座談会

「日本語学習者の視点から日本語教育を考える―私たちの日本語習得奮闘記―」
司会 野山広(文化庁文化部国語課日本語教育調査官)
解説者 松本茂(東海大学教授)
発表者 池田岩(第1言語:中国語)
堤クラウジーナ眞由美(第1言語:ポルトガル語)
松村マルセラ(第1言語:スペイン語)
リーブンダラ(第1言語:カンボジア語)


司会(野山)皆さんこんにちは。それでは,これから座談会に入りたいと思います。
今日の座談会のテーマは,12〜13ページを開いてくだされば出ていますが,「日本語学習者の視点から日本語教育を考える―私たちの日本語習得奮闘記―」というものになっています。ここに並んでいただいた方々は,出身地も背景もいろいろなんですが,それぞれの特徴を持って今生活していらっしゃいます。大体,先ほどのバラカンさんほどの年数ではありませんけれども,ほとんどの方は10年近く日本におられて,その間に自分がどのように日本語を習得してきたのかという問題に関して,これから話をしていただきます。
この座談会の構成としては,まず最初にこちらの池田岩さんから順番にこれまでの自分の日本語の習得に関連した日本での半生、ご経験を話していただいて,4人の方が終わった時点で,それを総括しながら座談会を行うという形をとらせていただきます。私の横にはコミュニケーション教育が御専門で,この次のパネルディスカッションでも協力いただく松本先生に入っていただいていますが,コミュニケーション教育の観点から途中で解説,助言等をいただきたいと思っておりますので,よろしくお願いいたします。
それでは,早速ですが,池田さんから順番にお話をしていただきます。では,よろしくお願いいたします。

池田皆さん,こんにちは。
初めに,本日は文化庁日本語教育大会にお招きいただき,本当にありがとうございます。大変にうれしく思います。私は,日本人に会うことも,日本語を話す機会もほとんどありませんでした。学校を卒業し,中国の大連の会社に勤めたとき,初めて日本人と会ったのです。仕事の関係で日本から大連に何度も来る上司の方が,私に日本人と結婚しないかと聞いてきました。正直,日本に対する憧れと不安の中で迷いました。でも,主人が中国に来て何度か会う内に,結婚したいという気持ちが大きくなりました。私は英語も少しできるので,中国語のハンディ*1は大丈夫,乗り越えられると思ったのです。日本にいて,日本語も覚えて,仕事をして,子供を産んでと,夢は大きく膨らんでいきました。そして,主人と結婚したのです。
結婚して7年になるのですが,日本に来たときは日本語が全然分からず,もちろん平仮名の書き方も読み方も分かりませんでした。主人とは漢字で紙に書いての会話でした。しかし,中国と同じ漢字でもまるで意味が違うものもあり,誤解することが度々ありました。家の近くに中国語を話せる人が一人もいませんでしたので,だれかと中国語で話したい,心を聞いてもらいたいと,心が張り裂けそうでした。
そんなある日,主人の知り合いから秋田県の能代市に日本語教室のあることを教えてもらい,入ることができました。教室に入って驚いたのは,たくさんの国の大人や子供たちなどが日本語を勉強していることでした。私が最初にしたことは,まず同じ中国から来た人たちと中国語で思い切り話をしたことでした。私の悩みを「私たちも同じだった」とみんなが聞いてくれました。「この教室で日本語を勉強して,日本のことが分かるようになったら大丈夫だから,一緒に勉強しましょう」と言ってくれたのです。車の免許がなかったので,主人が能代までの30分を毎回送ってくれました。たくさんの人が勉強しているのを見て,主人は日本語を覚える大変さを理解してくれました。家に帰ってからもその話題をしたり,宿題を教えてもらったりして,日本語教室が主人とコミュニケーションをとる第一歩になりました。仕事をするようになってからも,妊娠したときも,ぎりぎりまで大きなおなかで教室に通いました。
私にとって,日本語教室の皆さんは家族のようなものでした。1週間に1回でもみんなに会えることは,私の励みであり,楽しみでした。出産で1年ぐらい教室を休みましたが,日本語の先生から「いつでも教室に帰ってきなさい」というはがきをもらうことができ,主人のお母さんも「子供の面倒を見てあげる」と言ってくれましたので,日本語教室にまた通えるようになりました。日本語を一つ一つ勉強することで読み書きができるようになり,車の免許も取れるようになると,ますます日本語への意欲が強くなってきました。2000(平成12)年,私は先生の勧めもあって,これまでの勉強のまとめとして,日本語能力試験の3級を受けました。初めは,私自身自信がなかったのです。先生が「大丈夫」と言ってくれたように,本当に合格できたのです。「2級にも挑戦したいです」と言うと,先生は2級の練習問題をたくさん見せてくれました。3級と2級とでは問題が全く違い,すごく難しいと思いましたが,問題を一つ一つ解決し,分からないところを分かるまで聞くことを何度も繰り返していくと,少しずつですが,分かっていくのを感じることができました。
その当時,中学校へ通っている中国の子供が日本語教室にいたのですが,国語の宿題を見て,教えられるようになっている自分がいました。教室に来ている子供たちを見ることは,自分の子供と重ねることになります。どんなに大変な思いをして勉強しているかを目の前で見ることになりますから,親として自分の子供にそんな思いをさせたくないと思いました。まず私が勉強するところを子供に見せたいと思ったのです。2歳くらいになると,なるべく子供を教室に連れて行くようにしました。ボランティアの人たちも子供を嫌がらずに受けとめてくれるので,子供も「一緒に行きたい」と言います。みんなの姿を見て,子供は勉強することが楽しいことだと感じてくれたようでした。とてもありがたかったです。子供も中国語を教室の中で自然に受けとめてくれるようになっていきました。
ちょうどそのころ,パソコン教室に通うことになりました。最初,漢字の入力が大変難しかったです。人との会話では,小さい「つ」とか濁音がうまく言えなくても,相手の人が何とか分かってくれるのですが,パソコンが相手だとすごく厳しいですね。(笑)少し間違うと,画面に出てきた語彙と自分の出したい語彙が全く違います。これがそのときの私にとって大変勉強になったのです。そして,パソコンで漢字のレベルを上げた私は,1級に挑戦して合格することができました。その後には,ワープロ*2の4級と表計算の3級も合格できました。日本語の先生たちの温かい愛情,家族のいつもの応援,これらみんなが私の後押しをしてくれたのだと思います。
私の通っている日本語の教室では,普通の学校とは違います。教室に入ると,家庭的な雰囲気に囲まれています。人と人の間に心がつながっています。悩みや問題を抱えながら日本語を学んでいる人たちがたくさんいます。その人たちの心の支えにもなっているのが教室です。そして,勉強だけでなく,花見,バス旅行などの楽しみな行事や,書道,お茶会,料理教室,盆踊りなど,日本の文化に触れる機会がたくさんあります。それを教えてくださる先生たちは,みんながその道の専門家です。特に私は日本舞踊の先生が教えてくれる盆踊りが好きです。毎年一緒に踊れるのが楽しみです。盆踊りにはたくさんのボランティアの皆さんが参加し,花火や屋台を出してくれ,子供たちにも楽しみな行事です。そのおかげで,町で行う盆踊りにも積極的に参加できるようになりました。今年の4月から,町の要請があり,消防署,警察署の方々へ中国語を教えております。これからも機会があれば,中国の文化や料理など,地域の人たちに紹介していきたいと思っています。
日本語教室では,言葉だけではなく,たくさんのことを学んでいます。先生はいつも「自分の意見を言えるようになるために日本語を学びなさい」と言っていますが,今その意味が本当に分かってきました。日本はとてもすばらしい国だと思います。私たちのように,外から来た人間だから見えることもあると思います。これからも,日本語を勉強しながら,地域の中で人と人との本当の交流を深めていくことができるように頑張っていきたいと思っております。ありがとうございました。(拍手)

