沖縄県001

玉那覇味噌醤油

  • 1945年竣工
  • 構造形式/木造、煉瓦造、コンクリートブロック造 地上1階 セメント瓦葺
  • 用途/商業・事務所建築
  • 所在地/沖縄県那覇市首里大中町

1.玉那覇味噌醤油の概要
琉球王国末期の安政年間(1855〜1860年)に現在とは別の地で泡盛を製造していた玉那覇氏が、醸造発酵を生かして醤油と味噌作りを始めた。明治5~12年頃(1872~1879年)に、2代目玉那覇氏が廃藩置県で不要となった仲田殿内を買い取って工場を移転した。仲田殿内は首里城の北に位置する大名町に建ち並んでいた琉球王国時代の士族屋敷のひとつである。沖縄戦で建物は全倒壊したが、地中に埋めておいた麹の付着した部材を利用して1945年に麹室を再建して生産を再開し、琉球王朝時代から続く味噌蔵として現在も営業を続けている。敷地には仲田殿内の石垣塀や庭が残り、首里城と水脈を同じくする井戸水は今も洗浄等に使われている。

2.建物の特徴
木造平屋建て瓦葺きの味噌醤油製造工場などの建造物群で構成される。1945年に麹室を再建した後、生産設備の増築が重ねられ、伝統的な赤瓦とセメント瓦が混在する現在の姿になった。1970年代以降の増築履歴は確認申請資料等により確認できる。麹室は3層構造とし、無双窓や山原竹の床を設けるなど、麹菌の生育に適した通気性の良い環境を保つ工夫がみられる。建物外壁として仲田殿内の屋敷囲いの石垣の一部を利用していることも通気性に良い影響を与えているようである。大正時代に燃料が薪から石炭に変わり本土職人によりレンガ造の窯と煙突などが建造されたが、その一部は現存し、煙突下部や門扉にみることができる。波板金属板で軒先を伸ばして増築する、沖縄でハジヌバサーといわれる過程もみられ、家族の成長に伴って、隣接する建物の間の空間利用も進んだ。

3.評価 琉球処分後の士族屋敷の味噌醤油工場への転用や大正時代のレンガ造の導入などの歴史が、現存する仲田殿内跡の遺構や煙突の一部から読み取れ、戦後の麹室再建とその後の増築過程を含めて、沖縄の歴史が凝縮された建物群である。壊滅的な被害を受けた沖縄戦が終結した年にはやくも麹室を再建し、地中で保護した麹菌のついた木材を用いて生産を再開した経緯には驚嘆させられる。また、現在も伝統的な味噌づくりを続けている沖縄では数少ない味噌蔵であり、その生産工程が理解できる産業遺産でもある。琉球王朝時代から続く「天然醸造」のみそとして製品の人気は非常に高い。

4.現状
現在も玉那覇味噌醤油として営業し、創業6代目を数える。