青図の文化財修理の最初例

重要文化財(美術工芸品)氷川丸附指定図面類青図の文化財修理の最初例

重要文化財(美術工芸品)氷川丸

重要文化財(美術工芸品)氷川丸

氷川丸は、昭和5年(1930)に横浜船渠株式会社にて竣工した貨客船で、戦前期に国内で多数建造された大型貨客船のなかでは現存する唯一の船舶です。氷川丸は複動大型ディーゼルエンジンを搭載し、国際条約を先取りした水密区画の採用等、当時の先進の造船技術を導入して建造されました。一等船室等の内装は、フランスの工芸家マルク・シモンの作品で、アールデコ様式の最初期の事例として建築意匠上にも注目されます。本船は、海外との輸送手段を貨客船が担っていた20世紀前半から中葉にかけて主要航路である北米航路に就航し、さらに戦中は病院船、戦争直後には復員船、引揚船あるいは物資輸送船として昭和35年の最終航海まで長期間にわたり使用され、社会・経済史上に大きな役割を果たしました。

[写真]氷川丸全景
1艘(歴第194 平成28年8月17日指定)
日本郵船株式会社所有。昭和5年(1930)建造
氷川丸全景

重要文化財(美術工芸品)氷川丸の附指定

氷川丸には航海日誌・諸記録類、図面類が残され、日本郵船株式会社所有の航海日誌・諸記録類8点、図面類455点が附指定になります。
図面類は一部の原図を除いて、大半は原図を複写した青図(青焼き図面)です。青図の主な内容は、氷川丸に備え付けられ管理用に使われてきた機関部や電気系統の機械、設備になります。
図面類はマイクロフィルムやデジタルデータで複写をとられた後に廃棄されることが多いなかで、このようにまとまって保存される例は貴重です。青図は氷川丸の建造時だけでなく、修理時のものも含み、機械・設備等の内容や改修のありようを窺うことができるもので、氷川丸の各部位の文化財的な評価を判断する上における基礎資料であることから附指定として一括して保護の対象としています。

青図の文化財修理

氷川丸附指定の青図修理は、重要文化財(美術工芸品)として青図を主対象とした最初の修理事例です。平成29年度から平成31年度(令和元年度)まで3カ年にわたり、447点の青図を対象として保存修理事業(国庫補助事業)を実施しました。以下に科学的検討を加えながら実施した修理の内容を紹介します。

劣化・損傷の内容

青図は「青焼」と呼ばれる複製された図面で、一般に木材パルプ等を原料とする機械漉きの紙が用いられます。主な劣化・損傷は以下のとおりです。

  • 表面の汚れ、裂損・破損・折損
  • 裂損部に貼付されたセロハンテープの変色および劣化
  • 水濡れによるシミ
  • 鉄製ステープル(ホチキスの針)の錆による本紙の脆弱化、変色や破れ
  • 青図に使用された薬剤の影響と思われる変退色の発生

修理の方針

青図が水や光、アルカリに弱い性質を持つことに留意し、以下の方針をとりました。

  • 水を用いないこと
  • クリーニングや繕いの手当は裏面から施すこと
  • 図面の内容を記録するための写真撮影に耐えうる程度の最小限の修理に留めること
  • 使用する諸材料は、青図に適合したもので、原材料や加工の内容が明らかで、安定したものとすること
  • 中性の紙(ノンバッファー紙、無酸無アルカリ紙、以下では「中性の紙」と表記)を用いた間紙のフォルダに青図を挟み、保護すること。

修理内容

ドライクリーニング

やわらかい刷毛をもちいて微塵や付着物を裏面から除去しました。

ドライクリーニング
ドライクリーニング

セロハンテープの除去

裏面から貼付されたセロハンテープは、キャリア(支持体)、粘着剤の順に除去作業を行いました。キャリア部分は、本紙に影響がない程度の温度に熱したヒーティングスパチュラ(( へら ) )で粘着剤を軟化させたのちに金属の篦を用いて除去しました。粘着剤は天然ゴム系イレイサーを使用して除去しました。なお、粘着剤が茶変し本紙に滲出している箇所については、キャリアを物理的に除去した後に、表面に溶出しない程度にエタノールで溶解しながら粘着剤を軽減させました。また、表面に貼付されたセロハンテープは、図への影響が僅少かつ安全に除去できると判断された箇所は同様の方法で極力除去しましたが、除去が困難と判断された箇所は現状維持としました。

修理前:劣化した粘着剤
劣化した粘着剤
粘着テープ除去
粘着テープ除去
劣化した粘着剤
修理後:劣化した粘着剤

セロハンテープ除去のための溶剤に関する実験

劣化し茶変した粘着剤残滓除去に用いる溶剤を選択するために、エタノール、アセトン、テトラヒドロフラン(以下「THF」と表記)の有用性および、各溶剤使用による経年劣化の変化を確認するため、以下の試験を行いました。