*1 ハンディ (ハンディキャップ)不利な条件。
*2 ワープロ ワードプロセッサーの略。


司会(野山)イェンさん,ありがとうございました。今回は座談ということなので,対話というかことばのやりとりでやるか,あるいはスピーチ*1みたいにしてやるかという選択をあらかじめさせてもらいました。イェンさんの場合はスピーチの形式を選択されたというわけです。実はイェンさんはこれまでスピーチ大会で優勝した経験もおありの方です。この先の座談へ向けて,今話していただいた内容を少しばかり補足しますと,例えば,イェンさんの今住んでいる町は,12ページのイェンさんの紹介の3行目に秋田県二ツ井町と紹介されています。その隣に能代市がありまして,両方とも秋田の北部の方の町になります。秋田県には空港が二つあって,北の空港と南の空港があるわけですが,北の空港に近い方の町にいらっしゃいます。その二ツ井町の方々に対して,中国語を今教えておられるという話をしてくださいました。
途中で印象的だったのはパソコンの話や,漢字の話ですが,後でまた詳しく聞きたいと思いますけれども,それ以外に,日本語教室で「自分の意見を言えるようにするために------」と先生にたびたび言われるとおっしゃいました。今,日本全体で日本人の配偶者として国際結婚した方々が約30万人ほどいらっしゃいますが,さまざまな境遇や環境で,特に東北地方の農村地帯にたくさん住んでおられます。そうすると,自分の声を発してちゃんと自分の言いたいことを言えない状況になった場合,これほどつらいことはないので,少なくとも日本語で家族や地域の皆さんに向かって声を発することができるようにということで,日ごろから先生が「自分の意見を---」自分の声でと激励してくださるというお話でした。
今もイェンさんは,地域の日本語教室へ週に2回あるいは1回通うだけです。それ以外は,一生懸命仕事をし,家族と接しながら日本語を習得する工夫を日々しておられます。例えば,3年連続日本語能力試験を受験した際にも,前の晩の夜行バスで東京に翌朝早くに着いて,試験会場に行き,試験が終わったらとんぼ返りということを続けました。その試験のために休みをもらってくるわけですが,こんなに大変な思いをしても,この受験を毎年楽しみにしておられたと聞きました。日本語能力試験はこれまでは主に留学生や海外の学習者が主に受験していたと思いますが,イェンさんのように地域に定住している方々が今後はこの試験を活用する可能性を多分示しているのではないかと思います。
次は,お隣のクラウジーナさんです。クラウジーナさんは,現在,群馬県の太田市にお住まいです。イェンさんは日本に来て初めて日本語をゼロから学ばれた方です。ただ,漢字圏の出身という,ある意味でのアドバンテージ*2というかメリット*3はあったのかもしれません。それは,漢字を覚えるに当たっては,一番左端にいるブンダラさんが後で話してくださいますが,カンボジアの方とは違う言語生活をしていた方ということになるからです。クラウジーナさんは,名前からも少し察しがつきますように,御両親は日本人の方です。それで,ブラジルで生まれ育って,家庭内での言語は日本語という環境で育った方です。クラウジーナさんは,スピーチよりも,どちらかというと私とのやりとりをしながら話をしたいという御希望でしたので,そういう投げかけ方をしたいと思います。クラウジーナさんに質問をしていきながら聞きたいと思いますが,この話の中で,クラウジーナさんの第1言語であるポルトガル語について触れていただきます。具体的には,ポルトガル語と日本語の干渉というか,ポルトガル語が第1言語であることによって日本語が学びにくかったこととか,あるいはその逆があったこととか,そういうことに関して最初に話をしていただけたら幸いです。

*1 スピーチ 演説。
*2 アドバンテージ 利点。
*3 メリット 利点。


クラウジーナ初めに,皆さんこんにちは。よろしくお願いします。私の場合,皆さんと多少違うところは,母も父も日本人であることです。ブラジルに移民して約35年以上はたっているのかなと思います。もちろん,私は向こうで生まれ育ちました。日本に来たのが約12年ぐらい前ではないかなと思います。この内容について,ポルトガル語と日本語とありますが,余り自分で気がついたことはないと思いますが,特に挙げるとしましたら,rとlの発音です。日本語だと,余りその辺の発音の違いというか,英語だとやはりrとlの発音の違いがありますが,ポルトガル語も同じくあります。多分私は学校へ行くまで家の中では日本語を使う場面が多かったのではないかなと思います。小学校に入ったころ,よく周りの友達や先生にrとlの発音を直されたのを覚えています。

司会(野山)それは,クラウジーナさんの場合,ポルトガル語を話しているときのrとlの違いが日本語の干渉を受けていたというわけですね。

クラウジーナはい,そうです。多分そうだと思います。

司会(野山)なるほど。ここで突然松本先生に振りますが,例えば松本先生は英語のディベート*1教育,コミュニケーション教育などをやっておられますが,ディスカッション*2等の訓練をなさるときに,例えばrとlの訓練というのを特に集中してやることはあるんでしょうか。

*1 ディベート 一つの論題に対して行程と否定の立場にわかれて行う議論。
*2 ディスカッション 討論。討議。


松本文脈から理解できますので,rとlに関して誤解が生ずるということはまずほとんどないとは思うんですけれども,やはり耳障りというのはありますね。riceとliceが違うみたいなことが…。そういうことはあるかと思いますが,英語の場合には聞き取るためにちゃんと自分で発音できないとまずいということで,私の場合には聞き取るための発音訓練を行います。先ほどのバラカン先生のお話と同じように,まずまねるということです。体を使うとか,腹筋を使うとか,息の使い方が違うということも含めます。lとかrといった個別の音を出す練習もします。lの場合は最初にlが来る場合と真ん中と最後の場面とで発音の仕方が多少違いますよね。口の中の形も含めてこういう訓練をして,それはなぜやるかというと,私の場合は,きれいな英語を話すというよりも,聞き取るためにそういう訓練をしておいた方がいいだろうという発想です。

司会(野山)クラウジーナさんの場合も,lとrの干渉があって,それを修正されることによってポルトガル語が聞き取りやすくなったということがありましたか。

クラウジーナ当時,特に自分では間違って発音しているつもりはなかったです。(笑)最近ですが,もう日本で11年,12年生活していると,またその問題が,ポルトガル語を使うときに発音を失敗してしまうことがちょっと増えてきています。今は,間違った発音をしたということに自分で気づきます。ブラジルの人と会話するときには「これはちょっと恥ずかしいミスかな」,「気をつけなければいけない発音かな」と,思っています。

司会(野山)分かりました。それでは,続いてそういうポルトガル語と日本語のバイリンガル環境で日本語を学んでこられたということは,継承言語*1つまり継承語として日本語を学んでこられたと考えられますね。継承語として日本語を学んでこられたこれまでの御家族との関係とか経緯について,もちろんご兄弟・姉妹との関係も含めてですけれども,話していただければと思います。お願いします。

