日本語教育研究協議会 第5分科会

日本語教育研究協議会
第5分科会 「地域における日本語学習リソースの活用について」
小河原 義朗(国立国語研究所研究員)
岡部 真理子(国立国語研究所非常勤研究員)

小河原:小河原と申します。よろしくお願いします。
 「地域における日本語学習リソースの活用について」というテーマで,この分科会を始めたいと思います。
 まず,この分科会のねらいといいましょうか,目標からお話ししたいと思います。岡部さんと二人でこの分科会をどういうふうにしようかと考えましたときに,学習者は教室の外で一体何をしているのだろうかということについて,ぜひ一緒に考えてみたいというふうに思いました。もう少し限定しまして,学習者は教室の外で何をどのように用いて日本語を学習しているのだろうかというところを,さらに具体的に考えてみたいと思っております。
 もう少しこれを具体的に考えてみたいんですけれども,これ太陽の絵に見えますが,太陽ではなくて,真ん中を学習者と考えてください。学習者がふだん日常生活の中で,例えば日本語を学習するといった場合には,恐らく様々な何か“モノ”とかに接触するだろうと思います。それは物かもしれませんし,あるいは人かもしれませんし,人じゃなくてこういうふうな分科会に来るとかいろんな可能性があると思います。このような日常の学習者のいろいろな接触,学習者はどのような人や物やあるいは場所とか機会に行ったり,見たり聞いたり,やりとりしているんだろうか。さらにそれをどのように活用して学習,言葉というものを勉強しているんだろうかということについてこの場でお話しして,そして皆さんといろいろ考えてみたいと思っております。
 ただ,どのように活用しているのかということを考えてくださいというのはなかなか難しいと思いますので,国立国語研究所で今,量的そして質的な調査というものを行っております。量的調査を私の方から前半お話しいたしまして,後半さらに具体的な質的調査ということで岡部さんの方からお話があります。そういった情報をもとにして,一体学習者はどのような“モノ”,物や人や場所や機会というものに接触し,それをどういうふうに活用しているのかということについて一緒に考えてみたい。さらに,そこからどのような学習支援ができるのかということを,一緒に考えたいと思っております。よろしくお願いいたします。
 まず,研究所が行っております調査の背景についてお話ししたいと思います。
 多様化ということが昨日のパネルディスカッションでもお話があったかと思います。多様化と言いますといろいろな意味があるかと思いますけれども,よく学習者の多様化というようなことが頭に浮かぶのではないかと思います。昨日のパネルディスカッションでもありましたけれども,例えば学習目的ですとかニーズ,興味,関心,例えば昨日は特に年齢ですね,年少者それから親の問題が取り上げられていましたけれども,このような学習者の多様化ということがあります。
 では,そういった多様化の背景をもとに,例えば教室の中で一体どう対応していけばいいのだろうかということについては非常に難しい問題があると,いろいろ悩んでいることがあるのではないかと思います。今日の話では,この学習者の多様化,学習者を見るということだけではなくて,ちょっと俯瞰してみて,もう少し学習者を取り巻くモノについて見ていきたいというふうに思っております。
 例えば,学習者ではなくて皆さん御自身のことを想像して,あるいは思い出していただきたいんですけれども,例えば英語を勉強するといったときに,一人でやるわけではなくて,何か多分物に接触するだろうと思います。例えば鉛筆や消しゴム,ノートといった「物」から,教科書とか辞書,そういった「物」に接触するだろうというふうに思います。こういった「物」が,例えば最近教科書ではなくてコンピュータのソフトで勉強するといったことがありますし,それから例えば辞書といったものも電子辞書が安く手に入るとか,それから携帯電話の辞書機能を使って教室などで漢字の検索をするとか,そういうようなことがあると思います。その意味ではこういった「物」というものが非常に変化してきているということがわかるかと思います。
 また,「物」だけではなくて「人」とも接触すると思います。例えば先生に接触すると思うんですが,その先生の中でも例えばネイティブの人であったり,あるいはネイティブじゃない先生かもしれません。また,先生ではなくて一般的な人と何か接触をし,学習をするということがあるだろうと思います。このように「人」というものも非常に変化してきていると思います。
 さらに,場所とか機会ですね。例えばいろいろな場所に接触する,あるいは行ってみるということがあると思うんです。例えば最近では教室だけではなくて,例えば簡単な留学をすることができます。現地に行って短期の留学をすることもできますし,またさらに最近はコンピュータやeラーニングといったもので,実際に現場には行かなくても海外にいるかのような状況で勉強することができるというように,こういった場や機会といったものも非常に変化してきているというふうに思います。
 このように考えますと,真ん中にいる学習者の多様化だけでなくて,その学習者を取り巻く学習環境,それから学習環境をもとにして,実際に学習者はどんなふうにそれを使って学習しているのかというような,学習手段自体も多様化してきているというふうなことが言えるのではないでしょうか。
 このような多様化の背景というものを一度俯瞰してみたときに,この学習環境や学習手段,全体像というものをとらえてみる必要があるんではないかなというふうに考えまして,研究所では日本の内外,内外というのは例えば学習者も国内だけというわけではなくて,簡単に今,移動することができると思います。その意味では日本内外で日本語を学習している人々がどのような環境,手段で,日本語を学習しているのかということについて現状把握をしよう,この多様化と言われているものをきっちり調べてみる,それをすることで,例えば物とかお金といったものの支援ではなくて,もう少しよりよい現場に即した支援ができるのではないかというようなことを考え,研究所では「学習環境と学習手段に関する調査研究」というものを行ってまいりました。
 この調査研究について簡単に御紹介したいと思うんですが,まず最初に三つ特徴があります。一つ目が,先ほど申し上げましたけれども,国内と海外の両方を視野に入れているということがあります。2000年から開始しまして5年経過し,今年は最終年度になっています。そういった大規模調査を行っている。さらに日本国内だけではなくて,タイ,オーストラリア,韓国,マレーシア,台湾,これは学習者数とか,それから学習環境の多様性,そして調査の協力体制といったことからこういった国々を対象にして現在取り組んでおります。
 そして,二つ目のポイントとしましては,先ほど申し上げましたが,学習者を見るだけではなく,学習者を取り巻く環境といったものをすべて俯瞰して見ていくというようなことが,ミクロの視点とマクロの視点の両方から見ていくということ。それを手法としてはアンケートとインタビュー,両方を使って現在実施しております。そして三つ目として,学習者だけではなくて,学習者の学習に影響を及ぼすであろう教師というところの両面から調査研究を進めております。
 メモをお取りの方もいらっしゃると思うんですけれども,このような報告書を今つくっておりますので,この報告書は御連絡いただければお送りいたしますので,パワーポイントの方をごらんいただきながらお話を聞いていただければと思っております。後ほどこの報告書については御紹介いたします。
 では,この今回の調査についてまず最初に量的な調査の部分から御紹介したいと思います。ただ,今回時間の関係がございますので,タイと韓国,台湾を特に取り上げて,日本国内の状況等をちょっと適宜伝えながらお話しします。特に今回は学習者の方を取り上げてお話ししたいと思っております。
 まず,最初にアンケートから御紹介したいと思います。
 現在,アンケート調査はこのようなデータの数になっております。タイ,韓国,台湾を対象に,中学,高校を中心とした中等教育,それから大学を中心とした高等教育,それから民間等の学校教育以外といったところの分類ですとこのようになっております。日本国内では地域,それから大学,日本語学校を対象にアンケートを行いました。
 アンケートで実際に何を聞いたかということですけれども,先ほど学習者を取り巻く物や人,場といったものがありました。物や人,場,そういった接触の対象をここでは「リソース」という名前をつけて話を進めていきたいと思っております。このアンケートでは,学習者はどのようなリソース,物,人,場というものに接触しているのかということを中心に聞いております。
 では,早速ですけれども,まず人から見ていきたいと思います。人との接触というのはどういうことかといいますと,タイや韓国や台湾という海外の状況において,日本語を使って日本語でやりとりをしているかどうかということについてまず調査を行いました。このような状況になっているんですが,向かって左側の緑がやりとりをしているという答えの人,そして青い部分がやりとりしていないと答えた人です。タイと韓国と台湾を並べてみますと,大体40%の人が海外,自分の国で学習しているときに,何らかの人との接触を通して,日本語のやりとりをしているというふうに答えております。
