気がして,そんなことはない,ぜひ私は習得研究をやってその仮説を覆そう,そういう思いを持って研究を始めました。しかし,本音を言いますと,この10年間研究をしてきて,最近はもしかしたらあの研究者は正しかったかもしれないと思い始めています。数年前まで弱気でした。研究をすればするほど,何となく教室で教えることと外で使うことは違うかもしれない,と言う気がし始めました。ところが,ここ2,3年,それではいけないと思いなおし,教室指導の意味というのは何なのだろうということを積極的に考えるようになりました。
 次に,習得研究の範囲に含まれるのは習得順序・発達順序で,文字通りどういう順序で習得していくのかを研究します。また,一般的に言われています普遍文法も習得研究の領域です。言語学者のチョムスキー*2 という人が,「言語は特別なスキルで頭の中に言語能力というのが埋め込まれているから,だれでも人間は言語を上手に操ることができる」という考えを発表したのですが,では,一体その文法とはどんな内容だろうかということが問題になります。それから,次に誤用訂正の方法も習得研究の範囲です。どうすれば効果的に誤用訂正ができるか。これも多くの研究があります。それから,バイリンガルの研究も含まれます。私の昔の友人たちが,よく電話をかけてきました。なぜ電話をかけてきたのかと思うと,「ねえ,ねえ,英語って何歳ぐらいから教えたら上手になる?」という質問をしてきます。このように,子供に何歳ぐらいから教えたらバイリンガルになるのかというような研究も習得研究の一つです。
 最後に,指導の順序も研究の範囲です。例えば,「学習可能性仮説」という考え方があります。「学習者のあるレベルを超えて教えても学習は可能にならない。学習が可能になるのは,その段階の次の段階の項目である。」とする考え方です。つまり,ある学習者が現在この段階なら,効果的に学習できるのは、次の段階のことがらに限られ、段階を超えた高いレベルのことがらを教えても学習が可能にならない,という考え方です。また,意識化の研究も含まれます。今日,朝のシンポジウムでもちょっと話題になっていたと思いますが,意識すること,気付くということが大事だという考え方です。これも習得研究で,実は20年ぐらい前から言われていることです。それを応用して,最近では「フォーカス・オン・フォーム」,つまり,コミュニカティブな活動ばかりで意味にばかり注目するのではなく,「フォーム=言語形式」にもフォーカスを当てましょうという考え方が出てきて研究されています。駆け足で説明しましたが,これらが習得研究の範囲です。
 では,次は皆さんの出番です。最近,私がいろいろなところでお話ししたりすると,現場の先生方や学生からさまざまな質問が出ます。最近はEメールのようなすばらしいものがあって,「先生の本を読んだのですが,質問してもいいでしょうか」と言うので,「もちろん,どうぞ」と返信したら,ドッと質問が来るんです。ある大学では,「私のゼミで先生の本を読んだんですが,クラスの学生が質問したいと言うので,質問を送ってもいいでしょうか」ということで,たくさんの質問が来ました。それを見て,みんなの疑問点はかなり似ているんだなということを感じました。多分皆さんの疑問も似ているのではないかなと考え,よく聞かれる質問ベスト7を挙げてみました。
 それで,ここにいらっしゃる方々,前後左右2,3人で構いませんので,5分程度,この中のどの質問に興味があって,皆さんだったらどういう答えをなさるかというのを話し合ってみてください。どれか一つを選んで,隣同士で話してみていただけますか。皆さんだったらどの質問に興味があって,どういう回答をされるでしょうか。

*1 プラクティカル (practical) 実用・実際の役に立つさま。実用的。実践的。
*2 チョムスキー (Avram Noam Chomsky) アメリカの言語学者。伝統的な構造言語学を批判,生成文法理論を提唱,言語学のみならず,哲学・心理学・コンピューター科学など広範囲にわたり影響を与える。反戦運動や,現代アメリカ社会についての鋭い批判でも知られる。


<グループ討議>

第二言語習得に関する7つの質問 (配布資料から抜粋)

以下はこれまでよく尋ねられた質問です。みんなで考えてみましょう。

  • 習得したという判断はどうやってするのでしょうか?
  • 日本語の習得順序は決まっているのですか?
  • 効果的なフィードバック・誤用訂正とは?
  • レベルはどうやって決めるのでしょうか?また、初級から中級は上達が速いのに、中級から上級の上達は難しく、上級以上はさらに難しいのはなぜでしょう?
  • 日本語で習得困難な文法項目にはどんなものがありますか?
  • 成人と子どもを教える場合の注意点はどんなことでしょうか?
  • 日本語習得における教師の役割とは何でしょう?(教育への習得研究の役割)習得を速めるために教師ができることは何でしょうか?
迫田 はい,どうもありがとうございました。
 結構盛り上がっているようですが,話を進めていきたいと思います。皆さん,どれに興味がありましたか。1番に興味があった人,手を挙げてください。2番,3番,4番,5番,6番,7番,ああ,全部ありましたね。やっぱり当たっていますね。若干の違いはあるんですが,省けるのがあるかなと思ったのですが,省けないので,全部検討していきましょう。
 1番:「習得したという判断はどうやってするのか」これは皆さん,何か結論は出ましたか。

参加者 いったん正用ができても,また誤用が出てくる場合もあって,そこで習得したというのはまだ言えるかどうかわからないのですが,ただ,誤用が出てきたときに自分で修正できるように,モニタリング・チェックできるようになったら,習得したと言えるんじゃないかなという答えが出ました。