*1 継承言語 親(保護者)や祖父母,家族,地域などの環境の中で引き継がれる言語。


クラウジーナ私は,もちろん幼いころ気づいていなかったと思いますが,両方の言語を使い分けていたと思います。中学生ぐらいになってから,姉と買い物やちょっと外に出かけたときに,使い分けができていました。それがとても便利でした。時には,都合のいいときに日本語,ちょっと悪くなったら(相手をきずつけないように)ポルトガル語とか,(笑)例えば買い物をするときです。当然ポルトガル語で買い物をしますが,値段が安い高いや,品物がいい悪いなどは日本語を使っていました。それで,よく店員さんに言われました,「それ,ずるいよ」と。(笑)でも,とても便利で,いまだにそういう使い分けをしています。兄弟は私を含めて4人です。4人とも現在日本語とポルトガル語を使う仕事についています。そういう意味では,私たちはバイリンガルの環境でそういう教育を受けて,本当に両親に感謝しています。父はもう亡くなってしまいましたが,母はブラジルに移民して38年ぐらいになるのではないかと思いますが,いまだにほとんどポルトガル語ができないです。母になぜかと聞きますと,「私たちが日本語をちゃんと身につけるために自分が犠牲になった」と言いますが,(笑)ものは言いようですね。私たちはそのおかげで今は感謝の気持ちでいっぱいです。
日本語の会話についてですが,先ほども言いましたが,家庭で普通に日常会話をしながら学びました。字については,平仮名・片仮名の読み方を最初に覚えました。どう覚えたかといいますと,「めばえ」など,日本からの本で学びました。日本の本を注文することができ,当時は船便で届きました。小さいときに,それを交代で両親が寝る前に読んでくれました。そのとき,親が読んでいるところを追っていきながら平仮名・片仮名の読み方を覚えました。子供のころ,父方のおじやおばが一緒に住んでいました。そして,私が小学校低学年くらいの時,おじが「少年ジャンプ」や「少年チャンピオン」などの漫画をとっていましたので,自分も借りてそういう本を楽しんでいました。特に当時「少年マガジン」にあった漫画ですが,「愛と誠」がとても好きでした。(笑)皆さん御存じか分からないですけれども。
なぜ私たちが日本語を覚えたかということですが,私たちが小学校に入ったころ,ポルトガル語を多く使うようになったと思います。私たちはそのとき父親に呼ばれ,日本人の子供なので日本語もできるようにと言われました。それから私たちの家では,家の中では日本語,外ではポルトガル語を使うという決まりになりました。そのため,両親はもちろん,おじやおば,祖父母とかと会話をするときには,当然日本語で会話をしていました。兄弟では日本語とポルトガル語,両方を使っていました。多分けんかのときはポルトガル語を使っていたと思います。実際に私が日本語学校というところに通ったのは,残念ながら中学校2年生ぐらいだったかなと思います。約1年ぐらい通ったか通わなかったかぐらいです。それは週1の(日)の1〜2時間ぐらいの授業でした。そこで多分初めて字の書き順など,漢字についていろいろと学んだのではないかなと思います。日常会話について特に困ったことはありませんが,まだまだ分からないことがたくさんあります。家庭で使う日本語の世界はとても限られていて,限定されてしまいます。実際に日本に来て生活をしていると知らない言葉がたくさんあることに気づきました。今でも覚えているのは,母の妹で,千葉の柏に住んでいるおばに言われたことです。私が最初に来たときの冬に雪がたくさん降って,電車で群馬から千葉に行くときに「電車が不通だから来られない」と言われて,そのおばとほとんど口げんかの状態で,「どうして普通で行けないの。普通なら行けるでしょう」というので,(笑)言葉でフツウって,私が知っているフツウは普通の「普通」なので,(笑)おばが言っているフツウは字がかなり違っていました。そういう困ったことがまだまだたくさんあります。私たち兄弟4人ともまだまだ日本語が未熟です。

司会(野山)ありがとうございます。今の言葉の問題に関連して,日本に来られてから今まで,日本の伝統文化とか,習慣とか,今住んでいらっしゃる群馬県の太田市,東京近辺ではオオタと発音しますが,地元ではオタと発音しないと怒られてしまうといったことも含めて,そういう習慣・風習などの違いで苦労したことについて次にお話しください。

クラウジーナ私が生まれ育ったブラジルですが,ブラジルの北の方でアマゾン川の河口に近いパラ州というところです。そこはまあまあの日本人社会がありますが,私はブラジル社会での生活が多かったと思います。ブラジルの日本人社会でとても難しかったことは,日本に来ても同じく感じました。それは,義理人情・あいさつやお礼を物やお金であらわすということです。とても理解に苦しみ,一番困ったことです。私は,日本に来て,ちょっといとこに役に立つことがありました。それは私にとってとてもうれしかったことですが,そのお世話をした後,いとこの家族全員で私のところに,とても大きなおせんべいの箱を持って「ありがとう」と言いに来ました。私はそのとき逆に大変傷つきました。自分は役に立ってとてもうれしかったのに,物でそれを返そう,それで何かさっぱりしましょうと言われているような感じを受けてしまいました。(笑)そのときとても傷ついたこと,今でも思い出にあります。でも,今ではそれも日本の一つの貴重な文化だと受け止めています。

司会(野山)先日お逢いした際にも今の話を少ししてくださいましたけれども,例えば,自分がだれかにお世話になって,その翌日かその次の日に会ったときに,「この前はどうもありがとうございました」と言うのは愉快じゃないということですかね。

クラウジーナそうですね---何度も何度も御礼をすることは大変です。そのときに「ありがとう」と言ったはずなのに,次の日にまた「ありがとう」と言わなければいけないのが大変です。忘れないようにメモっておきました。今でもメモっておきますね。(笑)またあのときのお礼を言わなければというのは,いまだにちょっと大変かなと感じます。1回でいいのではないか。感謝の気持ちが大事だと思います。2回も3回もお礼を言うと,ちょっとしつこくなるのではないかなぁと感じます。(笑)

司会(野山)あと,ブラジル式の年越しがあって,日本式のお正月というのが連続してくるというのが結構大変だという話をしてくださいましたね。

クラウジーナそうです。それは向こう(ブラジル)であったことです。父は親兄弟,家族全員でブラジルに渡りました。当然私たちは年越しをするときブラジル式にいろいろと朝まで(新年を迎えるため)遊んだりしていましたが,1日,お正月になると,朝一に父の親の家へ新年の挨拶やお雑煮などいろいろいただきに行っていました。行かないと,後でいろいろとおばやおじたちに注意されるというか,言われるというか,困りますので,(笑)眠くても行って「新年明けましておめでとございます」というあいさつは欠かさずに毎年やっていました。今思い出すとその習慣はとても大切なことだったと感じ,父方の親戚に感謝しています。

司会(野山)今お正月の話が出たので,隣にいるイェンさんにも座談ということで少し伺いたいのですが,中国のお正月の時期は日本と多分違うと思うんですけれども,日本に来られて,例えば中国のお正月の時期になったときに二ツ井町では正月ではないですよね,きっと。その辺はどんな感じなんでしょうね。

池田これは私は別に思わなかったんです。でも,さっき堤さんが言った「ありがとう」を何回も言うのは,本当に…。(笑)

