吉田町第一名店ビルは、公社と民間10者による共同ビルとして1957(昭和32)年に竣工した、横浜の防火帯建築の中でも最も共同化の促進がなされた建物である。この街区の並びには他にも3棟の防火帯建築が連なり、約200mの街並みを形成している。いわゆる沿道建築としての防火建築帯の典型的な風景を体感できる貴重な事例が、この吉田町の防火帯建築群である。
設計者は1914年に東京高等工業学校を卒業した宮内初太郎の宮内建築事務所である。この4階建ての建物は1.2階が当初の所有者の店舗・事務所に使われ、間口も所有面積に応じたスパン割になっている。3.4階の共同住宅は、県の住宅供給公社が所有し、竣工後10年以降は買取可能な住宅として供給され、その賃貸料で当初の建設費を負担するシステムであった。
1962(昭和37)年の区分所有法制定以前の建物であるため、耐震改修・リニューアル・建て替えなどに居住者全員の合議を必要とするなど難しい問題を抱えており、横浜らしい景観もその存在が危ぶまれている。
受賞歴等/神奈川県建築コンクール作品集優良建築物