










矢作川は中央アルプスの南端に源を発し、三河湾へと注ぐ延長118kmの河川である。矢作川水系における電源開発は、1897(明治30)年、岡崎電灯による岩津発電所(開発当時50kW)に始まり、明治、大正、昭和を通じ23ヶ所の発電所が建設された。その後、大容量化する火力発電、原子力発電との連携を図るため揚水発電が注目され、中部電力は、建設省が手がけた矢作ダム(1970年)を下池に、黒田発電所の黒田ダム(1934年)を上池にし、その両池を結んだ標高差約600mを利用して、90万kWの揚水発電を行う計画を立てた。
1971(昭和46)年に調査に着手したが、地質的な問題が判明し、わが国初の600m級の揚水発電は断念し、上池と下池の中間に調整池を設けた2段式の揚水発電に計画を変更した。1976(昭和51)年11月に工事に着手し、1980(昭和55)年9月に奥矢作第一発電所の1号機(10.5万kW)と第二発電所の1号機(26.0万kW)が、1981(昭和56)年2月に第一発電所の2号機と3号機(各10.5万kW)、第二発電所の2号機と3号機(各26.0万kW)が発電を開始した。2012(平成24)~2014(平成26)年にかけて、第一発電所の発電機3台について出力変更を行い、現在では合計最大出力は110.3万kWである。
既設の黒田ダムは、堤高35m、堤頂長150m、貯水量470万m3の重力式コンクリートダムであったが、10.2m嵩上げするため、下流側にコンクリートを打ち足して、堤高40.2m、堤頂長332.0mとし、貯水容量を1,010万m3に増大させた。
第一発電所と第二発電所の落差は、それぞれ約170m、約404mとなり、両発電所を一連の水路系とした場合に水車特性、揚水特性が異なるため、80万m3の中間調整池が必要となる。そのため、180万m3の山を取り除き、堤高32.5m、堤頂長337.0mの重力式コンクリートダムの富永ダムが築造された。不測の事態を考慮し、20万m3の余裕を持たせ、貯水容量は99.8万m3とした。また、調整池内の流況の乱れ、渦の発生が懸念されたため、底を掘削し、放水口と取水口を開渠で結んでいる。
第一発電所は半地下式で、第二発電所は矢作川(奥矢作湖)の左岸側の地下に設けられている。
第一発電所のサージタンクは、周辺の地山、地質等の制約により、導水路サージタンクは小高い山頂を利用し、地上約50mをPC構造、地下約20mをRC構造とした巨大なものである。第一発電所の脇に立つ放水路サージタンクも地上部はPC構造を採用している。安全性、経済性、施工技術に対する信頼度と保守の容易さなどからPC構造が採用された。
当初計画の一段式揚水発電が地質的に困難なために生まれたわが国唯一の二段式揚水発電所で、2つを常に一体で運用する世界的にも希少なものである。導水路サージタンクは、PC構造を使用したわが国最大級のサージタンクである。また、揚水発電所の大容量化に伴って、エネルギーロスの少ない分岐菅が求められるようになり、第一発電所ではエッシャーウィス形分岐管、第二発電所では立体三叉シェル形分岐管が、わが国で初めて採用された。特に立体三叉シェル形分岐管は当時世界最大級のものであった。(樋口輝久)
1) 中部電力:奥矢作第一発電所・奥矢作第二発電所建設工事報告,1982.
2) 水力技術百年史編纂委員会:水力技術百年史,電力土木技術協会,p.478,1992.
3) 艸田正義:中部電力 奥矢作第一、二発電所,ターボ機械,22巻9号,pp.52-53,1993.
4) 中部電力:奥矢作第一・奥矢作第二発電所<揚水式>パンフレット,2017.