日本語教育研究協議会 第2分科会

第2分科会 「音声学・音韻論の応用について考える」
河野俊之(横浜国立大学教育人間科学部助教授)


河野じゃ始めさせていただきます。
この分科会は,音声学・音韻論の応用について考えるというタイトルなんですが。
まず最初に,皆さんはどんなことを考えていらっしゃるのかなとちょっと思いまして,皆さん,多分ここにいらっしゃる方というのは,基本的には音声教育をしていて,なんかうまくいかないなとか,そういうような経験をされた方が多いんだろうと思うんですが。今までどんなことがあったかというのを,どなたでも結構ですからちょっと言っていただけますか,ここに書きますので。どなたか言っていただけますか,よろしいですか。

参加者まずは,母語の影響を受けて直す回数が多くなった場合に,それを,例えば10分も同じことをやっておれませんので,どこで切り上げて,次回にはどう直せばよいか。早く自然の日本語になってほしいなという希望がありますので,そのあせりを自分の中でどう抑えるかというか……。

河野短い時間では効果がないけれども,長い時間やっているのもどうかなということですか。

河野ちょっとキーワードを書きますね。母語の影響があって直らない。それとあと,どこで切り上げたらよいか。
ほかの方はいかがですか。なんか言いにくいですよね。じゃちょっと周りの方と30秒ぐらい――30秒じゃかわいそうですね。自己紹介とかしていると終わってしまいますので。じゃ2分30秒ぐらい,ちょっと周りの方としゃべってみてください,けんかしない程度に。はい,お願いします。

(懇談)

河野よろしいですか。なんかちょっと時間オーバーしてしまいましたので。どなたかおっしゃっていただけますか。これでまたどなたもおっしゃらなかったら,おーと思いますけれども。どうぞ。

参加者私の場合は,小学校3年生ぐらいの子供で,本当に日本語を全然知らないんです。そのときに,口移しにもう音を覚えさせるしかないという状況だったので,そういうふうにしたんですけれども。それをどれぐらい繰り返しやったら身につくのか。
それから,言葉を発し始めると,やはり恥ずかしがって時間がかかる。そのときにどう対処してあげたらよいのかというところに一番苦労いたしました。

河野まず,どのくらいリピート*1すると効果的かということですか。

*1 リピート 繰り返すこと。反復。


参加者はい。

河野それからあと,要は発音するときに恥ずかしがるということですか。

参加者そうですね。それと,口の開け方の注意をするときに,どういうふうにするのが一番効果的なのか。

河野どういうふうにするというのは。

参加者口移しに,例えば「あ」なら「あ」ときれいな音を出させるときに,こちらが「あ」と口を開けますよね。その開けるときのタイミングとかですね。

河野開けるタイミング。

参加者口移しに教える場合の発声の仕方,こちらが注意すべきところ。

河野何て書けばいいんでしょうね。困ったときにはこう書くんですけれども。覚えているから大丈夫です。ほかの方はいかがですか。

参加者中国の南部の方で,な行とら行の混同があるんです。

河野母語の影響があるということですね。

参加者そうです。

河野な行とら行の混同があって,それで何ですか。それをどうしましょうということですか。

参加者そうです。基本的な音の違いが分かっていないわけなんです。

河野音の違いというのはどういうことですか。

参加者要するに,な行とら行の区別がないものという影響で,聞き違いが増える。

河野何度も練習したけれども,聞き分けができないということですか。聞き分けができないから,発音ができないんじゃないかということですね。ほかの方いかがですか。

参加者日本語の「らりるれろ」は,英語のLとRのどちらに近いんでしょうか。

河野Lの方にちょっと近めかなとは思いますけれども。

参加者ら行がよく発音できない人に,舌の向きとかを教える場合にはどっちが……。

河野どっちかというとそうですね。ただ,どっちがいいというと,ちょっと何とも言えないですけれども。以上でよろしいですか。どうぞ。

参加者ベトナム人で,日本語の「そうです」が「そうでちゅ」になっちゃうのをどうやって直したらいいか。

河野それは,ふだんはどういうふうになさっているんですか。

参加者いや,やり方が分からないんです。

河野「す」が「ちゅ」みたいな発音になるということですね。ふだんはどうなさっているかというと,多分繰り返させて,それで直らないからだめだなというような感じですか。

参加者困っちゃうんです。

河野はい,分かりました。ほかの方いかがですか。

参加者クラス授業の中では多国籍の場合があると思うんですけれども,クラス全体でそれぞれ母語の影響が違うと思うんですが,そういうときがちょっと。あとは,音の間違いがデリケートなことだと思うので,学生によっては……。

河野ちょっと待ってください。一つは,学習者によって,母語の影響で誤用の部分が違うからちょっと困るなということですか。

参加者はい。

河野クラス授業の話ですね。クラスで,例えば誤用が異なるが一つ。それで,あとみんなが恥ずかしがるという話でしたっけ。

参加者そうですね,傷つけないような直し方。

河野ほかの方いかがですか。

参加者ベトナム人の30歳の女性ですけれども,さ行とざ行とか,具体的な発音が出たのでちょっとお聞きしたいんですが,「じてんしゃ」と言えないで「ずてんしゃ」とか,それから調味料の「こしょう」のことが「しょ」と言えないで「こそ」と言うんですが。要するに,話が通じれば,発音はベトナム出身の日本語でもいいと思うんですけれども,意味が通じないんですね。意味が通じない多くの場合が,ざ行とさ行の「さしすせそ」の濁音が入ったもの,そうらしいんです。

河野今のも母語の影響の中に含んでいいですよね。この中とは違いますけれども,要は母語の干渉というか,母語の影響で発音が間違っているんだけれども,どうしましょうということですね。ふだんはどうなさっているんですか。

参加者「し」なんていうときには,「し」が言えないので,「いち,に,さん,し」とか言って「し」と言わせると,その「し」ができるんですね。自分の開け方とか経験を覚えさせておいて,今度ほかのことを言わせると言えるんです。

河野だけれども,元に戻ってしまう。

参加者何年勉強しに来たら話せるようになりますか。

河野すぐに元に戻る,ちょっと書きますね。ほかはいかがですか。こんなものですかね,よろしいですか。じゃ,このお話は私がお話できるものをお話ししますが,お話できないものはちょっとごまかすかもしれませんが。まず最初に,先に違うお話をちょっとしていきます。昨日,今日あわせて大会の趣旨というのがあるんですが,ちょっとそれに沿ってまずお話をさせていただこうと思います。
まず,大会の趣旨として一番大きいのは,「学習者の視点から日本語教育を考える」というのが大会の趣旨として一つあるんですけれども。音声教育について考えると,きちんと学習者の視点から考えるということが本当にできているのかなというのが,まず私はすごく疑問に思うんですね。例えば教師というのは,よく学習者についてすぐ耳が悪いとか,できない学習者に対して。あと勘が悪いとか,あとほかには向上心がないとか,すぐ結構簡単に言ったりしますよね。学習者の視点から考えると,なんかちょっとおかしいんじゃないかな,これは教師の視点から勝手に言っていることであって,本当に学習者の視点からきちんととらえて言っているのかなと,そこでちょっと気にはなっています。
それからあと,大会の趣旨でこういうのがあります。「日本語習得における共通の問題点や方策」というのがあるんですけれども,これについてはこういうこともまた考えます。なんか音声教育だけ,例えば文法教育なんかと比べて,すぐ母語別に問題点があって,母語別に指導しないといけないんじゃないかとか,あと,先ほどちょっと出ましたけれども,個人によって才能が違うみたいな,勘がいい悪いみたいな,そういうようなとらえ方をすごくしているような気がするんですね。これは文法とか語彙教育なんかと比べると,音声教育についてはなんか−もちろん個人別,母語別という考え方は重要ですけれども,そういうふうに考え過ぎているような気が私にはすごくします。
それから次ですけれども,あと「専門的観点から考える」というのが大会の趣旨としてありますけれども,音声教育で思うのが,日本語教師とか書いてありますけれども,音声教育についてさすが日本語教師だなというような教え方ができているかどうかですね。これはすごく大きな問題だろうと思います。例えば文法を教えるときに,ただ単に「はい,繰り返しなさい」で文法を教えることなんか絶対できないですよね。音声教育ももちろんそうなんじゃないですかね。ただ単に,学習者に対してモデル音声を与えて,それに対して学習者が発音できない。そのときに「違う」とか言って,もう1回繰り返させて,また「違う」とか言って何回も繰り返させる。これって,日本語教師じゃなくてもできることですよね。日本人ならというか,日本語ができる人ならだれでもできることだと思うんですね。そういうふうに考えると,専門的観点から考えること,これはすごく重要なんじゃないかなと思います。
それからあと,「科学的な分析・考察を試みる」というのが趣旨になっていますけれども,なんか思い込みだけで教えているような,そういうところがちょっと私には感じられます。これは音声教育だけ――音声教育だけというか,教室だけじゃなくて,音声教育の研究でも,ただ単にこれやった方がいいな。本当にそういう研究をすることが意義があるかどうかとかじゃなくて,ただ単にこれをやってみようというような研究もすごく多いと思うんですけれども,なんか思い込みだけで教えている,そういうこともあるんじゃないかなというふうに思います。
それから,あと二つあるんですが,ここは大したことないんですけれども。「日本語教育に携わる者が今後留意すべき点は何か」なんですけれども。これについては,今からその音声教育については考えていきましょうということです。
それからあともう一つですけれども,「具体的な対応方法を考える」というのがあるんですが,音声教育について言いますと,音声教育の場合は,べき論になっているところがすごく多いと思うんですね。音声教育について,本来だったら具体的な対応方法,例えばこういうふうに教えたらこうなりましたよとかというような,そういうことで議論をしていけばいいんですけれども,そうじゃなくて,何々するべきだとか,何々してはいけないとか,そういう机上の空論というか,そういうようなことで議論しているような気がするんですけれども,そうじゃなくて,具体的な方法について,それをたたき台として提示して,それについて議論をしていく。議論していくことによって,もっとよりよい方法を考える,そういうことが必要なんじゃないかなと思います。これが大会の趣旨なんですけれども。
それで,じゃこの分科会ではどういうことをするかといいますと,一応タイトルがこういうふうになっていますね。「音声学・音韻論の応用について考える」というふうになっているんですが。実はこれは私が考えたタイトルではありません。ですから,こういうお話を私はするつもりは全くありません。
何でかと言いますと,今までの音声教育というのは,音声学とか音韻のことを一生懸命勉強して,それを研究して,それを音声教育に応用できるという考え方を持っていると思うんですけれども,でも実際,教室で使えるような音声教育の方法が今まで考え出されているかというと,特に考え出されていないですよね,具体的に。ということは,今までのような音声学・音韻論の応用として音声教育を考えるというのでは,多分音声教育はよくならないだろうというふうに思います。
例えば,漢字教育をよくしようと思ったときに,漢字の研究を幾らしてもしようがないですよね。それと似ている部分がすごくあると思うんですよ。だからそうじゃなくて,今回とりあえずこういうふうに考えていただきたいというのがありまして,それは何かというと,音声教育をあくまでも日本語教育の一部として考えるということですね。日本語教育の常識として,当然こういうふうに考えたらいいはずだというような方法を考えていっていただきたいなというふうに思います。
じゃ,具体的な教え方に入っていきますけれども,まずプロソディー*1の教育。ハンドアウト*2を御覧ください。プロソディーの教育のところに入ります。
プロソディーというのは何かと言いますと,人間の音声というのは要素を二つに分けます。一つは個々の音ですね。個々の音というのは先ほどちょっと出ましたけれども,例えば「す」という音が「ちゅ」というふうになるというような,その口の中の形によって音が変わりますよね。あと「あ」と「い」と「う」と「え」と「お」もそうなんですけれども,そういうような口の方によって音が変わる,そういうものを個々の音といいます。それに対して,あと音の高さとか長さとか大きさとかありますよね,音声の。そういうものをプロソディーというふうにいいます。ですから,人間の音声というのは,個々の音というのとプロソディーというものに分けます。プロソディーというのは,高さ,長さ,大きさのことです。
具体的な,例えば長音,例えば「こと」と「こーと」とかですね,そういう音の長さが違いますね。それから促音,「おと」と「おっと」みたいなものですね。それからあとアクセント,「あめ」と「あめ」みたいなものですね。それからあと文末イントネーション,句末も入りますけれども,文末のイントネーション。例えば「そうですか↑」というのと「そうですか↓」とかというのは,文末のイントネーションが違いますよね。それによってあらわすものが違います。あとプロミネンス*3ですね。プロミネンスは,例えば「は行きません」というのと「私は行きません」,ちょっと違いますよね。もう1回言いますね。一つは「は行きません」,もう一つは「私は行きません」,ニュアンスが違いますよね。それは強調している部分が違うからなんですけれども,そういうどこを強調するかというのをプロミネンスと言ったりします。
プロソディーでは,ここにあるようなことをあらわせるんですけれども,ほかにも感情とかもあらわせますよね。例えば,「いや」というときに,怒っているときだったら「いやっ」,これは明らかに怒っているようなあれですね。同じように「いや」とか言ったときに,でも本当はうれしいときなんかは「いや」とか,そんなような言い方をすると思います。
あと,ほかに丁寧なものもありますよね。同じように,例えば「どうぞ」というときにも,丁寧に言えたりとか,ちょっとぞんざいに言えたりすることがありますけれども,それも基本的にはプロソディーであらわすことができます。
プロソディーを教えるための教材というのを今つくっているんですけれども,その作っている教材の中心に今なっているのがプロソディーグラフ*4というものなんですね。一番下の二つがプロソディーグラフなんですけれども。プロソディーグラフというのを見たことがあるという方,どのくらいいらっしゃるか手を挙げてみてください。