迫田 素晴らしい定義が出てきましたね,モニタリングとか。このグループは皆さん習得研究をやっている方ではないかなという印象がしますね。なぜかというと,誤用とか正用とかいう言葉を使って話していらっしゃるからです。習得研究者の「習得した」という大方の基準は,誤用が出なくなる,つまり誤用の割合が低くなるということで,正用率がふえて誤用率が下がるということなんです。
 こちらの人は,「作文を書いてもしゃべれなかったら習得したとは言えないんじゃないか」というご意見ですね。それも正しいのです。ということは,「習得した」という判断は,いろんな場面において違っているということなのです。だから,作文の中で誤用率がぐんと減って正用率が上がって,それは習得したと言えても,それが話せるかどうかとなったときには違うわけです。ですから,習得したという判断は,まず,どういう場面での習得を言うのかというところが大事です。日本語学校では学生に対して,「あなたは書くことでは一応習得しているけど,話すことではまだよ」などということをいちいち言いません。つまり,習得したという判断はニーズや状況によって変わってくるということです。
 ですから,日本語学校で習得したかどうかというのは,多分,日本語能力テストのような総合的なテストである程度判断されるでしょうし,習得研究者にとっては正用率で判断します。場合によっては,ある表現が一回でも出てくると,それは習得の始まりとする考え方もあります。たとえ間違った使い方をしていても,学習者が使ったらそれが習得の始まりだと見るかもしれません。そしてほぼ間違いがなくなって使われるようになったら,その段階は習得の終わりのころだというふうに考えられるかもしれません。そういう意味では,習得というのは一点ではなくて,非常に長い間のことを言うのではないかなと思っています。何となく答えになっているような,なっていないような,すっきりしないものかもしれませんが,それが習得ということの判断ではないかなと思います。研究する場合なら,定義すればいいのです。1時間の発話の中に2回以上出てくるのを習得の始まりとするとか,あるいは正用率が85%以上のものを習得したと判断するとか,そのように研究で規定すれば済むことなのですが,実際に習得したという状況を規定することはそれほど簡単ではありません。
 2番:「習得順序は決まっているのですか」です。習得順序は決まっていると思う人,ちょっと手を挙げてください。決まっていないと思う人,手を挙げてください。これは明確には決まっていないんです。これもそれほど簡単に習得順序を提示することはできないのです。それはなぜかというと,さきほど述べた習得の基準がはっきり提示できないというところにもかかわってくるからです。また,学習者がどのようなタイプの人たちかによって違ってくるからです。教室指導で教えられたら,先生が教える通りの順序で学ぶのではないかと考えられるのですが、現場の先生たちはそうではないことをよくご存知です。それは,学習者の頭の中のメカニズムがそうさせるのです。ですから,習得順序はそんなに簡単に規定できるものではないし,まだまだ日本語に関しても未解決というか,はっきりしていないんです。英語でも一時期,習得順序の研究が盛んでしたが,私自身はそれほど明確ではないのではないかなという気がしています。
 3番:「効果的なフィードバック」は,このグループが誤用訂正に興味があるということですが,どんなあたりに興味があるか,簡単に話してくださいませんか。

参加者 文法的なことを知っていないといけないんですけれども,文法だけでは割り切れなくて,やっぱり言葉の意味もかかわってきたり,そしてコンテクストがどうなるか,いろいろな要素があるので,(効果的なフィードバックは)一言では言えない。

迫田 そうなんです。答えがなかなか明確に出せないのです。「効果的な」というところが重要なんですね。研究で「効果」という結果は出せないのです。どのようにして「効果的か」を証明するかというと,実験して誤用訂正を全くしないクラスと誤用訂正するクラスと,別々に分けてしなければいけないので,なかなかこれも難しいのです。
 今日,ここに参加してくださっているN大学の先生や学生さんも,こういうフィードバック,誤用訂正について研究してらっしゃるのですが,現段階で言えることを何か一言お願いします。

N大学・S氏 誤用訂正で,直接相手に,「ここ間違ってるぞ」みたいなことを言うような場合と,ここが間違っているとはっきり言わずに会話の流れの中で,例えば「今朝6:00で起きました」「あ,そう,6:00に起きたの,早いね」みたいな会話の中で流しながら,実は相手の間違いを直してフィードバックしていく場合といろんなフィードバックの仕方があります。相手のレベルによって,はっきり誤用訂正した方が相手の身につくというのは,比較的レベルの低い方の学生で,上の方のレベルの学生は,はっきりと言わないで会話の中で正しいモデルを相手に返す方が良さそうだということが言われています。
 それから,こういうこともあります。こちらが助詞の間違いを直しているにもかかわらず,学習者は「あ,僕の発音が悪いから先生が何か言ってくれてるんだ」とか,学習者は教師の意図と違った部分で理解することもありますから,(誤用訂正は)なかなか難しいです

迫田 ありがとうございます。そうなんです。誤用訂正というのは非常に多面的な要素がかかわってくるので,さっきN大学のS先生がおっしゃってくださったように,それとなく,周りに気付かせず本人に気付かせるようにして訂正するような暗示的な訂正と,「間違ってるよ」というような感じで,「もう一回」「もう一回」と言って,周りにも気付かせるような形で明示的に訂正するようなのがあって,どちらがいいのかというのは,さっきおっしゃったようにレベルによっても違います。
 誤用訂正自体に本当に意味があるのかという研究もあり,なかなか,さっきおっしゃったように学習者は気がつかない。教師は発音が問題でしているんだろうとか,あるいはその場で訂正されても後で覚えていないことも結構あります。直されたら,周りが気づいていても,本人はオウム返しに反射的に直しただけで,後で全然覚えていないということもあります。ですから,誤用訂正をしたからといって,学習者が必ずしも「あ,間違った」という意識で聞いているとは限らないことを,教師はよく覚えておくことが必要です。
 それから,本当にその誤用を訂正する必要があるのかどうかということもよく考えてください。日本語の先生は気になるので助詞をよく直しますが,助詞は個人的には,よほど大事な項目,例えば,自・他動詞のかかわりで大事であれば別ですけれども,まあそんなに気にしなくてもというか,気にしても仕方がないかなという印象があります。まだ,そういう意味では,誤用訂正も未解決の部分が多いです。
 4番:「レベルの判定」は,実は習得研究をやっている我々にとってはとても難しいところです。「あの人は上級」とか「あの人は中級」と,簡単に言いますよね。皆さん,レベルはどうやって決められるんですか。

