











日本聖公会前橋聖マッテア教会マキム主教記念聖堂(以下、聖堂)は、日本聖公会の発展に尽くしたマキム主教を記念し建設された。鉄筋コンクリート造平屋建、三層塔屋付、床面積86坪、設計者は上林敬吉、施工は清水建設である。1900(明治33)年現在地に初代聖堂が建設され、前橋聖マッテア教会と命名される。1945(昭和20)年の前橋空襲により焼失するが、1948(昭和23)年日本聖公会マキム主教記念聖堂設立委員会に於いて前橋に北関東教区主教座聖堂の設置が決定され、1952(昭和27)年に竣工した。1980(昭和55)年有志により聖堂正面の丸窓に、北面のアーチ窓及び翼廊に信徒からステンドグラスが献納されている。また、1970(昭和45)年から数回の外壁改修や天井補修、エアコン設置、2024(令和6)年には照明のLED化工事を行っている。聖堂は、旧前橋城跡の官公庁街北東に位置し、2022(令和4)年に認定された「前橋市歴史的風致維持向上計画」の”教会通り”に点在する四つの教会の一つである。身廊(会衆席)部は切妻造、変形八角形の塔屋と祭室は寄棟造で変形S形瓦葺となる。平面は南北を主軸に南から内陣、身廊、半八角形の祭室が並び、東翼廊に小聖堂、西翼廊に礼拝準備室を配す単廊式教会堂で、ポーチ・玄関を兼ねた塔屋が東面北端に建つ。
設計者の上林敬吉(1884ー1960)は、1884(明治17)年京都市生れで、1902(明治35)年茨城県土木課に就職し、この年の12月に水戸の聖公会講義所で受洗している。1906(明治39)年にジェームス・マクドナルド・ガーディナー建築設計事務所の所員となり、建築の基礎を身につける。1925(大正14)年、ガーディナー(1857ー1925)死去後東京に事務所を開設し、ガーディナーの仕事を継承するとともに米国聖公会の信徒建築家ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ(1888ー1975)と協働を進めるが、1937(昭和12)年日中戦争に伴い事務所を閉鎖する。翌年のバーガミニ帰国後、聖路加国際病院の「営繕課長」として勤務し、病院増改築の設計や施設管理を行うとともに、個人の立場で日本聖公会の礼拝堂建設や戦災復興に携わる。バーガミニとの協力体制を築いてから自らの意思により新たな世界を拓き、昭和初期に鉄筋コンクリート造の白い礼拝堂群を生み出した。上林敬吉の主な聖公会作品は、宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂(1933(昭和8)年)、大宮聖愛教会礼拝堂(1934(昭和9)年)、バーガミニとの協働では、浅草聖ヨハネ教会三代礼拝堂と高崎聖オーガスチン教会礼拝堂(共に1929(昭和4)年)及び福井三一教会礼拝堂(1932(昭和7)年)などがある。この礼拝堂群は、聖公会の伝統と歴史的な様式を尊重しつつ、近代の視点に則り礼拝堂の標準化を目ざした取り組みと評せられている。
上林敬吉は、前述のバーガミニとの協働や単独の礼拝堂に於いて、殆どがゴシックを基調としていたが、本聖堂では塔屋や半円アーチで統一された開口部、内陣上部の円形高窓、身廊の柱・梁を現しにし、丸みを付けた山形ラーメン、内陣と身廊の境界にアーチの小壁を付けるなど、ロマネスクを基調としている点が特徴である。以上のとおり、本聖堂は信徒建築家の上林敬吉が到達した落ち着きのある控えめな味わいの主教座聖堂であり、意匠性を持った建物と評価できる。(難波 伸男)