*1 プロソディー 韻律。
*2 ハンドアウト 事前に配布される報道用の資料。
*3 プロミネンス 文中のある語句を強調するために,特に強く発音すること。
*4 プロソディーグラフ 音声分析機を用いて高さを表すピッチ曲線を抽出し、それを音節単位で区切ってわかりやすく示したもの。串田真知子・城生佰太郎・築地伸美・松崎寛・劉銘傑(1995)「自然な日本語音声への効果的なアプローチ:プロソディーグラフ―中国人学習者のための音声教育教材の開発―」『日本語教育』86号p.39-51日本語教育学会.参照。


(挙手)

河野ありがとうございます。一番上の線が二つありますが,「おはようございます」のところにも一番上に線がありますけれども,この線は実際に音声を機械で録って高さを分析したらこんなふうになります。「おはようございます」ですね。こちらが「どうぞよろしくお願いします」の方なんですけれども。それを一つ一つ拍に合わせて,「おはよう」みたいなこういう長いところは長い丸を使いますけれども,基本的には一つ一つの丸でそれぞれの拍をあらわしたものをプロソディーグラフというふうに言います。
じゃ,プロソディーグラフというのは効果があるのかどうかというような実験をしたものがあります。例えば,よく日本語の教科書で,この教科書は音声をすごく重視しているとかというような,そういう教科書がありますよね,時々ですけれども。そういうようなものですと,「わざわざすみません」というのは,例えば「わ」の右側にアクセントの下がり目がついていますね。「すみません」の「せ」から「ん」に下がり目がついています。それからあとイントネーションは別に上がりも下がりもしないので,そのまま横に矢印がついていますね。こういうような方法を使っている教科書があります。それに対してプロソディーグラフだと,こういうふうに「わざわざすみません」とこういうふうになります。下はプロソディーグラフ方式ですよね。上のものを核表示方式*1というような名前で呼んでいるんですけれども。
じゃ,どちらが効果があるかという実験が下にあります。これが実験の結果なんですけれども,ちょっと分かりにくいと思うので説明させていただきますけれども。どちらも音声教育前,音声教育後なんですが,ハンドアウトにも書いてありますよね。1から5までありまして,5というのは発音がいいということですね,発音完璧ということです。1はもう全然だめということです。それぞれの点がある学習者ですね。1から5までありまして,これが音声教育前,これが音声教育後です。これも1から5まであります。
ですから,例えばこの人にしましょうか。この人は,音声教育前に「わざわざすみません」というのを録音したときに,それを日本人に評価してもらったら,4ちょっとだったわけですね。だからまあまあいいですね,4ちょっとだったら。それに対して,音声教育後は4.7ぐらいになっていますね。ということは,この人は発音がよくなったということですね。よろしいですか。これは音声教育前,音声教育後です。この人は発音がよくなったということです。それに対して,この人は発音が悪くなった,音声教育をすることによってですね。こちらは「わざわざすみません」,いわゆる核表示を使って教育したものです。こちらはプロソディーグラフを使って教育したものです。ですから,ここに三角がありますけれども,三角の部分に点が多いということは発音がよくなっているということですね。核表示方式とプロソディーグラフ方式を見ていただくと,これどちらが効果ありますか。

*1 核表示方式 アクセント核のある拍の上のみにカギを付す方法。串田ほか(1995)参照。


河野そうですね。なんかテレビショッピングみたいですね。
これはなぜ効果があったんだと思いますか,プロソディーグラフを使った方が。いかがですか。

参加者質問なんですけれども,核表示方式の場合に,どうしたらいいんでしょうか。これを見せて,核表示はこういうふうな格好で……。

河野ええ,見せても,それでもちろんリピートもして,もちろんもちろん。

参加者それで,5分ぐらい……。

河野いえいえ,5分じゃないです,もっとですね。

参加者同じ方法で……

河野もちろん全く同じ方法です。違うのは,表示の方法が違うだけです。じゃ何で効果があったんだと思いますか。

参加者耳で聞いただけのものが,プロソディーグラフの場合だと視覚に訴えられて,自分の中で認識ができる。

河野こちらは視覚に訴えるということはないわけですよね,基本的に。

参加者一部あります。

河野一部ありますけれども。こちらの方は視覚に訴えるということですよね。あともう一つ言えば,例えば「わざわざすみません」というのは,いわゆる発音がいいだけではだめですよね。せっかくわざわざ来てもらって「わざわざすみません」。これ発音は完璧ですよね。すごい聞き取りやすいですね。「わざわざすみません」。でもこれは絶対だめですよね。別にこうしているからじゃないですけれども。多分,本当だったらもっと「わざわざすみません」という感じで――どんな感じか分からないですけれども。そんな感じで言うと思うんですね。
それは,例えばゆっくり言うとか,声を低くするとか。ゆっくり言うというのは,例えばこのプロソディーグラフだったら,この俸の長さを短くすれば,低く言っていることになりますよね。スピードに関しては,今丸と丸が近づいていますけれども,これをもっと離せばゆっくり言っているようになりますよね。ですから,プロソディーグラフというのは,視覚に訴えるというのが多分あるだろうと思います。
それに対してこちらは,例えば低く言うのはどうしたらいいかと考えると,ちょっと思いつかないですね。(低く)とか,(ゆっくり)とか書いてもしようがないですよね。でも,とりあえずプロソディーグラフは視覚に訴えるからいいんだというようなことが言えるだろうと思います。
また,別に宣伝したいわけじゃないんですが――宣伝もしたいんですけれども。じゃ教科書,そのプロソディーグラフを使った教科書を出そう出そうとずっと言っていて,なかなか出ないんですけれども。早く出せよというような話になるだろうと思います。例えば,初級の教科書で主な文型にプロソディーグラフをつけて,それをそのまま出せばいいじゃないかというふうに思われる方もいらっしゃるだろうと思うんですけれども。
そこで,ちょっと考えないといけないのが,じゃプロソディーグラフを使ったらいいのかということなんですね。どういうことかと言いますと,上は「にほんごのがっこうへいこうとおもってるんです」,これは正しい発音のプロソディーグラフなんですけれども。下のは,実は韓国語話者の例なんですけれども。もう1回言いますと,上は「にほんごのがっこうへいこうとおもってるんです」ですけれども,下の方は「にほんごのがっこうへいこうとおもってるんです」,そんな発音です。もう1回言いますね。「にほんごのがっこうへいこうとおもってるんです」,そんなような発音なんですけれども。
多分,今までの音声教育というのは,ここの上にある「にほんごのがっこうへいこうとおもってるんです」というプロソディーグラフを見せて,何度もリピートさせる。何度もリピートさせて,正しい発音になりました。そうしたら,多分今までの音声教育だったら,発音よくなった,オッケー,オッケー,多分それで終わっていたと思うんですよ。ですけれども,よく考えたら,それはなんかおかしいんじゃないかなと。音声教育というか,教育としておかしいんじゃないかなというようなことを考えています。
ほかの日本語教育のことを考えますと,例えば文法教育のことをちょっと考えてみましょう。例えば学習者が「書きてください」と言ったとしますね。そういうような誤用をする学習者がいますね。そのときに皆さんはどうしますか,自分が教師だったら。いかがですか,何かないですか。自分が教師だったら,学習者が「書きてください」とか言ったら。

参加者書いてください

河野「書いて」と多分言いますよね。多分「書いて」と言うでしょう。そうしたら,「書いてください」と学習者が言いますよね。じゃ今度,「置いてください」を「置きてください」と言ったらどうですか。

参加者置いてください。

河野「置いてください」と言いますか。以上でおしまいですか。そこで,じゃ教師の仕事って何ですかね,そこで必要な教師の仕事というのは。多分,当然学習者が「書きてください」とか言って,教師が「書いて」とか言えば,学習者は「書いてください」と多分言いますよね。「置きてください」とか言ったら,「置いて」とか言えば,「置いてください」と多分言うでしょう。でも,それは教師の仕事ですかね。もちろん教師の仕事ではあると思いますけれども,それは本当に教育としてどうですか。多分違いますよね。例えば,「書く」とか「置く」とか「聞く」というのは「いて」になるというような,そういう辞書形が「く」で終わるものは「いて」になるんだというようなルール*1を,直接かどうか分からないけれども,学習者に理解させる必要がありますよね。そうしないと,「書いてください」とか「置いてください」は言えるけれども,今度「聞く」に関しては,また「聞きてください」とか言う可能性はあるわけですね。「書いてください」,「置いてください」というふうに学習者の繰り返させるというのは,これは教師じゃなくて,先ほどちょっと出ましたけれども,これは日本語ができる人だったら誰でもできることなんじゃないですかね。
ということは,教師としてはそうじゃなくて,正しい文ができるようにすること。ルールを提示して――提示するというか,ルールを理解させて,いろいろな文ができるようにすること,そういうことが重要なんじゃないかなと思うんですね。
それと同じで,例えば「にほんごのがっこうへいこうとおもってるんです」というのを,上のプロソディーグラフを見せて正しい発音ができたとしても,でも学習者はもしかしたら日本語の学校へ行きたいなんて全然思っていないかもしれませんよね。それなのに,日本語の学校へ行こうと思っているんですって,それしかできないというのはなんかおかしくないですか。例えば,「4月から何したいですか」,「日本語の学校へ行こうと思っているんです」とみんなが言うのはおかしいですね。
例えば,私が英語を習ったときに,私英語は全然好きじゃないんですけれども。「一番好きな教科は何ですか」とか言って,みんな「I like English best」とか順番に言わさせたんですね,私は全然好きじゃないのに。それから「I am from New York」とか,ニューヨークじゃないのになと思いながら言ってたんですよ。なんかそれはおかしいですよね。
そうじゃなくて,自分が本当に言いたいことが言えるような,そういうことを保証してやる。それを正しい発音でできるようになることを保証してやる,そういうことが必要なんじゃないかなと思うんです。例えば,「発音の話をしようと考えています」というようなことを言いたいときに,どういうのが正しい発音なのかというのは,学習者が自分の中で考えてそれが言えるような,そういうようなことが教育の目標として必要なんじゃないかなというふうに思います。
よろしいですか。では,上の発音と下の発音と何が違うか,ちょっと考えてみてください。具体的に何が違うか,ちょっと考えてみてください。それはじゃ何を教えればいいかなという話に多分なると思うんですけれども。どなたかいかがですか。