司会(野山)やはり「ありがとう」を何回も言うのはちょっとつらい---ですかね。

池田初めは,慣れないとちょっとつらいですね。

司会(野山)多分ここには地域の日本語教室の担当の先生方も大勢いらっしゃると思いますけれども,恐らくこうした習慣の違いに慣れていない先生や支援者の場合には,お礼を言わない学習者に対して助言や苦言のひとつでも言ってみたくなる気持ちになることがあるのかもしれないですよね。でも,それは学習者の本意ではなくて習慣の違いであるということが明らかになったというか,これは比較文化の本などにも書いていることではありますけれども,実際にこのような体験を学習者はしている例として理解していただければと思います。
ほかにもクラウジーナさんからは幾つかお話があるかと思いますが,ちょっと後に回していただいきます。次に,先ほどのクラウジーナさんの家族とのお話に関連して,マルセラさんのお話にまいります。マルセラさんは,現在日本の東京に住んでおられますが,元はスペイン語圏のメキシコで生まれ育った方です。御自身はスペイン語が第1言語です。御家族は,だんな様と子供さんが2人がいらっしゃいますし,義理のお母様が一緒に住んでおられます。子供さん2人は,実はバイリンガル*1ではなくてトライリンガル*2の環境の中で育てていらっしゃるそうです。そのことも含めて多分話をしてくださると思いますが,マルセラさんはスピーチの方を望まれましたので,スピーチでよろしくお願いします。

*1 バイリンガル 状況に応じて2つの言語を自由に使う能力をもつこと。
*2 トライリンガル (トリリンガル)3か国語を自由にはなすこと。


マルセラこんにちは。私は,結婚したころイギリスのエディンバラに住んでいました。結婚してから,今年で14年目です。エディンバラ大学で週1回90分の日本語レッスン*1を受けましたが,期間も短かったので,来日したときに余り日本語が分からなかったのですけれども,来日して武蔵野市に住むことになりました。市役所に行ったときにMIA――武蔵野市国際交流協会を紹介してもらいましたので,早速訪ねました。そこで日本についてのいろいろな情報をもらいました。まず日本語の教室を紹介してもらったり,スペイン語圏の人たちのコミュニティ*2についての情報を教えてもらいました。MIAの日本語の講座と吉祥寺日本語学校の2か所で日本語の勉強を始めました。このほかにも2か所で勉強しました。ほかの2か所は,成蹊大学で1番目の子が生まれる前と,あと四谷にあるセントロヨーラというスペイン語系の方に関する相談しているセンターがありまして,そちらでも日本語の勉強をしました。日本語の勉強は,勉強するだけではなく,日本での私の人間関係を広げるのに役に立ちました。日本語を始めたとき苦労したのは,いろいろな書き方があることです。平仮名,片仮名,漢字。そして,漢字には音読み,訓読みとあって,すごく驚きました。もう一つは,勉強して分かるようになっても,なかなか自分が伝えたいことが通じなくて大変でした。それは今でもあります。日頃は,話すことより聞くことの方を大切にしています。
来日してから3年目に子供が生まれました。生まれたとき,しばらくの間勉強を続けられませんでしたが,でもやはり日本語の勉強を続けたかったので,またMIAに相談に行きました。そこで,今でもずっと一緒に勉強している先生を紹介してもらいました。その先生は,日本語を教えてくださるだけでなく,日本での私の人間関係を広げることを助けてくださいました。今でも助けてくださいます。例えば,私が仕事をするときに,初めてベビーシッター*3を探してくださいましたし,子供を2人連れて勉強することができました。また,日本のマナー,例えば結婚式へ行くときにはどのようにするとか,どういうドレスを着るとか,いろいろなことを教えてくだいさます。外国人としてでなく,妻として人間として悩みを聞いたり,相談に乗ったりしてくださいます。その先生が言ってくださった「細く長く」という言葉が私は気に入っています。まだ子育て中で大変ですが,この言葉が今の私を励ましてくれます。
私は日本でいろいろな仕事をしております。国際教育情報センターで通訳と翻訳を英語とスペイン語の関係でやっておりまして,中央大学で非常勤講師としてスペイン語を教えております。また,スペイン語による教育関係の相談をしたり,プライベート*4で英語とスペイン語を教えたりしています。様々なことをしながら,日本語を使って,人とコミュニケーションや交流をしています。もちろん,苦労というものはあります。でも,できるだけ経験や勉強だと考えるようにしております。
今は勉強の途中だと思っていますが,一番伸ばさなければならないのはやはり漢字です。これからの課題は普通の本を読むこと。どんなものでも,母親として意味があるもの,役に立つもの,カウンセラー*5として日本のシステム*6が分かるものなどを読みたいです。例えば,もう一人のMIAのボランティアの先生と一緒に読んでいる本は,カリスマ教師*7と言われている陰山英男先生の「学力は家庭で伸びる」です。普通の日本人が読むものを読んで,もっともっと日本語を勉強したいと思います。日本語学習で大切なことは細く長く続けること。いつまでも細く長くやっていきたいと思っています。よろしくお願いします。(拍手)

*1 レッスン 授業。稽古。
*2 コミュニティ 共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域及びその人々の集団。
*3 ベビーシッター 子守り。
*4 プライベート 私的。
*5 カウンセラー 心理的問題について相談に応じ,解決のための援助・助言をする専門家。
*6 システム 個々の要素が有機的に組み合わされたまとまりを持つ全体。体系。
*7 カリスマ教師 人々を魅了するような資質・技能を持った者。


