戦時中に日本画家・版画家の山川秀峰(1898-天山文庫は、昭和32年に名誉村民に推された詩人草野心平氏が、川内村に送った三千冊の書籍を村人が利用できるように、草野文庫を作ってはということが始まりで、昭和41年に村と村民共同のもと建築された施設である。設計は山本勝巳氏、建築資材及び施工は村民の奉仕による建設である。建設時は仮称「心平文庫」としてスタートし、落成時は正式名称を「天山文庫」とし、現在に至っている。設計に当たり、村では草野先生が宿泊できる部屋と付帯施設をとの注文をつけただけで、他は草野先生と設計者に一任し建設された施設である。
当文庫は、木造茅葺き、小屋裏利用2階建て、正四角形の平面構成に方形屋根となっている。外観は深い軒と真壁漆喰壁、茅葺き屋根と、一見するとこの地域では一般的な民家の構成になっているが、正面屋根の一部を切り上げ、2階広縁の窓がつけられており、伝統的な民家建築とは一線を画した設計になっている。また空間構成も小屋裏までの吹抜に小屋裏利用の2階居室が配置されており、これもやはり伝統的な地域の空間を生かした設計になっている。本来文庫建築として進められた建築であるが、草野先生の居住空間の追加により、この地域の民家住宅への指針となる設計になっている。
建物は、阿武隈山地の山あいの傾斜地を造成した中に建っており、方形の茅葺き屋根としたことで、まわりの木々に溶け込んだ優しい雰囲気を醸し出しており、川内村にとって現在でもお手本となる建築となっている。
文庫落成式典イベントに端を発して始まった「天山祭り」は草野先生の没後も毎年7月第二土曜日に開催されており、村あげてできあがった建物は、今も村民の宝として愛され続けている施設となっている。(遠藤一善)