*1 ルール 規則。きまり。


参加者ちょっと意味がよく分かりませんが,「がっこうへいこうと」じゃなくて,上の方という意味ですか。

河野上と下と何が違いますかということです,具体的に。

参加者上というのは。

河野上というのはこれですね,正しい発音のものですね。下が間違った発音のものなんですけれども,それで何が違うかなんですけれども。

参加者上の段はつながっている。

河野そうですね。こちらは四つになっている感じですね。それに対して,こちらは一つの感じですね。まずそこが違いますね。ほかはいかがですか。

参加者それだけじゃなくて,幅が……。

河野全体の幅が。

参加者はい。幅が文節といいますか,終わったところでぱっと上がり方が非常に……。

河野はいはい。

参加者それで正しいというふうなことを何度もおっしゃっているけれども,それは正しいと言えるのか。その辺がちょっと違う……。

河野高さの幅が違うということですか。例えば,ここでは大体同じになっていますね。

参加者やはりさっき大分上げていらっしゃた……。

河野そうですね。今おっしゃていたのは,いわゆるピッチレンジ*1のことですね。例えば韓国語話者だとピッチレンジが広いとか,あとモンゴル語話者だとピッチレンジが狭いとか,そんな言い方をします。多分そういうことだと思うんですが,ここでは今それはなしでよろしいですか。今おっしゃったのは,多分「いこうとおもっているんです」というのが,例えば「いこうとおもっているんです」みたいな,多分そんなようなことだろうと思うんですけれども,そういうものもあるとは思います。ほかにいかがですか。

*1 ピッチレンジ 声の高低の幅。


参加者文節間が,こことここの間が広い……。

河野ここの間が広いということですか,ポーズが入っているということですね。そうですね,それもありますね。ほかいかがですか。

参加者今の言葉,これを言いますと,イントネーションが違うということ。

河野イントネーションというのは結構いろいろな意味で使われるので,できれば今は使いたくないんですけれども。あれですよ,文末とか句末のイントネーション,ここはそうですね,確かに「いこうとー」となっています。ここは普通に「いこうと思っているんです」そこですかね。そこも違いますね。ほかいかがですか。あと違うのは,アクセントが違いますね。こちらは「にほんごのがっこうへ」となっていますが,これは「にほんごのがっこうへ」となっています。アクセントも違います。いろいろ違う部分があるんですけれども。ここら辺のことを全部教えないと正しい発音にはならないということに一応なるんですが。
あとちょっと考えないといけないのが,教える順番,あと何を教えるかというのも考える必要があります。ここでまたちょっと漢字教育のお話をちょっとしていくんですけれども。例えば漢字を教えるとき,教える順番ってすごく考えると思うんですよ。例えば,一番最初の「一」と「鬱」だったらどっちを教えますか。「一」ですよね。理由はどうしてですか。

参加者見てすぐ分かるし,書きやすい。

河野簡単なものを先に教える,よろしいですね。じゃ,「鉛」と「鉄」はどうですか。「鉛」と「鉄」は画数は一緒です。「一」と「鬱」みたいに全然違うわけじゃない。

参加者鉄を教えます。

河野どうしてですか。

参加者身近にあって……。

河野いや,身近にある――そうですね。漢字自体も身近にあるというのはあるでしょうね。それから物が身近にあるというのももちろんあるかもしれない。多分,身近にあって重要だから,そちらを先に教えるでしょう。じゃ「言う」と「読む」はどうですか。

参加者使う頻度から考えると,「言う」です。

河野使う頻度,ほかの理由はないですか。

参加者構成のもとになる字だから。

河野そうですね,「読む」というのは,「言う」というのと「売る」というのを先に勉強しておけば,「読む」はすごい簡単ですよね。部分部分になっているからですね。じゃ「馬」と「駅」はいかがですか。

参加者今のが一つと,やはり歴史的な成り立ち,「駅」はこういうものだという,それをやると覚えると思うんですが。

河野そうですか,「馬」を先。

参加者いや,「駅」から教えます。

河野どうしてですか,それは。

参加者日本に来たときに駅はよく使うので,やはり身近にあるものですから。

河野これに関しては,いろいろ考えられるでしょうね。

参加者字の構成からいうと「馬」なんですけれども,私たちの現在の生活の必要性としては「駅」。

河野そうですよね。重要度から言えば「駅」ですね。ですけれども,簡単,難しいとか,どっちが基本的かといったら「馬」を先に教えるという考え方もあるでしょう。そこら辺はいろいろな考え方があると思います。私も多分「駅」を先に教えた方がいいと思っているんですけれども。少なくとも,漢字教育のときに教える順番というのはすごく考えるはずです――考えるというか,考えてあるはずです。それに対して音声教育の場合,先ほどの「にほんごのがっこうへいこうとおもってるんです」というのは,教える順番なんか全く無視していますよね。ただ単に,ここに出てきているから教える,それでは身につかないのは当たり前というふうに考えられると思うんですね。ですから,教える順番を考える必要があるんじゃないかなと思います。教える順番を考える必要があるんですけれども,まず最初に考えないといけないのは,先ほど音というのは,プロソディーと個々の音に分かれると言いましたけれども,プロソディーというもの自体が本当に重要なのかどうかですね。よく言われるのが,例えばアクセントは重要とか,いや,重要じゃない,意味が文脈で分かるからいいんだとか,いろいろな考え方がありますけれども,プロソディー自体が重要なのかどうかですね。
じゃ,重要というのはどういうことなんだろうと,そういうようなことを考えないといけないと思うんですけれども。例えば,好きな芸能人とかいますか,男の人で。

参加者椎名結平。

河野椎名結平ですか,いいですね。お名前何とおっしゃるんですか。

参加者ヨコザワです。

河野例えば,今私はすごくヨコザワさんのことを好きになったとしますね,別になっていないですけれども。椎名結平が好きだと私が今聞いて,これは椎名結平そっくりになったら,好きになってもらえるかなと思うとしますよね。それで私が整形するとします。だけれども,私もそんなにお金ないので,1か所だけ整形するとしますね。そのときに,例えば私が椎名結平そっくりに耳を整形してきたらどうですか。

参加者分からないかもしれない。

河野分からない,もうそれ以前の問題ですね,好き嫌い以前に。そういうふうに考えると,その人が例えばかっこいい,かっこ悪いというのは,耳は余り関係ないと思いますよね。よっぽど江川の耳とか,あんなのだったら別かもしれませんけれども。耳というのは,実は多分余り関係ないんだろうと思うんですよ,ということは顔の部位では重要度が低い。もちろん生活していく上ではすごい重要ですけれども,かっこいい,かっこ悪いで余り重要度は高くない,多分ないですよね。
じゃ,どこが重要度が高いかというと,例えばいわゆるモンタージュ写真みたいに,私の顔のいろいろなところ,目だけを椎名結平にしたりとかしていけば,どこが重要度が高いとかというのは多分分かりますよね。
じゃ,プロソディーは重要かどうかなんですけれども,今のは椎名結平に似てる似てないの話をしましたよね。プロソディーが重要かどうかというのは,多分重要というのは日本語らしさにすごくかかわるかどうかという話になると思うんですよ。それを実験した人がいるんです,今日来ていないんですけれども。今から聞いていただくのは合成音声なんですけれども,「絶対おいしいっていう店なんだけど入る」という合成音声なんですけれども。ハンドアウトを御覧ください。そこに1番と書いてあって,前の音と後の音というのがあります。どちらが日本語らしく聞こえたか,そこにちょっと丸をつけてみてください。やること分かりましたでしょうか。よろしいですか,じゃ聞いていただきます。音二つ出ますから。

(合成音声を聞く)

河野今二つ出ましたけれども,ハンドアウトに丸つけられましたか。ちょっと手を挙げてください。前の音が日本語らしいと思った方はどのくらいいらっしゃいますか。4人ですか。じゃ後ろの音の方は,後ろは圧倒的に多いですね。別に前の音の方を非難しているわけじゃないですよ。
今のは,前の音は個々の音は日本人のもので,プロソディーは韓国語話者のものです。言いかえると,個々の音はいいけれども,プロソディーが良くないものですね。後ろの音は,個々の音は韓国語話者のもの,プロソディーは日本人のものです。逆に言うと,個々の音は悪いけれども,プロソディーはいいものです。今の多数決の結果からしますと,後ろの音の方が日本語らしかったわけですよね。というふうに考えると,プロソディーがいいと日本語らしさが高いということになっていますね。これはよろしいですか。ですから,日本語らしさにとって重要なのは,個々の音よりもプロソディーだというようなことが言えると思います。よろしいですか。個々の音よりもプロソディー。
例えば,皆さんが英語を習ったときに,プロソディーのことって余り習った覚えはないんじゃないですか,個々の音も余り習った覚えはないですけれども。プロソディーについてはほとんど触れられていない。これは日本語教育でも同じようなことがあるんじゃないかなと思います。個々の音についてはすごく注意するけれども,プロソディーについてはほとんど注意しない,教師が,というようなことがあると思います。
個々の音よりもプロソディーが重要,これはいいんですけれども,じゃそのときに,いや私はプロソディーも指導していますよという方はいらっしゃると思います。なんですけれども,プロソディーに関しては,プロソディーを指導していますというときに,アクセントはすごく注意して指導していますということであることが多いんです。あと音声教育の研究に関しても,何語話者,例えば中国語話者は,そのアクセントがどんな発音になるとか,どんなアクセントの癖があるとか,そういうような研究が多いんですけれども。実際,外国人の日本語の発音を聞いていて,聞き取りやすい人でもアクセントを間違っている人というのは結構いると思うんですね。例えば,サッカーでラモス瑠偉っていますよね。あの人の発音を聞いていたら,アクセントはもう間違えまくっているんですけれども,なんか聞き取りやすい部分がある。それは何でかなと考えたんですけれども。
実際に,ちょっと詳しく調べて――別にラモスを調べたわけじゃなくて,詳しく調べてみますと,日本人が外国人の日本語の発音についていい悪いを判断するときに,個々の音については余り注目していない。それからアクセントについても余り注目していない。例えば「学校」を「学校」と言うこと,それ自体でこの人は発音がいい悪いというのは余り考えていないということが分かっています。
ただ,例えば「猫」というのを「猫を」というような文末の上昇イントネーションを加えることによって「猫を」とかなるような,そういうアクセントの間違いはちょっと注目されますけれども,単純なアクセントの誤りですね。「学校へ行きます」というのを「学校へ行きます」というような,そういう発音についてはそれほど注目されていないという結果が出ています。
それから,じゃ発音のいい悪いはどういうところに注目しているかというと,一つは文末のイントネーションです。例えば,日本語学習者で「初めまして」というのを言わせたときに,「初めまして」とか言う学習者がいますよね。先ほどの「にほんごのがっこうへいこうとおもってるんです」の「いこうと」というような最後,ガッと下がったり,そういうのは発音のいい悪いにすごく関係しているようです。
それからもう一つ,後で御説明しますけれども,ヤマに関しても,すごく日本語の発音がいい悪いに関係しているというようなことが分かっています。今ヤマのお話を説明しますけれども,その前に文末のイントネーションのお話を説明しますけれども。
先ほどの「初めまして」というのを「初めまして」と学習者が発音している場合があるんですけれども,それに関しては,上げたらだめとしか言いようがないですよね。それでもう一つ,文末イントネーションとヤマと言いましたけれども,ヤマに関してはそうじゃないと言っているだけではだめなんですね。
ヤマというのはどういうことかと言いますと,先ほどちょっと出ましたけれども,上の正しい発音に関しては一つの固まりみたいに発音されていますよね。それに対して学習者の場合,学習者の発音に関しては四つのヤマで発音されていませんか。これをアクセントが正しくて,ヤマをこのとおりに言えば,こんな発音になります。「にほんごのがっこうへいこうとおもってるんです」,こんなような発音になります。それはすごく聞き取りづらいんです。アクセントが間違っているところよりも聞き取りづらい。だからヤマに関してはきちんと教えていく必要があるんじゃないか。それは何を教えたらいいか,あとどういう順番で教えたらいいか,あとどうやって教えたらいいか,そういうことを考えて教えていく必要があるんじゃないかなということで,今教材をつくっています。
じゃ,ヤマに関して何を教えたらいいかなんですが,それでちょっと参考にしたのが初級の教科書なんですけれども。「みんなの日本語」を使っている方はいっぱいいらっしゃると思います。そこの各課の最後の方に練習Cというのがありますね。小会話ドリルというやつなんですが,そういうのがあります。それで,これはちょっと小さいので大きくして,あとちょっと変えたものがこれなんですけれども。ちょっとお二人で発音していただけますか。