司会(野山)マルセラさん,ありがとうございました。
マルセラさんの今の日本語を支えているのも,武蔵野市の日本語教室というのが非常に支えになっているという話をしていただきました。武蔵野の場合は,この日本語教育大会の場でも何度か紹介しましたが,武蔵野方式と言って,個別のマン・ツー・マン*1方式の相談も含めた日本語での交流ができる場と,日本語教室で日本語をより体系的に学べる場と,両方を提供しています。先ほどの松村マルセラさんのお相手の方はマンツーマンの交流員と呼ばれている方で,その方との日本語交流の経験で感じたことを話してくださいました。マルセラさんのお宅では今お2人の子供さんがいらっしゃっいます。実は前もって私は今日の4人の方とはいろいろお話をしたわけですが,先日驚いたのは,御家族の構成と家族内で使用している言語の話です。日本人のだんなさんとの間,つまり夫婦同士では英語で会話されるとのこと。日本人のだんなさんは子供さん2人に対しては英語で話し,マルセラさんはスペイン語で話しておられる。それから,おばあちゃんは関西弁でしゃべります。(笑)いわゆる東京の言葉は家の外で学ぶことにしているということで,徹底してこの言語環境で通しているんだそうです。この環境を維持するにはかなり苦労があるそうですけれども,一番大変なのは恐らく日本人のだんなさんではないかと想像します。日本語を一切話せない環境にいらっしゃるわけなんですね。(笑)ただ,夫婦同士はフィフティー・フィフティー*2ということで,お互いの第2言語である英語で話し合いをしているというのは,ある意味では理想的ではあります。でも,これはなかなかできないことではないかと思います。バラカンさんの場合は,夫であるバラカンさんの方が日本語を学ばれた希有な例ですが,実はだんなさんが日本人である国際結婚の場合,奥さんが日本語を学んで夫の方の第1言語に合わせる形で,自分の第1言語や母語はほとんど使えない状況にいらっしゃる方が日本国内の場合には大勢いらっしゃいますから,マルセラさんのご家族の言語の使い分けの仕方は珍しい例です。
マルセラさんも,これから日本人が普通に読んでいる本を読みたい,漢字をもっと学びたいとおっしゃいました。バラカンさんも,漢字を知っていることは非常に重要だとおっしゃいました。数年前に文化庁で調査をしたときに,日本語の学習における到達目標に関する問いがありました。これは,全国のいろいろな地域にいらっしゃる600人の日本語教室に通っている方に調査をしたわけですけれども,結果としては回答者の半分以上の方が,日本人と同じような日本語能力を身につけたいと思っていました。例えばバラカンさんのように,日本人の若者よりはるかに場面に応じたことばや敬語などが使えるようなレベルに近づきたい方が多くなっていることが分かりました。一方で,平仮名が読める,片仮名が読める,ローマ字も読めるけれども,何が一番読めるかというと,平仮名が約8割を占めて1位で,次の片仮名が約7割,ローマ字にいたっては約5割でした。ですから例えば,学習の進捗状況によっては片仮名が読めない人がいるので,片仮名の上とか下に平仮名のルビを振ってもらうと,日本語の表記が読める可能性があがるということや,ローマ字の看板や標識などは意外と日本語を第2言語とする人のためのいは役に立っていないことがわかりました。
次に話をしてくださるブンダラさんは,第2言語である,あるいは第3言語である日本語を30歳を過ぎてから習得した方です。約10年,年代的には私と同世代ですけれども,ただ,人生の経験は大きく違います。私は平和な日本の,西の端にある長崎県の五島列島でほとんど何の不自由もなく育ってきたわけですけれども,ブンダラさんは疾風怒濤の時代の流れの中,命をかけて自分の身を守るために国を出たという経歴の持ち主です。30歳で日本にこられて,それから漢字を覚えるのは実に大変だったと聞いております。学校や大学等で学んだというよりも勤めていた工場で覚えたとおっしゃってました。要するに,働きながら学校に行かなくてはいけないという状況で,工場で仕事をしながら,1日最低5文字覚えるということを決めて,手作業をやるときのこっち側の壁とこっち側の壁に漢字を五つずつ書いた紙を貼って,それを毎日覚えていったと。3年かかって大体さっきの1500ぐらいのものをやはり覚えたそうです。それでようやく日本語ができるようになったような気がしたと。最初はこの漢字の存在を知らずに,平仮名とか片仮名だけで何とかなりそうだと思ったときには,日本語は簡単だと思っていたそうですが,その後日本語を習得することの大変さを思い知ることにいたったという話も含めて,これから語っていただきたいと思います。よろしくお願いします。

*1 マン・ツー・マン 一人の人に一人の人が対応すること。
*2 フィフティー・フィフティー 五分五分。半々。


ブンダラ皆さんこんにちは。ただいま御紹介いただきましたリー・ブンダラと申します。私は,カンボジア難民として来日してからもう10年たちましたが,日本語がまだ十分とは言えません。お聞き苦しい点はたくさんあるかと思いますが,特にこのように緊張する場の中で,もっと日本語が下手になりそうです。(笑)どうかお許しいただければ幸いでございます。本当は私が経験したことをたくさんお聞かせしたいのですが,余り時間がないため,簡単に述べさせていただきます。
私もほかの外国人と同じく,まず一番困っているのは日本語です。日本とカンボジアは同じアジア大陸でありますが,文化,文字などには相違点がたくさんあります。つまり,日本は昔,中国文化,文字などの影響が多くあり,カンボジアではインドの文化を受けてクメール語の文明になった。だからこそカンボジアは全く漢字を使わない国なので,カンボジア人にとって,ほかのアジア諸国,中国,韓国,シンガポールなどの出身の方に比べると,日本語を勉強するのは大変苦労していると思います。私も,来日したばかりのころ,日本語を初めて勉強したときに,特に平仮名,片仮名を勉強したときに,多分2年ぐらいもあれば日本語をマスター*1できるんじゃないかなと予想していました。しかし,漢字,文法などの勉強を始めたときにすぐ分かりました。それは甘かった。(笑)後で5年,それとも10年たっても完璧にマスターできないだろうと確信しました。(笑)正直言うと,今でも自信はございません,全然。日本語のことを聞かれたら,まだです。
漢字を覚えるのは難しいですが,むしろ漢字の読み方も,漢字の使い分けももっと難しいと思います。例えば,漢字の先生の「生」一つでも様々な読み方があります。また,漢字の同じ意味ですが,その言葉の使い分けが様々あります。例えば,「御飯」「飯」「ライス」,同じです。ただ,漢語,和語,外来語。それとも,例えば「自動車」「車」「カー」,それらの使い分けも様々あります。もう一つ,日本語の助詞の使い分けと,敬語,さっきのバラカンさんのおっしゃったことに私もすごく苦労しています。敬語だけではなくて,あいまいな表現の使い方とか,外国人にとって非常に苦労しています。日本の皆様は,小さいころ習って慣れていて,日本語の難しさや漢字の使い分けなどは余り感じないかもしれませんが,外国人にとっては難しい。その難しさは何百倍でしょう。私は,日本に来る前にいろいろな外国語を勉強しましたが,その中でもフランス語が一番難しいだろうと思いました。しかし,今,日本に来て,日本語こそ世界で一番難しいと確信を持っております。
もう一つ,残念ながらカンボジア語の日本語教材は,ほかの言語,英語とかフランス語と比べて全くないので,例えばあっても簡単な日常会話しかないんです。そうすると,日本語を独学あるいは自習したい人は,とても困難な現状です。私の場合には幸いほかの言語,例えば英語やタイ語などを多少分かるので,参考文献を使い,何とか一般カンボジアの自分の母国語しか分からない人よりは少し早く難関の山を乗り越えることができました。
私は,来日してすぐ大和定住促進センター入所。このセンターは既に閉所しましたけれども,そこで4か月間日本語を勉強しました。短いけれども,私の人生として,つまり私の日本での日本語の原点であり,私の日本語の基本はすべてあそこから始まりました。日本語の先生方に心から感謝しております。本当にお礼を申し上げます。この会場の中に,最初に私に日本語を教えてくださった先生方がいらっしゃると思います。後で私,多分来られると聞いたので,どこに座っておられるか分からないので,申しわけないです。その後引き続き1か月半,社会生活適応指導を受講しました。これは簡単な呼び方でシャテキと呼びましたけれども,日本の社会制度や生活習慣などを習い,これも右も左も分からない私たちにはとても役立ちました。例えば,外国人にとって必要不可欠な実務として,在留資格の更新手続などを自分一人でできるようになりました。

*1 マスター 習得。


司会(野山)ブンダラさん,お話の途中ですが,ちょっとよろしいでしょうか。

ブンダラはい,どうぞ。

司会(野山)ブンダラさんが今説明してくださった大和定住促進センターの話ですが,明日の分科会のときに,第5分科会と第6分科会で,センターでどのような授業をやってこられたかや教授法の特徴についてなども含めて紹介していただく予定になっています。特に第6分科会の方はまだ余裕がありますので,御興味があれば,会場の皆さん,ぜひおいでください。会場はグリーンホールですので,多分,そのときに,ブンダラさんを教えてくださった先生も恐らくこの舞台に立つのではないかと思います。センターを出られて,その後夜間高校に行かれて,横浜国立大学に行かれますが,その辺の話をちょっと------お願いします。