 では,だれとどのように接触しているのかということですけれども,ちょっと想像していただきたいんですが,タイという国の中で学習者が日本語を使ってやりとりをする相手はどんな人がいるだろうかということです。例えば,日本語の教師というのが当然考えられるわけですが,それ以外には社会人で言えば同僚の人,それから知り合いとか観光客もいます。それから,上司,学校のクラスメイト,それから日本人の留学生だったり,あるいは親戚というような人たちが外国ではおります。こういったいろいろな海外においてやりとりする対象というのは考えられるわけですけれども,タイのアンケートの調査の結果では圧倒的に教師が多く,それに続いて学校のクラスメイトや知り合いというようなところが出てきました。
 では,一体どのような相手なのかということで見てみますと,例えば教師は日本人で,クラスメイトはタイ人,知り合いは日本人になる。頻度を見ると,先生あるいはクラスメイトは週2回ぐらい。それから内容については,先生とは勉強で,友達とは生活。手段は,どれも直接会って話す。割合というのは日本語とタイ語の割合ですね,これが半々ぐらいでやりとりしているということが出てきました。
 このように見てみますと,実際にタイでインタビューしてみますと学校の授業時間が週に2回ぐらいあって,その後に先生とやりとりをするとか,あるいはその後にクラスメイトとやりとりをするといったようなところが見えてくるわけです。さらに,知り合いの日本人がいるタイ人の場合には接触があるわけですけれども,月に2回ぐらいという現状が見えてきます。
 では,韓国ではどうだろうかということですが,同じように周りにはいろいろなやりとりの対象の可能性があると思います。韓国の調査の結果では,知り合い,それから教師,やはり学校のクラスメイトというようなところが出てくるわけですけれども,タイと違うのは割合が大体同じような割合になってきているということがあります。特に知り合いが多いということに関しましては,タイと比べると韓国の場合には日本に留学をする経験があるというようなことが3割から4割いまして,そういったところから日本人と知り合いになる,そういったところでメールを使って日本にいる日本人とやりとりをするといったことがどうもあるようです。さらに,メールによる場合には全部日本語というようなところがあるようです。しかしながら,やはり頻度のところを見ますと,全体で見ると月に2回ぐらいということで,先生やクラスメイトという部分ではやはり週2回ぐらいの接触,授業といったところが絡んでいるのだというふうに思われます。
 このように,例えばタイと韓国を取り上げて比較してみた場合に,どんな相手とやりとりしているか,どのようにやりとりしているかというようなことを考えてみますと,そんなに多くはない,結構限られたやりとりになっているのではないかというところが見えてきます。
 例えば,先ほど,はいといいえで,接触をする,しないと聞いたわけですが,では何でいいえなのか,しないのかということについて同じように聞いてみましたけれども,例えば日本語力がないとか,あるいは相手がいないとか,それから動機が低いとか,あるいは所属が違う,いろんな可能性があると思います。これに関しましてはアンケートでも幾つか聞いているんですけれども,例えば日本語力がない人でも実際にやりとりをしている人がいました。またさらに,同じ環境にいながら相手がいないというような学習者もいるわけです。また,同じような動機の強さの中でもやる人がいたりいなかったするというようなところがあると,単純にこういったところだけが理由になっているのではないということが見えてきます。
 ここで,実際に学習者にインタビューをしましたところ,このような人たちが出てきました。つまり,日本人の集まる場所に自ら行ってやりとりをする,日本人に話しかけるといった人が結構出てきたわけです。これがどんな場所なのかということですけれども,これが例えばタイの状況ですが,これはタイのバンコク市内の中央部にありますショッピングモールみたいなところなんですが,日本のグッズを売っているような場所に行ってみるとか,それからこれものバンコク市内の中心部ですけれども,日本の食事をするようなあるいは居酒屋に行ってみる,あるいはビデオショップに行ってみるということがあるようです。それから,本屋に行ってみると日本人がいるので話しかけてみるとか,それから観光地に行って実際に話しかけてみるとか,学習者の中でバッグパッカーが集まるようなところに行ってみるとか,そのようなことがどうもあるようです。
 今度,こっちは韓国のソウルですけれども,「カケハシ」という名前が出ていますが,「日本語カフェ」と言われている場所です。中に入りますと,このように日本の漫画とか雑誌,CDなど音楽類が並んでいるわけです。テレビがずっと放送で流されていて,それからコンピュータなどで日本語のドラマを見てみたりとか,それからメモや掲示板などがあって,ここでいろいろな情報をとっていろいろな日本語のやりとりの接触機会を持つ。あるいはこの日本語喫茶自体が交流会を毎日やっていて,夜になるとフリートーキングの時間を持つ。これはどういうことかというと,会社帰りの日本人とかあるいは韓国で日本語あるいは日本に興味を持つ人がこのカフェに来て,そういった時間に仲良くなってそこで会話をするということがあるようです。ここはアルコールは出ないということなので,もし興味がある人,あるいはもっと話したいという人はここでお茶を飲んだ後に,そういった居酒屋に行って今度はじっくり話すとか,そんなようなことがあるようです。
 こういうような状況が,幾つか学習者のインタビューで見えてきたことから,どうも学習者が実際に自分自身で接触の機会をつくって日本語のやりとりをしているというところが見えてきます。さらに,学習者にそういうことを聞くと非常にそれが動機づけになっていったり,自分の中で日本語力を高めるというようなところを語っている人たちがいました。
 こういった状況というのは,実際に現地に行きますと,身の回りにある機会を自然にうまく利用している結果なのではないかということが見えてきます。ところが,こういったようなうまく利用して接触をしている,日本語でやりとりをしているという学習者がいる一方で,先ほど,「いいえ」というようにやりとりしない学習者もいました。こういったところについて,話を聞いたりしてみますと,対象,つまりやりとりをする対象とか,そういった場所に関する情報がないのではないかということだったり,あるいは対象への接触あるいは利用方法がわからないということがどうも人とのやりとりから見えてくることがありました。
 では,タイや韓国,台湾といったものを比較してみて,国内はどうなんだろうかというところで,国内のアンケートを見てみますと,このように一番下が日本ですけれども,8,9割の人があるというように答えているわけです。ちょっと「ない」という人がいるのは気になると言えば気になるんですけれども,国内というのはほとんどやりとりしているというところが見えてきます。
 ところが,相手はどんな人なんだろうかと見てみますと,例えば地域の学習者の中で最も多いのは家族や親戚と答えています。大学生はクラスメイト,日本語学校の人は日本語教師というように言っています。もちろん大学生の場合にはもっと広がりがあると思うわけですけれども,数の割合からするとかなり多いということを考えますと,確かに周りにやりとりをする人がいる,機会があるということが見えてきますが,その一方で本当にあれば接触が起きるということではないのではないかというところも見えてきます。もちろん,これは海外でも同じということは言えませんけれども,実際やりとりする対象がいればいいかというとそうでもない,でも実際に日本国内には海外よりもやりとりをする人や機会があると考えれば,そこで何か支援ができるんじゃないかということも考えられます。
 続いて,今度は物の話をしたいと思いますが,物,これはどういうことかといいますと,例えば日常生活で身の回りに日本語の物を見たり聞いたりしたことがありますかということを聞いてみました。海外,先ほどと同じように3カ国に聞いたところが,このように8割方の人が何らかの物を見たり聞いたりしているというように言っています。
 では何をどのように見たり聞いたりしているのかということですが,先ほどと同じようにタイでどんなものがあるのだろうかというのを想像していただきたいんですが,例えばテレビ,それから新聞,雑誌やビデオ,テープ,ゲーム,コンピュータ,漫画,本やCD,いろんなものが考えられます。そこに出てくる,あるいは聞く対象というのはいろいろあるわけです。そういった対象の中でタイは何が多いのかということですが,テレビ,漫画,雑誌といったところが,ほぼ同じような割合で多く出てきました。
 さらに,物に関して,おもしろいといいましょうか,興味深い点としましては,例えば中等教育,高校生が対象になっているわけですけれども,高校生がそういったいろいろなものの中で特にどんなものをというのを見てみますと,例えば日本のアニメ,それからゲームソフト,それからお菓子というのが出てきます。お菓子というのは,例えばタイに行くとBTSという鉄道がありますが,その駅に日本でいうところのキヨスクだと思うんですけれども,その売店に日本語のお菓子が売っていたりします。こういったお菓子が,例えば高校生の間に人気があって帰りに買って食べるというようなことがあるようです。さらに,学習者の中には,御存じの方もいるかと思います,こういったお菓子のパッケージの日本語というのはちょっとおかしなものがあったりして,その誤用分析をする学習者がいたりするわけです。つまり,メモにとって一体何が違うのかというようなことをして勉強するという意味ですね。本人は勉強とは言っていませんでしたけれども,そのようなことをする学習者がいる。