参加者何で行きますか。

参加者新幹線で行きます。

参加者誰と行きますか。

参加者山田さんと行きます。

河野なんかすごいですね。じゃもう1回,1個ずつ分けてください。

参加者何で行きますか。

河野1個ずつもう1回。

参加者何で,行きますか。

河野1個ずつってそういう意味じゃないです。1文ずつという意味です。

参加者何で行きますか。

河野今のはヤマは幾つになりますか。じゃ,ちょっとヤマ2個で発音してみてください。

参加者何で行きますか。

河野今おっしゃったのはヤマ一つです,先ほど発音された。ヤマ一つだとこうなります。「何で行きますか」,これはもちろんできますね。ヤマ二つになるとこうなりますね。「何で行きますか」,なんか変ですよね。ここで,「何で行きますか」というのがヤマ一つというのはどういうルール,何でヤマ一つになるんですかね。どなたかないですか。

参加者私,こういうプロソディーというのは今初めてなんですけれども。それで,その一つについて一番重要なポイントですね。

河野そうですね。「何で行きますか」で一番重要なのは「何で」ですよね。だからヤマ一つになるわけですね。「行きますか」というのは別に重要じゃないから抑えられて,こういうふうに一つになるわけですね。次ちょっと読んでみてください。

参加者新幹線で行きます。

河野これはヤマ幾つですか。

参加者一つ。

河野それはどうしてですか。

参加者つなげて言うから。

河野じゃ何でつなげて言うんですか。どなたかいないですか,これも。

参加者新幹線が分かればいいんです。

河野そうですね,新幹線の部分が重要なんですね。

参加者あとは言わなくてもいいんじゃないですか。

河野言わなくてもいいですね,別に。言ってもいいですけれども。「新幹線で」の部分が重要で,あとの部分は重要じゃないから,新幹線でいきますとヤマ一つになるわけですね。じゃ次も読んでください。

参加者一人で行きますか。

河野これはヤマ幾つですか。

参加者一つ。

河野それはどうしてですか。

参加者「一人で」が重要だから。

河野そうですね,「一人で」が重要だからですね。次は,はい。

参加者山田さんと行きます。

河野これもヤマ一つね。これも「山田さんと」が重要だからですね。いいですね。元の文にちょっと戻りますね。「山田さんと行きます」,ヤマ一つでしたね。その下はどうですか。ちょっと読んでください。

参加者会社の人と行きます。

河野これは。

参加者一つ。

河野ヤマ一つですね。「山田さんと行きます」もヤマ一つなんですね。じゃ「会社の人」というのがヤマ一つになるルールは,どんなルールですか。

参加者会社の人というのが分かればいいので,ヤマ一つ。

河野ちょっと後で言います。じゃその下も読んでください。

参加者あした東京へ行きます。

河野これはヤマ幾つですか。

参加者聞かれた内容によって,あしたを言うのか,東京を言うのか……。

河野この文だったらどうですか,この会話だったらどうですか。Aの1だったらヤマは幾つになりますか。ちょっと手を挙げてください。これAの1から始まっているんですよ。ちょっと言いますね,いろいろ発音あると思いますけれども。ヤマ一つだとこうです。「あした東京へ行きます」,これヤマ一つです。ヤマ二つだと「あした東京へ行きます」ですけれども。ちょっと手を挙げてください。ヤマ一つがいいと思う方はどのくらいいますか。

(挙手)

河野ヤマ二つはどうですか。

(挙手)

河野ヤマ二つ多いですね。じゃヤマ二つにしましょう。「あした東京へ行きます」とヤマ一つで言ったら,なんか東京へ行くということをBさんも知っていて,あした行くんですよと言っているような感じじゃないですか。それをいきなりここで入るんだったら,多分ヤマ二つの方が私はいいような気がしますが。人によっていろいろありますからいいんですが。じゃ次,これなんですけれども,例えばBの「4日ぐらいです」。これヤマ一つしかあり得ないですね,最後の。「4日ぐらいです」を「4日ぐらいです」とかは絶対あり得ないので,Bの部分はちょっと除いて考えて,Aだけのことを考えますね。ちょっと一番最初の文を読んでみてください。

参加者どのぐらいかかりますか。

河野それはヤマ幾つですか。ヤマ一つですか。それはどういうルールですか,先ほどのもちょっと参考にしながら。

参加者値段を聞いていると思いますので,それがいくらなのかということで,その部分が大切かなと……。

河野これは実は何日ぐらいかかるかという意味なんですけれども,それは置いておいて。「どのぐらい」が重要なんですね。だからヤマ一つなんですね。じゃその下はいかがですか。

参加者速達でいくらですか。

河野これはどうですか。

参加者二つだと思います。

河野それはどうしてですか。

参加者やはり速達という前段の部分があって,そしてそれがいくらかということなので。

河野ここは「速達で」も重要だけれども,「いくらですか」も重要だからですね。それで新しいヤマができるわけですね。そういうふうになっていますね。そういうようなルールに基づいて,ルールが簡単,難しいとか,そういうものに基づいて教える順番を考えないといけないわけですよね。
じゃ,どういう順番で教えるかというのをちょっと考えてみましょう。ハンドアウトを御覧ください。3ページと書いてあるところを御覧ください。よろしいですか。1-5ですね。ヤマの提出順と書いてあって,そこに括弧が書いてありますが,そこは今使いません。それで一番最初を見てください。一番最初の文ですね,ちょっと読んでみてください。

参加者きれいなネクタイです

河野それはヤマ幾つですか。

参加者「きれいな」で一つ……。

河野どっちですか。二つだとこうですね。「きれいなネクタイです」。ヤマ一つだと「きれいなネクタイです」,どっちがいいですか。

参加者一つ。

河野一つがいいですか。じゃ,「きれいなネクタイです」はヤマ一つなので,こういう線を「きれいなネクタイです」のところに書いてみてください。よろしいですか。じゃ,ほかの文も全部どんなヤマになるか,書いてみてください。周りの人と相談してもいいです。ディスカッションしてもいいです。

(それぞれで作業)

河野できたら,周りの方のをちょっと見てみてください。何か質問がある方はお受けします。終わった方もいらっしゃるみたいなので,終わった方は周りの方のを見て,ヤマについてもう1回まず考えてみてください。周りの方のを見てください。それが終わったら,どうしてヤマがそういうふうになっているかというのを,それぞれの文についてちょっとルールを考えてください。ルールを考えたら,じゃどういう順番で教えたらいいか考えて,その括弧の中に教える順番を書いてみてください。

(作業続行)

河野どうしました。

参加者ヤマとプロミネンスはどう違うんですか。

河野プロミネンスというのは,要は強調なんですけれども,強調というと,強調するときに強調ですね。例えば,「速達でいくらですか」というのは強調とは言わないですね。強調というのは,無理に強調するのが強調。

参加者そうすると,無理に強調するのがプロミネンスなんですか。

河野そうですね。

参加者今の場合は,プロミネンスをもし使うならば,ヤマと同じなんですか。

河野そうですね,そういうふうに言ってもいいです。

参加者ヤマになる可能性は。

河野もちろんあります。

参加者プロミネンスになる可能性はない。

河野ないことはないですけれども,基本的には……。

参加者会話句において,会話においてヤマは必ずあるというお考えですか。

河野もちろんあります。1個でも。

参加者例えば,プロソディーグラフには,プロミネンスは現れてこないと。

河野もちろん現れてきますよ。だから,先ほどのこれとかはヤマ二つになっていますよね。分かりましたか。例えば,「どうぞよろしくお願いします」というときに……。

参加者ヤマが二つということは,プロミネンスが二つというあれなんですか。

河野プロミネンスが二つとはちょっと――そうですね。プロミネンスというのは基本的に強調なんです。例えば,これは「よろしくお願いします」を強調しているわけですか。「どうぞよろしくお願いします」でもいいですよね,だめですか。例えば,「どうもありがとうございます」というのと,「どうもありがとうございます」,両方あり得ますよね。それで何か意味が違いますか。プロミネンスというのは,強調する場所が違うことで何か違うんですけれども,意味は変わらないですよね。例えば,「どうぞよろしく」と「どうぞよろしく」で何か違いますか。

参加者ヤマというのは,要するにベーシックな流れというか……。

河野流れというか,まあそうですね。

参加者フレーズ*1の固まりみたいなもの……。

*1 フレーズ 句。成句。


河野そうですね,はい。意味の固まりであったりとか,もちろんプロミネンスで無理に強調するときもありますよ,それでヤマが変わったりすることはあります。そのお話は後でしますけれども,そういうこともあります。ちょっと順番を考えてみてください。

