























黒部川の電源開発は、高峰譲吉が豊富な水力を利用してアルミニウムを製造する日米合弁事業を計画したことに始まる。そして、東洋アルミナムを傘下に収めた日本電力が、黒部峡谷での電源開発を順次進め、1927(昭和2)年に柳河原発電所(最大出力36,000kW)、1936(昭和11)年に黒部川第二発電所(最大出力63,000kW)、1940(昭和15)年に黒部川第三発電所(最大出力81,000kW)が発電を開始した。なお、黒部川第四発電所の開発については、すでに大正時代から東洋アルミナムが水利権を取得し、貯水池式による計画を行い、各種調査を実施していた。
終戦後の復興需要と経済成長により電力需要が増大した。特に関西地方では電力供給が逼迫しており、戦後に黒部川水系の各施設と水利権を引き継いだ関西電力は、1955(昭和30)年に黒部川第四発電所の建設を決定した。それは輸送路がない黒部峡谷の最奥部に高さ186mのアーチ式コンクリートダムの黒部ダムを建設し、下流約10kmに落差545.5mを利用した発電所を造るもので、国立公園内に位置するため自然景観保護の観点から、また冬期の建設工事や設備保守のために変電所、開閉所を含めすべての施設を地下に収める巨大な工事で、膨大な建設資金が必要なうえ、極めて条件の厳しいプロジェクトであった。なお、建設資金については世界銀行から貸し付けを受けた。1956(昭和31)年8月、輸送ルートの建設に着手し、1958(昭和33)年には黒部ダムの基礎掘削が開始された。その後、幾多の困難がありながらも、1961(昭和36)年1月に1・2号機が、翌8月に3号機が発電を開始し、最大出力234,000kWとなった。1963(昭和38)年に黒部ダムが完成したことにより、6月5日に竣工式が執り行われ、7年の歳月と513億円の工費を投じた黒部川第四発電所の建設工事は竣工した。なお、1973(昭和48)年6月に4号機を増設し、最大出力335,000kWとなった(現在は337,000kW)。また、2020(令和2)年4月に送配電事業は関西電力送配電へ移管された。
輸送ルート
資材輸送の主要ルートとして、長野県側の大町~ダム間の関電トンネル(建設当時は大町トンネル、長さ約5.4km)とダム~発電所間の黒部トンネル(長さ約10.1km)が計画された。黒四開発の成果を左右する関電トンネルを両側から掘削し早期に開通させるため、また黒部ダムの建設に着手するため、富山県側から人馬で立山を越えて資材運搬も行われた。トンネルが完成するまで発電所に到達できないため、仙人谷ダムまで開通していた上部軌道の延長(約1km)と黒部本流側から横坑の掘削も行われた。
関電トンネルの掘削は、1956(昭和31)年8月に開始し、順調に進んだが、翌5月1日に破砕帯に遭遇した。本坑のコンクリート巻立補強と併せ、水抜き坑(パイロットトンネル)の掘削、ボーリング孔からの薬液注入を行い、約80mの破砕帯を7ヶ月要して突破し、1958(昭和33)年2月に関電トンネルが全通した。水抜き坑は10本計499m、ボーリング孔は124本計2,898mに達した。
導水路・サージタンク・水圧鉄管
黒部トンネルにほぼ平行する約10.3kmの圧力トンネルとそれに接続する斜距離676m、傾斜角約47°の水圧鉄管の間には水圧鉄管制水弁、そのやや上方に水圧トンネルから分岐してサージタンクが設置された。全地下式斜坑型水室サージタンクは、高さ145.6mで、空気抜塔、地盤高の関係から特異な形状となった。
インクライン
黒部トンネル端部と発電所の高低差約450mを結ぶインクラインは斜距離815m、傾斜角34°で、巨大な発変電機器を輸送するため台車の積載能力は25tである。
発電所・変電所・開閉所
地下の発電所は幅20m、高さ31.6m、長さ117mの鉄筋コンクリート造で、容積は約74,000m3である。隣接する変電所(階下)と開閉所(階上)は幅20m、高さ26.6m、長さは発電所と平行方向に100.5m(変電所84.5m)、下流端で直角に曲がり総延長は177m(同149m)のL字型になっている。容積は約87,000m3である。
送電線引出口
地上の送電線と連絡する送電線引出口が黒部川に面する山の中腹に2ヶ所設けられた。唯一の地上施設である。上流側の引出坑は長さ140m、傾斜38°の斜坑、下流側は高さ68m立坑で開閉所と結ばれている。
放水路
全長948.68mの放水路は途中の分水庭で、仙人谷調整池に放流される分水路と新黒三連絡水路に分かれる。連絡水路が黒部川を横断する箇所には、スパン56.0mのプラットトラス橋が架けられ、径4.4mの鉄管を渡している。トラス上部には上部軌道も敷設されている。
送電線引出口以外のすべての設備を地下に収めた世界的にも希な完全地下式発電所である。インクラインの急傾斜、長大斜坑の掘削は世界でも例のない工事であった。破砕帯を突破した関電トンネル工事は、映画「黒部の太陽」の舞台となった。全地下式の斜坑型水室サージタンクはわが国初、発電所周辺の地下施設は、総掘削量約50万m3、使用したコンクリート総量約16万m3、トンネルの総延長約10kmに達するわが国の土木工事史上最大の掘削であった。開閉所と送電線引出口を結ぶ引出坑には、当時わが国ではまだ実績のなかった275kVのOF超高圧ケーブルが敷かれた。これら黒四開発は、わが国の土木工事の金字塔で、1965(昭和40)年に初となる土木学会技術賞を受賞した。(樋口輝久)
1) 関西電力:黒部川第四発電所 図面集 電気編、関西電力、1963
2) 黒四建設記録編集委員会:黒部川第四発電所建設史、関西電力、1965
3) 関西電力:工事報告 黒部川第四発電所、土木学会、1966