 その一方で高等教育,つまり大学ではどうかというと,日本のCDなんかを聞いたり,あるいは電化製品などを安く手に入れて,その説明書を読んだりというようなことをしているようです。
 それから,学校教育以外の,例えば社会人なんかでは日本企業などに勤めていて,日本語の書類や,ファクスを見たり読んだりするということがあるようです。実際に頻度や内容,理由を聞いてみますと,あるいはアンケートを見てみますと,非常に多種多様なものが出ることから,8割方の人がいろんなものを見たり聞いたりしていて,それは多分いろいろな接触,いろいろな必要性といったことから接触が起きているんじゃないかということが見えてきます。
 同じように韓国ではどうだろうかということなんですが,例えばタイと比べてみますと,漫画やテレビは似ているんですが,例えばビデオやコンピュータ,CDといったものが非常に多く出てきます。この辺は多分韓国の方がコンピュータといったインフラが整備されていますので,簡単にコンピュータを通してドラマを見たり,映画を見たりというようなところがどうもうまくできているということがあります。
 では国内はというと,当然100%見たり聞いたりしているわけです。特に多いのがテレビですね。例えば日本の場合には,もちろんテレビ自体が部屋にあれば24時間つけっぱなしにすることもできるわけです。そういうような状況が見えてきます。
 幾つか見てきたわけですけれども,物との接触というのをちょっとまとめますと,日常生活の中,しかもそれは海外という環境の中で見ても,それぞれの学習者の動機とか必要性があるわけですけれども,そういったものに応じていろんなものとの接触が起きているんじゃないかというところが見えてきました。さらにアンケートやインタビューを通じて,それは非常に楽しいこと,上手になりたいから接触しているんだというふうなところを言っている声をよく聞くことができました。
 では,物ということで考えますと,例えば授業で使っている教科書があります。授業で使っている日本語の教科書というものは,授業以外で利用しているのかということについて聞いてみましたところ,半分から7割方教科書を授業以外でも使っているというような人がいました。では,どのように教科書を使っているのかを聞いてみたところ,「暗記暗唱する」とか「語句の意味を調べる」というところが各国共通して出てきました。では使わない人たちはなぜ使わないんだろうかということを同じように聞いてみましたところ,「使い方がわからない」,「授業時間外に勉強しない」というようなところが結構出てきております。これを見ますと,もしかすると使っている人は例えば先ほどのような暗記してみたり,語句を調べるという使い方で,使っていない人というのは使い方がわからないというのと同時に,授業時間外に勉強しないということが見えてきます。勉強するというのはどうも教科書を使うということで教科書と授業が密接に結びついているということが見えてくるかなと思います。つまり,教科書というのは授業外で利用しているというのが7割ぐらいの人から出てきたわけですけれども,その使われ方を見てみると,その教科書あるいは授業に対する考え方というのは,どうも限られているのではないかということが見えてきます。
 実際に,教科書以外に日本語学習に使っているものは何ですかと聞いてみますと,このように文法,参考書とか解説書といったものを非常に多く使っているというのが見えてきます。こういうところから考えてみますと,どうも学習者が教科書を使うということが非常に勉強と結びついていて,教科書を使って勉強することが,授業をやる教室というとらえ方があるような感じがします。その一方で,さっきから見ていますように,授業外で様々なものと接触が見えてきました。しかも,学習者はそれがとても楽しいようです。そのような教室外でのいろいろなものと楽しんで接触しているやりとりの世界と,教室あるいは教科書といったものの関係というのは,一体どうなってるんだろうかというところが物のやりとりの中から少し疑問として出てくるわけです。
 最後に,場との接触について見ていきたいと思います。タイや韓国,台湾という海外にいて,日本語と接触するような機会,場所というものに接触しているのかどうかを見ていきますと,大体共通して4割ぐらいの人たちが接触をしているというふうに言っております。では,どんな場所なのかということですけれども,例えばタイでイベント,現地でジャパンフェアとか,あるいは日本の盆踊りをするとか,いろいろなフェアがあると思います。そういうイベントに行ってみるとか,あるいは日本人の家庭訪問をするとか,センターそれから図書館に行ってみたり,先ほどのような観光地へ行って話しかけたり,現地で日本語のアルバイト,先ほどの飲食店でアルバイトをするとか,それから日本人のいる場所に行く,スピーチ大会に出る,日本人との交流会に行ってみる,ホームステイをするとか,いろいろな可能性があるわけですけれども,タイの現状を見てみますとイベントが非常に多いというところが見えてきました。
 韓国の方はどうなのかを見てみますと,日本人が恐らく韓国の中に多いということを考えると,そういった日本人のいる場所とかやはり交流会といったところにどうも行っているようです。先ほどの「カケハシ」のような場所もそういうところかもしれません。
 実際に利用している人たちにもっと経験したいかどうか,続けて経験したいかどうかについて聞いてみますと,ほとんどの人がそれを希望している。タイの調査ではどうしてそういう経験をしたいのかと聞きますと,ここにあるように「日本語力が向上する」とか,「習ったことを使ってみたい」,「実際に使ってみたい」とか,それが「楽しい」というようなことを言う人が多くいました。
 その一方で,接触をしない人というのは何でしないかということなんですが,利用したいけれども機会や場所がないという人が結構多くいます。つまり,先ほどの接触している人たちが4割ぐらいいる一方で,やっていない人はする機会や場所がないと言っているわけです。これは現地でインタビューをしてみますと,同じ機関,あるいは同じクラスメイト,同じ席のとなり同士の人たちでも,初めて聞いた情報があったりします。このようなことから考えますと,どうも身の回りにある機会や場所というのは,非常に学習者の間では使ってみたいと希望している一方で,そういった情報がもしかすると行き渡っていないところがあるのではないかということが見えてきます。
 以上がアンケート調査に関するところですけれども,アンケート調査では日本社会ではない,つまり日本語環境にないような環境でも,様々なリソースを用いて日本語と接触しているという現状が見えてきたと思います。その一方で,学習者がそういった物,あるいは人や場所というものを個別に個人として,どういうふうに接触しているのかに関してはアンケート調査だけでは見えてきません。そこでインタビュー調査というのを同時並行で行いました。
 今回のインタビュー調査では,特に韓国を取り上げてお話ししたいと思いますが,対象となっている人はここに挙げられたような人たちで,現在も継続して実施しております。こういった学習者を対象としてどのようにインタビューしたのかということですが,先ほどの物や人や場所といったようなものを中心に,どのような接触をしているのかということを具体的に聞くことにしました。現地に行って個別にあるいはグループでそれぞれの人がどのように接触しているのかということについてインタビューしています。それから時間にして30分から60分,日本語で実施しています。MDに録音してそれを文字化してさらに分析をしました。大体一人30分から60分ですけれども,実際に文字起こしをしますと,A4で7枚から8枚,そういったものを通してどんな接触が起きているのかということを分析してみました。
 例えば,学習者を取り巻く,接触の世界が見えてくるということがあります。どういうことかといいますと,学習者Aという人が,見えますでしょうか,ちょっと赤っぽいのが人との接触です。黄色いのが物で,水色,緑っぽいのが場というふうにちょっとここでは区分して見てみます。こういうふうに見ますと学習者Aは日本人の友達だったり先生といった人に接触したり,あるいはインターネットを通じてそこから情報をとって何か物に接触したり,あるいはアルバイト先の会社に行って日本人と接触したり,そこに届くいろいろな書類から日本語を読んだり聞いたりするというようなことがあるようです。こういう形で見てみますと,例えば別の学習者は黄色の物が多い学習者もいますし,水色のつまり場所とか機会というのを非常に多く利用するという学習者も出てきます。つまり,学習者によって様々な接触の世界が広がっているというところが見えてくるわけです。先ほどのアンケートでも申し上げましたが,様々な接触が起きているのではないかというところが,やはりインタビューでも具体的に見えてきたというところがあります。