参加者こういう場合,もうカナダは出ているから,そんなに重要じゃないんですけれども,真っすぐですからこうなるんです。それが一番重要ですよね。

河野2個の方がいいですね,これだったら,「カナダのバンクーバーです」。後ろで必ず大きくなるから,前の方も小さいけどありますよね。よろしいですか。教える順番については後からちょっとお話ししますけれども,全部はお話ししませんが,今一つだけお話しすることは,今ヤマのルールという話をたくさんしましたね。例えば,そこを見ていただくと分かりますけれども,「どこへ行きますか」というので,それはヤマ1個になっていますよという話をしました。それは「どこへ」というのが重要だからだという話をしましたけれども。そういう一応ルールですね。
ですけれども,それは覚えないといけないルールと考えた方がいいか,そうじゃなくて,学習者として,嫌でも自然に身につけられるルールかと考えると,学習者は自然に身につけられるんじゃないんですか。基本的にはどの言語でも,どことか誰とか何とか,そういう疑問詞のところは一番聞きたい部分ですよね。そこが強調されるというのは,どの言語でも当たり前のことでというふうに考えると,これはルールを覚えなくていいわけですね。覚えないといけないものと覚えなくていいもの,覚えなくても自然に入るものと考えると,覚えなくても自然に入るものを先にやった方がいいだろうというふうに考えています。ですから,1番は「どこへ行きますか」,「カナダに行きます」が1番に来ます。よろしいですか。ちょっとそのお話をしていきますが。じゃ,どうやって教えるかというお話をちょっとお話ししていきます。ハンドアウトの8ページの後のところに教材をコピーしたものがありますから,それをちょっと御覧ください。それに沿ってお話ししていきます。ちょっとこういうことを考えてください。まず何をそれぞれのパート*1で教えるのか。それから何でそれを教えるのか,それからどう教えるのか,あと教師にどういうことが必要なのか,それをちょっと考えながらお話ししていこうと思います。
まず,1-1あいさつになっています。皆さんにちょっと考えていただきながらあれしたいんですが,ちょっと時間的な関係もありますので,私がお話ししていきますけれども。これ「こんにちは」というのと「どうもありがとうございます」。「こんにちは」はヤマ一つですね。「どうもありがとうございます」,これはヤマ二つですね。1-1ですから,一番最初あいさつになっています。なぜあいさつになっているかといいますと,あいさつに関しては,特にいわゆる文型と違ってルールがないですよね。音声の教材ですから,最初は音声だけに集中していただきたいわけです。いわゆるいろいろなことを覚えるとか,そういうことじゃなくて,音声だけに集中してもらいたい。そのときにあいさつを使うというのは,もちろんあいさつが必ず教科書の最初に出てくるからということもあるんですけれども,それだけじゃなくて,発音するのになれて欲しいというのがあります,それであいさつを使っています。それで「こんにちは」はヤマ一つですね。「どうもありがとうございます」,こちらはヤマ二つです。そういうのを教えていくんですけれども。ここで特にお話しすることはないんですが。
じゃ,具体的にどういうふうに教えるかといいますと,例えば良くあるんですけれども,学習者というのは,例えばヤマの数が多く発音してしまう傾向があるわけですね。先ほどの「らほんごのがっこうへいこうとおもっているんです」というような。ですから,ヤマの数をちゃんと多くし過ぎないようにする練習というのはすごく必要なんですね。じゃどうするかというと,例えば,「ありがとうございます」とか「おはようございます」なんかはヤマ一つですけれども,それを例えば手でこうやって丸をしている間に発音しなさいというような,そういうふうにします。学習者というのは当然,自然な速さで発音できないですよね。ですから,最初は多分ゆっくり発音することになると思います。それで,さらにだんだんだんだん速く発音――速くというか,自然な速さで発音してほしいんですけれども,そういうときにどうするかというと,要は最初はゆっくりですね,「おはようございます」と。だんだん早くしてほしいときに気をつけないといけないのは,こういうのは余りよくないです。最初ゆっくりで「おはようございます」で,早くするのに「おはようございます」,こうじゃなくて,視覚的に分かりやすくするためには,自然な速さで言ってほしいときは,手を小さくすると学習者にも分かりやすいですので,決してこんな感じじゃなくて,こういうふうに小さい丸ですね。大きい丸,小さい丸でそういうものをしていく必要があるんじゃないかなと思います。
それからあと,これもあれですね,ヤマを示すときにこうやって示しますけれども,まずヤマを示すときにこれは絶対だめですね。「おはようございます」とかというのはだめですね,昔の日本語じゃないわけですから。日本語というのは,皆さん学習されてこっちからこっち側に来るわけですね。それで,こうしたらだめですよね。当然こっちからこっちですね。
あと見ていただければ分かるんですけれども,左手でやっていますよね。実は,私ともう一人松崎というのがいるんですけれども,松崎は右手でやるというふうに言っているんですけれども,これは左手でやった方が絶対いいです。何でかと言いますと,皆さん学習者で,教師がこうやってしたら皆さんどうしますか。そうですね,学習者は右手でしますよね。こうしたら,学習者はこんなになりますよね。だから多分左手でした方がいいだろうというふうに思います。大した問題じゃないですけれども。ただ気をつけないといけないのは,両手でこんなのはちょっとわけが分からなくなりますので,これはだめです。なんか違うことをやってしまいますから,これはだめなんですが,そういうことも考えてもいいかなと思います。
次,1-2ですけれども,1-2は「キムさんです」とかそういう学習者の名前ですね。それからあと国の名前,あと地域の名前,そういうのを勉強します。ここでは,アクセントの練習とかもするわけです,名前を使って。ここでちょっと気をつけないといけないことなんですけれども,実際に御自分がクラスでこの課をやるとしますね。そのときに教師ができなければならないことってありますよね。分かりますか。そこの教材に載っているような学習者の名前だけじゃないですよね。いろいろな学習者がいますよね。例えばそこにはイさんとか,そんなのは書いていないですよね。イさんがちょっと発音がよくないときに,「イです」と書いてあるプロソディーグラフがあったら便利ですよね。それで発音できるようになるかもしれない。ということは,教師は,例えば「イさんです」と書いてあるようなプロソディーグラフを書けないといけないんじゃないですか。そのときに,「イさんです」というのを自分が書けないから,お前は今日は「キムさん」でやれとか,ちょっとそれはだめですよね。ということがありますので,どこか空いているところに,自分のクラスとかの学習者のプロソディーグラフをちょっと書いてみましょう。何でも構わないです。そこにあるのはだめですよ。できれば「さん」をつけてください。「さん」をつけると人のも練習できますから。「さん」をつけないと自分のしか練習できないですよね。
何か質問とかあったら。ちょっと書いてみてください。フルネーム*2はだめですよ,名字だけとか名前だけとかにしてください。自信がない方,言っていただければ。

*1 パート 部分。
*2 フルネーム 人の名字と名の全部。


(それぞれで作業)

河野よろしいですか。うまく書けていない方もいらっしゃるようなんですが,慣れれば書けますので,慣れてください。実際,学習者は,先生がさっき言った発音はこれですか,これですかってプロソディーグラフを二つ書いて見せに来ることとかもあります。だから学習者というのは,慣れたらプロソディーグラフ書けるんですよ。だから皆さんも,実際に使っていて慣れたら絶対に書けるはずなので,もう絶対無理だとか,そんなことを思わないようにしてください。
次にいきますね。次1-3ですけれども,また外国人の名前ですね。今度は「郭明遠さんです」というのと「カルロス・ロペスさんです」と書いてありますけれども。先ほどは名字だけとか下の名前だけとかでしたけれども,何でわざわざ分けているかといいますと,こちらはいいですね。「郭さんです」「郭明遠さんです」,これはいいですね。それに対して「カルロスさんです」,同じルールで言えば「郭です」,「明遠です」,「郭明遠です」になるんですけれども,こちらは「カルロスです」「ロペスです」で「カルロス・ロペスです」とは言わないですね。「カルロス・ロペスです」と多分言いますよね。ですから,こういう片仮名系の名前はヤマ一つになりますよと,フルネームのときに。それに対して漢字系の名前の場合は,ヤマ二つになりますよというような教え方をします。
ただ,これに関しては実は必ずしも正しくはないんですね。例えば「毛さん」,毛さんだから「毛明遠」と多分言うかもしれないですけれども,でも毛沢東のことは「毛沢東」とか言わないですね。金大中とか「金大中」,これはいいかなというような気もしますけれども。ですから,必ずしもこれが正しいとはちょっと言えないんですけれども,教育的配慮からすると,多分これは漢字系と漢字系じゃないときと分けた方が,学習者にとってはいろいろな,あれもいい,これもいいとかというような言い方をされるよりも,こうなんだと言われた方がいいんじゃないかなと思います。
それからあと,先ほど毛沢東とかいう話をしましたけれども,毛沢東とか,そういうすごい知名度が高い場合は聞き取りやすくていいんですけれども,例えば「郭明遠です」とかってなんかわけが分からなくなりませんか。それからあと,今芸能人でユンソナ*1っていますけれども,あの人も本当は「ユンソナ」という名前なんですね。ユンソナという名前じゃないらしいです――ユンソナという名前ですけれども,あれは名字と名前で分かれているらしいので。だからなんか続けられると,どこまでが名字でどこまでが名前か分からなくなる可能性があるので,自己紹介とかする場合は,多分分けられるものは分けた方がいいんじゃないかなという教育的な配慮ということを考えています。
それから,先ほど出ましたね。「どこですか」とか「どこへ行きますか」これはヤマ一つですよ。それで,これはルールとしてわざわざ覚えなくていいので,まず最初に入れています。
それからあと,次が「カナダのどこですか」というのと,「カナダのバンクーバーです」ということなんですけれども,これが2番目に来ています。これも疑問詞のところは重要だから,そこにヤマができますよということですね。これも別に特別に覚えるようなことはないんですが。
じゃ,ちょっと気をつけないといけないのはこういうことです。2-1と2-2両方なんですけれども,質問のヤマと答えのヤマというのは基本的には同じになるということですね。「どこへ行きますか」「カナダへ行きます」,「カナダへ行きます」というのもヤマ一つになりますよ。それから「カナダのどこですか」「カナダのバンクーバーです」,両方ヤマ二つ,ヤマ二つになりますよということですね。そういうことも学習者に教えるというか,そういうのも触れていく必要があるかなと思います。
それからあと,「どこへ行きますか」が2-1で,「カナダのどこですか」が2-2なんですけれども,この順番に関しては何でこうなっているかといいますと,「どこへ行きますか」の方が発音しやすいからです。学習者というのは,例えば「テニスですか」というのを「テニスですか」とかいうような発音になったりしますよね。それはすごく日本語らしさが低いんですけれども。じゃどうしたらいいかと考えると,「か」の前のところでもう既に十分下がっている方が発音しやすいわけですね。よろしいですか。
ですから,じゃどちらの方が十分下がっているかというと,「どこへ行きますか」は「ど」のところでもういきなり下がっていますよね。1回十分下がっていて,最後に上げるものと,そうじゃなくて,例えば直前で下げて急に上げるものだったら,どう考えても,最初に十分下がっている方が発音しやすいですよね。ということもあって,「どこへ行きますか」というのを2-1の方にして,「カナダのどこですか」というのは2-2になっています。
次,3-3ですけれども,「東京へ行きます」ですね。「東京へ行きます」はヤマ一つなんですけれども,これはどういうルールですかね。学習者にルールを説明するときにどうやって説明しますか。どなたかないですか。

