野村碧雲荘は、野村財閥の創始者である野村徳七(1878~1945)が、南禅寺の北方に建てた別荘です。野村碧雲荘は、大正6年(1917)頃に建設が始まり、昭和天皇即位の礼に際して久邇宮邦彦王の宿泊所として指定された昭和3年(1928)に完成しました。東山という傑出した借景と琵琶湖疏水の水系を利用した広大な苑池をもつ庭園と、そこに配置された優美な意匠をもつ、きわめて高い建築技術で建設された17棟の数寄屋建築群は、近代和風住宅建築の一つの到達点といえます。
野村徳七は関西を代表する経済人であったと同時に、茶人としては藪内節庵に入門し得庵と号し、能は観世左近に師事した「数寄者」でもありました。明治中期ごろから、財界、政界の富裕層にはこのように茶道や日本美術などに造詣の深い文化人が増えてきました。彼ら近代の「数寄者」たちは、自ら道具を選び、豊かで豪華な茶の湯をつくりあげました。そして自らの趣味を大いに反映した、庭園と一体になって茶の湯など趣味的な生活を可能にする住宅や別荘を建設しました。野村碧雲荘も徳七が土地の選定から建築・庭園の造作まで積極的に関与したことが記録に残されています。
野村碧雲荘は、建設当時の姿をよく残しており、現在も野村グループによって維持されています。野村碧雲荘は、①主人の居住のための空間(旧館「北泉居」など)、②家政機能を果たす諸室(西門及び事務所など)、③皇族の滞在を意識した大空間(大広間など)、④施主の趣味を色濃く反映した数々の茶室(花泛亭など)といった、近代和風住宅に特有の諸要素が完存している点でも貴重です。