 このようなインタビュー調査を実際に分析してみまして,二つほど今回はポイントとして出したいと思いますが,左側の学習者と右側の学習者を比べてみますと,左側の人の方は結構接触の対象の広がりがあります。右側の方は余りない。比べるとそのような違いがいろいろな学習者から見えてきます。では,なぜ違うのかということなんですが,そもそも学習者の周りにあるリソースの量自体が違うんじゃないかということが一つ考えられます。それから学習者の日本語のレベルが違うんじゃないかというふうなことも考えられます。これについては実際に例えばグループインタビューをしますと,同じクラスメイトで隣に座っている人たちは同じような日本語のレベルで同じような動機を持っている人でも,初めて知ったというふうなものがあったりとか,そういうふうなことが実際にあるところからしますと,単純に量とか日本語のレベルだけでは語れない部分があるんじゃないかと思われます。
 そういった情報,その辺のところがどうもキーワードになってくるのだろうかということを考えますと,周りにリソースがあることはあるんだけれども,そういった情報がないとか,情報に触れる機会が少ないというふうなところがあるのかもしれないというのが見えてきます。では,例えば支援というのを考えた場合には,昨日もちょっとパネル等で出てきたと思うんですが,情報を提供すればいいのかというところも考えなければならないことですね。ただ情報を提供すればいいかというと,もちろん考えてみればおわかりだと思うんですけれども,接触方法がわからないと言っている学習者に対しては例えば情報を提供するというのはあるかもしれませんが,例えば利用方法がわからないといった場合には,単に情報を提供するだけだと環境がうまくいかなかったり,そもそも情報を出したり,あるいは周りにリソースを置いてあげるだけではそれを使うかどうかわからないわけです。それを考えますと,単に情報を提供するだけでは不十分なんだろうということが考えられます。
 では,どうしたらいいかということで,やはりどのような情報をどういうふうに提供するかというのを,支援する側が考えていくことがあるんだろうと思います。考えるときに,ではどうしたらいいのかというところがポイントになるわけですけれども,今回学習環境の調査をしてきて思うのはインタビュー,つまり学習者を実際によく見てみるということですね。学習者はどんなやりとり,あるいは物との接触,場所との接触をしているのかということをやはり見ていく,そういうふうな学習者の中から何かヒントが得られるのではないかというところが見えてきました。
 例えば,海外の例ですけれども,韓国の学習者がインターネットを通じてドラマをダウンロードする。ダウンロードしたところから学習者はいろんなことをしていきます。例えば,表現を書きとめるとか,字幕は見ないで聞くだけにするとか,逆に字幕は後で見るようにするとか,あるいはそこに出てきた表現をもとに,別のサイトを見てみるという学習者がいたり,あるいはアニメをもとにして今度は翻訳本と比較しながら見る,さっきのお菓子の誤用分析をするような形ですけれども,そういったものをアニメの利用方法として出してくる。このような人たちも結構こと細かにインタビューで語る人が出てくるわけです。
 つまり,学習者はいろんなリソースに接触しているわけですけれども,それは単に接触しているんじゃなくて,その学習者が自分の目的に応じてリソースに対して変化する,変化させるというんでしょうか,工夫をしているわけです。自分の目的のためには,あるだけではなくて,そのあるものを自分の目的のために何かを使いこなすようなことをしている。ここでは工夫と書きましたけれども,様々なそういう工夫があるというところが見えてきます。そういう工夫というものが先ほどの,どのような情報をどのように与えるかというところを検討するための一つの情報になるんじゃないかと考えています。
 さらに,もう一つ,二つ目のポイントとして今日お話ししたいと思っていたのが,先ほどの比較の図ですけれども,学習者の中から授業に関することを見てみますと,昨日パネルディスカッションでも出てきたと思うんですが,授業というものが一体どうなっているのだろうかというところです。様々なインタビューの学習者のデータを見てみますと,このように学習者はそれぞれいろいろな接触の広がりがある中で,日本語の授業というところを見てみますと余り広がりがないんです。授業というところから教科書には結びつくんですけれども,それ以外のいろいろなものとの接触,ほかのリソースに関する接触というのはなかなか見えてこないというのがあります。
 これは例えばインタビューの仕方ですとか,そこについて突っ込めばもっと出てくることはもちろん考えられると思うんですけれども,実際にインタビューしてみますとなかなかそういったところが出にくいところがあったりとか,それから実際に学習者は授業というものは別であるとか,成績とかテストが関係あるとか,そういうことを言う実際のインタビューの声がありました。
 そのようなことを考えますと,例えば日本語の学習というものはコミュニケーションということが,教師のインタビューの中から出てくる,実際に日本語を使って,実際に日本語を使うために日本語を教える,日本語を学習するんだというようなことを言っている先生方が結構多いわけですけれども,先ほどから見ていますと,実際に日本語を使ったやりとりをするという意味では,授業をきっかけにして授業がそういった接触の起点になっていくというふうなところのとらえ方があってもいいのではないかと思うわけです。
 このように考えますと,例えば授業の役割というものも,インタビューを通してみまして,例えば教科書を使って教えるという考え方だけではなくて,そういったものプラス,例えばリソース,接触のきっかけ,それから手段を提供していくような授業というものも考えられるかもしれませんし,また接触の機会の広がりをさらに持たせていくというような,そういう授業の考え方というものもあるんじゃないかと。これが今回学習環境調査をすることによって,授業の役割というのを考えてみる,そういうふうな一つのきっかけになっているんじゃないかというふうなことを今考えています。
 つまり,学習者は何をどのように用いて学習しているのかということを,それぞれの現場,それは国内も海外も同じだと思うんですけれども,それぞれの現場でどういうふうに学習しているんだろうかというふうなことを実際に把握してみる。把握することによって,では一体様々な学習者のいろいろな接触の中で,授業をどういうふうに方向づけていく,あるいはどういうふうに組み込んでいくのかということが,検討できるんじゃないかということです。さらに,学習者のいろいろな学習環境というものを,学習者に応じて整備していくことができるんじゃないかと考えています。
 最後,ちょっとまとめてみますけれども,学習者はいろいろなリソースというものを通じて,様々な部分で日本語と接触しているというようなことが,アンケートだけですけれども見えてきたということがあると思います。その一方で接触の広がりというものを考えてみると,どうもできている人,つまり広がりが広い人と狭い人がいる,そういう個人差が見られるというところがあります。では,そういった個人差というのはどういうふうに支援の対象にしていくかと考えますと,やはりそういうリソースに関する情報というものを支援する方で収集する,収集してそれを適宜提供していくようなことというのが一つ考えられます。そういった提供によって,例えば今までなかなか自分の目的に応じたものに接触できなかったという,壁を通り越して,接触を促進するということがあるかもしれませんし,新たなリソースというものにつながっていく可能性もあります。また,さらに,日本語学習の動機付けにもつながっていくというようなこともあるんじゃないかと考えます。
 ところが,先ほど申し上げましたが,情報を提供すればいいのかということが,それだけでは言えないということが一つあると思います。では,単に提供するだけではいけないといった場合にどうしたらいいのか,つまりあれば使うかというとなかなかそれは使わないだろうということもあるようです。その場合,何を考えたらいいかということで一つ言えるのが,そもそも私たちはリソースというものを考えたときに,それ自体はそもそもどんな意義や機能ががあるのかを考えていく必要があるんじゃないかということです。
 例えば,今回の調査でも,実際に様々な学習者というのは,いろんな物や人や場所と接触していたというのが見えてきたわけです。その一方で日本語の授業というものは教科書を使って勉強する,さらには成績を出すところとか,ちょっと授業は別物だというところを言ったりする学習者もいました。このように,どうも関係がいまいち結びついていないんじゃないかというところが一つ見えてくるわけです。でも,考えてみますと,授業の中だけで日本語を勉強できる,あるいは学習が起きるということではないだろうと思いますし,実際に先ほどのお菓子の誤用分析じゃないですけれども,ああいったところを通して実際に学習が起きていたり,様々な物や人,場所というものを通じて,学習者は学習しているんだということが見えてきていると思います。
 そういうことを考えますと,このようなリソースの利用の世界というものをもっと広げてみる,もっと広げるような授業,授業を受けているものとの結びつきというものを考えてみる,そういうふうなことも一つ今回の学習環境を調査することによって出てきた一つのポイントになっているじゃないかというふうに考えています。その意味ではリソースの意義というのはそういったいろいろな物や人,あるいは教室や教室の外をつなぐような一つの視点になっていくんじゃないかと思っております。
 ともあれ,私たちがまずやらなければいけないこととして考えられるのは,学習者が一体どんな接触の世界を持っているのかということを,観察したり分析していくということが重要になってくるのかなというふうに思っております。