ブンダラセンターを退所して,すぐ民間の会社で働きながら夜間高校に通ってから,横浜国立大学へ行きました。そこで,ちょっと私の学校体験,特に日本語関係の体験を話したいと思います。最初はとても大変でした。まず,日常用語の日本語と,学校で習う専門用語などの日本語は全然違います。さっきバラカンさんもおっしゃったですね。今まで使ったことのない,見たことのない言葉がどんどん出てくるんです。それなりに授業も勉強しなければならないために,やむを得ず日本語も自習しなければなりませんでした。最低でも1日10以上の漢字を覚えなければなりません。また,勉強の仕方も,日本人の学生さんよりは何倍も努力しないと授業についていけない。なぜならば,私の場合,教科書などの中で漢字の読み方が分からないんです。まず漢和辞典で漢字の読み方を調べて,そして和英辞典でその言葉の意味を調べる。ここでもしその英語の単語の意味が分かったらいいんですけれども,しかし英語は自分の母国語ではないし,第2,第3,それも第4言語なので,むしろほとんど専門用語のため,言葉の意味は特別の場合が多いです。それで,また英語からタイ語,タイ語からカンボジア語,それとも図書館などの大辞典を調べ,ようやく文章を理解するに至るんです。そのころ,もし少なくとも振り仮名のついた教科書,辞典があれば---,辞典は後で見つかったんですけれども,それがあればもっと勉強を短縮できたと思います。私の場合,いろいろな困難なことがたくさんあったんですが,幸いそのころいい日本人の友達と出会い,お互いに助け合って,最後までいい成績で卒業できましたのは友人のおかげだと思います。本当に心から感謝しております。

司会(野山)今の友達とか知り合いが大切だという話は,きっと先ほどのマルセラさんの一緒に学んでおられる交流員の方も恐らく同じような関係の方ですし,クラウジーナさんの場合も太田市におられる市の職員の方でそういう方が何人かいらっしゃることは私も存じ上げています。イェンさんの場合も,教室に通いながら,ご自分と同じ中国語の話者の方々や日本語を教えていらっしゃる先生とか,働いている職場や町の近所の方とか,いろいろな方に助けていただいています。ブンダラさんはたまたま横浜国立大学でそういう友人と出会われたわけですけれども,その友人との出逢いのころには既にもう通訳をなされていたと聞きました。日本語が大変な状況にあった中で通訳をやることになったいきさつはどんな感じだったんですか。

ブンダラ当時通訳の力があったかどうか?なので,ちょっと恥ずかしいのですが,その辺のいきさつについて,ちょっとお話ししたいと思います。私,今まで通訳として気づいた点は山ほどあるのですが,時間の関係で簡単に述べさせていただきます。正直言うと,私自身では日本での通訳の仕事をするなんて夢にも思わなかったです。なぜかというと,そのときの日本語能力では自分のことも十分に守れない状況だったので,どうやって他人のことを助けられるのかと,ずっと疑問を持ってまいりました。偶然,突然頼まれて,何回も断ったのにまたお願いされまして,「しょうがないですね」とちょっとだけ引き受けましたが,そのまま今日まで続けることとなってしまいました。(笑)
通訳は,基本的にAさんの言うことをそのままBさんに伝えること。ところが,日本語の場合は,そのまま通訳すると相手に分からない場合が多々あるんです。例えば専門用語です。「国民年金」「厚生年金」などの言葉とか,そのまま通訳すると絶対に相手は分からないです。まず簡単な日本の年金制度の仕組みを説明しないと,相手は分からないです。また,簡単な日常会話でも,例えば皆さんには分からないかもしれませんが,「いただきます」「ごちそうさま」「はじめまして」「どうも」「ごくろうさま」など,そんな簡単な言葉でも,異文化なので,向こうの人,初めての人に対しては,ある程度説明しないと分からないことが多いです。もう一つ,通訳の場合は,日本語が分かるだけで通訳ができるわけではなくて,通訳の内容を勉強しなければならないと思います。例えば,医療・医学用語とか法律関係とか,ふだん使う言葉と全く違いますので,通訳の立場として自分で勉強しないと,誤解,それとも通訳ミスになることもあります。それは前もって準備しないとだめです。特に私の職場には,カンボジア語の通訳は私1人だけです。そうすると,何の分野でも通訳しなければならない。例えば,裁判へ行ったとき,役所,入管などへ行ったとき,様々な言葉,専門用語が出てくるんです。それで,自分で必死に勉強しないと絶対無理です。
もう一つ,日本語はほかの言語と比べると,同時通訳は少し難しいです。なぜならば,日本語の文法の場合は,目的語あるいは動詞が最後に置かれるので,発語・発話される順に訳していくことができないです。例えば,「昨日,私は久しぶりに大学時代の友達と一緒に渋谷でおいしいラーメンを食べに行きました」。最後まで聞かないと分からないです。行かなかったかもしれません。(笑)雨が降るとか,天気が悪いとか,店が閉まってしまったとか。多くの言葉の場合は,主語の次はほとんどが動詞が多いです。

司会(野山)ブンダラさんと以前に1度話したときに,確か,通訳をなさっていて,非常に役に立った辞書とか辞典とかの話をしてくださいましたが,その辞書について,皆さんに御紹介していただけたらありがたいです。

ブンダラこの辺は,日本の出版社,訳者まで言うのはちょっと細かくなってしまうので,簡単に言えば,外国人として,それとも私の経験の立場で言うと,辞書に振り仮名があれば,特に私の場合,大学生の時代にとても助かりました。振り仮名辞典で------英和・和英辞典です。その辞典は,もし私に時間があれば,ほかのカンボジア人で日本語を初めて勉強する人のために作りたいぐらいです。なぜならば,振り仮名を振るだけではなくて,次の簡単なこの言葉の例文も入っていますので,そうするとこの言葉の使い分け,意味がすぐ分かります,理解できますね。それで,もし今後もっと大辞典を作っても,外国人あるいは教育現場のために,日本語の国際化のために,ぜひそのようなものを作っていただきたいです。

司会(野山)さっきのバラカンさんは,新明解の辞典を多分30年近く手元に置かれて読んでいらっしゃると聞きました。振り仮名はたしか振っていなかったですね。それでもずっと使われている。辞書にはかなりの愛着を持っておられると聞きました。皆さんそれぞれ,多分そういう愛着を持った辞書というのはおありのようで,クラウジーナさんも太田で通訳をするときに非常に重要な重宝している辞書があると聞きました。その辞書の話を少ししてもらっていいですか。

クラウジーナすみません。辞書の名前は特に……。

司会(野山)辞書の名前は,多分それは私も忘れてしまいましたが,驚いたのは,どんな辞書を一番使うか,あるいは役に立つかということを聞きましたら,医療関係,医学用語辞典ということで,その実物を持ってきてくださいました。それで,難しい単語がいっぱい並んでいる医学の用語を説明するときに必ずこれが要るので,相談の通訳をするときは非常に役に立つという話をしてくださいました。

