太陽の塔は、昭和45年(1970)に開催された大阪万博のパビリオンの一つとして建設されました。デザインは芸術家・岡本太郎が担当し、建築設計と工事監理は、丹下健三門下の吉川健が主宰する集団制作建築事務所が担当しました。当時は、塔の胴体と腕の内部を通り、腕先の出口から空中展示施設でもある大屋根へつながる動線になっていました。太陽の塔は、高度経済成長期の日本を象徴する文化遺産として貴重です。
複雑な三次元局面からなる独特な形状を高さ約70mの巨大な構造物として構築するため、最先端の技術が結集されました。
構造解析は東京大学坪井善勝研究室及び川股重也研究室が担当しました。まず百分の一の石膏模型を輪切りにしてトレースし、幾何学図形に置き換え図面化、さらに数式化する高度な解析を行いました。
構造は、鉄筋コンクリート造、鉄骨鉄筋コンクリート造、鉄骨造を部分により使い分けた混構造で、施工にあたっては新規性の高い湿式ショットクリート(吹付けコンクリート)やウレタン防水材など先駆性的な工法や素材が用いられました。
大阪万博閉会後、パビリオンは6ヵ月で解体される予定で、太陽の塔も建設当初は仮設建築物という扱いでした。閉会後に保存要望の署名が多く寄せられ、昭和50年(1975)には永久保存が決定します。内部公開の要望を受け、耐震診断を行い、平成30年(2018)には耐震補強・改修工事が完了しました。現在は万博記念公園内の施設として、内部も公開されています。