 さあ,後半に向けてなんですけれども,特に今回,前半では海外,そして量的な調査というものを中心にお話をしてきました。考えてみますと,海外でこのような物や人,あるいは場所との接触の世界の広がりが見えてきたわけです。そういった接触の世界の広がりをもって海外から国内に学習者がやってくるんですね。そういった世界が国内に入ってくることで広くなる,つまり物や人や接触の場所というのは,海外よりも明らかに広がるわけですけれども,そういうふうないろいろな世界というのは両方が,逆に今度は狭くなっていってしまうという可能性があるのかもしれないというふうなことをちょっと考えてみたい。さらに学習者のリソース利用,そういったものに影響を与えている要因って一体具体的には何なんだろうか。さらに,そういったところから一体私たちが何ができるのかということを特に質的な調査ということで,岡部さんにバトンタッチをしたいと思います。

岡部:国立国語研究所の岡部です。すみません,失礼して座らせていただきます。
  国内質的調査
   私がかかわっておりますのは,日本語教育の学習環境と学習主体に関する調査研究の中でも,国内での質的調査です。量的調査,例えばアンケートとかインタビューだけでは実際に何と接触しているかは見えても,それをどのように活用しているかといったところを詳しく見るまでには至らないということで,国内調査では,留学生,就学生,技術研修生,地域の学習者,年少者,こういう学習者を対象に,参与観察,学習者本人へのインタビュー,そして学習者を取り巻く関係者へのインタビュー,こういうものを通してどのようにリソースを使っているかということを明らかにしようとしています。
 現在,報告書の取りまとめと分析を行っている段階でして,今日は理論的なことや,この研究でどういう手法を用いたかというような個々の研究に関するものではなく,全体を通して,実践の場で,例えばどういうふうな形でリソースというものをとらえたらいいのか,どんな支援をしようかと考えるときに,何かヒントになるようなもの,そういうものをここでお話ししようかと思っています。
 先ほどもお話がありましたけれども,海外から日本に学習者がやってきたときに,日本国内ではリソースがあふれている,例えば,道を歩けば日本人がたくさんいますし,テレビをつければ日本語の番組をやっているし,街には日本語の看板や本やいろいろなものがあふれている。昨日の高さんという学習者の方の講演に,自動車のナンバープレートに「わ」とか「さ」とか平仮名がある,そういうものを見つけて学習に利用したという話がありましたけれども,実際そういうところに気付く学習者と全く気付かない学習者がいるわけですね。日本にいるということが必ずしもリソースの豊富な環境にいるということになっていないことがあります。
 今日いろいろなことをお話ししたいんですが,特に今日は人的リソースに限ってお話をさせていただきたいと思います。というのは,いろいろな調査を今取りまとめている段階で,人との接触というのがかぎになっているんじゃないかという印象を,私は持っているからです。人的リソースの広がりを見ると,国内で80%を超える人たちが何らかの形で日本人と接触をし,日本語でやりとりをしている,といってもかなり個人差というのがあります。日本にいるから周りに日本人からいるからといって必ずしも人的リソースが豊富な環境にその学習者がいるというふうには言えないわけです。
  人的リソースとの接触(留学生)
   これから幾つかの例を見ていきたいと思うんですけれども,これは短期5カ月の留学生の例です。このケースというのは非常に人的なリソースが豊富に用意され,実際学習者もかなり日本人と交流を持って国に帰るといった例です。5カ月の留学期間にしては非常にいろいろな人と接触し,留学終了後も実はその人たちとメールや手紙,またはお互いに訪問するということを通して交流を保っている。大学だけではなくて,例えばホストファミリーや地域の住民というふうに,地域にまで人的リソースは広がっていっている。どういうことかというと,これは一番上にある国際交流担当職員というのがいますけれども,これが準備をいろいろしているわけです。ホストファミリーといっても留学生は宿舎があります。ですから,ホームビジットという形で,留学生一人一人に地域の人,ホームビジットの,ホストファミリーとしてあてがう。それから,例えば小学校を訪問する。それから学習者の興味のある,例えば書道,お花,お茶,和太鼓,そういったような地域のお稽古事の先生というのがいますね。そういう人たちを紹介する。お祭りなど地域の行事に参加をする。実際にはっぴを着て御神輿を担ぐとか,そういうようなことのアレンジをすべてこの国際交流担当職員がアレンジを行っています。
  人的リソースとの接触(就学生)
   次に,就学生の例ですけれども,かなり人的リソースが限られていた例です。大学生と異なるのは,クラスメイトというのがありますけれども,クラスメイトというのはすべて外国人です。実際に接触する日本人は日本語の教師,それから日本語学校の職員,アルバイト先での日本人ということになります。同世代の日本人との接触は非常に限られているという気がしました。この人の場合,親戚,いとこなんですけれども,夫婦で来日して自分のいとこと御主人のいとこと両方日本に住んでいて,親戚にかなり頼って,住むところからアルバイト先からすべて親戚が準備していた。親戚というのがキーになってはいるんですけれども,そこから余り広がりを見せなかったというケースです。
  人的リソースとの接触(地域の学習者)
   これは,地域の学習者で,就学年齢に達した子供を持っている,日本人の配偶者がいて,就学年齢に達した子供がいる人のケースですけれども,その配偶者,それから子供,親戚といったような人たち,それから日本語教室に通っていますから日本語教室,それと,それとは別に学習支援者,といってもほとんど友達のような関係になってお互いに助け合うような関係の人がいて,仕事の同僚がいる。そのほかに子供の友達の母親ですとか,子供の学校の関係者,そういったものとの接触がかなりあるということが見られました。
 また,この人とはまた違う別の例ですけれども,例えば子供を通じた接触がリソースとして非常に機能した例として,あるタイの方ですけれども,子供が小学校,中学校,高校,大学まで行ったんですけれども,進学するたびに親として日本語の必要性というのが増していく,小学校だったらにこにこ笑っているだけでよかったんだけど,中学校になると何かPTA活動をしたりしなきゃいけなくなって,何か役員もしなきゃいけなくなってというような,やっぱりステップアップがあって,その必要性に応じて自分を鍛えていった。日本語をどんどん習得していって,今は地域の警察署の通訳をするというところまで日本語が堪能になった人もいます。その人の話ではやっぱり子供を通じての日本語の必要性というのが一番大切だったそうです。
  人的リソースとの接触(年少者)
   年少者,これは中学生のケースですけれども,中学生の場合は地域の人というのもあるんですけれども,学校の教職員,クラスメイト,その上の友人というのが中心になるんですが,実はこの学習者の場合,教職員やクラスメイト,友人というのが余りリソースとして機能しなかった例です。というのは,実はこの人は中1のときに日本にやってきたアジアの非漢字系の学習者です。日本語ができないとみなされたわけですね。中1のときに来て,日本語ができないので午前中は学校にいたんですけれども,午後は日本語学校に行って日本語を勉強する。ずっとこの子は日本語ができないからと特別扱いをされていた。本人は非常にそれが苦痛だったらしくて,とにかく先生とそれからクラスメイトに自分もみんなと同じようにできるんだということを見せたい,そういうのを非常に強く思っていて,この学習支援者というのは家庭教師というような形でいたわけなんですけれども,この人を裏方として使っていた。例えば作文なんかをどう書いていいかわからない,日本語能力がまだないですから,そういうときにこういう感じのことを言いたいんだけどというのを日本語で学習支援者に言う,学習支援者がそれを日本語の作文の形にする,それを本人が清書して出す。
 こういう話を以前どこかでお話ししたときに,その人は日本語教師のちゃんと資格を持っている人なんですかというコメントがあったんですけれども,これだけを見ると学習の機会を奪っているように見えるわけですが,実際長い目で見ると,こういうことをすることによって,この学習者は作文というものはこういうものなんだということをだんだん理解するようになります。そしてだんだん学習支援者の支援する割合が少なくなっていく。最初はもう全部代行ですね。代わりに書くということをしていたのが,だんだんその割合が少なくなって,最終的には日本語で出してきたものをチェックする,または課題が出たときに,朝日新聞の社説を読んでと言われたときに,社説がない,だから社説を先生が持ってきてというような依頼に変わってくる。今はこの学習者は高校3年生になりました。もうほとんど支援を必要としないレベルになっています。
  人的リソースの果たす役割