参加者 ふだん学校では,プレイスメントテスト*1 をして,そのテストの順にクラス分けをしています。

*1 プレイスメントテスト (placement test) 学校などで,生徒を能力別に振り分ける試験。クラス分け試験。


迫田 プレイスメントテストは大体文法テストですか。聞き取りとか,四技能すべて入りますか。

参加者 はい,そうです。面接も一応ありますが,実際にクラス分けをしてみると,やはりクラスに合わない学生がいたりして,後でまた調整をします。

迫田 「初級から中級は上達が速いのに,中級から上級の上達は難しく,上級以上はさらに難しい」とありますが,それは正しいですか。

参加者 はい,上級以上は難しいと思います。

迫田 やはりそうですか。なぜでしょうね。これは皆さんもおわかりになると思うんですけれども,別の分科会で講演をなさっている鎌田先生の,OPI*1 という口頭能力をはかる方法があるんですね。そのOPIでもなかなか,上のレベルかどうかをチェックするのは項目がたくさんあるんです。逆に,初級かどうかの判断は15分ぐらいで行うんです。あまりレベルが低いと何時間も話させるのはかわいそうなので,チェックポイントが15分ぐらいで済むんですが,中級,上級,超級の方になると,あれこれ突き上げていくので,チェック項目が増えるんですね。本当にこの人が中級なのか上級なのか。チェック項目が多いということは,結局上達するための項目が多いということです。ですから,そういう意味で中級から上級が難しいというのは,それだけ要求度が高くなるということです。さらに上級以上,つまり超級となる場合には,非常に高い言語の運用能力が求められるんです。
 OPIのテスターになっている方はよく御存じだと思うんですが,この人が超級の日本語能力があるかどうかの見極めとして,「それでは,次にロールプレイをします。今からあなたのお友達が結婚されるので,あなたは友人代表で,結婚式でスピーチをしていただくことになっています。1分ほどありますので,その後すぐ結婚式のスピーチをしてみてください」などのタスクをその場でやるわけです。日本人でもなかなか難しいですよね。さらにスタイルシフト*2 を見るために,「では,その結婚式が終わった後で,自分の下宿に帰って隣の小さい幼稚園の女の子か男の子に,今日結婚式に行ってきたよという話をしてみてください」というロールプレイをさせるんです。成人の日本語学習者にとって,小さい子供に日本語で話すという経験はなかなか難しいですね。
 そういう意味で,上のレベルに上がるとなぜ難しいのかというのは,単に文法項目の問題だけではなくて,それ以外にもいろいろなものがかかわってくるということで難しくなってきます。
 次,5番:「習得困難な文法項目はどんなものか」というのは,さっき言いましたね。助詞が難しいというふうに簡単に思うかもしれませんが,実際にはもっともっと難しいものがあります。使ったら多くの場合,間違うというのもあります。言葉に出てこないんですね,難しいものというのは。なぜ,出てこないのでしょう。

*1 OPI Oral Proficiency Interview の略で,テスター(資格を持ったインタビュアー)との30分の対話で口頭能力を評価するテストのこと。
*2 スタイルシフト 対話相手に応じて,丁寧体や普通体などを使い分けて話し方を変えること。


参加者 一つは学習者の言語にない。

迫田 そうですね。自分の言語にないというのはなかなか,頭では理解していても使えないんです。ですから,回避という形で出てくるんです。日本人は関係代名詞をつくる英文の構造がなかなか習得できないと,よく言われます。短文を重ねて関係代名詞を回避するという形になるので,なかなか習得が困難なものは,出てきて間違うものも困難ですが,出てこないのもあるということを覚えておいてください。
 私が習得研究でいろんなデータを見ていく限り,上級でも間違うのは,自・他動詞です。それから受身,使役は余り出てきません。シチュエーションをつくらないと,なかなか出てこないと思います。それから,のだ文は,これは初級には出てこない間違いで,中級以上です。韓国の人に何となく多いような気がするのですが,これもまだ謎の解明は残念ながら進んでいません。
 6番:「成人と子供を教える場合の注意点」です。これはもうアプローチの仕方が違ってきます。あるボランティアの先生に,「大人と子供を教えるのはどういうというところが違いますか」と質問しましたら,「大人は我慢して聞いてくれていますが,子供は我慢しません」と,一言で言われました。そうなんです。大人はどんなにひどい授業をしても,じっと我慢して座って聞いてくれますが,子供はそういうわけにはいきませんから,いかにおもしろく,いかに飽きさせずに授業をするかということが勝負です。また,大人は頭で理解してわからないと思ったらそこでストップしますが,子供はそれが余りないような気がします。わからないと思ってもどんどん行動してくれるような気がします。でも,大人は自分がわからないと思ったらそこでストップしますので,一人一人の学習者がどこでストップしているのかということを教師が見極めることが大事ですよね。
それから,学習者が質問をしたときにそれを大事にするということが必要です。「あ,そんなのわからなくてもいいですよ」とか,「それはもうすぐわかりますよ」とか答えて、そのままにしておくと,やはりその学習者にとってはそこで問題が解決できずになかなか次に進まないという気がします。
 最後,7番:「日本語習得における教師の役割とは何でしょう」という問題なのですが,ここから今日の話の内容につなげていきたいと思います。つまり,この答えはこれからのお話の中にありますので,ぜひ皆さんの手で答えを探してみてください。  「まとめると」の部分を,読んでいただきましょう。