<湿熱劣化装置を用いた劣化挙動の確認試験>
試料:
  • 試験用に作製された青図の表面、裏面にセロハンテープを貼付したもの
  • 試験用に作製された青図にエタノール、アセトン、THFを各々塗布したもの
実験:
65℃、85%RHの恒温恒湿層内に資料を設置し、24時間処理を2週間実施、評価しました。
結果:
劣化した粘着剤に対して、エタノールとアセトンは同程度の軟化~溶解の効果が得られました。THFは、前者2種より高い溶解効果が得られましたが、溶解した粘着剤の周囲への溶出が認められました。なお、3種とも極端な劣化挙動は認められませんでしたが、総合的な判断の結果、エタノールを粘着剤残滓の除去剤として選択しました。

裂損への対応

裂損部分には、極薄の楮紙(典具帖紙 ( てんぐじょうし ) )を用い本紙を補強しました。接着剤には、セルロース誘導体であるヒドロキシプロピルセルロース(以下「HPC」と表記)をエタノールにて溶解したものを用いました。修理後は折り畳むことから、折り畳み時の( ) れなどを回避するため、楮紙は裂け目に沿って接着する一般的な方法ではなく、裂け目の両端部にブリッジ状に接着し、本紙との接着面積を少なくする工夫を施しました。

青図:補修前
青図:補修前
青図:亀裂補修
青図:亀裂補修
青図:補修後
青図:補修後

青図のエタノール耐性についての実験

青図に対するエタノール使用について、以下の試験を行い確認しました。

<湿熱劣化装置を用いた劣化挙動の確認試験>
試料:
試験用に作製された青図に以下の処置を行いました。
  • イオン交換水を塗布したもの
  • エタノールを塗布したもの
  • エタノール溶解の HPC を用い極薄和紙を貼付したもの
実験:
65℃、85%RHの恒温恒湿層内に資料を設置し、24時間処理を2週間実施、評価しました。
結果:
エタノールの使用については極端な劣化挙動は認められませんでした。本修理においては、補修は小さい紙片を点状に留めていく形をとるため、溶剤として用いる、また粘着剤残滓除去のために用いるエタノールによる影響は最小限にとどまると判断されました。

数枚の青図を綴じたステープルの除去

錆びたステープルは取り除き、元の綴穴を利用して楮紙にて新調した紙縒りで綴じ直しました。

修理前:ステープル
修理前:ステープル
修理後:紙縒りにて再綴
修理後:紙縒りにて再綴

青図に使用された薬剤の影響と思われる変退色の発生(折り畳んだ際の隣接箇所にも焼けが発生)

図面右側の薬剤による変退色部分が図面左側の折り畳み時の隣接箇所に焼けを発生させていました。そこで図面右側の変退色部分に中性の紙を間紙として挟みこみました。

間紙挿入:変退色箇所
間紙挿入:変退色箇所

新しい紙製保存箱の作成と旧保存箱の保管

青図は1枚ずつ無酸・無アルカリ性の紙を使用した二つ折りのフォルダに入れて、文書保管用の中性紙製の保存箱に収納しました。また青図の保存には好ましくない酸性紙の旧保存箱も最低限の手当を施し、同様に保存箱を作成して収納しました。

保存箱
保存箱

まとめ―成果と課題―

近代以降に大量に作成された青図は、その用途や性質から永続的な保管を当初から目指しておらず、脆弱なため劣化損傷しやすく、また廃棄されやすい文化財です。青図に関する修理事例の蓄積が乏しいため、有識者と協議しながら、修理作業の安全性を実験によって検証して修理方針を固めました。その結果、水を使わず、安全性に配慮し必要最小限の範囲で損傷を手当するという青図修理の一例を示すことができました。青図修理に関する先駆的な修理事例と位置づけることができます。今後の修理においても参照され、青図の修理方法の検討が重ねられるなかで、より適切な修理につながることが期待されます。

参考文献
  • 松田泰典・小谷尚子「感光性物質を用いた複写図面・文字資料の現状と保存について」『日本写真学会誌』67-2、日本写真学会、2004
  • 加藤雅人・坪倉早智子「複写物の保存と修復について」京都府総合資料館美術工芸品課編『京都府行政文書を中心とした近代行政文書についての史料学的研究』2008
  • 加藤雅人・木川りか・坪倉早智子・中山俊介「二酸化炭素処理・酸化エチレン処理がジアゾタイプ複写物に及ぼす影響」『保存科学』48、東京文化財研究所保存修復科学センター 、2009
  • 坪倉早智子・加藤雅人・中山俊介・荒木臣紀「劣化したシアノタイプの修復」『一般社団法人文化財保存修復学会第32回大会in岐阜研究発表要旨集』文化財保存修復学会、2010
  • 坪倉早智子・加藤雅人・中山俊介「劣化したシアノタイプの修復(2)」『一般社団法人文化財保存修復学会第32回大会in岐阜研究発表要旨集』文化財保存修復学会、2010
  • 東京文化財研究所編『文化財修復の現状と諸問題に関する研究会報告書』2020
作成:文化庁文化財第一課歴史資料部門
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