*1 ユンソナ 尹孫河。韓国人の女優。


参加者目的語。

河野はい。動詞があって,その前に目的語がついている。例えば,「パンを食べます」とかもそうですね。「東京へ行きます」なんかも,そういう動詞があって,その前に何か1個ついているときにはヤマ一つになりますよというルールですね。このルール自体は覚えるのは別に全然難しくないんですが,少なくとも「どこへ行きますか」の方が簡単ですよね。というか,覚えなくていいですね。
ルールとしては,動詞があって,その前に何か1個あるときにはヤマ一つになりますよということなんですけれども,実はこれはもう習っているわけですよね。「どこへ行きますか」「カナダへ行きます」というのでヤマ一つだというのはありますね。ここのときには,動詞の前に目的語があるときにはヤマ一つだというのは余り意識していないかもしれませんけれども,一応習っているわけです。ですから,それをもう1回再確認する。そういうことをすることによって,いわゆる媒介語*1を使って説明したりとか,そういうことをせずに,学習者に自然にヤマのルールを理解させようと,そういうようなことを考えています。
次に3-4,「パンフレット,見ますか」ですけれども,まずこちらを先に見てください。「車で行きますか」,これは車で行きますか,例えばバスで行きますかとか自転車で行きますか,電車で行きますかというところで,大事なのはここですよね。ですからヤマ一つ,こちらはいいと思います。
それでこちらですけれども,郵便局,これは二つあり得るんですけれども,ヤマ二つだったらどうなりますか。「郵便局へ行きますか」だったら,これは行きますか,行きませんかという意味ですよね。これも今までの疑問詞を使った疑問文とあわせて考えていくと,ここも決して,いわゆる媒介語を使って説明する必要はないというふうになっています。学習者は,当然「郵便局へ行きますか」といったらここが重要。何で重要かといったら,行きますか,行きませんかと聞いているからなんだなと分かりますから,ここもすんなりいきます。ちょっと時間がないので,飛ばします。次ですね。先ほど,郭さんがいますみたいなものですね。動詞があって,その前に1個ある場合はヤマ一つですよとありますけれども,その前にもう1個ある場合は,ヤマがもう一つ増えますね。「あそこに郭さんがいます」というのはヤマ二つになりますね。こちらもそうですね,「神戸へ行きます」はヤマ一つです。「バスで神戸へ行きます」,これはヤマ二つですね。で,「明日」があるとさらにヤマがもう1個増えますというようなこのルール,これはある程度説明しないといけないかなと思いますけれども,ここはもう5-1ですからかなり進んでいますから,それほど問題はないだろうと思います。
教材の説明の一番最後ですけれども,7-3のところですね,強調と書いてあります。これは先ほどからちょっと出ていますけれども,ヤマがどうなるかというのは,実は文脈によっても変わりますよね。ただ,文脈によって変わるといったときに,文脈によって変わるものはちょっと後回しにして,基本的なものを前に持っていくという,そういうような順番なんですけれども。
例えばこれですね。同じように「いえ,17:45です」になっていますけれども,これは前でどういう質問があるかによって,ヤマが変わりますよね。これは「16:45ですね」と書いてあります。それに対して16:00じゃなくて17:00ですから,17:00のところを強調しますよね。それでほかのところが抑えられます。ですから,「いえ,17:45です」というふうになりますね。それに対してこちらですね。これは「17:35ですね」になっていますけれども,これは30じゃなくて40ですよということなので,「いえ,17:45です」というふうになります。これが文脈によってヤマが変わりますよと,これは当然ですけれども,後回しに――後回しと言ってはあれですが,後になっていきます。
今作っている教材ですけれども,2課から7課が一応ヤマのルールを教えるところで,1課が音に慣れてもらうために,あいさつとか自己紹介を使ったところです。それからあと8課がまとめです。実はもう一つありまして,第0課というのがあるんですね。0課というのは何かというのと聞き取りの練習です。最初はとりあえず聞き取りの練習をいっぱいして,例えばヤマを聞き分ける練習だとか,アクセントを聞き分ける――聞き分けるじゃないですね,聞き取る練習とかいうのを0課で集中的にします。ただ,もちろん各課にも聞き取りの練習はあるんですけれども,まず0課で聞き取りの練習をたくさんしてもらおうというようなことを考えています。よろしいですか。
次にいきます。今プロソディーのお話をしましたけれども,次は主に単音のお話をしていこうと思うんですけれども。先ほどプロソディーが重要ですよと言いましたけれども,じゃ個々の音はどうでもいいのかというと,そんなことはありません。例えば,先ほどの「絶対おいしいってという店なんだけど入る」というので,例えばプロソディーが完璧であっても,個々の音が全くだめだった絶対通じないですよね。例えば「んんんんんんんんん」,こんなの何を言っているか全然分からないですよね。だから,個々の音はどうでもいいというわけじゃないんですね。
あと,個々の音というのは,いわゆるヤマはルールがあるというのは,それを習得していくというものとはやはりちょっと違いますので,個々の音についてはどうやって教えましょうというのをちょっと考えないといけないと思うんですが。ハンドアウトの4ページを御覧ください。今から日本語学習者の音声が流れますので,発音がおかしいところはどういうふうにおかしいか,ちょっとチェック*2してみてください。よろしいですか。

*1 媒介語 学習者の第一言語あるいは理解できる言語のこと。
*1 チェック 点検すること。


(音声聞き取り)

河野今のだったら,例えば「ご存じ」の「ぞ」が「じょ」みたいに聞こえますよね。そこの「ぞ」のところに線を引いて「じょ」と書いてみてください。よろしいですか。次いきます。よろしいですか。チェックされましたか。今の学習者はどこの人か分かりますよね。