   こういういろいろなケースを見ていくと,人的リソースの果たしている役割が見えてきます。簡単にまとめてみると,日本語を話す相手である,実際に日本語を使う相手,使う機会を与えてくれる,そういうこともあるんですけれども,それがすべてではないんですね。「言葉の習得を助ける」ということもあります。例えば,「新しい表現や言葉というのを紹介してくれる」,「新しい表現と言葉を説明してくれる」。これは新しい表現や言葉だけではなくて,例えばわからないものとかそれから漢字の読み方,漢字の読めないときに漢字の読み方を教えるということも含まれると思います。
 次に,「モデルを提示する」。これがおもしろいんですけれども,例えば携帯電話のメールを交換しますよね。携帯電話など目で確認できるものは非常にいいらしくて,例えば「また,あしたね」「じゃあ,また後でね」といったようなちょっとしたフレーズを,日本人とやりとりしていくことによって,これはこういうときに使えるということに気付き,特に携帯電話の場合はそれをコピーして自分が今度メールを書くときに張りつけるということができるわけです。言葉で聞いているとどんどん流れていくんですけれども,実際に日本人から送られてきたメールの文字を見るというのは非常にモデルとして役に立ったというような報告がありました。このほかに,「日本語をチェックする」,「訂正する」,というのもあります。
 「文化,習慣についての理解を助ける」。これも同じように例えば紹介したり説明したりモデルを提示したりということになります。ある留学生の例ですけれども,ホストファミリーのところに行ってソファへどうぞと言われたので,韓国系の学生だったんですけれども,どかっと座った,韓国系アメリカ人だったのでアメリカ人のように深々とえらそうに座っていたわけです。そうするとその家のおじいさんが出てきて,「年長者の前でそういう,特に初めて会う人の前でそんな態度をとるとは何事か」と非常に怒られた。そのときはショックだったらしいんですけれども,日本での年長者への接し方,家族の中でおじいさんにどういうふうにみんなで気を遣っているのかというのも学んで,非常に勉強になったと言っておりました。
 一番下の「リソースを広げる」というのは,例えば人的リソースでは,友達を紹介する,または必要な知識や技能を持っている人を紹介するということがあります。単に本当に友達を広げるということもあろうかと思います。物的リソースについては,英語圏からの留学生の場合,非常に日本語の漫画とかアニメなんかに興味がある留学生が多く,私は留学生から日本で今流行っている漫画「NARUTO」とか「ワンピース」とかのいろいろな情報を得ているんですけど,留学生はそういう情報をどこで得るかということを聞くと,本国でインターネットや同人誌などを通して知っているというケースが非常に多くあります。日本で本屋に行って探すということは余りしない。日本では,それよりも例えば友達やチューターやホストファミリーの子供たちが読んでいるものにまず接してみて,そこでおもしろいと思ったらそれにのめり込んで,全巻そろえて持って帰るとか,そういうようなことが起こっています。人的リソースが,物的リソースの幅を広げるという役割を担っているわけです。歌なんかもそうですね,CDを友達から借りてそれを覚える。日本人とカラオケに行って,日本人が歌っている歌を覚えて,今度は自分で歌うというようなこともある。
 また,最後の「行動範囲を広げる」というのは,例えばカラオケなんかの場合,一人でまたは留学生だけで最初にというのは,どういうシステムなのかわからない,何をどうしていいのかわからないということがあるんだと思います。そこで例えば日本人が一緒に行って,日本人が料金を払っていろいろなことをしているのを見て,それを今度自分が次に行ってみようと考える。レストランに入るのもそうです。最初は一人では入りにくい,スナックという文字を見て,何か軽食が食べられるところだと思って一人でふらっと入って怖い思いをして帰った学習者もいるんですけれども,英語でスナックというのは軽食というんですね。日本だと女性が隣に座ってお酒を飲むようなところなので,非常に怖い思いをしたという学習者もいました。そういう思いをせずに安全にいろいろ行動範囲を広げていくというときに,だれかが一緒にまず行ってくれるということで,非常に安心感を得られるというようなことがあります。
 先ほどちょっと申し上げたんですが,ここに挙げてあるのがすべてではなくて,例えば先ほどのかわりに何かをするという代行とか,できないところを補うというようなこともやっているんですね。リソースがすべてプラスに働くというわけではないかと思いますけれども,いろいろなところでいろいろなかたちで機能していると思います。
 これを見ていると,ある意味,日本語教師がやっていることとそんなに変わらないと思われた方もいらっしゃると思います。リソースをいろいろ紹介したりもしているし,新しい言葉の紹介も出ている。どう違うんだという疑問を持たれる方がいるかもしれません。ところが,教師とその他の人的リソース,例えば学習支援者,クラスメイトを考えたときには,頻度,場面,分野というようなものがかなり違ってきていると考えられます。例えば,教室内では教師が決めた,教師が必要だと考えるいろいろなものをやはり言葉として勉強していくんですけれども,学習支援者のように人的リソースとして教師じゃない人が提供する場合,かなり多岐に渡る。学習者が知りたいこと,本当に興味があることということについて支援をすることができる,このような違いがあると思います。
  人的リソースとの接触や活用に影響を与える要因
   今まで見てきた中で,人的リソースの接触や人的リソースの活用に影響を与える要因というのが幾つか,いろいろなケースを通してこういうことが影響を与えているんじゃないかということが見えてきたのではないかと思います。これはお手元のハンドアウトと微妙に違うかもしれませんが,御容赦ください。
 まず,「時期・時間の経過」。「時期」というのは例えば留学生なんかの場合の留学の時期です。私が調査を行った留学生というのは留学期間が5カ月なんですね。1年に2回来る。例えば4月に入ってくる留学生というのはクラブや同好会に入ってもかなりすんなりいく,というのは,この時期というのが新しい人が入ってくる,受け入れるような時期であるわけですね。10月に来る学生というのは,クラブに入っても余り新しい学生を受け入れる状態にない。受け入れてはもらえるんですけれども,実はもうかなり仲のいいグループが決まっていて,それほど仲良く溶け込めないというようなことが見られました。
 「時間の経過」というのは,時間がたつにつれて必要とされるリソースが変化するということです。来日直後には必要だったリソースが例えば5カ月たつともう必要なくなる。でも5カ月たつとまた別のリソースが必要になってくるということです。
 これについては,ここでは簡単に説明し,後で具体的なケースをお話ししたいと思います。
 「一緒に過ごす時間と自由に集える場」。例えばイベントですとか,富士山に一緒に登るというようなことを経て非常に仲良くなる。または,そこに行けばだれかがいるというような場があることによって,そこで学習者と支援者が打ち解けてくる,そういうことが見られました。
 「物理的な距離」。これはアポイントメントなしに,例えばトントンとノックして学習者が気軽に立ち寄れる,それも何か特別に来たよというようなものではなくて,ついでに寄ったんだけどと言えるような位置にいるかどうかということです。
 「日本語または外国語でのコミュニケーション能力」。日本語能力が非常に低い学習者の場合,日本人としてもなかなか打ち解けることが難しいというコメントがありました。逆に,日本人側の外国語でのコミュニケーション能力も関係があります。これは実はプラスにもマイナスにも働くわけで,最初日本語が余り上手ではない外国人が外国語,母語ではない,例えばあるドイツ人の場合,英語でコミュニケーションができるという人がいて,その学習者は英語に非常に救われたというようなこともあります。また,留学生の場合,ホストファミリーが全く英語ができず日本語だけで通すということがありました。最初は本当に大変だったようです。留学生の方もかなり日本語能力が低い学習者だったのでお互いに大変だった,でも5カ月たってみると,ホストファミリーが日本での一番大切な,一番役に立ったリソースになったというふうに学習者自身が語っていました。
 「学習者の興味や関心」。ニーズもあるんですけれども,例えば日本語以外のものに関する興味や関心,スキルがかなり影響を与えていると考えられます。例えば,コンピュータに興味がある人は,コンピュータを扱える技術を使って,インターネットからいろいろな情報を得ることができます。アニメが非常に好きな学習者はその好きなもののために,例えばそれを買いに行ったり,アニメの主題歌を歌う,私が聞いたこともない日本人グループのCDを探しに,電車を乗り継いで東京まで大きなCD屋に行って探すというようなことをするわけです。
 ある地域の学習者の場合,アメリカの「メタリカ」というハードロックのグループなんですが,それが非常に好きで,たまたま日本にやってくる,東京公演があるという情報を得た。東京という漢字は何とか読めた。東京で公演がある,日にちも読めた。何か電話番号が書いてある,ここに電話したら多分チケットが買えるんだろう。日本にいてそのグループのコンサートが見られる,千載一遇のチャンス,このチャンスを逃したくないと電話をするんですけれども,電話の相手は多分,自動登録か何かだと思うんですけれども難し過ぎて手も足も出ない。日常会話は少しはできるんですけれども,電話で対応できるほどは日本語能力が高くない。その学習者はどうしたかというと,家の外に出てだれか日本人か通らないか待っていたらしいんですが,だれも通らない。仕方がないので近所の日用品を売っているお店,顔見知りの日本人の店長がいるところに行って事情を説明して,その人にお願いをしてやってもらって無事チケットをものにして,コンサートを堪能して帰ってきた。やっぱり,興味関心があることというのは頑張るわけですね。興味がないことはそこまでやらないけれども,興味関心があればかなりそういうところまで頑張ってしまうということです。