参加者 「第二言語習得研究とは,第二言語学習者の習得のメカニズムを探る学問領域である。」

迫田 ということです。学習者がどのように習得をしていくのかというメカニズムを探るということですね。実際に日本語指導へどのように活用したらいいかということに進めていきましょう。
 まず私が考えたことは,教師自身へどういうふうに活用できるかということなんですが,この5年間いろいろなところでお話をする際に私が心掛けたことは,学習者はこういう理由で間違っているんですよという,学習者の代弁者みたいな気持ちで話してきました。つまり,彼らだって間違えようと思ってやっているわけではないし,怠けて間違っているわけではない。彼らの誤用にはわけがあるという,そのような話をしてきました。特に学習者の誤用は,実は学習者の労力の節約であるという,そこを重点的に皆さんに紹介してきました。
 皆さん,例えば四角い公園があったとします。この一つの角カラ対角線上の向こうの角に行きたいと仮定します。で,ここ全部きれいな芝生なんですね。私が3,4年前にカリフォルニア大学に留学したときに,きれいな芝生があって,対角線上の向こうに喫茶店があるので,そこに行きたいなと思ったんです。皆さんだったら,きれいな芝生の中に入ってはいけないと書いてあると,右回りで行くか,左回りで行くかですよね。皆さんだったらどこを通って行きますか。実は,真ん中がきれいにはげていて,道ができていたんですね。つまり,人は,向こうに行きたいと思ったときに,右回りの道も左回りの道も通らないで,真ん中の対角線を通るんです。そこだけきれいに芝生が生えていなかったんです。つまり、それは芝生を踏みつけた跡で,その部分はみんなが踏みつけるので,芝生が生えてこなくなっていたんです。それを見たときに私は,「あ,これって学習者の誤用だわ」と思ったんです。労力の節約なんです。労力の節約で,対角線の方が近いということがわかるので,そこを通るわけです。それと同じように学習者は,労力を節約する理由からさまざまな誤用を生み出すんです。
 例えば,そこに書いてある幾つかの事例がそうなんですが,固まりで覚えるということがありますね。例えば,学習者は「お好み焼きはおいしいだと思います」と言いますが,この「だと思います」という言い方は,実は「おいしいだ」という形容動詞の間違いではなくて,「だと思います」「いいだと思います」「楽しいだと思います」という,要するに「だと思います」を固まりで覚えているんじゃないかと考えられます。皆さん,心当たりはありませんか。外国人だけではないんですけれども,「京都って豆腐がおいしいですよね」「だと思います」と言いませんか。「あの先生,なかなか厳しいよね」「だと思う」とか。「だと思う」の前を省略して話しませんか。そのように日本人も結構使っているんですが,学生が使うと怒りますよね,皆さん。
 また,ある学生が「電話を番号,何ですか」と聞いたんです。彼は「電話を番号」と言ったんですが,そういえば,私たちは練習で「電話をかけます」「電話をします」のように,必ず「電話を」と言わせていることに気づきました。彼の頭の中では「電話を」が一まとまりだったんです。このように考えてみると,私の教え方も工夫しなければいけないなと思います。
 つまり,私たちがここは当然このように切り取って頭の中に入っているだろうと思っているのですが,必ずしもそうではない。実は彼らは自分たちの覚え方を持っていて、そういうふうに覚えた方が楽なんですね。助詞みたいにわけのわからないものがとにかく日本語はくっついている。そういったときに,何かつけなきゃいけないと頭の中で思う。そうすると,一番よくくっついている相手とくっつけるんです。だから,「どこへ小学校ですか」とか,「電話を番号,何ですか」と言うんです。あるマレー人の自然習得環境の学習者には「ところがが」とか「私はが」とか,「が」の使用が多いんです。全部に「が」をつけるんですね。学習者によって「が」をつけなければと考えて,「が」を多用する人と,反対に「は」を多用する人がいます。このように見ると、習得の途中段階では,何かくっつけて覚えるということをします。
 それから,順序で覚えます。「きのう私( )買った本( )とてもおもしろかった」のような穴埋めテストをやりますよね。そうすると,ある学生はあまり考えません。どうせ考えてもわからないからと諦めている学生がいます。そういうときに学生はどうするかというと,最初は「は」,2番目は「が」と書きます。皆さんも算数とか数学の勉強で,文章題が出てきたときにしませんか,私はよくやったんですけれども。今習っているのは掛け算だ,文章題が出てきて数字が2個出てきたら,文章をよく読まずに,出てきた数字を掛ける式をつくって答えを書くということはありませんでしたか。今の子供たちも大体そうだと思うんですけれども,省エネなんですね。いちいち読んで考えるのが面倒くさいから,大体数字が2個出てきて,そのときに習っているのが掛け算だったら,それを使う。引き算だったら引き算にする。
 それから,次に「狭い範囲で考える」を説明しましょう。これはSPOT*1 という筑波大学の小林典子さんたちがつくった聞き取り用テストの結果ですが,こういう間違いをよくするそうです。「そういうことはなかなかわからないだけです」,テープでは「なかなかわからないわけです」と言っているのですが,「わけです」と書かないんです。「なかなかわからないわけです」とテープは流れていて,その「わ」のところを書き取りをさせるにもかかわらず,「だ」と書くんです。なぜでしょう。なぜ,「わけ」と言っているのに「だけ」と書くんでしょう。なぜ,「だけ」と聞こえるのか。それは,文のあの位置で「け」が見えたらもう,みんなすぐ「だ」だと思うんですよ。自分が知っているのは「け」がつく2文字というと,大体「だけ」の方が多いです,「わけ」よりも。そういう意味で単純にそこだけ考える,あるいは見るんです。
 それから,次に,これは山内博之さんという,実践女子大学のOPIのトレーナーの方ですが,とても上手なインタビューをなさる方で,山内さんが学習者に,「あなたの家の周りには何がありますか」と留学生に聞きました。すると,「庭はありません」と答え,山内さんは「えっ」と反応しました。再度,彼は「あなたの家の周りには何がありますか」と聞いたんです。「いいえ,庭はありません」。私は思わず噴き出したんですけれども,どうしてこういう会話になったのだと思いますか。何で「庭はありません」になるんでしょう。わかりますか。

*1 SPOT Simple Performance-Oriented Testの略で,日本語文の中に抜いてあるひらがな1字を自然な速度のテープから流れる日本語文を聞いて埋めていく日本語の運用力を測定するテストのこと。


参加者 「周りには」の「には」が「庭」に聞こえた。

迫田 そうなんですよね。「周りには何がありますか」というのが,彼女にとってわかる言葉は「あなたの家」と「庭」と「ありますか」なんですね。つまり,音声言語,音声で入ってくる情報の中というものは,自分のわかっている言葉にしか注意がいかないんですよ。そうすると,必死ですから「あなたの家」と「庭」と「ありますか」しか聞こえないから,こういうふうになるわけです。
 そういうところで,こういう学習者がいかに自分の能力の限界,つまり少ししかない能力で最大限にそれを活用して反応していくと,こういう形になって出てくるんです。ですから,決して悪気があってしているわけではないんですね。それは,結局は人間が人間であることからきていることなんです。どういうことかというと,人間の持っている能力に,限界があるんです。聖徳太子のような,同時に7人の人が話すのをキャッチしたという,そういう人は別として,人間は普通7人の人の話を同時に聞いて理解するということはできないですよね。そういうところが実は言語習得に大きく影響しているということを理解していただきたいので,ちょっと実験をしていきます。
 「マジックナンバー7」というのは多分お聞きになったことがあると思うのですが。これも1950年代にアメリカの心理学者のMiller(1956)*1 という人が発表したものです。一度に覚えられる数には制限があって,成人では5から9です。「±2」というのが実は入っていまして,7±2ということは,五つから九つのものが一度に覚えられるということなんですが,今日出席なさった方が,どれぐらいの記憶力があるかというのを,試してみましょう。もうかなり脳が疲れているかなという方もいるかもしれませんが,今からアルファベットをお見せしますので覚えてください。合図をしたら,大きな声でおっしゃってください。はい,せーの。

*1 Miller, G.(1956)The magical number seven, plus or minus two: Some limits on our capacity for processing information. Psychological Review 63. pp. 81-97.