参加者韓国。

河野韓国ですね。何で韓国語話者か分かるかというと,いわゆる母語の干渉があるからですよね。これは例えば日本人がRとLの発音ができないとか,VとBの発音ができないとか,そういうのと似ていると思うんですけれども。
音声教育の研究というのは,どういう母語の干渉があるか調べるのが音声教育の研究の中心になっています。ですけれども,私はそういう研究を基本的には一切していないんです。何でかと言いますと,理由は二つあるんですけれども,一つは教育に役に立たないんじゃないかなと思っているんですね。例えば,日本人がRとLの発音ができない。それは日本語のこういう影響だというのを調べて,それを調べて,じゃRとLの発音が良くなるのに何か役に立つかというと,どう考えても立たないと思うんですね。
もう一つ思うのは,これはちょっと日本語教師としてやっていい研究なのかなと思うんです。何でかと言いますと,例えば自分が英語を勉強していて,英語の先生がクラスの生徒の英語の発音を録音して,学会でうちの生徒はRとLの発音ができないですと発表したときに,例えば,私がその発表したと聞いたら,私だったら「おい,そんなことを言うなら,お前ちゃんと教えろよ」と思うと思うんですね。
ですから,母語の干渉というのは確かに分かるんですけれども,なんかそれはただ教えていないからできない部分というのもあるんじゃないかなと。もちろん,例えばこう教えたけれどもできませんでした,それはいい研究かもしれませんけれども,なんかそうじゃなくて,ただ単に母語の干渉,こんなものがありますよという研究は,どう考えてもちょっと役に立たないんじゃないかなと思って,私は基本的にはやっていないんですが。先ほどからちょっと出ていますけれども,発音矯正がなんかうまくいかないというお話が出ていますけれども。じゃどういう問題点があるかというのを,例えば自分の授業を振り返ったり,人の授業を見たりして考えたことをちょっとお話ししていきますけれども。良くこういうことがあると思うんですね。例えば,学習者の発音が間違っているけれども,どう間違っているのか分からない,そういうことがあると思うんですね。でも違うぞ,でも何が違うか良く分からない,あると思います。それから,次にあるのが発音を間違えた,どこをどういうふうに間違えたのか分かりました。だけど,じゃどうしたらいいか方法が分からない。これも良くあることだろうと思います。
それからあと,学習者に,例えば軟口蓋*1がどうとかと言っても分からないですよね。それじゃ媒介語を使おうかと思っても,媒介語が分からないという点もあるでしょう。例えば軟口蓋,英語で何て言うかは分かりますけれども,中国語で何て言うか分からない。あと,学習者が英語ができるからといって,英語で説明したからといって分かるとは限らないですね。例えば日本人が軟口蓋という言葉をみんな知っているかとなると,そんなことないですよね。ということもあるでしょう。それからあと,学習者に図を使ったりして説明して,学習者が理解したみたいだと。学習者は分かった分かったみたいなことを言っている。でも発音したら,理解しているけれどもできない。そういうこともあると思います。
それからほかには,例えば余りないですけれども,いろいろな本を見ると,例えば学習者のこの発音はこういうふうに直したらいいんだと書いてあって,こうしたら直りますよと書いてあるのを見て,そうかそうかと思って,クラスでやってみたらもう全然ということもあるでしょう。それからあとほかにあるのが,例えば学習者が10人いたときに,9人までは発音が直った。だけど,1人はどうしても直らない。だからだんだんその人が嫌いになるとか,そういうことも十分あり得ると思います。
それから次,これも先ほどちょっと出ましたけれども,学習者にやってもらっているとき,なんか学習者が恥ずかしがったりとか,嫌そうな顔をしたりとか,こういうこともあるだろうと思います。それからあと,例えば韓国語話者で言えば,「つ」の発音が「ちゅ」になっていると。何度もリピートさせて,こうしたらいいんだと何回もやって,10分ぐらいかけてやっと「つ」というのが出て,よかったよかった。ちょっと疲れたからじゃ休み時間にしましょうといって,休み時間が終わって,またちょっとやってみましょうかとやったら,また「ちゅ」とか言っていて,おらーとか思ったりとか,そういうこともあると思うんですね。それからあとほかにあるのは,例えば「つ」の発音で言えば,「つ」単独ならできる。だけれども,単語の中に入る。例えば「いつつ」とかというのが「いちゅちゅ」とかになってしまう。そういうようなこともあるんじゃないかなというふうに思います。ここら辺のことは,多かれ少なかれ皆さん経験したことがあるんだと思うんですね。
こういうことから,皆さんどういうふうに考えるのが一般的かと言うと,多分自分は発音矯正というのは余り得意じゃないな,苦手だなとまず思います。次に思うのが,でも何かいい矯正方法があるはずだと。そのいい矯正方法を知りたい。こういうふうに考えるんだと思います。この中にも,そのためにいらっしゃた方が多分かなりいらっしゃると思うんですけれども。でも,これってみんなが経験していることですよね,ほとんどの人が。というふうに考えると,これなんかおかしいというふうに考えられませんか。じゃ,どういうふうに考えたらいいかというと,発音矯正ができない,よい矯正方法があるはずだ。だからそのよい矯正方法を知りたいとみんなが思っているということを考える。じゃどういうふうに考えるのが自然かというと,発音矯正という方法自体がもうだめなんじゃないかなというふうに考えた方がいいんじゃないかなと思います。いわゆる日本語教育で矯正という言葉を使うのは発音だけじゃないですか。文法矯正とか漢字矯正とか絶対言わないですよね。何で発音だけ矯正という方法があるというふうに考えるのか。それはなんかおかしいんじゃないかなと思います。
先ほど出ました問題点,幾つかもう1回きちんと考えてみますと,まず最初に,学習者が発音を間違っている,何を間違っているかよく分からないというのは,じゃどうしたらいいかとかいろいろなことを考えますと,まず教師の能力にちょっと問題があるんじゃないかなですね。なんですけれども,でも音声学は勉強していない方もいらっしゃる。音声学を勉強したのに,何で学習者の発音が正しく把握できないんだろうと考えると,いわゆる教師養成の音声学の授業自体に何か問題があるんじゃないか。例えば,私たちも本ありますけれども,音声学の記号,例えば調音点を書いて調音法を書いた,そういう表を一生懸命覚えて,それで例えば「きほん」と「きおん」というのを聞いて,今のどこが違うというのを瞬間的に答える,それは教育のための能力なんですかね。なんか違うような気がしますね。というふうに考えると,いわゆる教師養成における音声学という名前をつけていますが,いわゆる音声の授業の内容,方法,そこら辺を変えていく必要があるんじゃないかなと思います。それはちょっとあれですけれども。
ほかにも,その方法が分からないというところなんですけれども,まず考えないといけないのが,授業中にすぐ対応できないとだめなのかなということですね。例えば,文法を教えるときもあれですけれども,例えば,休み時間に学習者に急に全然違う質問をされて答えられるということは,答えられればいい教師でしょうけれども,答えられないとだめな教師かというと,必ずしもそうじゃないですよね。それに対して,文法を授業できちんと教えられない,それはだめな教師ですよね。というふうに考えると,音声教育でも,たまたま出たものに対して,いきなり教育の対象にするんじゃなくて,計画的に教えることですね。そうすると準備もできるし,そういうことが必要なんじゃないかなと思います。ただ,計画的に教えるというときには,じゃゼロからどういう順番に教えようかと考える,これはすごい負担が大きいですから,やはり教材があった方がいいんじゃないかなというふうに思います。
それからあとほかに媒介語が分からないということなんですけれども,もう媒介語なしで舌はこうなってとか,なんか分かりにくいですよね。ですけれども,媒介語は教師といえどもちょっと難しい。じゃどうしたらいいかと考えると,文法でも同じですけれども,教材があって,そこにいろいろな媒介語で説明が載っていたら,これはいいんじゃないですかね。
例えば,この中で韓国語を勉強した方がいらっしゃると思うんですけれども,中国語だと有気音*2,無気音*3ってありますよね。あれを媒介語なしで,直接法で有気音,無気音の説明をされてもちょっと無理ですよね。韓国語でいうともう一つ音がありますけれども,濃音*4,激音*5,平音*6って三つありますけれども,あれをただ繰り返せ,正しく繰り返せというのはやはりちょっと無理なんじゃないかなと思うんですね。と考えると,やはりこういう説明がある,媒介語で説明があるような教材が必要なんじゃないかなというふうに思います。それからあと,理解したけれどもできないということに関しては,まず十分な練習が必ずしも今保証されていないように思うんですね。まずそれがあるだろうと思います。じゃ,そのために何をしたらいいかというと,1回できなかったからとあきらめるんじゃなくて,何度も何度もやる。それも短い時間で何度も何度もやる。それを学習者が1回できなかっただけで,この人はもうできないんだじゃなくて,何度も何度もやっていくということが必要なんじゃないかなというふうに思います。
あと,理解したけれどもできないということに関しては後で説明しますが,自己モニター*7という考え方もあるだろうと思います。自己モニターについては後で説明します。
それからあと6番目,参考書を見たけれども直らないということなんですけれども,これに対しては,もうこれしか言いようがないです。「唯一絶対の方法はない」。そういうこともあるだろうなということですね。いろいろな方法を認めましょうというようなことがあると思うんですね。 それからあと,学習者によるということなんですけれども,まず学習者のペースー*8というのは人によって当然違うものですよね。学習者のペースが違うので,じゃそれに対応できているかと考えると,ちょっとできていないと思うんですね。じゃそれをどうしたらいいかというと,十分な練習を確保する必要があるんですけれども,そこでちょっと考えないといけないのが,予習とか復習とかしやすいようにすることが重要なんじゃないかなと思うんですよ。
音声教育というのは,教室だけで扱って,たまたま学習者が間違えて,先生に矯正される,教師に矯正される。できなかったら,できなかったなって学習者は思いますよね。いい学習者だったら,じゃちょっと練習してみようかなと思いますよね。だけど,練習しようがないですよね。何をやったかなんてきちんと覚えていないわけですから,どうしたらいいかなんかも分からないわけです。そんなの分かるぐらいだったら,発音は正しくできるわけですから。そういうふうに考えると,予習とか復習とか,自分で勉強できるような体制を整えてやる必要があるんじゃないかなと思います。そのためには教材がやはり必要なんじゃないかなと思います。
それからあと,学習者に嫌がられるということに関してですけれども,まず最初にこれについてですけれども,よく言われるのは,音声指導というのは,学習者が恥ずかしがったりするからクラスではやらずに,クラスが終わってから個別指導した方がいいんだという考え方があります。それは決して私は否定しませんけれども。個別指導というのは,学習者も時間大変ですし,教師も大変ですよね。できればクラスでしたいですよね,できるのであれば。あとクラスでやるから緊張するとか言いますけれども,逆もあり得ますよね。クラスでやるから緊張しないということもありますね。それなのに,すぐ個別指導というふうに入ってしまうのは,なんかちょっと違うのではないかなというふうに思います。
まず一つ言えることは,じゃどうしたらいいかというと,まず雰囲気づくりですね。それはすごく重要なことだろうと思います。
それからもう一つあるのが,嫌がられる場合どうしたらいいかというと,そんなに長い時間するから嫌がるので,短い時間を何回もしていくということが一つあるだろうと思います。
それからもう一つあるのが,目標を明確にするということですね。これはすごく重要です。学習者は何ができるようになったらいいのかというのが,学習者に伝えられなくて何度も練習するというのは,やはり嫌なんじゃないですかね。例えば,スポーツの練習とかで,体育会だとよくありますけれども,グラウンドをとりあえず走っておけと。何周とか決められずに走っておけ,これは嫌ですよね。何周とか定められていたらまあいいです――それはあれですけれども,そういうようなことを考えると,もうちょっと目標を明確にしていく必要があるんじゃないかなと思います。
それからあともう一つ,自信を持たせるということも重要だろうと思います。そのためには,また教材という話になるんですけれども。
あと二つですね。すぐ元に戻るということに関してはどういうことかというと,まず聞き取りの裏づけがないということがあると思うんですね。例えば,日本人が英語でVとBの発音をしなさいといったらできますよね。Vは下唇をかむとかでできますよね。だけれども,実際発音するときにはできないのは何でかというと,いわゆるVの発音とBの発音とで,自分の発音が聞き分けられないから,別にそんなこと全然気にしない。それで結局発音し分けられないということもあると思うんですね。
ですから,すぐに元に戻るということに関しては,聞き取りの裏づけがないということがまずあり得るんじゃないかなと思います。だから,まず聞き取りの練習をするということがあると思います。
それからあと,何が重要か,違うかっていうのがよく分かっていないということがあるんじゃないかなと思うんですね。例えば,RとLを発音しなさいといったときに,じゃ繰り返しなさいって言って,できることは十分あり得ますよね。ですけれども,それはたまたまできただけかもしれません。じゃどうしたらいいかというと,RとLは何が違うかという本質が分かっていないと,発音し分けることは多分できないと思うんですね。というふうに考えると,またこれ自己モニターというのが重要だろうと思います。
それからあと,文中だとできない。これもまた同じようなことです,9番と。今までのことをまとめますと,こんなようなことになるんですけれども。教材の話は後でします。自己モニターの話をちょっとしていきますが。
これは私が研究したものじゃないんですけれども,韓国語話者は,例えば「どうぞ」のことを「どうじょ」というような発音になっている人がいますよね。でも,発音を正しくできる人もいるわけですね。その人たちは何で発音できるかというと,教師に必ずしも教わっていない自分で考えた基準というものを持って発音しているわけです。ちょっと見てみますと,1番の口の中で舌の位置を変える。これは大した問題じゃない。
それから,「ぞ」は歯茎,「じょ」はそれよりも広く舌をつけて発音する。断面図を書くとこんな感じですね。左が「ぞ」で右が「じょ」です。ですから,2番で言っていることは確かに正しいですね。
3番,「じょ」は舌が下がっている感じで発音する。確かに「じょ」の場合,舌が下がっているような感じになっています,前の方が,これは正しいんですけれども。でもこういう図を見せて,学習者が必ずしも発音できるかというと,そんなことない。これも皆さん経験していると思います。というふうに考えると,学習者というのはやはり自分で感じないとだめなんだと。いわゆる教え込まれてもやはりだめで,学習者は自分で感じることが重要なんじゃないかなと思います。
4番,5番,ちょっと御覧ください。4番,「ぞ」は舌に力を入れ,「じょ」は普通にする。5番は,「じょ」は力が入るが,「ぞ」は入らない。これはいかがですか。4番,5番についてなんかおもしろいことないですか。これは学習者が言っていることなので,正しく感じているかどうか分からないですけれども,4番と5番って逆のことを言っていないですか,ですよね。じゃ皆さん,どっちが正しいと思いますか。御自分でやってみてください。どっちか手を挙げましょうか。4番が正しいという方,どのくらいいますか。もうちょっと時間あれしましょう,あと10秒ぐらい。
よろしいですか。じゃ4番が正しいという方は。

*1 軟口蓋 口腔の奥の部分で、前方の硬口蓋に続く軟らかい部分。
*2 有気音 破裂音のうち、破裂の直後に強い気息を伴うもの。
*3 無気音 閉鎖を開放する際に、気息を伴わない子音。
*4 濃音 朝鮮語における疑似喉頭化子音に対する名称。特に閉鎖音では、平音・激音とともに第三の系として対立項を形成する。
*5 激音 朝鮮語における有気音に対する名称。
*6 平音 朝鮮語における無気音に対する名称。
*7 自己モニター 学習者が自己の発音基準を意識的にもって発音し,発音した自分自身の発音が基準どおりに発音できているかどうか判定し,それに基づいて修正すること。小河原義朗(1997)「発音矯正場面における学習者の発音と聞き取りの関係について」『日本語教育』92号p.83-94日本語教育学会.参照。
*8 ペース 学習の速度。進み具合。


(挙手)

河野じゃ5番。

(挙手)