 「タスクの種類やタスクを行える環境」。これは学校や教室の中でのことなんですけれども,グループで行う課題か個別で行う課題かによって,活用できるリソースが異なってくるということです。これも後で詳しくお話しします。
 それから,「人的リソースを紹介するリソースの存在」。これは物でも人でも何でもいいんですけれども,人的リソースとつながるための何かの道具になるような人や物ということです。
 「学習者と支援者の関係」。これはお互い,例えば一方的に支援を受けるだけなのか,それともお互いに何らかのギブ・アンド・テイクのような関係ができるのかということです。
 これから,この中のいくつかについて,例を出して詳しく見ていきます。
  時間の経過による違い(留学生)
   これは最初に挙げた留学生の人的リソースについての図です。来日直後というのは,とにかく何があっても大学の国際交流の担当職員が,この人は留学生の世話をするのが仕事なので,オリエンテーションから何から全部この人がやるわけですね。日本語のクラスは教師がやるわけなんですが,それ以外のいろいろなイベントの設定ですとか,そういうことは全部この人がやる。ですから,最初のうちは,留学生はこの人に毎日のように接触して,いろいろなことを聞いたり,旅行の手配をするのを頼んだり,本当にいろいろなことでこの人に接触していたんですけれども,5カ月過ぎたころにはどうなっているかというと,この人に対してはほとんど接触がない。そのかわりに日本人学生ですとかチューターとか,日本人の同世代の人たちに接触の相手が移ってくるわけです。というのは,ほとんどのことが同世代の日本人で間に合う,ただ,例えば大学との関係に関する大きな問題になると,やはり国際交流の担当職員に行く。そういうふうに使い分けて,1週間その担当職員に会わなくても大丈夫というような状態さえ出てくる。時間の経過,例えば留学直後,来日直後というのは本当に何もわからない,その人に聞けば何かが動き出す,この人に聞けば何とかしてくれる。窓の外に大きなスズメバチの巣ができたとか,そういうこともあったんですけれども,すべてこの人に頼んでやってもらった。この人がすべてのことについての窓口になっていた。ところが,この人の役割は大体2,3カ月ですね。その後はチューター,日本人学生に移ることになります。
  一緒に過ごす時間 自由に使える場
   「一緒に過ごす時間と自由に集える場」。先ほどのような富士山登山というケースもありましたが,例えば学習者と日本人がいるだけでは,人間関係の化学反応というのが起こらないわけです。しかし,そこに何らかの場を用意すると,そこに入っていくことによって化学反応が起こる。留学生のケースなんですけれども,ラウンジと呼ばれる国際交流のための部屋というのが特別にあったんです。そこは,例えば学食とかという,だだ広い中にいろんな人がいますよね。だれがいるかわからない,そういう状態ではなくて,そこに行くということは留学生に関心がある人,これから留学したいと考えている人,留学生支援のためにいるチューターの人などに限られている。だから,かなりいい雰囲気の中で迎えられるわけですね。ですから,ここに行けばだれかがいて,相手をしてくれるという,そういう意識があって,大学の授業の空き時間にみんなが行くようになる。やはり人がいると余計に人が集まってきます。あそこに行くと留学生がいつもいるから,じゃあ私も行こうということでチューターたちが集まってくる。チューターたちがいるとほかの留学生も行こうということになる。ほとんど毎日のようにそこに顔を出すようになり,そこでいろいろなイベントの企画がされ,そこで打ち解けていくというようなことが起こっていました。
  物理的な距離
   「物理的な距離」。簡単に説明すると,近い,アポイントメントなしで立ち寄れるような,そういう場所に留学生の宿舎とチューターたちの住んでいるアパートというのがある。この大学の場合,地方都市の大学なので,徒歩圏内にほとんどすべてのものがあります。大学,それから学生のアパート,スーパー,カラオケ屋さん,大学生相手の食堂,レストラン,そしてボウリング場,映画館はなかったと思うんですけれども,そういうものがすべて徒歩圏内にある。学生は徒歩か,自転車を持っている学生も数名いますけれども,そういう中で,例えばこれは留学生の宿舎がスーパーのすぐ近くにあったわけですが,チューターたちも買い物に行ったついでに気軽に立ち寄っていた。そこで非常に密接な関係が生まれたんですけれども,これだと日本人の方がちょっと移ったように見えるんですが,実は留学生の宿舎というのが移転したんですね。今度はスーパーとは全く反対方向,だれも近くに住んでいないようなところに大学の都合で移ってしまったわけです。そうした場合に今度は,留学生たちはそのチューターに何かをお願いするのにわざわざこういうところまで来てもらうのはちょっと大変だろう,チューターにしてもわざわざ行ってもいなかったらどうしよう,という意識があって,親密だった関係が薄れてきてしまったというようなことがありました。
  タスクの種類やタスクを行う環境
   これは,たとえば教室で出されるような類のタスクの例なんですけれども,「豊富なリソースがある環境」,例えば,学校でみんなが共同で行うような作業という課題です。それぞれに役割があって,あなたはこういう役割をしなさい,それで一つのものを作りましょうというような課題を与えた場合,これは,例えばクラスメイトとか教師とかといった非常に大切なリソースと共同で作業を行うことになるんです。ですからクラスメイトや教師がリソースとして機能します。でも,作文を書きなさいといったような家で一人で行うような課題,そしてみんな同じ宿題が出てみんながそれぞれ提出をしなければならないというような場合,クラスメイトたちはリソースにならない。これは最初に話した年少者のケースなんですけれども,例えば作文を書けと言われたときには,教師やクラスメイトに頼ることはせず,学習支援者を裏方として使っていました。それが,学校でみんなで学級新聞をつくりましょうといったようなタスクの場合は,役割分担をしました。一人で何かをするというのではなかったので,ほかの人たちを使っていろんなことができる。そういうケースがありました。
  人的リソースを紹介するリソースの存在
   「人的リソースを紹介するリソースの存在」。これはある就学生のケースなんですけれども,この学生はアルバイトもしていなかったので,とにかく非常に限られた関係の中で生活していました。日本語学校に通っていましたので,日本語教師と学校の職員にはコンタクトがありました。クラスメイトと,そして同国人のルームメイト,この人は韓国からの就学生だったんですけど,ルームメイトがいたんですが,ルームメイトがアルバイトが忙しくて余り接触はなかった。こういう中で生活をしていたんですけれども,実はある物を使うことによって日本人の友人ができ,飲み友達もでき,人的リソースではないんですが,就職先まで見つけてきました。これは何か。インターネットです。ちょうど韓流ブームが起こったときで,韓国人と日本人の交流を促進するというようなページがあって,そこの会員だったわけです。韓国にいるときはほとんど動きがなかったそのページに久々にアクセスしてみたら,韓国人とお友達になりたいという日本人の数がすごくいて,その中から自分の住んでいる近くの人を選んで,友達を見つけ,飲み友達になり,頻繁に接触をするようになりました。また,インターネットで社員を募集している会社を見つけ,履歴書を送って,就職先も見つけてしまったというケースです。
  学習者と支援者の関係
   学習者と支援者の関係なんですけれども,支援という言葉について昨日も議論がありましたが,一方的に支援者が学習者を支援するという関係ですと,やはり私が見てきたケーススタディの中では,こういうもので長続きをしているというのはあまりない。というのは,学習者が受け取るだけではなくて,学習者が支援者のために何かをするということではなくても,やはり支援者の方が何かを教えられたり,または学習者の,例えば何かの部分を非常に尊敬をしていたり,そういうふうな関係がある場合,1対1で,これは1対1のケースなんですけれども,長くその関係が続いていく。このような関係が交流関係が続いていくキーになっているような気がしました。
  人的リソースとの接触や活用に影響を与える要因
   このようなことについて今までお話ししてきたんですけれども,地域の日本語教育や教育機関での日本語教育という文脈の中で何ができるんだろう,どういうことで対応できるんだろうといった場合に,例えば「一緒に過ごす時間と自由に集える場」,「タスクの種類やタスクを行う環境」,「人的リソースを紹介するリソースの存在」,「学習者と支援者の関係」,こういうようなことで何かできるんじゃないかというふうに考えています。この他に,例えば学習者の興味や関心を起こさせるというのは確かに難しいことですが,興味や関心のあるものについて何かを用意する,そういうことはできるかもしれません。
