史跡003

樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡

  • 指定年月日/2021.3.26
  • 所在地/和歌山県東牟婁郡串本町
  • 緯度・経度/北緯33度28分18秒372・東経135度51分44秒611

樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡は,和歌山県最大の島である紀伊大島の東端,樫野崎の突端に位置する樫野埼灯台とその周辺海域で発生したオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の遭難事件に関する遺跡である。樫野崎の海抜約38mの高台につくられた「樫野埼灯台」は,イギリス人技師R・H・ブラントンにより建設された日本最初期の石造灯台である。ブラントン設計の灯台のなかで最初に点灯した灯台であり,明治3年(1870)6月10日(旧暦)に初点灯し,現役灯台として現在も機能している。エルトゥールル号遭難事件は,明治23年(1890)9月16日に樫野崎沖で,オスマン帝国のフリゲート・エルトゥールル号が台風により遭難し,500人以上の乗組員が死亡した海難事故である。同号は,16日深夜,樫野崎の突端から200~300m南西,海岸から100mの沖合にある「船甲羅(ふなごうら)」に衝突・座礁した。海に投げ出された乗組員等が樫野埼灯台の灯火を頼りに泳ぎ着いたのが「遭難者上陸地」である。事故後,地域の住民の協力により遺体や遺品の回収が行われ,犠牲者は「船甲羅」と「樫野埼灯台」の中間地点に位置する「遭難者墓地」に葬られた。樫野埼灯台は我が国の近代最初期の灯台として良好に保存され,明治初期の交通施設として貴重である。また,この地を舞台に発生したエルトゥールル号遭難事件遺跡は,近代における大規模かつ国際的な海難とその後の防災意識や日本とトルコとの国際交流・慰霊の歴史を明らかにする貴重な遺跡である。

六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡,九.外国及び外国人に関する遺跡