参加者 NASOP。

迫田 もう一度,せーの。

参加者 NASOP。

迫田 すばらしい。合っていますか。はい,合っていました。
 では,次,今の調子でいきますね。よく見てください。書かないでくださいよ。はい,せーの

参加者 PACSRU。

迫田 もう一度,せーの。

参加者 PACSRU。

迫田 ちょっと危ない人がいますが,合っていましたか。まあ,六つは楽勝でしょうか。
 はい,では少しアルファベットが増えます。せーの。

参加者 WHTNS・・・・。

迫田 あら,何となくもうギブアップという人がいますね。はい,見てください。WHTNS。まだ言えそうですか。じゃ,もうちょっと頑張りましょう。はい,いきます,せーの。

参加者 HABJA…。

迫田 あら,一部の方だけですね。これ,アルファベットが幾つありましたか。9あったんですね。三つは言える人。四つ,五つ,六つ,七つ,八つ,もうだんだん難しいですね。
 じゃ,もう一回チャレンジしてみてください。はい,せーの。

参加者 DAKSJHOLM。

迫田 前より少し声が大きいですね。なぜでしょう。それは多分,最初「ダックス」で覚えたでしょう。「ダックス」で覚えた人。すごい,ほとんどです。はい,じゃ,次いきますよ。覚えてください。せーの。

参加者 NHK IMF JSL ODA。

迫田 すごい。これ12あるんですよ。前のこれは9なんですよ。なぜでしょう。それは,三つずつ固まりだからですね。そして自分たちが知っている言葉だからです。こうやって固まりで自分の知っている言葉とくっつけて覚えると覚えやすいんです。さらに皆さん,DAKSJHOLMが,覚えやすかったのは,最初に「ダックス」という覚えやすい固まりにしましたよね。これが,学習者が固まりをつくる現象と同じことなんです。何とか覚えよう,先生が必死になって教えているその様子を見ながら何とか覚えなきゃいけないと思って,彼らは自分なりのルールをつくって覚えていくんです。こういうふうにして学習者は自分で工夫します。その工夫の仕方がたまたま間違っていたら誤用となって現れるわけです。
 では,もう一つの実験をいたします。今度は皆さんの脳の前頭葉の作動記憶のあたりをチェックします。作動記憶というのは最近非常に注目されているんですが,ワーキングメモリーというものがあるんですね。ワーキングメモリーとは,物事を聞いて考える,あるいは読んで考えるときに使う記憶のことを言います。私たちが「外国語があの人は上手よね」と言ったときに,これは即座に外国語で考えたり反応したりすることなんです。これが,作動記憶がかかわっているということなんです。もちろん母語のワーキングメモリーの量の方が,外国語のワーキングのメモリーの量よりは大きいはずです。バイリンガルは多分同じぐらいだと思いますが,一般の人たちはやっぱり母語の方が大きいと言われています。
 皆さんに今からお聞かせするのは,聞きながら考えて答えるテスト,これはリスニング・スパン・テストと言うんですが,これはワーキングメモリーの皆さんの量をはかります。でも安心してください。これは外国人用ですから,非常に簡単です。非常に簡単なので,できないとおかしいというプレッシャーをかけておきます。今からテープを流します。テープから聞こえる文章の内容を考えて,正しい場合は「マル」,正しくない場合は「バツ」と言ってください。そして,その後,文の最初の単語を言ってもらいます。どんどん文の数を増やしていきますから,同じことをやってください。
 例えば,「天橋立は日本三景の一つである」,はい,みんなで。

参加者 マル。

迫田 「黒ごま八ツ橋は橋の名前である」

参加者 バツ。

迫田 で,その後,「天橋立」「黒ごま八ツ橋」というふうに言うんです。これは2文の実験です。1文の実験のときは,「天橋立は日本三景の一つである」と言ったら皆さん,「マル」「天橋立」と言うんですね。2文になったら,一個ずつについてマルかバツかを言って,その後で最初に出てきた単語を言ってください。
 では,ちょっとやってみましょうね,どうなるか。

<テープ再生:このテストは某研究者のオリジナルのテストで,未公開なので内容は削除>
迫田 これが5文なんですが,なかなか厳しいものですよね。本当はもう一文増やそうかと思ったのですが,何となく苦しそうなので,この辺でやめましょう。
 これは何回も繰り返してやります。1文条件を3回,2文条件を3回,3文条件を3回,それぞれの文条件を3回やって,すべてマル・バツが正しく,かつ全部言えたらクリアなんです。それで外国語の場合で大体4点とか5点とかですね。
 頭の中でどういうことが起きているか,少し考えてみてください。ただ単に聞いているだけではなくて,内容を判断しています。正しいかどうかの判断をしながら,かつ単語を覚えていないといけない。この状態が実は学習者にとっての学習の状態なんです。第二言語習得の学習者たちの頭の中の働きというのは,こういう状態になっているわけですね。
 カクテルパーティ現象といって,私たちは実際によく,これと同じようなことをやっているんですね。聞かなくていいものは聞いていない。自分の必要な情報を取り入れて一生懸命考えようとしているわけです。「学習者の文法」のところにも書いてあるように,記憶保持というのが,母語だとかなりの量がありますが,外国の言葉だと今のようなことをやるのも必死なんですね。言葉を切り取って意味を考えて,そして記憶として保持していく。なかなか大変なわけです。ですから,彼らは労力の節約として何とか固まりで覚えたり,「ダックス」というような何となく聞き覚えのあるような言葉にひっかけて覚えたり,ごろ合わせで覚えたりするわけですね。そういう学習者の事情があるということをぜひ先生方に理解していただきたい,これが習得研究の一つの意義です。学習者研究とはいいますけれども,決して学習者のためだけではなくて,むしろ教師に理解していただきたいなと思っています。
 今度は,学習者にとって意義があるのかどうかということですが,もう一つ,「わかる」と「できる」についてもう一度,43ページの内容をお話したいと思います。「わかる」と「できる」は違う,これは多分現場の先生は「そういうのはわかってますよ」とおっしゃると思うんです。でも,実際に本当にわかっているかどうかというのはなかなかわからないんですね。ちょっと難しい言葉を使いますが,「わかる」に関する知識は宣言的知識と呼ばれます。いわゆる理解して説明することができる知識です。それに対して,手続き的知識というものがあって,これは「できる」に関する技能です。知識というより技能だと私は思います。つまり,自転車に乗るとき,自転車をこぐためには右足をペダルに置いて,車輪を動かした段階で左足をまたペダルに乗せてと,そんなのはわかるわけです。でも,それがわかったとしても,自転車に乗れるかどうかという保証はないんですね。やっぱり自転車に乗るためにはそれなりの訓練をしないといけない。これが手続き的知識です。実はこれを同時に処理するのは難しいんです。ということで,最後の実験をやってみたいと思います。ストループテストと呼ばれる実験なんですが,これもなかなかおもしろいです。先日,ヨーロッパの講演で実施したら,予測通りにひっかかってくださったので,とてもうれしかったんですが,ここの皆さんはいかがでしょうか。
 次の画面で出てくる文字の色の名前を,できるだけ早く,大きな声で読んでください。例えば,いきますよ。はい,せーの。

