我が国の暫定一覧表記載文化遺産(8件)

古都鎌倉の寺院・神社ほか(神奈川県,平成4年)

 鎌倉は,1192年に武家がはじめて政権をおき建設した都市です。立地は東・西・北を丘陵で囲まれ,南は海に面しており,防御に適した土地でした。武家政権は約150年にわたってこの都市から全国を支配し,政治・経済・文化の中心となりました。ちなみに世界帝国モンゴルの日本列島侵攻を撃退したのはこの鎌倉にあった武家政権です。
 日本の武家政権は,1192年から1868年まで存続し,その間に政権を置いた都市として鎌倉と江戸を建設しました。しかし,江戸はその後,近代都市東京に変貌し,今日では武家文化を偲ばせる文化遺産をまとまって残す地域は鎌倉のみとなりました。
 現在の鎌倉には,かつての都市計画の中心となった鶴岡八幡宮とその正面に延びる若宮大路が残っており,周囲の山際には,建長寺・円覚寺・高徳院・永福寺などの寺院や,当時の権力者の屋敷跡が散在します。周囲の丘陵には外部に通じる交通路であった険しい切通し道(鎌倉七口)が現存し,海岸には港の遺跡である和賀江島が残っています。

彦根城(滋賀県,平成4年)

 日本の城郭建築は16世紀中頃に確立しました。彦根城は17世紀初頭の城郭建築最盛期の遺産であり,防御的部分や城主の居室部分を含めて城郭の全体像を最も良く残しています。彦根城は,琵琶湖に面した丘の周囲に濠を巡らした内郭と,さらにその周囲をとりかこむ外郭から構成されています。
 内郭は丘の自然地形を巧みに活かして城郭の防御的部分と城主の居館を築き,外郭には位の高い武家の屋敷を配しました。外郭の周囲にも濠が巡り,外側には一般居住地と商業地からなる城下町があり,そのさらに外側にも濠が巡っていました。内・外郭には,天守・櫓・門などの城郭建築と居館の庭園である楽々園及び玄宮園が残り,二重の濠と石垣・城壁が良好に保存されています。
 城下町は近代的な市街地に変わっていますが,街路の形態などに城下町特有の地割が残っています。現在,内・外郭とその外周部の一部について保存の措置が成されており,また,居室部分は一部が古図・古写真及び発掘調査の成果に基づいて復元され,博物館として活用するなど,基本構想に基づいた整備が図られています。

飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群(奈良県,平成19年)

 崇峻5(592)に推古天皇が即位してから,和銅3年(710)に平城京へ遷都するまでの間,飛鳥の地に営まれた宮都の関連遺跡群及び周辺の文化的景観から成っています。100年以上にわたる累代の天皇・皇族の宮殿をはじめ,それに付属する諸施設(苑地など),我が国最古の本格的都城やその内外に営まれた諸寺院,当時の有力者の墳墓などの遺跡群は今なお地下に良好に遺存しており,すでに調査された遺構・遺物は古代国家成立期における政治・社会・文化・宗教等の在り方を生々しく伝えています。また,これらの遺跡群が伝える当時の設計理念・立地計画・構築技術をはじめ,個々の遺跡に描かれた壁画等には,中国大陸及び朝鮮半島の影響が色濃く認められ,東アジア諸国との技術及び文化の交流を明瞭に示しています。また,大和三山は最古の和歌集である『万葉集』にも数多く歌われるなど,我が国の代表的な古典文学作品とも関わりが深く,後世の芸術活動にも大きな影響を与えています。これらの遺跡群は,周辺の自然的環境とも一体となって良好な歴史的風土を形成しており,文化的景観としても優秀であります。
 このように,本資産は日本の古代国家の形成過程を明瞭に示し,中国大陸及び朝鮮半島との緊密な交流の所産である一群の考古学的遺跡と歴史的風土から成り,両者が織りなす文化的景観としても極めて優秀であることから,顕著な普遍的価値を持つ可能性は高いと考えられます。

長崎の教会群とキリスト教関連遺産(長崎県,平成19年)

 我が国におけるキリスト教は,天文18年(1549)のF.ザビエルによる布教開始以来,西日本で急速に広まりました。特にポルトガルとの貿易港として開かれた長崎にはイエズス会の本部が置かれ,日本における布教の重要拠点として教会堂をはじめとするキリスト教文化が栄えました。天正10年(1582)には長崎から天正遣欧少年使節が出発し,教皇への謁見を果たして我が国におけるキリスト教の定着を欧州に知らしめました。しかし,江戸幕府による禁教政策のためキリスト教は厳しく弾圧され,島原・天草の乱が起こるに至り,そのような弾圧の歴史を物語る痕跡は,キリスト教関連史跡として今日まで継承されています。禁教下においては,信徒は人里離れた浦々や島々に移り住み,洗礼やオラショを伝承し,明治期に入って禁教政策が解かれるまでその信仰を守り続けました。長い弾圧の歴史を経た後に建てられた教会群は,長崎県を中心とする地域に数多く残り,信仰を抑圧されてきた人々の解放と教会復帰の軌跡を現在に伝えています。また,教会群は外国人神父が伝えた西洋の建築技術と我が国の伝統的な建築技術の融合がもたらした質の高い造形意匠を良くとどめ,特色ある自然景観と相まって,貴重な文化的景観を形成しています。
 このように,本資産は我が国におけるキリスト教布教の歩みを示し,国内外の建築技術の融合の見本であるのみならず,独特の自然景観とも一体の優秀な文化的景観を形成し,顕著な普遍的価値を持つ可能性は高いと考えられます。