クラウジーナ残念ながら,日本語−ポルトガル語関係の辞書のオプションが多分二つ,三つぐらいしかないと思います。通訳や翻訳をしていますと,分野を選べません。いろいろな内容の翻訳が入ってきたりしますので,そういったときにどうするかといいますと,英語を日本語とポルトガル語のかけ橋みたいに使います。日本語ポルトガル語の辞書に無い言葉は,日本語から英語,それからポルトガル語に訳します。また,ポルトガル語から英語,そして日本語に訳します。現在だと,インターネットをかなり使います。そこで情報をかなり得られますので,インターネットをかなり活用しています。それでも足りない部分は英語の辞書を使います。私が主に使っている辞書は,次のとおりです。
現代日葡辞典(小学館)・ローマ字和ポ辞典(柏書房)・ローマ字ポ和辞典(カーザ・オノ)・ポ日法律用語集(有斐閣)・Webster's Portuguese-English Dictionary (Record)・カタカナ語辞典(三省堂)・医学大辞典(南山堂)ほか

司会(野山)インターネットの話が出てきましたが,先ほどのバラカンさんも,そういう調べものをするときにインターネットは使われるようなんですけれども,通常はインターネットの電源を切っておられる。電磁波の問題等も含めて,なかなかパソコンの時代が好きになれないということをどこかで多分おっしゃっていたと思います。今,情報時代になっていますけれども,例えばマルセラさんの場合は,スペイン語と日本語と英語,それから関西弁まで入ってきている言語環境の中にいますが,自宅で使う辞書,あるいは役に立っている本というのはどんなものがありますか。持ってきておられましたか。

マルセラ今日はとりあえず,白水社という出版社なんですけれども,これは日本語とスペイン語です。以前私は「あいうえお」がちゃんと分からなかったので,とりあえず辞書の横に見出しを書いたんです,「あいうえお,かきくけこ」と。これは私なんですけれども,うちは私は外国人ですけれども,でも家族の中では母親としてとか,妻として,お嫁として,(笑)見てもらっているんです。ですから,サポート*1,例えば今日はおばあさまに子供を見てもらっているとか,主人はいろいろやってくれるんですけれども,でも日本語ということは教えてくれないんです。例えば,山のように毎週学校から,幼稚園からのお手紙があるんです。そのときは,自分で読んでちょっと分からないところがありましたら主人に聞くとか,そのぐらいです。でも,教えてくれるのではないですね。ですから,よく辞書を使って……。でも,大体母国語はやはりスペイン語で,英語は分かりますけれども,母国語ではないんですね。もう一つは,今年は来日12年目ですね。まだむしろメキシコ人です。メキシコのことをどんどん忘れてはいないんですけれども,今どんなことが起こっているとか,余り分かりません。忘れないようにできるだけ自分の言語で本とか辞書を使いたいと思っています。

*1 サポート 支援すること。


司会(野山)ありがとうございます。マルセラさんもいろいろな役割を担っているわけですが,同じように池田イェンさんも,家に帰ると,おしゅうとさん,おしゅうとめさん,だんなさん,子供さんがいらっしゃって,仕事をしておられますし,いろいろな役割があると思います。その中で,例えば地域の日本語教室に今通っておられて,多分いろいろと経験したことがあるかと思いますけ。先ほどの話以外にも,どんなことが今まで役に立ったのかについて,幾つか話していただければ幸いです。
例えば,教室に北川先生がいらっしゃいますが,北川先生以外にも,専門家の先生が例えば盆踊りや料理などを教室に教えにきてくださると思いますが,専門家の先生にいろいろと習うことでうれしかったことや役に立ったことなどありますか。

池田私は余り料理が上手でないです。ですから,子供の弁当を作るのは大変です。日本の弁当と中国の弁当は全く違います。日本の弁当は,いろいろな色で飾っています。私,自分の子供が保育園へ持っていく弁当が普通の子供のと違うと子供はちょっと悲しいかなと思って,(笑)料理の専門家の先生にいろいろな料理を教えていただいて,とても助かっています。

司会(野山)ちょっと解説をしますと,いろいろな地域の日本語教室を私も訪問していますが,地域の教室では,例えば料理教室を開くことがあるわけです。海外の料理の紹介のある料理教室もありますが,一方で地域で普通に食べている料理や子供の弁当を作るということをトレーニングするような教室を開くということがあります。実際に使っている現地のお味噌とか,おだしとか,それを使ってどのように作るのかということです。それをみんな小学校に行っている子供さんたちも食べていたりする。お弁当箱という概念とか,それを包むという発想とかということも含めて,初めて遭遇するというわけなんです。そうしたごく普通に行われている習慣を学ぶという場をどのように設定しているかについて,イェンさんの場合はそれを教室活動の一環として学ぶことができたという話を今してくださいました。
多分,4人の方々はそれぞれいろいろな地域に住んでいらして,いろんな経験を持っておられると思います。---そうでした---ブンダラさん,最後に一言,言いかけたままでしたね。申し訳ありません---戻しますね。日本人に対してとか,あるいは日本語の先生に対してとか,日本の地域社会に対してとか,今後こうあってほしいとなどの希望といいますか---最後に言いたいことがあるかと思いますので,一言どうぞお願いします。

ブンダラもう時間がほとんどないので,最後に一言だけ皆さんにお願いしたいと思います。世界は急速にグローバル化*1され,語学力だけに頼るのではなく,人と人の相互理解,すなわち心の宿った国際理解も重要だと思います。日本は経済大国,先進国になり,それに比例して日本語の役割も今後ますます大きくなり,現在では日本語はほぼ国際言語と言われ得るようになりました。日本語は国際コミュニケーター*2として積極的に世界へ広がっていくでしょうが,同時に日本人の皆さんも心を置き忘れない真の国際理解を持ち続けて世界の中で活用されることを心から願っております。御清聴ありがとうございました。(拍手)

*1 グローバル化 世界的規模に広がること。
*2 コミュニケーター [communicator]伝達者。通報者。国際間などの意思疎通を図る人。


司会(野山)ありがとうございます。清聴させていただきました。(笑)ここにもう1人清聴させていただいた松本先生がいらっしゃいますが,例えば,国際コミュニケーションとか,国際理解へ向けたコミュニケーション能力を磨くとして,具体的に地域の日本語教育にもかかわっていらっしゃる松本先生のお立場から,何かアドバイス*1がいただけたらありがたいです。

*1 アドバイス 助言すること。忠告。


松本皆さんの場合には日本に住んでいらっしゃって日本の中で言葉を使っていらっしゃいますので,先ほどお礼をするときに表現の仕方が違うといったお話がありましたが,基本的には,国際コミュニケーションを考えるときに,違いを強調する教え方ではなくて,根っこは同じなんだという教え方が大事なのではないかと私は思うんです。表面的に異文化コミュニケーションなどを学習して,それを日本語教育に応用される方は,「日本人って違うんです。変よね」と言って一緒になって笑うという教え方をしがちなんですけれども,感謝するという気持ちは一緒だったり,不安だという気持ちは一緒なのだということを忘れずに付け加えてほしいものです。それが,何か行動をとるとき,あるいは言葉として表現するときに違いがあるだけなのです。そういう何か共通点をまず認識し合ってから違う点について触れた方がよいと思います。こういう方々が日本で生活していく上で大事な点は,今のお話を聞いていても,やはり心の安定のような気がしましたので,同じなんだ,恐れることはないという気持ちがすごく大事なのかなと。それを確認してから,日本人の多くは感謝の気持ちをこうやって表現する,こういう言葉を言うことが多いのです,でも違う人もいますよ,といった教え方をした方がよろしいのではないかなと私は思います。