参加者 赤。(「黄色」と読む参加者あり)

迫田 やっぱりひっかかりましたね。はい,せーの。

ストループテストの実験
参加者 赤。

迫田 2番目はやっぱりひっかからないんですね。最初は「赤」と読む人が多いんですが,本当は黄色ですよね。その次は「青」と読まないで「赤」なんですね。では,せーの。

参加者 緑,赤,白,黄色,緑,赤,白,黄色,赤。

迫田 ということで,だんだんやればやるほど慣れてきますよね。ですが,皆さんも最初の例のところでおわかりになったように,本能的に書いてある文字を読みます。ところが,課題は色を読みなさいというんですね。ということは,私たちは一つの作業で二つのことをやらないといけない,処理をしないといけないということなんです。これがなかなか難しいんですね。
 実は,私たちが教室の中でやっているのは,これと同じことをさせているわけです。こんなふうに簡単な作業ではなくて,意味を考える,そして形式を考える,これを同時にさせているわけです。あるいは同時に教えているわけです。意味と形式をつなげて教えているわけです。これができるのは「わかる」の段階なんです。時間があれば,言いたいことがあって,その形式を考えるというのはできるんですが,「できる」の段階に持ってこようとしたら,このような重なりになっていないとだめなんです。ほぼ意味を考えて,形式を考えるのが同時でないと「できる」の段階に入っているとは言えないわけです。ですから,これが一緒になるためにはどういうことが必要かというと,統制的処理と即時的処理というものがかかわってきて,ぱっと聞いて,考えなくてもぱっと答える「自動化」していないと,「できる」の段階には入らないんです。
 昔,英語の先生が毎回授業の初めに一人一人に色々な質問を英語で聞くんです。「What time is it now?」とか,あるいは「聞きなさい」「質問しなさい」と言って当てるんですね。私は,中学2年のときだったんですが,「What time is it now?」というのが覚えられなくて,「What time is it now,What time is it now」と,一日中繰り返し,固まりで覚えていきました。そうしないと,ぱっと先生に当てられても言えないからなんです。「えっ,ちょっと待ってください。What time…is…it…now」というのは,まだこの形式を考えるところになかなかいかないです。だから,これが両方同時にできるようにするためには,やっぱり何回も何回も家で練習しないとできなかったわけです。これが「リハーサル」と呼ばれるものです。これは心理学の用語ですけれども,自動化に結び付けるためにはリハーサルが大事であると。何のことはない,要は練習をしなさいということですね。練習量が結局自動化に結び付くということです。
 では,指導法への活用ということで,もう一つ述べます。インプット処理の指導が大事だということなんですが,今日皆さんに二つの提案をしたいと思います。一つは,まず練習させる前に,理解させなさいということです。従来の指導は,インプット,今日の文法項目というのはこういうことですよと言うんですが,インテイクというのは学習者がそれを自分のものとして頭に入れるということです。そして発達システムというのは,今まで習ったことと関連づけて一生懸命頭の中で学習していることです。例えば,「食べられる」とか「話せる」とか練習をさせるわけです。可能形を習ったら,「はい,じゃ,ちょっと練習してみましょう」と。「食べる」「食べられる」,「行く」「行ける」,「話す」「話せる」と文型練習をやります。それは結局,インテイクとか発達システムの段階を飛ばしているんですね。とにかく形式を導入したら,「はい,じゃ,ちょっと口慣らしで練習しましょう」と言って,口慣らしの練習をしている間にわかるだろうと,先生は思うわけです。ところが,なかなかそれが直結していなくて,気が付いてみたら言わせてるだけだったということが多いのです。先生が言うから,仕方がなく文型を変えて言っているんですけれども,学習者本人の頭の中ではあまり考えていない。当てられるし,3番目で回ってくるからちょうどここの問題かなと,待っているわけです。それでうまく答えられたらラッキーなんですね。
 大事なことは,「理解の促進」と「気づきの促進」です。つまり,大事なのは,聞いてわかるということですね。聞いてわかって,それを自分で答えるということですが,この「わかる」の部分というのが実は落ちていたんですね。例えば,「花子さんが花をくれました」「花子さんが花をあげました」。「花は今どこにあるの」と聞いたときにわからない。「あげます」「くれます」「もらいます」の練習をたくさんするのですが,結局物がどこにあるのかというのは,その文を言ったときにはわからない。学習者は言い換え練習ばっかりするので,言い換えはできるのですが,それに意味理解が伴っているかというと,実はあまり伴っていないんですね。それが,昔のパターンプラクティスが批判された所以です。
 それで,今回私がご紹介したいのは,これも外国のVanPattern & Cadierno (1993)*1 という人たちのInput Processing Instruction,これを訳して「インプット処理の指導」という方法です。どういうことかというと,口慣らしの練習をさせる場合に,聞いて理解させる練習をたくさんしなさいということです。例えば「すずきさんが意見を言います。aかbか選んでください」と言う。すずきさんになったつもりでと,テープを流して,例えば「来ると思います」「はい,どっちを言っていますか,aかbか。aですよね。いいと思います。」と,つまり,「だと思います」「今日思います」,いろんな言い方があるんですよということをとにかく耳で聞かせて,どっちを言っているか,まねさせるんです。耳で聞いたのをそのまままねしてても,あんまり練習にならないんじゃないかと思われるかもしれませんが,まずは形式に気付くことが大事ですよね。今まで「いいだと思います」と思っていたけど,「いいと思います」なんだとか,あるいは「来ると思います」と“だ”がないとかに気付くことなんです。そういうことをまず手順としてやらせることが大事だということです。
 問2の方は,今から文を言いますが,そのときの「〜ため」というのは原因の意味ですか,目的の意味ですかという場合です。例えば,「東京へ行くために新幹線の切符を買った」,これはどっちですか。目的ですね。「東京へ行ったために地震に遭って大変だった」,これは原因ですよね。そのような形で,「ために」という文をたくさん聞かせることによって,「ために」というのが二つの意味を持っているということを,まず意識させる,そしてしっかり意味を考えて気付かせるということです。それをやることがインプット処理です。理解させることを重要視するという考え方で,ポイントのところを見て,ちょっと読んでもらえますか。

