近代の碓氷峠で活躍した国産電気機関車の運用状況を示す重要資料群の調査
[写真1]ED421車輛(碓氷峠鉄道文化むら保管)

近代の碓氷峠で活躍した国産電気機関車の運用状況を示す重要資料群の調査ED42形車輛図面調査事業
(地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業)

旧碓氷線で運用されたED42形車輛

ED42形車輛[写真1]は,昭和8年(1933)から22年までの13年間にわたって合計28輌が製造され,昭和9年から38年までの間,旧信越本線横川―軽井沢間(旧碓氷線)で運用されたアプト式の電気機関車です。旧碓氷線11.2キロメートルの区間は関東平野と中央高地を接続する要衝碓氷峠と重なり,その坂道は比高差約450メートル,66.7パーミルの難路として知られました。なお、この旧碓氷線の隧道、橋梁等[写真2・3]は「旧碓氷峠鉄道施設」として平成5年に重要文化財(建造物)に指定され、関係する青図が附指定となっています。

この旧碓氷線において,ED42形は先行するED40形(10号機が重要文化財(美術工芸品)、平成30年指定)に続く国産の急勾配区間用電気機関車として,戦前から終戦前後の混乱期を挟み,戦後の復興期に至るまで旅客や貨物の輸送に大きく貢献しました。昭和38年に同形車輛が廃車となった後,現在は群馬県安中市の一般財団法人碓氷峠交流記念財団が運営する碓氷峠鉄道文化むら[写真4]に1輌(ED42 1),長野県軽井沢町立東部小学校に1輌(ED42 2)がそれぞれ保存されています。

  • アプト式 通常のレールの他に歯形を付けた「ラックレール」を設置し,車輛に装着した歯車と「ラックレール」を噛み合わせることで安定した坂道の走行を可能とするラック式鉄道の1種。
[写真1]ED421車輛(碓氷峠鉄道文化むら保管)
[写真1]ED421車輛(碓氷峠鉄道文化むら保管)
[写真2]旧碓氷峠鉄道施設(丸山変電所)
[写真2]旧碓氷峠鉄道施設(丸山変電所)
[写真3]旧碓氷峠鉄道施設(第三橋梁)
[写真3]旧碓氷峠鉄道施設(第三橋梁)
[写真4]碓氷峠鉄道文化むらの景観
[写真4]碓氷峠鉄道文化むらの景観

鉄道文化財の保護と課題

近代美術工芸品,中でも鉄道文化財保護の取り組みの中で,鉄道史上重要な車輛の重要文化財指定は現在10件を数え、比較的指定が進む分野といえます。一方、その周辺の文書記録・図面類は、これまでに廃棄された場合も多く、また今日に伝えられるものでも、必ずしも十分に整理や保管がなされているとはいえない状況も散見され、文化財保護の意識が十分に浸透しているとは言えません。しかしながらそれらの関係資料は鉄道車輛の歴史を正確に把握する上で極めて重要な価値を持つものです。

ED42形車輛の場合,その製造や運用に関する記録・図面類約3,600点は,旧国鉄横川機関区から碓氷峠鉄道文化むら内の鉄道資料館に移管され,長く保存されてきました。資料の中には28輌製造された同形車輛1輌毎の修繕や変更の履歴を記録した車輛履歴簿[写真5],車輛の製造・修繕に関わる図面類(いわゆる青図)[写真6]が含まれており,この電気機関車の運用状況を知る上で不可欠な根本資料として大変貴重です。

[写真5]車輛履歴簿
[写真5]車輛履歴簿
[写真6]青図
[写真6]青図

地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業の実施と意義

安中市教育委員会では令和2~3年度の2ヵ年にかけて,文化庁・地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業補助金の交付を受け,ED42形車輛図面調査事業を実施しました。これまでに同補助金を活用して数多くの史料調査事業が実施されましたが,近代鉄道関係資料を対象とする事業は初めての事例で,大変画期的な取り組みとして注目されます。

調査では資料1点毎にその内容や寸法・形状,保存状態を記録した調書を作成するとともに,写真撮影による画像記録を行っています[写真7]。その成果は令和3年度中に報告書目録として刊行される予定です。また事業の中では資料を1点毎に薄葉紙に包み,新調した紙製の保存箱に収納するなど保存環境の改善が図られました。

調査事業の実施を通じて資料の整理と内容の把握が進み,目録の刊行によって資料群の全体像が明らかとなります。今後,調査・研究・展示等の各方面で資料の一層の活用が図られることが望まれます。また本事業を一つの呼び水として,全国の鉄道関係資料保護の取り組みがこれまで以上に進展することが期待されます。

[写真7]調査風景
[写真7]調査風景
作成:文化庁文化財第一課歴史資料部門
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