河野微妙ですね。結論から言いますと,どちらも正しい。これどういうことかといいますと,4番の独自の基準を持っている人も正しく発音できているわけです。5番の基準を持っている人も正しく発音できているわけですよ。だからどちらも正しいわけですよね。少なくとも,自分が教師だったらどっちかしか教えられないわけですよね。ですけれども,4の人も5の人も正しく発音できているということですね。ということをちょっと頭の中に入れておいてください。ほかにもこんなのがあるんですけれども。
じゃ,ここで言えることはどういうことかというと,まず先に悪い例を言います。例えば,実際に教えていて,学習者が文を正しく発音できないときに,今の文を10回言ってみろといって,10回言わせるとしますね。そのときに,たまたま8番目の発音がよかったとします。今の8番目のやつがよかったからもう1回言ってみろ,これは絶対無理ですよね。
じゃどうしたらいいかというと,まず意識して発音させる,それはすごい重要ですよね。どういうことかというと,教師というのは独自の基準を学習者に考えさせる。例えば,発音を間違えたときに,もう1回発音させるときには,ただ単にもう1回発音しろじゃなくて,今のは間違っているから,とりあえず違うように発音しなさいというようなことを言ってやること,それが必要だと思うんですよ。学習者は,じゃ次にこうしようと考えて発音する,そういうことがすごく重要なんじゃないかなというふうに思います。
じゃ,そのためには何が重要かというと,一つは学習者に問いかける――問いかけるというのはあれですけれども。例えば,学習者が正しく発音できるようになったときには,今のはどういうことを意識して発音しましたかということを問いかける。そのときにはもちろん,特に初級の場合は――初級だけじゃなくて,中級でもそう,上級でもそうかもしれません。日本語では書けませんから,自分の母語で書いてもいいと思うんですよ。だから,まず書きとめるような,そういうことが必要だろうと思います。そういうことをすることによって,自分で独自の基準を考えるということをどんどんどんどんしていく癖がつくと思います。
それからあともう一つ重要なことは,当然ですが,フィードバックしてやるということですね。10回発音を繰り返して,8番目がいいとかじゃなくて,1回1回ちゃんとフィードバックしてやる。例えば,ちょっとでも良くなったら,ちょっと良くなったとか,そういうことをしてやることが必要なんじゃないかなというふうに思います。
これも私の書いた絵じゃないんですけれども,こんな絵がちょっとありまして。あと,よく発音に関しては,聞き取りと発音とどちらが先なのかという話で出てきますけれども,ちょっと考えないといけないのは,どちらが先というのは実は必ずしも分かっていないんですが。一つ考えられるのは,発音に関しては,今のところは誰かがいないと練習できないですよね。それに対して聞き取りの場合は,例えばテープをあれして,今のはどちらだったかというような問題があれば,自分で聞き取りの練習できますよね。というふうに考えると,聞き取りの部分は,いわゆる家庭学習とかに任せることもできますよね。というふうに考えると,聞き取りを先にするというのも一つの方法なんじゃないかなというふうに思います。
それからもう一つ思うのは,聞き取りがきちんとできるようになると,もう完璧にできるようになると,例えば学習者同士で練習できますよね。そうじゃなければ,常に教師がフィードバックしてやらないといけないわけですから,そういうふうに考えると,聞き取りを先にやるというのも一つの方法ではあるかなと思います。どちらが先とはちょっと言えないとは思うんですけれども,そういうことも考えられます。ここまでで何か御質問とかよろしいですか。
音声教育に関しては,今教育というのは一応三つに分けられると思うんですよね。一つは教育現場,一つはそのための研究,もう一つは教師養成というのがあると思うんです。今,音声教育は,多分ほかの日本語教育の分野の中では全部遅れている部分だと思うんですね。正直,研究も遅れています。教育現場がよくなれば,そのためにじゃどういう研究をしないといけないというのが考え出されると思います。それから,教育現場がよくなれば,そのためにはどういう教師養成をしたらいいかというのがすごく考えられると思うんですね。
今は,先ほどから何度も言っていますように,教師養成というのは,ただ単に音声学をちょこっと――ちょこっとじゃないですね,教えておけばいいんじゃないかみたいな感じになっていますけれども,もっと教育現場でどういうことが必要かというのをもうちょっときちんと押さえて,そのためにはどういう教師養成をしたらいいか,それからあとどういう研究をしたらいいかということがこれからは必要なんじゃないかなというふうに思っています。
それで,ちょっと教材の話が出ましたけれども,先ほどちょっとお話出ましたけれども,教材は必ずしも完璧だとは思っていません。なんですけれども,教材を出すというのはすごく重要なことだと思うんですね。教材がなければ,私は進歩がないと思います。
例えば,聴解についていろいろ進歩させようと思ったときには,聴解の教材を出すのが一番手っとり早い方法だと思うんですよ。問題点があれば,それをまた改良していけばいいことであって,今音声教育のための教材というのはろくな――余り言ったらだめですけれども,いい教材は余りないですね。
例えば,よくあるのが,「おっとがおっとといったらおいがおいといった」とか,そういうのを何回も,あと「かっぱかっぱらってかっぱらって何とか何とか」,それは何に使うのか全然分からないんですけれども。あとほかにも,今言ったみたいに絶対使わないような単語を使った教材とか,それではちょっとだめなんじゃないかなと思って,とりあえず教材を出そうと思っているんですけれども。自己モニターの方の教材もいつか,あと7,8年かかると思うんですけれども,それも出したいなと思っています。
ちょっと宣伝なんですが,これ私は全然もうからないんですけれども。日本語教育学会の教師研修というのがナガヌマ*1であります。これは全部で12回,1回3時間で12回なので36時間,大変なんですけれども。今日2時間ですよね,それの18倍ですか。18倍に薄めたもの―違う,薄めたものじゃない。もっと濃いものをやっていこうと思っていますので,ナガヌマは渋谷ですね。でありますので,もしよかったら参加してください。学会のホームページを見たら,申し込み方法が載っていると思います。
プロソディーの教材の方は,これはちょっと宣伝ですけれども,8月末には出るかもしれませんので,よかったら見てみてください。できれば,使ってください。使っていただかなければ,それこそ理論でここおかしいんじゃないかとか,いいんじゃないかと言っていただいても,やはり分かっていただけないと思うので,それは使っていただいてから,ぜひ御意見をいただければいいかなと思います。とりあえず以上ですけれども,何か御質問とかおありでしたら。

*1 ナガヌマ(スクール) 東京日本語学校の通称。


参加者こういうものがまだ手に入らない段階で,プロソディーグラフみたいなものを簡略化して,とりあえず音が高いか低いかというようなことが考えられるんですけれども,それはいかがですか。

河野もちろんいいことだと思います。プロソディーグラフ,実は私もやっていて思うんですけれども,プロソディーグラフは実は情報がすごく多過ぎるような気がするんですよ。例えば,ヤマだけに注目してほしいときに,ヤマだけに注目してもらえなくて,アクセントの方にも注目してしまうとか,そういうことがあると思うんですね。
ですから,そういうふうに考えると,例えば線だけにした方が情報がすごく少なくて,どこか注目してほしいところに注目してもらえる,そういうこともあるんじゃないかなと思うので,それは全然問題ないと思います。よろしいですか。ほかいかがですか。

参加者高低アクセントについて,例えば「テニスですか」と書いてあるときに,「テニス」と下がっているんです。「テ」「ニ」「ス」ではないんですか。高さが「ニ」と「ス」が……

河野いや,実際は高さを機械でとるとこんなふうになるんですね。なので,そのとおりにしているんですけれども。

参加者自分で書いたときは,人によってずれちゃったり……

河野少しぐらいずれても構わないです,正直言って。例えばですけれども,「ハンドアウトの1ページ目をちょっと見ていただけますか。例えば,この「どうぞよろしくおねがいします」なんですけれども,これって実際の高さの線と全く一緒じゃないですよね。実際,高さのあれをとると,「どうぞ」とこう書いてありますけれども,実際の高さの線でいうと,「ど」と「う」のちょうど間が一番高いんですね,機械ではかると。でも,そのとおり書いたらよくないですよね。そうしたら,「どうぞ」とか学習者は絶対言いますよね。
そういうふうに考えると,教育的な配慮も考えて,どういう高さの配置にしたらいいかというふうなことで,プロソディーグラフをつくっているんですけれども。ただ,何度も言っていますけれども,あくまでも基本は実際の音声ですから,プロソディーグラフが何ミリ違うからだめとか,そういうことは全然考える必要はないと思います。

参加者プロソディーというのは初めて伺った言葉なんですけれども,語源は。いつごろから出てきたんでしょうか。

河野音声学では,アメリカとイギリスに音声学があるんですけれども,たしかアメリカでは,スプラセグメンタルフォネーム*1とかいう言い方をするんですけれども,たしかイギリスでプロソディーという言い方をするんです。いつからかちょっと分からないですね。エポケーなら分かるんですけれども,ここでは関係ないので。

*1 スプラセグメンタルフォネーム supra-segmental phoneme。かぶせ音素。プロソディーのこと。


参加者何か辞書を引けば出てきますか。

河野多分出てきます。

参加者名前のところがありますよね。幾つかありますけれども,例えば「サッチャー」とかは……。

河野「サッチャー」はこうですね。「サッチャー」ですね。

参加者一つの単語……。

河野そうですね。「サ」と「ッ」ですね。

参加者「グレッグ」というのは……。

河野グレッグ,グレッグですね。そうですね。

○参加者初めに人の名前を聞きますね。そうすると,日本語的に音を並べてこちらが言いますと,そうじゃないと。例えば,片仮名で「ハンバーガー」というものを教えて書かせようとすると,それはハンバーガーではない。なかなか日本語の音に慣れないのですけれども,どうやって納得させるのか。

○河野例えば,英語で私が「Mr. Kawano」とか言われて,「Kawanoじゃない,Kawanoだ」とか言わないですよね。それはそういうものだというしか――それはいろいろなアイデンティティの問題とか,ポリシーの問題があるからあれですけれども,それはいわゆる音声教育の問題ではないと私は思いますけれども。よろしいですか。ちょっとまた後でお話しできたら。

参加者先ほどの教材をすごく興味深く見ていたんですが,毎日10分というので,1回10分ということなんですが,作られた先生としては,毎日した方が効果があるのかとか,何かそういうことと,それからもう一つ……。

河野ちょっと待ってください。毎日した方が効果があると思います。

参加者それともう一つなんですけれども,直接,文型とか文法を使って意識するという練習方法なんですが,これはメインテキスト*1があって,何かの教材でやるとか,どういう形でしたらいいのか。

*1 メインテキスト 主教材


河野基本的には,どういうふうに使っていただいても構わないんですけれども,ちょっと後追いみたいな感じにはなるかもしれないですね。ただ,別に後追いもしていただいて,メインテキストにも合わせた部分もあってもいいかなとは思いますけれども。

参加者「は」と「が」によるヤマの違いとか,そういう章立てはないんですか。

河野そういう章立てはないですね。決して全部網羅しようとは考えていないです。全部網羅しないといけないというのは,やはり変ですよね。それこそ単語を全部教えないといけないとかという考え方は普通ないですよね。

参加者「は」と「が」はあった方がいいと思うんですけれども。

河野そうですね,いつも私が教育で思うのは,何を入れるというのはすごい簡単なことだと思うんですよ。何を削るかというのはすごい苦労するんですけれども,とりあえずは削ろうというふうに考えましたので,削りました。

参加者だから,「何かありますか」と「何がありますか」という「か」と「が」で……。

河野それはあります。

参加者あとは,やはり「何とかは何とかです」と「何とかが何とかです」では,ヤマの形が違うわけだから……。

河野それは,きちんと順序立てて教えていったら,学習者はもう十分推測できるはずですし,推測できなければいい教材とは言えないと思っています。

参加者複文はどうですか。

河野複文は今のところ扱っていないですが,8課で一応出てきています。

参加者先生の教材を嫌がられないで使いたいんですけれども,さっきやはり自信をつけるのがまずとおっしゃったので,自信を持たせるときに先生が使われる方法みたいなものがあったら……。

河野それは御自分で考えたらどうですか。

参加者結論だけを言っちゃうと,多分こういう細かいものにいく前に,言いたいことを全部言えるような雰囲気づくりだと思うんですけれども,それと先生のこれをうまく組み合わせる先生のイメージがあったら伺いたいんですけれども。

河野急に質問されて困りましたね。雰囲気づくりは雰囲気づくりですよね。一つあれするのは,決して急に難しくしないというのがやはりあるんじゃないかなと思います。今日ちょっと説明するのを忘れましたけれども,まだ時間あるのかな。時間がないとかいって終われたら一番ラッキーなんですけれども。すぐ終わります。
2-2をちょっと御覧ください。実は,教材は2-2で2ページになっていまして,左のページはプロソディーグラフを見ながら練習するものなんですけれども,右のページはプロソディーグラフなしで練習するものなんですね。ですから,そういうことをすることによって,例えばプロソディーグラフで練習したものをもうちょっと定着させる。さらに言えば,学習者が具体的にどういうふうにヤマになっているんだろうと推測しながら練習していくような練習,そういうことをすることによって,例えば確実に積み重ねていく。学習者もそれが自分が積み重ねているというのが分かる。そうすると,学習者はそれでまず嫌がらないというのはあると思うんですね。音声教育は,自分がうまくなっているかどうか分からないのに,どんどんどんどんやっていくから嫌がるというのはあるんじゃないかなというふうなことも思いますけれども。もうちょっと考えます。すみません。終わりましょう。ありがとうございました。(拍手)
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