沖縄県002

山元恵一アトリエ

  • 1948年竣工
  • 設計/仲座久雄建築設計事務所
  • 構造形式/石造 地上1階 鉄板葺
  • 用途/住居建築/文化施設
  • 所在地/沖縄県那覇市

■概要
山元恵一アトリエは、首里儀保町のニシムイ美術村跡に位置する。終戦後、ウィラード・ハンナ海軍少佐らの指導で石川市に集められた芸術家らが、沖縄美術協会を設立して古都首里で活動するために1948年に建設されたのがニシムイ美術村である。首里城の北(方言でニシ)に位置する事からニシムイ(ムイは森)と名付けられたこの一帯は、戦後の荒廃の中で芸術文化の復興拠点として若手画家8人が助け合い生活共同体をつくった理想郷であった。1948年と1949年の大型台風で一帯は甚大な被害を受け、山元恵一アトリエも二度にわたって倒壊した。現在の建物は、戦前から沖縄で活躍していた建築家の仲座久雄によって設計され、1950年に竣工した。

■特徴
戦後の物資不足のなかで、大型台風にも耐えられる堅固な建築として、周辺で採取した2万個の琉球石灰岩を積み上げて建てられた平屋建て片流れ屋根の建物である。平面形状は長方形で、建築当初は沖縄の民家にみられる雨端の役割をする玄関ポーチや来客をもてなす半戸外空間が設けられていた。内部は短辺方向の石壁で二分され、東側にアトリエ、西側に家族の居間兼寝室と台所が設けられた。台所の上には4畳程度の子供室兼物置が作られた。のちに壁漆喰や天井張りで仕上げることを想定し、壁厚約400mmの石積みは表面を仕上げず、小屋組みも現しであったようだ。2013年に真喜志好一の設計によって改修工事が実施された。傷んだ屋根と小屋組みを取り換えるため、新しい臥梁を石壁天端に載せたことで、天井が高くなり、石壁の上に1尺くらいの板張りが見える外観となった。雨端部分を玄関ホールとして内部に取り込み、雨戸は木製からアルミサッシュに取り替え、トイレ、シャワー室が増築されるなど、改良を加えつつも、建築当初の面影を色濃く残している。

■評価
設計者の仲座久雄は、戦前の首里城守礼の門の修理工事に従事し、終戦復興住宅として7万3500戸建設された「規格家(キカクヤー)」の設計や国宝園比屋武御嶽の復元工事に携わるなど、沖縄の建築界を牽引した建築家である。山元恵一アトリエは、のちに花ブロックなど気候風土に適応した新しい材料を積極的に取り入れた仲座久雄が、台風常襲地であり、高湿度と蟻害による木材の腐朽が甚だしい気候風土に対する適応として、資材不足のなかで手近な材料と石積み構造を選択して生み出した建築である。美術村は、国道82号線建設によってその大半が撤去され、戦後の芸術家らがめざした理想郷の面影は失われたが、そのなかで当建物は往時を記憶する唯一の現存建物である。

■現状
アトリエ南側に新しい住宅を建て、現在、当建物は離れとして利用している。壁には山元恵一の作品が掲げられ、来訪者の対応や宿泊も可能な自由な空間として維持されている。当時の面影を忍ばせてくれる貴重な建物であり、地域に溶け込み、知る人ぞ知る伝説的な建物である。