北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群(北海道・青森県・岩手県・秋田県,平成21年)

 縄文遺跡群は,農耕・牧畜を基盤として形成された地球上の他の地域における新石器時代の遺跡とは異なり,完新世の温暖湿潤な気候に基づく自然環境の中で約10,000年もの長期間にわたって日本列島に継続した狩猟・漁撈・採集を主たる生業とする,定住の生活実態を表す独特の考古学的遺跡群です。それは,地球上のある文化的地域において長期間にわたり継続した自然と人間との共生の在り方を示し,独特の文化的伝統を表す物証として顕著な普遍的価値を持つ可能性は高いと考えられます。
 日本列島の全域に及んだ縄文文化の中でも,広く落葉広葉樹林が展開した時期における東日本のそれは,食料資源の安定化とその利用技術の発展による定住生活域の拡大,集落の大型化,土偶や石棒などの祭祀具の急増などの傑出した内容を示しています。
 特に,北海道・北東北を中心とする地域では,円筒土器文化・十腰内式土器文化・亀ヶ岡式土器文化などの縄文時代を代表する独特の地域文化圏が繁栄し,特に亀ヶ岡式土器の文化は遠く近畿・中四国地域や九州地域に至るまで影響を及ぼしました。縄文遺跡群は,海岸部・河川流域・丘陵地帯などの多様な地形に位置する集落跡・貝塚・環状列石・低湿地遺跡などから成り,食料資源が豊富な落葉広葉樹林や海・河川といった自然環境への適応の在り方とそれに伴う定住の確立・展開の過程を顕著に示しています。

金を中心とする佐渡鉱山の遺産群(新潟県,平成22年)

 佐渡鉱山では,400年以上にわたって絶え間なく国内外の金・銀の採掘技術・手法を導入し,発展させることにより,一連の鉱山技術・鉱山経営手法に基づく文化的伝統が形成されました。それは佐渡鉱山の遺跡・建造物や現存する鉱山都市・集落として継承されており,他のアジア地域の鉱山においては今や見ることのできない極めて希少な遺産となっています。
 また,佐渡鉱山は,江戸幕府や明治政府の社会・経済体制を支え,佐渡鉱山から産出した金が金本位制を基準とする国際経済にも大きな影響を与えたことから,その関連の遺産群は世界史的にも極めて重要であると考えられます。

百舌鳥・古市古墳群(大阪府,平成22年)

 百舌鳥・古市古墳群は4世紀後半〜6世紀前半に営まれた古墳群で,日本最大の面積・規模の古墳を含むとともに,日本に古代国家が形成される過程を表す巨大記念工作物です。首長層の巨大古墳の周囲に中小の古墳を配置することによって,政治的・社会的支配の実態を反映するという独特の墳墓造営に関わる文化的伝統を示す証拠であり,日本列島の各地においてもそのような文化的伝統が共有されていることを具体的に示す顕著な事例といえます。世界のいくつかの地域においても,古代国家形成期に巨大記念工作物としての墳墓が築造されましたが,百舌鳥・古市古墳群はそれらに比肩し得る資産と位置付けられると考えられます。

平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-(拡張)(岩手県,平成24年)

 平泉は,12世紀の約100年の間に,日本の中央政権の支配領域と本州北部,さらにはその北方の地域との活発な交易活動を基盤としつつ,本州北部の境界領域において成立した政治・行政上の拠点です。それは,武士に起源を持つ奥州藤原氏が,4代にわたって蓄積した莫大な財力を背景としつつ,武力ばかりに頼ることなく,仏教に基づく理想世界である「浄土世界」の実現を目指して造営し,宗教を基軸とする独特の支配の拠点として成立しました。
 政治・行政上の拠点としての平泉は,約190ヘクタールの中心区域及びそれを取り巻く約370ヘクタールの周辺区域に区分することができ,それぞれ複数の構成資産から成ります。中心区域には,既に世界遺産一覧表に記載された仏国土(浄土)を具象的に表す仏堂・庭園及びそれらの考古学的遺跡群が含まれるほか,政治・行政権力の中枢である御所(居館)の考古学的遺跡も含まれます。また,周辺区域には,「浄土世界」の理念の基層を成した在来の仏教思想に基づく寺院跡のほか,「浄土世界」としての平泉の財力の基盤を成した荘園及び財力によって営まれた工房などの考古学的遺跡群が含まれます。さらに中心区域のみならず周辺区域の要所には,計画的に配置された宗教施設の遺跡が存在し,全体として「浄土世界」を表す独特の配置・構造を示しています。
 これらの一群の構成資産は今日に至るまで良好に保存され,平泉が「浄土世界」を体現する政治・行政上の拠点として,比類のない事例であることを示しています。

ページの先頭に移動