*1 VanPattern, B. & Cadierno, T. (1993) Input Processing and Second Language Acquisition: A Role for Instruction. The Modern Language Journal 77, pp. 45-57.


参加者 すぐに口頭練習を強要せず,即時的な理解と気付きを促進させることが重要。また,理解を通して,達成感を与えることが重要。

迫田 はい,ありがとうございました。これはまだ私自身も十分に研究をしていないんですけれども,なかなか当たっているかなと思います。これは,私は最近気が付いたんですが,もう既に10年以上も前に気が付いている人がいて,筑波大学の小林典子さんは,既にこの考え方でワークブックをつくっていました。もちろん彼女はインプット処理という言葉は知らないはずです。インプット処理という言葉は最近出されたんですが,その前に彼女は「わくわく文法リスニング」をつくっていました。これはインプット処理の考え方を非常にうまく取り入れてつくられたワークブックだなと思いました。
 では,いよいよ最後です。アウトプットの指導についてお話したいと思います。
 最近,私はシャドーイングに凝っています。凝っているというのは変ですが,シャドーイングは学習者のアウトプットを養成するのに言い方法かもしれないと思い始めたんです。シャドーイングとはどういうものかというと,すみません,読んでいってくださいね

参加者(日本語文を読む ← 迫田講師が参加者のあとをすぐ追うように読んでシャドーイングの実演)