司会(野山)ありがとうございます。
心の安定に関しては,クラウジーナさんはいつも太田の方で相談を受けていらっしゃると思いますけれども,せっかくですから,外国人の方の中で,特に南米の方というか,ポルトガル語の話者の方から,相談をいろいろ受けている中で,どんな相談が特に多いのかとかいうことを少し話していただいてよろしいですか。

クラウジーナ相談の内容ですか。ほとんど生活に関する相談が多いです。一般的に住宅の問題,家賃が高くて住むところに困っているなど,税金関係です。市役所内で開催している相談窓口ですので,そういった内容がほとんどです。税金,健康保険関係。ほとんどの方が社会保険に加入されていないため,国民健康保険に加入しています。そこで国保税が高い,給料から源泉徴収されているのに,また地域から市県民税や町県民税などの請求が来ることなどの相談が目立ちます。出身国の制度と日本の制度が違うところの相談が多いです。中には,たまに日本語について相談があります。日本語の勉強をしたい。日本でお仕事をするに当たって,やはり日本語ができないとなかなか就職先が見つからないということだと思います。時に,あいさつです。先ほどのピーターさんもおっしゃっていましたが,皆さん長年日本にいますと耳が日本語になれてきます。例えばあいさつで,「意味が分からないんですが,会社の人たちがこういうあいさつを帰るときにしているんですけれども」と,その発音をまねして私に音を出してくれます。「それはどういう意味ですか。そういった場合,どう返せばいいのですか」などの相談もあったりします。

司会(野山)ありがとうございます。
マルセラさんの住んでおられる武蔵野市でもいろいろな相談会が行われていたりします。クラウジーナさん御自身が相談員でありますし,イェンさんの場合も今後中国から来られた後輩となられる方の相談に乗ることもあり得るでしょうし,ブンダラさんももちろんそういうことをしょっちゅうやっていらっしゃいます。一つ御紹介したい本があります。武蔵野市で今回その相談の問題に関連してこのような本を出しました。言葉の問題も当然重要で,習得の問題にかかわる相談が非常に多いわけですが,「専門家が解説知っておくと安心!」という副題の「外国人相談基礎知識」という本が出ました。これは,英語,中国語,スペイン語,ポルトガル語,ロシア語,ミャンマー語,タミール語,アラビア語で出ています。残念ながらカンボジア語は入っていませんが,ぜひこれをカンボジア語に訳してもらえればありがたいなという感じもします。
もう一つ御紹介したい本は,地域でいろいろな交流活動を行っている方々のために役立つんじゃないかなと思って御紹介します。バラカンさんの著作や参考図書として実は御紹介したかったんですが,2人で相談した結果入れなかった本です。「地域でできるこれからの国際交流」全8巻という結構カラフル*1な辞書が出ています。それの遊び,音楽,スポーツで国際交流,ピーター・バラカン監修こどもくらぶ編・著という,世界のじゃんけんとかなぞなぞなど,身近な遊びを通じて気軽に国際交流とか,世界の音楽やスポーツ,民族衣装等も写真入りで詳しく紹介しているという本があります。こういった本とか,いろいろと役に立つ本があるかと思います。正面玄関の方にチラシなど出ているものをぜひ取って帰っていただいて,参考にしていただければなと思います。
今の時点で非常に申し訳ないことに,かなり時間が押してしまっています。後半の先生方に非常に申しわけない状況になってはいるんですが,せっかく4人の方がおいでになっていますし,これまで話していただいたことも含めて,会場の皆さんから何か質問があれば,一つか二つだけでもここで伺っておいて休み時間に入りたいと思いますが,いかがですか。どうぞ。

*1 カラフル 色数の多いさま。多彩。


参加者先ほどの何べんも何べんもお礼するというのは,私も毎度毎度連れ合いから「昨日のお礼をちゃんとしたか」と言われるんですが,私は日本人ですが,余りそれは得意じゃないんですが,(笑)そういう習慣はほかの日本人の方はどうなんでしょうかね。(笑)

司会(野山)こんなことを聞くのも余りないと思いますが,実際は本当のところを言えば何度も何度もお礼をするのは自分は得意ではないという方はどうぞ手を挙げてください。分かりました。結構いらっしゃることが分かりました。一般に日本ではお礼をするとまかり通っているようですが,そうでもない方が実際にはいらっしゃるということのようですね。ですから,重要なことは,相手がどう思うかという1対1の交流の場面でしょうから,そこに最適な対応をしていただければいいのではないかなと---,座談会の4人の方々もそういうことを私が事前に話をした際に言っておられました---ので。

参加者皆さん,日本語を最初に勉強されたときの日本語の教科書はどんな教科書でしょうか。名前でも結構ですが,特にセンターでお使いになった教科書を教えていただきたいんですが。

司会(野山)では,ブンダラさんから,使った教科書を。

ブンダラ私の習った教科書で,確かそのころ,「日本語の基礎」の1と2です。ただ,大和センターあるいは現在の国際救援センターの場合は,難民の方が初めて日本で生活するためにある程度基本基礎の日本語を勉強しなければならない。その中で,様々なレベルがあります。つまり,大学卒業,あるいは全く自分の母国語も読み書きできない人もいます。そういうレベルは,教科書もクラスを分けて合わせます。私の場合は,多少はそのとき必死に勉強するつもりでAクラスになったんだけれども,「日本語の基礎」2を終わって,また500単語の漢字も終わったんです。よろしいでしょうか。

司会(野山)では,マルセラさん,お願いします。

マルセラエディンバラ大学で勉強したときは,プリントを使っていました。来日して,吉祥寺日本語学校で,名前はちょっと覚えていないんですけれども,英語で書いてあるものでした。名前は忘れました。ごめんなさい。青い本です。あと,武蔵野市国際交流協会では「日本語の基礎」1と2,その後でいろいろ。でも,すごく役に立っているものは,今読んでいる,それもごめんなさい,名前が出てこないんですけれども,日本について,あいまいさとか,着物のこととか,いろいろなことが書いてあります。本当に言葉を勉強しながら文化のこともすごくいろいろな単語が出てきて役に立っています。すみません。

司会(野山)クラウジーナさんはいかがですか。多分,漫画が教科書だったという。(笑)

クラウジーナ漫画以外には,日本語学校へ1年ぐらい行ったときには,日本の小学生が使っている国語の本を使っていました。漫画以外は,それだけだと思います。(笑)すみません。

司会(野山)イェンさんの教室で使っている教科書は何だったですか。

池田「みんなの日本語」。

司会(野山)そうですね。「みんなの日本語」を使っておられるんですね。さっきのブルーの教科書は,ひょっとしたら水谷先生と水谷信子先生の本(IMJ:An Introduction to Modern Japanese)かもしれないですね。英語でかかれた本ですね。後で確認できればと思います。
随分と時間をとってしまいましたが,これで座談会の方は閉会にさせていただきたいと思います。座談に協力いただいた4名の方はこの後もここにいらっしゃいます。それで,非常に恐縮ですが,約20分以上押してしまいました。これはもうここで決めてしまいたいんですが,次を始めるのは16:00からということでよろしいですか。それで1時間半ということになってしまいますけれども,17:30まで後半のパネルディスカッションとさせていただきます。そのときにまた4人の方との交流も多少あるような状況になればいいかなと思います。不手際でいろいろ長くなってしまって申し訳ありませんでした。どうもありがとうございました。(拍手)
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