  リソース・デザイン
   リソースデザインという言葉をハンドアウトの方にも使っていますけれども,どういうことかというと,リソースの配置とか使い方とか,そういうことを計画する。何が学習者にとっていいかということを考えて,その方向性に向かって準備したり,指示をしたりすることです。デザインといっても,情報を提供をするだけというものから,参加のしかたをコントロールをするものまで,かなり幅はあるんですけれども,そういうデザインをすることができるんじゃないかと考えています。例えば,「学習者が求めているもの」,「学習者に必要なもの」,それから学習者が気が付いていないけれども,本当は「学習者にとって役に立つもの」を「提供する」,「必要性や有用性を教える」,「情報を提供する」ということもあります。役に立つとわかっていてもアクセスがしにくいようなものには,「アクセスしやすいような環境を整える」,その「接触の仕方を考える」ということが可能なんじゃないでしょうか。
  人的リソースとの接触(留学生)
   これは,何回も出している図ですが,留学生のいろいろな人的リソースの図で,リソースデザインのひとつの例です。ここでは大学の国際交流の担当職員がリソースの配置というのはかなり考えているんです。ただ,配置しただけではだめなので,その後どういうデザインをしているかというと,例えばチューターと留学生が最初に打ち解けるように,料理教室を開いて,お互いがお互いの得意料理を教え合ったりというようなことを計画しています。それから,チューターも,この留学生にこの人というふうに決めてしまうと何かそこで独占欲が起こったり,この人は私のチューターのはずなのにほかの留学生と親しくなったとか。そのようなことが実際に起こったんです。今どうしているかというと,1カ月ごとにシャッフルするんです。留学生10名とチューターが10名いたら,最初は1対1で担当を決めるんですけれども,ある期間の後,くじ引きのようなかたちで担当のチューターを変える。また1カ月後に変えるというふうなことをすることによって,チューター全員と留学生全員がかなり打ち解けて仲良くなるようになりました。
  学習者によるリソースのデザイン
   リソースデザインの担い手というのはだれかというのを考えたときに,シラバスデザイン*1とかコースデザイン*2ということを日本語教育ではよく言われますけれども,それはコースの担当者しかできないわけですよね。そういう権限を持っている人しかできない。でもリソースのデザインというのは実際にだれでもできる。学習者自身や,教師以外でも学習者にかかわっている人だったらだれにでも,その形の差はありますけれどもできる。実際,学習者もやっているわけです。これもいろいろなところで話した経験があるんですけれども,学習者のリソースデザインの例です。「雪女パーティー」というのを学習者が企画していました。どういうことかというと,学校の課題として『雪女』読むという課題が出たんです。学習者たちにしてみれば,まったく手に負えないというわけではないんですが,ちょっと難しい。その課題をこなすのにどうしたかというと,辞書とかオンラインの辞書とかそういうのを使うわけですけれども,まずその前に漢字が読めない。だからチューターとかいろんな人を呼んでくることにしました。実際にこれは留学生全員10名と,チューター2,3人と辞書なんかを同じ場所に集めて,そこでまず漢字の読み方を教えてもらう。そして,各自辞書を引いて読み方や意味を調べる。語句の意味がわかったところで,今度文の意味を,できる学習者はできる学習者同士でそこで話し合って読み進めていく。日本語能力の低い学習者は,それを聞いてもう一度日本人のチューターとやりとりをしながら読んでいく。こういうような作業が,授業が続いている間,毎週行われていました。これは,学習者がリソースの何を持ってきてどのように使うかというのを自分でデザインした一つの例になります。

*1 シラバスデザイン あるコースの中で,何を教えるかという学習項目をまとめたもの。
*2 コースデザイン あるコースの中で,何を,どういう順番で,どのような方法で教えるかという計画。


  学習支援として何ができるか
   学習支援として何ができるのか,こういう方法がいいというわけではなくて,私が質的調査,まとめる段階でいろいろな調査を見ていて,こういうことができるんじゃないかということをちょっと簡単にまとめてみます。
 まず,教室内ではさっき言いましたように「タスクの出し方」を考えることによってリソースが豊富な環境というのをつくり出すことができます。どういうリソースが使えるかというところまで考えて,タスクを出すことによって学習者はもっといろんなことに接触することができるのではないかなと思います。
 教室外では,「情報の提供」をすることもできますし,また,「機会や場の提供」ということもできると思います。昨日のパネルディスカッションで居場所という議論がありましたよね。居場所という言葉自体いろいろな意味に使われていて,皆さんの頭の中にも多分個人個人居場所のイメージが違うんじゃないかと思うんですけれども,最初から学習者に居場所を提供することは多分できないと思うんですね。ここはあなたの居場所ですよと言っても,実際に学習者がそう思わなければ居場所じゃないわけです。でも,例えば居場所になるように,そこで何か化学反応が起こるような,そういう場であるとか機会であるとかを何か考えて用意しておくということはできます。その後は,そこに来る学習者に任せられるんですけど,そこに来れば何か起こって,そこが学習者の居場所になるような方法で何かを準備するということは可能だと思います。
 次に「仲介者として情報の収集や蓄積を行う」ということがあります。地域で教えていらっしゃる方は,本当に学習者からいろんなことを相談されて非常に大変だと思うんですけれども,自分のネットワークを広げて情報を蓄積していく。または,自分が全部知っていなくても,何か知っていそうな人をつかまえて,というようなことをすることによってその人がキーパーソンになって,そこから何か広がっていくということができる。
 また,情報だけでなく,実際のリソース等にアクセスがしにくいような場合,「アクセスがしやすくなるような工夫」をするということも支援のひとつとして可能だと考えられます。
 「一方的な支援にならないような工夫」をするというのも考えられます。学習者の方も何らかの,支援者に対してということではなくて,地域に対してでもいいですし,それから別の意味で社会に対してでもいいですけれども,何か一方的にならないように,そういう工夫なんかが考えられればいいのではないかと思っています。
  報告書
   最後に,先ほど小河原さんの方から説明がありました。現在,タイ,韓国,台湾に関してはこういう報告書ができております。マレーシア,オーストラリアに関しても,今年度中に出る予定でございますので,これは上のメールアドレスに御連絡をいただければ,手配ができると思います。国内の調査報告書は今作成中で,今年度中に発行予定です。2冊ありまして,ひとつは量的調査,これは国内のアンケート調査の結果をまとめたものです。もうひとつは,質的調査,これは今日の私の話の中心となった参与観察やインタビューを中心に行った調査の報告書です。こちらの方は下の方のメールアドレスに御連絡をいただければと思います。
 小河原さんのほうから何か。

小河原:補足ですけれども,最初に海外の調査の概要をお話ししたときに,5カ国,タイ,韓国,台湾,マレーシア,オーストラリアという例が挙がったと思うんですが,マレーシアに関しても今年度中に出しますので,こちらのアドレスの方に御連絡いただければ手配いたします。
 それから,あと国内と同時に海外の方も5カ国の比較といいましょうか,分析の報告書も今年度中に出すということになっていますので,そちらの方もよろしければ御連絡いただければと思います。
 昨日のパネルディスカッションで高さんでしたか,先ほどナンバープレートの話が出たりとか,それからゴールキーパーのキーパーをやったことによって,いろんな自分の日本語を探し求めたという話が出たと思います。それから,実際にこういったタイや韓国といった場所で,現地でこういった情報あるいはリソースに関する研修会等を開くと,確かに非常に学習者の世界というものを見てみたいという人が増えて,その一方で,自分の海外の教えている現場ではリソースと言われるものが多分ないだろうと。人や物といったものがそんなにないんじゃないかというふうなことを言う方もいらっしゃいました。しかし,そういった人から実際に現地に戻って学習者にインタビューをしたり,いろんなリソースの世界を調べてみたところが,実はデータが返ってきていろいろありましたというふうなところが出たりするわけです。そういう意味では,今日も我々の話から,御自分の現場で一体学習者はどんな世界の広がりがあるのかということを探るきっかけにしていただければいいんじゃないかと思います。
 それから,もう一つは,先ほど岡部さんの方からありましたが,居場所といいましょうか,例えば教室といったところが地域の中では一つの役割があると思いますけれども,そういった役割というものをもう一回考えてみるきっかけになればと思っております。
 以上で,地域リソースについて考える分科会を終わりたいと思います。
 どうもありがとうございました。

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