迫田 はい,どうもありがとうございます。今のがシャドーイングなんですね。本当はテープから聞こえてくるのがいい。でないと,私がつまずくと先生も止まってしまうんですね。止まってしまうと良くない。私がシャドーイングできたところは,意味が理解できてしゃべれたんですが,ちょっと聞こえなかったりとか,意味がわからなかったりしたところは止まってしまいますね。でも,意味がわかったら後で言えるんです。それは母語だからです。これが外国語になると,なかなかそうはいきません。
 今,紹介したのがシャドーイングというものですが,これは同時通訳の訓練法の一つで,耳から聞こえてくる音を正確に,かつ素早く言っていくことなんです。リピーティングと同じと言われるんですけれども,認知心理学の観点から言うと,随分違います。リピーティングというのは,言った音を聞いて,それを頭の中で再生して言います。それに対してシャドーイングは,聞こえてくるものを同時に処理していきますから,即時的処理に近いのです。現実に私たちがしゃべっている会話のメカニズムにかなり近いのではないかと考えられております。
 「できる」には正確で多くの練習が必要と言いました。それで,今回,紹介しようというのがシャドーイングです。シャドーイングのことを余り詳しくはお話できませんが,興味があったら,シャドーイング,音読の本がいっぱい出ています。英語教育でたくさん取り上げられています。それから,認知症にも効果があるということで,東北大学の川島隆太さんが今引っ張りだこですけれども,音読の本をたくさん書いていらっしゃいます。声に出す,音に出すということが非常に大事だという,そういう考え方です。
 「じゃ,先生,さっきのインプット処理とちょっと違うんじゃない」というふうに思われると思いますが,順序があるんです。すぐシャドーイングをするのではなくて,インプット処理で十分な理解を得た後でシャドーイングをすることが大事だということです。口に出して言わせることが大事なんです。これはアウトプット仮説という,やはりアメリカで考えられた仮説に基づいているのですが,それよりももっと前に,もう既に通訳訓練校では取り入れられていました。
 具体的にシャドーイングというのは,さっきのようにいきなり練習させるのではなく,必ずいろんなプロセスがあって,まず聞かせる,聞かせて意味をわからせる。そして,マンブリング,口でブツブツ言うんです。さっきは,ちょっと声を大きく出しましたけれども,声を大きく出さずに,自分の唇を大きく開けないと割と早くいけるんです。今日帰ってやってみてください。NHKの7:00のニュースでも構いません,一緒に言ってみてください。口を大きく開けない,あるいは声を出さなくていいんです。ダイアン吉日さんは,電車かバスに乗って一生懸命落語の練習をして,声を出すとみんなが寄ってこないと言っていましたけれども,声を出さなくて,口を動かすだけでも練習になるんです。つぶやき読みなんですね,マンブリングは。
 シンクロ・リーディングというのは,テキストを見ながら,聞こえてくる音声と同時に遅れずに音読をすることです。ですから,テープを聞きながら一緒に読むということです。それから,プロソディ・シャドーイングというのは音声的特徴です。アクセント,イントネーション,ストレス,プロミネンス,そういうものを重視して読む場合。それから,苦手チェック。これは勝手に門田さんと玉井さんがつくった名前ですけれども,自分の苦手なところをチェックするということです。最後,コンテンツ・シャドーイング,これがさっきやりましたシャドーイングの一番典型的なものです。これは,私,今基礎研究をずっとやっていまして,欧米系の学生たちに教えているんですが,結構できます。でも,皆さんされてみたらわかると思いますが,すごく大変です。できるようになったらうれしいんですね。つまり,きれいな外国語のテープを聞きながら,それと一緒に自分の声をのせていくので,ちょっと何かに似ていませんか。はい,カラオケなんです。カラオケに似ていますね。何回も練習すると,最後のフィニッシュがぴたっと同じになるので,何となくそのテープと同じぐらい上手に話せたような気になって,割と頑張って続けてくれます。単に「音読をしてきなさい」と言うよりは,テープを与えて「シャドーイングしてきなさい」という方が頑張ってくれます。ただし,これは量とレベルが影響します。幾ら何でも毎日1時間はできません。量も長いと大変ですから,短い量で,絶対にその内容がわかる内容で,楽しい内容で,それから必ず先生がチェックをしてやることです。ほったらかしにして,シャドーイングしてきなさいと言うだけでは,してきません。そういうアフターケアが必要です。そういうことを考えて,今一生懸命やっているところなんですが,カラオケ効果ですね。
 注意を書いています。「準備をしないですぐにシャドーイングを開始するのは避けましょう」。まずは,自分がやってみてください。さっき鄭先生でしたか,「人徳ですから」と言っていることを注意されたと。ある方が,7年間放置されてだれも注意してくれなかったことを初めて注意してくださった。なぜ注意してくださったかというと,自分が同じように苦い思いをしたからだということだったんですが,そういう意味で皆さんが学習者の人に,もしシャドーイングをやらせたいなと思うんだったら,自分が体験してみることです。自分が実際にシャドーイングをやってみて,どういうところが大変で,どういうところだったらオーケーかということを,自分が理解してやってみてください。そういうことが1番から5番に書いてあります。
 私も実際に日本語のシャドーイングを始める前に,自分自身がシャドーイングをやり始めて,ゼミ生にもやってもらって,半年間みんなでシャドーイングをしました。そうすると,おもしろいことがわかりました。ある学生に「すごい上手。覚えたの」と言ったら,「いや,覚えてません」と。「でも,すごい完璧じゃない」と言ったら,「はい,毎日ちょっとずつやったら,コツが何となくわかるようになって,すごく好きになりました」と。ですから,積極的にやる子はやっぱり早いですね。苦手だなと思っている子はなかなかです。あるとき,私がシャドーイングをしているという話を聞いて,広島国際センターという教育機関が,中国で日本語の先生をやっている人たちを5人ぐらい招いて,1カ月間広島で訓練をしたんです。大学の日本語の先生ですから,結構日本語が上手なんですが,それだけではやっぱりまだ足りないので,日本語の訓練をするんですが,その先生たちに,シャドーイングをやらせる前に本を読ませて,プリテストですね,それからシャドーイングをやった。そうすると,大分上達したんだと思うんですね。それで1カ月終わって,帰る前に,もう一回同じ本を読ませた。その結果,本の読みの速度がガタンと落ちていた。速度が長くなったんです。速さが遅くなるというか,ゆっくりになっていたんです。それで,その先生はびっくりして,「えっ,速度が遅くなってる,落ちてる」と言われたんですが,ところが,その1カ月間,広島国際センターの職員の人たちは,「先生,今度の中国の先生,上手になりましたね」と言っていたんです。上手になるとスピードが上がると思ったのにもかかわらず,スピードが落ちていたんです。落ちていたのに,わかりやすくなったのはなぜだと思いますか。

参加者 注目しながら読んでいたからではないですか。

迫田 理解しないで,最初読んでいたのでしょうか。

参加者 理解が十分できていなかったからじゃないですか。

迫田 ああ,そうかもしれませんね。最初は,必死で早く読むことが上手なあかしだと思っていたんですね。シャドーイングでブラッシュアップして,何が違ってきたかというと,間が違うんです。間のとり方が上手になったんです。実は,一昨日,シャドーイングの話をするために,同時通訳の人にインタビューをしたんですが,その話をしたら同じことをおっしゃっていました。息子さんが,教科書を何分で読むかというコンテストがあるからって,必死で毎日読んでいるんですって。それで,お母さんは同時通訳者だから,二人で競争しようというのでやったら,同時通訳の彼女の方が,時間がかかったんです。それはなぜかというと,やっぱり間をとって話すからです。息子さんの方はもうとにかく必死でしゃべっていると。声に出すことに必死なので,意味をもちろん考えているかどうかは別としても,機関銃のようになって,早いです。ところが,彼女は考えて話すし,間をとるので,その方が聞きやすいし自然な英語ですね。
 ということで,エピソードの方が長くなりましたが,私が言いたかったのは,シャドーイングがいいから皆さんにしなさいということではないんです。ぜひ頭に入れておいてほしいのは,シャドーイングも一つの指導法ということです。音読もいいです。それから書き写しもいいです。一昨日会った同時通訳の方は,実はコーディネーターなんです。彼女はシャドーイングをさせる前に徹底的に書き写しをさせるそうです。コピーイング,あるいはディクテーションをやらせるそうです。企業秘密になるので詳しいことは言ってくれるなということでしたが,書き写しとか聞き取り,書き取りを必死になってやった上でシャドーイングをするそうです。シャドーイングは必ず効果があると言っていましたが,これはやり方次第で学習者にやる気を起こさせる,あるいはやる気をなくする,両方の可能性があるそうです。
 ということで,最後,「まとめ」にいきます。ねらいを振り返りつつ,簡単にまとめておきます。

まとめ
   第二言語習得研究とは何かを理解するということでしたが,二つの課題がありました。第二言語習得研究とは何かというと,学習者の習得のメカニズムを探る領域です。それから,指導へどういうふうにしたらいいかというのは,まず皆さんに知ってほしいことというのは,誤用にはわけがある,「わかる」と「できる」は違う,それから「できる」には時間がかかるということです。これを教師は頭の中に入れておいてほしいと思います。それから指導法の例として,インプット処理,まず口でしゃべらせる前に理解を十分にすることが必要だよということと,アウトプットをさせなさいということです。
 最後に,日本語教師も学習者と同様,日々成長していく過程を歩んでいます。学習者と共に私たち自身も一歩一歩成長していきましょう。ここで,終わりたいと思います。ありがとうございました。
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